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68年をめぐる論争(1)

今年で40周年を迎えるわけですが、1968年5月が戦後フランス史にとっての特異点のようなものとして記憶されていることは御存知かと思います。学生運動や労働者運動が高揚し、大学の自治やらベトナム反戦やらプラハの春やらフリーセックスやらが叫ばれ、すったもんだのあげくにシャルル・ドゴールが退陣することになったあの一連の社会的な騒乱のことです。この動きが我が国にも波及し、パリに続けとばかりに、もちろん戦後日本の文脈において束の間の高揚をもたらしたことは特に強調するまでもない歴史事実であります。

フランスにおいてはこの記憶をめぐって今でもけっこう熱い議論がなされています。それが生産的なものなのかどうかわたしは懐疑的なところがありますが、そういう議論をするのが好きな人達ですからそれはそれで仕方がない。まずは左派というよりも極左サイドの見方を紹介したいと思います。キーワードは「沸騰」。自由主義の黄昏を打破せよ!

反68年5月の思想は底をついている[Le Monde]Par Nicholas Weill
ここ40年、哲学者、作家、歴史家が行ってきた様々な読解を導き手として採り上げることで、68年5月の40周年はここ数年の知的風景において生じたいくつかの変化を確認する機会を提供してくれる。今日まで「事件」の呼称を保持したほどに特異な時期。68年5月の記念は、他のどの時代とも同じようにこれを歴史的なものにするのではなく、この不可欠な一部であり、社会に対するこの持続的な影響を延長する。さらにこの記憶との10年毎のランデブーは時代精神のイデオロギー的変容の優れた指標をなしている。かくして多数の著作が─そのうちのひとつはミシェル・ザンカリニ=フルネル著「68年という時代。論議の的となる歴史」─我々の現在になお多くを語りかける固有財産を有するあの学生と労働者の反乱の「歴史の歴史」の現状分析をしてくれる。

1970年代には、「反全体主義的転回」と呼ばれるものに際して、相当数の知識人がレイモン・アロンが渦中にあって「奇妙な革命」(1968)で定式化した1968年に対する批判を自分のこととして引き受け、さらに強化した。しかし哲学者のセルジュ・オディエが最近「反68年の思想。知的復興の起源についてのエッセー」で示したように、アロンはゴーリスト体制の袋小路をとりわけ非難し、彼が脅かされているとみた大学に関して心配していたのに対して、10年後に彼を引き合いに出した者達はこうした問題をより保守的に転回させた。

マルクス主義的な教養との距離を求めた知識人による民主主義と市民社会の徳の再発見はいくつかの側面で68年の沸騰の長所とみなされるものを有していた。結局のところ、共産党にとって革命とは国家機構の征服に貢献するものにとどまったわけで、5月の価値は共産党によってほとんど評価されなかったのだ。しかし徐々にエドガール・モラン、クロード・ルフォール、コルネリュウス・カストリアディアス(「68年5月。裂け目」)によって称えられた市民社会の自発主義は自由主義的な思想家の下で国家と国民の復権へと席を譲ることになった。

「68年世代の」遺産が1980年代にはモデルとしての地位から引き立て役としての地位へと滑り落ちたことにはなんら驚くべくものはない。この新たな方向付けをした2人の主役は歴史家のフランソワ・フュレ─1789年の再解釈は革命という理念そのものに打撃を与えることに帰着した─と哲学者のマルセル・ゴシェ─「人権政治」の疑わしい正統性と民主主義社会をその反対物へ転化する危険についての省察は徐々に悲観主義的な色調を帯びることになる─である。遡及的な悪魔化へと道は開かれた。レジス・ドゥブレの「10周年の言説と儀式へのささやかな貢献」(1978)以来の思考は、68年5月の街路が覆い隠していた道を単純な「消費主義的画一化」に、異議申し立てが予示した道を「資本主義の新たな精神」(リュック・ボルタンスキ、エヴェ・チアペッロ著、1999)にし始めたのだ。ジル・リポヴェツスキー、ジャン・ピエール・ル・ゴフのような社会学者によって材料が提供され、黒い伝説が形成された。この伝説は68年5月にナルシスト的、個人主義的漂流の坩堝を見ていたのだが、これは社会的な無関連化を唆すもので、その後継者は現実には「リベロ・リベルテール」やその他の「ボボ」達なのだろう。

奇妙な情熱
しかしこうした文化的反動は哲学者リュック・フェリーとアラン・ルノーのパンフレット本(「68年の思想」1985)とともに頂点に達する。この書は1960年代、70年代の知的、哲学的生産の大部分にこうしたレッテルを貼る。構造主義者とポスト構造主義者は「反人間主義的」であると非難される。賃金労働者と学生を街路に立たせたより自由でより階層的でない社会の具体的ユートピアは全体主義の邪悪な蛇を腕に温めさせるものに過ぎなかったのだ!

5月から離れんするこの奇妙な情熱はデフォルメを経由する。フェリーとルノーによって刺された登場人物の大部分は実際には68年5月とその役者達と非常に疎遠な関係しかなかったことを徐々に増えている当時の歴史家達が我々に教えてくれる。しかしこのカリカチュアは権力の座にある右派の未来の言説の養分となるのだ。2007年春にベルシーで「知的、道徳的相対主義」を課すこととなった68年5月の「遺産を清算する」意思を表明する時、このカリカチュアはニコラ・サルコジによって再び採り上げられることになるだろう。

ところでこの基調傾向は数年前から歴史研究の進歩によって真っ向から反対されている。それによってそのメッセージが風俗や世代的な共犯効果の中に求められるような出来事というイメージとは全く別のイメージが68年5月に与えられたのだ。この更新はラディカルな思考のダイナミズムをともなうものであり、しばしば非常に若い世代によって再活性化されている出版社や雑誌の活況によって表現される。ベルリンの壁の崩壊以後、極左は実際にはその理論的生産性を刺激するような刺激に直面しているのだ。共産主義の失敗以後の新自由主義を暴力の経済ととらえる批判の再建の挑戦。この点で68年5月の戦いは─ボタンのついた剣による戦いだったが─もうひとつのモデルとして役立つ可能性がある。マイノリティーの解放運動は─多かれ少なかれ68年に出発する─1968年の遺産が「邪魔物なく享楽すること」を急かされる個人主義的なネオブルジョワの出現に帰着するという考えを打ち砕く。

この結び目が極左の理論家を刺激し、こちら側から沸騰をひき起こすことは疑いない。それはアロンとトクヴィルを引き合いに出す自由主義的な内省が独占したかのような黄昏の雰囲気と対象をなす。フランス人のアラン・バデューやイタリア人のアントニオ・ネグリやジョルジュ・アガンベン、アメリカ人のマイケル・ハートやスロヴェニア人のスラボイ・ジジェクのような哲学者がしばしば沸騰的に批判的政治哲学の新しい星座を構成する一方で、フランスの自由主義的伝統は憂鬱なあるいは衰退論的な身振りに硬直しているかのようなのだ。いつこれが単なる反動とならなかったか!
(了)

というように非常に熱い文章なのですが、ともかく70年代以降のシニシズムやニヒリズムをぶっとばせということなんだと思います。それはいいとしましょう、元気でないですよね、そういうのは確かに、建設的じゃないですし。あなたが罵っている転向組はわたしもあんまり好きじゃないですよ、ただ自由主義の伝統ってアロンもトクヴィルもそんな脆弱な精神ではなくもっと高貴な人たちですよ。それからフランスは「新自由主義の暴力」にどう対抗せよということなんでしょう。国家社会主義と保護貿易主義で対抗せよということでしょうか。それは伝統保守や極右とどう違うのでしょう。どちらかというとこちらの声が大きく頼もしいような気がするのは気のせいでしょうか。それにデモの嵐でサルコジの改革もあんまり進んでいないですからそれほど心配しなくてもいいような気がします。それが本当にフランスのためになるのかどうかわたしにはよく分かりませんけれども。少なくとも移民の若者のためにはならないでしょうね。

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