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2008年5月

自衛隊がねぇ

なんだか隔世の感のあるニュースですね。大陸、半島に我らが自衛隊が上陸する状況というのは現実感をもって想像できなかったのですが。かすかな胸騒ぎのようなものを感じます。とりわけご年配の世代の方々の複雑な心中は察して余りあります。

自衛隊機派遣で日中両国が協議、民間機との組み合わせ案も[読売]

中国が四川大地震の被災者対策として、テントなど緊急支援物資の輸送を求めていることを受け、日本政府は航空自衛隊派遣などの準備を進めている。

防衛省は29日、C130輸送機3機による輸送計画をまとめた。ただ、中国には自衛隊派遣に反発する声も根強く、日中両政府は慎重に検討を進めている。

輸送計画は、3機のC130が3日間で計8往復し、四川省成都に陸上自衛隊や兵庫県などのテント計約200張り、毛布約3600枚、食料などを運ぶ内容だ。31日に派遣できるよう準備している。

一方、中国政府が自衛隊機を敬遠した場合に備え、C130と民間のチャーター機を組み合わせる案なども検討している。
(5月29日)

まだ協議中ですが、どうもこのプランは実現しそうな様子です。あちらさんでも人民解放軍の強硬派あたりはかなり不満でしょう。どう反響するのでしょうかね。またJapan observingにあるように、この救援要請は日本の左右のイデオロギー的な勢力を困惑させているようです。国家威信にかけて自衛隊の海外での活動の拡大を求めてきた反中的な勢力にとっては「まさか中国の救援をするとは」でしょうし、大陸への贖罪意識から逃れられず、非現実的な平和主義を唱えたきた親中的な勢力は「まさか中国から要請がくるとは」という気持ちでしょう。さっそく社民党が支離滅裂な反対をしていましたね。災害救助活動や人道復興支援はソフトパワーの面から言って軍にとって重要な活動だと思いますよ。どん底からスタートした自衛隊が日本国民の間で信頼を勝ち得てきたのはこの分野での貢献(怪獣や異星人との仮想的な戦いも含めて)が大きかったわけですし。

どうなるのか判りませんが、私としてはこのプランは支持したいです。自衛隊が大陸の土を踏む─輸送機が降下するだけかもしれませんが─というのは、あちらの反応は別にしても、我が国の国民心理にとってもひとつの転換点になり得るかもしれないですから。どういう意味での転換なのかはなかなか説明し難いのですが、大陸は戦後日本にとっても多かれ少なかれトラウマ的な土地であった訳でそこに自衛隊が降り立つことでより現実的な地平が開けてくるといいますか・・・、いや単純化し過ぎでしょうかね。なお「日中友好」みたいな陽気なお題目を素朴に信じている訳ではありませんが、疑心暗鬼が高進し過ぎないようにこうしたコミュニケーション履歴を重ねて行く必要はあるでしょう。

地方分権ネタはしばらくとり上げていませんでしたが、継続して追いかけています。道州制の議論の続報です。

行革推進の700人委員会、道州制導入を提言[読売]

有識者でつくる「日本再建のため行革を推進する700人委員会」の代表世話人を務める塩川正十郎・元財務相、水野清・元総務庁長官と、同委の道州制導入研究会の石原信雄座長(元官房副長官)らが26日、増田総務相に道州制の提言書を手渡した。

水野、石原両氏は記者会見し、「日本の統治構造を全面的に変えるために道州制導入が必要。2018年をメドに道州制を導入すべきだ」と強調した。総務相は提言に賛意を示したという。
[...]
 石原氏は、「行政改革の総仕上げとして、道州制導入を提言した。我々の言う道州は国内行政の大半を担当し完全な地方自治体とする。国の出先機関との位置づけは一切ない」と主張した。
(2008年5月26日)

こちらは有識者による行革推進のための700人委員会が道州制案を提出したというニュースです。最近行った会議の報告のPDFがありました。骨子ですのであまり踏み込んだ記述がないですね。行財政改革としての道州制というトーンが強いですが、区割りの問題と地方財政の基盤をどう考えているのかはこれだけだとよく判りませんね。

自民、道州制区割りで4案まとめる…分割数は9と11[読売]

自民党の道州制推進本部(本部長・谷垣政調会長)は29日、道州制の区割りに関し、9ブロックに分ける案と11ブロックに分ける3案の計4案をまとめた。

これらを基に道州制議論を進める考えで、6月には全国の知事や都道府県議会議長と意見交換する予定だ。

9道州案は、北海道、東北、北関東、南関東、中部、関西、中国・四国、九州、沖縄にブロックを分けている。このうち、中部を北陸と東海に、中国・四国を中国と四国に分割したのが11道州案だ。

11道州案は、新潟県を北関東と東北のどちらに入れるか、埼玉県を南関東と北関東のどちらに入れるかにより、3案に分けている。

いずれも、北海道と沖縄県は単独の道州としているのが特徴だ。東京都は南関東に入れているが、「道州から独立させるべきだ」という意見もあり、さらに議論を詰める予定だ。
[...]
政府は道州制について、増田総務相(道州制担当)の私的懇談会「道州制ビジョン懇談会」(座長・江口克彦PHP総合研究所社長)で検討を進めている。しかし、3月にまとめた中間報告では、区割りや税財政制度を先送りにするなど、議論は深まっていない。
(2008年5月29日)

政府の中間報告は区割り議論を回避しましたが、自民党案はいくつかの案を併記しているようです。第3次中間報告はまだアップされていませんね。去年の第2次中間報告のPDFはこれです。理念的な記述が多いのはいいですが、細部の議論はつめられていないように見えますね。特に財政の部分。地方交付税交付金と国庫支出金の体系をどうするのか、プロの財政学者の意見を伺いたいところです。今度の報告では区割り案も含まれているようですが、前にも書いた通り、区割りの話は人々の関心を集めやすいだけに紛糾しがちであまり実があがらないうらみがありますので、北海道や九州などパイロット地区を定めて推進してしまうのが早いような気がします。ネットで調べた限りでは、九州が一番進んだ議論を展開していますね。地方からの議論がもっと盛んになることを期待しております。

追記
投稿した先から当面見送りとの報せ。「当面」ですから可能性はまだあるのかもしれませんが、中国世論の反応を探る意味合いもあってのアナウンスだったのかもしれませんね。6月中に例の防衛交流の一環で海自が訪中する予定ですし。

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上限金利の話

2年ほど前に貸金業法の改正をめぐっては経済系ブログ界や掲示板でずいぶん熱い議論がなされていましたが、Economistに関連した記事が出ていましたので紹介しておきます。上限金利を定めることの是非論については私は結果オーライの日和見派ですが(つまり良いのか悪いのかよく判らない)、「法と経済学」の実験として貴重な事例にも思われますのでウォッチしていきたいと思っていました。この記事は法改正によって銀行がサラ金から信用査定のノウハウを吸収するという結果をもたらしていると報じています。クレジット・スコアリング文化の確立に貢献するかもと。以下粗い訳でちゃんとした全訳ではありませんのでご確認を。

"Lenders of first resort"[Economist]
日本の貸金業者が銀行にリスク管理の教訓を与える

彼らは債務者の職場に一時間に何度も返済の督促の電話をしたり、あるいは夜中に自宅に取り立て人を送ったりするかもしれないし、もし払えないなどと答えたならば、現金を手にするために腎臓か目を売るように勧めるかもしれない。日本の賃貸業者の一部は醜悪な連中だった。

しかしこうしたことは彼らが日本の消費者金融の基礎であることを決して妨げなかった。1400万人、つまり人口の10%が賃貸業者すなわち「サラ金」から金を借り、約1万社(10年ほどで3万社から減少)が存在している。途方もないローンの価値は10兆ドルにものぼる。そのうち最大のものは公的に商いがなされ、しばしば大銀行と連携している。トップ7がこの市場の70%を占めている。しかしこの業界と組織犯罪組織すなわち「ヤクザ」とは縁遠い訳ではない、と日本の入れ墨の暴力団の専門家のJake Adelsteinは述べる。

このビジネスは日本社会の重要なニッチを埋めている。銀行から金を借りることが恥だとされ、保証人が必要とされる国で、サラ金のローンはわずか100ドルでも可能であり、債務者は証明が求められるが、担保は必要なく、ATMに類似したキオスクでの取引は1、2分しかかからない。ローンの金利はかつて29.2%の高さであった─ゼロ金利の国にあって─。2006年の法は2010年までに20%に金利の上限を設定し、取り立て方法を規制した。ローンは1年のサラリーの3分の1を超えることが認められず、サラ金が債務者の生命保険を購入することまで禁止された。というのもこれが、ゴホッ、「モラルハザード」につながる可能性があるからだ。

新しいルールはリストされた貸金業者の株価とこの業界全体のローンの量に大打撃を与えた。多くの会社が倒産し、いくつかが売却された。GEはその消費者金融部門のレイクを売却しているところだ。シティーバンクも処分を考慮している。しかし規制は尊敬される地位(respectability)をもたらすかもしれない。最悪の慣行が禁止されたことで主流の銀行が参入しているのだ。

結果として大手の賃貸業者が銀行にバック・オフィスの与信チェック・サービスを提供すべく自分達のビジネス・モデルを適応させようとしている。これは納得だ。結局、債務者の返済能力をすばやく査定することは金を提供するのと同じぐらい彼らのビジネスにとって中心的なのだから。さらに日本は西洋と同じクレジット・ビューローの文化をもっていない。各金融機関が自前のスコアリングをもち、債務者の信用情報は広範に広まったりしないのだ。

したがって銀行が今や消費者ローンの店頭として活躍できる一方で、サラ金は裏手で債務者に指を上げたり下げたりできるという訳なのだ。彼らは負債を徴収することもできるし、銀行ローンの保証人としても活動するかもしれない。

法人への貸し出しが儲からなくなり、日本の巨大銀行が消費者金融に焦点をあてつつある中でこうした変化が生じている。プロミスの20%を所有する三井住友、アコムの13%をもつ三菱UFJはそれぞれ異なる消費者金融の事業とクレジット・カードの事業を統合しつつある。

こうしたことは試みのステップだ。2006年の法の批判者はこの法は貸し出し─したがって消費─を、弱い経済が一番必要としている時に、鈍らせていると論じてきた。しかしこの法の支持者のTaku Otsuka議員はより良い慣行が最終的にはサラ金を利用することを恥と感じる債務者をより信頼させるかもしれないと信じている。もしこの法が日本のクレジット・スコアリング文化を改善するのに役立つならば、なおさらよいだろう。
(了)

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荘園絵図

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遷都1300周年に合わせたように発見が続いています。江戸時代まで東大寺に保存されていたもののその後消失していた日本最古級の地図が発見されたというニュースのことです。この地図を含めて8世紀の東大寺荘園絵図19点は現存する日本最古の地図として有名なものみたいですね。なおこれは世界的にみても非常に稀少なもののようです。確かに私の知る限り同時代の欧州にはこうした資料は存在していないはずです。中国では作製はされていたようですが、残っていないみたいですね。なぜ日本にこんな古い地図が残っているのかというのもちょっとしたミステリーではあります。

最古級の荘園絵図を発見…奈良国立博物館「国宝級」[読売]

◆東大寺所領、外部流出の1枚

奈良時代中期に奈良・東大寺が所領した荘園の開発状況などを描いた荘園絵図=写真上=が見つかった。正倉院宝物として現存する同時期の荘園絵図18点とともに江戸時代まで東大寺に一括保存されていたが、その後外部に流出し、所在不明だった絵図であることが奈良国立博物館(奈良市)の調査でわかった。日本で最も古い時期に描かれた地図原本の一つで、同博物館は「正倉院宝物より保存状態が極めて良く、国宝級の発見」と評価している。

「越中国射水(いみず)郡鳴戸開田地図」で、縦77センチ、横141センチの麻布製。現在の富山県高岡市の一部を、東を上に、「条里」と呼ばれる碁盤の目状の区画に割って、荘園の範囲や地番、田の開発状況を個別に墨書き。「沼」などの書き込みや水路のような線がある。

造(ぞう)東大寺司や東大寺僧、越中国司の署名と「天平宝字三年(759年)十一月十四日」の日付が添えられていた。

東大寺では、越中と越前、近江の開田図や墾田図を中心に、奈良時代中期の麻布の荘園絵図19点を保存していたが、うち1点が江戸時代後期に外部に流出。一時、個人所蔵となったが、戦後は所在不明だった。残る18点は明治初期に献納され、正倉院宝物となった。

同博物館は、今回見つかった絵図のほぼ全面に押された97個の「越中国印」の印影などを正倉院宝物のものと比較した結果、外部流出した1点と確認した。

正倉院宝物以外で現存する同様の荘園絵図は、国宝・額田(ぬかた)寺伽藍(がらん)並(ならびに)条里図(国立歴史民俗博物館蔵)しかない。

同博物館はすでに絵図を購入しており、修理後、同博物館で一般公開する。

杉本一樹・宮内庁正倉院事務所長の話「(正倉院宝物の荘園絵図と異なり)修理の跡がほとんどなく、当初の状態に近いところが大変貴重だ。この価値を損なわないよう保存・展示してほしい」

■荘園絵図

荘園で収穫される米などは当時、寺などの経営基盤を支えていたため、その荘園の所在や田の開発状況などを絵図として記し、重要な書類として取り扱われた。奈良時代の荘園絵図は、日本最古の地図群として、当時の地形や地名の研究にも欠かせない。
(2008年5月24日)

この「越中国射水郡鳴戸開田地図」のあまり解像度の高くないフォトを目を凝らして見ると確かに「条里制」の痕跡が見て取れます。この8世紀の富山県の地域社会の断面を眺めているとなにか心を打たれるものがあります。荘園絵図というのは実用目的で作製されたものということですので、古代人の世界観をストレートにイメージ化した世界図のような地図類とは性格が違うのでしょうが、それでもこの絵画性から当時の人々の空間認知のあり方だとか律令体制的な政治意思だとか読み取れるのでしょうね。正統的な荘園史のみならず様々な視角からこの資料は利用できそうです。東大寺荘園絵図に関してネット上では文献情報以外見当たらないのですが、私みたいな素人はこの新書を読めば十分のように思えます。著者は歴史地理学の大家だそうですから内容は保証されているものと思われます。

この際ですので、古代の地図史を確認しておくと、日本最古の地図というのは646年2月8日の改新の詔によるもの(現存せず)という記述につきあたります。「日本書紀」の大化2年8月の部分を引用しておきます。

大化二年(六四六)八月癸酉【十四】》◆秋八月庚申朔癸酉。詔曰。[...]宜観国々疆堺。或書或図。持来奉示。国懸之名来時将定。国々可築堤地。可穿溝所。可墾田間。均給使造。当聞解此所宣。

「宜しく国々の疆堺を観、或は書し或は図し、持ち来って示し奉れ」、つまり地方豪族に地図作成を命じたという部分のことです。いわゆる班田収授法に関連した詔の中に見えますが、ご承知のように大化の改新の評価についてはややこしい問題があるようですので深入りしません。この図がどのようなものを指しているのかははっきりしませんが、徴税のためのものでしょうから、後の荘園図につながるような狭い範囲を対象としたものだったのかもしれません。

一方、もう少し広い地域一体の地図も8世紀になると作成された模様です。これも現存していないそうですが。実際、天平10年(738年)と延暦15年(796年)には諸国に国郡の地図作成が発令されています。それぞれ「続日本紀」と「日本後紀」の該当箇所は以下。

《天平十年(七三八)八月辛卯【廿六】》○辛卯。令天下諸国造国郡図進。

《卷五延暦十五年(七九六)八月己卯【廿一】》○己卯。巡幸京中。』始置正親司史生二員。』是日。勅。諸國地圖。事迹疎略。加以年序已久。文字闕逸。宜更令作之。夫郡國郷邑。驛道遠近。名山大川。形體廣狹。具録無漏焉。

「天下の諸国をして国郡図を造ってたてまつらしむ」とあるように天平10年に国郡図の作成が命じられています。延暦15年のほうの記述が少し詳しいのですが、それによると「諸国地図」が「事迹疎略、加以年序已久、文字闕逸」といった状態になったため新たに命じられたとあります。この「諸国地図」は天平10年に作成されたものなのかもしれませんね。ともかく延暦15年の地図は「郡國郷邑。驛道遠近。名山大川。形體廣狹」を示すようなものだったようです。

なお時代的に少し前後しますが、713年の「出雲風土記」には地理的に非常に詳細な情報が記述されていることで有名でありますが、これも国郡図の存在が前提になっていると考える方もいらっしゃるようです。このサイトが詳しいですのでご参考までに。ここで引用されている金田氏の見解を孫引きしますと、

天平十年(738)には、中央政府が諸国に「国郡図」の造進を命じた。国郡図というからには、少なくとも国単位でかつ郡が明示されていたものと思われるが、実物は現存していないので内容は不明である。 延暦十五年(796)新しく作製が指示された「諸国地図」には、「郡国郷邑、駅道遠近、名山大川、形体広狭」を録せとしたことを『日本後記』は伝えている。国・郡・郷は行政単位、駅道は国家管理の下に七道諸国を貫いた官道であり、まずは行政単位と官道の距離に加えて、邑つまり主要集落を記入し、かつ著名な山と大河、ならびに土地の形状と広狭を表現することを命じていることになろう。

とすれば、現存史料類の中でまず想起されるのは『出雲国風土記』の記述である。和銅六年(713)選上を命じられたものであり、例えば次のように記載されている。

  意宇の郡
合わせて郷は十一、餘戸は一、駅家は三、神戸は三里は六なり。(中略)
母理の郷 郡家の東南のかた三十九里百九十歩なり。(中略)
伯太川 源は仁多と意宇と二つの郡の堺なる葛野山より出て母理・楯縫・安来の三つの郷を経て、入海に入る。

このような内容が地図に表現されていると考えるのが最も推定しやすい状況である。天平十年のものがこれより疎略とすれば、さらに簡便なものとなるが、あるいは改訂のための単なる文飾に過ぎないかも知れない。

というわけで7世紀の半ばぐらいから律令体制が整備されていくのに応じて地図作成事業が進捗していく様子が伺えます。空間を支配、管理するにあたって地図というのは権力にとって必須の技術体系でありますから頷けるところであります。これは国家レベルの話ですが、東大寺の荘園図の場合には近隣との争論の処理みたいなもっとミクロな政治力学の文脈に置かれるのかもしれませんね。

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荒れ気味のようで

ベルルスコーニのイタリアですが、予想通りの荒れ気味のスタートのようです。以下最近のニュースをクリップしておきます。

5月15日付の"Italy cracks down on gypsies"[FT]によると、政府は不法移民の一斉検挙で400人以上逮捕すると宣言したそうですが、マイノリティーへの攻撃に火を注ぐものだとして批判を招いているということです。ユダヤ人、ローマ・カトリック、ロマ・ジプシーの共同体のリーダーが恐怖を煽るキャンペーンに盲目になる危険を警告したとされますが、特に問題となっているナポリだそうで、マフィアによるジプシー攻撃があるかもしれないといいます。実際、移民、それもジプシーに対する怒りが高進しているタイミングの宣言だったようで、ナポリでジプシー女性が子供を拉致しようとしたとして逮捕された後、キャンプが放火されるという事件が起こったばかりだったようです。また北部でも移民が寝泊まりしていたミラノの廃屋で爆破騒ぎがあったそうです。「これは人々に恐怖をふりまくことが容認されていると感じさせたキャンペーンの結果です」と一人のロマは述べていますが、実際、不法移民がベルルスコーニの中道右派政権の先月の選挙での勝利にとって最大の問題だったと記事は締めくくられています。

また"Italy pushes for reform of Schengen deals"[FT]によると、不法移民の取り締まりにコミットしているベルルスコーニ政権は、EUのシェンゲン協定のアップグレードや居住に関する新EU法を支持しているとのこと。先日議会に提出された政府の方針は経済に焦点が当たっている一方で、ベルルスコーニ首相は治安と移民に関する強硬な声明を出したといいます。「我々は恐怖に導かれている訳ではない。民主主義の第一ルールは治安を守ることにあることを否定する者は間違っているのだ」とは首相の言葉。「成長とは我々自身が移民の無差別な入国に圧倒されないようにすることであり、我々が我々の家の主となりつつも我々の歓待の古い伝統に誇りをもつことを意味するのだ」と。北部同盟の内務大臣ロベルト・マローニを含む閣僚は木曜に─1年から4年の懲役によって不法移民を罰するという─移民に関する法案の審議を行うために会合を開いたとされます。

外務大臣のフランコ・フラティーニはイタリアはEU法の枠内で行動すると主張していますが、一方でFTへのインタビューで1985年と1990年の国境開放に関するシェンゲン協定は「アップデート」されるべきだ、また移動の自由を認める指令38は特定の条件下で規制が必要だと語った模様です。規制としては3ヶ月以上イタリアに滞在するためには最低限の所得を保持することをEU市民に対して課すことが考えられているようです。イタリアが標的にしているのはルーマニア系、とりわけジプシーのキャンプとされ、現在50万人以上が労働許可や住居なしで労働していると目されています。また選出されたばかりのローマ市長のアレマンノ氏も2万人の不法移民─主としてジプシー─を追放すると宣言しているようです。これに対してルーマニアの首相はイタリアでは「ゼノフォビックな態度」を煽っていると選挙キャンペーンを非難したといいます。またルーマニアの内務相は今週末に新しい移民プランについて議論すべくローマを訪問する予定だそうです。

ナポリに関しては、ごみ未回収問題が日本でも報じられていましたね。AFPの記事ではコレとかコレですかね。なぜこんなことになっているのか記事を読んでもさっぱり判りませんが、ともかく深刻な事態になっているようです。上の記事にもありましたが、ロマのコミュニティーへの攻撃があったのもナポリでありまして、殺気立った空気が流れているようです。

5月22付の"Berlusconi plans crime crackdown"[FT]によると、このゴミだらけのナポリで初の閣僚会議を開き、ベルルスコーニ首相はゴミを処分する新たな場所を確保すると宣言した模様です。また財務相は金融収縮の影響を受けたモーゲージの債務者が2006年のより低い金利水準にローンを定めることを許すという銀行連盟との協定を発表し、また選挙の公約通りに地方の不動産税を廃止し、私的セクターの残業にかかる税も除去することを確認したそうです。選挙戦では人種主義を煽り、ファシスト的なイデオロギーと立法を復活させようとしていると非難された訳ですが、「我々は恐怖におびえない市民の権利に取り組んでいるだけなんだ」とベルルスコーニ氏は答えています。「我々は国家を再び国家にしようとしているだけなんだ」とも。しかし彼の強硬路線はヨーロッパ委員会やイタリア左翼やナポリの普通の市民とすら衝突しているとFTは評しています。政府のプランは不法移民を「より簡単に」追放し、財産を没収することを可能にするもので、1年から4年の懲役刑を課したり、追放まで18ヶ月間センターに拘留したりできるのだそうで、外国人の居住と収入を確認したり国外追放したりする地方役人の権限が強化されることになります。また偽装結婚や子供連れでの街頭での物乞い行為の取り締まりも予告されているとのこと。資産の没収を強化し、法廷での買収行為を根絶するための対マフィアの新しい措置も用意され、重大犯罪者のDNAバンクの設立も予定されているといいます。

さらに"Berlusconi accused over media law"[FT]から。ベルルスコーニは早くも議会を自分のビジネスの利益追求に使い、様々な問題でブリュッセルと対立させていると集中砲火を受けているということです。政府は議会にかけられている法案はベルルスコーニ家によって支配されているイタリアのテレビ市場を開放するEUの指令を満たすものであると主張していますが、野党はこの修正法案はRete 4というチャンネルを競争から保護することを目論んでいると反論しているそうであります。Alitalia航空の救済が違法な国家援助にあたるかどうか欧州委員会は調査中であるといい、また不法移民の取り締まり宣言もブリュッセルに警戒感を抱かせているようであります。欧州裁判所は既にイタリアの放送システムがテレビの電波の不透明な割り当てで違法であるとしており、1999年に放送免許を得たEuropa7がRete 4に割り当てられた電波を獲得できていないと判決を出したといいます。

といった具合に選挙戦での公約を実行しているようであります。選挙民の願いを実現しているだけなのだと言えばそれまでですが、うーむとうなってしまいます。ずいぶんなところまで来てしまったものだなという感慨も湧いてきます。今後は欧州連合との対立がまた深刻化しそうですね。これまでのベルルスコーニ政権は北部同盟との関係をうまく調整できずにぐだぐだになっていた訳ですけれども今度はハイスピードで突っ切るつもりなんでしょうか。たぶんすぐに失速しそうな予感がします。ふう。

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歌木簡

聖武帝の紫香楽宮跡から万葉の歌木簡が発見されたというニュースですが、これは万葉集の成立(745〜)以前のもの(743〜745破棄)と推定されるそうです。写本は11世紀半ばが最古ですからオリジナルにもっとも近い史料ということになります。大発見でしょうね。

木簡に墨守されていた歌ですが、「安積山(あさかやま)の歌」と「難波津(なにわづ)の歌」の2首。前者が万葉集に収録されている歌で、後者は古今和歌集収録歌です。古今集の歌木簡というのはこれまでに見つかっていましたが、万葉集の歌木簡としては初めての例です。それでその歌ですが、

安積香山影さへ見ゆる山の井の浅き心を我が思はなくに

難波津に咲くや木の花冬こもり今を春べと咲くや木の花

の2首です。福島県の安積山は安積香山とも表記するみたいですが、大意は「安積山の影までも見えるほど澄みきった山の泉ほど浅い心でわたしはあなたを思っているわけではありません」といったところです。この相聞歌ですが、陸奥国に派遣された葛城王(橘諸兄)が現地の国司の接待に不満を示したところ、機転のきく采女がこの歌を詠んだことで葛城王が機嫌を直したという詞書とともに伝わるものです。以下です。

右の歌は、伝へ云へらく、葛城王(かづらきのおほきみ)の陸奥国に遣さえし時、国司の祗承(つか)ふること緩怠(おろそか)にして異に甚し。時に、王の意(こころ)悦(よろこ)びず、怒の色面に顕れ、飲饌(みあへ)を設(ま)けしかども、あへて宴楽せざりき。ここに前(さき)の采女あり、風流(みやび)たる娘子なり。左の手に觴(さかづき)を捧げ右の手に水を持ち、王の膝を撃ちて、この歌を詠みき。すなはち王の意解け悦びて、楽飲すること終日(ひねもす)なりきといへり。

「国司の祗承ふること緩怠にして異に甚し」は字義通りには国司がなすべき祭祀を正しく行っていなかったということなんですが、どういう祭祀なのかは記述がないですね。また「前の釆女」はかつて人質として皇室に献上されたことのある地方豪族の娘という意味なのか、皇室に仕えたことのある巫女という意味なのかよく判りませんが、いずれにせよ歌の技をかつて都で学んだということなのでしょう。たぶん。

また古今集の仮名序で紹介される「難波津の歌」は王仁が仁徳天皇の治世の繁栄を歌ったとされるいわゆる雑歌です。かるたの一番最初に詠まれる歌でありますが、当時(平安時代)ポピュラーだったと言われます。作者とされる王仁というのは百済から漢字と儒教を伝えたとされるあの伝説的な人物の王仁です。なおこの歌の花は桜ではなく梅だと言われていますので、大意は「難波津に梅の花が咲いています。冬ごもりの後、ようやく春が来たと言わんばかりに梅の花が咲いています」となるのでしょう。

Osk200805220118_3それで今回の発見がどういう意味をもつのかという点ですが、まず時期的に言ってオリジナルに限りなく近いだろうという点。それから写本は漢字仮名まじりなのですが、この木簡では万葉仮名で記されている点です。朝日新聞の記事のフォトにあるように、「阿佐可夜(あさかや)」と「流夜真(るやま)」の7字が、「奈迩波ツ尓(なにはつに)」と「夜己能波(やこのは)」と「由己(ゆこ)」の13字が判読されたようです。わずかな事例ではありますが、万葉仮名研究の資料になるのでしょうね。

それから論点としてはこの2首がセットになっているという点のようです。この点について各社の記事が触れていますが、産経の記事を引用しますと、

木簡の両面に記された「安積香山の歌」と「難波津の歌」の2首は、905年に編まれた『古今和歌集』の序文「仮名序」で紀貫之が、「難波津の歌は、帝の御初めなり。安積山の言葉は、采女の戯れよりよみて、この二歌は、歌の父母のやうにてぞ手習ふ人の初めにもしける」と紹介。最初に覚えるべき和歌の手本だといっている。さらに年代が下った『源氏物語』などでも、手習いの歌としてセットで登場する。

「木簡の両面が古今和歌集(の序文の2首)と、まさに同じペア。すごく驚いた」とは、大阪市立大文学研究科の村田正博教授(国文学)。2首をセットにしたのは貫之の独創とも思われていたものが、実はその150年前からセットとして認識されていたことになるという。

とあるように平安時代に紀貫之がこの2首を「歌の父母」と呼び、子供のための手習いの歌として紹介しているのですが、この2首をセットにするのは奈良時代からの伝統であったことが判明した訳です。これは新事実の発見ですね。

なお産経はこのネタにずいぶん力を入れていまして、いろいろな学者の発言を紹介していますが、その中で目を惹いたのが甲子園短大の木本好信教授の政治史的な解説です。要するに藤原氏対反藤原氏の政争ですが、固有名を列挙すれば長屋王、藤原4兄弟、橘諸兄、藤原広嗣、藤原仲麻呂、大伴家持といった人物達がめまぐるしく登場するアレです。教授は聖武天皇の皇子たる安積親王の擁立運動(反藤原側、つまり橘諸兄や大伴家持による)をこの木簡の読解の鍵にしています。

「紫香楽宮では、家持や諸兄らによる安積親王の擁立運動が盛り上がっていた。安積香山の歌を口ずさんで、同じ読みの安積親王を連想しないことはありえない。天皇の治世の繁栄を歌った難波津の歌と裏表なのは、示唆に富んでいる」

こう指摘するのは、奈良時代の政治史に詳しい甲子園短大の木本好信教授。「安積親王の擁立で安定した国家を築こうとしたことを、2首の組み合わせから読み取ることは可能」という。

万葉歌木簡の年代は743年秋から745年春にかけて。安積香山の歌は、相手への深い気持ちを伝える意味が込められていることから、親王追悼の儀式で詠まれた挽歌の可能性もあると、木本教授はみている。

安積香山=安積親王の音に頼りすぎのような気もしないではないですが、歌会や儀式で使われたという一般論よりもかなり踏み込んだ解釈です。まあ和歌の解釈というのは短いだけあってどこまでもできてしまうのではありますが。まだまだ出土するかもしれませんので今後の調査に期待したいところですね。短命に終わった紫香楽宮がどういう都だったのかという観点からも興味深いものがあります。この辺の政治史もよく判らないことが多いんですよね。

追記
・日本史の年号変換フリーソフトがFlog in a wellで紹介されていました。これとても便利ですのでおすすめしておきます。ここからDLできます。ドイツの日本史研究者が作成したもののようですね。

・天漢日乗さんのエントリが勉強になりました。手習い用というのがどうも正しいような気がしてきました。

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羽田の国際化

冬柴国土交通相が経済財政諮問会議で羽田空港の国際線を増やす方針を正式に表明したようです。日経の記事から引用しますと、

2010年の空港再拡張に伴う措置で、国際線増便にあてる発着枠は当初計画から倍増し年6万回(1日約80便相当)とする。ソウルなどに限定していた就航先も欧米に広げる。「羽田空港の国際化」に従来より踏み込み、開港30年を迎えた成田空港との補完関係を目指すが、課題も多い。 諮問会議で冬柴国交相が説明したのは「首都圏空港における国際航空機能拡充プラン」。10年の第4滑走路の完成で、現在の30万回から増える発着枠(昼間11万、夜間4万)のうち、昼夜それぞれ3万回を国際線に振り向ける計画だ。 昼間の発着枠は近距離のビジネス需要が見込めるソウルや上海、北京、台北、香港などを結ぶ路線に充てる。夜間は、騒音問題で成田空港を使えない時間帯(午後11時—午前6時)を欧米路線に回す。パリを午前に出発し翌日早朝に到着する便などを想定。国交省は深夜の3万回のうち6割強は旅客便、残りは貨物便となるとみている。

国土交通省というと道路の問題ばかりに焦点があたっていますが、その空港、港湾政策の問題は大手メディアのレベルでの扱いが小さいような気がします。そうとう重要な問題だと思うのですがね。それでこの羽田のニュースでありますが、猪瀬副知事ががんばられたのでしょうか、前進が見られたようです。成田との関係をどうするのかが話題になっていますが、ここはローカルな発想を捨てて大胆に考えなくてはならないのでしょう。

空港の容量の問題はよく指摘されるところですが、人々の関心が道路特定財源ばかりでなく「空港整備特会」の問題性にも向けられなくてはならないでしょう。この空港使用料や航空機燃料税などからなる特別会計は、日本の空港を高コスト体質にし、航空会社の競争力を削いでいるとしばしば批判されるものです。やや古いですがコレとかコレなどが判りやすいです。前に紹介したOECD勧告でもどうにかしろと言われていましたね。どうにかしてください。

ちなみに日本の空港の世界に占める位置ですが、Airports Council Internationalにデータがあります。2007年は乗降客数で羽田が4位、成田が24位、貨物取扱量で成田が7位、羽田が24位、関空が25位となっています。港湾の地盤沈下ぶりに比べるとそこそこの数字を維持していますが、このままだとやはり相対的に地位低下は進んでしまいそうです。他のアジア諸国に比べてこの速度の遅さは致命的に思えます。ここ30年ぐらい我が国の国家意思はどこにあったのでしょう。どことはいいませんが、採算のとれない空港を維持することにコストを費やすよりも、中長期的な国家戦略の下に選択と集中を粛々と進めていかなければならないのでしょうね。これはすべてについて言えることでしょうけれども。

追記
中田横浜市長へのヒアリングの要約のPDFがありました。そういえば、参加している経済学者の八田達夫氏は御著書でこの空港問題に触れ、特に関西圏についてかなり大胆な政策提言をなさっていました。

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ガストン・トン・サン

フランス領ポリネシアの大統領選挙については以前とりあげましたが、いつの間にか中華系のガストン・トン・サン氏が新大統領に就いていたようであります。どうやらパリがガストン・フロス氏とオスカール・テマル氏の「自然に反した同盟」を切り崩すことに成功したようです。そんなのありかと思わず言いたくなりますが、ガストン・フロス氏の勝利を受けて与党UMPが絶縁宣言した後に、どういうごたごたがあったのか舞台裏についてよく知らないのでここは口ごもっておきましょう。簡単に説明しておきますと、ガストン・フロス氏(大ガストン)はシラクとの腐れ縁の関係にあった「自治派」のリーダーで、オスカー・テマル氏は言わずと知れた独立派の領袖です。この二つの党派がしのぎを削っていた中、するすると姿を現したのが新顔のガストン・トン・サン氏(小ガストン)です。

ル・モンドにガストン・トン・サン氏のプロフィール記事がありましたので紹介しておきます。タイトルのzenですが、冷静沈着なぐらいの意味でよく使われます。勿論日本語から入った言葉です。またこれをとりあげるのはフランスの海外県や海外領土に関心があるからというだけではなく、太平洋島嶼部への文化的また地政学的関心からであります。核実験問題もありますしね。

「ガストン・トン・サン、ポリネシアの禅大統領」[Le monde]
ポリネシアの政治階級の中でガストン・トン・サン氏は伝統的な花柄のシャツよりも灰色のスーツと暗い色のネクタイをつけるといった具合に対照的だ。「彼は反フロスなんだ。働き者で誠実だけれどカリスマも権威もない。フロス時代の後にポリネシア人が求めていたプロフィールなんだ」と海外県領土担当省のあるメンバーは断言する。

彼は海外におけるUMPの希望を体現している。シラク時代─この領土でガストン・フロス、ジャック・ラフルール、リュセット・ミショー・シェブリといった人物達が我が物顔に振る舞い、パリが政治的、財政的逸脱に目を塞いでいた時代─の新たなページを開きたいという意思を。

ガストン・トン・サン─独立派の指導者オスカー・テマルが2月に「エストロシのマリオネット」(かつての海外県領土担当大臣)と呼んだ─はメトロポルとの関係の正常化の意思を隠さない。4月16日、フランス領ポリネシア大統領選出の翌日に、彼はPapeeteの大統領官邸に荘厳な入場式を行い、権力の移譲後初のフランス国旗とポリネシア国旗の掲揚に参加した。共和国とフランス領ポリネシアへの帰属を強調するための象徴だ。ステップの上で退任する大統領ガストン・フロスがうつむいて彼を迎えた。「小ガストン」が「大ガストン」に復讐したのだ、大ガストンが転覆活動に加わった8ヶ月後に。

彼の小柄な体躯はあだ名の「イティ」(タヒチ語で「小さい」)にぴったりだ。しかしこれはまた─独裁的な「政治の師」である─「ニュイ」(「大きい」)のあだ名をもつガストン・フロスの対になってもいる。フロス上院議員は彼の党であるTahoeraa Huiraatiraに加わっていたかつての部下を打倒せんとしてきた。ガストン・トン・サンはこの党への所属の下に1991年にイル・ス・ル・ヴァンの議員に選出され、再編、都市化大臣として政府に加わったのだった。

この2人の男の間の対立はガストン・トン・サンが2006年12月にフェヌア(「国」)のトップに選出されて以来全面的なものとなった。ガストン・フロスは2007年8月にトン・サンを倒した問責決議を支持した。続いて2008年2月には大統領選挙で独立派とも同盟した。2ヶ月後もう一つの不信任決議がこの自然に反した同盟を終わらせた。ガストン・トン・サンが復讐したのだ、いささかも勝利者の奢りに高ぶることなく。

戦後、ボラボラに生まれた彼はポリネシア人の母と─すぐにどこかに消えた─中国出身の靴直しの父の息子だ。ガストン・トン・サンは漁師でコプラ農家の優しい義理の父がやって来る頃から記憶がある。10才で彼はボラボラを立ち去って、タヒチの中学と寄宿学校で学んだ。「働くことは中国人の家ではなによりも優先するのです」と彼は想起する。彼はメトロポルで高等教育を受け、ENACの試験に落ち、リールのEcole des hautes etudes industriellesに登録した。

彼は1989年のボラボラの市議会議員選挙で初めての選挙戦をたたかう。30年近くもの不在の後、40才にして自分の島への帰郷であった。ボラボラ市長は自分を国の息子と考える。中国系であることを問われると、「中国語は話さないがフランス語とタヒチ語は話す」と彼は言う。「私の母語は隣人の言語だ」と強調する。彼は自分のアジアの起源を否定しないが、ボラボラの王族の血について長々と述べることを好む。

最近、労働組合の指導者が「国がアジア人に指導されることを恐れる」と宣言した。大統領は「火に油を注ぎたくないし、この言葉をあまり重大なものとしたくない」。しかし彼は「中国人というよりもタヒチ人」だと自分を感じると明確にしたがっている。1960年代にフランスに帰化するのに中国人の一家が名前をフランス化しなければならなかったことにショックを受けた。「これは─名前を我々に変えることを要求した─共和国の唯一の刻印です」。

フロス・テマルの同盟は痕跡を残した。この同盟は独立派と自治派の伝統的な政治的断層を人種主義の臭いのする深い分断に代えた。一方を根っこであるポリネシア人、他方を外来と考えられる要素─中国系、popaa(メトポリタン)、demis(「混血」)、トン・サンを一斉に支持した人口集団だ─とに分ける分断だ。新海外県領土担当大臣イヴ・ジェゴは「ポリネシア社会の分断のリスク」を心配している。「開放戦略を実現する」と彼はポリネシア大統領を信用している。

友人達は彼を禅だと言っている。彼は独立派のオスカー・テマルの理念だけでなく、彼によれば「より多くの金を得るためにより多くの権限を望んだ」自治派のガストン・フロスとも断絶したところに自分を位置づけている。「私の立場は異なっています。核はもう過去のことです。ポリネシアはより多くの金ではなく真のパートナーを必要としているのです。経済的に自立するために国家の援助が減少するのは当然のことです。」

小ガストンがこの海外領のトップにいられる能力をもつのかどうか疑いを抱く者もいる。「彼は欲望の渦巻く中ペンチで抜かれます(意味不明)。自分の政党をもたないので連立を構成する党派の意のままになるからです」とフランス領ポリネシア大学政治学科助教授のSemir Al-Wardiは分析する。この研究者はまた「二重の性格」として語る。「彼はフロス時代の逸脱を演説で非難するが、彼自身こうした政治のやり方に浸っていました。彼はこうしたやり口を残していました」。こうして彼は若者省に2度汚職で非難された官房長官を採用させた。

常に不信任決議の噂がPapeeteの政治的ミクロコスモスを揺り動かしている。ガストン・トン・サンの多数派はポリネシア議会の57議席の内29議席と脆弱だ。ポリネシア大統領の主要な切り札はパリにいて、ニコラ・サルコジと呼ばれる人物だ。共和国大統領は彼への支持を惜しまなかった。2007年に既に彼を迎え入れたが、今週にもパリで彼と会談する予定だ。4億3500万ユーロにのぼるプロジェクトの契約に調印するためだ。ポリネシアとその大統領が必要とする酸素吸入器だ。
(了)

Carte_polynesie

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ふーん

アイヌ協会に改称へ・・・道ウタリ協会[読売]

昨年9月、「先住民族の権利に関する国連宣言」が採択され、文化や教育、経済的な権利や土地と資源など広い範囲の権利が定められた。宣言は先住民族に財産権を認めるよう求めており、先住民族と認定すると新たな財政措置が必要なことから、政府は、アイヌ民族が宣言に該当する先住民族かどうか、明確な態度を示していない。ウタリ協会は、先住民族の権利を要求していくためにも、改称で組織の性格を分かりやすくしようと判断した。加藤忠理事長は総会で「いよいよ協会の名称に民族名をかざす時がきた」と改称案を提案。会場から異論はなく、来年4月の改称が決まった。 [...] 国連宣言を巡っては、超党派の道選出国会議員らが3月、「アイヌ民族の権利確立を考える議員の会」(代表・今津寛衆院議員)を設立。アイヌ民族を先住民族と認定する国会決議を目指し、今国会への決議案提出準備を進めている。

例の国連宣言を受けた流れのようですね。アイヌ差別といっても歴史的にはともかく現在日常的なレベルではまったく実感がない話なのですが、あるところにはあるのでしょう。書物的知識ではなく、私が生きてきた範囲ではということです。名称はやはりウタリよりはアイヌの方がいいでしょうね。民族文化を静態的、固定的に捉える多文化主義的な思考前提を私はあまり評価していないのですが、どのような権利の保護を課題とするのでしょうね。もちろんアイヌであることをもって社会的に不利になるような不公正が是正されるべきであることは言うまでもありません。なおムネオ氏はブログで

これは新党大地の当初からの主張であり、アイヌ民族が先住民族と認めることによって、ロシア、アメリカと文化の面で共通の価値観を持つ事になり、特に北方領土もサハリンも先住民族はアイヌ民族であり、北方領土問題、サハリンのエネルギー確保についてアイヌ民族の歴史的役割を訴えることにより、多面的、重層的アプローチが出来ると私は考えている。とにかく速やかに国会決議が出来るよう努力していきたい。

となかなか鋭い指摘をしています。なおムネオ氏はただの利権政治家ではないとかねがね思ってきました。いや利権政治家でもあるのですがね。私の政治的志向性とはだいぶ異なりますが、日本の社会保守の典型としてそれなりの敬意のようなものも抱いています。こういうタイプの政治家はだいぶ不人気になってしまいましたがね。

ところで関係ないのですが、このニュース
米国社会への同化指数、韓国は4位[朝鮮日報]

ニューヨークにある自由主義シンクタンクのマンハッタン政策研究所が、人口調査統計などを基に米国への移住が多い10カ国出身の移住者の同化指数を算出し、13日に発表した。その結果によると、韓国人は100点満点中41点となり、全体の平均である28点を上回った。同化指数は外国人移住者と米国人との政治、経済、文化的な特性を比較して数値化したものだ。韓国は総得点で53点のカナダ、49点のフィリピン、43点のキューバに続き、41点のベトナムとともに4位となった。中国の同化指数は21点、インドは16点で平均を下回った。

分野別で見ると、韓国は経済分野では100点、文化では64点、政治では55点となった。経済分野では韓国だけでなくカナダ、フィリピン、キューバの3カ国も100点満点だった。しかし英語能力など文化面では、英語圏で米国と隣接しているカナダのほか、フィリピン、ドミニカ共和国、キューバ出身者が韓国を上回っていた。

韓国が4位とはいう部分ではなくて、「同化指数」なる概念の部分に目が釘付けになりました。むー、こういう調査はアメリカではOKなんですね。でも「あの人同化指数低そう」とか言ったらアウトなんですよね。あちらの状況に詳しい方、誰か教えて下さい。このassimilationに関するリポートですが、この記事が参考になります。メキシカンをどうするのかという問題で焦りのようなものが感じられます。アメリカのような国でもどうもかつての移民達とは違うという問題意識があるみたいですね。

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GDP速報値

2008年の第1四半期のGDP速報値が出ました。PDF参照。調査機関の予測を裏切って(一部で予想されていたように)実質GDP成長率は0.8%(年率で3.3%)、名目GDP成長率は0.4%(年率で1.5%)となかなかの数字でした。これに一喜一憂するのは無意味でありますが、希望がもてそうなのは消費の動きの底堅さ、それから落ち込んでいた民間住宅投資が回復してきた部分でしょう。あの新建築基準法の混乱さえなければ、2007年のGDP成長率はもっとよかったわけで、今更ながらなにをやっているのだと言いたくなります。問題のGDPデフレーターですが、マイナス1.4%でわずかに拡大しています。しかし外需要因を除く国内需要デフレーター(0.5%)と民間最終消費デフレーター(0.3%)のプラス幅が拡大していることから言って、これは外需要因、食料品等の高騰を受けたものと考えられます。ここの評価が難しいところですね。

FTの「日本が驚くべき成長を見せる」[FT]はこれを予想外の上昇としつつも、後半でエコノミストの慎重な意見を紹介しています。曰く、原材料とエネルギー価格の上昇が消費者と企業にのしかかり、このコストゆえの物価上昇から今後の2四半期の見通しはあまり明るくない。 Barclays CapitalのエコノミストのKyohei Morita氏によれば、CPIの上昇とGDPデフレーターのマイナス幅拡大は今後2四半期のスタグフレーションにつがなる可能性を示しているそうであります。また中国や中東などの新興市場への輸出がアメリカの減速の影響を補っているが、2月、3月の貿易統計は今後の輸出の減速を示していると。0.5%の内需の伸びは閏年効果であるとMorita氏が説明していますが、最後に民間住宅投資の伸びで0.1%の成長に貢献したと締めています。まあそんなものかなという気がしますが、結局のところ、内需に火がつくまで中国当局がんばれということでしょうか。ところで閏年効果ってどれぐらいあるんでしょう。

ちなみに欧州主要国の第1四半期のGDP速報値も予想外によかったです。まず世界を驚かせたドイツの成長率でありますが、「ドイツの成長がユーロ圏に拍車をかける」[FT]によれば、ここ12年で最高の1.5%という劇的な数字をたたきだしたそうであります。この成長ですが、暖冬の影響が建設業界の成長に貢献したとか失業率の低下が消費を押し上げたとかいった理由の他は、大部分は投資活動によるものだといいます。これがユーロ圏15カ国の成長率を0.7%にまで押し上げたというわけでドイツ様様であります。ユーロ圏はアングロサクソン世界の減速からのデカップリングに成功したと浮かれたコメントも出ていますが、第2四半期はこれほど華々しくないだろうという見通しのようです。最後にこの結果はECBの金利据え置きにつながるだろうとされています。

また「輸出の上昇がフランスのGDPを押し上げる」[FT]によれば、フランスの成長率は予想外に高く0.6%だったそうで、これに先立つ2四半期の0.3%の成長率から倍増したそうです。これは主として輸出の増加によるものと説明されています。また昨年のGDP成長率も1.9%から2.1%に上方修正されたとのこと。一方で2007年の財政赤字は2.7%のままでこれが循環的なものではなく構造的なものであることが示されたといいます。ラガルド財務相は大喜びのコメントを出しているようですが、エコノミストによれば、物価上昇と購買力の停滞が予想され、今後は減速する可能性が高いそうであります。まあ似たような感じであります。なお独仏はよかったわけですが、スペインは予想通り惨憺たる結果になっているようですね。

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西谷喬助氏を讃えて

もし食品業界にノーベル賞があったとしたらかならず受賞するであろう人物に西谷喬助(要介という表記も)氏がいらっしゃいます。戦後の我が国が輩出した偉人の一人といっていいでしょう。我々は氏の革命後の世界に住み、その恩恵に浴しているにもかかわらず、革命家である西谷氏の名をあまり耳にすることがありません。安藤百福氏と比べた場合、これはいささか不当な事態ではないでしょうか。というわけで今日は氏の業績をこの場末ブログで讃えてみたいと思います。

なんだか俺は知ってんだぞ的な物言いになっていますが、現在、かまぼこ、ちくわ、魚肉ソーセージなどの練り製品のほとんどが氏の開発した「冷凍すり身技術」によってつくられていることを私が知ったのは、恥ずかしながら、実は先週のことでありまして、私もついこの間まで忘恩の徒の一人であった訳です。練り物への愛、とりわけ魚肉ソーセージへの─いささか不透明な─愛に関しては、人後に落ちないことを自負しているにもかかわらず。

氏のもたらした恩恵は日本にとどまらず、今や世界中でsurimiが消費されていることはみなさまもご存知でしょう。東アジア地域は勿論でありますが、欧州や北米にも着実に浸透中のようであります。フランスの食卓へのsurimiの浸透については日本のメディアも報じていましたが、実際、これは一過性のものではなく既に日常食として定着しているようでありました。どこのスーパーにも置いてあります。フランスでsurimiと言った場合にはカニカマのことでありますが、すり身技術によってつくられた加工食品を表す語としてsurimiは英語圏でも定着しつつあるようですね(英語圏の現地在住の方、教えてください)。

氏の着目したのが当時北海道では高い漁獲高を誇っていたものの、全国的にはそれほどでもなく、またその利用法が限定されていたスケトウダラでありました。タラコのスケトウダラですね。このスケトウダラは鮮度の低下が早く、冷凍すると組織が壊れてしまう─解凍するとスポンジ上になってしまう─性質のなかなか扱いの難しい魚のようでありまして、練り物の材料には使えなかったそうであります。昭和30年代ぐらいにはかまぼこ類はシログチ、キグチ、ハモ、エソなど、魚肉ハムやソーセージはマグロ、鯨などが原料になっていたそうであります。北海道水産試験場の西谷チームがスケトウダラのすり身に砂糖と重合リン酸塩を加えるというアイディアによってこの欠点を乗り越える技術の開発に成功したのは昭和35年(1960年)のことといいます。3年間の試行錯誤の末にある日偶然崩れないすり身ができてしまったというこの「発見」のプロセスは模範的な話に見えます。この後、この冷凍すり身技術はまたたく間に全国に広まり、昭和40年代までにスケトウダラの漁獲量は劇的に増大することになったといいます。

Surimikoutei
出典 http://www4.ocn.ne.jp/~kisenren/surimi.htmより転載

この冷凍すり身技術の発明はインスタントラーメンの発明に匹敵すると言われるほどに食品加工業界に革命的変化を引き起こしたという話であります。これで長持ちしないすり身を冷凍保存することが可能になり、計画的な生産が可能になった訳です。この冷凍すり身技術の発明はそれに続く様々な新技術の開発をもたらし、当時「斜陽産業」と呼ばれた練り物業界を躍進させたといいますから、まさに技術革新のお手本のような事例であります。あるサイトの情報によると昭和35年のすり身の生産量が250トンだったのが、昭和40年代になると50万トンにまで飛躍的に発展したそうであります。凄まじい増産ぶりです。

西谷氏の情報を探しているのですが、ご尊顔はおろかプロフィール的な情報も見当たりません。我が国の研究者の多くに共通するこのシャイネスを個人的には好ましく感じつつもやっぱり損だよなあと思わずにいられません。なお伝記が一冊出ているようです。わずかにその人柄が忍ばれるのが、西谷氏を駆動していたのが「あまったものを捨てるのはもったいない」という戦中派研究者的な精神であったという情報であります。これは戦後のある時期までの食品産業や小売産業を支えた精神であります。なんだかプロジェクトX的でありますが、実にいい話ではないですか。

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レバノン緊迫中(2)

ヒズボラによるベイルート西部の占領と撤退という事態を受けて引き続くレバノンの政治危機ですが、その後も各地で小規模な衝突が続いているようです。アラブ連盟が仲裁にはいったとか、アメリカがレバノン軍の強化の支援表明をしたとかいった動きも出ているようです。日本語ソースは例によって外信ばかりですが、高橋宗男氏が現地入りして記事を書かれています。敬意を表明して引用しますと、

レバノンの首都ベイルート東部の山岳地域で11日、イスラム教シーア派民兵組織ヒズボラなど親シリア勢力と、反シリアのイスラム教ドルーズ派の間で激しい衝突が起きた。ベイルートの衝突が小康状態になる一方、戦闘は他地域に飛び火している。ロイター通信によると、7日以降の死者は53人、負傷者は150人に上った。

新たな戦闘地域ではドルーズ派が多数を占め、キリスト教徒も居住している。ヒズボラ支持者の多いシーア派の村が二つあり、衝突は同派住民とドルーズ派住民の間で起こった。ドルーズ派の大半は反シリア派だが、少数の親シリア派のドルーズ派住民もシーア派側について戦闘に加わっている。

反シリア派の有力指導者で、ドルーズ派の領袖であるジュンブラット氏は地元テレビを通じ「平和と共生が最も重要だ」と述べ、支持者に武器を置くよう求めるとともに、同地域の支配権を軍に引き渡す考えを示した。

ドルーズ派はイスラム教徒の中で歴史的に異端視された経緯があるが、結束の強さと勇猛さで知られる。オスマントルコ時代以降、レバノン地域では人口比以上に強い発言力を有してきた。

というようにシーア派とドルーズ派の宗派間でも対立が高まっているようです。ドルーズ派(ドゥルーズ派とも表記)というのはシリア、レバノンを本拠とするイスラームの第三勢力とも言われる宗派です。シーア派の一派として生まれたものの、スーフィズムに加えてグノーシス主義や新プラトン派の影響を受けたとされ、歴史的に異端視されることが多かった宗派といいます。コーランを教典とみなさず、聖者崇敬に熱心で、さらに輪廻転生を信仰しているという話です。ハーキムというファーティマ朝のカリフを神格化し、世界終末の際にはこの人物の再臨によりドルーズ派信徒は救済されるということです。この派がこの地域の政治史に果たした役割は非常に大きいので(親英、親イスラエルのスタンスとされる)、スンナ派対シーア派という軸に加えて要チェック勢力です。日本語でも概説書がありますので興味をもった方はどうぞ。さらにレバノンにはキリスト教マロン派という興味深い勢力もいて本当にいやになるほど複雑です。

それで仏語圏では細かい勢力分析などもなされているのですが、日本語のブログの世界でそこまで必要とされているとも思えませんので、よく分からないけど、どうなってるわけ、という人向けにRue89の啓蒙的な記事がありましたので紹介します。「レバノン危機 ヒズボラの賭け」という記事です。以下要約です。2006年以来の「冷たい内戦」状況を概観した後に基本的な疑問に答える形で解説しています。

1. ヒズボラとは何か?
ヒズボラは「神の党」を意味する。これはレバノン南部にイスラエルが侵攻した際(ファタハとパレスチナ解放戦線を撃退するための「ガリラヤの平和」作戦)、1982年6月に設立されたレバノンのシーア派の軍事組織だ。ヒズボラはベカー平野に駐屯するイランの革命防衛隊の2000人のグループと近い。当初よりシリアやイランによって支持されている。ヒズボラの目的はイスラエルをレバノン南部から撃退すること(さらにヘブライ国家を消滅させること)、少なくともレバノンにイスラム国家を樹立することだ。

ヒズボラは政治運動に転じたが、社会事業にも参画している。アル・マナールというテレビ局をつくり、病院や学校を経営している。2005年選挙では議会で14議席(128席中)、政府では2人の大臣を獲得した。厳格なムスリム的な生活スタイルを誓っているが、レバノンをイスラム社会に変化させるようとする意思は放棄している。

常に民兵組織を保有し、国際的圧力に抵抗している。首相ラフィック・アリリ氏暗殺の後に2005年にシリアの同盟者によるレバノンの撤退の後もそうであった。

ヒズボラは2000年のレバノンからのイスラエル撤退、2004年のヘブライ国家によるレバノン人、パレスチナ人の囚人解放以来、アラブ世界で大いなる信頼を獲得した。2006年にイスラエル兵を捕虜にした際に、イスラエルはレバノンの極めて破滅的な戦争を開始したが、これが親ヒズボラ、反ヒズビラの内的緊張を煽ることになった。「神の党」の威信は反西洋的なアラブ人の間で増大した。

2. これはテロリストの運動なのか?
ヒズボラは民間人を対象にして何度も攻撃を加えたため、米国や他の西欧諸国ではテロリスト組織と考えられている。1985年にメンバーの3人がTWA機をハイジャックし、搭乗していたイギリス海軍の軍人を殺害した。ジャン・ポール・カウフマンのケースのように人質をとることにも躊躇しない。対イラン戦争でイラクへの武器引き渡しを減らすためにフランス政府に圧力をかけるために行ったケースだ。

1992年のアルゼンチンのイスラエル大使館への攻撃(29人死亡)、2年後のアルゼンチンのユダヤセンターへの攻撃(95人死亡)にも関与した疑惑がある。1996年のサウジアラビアでのアメリカの軍事施設への攻撃の犯人とされる(19人死亡)・・・

ブッシュ大統領は2002年1月の国連演説(「悪の枢軸」演説)でテロリスト集団としてヒズボラを明示的に言及した。ニコラ・サルコジも同様にヒズボラをテロリスト組織とみなしている。一方でヒズボラは欧州連合が作成したテロリスト組織のリストには掲載されていない。

3. 誰が指導しているのか?
Cheikh Mohammed Hussein Fadlallahは精神的指導者と考えられている。1992年以来、ヒズボラの民兵組織の司令官であったHassan Nasrallahが政治的リーダーだ。この人物はイランとイラクで神学を研究した。3番目に重要なのがImad Fayez Mugniyahであり、テロ活動の責任者と考えられていたが、ダマスカスで2008年2月19日に殺害された。ヒズボラはこの攻撃の背後にいるとしてイスラエルを非難した。

4. アマル、ヒズボラ、違いはどこ?
アマル(「希望」)はもうひとつのレバノンのシーア派の政党で1975年に創設された。ヒズボラの同盟者だ。しかしこの党はヒズボラのように宗教指導者によって支配されていないし、1991年には公的に武装解除した。実際には民兵組織を保有しているが、ヒズボラほど強力ではない。

アマルはイランとその議員達との強いつながりをもつ。1982年にアマルのラディカルな一派はその歴史的なリーダーのNabih Berri(現在議会の委員長)と断絶し、1983年にヒズボラに参加した。これが「イスラム主義的アマル」であり、今日ヒズボラのセクトのひとつを形成している。

議会での同盟者であるアマルとヒズボラは常に素晴らしき関係を保っているわけではない。1987年、1988年のように軍事的に対立すらしたこともある。

5. なぜレバノン軍はヒズボラに介入しなかったのか?
行政権力同様に、これは多宗派で構成される軍であり、この衝突では中立を保つことを決定した。そのトップのMichel Souleimaneはマロン派のキリスト教徒だが、幕僚長のShawki Al Masriはドルーズ派、公安のトップのWafig Jizziniはシーア派、治安部隊のトップのAchraf Rifiはスンナ派といった具合だ。4日間の暴力の間、軍は調停勢力の立場を堅持し、新聞社や党本部を保護した。他方で政府によって免職された空港保安官をポストにとどめることを決定した。

土曜日にはベイルートの市街地から撤退するようヒズボラを説得するのに成功した。国民の間で威信と中立的なイメージを増大させると考えられる。これは大統領の任命を待っている軍のリーダーのMichel Souleimaneにとってメリットととなる。

6. シリアとイランの賭けはなにか?
シリアは常にレバノンと同盟者ヒズボラを地域における利害─とりわけ対イスラエルの─を守るために利用してきた。この国への影響力を回復するために現在の緊張を利用し得るだろう。

イランの役割はもっと議論されている。何人かのコメンテイターによれば、イランとヒズボラは真の意図─レバノンにイスラム共和国を樹立する─を表明したのだ。しかしイランが現在の状況に満足しているというのがもっとありそうな話だ。イランにとってヒズボラはなによりもイスラエルと西洋に対する圧力の道具だ。もしテヘランを困らせるようなことがあれば、このレバノンの道具を壊滅できるだろう。

ジャン・ピエール・ペランなどはより手の込んだ仮説を示している。イランとヒズボラはイスラエルとゴラン高原の返還を密かに交渉しているシリアに裏切られることを恐れているというのだ。かくしてこの軍事行動はシリアとの戦略的同盟をテストする目的をもつものであったことになる。
(了)

といった具合です。こうした不安定な治安情勢の国はどこでもそうですが、注目すべきはレバノン軍なのだと言っていいのでしょう。アメリカがレバノン軍の増強を表明しているのはその意味で正しいのでしょうが、反米感情を刺激しないように欧州やこの地域の同盟国を立ててうまくやらないといけないのでしょう。軍が近代的かつ中立的な勢力として成長すること、国民の間で威信を保てるかどうかが鍵だと思います。民兵組織の武装解除が次の段階ということになるのでしょうが、そんなにうまくいくのかいと言われれば、うぐっとなります。これだけ宗派が混然としているところでいったいなにを国家統合の核にしたらいいのでしょうねぇ。

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ベースボール詩人正岡子規

なんとなくハードな内容が続いているような気がするのでゆるめのエントリを挟み込んでおきます。私は野球少年だった時期もあるのですが、なぜかプロ野球にはほとんど関心を持ったことがないということもあって、野球の楽しさや野球特有の詩情というものをある程度知ってはいるのですが、ひいきの球団や選手がないために野球ファンとは話が通じないという微妙な境遇に置かれています。このように草スポーツは好きだがプロスポーツにはあまり興味がないというタイプはけっこうたくさいんいるような気がしますが、いかがでしょうか。

野球の詩情と言いましたが、正岡子規が我が国を代表する野球詩人の一人であることはご存知の方も多いでしょう。ホーレス・ウィルソンが東京開成学校予科(後の旧制一高、東大)で野球を紹介したのが1871年といいますから、正岡子規は日本野球の第一世代にあたります。ちなみに級友の夏目漱石の「坊ちゃん」にも野球の場面が確かあったはずです。子規は捕手として学生野球に入れ込んだ訳ですが、彼の野球狂は例の喀血まで続いたといいます。baseballを野球と訳したのは子規だというのは俗説とのことですが、野球用語の多くを翻訳したのは子規であると言います。「打者」とか「走者」とかいった基本的な用語です。そういうわけで子規は功労者として野球の殿堂入りを果たしているのだそうです。上野公園に正岡子規記念球場というものがあることを知っている方もおられることと思います。

ちなみにJapan Timesにvan den Heuvel氏の本の紹介記事が掲載されていますが、この日米文化交流の─草野球的な─試みに対して賛辞をおくっておきましょう。この記事によるとアメリカの最初のbaseball haikuはあのビート作家のケルアックがつくったものだそうです。

Empty baseball field

— A robin,

Hops along the bench

随筆『松羅玉液』は日本初のベースボール解説書として、また明治31年(1898年)の『竹の里歌』の9首はベースボール短歌として名高いものです。

久方のアメリカ人のはじめにしベースボールは見れど飽かぬも


国人ととつ国人と打ちきそふベースボールは見ればゆゆしも

若人のすなる遊びはさわにあれどベースボールに如く者はあらじ

九つの人九つの場を占めてベースボールの始まらんとす

九つの人九つのあらそひにベースボールの今日も暮れけり

打ち揚ぐるボールは高く雲に入りて又も落ち来る人の手の中に

なかなかに打ち揚げたるはあやふかり草行く球のとゞまらなくに

打ちはずす球キャッチャーの手に在りてベースを人の行きがてにする

今やかの三つのベースに人満ちてそゞろに胸の打ち騒ぐかな

2首目のとつ国人(くにびと)とは外国人のことです。最後の満塁をうたった短歌が個人的にはベストであります。満塁の高揚したあの感じを簡潔かつ的確に言葉に写しています。

また俳句には次のようなものもあります。

春風やまりを投げたき草の原 


まり投げて見たき広場や春の草

恋知らぬ猫のふり也球あそび

球うける極秘は風の柳かな

若草や子供集まりて毬を打つ

草茂みベースボールの道白し

夏草やベースボールの人遠し

生垣の外は枯野や球遊び

蒲公英やボールコロゲテ通リケリ

有名な「まり投げて見たき広場や春の草」は草野球の真髄といいますか、経験者ならば誰の心にも響くでしょう。子規の野球愛は尋常なレベルを超えていたと言われますが、この人の短歌や俳句に特有な不思議な運動性は野球への入れ込み具合と無関係ではないのでしょう。それはスポーツマン的であるという意味ではありません。なにしろ「スポーツ」に最初の遭遇をした世代なのですから。なにかもっと個人的で不透明な感じです。私が無知なだけできっとさまざまな議論があるのでしょうが、写生や口語といった概念とは別にこの人の独特の運動感覚を表す概念が必要とされるのでしょうね。

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宇宙基本法に関するメモ

私もかつては宇宙の神秘に心を奪われる天文少年、SF少年だった時期があったのですが、今やすっかり俗塵にまみまれた生活をおくるくたびれた大勢の一人として宇宙に対する関心はもっぱら安全保障やビジネス分野に限定されるというつまらないことになっています。よくないですね。もっともこの分野に確かな知識があるわけでもなくなにか意味のあることを論じることもできませんので識者の方々の英知を分有させていただきたいというスタンスであります。したがって以下はただのメモです。

まず今回の宇宙基本法策定がさほどの紛糾もないままにするすると進展していることに軽い驚きを感じています。時代は変わったものです。我が国の安全保障の議論が神学論争や感情論のぶつけ合いでぐずぐずになるパターンには心底飽き飽きしていましたので、民主党がこの法案策定に協力していることをとりあえず高く評価します。党内のアレな勢力をうまく抑えられているようでなによりです。民主党内では「宇宙基本法PT」というグループが推進勢力になっているようです。このプロジェクトチームのメンバーについての情報は見当たりませんでしたが、メンバーの一人の藤末健三議員のブログで進捗状況について記述がありますね。

さほどの紛糾もないままにと書きましたが、もちろん権限をめぐっての鍔迫り合いは毎度のことながら展開しているようです。宇宙基本法に関して文部科学省の策動の疑惑については有名な軍事ブログ「週刊オブイェクト」さんのこのエントリがとりあげていました。上の藤末健三議員の書かれた記事をもとにした分析です。文部科学省としては宇宙利権を手放したくないがために社共を利用しようと策動をしているらしいという話です。真偽不明でありますが、たとえ事実だとしても無駄な試みに終わったようです。ちなみに結論部分には同感いたします。

既に宇宙防衛政策とミサイル防衛ではお互いの安全保障戦略を共通のものとした自民党と民主党。後は民主党が防衛費5000億円削減という馬鹿な案を捨てて、現実的な防衛予算案を対案として提出して貰えれば、私としては政権交代しようがしまいが、政府与党が自民党だろうが民主党だろうがどちらでも構わないです。ただ、民主党の国防に詳しい議員は数名に限られる為、ネクスト防衛大臣に不適格な人物を据える事が多々あるので、少々不安な面があります。歴代の民主党ネクスト防衛大臣を見ていると、あの長島昭久議員でかなりマシな部類で、他は殆ど問題外(どう見ても軍事は専門外の人達)です。

成熟した政党政治の実現のためにエールはおくっておりますが、民主党の外交安全保障政策と経済政策への懸念はなお消えていません。こういう層もけっこういることを民主党におかれましては十分に御考慮なさってほしいものです。なお米国からの自立性を高めることを本気で考えているならば、情報分野での米軍への過度の依存を見直すという意味においてもこの法案は歓迎すべきだということになるでしょう。この点反米的な人々の意見を伺いたいものです。

この法案をめぐっては国民の関心がそれほど高いとは思えませんが─いいことなのかよくないことなのかよく判りませんが─それでも主要紙では3社が社説でとりあげていました。まず、読売の「宇宙基本法 政治主導で戦略を練り直せ」[読売]から引用すると、

防衛目的の宇宙利用を解禁するとともに、内閣に「宇宙開発戦略本部」を新設して、安全保障や産業振興のための宇宙政策を総合的に進める、という内容だ。日本の宇宙開発は、年間約2500億円の予算を投じながら、研究・開発分野が限定され、産業化に十分つながってこなかった。原因の一つに、宇宙利用を「平和の目的に限る」とした1969年の国会決議がある。当時の審議で「平和」とは「非軍事」の意味と解釈され、防衛目的の衛星の打ち上げなどができなくなった。3党の宇宙基本法案は、宇宙の平和利用について、「非侵略」という国連宇宙条約の考え方と、専守防衛など「憲法の平和主義の理念」を踏まえて行う、と定義し直すものだ。民主党が、国際的に異質な足かせをはずすため、与党と法案を共同提出した意味は大きい。

北朝鮮によるテポドン発射を機に03年から導入された情報収集衛星の能力は、民間衛星と同等にとどめられている。ミサイル発射を探知する早期警戒衛星の開発も封じられてきた。日本が高い技術水準のロケットエンジンを開発しても、軍事衛星を打ち上げる可能性のある米国企業には売却できない、という問題もあった。
[...]
宇宙開発・利用の“司令塔”が、これまで政府にはなかった。首相を本部長として設置される宇宙開発戦略本部で、政府が一体となって戦略を再構築すべきだ。法案には、民主党の要求で、法施行から1年後をめどに内閣府に「宇宙局」(仮称)を設ける規定も盛りこまれた。宇宙政策を仕切り直す体制を、しっかりと作ってもらいたい。

というようにこれまでの我が国の宇宙開発が産業化という点で不十分であったこと、1969年の国会決議での「非軍事」の解釈を「非侵略」に改めることで軍事衛星の保有が可能になること、縦割り行政の弊害を除去すべく内閣直属の機関を構築することが論じられています。以上、事実の説明で歓迎の意思表示以上の主張は含まれていません。

次に産経新聞は「宇宙基本法 国の守りと科学の両立を」[産経]で読売同様に法案を歓迎していますが、注文もつけています。曰く、

法案通りに成立すると、内閣に首相を長とする「宇宙開発戦略本部」が置かれ、担当大臣も任命される。この新体制は、強力な牽引(けんいん)力を持つはずだ。そこで、いくつかの注文をつけておきたい。 第1には、日本の宇宙開発をバランスよく発展させていくことである。予算配分が防衛分野に偏り過ぎて、宇宙科学や宇宙ビジネスの分野が先細りになるようなことがあってはならない。日本の宇宙科学は、世界をリードする位置にある。これを損なうような事態を招けば、あぶはち取らずになってしまう。研究者の配置も10年、20年先を展望してビジョンを描くことが必要だ。 第2には防衛分野での透明性を可能な限り確保することだ。残念ながら、現在運用中の情報収集衛星については、その成果がまったく国民に伝わっていない。宇宙開発は巨費を伴う。実効的なチェック機関や機能がなければ、税金が有効に使われているのかどうかもわからない。加えて、極端な秘密主義は、技術研究の発展を停滞させがちだ。機密なしの防衛はあり得ない。その一方、透明性なしには科学技術の発展も望めない。この二大命題の両立に、関係者は議論を重ね、知恵を絞ってもらいたい。

というように安全保障に偏重することなく宇宙科学、宇宙ビジネスとのバランスをとるべきこと、また防衛分野での透明性を確保すべきことの2点を求めています。これはどちらも正しい提言であろうと思います。とりわけ後者は自由民主主義国の原則論として─限度もありますが─強調されるべき点でしょう。

一方、朝日新聞は「宇宙基本法―あまりに安易な大転換」[朝日]で懸念を表明しています。曰く

今回の基本法は、現状を追認するばかりでなく、そうした制約も取り除いてしまおうというものだ。ところが、そうすることによる国家としての得失はどうか、自衛隊の活動にどんな歯止めをかけるのか、といった論議は抜け落ちたままだ。しかも、たった2時間の審議で可決するとは、どういうことか。あまりに安易で拙速な動きである。 基本法が成立すれば、自衛隊が直接衛星を持ち、衛星の能力を一気に高める道が開ける。それにとどまらず、将来のミサイル防衛に必要な早期警戒衛星を独自に持つことができたり、様々な軍事目的での宇宙空間の利用が可能になったりする。だが、内閣委員会で、提案者の議員は具体的な歯止めについて「憲法の平和主義の理念にのっとり」という法案の文言を引いて、専守防衛の枠内であるという説明を繰り返しただけだ。基本法の背景には、日本の宇宙産業を活性化したいという経済界の意向もある。衰退気味の民生部門に代わり、安定的な「官需」が欲しいのだ。 だが、宇宙の軍事利用は、日本という国のありようが問われる重大な問題である。衛星による偵察能力の強化は抑止力の向上につながるという議論もあるだろうが、日本が新たな軍事利用に乗り出すことは周辺の国々との緊張を高めないか。巨額の開発、配備コストをどうまかなうのか。宇宙開発が機密のベールに覆われないか。そうしたことを複合的に考える必要がある。国民の関心が乏しい中で、最大野党の民主党が法案の共同提案者になり、真剣な論議の機会が失われているのも危うい。

というように事態がスムーズに進展している事態に対して懸念を表明しています。私ですら軽く驚いているところですからなおさらでしょう。私は朝日新聞の論調を揶揄する趣味は持ちませんのでこの言論スタイルに関してのみ手短かに述べます。この法案については昨年から議論になっていたわけでもっと真剣な論議をしてほしいならば、まずこの法案が通過することでいかなるメリットとデメリットが生じ得るのかシミュレーションを行う作業を行うのは新聞社の側の仕事でもあります。これは対論を出せというのとは少し違います。議論の素材を提供するのが言論機関の役割であって単に議論をしろというのは怠慢であると言いたい訳です。

なお宇宙開発については日経の「宇宙基本法で日本の宇宙開発は強化されるか」が慎重な議論をしています。2007年1月付の古い記事ですが、基本的な論点は変わらないでしょう。まずこれまでの体制の問題点として文科省の一組織となった宇宙開発委員会が十分に機能しなかった点を指摘しています。

戦略や計画をつくる体制でも議論すべき点はある。宇宙開発戦略づくりを担う組織は現在、内閣府の総合科学技術会議ということになっている。かつては宇宙開発委員会が担っていたが、2001年の省庁再編時に同委は文科省の一組織に格下げされ、宇宙開発事業団と宇宙科学研究所など同省傘下の研究機関(現在は宇宙航空研究開発機構に統合)のお目付役に任務を縮小してしまった。 宇宙開発委を総合科学技術会議や原子力委員会と同じように内閣府に置いて国の宇宙開発戦略をつくる役割を担わせることもできたはずだが、事務局を務めていた旧科学技術庁は文部科学省と統合する際に保身、縄張り確保の狙いから同委を文科省の下に置いてしまった。格下げしても、安全保障や産業振興まで含め広い視野で日本全体の宇宙開発を見渡して国の戦略をつくれないことはなかった。しかし、その議論は乏しく、宇宙開発戦略の議論の場は総合科学技術会議に移ってしまった。 航空や宇宙開発の分野は軍事とも密接に絡んでおり、技術的には民生、軍事の両方をにらんだ研究開発戦略が必要になる。仮に民生分野だけの研究開発をするとしても、国力、軍事技術を意識して技術高度化、産業強化を狙うのが当たり前のことである。宇宙開発委にはその認識が薄かったと言えるだろう。

この後、縦割りを改め内閣主導で話を進めろとなっていますので、この点はどうやら今回の法案で実現しそうです。さらに産業育成の観点から米国の干渉に注意を促し、国頼りにならないよう民間活力を活かせるような体制づくりをすべきであるとしています。

産業育成・強化という点でも考えておくべき点はある。航空宇宙分野では日本の技術力が上がると、米国から干渉されたりしてきた。航空自衛隊の支援戦闘機「F1」の後継機「FSX」の開発では独自開発が米国の圧力もあって日米共同開発になった。宇宙開発分野でも日本が技術導入を手始めに通信、放送、気象の衛星の技術力をつけることを目指したが、米国からの商業衛星の市場開放圧力が強まり、思惑通りに衛星メーカーの育成ができなかった。 防衛省が偵察衛星を持てるようになれば、同盟という考え方から米国製の導入の働きかけは強まるだろう。ロケットは独自技術を確立し、打ち上げも民営化できるにしても、衛星では技術力を上げ、国際的な競争力のある産業に育てられるのかは必ずしも見えない。独自開発を円滑に進めやすくできるかどうか、そのためには何が必要かも法案審議では議論すべきだろう。 宇宙開発というと、国費を注ぎ込むことばかり考えがちだ。国威発揚や人気取りも狙って、とてつもなく資金のかかる有人計画に走りたがる傾向も強い。しかし、宇宙関連産業が国にたかるという構図になってしまえば、活力につながらない。安全保障はともかく、民生分野では関連産業が国に頼らずに稼げるようにならなければ強化策の意味はない。

ここは陰謀論的にならないよう気をつけるべきでしょうが、この分野に関しての米国の干渉というのは確かに現実に問題になりそうです。もっともかつてとは安全保障環境も大分変化してしまったので日本封じ込め論みたいなものがまた出てくるとは考えにくい状況ではありますが、緻密な外交が求められるところなんでしょう。またこれは宇宙開発に限りませんが、武器輸出の原則の緩和もそろそろ必要になってくるのでしょうね。ここは政治的に慎重に事を進めないといけないところです。

なお慶応の大学関係者などが主宰し、JAXAのメンバーなどが参加している「宇宙開発と国益を考える研究会」が提出したレポートがありましたので紹介しておきます。この問題に関して多面的な検討をしているので興味深かったです。もっとハードな戦略論的な論考も読んでみたいところですね。

追記
Japan Timesが社説で反対していますが、公明党も推進しているのに不思議ですね(棒読み)。

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レバノン緊迫中(1)

アブハジアと並んでレバノンが国際政治上の焦点になってきているようです。与党勢力と野党勢力の間の戦闘によって緊迫している状態です。レバノンも我が国にはあまりなじみのない国ではありますが、この地域の中では非常に重要な国ですのである程度は知っていたほうがいい国だと思います。フランスとの結びつきが強く、移民も多いこともあってこのニュースは現在フランス・メディアを賑わせています。レバノンはこの地域の中では比較的西側寄りで世俗的なスタンスの国だったわけですが、内戦の憂き目に遭い、政治的宗教勢力の巻き返しで非常に不安定な状況になっています。

レバノンの政治勢力ですが、スンナ派の「未来運動」、キリスト教徒の「ファランヘ」、「レバノン軍団」、ドルーズ派の「進歩社会党」などが多数派の与党を構成しています。一方、これに対立するのがシーア派の「ヒズボラ」と「アマル」、キリスト教徒の「自由愛国運動」、「エル・マラダ」、ドルーズ派の「民主党」などであります。政党が非常に多数あるのですが、宗派の影響力の方が強いようです。キリスト教徒(30%も占める)だからといってすべてが親西欧勢力とも限らないのが興味深いところですが、宗派によって地域がモザイク状態になっています。また各政治勢力がそれぞれ民兵組織を持っていますので、「近代的」な意味での治安秩序は確立していません。政治的宗教的に分散して互いに武装して火花を散らすという状態です。政権は親西欧、反シリアのスタンスをとり、野党側が親シリア(反イスラエル)のスタンスをとるというように外交政策をめぐって分裂している状況です。それで問題になっているのが、イランとのつながりが強いとされるシーア派のヒズボラです。イスラエルやアメリカがテロリストとして敵視していることはご存知でしょう。ちなみにフランスはシラク時代は反ヒズボラでしたが、サルコジはこれも交渉相手とみなすという柔軟なスタンスに切り替えています。

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日本語ソースでは例の如くAFPニュースが充実しています。「レバノン首都、与野党支持者の衝突で空港閉鎖」「レバノン野党勢力、撤退開始」「レバノン北部、首都で与野党支持者が戦闘、16人死亡」あたりで状況はだいたいつかめると思います。事実としては7日以降首都ベイルートで市街戦が展開され、ヒズボラが西部を一時的に軍事的に制圧下に置くという事態となったが、軍の決定を受けて撤退を開始する一方、11日には戦闘が北部のトリポリ周辺でも展開されたという流れです。この戦闘での死者数は少なくとも38人で内戦以来最大規模となったといいます。

記事にもありますが、この戦闘の直接の引き金となったのは政府が空港保安責任者を配置換えし、ヒズボラの通信網を捜査すると発表したことにあったとされます。軍は声明でこの責任者─ヒズボラに近い人物─を留任するとし、通信網については政府による捜査を延期し軍が独自に調査を行うと発表したといい、これを受けて首都からの撤退を開始したということです。この地域になじみのない人にも判りやすいのでEconomistの記事を紹介しておきます。フランス語圏の方がつっこんだ分析が多いのでいずれ紹介したいと思います。

「真実の瞬間」(Economist)
レバノンの悪魔的に複雑な政治が2006年7月のイスラエルとの戦争の後に2つの激しく反目する党派に分極化して以来、1975年から1990年までの間レバノンの内戦を支配した種類のカオスへと傾斜するのではないかとオブザーバー達は予測してきた。しかし言葉上の中傷合戦や国家をまとめる弱体な憲法メカニズムの衰退、さらに2、3の暗殺と時折の銃撃を別にすれば、それほど大きなことは起きなかった。しかし、突然、事態は劇的にエスカレートした。

対決は先週切って落とされた。西側が支援する議会多数派とその内閣─5月14日運動として知られる─が、強力なシーア派の民兵組織をもった政党のヒズボラ─シリアとイランの支援を受けた非常に幅の広い野党の中の主要な勢力─によってレッド・ラインとされたものを越えたとされた時に。首都ベイルートの南部の郊外の拠点とシーア派が多数のこの国の南部、東部を結ぶためのヒズボラの洗練された通信網を違法であると宣言したのであった。

野党は強硬に応答した。水曜の労働組合によるストライキは急速に首都のスンナ派とシーア派の地区を分けるラインに沿った衝突に転じた。シーア派の民兵組織は東部のバリケードとともに空港へのアクセスを含むベイルートの幹線道路をブロックした。スンナ派はベイルートとシリア、南部を結ぶ主要道路をブロックすることでこれに応じた。

木曜遅くにヒズボラのカリスマ的なリーダーのHassan Nasrallahがイスラエルとの戦いを成功裡に進めている「レジスタンス」に敵対する戦争行為として政府の動きを非難して賭け金をあげた。「通信網はレジスタンスの武器の主要な部分だ」と彼は宣言した。「我々はレジスタンスの武器を標的とする手を切ることになるのだと私は言った・・・今日がこの決定をなす日だ。」

彼の言葉は分派主義─イランとシリアを主要な陰謀者と見る者達に対してこの地域を支配せんとする西側の企ての餌食としてレバノンを見る者達を対抗させる─を超えた深刻な政治的分裂をハイライトするものだ。こうしたラインに沿って出来事のナラティヴ─イスラエルとの2006年の戦争の責任者は誰かといったような─は分岐するが、レバノン人はほとんど同じように両者のサイドに分裂する。

金曜までにシーア派のガンマンは相対的に豊かでスンナ派が支配する西ベイルートへと進撃した。5月14日に同盟する武装、組織化の不十分な民兵組織によるレジスタンスはすぐさま姿を消した。マシンガン、スナイパーライフル、ロケット推進グルネードで行われた戦闘で少なくとも11人が死亡したが。相対的に非分離主義的な稀少な国家組織のひとつであるレバノンの国軍は、分離主義的な小競り合いに引き込まれるのを警戒して、市街戦からは身を遠ざけていた。卓越した勢力であることを誇示したヒズボラがスンナ派地区の挑発的な占領を維持することを控えるサインの中、軍は5月14日の政治家や関連する組織を保護すべく交渉を行った。

この数日間の紛争はヒズボラとその同盟者─もう一つのシーア派政党のアマル、元軍司令官のMichel Aounの支持者のキリスト教徒、シリアに忠誠を誓う諸党を含む─をより強いポジションに置いたように見える。2006年11月以来彼らは政府を非合法であると宣言し、内閣のシート、新選挙法、レバノンの民兵組織の非武装化を求める国連安保理決議からの「レジスタンス」の除去を要求している。5月14日運動は自らを議会多数派であるとし、イランとの共謀でヒズボラを非難し、アメリカとその同盟国からの支援を信頼してその地歩を築いてきた。昨年の11月以来、2つの党派間の言い争いは軍司令官のMichel Suleiman将軍の大統領職の適格性をめぐる合意にもかかわらず新大統領の議会による選挙を妨げてきた。

ヒズボラに対する5月14日の最近の挑戦は部分的にヒズボラとAoun主義者のキリスト教徒─権力から排除されたことに憤っているが、シーア党の武装や反西洋的なレトリックに特に熱心というわけではない─の間の2年にわたる同盟関係に楔を入れる試みであったようだ。この戦略はうまくいかなかった。多くのキリスト教徒の離反にもかかわらずこの同盟関係は維持され、ヒズボラに対してより広い分離主義的なカバーをかぶせることになった。この権力のシフトは政府を破壊しなかったが、野党の選好への一層の妥協を求める圧力を非常に高めることになった。憲法ルールの最後のイチジクの葉が吹き飛んでしまう前に。
(了)

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EUの経済的メリット

アメリカの大幅な減速と国際金融市場の混乱の影響を受けて少なくとも今後2年ほどの欧州経済の見通しが暗そうであることはこれまでのエントリでも書いてきましたが、FTから記事を追加しておきます。4月28日付の記事ですが、「欧州経済の見通しの悪化」[FT]では、欧州委員会の出した経済成長見通しを伝えています。欧州連合27カ国の経済成長は2008年が2%、2009年が1.8%、ユーロ圏の15カ国ではそれぞれ1.7%と1.5%と予想されました。11月の段階では欧州連合全体で2008年、2009年がともに2.4%、ユーロ圏ではそれぞれ2.2%と2.1%という予想でしたから大幅な修正となりました。「金融混乱はより深刻かつ広範で持続的となることが明らかになりつつあり」、特に2009年の経済成長のリスクが高まる一方で、インフレのリスクが上がり続けるといいます。

この予想に対する加盟国からの反応ですが、フランスのラガルド財務相は2009年の見通しは「悲観的過ぎる」と述べ、疑念を呈しています。フランスは2.5%の見通しを修正しないとのことですが、欧州委員会の予想ではフランスは2008年が1.6%、2009年が1.4%だそうです。ちなみにドイツはそれぞれ1.8%、1.5%、イギリスはそれぞれ1.7%、1.6%の予想ということです。ふう。一番悲惨なのが我らがイタリアでそれぞれ0.5%と0.8%とのこと。真っ暗ですね。スペインは2.2%と1.8%だそうですが、ここずっとバブルが続いていましたから突然の暗転です。

一方、インフレのほうは欧州連合で2008年が3.6%、2009年は2.4%、ユーロ圏ではそれぞれ3.2%、2.2%という予想になっています。短期的にはインフレが最大の問題ということですが、ただ2009年にインフレ率の低下の予想がサルコジやベルルスコーニのようなECB(欧州中央銀行)批判の急先鋒を宥めることになるかもしれないと記事は予測しています。そうなるといいですがね。最後に財政赤字に与える影響に関しては、懸念の英仏ですが、フランスが2008年はGDPの2.9%、2009年は3%に、イギリスは両年とも3.3%になることが予想されています。むー、イギリスもしんどいですね。

また5月9日付の「欧州連合の経済効果には疑問あり」[FT]という記事では、欧州統合の経済効果は推進論者が主張するほどのものではないという経済学者の意見を紹介しています。カリフォルニアのバークレーのBarry Eichengreen教授によれば、欧州連合が存在しなかったならば欧州の所得は5%ほど低くなっただろうということです。つまり生活水準の向上にとってそれなりのメリットがあったわけですが、最近の評価に比べるとはるかに低い数値とのことです。

この研究ですが、たとえ今日のEUのような制度がなかったとしても自由貿易や安定した為替レートや規制緩和がなされただろうという仮定に基づくものだそうです。1960年代の欧州の域内貿易の上昇は共通市場の貿易障壁の撤廃と急速な経済成長によって助けられたものであると教授は論じています。同様にEU単一市場プログラムがなかったとしても英米式の改革が1980年代の自由化の追求を欧州の諸政府に推進できただろうと言います。一方で統合へのコミットメントが改革と自由化を推進するのを手助けしているとも論じています。「しばしばヨーロッパという言葉は規制緩和への国内の反対に対するシールドとして使用されている」と。教授によると最大のメリットをもたらしたのは貿易障壁の撤廃であり、保護主義的な共通農業政策はロスをもたらしている。さらに最も野心的なプロジェクトである通貨政策に関してはこれまでmildly positiveにとどまっており、イタリアの改革努力を遅延させるかもしれないということです。

同様のリポートは以前にいくつか読んだことがありますが、域内の自由貿易を活発化させればいいのであって、なにも大げさな機構をつくったり、通貨を統合する意味はあまりないんじゃないかというのがどうも少なくない経済学者の間の合意のようでありますね。いろんな意見があるでしょうが、私自身はこちらの考え方に説得力を感じています。政治的にもスケール・デメリットが大きいような気がして仕方がないのです。いずれ進展と後退を繰り返しながら時間をかけて合理的かつ現実的な枠組みに成熟していくのかもしれないので断言はしないでおきますけれどもね。

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ドイツの裏切り?

東欧情勢を枠づける地政学的に重要な要素としてドイツとロシアの関係があることは、この地域についてあまり知らなくとも、地図を開けばすぐに予想できると思いますが、実際に、この地域の歴史を多少とも齧れば、現実感をもって理解することができます。東欧諸国は西のドイツと東のロシアに挟まれて両国の動きに翻弄され続けるという地政学的運命に置かれているわけです。そして先日のNATO首脳会談におけるグルジア、ウクライナ加盟見送りの背後にあったのも、この2つの大国の関係であります(それだけではないわけですが)。現在、緊張のますます高進しているアブハジア情勢もこの結果を─直接的かどうかはともかく─受けたものである点については別のエントリで紹介しました。

ロシアの帝国主義的な外交姿勢にもかかわらず、現在のドイツとロシアの関係は比較的良好であると言っていいと思います。ドイツが人権問題に口をつぐんででもロシアに接近したのはエネルギー供給やビジネス上の理由だけではないんでしょうが(ドイツに詳しい方にお聞きしたいです)、いずれにせよ対ロシア警戒感の強い東欧諸国にとってはこれは裏切りと映じているようであります。東欧に対するEUやNATOの影響力が弱まっているらしいことは以前から指摘されていますが、原則論的な部分をないがしろにしてあんまりぬるい外交ばかりやっていると欧州の統合のビジョンも絵に描いた餅になってしまうような気がするのですがね。

「モロトフ・カクテル」[Economist]
東欧の蜜月の終わり

ドイツの視点から見れば、東欧がEUに魅力を感じなくなってきていることは不実であり、おそろしく不愉快なことだ。東欧諸国を欧州連合に加盟させたのが─いくつかの既存加盟国にとっては早すぎた─ほかならなぬドイツの圧力であったのに、いかにして東欧諸国がドイツに裏切られたと感じるなどということがあり得るのだろうか。ドイツはこの地域の巨大な投資国にして、安定の保証人にして、旧共産主義国の強力な代弁者だ。これが、少なくとも、ベルリンで広まっている見方なのだ。

しかし東欧の政策担当者の冷ややかな評価は違っている。「EUは破綻した。NATOもそうだ。残された唯一の存在はアメリカだ」と、ある人は述べる。

彼らの憂鬱の原因はドイツが今や間に位置する諸国の利害を無視してロシアとの関係を重視しているという感情だ。ポーランドを迂回するバルト海海底のノース・ストリーム・ガス・パイプラインへのドイツの支持はこの前兆だ。ブカレストでのNATO首脳会談でのドイツの役割は─ウクライナとグルジアに加盟への明確な道を与えるアメリカ案を阻止した─この印象を強化した。

ロシアとドイツの間に不吉な意気投合といったものを見るものはほとんどいない。その代わりに彼らは金を非難する。「ドイツ人が決定を行ったのだ。あの体制との友好と交換で数百億のビジネスという決定を」と別の東欧の外交官は言う。アメリカの関係者は、より慎重ではあるが、こうした懸念に共鳴する。

EUとNATOの両者におけるドイツの役割に対して、少なくともいくつかの国から見れば、疑念が投げかけられるという結果になっている。例えば、ロシアがカリングラードの飛び地へのトランジットをめぐるリトアニアとの対立、あるいはエストニアやラトビア─数万人がロシアの市民権をもつ─での言語、市民権をめぐる対立を引き起こす可能性を想像してみよう(こうしたシナリオはありそうもないが、不可能ではない。アブハジアにおけるロシア市民の存在が当地でのクレムリンの介入の部分的な正当化を与えているのだ)。

いかにNATOは大西洋憲章第5章による援助要請に答えるのだろうか。 これが問題となった際の北大西洋理事会の会合を想像してみよう。明確に新加盟国の味方をしてくれるだろうか。それともドイツは平静を呼びかけ、双方が紛争を別の場で解決するよう示唆するのだろうか。

ドイツの担当者はこうした考えを不合理だと考える。ロシアとの対決を避ける最良の方法は関与政策(engagement)だと彼らは言う。貿易と投資が拡大すればするほど、西側との関係は改善するのであり、クレムリンが地政学的ゲームを演じる可能性は小さくなると。旧共産主義諸国はめそめそ言っていないで、ロシアとの強固で賢明な関係を構築する上でドイツの例─他の多くの西欧諸国の例─に倣うべきなのだ。

おそらく彼らはそうすべきなのだろう。EUとNATOの新規加盟諸国のほとんどは現在少なくとも公的にはロシアとの取引においてはっきりと非対立的である。「EUに加盟した時、これでと我々はロシアとの取引に敢然と立ち向かうことができるのだと考えたものだが、今では他のすべての国と同様に我々自身が取引をしなければならないことに気付かされたよ」とバルト海議会のある議員は言う。

重要な例外はリトアニアで、この国は交渉権限の強化を目指して新しいパートナーシップと協力の合意に関するロシアとEUの会談の開始に賛成票を投じている。このポジションはひどく孤立的なものに見える。18年前に戦前の独立回復を宣言して世界を驚かせ、クレムリンに反抗したこの国にとって孤立というのは相対的な概念であるが。

ドイツのような豊かな大国がロシアと取引をするのは正しいのかもしれないし、確かに容易いことだ。しかしかつてソビエト帝国の一部であったより小さくより貧しい国々にとってはこれは決して同じにはならないだろう。これはベルリンの政策担当者が理解するのに困難を覚えるように見える事柄だ。
(了)

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神風協奏曲

大澤壽人 (1907-1953)/Piano Concerto.3神風協奏曲  Sym.3: Saranceva(P)  Yablonsky / Russian Po大澤壽人 (1907-1953)/Piano Concerto.3神風協奏曲 Sym.3: Saranceva(P) Yablonsky / Russian Po
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忘れられた作曲家大澤壽人が「再発見」されたのはここ数年前のことだといいます。溝口健二のいくつかの映画音楽を担当していたということもあって私もこの人の音楽を実際には耳にしてはいたのですが、作曲家の名前や経歴についてはなにも知りませんでした。最近一部で話題になっていたのでさっそく聞いてみたわけですが、確かにこんなモダンボーイが我が帝国にもいたのかと感心しました。私はクラシックについて滔々と語れるほどの教養は持ち合わせていないので以下はライトなリスナーによる紹介です。

生没年が1907〜1953年ということですから日本史で言えば日露戦争後の生まれで戦後の吉田内閣の頃まで活躍した人ということになります。解説によると、神戸の製鉄関連の大澤工業の経営者の子息として生まれ、クリスチャンの母の影響で西洋音楽に親しみ、関西学院中等部、高等商業学部在籍中に外国人教師などからピアノの薫陶を受け、卒業後そのまま渡米、ボストン大学とニューイングランド音楽院に学び、その後、パリで多くの音楽家と交流し、才能を認められたといいます。アメリカのポピュラーミュージックや当時のヨーロッパの前衛音楽、それに日本の伝統音楽の語法を自在に使いこなす神戸生まれのモダンボーイです。実際、いろんな作曲家の音が聞こえてきます。帰国後、あまりにも先端的であったために日本での評価は今ひとつであったといいます。居場所を見つけられないままに関西を舞台に活動を続けますが、そのモダンぶりを控えて「社会的要求に適った音楽を提供する職人に徹して戦時期」を生き抜こうとしたされます。ラジオ向けの曲を書いたり、映画音楽を作曲したり、宝塚歌劇団や松竹歌劇団にミュージカルを提供したりしているようです。戦後は軽音楽の領域にも進出し、ラジオの音楽番組を受け持ち、クラシック音楽の聴衆の裾野を広げる啓蒙家としての役割を果たしたそうです。

それでこのCDに収録されている彼の代表作(?)の神風協奏曲こと協奏曲第3番ですが、特攻隊とはなんの関係もありません。神風というのは当時の朝日新聞社が所有していた民間航空機の名前で、日本の航空機の国産時代への転換期を象徴する最新鋭機だったそうで、1937年にこの神風は東京-ロンドン間の最速記録を樹立し、日本の工業力を内外に知らしめたといいます。ちなみに毎日新聞のニッポン号が「世界一周親善大飛行」を行って当時の我が国は「航空ブーム」に湧いていたとのことです。これは知りませんでしたね。ともかくこうした時流に乗って1938年に初演された航空機讃歌がこの神風協奏曲であります。モダニストが機械をテーマにするのは珍しくない話ですが、この曲は航空機の運動イメージの音楽化です。プロコフィエフがモダンボーイだった頃の協奏曲を想起させるところもありますが、ジャズ調があちこちに散りばめられてアメリカンなテイストになってます。日中戦争が進行している時期に作曲されたとはとても思えないほど軽快な曲です。

収録されているもう一曲の交響曲第3番のほうは別名「建国の交響曲」といい、1937年の紀元節に完成した曲です。1940年の皇紀2600年記念行事は歴史上有名でありますが、大澤は自主的に3年前にこの奉祝曲を発表したといいます。「垢抜けしすぎてしまったらしい彼は、日本人として足下を見つめ直し、日本の楽壇、この国の聴衆との接点を模索」すべく皇紀2600年を口実にこの曲をつくったとのことですが、書法は少し前の時代のものに遡り、全般に和洋折衷的な曲調になっています。とはいえそれほど「日本主義的」という感じもしませんね。途中、バルトークを想起させるところもありますが、それほど野性的というわけでもなく聞きやすい曲です。この時期のモダニスト達の「後退」は世界的な現象のように思われますが、あるいはこの作曲家はこうした時代の変化に敏感だったのかもしれません。解説はショスタコーヴィチの例を挙げていますが、ロシア回帰した後の民族主義的重厚さみたいなものは欠けているように思えます。

2曲とも1930年代後半の曲であり、その成立事情からいって当時の情勢を深く反映した作品なのですが、「軍国主義的」なところがあまり感じられないのは、この関西のモダンボーイはそういう深刻ぶった重々しさとは本質的に無縁なタイプだったということなんでしょうか。2曲聞いただけでどうこう言うことはできないわけですが、欧州や日本の同時代のモダニスト達ともなにか異質な感じがするのは、この人にとってはアメリカという存在がかなり大きいことが関係があるのかもしれませんね。神風号讃歌にしても全体主義的な機械賛美の美学とはちょっと異質な印象を受けました。ジャズ・エイジが日本にもあったのは歴史的事実でありますが、全体に芸術家の間では欧州志向が強かった時代にこういう人がいたのは面白いなと思いました。対米戦争はこの人の音楽にどういう影響を与えたんでしょうね。

追記
朝日の神風号、毎日のニッポン号については実に力の入った記事がありました。やはりこういう分野のマニアの方の圧倒的な知識には脱帽せざるを得ません。

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自殺報道

あいもかわらず自殺関連の話題に関してあまりにも無神経かつ不正確な報道がなされることにうんざりしています。もういいやという投げやりな気分になっていたのですが、気をとりなおしてエントリしておきます。まずこの不満は我が国のメディアに向けられるものです。全テレビ局が一斉に朝から晩まで扇情的に自殺関連情報を伝えることがルール違反であることは識者によってこれまで何度も警告されたポイントです。社会の闇だの心の闇だのに光をあてるのだとかいった大義名分の下に「民間社会学的、民間心理学的」なアプローチで連鎖のリスクの高い情報を流し続けるのは偽善を通り越して悪そのものだと考えます。おそらくは先だってのいじめ自殺事件の際の厳しい批判を受けて報道に携わる人々の中でもジレンマがあるだろうと推察申し上げますが、自殺報道に関するガイドラインを一刻も早く作成し、現場に周知徹底させることを要求します。

また自殺関連のネタに関しては海外報道にも私は非常に不満があります。空さんのブログで少し前にとりあげられていた記事なんですが、安易な文化的決めつけをしてはならないというのは外国の報道をする際の基本的なルールであると私は考えますが、英語圏の日本報道に関してはこのルールが全く守られていないようです。これがアンチCNN的な愛国的被害者意識にもとづいた印象論でないことは、私もそれなりに年季の入った海外ニュースマニアですから信用していただいてよろしいかと思います。日本報道の「異様さ」は他のアジア諸国に関する報道のバイアスとは一線を画すレベルにあるといっていいと思います。ここにいたるには長い歴史的経緯があるわけです。英語圏の日本報道に関して常にベストなのはEconomistであることは衆目の一致するところでしょうが、それでもいい加減な記事が掲載されることも結構あるわけです。こんな風に。

日本は豊かな国の中で最も高い自殺率の国のひとつである。部分的に文化的要因が働いている。日本社会は失敗や破産の恥から復帰することを人々に許すことは稀である。自殺は時に同意とともになされる─運命を回避するのではなくそれと向き合う行為として。侍の伝統は自殺を高貴なものとみなす(おそらくは利己的なものでないとして、というのも捕虜になった戦士はおぞましく扱われるので)。日本の主要な宗教である仏教、神道は自殺に対して、アブラハムの信仰が明示的にこれを禁止しているのと異なり、中立的である。 [...] 昨年政府は自殺率を9年で20%下げるという目的でカウンセリングのサービスとホットラインのような措置を制度化した。しかしこれは一時しのぎのものである。より重要なのは社会的態度の変化である。人々に生涯にわたる恥を耐えることを人に強いるよりも、人々にセカンド・チャンスを与える始めなるならば、自殺は一般的でなくなるだろう。

といった具合であります。現在の硬直的な労働市場を改革する必要性に関しては私も心から同意いたしますが、問題はこのわけのわからない「文化的解説」です。この記事を書いた記者の頭にあるイメージは分かりやすい。ルース・ベネディクトの「恥の文化」(戦争捕虜の尋問に基づいた「古典」)、ユダヤ・キリスト教圏以外では自殺はタブーでないらしいという思い込み(我々のみが倫理的基準をもつもんね)、侍の切腹イメージ(これが刑罰の一種でもある事実を無視、多分三島由紀夫のイメージが混じってる)、最後の捕虜うんぬんはオリエンタリズムへの迎合ぶりが痛々しい「戦場のメリークリスマス」の捕虜虐待の「文化的説明」の受け売りです。これがどうして10代、20代の現代女性の痛ましい自殺を「説明」するのでしょうか。ちなみにこのコメント欄はさすがにEconomistだけあって日本よりも高い自殺率の国を列挙して、敬虔なカトリックのポーランドの方が高い自殺率なのはどういうわけなのかとか、仏教は自殺を含めて殺生を禁じているぞとかといった正しいつっこみが入っております。だいたい侍と少女の関係はどこにあるんですか、Economistさん。さっきは文句をつけましたが、民放連の放送基準にもこんな条項があるのですよ。

49) 心中・自殺は、古典または芸術作品であっても取り扱いを慎重にする。 人命尊重は現代社会の基本理念である。いかなる場合でも、これを否定的に扱ってはならない。 古典、芸術作品でも、心中や自殺行為を美化・礼賛するものの取り扱いは慎重にしたい。

この点でやっかいなのはこうした文化的説明を往々にして日本人の側がしてしまうという事実であります。大島渚監督の最低の武士道映画が英語圏に与えたインパクトの跡がここにも見られますが、実際、文化保守だけでなく左翼論客も含めて好まれる通俗的な日本論(優れた日本論も勿論あります)は実はかなりの部分が想像された「西洋人」(そんな実体は存在しない)の視線を自己のアイデンティティー形成の軸として受け入れる(ステレオタイプや偏見も受け入れてしまう)というコロニアルな主体形成のモデルをなぞってしまっているわけです。もちろん父祖達の努力のおかげで現在の恵まれた地位にある日本国国民がアンチCNN的な熱情をもって西洋人の偏見と戦うべきだなどと呼びかけるつもりはありません。我々はもはやそんなポジションにはいないのです。ただ「文化的説明」は悪循環を生むだけですからわざわざこちらの側から提出する必要はないわけで実証的なデータがない事柄については判らないと率直に答える癖をつけましょう、また変な説明に対しては涼しい顔でおかしいね、どこの国の話、と答える癖をつけましょうとだけ言いたいのです。日本関連のニュースで彼らを実に満足させそうなことを喜々として語っている人がよく「日本人の声」としてとりあげられている(たぶん編集もかかっているわけですがね)のを見るたびに萎えた気持ちになるのは私だけではないでしょう。結局のところ偏見を互いに支え合っているわけです。たぶん英語の教本あたりから見直していくべきなんでしょうね。最後に日本のメディア自身がこうした安易な文化的説明を拡散したりするはずはないですよね(棒読み)。

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言論の自由の後退?

最近、東欧では政治家による干渉や名誉毀損関連の法律の強化によって言論の自由が後退しているという記事です。東欧の民主化の進展については中長期的には楽観的でいいと思いますが(一部除く)、こういう懸念も広がっているという話です。watchdogsの評価がどこまで正当なのかよく分かりませんが、なんだか身につまされるような話もありますね。ちなみに我が国の報道の自由に関する評価が芳しくないのは周知のことでありますが、政権つぶしに明け暮れる我が国のメディアのワイルドさというのはけっこう凄いものがあるような気もしますけれどもね(ええと、皮肉です)。悪制度や悪慣習の是正によって評価を上げようみたいな向上心があればいいのでありますが、メディア自身が1ミリの変化も拒んでいるのですからどうにもこうにも。

「言論の自由の後退」(Economist)
スロバキアの新聞を手に取ってみるといい。そうればあっという間に─憂鬱になるが─読めてしまうことに気付くだろう。主要新聞はここ何週間か記事で言及された人々に全面的な反論権を与える新メディア法に抗議するために一面で黒枠の空白スペースを掲載している。国際的なメディア監視団体は激しくこの法を攻撃している。彼らは東欧全体でのメディアの自由の衰退に憂慮しているのだ。

スロバキアの新法は6月1日に施行される。もし新聞で言及された人物が不満をもった場合には、法廷での説得ができなければ、彼らの反論を掲載する義務がエディターの側にあることになる。反論にはエディター側の追加コメントがともなわない可能性がある。反論の掲載拒否は多額の罰金につながり得る。返答の権利のルールはいくつかのヨーロッパ諸国で一般的ではあるが、スロバキアの法は最も懲罰的で、恣意的なものになり得る。

ポピュリストかつナショナリストの連立政権はこの法はメディアをより責任あるものにすると主張している。「これは報道の自由を侵害するものではない。これはただ新聞社の利益よりも公共的な利益を優先するものである」と文化相のMarek Madaric氏は述べる。スロバキアのメディアは非難に値しないわけではない。ジョージ・ソロス氏が財政支援するオープン・ソサイアティー・インスティテュートのリポートは「盗用、訂正拒否、隠された利害相反」について語っている。

しかしスロバキアの首相Robert Fico氏がこの法をいかに利用するかについての懸念には理由がある。無能と腐敗の疑惑ゆえに政権を繰り返し攻撃してきたメディアとは彼は険悪な関係にある。彼はインタビューを受けることや批判的なジャーリストからの質問に答えることを拒否し、いくつかの新聞を「娼婦」と呼び続けてきている。何人かのジャーナリストは─Vladimir Meciar氏(現在のFico氏の連立パートナー)の権威主義的な政権がEUとNATOへの参加を危険にさらした─1990年代の暗黒の日々を想起している。(公平のために言っておくと、改革者として知られる前任者のMilulas Dzurinda首相もプレスと衝突したし、かつては反対メディアを盗聴したと非難された。)

スロバキアの新法は地域で最も目を引くものであるが、報道の自由に対する恣意的な法的強制は他の国でも懸念をもたられている。ブルガリアでは公的人物(著名なビジネスマンを含む広いカテゴリー)の名誉毀損は罰金刑で処罰される犯罪である。ジャーナリストはまた誰かの「名誉と尊厳」を侵害したと訴えられる可能性がある。2006年には60件もの訴訟が、さらに2007年には100件の訴訟が法廷に持ち込まれた。

ルーマニアでは憲法裁判所が昨年「中傷」を犯罪化する厳格な名誉毀損の法律を復活させた。とはいえ報道の自由へのこの影響は三人の政治にアクティヴなボス達による大半の主流メディアの独占や公共放送への政治的干渉に比べれば色あせるのであるが。アメリカのブカレスト大使のNicholas Taubman氏は、「ジャーナリスティックな努力を犯罪化したり、独立メディアを脅したりして、自由なメディアがルーマニアで正当な役割を果たそうとするのを阻止するよりも・・・議員は自身の説明責任を強化すべきだ」と示唆した。

こうしたことのすべては再生した自由にかつて誇りをもっていた地域における悪いニュースである。そして悪法はピクチャー全体のわずかな部分である。4月29日に公表される予定のニューヨークを本拠地とする圧力団体のフリーダム・ハウスの年次報告によると、旧共産主義諸国は、主として公共放送の政治化ゆえに、世界のメディアの自由の中でもっとも相対的な後退を示している。この落ち込みはアジア、アフリカ、ラテン・アメリカよりも大きい。

かくして政府がロシアをもっと紳士的に報道するよう公共テレビに圧力をかけたとされた後にラトビアのスコアは19位から22位に下げた。スロバキアは22位から20位へ、スロベニアは23位から21位へ、ポーランドは24位から22位へと順位を落とした。ソロス氏のメディア・ウォッチャーはフリーダム・ハウスの評価と共鳴している。「政治家はこうした公共放送が自分達のものであるべきだと考えている」とこの地域の公共サービス放送の詳細なリポートを公表しているMarius Dragomir氏は言う。EU加盟交渉がうまくいっているので、政治家は現在は権力の果実をもっと自由に使えると感じている。政治化した公共放送は商業テレビが親しいボス達によって運営されてる際には特に有権者を操作するのに有用なツールである。

こうしたトレンドには困惑させるものがある。しかしすべては相対的なものである。最近ロシアの新聞のMoskovsky Korrespondentがウラジミール・プーチン大統領と魅力的な体操選手のAlina Kabaeva氏の関係について広まっている噂を伝えた。プーチン氏が反政府的な新聞であるNovaya Gazetaの姉妹にあたるタブロイドを非難すると出版社によってすぐさま廃刊になった。こうした出来事は中欧や東欧の新しいEUメンバーでは想像できないだろう。今は、少なくとも。
(了)

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ギリシア文明の後継者は誰だったのか

1990年代あたりから欧州のあちこちで歴史問題が火を吹いていること、また欧州諸国と旧植民地諸国との間でも浮上していることは、我が国においては知っている人は知っているというレベルにとどまっているような印象を受けます。ググればけっこうヒットしますけれどもね。もちろんこれをうまくかわしている賢明あるいは狡猾な国もありますが、イデオロギー的な分極化傾向の強い国には内輪もめに熱中し過ぎて火の手を大きくするというまるで極東のどこかの国を想起させるような展開を辿っているところもあります。フランスのことですが。歴史問題は専ら近代史の解釈への政治的動機や利害の介入により発生することが多いわけですが、前近代に関しても歴史問題が発生し得ることは我々も身を以て知っているところであります。茶道がどうしたとかはまだ可愛らしいものでありますが、高句麗は俺のものみたいな洒落にならない主張をする国もあったりしますね。

それでフランスで今ちょっとしたホットな話題になっているのがギリシア文明はイスラーム経由でヨーロッパに移植されたというのは本当なのか論争であります。これは世界史の教科書などでも記されている論点ですが、ギリシア・ローマ文明の伝統が西方ではゲルマン諸民族の侵入やらなんやらで先細る一方で、ビザンツやイスラームなど先進的な東方世界で継受、発展され、遅れた西方はスペインやシチリアなどの翻訳センターを通じて古典的な知を吸収することになったという話です。最近のがどうなっているのかよく知らないのですが、世界史の教科書ではこの翻訳運動は「12世紀ルネサンス」の一部として記述されていたはずです。ちなみに「ルネサンス」なる概念そのものがヨーロッパのギリシア(ローマ)コンプレックスの表現であることは言うまでもありません。そのために中世を暗黒時代としなければならなかったのであり、いや中世にもルネサンスがあったのだといった主張が生まれたわけでもあります。この文明のルーツをめぐる心理学は非常に興味深いものがあるのですが、いずれにせよ、この「イスラームの寄与」をめぐってこれに挑戦する人物がいるらしく、論争は反イスラームの機運にものって妙な展開をたどっているようです。Rue89にこれに関連した記事がありましたので紹介します。

「イスラームの貢献をめぐる中世史家の間の喧嘩」(Rue89)
ステレオタイプとは反対に、中世史家は必ずしも図書館の修道士的静寂の内に引きこもった静かな歴史家というわけではない。中世史家も決して政治的情熱とは無縁ではないし、同僚の一人の頭を正すべくベースボールのバットを握ることもあるし(これは比喩だ)、群れなすことすらあるのだ。シルヴァン・グゲンハイムの「モン・サン・ミッシェルのアリストレス」という名の書物が引き起こした論争がこれを証言する。

なにが問題なのか。ムスリムがキリスト教的西方へのギリシア文化(医学、哲学、天文学など)の統合を助けたことを示す最近の研究を逆なですることをこのグゲンハイムは決めたのだった。言葉の現代的な意味において我らの啓蒙と民主主義を準備した錬金術。

グゲンハイムによれば、この文化の伝達においてアラブ知識人の役割は非常に誇張されてきた。ギリシア的知は本質的に言ってアラビア語を経由せずにギリシア語からラテン語に直接に翻訳されたのだと彼は主張する。しかし多くの歴史家にすると、このテーゼはイデオロギー的な下心によって導かれているものだ。

ロジェ・ポル・ドロワがこの書物を褒めそやす
哲学者で批評家のロジェ・ポル・ドロワの筆の下でル・モンド・デ・リーヴルは4月のはじめに非常に好意的にこの作品を紹介した。

現代の偏見の驚くべき修正であるシルヴァン・グゲンハイムのこの仕事は討論と論争とを引き起こすだろう。テーマは西洋世界とムスリム世界の文化的系譜関係だ。この主題についてはイデオロギー的、政治的賭け金が重くのしかかる。この真摯な大学人たるリヨンの高等師範学校の中世史教授は支配的となった一連の信念に痛打を与える。

この記事は脱帽の挨拶で終わる。

結局のところ1960年代以来次第に強く繰り返されたのと反対に、ヨーロッパ文化はその歴史と発展においてイスラームに多くのものを負っていないようである。ともかく本質的なものはなにも負っていない。的確で論証のしっかりしたこの書物は歴史を当時に返すものであり、また非常に勇敢なものである。
この間に、フィガロ・リテレールは4月17日に以下の語で終わるべたぼめのもうひとつの批評を公表した。
アテネとエルサレムの遺産の果実たる中世キリスト教の坩堝が存在したことを想起することを恐れなかったグゲンハイム氏に拍手。イスラムは西洋にその知識をほとんど提供しなかった一方で、この遭遇─ローマの遺産もここに加えるべきだが─が、ベネディクト16世が我らに語るように、ヨーロッパを生み出したのであり、人がヨーロッパと正しく呼ぶところのものの基礎をなし続けているのだ。

中世史家達は疑わしい共感をめぐってグゲンハイムを非難する

中世史家の間で不満の反響が感じられ始めている。「歴史修正主義」(彼らによれば)に類似するものを放っておくべきなのだろうか。反撃が準備された。4月24日に最初の一撃がル・モンドに掲載された。2人の歴史家、ガブリエル・マルティネ・グロ(パリ第8)とジュリアン・ロワゾ(モンペリエ第3)が激しく攻撃したのだ。

キリスト教ヨーロッパの知の歴史の見直しにおいて、シルヴァン・グゲンハイムは、数学、天文学、占星術の主要著作─その受容がヨーロッパでの近代科学革命を準備することとなった─がアラビア語からラテン語へと翻訳されたイベリア半島が果たした役割に実際のところ口を噤んでいる。

彼らはさらに進み、疑わしい共感をめぐって著者を非難する

このいかがわしい界隈で著者は一人ではない。彼が喜んで依拠する先行者達がいるのだ。その「注意深い再読」やその「示唆」に対して謝辞が与えられた後、ルネ・マルシャンが何度も言及されている。
彼の著作「ムハマンド。再調査」が文献目録に登場する。この著作のサブタイトルは「現代の専制君主、偽造された公的な伝記、ディスインフォメーションの14世紀」となっている。ところでルネ・マルシャンはOccidentalisというアソシエーンのインターネット・サイト─彼はそのインタビューを受け、このサイトは彼の著作の美点を褒めそやす─によって多数に選出された人物だ。
「フランスがイスラムの地にならないように」見守るイスラモヴィジランスのサイトも・・・シルヴァン・グゲンハイムの知的交際関係は少なくとも疑わしい。それは真剣な著作、大出版社のコレクションに一角を占めるようなものではない。

「私の意図しないものを私に帰そうとする」

グゲンハイムのテーゼや「文明の衝突」のアイディアに対抗する請願書が出回り始めている。グゲンハイムは自らを弁護しなくてはならない。彼はこうした攻撃に「仰天した」と述べる。「私の意図しないものを私に帰そうとしている」と彼はル・モンドで叫んでいる。

私の調査は正確な論点に関するものです。様々な水路─それを通じて中世人によってギリシア的な知が保存され、再発見される水路という論点です。わたしはアラビアの伝達の存在を否定する者ではありません。だたそれ以外にもギリシア語からラテン語への翻訳の直接のルートの存在を強調しているのです。ジャック・ド・ヴニーズのおかげで12世紀初頭にモン・サン・ミッシェルがそのセンターになったとね。

この書物の出版の数ヶ月前から、抜粋が極右のOccidentalisのサイトで公表された。この点を尋ねられてグゲンハイムは議論を広げた。

5年前から─私がジャック・ド・ヴニーズを「再発見」した時から─私は自著の抜粋を多くの人物達に提供したのです。私は各人がそれをどうできたのかについては全く知りません。

レジスタンスの家系に属するこの私が極右の人間とされたことに衝撃を受けています。子供の頃から私は一家の価値に忠実であることを止めたことはありませんよ。

「移民、国民アイデンティティー省とヴァチカンの地下倉庫のヨーロッパ」

しかしこのインタビューは情熱を冷まさなかったどころではなかった。テレラマの詩的高揚に満ちた記事で、哲学者のアラン・ド・リベラ─著書でグゲンハイムに疑問視された─は釘を打ち込んだ。

「学問の伝播」の展望から眺めると、よくいるイスラム嫌いによって性急に賞賛された「アリストテレス哲学のギリシア世界からラテン世界への継承の歴史におけるミッシングリンク」たるモン・サン・ミシェル仮説はオムレツの歴史におけるマダム・プラールの役割の再評価と同程度の重要性しかもたない。

この中世の専門家は手ひどく結論づける。

このヨーロッパは私のものでない。私はこれを移民、国民アイデンティティー省とヴァチカンの地下倉庫に任せることにする。

日曜にフランス・キュルチュールの「公共精神」という番組でマックス・ギャロはこの書物を擁護した。同じ日にル・モン・デ・リーヴルの中心人物たるピエール・アスリヌは歴史家の感情を彼のブログで伝えた。グゲンハイムはチュートン騎士団、ラインの神秘主義、十字軍の専門家であると持ち上げて(下心がなくもなく?)、彼は非難する。

Occidentalisが出版の9ヶ月前にまだマニュスクリプトの状態だったのにこの書物の「すばらしいページ」を公表しただけでなく、シルヴァン・グゲンハイムはOccidentalisのブログ、イスラモヴィジランスのサイト、Amazon.fr.で"Sylvain G."のサインで同様のテーゼ(ギリシア・ラテン的な知の西洋への継承におけるイスラムの役割は神話である)を擁護すべく著書の中以上に生き生きした直接的なコメントを投稿したようである。それが本当に彼なのか、彼のレトリックを支持した挑発者なのか明確にする必要はなおある。

リベラシオンはジャン・イヴ・グルニエの筆の下4月29日にこの著書のニュアンスのある批判を掲載した。しかし翌日には大学人のグループがrebonds du quotidienのページで「然り。キリスト教的西洋はイスラム世界に借りがある」というタイトルでこの本を激しく攻撃した。

歴史家と哲学者からなる我々はキリスト教中世ヨーロッパが直接にギリシアの遺産を横領したことを証明すると称する─イスラム世界との関係なしでも同じ道筋を歩んだだろうとまでも断じる─シルヴァン・グゲンハイムの著作を驚きをもって読んだ。[...]この著作はかくして現在の研究の潮流の真逆にいくのである。

彼らによれば、グゲンハイムのやり方は「受け入れ難い政治的含意をもったイデオロギー的プロジェクトに属している」。以下長い署名リストが続く。リヨンの高等師範学校の学生や卒業生の署名の入ったもうひとつの請願がTelerama.frに発表された。それは"Sylvain G"の署名コメントに関する「さらなる調査」を求め、「リヨン高等師範学校の教育の平静と科学的評価を維持するためにあらゆる必要な措置がとられる」ことを願っている。

反動スフェアの支持

グゲンハイムは「反動スフェア」─右派のブログスフェアのうちの最も辛辣な部分を指すために徐々に使用されつつある言葉─で支持されている。カトリックのブログ、「ベルギーのサロン」は多幸症的に結論している。「結局のところ、政治的に正しい考えとは反対に、ヨーロッパ文化はイスラムになんの借りもないのだ」と。また別のブログ、「バロックと疲労」は「愚か者に死を」というタイトルで歴史家と請願者を噛み付くように非難している。

打ちのめされるのはこの著作が引き起こした激怒だ。これに関するコミュニケ。ああ、ご注意を、このタイプは一人じゃないのです、ねえ、我々は彼みたいに考えたりしないんですよ[...]じゃあ彼らはなにを言っているわけ。まあ、シルヴァン・グゲンハイムの著作が実際インターネットで大っぴらに意見を述べている外国人嫌いやイスラム嫌いの連中の論拠に使われていることを知りなさいだって。

神様、神様、神様。外国人嫌いの集団がインターネットで自己表現しています。警察は何をしてるのですか。なんてこった。でもそれがなにができるっていうんだい、畜生め。世界が世界であった頃から、作家は自分の手の及ばない連中によって自著がリサイクルされるのを見るのさ。残念でした。でもそういうものです。

僕は外国人嫌いやイスラム嫌いの連中が墓地にハーケン・クロイツの落書きするのよりもグゲンハイム氏の古本に飛びつく方が見たいな、個人的にはね。

ブロガーのSILはモスクワ裁判を語る

イスラム左翼の共産党政治局による裁判に出頭するのは今度は中世史家のシルヴァン・グゲンハイムの番だ。彼が最初なわけではない。彼は最後にもならないだろう。[...]歴史の道徳性。興味深い議論を提供する代わりにこの歴史家達はこのテーゼを「周囲のイスラム嫌い」に分類することを目指してプチ・モスクワ裁判を我々に提唱することを好むのだ。40対1。ブラボー。なんという勇気だ。

それで私は極右のブログも見てみた。よき一歩から始まったのかもしれない─大人の知識人の間のヨーロッパの起源をめぐる激しくはあるが豊かな交換の一歩─この論争は罵詈雑言(「ファシスト」という中傷は2方向に向けられる)の不毛な応酬に落ち込んでいるようだ。問題の本を読むまでもなくどちらかの陣営を選択するよう招かれる。そして議論は型通りでぶつ切りで断言調の言葉でのみなされるのだ。残念な話である。
(了)

というわけでギリシア、キリスト教文明の後継者をもって任じる人々にとってはそこにイスラームという他者が介在しているという事実はなにか面白くないものがあるようです。また一方でイスラームへの知的負債という事実を「政治的に」強調したい人々もいると。モン・サン・ミシェルの翻訳センターについての仮説はそれはそれで事実なら面白い事例じゃないのという気もしますが、大げさな文明論的な話に展開したために政治化してしまったということなんでしょう。極右云々はこれだけではよく分からないのでなんとも言えないのですが、「ムハマンド。再調査」みたいな本を文献目録に入れて著書で何度も言及している時点でやはりまともなアカデミシャンなのかなという疑念を呼ぶでしょうね。私はこの人についてはなにも知らないですし、著書も読んでいないのでなんとも言えないですが。いずれにせよ歴史学的な方法論に準拠している限りは著者を政治的に葬ったりはすべきではないですし、こういう論争でさらにPCの基準が高くなったりするようだと反発する層を増やすだけだろうなと推察します。何度でも強調したいのですが、歴史の問題は歴史学の枠組みの中で処理するというのが基本だろうと思います。どうもイスラームへの知的負債というテーマをめぐっては政治動機が見え透いた議論が多いようなのは残念な話でこういう空中戦を静められるのは大げさなことは言わない堅実な実証史家だけということになるのでしょうかね。

追記 
・「移民、国民アイデンティティー省」というのはサルコジ大統領の肝いりで創設された省庁でありまして、多文化主義やらなんやらで崩壊の危機にある国民アイデンティティーを定義するというなんだかすごい省庁です。そんなの国が定義すんなよという話でありますが、実際、ほとんど機能していないという噂ですね。

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奇妙なカップル

先のイタリアのローマ市長選に関するFTの「ファシストとユダヤ人がローマ市長で一致」という記事ですが、欧州政治にとっていくばくか兆候的な要素を含んでいるように思えます。先のローマ市長選でムッソリーニの運動の流れを受けた「ネオファシスト系」の政治的出自を持つアレマンノ氏が選出されて話題になっていますが、氏がユダヤ系住民の支持を受けたという事実はなんともいえない感慨を起こさせるものがあります。落選した中道左派の対立候補のルテッリ氏は「かつてはファシストならば敬意を受けるためには主流に属しているふりをしなければならなかったのに、今や連中はクローゼットから出てきてしまった」と慨嘆していますが、それが正しいかどうかは別にして、左派の側から見れば、アレマンノ氏はファシズムの亡霊そのものということになるのでしょう。

国民同盟の初勝利をめぐる議論は過熱しているようでありますが、とりわけアレマンノ氏支持にまわったと考えられるユダヤ系の共同体の内部ではそうであるといいます。ローマでは9000人ほどだそうですからそれほど大きな共同体ではありませんが、多くは国民同盟が親イスラエル的であることを投票理由にしているようであります。6日間戦争の際にリビアから亡命したMichel Bokhobza氏によると、イタリアの中道右派は親アラブ的なバイアスをもった中道左派よりもイスラエル寄りであるといいます。彼によると、「たとえ彼の過去がファシズムや旧ファシズムに結びついていても、彼はベルルスコーニやフィーニが指導する連立政権に属している」。これまで中道左派に投票してきたそうでありますが、右派にシフトした理由のもうひとつとして中道左派政権が経済運営に失敗した点を挙げています。「政治のイデオロギーはもう終わった」と。

またBene Berithアソシエーションの指導者のSandro Di Castro氏によれば、イスラム過激派とイランによるイスラエルに対する現在の危機意識が、ナチによるローマからのユダヤ人追放やムッソリーニの反ユダヤ立法の悲劇的な、しかしより遠い過去の記憶を帳消しにしているそうです。1993年に国民同盟のフィーニ氏が立候補した際には「悪魔ないしネオファシストと当時はみなされていましたよ」といいますが、「ターニングポイント」になったのは1995年の新国民同盟の結成と主流化の動きだったそうです。2003年のイスラエル訪問の際にフィーニ氏がファシズムは「絶対悪」だと非難した際にこの動きは完成したといいます。

FTの記事は現在のアレマンノ氏の立場はそれほどはっきりしないとしていますが、エジプト出身のDominique Sicouri氏は、「心は左派とともにある」が、アレマンノ氏と仕事をすることに決めているそうです。彼女はアレマンノ氏を知的で真面目でプラグマティックな近代主義者と見ているそうです。またユダヤ系の支持者の多くが過激派を抑えるためには彼が権力を握ったほうがいいとも考えているそうであります。

というわけでマイルド化することで主流化した現在の国民同盟をファシスト政党と呼べるのかどうかは不透明ではありますが、なんとも不思議な光景に見えます。「敵の敵は味方」といってしまえばそれまでですが、私もまだまだ修行が足りないのかもしれません。小さな変化ではありますが、兆候的だと思ったのでとりあげました。一応釘さしておきますが、深読みは禁物だと思います。

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国会改革はいつの日か

ねじれ国会のスタートしたあたりで何度か書きましたが、現在の衆参の両議院のあり方は制度的に改革しなければならないだろうと個人的に思っています。これはなにも民主党が憎くて言っているわけではなく(ご承知のようにわたしはこのブログで民主党にエールばかり送っているわけです)、中長期的な視点で考えるならば、現在の国会のあり方が非合理生と不適合性を抱えていることは政治素人の目にも明白であるからです。実際、参議院がどうあるべきなのかという問題はねじれ以前から議論されてきたことです。わたしは「参議院無用論」には与しませんが、かといって参議院は今後いかにあるべきか、どのように改革すべきかと考えてみるに具体的なイメージが今ひとつ湧いてこないのも事実であります。それで日経が社説でなかなかいいことを言っていましたのでメモしておきたいと思います。

まず、現行の二院制度は日本国憲法の最大の欠陥であると断言し、議院内閣制が機能するように憲法を改正し、よりよい二院制度をめざすべきだ。そのためにねじれ国会の迷走を教訓として憲法改正論議に生かすべきであると言います。問題は参議院の権限の大きさであるといい、衆院の優越をよい明確にすべきだと主張しています。そもそも論からはじめていますが、曰く

議院内閣制は衆院多数派が内閣を組織し、国会と国民に責任を負う仕組みだ。参院はこれに対する「チェック機関」「再考の府」であり、参院が強大な権限を持つと議院内閣制の趣旨は貫徹できなくなる。現行憲法は首相指名、予算、条約承認で衆院の優越を明確に認めているが、普通の法案については衆院の3分の2の再可決規定があるだけである。

 衆院の優越規定がそれだけでは明らかに不十分である。予算が成立しても歳入などの裏付けとなる関連法案が成立しなければ予算執行に支障が出る。条約が承認されても関連の国内法が成立しなければ実際の効力が発生しないケースも出てくる。国会同意人事も最終的には内閣の責任になるのだから衆院の優越を認めないのは不自然である。

というように3分の2の再可決規定だけでは不十分であるといいます。実際、現在は与党側が3分の2を握っているためになんとかなっていますが、選挙でこのラインを割った場合には、国会は機能停止状態に陥ってしまうでしょう。以下、諸外国の事例を挙げていきます。

英国の上院は貴族院であり、ドイツの連邦参議院は州政府の代表で構成されている。いずれも国民の直接選挙ではなく、その分、権限は制約されている。一方、イタリアの上院は国民の直接選挙で下院と完全に同等の権限を持っており、解散の場合は常に上下両院同時である。解散がないのに大きな権限を持つ日本の参院は世界的に見ても異様である。

これだけの事例から日本の参議院が異様であるというのは性急に見えるかもしれませんが、わたしの知っている他国の事例を見ても日本の参議院の権限はやはり強すぎると思いますので、やはり世界的に見ても珍しい事例なのだろうなと推測いたします。本当はもっと透徹した比較分析などがあればいいのですが、寡聞にして知りません。そして憲法59条を改正し、再可決要件を現在の3分の2から過半数に緩和せよと主張します。それで十分にチェック機能は果たせると。また参院の選挙制度も見直すべきで、現行のアメリカ上院を真似た3年ごとの半数改選は無意味、6年任期は長過ぎる、比例代表制は廃止すべきだといいます。では日経のイメージする参議院はどのようなものなのか。

衆院議員が全国民の代表とするなら、参院議員はドイツのように地方の代表として位置づける。将来の道州制導入をにらんでブロックごとの比例代表選挙か、あるいは直接選挙をやめて間接選挙とし、総定数は100人程度とする。このような案も一考に値しよう。

このアイディアはちょっと考えていなかったのでうーむとなったのですが、日経はドイツをモデルにして地方代表としての参院を構想しているようです。道州制導入とセットの議論のようですね。わたしはたぶん多くの人と同様に間接選挙で政党色の薄い有識者集団としての参院というのをイメージしていたのでちょっと意表をつかれました。実はこれしか言及がないので具体的に論じることができないのですが、分権論者としてはこの地方代表としての参院というアイディアは確かに一考に値するかなと思いました。最も連邦制に近いぐらいラディカルに分権化するのでなければこの構想は多分機能しないだろうと予測します。ともかく大手の新聞がこうやってアイディアを出すのはとてもいいことだと思いますので、トリヴィアルなニュースに血道をあげずに、こういう中長期的展望をもった議論をどんどん巻き起こしてくださるよう新聞各社におきましては期待申し上げる次第であります。

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68年をめぐる論争(番外)

もうこのネタは終わりと書きましたが、番外編ということでル・モンドの「視点」欄に掲載されていた日本の記事を紹介しておきましょう。他にも作家のポース・オースターが自分の運動体験について書いている記事もありました。Le nouvel observatoireは1968年の紙面を仮想的に再現する企画をやっていて、当時の中国や日本の動向の記事もアップされています。日本では1968年4月28日に学生が警官隊に投石したニュースがありますね。

「日本の5月あるいは祝祭と記憶なき暴力」(Le Monde)Par Michael Prazan
今日フランスでは新聞、テレビ、ラジオなど至る所で「5月の大祝祭」が祝われているが、日本ではそうしたものはなにもない。しかしこの国での学生反乱は1968年に爆発を経験した全民主主義国の中でおそらく最も大規模かつ最も攻撃的なものであった。

日本の学生運動の連合である全学連(1965年に発足)は、世界中の、とりわけフランスの学生達を魅了した。シチュアショニスト達は全学連に熱のこもったテキストを捧げたし、ジュネが東京に来て、ピエール・ゴルドマンも空手を始めた。この列島も間接的に参加していたベトナム戦争、そして体制主義的、権威主義的な社会に反対した日本の学生達は自治や組織化の手本であった。彼らは西側世界の反乱の最先端におり、そのメートル原器でもあった。

1968年に火薬に火をつけたのは日大─「栄光の30年」世代の象徴─の大学当局による20億円の横領であった。この横領は学生の一人秋田明大によって非難されたが、彼はすぐに学生運動のリーダーに抜擢され、我らがダニエル・コーン・バンディットに相当する存在となった。彼はみなから忘れられて、今は広島郊外の奥深くに引きこもって修理工場主をしている。いったいなにが起こったのか。

自由に飢えた日本の運動は驚喜して東京中心部や他の至る所で巨大デモに参加し、当初は人々の広範な支持を得ていた。フランスと同じように。1968年の夏の始まりに停止しなかったことを除いては。運動はなお1年ほど続いたが、内部闘争、街頭での乱闘、暴力的逸脱で分裂し、数ヶ月のうちに人々の好意を失い、1969年1月の東大の安田講堂の占拠にまで至った。これは日本の機動隊との市街戦で終了したが、この後、主要な学生リーダー達は全員投獄された。

しかし、確かにより「戦闘的」であったが、ヨーロッパやアメリカと同じように自由で、女性解放的で、反人種主義的で、「反戦的」だったこの運動には正しいものがあったのだが、問題は次に起こったものであった。1年後、1970年に学生運動から派生した極左集団の日本赤軍は、日本航空の飛行機を北朝鮮に転じて、国際テロリズムへのゴーサインを出したのだった。日本の指導者の暗殺や爆弾が日本のあちこちで炸裂して多数の死傷者を出し、1972年冬の山荘の恐るべき事件へと至った。日本でのありそうもない革命に備えて、長野の山荘で訓練をしていた赤軍の一派が同士討ちを始めたのだった。狂気に襲われた集団の若いリーダー達に命じられた拷問、虐待、暗殺は14人の犠牲者─そのうちの一人の女性は9ヶ月の子供を宿していた─という結果となった。この醜悪なエピソードに日本の全テレビによって放映され続けた人質事件が続くのであった。

この出来事のトラウマは人々の間で非常に深く、先行した運動の全面否定を、さらにこれに関連した全左翼党派の完全否定すら生み出した。日本共産党は戦後最強の政党の一つであったが、これ以降、文字通りに崩壊し、その勢力を決して挽回することはなかった。そしてこれでは十分ではないというばかりに、赤軍の別のグループは「世界革命」を行うべくレバノンのパレスティナ解放戦線に加わり、同年5月にテル・アビブのロッド空港で世界初の自殺テロとなるものを実行した。26人の死者と約100人の負傷者。2000年までこのかつての学生達の写真は日本中の駅や交番に掲げられ、日本社会に鈍い耐えざる脅威の負荷を課し続けた。

フランスにおける68年5月の記念が示すもの、それはこの「事件」が祝祭の範囲のものに過ぎず、日本を、また旧枢軸の他の2国(ドイツ、イタリア)を震撼させた過激派集団による政治プロジェクトに至るものではなかったということだ。日本は学生運動の目に見える痕跡をとどめていないが、これはかつてフランス以上に権力を動揺させ、今日は当時の完全なる忘却の下にある。1968年のエリート学生達─そのメンバーはフランスのように著名人になったものもいる─は武勲をもたない。そのキャリアを通じて彼らは自身の若気の至りを忘却させようとして止まないのである。
(了)

細かい事実の間違いが見られますが(死者数、要人暗殺の言及、赤軍派、連合赤軍、日本赤軍の差異など)、フランスの能天気さに比べて日本の冷ややかというよりも無関心な態度はよく活写していると思います。わたしは世代的なこともあるのでしょうが、肯定的であれ否定的であれ、この時代に特に強い感情を持たないのですが、ここで生じているらしい記憶の切断には関心があります。一番大きいのは1945年ですが、歴史というよりも集合的記憶のレベルではプッツリ切れているポイントというのがいくつかあります。実際には連続性があるにもかかわらず。こうした現象はどこの国にも存在しているわけですが、日本社会にとってもややネガティブな効果をもたらしているような気が個人的にはしています。それは欧米では68年は肯定的な意味をもったのに対して、日本では云々といった話ではなく─それは欧米(ってどこ?)のことも日本のこともよく分かっていない物言いです─、どうも清算主義的に過ぎるといいますか、この記事にもありますが、過去に対する「全否定的」態度というのは一般的に言ってよろしくないと思うわけです。そうすることによって逆説的に過去の一時点に固着してしまうことになる。といってももちろんノスタルジーの奨励や過去の不可能な称揚を勧めているわけではなく、歴史の持続の事実への敏感さを失わないためにもこういうトラウマ的な記憶のポイントをいかに処理するのかという問題は重要だろうという話です。抑圧されたものが歪んだ形で回帰するのを防ぐためにも─こういう精神分析的な発想は信用しないはずなのに、実際、わたしはオウム事件にそれを感じました─本当の意味で過去の亡霊を「殺す」ことが必要だということです。そのためには対象化しないといけないわけですが、当事者世代による武勲詩やら告白録やらは別にして(親世代を反復しているのは皮肉な話です)、まだまだ十分に言語化されていないように思います。とはいえ完全に歴史化されるには世代交代が必要になるのでしょうね。

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わたしの中のオーストリアは不滅です

ふう。なんだか疲れました。ただのニュース・クリップです。

日本語話せる外国人の入国・滞在を優遇[読売]

在留資格を認める要件の緩和と、在留期間延長が柱で、外国人労働者の受け入れ拡大を目指す。日本語以外に特別な技能を持たない労働者の流入につながる可能性もあり、実現には曲折も予想される。

 当面は、通訳や航空機の国際線の客室乗務員など「人文知識・国際業務」の在留資格を対象とし、順次拡大する方針だ。

 また、原則として最長3年の在留期間を5年程度に延長する考え。法務省は来年の通常国会に、出入国管理・難民認定法改正案を提出する予定だ。


前に高村外相談話ということで話題になっていた話ですね。細かい話はまだ分かりませんが、まあ、いいんじゃないでしょうかね。外国人労働者の受け入れの方向性なわけですし、その際、言語習得を促進(義務化ではなくて)する必要は当然あるでしょう。これでもWaiWaiする連中はいるんでしょうけれどもね。

自民が狙う小沢「首狩り攻撃」[FACTA]
この手の政局情報はポジション・トークのリークが多くてほとんど信用しないことにしているのですが、ここで描かれている民主党内部の内輪もめの構図には一定のリアリティーがありますね。党首、執行部、若手の突き上げの3極構図。あんまり内輪もめばかりしていると旧社会党みたいになりますよ。頼むよ、民主党。

在沖縄海兵隊のグアム移転、米政府監査院「楽観的」と遅れ指摘[読売]
これ、ねえ、いつまでぐだぐだやっているんですか。いい加減、アメリカもキレますぜ。邪魔物の影響力も弱くなったようでもありますし、はやく話を進めましょうよ。この問題に本気で取り組める政治家が見当たらないのが実にお寒い状況です。

"Labour suffers big council losses"[BBC]
イングランドとウェールズの統一地方選は与党労働党の大敗に終わった模様。ここ40年で記録的な大敗だそうで、ブラウン政権も瀕死の状態ですね。まだ開票が完全に終わっていないようですが、BBC調べでは政党得票率は労働党が24%、保守党が44%、自由民主党が25%で労働党は第三党に転落した模様。これは大きな政治的な変化につながりそうです。ロンドン市長選の結果も気になります。

"How deep is Austria's image problem?"[BBC]
これはなんとも痛いニュースですね。例の近親相姦事件によってオーストリアの国際的イメージへの懸念が広がっている模様。「失われた子供の国」「迷宮の国」「恐怖の国」といったイメージの広まりに対して政府がイメージ・キャンペーンのためにコンサルタントを雇う計画を立てているとのことです。ただ「オーストリアはいい場所だ」とか「オーストリア人はいい人達だ」というような単純なキャンペーンではこの事件への人々の関心を向けてしまうので逆効果だと専門家は警告しているそうです。一方でネーション.・ブランディングの専門家は政府は心配し過ぎで、この事件でオーストリアの「落ち着いた静謐で犯罪の少ない国」というイメージが変わってしまうことはないと言っています。記事はオランダ、スウェーデン、ベルギーのケースをとり上げて、事件のしばらく後には汚されたイメージは消えたといいます。基本的に個人犯罪の場合には長引かないという分析ですね。この後、イギリスのネーション・ブランディングの専門家がこの事件は大丈夫だけれども、ナチのイメージやハイダーのイメージをなんとかしないとオーストリアにはなにか薄暗いものがあるというイメージが残るよと大きなお世話なアドバイスをしています。そう言えば、リンゼー・ホーカーさん事件ではずいぶんやってくれたね、BBCさん、お前さんも。

"Lesbos islanders dispute gay name[BBC]"
これはなにか反応に困るニュースですね。レスボス島の住民が「レズビアン」という名称をギリシアの同性愛者が使用することを禁止するよう訴えているそうです。レズビアンという言葉は同性愛の女性を指すのか、10万人のレスボス島民(25万人の島外居住者)を指すのかというここの島民以外にとっては心底どうでもいい問題ではありますが、この訴訟を戦っている男性によると性的文脈でのこの言葉の使用の国際的な支配状況は島民の人権を侵害するものだそうです。訴えられている団体の方はこれは表現の自由の侵害だと応じているとのことです。困りますよね、そんな訴えを受けたら。ちなみにレズビアンの語源の女性詩人サッフォーですが、家族持ちで男性の恋人のために自殺したことが最近の研究で判明しているのだそうです。し、知らなかった。

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68年をめぐる論争(3)

仏語圏では68年をめぐる論争はうんざりするほど続いているわけですが、どれもこれもだいたい予想通りの内容で未来に向けてこれといった新しいポイントはなかなか見えてこないですね。肯定的なものであれ否定的なものであれ。というわけでNYTがこの論争についてリポートしていましたのでそちらの方を紹介してこのネタは終わりにします。外国からのリポートですからその分距離感があって読みやすいですし、いい落ちもついています。コーン・ベンディットの軽ーい感じがなんともいえない味を出していますね。一方、グリュックスマンはもう駄目なんじゃなかろうか。まあ、結局、この論争、おじさん、おばさんのノスタルジーということで「総括」していいのではないでしょうか。若者達も古い夢に惑わされずに自分の夢をなんとかつかめるといいですね。あと大きなお世話ですが、君らがやってるのあんまり生産的なデモじゃないと思いますよ、それじゃ雇用を新たに創れないってば。

「68年5月のバリケードはまだフランス人を分裂させている」[NYT]
40年前、ネクタイにボビー・ソックスのフランスの学生達は舗石を警官に投げつけ、硬直した戦後システムは変化すべきだと要求した。今日、フランスの学生は職探しや福祉の喪失に不安を覚え、なにも変化すべきでないと要求して街頭を行進している。

1968年5月はフランスの生活の分水嶺であり、多くにとっての聖なる解放の瞬間であった。この瞬間、若者は一体となり、労働者は耳を傾け、半ば王政的なド・ゴール政権はおののいた。

しかし当時13才だった現在のフランス大統領ニコラ・サルコジのような他の人々にとっては、1968年5月は無秩序、道徳的相対主義、社会的、愛国的諸価値の破壊を意味しており、彼の激しい言葉で言えば、「清算されなければならない」ものだ。

40年前になにが起こったのかについての激論はとてもフランス的だ。レッテルに関する戦いすら存在している─右翼はこれを「事件」と呼び、左翼はこれを「運動」と呼ぶ。

若者の反乱が西側で広まった時─アメリカのベトナム反戦運動からスウィングするロンドンのローリング・ストーンズ、さらには西ドイツのバーダー・マインホフのギャングまで─フランスはベビーブーマー世代が1000万の労働者のストライキとともに、息苦しい階級的社会規範、教育、性行動への単なる反感ではなくて真の政治革命に接近した場所だった。

当時の立役者であり、なお有名な「パブリック・インテレクチュアル」であるアンドレ・グリュックスマンにとって1968年5月は「わたし達が記念したいあるいは埋葬したい、崇高なあるいは唾棄すべき瞬間」だ。

「それはみなが肉片を奪いとろうとする遺体のようなものです」と彼は言う。

71才でなおビートルズのようなモップ・ヘアをしているグリュックスマン氏は映画監督の28才の息子のラファエルとともに「ニコラ・サルコジに説明する68年5月」という本を書いた。

サルコジ氏は一年前に社会党候補に対抗した時の刺すようなキャンペーン演説で1968年5月と「その左翼の後継者」を攻撃したが、「道徳、権威、労働、国民アイデンティティー」の危機をもらしたと彼らを非難したのだった。彼は「左翼のキャビア達のシニシズム」、左翼のhigh-liversを攻撃した。

1968年には「ボルシェビキ革命のように世界を変えることが希望でした。でもそれは不可避的に不完全なものでしたし、国家制度は無傷なままです」とグリュックスマン氏は語る。「わたし達は記念しています。しかし右翼に権力があるのです!」

フランス左翼に関しては、「昏睡状態にあります」と彼は言う。

1995年に高校で最初のストライキを指導したラファエル・グリュックスマンにとって、彼の世代は反乱する父親世代に対してノスタルジーを持っているけれども、厳しい経済の時代に戦いをする余裕がない。

「若い人達は今、あらゆる改革を拒否するために、教授達の権利を守るために行進しています」と彼は言う。「わたし達には別の選択肢というものが見えないです。軸を失った世代ですね。」

40年前の事件(ないし運動)はパリ郊外のナンテールで5月に始まったが、ナンテールでは若いフランス生まれのドイツ人ダニエル・コーン・ベンティットが─寮で男女が一緒にいる時の─大学の規則に対してデモを指導したのだった。

大学が5月始めに閉鎖された時、怒りが直ぐさまパリの中央、カルチェ・ラタン、そしてソルボンヌ─そこでエリート学生達は古くさい大学の規則に対してデモを行った─、さらに外では大工場の労働者にまで広がった。

バリケードの光景、警察の命令、催涙ガスといったものはフランス人にとって大切なものであり、あらゆる雑誌や数多の書物で再現された。現在、84才の写真家マルク・リボーによる写真集「舗石の下で」もその中の一冊だ。このタイトルは現在欧州議会メンバーをしている、指導者にして道化師のコーン・ベンディット氏による当時の有名なスローガン「舗石の下のビーチ」を参照したものだ。

政治と髪の毛の両方の色から「赤毛のダニー」で知られたコーン・ベンディット氏はまた当時の他の有名なスローガン「禁止することは禁止されている」とか「限界なく生き、制限なく楽しめ!」─enjoyにあたる言葉、jouirには性的絶頂のダブル・ミーニングがある─の作者だと考えられている。

当時のもう一人のリーダーであるアラン・ゲマール氏が述べるところでは、バース・コントロールのピルがその前年にようやく販売許可された厳格な国にあってこの命令はとりわけ効き目があった。

18ヶ月拘置された─しかし後に政府の大臣達のカウンセラーを務めた─物理学者のゲマール氏は「私の1968年5月」という本を記した。

元マオイストで現在69才のゲマール氏はiPhoneを使用している。彼は楽しそうにモーツァルトばかりのミュージック・カタログを見せてくれる。

運動は「政治的な革命としてではなく社会革命として」継続したと彼は言う。ド・ゴール政権は学生が大統領府に行進した時には警察と機動隊で応じたが、革命については語っていたが革命を本気で実行しようと考えたことは一度もない学生リーダー達にはこうなるとはついぞ思い浮かばなかったと彼は言う。

もっとも重要なことは、運動は「フランスにおける共産党の終わりの始まり」─共産党は自分がコントロールできない若い左翼の革命に激しく反対した─であったことだとゲマール氏は述べる。

左翼はまた大企業の組合に対する党の権威を破壊するのに重要な役割を務めた。

1968年5月の社会─アルジェリア戦争、ベビー・ブーム、子供に溢れた学校によって動揺していた第二次世界大戦以前の社会の保守的な再生─は「完全にブロックされていた」とゲマール氏は言う。

「フランス大統領に選ばれるどころか、離婚した男性としてサルコジはエリゼ宮のディナーに招かれなかっただろう」とゲマール氏は言う。移民でユダヤ系のルーツをもつサルコジ氏の華やかな私生活も政治的成功も「1968年なしでは想像もできない」と彼は言う。「新保守は68年なしで想像できない」。

「フランスというギルド的な美術館」を近代化する、そして「聖なる国家」権力を減少する最良のチャンスとしてサルコジ氏をなお支持するアンドレ・グリュックスマンは1968年5月の事件へのサルコジ氏の激しい攻撃キャンペーンに驚いた。

「サルコジは最初のポスト68年の大統領です」とグリュクスマン氏は言う。「68年を清算するとは彼自身を清算することです」。

しかしこの記念にはファッシナブルな馬鹿馬鹿しさもある。デザイナーのソニア・リキエルとアニエスb.はあらゆる雑誌で1968年5月の見方について議論しているし、あらゆるチャンネルでドキュメンタリーや議論が見られるし、ベトナム生まれのパリの宝石商のジャン・ディン・ヴァンは「自由の40年」─彼の場合、成功─を祝うために当時彼が作った銀の舗石のペンダントを復刻した(チェーン付きで一番小さいもので275ドル)。

ホット・ピンクの高価なグルメ・ストアのフォションですら時代精神に連なった。この店は「68年5月茶」という名前のスローガンで飾られた(「詩は通りにある」と「力への想像」)中国の緑茶入りのメタル・ボックスを販売している。「エギゾチックな果物、グレープフルーツ、レモンの皮とローズの花びらで微妙に香り付けされた」と書かれたこれをフォションは「革命の香りの茶」と呼ぶ。価格約23.50ドル。

サルコジ氏自身この精神に飛び乗ろうとしている。4月には「ニコラへ。力への想像力、しかしいつ?よろしく。ダニーより」といたずら書きされた自著「68年を忘れよ」を彼にプレゼントしたコーン・ベンディット氏にサルコジ氏は会った。サルコジ氏は「笑って、言ったよ、これ読むからと」とコーン・ベンディット氏は言う。

「わたしは1968年5月を忘れよと言います」と彼は言う。「もう終わったんだ。今日の社会は1960年の社会とはなんの関係もない。自分を反権威主義者と自称した時にはわたし達は全然違う社会と戦っていたんだから」。

ジャン・ピエール・ル・ゴフは国立科学研究センターの社会学者で「68年5月、不可能なる遺産」の著者だ。1968年5月は「誰にも属していません」と彼は言う。しかし彼は深刻な錯誤、世代間の迷宮を見つけ出す。当時は「大量の若者がはじめて主役として歴史の舞台にのぼりました。そこには肯定主義と進歩のイデオロギーがありました」。

今、フランスは抑鬱的で、「若者はすべてを恐れている」と彼は言う。

32000人の学生がいるパリ郊外の大学、ナンテールでは、図書館のポスターがマルクスの講座の宣伝をしている。「分析はなお有効だがいくぶんかの修正が必要」と。学生がマルクスの頭にX印を引き、「すべては終わった!」と上に書いている。

1968年に学生が両親よりも自由で素敵な生活を望んでいたとしたら、今の学生はこれ以上ひどくない暮らしを望んでいる。24才のトマス・ヴァスティンはヒューマン・リソースの勉強をしているが、学生は単に社会を反映しているだけだと言う。「40年前、彼らはすべてを変えようと望んだ」と彼は言う。「でも今は学生はセルフィッシュじゃない、でも自分がもつものを失うことを心配している。今は僕達は行進して言うんだ、システムに手を触れるな!とね」。

美術史専攻でポニーテールに髭の22才のラファエル・フォンフロワドは1968年の本当のインパクトは政治的なものではなく個人的なものだと言う。「僕らにとってこうしたすべては抽象的だよ」と彼は言う。「僕らが育ったのは両親がみんな離婚した世界なんだ」。そして子供は新しいリベラリズムの矛先をもっている。1968年は「僕らの両親を変えた、でも世界は変わると思われたけど、変わらなかったってわけさ」。

22才のグレゴワール・ル・ベールは「今では彼らみたいに僕らに新しいシステムを構想するなんて無理だよ、でも徐々に世界をよくしていくことはできる」と環境問題や社会正義について触れて語った。

21才のヴィルジニー・ミュレは歴史を専攻する。「わたし達はみなこのフランスでどうやって働くのかの心配をしている」と彼女は語る。1968年5月については「すべてがちょっと誇張されている」と彼女は言う。「昔の人達が自分達を祝っているだけみたい」と。
(了)

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アブハジア緊迫中

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欧州ウォッチャーやロシア・ウォッチャーの間で熱視線を浴びているアブハジアでありますが、どうやらNATO首脳会議の結果(ウクライナ、グルジアの加盟見送り)を受けて動きがあったようです。アブハジアというこのあまり馴染みのない共和国は、グルジアの自治共和国という位置づけになりますが、1990年代以降分離独立運動が高まり、現在では事実上の独立国のような存在になっています。もっとも国際的にはこの国の独立は承認されていませんが。

ロシアがアブハジアと南オセチアの独立運動を煽りつつ内政干渉し、西側(=アメリカ、欧州は相変わらずふらふら)の支援を受けるグルジアを撹乱しているというのが基本構図です。あまり馴染みのない地域ではありますが、ロシア絡みということもあり、我が国の外交にも影響を与える動向でありますからメモしておきます。ちなみにソチの冬期オリンピックもこの動向と直接に関係していることは覚えておいたほうがいいと思います。やはりオリンピックは政治そのものです。

「ロシア、グルジア領に増派 独立派を支援、緊張高まる」[朝日]
日本語ソースではこの朝日記事がよくまとまっています。29日にロシアがアブハジアへの駐留部隊を強化する旨発表し両国の軍事的緊張が高まっているわけですが、これがNATO首脳会談以降高進しているということ、ロシアがコソボ独立を逆手にとってアブハジアと南オセチアの独立の支援を強めていること、20日にはグルジアの無人偵察機が撃墜されたこと、グルジアがロシアのWTO加盟阻止を訴えていること、両地域への自治権の拡大を約束したことなどが列挙されています。

英語ソースではWapo("Russia's Moves Add To Strains With Georgia")とNYT("NATO Accuses Russia of Stirring Tensions in Rebel Gerogia Areas")がやや詳しく報じていますが、特に踏み込んだ分析はないです。追加情報を得るのにいいと思います。

困ったときにはEconomistというわけで、事情をよく知らない人にも分かるように啓蒙的かつ鋭い分析記事をアップしています。うーむ、このレベルの分析記事が普通に掲載されているとはやはり凄い雑誌ですね。両国の国内政治や今後の見通しをクールに分析しています。

「ロシアとグルジアが鍔迫り合い」[Economist]
グルジアとロシアは一点で合意している。アブハジアという分離主義的な地方の状況が悪いという点、そしてますます悪化しつつあるという点で。アメリカと緊密な関係をもつ元ソ連邦の共和国であるグルジアが言うには、ロシアは不当にこの地域に軍を派遣している。先週グルジアはロシアの戦闘機がグルジアの無人偵察機を撃墜する模様を映したとされるビデオ画像を提供した。ロシア側は駐留部隊は平和維持軍として合法的に展開されていると言い返している。そしてクレムリンが主張するには、チビリシの中央政府にまだコントロールされていないアブハジアの一地域Kodori Gorgeの軍事的プレゼンスを強化することで挑発的に行動しているのはグルジア当局の方である。

最も悲観的な解釈はクレムリンはグルジアの扱いで西側があまりにも分裂、混乱していると判断してこの小さな隣人を不安定化させ、おそらく現在の為政者達をより親ロシア派的な者達にすげ替えようと圧力を強化しているというものだ。もしそうならば深刻な流血沙汰の恐れがある。最近の悪戯が開始されたのはブカレストの4月初頭のNATO首脳会議の直後であった。この際、ドイツやその他の国はグルジアとウクライナに西側の軍事同盟の加盟に向けたはっきりした道筋を与えるアメリカの試みをブロックしたのであった。グルジアはWTOへのロシア加盟を阻止すると脅しているところである。

外部世界はこれまで事件のグルジア版もロシア版も額面通りに受け取らなかった。グルジアはロシアの意図について狼少年という評判であり、クレムリンも過去にグルジアの悪行について無根拠な主張をしてきたからである。両者とも国内政治的な理由で緊張を高めている可能性があるのである。

グルジアの大統領ミハイル・サーカシュビリは腐敗したエキセントリックな独裁者と彼をみなす金切り声の野党に直面している。ロシアに対する強力な大物ぶったスタンスは5月21日の議会選挙で野党を窮地に立たせるのに役立つだろうし、ロシアとの対決は民主主義に、さらにロシアの仲間割れ戦術からグルジアを守ることに関心を持つ外国の批判者達の目を逸らすのにも役立つだろう。

より陰謀論的になるが、モスクワの強硬派は、ウラジミール・プーチンの貧しい後釜と彼らがみなすドミトリ・メドベージェフの新大統領任期に風を送るべくグルジアとの対決を歓迎するだろう。メドベージェフ氏は来週大統領に就任する。

しかしどちらか一方が(あるいは両者が)このケースを誇張しているにしても、コーカサスは無視し得ないほど着火しやすい場所である。グルジアは石油資源の豊富なカスピ海地方を外部世界と接続するエネルギー回廊の重要なリンクである。ヨーロッパもまたここがガスの輸出ルートになることを望んでいる。

4月30日水曜にNATOは「懸念をもって」ロシアの増派を見守っていると公言した。NATOと欧州連合の両者は緊張を高めているとクレムリンを非難した。NATO大使は月曜にブリュッセルでグルジア政治家のDavid Bakradzeと会談した。しかし少なくともグルジアの支持者にとって、西側の支援はひどくもたついているように見える。NATOが合意できた唯一の実際的な動きは年内にグルジアに代表団を派遣することだけである。別の元共産圏の国家のある外務大臣が述べるように、「グルジアは形式的には西側の同盟者ではない」。この大臣はグルジアの苦境には個人的には同情するが、その見通しについては悲観的である。

容易な出口を見つけるのは困難である。グルジアは最近、アブハジアに完全自治、立法への拒否権、憲法改正、副大統領職の保証された地位を含む取引を提供したが、これはおそらくはあまりにも遅すぎた。

大きな問題はロシアがどこまで押し込むのかという点である。ロシアはアブハジアともう一つの分離的な国である南オセチアの正式な外交的承認を渋ってきた。しかし4月16日の大統領令は両地域との正式な法的絆を確立した。これは西側のコソボの承認への単なる象徴的反応─ロシアはコソボを同盟者のセルビアの領土的一体性を大いに破るものとみなしている。─なのかもしれない。あるいはグルジアが主張するようにこれは両地域の事実上の併合への序曲であることが判明するのかもしれない。ロシアがやり過ぎるならば、外部世界はアブハジアにおける平和維持部隊の正統性を厳しく疑問視するだろう。批判者は長いことこの部隊を「地片維持部隊piece-keepers」と呼んできた。これが予見性のある揶揄であったことが証明されるのかもしれない。

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