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昭和デモクラシー

昭和史の決定的瞬間 (ちくま新書)Book昭和史の決定的瞬間 (ちくま新書)

著者:坂野 潤治

販売元:筑摩書房
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戦前デモクラシー研究の権威として名高い著者による1930年代の国内政局と政治評論に焦点をあてた新書です。新書にしては内容は高度ですが、大胆な仮説があちこちに盛り込まれていて刺激的ですのでこの時代に関心のある人にはおすすめしておきます。本書の扱うタイムスパンは昭和11年(1936年)の総選挙と12年(1937年)の総選挙前後の1年半ときわめて限定されています。つまり日中戦争直前ですが、著者はこの時期を「昭和史の決定的瞬間」と捉えています。

まずこの時代について一般的に流布しているイメージが問題となります。昭和11年に226事件が起こって軍部の独裁の時代が始まり、この軍部の手によって昭和12年に盧溝橋事件が惹き起こされた。国内においては民主主義が押しつぶされ、国民は戦争に向かう政府の動向について情報を与えられず、戦争に反対し、平和を訴える勢力には言論の自由も与えられなかった云々といったものです。本書はきわめて錯綜した当時の政局を解きほぐしつつこうしたナラティブがきわめて単純化されたもので歴史的事実に反していることを明らかにしていきます。

まず、昭和11年の総選挙ですが、政界再編をにらんで当時のエリート集団は、陸軍皇道派、平沼系右翼、政友会VS新官僚、陸軍統制派、社会大衆党に両極分解していきます。この構図の中で政友会が当時の岡田内閣を攻撃するために利用しようとしたのが美濃部達吉の天皇機関説排撃と憲政常道論(挙国一致内閣から政党内閣への復帰)ですが、著者はこの二つがセットになっている点に注意を促します。当時の美濃部が議会制民主主義の擁護者ではなくその否定論者(職能代表制論)であったこと、また後者の勢力の牙城たる内閣審議会と内閣調査局が天皇機関説を体現する存在とみなされていたということを指摘しています。もっとも政友会が皇道派や右翼に接近し過ぎた点には批判的ではありますが。いずれにせよ美濃部達吉=天皇機関説=議会制民主主義の擁護者という理解は単純に誤りということになります。統帥権干犯問題もそうですが、実際の政局の中において見ないと天皇機関説とか国体明徴とかの意味はなかなか見えてこないものがあります。

昭和11年2月と言えば226事件ばかりが記憶されていますが、国民の審判が下されたその6日前の総選挙が無視されていることに著者は疑問を呈しています。この総選挙の結果は、右派陣営では政友会が71議席減、国民同盟が5議席減であったのに、左派陣営では自由主義的な民政党が78議席増、社会主義者が17議席増でした。野坂参三がこの結果を受けて民政党と社会大衆党が結合して「軍ファシズム」を打倒する「人民戦線」の可能性に言及したエピソードを紹介していますが、実際、この総選挙の結果を受けて政党や言論の側からの軍への反撃が始まります。躍進した民政党の斉藤隆夫の「粛軍演説」は有名ですが、「中央公論」でも労農派マルキスト大森義太郎の「反ファッショ人民戦線」構想や右派の軍事評論家の武藤貞一、また民政党の斎藤隆夫による国防計画批判などが堂々と掲載されていることに注意を向けています。つまりこの時期に軍批判は非常に盛り上がっていたのであり、当然ながら言論の自由もあったわけです。

この人民戦線構想は実際には実現しなかったわけですが、それは民政党と社会大衆党とが相容れない政策志向をもっていたことに求められます。自由主義的な民政党は平和と粛軍を訴える一方で大企業の利害を代弁し、国民生活の向上には関心を向けようとしない。社会大衆党は陸軍の「広義国防論」に共鳴する一方で、中下層の国民生活の向上のための社会政策を訴える。社会大衆党から見れば、陸軍の国防論は国民福祉の向上に役立つものだったわけです。社会党の前身たる社大党は戦争に協力した国家社会主義政党に過ぎないと戦後は評価されないわけですが、軍に近すぎた点を除けば、その主張内容はオーソドックな社会民主主義と言えるでしょう。

次に二つの総選挙に挟まれた時期に試みられた「宇垣流産内閣」構想について紙幅が費やされています。昭和12年1月に政友会の浜田国松による名高い軍批判の「割腹演説」で広田内閣が倒閣されると、軍の影響力を抑えて戦争を阻止するために陸軍ハト派で前朝鮮総督の宇垣一成を総裁、首相に据えて政友会と民政党の2大政党の連立内閣をつくるという構想が持ち上がります。そもそも2大政党が連立して陸軍に対抗するという構想は昭和6年から存在していたものですが、陸軍の復讐を恐れる内大臣湯浅倉平の怯懦によってあえなく挫折してしまいます。著者によれば、この「協力内閣論」(大連立論)は実現しなかったこともあってこれまで注目されてこなかったのですが、この時期の有力な選択肢であり続けた事実を強調しています。

宇垣内閣が流産した後の林鉄十郎内閣は短命に終わったいわゆる「軍部独裁内閣」ですが、外務大臣にハト派の佐藤尚武を任命し、三井財閥の池田成彬を日銀総裁に据え、「狭義国防論」に立つ点で国家社会主義的な方向にブレーキをかける内閣であると自由主義的な政治評論家の馬場恒吾は評価していたと言います。林の不可解な解散の後に行われた4月の総選挙が戦前最後の総選挙となりますが、政友会、民政党の合計議席が減少する一方で都市部で社会大衆党が大躍進するという結果に終わります。この社会大衆党の躍進を社会民主主義者の河合栄治郎は「日本政治史上において特筆すべき重大な事実」と呼び、マルクス主義哲学者の戸坂潤はこの選挙によって「ファシズム」ではなく「自由主義ないしデモクラシーが今日の日本国民の常識である」ことが証明されたと評価しています。また社会大衆党の「広義国防論」の意味内容も反陸軍的なものに変わったと著者は推論しています。いずにせよ同時代的にはこの選挙は軍に対する民主主義の勝利として理解されていたと言います。また日中戦争直前の言論の世界を見渡しても戦争の差し迫った危機感はどこにもないことにも著者は注意を促しています。著者の結論は「民主化の頂点において突然戦争が始まり、戦争によって民主主義が圧殺された」ということになります。

最後に。これまで「戦後歴史学」をリベラルな立場から批判してきた著者の問題意識はなにゆえ戦後民主主義思想の基盤はかくも脆弱なのかというところにあります。著者の戦前デモクラシーの再評価と戦前戦後を通じた日本民主主義の連続性の掘り起こしの作業はもちろん右派的な「伝統」の擁護の主張とは似ても似つかないものであります。結局のところ戦前を暗黒時代として単純に切り捨ててしまったこと、民主主義を占領軍の贈り物ととらえてしまったことが日本民主主義の根を見失わせることになったのではないかという著者の反省意識は左派の人々にもっと分け持たれるべきだとわたしは思います。実際に戦前戦後の民主主義の流れを辿ればそこには一本の筋があり、それは今後も伸ばしていかなければならないものであることが感得できるはずだからです。

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コメント

「民主化の頂点において突然戦争が始まり、・・・・」
民主主義とは何か、というのは、議論があるところでしょうが、政策決定が民によって為される、という意味では、「突然」という民から離れた突発性に当時の民主主義の問題の一つがあったようなにも思えますね。また、そうした危険性は現在でも潜在するのかもしれませんね。

投稿: 空 | 2008年4月14日 (月) 09時03分

民主主義と戦争というのは大変なテーマですが、実際、開戦が民主的プロセスを経て熟慮の上でなされるというケースはどちらかというとまれなんじゃないでしょうか。手続きを踏んでいれば民主的ってことになるのでしょうが、状況は流動的なので実際にはもたもたやっているひまはあまりない。

国民の目からは事前に予感はあっても、なんだかよく分からないうちに始まり、戦時体制がしかれ、ともかくこれを支持するというのがほとんどだったと思います。それに日中戦争は途上国での治安維持活動ぐらいの認識のままでしたしね。そもそも戦争をやっているという意識が欠落していた。

この時期の日本は、ヨーロッパで言えば、第一次世界大戦かそれ以前の段階の民主主義体制にあたると思いますが、実際、そういう目で見ればそれほど特異には思われない。今の目から見れば、メディアの統制とか国内反対派への人権上の配慮のなさとか問題だらけではありますがね。

最近の例で言えば、イラク戦争開戦にいたるアメリカのケースを見ていても、理想的な「民主主義の戦争」ってどういうものなんだろうと考えてしまいますね。

投稿: mozu | 2008年4月14日 (月) 15時07分

民主国家同士は戦争しない、とか言われるのもある意味で神話かもしれんですね。むしろ、民衆が戦争を支持・推進したなんて言っている人もいますね。ここらへん、つまり、民主主義と戦争ということは、簡単な因果関係があるとはいえない。
また、アメリカの戦争行為なんかも、憲法上は議会の手続きが必要なところトルーマン以降は大統領の権限で侵攻できるようになってしまった、と嘆いているアメリカのリベラルの方もおられるようで、なかなか難しいところで、日本でもそこらへんは議論を詰めておいた方がいいですね。

投稿: 空 | 2008年4月14日 (月) 15時47分

>民主国家同士は戦争しない、とか言われるのもある意味で神話かもしれんですね。
ええ、ヨーロッパ史を見ればすぐに分かると思います。また民主化プロセスと戦争は切り離せないですよね。労働者階級や女性への参政権の拡大は戦争のたびに進展したわけですから。人権意識や生活水準が向上してくると戦争のコストの大きさに敏感になるという意味で平和志向が強くなるということはあると思いますが、デモクラティック・ピース論はそうとうあやしいと思います。

日本の戦後思想が根本的に変なのは要は日本が戦争をしたのは民主主義がなかったからだという連合国側の戦後処理の仕方にあったような気もします。だから民主主義と平和がセットで理解されてしまった。わたしは先の戦争は典型的な「民主主義の失敗」だと思っています。

>アメリカの戦争行為なんかも、憲法上は議会の手続きが必要なところトルーマン以降は大統領の権限で侵攻できるようになってしまった
フランスにいたっては緊急事態には大統領がカール・シュミット的に独裁権を行使できますよ(苦笑)。もたもたやっているうちにナチにやられてしまったという反省からド・ゴールが持ち込んだものですが、大統領君主制などと揶揄されています。

投稿: mozu | 2008年4月14日 (月) 16時21分

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