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オランダ・ポピュリスム(1)

少し前に欧州極右事情について紹介しましたが、その中でオランダのヘールト・ウィルダースGeert Wilders氏が最近台風の目になっているという話がありました。彼の映画をめぐる騒動は日本でも報じられたので御存知の方もありましょう。東アジア、就中日本の事情について詳しいイアン・ブルマ氏が故国の政治的危機について書いた文章は折に触れて読んできましたが、このウィルダース問題についてSpiegelの英語版にインタビューがありましたので紹介したいと思います。2部構成の記事ですが、このエントリはそのうち1部です。インタビューですのでとても分かりやすいと思います。ちなみにイアン・ブルマ氏は日本について書いている左派系の知識人の中では比較的買っている人です。60年代、70年代の日本ラディカルへのシンパシーは全く共有しないのですが、バランス感覚に優れている人だと思います。

「イスラムそのものを非難するのは救いがない」[Spiegel]
Spiegel(以下S): ヘールト・ウィルダースがフィトナというイスラム批判の映画をリリースすることになりました。アフガンの抗議者はもうリリース前に映画に対するデモでオランダ国旗を燃やしました。これがデンマークのカリカチュア・スキャンダルのような反応を引き起こすと思いますか。

Buruma(以下B): わたしの直感ではこれはアンチ・クライマックスになると思います。というのも宣伝がひどく大げさなものでしたから。この映画は人々が実際にショックを受けるような非常に生々しい素材を含まないといけないでしょう。それに攻撃的なものに溢れたインターネット以外で広範に広まらないでしょうね。

S: ウィルダースの映画は誰に向けて撮影されているのでしょう。彼はあなたがオランダの"dish cities"と書いているもの─住民が故国と衛星テレビやインターネットで接続しているムスリムの飛び地─を攻撃することを狙っているのでしょうか。

B: 彼はこれをムスリムに向けて撮っているわけではない。むしろオランダ人全体に向けてイスラムの危険を指摘したくて撮っているのです。ただ彼がこれをオランダのテレビに映すのに失敗した後にデンマークのテレビに放映させようとしたことから言って、彼は国境を越えて考えてもいるみたいですね。

S: しかしオランダのムスリム共同体はファン・ゴッホ殺人事件の波で非常に緊密な監視下に置かれていますよね。「フィトナ」が国内的に暴発的な状況を生み出すことはありますか。

B: オランダの反応はそれほどドラマティックなものにはならないでしょう。これはデンマークのカルトゥーンについてもそうだったようにね。振り返ってみると、ヨーロッパのムスリムはカルトゥーンを一度もみたことのない国々での街頭デモを中東の政府が指揮した時だけ燃え上がったわけですよ。今回のケースについても、意図的に政治目的にこれが利用される場所で行動が起こると予測します。オランダやヨーロッパのどこであれ、ムスリムの間で大きな反応があるとはわたしは思いませんね。

S: 国際的な危機やオランダでの政治的な動機による死者を出すくらいならウィルダースの映画は政府によって禁止されるべきだと論じる人もいますね。

B: それは不適切でしょう。わたしたちは自由な国に住んでいるわけで、誰もこの映画をまだ見ていないわけですからね。

S: しかしあなたは言論の自由の権利と主要な世界宗教への適切なレベルのセンシティヴィティーを示すことの間のラインをどこに引きますか。

B: 言論の自由が絶対的なものだというのは正しくない。必ずしも法によってカバーされるわけではないけれども、文明的な社交の中で人々が守る一定のルールというものがあるわけです。どんな文明的な国でも"Yids"とか"niggers"とは言う人はもういないでしょう。こうした言葉がはっきりと法によって禁止されているわけではなくともね。しかしウィルダースの映画が憎悪や暴力を意図的に教唆するものでない限りは、これを禁止する理由があるとはわたしには思えないです。

S: ウィルダースは彼の反移民、反ムスリムのレトリックでオランダにオーディエンスを明確に持っていますね。オランダの公共放送のNOSは彼を2007年をリードする政治家と呼んでいます。

B: 彼の追従者は極右出身の政治家にちょっと普通でないくらい多いですね。極右の本当の伝統というのはオランダにはないのですがね。彼は15%ぐらいの選挙民を魅了する能力がありますが、同じぐらいのパーセントがオーストリアやフランスの反移民の政治家や極右の間に見出せるでしょう。しかし彼は決して広範な層で人気者というわけではない。

S: ウィルダースのポピュリズムはフランスのジャン・マリ・ル・ペンやオーストリアのヨルグ・ハイダーと同じ種類のものなんでしょうか。

B: 同じルサンチマンや恐怖の感情を利用するという点で彼を比較できるでしょうね。エリートが緑の多い郊外に住んでいてこうした問題に直面しない一方で、普通の人は近所にやって来るムスリムに脅威を感じているわけです。移民ととりわけムスリム問題は広い意味での安心ということの焦点となりました。これは欧州連合、グローバル化、国民国家の権威の腐食、経済的不確実性といったものと関係していますね。全般的な不安やルサンチマンの感覚が、ウィルダースや彼の前ではピム・フォルトゥインのような人々からのポピュリスト的なデマゴギーに対して一国をずいぶん影響を受けやすくしてしまうわけです。
しかし、オランダは確かに1930年代には国家社会主義政党をもっていたわけですが、本当の意味での右翼的伝統というものがなく、今日でも人々はこれに非常に懐疑的です。そしてオーストリアやドイツでの右翼運動に見られるファシスト的な伝統はウィルダースやフォルトゥインの政治にも明らかではありません。彼らのデマゴギーは我々は自由な国に住んでいる、我々の自由は外国人によって脅かされつつあるという考えに基づくものですね。

S: 第二次世界大戦中のオランダのファシズムとの接近遭遇─ユダヤ人殺害によってもたらされた罪悪感─が何十年もの間享受することになったリベラルで寛容な国という評判を育成することになったと論じる人が多いですね。こうした理想は今はどこかに行ったのですか。

B: そうした理想が寛容を奨励するのに大いに役立ちましたが、それはまた必要な議論というものを窒息もさせました。そしてこの点でテオ・ファン・ゴッホのような人々が得点を稼いだわけです。1990年代に欧州での大規模な非西洋系移民の統合の問題について人々が語り始めた時に、直ぐさま人種主義者として排撃されました。無条件の反応で戦争を引き起こす連中だとね。一方でヴァン・ゴッホを含む別の人々は欧州のムスリム(中傷者は"Islamofascists"と呼びます)に譲歩する者はナチの協力者に等しいのだと示唆しています。この種の応答は議論を封殺してしまいます。
(了)

簡単に「極右」とレッテルが貼られてしまうわけですが、オランダ的文脈というものを無視してはいけないわけですね。ブルマ氏はオランダには本当の意味での右翼的伝統が欠けているという言い方をしていますが、これはどういう意味なんでしょうね。中世以来商工業中心の都市型社会をつくってきたオランダには美化された農村共同体的な理想を掲げるタイプの右翼は出難いということなんでしょうか。よく分かりませんが、そういう国でもファシズムは可能だと思いますがね。

PS コメント欄でご指摘があったのですが、ファン・ゴッホもフォルトゥインもリベラル層の支持を受けた人であったという事実を追加しておきます。自由の敵としてのイスラーム。確かに「極右」というレッテルは似つかわしくないかもです。

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コメント

ブルマは自著のMurder in Amsterdamでオランダの反イスラム感情が単純な排外主義に基づいたものではなく、むしろ高学歴のリベラル層の支持を受けているという指摘をかなり詳細にしています。
この本はオランダで起きた2件の暗殺事件、2002年の政治家ピム・フォルトゥイン暗殺と2004年の映画監督テオ・ファン・ゴッホ暗殺からオランダ社会とイスラム系移民の関係を読み解いたものですが、上記の2人は決してフランスのルペンやドイツのネオナチのような極右ではなく、むしろ60年代にはラジカルだったリベラル派であり、ゲイや女性の権利といった価値観を否定するイスラム教徒の保守主義を批判したがために暗殺されたという背景があります。
ですからヴィルダースとその映画も単純に「極右の所業」とレッテルばりできない難しさがあるのではないでしょうか。

投稿: Aceface | 2008年4月29日 (火) 23時07分

Acefaceさん、コメントありがとうございます。

わたしもその本は斜め読みはしたのですが・・・、確かにそういう文脈でした。ご指摘ありがとうございました。

最近の欧州の「極右」というレッテルは実態の理解を妨げるのであんまり使いたくない言葉です。国民戦線もだんだんまろやかな保守化してきていますね。ル

投稿: mozu | 2008年4月30日 (水) 01時14分

多文化主義は、戦後の欧米社会で移民を統合するための便利なキーワードとなってきましたが、肝心の移民たちの中にはその思想の受益者でありながら、自らは同調しない人もいるという問題が、今回オランダで浮上したわけですね。フランスの場合はもう少し旧来型の「極右」ではありませんか?(国民戦線のマイルド化もカリスマ性のある指導者の後釜がいないことと、反移民が社会の主流にもウィングを広げたからで、オランダのリベラル層の反イスラムとは若干異なるんじゃないでしょうか。もっともこれは両国の経済事情や雇用形態の差異などがからんでくると思いますが。)

あえて誤解を受ける言い方をすれば、日本における朝鮮総連や今回の長野における一部の中国人留学生などにも絡んでくる問題だと思います。どちらも日ごろは人権問題に無関心な保守層が、拉致被害者や脱北者、あるいはチベットの人権侵害を告発し、リベラル派がだんまりを決め込む、といった状況があるわけで、ますます旧来の国民国家の枠組みを前提にした右左対立の構造を根底から転倒させてしまうような地殻変動が世界中で起きているわけです。

投稿: Aceface | 2008年4月30日 (水) 01時50分

多文化主義も各国で受け止め方が違いますね。フランスの場合だと時に統合主義対多文化主義みたいな対立構図になっていたりしますし。後者はむしろ排除的に機能するから、もっと包摂的なアプローチをとれと。

オランダに比べれば、フランスの極右が「極右的」というのはその通りでしょう。ただネオコンみたいなのも出現しています。親イスラエル反イスラームで欧州という枠組みに立つ右翼です。土の臭いがする点はいかにもフランスですが。

国民戦線のマイルド化ですが、選挙に負けた後、国民国家派と欧州派に分裂している状態みたいです。前者がムスリムの統合を目指し、後者は欧州から排除せよということらしい。マイルド化というのはル・ペン娘の新方針で国民国家派が移民の社会統合を目指す方向に梶を切り始めている点です。ゲイも中絶もOKらしいです。

日本の左右の枠組みについては、まだ冷戦時代の尻尾を切れないようで今混乱しているのでしょう。保守層が人権を訴えてリベラルが沈黙するという現象ですが、なんだか韓国も似たような状況に見えますね。これはリベラルというよりもアジア左翼という問題のような気もしますが。日本の場合、左右の軸よりも国粋と亜細亜と欧化の軸の意味の方がまた大きくなっているような気がします。

投稿: mozu | 2008年4月30日 (水) 02時48分

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