微妙な動き(2)

前にエントリを書いたラング氏訪朝について情報が出てきているようです。

邦語では産経の記事をクリップしておきます。

仏、北朝鮮に常設事務所の解説を提案[2009.12.17/産経]

仏外相、北朝鮮との対話は時期尚早 政府内に温度差
[2009.12.22/産経]

対北国交なぜ急ぐのか[2009.12.23/産経]

一番下の山口記者の記事が懸念を含めて状況が見えやすいので一読をおすすめしておきます。

以下はル・モンドの記事です。記事中のミッテランの言及はラング氏が同政権の文化相でミッテラン派であるところから来ています。大急ぎなので変なところもありそうです。気がつき次第直していきます。

"Lang, mitterrandiste jusqu'en Corée" par Natalie Nougayrède[17.12.2009/Le Monde]

1981年2月だった。大統領選挙候補者のフランソワ・ミッテランは独裁者金日成の招きで北朝鮮を訪問した。中でもリオネル・ジョスパンとガストン・デフェールを伴って。北京発で平壌に到着した一行は2日間の滞在で、クロード・エスティエが語るところでは、「『偉大なる首領』金日成の信じがたい個人崇拝」を見たのだった。

一行は金本人に迎えられたが、この人物は自身の全著作を収めたケースを各々に手渡した。金日成は「多くの良識とリアリズム」を備えた人物であるとミッテラン氏は後に語るだろう。5月10日の選挙の晩に彼に宛てられた祝辞の最初の電報のひとつは平壌から発された。

北朝鮮は餓死者を出している労働収容所(20万の囚人がそこに収容される)、蔓延する洗脳、三世代に適用される「人民の敵」概念を備えた全体主義国家である。1990年には100万から200万が餓死したが、これは人民の中で「忠実」とみなされた特定層(とりわけ軍事カースト)に食糧をまわした体制によって部分的には引き起こされたものである。今日でも深刻な栄養失調の問題は存在するが、体制は膨大なリソースを核とミサイル計画に捧げている。国際舞台では北朝鮮はその妨害能力を金に変える術の達人で通っている。今日ではミャンマーと並んで惑星で最後の頑な独裁国家のひとつである。

「別の時代だったのだ」と12月16日水曜フランソワ・ミッテランの旅について問われたジャック・ラングはコメントした。「社会党は当時様々な国の共産党と対話の関係を維持していたのだ」と。ジャック・ラングは10月にニコラ・サルコジに委任された北朝鮮での「情報ミッション」の結果を国民議会外交委員会に提出したところである。

11月に彼は北朝鮮で5日間を過ごした。5日間になったのは中国側が保証した北京-平壌間の2つの航空連絡路を隔てる期間[?意味不明]のためである。ジャック・ラングは多数のフランス外交官を引き連れたが、その中にはサルコジ氏のアジア顧問のベルトラン・ロルトラリもいた。ジャック・ラングは体制のナンバー・ワンの金日成の息子である「首領」金正日ではなく(公的な説明では「首都に不在」だった)ナンバー・ツーに迎えられた。

この滞在の間には「慣習を尊重する」ためにラング氏が応じたほぼ義務的な教練があった。「偉大なる首領」の巨大な像の前での瞑想と1994年に亡くなった金日成の防腐処理を施された遺体を擁する霊廟の訪問だ。そこで訪問者は4度もミイラに御辞儀をするのだ。

平壌では晩は長い。中産階級の開花の象徴である個人経営のレストランはやや物事を明るくしており、役人達との会話には酒がともなう。フランス代表団ははちきれそうなほど人で一杯のコンサートホールの一等席に着座するという思いがけない贈物を受けるが、そこでは明らかに特別に選ばれた公衆が完全に凍りつき、沈黙を守っている。他の場所と同じく「許可されない」者とは誰であれ会話を禁じられている。

北朝鮮の内情についてジャック・ラングは意見を表明し過ぎないようにしている。ショーケースたる首都の外では農村で「生活の困難を知っていると思われる人々」を彼は見た。しかし彼は北朝鮮で「ラインは動いている」という印象とともに帰国したのだ。今年のビル・クリントンの訪問と最近のバラク・オバマの使節派遣をその証拠だといって張り切っている。また北朝鮮が彼に示した「厳粛な態度」も。つまりフランスとの「人権に関する意見交換」の提唱と核、ミサイル技術輸出を止めたという約束のことだ。「真面目に受け止めるべきだ」とラング氏は言う。

彼によればフランスは開放的な精神をもたらす手段を見つけなければならない。たとえパリが「近々に」外交関係を樹立することが「想像できない」としても。「段階に応じて」物事を進めるのが重要であり、その間にフランスは平壌に「人道的、文化的、言語的協力の常設事務所」を開くことを提案するのだ。

フランスは朝鮮戦争(1950-53)以来北朝鮮と外交関係を持たない。この時にはフランスは国連の委任下で米軍の側で戦うべく一大隊を派遣した。平壌での滞在にもかかわらず、フランソワ・ミッテランは一旦大統領に選出されるとこの一歩を越えることを、ユベール・ヴェドリーヌが回想するところでは「北朝鮮が彼を攻め立てた」としても、拒絶した。

ジャック・シラクもまた、イギリスとドイツとは異なって、2000年に南北の緊張緩和の局面を利用することを拒絶した。「不拡散と人権」についての進展を条件として挙げて「こうした関係を回復するには最低限の態度が必要だ」とジャック・シラクは説明した。

フランス外交はこの政策に関して転回したのだろうか。ニコラ・サルコジは「ならず者」体制との対話を試みるバラク・オバマ外交を先取りしようとしているのだと言う者もいる。他の夢、特にユネスコ事務局長の夢を抱くジャック・ラングはそのために「リクルート」されたのかもしれない。春に彼はキューバでのミッションを既に実行した。水曜にジャック・ラングは平壌で米国のミッションに先鞭をつけて満足していると述べた。フランスのイニシアティブは―安心させなければならなかった―日本の高官達を苛立たせただろう。中国は中国でここに利益を見ただろう。こうしてエリゼは北京の歓心を得ようとしているのだろうか。

以上、最後の中国を利する云々は現状ではよく分かりませんが、やはりなんとも微妙な動きに見えます。まだ米国の動きを見ながらなにができるのか様子見しているといった感じに見えますが、一応イランとの整合性はどうするつもりなんだとかつっこみの練習はしておいてもいいのかもしれませんね。

ではでは。

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複雑な関係

波乱含みで日米関係と日中関係が焦点化されている日々ですが、ル・モンドに後者について記事が出ていましたので紹介しておきます。

「北京と東京、複雑な関係」
“Pékin-Tokyo, une relation complexe” par Philippe Pons[l19.12.2009, Le Monde]

中国の副主席でおそらくは未来の「ナンバーワン」である習近平は好意的な扱いを受けた。政府の要請で、天皇との会見には一ヶ月前の事前申請を求めるプロトコルにもかかわらず、君主によって迎えられたのだ。その一方で彼が成田空港で篭城している同胞の馮正虎を目にすることはなかった。中国はこの問題には無関心なようであり、日本にとってはこうしたケースが提起されるのは初めてのことである。

人権は日本外交の「十八番」であったことはない。民主的価値の擁護者たる日本はこの件について激昂を示していない。

過去の拡張主義-とそれに伴う残虐行為-は日本をなかなか「教えを垂れる」位置には置かない。政治的現実主義もまた妥協的に振舞うことを強いている。1945年の敗北以降、日本は経済的観点を除けばアジアに無関心であるかのようであった。日本は明治時代(19世紀後半)の改革主義者達の思考の延長にあったが、彼らにとって、列島の近代化は「アジアの根を絶つこと」そして西洋、この場合、欧州の方法を採用することを要請するのであった。たとえ自由と権利の擁護者たる日本の思想家達が西洋の諸価値とその帝国主義の間の落差を非難したとしてもだ。

中間の道

列島は20世紀初頭に汎亜細亜主義のスローガン―間もなく帝国的イデオロギーとなった―の下にアジアを再発見した。

西洋との接触以来、日本は近代性の参照モデルとみなすものとの関係性において自らを定義づけようと止むことなく努めてきた。こうした思考は列島では極めて意味深長なものであり、1990年代には日本とアジアの同一化の支持者達は「アジアへの回帰」を告げることで明治時代の表現を転倒した。鳩山政権は中間の道に位置している。つまり一方の足を西洋に、もう一方の足をアジアに置いている。

民主党は前任者たる、半世紀にもわたって政治生活を支配した自由民主党よりも、「開かれた地域主義」の立役者となるべく、右翼のなかった主義(negationisme)とは断絶して戦前の負債を引き受ける用意があるようだ。中国の台頭は日本をして地域に再焦点化することだけなく、不快なテーマを避けて北京との良好な関係を築くことを余儀なくさせている。

以上、この地域に特に知識のない人々に向けて歴史的パースペクティブを与えようといった趣きの短い記事です。汎亜細亜主義の問題性についてはもう少し書いてもらいたいところもありますが、同記者は確か戦前の亜細亜主義者や親中派についての記事も書いていた記憶があります。個人的には「脱亜」とか「入亜」とかというのはどうも苦手なところがあるのですけれども(そもそも西洋とはなにか、アジアとはなにかの段階でつまづく)、この言説系譜で言えば、民主党は「中間の道」を歩んでいるとみているようです。

ついでに。特例会見で戦後的な立憲象徴君主制の根幹に無造作に触れた点には困惑させられました。これは親中とか反中とかいう問題ではないし、政治的なものと官僚的なものとの対立の問題でもない。国際政治の荒波に天皇陛下を巻き込むことは望ましいことなのかどうか、大げさに言えば、戦後的な「国体」概念に関わる要素を含んでいるだけに政府にはそれなりの理論武装が必要であるように思えます。また冒頭で国際的には大きく報じられているにもかかわらず日本国民にはあまり知られていない成田の馮正虎氏の問題に触れていますが、「教えを垂れる」ような高圧的な態度でなくとも政府はしっかりとした対応をしたほうがいいと思います。日中友好も結構な話でありますが、原則論的な部分については確固とした態度をとっていただきたいわけです。

追記

背景や経緯が十分に報じられていないところで少し大げさだったかもしれません。でもこういう不透明なやり方は個人的にとても望ましくないです。

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微妙な動き 

ずいぶんと急に寒くなってまいりましたね。ここのところずっと狭いけれども快適な穴蔵でぶつぶつとつぶやいておりましたが、季節も変り目ということでちょっとばかり地上に出てまいりました。なんだかまぶしい思いがいたします。透明な秋の空が目に沁みる。

サルコジ大統領に北朝鮮特使としてジャック・ラング氏が任命された際にはやや微妙な反響を引き起こしたようなのですが、メディアの関心も少し集まっているようなのでメモしておきます。

ラング氏ですが、ミッテラン政権の文化戦略で辣腕を振るったことで知られるなかなかカラフルな政治家で大統領候補にも名前があがったこともあるような大物です。この人が北朝鮮特使になった背景はよく分からないのですが、サルコジ政権の左翼の取り込みの一環として語られることが多いようです。野党の社会党の所属議員ですが、経歴を見ると分かるように文教畑の方です。

邦語ソースをググる限りは、この件はあんまり注目されていないようですね。まぁ、実際、どこまで注目すべきか微妙なんですけど。

北朝鮮特使に野党有力者を任命 フランス大統領[2009年10月2日産経]

ラング元文化相、北朝鮮訪問のためパリ出発[2009年10月3日産経]

北の核で連携、岡田外相とフランス特使が会談[2009年10月5日読売]

仏特使、11月上旬に訪朝 外交樹立を模索[2009年10月28日日経]

記事にあるように、10月1日に特使に任命された後、日本を皮切りに各国を歴訪して北朝鮮との国交樹立のために必要な「情報収集」を行ったとされますが、先月の半ば頃に11月初頭には北朝鮮訪問をする旨公表しています。この経緯については山口記者がブログ記事で興味深いエピソードとともに書かれています。

北朝鮮サッカー選手、キムチ持参でフランスで練習[イザ]

サッカーを使ったのですね。で記事にもあるように今さらなんでフランスがのこのこと出てくるわけ、という空気が流れているようです。最初から安保理常任理事国として英仏が協議の面子に入っていれば数の論理で日本の発言権もなんぼか増していたのかなぁ、などと思ったりもしますが・・・。

で英語ソースだとAPがまた微妙な味わいの記事を出しています。

"France wades into Bog of North Korean Diplomacy"[3.11.2009.AP]

ラング氏のミッションは公的には二国間の国交樹立を目指しているが、勿論狙いは6カ国協議に絡むことにあり、援助をえさに核問題の行き詰まりを打開することにあるとしています。

記事では、自分は「平和の戦士」だとか、朝鮮戦争と無関係なのでフランスは中立的な立場に立てるとか、なにかが少し動いているという直観があるだとか、ちょっと分かっているんですかねぇ、という発言が引用されています。

またなぜ元文化相なのかという点についても言及があり、氏は左翼の社会主義者だからキューバや北朝鮮を相手にするのには適しているだとか、実際に実務を担当するのは専門家たちなのだから氏でも特使は務まるだろう、といった意見が拾われています。

最後にこのフランスのアプローチは関係国の警戒を呼んだが、6カ国協議の枠組みを損なわないように動くことを約束している点について触れています。

不透明さの理由のひとつとしてラング氏は一国を代表しているのか、それともEUを代表しているつもりなのかがよく分からないという点が挙げられるでしょうか。支援云々についてもEU内で本当に議論がなされているの、フランスの独走じゃないの、と。後者でしょうけれど。

"France's envoy to North Korea"by Judah Grunstein[3.10.2009/World Politic Review]

それでこの件についてなにか分析はないかなと探してみたんですが、まだ初動の段階であまり見あたらないです。書き手は私もよく記事を目にするフランス・ウォッチャー氏ですが、ラング氏の任命に疑念を表明しています。

サルコジはオバマ就任以来ようやく外交的なsweet spotを見つけた。ブッシュ政権末期以来、サルコジは欧州でも大西洋でもフランス外交の信頼性を向上させるように努めてきた。しかし不人気な大統領の数少ないよき友であることは人気のある大統領の多くの友たちの中で舵取りすることに比べて容易い。

ラングの任命は様々なレベルにおいてよくない。米国人に説明は難しいが、ラングについてそれからフランス政界の中のラングの位置について知っている者には明らかだ。彼は人気にもかかわらず、彼の任務が必要とする威厳を欠いている。ラングのことは個人的に好きだが、平壌でもどこでも笑顔を浮かべる以外のことができるとは思えない。

これはまた国内政治のために社会党の有名人をピックアップするサルコジの努力である。しかし真剣な外交的イニシアティヴが展開する限り、これは測り難い。

といった具合にラング氏個人の適性への疑義を記しています。いかにも事情通の文章ですが、私の印象でもそんな感じですね。フランス文化の宣伝に平壌に乗り込むにはいいかもしれませんが、核問題とはなかなか結びつかない。記事は米仏関係でこの動きを理解していますが、対イラン外交とも合わせて考えないといけないのかもしれませんね。とりあえず外交ゲームの焦点を探して極東まで手を伸ばしてみましたといった感じなのかと思いましたが。

ともあれ、いったいなにをたくらんでやがるという関係国の疑いの視線を浴びながら、素敵な笑顔とともにラング氏がやって来るという話でした。

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日本元年


このたびの民主党の圧倒的勝利をめぐる英語圏の報道も紹介されているようですので仏語圏の報道でも紹介しておきましょう。いささかシニカルな論調も散見される英語圏の報道に比べると民主党の勝利を日本の民主主義の勝利として素直に称えるトーンが優勢かなという印象を受けますね。それから左派メディアではサルコジスムを自民党に見て、社会的なものを民主党に見る傾向もあるようです。人は見たいものを見るということです。以下、ル・モンドの社説「日本元年」です。

"Le Japon, an 01"[Le Monde]

日本人は変化を選んだ。8月30日の総選挙での中道左派の民主党の圧倒的勝利は歴史的なものである。ここまで自民党の保守主義者による権力の独占的な行使、そして複数の派閥間の「木刀での闘い」が半世紀以上も続いたのだった。この成功は列島における深甚な諸々の変化に表れているにちがいなかろう。

民主党の与党としての未経験は完敗後の狼狽の中にある自民党内部の分裂の可能性と結び合わさってこの安定に慣れた国に一定の政治的混乱をもたらし得るだろう。もはや投資や輸出によってでなく内需主導の成長と社会的保護を優先するというのであるから民主党は1960年代以来優勢であった「日本工場」のモデルを覆そうとしている。

8月30日の選挙は自民党に関する国民投票となった。すなわち個別のプログラムを超えて拒否されたのは権力の実践であり、経済的、社会的ロジックである。民主党は生活条件の改善を政府の基本的目的とすることで優先順位を転倒させようと求めている。敵対者から見れば、こうした「ロビンフット的」な政策は列島の産業的競争力を危険にさらすものであり、財政を不安定化するものである。

1990年代初頭の「投機バブル」の崩壊以降、日本社会は不安定化した。機会の相対的平等、給与の幅の小ささ、ほぼ完全な雇用、成長の配当の再分配による生活水準の改善が不平等の拡大、雇用の不安定性、ほぼ破綻した年金システム、多くの人々の相対的貧困化に席を譲ったのだ。こうした社会的不安定に起因する諸々の現象が選挙の背景となっていた。

民主党のプログラムは野心的なものである。社会的保護を優先することでこのプログラムはスカンジナヴィア諸国の「民主的資本主義」の列に位置することになる。しかし民主党は国民的な社会文化的遺産を考慮しつつネオリベラリスム/福祉国家の二者択一を超克することを可能にするような日本的な成長の道を見定めなければならない。換言すれば、1960年から80年の拡大の起源となったモデルを改訂しなければならない。日本人が選択した過去との断絶は救済的なカタルシス効果を持っている。後は民主党が期待の水準に達することが残されているのだ。

という訳でいかにも同じ中道左派への共感のある社説です。新自由主義か福祉国家かの二者択一を超克する日本的な道というのがどういうものかは分かりませんが、私にはここしばらく民主党からは協同主義の木霊が聞こえてきますね。超克。

ではでは。


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MANGA LATINA

同人漫画の世界というのは私からは遠いのでこれがどの程度のレベルにあるのかとかそういうことはよく分からないのですが、これがラテン語国際ニュース新聞エフェメリスに掲載されているという事実にはなにかこんなところにまでという思いがするのですね。おそらくはここで35人ぐらいの日本国民が頷くのではなかろうかと想像します。同人もラテン語化されるご時世ということなんでしょうが、この新聞けっこうお堅いと思うので今後の展開が気になるところです。現在Pars1Pars2が掲載されていますが、既に微妙な雰囲気を醸しています。作者はポーランド人のサラさんだそうです。

ではでは。

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民主党の中道化

政権の交代が確定的になってきた中で同盟に与える影響についての予測の記事がちらほら出るようになっていますね。FEERに記事があったので紹介しておきます。

"Change the U.S. Can Belive In" by Abraham M. Denmark[Far Eastern Economic Review]

民主党が主張していることは大まかに言えば「より独立的な」外交政策であり、「より対等な」同盟関係である。これまでのリーダーたちの発言は民主党が日本の独立性を高めるために同盟にラディカルな変化を求めるのではという懸念を米国にもたらしてきた。おそらくは日米地位協定、インド洋での給油、米軍のグアムへの移転費用、米軍基地縮小といったイシューが最初の数ヶ月間を支配することになろう。しかし日米同盟の劇的な変化はありそうもなく、民主党は中道化に向かうだろうと予測しています。

これまでの発言は自民党批判の選挙戦術であり、民主党の関心は内政イシューにある。民主党支持は国民世論のイデオロギー的左傾化ではなく自民党の統治能力への不満にある。民主党はさまざまなイデオロギー的支持者の間で妥協し、中道層に訴えなければならない。こうした民主政治の鉄則に加えて、民主党自体がイデオロギー的に多様である点から党の結束をはかるために中道化は不可避であると予測しています。

書き手の意見としては民主党が日本の国際的地位にふさわしい形に同盟が更新されるよう求めるのは正しいとしています。日米同盟は冷戦時代に形成されたが、未だにこの時代に束縛されている。交渉の席で日本側は「ノーと言う」かもしれないが、米国は日本側の期待に適応しないとけない。また民主党の側も軍事費増額や集団的自衛権の支持など自国の防衛に責任を持たなければならない。最後は

Change can be painful, and this will no doubt be the case in the future of the Alliance. But change can also be transformative, and a more equal relationship with a more capable Japan will be a net positive for American interests and regional stability.

とまとめています。だいたい穏当で建設的な意見だと思われます。民主党の中道化は既に顕在化していますね。言うべきは言って欲しいと思いますが、問題は民主党のヴィジョンが今ひとつ見えてこないところにあります。なにをしたいのか見えない点では自民党も似たようなものだとも言えますが、いくらなんでも社民党まで抱き込むとはねえ。結局、自衛権の問題はどう整理するつもりなのでしょう。また軍事費の増額についてはーGDP比1.5-2%ぐらいでしょうかーこのご時世には無理でしょうねえ。ふう。当面は地味な交渉が続くことになるのでしょう。


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ブルカをめぐる熱い論争(5)

だんだん日本語圏に紹介している意味が分からなくなっているのですが(他国の社会ネタというのはそうしたものですが)、乗りかかった船ということで個人用のメモのつもりで続けておきます。

"Ce que la loi sur la burqa nous voile" par Farhad Khosrokhavar[Le Monde]

ル・モンドに掲載されたKhosrokhavar氏のオピニオン。以下、逐語的な訳ではなくかなり自由な要約です。

2004年の公立学校でのスカーフ禁止は学校に平和をもたらしたが、街頭を含む公的空間でのスカーフの非正統化を代償とした。街頭での着用は許容されているが、いまやスカーフは違法(illegal)ではないが非正統的(illegetime)なものとなった。人はそこにフランス的な近代性と両立しないものを認知したが、象徴の意味というのは可変的なものである。英米のヴェールを纏った女性たちは「共同体主義」、最悪、原理主義ではなくて宗教的象徴の個人化を体現している。公的空間でのスカーフの非正統化は、ヴェールを着用しつつ近代性を求める女性たちがフランスを捨てるという結果をもたらしている。高等教育を受けた女性たちの流出は人的、経済的リソースの損失である。こうした状況は逆説的に原理主義者やセクト主義者を利している。彼らと戦うための仲介者となるはずの女性たちもまたヴェールを着用するゆえに彼らの一部のようにみなされることになるのだから。両義的な知識人の拒絶は、共和主義的なムスリムか、それとも「原理主義者」か、のどちらかであるという結果をもたらしている。「共和主義的スカーフ」を打ち立てるのではなく、スカーフなき共和国が望まれたのだ。結果は逆になった。その後、多くの街区が「原理主義化」した。仲介的な共同体の拒否が原理主義に対して無防備にしたのだ。意味を変じた宗教的象徴を纏う者こそがセクト主義的な宗教性の防波堤になるのに、フランスはこれを拒絶している。ブルカ禁止法が施行されたならば、フランスはイスラム諸国のみならず他の西洋諸国からもイスラム嫌悪の国とみなされるだろう。新法を制定する代わりに、国内のムスリム共同体との対話の能力を強化し、セクト主義と戦うためにムスリム個人の個別性を承認しなくてはならない。

以上、ムスリムの個別性に力点をおいた意見です。私みたいな個人主義的な傾向性の強い人間には正論に聞こえるのですが、英米をやや理想化しているように感じられなくもないです。ライシテ原理主義的な行き方には憂慮する一方で、極東の一素人ブロガー的にはどこかでフランス的な道というのを勝手に期待しているところもあるのですね。

"Pourquoi les Français veulent interdire la burqa ? Entretien avec John Bowen"[Nonfiction.fr]

スカーフ問題についての米国の代表的な解説者であるジョン・ボーウェン氏のインタビューです。興味を引かれる観点になかなか出会えないと前に書きましたが、公的秩序概念になにかが生じているという直観はあって、短い記事であまり深い掘り下げはないもののその点に言及していたので紹介しておきます。

nonfiction.fr :  あなたは現在のブルカ問題の再浮上をどう説明しますか。

John Bowen :   特定の出来事と関連している訳ではないのでこの問題が今復活している理由を説明するのは難しいです。スカーフについての本の中で私はスカーフについての発言の再浮上と、例えば、アルジェリアやアフガニスタンといったムスリム世界で生じている出来事との関連を探求しました。ブルカについてはむしろ長い歴史があります。北イタリア、ベルギー、オランダで数年前から地元当局によるブルカ禁止の動きが見られます。イスラムに対するこうした欧州的な動きはフランスでは極右層ばかりでなく強い反響を呼んでいます。というのも分裂をもたらすものは許容すべきではない、ところでブルカは個人を分裂させる、という考えが身に染みているからです。討議は共通価値という理念に焦点化して左翼右翼の政治的連続体を横断しています。例えば、身分証明の管理の技術的問題に訴えているとしても、困惑させているのはむしろ仕切りや共同体を抱えているという事実なのです。

nonfiction.fr :  学校から街頭へのこの移動はなぜなのでしょう。

John Bowen : 2002年2003年の討議の間にも、ヴェールが女性の抑圧の象徴ならば、学校であろうと街頭であろうと公的空間で禁止されるべきだという声がありました。理由付けの点で非常に一貫性のあるこうした提案は聞き届けられませんでした。この時にはヴェールに関する法は施設の管理者としての教師達を悩ませていて当事者には手だてがない学校固有の問題に応答しなければならなかったからです。例えばショアーの歴史の授業への異論だとか宗教的な義務に学校生活のリズムを適応させることだとか。こうした文脈では、ヴェール問題は、法制化することの、そして法制化による問題解決の印象を与えることの適当性を提供したのです。立法に対するフランスのこの偏愛ですが、最近ではグループと覆面の着用に関する法律にも見られました・・・。

nonfiction.fr : 面白い偶然の一致ですね。この覆面とブルカの平行性は!

John Bowen : はい、意図した訳ではないですが、この二つは公的空間に関していかに法制化するのかという同じ問題に関わります。一般にフランスは公的空間というものに共通価値の場とか共生の場という風にポジティヴな考え方を持っています。そこから分裂をもたらす表徴は排除されるべきだという考えが出る訳です。これはフランス的なライシテの感覚です。しかしこの空間の境界線は流動的です。具体的には公的空間とはどこでしょう。街路でしょうか。学校でしょうか。市庁舎でしょうか。

ブルカを着用していたためにフランス市民権を拒否された女性のケースをとりあげると、政府の理由付けは市民権取得のための条件が満たされていなかったからというのではなくブルカを着用して家にいた事実からして彼女は同化していないからというものでした。ここに興味深い点があります。問題は公的秩序へのトラブルにではなく私的領域にとどまっていた事実に起因しているのです。ここには変化が見られます。現在では部屋の中にまで入るのです。妻が非処女であったがゆえの婚姻解消に関する討議でもこれは見られました。この婚姻解消は妻も判事も異議申し立てしなかった訳ですが、こうした区別が私的領域に存在する理由はないと考えた政治の声によって異議申し立てがあったのです。ブルカ問題では私的生活が公的領域における欠如ーライシテの欠如、同化の欠如等々ーの源泉足り得ると考えられています。私が関心があるのは公的秩序の観念の進化です。一方に親密空間、家族空間に対立して公的空間があり、他方に私的には嘲弄され得る公的秩序ー非常にデュルケーム的な社会秩序、道徳秩序ーがある。それでこの道徳秩序という考えから私たちはブルカ禁止に好意的な解釈へと導かれるのです。しかしポスト・ヴィシーの時代にあっては道徳秩序については語り難いのですね。

nonfiction.fr : 私的空間に関心があるということは政治的なものから離れることになるとあなたは言いたいのですか。

John Bowen : 私はここに人々の私的生活への、私的領域での自由への潜在的な攻撃を見るのですね。ブルカの件で現在は共同体主義の問題が女性の身体に関わっています。最近のことのように見えますが、この移動は実際には長い時間に刻みこまれています。個人の自由と共通価値の緊張というのはフランス革命以来不変なのですから。1789年の後に1792年があったことを忘れるべきではありません。フランスはなお一般意志の表現たる国家と個人の自由の間のこの緊張に貫かれているのです。この緊張は明瞭にルソーの思考に現れます・・・

nonfiction.fr : スカーフに関する著書の中でルソー主義的な思考がフランスの心性に深く染み込んでいることをあなたは示しました。フランスの子供たちは学校でアングロ・サクソン哲学をもっと読むべきだとあなたはお考えですか。

John Bowen : それは学校教育に関する質問です・・・、何年も前からフランスで自由主義者の思想を紹介するための努力がなされてきました。しかしフランスの教育や歴史に根付いていない他の哲学システムに訴えなくとも、ルソーの中にも個人の自由の擁護は見出せます。

他方、こうした問題は一般的に公的自由の問題を提起するばかりでなく個別的にフランスにおけるイスラムの問題を提起します。私が新著の『イスラムはフランス的になれるのか』で示そうとしたのはこういう問題です。対話の形式を発明すること、フランスのイスラムの存在を正常化できるような特権的な対話者を見つけることがなお残されているのです。

と言った具合でやや散漫なインタビューですが、公的秩序、公的空間の概念になにかが生じている、といいますか、公的なものと私的なものとの関係性に異変が起こっていると論者はみているようです。ここではそれ以上はあまり展開されないのですが、集中的に論じているらしい論者の新著には興味が引かれます。どうでもいい話ですが、私はルソーは嫌いでデュルケームが好きなのですが、ブルカをめぐるあれこれもルソーの呪いと考えるならば、私のいやな感じの説明がつきそうです。

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ブルカをめぐる熱い論争(4)

正直、興味を引くような観点というものになかなか出会えないのが今回の特徴でしょうか。えーと、ブルカの話です。これが問題になる理由というのも頭だけでなく肌感覚で分かるような部分がある一方で、なんで今こんな些末な問題を論じなくてはならないのかやはり腑に落ちない感じがつきまといます。これは「瑣末な問題」じゃない!という意見もある訳ですが、ここで問題の瑣末性を立証するようなデータが出たようです。

"La police estime marginal le port de la burqa"[Le Monde]

ブルカ着用の実態に関するル・モンド記事です。DCRIとSDIGのの二つのインテリジェンス機関からあがった情報をル・モンドが掴んだ訳ですが、DCRIの報告によればフランス全土でブルカないしニカブを着用する女性は367人(!)にとどまるそうです。着用は自発的であり、ほとんどが30才以下の若い女性で、4分の1が改宗者であり、大都市圏に集中している。おまけ情報として5才のブルカさんもいたそうです。SDIGの報告は数字はないが、同様の結論に達しているとされます。それによれば、ブルカ着用には家族への挑発的意図がある。ムスリムの大多数は全身ヴェールを拒絶しているが、この論争がイスラムをスティグマ化させるのではないかと不安に思っている云々。

"La loi et la burqa"[Le monde]

で、この新しい情報を受けたル・モンドの社説です。

DCRIがほぼ単体でー微笑させるリスクを冒してー評価を試みるほどこの現象は周縁的である。ル・モンドがつかんだ7月8日付のDCRI覚え書きによれば、フランスの367人の女性ーすなわち平均して約90000人に1人ーがブルカないしニカブ、つまりムスリム女性の身体と顔を完全に覆う黒い長衣を着用しているらしい。

これほど明確に数値化していないが、それより一週間前に作成された覚え書きの中で、SDRIは「超少数派の現象」であることを確認している。

この二つの公的な評価は、春に65人の左右の議員がこの件で調査委員会を設置することを構想した後に我が国で突然沸き起こった議論に新たな光を当てるものであった。すなわち法制化である。会期が開かれて、各議員は誰もその規模を知らないこの現象を禁止する事の適否を決定するよう促された。この点について明言を避けつつニコラ・サルコジは6月22日に議会の前での演説の際にこの問題に言及せざるを得ないと感じた。「謹んで申し上げたいのですが、ブルカはフランス共和国の領土では歓迎されない」と、これが「宗教問題」ではないと明言しつつ、国家元首はこの時に宣言したのであった。

続いて相対的に慎重な態度が優勢となった。調査委員会は7月1日にこの驚くべき服飾的実践についての書類を作成するための単なる情報収集の任務ーこれが実施されるのに6ヶ月かかるーへと変じた。これは国民議会UMPグループ代表のジャン=フランソワ・コペに応答する形でなされたが、氏は「対話の段階の後の法制化」に一挙に賛意を示したのであった。

情報機関が描く「ピクチャー」は他の点も明らかにする。全身ヴェールを着用する女性ー大部分は若者ーは基本的に都市部に暮らしている。彼女達の大部分は自発的にブルカを選んだようである。戦闘的態度から、さらには「挑発」として、と情報機関は記している。彼女達の4分の1は改宗者であるらしい。

400人足らずのために、例外のために、法制化をすべきだろうか。立法府を既に通ったその都度的に作成されたテキスト群に法律を付け加えるべきなのだろうか。諸々のリスクーひとつはブルカに誤った解放イメージを与えかねないイスラムのスティグマ化ーを考慮するならば、回答は否である。

まあ、幽霊の正体見たり枯れ尾花といいますかね。大先生レベルの瑣末な象徴をめぐる政治に見えてきました。ともあれもう少し実質的に意味のあることを人は討議すべきではないでしょうか。

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ぴりっとした夏が待ち遠しい

"Nemutan's revenge -some fact-cheking and reaction to the NYT story on anime fetishists"[MTG]
NYTの「二次元コンプレックス」記事に関するMTGのAdamuさんのポスト。Japan probeのJamesさんも作成に協力されています。この記事の問題点としてかなり特異な人物を採り上げて誤った統計情報を紹介することでそれが一般的な現象であるかのような印象を与えてしまう点を指摘しています。やや長文ですが、充実していますのでおすすめしておきます。こうして奇妙な報道には批判の声が英語圏であがるようになっているのはありがたいことですね。

WaiWai記事からの転用なのか政府統計の意図せざる誤読なのか分かりませんが、Tokyo Mangoのノリで記事書いたのはまずかったですね。個人ブログとNYTはやはり違うと思うんですよ。たぶんデスクの注文に忠実に応じたといった話なんでしょうし、実際、このレベルの記事はけっこう目にしてきたので個人的には、はあ、そうですか、あなたの日本って変人ばかりで楽しそうですね、私の日本はも少し真面目な人が多くてちょっとしんどいんですけど、ぐらいの感想なのですが、こういうどうでもいいニュースばかりでなく一般にNYTの日本報道のレベルの低さー「最低」といっていいでしょうーはどうにかしないといけないと思うのですね、米国の知性の面目にとっても。ともかく単に日本名であるという理由で素質のない人にジャーナリストごっこさせるのは止めて欲しいものですね。他にもいますよね。

ミスユニバース日本代表の宮坂さん、衝撃コスチュームを披露[レスポンス]

セルフ・オリエンタリズムっていうんですかね。これって「強くモダンな女性のための着物」といったフェミニズム的な話ではなくてその反対物、記号としての「日本女性」に対する期待を必ずしも裏切らない衣装だと思うのですね。つまりWaiWaiですね。デザイナー氏はどうもべたな新日本主義者(neojaponiste)のようで、ここにアイロニカルな文化-政治的な戦略は読み取れないですね。ミスユニバースというイベントそのものに興味がないのでどうでもいいと言えばどうでもいい話なのですが、このフィールドでがんばっている方々も頑固なフランス人コーチや海外でウケたいだけの文化的女衒に喧嘩のひとつも売ってみたらどうでしょうかね。こんなのやだよと。

【追悼】平岡正明さん 執筆を「芸」に高めた男[産経]

大月隆寛氏の追悼文。私は平岡氏の旺盛な活動のうちの浪曲関連ぐらいしか接しておらず、和風好みを気取っているけれど本質的にジャズのリズムの人程度の印象しかありません。ただ80年代の言説には多少の興味があってその中で氏はどういう存在だったのかなということはちょっと気になります。ですからそういう文脈で大月氏の追悼文を読みました。とりあえず大月氏の文体が連なる系譜がおぼろげに見えたような気がしました。ところでサブカル歌謡論って平岡氏あたりが起源になるんでしょうかね。そうだとすると罪深い人ですね。

がん闘病の川村カオリさん死去 事務所が発表[産経]

平和のうちにお休みください。

なんだか短いエントリの中であちこちに喧嘩を売ったような気もしますが、みなさん、お元気で。

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ブルカをめぐる熱い論争(3)

いや、暑いですねえ。コーラがうまい。このまま夏本番になってしまうのでしょうか。

やや一般論的に過ぎたような気もしますので今回はもう少し実態のイメージが掴めるような記事を紹介することにします。どちらも少し前の記事なので速報性はありません。右派のフィガロは基本的にライシテ支持の立場をとってきている訳ですが、今回は難易度が高い話なのでやや慎重な論調になっているような印象を受けますね。

”Qui sont les femmes qui portent la burqa en France ?”[Figaro]

まず「誰がブルカを纏っているのか」という記事です。メディアでは改宗したフランス人女性のケースに焦点が当たっているようですが、この記事でもとりあげられています。フランス国籍非保有者ばかりでなく、なんといったらいいのか、移民系や非移民系-何代か遡れば移民だったりしますが-のフランス人にもブルカ族はいる訳ですね。

頭から足まですっぽりと覆うこのヴェールを患う女性がいるが、「大部分は自発的にこの衣服を選んでいた」とイスラム専門家のベルナール・ゴダールは断言する。「多くはフランス国籍を保持している。彼女たちの間では改宗は悪くないと思われている」とかつて内務省の宗教局にいたこの人物は付け加える。「特定のセクトに入るように彼女たちはサラフィストになるのだ」と続ける。

ラディカルなイスラムを支持するサラフィストはフランスではまだ少数派にとどまっている。彼らは30000人から50000人とされる。しかし西洋の否定に麻痺してその勢力は徐々に拡大している。この原理主義はタブリーギーと同様に絶対的なものに飢える若者の心を正確に掴むが、その中には女性もいる。セクトの内部と同じようにメンバーは規則をつくり、コーランや数千のハディース-彼らが文字通りに尊重しようとしている預言者の言葉-を読み直して時を過ごしている。

フランスの多数派であるマーリク派イスラムは全身ヴェールを命じていない。このヴェールは古典的な宗教的義務にもマグレブの伝統にも属していない。しかしアルジェリアに根拠をもつパリ大モスクの指導者のみがニカブに反対の意思を示しているだけだ。他の運動は内部に原理主義的な周辺部を抱えることになるがゆえに困惑しているようだ、と国内情報局では分析されている。

宗教的高進

サラフィスムが広まるにつれてこうした女性たちのプロフィールも多様化している。多くは彼女たちの宗教的高進を家族や周囲との区別の要素となしている。ソフィアがそうであり、この成績優秀のbac持ちのパリ第七大学物理化学科の学生は学部の講堂に全身ヴェールでいつも現れては教授たちを不快にさせている。口頭試問で非常に優秀な点数をとった後に化粧品会社で働くことを夢見てシャネルの研修に参加した。

完璧に整えられたブロンド髪でやはり洗練された四人の子の母親の「デルフィヌ・アイカ」は挑発したがる。「あなたは私が脂ぎった髪だと思ったんですか。私には家に来る美容師の友だちがいるんですよ」。パリ地方の中流階級の家にカトリックとして生まれた彼女は「人生の意味」をもとめている多くの改宗者たちに加わった。「もちろんまずムスリムの男性と出会ったんです。でも信仰によってイスラムへと傾斜したのは私なんですよ」と彼女は語る。ヘッドスカーフからヒジャブ、そしてニカブへ。この推移の間に「私の服装を受け入れない」両親の支持を失ったが、彼女は新しい「姉妹たち」の「連帯」をますます大切なものとしている。

カリマはサン・ドニのシテのクルティユで育った。ぴったりしたジーンズ、イヤリング、ボーイフレンドといった平凡な若者時代の後に彼女は職業訓練に落ちて、世帯を持ったが、シテで人生が萎れ、地平が狭まっていくように感じている。イスラムに回帰した隣人を愛した彼女は夫の原理主義に従うことを受け入れている。ヘッドスカーフから全身ヴェールまで数年だった。この時代、彼女は子供を連れて歩く以外には彼と外出しなくなった。無信仰であるとみなす公的な幼稚園ではなく半ば難民的なサラフィストの託児所に通っている。家では子供の人形の顔は焼かれている。なにも表象してはならないからと・・・。二年後、アルジェリアに暮らすために出発する予定のカリマは苦悩を隠さない。夫は第二夫人をつくるだろうからと。

三人目のケースについては、みのもんた氏風に言えば、奥さん、そんな旦那なら別れちゃいなさいよ、となるのでしょうが、前の二人は自信たっぷりのようですね。パターナリスティックに関与することが正当化され得る場合もあるにせよ、一律的対応ではなくケースごとに対応を考えないとまずかろうと思うのはこうした多様な状況があるからです。なお彼女たちが自称しているのかどうかは不明ですが、サラフィストというのはスンナ派の復興主義的な厳格派を指す言葉で、そういうやばいのが今後フランスで広まるのではという不安がある訳ですね。

"À Vénissieux, terre d'expansion de la burqa"[Le Figaro]
「ブルカの広まる土地、ヴェニシューで」という記事ですが、ここは例のアンドレ・ゲラン氏が市長をやっていた町です。この町にいたブジアヌというイマームが姦通した女性への石打ち刑を肯定する発言をしたのが問題化した際にゲラン氏の名前は目にしたのですが、リヨン郊外のこの町で市長さんとしてヴェール化の波が広まるのを目撃し、この問題と取り組んできた訳ですね。前回のエントリで多少批判的な書き方もしましたが、問題に非常に近いところにいた当事者の視点という点で、高級街区で寛容を唱えるだけの人の視点よりかはなんぼか尊重しなくてはならないだろうとも思います。

「ヴェニシュー、そこはブルカの国だ!」とカップルで通り過ぎる19才のムラドは吹き出す。彼は髭をはやし、つばのない小さな帽子を被っていて彼女は真っ黒に「埋葬されている」。ミゲットのシテのマルシェの通路では今日は彼女は全身ヴェールを着用する少数派だ。彼女たちが慎み深くなるための合言葉が交わされる。信徒は火を消そうと努める。「いつもは三十人ぐらい見ますね」と野菜を売っているコリヌは語る。全体としては60000人の住民のこのリヨンの郊外には、共産党の市長のアンドレ・ゲランによれば、彼女たちが「100人以上」はいる。フランスで最も大規模な密集地帯のひとつである。「ブルカは氷山の一角に過ぎない。いくつかの地区では男女関係はすっかり監視下にある。イスラミスムは我々を真に脅かしているのだ」と議会調査委員会を求めて自らが引き起こした地震を正当化するかのようにこの議員は説明する。ひとつの舗石であり、またひとつの遺言でもある。かつてこの地域の産業周辺にできた都市の25年間の市政の後、市長は任期終了前に辞任を決定した。先週のことだ。辞めるのに先立ってこの町やフランスの他の地域を制圧する教条主義(integrisme)について彼は共和国に警告を与えようとしたのだ。

市役所窓口での日常的な事件

イスラムはおそらくヴェニシューの第一の宗教である。ゲランによれば、ここは人口の半分が外国、おそらくマグレブ出身である。そして鐘楼の下の祈祷室の大部分はサラフィストである。厳格なイスラムが毎日そこで広められる。Essalemのモスク、HLMの建物にはめ込まれたバンガローの近くで若者たちは言う。「女が男の近くにいるときはサタンがうろつくのだ」とある少年は言う。彼の兄弟は妻を「どこでも」同伴している。街路でニカブ、黒い全身ヴェールをまとう女性がほとんど誰も驚かせることなく歩き回っている。多くの者が彼女たちを知っている。彼女たちはこの街区で育ったのだ。彼女たちが共和国の規則と衝突するのは市役所の窓口である。「事件は日常茶飯です」とエレヌ・メクシスは嘆く。ヴェニシューの行政手続きの責任者である彼女は最前線にいる。身分証明書やパスポートを更新するための頭部を表に出す写真が暴力的な抗議を引き起こすのだ。「彼らは人種主義だと言って非難し、復讐すると脅すのですよ」。最後までヴェールを脱ぐのを拒否する女性たちもいる。彼女たちは身分証がないままである。しかし、所員が「しばしば発言を独占し、未来の伴侶がヴェールを脱ぐことを拒絶する男たち」と衝突するのは婚姻届の提出の際である。ところでテキストは明快である。すなわち市役所員は未来の夫婦のアイデンティティーを確認し、結婚が強制でも偽装でもないことを確かめるために顔を出して面談しなければならない。最後に祝福の式は顔を出して挙行されねばならない。

こうしたことがイスラムの規則に執着する者たち、移民たちだけでなく特にマグレブ系の若いフランス人や改宗したフランス人妻や夫を苛立たせるのだ、とエレヌ・メクシスは明言する。サン・パピエ[註:「紙なし」、非合法移民のこと]も忘れてはいけない。というのも地中海の両岸で宗教的グルを介した結婚もあるのだから。

こうしたカップルの子供たちが町の学校に就学している。教師は「ブルカ・ママ」を相手にしている。「私には2人いますね。一人は裂け目のところからのぞく目で、もう一人はシルエットで見分けられますよ」と母親担当の責任者のジャン・ムランは断言する。「私のママは娘が話題になると教室で顔を出しました」とレオ・ラグランジュ小学校の教師は思い出す。彼女は誰も排除したくないようだ。「ご承知のように飲んだくれの親というのもいます。彼らも相手にしています。大事なのは児童なんです」と彼女は付け加える。少女から執行猶予された女性性へ。校庭で「少女たちがまもなく着ることがなくなるスカートや背中を出した服」について話しているのをこの女性教師は聞くという。「彼女たちは自分たちの状況について鋭敏な意識を持っているんです」。いたるところで宗教的圧力が強まり、もっと小さな子供たちまで網に捕らえていく。シャルル・ペロー小学校の校長のパトリシア・トゥリュオンは13年前からヴェールが広まるのを見てきた。母親のほぼ半分が頭部を覆うようになっており、ジェラバがシルエットを画一化している。ブルカの女性は少ないままであり、パトリシア・トゥリュオンは子どもを預ける前にアイデンティティーを確認するためにヴェールを脱ぐよう求めている。しかし、「宗教的問題はブルカを超えています。幼稚園や小学校では非常に問題含みであることが明らかになっています」と彼女は不安だ。子供たちにその義務はないラダマンを行う児童もいる。「断食が学校活動と両立しないことを説明するために私は両親たちをみな呼んでいます」と言う。多くの児童が宗教的理由から学校の食堂に不満だ。市当局はハラールの肉を拒否したが、一週間に二日魚を出している。「その日には児童は増えますね」とジャン・ムラン小学校長のベルナール・キュルトは認める。木曜には例外的に豚肉が出ていたが、シャルル・ペロー小学校の登録者の4分の3は別の料理を注文した。また「幼稚園には人参を食べるのを拒否する子もいます。のどを掻っ切っていなかったからと言って」とパトリシア・トゥルュオンは語る。小学校では再生産に関する生物の授業がしばしば疑問視される。「反啓蒙主義が広まっている」と彼女は認める。

遅ればせの市の逆襲

1983年に「ブールの行進」が始まったのはヴェニシューからであった。失敗の後、暴力を阻止し、「完全なフランス人」となる希望を叫ぶために首都に向かった移民の師弟もいた。フランス社会と両親たちに自分たちはフランスに留まるつもりであり、統合されることを望み、平等を求めていることを告げるために10万人が到着した。権力の座についたばかりの左翼政権は移民に10年の滞在許可証を与えた。平等が期待されたが、失望が勝利した。イスラムもまた勝利した。宣教者がローヌ沿いの郊外を行き交う。1992年にムスリム青年連合(UJM)の第一回会合が開催されたのはここヴェニシューであった。ムスリムの兄弟のタリクとラマダンに影響されてリーダーたちは人種的軽蔑、イスラムの拒絶に社会的不正義を再び読みこんだ。先導者、教育者、調停者、スポーツ・インストラクターらがUJMの苗床から育ち、何年もかけてメッセージを中継した。1990年代以降、男たちはハムを追放すべく主婦のかごの中身を確かめ、女性の埋葬も拒否するようになった。市が反攻の狼煙を上げるためには2002年にサラフィストのイマームのブジアヌを追放しなければならなかった。地下室でない2つのモスクの計画が進行中である。伝統的なムスリム共同体との関係は強化された。サラフィストの拡大を阻止できていないが。

「こうした逸脱に宗教的応答をもたらすこと」

ギュイアンクール(イヴリヌ県)のイマームのアブデラリ・マムンによれば、フランスのいたるところで「忍者」女性の数が急上昇している。パリ地方で共同体が繁茂している。トラップ、ミュロ、マント、アルジャントゥイユ、ナンテール、サルトルヴィルで、またピュト、グリニー、エヴリ、さらにはロンジュモー、それからもっと農村的な地帯でも。「こうした逸脱に対して宗教的応答をもたさなければならない。たとえサラフィストがジハーディストでないにしても彼らは西洋を憎悪し、不信心者を軽蔑する一方でフランスのあらゆる社会的利益を利用する。教義が求めるようにムスリムの地に定着することなしにだ。彼らの二枚舌はムスリムの信仰告白をしたフランス人にも有害だ」と。これはヴェニシューで生まれ育った郊外選出議員国民協会長のムスタファ・グイラも共有する立場である。「こうしてブルカで挑発をしてフランスとその伝統に背を向けるべきではない」。

反ブルカ戦線は広いが、「ヴェールが、たとえ全身のヴェールでも、失業とプレカリテの禍を覆い隠す」ことを望まない者もある。ムスリムの信仰告白をしたフランス人の間でも多くが「ニカブを着用する者たちとの一種の連帯を衣服を守るためでなくアイデンティティーの内省ゆえに感じている」とローヌのムスリム信仰地域評議会長アゼディヌ・ガチは説明する。しかし若者の間にはこうした多くの頭部を再び覆うことになったヴェールを前にした相対的な無関心が存在する。「それぞれが自分の気に入るようにするさ」のイスラム版だと二ザールは要約する。「女性がブルカしたいならブルカする。したくならしないのさ!」。こうした言葉と軽いトーンは管理困難な現象を前にして議員たちが表明している増大する不安とはずれている。

以上、「忍者女性」の増大が巻き起こしているさまざまな波紋をまとめた記事です。社会面の記事は解説が必要な言葉がたくさん出るので困るのですが、まあ、細かい部分は飛ばしてください。記事中の「ブールの行進」というのは1983年の有名な最初の人種差別反対の運動のことでブールというのはマグレブ系移民二世や三世を表す言葉です。記事にあるようにフランスのムスリムの大部分が北アフリカのマグレブ地方出身で穏健なマーリク派に属していますが、なぜかアフガニスタンやパキスタンのブルカやペルシア湾岸諸国のニカブがフランスに出現して困惑をもたらしていると。この点は実際、この地域の出身者が多いイギリスとは少し違うようにも思えますが、90年代以降のテレコミュニケーション技術の発達によるところが大きいように思われますね。宗派と衣服の関連を十分に理解していないので詳しい方教えてくださいませ。マグレブでも同じような傾向がある訳ですかね。

具体的には役所や学校でのトラブルというひどく消耗するだろうけれどもちまちました話にまだとどまっているようですが、今後こうした傾向が延長される先になにが待っているのかとひどく不安にさせるようです。見慣れないものが周囲に増えていくことへの不安そのものは人情として理解可能ですし、こうした気持ちをなにかのレッテルを貼って蔑ろにするつもりはありませんが、ヴェールといういかにも関心を集めやすい可視的なものに議論が集中するのはどうなんだろうなとはやはり思います。具体的な行動につながりにくいテーマだと思うのですよね、全面禁止というのは筋悪だと思いますし。プラグマティックな観点からヴェールを脱がなければならない場面をルールとして設定するというのは意味があるかもしれませんけれども。ところで慣れるとブルカ・ママも目やシルエットで見分けられるのですねえ。それはたいしたものです。

ではでは。

追記

細かい部分の修正補足をしました(2009.7.11)

追記しておくと、これだとなにか一枚岩の勢力が拡大しているような像ですが、もっとごちゃごちゃした像だと思うのですね。そして下手な対策は逆に一枚岩の勢力を形成させてしまうリスクがあると思う訳です。こんな話は分りきっていると思うのですがね。

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ブルカをめぐる熱い論争(2)

で、ブルカの続きです。共和国の原理の護持派と文化的多様性の護持派の間で様々な意見が表明されているようですが、今のところは特に個人的には目新しい意見は目にしないかなといった感想です。ここのところやや忙しくて十分にフォローできているのかどうか分りませんけれども。ちなみにスカーフの頃に比べると後者の声が弱いような印象を受けます。それからこの大変な時期にこんな超少数派(せいぜい数千人、500万のムスリム人口比では取るに足らない数字)の問題で騒ぐのはうんざりだという感想を目にしますね。同感です。

今回の議論をざっと眺めていて気付くのはライシテの議論から女性の人権の議論に強調点が移動している点です。その点ではオランダなどの議論に近づいている印象を受けます。学校内での宗教的象徴の禁止とは違って公的空間全域でのライシテとなると、公的なものと私的なものの境界線の問題に直面し、合理的に推論するならば、例えばカトリックやユダヤ教の衣服までが問題化される可能性もなくはないでしょうから-実際、革命の際に司祭服が禁じられたことがありますが-フェミニズムの問題として提示するのが「賢い」のかもしれません。公的秩序概念とセットにして男女平等で攻めれば、法案は合憲になると考える法学者もいるようです。

それでどちらと言えば私が気になるのは具体的な政治的な動きのほうなので今回はそちらについて書いておきます。私にまだ見えないのが大統領側と例の調査委員会の距離です。学校スカーフの時にはシラク大統領は勧告を出したスタジ委員会に非常に距離が近かったのですが、サルコジ大統領が本気でブルカ禁止を法制化したいのかどうかにはまだやや疑問が残ります。大統領演説では強い言葉で批判した訳ですけれども、誰があの演説を書いたのかはだいたい想像できる。確かにサルコジ氏は内務相の時代から郊外の暴れん坊達と喧嘩してきた経歴を持つ人物ですが、本人は必ずしもごりごりの共和主義者という訳ではないと思うのですね。移民や外国人に関する問題についてむしろ彼らからはこの英米かぶれめと言われそうな見方を持っているところもあったりする。

まあ、どんな主義者なんだか少々不明な大統領は置いておいて、このたび立ち上がった超党派の32人の委員会に話を移すと、前に書いたようにこの調査委員会を主導しているのは共産党のアンドレ・ゲラン議員です。ローヌ県の議員さんですが、ずっとイスラムの過激派との戦いをしている人です。右派とも連帯して行動するせいか共産党内部では微妙な位置にあるようです。その他の経歴を見ると組合運動を指導したりといかにも立派な共産主義者です。過激な政治的イスラム主義との戦いそのものはもちろん正当化されると思いますが、私の目からは時にパライノイア的なすれすれの修辞を使っているようにも見えますね。

以下、ゲラン議員のブログにあった決議提案文の中のモチーフを説明している箇所の訳です。内容は①ライシテの来歴とその意義、②女性の人権への脅威の訴えから成っています。この提案文には89人の議員の署名がついています。かなり突貫訳なので変なところもあるかもしれません。気づいたら修正していきます。

Proposition de résolution n°1725 de André Gerin pour une commission d'enquête sur le port de la burqa

皆さん、1789年の人間と市民の権利の宣言は「何人も、その意見の表明が法律によって定められた公の秩序を乱さない限り、たとえ宗教上のものであっても、その意見について不安を持たないようにされなければならない」と定めています。

かくして我々の社会組織と我々の集合的歴史を構成するライシテの原理が誕生しました。

教会と国家を分離する1905年12月9日法は我々の制度にこれを根付かせました。信教の自由な実践は認められていますが、市民性と宗教的帰属の分離が確認されています。いかなる宗教といえどもその諸原則を社会の組織的規範として押し付けてはならないことになります。

1946年憲法以来、ライシテの原則は憲法的な価値を獲得しています。

第5共和国憲法第1条はこれを再びとりあげ、規定しています。

「フランスは世俗的(laique)、民主的、社会的な不可分なる共和国である。フランスは出自、人種、宗教の差別なく全市民の法の下の平等を保証する。フランスはすべての信仰を尊重する。」

この世俗的な枠組みは自閉的な、さらには互いに排除し合うような共同体のモザイクに押し込めるのではなく同じ領土の上で同じ信念を共有しない男女が共存する可能性と手段を提供するものなのです。

この意味においてライシテとはすべての者を社会へと統合するのです。ライシテは固有のアイデンティティーの権利の承認、個人の信念の尊重と社会的絆の間の均衡を創り出します。

国民的一体性、共和国の中立性、多様性の承認を強化することによって、ライシテは、伝統的な諸々の共同体を超えて、共通の価値に基づくひとつ運命共同体、共生の意志と欲望を基礎付けるものなのです。

それは共和国と市民に権利と義務をもたらすのです。ライシテが脅かされる時、フランス社会はその一体性、その共通運命を提示する能力において脅かされるのです。

歴史を通じて諸法がライシテの原理の法的確認を表明してきました。ライシテが危機にある時にこうした法律が必要であったのです。これに関して我々は明晰な証拠を示さなければなりません。

かくして児童が学校施設内で自らの宗教的帰属を誇示的に表明するための徴ないし衣服の着用を禁止する2004年3月15日の2004-228法にまでいたりました。

この法は2003年12月11日に共和国大統領ジャック・シラクによって委任されたライシテの原理の適用に関する「スタジ委員会」と呼ばれる熟慮の委員会の報告と勧告の延長上に位置付けられます。

我々は今日都市の街区においてまさに動く監獄に身体と頭部を完全に覆い、押し込めるブルカ、そして目のみを表に出すニカブを着用するムスリム女性達に直面しています。

イスラムのスカーフは宗教への帰属の明白な徴をなしていましたが、ここで我々はこうした実践の極端な段階を前にしているのです。

これは誇示的な宗教的表明のみならず女性の尊厳、女性性の表明に対する攻撃であります。

ブルカないしニカブを纏うことで女性は閉鎖、排除、屈辱の状態に置かれます。その存在すら否定されるのです。

これがイラン、アフガニスタン、サウジアラビアないし他のアラブ諸国からやって来る時、この囚われの女性達の光景は既に耐えられないものであります。こうした光景はフランス共和国の国土においては完全に受け入れられません。

さらにこうした衣服の着用に夫への、家族の男達への従属、市民性の否定が付け加わることを我々は知っています。

反白人、反フランス人種主義、反西洋観念の攻撃に基づいて姦通を犯した妻達への体罰に賛成した2004年4月のイマーム・ブジアヌの信仰表明を想起しなくてはなりません。

国務院は2008年6月27日の判決において政府が婚姻によるフランス国籍の獲得を拒否した(民法21条2、21条4)外国籍の人物のケースについて決定しなけければなりませんでした。関係者はその宗教のラディカルな実践の名においてフランス共同体、とりわけ男女平等の原則と両立しない社会行為をとったと考えらました。

国務院は申請者が民法が提示する同化の条件を満たしていないと結論づけました。

実際、彼女がイスラムの全身ヴェールを着用し、家族の男達の意志に完全に従って隠れて暮らしていたことを政府の委員が指摘しました。

他方、受入、統合契約の枠組みでANAEMが提供する言語研修の際にブルカを着用した別のムスリム女性のケースについてHALDEは決定しなければなりませんでした。

ANAEMの局長はこの研修を受ける者がブルカないしニカブを脱ぐ義務は人権と基本的自由の保護に関する欧州協定の第9条と14条の要請に合致しているかどうか知るためにHALDEに問い合わせました。

2008年9月15日の審議によってHALDEはこうした義務が上述の協定に合致していると決定しました。

かくしてHALDEは次のような結論に到達しています。
-ブルカは女性の従属の意味合いを持っており、これは宗教的射程を超えて、フランスではじめて認められた外国人に対する義務的研修の計画と統合の推進を統べる共和主義的な価値への攻撃と考えられる得る。

-ニカブないしブルカを脱ぐ義務は公安上の要請、個人を特定する必要性、さらには他者の権利と自由の保護という合法的目的によって正当化され得る。

こうした判例は有益でありますが、フランスで我々が許容できないこうした実践に直面するには十分ではあり得ません。

こうした理由から国民議会がこの件を採りあげ、調査委員会が組織されるように提案がなされているのです。


この委員会は既に2003年に個人の自由と若い女性の状況の深刻な後退にのしかかる脅威を指摘した「シュタージ委員会」の作業の継続に位置することでしょう。

この委員会は我々のライシテの原理に反する、そして我々の自由、平等、人間の尊厳の価値に反するこの共同体主義的な逸脱に終止符を打つために現状を調査し、勧告を定めることを任務とするでしょう。

こうした観察を条件として、皆さん、この決議提案文を採用することを皆さんに求めます。

ついでに書いておくと、イランではブルカは着用されていなかったと思います。原理主義=ブルカという思い込みが感じられる部分でした。今日はここまでにしておきます。またなにか動きがあったら続けます。ではでは。

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ブルカをめぐる熱い論争(1)

この奇妙な梅雨空の下、みなさまいかがお過ごしでしょうか。私はぼちぼちと生き長らえております。この不況の大変な時期にフランスではブルカをめぐる象徴政治が起動しているようです。何度か書いたような気がしますが、私自身は象徴をめぐる政治というのがどうも苦手みたいで、もっと実質的な物事に政治的リソースは配分しようぜ、とひどく世俗的な感想を持ってしまうのですが、やはり大きな話には違いないのでエントリしておきます。こうした多文化的な状況から発生する面倒な問題は日本にとってもそのうち他人事ではなくなるかもしれませんので格別欧州やフランスに関心のない人にとっても当地でなにが起こっているのか知っておくことに意味があろうかと思われるからです。

まずブルカとかニカブとかヒジャブとか言ってもイメージが湧かないという方も多かろうと思いますのでフォトをコピペしておきます。今、問題になっているのはブルカとニカブの二種類です。顔の隠れる全身タイプですが、目も隠すのがブルカで目は見えるのがニカブと呼ばれるようです。

Voiles1

で、他の欧州諸国同様にブルカに対する批判はフランスにも存在していましたが、そもそもブルカ人口がひどく少ないこともあって議論の焦点が学校でのスカーフ着用に集中してきた経緯は日本でもよく報じられたのでご存知だろうと思われます。前にこの措置に批判的なアサド氏の論文を紹介したことがありますが、共和国の非宗教性-仏語でライシテlaicite-の原則に反するということで2004年に他の宗教的象徴とともに法的に禁止された訳です。それでこれは公立学校という特定された空間内の話だった訳ですが、今度は限定性を欠いた公的空間でブルカないしニカブの着用を禁止するという話にまで展開しています。

英語ソースだとEconomistとBBCの記事が短くまとまっているのでリンクしておきます。だいたいの経緯がつかめます。

"No cover up"[Economist]

"France sets up burka commission"[BBC]

"Sarkozy seaks out against burka"[BBC]

それでナポレオン以来とされる6月22日の象徴的な議会演説の場でのサルコジ大統領の発言ですが、引用しておきますと、

"Je veux le dire solennellement, elle [la burqa] ne sera pas la bienvenue sur le territoire de la République française. Nous ne pouvons pas accepter dans notre pays des femmes prisonnières derrière un grillage, coupées de toute vie sociale, privées de toute identité. Ce n’est pas l’idée que la République française se fait de la dignité de la femme."
私は以下謹んで申し上げたいと願うのですが、ブルカはフランス共和国の領土では歓迎されないでしょう。私たちは社会生活から切り離され、アイデンティティーを奪われた、格子の向こうの囚われの女性たちを我が国に受け入れることはできないのであります。これはフランス共和国が女性の尊厳について抱く理念ではないのであります。

これと連動するように超党派の議員グループが公的空間におけるブルカ禁止の可能性の検討も含む実態調査の委員会を立ち上げることになります。注目されるのはこの動きを先導しているのは共産党のアンドレ・ゲラン議員、つまり左翼である点です。委員会メンバーには社会党の議員も含まれています。全体として左派が少数派に対して共感的になるという傾向性はやはりありますが、左派とて共和主義的な原則を重視する人は多いですので、日本の左右のイメージで接近すると多少の認知上の不協和を起こすことになると思います。それほど単純な構図でもないです。

また発端になったのは米国大統領オバマ氏のカイロ演説とされます。ヴェールやスカーフを着用することを禁止する西洋の国もあるが、ムスリムの宗教的信念は守られるべきである、と発言したことが、フランスの神経をいたく刺激してしまったと。そもそも政教分離の考えというのは西洋で括られる諸国の間でも違いがあってその中でも米仏は両端に位置するといってもいいように思われます。好意的政教分離と敵対的政教分離などとも言われるようですが。さらにフランスのライシテというのは法制度的な問題ではありますが、それだけではなくて、なんといいますか、精神とか感性にまでかかわるところがあるようなのですね。自由であることの価値と世俗的であることの価値の結合がある。こうなると価値観のぶつかり合いになる他ない。文化的多様性と寛容を説く人々もけっこう多い訳ですが、この服装に違和感ないし不快感を抱く人のほうがだいぶ多いだろうと想像します。

論争は始まったばかりでいろいろな声があがっているので何度かにわけてエントリしたいと思います。まず米仏の話になりましたのでアメリカ人のフランスウォッチャーの視点を紹介しておきます。

"Burqa Politics in France"by Michelle Goldberg[The American Prospect]

立法権の独立を守るための19世紀の法を廃棄した最近の改革のおかげで月曜にニコラ・サルコジはシャルル・ルイ・ナポレオン・ボナパルト以来初めて議会に演説する最初のフランス大統領となった。この機会に、サルコジの強い言葉がフランスではほとんど着用する女性のいない衣服を非難することに向けられたのはむしろ奇妙であった。ブルカは「女性の服従、従属の象徴である」と彼は述べたのだ。それは「フランスでは受け入れられない」と彼は付け加えた。ヘッドスカーフは2004年以来フランスの学校では禁止されている。今やサルコジはさらに先に進んで、顔を隠すヴェールであるニカブとともにブルカ、すなわ女性の全身をすっぽりと包み込むゆったりとしたヴェールを公的な空間のどこであれ着用することを禁止しようとしている。.

これは部分的にカイロ演説の一部でフランス人を激怒させたオバマへの非難である。髪を隠すことを選択する女性はどういうわけか平等ではないとする西洋の一部の見方を拒絶する、とオバマが述べた際に、フランスの多くの人々はこの国の共和主義的なライシテ-信仰は私的領域に帰属されられるべきことを求める-への攻撃ととったのである。ニュージャージーのプリンストン高等研究所の歴史家で2007年の『ヴェールの政治学』の著者であるジョアン・スコットは「強い抗議の声とひどく侮辱されたという感覚が」存在したと言う。「サルコジの言葉はこれに対する応答以外には読解できないと私は思う」。

おそらく怒りそのものよりも重要なのはこれがうみだしたチャンスであり、この発言は左翼に不快感を与えることなくフランスの反移民的な右翼にリーチをのばす機会をサルコジに与えたのだ。ムスリム女性の服装は他の欧州の国々と同じくフランスでは長らく政治問題である。ヘッドスカーフ、ヴェール、ブルカをめぐる討議は大量のムスリム移民時代の文化的アイデンティティーというもっと射程が広く、不安を与える問題の提喩である。イスラムは欧州の生活を変えている。多くの欧州人を不愉快にするような仕方で。しかし人種主義や外国人嫌悪をともなうことなくこの話をすることは欧州人にとって困難である。欧州人が自文化の優位性を確信できるひとつの場所が性に関わる領域なのだ。フェミニズムと女性解放がナショナリズムの道具となるのである。

2002年の暗殺の前にはオランダの首相に手が届くところにあったカラフルな反移民政治家のピム・フィルトゥインにこれは明瞭であった。フォルトゥインは寛容で知られたオランダ文化にムスリム移民が与えるとする脅威に対して十字軍的な戦いを挑んだ。彼が語ったところでは男達は突然通りで手をつなぐことを怖れ、教師は移民の生徒に同性愛者であることを認めるのを躊躇うようになった。「私はもう一度女性と同性愛者の解放を経過したいとは思わない」と彼はリポーターに述べた。

彼の批判にはなにものかがあった。リベラリズムと多文化主義に矛盾があることを保守はずっと指摘してきたが、リベラルは長いことこれを無視してきた。右派ジャーナリストの中でたぶん最も知的なクリストファー・コールドウェルは来月『欧州における革命の省察。移民、イスラム、西洋』という新刊を出すが、その中で「イスラムは欧州のよき慣習、受け入れられた理念、国家の構造を破壊した-あるいは適応を要求し、あるいはその擁護を再び議論させた」と論じている。

こうした譲歩のいくつかはささやかなものである。例えば、公共のプールの男女別の時間とかムスリムの雇用者への刺激を避けるために仕事の後の一杯を止めるビジネスとかだ。いくつかの譲歩はより大きなものである。例えばスウェーデンではある閣僚がアフリカ系移民を狙い撃ちせずに女性の割礼と戦うために「すべての少女の性器の国民的検査を提案した」とコールドウェルは指摘している。イギリスの労働・年金機関は一夫多妻婚の妻たちに便宜を提供し始めているし、フランスのある判事は妻が処女性について嘘をついたという理由でムスリムのカップルの婚姻を解消し、それゆえ本質的に妻が夫と結んだ契約を論議した。

世俗的なマジョリティーと信仰深いマイノリティーの衝突が生み出す、この言葉として発せられないが、渦巻いている緊張を反移民の政治家は容易く利用できる。ブルカは欧州文明に対する脅威の象徴になっている。右派のオランダ人議員のヘルト・ウィルダースは2006年にブルカを「中世的な象徴、女性に敵対する象徴」と呼んで禁止しようとした(翌年、彼はコーランを「イスラムのマイン・カンプ」と呼んで禁止するよう呼びかけた)。ベルギーのいくつかの都市はブルカとニカブを禁止し、着用する女性は罰金を徴収されている。

「サルコジにとってはフランスの極右政党の国民戦線から票を獲得することがすべてである」とスコットは言う。「反移民の政治はこの大きな部分である。サルコジはフランス性のチャンピオンの立場をずっと引き受けてきた。これはフランスのナショナル・アイデンティティーの保護者と自らを称することのできるようなイシューを見つけるのに政治的にうまく使える」。

ブルカの禁止はもちろんアメリカの文脈では考えられないことである。というのも我々の政教分離の理解、表現の自由の理解はフランスで流布するそれとはかなり異なっているからだ。「アメリカでは政教分離は国家からの宗教の保護に関わる」とスコットは言う。「フランスではこの理念は宗教的な主張から個人を保護するためのものなのだ。個人が共同体によって抑圧されていると考えられるときには国家は個人のために介入できるのだ」。

しかしこうした国家介入は個々の女性に対して不利に機能してしまうこともあり得る。例えば昨年フランス人男性と結婚したモロッコ人女性は夫の求めでブルカを着用したせいでフランス市民権を拒否された。判決は「フランス共同体の基本的価値、とりわけ男女平等の原則と両立しない彼女のラディカルな宗教的実践と社会的行為」を言明した。研究者のセシル・ラボルドによれば、政党、知識人、ジャーナリストはこの判決をほとんど全員一致で賞賛した。

同じようにサルコジのブルカ禁止はフランスのムスリム・ゲットーにルーツを持つNi Putes Ni Soumisesを含むかなりのフェミニストの支持を受けている。この団体の立場は真面目に受け止める価値がある。というのもイスラム原理主義に対する闘争は彼女達にとって生死に関わる問題であり続けているからである。ソマリア系オランダ人フェミニストのアヤーン・ヒルシ・アリのように彼女達の活動は多文化的な信心のあり方[適訳見つからず。multicultural pieties]への中和として役立っている。

しかし、結局のところ、ブルカを着用するフランス人女性が自らを抑圧されているとみなしているなんの証拠もない。「誰にも強制されておらず、こうした慎みの形は世界の中で自分の望ましいあり方に適していると考えて、ブルカを着用している女性たちがいる」とスコットは言う。「彼女たちと強制されている女性たちを区別するのは困難だ」。そういう訳だから結局、女性の権利増進のために通過するとされる禁止法はその代わりに彼女たちの自由を侵害し、彼女たちが価値あるものとみなしているものを奪い取ることになり得るのだ。さらにひどい場合には、それは最も原理主義的な世帯の女性たちが家の中に閉じ込められることにもつながり得る。たとえ彼女たちの服装がフランスが正しくも聖なるものとみなす世俗主義への非難に見えたとしても解放の名の下にこうした女性たちの選択肢を制限することは残酷である。

以上、まとめると、①世俗主義とフェミニズムがナショナリズムの道具になっている、②ブルカを「自由意志」で選択している女性の自由の侵害になる危険がある、としてブルカ禁止の動きを批判じています。リベラリズムと多文化主義の両立不可能性の指摘や移民系のフェミニストの活動の評価に見られるようにムスリム側に全面的に寄り添った立場をとっている訳ではないようです。論者ですが、これまでいくつかの記事を読んだ限りではイデオロギー色の薄い分析肌の人という印象があります。簡単にコメントしておくと、

①の要素は引用されるスコット氏の見解に完全に同意しないとしても、その要素の存在は否定できないように思われます。そもそも発端がオバマ演説への反発にあったようにアングロサクソン的な多文化主義-フランスから見るとそういう言い方になります-への対抗心、オルタナティブな普遍としてのフランスというナショナルな意識が存在しているのは事実でしょうし、こういう「瑣末」な象徴への苛立ちは直接ではないにしても反移民の淀んだ空気と無縁とは言えないところもあるでしょう。だいたい女性の人権などさほど興味のなさそうな人々が吼えている光景というのもあったりする訳です。お馬鹿さんたちの例を出してそれを一般化するつもりはないですけれども。サルコジ政権については大統領選の際に移民問題で政治を展開して極右票を取り込んだのは事実だと思いますが、その後は右に左に節操なく舵を切っていて極右から見ればムスリムに甘すぎ、極左から見れば反移民的といった具合に両方から叩かれているように見えます。不況で支持率が下がってきているところで紛糾確実のネタを振ったと見ることもできるかもしれませんが、舞台裏は私には見えません。

②の論点については、強制されているので助けてほしいという声が多くあるのであれば話は別ですが、そうではないところが問題に思えます。さまざまな動機から着用を「意思」する人-フランス生まれの二世の動機はそれほど自明ではない-をどう説得するのかは個人的にはよく分りません。お前の意思は嘘の意思だとでも強弁するのでしょうか、そういうお前は誰なんだということになりそうに思えます。そもそも論的になりますが、例えば、私は毎日ネクタイをつけている訳ですが、この犬の舌みたいな物体を着用することを私は「選択」しているのだろうかと本気で自問するならば、今日は気分的にこれがいいとかこれプレゼントされたのはありがたいけれどもどうもつける気にはなれないなとかあれこれ選択しているような気もする一方で、結局のところ、慣習に従っているだけで期待がなければこんな犬ベロ首に巻くことはあるまいという気もしてくるといった具合に自由意思の有無は本人ですらよく分らないところがある訳ですね。ただなんにせよそれはこっちの問題であって、政府に私の意思と欲望の在り処を指摘し、決定して欲しいとは思えないと。

という訳で政治思想的には共和主義よりは自由主義に寄っていることもあって-多文化主義には懐疑的-かなりお節介な話に思えるのですが、かの国の国体に関わる話なのでこの問題をめぐる紛糾はまだまだ続くでしょう。回をあらためて他の論点に言及していきます。

ではでは。

追記

細かい表現の修正と補足しました(2009.7.2)。

BBCでBHLとKen Livingstonが英米英仏の対応の違いについて議論してます。BHLが訛った英語でまくしてています。http://news.bbc.co.uk/2/hi/programmes/newsnight/8118735.stm

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日露戦なかりせば

もうひとつの日露戦争 新発見・バルチック艦隊提督の手紙から (朝日選書) Book もうひとつの日露戦争 新発見・バルチック艦隊提督の手紙から (朝日選書)

著者:コンスタンチン・サルキソフ
販売元:朝日新聞出版
Amazon.co.jpで詳細を確認する

ここしばらくまとまった時間がとれなくてTwitter(右側にリンクあり)でのつぶやきにとどめていましたが、三日坊主の性格を矯正すべく軽めの内容で更新しておきます。

以前コメント欄で勧められたサルキソフ氏の『もうひとつの日露戦争』を読みました。この戦争に関しては最近では、文化史的、メディア史的な研究の他、「最初の総力戦」とか「第零次世界戦争」とかいったやや大仰なキャッチフレーズの下にグローバルな視座から新たな照明を当てようとする試みがなされているようですが、本書はあまりけれん味なくバルチック艦隊提督の私信を中心に当時のロシア側の事情を明らかにしています。私はこういう着実な仕事が好きです。戦争の語りというのは一般にそういうものですが、日露戦争の語りも日本側の視点ばかりになっていますので本書は新鮮な視点を提供してくれるでしょう。

本書は著者が独自に発掘したロジェストヴェンスキー総督の妻子にあてたプライベートな書簡史料の紹介が目玉になっている点で「発見」の書です。書簡から浮かび上がる総督の人柄や錯綜する人間関係はなかなか興味深いものがあり、単なる「愚将」のイメージからは遠い人物であったことが分ります。このイメージは日本だけでなくロシアでも強いそうですが、著者によれば、帝政末期の無責任体制において無謀な作戦の責を全面的に負わされた格好になったということです。精鋭たる旅順艦隊(太平洋第一艦隊)に比べてバルチック艦隊は俄かづくりの混成部隊に過ぎず、欧米列強の中立維持によって燃料補給や食糧補給もままならず、本国との連絡もきわめて困難な状況に置かれ、戦闘開始以前に勝負がついていたことが総督の嘆きの書簡からよく分ります。歴史の肌合いの感じられるところですが、だらだら引用を続けるのもなんなんで簡単に済ませると、例えば、日本海海戦前の書簡から。

 お前にはもう伝わっていると思うが、昨日、われわれは南シナ海に到達した。われわれは今、日本艦隊がわれわれを打ち負かすためにいつ攻撃を開始するのか、また、日本艦隊がいつ、そしてどこで、ニェボガートフを捕捉することができるか、と判断することで大忙しだ。

[...]私は疲れた。熱帯の暑さの中でもう六ヶ月目だ。お前も覚えている通り、ペテルブルクの夏でさえ、私にはつらい。航海を続行してからあと二日ですでに一ヶ月になる。四十五隻体制の艦隊だ。航海再開からすべての船で故障や異常が起こっている。中には、十二回も故障や異常を起こした船もある。

[...]たとえ惨めなものであろうとも、幕を閉じることは必要だ。今、艦隊の誰もが締め付けられるような思いになっている。

[...]われわれはうぬぼれて、全部門にわたってロシア独自の学問を発展させようとし、時期尚早のうちにわれわれの教師だったドイツ人を追い出してしまった。すべてはここに起因する。彼らのもとに戻るべきである。ドイツに学ぶためロシア国民を派遣すべきである。我々の秩序のため、ドイツ人を呼ばなければならない。

といった具合に敗北を完全に予期しているにもかかわらず、軍人として死地に赴く悲愴な覚悟が記されています。個人の進退のみならず、敗北の後にロシアはどういう運命を辿るのか、ロシアにはなにが欠けているのかについて考察しているあたりには「戦艦大和の最期」を彷彿とさせるものがありました。

また本書の特徴としては「日露戦争は避けられたかもしれない・・・」という歴史のifをめぐって考察がなされている点でしょう。著者によれば日露戦争は日英同盟締結後でも十分に回避可能なものであったとされています。大津事件によるニコライ2世の怨恨説を退け、皇帝側に戦争の意思が必ずしもなかったこと、当時の極東政策が中央の手を離れて極東総督一派の推進派に握られていたこと、皇帝の曖昧な性格から責任体制が不透明になっていた状況-どこかで聞いたような話ですが-などが明らかにされていきます。

例えば1903年の日本側の均衡提案をロシア側が受け入れ、ロシアが満州、日本が朝鮮というように影響圏を分割できていたならば、日露戦争は回避できただろう、第一次政界大戦後の日露秘密協約に結実したように英米の中国進出に対して日露には共通利害があったのだとしています。ここで引用される日露をぶつけて両国の国力を消耗させ、フィリピンを安堵するというルーズベルトの発言にはやはりなと思わせられるものがあります。日露戦争というのは代理戦争ですからね。ついでにこの敗戦がなければロシアの共産革命も回避できたかもしれないという思いも-著者のソ連に対するスタンスは承知しておりませんが-伝わってきました。

当時の国際政治的、地政学的状況についての思考を非常に促される議論なのですが、ロシアのみならず日本にとっても都合のいいシナリオのように思えてくるのは著者一流の説得力なのでしょう。実際、回避シナリオが実現した場合には朝鮮統治と満蒙特殊権益をめぐる深刻な問題は発生しなかった訳でしょうから。勿論こういうのは「後知恵」に過ぎないですし、ロシア側の膨張主義的傾向を甘く見積もっているのではという批判もできるでしょう。ちなみに日露戦争の批判といっても日本側の「侵略」の糾弾ではなくてロシア側の自己批判、そして著者の日露の友好への思いが伝わってくる趣きの議論になっています。

以上、予備知識なしでも読める一般向けの内容ですが、発見と洞察に満ちた本ですのでおすすめしておきます。

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気分はいつも直滑降

Eichengreen_update_fig1 Eichengreen_update_fig2 Eichengreen_update_fig3

VoxEUのアイケングリーン教授の論文から。結論:世界恐慌レベルのダメージだが、政策対応が違うから大丈夫さ。本当ですか、教授。

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優雅な報復攻撃能力の保有について

"The Homecoming of Japanese Hostages from Iraq: Culturalism or Japan in America’s Embrace?" by Marie Thorsten[Japan Focus]

イラク人質事件について英語圏でも論じられているのを何度か見ましたが、どちらかと言えばフェアなほうの批判記事でしょうね。「日本人のお上意識」を熱っぽく語る大西氏のNYT記事には軽く苛立った記憶がありますが、記事では日本の批判派もまたこの件をいつもの日本人論の枠内で理解しようとしていたと論じ、確かに日本的文脈はあるとしつつも、やはりアメリカでも同様のバッシングが存在した点から「犠牲者非難」の反応の共通性を指摘しています。only in Japanな話ではない、と。

異論がない訳でもないですが、日本の批判派や海外ウォッチャーが頼りがちな平板な文化主義的な解釈-十分に文脈化された解釈とは違う-に距離を置こうとしている論者の姿勢そのものは評価したいと思いました。勿論批判的な視座というものは必要なものですが、伝統芸能化した内外の批判の様式が気に入らないという話です。それはどこにも人を連れていかないし、なんの変化ももたらさない。

でこの事件そのものに戻ると、個人的に重要だったかなと思うのは、これがきわめてメディア的な出来事であったように思える点です。小泉政権下において右派からは共感とともに真実の民の声として、左派からは警戒とともに危険なポピュリズムとして、ネットの声という未知の存在が注目され始めたタイミングで生じたためにハレーションを起こす結果となった、そうした事件として個人的には記憶しています。その後、両メディア間での増幅効果が限定的なものにとどまっているように見えるのは、マスメディア側が考えたところもあるのでしょうし、ネットが一般社会に接近してかつての先鋭性と危険さを喪失して平常化しつつあるのもあるのでしょう。単に危険そうな領域に近づかなくなったからそう見えるだけなのかもしれませんが。

防衛大綱・自民素案「北策源地攻撃に海上発射の巡航ミサイル」[産経]

敵基地攻撃能力の保有を盛り込んだ自民党国防部会の出した防衛大綱素案が話題になっているようです。メモしておきます。

政府は敵基地攻撃は、敵のミサイル攻撃が確実な場合は憲法上許されるとするが、北朝鮮まで往復可能な戦闘機や長射程巡航ミサイルがない。素案は弾道ミサイル対処で、ミサイル防衛(MD)システムに加え「策源地攻撃が必要」と明記。保有していない海上発射型巡航ミサイル導入を整備すべき防衛力とした。

ということなんですが、もう少し具体的な情報が欲しいところです。ところで前から思っているのですが、「策源地」と「敵基地」はどちらも英語だとbaseだと思うのですが、日本語では前者のほうが非限定的で、後者は限定的に感じられます。どうなんでしょう。用法を見ていると、策源地のほうが融通性がきく、遊びのある概念のように見えなくもないのですが(違っていたらすみません)。

敵基地攻撃能力だけでは弾道ミサイルを防ぐ事は出来ない[週間オブイェクト]

弾道ミサイルへの対策としてはMDが主軸であり、敵基地攻撃はあくまでも従である、イラクの「スカッド狩り」も穴だらけであった、実際、北朝鮮の弾道ミサイルに対抗するのに都合のいい兵器があるなら教えて欲しいと述べています。この件は政治的な意味合いが強いと思っているのですが、そこには軍事的リアリズムの裏打ちがなければいけない訳でふむふむとなりました。象徴的には大きな変化のように見えますが(この能力の保有のアイディアそのものは当然の自衛権の範囲だと思います)、コスト的、技術的な問題から現実化されたとしても半島有事の際に補助的に機能するかもしれない能力程度のものになるといったところでしょうか。

Separated by a common enemy[Observing Japan]

なんだか粘着しているような気もするのですが、基本的には優れたブログだと思っているので。敵基地攻撃能力が地域の状況に与えるかもしれない影響について考察しています。日本の北朝鮮へのアプローチと米国とのそれには違いがある。日本は自国の安全の観点であるが、米国の関心はより広い。世界的な核拡散の問題への懸念に加えて米国には日本との関係ばかりでなく韓国との関係もあるからだ。米韓同盟と日米同盟の相反する要請は日米同盟にやっかいな影響を与える。米国の言動は韓国のことを考えなくてはならず、抑制的なものとなるが、これは日本側に不安を与える。米国側が日本の自立的な先制攻撃能力の保有を懸念するとしたら、それは日本が自国の安全保障上の理由で動くことで他の国にダメージを与える可能性があるからだ。実際にはこれはありそうもないシナリオではあるが、もし日本がこの能力を保有するならば、他の諸国に与える影響について責任をもって考慮しないとけない。地域の安全と安定は日本の国益であり、この点を自覚することで日本の指導者は米国の努力をより評価できることになるだろう云々。

原則論的な反対という訳でもないようですが、どういうベネフィットがあるのか不透明である、また敵基地攻撃能力を保有するとして実際にそれを行使するにあたって自国の安全のみならず地域の安定に貢献するよう思考しなければならないという考えのようです。日米に限らずあらゆる同盟には同床異夢の側面があると思いますが、パースペクティヴの差そのものについては埋まらないところがありますね。現状では調整可能な範囲だと思いますが、今後日本側のいらいらが募ることになるでしょう。

"Japan Debates Preparing for Future Preemptive Strikes against North Korea"[pdf]

2006年に書かれたこの論文では法的、技術的、財政的問題から言ってこの構想はincredibleであり、これは国内向けの政治的な議論であるとしています。本気ではない、と。実際、国内向けの要素もなくはないとは思いますが、本気ではないとまでは思いません。技術的な問題についてはいざとなったら金一族を広義の策源概念に含めるとか誤爆だと言い張って政府機関にでも打ち込めばそれでいいんじゃないかという気もしますが(冗談です)、素案の段階で賛成だ反対だと騒ぐのもどうかと思いますのでしばらく眺めることにします。

こと安全保障関係については細心に物事を進めていくしかない訳であまり力瘤を入れた議論-賛成論も反対論も-は現実から遊離してしまうようにも思えます。対米不信や独立願望がここに強く投射されると米国側の猜疑や誤った解釈を呼んでおかしなことになるのかもしれませんからこのあたり主導する人々には修辞の研究が少し必要な気もします。実際のところ、あの決定的な敗戦の心理的後遺症が残っている中、また日本の置かれたなかなかに険しい戦略環境の中、さらに国内のリソースの制約の中にあっては、日米同盟を堅固なものにする一方で地道で粘り強い調整を通じて中長期的に相対的な自律性を高めていくしかないように思われるのですね。まあ、そんなに悠長なことを言っていられない可能性もありそうですが。

“After death cometh judgment” - Why are there so many Christian signs in provincial Japan?[MTG]

いたるところで不吉なメッセージを伝える「キリスト看板」についての良ポストです。目的と手段の関連の見えないところがいっそう不穏さを醸している訳ですが、この協会の堅忍不抜の恫喝的宣教活動にはなにかしら心を打たれるものもあります。これはこれでアートなのかもしれません。高校生の頃、学校帰りにフレンドリーなモルモンのお兄さん方に話しかけられてなにをやっているんだと思いつつもユタの事情に詳しくなっていたことを思い出しました。

【パリの屋根の下で】山口昌子 カンヌに登場した“蔑視”映画

「国辱」映画といいますかwaiwai映画のようですね。このイメージはけっこう強力にあると思います。リベラルなみなさんも「ナショナリズムに絡めとられるのはちょっと・・・症候群」を脱してこの手の破廉恥幻想については少しは批判すべきではないでしょうかね。また型通りのオリエンタリズム批判ではなく創作によるわさびのきいた文化的報復というのもあると思うんですよね。個人的には優雅なやり方のほうが望ましいです。とはいえこの種の幻想の悪循環に加担するコラボばかりが出現するのには困ったものです。ふう。

追記

細かい表現を直しました(2009.6.4)。一応書いておきますが、タイトルは遊びです。蔑視だ!とか偏見だ!といった糾弾調の言説よりも文化領域での余裕のあるやり合いが望ましいと思うのですね。

再追記

民間で多様な意見が戦わされることはいいことだと思うので頭ごなしに否定はしないですが、本当を言えば、政治のレベルでは難易度の高そうな話よりも集団的自衛権や通常戦力の問題に議論を集中して欲しかったりします。

[本日の一曲]

http://www.youtube.com/watch?v=8lcDJhq1sDQ&feature=related

エミー・ジャクソン『涙の太陽』(1965昭和40年)

極東のシルヴィー・ヴァルタンこと(今勝手にそう呼んでみた)エミー・ジャクソンの40年のヒット曲。和製ポップス一号とも言われる曲ですね。涙のシリーズはどれもいいです。

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