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多文化主義とシャリーア

イギリスでシャリーア(イスラーム法)をめぐる論争が起こっていることはご存知でしょうか。私はイギリスに行ったことがないので当地の様子というのは肌感覚では分からないわけですが、イギリス・メディアの記事はわりと読んでいることもあって最近この話題がかなりの熱度をもってとりあげられているのを眺めていましたが、エコノミストでこの問題についてまとまった記事がありました。書きぶりはあいかわらず冷静です。宗教間の軋轢の例としてシク教徒のヘルメット免除の話なんかも書いていますが、もちろんイスラームが主題です。
Defining the limits of exceptionalism[Economist]

事の発端はカンタベリ大司教がムスリムに対してシャリーアが適用されてもよいのではないかとの発言です。辞任要求などがでてたいそうな騒動になっています。実際にはいくつかの地域では既にシャリーアに基づいた移民社会の秩序が出来ていて、脅威を感じながらも大きな声を出せないというような状況があって、大司教のこの発言が重苦しいタブーに触れてしまい、一斉に論争がヒートアップしているということのようです。多文化主義のイデオロギーの下でかなり苛立ちが抑圧されていたのでしょう。なにかと言えば差別主義者扱いですから。もちろん差別がないという意味ではないですが。

それでこのシャリーアですが、問題になるのはたぶん刑法や家族法で、例の石打ちの刑だとか姦通罪みたいなものをイギリスに持ち込まれるとさすがにたまらんという反発はよく理解できるところです。また法の二重システムみたいなものをつくるというのは近代的な法秩序そのものへの挑戦ですからこれが大問題であることは間違いない。我らが近代史はなんだったのかという慨嘆が聞こえてきそうです。移民に寛容な社会みたいな生易しい話ではないのです。日本だと能天気なイメージだけで多文化共生のスローガンを掲げる人たちがいるわけですが、いや、あちらにもいますが、もっとシビアな現実と格闘しているわけです。

ただシャリーアの適用をムスリム自身が本当にのぞんでいるのという問題もあるわけです。発端も大司教だったわけで、なにか当事者を置いてけぼりにして議論が先行しているという印象も受けます。記事でも別にのぞんでいないというムスリムの声が拾われていますね。そういうわけで多文化主義者と普遍主義者のイデオロギー闘争にすぎないのではという感じもしてきます。よく分かりませんが。

記事の最後の方でキリスト教サイドも防衛的になってきていて、それが世俗主義の建前と衝突しているという面白い指摘がありました。イタリアのムスリムが世俗主義を訴えて宗教的シンボル狩りをする一方で、サルコジ大統領がカトリック国としてのフランスを強調するなどひどくねじれた現象が起きつつあると。

In southern Europe, says Marco Ventura, a religious-law professor at the University of Siena, Catholics are now more worried about the perceived advance of Islam than about maintaining old entitlements for their faith. “Their dilemma is whether the rights which their faith enjoys can be justified when new ones, like Islam, are appearing in Europe.” Some of Italy's Muslims, meanwhile, have been demanding “secularism” in the sense of diluting the Roman Catholic culture of the state, which is epitomised by crucifixes in court rooms, classrooms and hospitals. A Muslim convert, Adel Smith, has been fighting a long battle to get such symbols removed.

In France, President Nicolas Sarkozy has dismayed secularists by stressing the country's Catholic heritage in some recent speeches. But the late (Jewish-born) Archbishop of Paris, Cardinal Jean-Marie Lustiger, was a staunch defender of the secular state as a bulwark against all forms of fundamentalism.

Defining the relationship between religion and the state was certainly easier when it could be assumed that religion's hold over people's lives and behaviour was in long-term decline. But with Islam on the rise, and many Christians—even those with the vaguest of personal beliefs—becoming more defensive of their cultural heritage, the line is getting harder and harder to draw. On that point at least, Archbishop Williams was quite correct.

まあこれは本当に深刻な話です。日本にとっても将来的にはそれほど無縁な話ではなくなるでしょうから、こういう話はしっかり観察してシミュレーションしておく必要があるでしょう。

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