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68年をめぐる論争(3)

仏語圏では68年をめぐる論争はうんざりするほど続いているわけですが、どれもこれもだいたい予想通りの内容で未来に向けてこれといった新しいポイントはなかなか見えてこないですね。肯定的なものであれ否定的なものであれ。というわけでNYTがこの論争についてリポートしていましたのでそちらの方を紹介してこのネタは終わりにします。外国からのリポートですからその分距離感があって読みやすいですし、いい落ちもついています。コーン・ベンディットの軽ーい感じがなんともいえない味を出していますね。一方、グリュックスマンはもう駄目なんじゃなかろうか。まあ、結局、この論争、おじさん、おばさんのノスタルジーということで「総括」していいのではないでしょうか。若者達も古い夢に惑わされずに自分の夢をなんとかつかめるといいですね。あと大きなお世話ですが、君らがやってるのあんまり生産的なデモじゃないと思いますよ、それじゃ雇用を新たに創れないってば。

「68年5月のバリケードはまだフランス人を分裂させている」[NYT]
40年前、ネクタイにボビー・ソックスのフランスの学生達は舗石を警官に投げつけ、硬直した戦後システムは変化すべきだと要求した。今日、フランスの学生は職探しや福祉の喪失に不安を覚え、なにも変化すべきでないと要求して街頭を行進している。

1968年5月はフランスの生活の分水嶺であり、多くにとっての聖なる解放の瞬間であった。この瞬間、若者は一体となり、労働者は耳を傾け、半ば王政的なド・ゴール政権はおののいた。

しかし当時13才だった現在のフランス大統領ニコラ・サルコジのような他の人々にとっては、1968年5月は無秩序、道徳的相対主義、社会的、愛国的諸価値の破壊を意味しており、彼の激しい言葉で言えば、「清算されなければならない」ものだ。

40年前になにが起こったのかについての激論はとてもフランス的だ。レッテルに関する戦いすら存在している─右翼はこれを「事件」と呼び、左翼はこれを「運動」と呼ぶ。

若者の反乱が西側で広まった時─アメリカのベトナム反戦運動からスウィングするロンドンのローリング・ストーンズ、さらには西ドイツのバーダー・マインホフのギャングまで─フランスはベビーブーマー世代が1000万の労働者のストライキとともに、息苦しい階級的社会規範、教育、性行動への単なる反感ではなくて真の政治革命に接近した場所だった。

当時の立役者であり、なお有名な「パブリック・インテレクチュアル」であるアンドレ・グリュックスマンにとって1968年5月は「わたし達が記念したいあるいは埋葬したい、崇高なあるいは唾棄すべき瞬間」だ。

「それはみなが肉片を奪いとろうとする遺体のようなものです」と彼は言う。

71才でなおビートルズのようなモップ・ヘアをしているグリュックスマン氏は映画監督の28才の息子のラファエルとともに「ニコラ・サルコジに説明する68年5月」という本を書いた。

サルコジ氏は一年前に社会党候補に対抗した時の刺すようなキャンペーン演説で1968年5月と「その左翼の後継者」を攻撃したが、「道徳、権威、労働、国民アイデンティティー」の危機をもらしたと彼らを非難したのだった。彼は「左翼のキャビア達のシニシズム」、左翼のhigh-liversを攻撃した。

1968年には「ボルシェビキ革命のように世界を変えることが希望でした。でもそれは不可避的に不完全なものでしたし、国家制度は無傷なままです」とグリュックスマン氏は語る。「わたし達は記念しています。しかし右翼に権力があるのです!」

フランス左翼に関しては、「昏睡状態にあります」と彼は言う。

1995年に高校で最初のストライキを指導したラファエル・グリュックスマンにとって、彼の世代は反乱する父親世代に対してノスタルジーを持っているけれども、厳しい経済の時代に戦いをする余裕がない。

「若い人達は今、あらゆる改革を拒否するために、教授達の権利を守るために行進しています」と彼は言う。「わたし達には別の選択肢というものが見えないです。軸を失った世代ですね。」

40年前の事件(ないし運動)はパリ郊外のナンテールで5月に始まったが、ナンテールでは若いフランス生まれのドイツ人ダニエル・コーン・ベンティットが─寮で男女が一緒にいる時の─大学の規則に対してデモを指導したのだった。

大学が5月始めに閉鎖された時、怒りが直ぐさまパリの中央、カルチェ・ラタン、そしてソルボンヌ─そこでエリート学生達は古くさい大学の規則に対してデモを行った─、さらに外では大工場の労働者にまで広がった。

バリケードの光景、警察の命令、催涙ガスといったものはフランス人にとって大切なものであり、あらゆる雑誌や数多の書物で再現された。現在、84才の写真家マルク・リボーによる写真集「舗石の下で」もその中の一冊だ。このタイトルは現在欧州議会メンバーをしている、指導者にして道化師のコーン・ベンディット氏による当時の有名なスローガン「舗石の下のビーチ」を参照したものだ。

政治と髪の毛の両方の色から「赤毛のダニー」で知られたコーン・ベンディット氏はまた当時の他の有名なスローガン「禁止することは禁止されている」とか「限界なく生き、制限なく楽しめ!」─enjoyにあたる言葉、jouirには性的絶頂のダブル・ミーニングがある─の作者だと考えられている。

当時のもう一人のリーダーであるアラン・ゲマール氏が述べるところでは、バース・コントロールのピルがその前年にようやく販売許可された厳格な国にあってこの命令はとりわけ効き目があった。

18ヶ月拘置された─しかし後に政府の大臣達のカウンセラーを務めた─物理学者のゲマール氏は「私の1968年5月」という本を記した。

元マオイストで現在69才のゲマール氏はiPhoneを使用している。彼は楽しそうにモーツァルトばかりのミュージック・カタログを見せてくれる。

運動は「政治的な革命としてではなく社会革命として」継続したと彼は言う。ド・ゴール政権は学生が大統領府に行進した時には警察と機動隊で応じたが、革命については語っていたが革命を本気で実行しようと考えたことは一度もない学生リーダー達にはこうなるとはついぞ思い浮かばなかったと彼は言う。

もっとも重要なことは、運動は「フランスにおける共産党の終わりの始まり」─共産党は自分がコントロールできない若い左翼の革命に激しく反対した─であったことだとゲマール氏は述べる。

左翼はまた大企業の組合に対する党の権威を破壊するのに重要な役割を務めた。

1968年5月の社会─アルジェリア戦争、ベビー・ブーム、子供に溢れた学校によって動揺していた第二次世界大戦以前の社会の保守的な再生─は「完全にブロックされていた」とゲマール氏は言う。

「フランス大統領に選ばれるどころか、離婚した男性としてサルコジはエリゼ宮のディナーに招かれなかっただろう」とゲマール氏は言う。移民でユダヤ系のルーツをもつサルコジ氏の華やかな私生活も政治的成功も「1968年なしでは想像もできない」と彼は言う。「新保守は68年なしで想像できない」。

「フランスというギルド的な美術館」を近代化する、そして「聖なる国家」権力を減少する最良のチャンスとしてサルコジ氏をなお支持するアンドレ・グリュックスマンは1968年5月の事件へのサルコジ氏の激しい攻撃キャンペーンに驚いた。

「サルコジは最初のポスト68年の大統領です」とグリュクスマン氏は言う。「68年を清算するとは彼自身を清算することです」。

しかしこの記念にはファッシナブルな馬鹿馬鹿しさもある。デザイナーのソニア・リキエルとアニエスb.はあらゆる雑誌で1968年5月の見方について議論しているし、あらゆるチャンネルでドキュメンタリーや議論が見られるし、ベトナム生まれのパリの宝石商のジャン・ディン・ヴァンは「自由の40年」─彼の場合、成功─を祝うために当時彼が作った銀の舗石のペンダントを復刻した(チェーン付きで一番小さいもので275ドル)。

ホット・ピンクの高価なグルメ・ストアのフォションですら時代精神に連なった。この店は「68年5月茶」という名前のスローガンで飾られた(「詩は通りにある」と「力への想像」)中国の緑茶入りのメタル・ボックスを販売している。「エギゾチックな果物、グレープフルーツ、レモンの皮とローズの花びらで微妙に香り付けされた」と書かれたこれをフォションは「革命の香りの茶」と呼ぶ。価格約23.50ドル。

サルコジ氏自身この精神に飛び乗ろうとしている。4月には「ニコラへ。力への想像力、しかしいつ?よろしく。ダニーより」といたずら書きされた自著「68年を忘れよ」を彼にプレゼントしたコーン・ベンディット氏にサルコジ氏は会った。サルコジ氏は「笑って、言ったよ、これ読むからと」とコーン・ベンディット氏は言う。

「わたしは1968年5月を忘れよと言います」と彼は言う。「もう終わったんだ。今日の社会は1960年の社会とはなんの関係もない。自分を反権威主義者と自称した時にはわたし達は全然違う社会と戦っていたんだから」。

ジャン・ピエール・ル・ゴフは国立科学研究センターの社会学者で「68年5月、不可能なる遺産」の著者だ。1968年5月は「誰にも属していません」と彼は言う。しかし彼は深刻な錯誤、世代間の迷宮を見つけ出す。当時は「大量の若者がはじめて主役として歴史の舞台にのぼりました。そこには肯定主義と進歩のイデオロギーがありました」。

今、フランスは抑鬱的で、「若者はすべてを恐れている」と彼は言う。

32000人の学生がいるパリ郊外の大学、ナンテールでは、図書館のポスターがマルクスの講座の宣伝をしている。「分析はなお有効だがいくぶんかの修正が必要」と。学生がマルクスの頭にX印を引き、「すべては終わった!」と上に書いている。

1968年に学生が両親よりも自由で素敵な生活を望んでいたとしたら、今の学生はこれ以上ひどくない暮らしを望んでいる。24才のトマス・ヴァスティンはヒューマン・リソースの勉強をしているが、学生は単に社会を反映しているだけだと言う。「40年前、彼らはすべてを変えようと望んだ」と彼は言う。「でも今は学生はセルフィッシュじゃない、でも自分がもつものを失うことを心配している。今は僕達は行進して言うんだ、システムに手を触れるな!とね」。

美術史専攻でポニーテールに髭の22才のラファエル・フォンフロワドは1968年の本当のインパクトは政治的なものではなく個人的なものだと言う。「僕らにとってこうしたすべては抽象的だよ」と彼は言う。「僕らが育ったのは両親がみんな離婚した世界なんだ」。そして子供は新しいリベラリズムの矛先をもっている。1968年は「僕らの両親を変えた、でも世界は変わると思われたけど、変わらなかったってわけさ」。

22才のグレゴワール・ル・ベールは「今では彼らみたいに僕らに新しいシステムを構想するなんて無理だよ、でも徐々に世界をよくしていくことはできる」と環境問題や社会正義について触れて語った。

21才のヴィルジニー・ミュレは歴史を専攻する。「わたし達はみなこのフランスでどうやって働くのかの心配をしている」と彼女は語る。1968年5月については「すべてがちょっと誇張されている」と彼女は言う。「昔の人達が自分達を祝っているだけみたい」と。
(了)

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