« オランダ・ポピュリスム(1) | トップページ | やっぱり統計のとりかたに問題ありそう »

オランダ・ポピュリズム(2)

後半はオランダの話からヨーロッパ全体の話へ、またイスラームをめぐる国際的な議論の話へと広がっていきます。まあともかく多文化主義のイデオロギーの抑圧がとけたことで一挙に議論が過熱したという状況なのでしょう。トンデモな議論や危険な議論も実に飛び出しましたが、この2人のようにともかく長期的にはこれはいいことなのだと楽観的に考えたいものであります。ブルマ氏が言っていることはなんとか主義ではなくてごく良識的な事柄ばかりだと思いますが、分極化した激論のせいで政治的に賢い声がかき消されてしまうような状況にならないことを願います。

「政治的正しさの時代への反動」[Spiegel]
S: 今聞こえてくるイスラームと多文化主義についてのオープンでここ最近では甲高い声の対話ができるようになったのは最近のオランダのどんな変化があったからですか。911の副産物でしょうか。

B: 多分政治的正しさを理由に控え目にしていなければならなかった時代への反動として、議論が過熱したのでしょうね。
911の出来事はムスリムのラディカリズムに注意を向けましたが、変化の理由はこれだけではないのです。グローバル化の力への深いところでの全般的な不安が至る所で大きくなりました。人々を動員し、普通の人の感情を駆り立てる最も簡単な方法は─アムステルダムやロッテルダムのような大都市の外部の地域ですら─可視的な存在であるムスリムのような余所者を見つけ出すことです。彼らは分かりやすい標的ですし、911は確かに人々が既に持っていた偏見を確認するのを助けました。

S: 2004年にファン・ゴッホが暗殺された時に、ヨーロッパ中の新聞のヘッドラインは大陸において多文化主義は死んだと叫びました。オランダへのムスリムの統合は失敗したとあなたはお考えですか。

B: いいえ。フランスやイギリスでと同じように、大部分のムスリムは統合されています。問題はヨーロッパ諸国に生まれて文化の間で板挟みになっていると感じる人達にあるんです。彼らは移民の両親の文化から疎外されているけれども、彼らの育った国で余所者であり、かつ拒否されているように感じるわけです。過激主義の形式の影響を受けやすいのは彼らのような人達です。しかし一般的にムスリムの統合が完全に失敗したということは証明されていません。疎外感を覚えて過激主義の傾向がある者よりも統合されている人々の方が多いようですから。

S: にもかかわらず、オランダやヨーロッパ中で社会の「忍び寄るイスラム化」についてたいそうな議論があります。 ドイツでは、「万歳、我々は屈服しつつある」という本がベストセラーになりましたし、ヒルシ・アリの本は多くの言語に翻訳されました。

B: こうした議論はナンセンスです。ムスリムは主流のヨーロッパ人にその種の影響を与えるには数的にまだ小さ過ぎます。それに多くは特に敬虔なわけでもない。彼らが中産階級化するにつれてますます敬虔でなくなっていくことでしょう。我々が過激主義によって脅かされるべきでないというのは本当です。イスラムは他の信仰同様に批判に対して開かれるべきです。しかし我々がなんらかの深い意味においてイスラム化していくだろうというような考えはただのパラノイアです。

S: 大陸で最も速い速度で増加する人口の一つであるムスリム移民共同体という背景があって、オランダやデンマークで見たドラマティックな出来事から、西ヨーロッパで展開されるだろう文明の衝突へと我々が向かっていくのを見通す文化批評家にも事欠きません。

B: わたしはそうしたドゥームズデイ的なシナリオというのを信じていません。そうした主張を行う人々は社会というものを静態的なものと想定し、外国出身であり、ムスリムの先祖をもつと分類されるような人間がすべてもともとの移民の宗教的、文化的慣習を共有している─これは真実ではありません─と想定しているのです。第二世代はそうではなく、第三世代はなおそうではないでしょう。我々が突然狂信的なまでに宗教的で政治的に過激な人々と直面することになったという表象から推定すべきではありません。

S: しかしフランス人の作家のパスカル・ブリュクネルはあなたが説く多文化主義が分断社会への道を用意することにつながると最近ですが暗に述べました。彼が言うには、多文化主義は「自分達と残りの社会との間に壁を打ち立てる敵対的かつ孤島的な共同体」に対して祝福するものだ。雪玉効果を持ち得るマイナーな例として彼が挙げるのは、コーランに忠実な「イスラム」病院がそのうちロッテルダムに開業するかもしれないという事実やイタリアでのムスリム女性のみを相手にしたビーチの計画です。

B: わたしは多文化主義を説いてはいません。 またわたしは絶対的な社会的、文化的順応主義にも賛成ではありません。わたしにはヌーディストやらムスリム女性やらプライバシーを求めて我々と浜辺を共有することを望まない人々による甚大なる脅威なるものが分かりません。それが宗教的圧力へと落ち込むのだと感じる人もあるのでしょうが、わたしは共同体の他の者達に対してそれがいかに有害であるのかがよく分からないです。多くの文化的飛び地が存在しています。小規模には既にパラレルな社会が存在しているというのは本当ですが、誰も周囲とは異なる生活を送っているロンドンの正統派のユダヤ人について騒ぎ立てはしないでしょう。

S: しかしパラレルな社会ができるのを許すことで、我々は社会のチャンスを制限し、それゆえ移民の間に疎外感を生み出すことになりませんか。

B: これらの背後にある仮定は人々が市民として統合されるには共通文化に順応しなければならないということです。わたしは人々が共通の法に従うべきだと考えます。この2つは違うことです。ある意味でヨーロッパ社会はアメリカ合衆国のようになるべきなのです。つまり市民となることを受け入れて、政治に参加しつつ、自分が選択する文化的習慣や慣習になおしがみつくと。同時にわたしは宗教法のようなものの導入は一切拒絶します。

S: あなたが言っているのは、カナダのオンタリオ州がやろうとしているように地域によっては家族政策のような問題でヨーロッパにシャリーア法を導入しようという実験や要求のことですね。

B: わたしたちの法は世俗的であるべきです。

S: あなたはまたイスラームを「遅れた」宗教、預言者ムハンマドを「変態」という風に記述した言語の使用についてヒルシ・アリを批判しました。そうした直接的な言語は正しい薬だと論じる批判者もいますが。

B: わたしはそれが役に立つとは思いません。というのもわたしはイスラームの革命イデオロギーを真剣に受け止めているからです。政治的イスラムは真の暴力の源です。これを止めるか管理する唯一の方法はこれをムスリム共同体の中で孤立化することです。そのためにはあなたがたは自由民主主義に利害関係があり、ラディカリズムに対して守ろうとする自由もあなたがたのものなのですよとヨーロッパのムスリムを説得しないといけません。もしこうした人々に問題はイスラム内部の暴力的なイデオロギーだけでなく、ムスリムの宗教そのものがあらゆる悪の原因であると言い出したならば、自分達の味方につけるべき人々をまさに疎外してしまうことになります。

911はイスラームと関係しているばかりでなく、その中核がイスラームなのだというヒルシ・アリの考えは中絶手術を行う医師を撃ち殺すアメリカのキリスト教原理主義者がキリスト教の核心を表現していると言っているのと同じです。それは誤っているばかりでなく、そうした考え方の帰結は危険です。

しかし彼女がイスラムにおける女性の虐待、福祉国家の結果、移民への態度、多文化主義の錯誤について真面目な議論を始めたことはポジティヴなことです。彼女は人々にこうした事柄を議論することを促したのです。同時に彼女はまたただ単にイスラムそのものを非難したい─これでは救いがないと思います─多くの人にとってのイコンのようなものになりました。同じことはウィルダースについてもあてはまると思います。彼が役に立つところというのは彼が言論の自由の限界と自己検閲の危険を思考するよう人々を挑発しているという点です。

S: ファン・ゴッホの殺害と地下に潜伏せざるを得なくなったヒルシ・アリによって刺激されたオープンで国際的な議論はムスリム移民のヨーロッパへの統合と共存という問題を前に進めたのでしょうか、それとも後ろに進めたでしょうか。

議論があるという事実はよいことです。最悪なのはこうしたすべての事柄が絨毯の下で掃除され、それについて人々が語ることができず、緊張が高まり、暴力へと発展することです。多くの不愉快な分極化や罵詈雑言であったとしてもあらゆる立場の意見が聞かれつつあるのが現状なのです。
(了)

|

« オランダ・ポピュリスム(1) | トップページ | やっぱり統計のとりかたに問題ありそう »

欧州情勢」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/507226/20657561

この記事へのトラックバック一覧です: オランダ・ポピュリズム(2):

« オランダ・ポピュリスム(1) | トップページ | やっぱり統計のとりかたに問題ありそう »