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無思想の立場

日本の外交 明治維新から現代まで日本の外交 明治維新から現代まで
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これもずいぶん前に読んだ本ですが、ブックオフで100円購入して再読しました。一般向けに日本外交を論じた古典的名著として評価が高いですが、初版が1966年であるにもかかわらず、全く古さを感じないどころかますます妥当な議論に見えてくるのは著者の見識の高さのゆえであり、また我が国の慣性のようなもの(あるいは進歩の乏しさ)のゆえでもありましょう。通史の体裁をとっていますが、歴史的事象の羅列ではなく、著者特有の分析枠組みに従って記述されていますので、詳細にわたる歴史の本を読むのに苦痛を感じる人にも読みやすいでしょう。記述は明晰ですが密度が濃く古典の風格を漂わせています。なにか日本外交についてもの言いたいという方は是非手に取ることをおすすめします。最初に読むべき本です。以下興味深い細かい事例は割愛して本の内容の概要を紹介したいと思います。

著者特有の分析枠組みとは外交における思想的な背景の重視です。実際、この本の記述は、近代日本の外交を支配する原理の特徴はなんなのか、日本外交の指導原則は国際情勢を把握する上でどのような役割を果たしたのか、またその獲得された国際情勢認識と現実との間には適合性があったのかどうかといった問題意識に導かれています。換言すれば、客観的な国際情勢の展開の中に日本の政策担当者や国民世論の主観的な要素を置いてみて検証するということです。この客観と主観の絡み合いを単なる事実の羅列でなく、あるいは「軍国主義」とか「帝国主義」といったような手垢のついたドクマチックな概念で裁断するのでなく記述するのが外交史であると方法論的な宣言をしています。

そうした分析作業を通じて、著者は「政府の現実主義」と「民間の理想主義」の対立という世に名高い定式化を行います。日本政府の現実主義の源流は明治初期に遡るとされますが、当時の国際情勢に鑑みて国力を増強するには近代化ないし西洋化は必至であり、このこと自体は善とも悪ともいえないという価値判断の留保のことです。抽象概念や道徳概念にとらわれない、この「無思想の立場」は条約改正運動や殖産興業などの仕事を着実に進める上で有利に働きます。その一方でこの抽象的な観念の欠如に飽き足らない民間は常に政府批判を行い、なにか道徳感情を満たしてくれるような華々しさを外交に求めるという対立構造が出来上がったと論じられます。まあ今もこのまんまですね。

そしてこの民間の理想主義の代表が例の東西文明論とアジア主義になります。民間では東西の融合とか東西の対立といったテーマが熱心に議論され、日本は東西の文明の融合を成し遂げる運命をもつとか、アジアに自由と独立をもたらす役割を果たせなどと主張されたわけですが、東洋とか西洋とかアジアとか実体を欠いた漠たる概念でしか国際情勢を認識できなかったこと自体が現実に立脚した堅固な理念を構築できなかった近代日本の世界認識の限界を示すものと評価されます。まあ今もこのまんまですね。

このアジア主義が外交の前面に出るのは1930年代ですが、民間の議論は別にして政府や軍が主導したアジア主義は軍事的、経済的利益の正当化の手段にとどまり、外交の指導原則となったのは1941年前後数年だけであったとされます。近代日本が生み出した外交思想と呼べるものは唯一この東と西の二元論だけでありましたが、それも国際情勢の変化に応じて東西協調の思想になったり、東西対立の宿命論になったりと揺れ動き続けたのであって、アメリカ外交の一元的な世界観や中国外交を貫く歴史観とは対照的であると言われます。

その他に短命に終わった試みとして紙幅が費やされているのが1920年代の幣原外相時代の有名な新外交思想です。これは第一次世界大戦後の米ソの新外交への対応として古典的な帝国主義外交に代わるものとして構想されましたが、第一に「世界の大勢」に合わせて平和や正義の精神にのっとって国際親善を基底にした外交方針を貫くという国際協調主義、第二に国家間の経済的相互依存が世界の平和を維持するものであり、国土の安全は軍縮協定や平和主義によって確保されるという経済中心主義を柱とするものです。これに対しては軍からは夢想論との批判が浴びせられ、現実に中国ナショナリズムの激化や世界恐慌後の自由貿易体制の崩壊とともにあえなく崩壊してしまったことは周知の通りです。戦後はこの路線の復活とも言えますが、特定の条件下でしか成立し得ないということは肝に命じないといけないでしょう。

以上のように近代日本の外交はつねに現実的、実際的であり、刻々と変化する国際情勢にアドホックに対応していくという特徴をもち、国土の安全と貿易の振興という軍事、経済両面のナショナル・インタレストによって一貫して外交思想は枠づけられていたとされます。思想らしきものは状況に応じて採用したり破棄したりするが、軍事や経済のバランスをとる統一的な理念がない。そしてこの特徴は特定の具体的な目標がある内は、つまり国際的な「現実」と日本側から見た「現実」が合致している間は、実に有効に機能するものの、新事態に遭遇した場合には全体のバランスが崩れて漂流を始め、国民世論は不安と焦燥にかられ、といった具合に脆弱性を露にするというパターンが見て取れます。この本では日露戦争後に東西文明論やアジア主義が流行した点に特に注目していますが、冷戦崩壊以降に新アジア主義やらなにやらが流行ったりというのもこの不安と焦燥の現れでしょう。いずれにせよナショナル・インタレストの追求はもちろんではあるが、国際的現実に立脚した独りよがりでない、また国民がそれに取り組むに値すると思われるような外交理念を打ち立てなくてはならないと1966年の時点で著者は述べていますが、それはまだ見出せていないようですね。

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コメント

おもしろそうな本ですね。英語圏ではJapan
rising なんか名著だと思うんですが、日本の外交方針というのは、国際情勢に鑑みとか、時代の趨勢とか、そういった環境的要因に規定されていく。これは小国日本としては当然だと思うんですね。で、戦後は、吉田ドクトリン、ネオ商業主義できて、それで成功していた、と。で、このまま、行くのか、非武装中立論は論外として、それとも戦後レジームの転換していくのか、という選択ーーーもっともこれも現状の国際情勢とか時代の趨勢といったものをどう読んでいくかにかかわってくる。現状はわりに混沌としていてそれを反映してか、諸氏の現状認識も混沌としている。
 で、外交的に変化が起きるには、国際情勢上の何か大きな「しるし」みたいなものがあるのか、特に米国の国力や方針の変化が大きな転換点になるのかな、というような印象があります。

投稿: 空 | 2008年4月13日 (日) 07時55分

英語圏でも入江さんの議論はよく引用されるので標準的な理解になっているんでしょうね。外部環境の変化に融通無碍に適応するのが日本の特徴で、あまり自分から国際環境を設定しようとしない。選択肢の限られた状況には強いけれども、フリーになると何をやったらよくわからなくなると。本質主義は嫌なんですが、実際、その通りのような気がしてきます。

明治や戦後は「小国」として実に見事な外交をやってのけたと思いますが、「大国」になった時点で無思想だと困る。現実主義的であるのは美点だと思いますが、なにかあまり大げさではない理念があると全体のちぐはぐをなくせるのになあとしみじみ思いました。

米国の動向を鑑みてどういう選択肢があるのか構想するというのは今後も基本になると思いますが、日本側からアメリカに働きかける必要もあるわけで、主体的にこうするんだというのがないとやっぱり駄目でしょう。アメリカの政権交代のたびにおろおろするのはもう止めるべきだと思いますよ。伝統的にアジア外交が下手ですから情報共有して連絡をもっと密にして日本の意思を間接的に反映させていかないといけないんでしょうね。

投稿: mozu | 2008年4月13日 (日) 15時03分

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