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党派性

これはチベット人の歴史的悲劇とは無関係な極東の島国における退屈な光景についてのメモです。

このたびのチベットの争乱に対する日本の民間のリアクションの大方が予想通りいまだに深く冷戦期のイデオロギー的枠組みにとらわれていることに嘆息させられる一方で、そこから抜け出た言動もあちこちで見られることにいくばくかの希望を感じています。この枠組みについてリベラル左派の教育学者の内藤朝雄氏が中国政府への抗議のメッセージの中で「論点抱き合わせセット」という表現を用いてその硬直ぶりを批判しています。

左派と右派の言動が合わせ鏡的な関係にあり、一方がこう言うから、他方はこう言うというような相対的な位置取り合戦のごとき様相を呈していることへの批判です。これが個人が自分の名において率直な意見を表明することに対して抑圧的に機能しているわけです。もう少し具体的に言うと、各論点ごとに意見が違うのは当たり前な話なはずなのに、なぜか安全保障について現実的な議論のできる左派とか、人権トークのできる右派みたいな存在が稀少であるという問題です。

今回の件で言えば右派と一緒になりたくないという消極的理由(あるいはイデオロギー的積極的加担)から普段人権を訴えているのにこの件を無視してやり過ごそうとしたり(こんなまとめサイトもありますね)、相殺論的にアメリカ批判で話を逸らしたり、ひどい場合には無理な中国擁護をしたりする態度のことです。もちろん中国を攻撃するチャンスができたといってはしゃいでいる悪質な連中も論外であることは言うまでもありません。そこではチベットは記号としてしか存在していないわけですから。もうまとめて地獄に落ちよと言いたい。

一方でそうしたあいかわらずの枠組みから切断した形でチベットへの共感が広まっている印象も受けます。成熟した民主主義国の国民がごく普通に備えているはずの感受性にもとづいた自然発生的な動きです。まだナイーブでおずおずとしたものであるように見えますが、あまり独善的でないという点をむしろ評価したいです。こうした感受性が既存の政治運動の文脈に回収されずに、またそれを動揺させるものとして静かに成長することを希望します。

PS 一応注記しておきますが、この件で中国政府を批判しなければ偽の平和団体だとか偽の人権団体だとかまでは言いません。それぞれの団体にはそれぞれのアジェンダがあるでしょうから。ただなぜ古いタイプの日本の市民運動がこれだけうさんくさい目で見られているのかもう少し反省的であってもいいはずです。単なる偏見だけではないのですよ。

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コメント

右派の一部の中国叩きというのは、何かパブロフの条件反射的という感さえありますけど、変な言い方になりますけど、日本の外交とすれば、ああいった存在がカードとして使えるかな、とも思います。
米中との関係で日本をどうとらえるかーーーいろんなレベルで日本はきわどい選択をしていかなくてはならない。プラグマティックな選択が必要でしょうね。

投稿: 空 | 2008年3月26日 (水) 07時13分

反中派というのはいていいというか、一定程度いないと困ります。ただ少なくとも公的な言論の世界ではもう少し品位を保ってほしい。読んでいて恥ずかしい。また読むのは日本人ばかりではない。アメリカのリベラル人脈にまた余計な介入されたくないです。

基本的に米中関係が軸で日本は変数(大きな変数ですが)だと割り切った方が思考がすっきりするでしょうね。日米同盟を堅固なものにして(ひそかに自立性を徐々にあげつつ)、対中外交はプラグマティズム、アメリカの対中政策の動きに合わせて柔軟に動けるようにするのが現状ではベストだろうと。ただ中国に対してはもっと原則論的な対応も必要だと思っています。田中派的なずぶずぶはともかくやめてほしい。いちばんこわいのは中国の政情不安ですね。一挙にカオスに巻き込まれるリスクがありそうで。

投稿: mozu | 2008年3月26日 (水) 09時27分

日米同盟を堅固なものにして(ひそかに自立性を徐々にあげつつ)、対中外交はプラグマティズム、アメリカの対中政策の動きに合わせて柔軟に動けるようにするのが現状ではベストだろうと
→全くその通りだと思いますね。要するに、日本の生存と繁栄、その観点からみていかなくちゃいけない。中国についても賛成ですね。一部論者がいうように崩壊するかどうかは別にして、非常に不安要素がある。あと、民族抑圧、人権問題も無視できない。ここらへん、おっしゃるように、一部右翼は人権に疎いからあまりいわない、一部左翼は中国になるとだんまりを決め込むという妙は状況が日本にありますね。

投稿: 空 | 2008年3月26日 (水) 09時36分

ええ、心情論的な親中派VS親米派みたいな対立は不毛としか言いようがない。要するに主体性がない。かといって主体性というととたんに核武装だとか飛躍してしまう。もちろんプロの戦略家はリアリスティックに現状認識しているわけですが、こうも民間の議論が粗いと国民の安保感覚がおかしくなってしまいます。

いわゆる崩壊論のシナリオはないと思いますが、あの国は内部の権力闘争がすさまじく、また他国をその闘争に利用する習性がありますから下手をうつとひどい目に合いそうです。政府レベルでどこまで言うべきかはリアリスティックに計算すべきですが、民間レベルでリベラルが大人しいのは日本の恥だと思います。

投稿: mozu | 2008年3月26日 (水) 10時32分

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 明らかに偏った色眼鏡で報道するジャーナリストもいれば、幅広い人脈の背景に高角度で、しかも裏事情にも精通した情報源で、誰もが見逃しがちな報道を真正面から取り組むひともいる。自由社会の日本ならではで、それがことの本質をあぶり出すことになる。その代表格、古森義久『凛とした日本-ワシントンから外交を読む-』(PHP新書)を読んだ。インターネット「SAFETY JAPAN」でのコラム記事をまとめたものである。平和を保つには非現実的で、単細胞的な平和主義ではなく、軍事や安全保障に裏打ちされなければな...... [続きを読む]

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