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68年をめぐる論争(2)

さて今度は68年をめぐる論争の右の方からの意見です。実際、右といってもいろんな流派があるわけですが、これは保守本流たるゴーリストの見解です。ここでまで堂々としていると清々しさすら感じます。

68年5月と58年5月、神話と現実[Le Figaro]Par Alain Terrenoire
68年5月の出来事の記念と賛美のメディア的氾濫に溺れた2008年5月の若者達は幻想と欲求不満で茫然となる危険がある。この時代の古い闘士は戦後の硬直化したフランス社会を変化させることになる革命とやらに信憑性を与えるために自己満足をもって我々にこの時代を描き立てている。

実際我々は歴史上前例のない成長と近代化の進歩をフランス人に与えた「黄金の30年」(高度成長のこと)の渦中にいた。領土全体での経済発展、購買力の恒常的増加、ベビーブームの子供達への高等教育の開放、民主化、休暇の延長、家庭の快適さの爆発、万人のためのテレビ、こうしたものは他の多くの変化の中でフランス人の生活とフランスの顔とを深いところで変化させた。10年前には「欧州の病人」扱いされたフランスを!

確かにこの偉大な大変化はその裏面を持っていた。とりわけ都市への予期されない、管理されない根無し草の人口の流入は深刻な住宅危機の原因となった。最も危機的な状況は明らかに経済成長、完全雇用、企業の富裕化に応じた雇用者の報酬の上昇の遅れであった。企業の社会的経営と機能はしばしば非常に保守的なものであった。

しかしこの遅れや適用の失敗はカルチェ・ラタンのバリケードの数週間、多様なデモ、大学、工場の占拠、そして東欧やその他の諸国民の抑圧者たる全体主義的共産主義の赤旗に覆われた行政組織を正当化しただろうか。

大学の近代化に関するエドガール・フォーレ法を翌年の秋に獲得するために、そして給料の大幅な増加を享受するために─ああ!その半分は16ヶ月後に弱いフランの切り下げで侵食されたのだった─「禁止することを禁止する」必要はあったのか。

いかにして人は「極左集団」─毛沢東の文化大革命とカストロの独裁を手本として我々に与えた共産主義者Marchaisの有名な言葉─のスローガンに人は酔うことができたというのだろう。いかなる戦慄が深淵にあってクーデターをシャルレティのスタジアムで夢見させ、ミッテンランをして辱められた共和国の救世主として立ち現れることを許せたのであろうか。

いずれにせよ今日では、時代遅れの少数のトロツキストを別にすれば、68年5月のかつての我らが闘士達は─その多くは今でもメディアで気取っているが─もはやそのことで自らを称えはしない。風俗の革命と社会的振る舞いの自由化のみが彼らの衰えた記憶で輝くのだ。しかしそうしたものは西洋の至る所で進行していたことであり、他の場所と同様にフランスにおいてもバリケードなしで、我が国を不在の予約購読者にすることなく、実現されたであろう。

最後に、この冒険的な、しかし流血のない時期が短い春しか生き延びなかったことを忘却しないようにしよう。ド・ゴールはしばらくの動揺の後にこの「大混乱」への措置を取り、5月30日に百万人のフランス人をコンコルド広場に集め、一ヶ月後に選挙によって国民議会で例外的な多数を与えたあの言葉を見つけ出したのだった!

その代わりに10年前の58年5月はフランスが経験することになる真の革命の開始であった。我らが68年世代の見栄っ張り達のために、そしてこの時代をよく知らない2008年の若者達のために、いくつかの事柄を想起することが必要だろう。

解放以来、フランスは絶え間ない植民地戦争に苦しんでいた。アルジェリア戦争は最も悲惨なものであったし、権力の座にあった左翼政府はこれを終わらせることができなかった。他方、フランスは第四共和制の諸制度、政府を不安定にする選挙システムを備えていた。この状況は我が国に一般化された発展の恩恵を十分に獲得することを許さなかったのだ。

我々はまた我らが対外政策と防衛政策に関して米国の従属下にあった。最後に、欧州の新たな協力の素晴らしい開始にもかかわらず、フランスは1958年初頭にはその弱体ゆえにローマ条約の始動を延期せざるを得なかったのだ。

この袋小路の中でフランス人は6月18日にこの男に訴えたのだ。権力に返り咲くとド・ゴール将軍は民主的権力の平衡と有効性の必要に答えた新しい憲法の作成に着手した。彼はまた我らのすべての植民地に独立を与え、アルジェリア戦争を集結させることで脱植民地化を成し遂げた。ド・ゴールは同様に特に第三世界に評価された新しい外交政策を開始し、フランスに自立的防衛による安全を保証することで、我が国に第一次世界大戦以降失われた威信を再び与えてくれた。

研究と新技術の領域ではこの国家元首は劇的な主導権を発揮した。我々はなおそこから多くの利益─とりわけ防衛、エネルギー、核、宇宙の領域で─を引き出すことができるのだ。

ド・ゴールの復帰以降、経済の回復が我々に欧州的、国際的な舞台で我々の地位を占めることを可能にしてくれた。

最後に、長期的に確立することなったものとして、ずいぶん変質してしまったが、ド・ゴール将軍の欧州ヴィジョンがある。

かくして我らは常にエコロ改革主義に改宗したボボの懐古的な想い出よりもド・ゴールの畝の存続を好む多数なのである。遭遇する障害やしばしば優柔不断な犂にもかかわらず、欧州権力の希望とともに、強力で独立的で主権的で連帯的でそしてなによりもグローバル化─そのカオス的な市場は加速することを止めない─のプロセスの主要なアクターとなる決意をもつフランスをあらしめるのがこのド・ゴールの畝なのだ。
(了)

いやー、これも熱い文章ですが、68年なんかどうでもいい、問題なのは58年なんだという言い切りが心地いいです。この生ける「フランスの偉大」を辞任させたのも68年世代ですから、保守本流の方々には忸怩たる思いがあるでしょう。わたしも歴史的にはどう考えても、68年より58年の方が重要だろうとは思います。が、しかしゴーリスト親父の説教に今時のボボのみなさんが耳を傾けるのかどうかは少々疑問であります。ちなみにボボというのはエコロジーとかが好きな遊民化している坊ちゃん、嬢ちゃん達のことで、今時の若者は・・・という時の代名詞的存在です。それからこのお方は多分サルコジにはけっこういらついていそうです。ちゃらちゃらしやがってと。

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