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使えない人権機関について

最近はどうだかよく分かりませんが、我が国の戦後世論には国連を無条件に良きものと考える傾向性があることはよく知られた事実です。「国連中心主義」という言葉がありますが、この言葉を編み出したのがかの岸信介であるという事実はなぜか忘却されているような気がします。安保改定をにらんだ岸が米国の権威への過剰依存を戒めるべく編み出したこの戦略的含意の強い言葉がいつの間にかいわゆる進歩的知識人や盲目的反米主義者の玩具となり果てたという歴史的経緯をここで想起しておくべきかもしれません。

わたしは国連無用論者ではありませんが、それでも現状の国連の腐敗ぶりを見るにつけ、こんな組織になんで我々の血税をつぎ込まなければならないのかと内心情けなさを感じる機会が多いことは否定できません。とはいえこれだけ多数の国家が参加する国際機構も他になく、有意義な活動も皆無なわけではない以上、これを使える組織に改善していくことは我が国の果たすべき役割のひとつであろうとは思います。その意味においてわたしは国連を重視している方の人間ということになるでしょう。

国連の最大の目的である世界平和の実現に関してその果たした役割を評価できるという人はたぶんどこか遠くの世界に属している人でしょうから相手にしないとして、人権に関する活動に関してあまり実態は知らないけれどもこれを評価するいう人は意外に多いのではないかと推察申し上げます。邪推でしたらすみません。国連人権委員会がどれほど国際的に毀誉褒貶の激しい組織だったのかについて詳述は控えますが(日本語版Wikipediaでも少し書いてあります)、ここでは安保理同様に政治的駆け引きによって利用され続けてきた委員会とだけ申し上げておきましょう。少し前に日本がこの委員会に勧告を受けたときに天の声とばかりにわめいている人達がいましたが、これはまあそういう委員会なんでそれはそれあれはあれということで夜露四苦でいいと思います。

それでこの使えない人権委員会が2006年に人権理事会として改組されたわけですが、本当に機能するのかどうかについては懐疑的な声が以前から囁かれています。なんでお前がここにいるんだよという国がでかい顔をしているという状態はなかなか変わりそうにない。Economistがこの点について記事を書いていましたので紹介します。

喚き声のスタート
新しい国連組織が愛されなかった前任組織よりはましなことができることを証明しようと奮闘中。イスラエルへの強迫観念のおかげで、それはまだできていない。

2年前、60年の歴史をもつ国連人権委員会は見捨てられた。当時の国連事務総長のコフィ・アナン氏が述べた理由によれば、世界最悪の人権侵害者がこの組織を「批判から身をかわし、他国を批判するのに」利用したからだ。その後継者たる人権理事会が数ヶ月後に発足した時に、事務総長はそれが新しい機会を「逸する」ことがないように求めた。

多くの者は理事会がこの機会を逸したと感じている。イスラム諸国会議機構と非同盟運動に支配されたこの新しい団体は、前任組織同様に政治化され、一方的なイスラエル・バッシングに没頭していると非難されている。多くの人権組織も、非公式にだが、ひどく幻滅したと語り合っている。

非難の中からいくつか。深刻な人権蹂躙国家をメンバーとして入れていること。キューバ、ベラルーシ、コンゴのための「特別調査委員会」を解散する決定をしたこと。人権高等弁務官事務所の誠実性integrityの保持に失敗したこと。先月、ロシアと中国の援助を受けた理事会のイスラム諸国のメンバーが言論の自由は「宗教と信仰への敬意」のために制限され得るという決議を通そうとして報道の自由を訴える団体をぞっとさせたこと。

理事会には改良のチャンスが与えられるべきだと擁護者は言う。彼らは言う。そう、その通りだ、理事会はその前任団体の多くの過ちを再現している。同じ人々に代表される同じ国々が同じ席に座っているわけで、急激な変化は期待できっこない。「私が望むものにはまだなっていないし、我々が目指すべきものからはまだかけ離れている」と理事会の毎年のローテーションで初代の理事長となったメキシコ人のルイ・アルフォンソ・ド・アルバは言う。

普遍的定期審査(universal periodic review)として知られる新しいプロセスによって理事会の浮沈が決まると彼は考えている。これが理事会と前任組織との主要な差異を示している。委員会はしばしば十数カ国にだけ焦点を当てたが、これらの国々は批判者を窮地に追い込むような強い味方がいないせいで狙い撃ちにされたのだと不満をこぼす。ある意味で彼らは正しい。弱く、味方のいない国々(カンボジア、ソマリア、北朝鮮、スーダン)による人権侵害は非難されるが、例えば、中国、ロシア、サウジアラビア、パキスタンによる同様な罪は見逃されるのだ。

今や、安保理常任理事国を含めて全メンバーが公的な場でのヒアリングとウェブキャストのライブで4年毎に同輩によるレビューを受けなくてはならない。批判者はみせかけを恐れるが、擁護者はこのプロセスに機能するチャンスを与えるべきだと言う。

このレビュー・システムの下で3つの報告がなされた。地元のNGOと協力した政府によるもの。他の国連機関からのデータも用いた人権高等弁務官によるもの。国際的な人権団体によるもの。こうしたリポートを調査した後に、理事会メンバーはレビューされた国に3時間の質問を行う。3カ国の理事会メンバーによる評価が勧告とともに理事会に提出される。

最初の16カ国のヒアリングが先週完了した。ほとんどの国が入念に準備をした。多くは大臣を長にした大きな代表団を出した。来月のパキスタンも含む第二回のヒアリングはもっと大変なテストになるかもしれない。何カ国かの人権侵害国は妨害によってこのプロセスを頓挫させようとするかもしれないが、これはカメラにとらえられるだろう。違反者は批判者に対して敗北させると言うかもしれないが、告発者や被告発者によってプロセスが真剣に受け止められないことを意味しない。レビューはマルチラテラルな援助の決定を左右し、地元のアクティビストを励ますだろう。

理事会の働きぶりがわかりにくいとしたら、それは産みの苦しみが長かったからである。国連改革のパネルが「信用できない」53のメンバーからなる委員会を置き換えることを最初に示唆した時に、192カ国の国連全加盟国の人権エキスパートの理事会が議題にのぼった。これはアナン氏によって拒否されたが、彼は人権の「最高基準」を保持することを任された20から30カ国のメンバーからなるより小さく、より集中した団体というアメリカのアイディアを採用したのだった。

多くの押し問答の末に、前任団体よりわずかに少ない47カ国のメンバーからなる団体が立ち上げられた。総会の多数決で選出された(提起された3分の2の多数決の代わりに)そのメンバーは人権への「自発的な忠誠」そのものの事前テストを受けた。多くの最悪の違反者は選挙に出ることを拒否した。しかし中国、キューバ、ロシア、サウジ・アラビアは戻ってきた。

新理事会の強さと称するものはそれがほとんど常時機能するという事実である。かつての委員会は一年に6週間のセッションのために開かれた。この理事会は少なくとも3回のレギュラーなセッションで年に10週間、それプラス必要ならば少なくともメンバーの3分の1によって招集される「特別」セッションのために開かれる。緊急事態が悪い時に起きてもはや無視されることはない。

誰も予期しなかったのはイスラム諸国がこの手続きをイスラエルを狙い撃ちにするのに利用するその程度であった。6回のうち4回の特別セッションがこれまで招集されたが、ほとんどすべての決議がイスラエルに向けられてきた。2回の特別セッションがミャンマーとダルフールに関して開かれたが、中国、ジンバブエ、コロンビア、イラン、パキスタン、トルクメニスタン、サウジアラビア、エジプト、キューバ、ベラルーシの人権問題についてなにも言われていない。

反イスラエル決議のスポンサーが主張するには、国際法を侵害していると広く合意されている行動を非難するフォーラムは他にない。クラスター爆弾の使用、ガザの封鎖、拘留者の不当な扱い、「目標殺害targeted kiliings」などなど。安保理にこうした問題を提起しようとしても、アメリカの拒否権に直面する、と彼らは言う。しかしおそらくはイスラエル・バッシングは理事会が他の問題と取り組む気がないことを単に覆い隠すものである。

ムスリムと非同盟諸国はしばしば自身の誤りを無視して貧困国における侵害ばかりに焦点を当てると西洋を批判する。しかし彼らは理事会でいわゆる豊かな世界の悪事─テロリスト容疑者の不当な扱いのような─に対して行動を起こそうとしない。それは貧しく、怒る国々が人権で責めることによって強力なパートナーや援助ドナーとの関係を揺るがすことをためらっているからかもしれない。イスラエルに向かうのがもっと容易いのだ。

理事会の47カ国のメンバーのうち23カ国を─絶対的多数に1カ国だけ足らない─アメリカのシンクタンクのフリーダム・ハウスが「自由」としてランクしている。これに対して10カ国は「不自由」と記述される。なぜ「自由」諸国がイスラムや非同盟ブロックとバランスしないのだろうか。おそらくはこうした諸国はジェノヴァだけで17団体もある国連システム全体でなされる大きなトレード・オフで手を結びたいと思わないからだろう。貿易のような「より重要な」問題に関する取引がジェノヴァの廊下でいつもなされているのであり、市民的自由は容易く負けてしまう。

人権は国連が依拠する3つの柱のひとつである。60年前に調印された世界人権宣言は偉大な達成と見なされている。しかしどの権利が重要なのかで巨大な不一致がある。豊かな世界は優先されるべきは市民的、政治的権利だと言い、貧しい国々は経済的、社会的、文化的権利がもっと大切だと言う。新しい理事会はこうした議論がとりわけ激しくなっている時に生まれた。しかし2年足らずで真の対話の希望はイスラエルへの強迫観念を前にして色あせていく。

1月にアメリカは理事会がイスラエルのガザでの行動を非難し、イスラエルへのパレスチナ側のロケット攻撃の批判を拒否したセッションを非難した。ガザの状況を追い続けることは正しかった、と国連事務総称のバン・キムン氏は言う。しかし「理事会が同じくらいの関心と緊迫性をもって世界中の他の問題を見るならばそれを私は評価するだろう」と付け加えた。
(了)

というわけでさっそく機能していないようですね。途上国による先進国攻撃の舞台になりがちな傾向は相変わらずのようであります。もちろんこのたびのチベット問題もスルーでしたし、そのことでずいぶん揶揄されていました。メンバーの構成を変えない限りは駄目でしょう。Universal periodic reviewとかいうのも機能するんでしょうかね。日本にいるアクティヴィスト達もちゃんとreviewするシステムを構築しておかないとまたイデオロギー的に利用されるだけの予感がします。

ところでなんで日本のメディアは国連の実態を隠蔽し続けるのでしょうかね。国連スキャンダルの時も日本だけ静かなものでした。単に国内のどうでもいいようなトリヴィアルなネタ以外に興味がないのか、それともイデオロギー的に国民に知って欲しくないのかよく分かりませんが(前者にベット)、国民を目隠し状態にして幻想を煽るやり方は詐欺罪にあたると思いますのでそこのところは夜露四苦。

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コメント

すばらしい記事のご紹介ありがとうございます。おいら探してたんですよね、英語文献での人権理事会の批判記事。ご指摘のように、英語圏で、人権委員の勧告に乗っかった批判がありますでしょ。
この記事はさっそく保存しておきます。
m(_ _)m

投稿: 空 | 2008年4月26日 (土) 19時16分

理事会のメンバーの47カ国ですが以下です。ひどいメンツがそろったものです。
http://www.un.org/ga/61/elect/hrc/
例のセネガル人のディエンですが、スイスにも似たような勧告を出していますよ。まあ本当に人権蹂躙国家は無視で、相対的にまともな国を狙い撃ちなんですよね。
http://www.swissinfo.org/jpn/front/detail.html?siteSect=105&sid=7673987&cKey=1175507115000
それとレビューとやらは以下のリンクで進捗状況などがつかめます。我々の税金がつぎ込まれているんですからしっかりと監視していく必要があるでしょう。日本のメディアや偽の人権主義者はほとんど期待できませんけれどもね。
http://www2.ohchr.org/english/bodies/hrcouncil/

投稿: mozu | 2008年4月27日 (日) 07時25分

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