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2008年4月

マケドニア問題(2)

日本のブログ界ではさほど関心を集めなかったように見えるNATO加盟に絡んだマケドニア問題ですが(極東ブログさんはさすがにとり上げていました)、国名を変えろというギリシアの無体な要求により残念な結果になったことは既に報告しました。その後のこの国の政争や世論の動向には涙をさそわれるものがありましたが、この東欧の日出ずる国はギリシアばかりでなく北の隣国ブルガリアとの間でも歴史戦争を戦っているようです。

またGlobal Voicesが、両国のブログ戦争について報告してくれています。それによると、バルカン戦争の後セルビア支配下に置かれたこともあり、ブルガリア人にとってマケドニア人は20世紀初頭までブルガリア・ネーションの一部であったといいます。その後、セルビアの政策やマケドニズム・ドクトリンのせいで、ここの住民意識の変化が生じて、マケドニア・ネーションが形成されることになり、またコミンテルンやスターリンのスタンスがこうした結果に貢献したとされます。

他方、マケドニア人は自分達を古代のマケドニアの後継者である別のネーションであると考え、ブルガリア人が自分達の土地を占領したと非難し、マケドニアの歴史を盗み取ろうとしているしていると主張しているそうです。 サムイルオフリドの聖クリメント革命家のゴツェ・デルチェフといった偉人達はマケドニア人だと。これに対してブルガリアも同様の非難をしているそうです。ふう。

マケドニア側がブルガリアが自分達を「同化」しようとしていると恐れ、ブルガリア側がいわゆる大マケドニアの一部であるピリン地方を併合しようとしているのではと疑っていることが対立を激しくすることにつながっているといいます。

ブルガリア側のブロガーPeter Stoykovさんによると、マケドニアがブルガリアの一部かどうかとかマケドニア語というのものが存在するかとかブルガリアの国益はなにかとかいった議論になると、歴史家や政治家やネトウヨは命がけのナンセンスを競い合う。マケドニア人がブルガリア人なわけはない。そんなことは自分達が決めることだ。自分はマケドニアがブルガリアの一部でないことが嬉しい。ブルガリアは「バルカンの安定の焦点」であって、争いに明け暮れている周辺国の狂気に巻き込まれるべきではないと冷静な意見を述べています。

もう一人のブルガリア側のブロガーPeter Dobrevさんによると、「マケドニアはブルガリアの国民精神の揺籃の地である」というのが1944年まで(共産党がブルガリアで支配権を握った年)支配的な意見だったが、今日ではそうした記憶は色あせている。Peter Stoykovがマケドニア問題は存在しないというのは不思議ではない。誰もが自決権をもつ。誰もがアレキサンダー大王をギリシア人と考えるように、1878年以降マケドニアのリーダー達がブルガリア人だったのは争えない事実だ。自分達もブルガリア人だと言っていたし、外国人からもそう見られていた、ということです。

だいたいこの2人がブルガリア側の意見の要約になっていて、ほとんどのブルガリア人は隣人に対してなんの権利も主張していないし、内政干渉する気もないといいます。ただ多くが歴史の一部を放棄せよと迫るマケドニア側に苛立っているということです。同様の声はマケドニア側にもあるといいます。ふう。どこかで見た光景ではありませんか。

マケドニア側のIvica Anteskiさんは、両者の「真実」が一致しないならば、それはつまりどちらも真実ではない(あるいは一方が間違っている)ということだ。目撃証言が矛盾する時には、法廷対決で決まるが、歴史家はそうしたがらない。歴史家や文献学者やスラブ研究の専門家にどこに問題があるのか教えて欲しい。マケドニア人かブルガリア人かは忘れてくれ。学者に国籍はないのだから、とネットの戦争の無益さを説き、アカデミズムに解決を促しています。

というわけでどうもこの論争ではマケドニア側が突っかかっているのに対してブルガリアが迷惑顔という反応のようですね。マケドニアへの同情がブルガリアを悪役にしてしまうのではという危惧を語るブロガーもいるようですから、こういうネタで小国に同情が集まるというのはどうやら普遍的な現象のようです。そのうちセルビアやアルバニアも参戦したりしたら大変なことになりそうです。いずれにせよバルカンの地域秩序が不安定なうちはこの種の問題は続くのでしょう。

というようにこの種の問題はどこにでも転がっているわけです。個人的に東欧情勢に関心があるのでウォッチしているわけですが、自分たちが当事者でない歴史問題をウォッチするというのは頭をクール・ダウンして状況を理解するのにいい訓練になりますからおすすめしておきます。またこれを外国人に説明する際にもいろいろと役に立つことでしょう。

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やっぱり統計のとりかたに問題ありそう

FTの記事で紹介しようかと思っていたのですが、gooニュースで翻訳されていました。生産性に関する国際比較で日本がひどく低くなっている─サービス業に足を引っ張られて─のは統計の取り方の問題が大きいだろうと前々から思っていたのですが、デビッド・ピリング氏がその点について言及しています。

まず工事現場の誘導員やエレベーター・ガールが象徴としてよく引き合いに出されて、世界トップレベルの製造業に比べてGDPの7割を占めるサービス業が欧米に比べてひどく非効率であると批判されている事実に触れます。このブログでも採り上げた今年のOECD勧告でも同じ論調でしたね。曰く

現役世代が高齢化し減少するに伴い、「サービス部門の生産性を向上させることが、長期的成長を促進させるための最優先事項だ」と。同報告書によると、日本の製造業の1時間ごとの労働生産性は1999年〜2004年の間に毎年4%ずつ改善し、米国と同レベルだったものの、サービス部門の生産性向上率は0.9%に留まり、米国に大きく遅れをとったのだという。

しかしこうした分析には問題があるといい、日本の運輸システムがアメリカのそれよりも3割効率性が低いというのは事実に照らしておかしいことは誰にでも分かると述べます。こんなに効率的な国はないはずだと。医療制度に関しても患者の入院期間の長さを理由に非効率だと批判されるわけですが、ここにもなにか問題があるといいます。曰く

日本の医療費は国内総生産(GDP)の7.9%。対して米国では15.2%だ。(医療制度の品質を判断する基準として単純すぎるかもしれないが)日本の平均寿命は男性が79歳、女性が86歳。米国は男性が75歳、女性が80歳だ。

したがってこの分析手法にはなにかしら誤りがあるはずだと述べて、一橋大学経済研究所の深尾京司教授の見解を紹介しています。教授によると、サービス部門の効率を測るのに使う指標(工数あたりの付加価値や、資本と労働のアウトプットも含めて測る全要素生産性)は大まかなもので、国際比較は困難である。よく引き合いに出される小売部門に関して、曰く

小売部門の生産性を測る基本的な指標は、従業員が1時間あたりどれだけの商品を販売できるかだ。この指標を使うと、ドイツの成績はとてもいい。これがなぜかというと、営業時間が短いからだ。店が開いている時間が限られているので、客はやむを得ず短時間でたくさんを買うことになる。一方でこの測り方をすると、日本は成績が良くない。巨大でガラガラな米国のスーパーが、狭くて小さい日本のラーメン店や豆腐屋よりずっと成績がよいということになる。加えて日本にはあらゆる街角に24時間営業の店舗が立ち並ぶ、非常に密度の濃いコンビニ・ネットワークが存在し、おかげで消費者はいつでも好きな時間に買い物ができる。よって購買量は時間単位で集中しないため、効率が悪いということになってしまう。

加えて、日本の小売店がほとんどの場合は徒歩圏内あるいは遠くても自転車圏内にあるという点も、プラス材料として評価されていない。使われている統計データでは、小売店にたどり着くための移動の不便や、遠くの店で買い物することに伴う要素(交通事故の危険性、公害、道路維持管理費)などを考慮に入れていない。

さらに欧州委員会出資のプロジェクト「EU KLEMS」による生産性の国際比較では1995〜2004年の労働生産性が0.5%の上昇にとどまったのに対して、翌年の1995年〜2005年の労働生産性は2.1%上昇しているという事実を採り上げ、分析手法に問題があることは明らかであると指摘しています。このEU KLEMSの数字のことはよく知りませんでした。少し調べてみましょう。

これに続けて、だからといって問題がないわけではないと述べ、労働市場の硬直性やサービス価格の高さ(港湾使用料、空港着陸料、電力料金)といったよく指摘されている点について言及しています。最後は、生産者重視から消費者重視に転換し、内需拡大して輸出依存度を減らせと。まあここはいいでしょう。

というわけで問題点が指摘されている以上統計のとりかたについてしっかりと再考したほうがいいでしょうね。政策にも影響しますから政府も動いたらどうでしょう。この他、GDP速報値問題は有名ですが(こちらは改善の動きあり)、物価指数についても問題ありと一部で指摘されていますね。こちらはお願いですから予算回して改善してください。不確かな数字の幻に振り回されたくはないですからね。

PS 一方でこちらのインフレ万歳記事は思わずよく分かっていないだろうお前と言いたくなりますが・・・。日本でもこうした議論する人いるんでしょうか。気になります。

EU KLEMSの記述のところ、怒濤の如く読み間違っていましたので本文を修正しました。これは一橋大学の経済研究所がデータを提供しているようですね。ここのサイトには面白そうなデータがたくさんあるので、そのうち読んでみたいです。

最後に港湾の問題というのはいろいろな意味で非常に重要だと思うのですが、なかなか政治のアジェンダになりませんね。いやなっているのかな。ここも興味のあるポイントです。

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オランダ・ポピュリズム(2)

後半はオランダの話からヨーロッパ全体の話へ、またイスラームをめぐる国際的な議論の話へと広がっていきます。まあともかく多文化主義のイデオロギーの抑圧がとけたことで一挙に議論が過熱したという状況なのでしょう。トンデモな議論や危険な議論も実に飛び出しましたが、この2人のようにともかく長期的にはこれはいいことなのだと楽観的に考えたいものであります。ブルマ氏が言っていることはなんとか主義ではなくてごく良識的な事柄ばかりだと思いますが、分極化した激論のせいで政治的に賢い声がかき消されてしまうような状況にならないことを願います。

「政治的正しさの時代への反動」[Spiegel]
S: 今聞こえてくるイスラームと多文化主義についてのオープンでここ最近では甲高い声の対話ができるようになったのは最近のオランダのどんな変化があったからですか。911の副産物でしょうか。

B: 多分政治的正しさを理由に控え目にしていなければならなかった時代への反動として、議論が過熱したのでしょうね。
911の出来事はムスリムのラディカリズムに注意を向けましたが、変化の理由はこれだけではないのです。グローバル化の力への深いところでの全般的な不安が至る所で大きくなりました。人々を動員し、普通の人の感情を駆り立てる最も簡単な方法は─アムステルダムやロッテルダムのような大都市の外部の地域ですら─可視的な存在であるムスリムのような余所者を見つけ出すことです。彼らは分かりやすい標的ですし、911は確かに人々が既に持っていた偏見を確認するのを助けました。

S: 2004年にファン・ゴッホが暗殺された時に、ヨーロッパ中の新聞のヘッドラインは大陸において多文化主義は死んだと叫びました。オランダへのムスリムの統合は失敗したとあなたはお考えですか。

B: いいえ。フランスやイギリスでと同じように、大部分のムスリムは統合されています。問題はヨーロッパ諸国に生まれて文化の間で板挟みになっていると感じる人達にあるんです。彼らは移民の両親の文化から疎外されているけれども、彼らの育った国で余所者であり、かつ拒否されているように感じるわけです。過激主義の形式の影響を受けやすいのは彼らのような人達です。しかし一般的にムスリムの統合が完全に失敗したということは証明されていません。疎外感を覚えて過激主義の傾向がある者よりも統合されている人々の方が多いようですから。

S: にもかかわらず、オランダやヨーロッパ中で社会の「忍び寄るイスラム化」についてたいそうな議論があります。 ドイツでは、「万歳、我々は屈服しつつある」という本がベストセラーになりましたし、ヒルシ・アリの本は多くの言語に翻訳されました。

B: こうした議論はナンセンスです。ムスリムは主流のヨーロッパ人にその種の影響を与えるには数的にまだ小さ過ぎます。それに多くは特に敬虔なわけでもない。彼らが中産階級化するにつれてますます敬虔でなくなっていくことでしょう。我々が過激主義によって脅かされるべきでないというのは本当です。イスラムは他の信仰同様に批判に対して開かれるべきです。しかし我々がなんらかの深い意味においてイスラム化していくだろうというような考えはただのパラノイアです。

S: 大陸で最も速い速度で増加する人口の一つであるムスリム移民共同体という背景があって、オランダやデンマークで見たドラマティックな出来事から、西ヨーロッパで展開されるだろう文明の衝突へと我々が向かっていくのを見通す文化批評家にも事欠きません。

B: わたしはそうしたドゥームズデイ的なシナリオというのを信じていません。そうした主張を行う人々は社会というものを静態的なものと想定し、外国出身であり、ムスリムの先祖をもつと分類されるような人間がすべてもともとの移民の宗教的、文化的慣習を共有している─これは真実ではありません─と想定しているのです。第二世代はそうではなく、第三世代はなおそうではないでしょう。我々が突然狂信的なまでに宗教的で政治的に過激な人々と直面することになったという表象から推定すべきではありません。

S: しかしフランス人の作家のパスカル・ブリュクネルはあなたが説く多文化主義が分断社会への道を用意することにつながると最近ですが暗に述べました。彼が言うには、多文化主義は「自分達と残りの社会との間に壁を打ち立てる敵対的かつ孤島的な共同体」に対して祝福するものだ。雪玉効果を持ち得るマイナーな例として彼が挙げるのは、コーランに忠実な「イスラム」病院がそのうちロッテルダムに開業するかもしれないという事実やイタリアでのムスリム女性のみを相手にしたビーチの計画です。

B: わたしは多文化主義を説いてはいません。 またわたしは絶対的な社会的、文化的順応主義にも賛成ではありません。わたしにはヌーディストやらムスリム女性やらプライバシーを求めて我々と浜辺を共有することを望まない人々による甚大なる脅威なるものが分かりません。それが宗教的圧力へと落ち込むのだと感じる人もあるのでしょうが、わたしは共同体の他の者達に対してそれがいかに有害であるのかがよく分からないです。多くの文化的飛び地が存在しています。小規模には既にパラレルな社会が存在しているというのは本当ですが、誰も周囲とは異なる生活を送っているロンドンの正統派のユダヤ人について騒ぎ立てはしないでしょう。

S: しかしパラレルな社会ができるのを許すことで、我々は社会のチャンスを制限し、それゆえ移民の間に疎外感を生み出すことになりませんか。

B: これらの背後にある仮定は人々が市民として統合されるには共通文化に順応しなければならないということです。わたしは人々が共通の法に従うべきだと考えます。この2つは違うことです。ある意味でヨーロッパ社会はアメリカ合衆国のようになるべきなのです。つまり市民となることを受け入れて、政治に参加しつつ、自分が選択する文化的習慣や慣習になおしがみつくと。同時にわたしは宗教法のようなものの導入は一切拒絶します。

S: あなたが言っているのは、カナダのオンタリオ州がやろうとしているように地域によっては家族政策のような問題でヨーロッパにシャリーア法を導入しようという実験や要求のことですね。

B: わたしたちの法は世俗的であるべきです。

S: あなたはまたイスラームを「遅れた」宗教、預言者ムハンマドを「変態」という風に記述した言語の使用についてヒルシ・アリを批判しました。そうした直接的な言語は正しい薬だと論じる批判者もいますが。

B: わたしはそれが役に立つとは思いません。というのもわたしはイスラームの革命イデオロギーを真剣に受け止めているからです。政治的イスラムは真の暴力の源です。これを止めるか管理する唯一の方法はこれをムスリム共同体の中で孤立化することです。そのためにはあなたがたは自由民主主義に利害関係があり、ラディカリズムに対して守ろうとする自由もあなたがたのものなのですよとヨーロッパのムスリムを説得しないといけません。もしこうした人々に問題はイスラム内部の暴力的なイデオロギーだけでなく、ムスリムの宗教そのものがあらゆる悪の原因であると言い出したならば、自分達の味方につけるべき人々をまさに疎外してしまうことになります。

911はイスラームと関係しているばかりでなく、その中核がイスラームなのだというヒルシ・アリの考えは中絶手術を行う医師を撃ち殺すアメリカのキリスト教原理主義者がキリスト教の核心を表現していると言っているのと同じです。それは誤っているばかりでなく、そうした考え方の帰結は危険です。

しかし彼女がイスラムにおける女性の虐待、福祉国家の結果、移民への態度、多文化主義の錯誤について真面目な議論を始めたことはポジティヴなことです。彼女は人々にこうした事柄を議論することを促したのです。同時に彼女はまたただ単にイスラムそのものを非難したい─これでは救いがないと思います─多くの人にとってのイコンのようなものになりました。同じことはウィルダースについてもあてはまると思います。彼が役に立つところというのは彼が言論の自由の限界と自己検閲の危険を思考するよう人々を挑発しているという点です。

S: ファン・ゴッホの殺害と地下に潜伏せざるを得なくなったヒルシ・アリによって刺激されたオープンで国際的な議論はムスリム移民のヨーロッパへの統合と共存という問題を前に進めたのでしょうか、それとも後ろに進めたでしょうか。

議論があるという事実はよいことです。最悪なのはこうしたすべての事柄が絨毯の下で掃除され、それについて人々が語ることができず、緊張が高まり、暴力へと発展することです。多くの不愉快な分極化や罵詈雑言であったとしてもあらゆる立場の意見が聞かれつつあるのが現状なのです。
(了)

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オランダ・ポピュリスム(1)

少し前に欧州極右事情について紹介しましたが、その中でオランダのヘールト・ウィルダースGeert Wilders氏が最近台風の目になっているという話がありました。彼の映画をめぐる騒動は日本でも報じられたので御存知の方もありましょう。東アジア、就中日本の事情について詳しいイアン・ブルマ氏が故国の政治的危機について書いた文章は折に触れて読んできましたが、このウィルダース問題についてSpiegelの英語版にインタビューがありましたので紹介したいと思います。2部構成の記事ですが、このエントリはそのうち1部です。インタビューですのでとても分かりやすいと思います。ちなみにイアン・ブルマ氏は日本について書いている左派系の知識人の中では比較的買っている人です。60年代、70年代の日本ラディカルへのシンパシーは全く共有しないのですが、バランス感覚に優れている人だと思います。

「イスラムそのものを非難するのは救いがない」[Spiegel]
Spiegel(以下S): ヘールト・ウィルダースがフィトナというイスラム批判の映画をリリースすることになりました。アフガンの抗議者はもうリリース前に映画に対するデモでオランダ国旗を燃やしました。これがデンマークのカリカチュア・スキャンダルのような反応を引き起こすと思いますか。

Buruma(以下B): わたしの直感ではこれはアンチ・クライマックスになると思います。というのも宣伝がひどく大げさなものでしたから。この映画は人々が実際にショックを受けるような非常に生々しい素材を含まないといけないでしょう。それに攻撃的なものに溢れたインターネット以外で広範に広まらないでしょうね。

S: ウィルダースの映画は誰に向けて撮影されているのでしょう。彼はあなたがオランダの"dish cities"と書いているもの─住民が故国と衛星テレビやインターネットで接続しているムスリムの飛び地─を攻撃することを狙っているのでしょうか。

B: 彼はこれをムスリムに向けて撮っているわけではない。むしろオランダ人全体に向けてイスラムの危険を指摘したくて撮っているのです。ただ彼がこれをオランダのテレビに映すのに失敗した後にデンマークのテレビに放映させようとしたことから言って、彼は国境を越えて考えてもいるみたいですね。

S: しかしオランダのムスリム共同体はファン・ゴッホ殺人事件の波で非常に緊密な監視下に置かれていますよね。「フィトナ」が国内的に暴発的な状況を生み出すことはありますか。

B: オランダの反応はそれほどドラマティックなものにはならないでしょう。これはデンマークのカルトゥーンについてもそうだったようにね。振り返ってみると、ヨーロッパのムスリムはカルトゥーンを一度もみたことのない国々での街頭デモを中東の政府が指揮した時だけ燃え上がったわけですよ。今回のケースについても、意図的に政治目的にこれが利用される場所で行動が起こると予測します。オランダやヨーロッパのどこであれ、ムスリムの間で大きな反応があるとはわたしは思いませんね。

S: 国際的な危機やオランダでの政治的な動機による死者を出すくらいならウィルダースの映画は政府によって禁止されるべきだと論じる人もいますね。

B: それは不適切でしょう。わたしたちは自由な国に住んでいるわけで、誰もこの映画をまだ見ていないわけですからね。

S: しかしあなたは言論の自由の権利と主要な世界宗教への適切なレベルのセンシティヴィティーを示すことの間のラインをどこに引きますか。

B: 言論の自由が絶対的なものだというのは正しくない。必ずしも法によってカバーされるわけではないけれども、文明的な社交の中で人々が守る一定のルールというものがあるわけです。どんな文明的な国でも"Yids"とか"niggers"とは言う人はもういないでしょう。こうした言葉がはっきりと法によって禁止されているわけではなくともね。しかしウィルダースの映画が憎悪や暴力を意図的に教唆するものでない限りは、これを禁止する理由があるとはわたしには思えないです。

S: ウィルダースは彼の反移民、反ムスリムのレトリックでオランダにオーディエンスを明確に持っていますね。オランダの公共放送のNOSは彼を2007年をリードする政治家と呼んでいます。

B: 彼の追従者は極右出身の政治家にちょっと普通でないくらい多いですね。極右の本当の伝統というのはオランダにはないのですがね。彼は15%ぐらいの選挙民を魅了する能力がありますが、同じぐらいのパーセントがオーストリアやフランスの反移民の政治家や極右の間に見出せるでしょう。しかし彼は決して広範な層で人気者というわけではない。

S: ウィルダースのポピュリズムはフランスのジャン・マリ・ル・ペンやオーストリアのヨルグ・ハイダーと同じ種類のものなんでしょうか。

B: 同じルサンチマンや恐怖の感情を利用するという点で彼を比較できるでしょうね。エリートが緑の多い郊外に住んでいてこうした問題に直面しない一方で、普通の人は近所にやって来るムスリムに脅威を感じているわけです。移民ととりわけムスリム問題は広い意味での安心ということの焦点となりました。これは欧州連合、グローバル化、国民国家の権威の腐食、経済的不確実性といったものと関係していますね。全般的な不安やルサンチマンの感覚が、ウィルダースや彼の前ではピム・フォルトゥインのような人々からのポピュリスト的なデマゴギーに対して一国をずいぶん影響を受けやすくしてしまうわけです。
しかし、オランダは確かに1930年代には国家社会主義政党をもっていたわけですが、本当の意味での右翼的伝統というものがなく、今日でも人々はこれに非常に懐疑的です。そしてオーストリアやドイツでの右翼運動に見られるファシスト的な伝統はウィルダースやフォルトゥインの政治にも明らかではありません。彼らのデマゴギーは我々は自由な国に住んでいる、我々の自由は外国人によって脅かされつつあるという考えに基づくものですね。

S: 第二次世界大戦中のオランダのファシズムとの接近遭遇─ユダヤ人殺害によってもたらされた罪悪感─が何十年もの間享受することになったリベラルで寛容な国という評判を育成することになったと論じる人が多いですね。こうした理想は今はどこかに行ったのですか。

B: そうした理想が寛容を奨励するのに大いに役立ちましたが、それはまた必要な議論というものを窒息もさせました。そしてこの点でテオ・ファン・ゴッホのような人々が得点を稼いだわけです。1990年代に欧州での大規模な非西洋系移民の統合の問題について人々が語り始めた時に、直ぐさま人種主義者として排撃されました。無条件の反応で戦争を引き起こす連中だとね。一方でヴァン・ゴッホを含む別の人々は欧州のムスリム(中傷者は"Islamofascists"と呼びます)に譲歩する者はナチの協力者に等しいのだと示唆しています。この種の応答は議論を封殺してしまいます。
(了)

簡単に「極右」とレッテルが貼られてしまうわけですが、オランダ的文脈というものを無視してはいけないわけですね。ブルマ氏はオランダには本当の意味での右翼的伝統が欠けているという言い方をしていますが、これはどういう意味なんでしょうね。中世以来商工業中心の都市型社会をつくってきたオランダには美化された農村共同体的な理想を掲げるタイプの右翼は出難いということなんでしょうか。よく分かりませんが、そういう国でもファシズムは可能だと思いますがね。

PS コメント欄でご指摘があったのですが、ファン・ゴッホもフォルトゥインもリベラル層の支持を受けた人であったという事実を追加しておきます。自由の敵としてのイスラーム。確かに「極右」というレッテルは似つかわしくないかもです。

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学生売春をめぐるファンタズム

なにもこの世の中から一切の嘘や誇張や偏見がなくなる日がやって来ることを痛切に待望するだとかあるいはそういう輝かしき時の到来に向けて努力を惜しまないことが人として大切であるとかわたしは信じているというわけではないですし、人が自分の信じたいことを信じ、信じたくないことは無視するという傾向性は、わたしも含めてですが、有史以来変わりがないようですから、それはそういうものなのだと言えばそれまでの話ではあります。

とはいえできるだけ正確な像を提供しようという努力に対して声援を贈りたいものだなというぐらいの心がけは持ち合わせてはいます。前に後藤氏のサイトにリンクして少し言及しましたが、90年代以降の若者をめぐる諸言説が社会科学的方法論を十分に経由していない、また定量的なデータではなく例外的な事例の一般化に基づくファンタズムに等しいようなものばかりであったことはどうも確からしいようであります。こうした中和的言説が主流メディアを流れないという問題はどうやら日本ばかりの話ではないということで、ちょっとフランスの話が続き過ぎのような気がもしますが、日本でも報じられた仏国における「学生売春」幻想の事例を紹介したいと思います。

またたびたびお世話になっているRue89からです。ちなみにこれは左翼誌リベラシオンの元記者達が中心につくったインターネット新聞ですが、主流メディアの制約に飽き足らないジャーナリストがネットを舞台に対抗言説をつくるという動きは非常に活発でありまして、その論調は時にどうなのだと思わせられることもあるのですが、やはりジャーナリズムの精神は確かに強かに生きているのだなと感心させられることが多いのもまた事実です。

「学生売春。数はわずかだが、幻想は巨大」という記事によると、まず2006年にle syndicat SUD-Etudiantという学生団体が40000人の女子学生が売春を行っているという報告をしたのですが、この時にはメディアにほとんど採り上げられなかったといいます。それが2007年末にMax Miloという出版社から2冊の学生売春に関する本が出版されたことで大騒ぎになります。エヴァ・クルエさんのトゥールーズ大の社会学課程の修士論文と学業のために売春をしている学生のローラ・Dさんの証言本の2冊です。

この本によると彼女達の動機は同じで、学費、家賃を支払うためにお金が必要だということらしいですが、で予想通りにこの「学生売春」は既に強力な記号として機能し始めている模様です。これを新しい時代のセクシュアリテのあり方として容認するリベルタンとフランス社会の道徳的退廃を嘆く道徳主義者の間の言説ゲームのコマとして。なんだか見たような光景ではありませんか?

でイデオロギーズはとりあえず置いといて、実態はどうなのだという問題があります。先ほどの学生組合の40000人という数字、実に学生の57人に1人が売春をしているというこの数字がメディアを駆け巡っている模様であります。警察発表によると、フランス全体で売春をしている人は15000人から20000人といいます。そしてそのうち学生はミニマムな割合でしかないという発表です。また国立売春研究所(というのがあるのですね)によると、学生売春は「周縁的な」現象でしかないそうです。これはOCRETHという組織も認める事実だそうで、それによると、「学生売春はむしろ個人的で臨時の活動である[...]この現象は人目につかないので数量的に把握するのは困難である。また非難されるべきものとも言えない」と。

ではこの40000人という数字がどこから出たのかという問題になりますが、これは例の学生組合のアジビラに書かれていた数字だったのだそうです。で今はこのビラは取り下げ、ネットのホームページでも数字は掲げていないといいます。組合は学生の貧困についての2000年のドーリャック報告を掲げて自己防衛しているそうですが、この報告には売春に関する情報は含まれていないそうであります。

国立売春研究所によれば、学生売春の神話は真実というよりも「都市伝説」と呼ぶべきものだそうです。「フランスには特別に学生売春現象なるものはないけれども、ネットを通じた臨時の売春現象は存在している」そうですが、その中で占める学生の比率はそれほど高いものではないといいます。またL'OVEという組織によれば、学生売春に関するいかなる情報も確かな数字もなく、メディアを流通する数字は「注意して扱うべきだ」が、前に出た2000年の報告書に基づいて貧困学生の問題を訴えたそうです。記事は学生売春をめぐるこの珍騒動は少なくとも学生の貧困という問題に光をあてたという意味でのメリットはあったようだ、これを改善する措置をいつとるのですか、と締めくくっています。

以上のように世界中で報じられた─日本でも一部でWaiWaiやってました─この学生売春はどうやら社会問題を捏造したがる社会学と儲かれば事実などどうでもいいメディアがつくりだした幻想といっていいようであります。この記事のコメント欄で日本でも報じられたワールドカップの際にドイツで売春が爆発的に増加したというニュースについて触れて、これもまったくのデマであったことを訴えている人もいました。眼鏡女子大生と出会いたいという俺の幻想は叶えられないのか、がっかりな話だ、みたいなコメントもありますが、ともかくこの種のセックス・ニュースは本当に食いつきがいいわけでして情報の取り扱いには細心の注意をしないといけないのですよ、いいですか、毎日新聞さん。

PS. ルール無視の自殺報道がまた自殺の連鎖を生み出しているという話もありますね。こちらはまったく洒落にならない話ですから、報道規制をかけるよう諸機関による働きかけを求めます。公権力の介入は最小限であるべきだと思いますが、このような状態が放置されるようでしたら、生死にかかわる問題でありますから、どういう形かは議論があるでしょうが、介入の正当化も可能だろうと思います。

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68年をめぐる論争(2)

さて今度は68年をめぐる論争の右の方からの意見です。実際、右といってもいろんな流派があるわけですが、これは保守本流たるゴーリストの見解です。ここでまで堂々としていると清々しさすら感じます。

68年5月と58年5月、神話と現実[Le Figaro]Par Alain Terrenoire
68年5月の出来事の記念と賛美のメディア的氾濫に溺れた2008年5月の若者達は幻想と欲求不満で茫然となる危険がある。この時代の古い闘士は戦後の硬直化したフランス社会を変化させることになる革命とやらに信憑性を与えるために自己満足をもって我々にこの時代を描き立てている。

実際我々は歴史上前例のない成長と近代化の進歩をフランス人に与えた「黄金の30年」(高度成長のこと)の渦中にいた。領土全体での経済発展、購買力の恒常的増加、ベビーブームの子供達への高等教育の開放、民主化、休暇の延長、家庭の快適さの爆発、万人のためのテレビ、こうしたものは他の多くの変化の中でフランス人の生活とフランスの顔とを深いところで変化させた。10年前には「欧州の病人」扱いされたフランスを!

確かにこの偉大な大変化はその裏面を持っていた。とりわけ都市への予期されない、管理されない根無し草の人口の流入は深刻な住宅危機の原因となった。最も危機的な状況は明らかに経済成長、完全雇用、企業の富裕化に応じた雇用者の報酬の上昇の遅れであった。企業の社会的経営と機能はしばしば非常に保守的なものであった。

しかしこの遅れや適用の失敗はカルチェ・ラタンのバリケードの数週間、多様なデモ、大学、工場の占拠、そして東欧やその他の諸国民の抑圧者たる全体主義的共産主義の赤旗に覆われた行政組織を正当化しただろうか。

大学の近代化に関するエドガール・フォーレ法を翌年の秋に獲得するために、そして給料の大幅な増加を享受するために─ああ!その半分は16ヶ月後に弱いフランの切り下げで侵食されたのだった─「禁止することを禁止する」必要はあったのか。

いかにして人は「極左集団」─毛沢東の文化大革命とカストロの独裁を手本として我々に与えた共産主義者Marchaisの有名な言葉─のスローガンに人は酔うことができたというのだろう。いかなる戦慄が深淵にあってクーデターをシャルレティのスタジアムで夢見させ、ミッテンランをして辱められた共和国の救世主として立ち現れることを許せたのであろうか。

いずれにせよ今日では、時代遅れの少数のトロツキストを別にすれば、68年5月のかつての我らが闘士達は─その多くは今でもメディアで気取っているが─もはやそのことで自らを称えはしない。風俗の革命と社会的振る舞いの自由化のみが彼らの衰えた記憶で輝くのだ。しかしそうしたものは西洋の至る所で進行していたことであり、他の場所と同様にフランスにおいてもバリケードなしで、我が国を不在の予約購読者にすることなく、実現されたであろう。

最後に、この冒険的な、しかし流血のない時期が短い春しか生き延びなかったことを忘却しないようにしよう。ド・ゴールはしばらくの動揺の後にこの「大混乱」への措置を取り、5月30日に百万人のフランス人をコンコルド広場に集め、一ヶ月後に選挙によって国民議会で例外的な多数を与えたあの言葉を見つけ出したのだった!

その代わりに10年前の58年5月はフランスが経験することになる真の革命の開始であった。我らが68年世代の見栄っ張り達のために、そしてこの時代をよく知らない2008年の若者達のために、いくつかの事柄を想起することが必要だろう。

解放以来、フランスは絶え間ない植民地戦争に苦しんでいた。アルジェリア戦争は最も悲惨なものであったし、権力の座にあった左翼政府はこれを終わらせることができなかった。他方、フランスは第四共和制の諸制度、政府を不安定にする選挙システムを備えていた。この状況は我が国に一般化された発展の恩恵を十分に獲得することを許さなかったのだ。

我々はまた我らが対外政策と防衛政策に関して米国の従属下にあった。最後に、欧州の新たな協力の素晴らしい開始にもかかわらず、フランスは1958年初頭にはその弱体ゆえにローマ条約の始動を延期せざるを得なかったのだ。

この袋小路の中でフランス人は6月18日にこの男に訴えたのだ。権力に返り咲くとド・ゴール将軍は民主的権力の平衡と有効性の必要に答えた新しい憲法の作成に着手した。彼はまた我らのすべての植民地に独立を与え、アルジェリア戦争を集結させることで脱植民地化を成し遂げた。ド・ゴールは同様に特に第三世界に評価された新しい外交政策を開始し、フランスに自立的防衛による安全を保証することで、我が国に第一次世界大戦以降失われた威信を再び与えてくれた。

研究と新技術の領域ではこの国家元首は劇的な主導権を発揮した。我々はなおそこから多くの利益─とりわけ防衛、エネルギー、核、宇宙の領域で─を引き出すことができるのだ。

ド・ゴールの復帰以降、経済の回復が我々に欧州的、国際的な舞台で我々の地位を占めることを可能にしてくれた。

最後に、長期的に確立することなったものとして、ずいぶん変質してしまったが、ド・ゴール将軍の欧州ヴィジョンがある。

かくして我らは常にエコロ改革主義に改宗したボボの懐古的な想い出よりもド・ゴールの畝の存続を好む多数なのである。遭遇する障害やしばしば優柔不断な犂にもかかわらず、欧州権力の希望とともに、強力で独立的で主権的で連帯的でそしてなによりもグローバル化─そのカオス的な市場は加速することを止めない─のプロセスの主要なアクターとなる決意をもつフランスをあらしめるのがこのド・ゴールの畝なのだ。
(了)

いやー、これも熱い文章ですが、68年なんかどうでもいい、問題なのは58年なんだという言い切りが心地いいです。この生ける「フランスの偉大」を辞任させたのも68年世代ですから、保守本流の方々には忸怩たる思いがあるでしょう。わたしも歴史的にはどう考えても、68年より58年の方が重要だろうとは思います。が、しかしゴーリスト親父の説教に今時のボボのみなさんが耳を傾けるのかどうかは少々疑問であります。ちなみにボボというのはエコロジーとかが好きな遊民化している坊ちゃん、嬢ちゃん達のことで、今時の若者は・・・という時の代名詞的存在です。それからこのお方は多分サルコジにはけっこういらついていそうです。ちゃらちゃらしやがってと。

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68年をめぐる論争(1)

今年で40周年を迎えるわけですが、1968年5月が戦後フランス史にとっての特異点のようなものとして記憶されていることは御存知かと思います。学生運動や労働者運動が高揚し、大学の自治やらベトナム反戦やらプラハの春やらフリーセックスやらが叫ばれ、すったもんだのあげくにシャルル・ドゴールが退陣することになったあの一連の社会的な騒乱のことです。この動きが我が国にも波及し、パリに続けとばかりに、もちろん戦後日本の文脈において束の間の高揚をもたらしたことは特に強調するまでもない歴史事実であります。

フランスにおいてはこの記憶をめぐって今でもけっこう熱い議論がなされています。それが生産的なものなのかどうかわたしは懐疑的なところがありますが、そういう議論をするのが好きな人達ですからそれはそれで仕方がない。まずは左派というよりも極左サイドの見方を紹介したいと思います。キーワードは「沸騰」。自由主義の黄昏を打破せよ!

反68年5月の思想は底をついている[Le Monde]Par Nicholas Weill
ここ40年、哲学者、作家、歴史家が行ってきた様々な読解を導き手として採り上げることで、68年5月の40周年はここ数年の知的風景において生じたいくつかの変化を確認する機会を提供してくれる。今日まで「事件」の呼称を保持したほどに特異な時期。68年5月の記念は、他のどの時代とも同じようにこれを歴史的なものにするのではなく、この不可欠な一部であり、社会に対するこの持続的な影響を延長する。さらにこの記憶との10年毎のランデブーは時代精神のイデオロギー的変容の優れた指標をなしている。かくして多数の著作が─そのうちのひとつはミシェル・ザンカリニ=フルネル著「68年という時代。論議の的となる歴史」─我々の現在になお多くを語りかける固有財産を有するあの学生と労働者の反乱の「歴史の歴史」の現状分析をしてくれる。

1970年代には、「反全体主義的転回」と呼ばれるものに際して、相当数の知識人がレイモン・アロンが渦中にあって「奇妙な革命」(1968)で定式化した1968年に対する批判を自分のこととして引き受け、さらに強化した。しかし哲学者のセルジュ・オディエが最近「反68年の思想。知的復興の起源についてのエッセー」で示したように、アロンはゴーリスト体制の袋小路をとりわけ非難し、彼が脅かされているとみた大学に関して心配していたのに対して、10年後に彼を引き合いに出した者達はこうした問題をより保守的に転回させた。

マルクス主義的な教養との距離を求めた知識人による民主主義と市民社会の徳の再発見はいくつかの側面で68年の沸騰の長所とみなされるものを有していた。結局のところ、共産党にとって革命とは国家機構の征服に貢献するものにとどまったわけで、5月の価値は共産党によってほとんど評価されなかったのだ。しかし徐々にエドガール・モラン、クロード・ルフォール、コルネリュウス・カストリアディアス(「68年5月。裂け目」)によって称えられた市民社会の自発主義は自由主義的な思想家の下で国家と国民の復権へと席を譲ることになった。

「68年世代の」遺産が1980年代にはモデルとしての地位から引き立て役としての地位へと滑り落ちたことにはなんら驚くべくものはない。この新たな方向付けをした2人の主役は歴史家のフランソワ・フュレ─1789年の再解釈は革命という理念そのものに打撃を与えることに帰着した─と哲学者のマルセル・ゴシェ─「人権政治」の疑わしい正統性と民主主義社会をその反対物へ転化する危険についての省察は徐々に悲観主義的な色調を帯びることになる─である。遡及的な悪魔化へと道は開かれた。レジス・ドゥブレの「10周年の言説と儀式へのささやかな貢献」(1978)以来の思考は、68年5月の街路が覆い隠していた道を単純な「消費主義的画一化」に、異議申し立てが予示した道を「資本主義の新たな精神」(リュック・ボルタンスキ、エヴェ・チアペッロ著、1999)にし始めたのだ。ジル・リポヴェツスキー、ジャン・ピエール・ル・ゴフのような社会学者によって材料が提供され、黒い伝説が形成された。この伝説は68年5月にナルシスト的、個人主義的漂流の坩堝を見ていたのだが、これは社会的な無関連化を唆すもので、その後継者は現実には「リベロ・リベルテール」やその他の「ボボ」達なのだろう。

奇妙な情熱
しかしこうした文化的反動は哲学者リュック・フェリーとアラン・ルノーのパンフレット本(「68年の思想」1985)とともに頂点に達する。この書は1960年代、70年代の知的、哲学的生産の大部分にこうしたレッテルを貼る。構造主義者とポスト構造主義者は「反人間主義的」であると非難される。賃金労働者と学生を街路に立たせたより自由でより階層的でない社会の具体的ユートピアは全体主義の邪悪な蛇を腕に温めさせるものに過ぎなかったのだ!

5月から離れんするこの奇妙な情熱はデフォルメを経由する。フェリーとルノーによって刺された登場人物の大部分は実際には68年5月とその役者達と非常に疎遠な関係しかなかったことを徐々に増えている当時の歴史家達が我々に教えてくれる。しかしこのカリカチュアは権力の座にある右派の未来の言説の養分となるのだ。2007年春にベルシーで「知的、道徳的相対主義」を課すこととなった68年5月の「遺産を清算する」意思を表明する時、このカリカチュアはニコラ・サルコジによって再び採り上げられることになるだろう。

ところでこの基調傾向は数年前から歴史研究の進歩によって真っ向から反対されている。それによってそのメッセージが風俗や世代的な共犯効果の中に求められるような出来事というイメージとは全く別のイメージが68年5月に与えられたのだ。この更新はラディカルな思考のダイナミズムをともなうものであり、しばしば非常に若い世代によって再活性化されている出版社や雑誌の活況によって表現される。ベルリンの壁の崩壊以後、極左は実際にはその理論的生産性を刺激するような刺激に直面しているのだ。共産主義の失敗以後の新自由主義を暴力の経済ととらえる批判の再建の挑戦。この点で68年5月の戦いは─ボタンのついた剣による戦いだったが─もうひとつのモデルとして役立つ可能性がある。マイノリティーの解放運動は─多かれ少なかれ68年に出発する─1968年の遺産が「邪魔物なく享楽すること」を急かされる個人主義的なネオブルジョワの出現に帰着するという考えを打ち砕く。

この結び目が極左の理論家を刺激し、こちら側から沸騰をひき起こすことは疑いない。それはアロンとトクヴィルを引き合いに出す自由主義的な内省が独占したかのような黄昏の雰囲気と対象をなす。フランス人のアラン・バデューやイタリア人のアントニオ・ネグリやジョルジュ・アガンベン、アメリカ人のマイケル・ハートやスロヴェニア人のスラボイ・ジジェクのような哲学者がしばしば沸騰的に批判的政治哲学の新しい星座を構成する一方で、フランスの自由主義的伝統は憂鬱なあるいは衰退論的な身振りに硬直しているかのようなのだ。いつこれが単なる反動とならなかったか!
(了)

というように非常に熱い文章なのですが、ともかく70年代以降のシニシズムやニヒリズムをぶっとばせということなんだと思います。それはいいとしましょう、元気でないですよね、そういうのは確かに、建設的じゃないですし。あなたが罵っている転向組はわたしもあんまり好きじゃないですよ、ただ自由主義の伝統ってアロンもトクヴィルもそんな脆弱な精神ではなくもっと高貴な人たちですよ。それからフランスは「新自由主義の暴力」にどう対抗せよということなんでしょう。国家社会主義と保護貿易主義で対抗せよということでしょうか。それは伝統保守や極右とどう違うのでしょう。どちらかというとこちらの声が大きく頼もしいような気がするのは気のせいでしょうか。それにデモの嵐でサルコジの改革もあんまり進んでいないですからそれほど心配しなくてもいいような気がします。それが本当にフランスのためになるのかどうかわたしにはよく分かりませんけれども。少なくとも移民の若者のためにはならないでしょうね。

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使えない人権機関について

最近はどうだかよく分かりませんが、我が国の戦後世論には国連を無条件に良きものと考える傾向性があることはよく知られた事実です。「国連中心主義」という言葉がありますが、この言葉を編み出したのがかの岸信介であるという事実はなぜか忘却されているような気がします。安保改定をにらんだ岸が米国の権威への過剰依存を戒めるべく編み出したこの戦略的含意の強い言葉がいつの間にかいわゆる進歩的知識人や盲目的反米主義者の玩具となり果てたという歴史的経緯をここで想起しておくべきかもしれません。

わたしは国連無用論者ではありませんが、それでも現状の国連の腐敗ぶりを見るにつけ、こんな組織になんで我々の血税をつぎ込まなければならないのかと内心情けなさを感じる機会が多いことは否定できません。とはいえこれだけ多数の国家が参加する国際機構も他になく、有意義な活動も皆無なわけではない以上、これを使える組織に改善していくことは我が国の果たすべき役割のひとつであろうとは思います。その意味においてわたしは国連を重視している方の人間ということになるでしょう。

国連の最大の目的である世界平和の実現に関してその果たした役割を評価できるという人はたぶんどこか遠くの世界に属している人でしょうから相手にしないとして、人権に関する活動に関してあまり実態は知らないけれどもこれを評価するいう人は意外に多いのではないかと推察申し上げます。邪推でしたらすみません。国連人権委員会がどれほど国際的に毀誉褒貶の激しい組織だったのかについて詳述は控えますが(日本語版Wikipediaでも少し書いてあります)、ここでは安保理同様に政治的駆け引きによって利用され続けてきた委員会とだけ申し上げておきましょう。少し前に日本がこの委員会に勧告を受けたときに天の声とばかりにわめいている人達がいましたが、これはまあそういう委員会なんでそれはそれあれはあれということで夜露四苦でいいと思います。

それでこの使えない人権委員会が2006年に人権理事会として改組されたわけですが、本当に機能するのかどうかについては懐疑的な声が以前から囁かれています。なんでお前がここにいるんだよという国がでかい顔をしているという状態はなかなか変わりそうにない。Economistがこの点について記事を書いていましたので紹介します。

喚き声のスタート
新しい国連組織が愛されなかった前任組織よりはましなことができることを証明しようと奮闘中。イスラエルへの強迫観念のおかげで、それはまだできていない。

2年前、60年の歴史をもつ国連人権委員会は見捨てられた。当時の国連事務総長のコフィ・アナン氏が述べた理由によれば、世界最悪の人権侵害者がこの組織を「批判から身をかわし、他国を批判するのに」利用したからだ。その後継者たる人権理事会が数ヶ月後に発足した時に、事務総長はそれが新しい機会を「逸する」ことがないように求めた。

多くの者は理事会がこの機会を逸したと感じている。イスラム諸国会議機構と非同盟運動に支配されたこの新しい団体は、前任組織同様に政治化され、一方的なイスラエル・バッシングに没頭していると非難されている。多くの人権組織も、非公式にだが、ひどく幻滅したと語り合っている。

非難の中からいくつか。深刻な人権蹂躙国家をメンバーとして入れていること。キューバ、ベラルーシ、コンゴのための「特別調査委員会」を解散する決定をしたこと。人権高等弁務官事務所の誠実性integrityの保持に失敗したこと。先月、ロシアと中国の援助を受けた理事会のイスラム諸国のメンバーが言論の自由は「宗教と信仰への敬意」のために制限され得るという決議を通そうとして報道の自由を訴える団体をぞっとさせたこと。

理事会には改良のチャンスが与えられるべきだと擁護者は言う。彼らは言う。そう、その通りだ、理事会はその前任団体の多くの過ちを再現している。同じ人々に代表される同じ国々が同じ席に座っているわけで、急激な変化は期待できっこない。「私が望むものにはまだなっていないし、我々が目指すべきものからはまだかけ離れている」と理事会の毎年のローテーションで初代の理事長となったメキシコ人のルイ・アルフォンソ・ド・アルバは言う。

普遍的定期審査(universal periodic review)として知られる新しいプロセスによって理事会の浮沈が決まると彼は考えている。これが理事会と前任組織との主要な差異を示している。委員会はしばしば十数カ国にだけ焦点を当てたが、これらの国々は批判者を窮地に追い込むような強い味方がいないせいで狙い撃ちにされたのだと不満をこぼす。ある意味で彼らは正しい。弱く、味方のいない国々(カンボジア、ソマリア、北朝鮮、スーダン)による人権侵害は非難されるが、例えば、中国、ロシア、サウジアラビア、パキスタンによる同様な罪は見逃されるのだ。

今や、安保理常任理事国を含めて全メンバーが公的な場でのヒアリングとウェブキャストのライブで4年毎に同輩によるレビューを受けなくてはならない。批判者はみせかけを恐れるが、擁護者はこのプロセスに機能するチャンスを与えるべきだと言う。

このレビュー・システムの下で3つの報告がなされた。地元のNGOと協力した政府によるもの。他の国連機関からのデータも用いた人権高等弁務官によるもの。国際的な人権団体によるもの。こうしたリポートを調査した後に、理事会メンバーはレビューされた国に3時間の質問を行う。3カ国の理事会メンバーによる評価が勧告とともに理事会に提出される。

最初の16カ国のヒアリングが先週完了した。ほとんどの国が入念に準備をした。多くは大臣を長にした大きな代表団を出した。来月のパキスタンも含む第二回のヒアリングはもっと大変なテストになるかもしれない。何カ国かの人権侵害国は妨害によってこのプロセスを頓挫させようとするかもしれないが、これはカメラにとらえられるだろう。違反者は批判者に対して敗北させると言うかもしれないが、告発者や被告発者によってプロセスが真剣に受け止められないことを意味しない。レビューはマルチラテラルな援助の決定を左右し、地元のアクティビストを励ますだろう。

理事会の働きぶりがわかりにくいとしたら、それは産みの苦しみが長かったからである。国連改革のパネルが「信用できない」53のメンバーからなる委員会を置き換えることを最初に示唆した時に、192カ国の国連全加盟国の人権エキスパートの理事会が議題にのぼった。これはアナン氏によって拒否されたが、彼は人権の「最高基準」を保持することを任された20から30カ国のメンバーからなるより小さく、より集中した団体というアメリカのアイディアを採用したのだった。

多くの押し問答の末に、前任団体よりわずかに少ない47カ国のメンバーからなる団体が立ち上げられた。総会の多数決で選出された(提起された3分の2の多数決の代わりに)そのメンバーは人権への「自発的な忠誠」そのものの事前テストを受けた。多くの最悪の違反者は選挙に出ることを拒否した。しかし中国、キューバ、ロシア、サウジ・アラビアは戻ってきた。

新理事会の強さと称するものはそれがほとんど常時機能するという事実である。かつての委員会は一年に6週間のセッションのために開かれた。この理事会は少なくとも3回のレギュラーなセッションで年に10週間、それプラス必要ならば少なくともメンバーの3分の1によって招集される「特別」セッションのために開かれる。緊急事態が悪い時に起きてもはや無視されることはない。

誰も予期しなかったのはイスラム諸国がこの手続きをイスラエルを狙い撃ちにするのに利用するその程度であった。6回のうち4回の特別セッションがこれまで招集されたが、ほとんどすべての決議がイスラエルに向けられてきた。2回の特別セッションがミャンマーとダルフールに関して開かれたが、中国、ジンバブエ、コロンビア、イラン、パキスタン、トルクメニスタン、サウジアラビア、エジプト、キューバ、ベラルーシの人権問題についてなにも言われていない。

反イスラエル決議のスポンサーが主張するには、国際法を侵害していると広く合意されている行動を非難するフォーラムは他にない。クラスター爆弾の使用、ガザの封鎖、拘留者の不当な扱い、「目標殺害targeted kiliings」などなど。安保理にこうした問題を提起しようとしても、アメリカの拒否権に直面する、と彼らは言う。しかしおそらくはイスラエル・バッシングは理事会が他の問題と取り組む気がないことを単に覆い隠すものである。

ムスリムと非同盟諸国はしばしば自身の誤りを無視して貧困国における侵害ばかりに焦点を当てると西洋を批判する。しかし彼らは理事会でいわゆる豊かな世界の悪事─テロリスト容疑者の不当な扱いのような─に対して行動を起こそうとしない。それは貧しく、怒る国々が人権で責めることによって強力なパートナーや援助ドナーとの関係を揺るがすことをためらっているからかもしれない。イスラエルに向かうのがもっと容易いのだ。

理事会の47カ国のメンバーのうち23カ国を─絶対的多数に1カ国だけ足らない─アメリカのシンクタンクのフリーダム・ハウスが「自由」としてランクしている。これに対して10カ国は「不自由」と記述される。なぜ「自由」諸国がイスラムや非同盟ブロックとバランスしないのだろうか。おそらくはこうした諸国はジェノヴァだけで17団体もある国連システム全体でなされる大きなトレード・オフで手を結びたいと思わないからだろう。貿易のような「より重要な」問題に関する取引がジェノヴァの廊下でいつもなされているのであり、市民的自由は容易く負けてしまう。

人権は国連が依拠する3つの柱のひとつである。60年前に調印された世界人権宣言は偉大な達成と見なされている。しかしどの権利が重要なのかで巨大な不一致がある。豊かな世界は優先されるべきは市民的、政治的権利だと言い、貧しい国々は経済的、社会的、文化的権利がもっと大切だと言う。新しい理事会はこうした議論がとりわけ激しくなっている時に生まれた。しかし2年足らずで真の対話の希望はイスラエルへの強迫観念を前にして色あせていく。

1月にアメリカは理事会がイスラエルのガザでの行動を非難し、イスラエルへのパレスチナ側のロケット攻撃の批判を拒否したセッションを非難した。ガザの状況を追い続けることは正しかった、と国連事務総称のバン・キムン氏は言う。しかし「理事会が同じくらいの関心と緊迫性をもって世界中の他の問題を見るならばそれを私は評価するだろう」と付け加えた。
(了)

というわけでさっそく機能していないようですね。途上国による先進国攻撃の舞台になりがちな傾向は相変わらずのようであります。もちろんこのたびのチベット問題もスルーでしたし、そのことでずいぶん揶揄されていました。メンバーの構成を変えない限りは駄目でしょう。Universal periodic reviewとかいうのも機能するんでしょうかね。日本にいるアクティヴィスト達もちゃんとreviewするシステムを構築しておかないとまたイデオロギー的に利用されるだけの予感がします。

ところでなんで日本のメディアは国連の実態を隠蔽し続けるのでしょうかね。国連スキャンダルの時も日本だけ静かなものでした。単に国内のどうでもいいようなトリヴィアルなネタ以外に興味がないのか、それともイデオロギー的に国民に知って欲しくないのかよく分かりませんが(前者にベット)、国民を目隠し状態にして幻想を煽るやり方は詐欺罪にあたると思いますのでそこのところは夜露四苦。

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自己責任の原風景

「決闘裁判 ヨーロッパ法精神の原風景」山内進著
本書は西洋法思想史を専門とする著者による「決闘裁判」を扱った新書です。決闘といった時に思い浮かべるのは貴族の子弟が御夫人方との色恋をめぐって対決するイメージとかでしょうか。ところが決闘裁判はその名の通り、私闘ではなく、公的な裁判制度の内部にある裁判手法のことです。現在の目から見ると「愚かなこと」をしているなあということになるわけですが、イングランドでは19世紀になるまで認められていた制度であります。著者はこの決闘裁判に西洋社会における「当事者主義」の原風景を見ています。話は現代アメリカの裁判制度にまで及びますが、時に我々に激しいなあと感じさせるあの攻撃性の根源は、著者によれば中世社会の自力救済主義の伝統の中にあるとされます。非常に高揚感のある文体で読後、なにかそわそわしてしまったことを付け加えておきます。

まずローマ法の影響の弱い初期中世ヨーロッパにおいては裁判とは「神判」であったわけですが、具体的には熱湯裁判、熱鉄裁判、冷水裁判、決闘裁判といったやり方で神の意思が露にされ正義が実現されたといいます。熱湯に手を入れて火傷するかどうか、灼熱の鉄を持たせて火傷するかどうか、水に入れて浮かべば有罪、沈めば無罪とかいった具合です。日本の古代のクガタチと同じですね。決闘裁判は法廷で当事者に武器を持って戦わせ、その勝者を正しい者とする方法でありますが、これも神の関与のせいと理解されていたのでれっきとした神判でありました。ただ偶然に左右されにくいこと、一対一の主体的な戦いであり、神の関与なのか本人の力量なのかよく分からないという点で前三者とは異質であり、それが長続きした理由でもあるとしています。

決闘裁判がどのように行われたかについては豊富な事例で解説がしてありますが、三類型に分けられるとしています。ひとつは当事者同士の決闘、次に判決人に対する決闘、最後に一方の側を助ける宣誓補助者および証人に対する決闘、または証人同士の決闘です。決闘をする資格があると考えられていたのは基本的に「武装権」を有していた騎士階級でありましたが、実際には農民、市民、女性や老人も決闘に加わっていました。しかし老人や女性や子供などハンデが大きい人は自分に代わって戦ってもらうケースが多かったそうです。これを代闘士(チャンピオン)と呼びますが、親族から出る場合もあれば、プロフェッショナルもいました。著者は後者を区別して決闘士と訳し分けていますが、彼らは非差別者でありました。ローマ法の復活以降には剣闘士と同一視され法的無能力者の地位に甘んじていたといいます。決闘の具体的なやり方はコード化され、フェア・プレイの精神が尊重され、降参するか殺害されるまで続いたといいます。

このように決闘裁判は暴力的ではありますが、紛争を解決するための公的な裁判手続きでありました。これは暴力と武力が跋扈し、紛争がフェーデ(私戦)によって解決されがちで、これを抑えきる公権力がなお生成途上であったような社会において、これをなんとかを公的枠組みの中に組み込み、飼いならす手段として発達したとされます。13世紀ぐらいになると神判が教会から批判され(第四ラテラノ公会議)、禁止令が多数出されるようになり、世俗権力や都市もこれに倣い、先ほどの三類型は徐々に消滅していくのですが、決闘裁判だけはしぶとく生き残ります。それでも16世紀半ばぐらいまでに世俗的で公権的な裁判制度が樹立されるに従ってきわめて自力救済的な要素の強かった決闘裁判は終焉をむかえたといいます。ただ「名誉」を重んじる気風はかわらず私闘そのものは続くことになります。

ところが決闘裁判はイングランドにおいては19世紀までしぶとく残ります。イングランドでも先ほどのラテラノ公会議を受けて神判を禁止したわけですが、この時にこれに代わるものとして生まれたのが例の陪審制度(判決陪審)であります。しかし陪審制度というのは現在のイメージと異なり、王権によって上から押し付けられた制度ととらえられたため、これを拒否する権利感情は強く、決闘裁判が自由の証とみなされたといいます。したがって陪審と私訴との選択肢はこの後も維持されることになります。私訴の手段としての決闘裁判への批判は続きますが、多くの自由主義的な論客達がこれを自由の証として正当化しました。しかし1818年に「アシフォード対ソーントン事件」を最後にイングランドでも決闘裁判が廃止されることになります。

なぜ決闘裁判が続いたのかについて著者は自由と名誉の精神を強調します。中世ヨーロッパ社会においては権力の分散によって多数の独立した自由人や中小の権力者が存在し、それが相互援助的なネットワークを結んだこと、さらにそこでは権力に頼らない自力救済の精神、自立と結びついた名誉を重んじる気風、自己責任に裏打ちされた自由主義が成立、発展したことが、多くの批判にもかかわらず、この制度を長続きさせた根拠であるとしています。また中世において名誉と権利とは不可分の概念であり、自身と親族の権利は自力で防衛しなければならないし、それが名誉であり、正義であったといいます。キリスト教的な観念で粉飾されているが、それはキリスト教に先立つものであり、また教会の批判にもかかわらず存続した事実に表れているように、決闘裁判の本質は戦士的資質をもつ者達による自力救済であるとします。

最後に著者はアメリカをこの中世ヨーロッパの伝統の後継者と見なしています。絶対王政を知らない民であるアメリカは、市民の自由と自力救済のシステムを直線的に発展させ、可能な限り公権力に頼らず、それを制御する制度と精神を築き上げていった。アメリカの「市民の武装権」も「個人の権利」も近代的というよりも中世における自力救済の思想に根ざしているといいます。大陸ヨーロッパが公権力優位の「糾問訴訟」を発達させていたころ、イングランドでは当事者を訴訟の中心に立つ方式を維持したわけですが、それがアメリカにいってさらに拡大深化したと。特にアメリカの裁判を特徴づける「当事者主義」にそれが見られるといい、形式的にも精神的にも中世ヨーロッパの裁判、特に決闘裁判との類似性を指摘しています。

当事者主義についてはジェフリー・ハザードの言葉。
「アメリカの当事者主義は、当事者間の対立に重点が置かれ、弁護士が訴訟における依頼者のための戦士としてあらゆる手段を尽くし、全力をあげて相手方と闘うことを強調する概念である」
「当事者主義は、イングランド・アメリカ的法伝統に深い根を持っている。その先行者はノルマン人の決闘裁判だとしばしば言われる。この決闘裁判のもとで、疑わしい争点が決闘の結果によって解決された」
またジェローム・フランクの言葉。
「訴訟とは法廷で行われる合法的戦闘である。それは歴史的には(そして現代においても)拳銃や剣による私的な戦いの代用品である。ナイフや拳銃を使って相手にこちらの望むことをさせるかわりに、いまでは相手を殺さない武器、つまり説得という道具を用いて・・・裁判所で戦うのである」

以上のようにフェーデの代用としての当事者主義の裁判というものの原風景をなしているのが中世の決闘裁判であるといいます。最後に結論的な部分を引用しておきます。著者によれば欧米社会における権利意識の強さはその近代性に求めるべきでなく、中世的な伝統がそのコアにあるということになります。

「日本の法律家たちの多くは、権利や自由を重視する考えは、近代の啓蒙主義やフランス革命、あるいは人権宣言によってはじめて登場した、とこれまで考えてきた。その考えによると、権利と自由こそ近代社会の指標にほかならない。日本人が権利意識に乏しく、裁判を嫌うのは、後進的で、近代化が十分でないからである。近代化を推進するために、われわれは、権利意識を高め、裁判に訴える機会を増やさなければならない、と。
しかし、決闘裁判の考察から明らかなように、「権利のための闘争」はヨーロッパの土壌に深く根ざしており、歴史的かつ文化的なものである。われわれが「権利のための闘争」に違和感を覚えるのは当然であろう。権利主張が義務であるかのように語られることそれ自体が矛盾であり、その違和感の存在を証明している。
しかし、その戦いは、実はそれほど颯爽としているわけではなく、凄惨で暴力的だった。戦いには流血はつきものである。決闘裁判がもっとも具象的に示しているように、欧米世界で発達した裁判においては、血と暴力という陰と、権利と自由という光が交錯している。裁判だけではない。法も同様である。この光と陰の交錯が欧米の法文化を彩っているといってもよいだろう。おそらく、現代の国際社会においても、欧米諸国によって法と正義が語られるとき、このような光と陰の交錯は避けられない。」

新書ということもあって飛躍が多いような印象も受けましたが、著者の雄弁にはなかなかうならされました。もちろん欧米近代というのは中世ヨーロッパの伝統の普遍化として存在しているわけですから、その法意識を理解するためには過去に遡るという作業は必須でありましょう。決闘裁判という個別の制度にどこまで多くのものを読み込めるのかわたしには判断がつきませんが、英米法における当事者主義というものが(もちろん大陸にもそういう要素はありますが)、自身の起源として決闘裁判のイメージを抱いている点は非常に勉強になりました。最後にアメリカってなんだか中世っぽいなあという印象はやはりそれなりに正しいのですね。

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毎日新聞英語版は誰にハックされているのか

毎日新聞のサイトの日本語版と英語版の間の差異について考え込んでしまうこと、それはネットにおける日本関連情報の発信構造について多少の関心をもったことがある人のほぼすべてが経験した事柄でありましょう。そしてなぜこんなことになるのか疑問に思って、どういう編集になっているのだとメールを送ってみたものの、無回答であるという経験をしたことがある人も相当数にのぼることもわざわざ付け加えるまでもありません。そしてこの有名な話が日本語の世界の方ではタブーかなにかのようにあまり語られないという事実は日本ネット界の七不思議の一つといってもいいかと存じます。

この毎日新聞英語版とはなんなのかという問題をめぐってはこれまでに英語圏では考察がなされてきましたが、特に焦点になっているのがいわゆるWaiWai問題と呼ばれるものです。先に述べましたようにグーグルと毎日とが結託しているのかなどと邪推したくなるほど(ええと冗談ですよ、もちろん)この問題について日本語で言及している事例がヒットしないわけですが、WaiWaiというのはRyann Connellなる人物が日本のタブロイドから刺激的なエロ記事ばかりを「クリエイティヴに」翻訳して紹介するという趣向のコーナーです。

裏とりなどない創作記事がほとんどですからこれは端的にデマゴギーといっていいでしょう。それで問題なのはこれを読む読者の側に週刊誌リテラシーが必ずしもないという点です。つまりこれを事実として受け止めてしまう人が多いわけです。さらに問題なのは毎日新聞は記事の責任を負わないと明言し、このConnellなる人物もこれはただの翻訳なんだと開き直っている点です。つまり日本を代表する新聞が責任を放棄した上でデマを流しているという状況です。

なにをそんなに真面目になっているのだと思われるかもしれませんが、そして実はあまり真面目になっているわけでもないのですが、この放置された状況がいかに日本に関する情報を歪めているのか、英語圏との人間とのコミュニケーション上の摩擦の原因になっているのかを考えると、毎日新聞英語版問題というのは、ここでは言及しませんがJapanTimesをめぐる問題と同様に、あまり過小評価しないほうがいいような気もします。

例えば、Neojaponismeが「いかにして世界は日本を学ぶのか」という古いエントリでこの問題を採り上げています。

ステップ1: 実話ナックルズの書き手が、六本木の特別なレストランについて想像的なストーリーを書いて日本人の富裕層の倦怠にまみれた性的放蕩を風刺する。このレストランではパトロンは食べる前にその材料となる動物と獣姦をするのだと言う。(ご承知のようにこの雑誌はいつも「実話」という語をタイトルに入れて真実を語るのだ)

ステップ2: 毎日新聞のRyann Connellが何十とあるうちからこのセンセーショナルなストーリーを採り上げ、アイルランドの俗語調で英語に翻訳する。Connellはその信憑性について中立的なスタンスをとるが、なぜこの記事が個人名を挙げないのか疑問視しないし、この幻想的なレストランの存在を確認もしない。

ステップ3: 多くのコンピューターとキーボードをもつ連中がこの毎日の記事にリンクして、日本人の正気性について疑問視するコメントをつける。

ステップ4: ConnellのWaiWaiの記事をめぐっておしゃべりしているうちにBuzzFeedで「獣姦レストラン」というタイトルのエントリが立つ。あたかも一件だけでなくそれが日本の新しいトレンドであるかのように。

ステップ5: おそらく近い将来には衰退するのだろうが、金持ちが食べる動物とセックスするのに金を費やす日本は全世界で最も狂った国であると思って我々は安心して眠ることができる。

ステップ6: この記事がBuzzFeedにエントリされるとメタ的に情報が爆発する。

こういう形で情報が流通するわけですね。このエントリについたコメントを拾うと、前に紹介したWestern Fear...のブログ主のCalligraphy Kidさんが「もし毎日のWaiWaiがなくなったら日本嫌いの日本在住者が自分達のためにつくったオンラインの帝国は崩壊するだろうね。そしたら低俗好みのギークはどこにソースを探すだろう。WaiWaiのアーカイブ?」とこのコーナーの記事が日本嫌いのくせに日本に張り付いている連中の餌になっている事実に言及しています。また7374e9さんは「ありがとうMarxy(ここのブログ主)、これは分析的社会学の宝庫だよ。Ryann Connellはおいといて(こいつの目的はなんなんだ?こんな漫画のストーリーを紡ぐほど馬鹿じゃないはずだけど)僕が驚いたのは「コンピューターとキーボードをもっている連中」だよ。連中はウィットもなにもなく永遠に排外主義的な日本人なる概念(全アジア人?)をまた不朽化し、示そうとしている。まるで宇宙人かなにかのようにね。マッカッサー将軍とかペリー提督みたいなのが啓蒙の必要な「幼稚な」人種と日本人をみなしたことを思い出させるよ。この手の連中は数えきれないほどいるわけだ。これってヨーロッパ、最近ではアメリカの不滅の文化的傲慢なわけかな。ユニークな民族/文化という日本人の自画像が白人の精神に浸透してこういう神話の形でバックファイアーを起こしたのかな」と文化-政治的分析を簡潔に提示してくれますが、これに対してMattさんは「いや僕はWaiWaiは日本人と同じタブロイド・ジャーナリズムを外国人にも楽しませようぐらいの話で「白人のパワー」みたいな意味合いは読み取ったことがなかったな」とためらいがちにコメントしています。

またMarxyさんは「日本の調査報道が虚構のストーリーも伝えるタブロイドにまぎれこんでいるという基本的問題」を指摘し、「情報が多い方がいいとは思うが、WaiWaiの「中立性」を装った伝え方がこの種の問題を生む」と言い、ソースの信頼性の軽重を日本経験のない人にはつけられないと述べています。こうしてわたしもいつも不思議に思う日本のメディア構造の奇妙さ(新聞と週刊誌の階層関係)に言及しつつ、こうした馬鹿話が本気で読まれている危険について指摘してくれています。またAcefaceさんはRyannには興味はないけれど「毎日が日本で三番目に大きく、尊敬されている(ほぼ毎日調査報道をしている)新聞であることを考えるとトラックバックほしさの動物愛にまみれたそのウェブページは自分達がつくりあげたジャーナリスティックな評判を汚すことになる」とごくまっとうな意見を開陳しています。実際、英語圏では毎日新聞というのは低俗タブロイド誌だと思われているわけです。

さらに前にも紹介したAnna Kitanakaさんのブログでも毎日新聞英語版問題は何度か採り上げられています。中でもJustin Pottsさんの書いた"I love the Mainichi Shimbun online. Sort of."というエントリが簡潔に問題の所在を指摘しているので紹介します。以下要約です。

私はある意味毎日新聞を愛している。同じ新聞社の同じ記事の英語版と日本語版を記録していることで、このサイトはいかにニュースがそのオーディエンスに向けて仕立てられるかの興味深い窓となっている。ニュースとエンターテイメントの間には明確なラインがあるが、とりわけ英語版の方では後者のエンタメ志向が疑いの余地なく読者を増やしている。Kitanakaさんが以前指摘したように内容は戦略的に選択され、記述スタイルも意識的に心をくすぐるようになっている。これは日本語版も英語版の両方に言えることだが、興味深いことにこの2つの間に不一致がある。

英語のホームページを開くと、最初に気づくのは仰天すべき性犯罪の記事の多さである。このどれも米軍のレイプのケースとは関係ない。これはすべて日本人により女性に対して犯された犯罪である。記事のどれをクリックしても問題の記事だけでなく「関連記事」の下に大量の類似のストーリーを読むことができる。しかし同様の記事の日本語版をチェックしても存在したとしても「関連記事」はいつも少ないか、全く存在していない。

これは日本人の読者がこうした事柄について聞きたいと思わないことを想定しているのか。それとも英語版の編集者が自国のメディアのセンセーショナルな傾向に頼っているということなのか。

どちらにしても私は毎日新聞には最初に述べたほど興味がない。そう、嘘をついた。実際、私は内容についてこんなに極端な不一致をもってぬけぬけと報告するような新聞社を尊敬するのは難しいと思う。これはまたジャーナリズムの世界への、それからバイリンガルなリポートとかいうもののヤヌスの双頭のような二元性への興味深い窓である。

というように毎日新聞英語版はセックス・ニュースばかりに力点が置かれているという状態になっています。さて、いったい誰が毎日新聞英語版をハックし、ヴァンダライズしているのでしょうか。クリック数を増やしてくれという指示以外になにかそこには社としての方針はあるのでしょうか。社として英語版がどうなっているのか本当に把握しているのでしょうか。また英語版を書いている日本人および外国人はいったい誰に向けてどういう意図で発信しているのでしょうか。またここで発生している日本をめぐるステレオタイプの問題に責任をとる気はないのでしょうか。インフォテイメント街道を走っているのは他の新聞社も同様ではありますし、これは日本に限った話でもないのですが、毎日のケースは群を抜いていると思います。この英語版と日本語版の二枚舌やデマの垂れ流しに端的に表れているように正確な情報を伝えるという意思ももう放棄してしまっているようなのですから。もはや大上段に振りかざす正義や道徳がなにかしら空疎な印象しか与えず(理念が必要ないという意味ではなく現実とずれ過ぎているのが問題だと思います)、正確であること以上にメディアに要求される徳目はないかのような状況であるだけに、この最後の橋頭堡とみなされるものを自ら掘り崩しているかに見える毎日新聞がどこに向かっていくのか心配であります。

追記
一ヶ月以上前に書いたこのエントリに最近アクセスが増えているようです。私の立場を改めて記しておきます。まず私はWaiWaiの翻訳を担当している人物を個人として非難する意図はさほどありません。悪ノリが過ぎるとは思いますが、結局のところ、日本のタブロイド界ってこんなすごい!みたいなノリの人なんでしょう。まあ日本にもいますよね、アメリカ・バカニュース・マニアとかイギリス・タブロイド・ファンとか。私が批判しているのはタブロイド記事をそのまま毎日新聞という日本を代表する新聞が掲載しているという一点にあります。これが「素晴らしき日本タイブロイドの世界」みたいなサイトでしたら何も申し上げません。毎日新聞だから言っているのです。掲載されている記事に関しても、週刊新潮とか文春の記事ならまあいいとしましょう─ご承知のようにちゃんと裏とれているかという記事も多々ありますけれどもね─でも誰もが嘘だと知っている「実話系」の記事を我が国を代表する新聞がプッシュしているという構造は端的に言って醜悪です。虚実の境界線上を楽しむみたいなリテラシーをもつ人は世界的にはかなり限られているのですよ。実際、真に受ける人続出になっているわけです。というわけでさもしいクリック稼ぎを断念して即刻コーナーを終了するか、すべての記事の冒頭に「嘘ニュースも紛れ込んでいるかもれませんのでご注意を」と大きく明記するか、どちらかの案を採用することを提言します。なお責任は負いませんというのは駄目ですよ、デマゴギーを世界に向けて発信しているのは毎日新聞さん、あなたなのですからね。最後に一応ことわっておきますが、私は毎日を反日新聞だ!とか商業主義に毒されやがって!とか罵っているのではありません。一情報消費者として貴社に商品の品質管理を要求しているだけです。

再追記
実話ナックル→実話ナックルズでした。関係者の皆様失礼いたしました。

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フリー・コルシカ?

中国の反仏デモでデモ参加者の一部が掲げたハーケンクロイツの書かれた三色旗はフランスのメディアで大きくとりあげられました。大衆レベルではどうもこれがひとつの象徴になってしまっているようで、それはそれで不幸なことだと思います。別にこの旗ひとつのせいで中仏関係がどうなるというわけではないのですが、またそのせいで現在フランスで反中感情が亢進しているというわけでもないのですが、こういう画像というのは人々の無意識にけっこう訴えかけてしまうわけです。一部の愚か者の軽挙が無関係な多数の運命に直接的ではないにしても微妙な仕方で作用してしまう理不尽になにか言いようのない感情を覚えますが、これだけメディア化、情報化が進んでしまった世界ではこの種のノイズの果たす役割は無視できなくなるのでしょうね。

で、この旗にはジャンヌ・ダルク=娼婦、ナポレオン=変態、フランス=ナチとか中学生レベルの中傷が書かれていましたが、最後にフリー・コルシカ!というのがありました。これに対しては、は?という反応がフランスでも一般的なわけですが、Marianne2がこの件でコルシカに取材していましたので紹介しておきます。

その前に、コルシカの複雑な歴史については、日本語のWikipediaでも概要はつかめますので御一読を。この島の歴史は周辺諸国の動向に左右され続けています。先史、古代は割愛しますが、中世に入ってカール大帝がこの島を版図に組み込んだ後にローマ教皇に譲渡し、教皇はピサ司教にこの島の管理を委任しています。こうして中近世を通じてイタリアの都市国家ピサ、そしてジェノヴァの植民地の時代が続いています。コルシカ史にとって重要なのが独立運動の指導者であるパスカル・パオリ(1735-1769)の時代で、近代のコルシカ独立運動もこの時代の記憶に依拠していると言われます。パオリの下でジェノヴァに対する独立宣言がなされ、憲法、国歌、国旗、通貨、徴兵制など諸制度を創設しますが、フランスの介入によってこの近代国家樹立の試みは頓挫します。この憲法がフランス啓蒙思想家に与えた影響は意外に大きく、アメリカ合衆国憲法にも着想を与えたと言われるほどです。その後、ナポレオンを生み出したことで有名なフランス領コルシカになるわけですが、言語政策などを通じて徐々にフランス化します。コルシカのイメージにとってメリメの旅行記が果たした役割が大きいわけですが、日本でもヴァンデッタ(復讐)とマフィアの島のイメージはけっこうあるでしょう。

断続的に政治運動はあったのですが、1965年から1970年代にかけて地域主義者、自治主義者、民族主義者の運動が過激化します。有名なのが1975年のアレリアで医師エドモン・シメオニが先導した武装集団の闘争で死傷者も出ました。76年にはFLNCが民族自決権を要求しますが、政府は地域議会を設置し、2つの県に分割してこれに応じます。この後コルシカ議会が権限を徐々に拡大していくことで過激な主張は後退していきますが、孤立化する民族主義者によるテロが断続的に起こっています。今でもたまにニュースになっています。また民族主義者はマフィアとのつながりが深い。そういうわけでコルシカの民族主義者というとこわいイメージがあります。ちなみに選挙や調査の結果から島民の9割は独立は望んでいないことが知られています。文化的なアイデンティティーの主張という点で民族主義者が共感を呼ぶ土壌はあるようですが、フランスに経済的に依存していることもあり、高度な自治の享受というのが主流のようです。

話が前後しましたが、以下記事を訳します。コルシカのリアクションです。

「コルシカ人民共和国万歳!」[Marianne2]
中国の「フリー・コルシカ」のスローガンは美の島で困惑をもって受け止められている。民族主義者は別の同盟者を好んだだろうし、地方当局も別のスローガンを好んだだろう。

「フリー・コルシカ」。中国の新しいスローガンは皆にとって不意打ちであった。ボイコットとチベットの状況への非難に直面して、数万人の中国人が今週末、北京から昆明、青島を経由して合肥に至るまでの多数の都市でコルシカ独立を訴える旗を掲げた。美の島では・・・不満。

蛇のキス
一方で民族主義者は悦に入っている。この世界的に報じたられたデモは彼らの地獄の広告となっている。「ここではメッセージは広まったよ、もちろん。みんなそのことについて語っている。中国人がコルシカ独立を望んでくれたことは嬉しいよ」と独立主義政党Corsica Nazione Indipendenteの闘士ジャン・ギ・タラモニは反射的に喜ぶ。民族主義の指導者は北京を同盟者にしたいのだろうか。彼は言う。「別に驚かないよ。フランスはいつも全世界に人権について説教をするが、コルシカ問題でフランスに反対する人も稀ではないし」と。例えばパリがコソボ独立に賛成した時にセルビアのメディアにインタビューを受けたことを彼は誇り高そうに想起する・・・難しいのは、今週末にメディアで伝えられた中国の旗に「ジャンヌ・ダルク=娼婦」さらにはなんと「ナポレオン=変態」の文字を読むことができたことだ。なんのことだろう、フィガテーリ(コルシカのソーセージ)を食べて喉を詰まらせるではないか。もう一つの小さくない問題。民族主義者はチベット人よりも中国人の列に並ぶつもりなのだろうか?あえてオリンピックのボイコットを呼びかけることはしないが、自分の運動は「その文化が消滅の危機にあるもう一方の人民」への共感を表明せざるを得ない、とジャン・ギ・タラモニは認める。簡単に言うと、世界的な反響を呼ぶ支持を拒否し難いが、この支持は望んだようなものではないことを認めざるを得ない、ということだ。

不満は「共和主義」の地方当局の側でもっと大きい。コルシカ議会の議長のカミーユ・ド・ロカセラ(UMP)はチベットとこの美の島とのこの比較には「シュールリアル」なものを感じると述べる一方で、「このスローガンを重要なものとしないため」にどうするのかという事に関しては質問に答えることを拒否する。バスティア市長(PRG)のエミーユ・ズカレッリはもう少しまじめだ。「チベットの状況がそれほど深刻でないならば、中国政府によるチベットとコルシカの同一視はただの茶番で済むだろう」「しかし状況は私を意気消沈させる。なぜならフランスと中国の間の重要な差異─民主主義─を覆い隠すことをねらった馬鹿げた工作だからだ。コルシカ独立に関する議論は自由で民主主義的な選挙の際に選挙民によって常に多数によって拒否されている」と付け加える。もう少し静かにして欲しいと願っているようである。もし中国人が他の場所を見て「フリー・コルシカ」で旗を汚すのを止めるならば、ズカレッリは文句を言わないだろう。バスティアの市庁舎では警戒が走っている。「よし、彼らはTシャルを投げたのか」(意味不明。民族主義者のテロを警戒しているという意味でしょうか)。いや、まだだ・・・
(了)

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悪魔の弁護人

日本にも極めて悪質な犯罪者の弁護をあえてかってでることで有名な名物弁護士さんが何人かいますが、おそらくジャック・ヴェルジェの上のいく人はそうはいないだろうと思います。このたびまたしてもカンボジアのジェノサイドに関する裁判でクメール・ルージュの元リーダーの弁護を彼が引き受けたという話をBBCのニュースで知り、ああまたやってるなと思った次第です。光市の例の事件で弁護団がずいぶんメディアや世論に批判されていましたが(結局、死刑判決が出たんですね)、ヴェルジェのレベルまでくると、ある種畏敬の念の入り交じったような独特の感慨を抱かせるものがあります。事の是非は別にしてです。2004年ですから古いのですが、フセイン裁判の時のこの人のプロフィールをまとめたBBCの記事がありましたので紹介します。まあこういう弁護士もいるのですよと。

ジャック・ヴェルジェ 悪魔の弁護人[BBC]
ジャック・ヴェルジェは、その長いキャリアの中で、ナチ戦犯のクラウス・バルビーとカルロス・ザ・ジャッカルの弁護をしたことがある。彼によると旧ユーゴの指導者スロボダン・ミロシェビッチの代弁もしたことがあるそうだ。79才のヴェルジェ氏はカンボジアのジェノサイドの背後にいたクメール・ルージュの指導者ポル・ポトの友人であったとも言われる。論議の的になるキャリアから彼は「悪魔の弁護人」というニックネームを得た。旧イラクの首相だったタリク・アジズの弁護もするつもりだとヴェルジェ氏は言う。

ジェノサイド
裁判の詳細が─日時や罪科やどこで開廷されるのかすら─明らかになる前に、彼はサダム・フセンインのために行動することに同意した。罪科にはジェノサイドと人道に対する罪が含まれるかもしれなかった。BBCのヒュー・ショフィールドが言うには、彼は不人気な戦いをこそ行うことを生涯の職務にしているのだから、ヴェルジェ氏の50年のキャリアを追ってきた者にとっては、これほど論争を巻き起こすようなやっかいな人物をクライアントにすることになんら驚きはない。

ヴェルジェ氏はタイでフランス人の父親とベトナム人の母の間に生まれ、フランス領であるインド洋の島ラ・リュニオンで育ったが、この島で彼は壮烈なまでの反植民地主義的な世界観を獲得したとされる、と特派員は言う。第二次世界大戦では彼はシャルル・ド・ゴール将軍の自由フランスのレジスタンスで戦争の英雄としての評判を得たが、後には共産主義者となった。

アルジェリア戦争の間は彼はフランスへのテロで告発されたアルジェリア人達を弁護した。彼のクライアントの一人はアルジェのカフェに爆弾を設置した罪で1957年に死刑宣告を受けたDjamila Bouhiredであった。彼は彼女の判決を減刑させること成功し、彼女が釈放された1962年に彼女と結婚した。

後、1970年代には彼は極左と極右のチャンピオンとなり、イスラエルへのパレスティナの暴力やネオ・ナチの爆弾犯人の弁護もした。リヨンのブッチャーとして知られた元ゲシュタポのチーフのクラウス・バルビーの1987年の裁判のオファーがあった時には、エスタブリッシュメントの偽善と彼が見るところのものを暴露する機会に飛びついた。しかし彼はバルビーの341もの罪─ユダヤ人の子供を強制収容所に移送した罪も含まれる─に対する終身禁固刑を妨げることはできなかった。

カルロス・ザ・ジャッカル
爆破、誘拐、ハイジャックのキャリアからカルロス・ザ・ジャッカルとして知られるようになったヴェネズエラ人のイリイチ・ラミレス・サンチェスもまた彼のクライアントだった。この男は1997年に2人のフランス人諜報員を、そして1975年にレバノン人の革命家を殺害したことで終身刑を宣告された。

ヴェルジェ氏によれば、彼は2002年に欧州人権裁判所でハーグの戦争犯罪裁判のためにオランダ人が拘留したことに対するスロボダン・ミロシェビッチが起こした訴訟にも関わった。こうした評判を得ていることがヴェルジェ氏のクライアントの訴訟の助けになっているのか、妨げになっているのかを疑問視する者もある。サダム・フセインがジャック・ヴェルジェに弁護されているという事実そのものがサダムの有罪の証拠であると言うイラク人もいる。彼は「いつもギャングのリーダーを弁護しているけれど、サダムはその一人なのさ」と、イラクの暫定自治評議会のメンバーであるクルド人判事のNureddin Daraは語った。
(了)

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抑止戦略におけるMDの位置

軍事的知識が乏しいにも関わらず、MDについては何度か言及してきました。現時点におけるミサイル迎撃能力の低さと開発コストを理由とした反対論に対してその政治的な意味合いから擁護したいという立場からです。もちろん過大な期待は禁物ですし、これに過度に入れ込むのはいろいろな意味でリスクがあるでしょう。通常戦力の強化を粛々と行うのが基本的には正道だろうと思います。

Coming Anarchyという人気ブログがミサイル防衛のネタをとりあげていました。軍事に詳しい人にはどう思われるのか分かりませんが、わたしみたいな素人にはなるほどなあと頷かせる話でしたのでメモしておきます。テーマは抑止戦略におけるMDの位置づけです。以下要約です。訳ではありません。

抑止(deterrence)とは軍事戦略である。本質的に抑止という戦略は敵の攻撃の決定にネガティヴに影響を与えることを目的としている。これは2種類の抑止によって達成され得る。ひとつは抑止、もうひとつが拒否的抑止(deterrence by denial)だ。前者は攻撃の際に敵に対する大規模な反撃で威嚇するもので、後者は敵の目標の達成をそれをする価値がないほどに困難にすることを目指す。前者の方法は相互確証破壊(MAD)の基礎として有名だ。

抑止にはいくつかの問題含みの仮定が存在する。まずその有用性は敵が理性的であり、理性的な決定を行うという仮定に基づく。またそれは意思決定過程における、技術的なものであれ人間的なものであれ、欠陥というものを許容しないし、敵対国家の意思決定過程におけるならず者(rogue)の影響もまた許容しない。最後に外交過程における失敗や誤解も許容しない。

こうした問題があるにもかかわらず、冷戦時代に抑止は機能した。歴史に名を残す大量殺戮者の一人たるスターリンはパラノイドであり、理性的な行為者と特徴づけるのは困難であるにもかかわらず、我々はなおここにこうして生きていらている。冷戦以後の抑止について最近公表された文書によれば、敵の心理に恐怖と不安を注入することに依存する概念枠組みは厳密に言って理性的なものではなかったし、またこの枠組みは機能させるのに理性的な敵を必要ともしなかったと言う。

ここまでが抑止についての一般論です。理論的にはともかく現実には敵が理性的でなくとも機能したという話ですね。恐怖と不安という人間心理によって。この後、MDの話に移ります。

ミサイル防衛はアメリカによって構築されつつあり、現在NATOによって支持されているが、イランや北朝鮮のようなならず者国家(rogue nations)による核攻撃を防衛するためのものである。イランは抑止可能なのかとかテヘランが核能力を獲得することを許容できるかとか議論されているが、抑止の歴史が教えるところでは、必ずしも敵対国家が理性的な行為者である必要はない。大規模な反撃を通じた抑止は、費用対効果の分析の結果をネガティヴなものにさせるだけではなく、恐怖と不安をひき起こすことも目的だからだ。しかし、ならず者の影響(ならず者司令官やその他個人)、欠陥のある意思決定過程(スタニスラフ・ペトロフの事例)、外交的失敗ないし誤解の可能性が残る。ミサイル防衛はこうした可能性に対するヘッジである。

以上のように抑止戦略にはもともと問題含みの仮定があったわけですが、MDにはこうした可能性を狭めるというヘッジの役割があるという結論です。より洗練された抑止体制を構築するのにプラスであるという評価ですね。相互確証破壊を崩してしまうから危険だという批判を目にすることがけっこう多いわけですが、これはむしろ補強するという説になるのでしょうか。もうひとつは抑止可能な相手とは誰かという話です。いわゆるならず者国家でも抑止可能であるという論点は、北朝鮮についてともかくも朝鮮戦争以降この地域で抑止は効いてきたというライス長官の発言を想起させます。最後に抑止不可能なものとして過激なテロリストの存在に言及して締めくくっています。世界が今直面しているのはこの抑止不可能な相手をどうするのか、どうしたらここに核が拡散しないようにできるのかという話なわけですが、我が国の世論はこちらにはどうも関心が向いていないような気がしますね。日本がイスラム過激派のテロの標的になるという実感が乏しいこともあって。中国や北朝鮮の軍事的な脅威についてこの世の終わりのような悲壮感でもって議論しているのを見ていると、まあでも基本的には抑止可能な相手だからそこまで興奮することもないでしょう、淡々といきましょうよ、と密かに思っているわたしは楽観的に過ぎるのでしょうか。

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BRICsの調子はどう?

BRICsの時代がやってきた!日本も乗り遅れるな!といった煽り文句をここ数年間聞かされ続けているわけですが、煽り文句というものが時に実態を覆い隠しがちであることは世の習いであります。歴史上特筆すべき偉大なる発展であることは論を俟たないのですが、楽観的なものであれ悲観的なものであれ、あまり大げさな煽りばかり聞かされると、幻想を排除して状況を曇りなく明晰に理解したいものだなという気持ちもまた沸き起こってくるものです。というわけで(なにが?)Economistの"Another BRIC in the wall"というタイトルのマーケット観測をメモしておきます。粗い訳です。内容はごく普通の話です。

新興市場の過大評価の危険
ブラジル、ロシア、インド、中国の経済を表すのにゴールドマン・サックスがBRICという言葉を発明したが、これは素晴らしいマーケティング戦術であった。2001年に発明されたこのアクロニム(頭字語)は広く用いられ続け、BRICファンドは新興市場という宇宙の重要な部分を占めている。

実際、BRICsはゴールドマンの元々の期待を凌駕した。2001年11月にこの投資銀行が公表したペーパーにおいて、この4つの経済が10年ほどの間に世界の生産の10%以上を構成することになるだろうと予言された。実際には既に15%にまで到達しているのであった。

中国とアメリカの経済関係が世界で最も重要であるとみなされており、この関係はロンバード・ストリート・リサーチのチャールズ・デュマスの新著の対象ともなっている。中国は石油と食糧価格を高騰させ、Tボンド(財務省長期債券)を押し下げていると非難されている。

BRICsが重要であるのは確かであるが、グループとして均質性があるわけではない。実際には2つに分かれる。単純化すれば、ロシアとブラジルがコモディティー価格、特に前者はエネルギーに賭けている。インドと中国はそれぞれサービス業、製造業の市場シェアを得るべく低い労働コストの国の可能性に賭けている。グループとして見ると、4カ国の関係はなぜだか共生的だ。インドと中国での原材料への高い需要がロシアとブラジルのGDPを押し上げるというように。

今年はここまでBRIC証券市場のパフォーマンスは2つに分かれている。中国とインドがそれぞれ35%と21%の下落に苦しんでいるの対してブラジルは7%上昇と世界でも稀な勝ち組の一人となっている。ロシアはだいたいMSCIワールド・インデックスと同じで6%の下落というパフォーマンスだ。

この不一致の理由の一つは高いコモディティー価格と2008年を特徴づけたグローバルな成長に関する恐れの奇妙な組み合わせであるようだ。この組み合わせがブラジル、ロシアのような資源大国を助けているのだ。もう一つの理由は単純に中国とインドの証券市場が2007年に過熱し過ぎた(上海市場は昨年の2月と10月の間に2倍以上に高騰した)、そして今不可避的な反動に苦しんでいるということかもしれない。

ゴールドマンは4カ国についてのアップデートを公表したばかりだが、減速しているものの2008年と2009年のグローバルな成長の半分ぐらいに貢献するだろうとの見通しである。ゴールドマンの数値では中国は11.9%から10.5%へ減速するとのことだが、オリンピック前に環境汚染と取り組む政府の試みが経済をさらに減速させると予想する者もいる。

ロシアは4カ国の中で最大のインフレの問題を抱えているが(3月には年換算で13%)、年間50%(3ヶ月平均で算出)もの輸出の成長も享受している。他の3カ国も深刻なインフレ問題に直面しており、新興市場は今や先進国市場にとってプレミアムのratingであることを意味している。この状況は過去に激しい後退へとつながったことがある。

悪いことに、かつてのロシアの投資家が残念ながらよく知っているように、こうした市場での外国資本の扱いにはなお望まれる多くのことが残されている。BRICsは大いなるbuilding blocksかもしれないが、沈没することもあり得るのである。
(了)

インフレ圧力をうまくかわせるのかどうか・・・特に中国当局少なくともしばらくはがんばれと言いたいです。ところでゴールドマンサックス命名のBRICsですが、急成長したのがこの4カ国ではなかった世界はどうなったのでしょうかね。というのも経済合理性には反するわけですが、政治的に比較的安定したミドルクラスの国々への投資に集中していく戦略をとった場合の世界の姿はどういうものだったのだろうかと時々つまらぬ想像することがあるからです。

出所 Economist.com, Another BRIC in the wall, Apr 21st 2008.Cga212_3

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地方広域計画についてのメモ

道州制に関するメモとして「道州制ビジョン懇談会」の報告について以前紹介しましたが、こちらは国土交通省の方の「国土形成計画」の話です。この計画の中の「広域地方計画」というのは全国を8つのブロックに分けて地域振興をはかるというものです。道州制の区割りの議論とは別ということでなんだかすっきりしない話ではありますが、同時に進行している動きとして注目したいと思います。

なにが計画対象なのかについては国交省のサイトからコピーしたフォトをご覧下さい。かなり広範囲にわたるようですね。
Img11_2

「ヤフーみんなの政治」に「道州制を先取りした練習問題」というタイトルの記事がありましたのでクリップします。計画の概要と提言です。

直接道州制を名乗ってはいないものの、道州制時代を先取りする動きが始まっている。それが国土交通省が策定を進める「国土形成計画」における「広域地方計画」である。   国土形成計画は、全国総合開発計画を前身とする。1962年の「一全総」以来、5次にわたって描かれた計画は、それぞれ10年程度を計画期間とし、道路や河川をはじめとした分野ごとの公共投資計画を集大成したものであった。 [...] しかし、高度成長を背景とした開発至上主義はバブル崩壊とともに綻び、地方分権の流れのなかで国が国土計画をつくることへの疑問が呈された。 [...]  そこで関係法令が改正され、全総計画に代わって策定されることになったのが国土形成計画である。内容面の目玉は「開発主義からの脱却」が明確に謳われたことだ。「開発プロジェクトてんこ盛り」であった全総から、いわば「成熟社会の国土利用の指針」へと様変わりした。   より大きな特徴は方法論にある。国土形成計画は「全国計画」と「広域地方計画」から構成されるが、従来は国が策定してきた後者を、初めて地域が自らまとめ上げることになったのである。 [...]   これを受けて各地域ブロックは2008年度中に広域地方計画の策定を進める。圏域設定は、東北圏、首都圏、北陸圏、中部圏、近畿圏、中国圏、四国圏、九州圏の8ブロック。境界地域の自治体は相手圏域の検討に加わることが可能とされており、これ自体が道州制の区割りに直結するものではない。また北海道と沖縄は国直轄の振興計画があるため、広域地方計画は策定されない。

というように前身は全国総合開発計画で高度成長期の「開発主義的」な国土計画の軸だったが、バブル以降は「成熟社会の国土利用」へとその理念を転じたという歴史的経緯、また国交省から地方へと計画作成の主導権が移されたことに触れています。この記事は後半で国と地方の垂直調整ではなく地方同士の水平調整の必要性を述べ、うちも空港が欲しいというような都道府県計画の「寄せ集め」ではなく、グローバルな視点をもった地域戦略に裏付けられた「選りすぐり」の計画をまとめ上げるという作業を地方自らが行う練習の機会であると結んでいます。

この記事の主旨にはまあそうですよねと感想なんですが、総務省と国交省と別々にやっていてどこかで一本化しないと競合してちぐはぐな結果にならないかなと思うのはわたしだけではないでしょう。内容的にもダブる部分がかなり多いですしね。それから道州制をめぐってはあれだけ紛糾しているのにこの「広域地方」の区割りについては問題はなかったのでしょうかね。

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最適通貨圏なんて関係ないさ

欧州経済の見通しについてやや暗いことをこれまでにもちょこちょこ書いてきましたが、Economistのユーロ懐疑派の雄たる「シャルルマーニュ」がわたしが想像しているのと完全に同じ図柄を分かりやすく描いていましたので訳して紹介します。わたし個人はラテン諸国への思い入れがあるのではありますが、さすがに経済に関してはアングロサクソンの洞察力のほうを信じてしまうわけでしてユーロに関しては懐疑的なスタンスをとってきました。ここまでなんとかもってきたわけですが、さてユーロ圏はこの危機を乗り越えられるのか。ベルルスコーニ・サルコジ枢軸がどう出るのか見物であります。

「強いユーロに立ち塞がる危険」
ユーロ圏は内憂外患に直面する

2001年1月のダヴォスの世界経済フォーラムのムードは沈鬱だった。ドットコム・バブルが派手にはじけ、ナスダック証券市場が崩壊し、アメリカ経済が景気後退へと転じようとしているところだった。しかし大陸欧州人のほとんどが陽気で楽観的だった。アングロサクソンに自分達のやり方が不適切だと説教される長い年月も終わった。欧州は賢くもドットコム熱を回避し、新通貨ユーロは大陸を景気づけていた。世界経済の牽引役を引き受けることを夢見る欧州人すらいた。しかしそうはならなかった。欧州はすぐにアメリカ以上に深刻な景気後退へと落込んだのだ。

7年後のこの平行性は異様なものがある。大陸欧州はアメリカのサブプライムの愚行を賢明にも回避したと論じられている。銀行の状態はよく、平均7.1%の失業率は20年で最低水準で、ユーロは再起している、人を惹き付ける欧州経済委員会のホアキン・アルムニア委員は景気後退の兆候はどこにもないと主張している。委員会は今月末に経済見通しを調整する予定だが、ユーロ圏の成長率は今年も2%近くにとどまりそうだ。フランクフルトのECB(欧州中央銀行)がアメリカのFed(連邦準備理事会)のようにクレジット・クランチに対応して金融システムに流動性を供給したのは事実だ。しかしFedとは違ってECBは金利を引き下げる必要性をそれほど感じてこなかった。

しかし2001年の時のようにユーロ圏の経済見通しは楽観論者が期待するよりもかなり急速に悪化しているように見える。結局、ECBが金利引き下げに消極的な最大の理由は成長の足下が堅固だからではなくインフレが3.5%─ユーロ導入から9年で最高の水準─まで上昇したからだった。地域最大の輸出市場の困難─アメリカの景気後退とイギリスの減速─が効果を発揮し始めている。とりわけドイツからのアジア向け輸出は強かったが、ほとんどの国で神経質になっている消費者は消費に積極的ではない状態だ。

そして二つのより大きな懸念が浮上した。第一にユーロの強さだ。弱いドルはアメリカの輸出ブームをひき起こしている一方で強いユーロは欧州に反対の効果をもたらしそうである。アルムニア氏はユーロは過大評価されていると述べ、そのインパクトはここまでは緩やかなものだが、「私達は限界を越えていないにしても限界に達している」と付け加える。ユーロ圏の輸出がこのコストにもかかわらず快調であり続けると想定するのは錯覚だ。

第二の懸念は住宅市場だ。欧州はアメリカのサブプライム禍を回避したかもしれないが、いくつかの国では住宅価格はアメリカよりもバブルになっていた。スペインとアイルランドでは既に価格は下落しているし、ユーロ圏の外ではイギリスでも下落し始めている。不動産の値崩れはアメリカ式のモーゲージの大暴落を生まないかもしれないが、建設に過度に依存している(スペインとアイルランドのGDPの15%以上に相当)経済を確実に揺るがすだろう。

実際、アルムニア氏の故郷のスペインが特に被害を蒙りそうだ。アングロサクソンのコメンテイターはスペインの見通しについて過度に悲観的だと彼は言い張るが、急激な下落の印は再任された首相ホセ・ルイス・ロドリゲス・サパテロ氏にも明瞭に理解されている。首相はスペインがこの「動乱」を切り抜けるように財政的刺激を与えることを宣言した。スペインが最近のユーロ圏の成長の核で、ユーロ圏の半分近くの雇用が生み出されたことを考えると、その減速は大幅に実感されるものになるだろう。経済だけではない。例えば動揺する経済でCO2輩出削減の欧州の野心的な計画を売り込むことも難しくなるだろう。

ユーロ圏経済のパフォーマンスが異なっているために政治的な副産物は別の方面でも実感されるだろう。フランスとイタリアはドイツよりも大分弱いとアルムニア氏は認めている。まもなくフランスとイタリアの指導者が(シルヴィオ・ベルルスコーニが今度の選挙に勝利したなら特に)ユーロの強さやECBの柔軟性のない金融政策についてギャーギャー叫び出し、おそらく自国の産業が「不公正な」競争から保護されるよう要求し出すだろう。一方、ユーロの強さに満足し、ECB批判を常に嫌うドイツによってこうした圧力は抵抗を受けるだろう。

成功の暗い面
ユーロが世界通貨としてドルのライバルとして10年ほどの間地位を確立し、大変な成功を収めたことはユーロの批判者ですら認めるだろう。しかしこの成功は二つの弱点を覆い隠している。第一にいくつかの国は他の国よりもユーロの規律に優等生的に対応してきたということだ。ドイツとオランダは労働コストをカットし、経済を競争的にするための改革を導入した。フランス、スペイン、特にイタリアはそれほどのことをしていないし、ユーロの上昇とグローバルな減速の両方に苦しみつつある。

第二の弱点は成功の皮肉な裏面だ。1990年代末にユーロの資格を得るのに、イタリアやスペインのような国は大幅な財政的、構造的適用をしなければならなかった。しかし通貨危機から弱い国々を守ることでユーロは今や改革を継続する圧力の多くを和らげている。実際、諸国が競争性を回復し、相対的に低い生産性の成長を相殺するために自国の通貨を切り下げるというオプションを喪失した。アルムニア氏が哀しそうに認めるところでは、「政策協調や同輩圧力を通じた改革への市場のインセンティヴの欠如を補う」ことが不可能であることが証明された。

実際、生誕10周年が近づくにつれて、ユーロはその短い生涯で最大の試練に直面しつつある。もし欧州がアメリカに続いて景気後退に落込んだなら─きわめてありそうなのだが─ドイツや北欧よりも地中海諸国の方が痛みははるかに大きくなるだろう。驚くまでもなくこの二つの地域の政治的反応はかなり違ったものになるはずだ。たとえさらにスロヴァキアや他の東欧諸国へと拡大する用意があるとしても、ユーロはそれがまだ最適通貨圏ではないような世界を開示することになるだろう─そしてその実証は愉快なものにはならないはずだ。
(了)

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やっぱりペイしないのか

戦争を入門経済学で分析したポーストという人の「戦争の経済学」という本はしばらく前に読んで目からうろこの連続でしたが、この本ではおおざっぱに言って現代戦はペイしないよという結論になっていました。それで今日「週刊オブイェクト」さん経由で井上孝司さんの「防衛産業って戦争でボロ儲けできるの?」という論考を知ったのですが、戦争をしても軍事産業は儲からないよという事実を分かりやすく説いています。またアメリカの軍事関連業界団体も同様の報告書を出したそうです。軍事そのものについての知識は貧弱なのですが、こういう話ならば興味がありますのでメモしておきます。以下ただの紹介です。アメリカが戦争をするといつも軍産複合体の陰謀みたいな話が出てくるのですがそれってどうなのよと。

これらの話を簡単にまとめてしまえば、目先の戦争で必要な消耗品や作戦経費のために予算を食われてしまい、その分だけ大手防衛関連メーカーが得意とする大型正面装備に予算が回ってこなくなるということ。その正面装備も、システムの大規模化・複雑化でスケジュール遅延やコスト上昇、それに伴うキャンセルや規模縮小のリスクが大きくなっていて、必ずしも儲かるとは限らない。 現に、アメリカでは DD(X) も Virginia 級攻撃型原潜も F-22A も F-35 JSF も FCS (Future Combat System) も衛星関連のビッグ・プロジェクトも、そして MD 関連ですら予算削減のターゲットにしようと狙われまくっているし、何かというとコストやスケジュールが問題視されている。

つまりどこにでも売れるわけではないという点で販路の限定された製造業のようなもので、戦争をすることによって軍事産業が儲かるわけではない。戦争をしてもしなくとも同じというだけではなく、総力戦の時代ならいざしらず、イラクやアフガニスタンのような戦争では大型正面装備は最初に投入されるだけで占領統治にあたっては人件費や消耗品など諸経費に食われてむしろ武器メーカーにとってはマイナスであると。以下AIAの報告書PDFのイントロ部分です。

Introduction: Defense Budget Challenges Ahead

The Aerospace Industries Association is deeply concerned that three ongoing developments
within the defense budget will give U.S. decisionmakers far less latitude and flexibility to
respond to long-deferred defense modernization and recapitalization needs and requirements.

They are:
Inexorable growth in operations and maintenance costs.
Rising personnel expenditures, including future costs of recent increases in active
duty end strength.
Simultaneous needs for reset and recapitalization.
These three developments, working in combination, will require the next U.S.
administration to carefully formulate a national strategy for sustained, adequate
and balanced resourcing for national defense capabilities.

We present here an AIA Report on U.S. Defense Modernization, a study and recommendations based on our analysis of this important national security matter.

進行中の戦争において3つの要素、operations&management経費、人件費、(装備の)修復、補充経費が国防予算に占める割合が高くなっていることを懸念し、国防力の維持発展のために持続的でバランスのとれた財源を確保するよう国家戦略を練り直す必要がある、といった内容です。この報告書、ちょっと専門的なので十分に理解できない部分もあるのですが、要するに以上のような経費の上昇で装備や研究開発の予算がとれなくて大変だという話です。というわけで軍事産業はこのたびの戦争では儲けるどころか困っているという結論になるようです。もちろん国としてもぜんぜんペイしていないことは言うまでもありません。ちなみにただの好奇心によるメモでアメリカを弁護する意図はありませんので悪しからず。

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対中感情悪化中

欧州5カ国でのFTの世論調査によると、世界の安定にとっての最大の脅威として中国がアメリカを追い抜いたそうです。中国製品との競争に加えて、このたびのチベットの騒乱が世論を劇的に硬化させる結果となり、中国を脅威とみなす人の数は昨年に比べて2倍に跳ね上がったとのことです。記事によれば、この調査はチベット騒乱の直後のオリンピックの聖火リレーが行われている最中になされたものですが、すでに欧州連合と中国との間には貿易問題や為替レートをめぐって緊張が拡大しているところでした。

イタリアがもっとも中国を懸念している人が多く、昨年の26%から47%に増加。イタリアの反応は中国の製造業者との競争への怒りから来ている、とローマのシンクタンクの研究員は分析しています。「中国はグローバリゼーションへのイタリア人の反感の象徴になっている」。フランスは22%から36%、ドイツは18%から35%、イギリスは16%から27%へと増加したとのことです。なおスペインだけがなおアメリカを最大の脅威としている人が多いそうです。「ここ5年間のストーリーは経済的チャンスに関連したものだったが、ここ6ヶ月はダルフールとチベットでの脅威に関わるものだった」、中国について知っていることはニュースに限られている一方で、アメリカの大衆文化はいつも消費しているからだろうと欧州外交評議会のマーク・レオナード氏は分析しています。

一方、パリの聖火リレーの妨害の際に襲われた車いすの障害者の女性アスリートが中国ではすっかり国民的悲劇の象徴となり、インターネットを中心にフランス製品不買運動が盛り上がっていることは日本のメディアも報じていますが、これに中国の大手メディアものる形でフランス批判を強めている模様です。ル・モンド記事が「憤青」の解説つきで中国の状況を報じています。「カルフールで買うのはもう止めだ!ここの経営者の一人はダライ・ラマに寄付をしていた。オリンピックが終わるまで130日間はカルフールをボイコットせよ!やつらにインターネットの力を見せてやれ!このメッセージをすべての愛国者に送ってくれ!」というメッセージが上海では大量に流通しているそうです。またLVMHとロレアルへの不買運動の呼びかけメッセージもSMSを駆け巡っているとのこと。また中国の若い女性が北京のカルフールの近くで抗議している「パリへの抗議」というビデオも出回っているそうです。ここで記事は2005年に反日デモと日本製品への不買運動が広がったことに言及しています。

チベット人と思しき青年が聖火を奪おうとしたのを必死で守り抜いた車いすのアスリートのビデオが人気を博しているそうですが、新華社やその他のメディアがこの写真を掲載して、フランス批判の社説を掲げている模様です。フランス・メディアはパリは自由な都市で、誰もが集会をしたり、デモをする権利をもつなどと言い張っているが、聖火走者を襲った過激派の行動は合法ではないし、非暴力的でもない、中国国民は過激派が無防備の障害者の若い中国人女性から聖火を奪おうとするシーンに深く傷ついている、これがフランス政府の文明的振る舞いなのか、法治の国とはいうが、リポーターもジャーナリストも法律家も善悪を判断する能力を失ってしまったようだ、といった調子だそうです。ちなみにここしばらくの中国関連の記事のコメント欄で中国人とフランス人のバトルになっているのをよく見かけます。この記事のコメント欄も激しいなあ、おい、そこの憤青、それじゃ逆効果だよ、といっても聞こえないんだよなあ、いや関係ないから、この件で日本を巻き込むなって。ふう。英語の掲示板なんかに現れる日本のネトウヨのみなさんも学習してくださいね、こんな風にしか見えないんですから。

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ある国民主義者の肖像

徳富蘇峰?日本ナショナリズムの軌跡 (中公新書)Book徳富蘇峰?日本ナショナリズムの軌跡 (中公新書)

著者:米原 謙

販売元:中央公論新社
Amazon.co.jpで詳細を確認する


明治、大正、昭和と健筆を振るったジャーナリスト、政治家、歴史思想家の徳富蘇峰の軌跡を描いた新書です。日本近代史に多少の関心がある人には徳富蘇峰という名前はおなじみでしょうが、今日顧みられることがあまりないこともあって、いくつかの挿話的な知識を除けば、その仕事について知っている人は稀でしょう。本書は徳富蘇峰の言論活動を時系列に辿ることで日本ナショナリズムの変転を描き出そうという試みです。たった一人の人物に焦点を当ててそんな大きなテーマを論じられるのだろうかと疑問に思うむきもあるでしょう。ところがこの信じられないほど精力的な人物は一身で各時代の精神をそのつど体現しているような貴重な存在なのです。その言論人としての活動は明治19年(1886)から昭和32年(1957)まで71年にも及び、ライフワークである「近世日本国民史」100冊の偉業に加えて著書も200冊を優に超えるといいますから(新聞に寄稿した論説やビラなど含めた全集はいったい何巻になるのか)、「驚」あるいは「狂」の字を冠したくなるような健筆ぶりです。明治の元勲世代を同時代に論じた人が憲法9条を語っているというのは不可思議な時間感覚をもたらすものがあります。

まず、帯刀を許されたが武士ではない熊本の郷士の家系に生まれた事実を著者を強調しています。「全く自力にて食むもの」としての自負がこの人物の核をなしていたといいます。熊本洋学校でキリスト教に入信、同志社英文科に進学しますが、キリスト教を捨て退学するというようにその反骨精神は若いうちから発揮されていたようです。その後、熊本の自由民権運動に加わり、私塾大江義塾を経営しつつ、板垣退助と親交を結んだり、「改革政治家」の出現を待望する政治評論を執筆したりします。新世代の「青年」として論壇の寵児となる出世作「将来の日本」は、マンチェスター学派の自由貿易主義とスペンサーの社会進化論の影響を受けつつ、貴族主義的な軍事型社会から平民主義的な産業型社会への歴史の必然的な進化を説明して、前者を体現する老人達を後者を代表する新世代の青年が克服しなければならないと説くという一種の世代交代論です。後の蘇峰を知る者にはなんとも皮肉なことではありますが、中江兆民のあの「三酔人経綸問答」で西洋志向の理想主義的な青年として登場する「洋学紳士くん」はこの蘇峰がモデルなのではないかと著者は仮説を立てています。

その後アメリカの「ネーション」から名をとって「国民の友」を創刊、「改革」の論陣を張りますが、その際、蘇峰が敵としたのは上からの欧化主義者と保守主義者であったといいます。前者は鹿鳴館に代表される西洋風を上から押し付けようとする外相井上馨に体現される立場であり、後者は国粋保存を訴える陸羯南や志賀重昂らの立場です。国会開設、憲法制定、条約改正という国民国家日本の基礎づけの時期にあたって、蘇峰は英国モデルの近代化(自由貿易主義と議院内閣制)を構想し、商工階級の発達と彼らの主導権の獲得を夢見ます。これは具体的には旧自由党と改進党の「進歩党連合」の主張として展開されますが、明治24年頃の社会の保守化を前にして蹉跌してしまいます。

吏党と区別される民党の支持による藩閥政治批判は続きますが、彼の論調のトーンが変わるのが日清戦争の頃とされます。「国民の友」で「自主的外交」や「国家の拡張」が主張され始めますが、平民主義(国民的自由)と自主的外交(国家的自主)は連動されるべきであるという自覚にもとづく主張であったといいます。また傑作とされる「吉田松陰」では水戸学派的な鎖国論者ではなく「国民的統一、国体的保存、国権的拡張」を訴える開国論者として松陰を描き出します。つまりこの頃にはかつて対立した陸羯南らの国民主義と和解がなされています。そして日清戦争においては文明と野蛮の戦争という脱亜論的な立場から日本の戦争の正当化に努める一方で、ペリーによる強制的開国を「強姦」にも等しいとし、その後の条約改正の屈辱をはらすための「国民雄飛」の機会としてとらえていた点にも著者は注意を向けています。文明国の立場を欧米にアピールしつつ、この戦争を欧米の偏見に対する勝利として捉えたというわけです。

戦争の勝利に酔いしれた日本を襲ったのは三国干渉という平手打ちでした。よく引用される有名な「戦争によりて一夜のうちに巨人となりし国民は、平和談判のために、一夜に侏儒となれり」からはこの時の蘇峰の落胆ぶりが伺えますが、すぐさま「世界の人情を活現する国民」として「世界の同情」を博する存在になれと立ち直ります。ここでいう「人情=ヒューマニティー」は西洋列強の偽善を超えたものとして蘇峰が文明の普遍性を訴える際によく使うことになる概念です。その後、第二次松方内閣で政界に接近し、「国民新聞」も政府の機関誌化しますが、これは平民主義者蘇峰の「変節」として非難される原因になります。

日露戦争が近づくにつれ、蘇峰を悩ませたのは人種と宗教の問題だったといいます。黄禍論が広まり始めていた欧州巡歴から帰ったばかりの蘇峰は人種については「人性の共通」、宗教については「人道の一致」を強調すべきであり、アジア主義を断固として否定します。また帝国主義とは「平和的膨張主義」であると強弁し、平和主義を掲げながらの侵略主義に過ぎないという批判を受けます。無論そのことを知り抜いているわけですが、列強と対立する愚を犯すよりも協調して帝国主義政策を実行するのが国際政治的現実に合致すると説いたわけです。以後、日英同盟締結から日露戦争のプロセスでは桂内閣のスポークスマン的役割を果たします。戦争の際には「世界の同情」を買うことを説き、アジアには地理的名称以上の意味はなく、日本は黄色人種を率いるつもりもない、ただ「文明社会共有の慶賀」を得たいだけなのだと宣伝します。もちろんこれは宣伝に過ぎず、この戦争が「人種的競争」であると別のところでは断言していることを著者は強調しています。

日露戦争後、日本を襲った思想的、社会的混乱の中、蘇峰は「白閥打破」さらに「亜細亜モンロー主義」へと急速に反欧米に転回していくことになりますが、著者によれば、その契機となったのが日英同盟改定の頃であったといいます。信頼を寄せていた英国との関係が希薄化するに従って「広き世界に孤立せる一個の旅烏」というように日本を形容するようになり孤立感を深めていったといいます。政界との関係も断ち切り、再び一記者の立場に戻った蘇峰は「白閥打破」を語り始めます。言葉は勇ましいですが、欧米列強に同等の存在として承認されることは人種および宗教の理由から不可能であるという断念の思いを吐露したものと著者は見ています。

これが「亜細亜モンロー主義」という強い主張へ転化したのはアメリカへの敵愾心でありました。蘇峰は日露戦争後の米国における反日世論の高まりを早くから観察していましたが、第一次世界大戦後、欧州の疲弊を尻目に大国化する米国の「西漸」の動きに徐々に警戒心を募らせていったといいます。ここで抑圧していた人種のテーマが浮上し出します。アジア人が劣等人種とみなされている状況では「擬白人」となるか黄色人種であることを誇りとし白人に承認させるかふたつの道しかない。前者の道は欧化主義者が目指して失敗したものであり、それは「烏が孔雀の真似」をしてかえって侮辱されるようなものであったと。以後、「国民新聞」ではアジアのことはアジア人が処理する主義として亜細亜モンロー主義が唱えられ始めます。これに追い討ちをかけたのが排日移民法であり、この事件への激怒により蘇峰のアジア回帰が完成したといいます。

ウィルソン主義の偽善を早くから見破るなど大正時代にはまだ国際情勢への鋭い洞察力のあった蘇峰ですが、昭和に入るとすっかり時事論文からは生彩が失われていった著者は評価しています。まず老齢という身体的問題、また修史作業に没頭していったこと、さらにジャーナリズムの狭隘化が挙げられていますが、いずれにせよ満州事変以降はひたすら精神主義的に戦争遂行を鼓吹する「言論報国」活動に邁進したとされます。中国を裏でささえているとしてソ連と英国を敵視する一方で、米国との戦争は回避すべしという論陣を当初は張っていましたが、三国軍事同盟のあたりからは鬼畜米英になってしまったようです。

敗戦時82才で、一切の公職から退き、A級戦犯容疑指名を受けますが、老齢と健康上の理由から容疑解除となり、自由の身になるとさっそく執筆活動を再開します。完全に日本と同一化していた蘇峰にとっては自己の敗北そのものであったといいますが、戦後は日本国家の再生の作業にとりかかります。老齢にもかかわらず文体はすっかり生気を取り戻し、執筆意欲も旺盛になったといいます。蘇峰の言い分によれば、日本は本来好戦的でも自己中心的でもない、明治維新以降の運動は国家の自存自衛と自尊心を守るためのものであり、日本の戦争は列強と同等の扱いを受けられなかったことへの不満の爆発であった、敗戦は日本の「自業自得」であるが、これを責め、罰する資格は欧米にはないと東京裁判を批判する一方で、アメリカに対しては、この勝利により世界の心配を一手に引き受けなくてはならないという貧乏くじをひくことになった、「勝ったアメリカざまを見ろ」と毒づいています。その一方で戦争の原因は中庸を失って自己陶酔と自己欺瞞に陥った自分たち国民にあるとして皇室中心の国体の擁護をし、また冷戦下の対日政策に関しては日本の弱体化は米国の利益にならない、共産化の波を防ぐには日本的民主主義を認めて日米提携すべきだ、という風に親米ナショナリズムへと転回しています。以上のように時代の空気を読むのに敏感な蘇峰は戦後のナショナリズムの形を予告することにある程度成功したと著者は評価しています。最後に「頼朝論」において隠忍自重の「保守的政治家」の理想像を描いてこれを戦後の国民に贈ったといいます。これが最後に落ち着いたところだったようです。

蘇峰はいかなる意味においても原理主義的でなく、機会主義的であったし、そのことを信条にしていたような人ですから、時代の変化へのそのすなおなまでの順応ぶりを批判することにあまり意味はないような気がします。キリスト者、自由民権論者、平民主義者、日本主義者、国家主義者、帝国主義者、アジア主義者、親米保守主義者と変転を重ねるのですが、一言で言うと「国民主義者」ということになるのでしょうか。近代日本の苦悩も歓喜も絶望も国民とともに分かち合った生涯だったのでしょう。わたしの政治的志向とはどう考えても一致しないにもかかわらず、また言論人としてこの人の盲目性と無責任性は批判されてしかるべきにもかかわらず、憎めないばかりかどこか惹かれてしまうのは、この人の天真爛漫なキャラクターのせいというばかりではなさそうです。その秘密はおそらく多分読まれることのない「近世日本国民史」100巻に書かれているのではないかと想像したりもします。

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ベルルスコーニ吠える

欧州各国の金融危機に対する意識調査の結果をFTが記事にしています。これによるとイタリアとスペインが他に比べてクレジット・クランチの影響を感じている一方で、この危機に対応する政府の能力への信頼が最も高いことが判ったそうです。このFTの調査によれば、日常生活で金融危機の「強い影響」を感じる人はイタリアで22%、スペインで16%で多い一方、政府の能力を信用しない人はイタリアが43%、スペインが36%で調査対象諸国の中で少ないことが判明しました。一方、首相ゴードン・ブラウンの人気が低迷し続けるイギリスでは政府の能力への信頼が最も低いという結果になっていますが、特に理由として挙げられているのが税金の高さだそうです。

こう言ってはなんですが、ブラウンの能力はともかくとして、イギリスはなんとかこの危機をハンドリングできるような気がするのですが、欧州天気予報で雷雨のスペインと豪雨のイタリアの国民の多くが自国政府の能力を信頼しているのはなにか不思議な感じがします。スペイン・バブルの崩壊は移民問題に火をつけるかもしれないという予想はどうやら本当のことになりつつあるようですし、ベルルスコーニがイタリア経済を大胆に改革するだろうという楽観的予想をしているエコノミストは寡聞にして知らないのですが。。。でもなんかいいですよね、過度に悲観的な国から見ると。景気は気からと申しますし。

イタリアの選挙関連のニュースは日本語ソースでも出てますが、大方の予想通りベルルスコーニの優勢のようです。わたしが興味を持ったのはやはり同じFTの「ベルルスコーニが欧州中銀に怒りをぶつける」という記事です。ネオフォシストの同盟者が2万人の移民を追放するぞと公約を叫ぶ一方で、中道左派陣営を共産主義の嘘つきめが、と罵るという相変わらずのキャラクターですが、それはともかく、経済関係では、アリタリア航空の買収への反対を訴えるなど国家主義的な方向へ梶を切るそぶりを見せています。またユーロ高の進行に触れて「欧州中央銀行の金利政策がなにかおかしいのは明らかだ」とインタビューで述べている模様。「我々は政治家の首位性を取り戻さなければならない。4億の欧州人の運命を決するのが銀行屋というのは解せない話だ」とのこと。またベルルスコーニ政権の前財務大臣トレモンティ氏は「希望と恐怖」という近著に対する国家主義、保護主義という非難を拒否して、「可能なら市場、必要なら国家、ルールにもとづく貿易対ルールにもとづかない自由貿易」というのが自分の意見の要約だとFTに対して述べています。むー、これでどうやって政府を信じられるのでしょうか。リラを復活して伝統芸の通貨切り下げでもできればいいのですがねぇ。やっぱりユーロ加盟で得られるメリットがよく分からないです。

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昭和デモクラシー

昭和史の決定的瞬間 (ちくま新書)Book昭和史の決定的瞬間 (ちくま新書)

著者:坂野 潤治

販売元:筑摩書房
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戦前デモクラシー研究の権威として名高い著者による1930年代の国内政局と政治評論に焦点をあてた新書です。新書にしては内容は高度ですが、大胆な仮説があちこちに盛り込まれていて刺激的ですのでこの時代に関心のある人にはおすすめしておきます。本書の扱うタイムスパンは昭和11年(1936年)の総選挙と12年(1937年)の総選挙前後の1年半ときわめて限定されています。つまり日中戦争直前ですが、著者はこの時期を「昭和史の決定的瞬間」と捉えています。

まずこの時代について一般的に流布しているイメージが問題となります。昭和11年に226事件が起こって軍部の独裁の時代が始まり、この軍部の手によって昭和12年に盧溝橋事件が惹き起こされた。国内においては民主主義が押しつぶされ、国民は戦争に向かう政府の動向について情報を与えられず、戦争に反対し、平和を訴える勢力には言論の自由も与えられなかった云々といったものです。本書はきわめて錯綜した当時の政局を解きほぐしつつこうしたナラティブがきわめて単純化されたもので歴史的事実に反していることを明らかにしていきます。

まず、昭和11年の総選挙ですが、政界再編をにらんで当時のエリート集団は、陸軍皇道派、平沼系右翼、政友会VS新官僚、陸軍統制派、社会大衆党に両極分解していきます。この構図の中で政友会が当時の岡田内閣を攻撃するために利用しようとしたのが美濃部達吉の天皇機関説排撃と憲政常道論(挙国一致内閣から政党内閣への復帰)ですが、著者はこの二つがセットになっている点に注意を促します。当時の美濃部が議会制民主主義の擁護者ではなくその否定論者(職能代表制論)であったこと、また後者の勢力の牙城たる内閣審議会と内閣調査局が天皇機関説を体現する存在とみなされていたということを指摘しています。もっとも政友会が皇道派や右翼に接近し過ぎた点には批判的ではありますが。いずれにせよ美濃部達吉=天皇機関説=議会制民主主義の擁護者という理解は単純に誤りということになります。統帥権干犯問題もそうですが、実際の政局の中において見ないと天皇機関説とか国体明徴とかの意味はなかなか見えてこないものがあります。

昭和11年2月と言えば226事件ばかりが記憶されていますが、国民の審判が下されたその6日前の総選挙が無視されていることに著者は疑問を呈しています。この総選挙の結果は、右派陣営では政友会が71議席減、国民同盟が5議席減であったのに、左派陣営では自由主義的な民政党が78議席増、社会主義者が17議席増でした。野坂参三がこの結果を受けて民政党と社会大衆党が結合して「軍ファシズム」を打倒する「人民戦線」の可能性に言及したエピソードを紹介していますが、実際、この総選挙の結果を受けて政党や言論の側からの軍への反撃が始まります。躍進した民政党の斉藤隆夫の「粛軍演説」は有名ですが、「中央公論」でも労農派マルキスト大森義太郎の「反ファッショ人民戦線」構想や右派の軍事評論家の武藤貞一、また民政党の斎藤隆夫による国防計画批判などが堂々と掲載されていることに注意を向けています。つまりこの時期に軍批判は非常に盛り上がっていたのであり、当然ながら言論の自由もあったわけです。

この人民戦線構想は実際には実現しなかったわけですが、それは民政党と社会大衆党とが相容れない政策志向をもっていたことに求められます。自由主義的な民政党は平和と粛軍を訴える一方で大企業の利害を代弁し、国民生活の向上には関心を向けようとしない。社会大衆党は陸軍の「広義国防論」に共鳴する一方で、中下層の国民生活の向上のための社会政策を訴える。社会大衆党から見れば、陸軍の国防論は国民福祉の向上に役立つものだったわけです。社会党の前身たる社大党は戦争に協力した国家社会主義政党に過ぎないと戦後は評価されないわけですが、軍に近すぎた点を除けば、その主張内容はオーソドックな社会民主主義と言えるでしょう。

次に二つの総選挙に挟まれた時期に試みられた「宇垣流産内閣」構想について紙幅が費やされています。昭和12年1月に政友会の浜田国松による名高い軍批判の「割腹演説」で広田内閣が倒閣されると、軍の影響力を抑えて戦争を阻止するために陸軍ハト派で前朝鮮総督の宇垣一成を総裁、首相に据えて政友会と民政党の2大政党の連立内閣をつくるという構想が持ち上がります。そもそも2大政党が連立して陸軍に対抗するという構想は昭和6年から存在していたものですが、陸軍の復讐を恐れる内大臣湯浅倉平の怯懦によってあえなく挫折してしまいます。著者によれば、この「協力内閣論」(大連立論)は実現しなかったこともあってこれまで注目されてこなかったのですが、この時期の有力な選択肢であり続けた事実を強調しています。

宇垣内閣が流産した後の林鉄十郎内閣は短命に終わったいわゆる「軍部独裁内閣」ですが、外務大臣にハト派の佐藤尚武を任命し、三井財閥の池田成彬を日銀総裁に据え、「狭義国防論」に立つ点で国家社会主義的な方向にブレーキをかける内閣であると自由主義的な政治評論家の馬場恒吾は評価していたと言います。林の不可解な解散の後に行われた4月の総選挙が戦前最後の総選挙となりますが、政友会、民政党の合計議席が減少する一方で都市部で社会大衆党が大躍進するという結果に終わります。この社会大衆党の躍進を社会民主主義者の河合栄治郎は「日本政治史上において特筆すべき重大な事実」と呼び、マルクス主義哲学者の戸坂潤はこの選挙によって「ファシズム」ではなく「自由主義ないしデモクラシーが今日の日本国民の常識である」ことが証明されたと評価しています。また社会大衆党の「広義国防論」の意味内容も反陸軍的なものに変わったと著者は推論しています。いずにせよ同時代的にはこの選挙は軍に対する民主主義の勝利として理解されていたと言います。また日中戦争直前の言論の世界を見渡しても戦争の差し迫った危機感はどこにもないことにも著者は注意を促しています。著者の結論は「民主化の頂点において突然戦争が始まり、戦争によって民主主義が圧殺された」ということになります。

最後に。これまで「戦後歴史学」をリベラルな立場から批判してきた著者の問題意識はなにゆえ戦後民主主義思想の基盤はかくも脆弱なのかというところにあります。著者の戦前デモクラシーの再評価と戦前戦後を通じた日本民主主義の連続性の掘り起こしの作業はもちろん右派的な「伝統」の擁護の主張とは似ても似つかないものであります。結局のところ戦前を暗黒時代として単純に切り捨ててしまったこと、民主主義を占領軍の贈り物ととらえてしまったことが日本民主主義の根を見失わせることになったのではないかという著者の反省意識は左派の人々にもっと分け持たれるべきだとわたしは思います。実際に戦前戦後の民主主義の流れを辿ればそこには一本の筋があり、それは今後も伸ばしていかなければならないものであることが感得できるはずだからです。

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無思想の立場

日本の外交 明治維新から現代まで日本の外交 明治維新から現代まで
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これもずいぶん前に読んだ本ですが、ブックオフで100円購入して再読しました。一般向けに日本外交を論じた古典的名著として評価が高いですが、初版が1966年であるにもかかわらず、全く古さを感じないどころかますます妥当な議論に見えてくるのは著者の見識の高さのゆえであり、また我が国の慣性のようなもの(あるいは進歩の乏しさ)のゆえでもありましょう。通史の体裁をとっていますが、歴史的事象の羅列ではなく、著者特有の分析枠組みに従って記述されていますので、詳細にわたる歴史の本を読むのに苦痛を感じる人にも読みやすいでしょう。記述は明晰ですが密度が濃く古典の風格を漂わせています。なにか日本外交についてもの言いたいという方は是非手に取ることをおすすめします。最初に読むべき本です。以下興味深い細かい事例は割愛して本の内容の概要を紹介したいと思います。

著者特有の分析枠組みとは外交における思想的な背景の重視です。実際、この本の記述は、近代日本の外交を支配する原理の特徴はなんなのか、日本外交の指導原則は国際情勢を把握する上でどのような役割を果たしたのか、またその獲得された国際情勢認識と現実との間には適合性があったのかどうかといった問題意識に導かれています。換言すれば、客観的な国際情勢の展開の中に日本の政策担当者や国民世論の主観的な要素を置いてみて検証するということです。この客観と主観の絡み合いを単なる事実の羅列でなく、あるいは「軍国主義」とか「帝国主義」といったような手垢のついたドクマチックな概念で裁断するのでなく記述するのが外交史であると方法論的な宣言をしています。

そうした分析作業を通じて、著者は「政府の現実主義」と「民間の理想主義」の対立という世に名高い定式化を行います。日本政府の現実主義の源流は明治初期に遡るとされますが、当時の国際情勢に鑑みて国力を増強するには近代化ないし西洋化は必至であり、このこと自体は善とも悪ともいえないという価値判断の留保のことです。抽象概念や道徳概念にとらわれない、この「無思想の立場」は条約改正運動や殖産興業などの仕事を着実に進める上で有利に働きます。その一方でこの抽象的な観念の欠如に飽き足らない民間は常に政府批判を行い、なにか道徳感情を満たしてくれるような華々しさを外交に求めるという対立構造が出来上がったと論じられます。まあ今もこのまんまですね。

そしてこの民間の理想主義の代表が例の東西文明論とアジア主義になります。民間では東西の融合とか東西の対立といったテーマが熱心に議論され、日本は東西の文明の融合を成し遂げる運命をもつとか、アジアに自由と独立をもたらす役割を果たせなどと主張されたわけですが、東洋とか西洋とかアジアとか実体を欠いた漠たる概念でしか国際情勢を認識できなかったこと自体が現実に立脚した堅固な理念を構築できなかった近代日本の世界認識の限界を示すものと評価されます。まあ今もこのまんまですね。

このアジア主義が外交の前面に出るのは1930年代ですが、民間の議論は別にして政府や軍が主導したアジア主義は軍事的、経済的利益の正当化の手段にとどまり、外交の指導原則となったのは1941年前後数年だけであったとされます。近代日本が生み出した外交思想と呼べるものは唯一この東と西の二元論だけでありましたが、それも国際情勢の変化に応じて東西協調の思想になったり、東西対立の宿命論になったりと揺れ動き続けたのであって、アメリカ外交の一元的な世界観や中国外交を貫く歴史観とは対照的であると言われます。

その他に短命に終わった試みとして紙幅が費やされているのが1920年代の幣原外相時代の有名な新外交思想です。これは第一次世界大戦後の米ソの新外交への対応として古典的な帝国主義外交に代わるものとして構想されましたが、第一に「世界の大勢」に合わせて平和や正義の精神にのっとって国際親善を基底にした外交方針を貫くという国際協調主義、第二に国家間の経済的相互依存が世界の平和を維持するものであり、国土の安全は軍縮協定や平和主義によって確保されるという経済中心主義を柱とするものです。これに対しては軍からは夢想論との批判が浴びせられ、現実に中国ナショナリズムの激化や世界恐慌後の自由貿易体制の崩壊とともにあえなく崩壊してしまったことは周知の通りです。戦後はこの路線の復活とも言えますが、特定の条件下でしか成立し得ないということは肝に命じないといけないでしょう。

以上のように近代日本の外交はつねに現実的、実際的であり、刻々と変化する国際情勢にアドホックに対応していくという特徴をもち、国土の安全と貿易の振興という軍事、経済両面のナショナル・インタレストによって一貫して外交思想は枠づけられていたとされます。思想らしきものは状況に応じて採用したり破棄したりするが、軍事や経済のバランスをとる統一的な理念がない。そしてこの特徴は特定の具体的な目標がある内は、つまり国際的な「現実」と日本側から見た「現実」が合致している間は、実に有効に機能するものの、新事態に遭遇した場合には全体のバランスが崩れて漂流を始め、国民世論は不安と焦燥にかられ、といった具合に脆弱性を露にするというパターンが見て取れます。この本では日露戦争後に東西文明論やアジア主義が流行した点に特に注目していますが、冷戦崩壊以降に新アジア主義やらなにやらが流行ったりというのもこの不安と焦燥の現れでしょう。いずれにせよナショナル・インタレストの追求はもちろんではあるが、国際的現実に立脚した独りよがりでない、また国民がそれに取り組むに値すると思われるような外交理念を打ち立てなくてはならないと1966年の時点で著者は述べていますが、それはまだ見出せていないようですね。

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欧州極右近況報告

90年代から再活発化した欧州の極右の動きについては日本でも時々報道されることがありますのでみなさんもご存知のことでしょう。ここ十数年で「欧州の右傾化」は確かにずいぶん進んだものだなあという印象を持ちます。ここで極右というのはutra-rightとかextreme droitと呼ばれる立場で単なる右派(保守)とは異なりますが、なだらかな連続性もある。もちろん右派は極右を激しく非難し、自らを中道右派と位置づけます。ここでいう連続性とは選挙で極右の支持層を取り込むために、また奇麗ごとでは済まない現実に対処するために、徐々にその主張を受け入れていったプロセスを指しています。実際には右派だけでなく、左派もかつては極右の専売特許だった主張を密輸入していますから、全体として「右寄り」になっていくわけですね。何が右で何が左かはもうよく分からなくなっていますが、ともかくそうメディア的には認識されている。

フランス、イタリア、オーストリアあたりの例が日本では比較的知られていると思いますが、かなり裾野は広いです。極右の支持層というのは国によっても違いますが、多くて10%程度でしょうから、なにかとてつもない政治変動でもない限りは、ファシズムの復活!と左翼がパラノイア的に喚くような事態にはならないでしょう。が、現在の欧州の政治風景を理解する時に無視できる存在ではない。日本の極右(右翼)はアウトロー的な存在ですが、欧州の極右は特に地方議会でけっこうな議席を持っていますし、欧州議会の議員も出しています。

ここしばらく沈静化しているような印象を受けますが、極右の近況についてフランスの有名なインターネット新聞「89番通り(rue 89)」にジャン・イヴ・カミュという専門家による関連エントリがありましたので紹介したいと思います。まず「都市のイスラム化に対抗する極右諸政党」という記事が概観をつかむのに便利です。最初にイスラムという存在が欧州極右を分裂させていると述べています。例えば、フランス国民戦線党首の娘マリーヌ・ル・ペンがスイスの著名なイスラム知識人ラリク・ラマダンと討論したり、ドイツのNPDのような過激グループが反ユダヤ主義的観点からハマスやイランを支持する一方で、多くの民族主義的な政治勢力が今年1月にアンヴェールという都市に集結し、「イスラム化に対抗する都市」運動を訴えたと言います。つまり、乱暴に言うと、反ユダヤ親イスラムと反イスラム親ユダヤというたすきがけ的な対立です(もちろんどちらでもないのもいる)。それで後者が徐々に増えていると。

アンヴェールの集会を指導したのはベルギーの「フラマンの利益」党首のフィリップ・デウィンターですが、オーストリア自由党のハンス=クリスティアン・ シュトラッへ、ドイツのプロ・ケルン(Pro-Köln)運動の弁護士、元国民戦線で現在は地域主義運動「アルザス第一」のリーダーなどの人士が集まった模様。またドイツの「共和派Republikaner」やイタリア、デンマーク、オランダ、スペインの団体も参加したそうです。なんというか壮観です。

これは広く指摘されていることですが、この記者が注目しているのはレトリックの変化です。もともと極右は文化主義的、人種主義的なレトリックで反移民の主張をしてきたのですが、911テロ以降、イスラムへの恐怖を煽るなど宗教的なレトリックに変化している。このテーマは白人キリスト教徒の欧州連合を訴える「アイデンティティー派」と呼ばれる極右勢力、それから右派と極右の中間にあるような勢力によって使用されているそうですが、後者の例として「フランスのための運動」、スイスのUDC、ノルウェーの進歩党、それからオランダの自由党などが挙げられています。最後の自由党のヴィルダースは例の反イスラム映画で話題になったばかりの人です。この両者の特徴としてイスラム過激派ではなくイスラムそのものに反対していることです。彼らによればイスラムは欧州の大地になじまず、不当な要求ばかりをする存在である。ヴィルダースに至ってはマインカンプと同様にコーランの販売を禁止すべきだと主張しているとのこと。むー、そこまでの人でしたか。

フランス新右翼のギヨーム・ファイエが「新しいユダヤ人問題」を2007年に出版しますが、このイスラムに対抗すべくシオニストと連携すべしという本は成功を収めたそうです。というわけで上に名前の挙がった極右政党の多くが反ユダヤ主義的な起源をすっかり忘れて親イスラエル的な言説に変貌したとのことです。この反イスラムのトランスナショナルな動きですが、マルセイユに2007年12月に設立された「ヨーロッパのイスラム化にストップ!」(SIOE)が今後のコアになるものと記者は睨んでいます。

また同記者の「国民戦線内部の分裂から新しい党が生まれる」によると、2007年の大統領選挙でサルコジに票を奪われて大敗した国民戦線が、ル・ペンの娘のマリーヌの「近代化路線」をめぐる対立と同党の後継者争いで分裂状態に陥っているそうです。3月29日にパリで分派が新しい運動を開始したそうですが、その核となるのが「移民侵略とイスラム化の拒否」「我が文明の基本的価値の擁護」「強い欧州の建設」といったイデオロギーだそうで、これは上に述べたように、全欧州的な極右の二極分化の傾向を反映しているとみなせます。つまり一方は国民国家の枠組みに忠実で、国民国家内部の多民族性への進化をある程度認める方向(マリーヌ・ル・ペンに代表される)と完全に反統合主義的かつイスラム嫌悪の欧州というものに立脚して欧州ナショナリズムを訴えるトランスナショナルな方向と。お気づきのように、ここには欧州主義的な極右よりも国民国家派の極右の方が移民に対して相対的に寛容だという逆説があるようです。

当たり前ですがこうした勢力には対抗する勢力もあり、またほとんどがこうしたイデオロギーはくだらんと思っているわけで、今後も基本的には少数派にとどまると思います。というわけでここだけとって欧州はどうだと議論はすべきではないのですが、欧州の政治動向を理解する上で極右運動というのはある種の症例として捉えていく必要はあるでしょう。上の例だけでも、地域主義、民族主義、国民国家主義、欧州主義の軸があり、さらにキリスト教、イスラム教、ユダヤ教という宗教の軸が出てくる。なお日本ではどうも欧州統合を国民国家の枠組みを乗り越える実験として無批判に褒めそやす傾向がいまだにあるような気がしますが(反米的な意識の持ち主に特に)、そんなに単純なものではありませんよということは強調しておきたいと思います。欧州在住のブロガーの方がここは肌感覚でよく理解していると思いますけどね。

PS ここで出てくる国民戦線のマリーヌ・ル・ペンですが、中絶や同性愛への寛容を訴えたり、反ユダヤ主義を批判したり、ムスリムとの対話をしたりとソフトな路線をとっています。こうなると極右というよりも伝統保守ぐらいのほうがいいような気もしてきますね。政治的レッテルなんてつまらぬと言えばそれまでの話ですが。

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地方ニュース(3) 北海道

世界は騒然としていますが、足下を見つめよということで地方ニュースのクリップ。

道、今年度に327権限を移譲・市町村に大型店出店許可など[日経]

道から市町村への権限移譲を巡り、道は9日、2008年度中に327項目の許認可などの権限を128市町村に移す方針を、道議会への報告書で示した。将来の道州制への移行や支庁再編構想をにらみ、道は約4000項目の権限のうち2683件を順次市町村に移す計画。今後も市町村の意向を踏まえつつ自ら地方分権を進め、住民の利便性向上などにつなげる。
今年度は大規模小売店舗立地法に基づく大型店の出店許可権限や、河川での砂利採取の許可や埋め戻しをしたか監督する権限などを移す。06年度から進める、パスポート申請の窓口業務の市町村移管も拡大する。

というわけで以前に紹介した道州制に向けて熱心な北海道ですが、着々と道から市町村への権限委譲を進めています。既にパスポート申請がいくつかの市役所や町役場でできるようになっていて好評であるとのことです。以前のエントリでも書きましたが、北海道の場合には県の統廃合が必要ないですので、まず道から市町村レベルへの権限委譲を進めつつ、次に国から道への権限委譲がなされるならばスムーズに道州制に移行できるわけです。地方分権のパイロット地域の実験として北海道のケースはたいへん興味深いものがありますので今後も注視していきたいと思います。

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チベット経営はペイしない

雪斎殿が相変わらず非情なまでの正論(褒め言葉です)を述べておられますが、確かに現在、中国に石橋湛山がいるならばチベットなど放棄せよと主張することでしょうね。ご承知のように湛山は日本帝国の植民地経営がまったくの持ち出しであることを根拠に植民地の全面放棄を訴えた戦前を代表する自由主義者です。というわけで中国にとってチベット経営は経済的観点から言ってどうなのかという問題について、時に抑えた筆致で冷酷なまでの正論(褒め言葉です)を語ることで知られるEconomistの"Skewed gains"という記事がありましたので訳して紹介します。

中国によるチベットへの大規模投資はほとんど成果がない
中国西部の奥地の開発に取り組んでいる指導者に対して、チベットでの今回の騒乱と引き続く緊張は控えめに言っても大いなる困惑をもたらしている。ラサでの漢族やムスリムの回族のビジネスへの憎悪の爆発はこの「自治区」への北京からの記録的移転支出や大規模な商業的投資というコストによって保証された安定というファサードを打ち砕いた。多民族の調和的共存が国家プロパガンダの中核のひとつではあるが、チベットの急激な経済発展は、貧困なままで北京の寛大さとかいうものに不満と猜疑心を抱く大多数のチベット人に潤いをもたらしていないことが今や明らかとなった。

実際、今日の状況は1980年代末の騒乱の頃よりも不安定であると北京在住のチベット人学者Wang Lixiongは論じる。というのも中国統治への怨恨はチベット農民や国の労働者にまで広がっているからだという。「1987年の最後の大規模騒擾と1989年の騒乱の際に戒厳令がしかれたが、ラサ市に限られていたし、僧侶、知識人、学生だけが関与していた」と。「しかし今回の騒乱はチベットの他の地域へ、そしてあらゆる方面の人々へと広まった」と彼は言う。

民族的に排除されている
騒乱発生以来、中央政府の役人達はチベットでの開発政策を騒々しく擁護し、大規模予算の補助金の成功や、地域の経済成長を駆動する国の補助を受けた投資について長々と論じ立ててきた。しかしチベットに注目するロンドン・スクール・オブ・エコノミクスのエコノミストのアンドリュー・マーティン・フィッシャーによれば、2005年までだけだが利用できる詳細な統計が示すのは「民族的に排除された成長」パターンだ。実際、チベット経済は2000年から2005年まで2倍に規模を拡大した。しかしこの成長は政府と党組織が絡む第三セクターの急激な拡大、それから西海チベット鉄道や新しい高速道路網のような巨大インフラ建設ブームによって駆動されたものである。

この政府がスポンサーとなった発展の真のコストはきわめて大きいものだ。例えばフィッシャー氏によれば2001年にチベットの経済成長の1人民元あたりで中央政府の支出は2人民元にも拡大した。この年だけでも国家支出は75%も拡大した。2004年までに0.65人民元の経済成長のために補助金や国の投資の1人民元が必要であるといった風にこの状況はわずかにしか変化していない

道理に合わないことに、巨大国家プロジェクトの建設と政府と党組織の拡大のためのこの不均衡な巨額の政府支出はチベット社会の社会格差を拡大した。チベット人メンバーを含むほんのわずかな地元住民、役人、その他の国の労働者が、貧しく、農民的で、文盲なままの大部分のチベット人を犠牲にして裕福となった。教育を促進し、官僚の脂肪を減少させるために適した支出がなされている他の地方とは異なり、チベットでは治安への懸念がこの反対を要求した。2005年の政府の投資全体の6%しか教育に向けられていないとフィッシャー氏は明らかにする。その一方で13%が政府と党組織に関係する部門に費消された。その結果として2005年には、チベット人口の45%は文盲なままで、彼らは北京語の知識を不可欠とするこの経済的チャンスから利益を得ることができなかった。

中央政府は中国共産党指導部によるこの遠隔地とチベット人民の飼いならしの長期的な模索を継続しているところだ。巨大な天然資源がこの自治区には埋蔵されている。中国最大のクロム鉱と三番目の銅鉱などである。2000年に前主席の江沢民によって開始された大西部開発政策(「ゴー・ウェスト」)の下でチベット経済の中国経済への統合は新しいインフラ建設や中国の他の地域からの経済移民の流入とともに加速されてきた。

しかし胡錦濤新主席、温家宝首相の新指導体制が開始された2003年になってはじめて中央政府はチベットを含む中国の後背地の開発を緊急の優先政策にした。胡氏は中国西部の党役人として働いた長い経験を持ち、内陸地方の恵まれない大衆に経済的繁栄をもたらすることを最も重要な仕事のひとつと見ている。チベットに勤務した(1989年の政治的な暴動を戒厳令をしいて処理した)政治局常務委員会の唯一のメンバーとして、彼はこの自治区の党メンバーの人事や中央政府の経済政策の運営を監視している。

2006年に胡氏はラサと他の鉄道網とを結ぶ世界最高度にある青海チベット鉄道の除幕式を執り行った。社会福祉プロジェクトとみなされるこの鉄道は、チベットと他の地方の交易を刺激し、この遠隔の山岳地帯への旅行者や経済移民のより便利なアクセスを可能にする手段となってきた。

哀しいことにこの両面で達成された成功が普通のチベット人をさらに疎外したのだ。チベット旅行局の統計では自治区は2007年に400万人以上の旅行者を集めたが、この年にはじめて280万人の人口を旅行者数が追い抜いたのだ。同時にラサへの経済移民は激増し、30万人もの非チベット人が流入したが、これはチベットの古都の住民の2倍である。こうした活動は農業や牧畜を営むチベット人の大部分にほとんど経済的インパクトを与えていない。産業からの利益─大部分はチベット外からの移民がコントロールしている─は地元で再投資されるのではなく移民の故郷の地方へと送られている。

回収見込みのないプロジェクト
未来の政府の政策がこの経済パターンを変化させることを示すものはほとんどない。例えば回収見込みのないプロジェクトへの投資の傾向は減少しない模様だ。中国人のエンジニアは最近2億ドルをかけてエベレストへの108キロメートルの新高速道路を完成させて、6月にチベットを通過する聖火リレー─300人の走者が聖火を運ぶ予定だ─のためにこれを開業させることを望んでいる。

おそらく中央の政策担当者の製図板から出たチベットのための開発プランで最も議論の的になっているのが「大西部ライン」と呼ばれる新しい水利計画である。これは水路、トンネル、貯水施設の建設からなり、チベットから水を中国北部の乾燥した平原まで引くというものだ。この部分的に地下をも利用する人工水路は毎年80億立方メートルを運ぶことができると言われる。しかし開始日はまだ決定されていない。もし中国指導者が常識をわずかでも持っていたならば、この計画を無限に延期するだろう。
(了)

というわけで完全に持ち出し経営で地元のチベット人にも還元されていないという予想通りの図のようです。以前放映されたNHKのよく出来たドキュメンタリーでその雰囲気の一端は伺い知れましたが。あれ、今売ったらどうですかね、NHKさん、世界中で需要がありそうですよ。

以前のエントリで満州国を「新帝国」概念で捉える論文を紹介しましたが、それと同じパターンです。曰く反植民地主義的で多文化主義的で啓蒙主義的なプロパガンダと古典的な「搾取型」ではなく「開発型」の従属地域経営の組み合わせ。グローバルな覇権目的なので経済的にはペイしないというのが日本および米ソの帝国の特徴だったそうですが、それをどういう名称で呼んでも構いませんが、そのまま現在の中国に適用できそうですね。

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スペイン・バブルの崩壊

さて欧州天気予報で豪雨になっているもうひとつの国であるスペインですが、こちらはアイルランドよりもさらに険しい状況のようです。あんなに景気よくて陽気だったのに。なんとも諸行無常です。

まず、4月4日付のFTの「スペイン経済はハードランディングに向かう」という記事。製造業とサービス業の調査結果からハードランディングになることが予想されています。第一四半期の新規受注の落ち込みと内需の冷え込み、増大するコストなどが明らかとなり、不動産バブル崩壊が製造業やサービス業にまで影響を与えているという調査結果です。この14年間の経済ブームを主導したのが建設でしたが、その突然の落ち込みで経済活動の巨大な空白が生み出されているとのこと。

欧州で最も高いパフォーマンスを誇ったスペインのこの急落はユーロ圏の15カ国全体のパフォーマンスをも引き下げるものと予想されています。BNPパリバのブリアン氏によると、2008年の第一四半期に成長率は0.2から0.3%まで落ち込む模様(2007年の第四四半期0.8%)。現在のところ融資に関するデータはないが、急激に金融収縮が生じていると考えられています。スペインの銀行は国内の融資活動のために国際資本市場に過度に依存しているため、この収縮が金融システムへの深刻な「供給ショック」となってきたと言われます。

同じくFTの4月8日付の記事「スペインは不動産暴落後の再建を目指す」によると、サパテロ首相が火曜に経済の復活のための緊急措置を約束しましたが、その内容は高速鉄道網など政府のインフラ計画の加速化、国家の補助する住宅計画の推進、モーゲージの証券化に対する政府の保証の拡大など。首相は世界的な金融市場の混乱がスペインに影響を与えていることを認め、「経済減速の時期に現実主義的に向き合わなければならない」と述べましたが、首相の提示した措置は選挙の際の社会党のマニフェストの内容だけで新味がないと失望感が広がっている模様です。

現在国際的な金融収縮と国内の不動産バブルの崩壊とのダブルパンチに苦しむスペインですが、このままモーゲージの証券化が進まない場合、1%にまで成長は落込み、失業率も劇的に上昇することが予測されています。上の記事でも言及されていましたが、もはや国際資本市場が見放した建設業者や不動産業者のファイナンスはスペイン銀行が対応しており、このことがかつて成長の原動力であった建設セクターの危機を加速している、さらにこの建設セクターの落ち込みが製造業やサービス業といった他のセクターにも影響しているとのこと。先のザパテロのインフラ計画の加速化の約束ですが、建設ブームの最高潮の時期にはGDPの9パーセントを占めた民間部門の住宅投資の代替にはとてもなれないとエコノミストは悲観的な見通しを述べているそうです。

というようにどうもサパテロ政権の政策ではとても有効に対処できないという予測が広がっているようです。EUとして救済案みたいなものはあるのでしょうか。失業率も上昇し、移民問題にも火がつくのではという暗い見通しもあるようです。ともかく負けるなスペイン。

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欧州天気予報

分かりやすかったので。Financial Timesの「ヨーロッパの成長率は不均等」という記事から。こんなバラバラな成長率の地域でどんな金融政策をとれっていうのでしょう。

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出所 Financial Times, Europe growth rates diverge, Ralph Atkins in Frankfurt, April 8 2008

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OECD勧告(3) 金融政策

金融政策について日銀への勧告の部分です。

新しい金融政策の下でデフレを解消すること
成長率の減速、経済見通しの不確実性の増大、継続するデフレを考えると、2007年2月以降日本銀行が短期政策金利を0.5%に据え置いているのは賢明だ。2006 年に導入した新たな金融政策の枠組みの下で、日銀は物価安定下で持続的成長を実現するために政策金利の水準を設定している。この枠組みの一環として、日銀政策委員会は0〜2%が中長期的な物価安定の理解であると公表したが、これはインフレ率の幅を明示した最初の試みだ。さらに長期的に経済活動と物価に大きく影響を与えるかもしれないリスク要因も検討している。

日本の金利水準
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出所: OECD, Analytical Database and Bank of Japan

インフレ率がはっきりポジティブになり、デフレ再来のリスクが無視できるようになるまで、日本銀行は短期政策金利を引き上げるべきでない。2008年度の消費者物価指数上昇率0.4%という日銀の見通しは、インフレ率が常に予測を下回ってきたことを考えるならば、利上げを正当化するには不十分な水準だ。インフレ率がはっきりゼロ以上になるまで利上げを待つことは景気拡大を支え、ネガティブショックで日本経済が再びデフレに陥るリスクを低減するだろう。下限0%はデフレに近すぎ不安なので、デフレに対する十分なバッファーを設定するため、日銀政策委員会は物価安定の理解を再考し、インフレ幅の下限を引き上げるべきだ。政策委員会委員による物価安定の理解の公表は金融政策の透明性を高めたが、インフレ幅が毎年見直されるという事実が中期的な市場における期待形成に対する指針として有用でなくしている。金融政策の舵取りには経済成長とインフレに影響を与える財政再建の進展も考慮されるべきだ。

日銀政策委員会委員の予測(2007年)
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出所: Bank of Japan

以上、正論だと思います。文中の「物価安定の理解」は日銀が示したインフレターゲットもどきのことですが、0〜2%という極端に低い水準を見直すように勧告しています。1.5〜3%ぐらいが妥当な気がしますが、どうでしょう。また消費者物価指数上昇率0.4%という数字もあやういもので、完全にデフレが解消するまで利上げはするなと明記しています。これは前年度版でも同様な勧告だったと思いますが、こんな明快な勧告になぜ日銀は耳を貸そうとしないのでしょうか。別に派手なリフレ政策をとれと言っているわけでもないのに。

PS IMFも世界的な景気後退の懸念の中で早まるなと警告しているようです。なお今回いろいろな意見を目にしてどうも日銀に対して抱いていたイメージは修正しないといけないような気がしてきました。しかしどうしてこんなに不透明なのでしょう。

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OECD勧告(2) 税制改革

OECD勧告の2008年度版ですが、ここのサイトで読めます。このうち話題になっている税制改革の提言の部分です。全訳ではなく要点のみです。

・財政再建には包括的な税制改革の一環としての歳入増が必要である
政府は包括的な税制改革を実施するべきだが、日本経済の中期的な成長を損なわないように歳入を増やすことが重要だ。現在の景気の拡大を維持するために税制の改革は段階的に実施するべきだ。税制改革は所得格差の拡大に対処し、地方税制の改善を促す必要があり、効率性、公正性、簡素化という目標にバランス良く配慮しなくてはならない。

・増収は主として消費税の引き上げを通じて行われるべきである
直接税よりも間接税の比率を高めることで経済成長への悪影響を最低限に抑えることができる。現在5%とOECDの中で最も低い消費税率の引き上げが必要だ。消費税率を1%引き上げると歳入は対GDP比で約0.5%増加する。

日本はOECD内で最低の付加価値税率(2006年の水準)
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出所: OECD(2006), Comsumption Tax Trends, OECD, Paris

・法人税の課税ベースを拡大し、成長を促すよう税率を引き下げる
法人税減税には特別措置を削減するとともに控除枠の引き下げが必要だ。法人税を納めていない企業の比率は減少するだろう。法人税を支払っている企業は全体の3分の1、大企業では半数に過ぎない。課税ベース拡大による増収分を利用して現在40%の法人税率をOECD平均の29%に近い水準まで引き下げることで成長を促すことができる。

日本はOECD内で最も高い法人税率
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出所: OECD (2007) 、Tax Database, OECD 、Paris

・所得の不平等の悪化を改善するために個人所得税制度を改革する
賃金所得の2分の1以下のみが課税対象であることから、個人所得税の課税ベースを拡大して税収を増やす余地も十分にある。これは、給与所得者と自営業者の間の公平性を推進するための給与所得控除(給与所得の4分の1以上)による。課税ベースの拡大による個人所得税収入の増加が法人税減税の影響を補完して、直接税収入は一定の水準を維持できることだろう。課税ベース拡大による増収分は勤労所得控除(EITC)の財源に充てることができるとともに、個人所得税率の引き下げ財源に充てることによって勤労意欲の向上を促すことができる。所得分配の裾野の広さ、勤労所得に対する低い税率、非雇用者に対する低い社会保障水準といった日本の特徴を考慮するならば、こうしたアプローチは効果的だろう。また公平性は死亡件数の4%にしか課税されない相続税の強化によって対処すべきだ。最後に勤労意欲を低下させる配偶者、扶養家族の控除などを見直し、金融所得の税制を改善することで成長を促す必要がある。

日本では課税される所得の割合は相対的に低い
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出所: Ministry of Finance, National Tax Agency and OECD (2006), Taxing Wages 2005 2006, OECD, Paris.

・そして地方税制を改善する
地方税制の改善も重要だ。現在、23種類もある地方税は複雑なシステムだが、地方政府の自律性は限定的だ。法人所得にかかる地方税を段階的に廃止する一方で、個人所得、消費、資産に対する地方税収を増やすことが改革の目的だ。また固定資産評価額を市場価格に近づけることで資産に対する実効税率も引き上げるべきだ。地方法人税の廃止によって全般的な実効税率はOECD平均に近づき、経済成長によい影響を及ぼすだろう。

勤労所得控除(EITC)というのは例の「負の所得税」のバリエーションでアメリカ、カナダ、イギリスなどで導入されている税制です。小沢一郎はこれを導入すべきだと以前は主張していましたが、今はどうなんでしょう。実際のところうまくまわるのかどうかよく分かりませんが、考え方の骨格はよく理解できます。このぐらい大胆に改革するには相当な政治力が必要でしょうね。今のように与野党で足を引っ張り合っているようでは厳しいです。

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アイルランド、大丈夫か?

ここ10年ほどイギリス、スペインと並んで欧州バブル三兄弟の一角を占めていたアイルランドがやばい状況に陥っているという話は風の便りに聞いていましたが、不動産バブルがはじけてしまった模様で大変なことになっています。住宅市場の概観はEconomist作成のグラフ(下)が分かりやすいです。これを見ると、アメリカの住宅市場の高騰などたいしたことがないじゃないかと思われます。日本についてもいやな話を耳にしますが、おーい、大丈夫かぁ。

「クレジット・クランチはアイルランド経済を完全に押し流してしまうのか?」[Telegraph]という記事があったので紹介しておきます。訳ではなく要約です。

アイルランド首相アハーン氏は最近では最も成功した指導者として評価が高い。1997年に就任して以来、北アイルランドをめぐる和平交渉を進展させるなど世界の舞台での共和国の自信を高めさせ、いわゆる「ケルトの虎」と呼ばれる経済ブームを体現する人物であった。彼の下でこの小国は商業的に遅れた地域から西欧で最も成功した経済へと変貌した。

しかし先週からアハーン氏は収賄をめぐるスキャンダルに巻き込まれている。この政治的騒動はアイルランド経済にとって険しい時期に生じた。わずか数年前に成長率は10%をたたき出していたし、昨年ですら他のユーロ圏やイギリスを追い抜いていた。一人当たりのGDPも驚くほど上昇し、スイスやルクセンブルクと並んで世界トップクラスに躍り出ていた。

これが悪い方へ向かおうとしている。商業的にも文化的にもイギリスとの結びつきが強い国であるが、経済的な運が尽きそうなのだ。また他の欧州のどの国よりも共和国の金融の運命はアメリカと一蓮托生になっているため、アメリカが景気後退に入るに従って経済の見通しも悪化しているのだ。アメリカへの輸出は90年代を通じて増大し、全貿易額の5分の1を占めるにいたった。またアイルランドの教育レベルの高い労働力と安い法人税、それから移民を通じたつながりからアメリカの投資先として好まれてきた。アイルランド系アメリカ人の企業リーダーが「故郷」に投資する傾向がケルトの虎を支えてきたといっても過言ではない。

アイルランド中央銀行は2008年の成長率を3%と予想していたが(昨年は4.8%)、金曜にGDP見通しを2.5%へと下方修正した。これは突発的な惨事ではない。長いパーティーの後の二日酔いのようなものだ。住宅価格は一年で9%下落した。アイルランドは住宅ブームを経験し、不動産セクターは国民所得の10分の1、労働力の13%がここに属している。そのため不動産ブームが去ると、このセクターの雇用が急激に落込むのも驚くべきことではない。

アイルランドは減速しているが、景気後退に入るとは思えない。金融セクターはサブプライムの影響は少ないし、過剰なブームにもかかわらず、国民の多くはアメリカやスペインよりも慎重に振る舞ってきたからだ。アイルランドの貯蓄率は高いままで、HEW(housing-equity withdrawal)もきわめて低いため、この両者が住宅価格の下落の痛みを和らげるだろう。

しかし最近のニュースにはアイロニーがある。まずクローニー主義的な政治文化がアハーンの下で弱まり、経済的成功がアイルランド人をより従順ではなくした。新しい世代は移民になるよりも地元にとどまって、より高い生活水準を求めつつある。もうひとつはリスボン条約の国民投票でイエスの票のチャンスを損なうことを恐れて党のリーダー達がアハーンを追いやったことだ。しかしアイルランド人は欧州への愛を失いつつある。1999年にユーロに加わることは─イギリス人を困らせるためばかりではなく─すばらしい考えのように思えた。しかしユーロがドルに対して記録的な上昇をしている今、輸出は打撃を蒙っている。

どこかの段階でアイルランドはユーロから離脱するものと思われる。数年前には異端的に思われた考えだが、今は活発に議論されているところだ。ドイツ経済に都合よく欧州中央銀行によって維持されている金利の高さはアイルランドが必要としていないものだ。ブームが終わりつつある今、このことにアイルランドの公衆は気付きつつある。

というように見通しはたいへん暗いわけですが、景気後退には入らないのではないかという希望的予測を述べています。そうだといいですがね。それから後半でユーロ離脱論に触れています。これは絶対に出てくるだろうと予想していました。景気後退が深刻化するに従ってスペインやイタリアからも出てくることでしょう。各国の金融政策を不可能にした欧州共通通貨政策にはどう考えても無理があるわけですが、さて欧州はこの危機を乗り越えられるのでしょうか。ちなみにこの記事のコメント欄はお国意識まるだしでなかなか楽しいです。

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OECD勧告

今年度のOECD勧告が出たようです。日銀には早まるなよと釘をさす一方で、踏み込んだ税制改革の提言も行われた模様です。
OECD、税制見直し日本に勧告・消費税上げ、法人税は下げ[日経]

経済協力開発機構(OECD)は7日発表した日本への政策勧告で、高齢化による歳出圧力の高まりや財政再建に対処するには税制の抜本見直しが必要だと強調した。消費税率を上げる一方、法人税率は実質的に引き下げるよう提案。個人への所得課税では、所得が控除上限額に満たない納税者に税金を還付する仕組みが必要だと指摘した。
 政策勧告はすべての加盟国に対し定期的に実施しているもので、日本向けは2006年7月以来。今回は、日本が公的債務残高が国内総生産(GDP)の1.8倍に達するなど、世界最悪の財政状況にあると指摘。持続的な経済成長を続けながら財政を立て直すには歳出削減だけでは不十分で、税制の思い切ったテコ入れが重要だと強調した。

というように日経記事は財政改革のプランの骨子に触れていますが、これによると消費税を上げる一方で、法人税を減税すること、また所得税については控除上限額に満たない納税者に税金を還付する仕組みを整えよということです。消費税と法人税はいいとして、所得税は例の「負の所得税」のことでしょうか。ときどき導入せよという声は聞きますが、あまり真剣に議論されたことがないように思います。少し調べてみたいです。

また「OECDから日本へ。利上げするな」というJapan Timesの記事が日銀への勧告をまとめています。デフレが完全に解消されるまで利上げはしてはならないと。OECDから見ても日本の動きはわけがわからないでしょうね。これはどう考えても正しい意見なのですが、民主党は分かっているのでしょうか。目を覚ましてくれ。

Financial Timesにも記事がありました(要登録)。あまりテクニカルな話はなく、日本の抱える問題の概観といった内容です。訳しておきます。
「OECDが東京に赤字削減に焦点をあてるよう勧告する」(FT)
OECDの年次調査によれば、もし日本が増大する財政赤字に取り組むとしたら、グローバルな経済の減速の最中でも財政支出の削減をおし進め、税制を抜本的に改革しなければならない。

日本の最優先課題は政府の財政赤字を削減し、公的債務と国内総生産の比率を安定化し続ける必要性にあるとOECD事務総長のアンヘル・グリア氏は語った。この比率は2007年に180%にまで上昇したが、これはOECDの最高記録である。

日本の議会の政治的停滞や増税による縮小効果への懸念は痛みを伴う決定を遅延する言い訳にはならないとグリア氏は述べた。報告によれば、これを先延ばしすることは日本を金利上昇の打撃を受けやすい状態にさらし、債務返済レベルを急激に押し上げることになり得るだろう。

グリア氏が述べるところによれば、わずか0.5%のオーバーナイト金利の日本には、食糧・エネルギー価格の上昇や円上昇のショックに直面している時に、金融的または財政的柔軟性がなかった。「険悪な経済見通しは日本の政策担当者になにができるのかという問題を提起している」と彼は言う。

日本は既に大幅な歳出削減を行っており、これは今後の赤字削減は増税によらなければならないことを意味している、とこの報告の作者であるランダル・ジョーンズ氏は語った。

2002年に日本の回復が始まって以来、歳出超過は4%に半減された。政府支出はGDPの39%から36.5%にまで切り詰められ、日本のパブリック・セクターの相対的な小ささと高齢化人口の福祉のコスト上昇を考えればこれ以上削減する余地はあまりないと彼は言う。

その代わりにOECDは直接税から間接税への大幅な転換を推奨しているが、これはOECD最低水準の5%の消費税の大幅な増税を必要とし、より多くの企業や個人を税の網にかけることになる。企業の半数が税を免除されている一方で、半数以上の個人は5%という低い納税水準にあるとOECDは評価した。

ジョーンズ氏は2002年から2007年まで日本が年率2.1%の成長したことをほめたたえ、「財政環境が成長の足枷になっていることを考慮すればこれは印象深い数字だ」と言う。

しかし彼は言う。日本はベビーブーマーが退職して既に縮小している労働力の影響に対抗するために追加的な行動をとる必要があるだろうと。報告はアメリカの30%も低いと評価される生産性を上昇させるもろもろの手段を勧告している。OECDは日本の潜在成長率は1.4%であると評価しているが、これはメンバーの中で最低である。

報告はまた述べている。日本は非常に統制された正規労働者とあまり監督されていない非正規労働者の間のいわゆる「二元構造」を平坦化するために労働市場を自由化すべきだと。臨時の労働は1994年の20%から2007年の34%にまで爆発的に増加している。

労働力の二元構造は不平等の上昇の最大の要因であると言う。このことが生産年齢人口で2000年にOECDで5番目に不平等な社会に日本をしていたのだが、この状況はおそらくさらに悪化しているだろう。


税制改革をせよ、生産性を上げよ、労働市場改革をせよ、とのこと。その通りでございますなあとしか言いようがありません。ただタイミング的に増税ってできますかねぇ、現実問題として。まだデフレも解消できてないというのに。ところで企業の半分が税金払ってない、また所得税も半分しか払ってないって本当ですか?これってけっこうすごい数字のような気がするのですが・・・、国税庁が本気モードになれば税収一挙に増えそうです。OECDの報告はいずれ日本語訳も出回るでしょう。必ずしも正しい提言ばかりとは思わないわけですが(潜在成長率の見込みがちょっと低すぎると思う)、全体像をおおづかみにつかむのに便利ですので今年度の報告もいずれ読みたいと思います。

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誰が日銀をチェックするのか

(以下事実の経緯に関して見立て違いの可能性があるようです。その点ご注意を。ただ金融政策の透明性と説明責任を確保してくださいという主旨は変わりません)

以前、日銀総裁人事をめぐる騒動が持ち上がった時、政友会、民政党の統帥権干犯問題に擬して「独立」の語の物神化について揶揄するエントリを書きましたが、Baatarism氏が一連の闘争の勝利者は日銀保守派ではないかという推測をしています。日銀保守派が民主党と連携して財務省を排除したというのが今回の騒動の政治的な本質ではないかと。わたしも同じことを想像していました。もっとも人物関係等についてなんの知識もありませんのでただの想像に過ぎません。

現状では日銀に多くの選択肢があるとも思えませんので、今回の人選が日本経済に与える影響は短期的には限定的なものにとどまるだろうと素人ながらに予測しています。とはいえ誰が日銀をチェックするのかという統治に関わる問題は中長期的に考えて重要な問題だろうと思います。わたしはチェック・アンド・バランスの効かない組織は存在しないほうがいいという原則が維持されることが望ましいと考えますので、日銀が誰からも監視、制御されない権力となることは避けるべき事態に思われるからです。

今後、経済運営のパートナーであるはずの政府、財務省との間でうまく協力関係が成立するのかどうかについてはいささか疑念を覚えます。またこれまでの経済論戦がごく限られたメディアの領域でなされてきたこともあってか、そもそも日銀がなにをする組織なのかという点についてすら広く国民に知られていないことは世論調査でも明らかになっています。一般国民にとっては誰が日銀総裁になるのかという問題は誰が首相になるのかという問題よりも時には直接的かつ切実な影響を与えるにもかかわらず。まあどこの国も似たようなものかもしれませんが。日銀の禅問答的な答弁の意味を理解できる人は専門家や関係者以外にはまず存在しないでしょうし、大手メディアは特定の組織や関係者の大本営発表や太鼓持ちしかしていないように見えます。

というわけで日銀の金融政策をどのように評価するにせよ、この組織の説明責任と透明性が十分に確保されていないということだけは確かだと思います。今、政治的に政府と財務省の影響力が弱体化したところでなされるべきは、まず総裁人事のあり方について、そして日銀のこれまでの、そして今後の金融政策の妥当性について議論が広くなされ、国民各層に周知されることだろうと思います。これは政府はもちろんのこと、メディアが担うべき責任でもあります。我が国のメディアがチェック機能を喪失し(元々なかったとも言えますが)、アドホックに特定の組織や利害関係者の代弁者をつとめてはなにかチェック機能を果たしているかのごとき振る舞いをしている現状を改めて、多様な立場からなる議論の場を常に開放し、なにか騒動が起きた時だけでなく、日銀の行動を常時監視し続け、場合によっては責任の追及もしていく機能を果たすことを願っています。

PS 日銀の一部と民主党が結束してという見立てについてBewaadさんの批判エントリ。日銀の中では国会対応で強そうな武藤氏歓迎論が強かったし、政局にふりまわされて困っているのは日銀だと。なるほど。この説に従うと、今回の「日銀の独立」の政治利用によって逆説的に国会に対して日銀の独立性は低下する結果になったということになるわけですね。なんだかこういう権力の作動の仕方には既視感がありますねぇ。なんでこうなるの。

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地方ニュース(2)

地方関連のニュース・クリップです。

ベルギーのデクシア銀、日本の自治体への投融資残高1兆円台に[日経]

自治体向け融資で世界最大手の仏ベルギー系デクシア・クレディ・ローカル銀行の日本の自治体向け投融資残高が、2月末に初めて1兆円を突破した。日本での営業は2006年12月に始めたばかりで、邦銀が手掛けない超長期融資で取引を急拡大している。
2月末の東京支店の自治体向け投融資残高は、1兆226億円だった。内訳は貸し出しが27自治体向けに3823億円、債券購入が41自治体向けに6403億円だった。
自治体の債務残高は約200兆円。国が地方自治体への貸し出しを減らし、自治体の新規の資金調達に占める民間資金の割合は6割超にまで高まっている。

地方財政について考えるとだんだん鬱になってくるのですが、ファイナンスの形もずいぶん変化していますね。デクシアについては知ってはいましたが、ずいぶん突っ込んでいるんですねぇ。超長期融資ということですからそれほどやばくはないでしょうが、これまわるんだろうか。記事にもありますが、国の貸し出しから民間資金へという流れはどんどん加速しているようです。

山口FGが地域ファンド・山口など3県70社に投資[日経]

山口フィナンシャルグループ(FG)の山口銀行ともみじ銀行、ワイエム証券(山口県下関市)は7日、地域ファンドの取り扱いを始める。投資対象は広島県や福岡県、山口県に本社を置く上場企業を中心とし、マツダや中国電力、九州電力など70社程度に投資する。地元企業への投資で地域経済の活性化につなげる
[...]
中国地方の企業の株価も指標的には割安となっているため、「投資利回りが確保できると判断した」(もみじ銀行)としている。

福岡、山口、広島の三県の上場企業向けに山口FGが地域ファンドを立ち上げたというニュースです。しばらく前から地域ファンドやコミュニティ・ファンドがローカルな新しい資金の流れをつくる形ということで続々と設立されているようなのですが、うまくいっている事例が知りたいです。

On Japan’s Catholic Outposts, Faith Abides Even as the Churches Dwindle[NewYorkTimes]
例の大西記者ですが、この人はイデオロギーの絡まないネタではけっこういい記事を書くということは認めなければならないでしょう。前にも離島についていい記事を書いていました。ちゃんと取材していますしね。五島列島のキリスト教コミュニティーの話です。過疎化、少子化の影響でどんどん信者が離れている現状についてレポートしています。ここは約25000人のうち4分の1という他の地域では考えられないほどの人口比率がカトリックであることで知られています。隠れキリシタンの里ですね。当地の暮らしの中の信仰の様子についてもよく書けています。ところで五島列島は日本史を考える上でも面白いトポスですよね。

PS 徳島市長選は現職の自公推薦候補が当選したようですね。当地についてなにも知らない者が言うのもなんですが、遠くの地より善政への期待申し上げます。またここで山口FGのニュースをとりあげましたが、ふくおかFGは大幅な評価損を出してしまった模様orz

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プーチン流プラグマティズム

言うまでもなくNATOは対ロシアの意味合いが強い組織であります。加盟国問題もアメリカ、ロシア、欧州の地政学的駆け引きの問題に他なりません。というわけでもちろんブカレストの主役はプーチンでした。加盟国問題とミサイル防衛に触れたEconomistの記事が分かりやすかったので紹介します。

「ロシアより愛をこめて?」(From Russia with love?)[The Economist]
ウラジミール・プーチンは自分が政治的舞台の主役であることを知っている。4月5日金曜のNATO首脳会議の終わりに彼は言った。「いつでもわたしのスピーチの前には宗教的おののきのようなものがある」と。その通りだった。6年で初めてこの集まりに出席した(大統領職を離れる前の最後の出席)プーチン氏は果たしてミサイル防衛を受け入れた前日の決定の後に再び西洋を声高に批判するのだろうか。それともウクライナとグルジアの加盟を次の段階に進めることを脅迫によって拒否させた自身の成功にほくそ笑むのだろうかと。

彼はプラグマティックなアプローチを採用した。合意できない事柄もあったが、「相互非難のピンポン・マッチ」はなかったと彼は言い、「我々の懸念は聞き届けられた」と嬉しそうに付け加えた。ロシアは可能な分野でNATOとの建設的な協力を求めているのだろう。もっとも彼はその加盟国になることが安定と民主主義をもたらすという西洋側のマントラを軽蔑しているのだが。「NATOは民主主義推進機構(democratisator)ではない」と通訳は示唆した。

かつてはロシアの加盟に思いを巡らせた男がロシアはメンバーになることを欲していないと宣言した。今や彼はNATOのロシア周辺への拡大を安全への「直接の脅威」と見ている。彼はグローバルな役割を果たそうというNATOの野心(軍事的だけではなく、サイバー・セキュリティーやエネルギー補給の保護も)を疑問視した。「誰に対抗してNATOは存在するのか」と彼は尋ねた。

多くの欧州諸国にとって口にされない回答は「ロシア」だ。クレムリン恐怖がクルジア政府とウクライナ政府(必ずしもウクライナ人の大部分ではないが)がNATOへ接近しようとする理由を説明する。かつての共産主義諸国がNATOの拡大─かつての大西洋のポジションから黒海、さらにいつの日にかカスピ海へ─の熱烈な推進者だ。

激しい議論を巻き起こしたMAP(加盟行動計画)と呼ばれる加盟の次の段階にこの2つの国家を承認するのに尻込みしたのはドイツに率いられる「古い」欧州諸国であった。結局、歩み寄りが12月の会議で再びこの問題にもたれる予定となった(?ここ意味不明)。ウクライナとグルジアがいつの日か「メンバーになる」という約束とともに。

これはプーチン氏にとっての戦術的勝利であった。たとえウクライナとグルジアがこれを長期的な野心にとっての勝利であると解釈しようとも。しかし欧州における米国のミサイル防衛計画に調印するというNATOの合意はロシアの指導者にとっては打撃であった。ミサイルの増加が増大する脅威であることに加盟諸国は合意し、自身の安全保障への実質的な貢献としてポーランドとチェコ共和国への防衛システムの展開計画を歓迎した。加盟諸国はさらにこれをまだ防衛されていないトルコのような国々まで拡大し、NATO自身の対短距離ミサイル防衛計画に結合する方策を研究するだろう。

ロシアはこれまでミサイル防衛を自らの核戦力を無化する試みとしてみなしてきた。プーチン氏は批判のトーンを抑え、このシステムに関して「透明性と信頼」を増すために米国との対話が週末ロシアでのブッシュ氏との会談の席で継続されるだろうと述べた。

米国は実際の脅威─おそらくはイランからの─が生じるまではシステムの稼働を延期することを提案した。誰がこれを決定するのかは不透明なままだ。また米国は施設へのロシアの連絡将校の受け入れを示唆している。

ロシア側は脅威が実際のものとなるまでポーランドにインターセプターが展開されるべきでないと述べ、チェコのレーダーを移動できないように地面に固定することを求めている。またロシア自身の警戒レーダーを統合することを示唆してきた。さらにプーチン氏はシステムの管理と操作においてなんらかの関与を望んでいる。

ブカレストでの記者会見でプーチン氏は来月で大統領職から退くことをどう思うか尋ねられた。「なんら残念なことはない。これは長く待ち望んでいた自由だ。ここ8年でロシアは復活を経験した。強い独立国家と強い外交的態度とともに」と彼は答えた。


ミサイル防衛はこうして着々とその政治的意義を発揮しています。もちろん日本もこの中に含まれているわけです。また米欧とロシアの関係がある程度安定すれば、ロシアにとって誰が真の脅威なのか気付くことになると思うのですがね。そうなってくれると日本の負荷がだいぶ軽くなりそうなんですけれども。そんなにうまくいかないだろうとは思いつつも、ロシアの動きからは目が離せないです。

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サルコジ=ゴーリスト?

NATO首脳会談関連のニュースに絡めてサルコジが「アトランティスト(大西洋主義者)」と目されている点について簡単に触れましたが、その点に関しては実に膨大な議論があるようです。フランスのメディアからはアメリカのポチ呼ばわりされていますし、また英語や日本語のメディアを漫然と追っているとやれアメリカでI love youのラブコールをしたとかイギリス議会で英国崇拝者のような演説をしたとかいったニュースばかりでその印象は強化されるものと思います。エルヴィスの物真似をした小泉首相のイメージと重なるむきもあろうかと思います。

アメリカの圧倒的な影響力を前にしてフランスの独自性を守ること、また欧州という地域秩序において主導権を握ること、こうした国家目標からフランスが冷戦の最中にあって西側陣営に属しつつも多大なるコストをかけて独自外交路線をとり続けたことはよく知られていると思います。ゴーリスムと呼ばれるもので、これは左右関係ない。例えば、左翼のミッテランもゴーリストです。NATO統合軍事機構からの脱退がその象徴でしたから、これに完全復帰しようとするサルコジが反ゴーリストと目されるのも当然の話です。実際、フランス・メディアもそのラインで報じています。衰退する大国アメリカと接近するのは誤った賭けだと左右の多極主義者が激しく批判する一方で、テロとの戦いで英米と連携すべしと親米主義者(少数ですが)は拍手喝采しています。

この点に関してわたしはやや違った印象をもっているのですが、Justin Vaisseというブロガーのエントリがこのアマチュア的な印象を強化してくれる内容でしたので紹介したいと思います。この論者は「サルコジ、コンプレックスなきゴーリスト」というエントリでサルコジ外交が第5共和国のすべての大統領が共有したコンセンサスの路線の中で展開していることを論証しようとしています。

サルコジ外交を批判するジャーナリスト・ブロガーに対して、まず「アトランティスト」と「ゴーリスト」という概念の使用は事態を明確にするのではなく逆に不透明にするだけだと主張しています。実際、フランスは既にNATO統合機構に80%以上参加しており、時には軍事作戦を指揮し、いくつかの分野ではリードをしていると指摘し、残りの20%の敷居を超えることもフランスの独自政策を放棄することにならないと論じます。

老いたるゴーリストといった感のあったシラクについても、1996年と97年にNATOの軍事統合機構への復帰を宣言していたこと、しかもサルコジよりも少ない復帰条件であったこと、そればかりでなくコソボの時にNATO内部でその影響力を行使したためにアメリカに嫌われたことを想起させています。NATOの外にいて独自外交をできるのは当然だが、NATOの中にいて独自外交もできるのだといくつかの事例を挙げて結論づけています。

なぜ人はサルコジを「アトランティスト」とみなし、アメリカの友と呼びたがるのか、それは第一にサルコジ自身が戦略的な断絶を語っているからであり、第二にジャーナリストが彼の語ることの詳細や歴史を無視してただサルコジの言葉を繰り返しているからだと言います。ゴーリストのシラクからアトランティストのサルコジへと実にマスコミが喜びそうな対比であると。第三にジャーナリストやオブザーバーが見ていないのはイラク戦の時のシラクはそれ以前のNATOに接近したシラクとも、その後の米仏和解がなされた時期のシラクとも違っていることを忘れているからだと言います。実際、サルコジは政策的な対比ではなく、知覚的な対比を利用しているに過ぎないのだと。

米仏関係や英仏関係の重要性について演説するのもほぼすべての大統領がしたことであるとして、ここでキューバ危機の際にキューバに同情的であった国民世論と対立して米国に「留保なき友情」を誓ったド・ゴールの例を挙げ、彼はアトランティストなのかと問うています。

そしてサルコジの演説をとりあげ、「国際舞台におけるフランスの代替不能な役割」とか「欧州がもっとも強力な極になるべき多極的世界」とかいった文句はまさにゴーリストのものであり、国民国家を国際システムの基本単位とみなす点も、軍事力を主権の根源とみなす点も、統制経済主義的でフランス経済の防衛者としてふるまう点もすべてド・ゴールを想起させると言います。そしてなによりもド・ゴール同様にプラグマティストであると。

最後にサルコジの言葉は確かに親米的でアトランティスト的ではあるが、その行動との間には大きな溝がある点を指摘しています。以下サルコジ外交の特徴を断絶と連続性とに分けて列挙しています。

「アメリカの要求に合わせた断絶」

アフガニスタンへの軍の派遣

「ゴーリスト・シラクとの連続性」
イラン 言葉遣いが強くなっただけ
イラク 米仏の具体的な協力がなく変化なし
イスラエル・パレスチナ 言葉遣いだけ変化
欧州防衛の独立性 サルコジの方が熱狂的
NATOとの再接近 基本路線の継承
中国への武器禁輸の解禁要求
反ワシントン的な気候変動問題への態度

「アメリカの要求に反する形でのシラクとの断絶」
トルコの欧州連合加盟の拒否
シリアとの対話
レバノンの交渉でのヒズボラの取り込み
チャベスの歓迎

といった具合でむしろシラク以上にゴーリストなんじゃないのという結論になります。事例のとり上げ方で変わるでしょうが、こうして見ると確かにどこに断絶があるんだということになります。言葉と行動の間の落差がすごいわけでこれが吉と出るのか凶と出るのか分かりませんが、日本の政治家にもこれぐらい派手なワード・ポリティクスができるといいのだがなあ・・・という素朴な感想が湧きます。まあ日本は無理せずに誠実外交でいいですけどもね。

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ねじれの効用

Observing Japanという日本政治のブログを運営しているトヴァイス・ハリス氏が、WSJのオピニオン欄にねじれ国会に関して寄稿しておられました。外交安全保障に関しては意見が違うことが多いですが、内政面に関してはかなり意見が一致することが多い人です。よくある文化論みたいなものに逃げ込まずに政局の微細な動きにもよく目配りがきいているので日本人が読んでもさほど違和感を覚えることはないはずです。日本政治に関しては英語圏の大手メディアはずいぶんいい加減な記事ばかりでうんざりさせられることが多いのですが、質の高い情報がブログから発信されるようになりつつあるのは非常にありがたいことです。こうして取材もしなければ日本語もろくに出来ない「ジャーナリズト」たちが淘汰される時代が来ることを希望しています。まあ日本のメディアがひどいのが諸悪の根源なんですけどね。彼らばかりを責めるわけにはいかない。以下記事の内容を要約します。訳ではありません。

「分裂国会」
日本が分裂国会に入って8ヶ月、政局は見通しのつかない状態だ。自民党と民主党は一連の激しい争論を続けているのが、数ある中のその結果のひとつが金融市場が混乱に陥っている最中の日銀総裁の不在状況だ。状況は悪く見えるかもしれないが、こうした政争は実際には日本政治が改善されつつあることの印である。

1955年に政権与党についてから初めて自民党がその権力に関して制度的なチェックを受けることになっているのだ。これは重要なことだ。ほとんどあるいはまったく精査されることがなかった政策が国会審議の場で問われるようになったのだから。国民から見えないところで党内政治が行われた時代が去り、両党の対立が国民の前で繰り広げられているのだ。

民主党の新たな活動はいい結果を生んでいる。1974年から徴収されているガソリン税の「暫定税率」をめぐる争論を見てみよう。自民党は地方での道路建設や道路維持のためにこの財源を守ってきたが、この税金を自民党の「道路族」が私的目的のために利用してきたのだ。この財源の廃止は浪費と成長への足枷であると認識した前首相小泉純一郎の目標でもあった。

福田政権は2月から今年度予算案を衆議院にかけてきたが、参議院を支配している民主党はこの法案に反対し、いかに浪費的であるのかを示し、暫定税率と道路特定財源の廃止を呼びかけ、一般財源化すべきである旨議論してきた。今や自民党が行き詰まっている。日本の憲法では参議院が法案を通さない場合、衆議院が法案を採決することができる。これは技術的には可能だ。問題は4月1日から税金が期限切れになり、消費者が一時的な減税措置を享受し、消費者がこの撤回を望まないだろうことだ。また民主党の宣伝で、世論は暫定税率に反対に向かい、道路特定財源の廃止の計画を支持するようになっているのだ。

こうした活動で民主党は一時的に改革の主張者になれる。そうすることで自民党内に亀裂を入れ、改革派は自党と自身の理念の間の選択に追い込まれる。福田首相は小泉氏を含めた改革派と古いシステムの変更を望まない守旧派の間で引き裂かれている。

さらに重要なのはこの議論が両党の若い改革派を全面に押し出す機会を提供したことだ。民主党では暫定税率廃止を訴える60名からなる「ガソリン値下げ隊」が結成された。期限切れが間近に迫り、福田首相の駆け込みでの計画変更にともなって、自民党からは37人の若手グループが福田プランの支持グループが生まれ、特定財源の廃止を訴えている。

ガソリン税に加えて民主党は日銀総裁の任命を疑問視し、政府は任命手続きにおける参議院の憲法的に認められた役割を認めるよう、また民主党の望む基準にあった候補を要求している。この結果は1955年の自民党政権誕生以来最も有望な立法府による監視の実験となりつつある。

この効果は外交についても感じられる。民主党は自民党の日米関係のマネージメントを問題化してきた。まず米国艦船への給油の不適切な利用の問題を採り上げることによって、次に駐留米軍への思いやり予算の法案の通過を止め、その支出を調査する時間を参議院に与えることによって。かつてはより小さくより弱い左翼政党が同様の質問をしたが、その効果はほとんどなかったのだ。今や民主党は回答を要求し、少なくとも税金に関連する限りで、必要な監視を提供しているのだ。

これは日本の民主主義にとって重要なモーメントだ。二つの大政党が日本国家の将来にとって実質的な意味をもつ原則的な事柄についてオープンに衝突しているのだ。したがってまだ日本の政治システムには経済が直面する長期的な問題を扱うことができる希望があるのだ。たとえその進展が短期的には望めないとしても。とりわけこうした議論が改革派を全面に出す余地を与えるならば、この行き詰まりは日本が必要としているものであるであることが証明されるだろう。

以上のようにハリス氏はこのねじれ国会による「政治的停滞」とみなされるものを日本政治の向上にとって重要な契機ととらえています。ようやく政府への野党によるチェックが効くようになりつつあると。わたしは日銀総裁人事に関しての民主党の行動はハリス氏のように評価はできませんが(政治的理由でなく経済的理由から)、その他の論点については異論ありません。55年体制崩壊以降、長期不況の中、日本政治は迷走に迷走を重ね・・・と一般に語られますが、将来的には日本政治の進歩の時代として記述されることになるではないかと希望込みで考えています。ですから国民もあんまり悲観的になる必要はないし、メディアも今なにが生じているのか、それが日本民主主義発展史の展望の下でどのような意味をもつのか淡々と報じるべきだと思います。我らが父祖達はしびれを切らしてしまったわけですが(外部環境が最悪だったことは無視できませんが)、我らが世代は我慢強くいかないといけない。

追記
トビアス・ハリス氏→トヴァイス・ハリス氏でした。ハリスさん、失礼いたしました。

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新哲学派のお願い

NATO首脳会談の前日の記事で、新哲学派のお二人が嘆願をしていました。既に新規加盟国の結果が分かった現在ではなんだかなという話になりますが、思想界の声ということで紹介しておきます。アンドレ・グリュックスマンとベルナール・アンリ・レヴィの連名でウクライナとグルジアをNATOに加盟させろという内容です。西洋中心主義批判や多文化主義に対して普遍主義的な価値の擁護を掲げるこのお二人の立場から予想されるように親米的で反露的な内容になっています。人権と民主主義を守りぬけと。以下書簡の内容を粗い抄訳で紹介します。


(メルケル)首相閣下、(サルコジ)大統領閣下。ベルリンの壁の崩壊という20世紀末の類い稀なる出来事に熱狂的に遭遇してからはや20年になります。統一ドイツは我々の大陸の復活の道を開き、「ビロード革命」の波は共産主義独裁に続々と勝利しました。はるかなる新哲学派の時代からこの不正なる体制と戦い続けた私達は偉大なる自由の祝祭に歓喜しました。この前兆なき出来事に私達は新時代の開始を一致して見たのでありました。

10年ほど後にこの動きは継続されました。21世紀初頭にグルジアでは「バラ革命」が、ウクライナでは「オレンジ革命」がこの民主主義的な理念の国において勝利を収めたのです。喜ばしき平和的な集団の解放、この二つの蜂起は人類史が悪いニュースの累積以上のものであることを証明したのです。マルクスは死にましたが、解放の意思は彼よりも長生きしたのです。

明日ブカレストでNATOの首脳会談が開催されますが、これは冷戦終結以降最も重要な首脳会議です。2002年と2004年に欧州各国旗をはためかせてチブリシとキエフの街を覆ったあの学生や農民や労働者達のことをそこで思い起こせることを願います。

彼らはヨーロッパ、この私達の時代の偉大なる冒険の体現者でありました。彼らは今日、ここ60年私達の民主主義体制の安全を保障してきた組織に参加することを要求しているのであります。いったいなんの名において彼らを拒否できるでありましょうか。

ブカレストではアフガニスタン、コソボ、マケドニア、そしてグルジアとウクライナが問題となります。問題となるのは民主主義的西洋が自由と寛容の価値を受け入れ、当然の同盟者を支持するかどうかを知ることに他なりません。ウクライナとグルジアにMAP(加盟行動計画)を拒否することは劇的な誤りであります。

数十年にわたって私達は人権と民主主義の闘士達を支持してきました。ボスニアからアフガニスタン、パキスタンまで、ダルフールからチェチェン、チベットまで、北京からミンスクまで、私達はパルチザンを援助するのに乗り気でなく、その敵達に譲歩したがる西洋の友となることの苦しさを見てきました。ブカレストでは独裁国家を非難することが問題ではなく、主権者である人々の意思を私達の政治軍事ファミリーに統合することで承認することが問題なのです。

このことが私達の経済から雇用を奪ったり、石油を奪ったりすることはないでしょう。私達はガスと私達の友の自由との間で迷ったりすべきではありません。私達に要求されているのはとても単純なことです。

問題は今回もまた複数の国民と人民からなる私達の共同体が分裂していることです。ロシアを刺激しないことという強迫神経症的に繰り返される配慮によって、いくつかの政府はこのたいしてコストのかからない、しかし若い民主主義国への支持という象徴的な行為をいやがるのであります。反対は恐るべき道徳的破綻を意味し、政治的失敗となるでしょう。

KGB出身のプーチンとその後継者のガズプロムの設計者であるメドヴェージェフは狂信的なイデオローグではなく、権力関係のロジックに慣れた抜け目ない現実主義的な独裁者です。グルジアとウラクイナがMAPを獲得したならば、クレムリンは抗議し、威嚇し、おそらくはキエフやチブリシに一二発のミサイルを発射するかもしれません。しかしこれらの国にいかなる無分別な行動を起こしたり、NATOや欧州連合との関係を断ち切ったりすることはないでしょう。私達の決定はこの2つの領域を聖域化するものとなるでしょう。

反対に国家資本主義的なロシアの新たなるツァー達にとって破滅的なシグナルを送ることになるのは私達の拒否であると信じております。それは彼らに対して私達がひ弱で無気力であること、グルジアとウクライナが征服すべき土地でありることを示すことになるでしょう。欧州文明の空間にこれらの国々を統合しないことは地域を不安定化させるでしょう。一言で言えば、それはプーチンに譲歩すること、私達の原理原則を犠牲にすることです。

グルジアを例にとりましょう。このコーカサスの小国は長年ロシアの輸出禁止措置下にあります。その領土は元赤軍の爆撃機によって何度も空爆されました。2つの地域(アブハジアと南オセチア)はモスクワの支援を受けた分離独立主義者によって支配されています。私達のレアルポリティークの戦略家は半ば恥じ、半ば陶酔して「なにもしないための理由」を囁くのです。彼らはチェコスロヴァキアとズデーデンを忘れているのでしょうか。彼らはベルリンの壁にもかかわらず、東西分裂にもかかわらず、ソビエトの脅威にもかかわらず西ドイツをNATOに統合したことを覚えていないのでしょうか。放棄の戦略と勇気の戦略のうち、どちらが平和、繁栄、民主主義を欧州大陸に進展させるものなのでしょうか。

ウクライナの例もあげましょう。「キエフはロシア帝国の象徴的な揺籃の地だ」と今行動しないために過去に言及しようとする外交官達は言います。しかし彼らは20世紀の歴史を知っているのでしょうか。大飢饉やスターリンの圧政で亡くなった600万人のウクライナ人がロシアの指導者が血塗られたノスタルジーを抱いている帝国を破壊したことを彼らは見ようとしないのでしょうか。彼らは2004年のデモのスローガンをもう忘れてしまったのでしょうか。「私達は自由で独立している。私達は欧州人だ!」と。

この書簡の署名人はなんら役職や権限をもっていません。欧州文明を偉大たらしめたもの、まだたらしめているものを放棄することなく世界をあるがままに考えようと努めている者達です。そして西洋がまた民主主義の友と自由の兄弟を不確かな利害の祭壇の犠牲として捧げるのを見るという考えを断固拒否する者達です。欧州とアメリカが結ぶ関係に関してクレムリンに拒否権を与えてはいけません。NATOの扉をウクライナとグルジアに開いてください。

首相閣下、大統領閣下、この日の私達の責任は莫大です。あなた達の良心の声を聞き、あなた達とその人民の運命を理解してください。拒否のセイレーンに、好都合主義の安穏に屈しないでください。未来をあなた達を見つめ、私達を裁くのです。

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NATO首脳会議

NATOの現状についてはEconomistの記事の抄訳をエントリしておきましたが、だいたい予想通りの展開になっています。日本語では毎日が比較的詳しめの記事を書いています。それによると、ブカレストで開かれているNATO首脳会談の第一目ですが、クロアチアとアルバニアの加盟によって加盟国は26カ国になり、さらなるNATOの東方拡大が進みましたが、懸念のウクライナとグルジアは加盟見送り、また以前エントリしたマケドニアは例の国名問題で駄目だったようです。

旧ソ連圏のウクライナとグルジアですが、米国の熱心な希望にもかかわらず、ロシアとの直接的な対立を恐れる仏独をはじめとする10カ国の反対によって見送られました。これは多くが予想していた通りになりましたね。ギリシアの狭量のせいでマケドニアは残念でした。バルカンの取り込みはずいぶん中途半端な格好になっています。

新規加盟問題に加えて、今回の会議の焦点はアフガニスタンにあるわけですが、フランスのサルコジ大統領が800から1000人のフランス軍をISAFの一環としてアフガニスタン東部に派遣することを表明しました。アフガニスタンの現状はイラクなどよりはるかに展望が見えない状況にありますが、これで少し息がつけるでしょう。カナダの撤退論も後退するものと思われます。またMDに関しても欧州防衛にとって重要であるという合意ができたようです。今回はアメリカの要求はあまり通らなかったわけですが、フランス軍の派遣とミサイル防衛の2点だけは外交的にポイントを稼いだことになります。


今回の首脳会談の焦点となっているのはサルコジですので、少しだけフランスの説明をしておきますと、この国の国家戦略を述べる際にしばしば用いられる語彙に大陸欧州主義と大西洋主義の2つがあります。前者は独仏枢軸を中心に大陸ヨーロッパをひとつの地政学的ブロックと考える反英米的な発想で、伝統的なゴーリストはこれに連なります。一方の大西洋主義は反対に欧州とアメリカとの関係強化を主張する新英米的な発想で、サルコジはこの大西洋主義者の代表とみなされています。もっともこの2つの軸は非常に複雑に絡み合っています。サルコジもNATO軍事機構への復帰によってアメリカとの距離を縮める一方で、NATOの指揮権の一部を要求するつもりですし、NATOとは別に欧州連合の防衛政策を強化することも狙っています。

というわけで単純な親米屋というわけではありません。それでもアメリカのポチ呼ばわりされていますが。簡単に言うと、アメリカとロシアの間で欧州連合の安全保障をどう構想していくのか、そこでいかにフランスが主導権を握るのかという問題ですが、あのごちゃごちゃと多数の国がひしめく欧州ですからまさに複雑な多元連立方程式のような問題になるわけです。アフガニスタンへの軍の派遣に関しては、野党社会党はもちろん国民世論の多数が反対にまわっているようですからこれから国内での反対世論との対決を強いられるでしょう。

この首脳会議をめぐってはいずれ分析記事が出てくるでしょうから追って紹介したいと思います。

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イデオロギーズ

東欧でのミサイル防衛、米ロが基本合意へ[日経]
東欧地域のミサイル防衛計画に関して、欧州連合を巻き込んで米ロ間の緊張状態が続いていましたが、どうやら基本合意の道筋が見えてきたようです。アメリカ側がMD施設の利用限定の譲歩案を出したとのこと。チェコに配備されるレーダー使用を有事に限定すること、アゼルバイジャンのレーダーの共同利用を認めることなどが譲歩案の中身です。この合意は日本のMD戦略にも当然のことながら影響がありますから、我が国にとって重要なニュースです。技術的な問題からMDを批判する軍事評論家が多いわけですが、これは政治的意味のほうが大きいということを知らねばなりません。安全保障とは狭い意味での軍事ではなく政治なのです。

あいもかわらずつまらぬイデオロギー論争が起こっているようですね。例の靖国に関する映画のごたごたです。右翼の方々はこういう争論を起こすことが靖国のイメージを損ない、国際ニュースを通じてこの映画の広告役を買って出ているだけであることが分からないのですかねぇ。政治的効果などどうでもよく自己満足だけなんでしょうね、イデオロギーの徒というのは。ふう。各社社説で異口同音の非難をしていますが、分かれているのは稲田議員の評価でしょうか。国費に関わる案件で議員が国政調査権を用いることそのものは憲政内の行為でありましょうし、またそれが有意義な行為かどうかという問題を別とすれば(わたしは有害だと思いますが)、映画の内容を批判する自由もありましょう。また結果的に右翼への教唆になったから責任があるというロジックには危険がある。こうした論理は責任のインフレーションを招くことになり、逆説的に言論の自由の制約を増大させることにもつながると思います。

さてどうするかですが、わたしはむしろここで保守派の方々が上映運動を主導するという奇策の提案をしたいと思います。欧米リベラル左翼的な(あるいはそれに限らず一般的な)イマジネールの中において、日本の保守派というのは街宣右翼のイメージとだぶっているために悪魔化されて表象される傾向があります。しょうもない陰謀論のたぐいが日本左翼の陰口のせいでけっこう浸透しています。というわけでここであのうるさい人達を撃退する主導権を左派から保守派が奪い返すことでポイントを稼ぐというのはどうでしょうか。保守と右翼のイメージ上の差異化戦略です。国内向けではなく対外的なアピールとしてです。産経新聞あたりが音頭をとって大々的にやったらどうでしょうか。この映画のここは駄目だが、自由民主主義の徒としてこの映画を上映する自由は死守するのだと。。。どうもつまらぬ提案で失礼しました。でもやったら個人的に見直します。

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UBS炎上

スイスUBS、当期赤字1.2兆円 サブプライム問題で[朝日]
スイス最大の金融大手のUBSが1.2兆円の当期赤字の見込みだそうです。欧州の中ではサブプライム問題で最大の被害者とのこと。盛んに燃え上がっているようです。

Unhappy times for UBS investors[BBC]
BBCの記事が少し詳しいです。それによると、最大の被害者であるスイス銀行は今のところクレジットクランチで3.7兆円の損失を出しました。株主の非難ゴーゴーで頭取が責任をとって辞任する予定ですが、2月の株主総会は修羅場だったようです。この辞任をめぐっては「歓迎すべきだね、少なくともトップが自分の行動に責任をとろうとしている印だから」という声もありますが、「いつもことさ、最後の尻拭いをさせられるのは普通の人なんだ」「なんで頭取だけなんだよ、残りの連中はどうしたんだよ」という意見が多いようです。新しい頭取はUBSの取締役であるためここでも不満が爆発、「これは暫定的な措置にすぎないよ、本当に必要なのは外部の人間を据えることでしょ」という声。シンガポールと中東からの資本注入を含めた救済パッケージにはいやいやな模様。これまで非常に尊敬と信頼を集めていた銀行のこの失態ぶりには怒りと不満がうずまいているとのことです。しかし問題はこの銀行だけにとどまらない。財務省予想では、クレジットクランチはスイス経済全体に相当な影響を与え、2009年は1.5%の成長にとどまるとのこと。UBSの損失もまだまだこれから累積していくことが予想されているそうです。

どうもスイスはしばらく駄目っぽいですね。嵐の後に現在の地位を維持できているのでしょうかね。さあ、ヨーロッパはこれからが正念場のようです。シンガポールと中東は果敢に食い込んでいますが、根性なしの日本の金融機関にはどうも火事場に飛び込んでいくだけの気概はなさそうですねぇ。

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