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ギリシア文明の後継者は誰だったのか

1990年代あたりから欧州のあちこちで歴史問題が火を吹いていること、また欧州諸国と旧植民地諸国との間でも浮上していることは、我が国においては知っている人は知っているというレベルにとどまっているような印象を受けます。ググればけっこうヒットしますけれどもね。もちろんこれをうまくかわしている賢明あるいは狡猾な国もありますが、イデオロギー的な分極化傾向の強い国には内輪もめに熱中し過ぎて火の手を大きくするというまるで極東のどこかの国を想起させるような展開を辿っているところもあります。フランスのことですが。歴史問題は専ら近代史の解釈への政治的動機や利害の介入により発生することが多いわけですが、前近代に関しても歴史問題が発生し得ることは我々も身を以て知っているところであります。茶道がどうしたとかはまだ可愛らしいものでありますが、高句麗は俺のものみたいな洒落にならない主張をする国もあったりしますね。

それでフランスで今ちょっとしたホットな話題になっているのがギリシア文明はイスラーム経由でヨーロッパに移植されたというのは本当なのか論争であります。これは世界史の教科書などでも記されている論点ですが、ギリシア・ローマ文明の伝統が西方ではゲルマン諸民族の侵入やらなんやらで先細る一方で、ビザンツやイスラームなど先進的な東方世界で継受、発展され、遅れた西方はスペインやシチリアなどの翻訳センターを通じて古典的な知を吸収することになったという話です。最近のがどうなっているのかよく知らないのですが、世界史の教科書ではこの翻訳運動は「12世紀ルネサンス」の一部として記述されていたはずです。ちなみに「ルネサンス」なる概念そのものがヨーロッパのギリシア(ローマ)コンプレックスの表現であることは言うまでもありません。そのために中世を暗黒時代としなければならなかったのであり、いや中世にもルネサンスがあったのだといった主張が生まれたわけでもあります。この文明のルーツをめぐる心理学は非常に興味深いものがあるのですが、いずれにせよ、この「イスラームの寄与」をめぐってこれに挑戦する人物がいるらしく、論争は反イスラームの機運にものって妙な展開をたどっているようです。Rue89にこれに関連した記事がありましたので紹介します。

「イスラームの貢献をめぐる中世史家の間の喧嘩」(Rue89)
ステレオタイプとは反対に、中世史家は必ずしも図書館の修道士的静寂の内に引きこもった静かな歴史家というわけではない。中世史家も決して政治的情熱とは無縁ではないし、同僚の一人の頭を正すべくベースボールのバットを握ることもあるし(これは比喩だ)、群れなすことすらあるのだ。シルヴァン・グゲンハイムの「モン・サン・ミッシェルのアリストレス」という名の書物が引き起こした論争がこれを証言する。

なにが問題なのか。ムスリムがキリスト教的西方へのギリシア文化(医学、哲学、天文学など)の統合を助けたことを示す最近の研究を逆なですることをこのグゲンハイムは決めたのだった。言葉の現代的な意味において我らの啓蒙と民主主義を準備した錬金術。

グゲンハイムによれば、この文化の伝達においてアラブ知識人の役割は非常に誇張されてきた。ギリシア的知は本質的に言ってアラビア語を経由せずにギリシア語からラテン語に直接に翻訳されたのだと彼は主張する。しかし多くの歴史家にすると、このテーゼはイデオロギー的な下心によって導かれているものだ。

ロジェ・ポル・ドロワがこの書物を褒めそやす
哲学者で批評家のロジェ・ポル・ドロワの筆の下でル・モンド・デ・リーヴルは4月のはじめに非常に好意的にこの作品を紹介した。

現代の偏見の驚くべき修正であるシルヴァン・グゲンハイムのこの仕事は討論と論争とを引き起こすだろう。テーマは西洋世界とムスリム世界の文化的系譜関係だ。この主題についてはイデオロギー的、政治的賭け金が重くのしかかる。この真摯な大学人たるリヨンの高等師範学校の中世史教授は支配的となった一連の信念に痛打を与える。

この記事は脱帽の挨拶で終わる。

結局のところ1960年代以来次第に強く繰り返されたのと反対に、ヨーロッパ文化はその歴史と発展においてイスラームに多くのものを負っていないようである。ともかく本質的なものはなにも負っていない。的確で論証のしっかりしたこの書物は歴史を当時に返すものであり、また非常に勇敢なものである。
この間に、フィガロ・リテレールは4月17日に以下の語で終わるべたぼめのもうひとつの批評を公表した。
アテネとエルサレムの遺産の果実たる中世キリスト教の坩堝が存在したことを想起することを恐れなかったグゲンハイム氏に拍手。イスラムは西洋にその知識をほとんど提供しなかった一方で、この遭遇─ローマの遺産もここに加えるべきだが─が、ベネディクト16世が我らに語るように、ヨーロッパを生み出したのであり、人がヨーロッパと正しく呼ぶところのものの基礎をなし続けているのだ。

中世史家達は疑わしい共感をめぐってグゲンハイムを非難する

中世史家の間で不満の反響が感じられ始めている。「歴史修正主義」(彼らによれば)に類似するものを放っておくべきなのだろうか。反撃が準備された。4月24日に最初の一撃がル・モンドに掲載された。2人の歴史家、ガブリエル・マルティネ・グロ(パリ第8)とジュリアン・ロワゾ(モンペリエ第3)が激しく攻撃したのだ。

キリスト教ヨーロッパの知の歴史の見直しにおいて、シルヴァン・グゲンハイムは、数学、天文学、占星術の主要著作─その受容がヨーロッパでの近代科学革命を準備することとなった─がアラビア語からラテン語へと翻訳されたイベリア半島が果たした役割に実際のところ口を噤んでいる。

彼らはさらに進み、疑わしい共感をめぐって著者を非難する

このいかがわしい界隈で著者は一人ではない。彼が喜んで依拠する先行者達がいるのだ。その「注意深い再読」やその「示唆」に対して謝辞が与えられた後、ルネ・マルシャンが何度も言及されている。
彼の著作「ムハマンド。再調査」が文献目録に登場する。この著作のサブタイトルは「現代の専制君主、偽造された公的な伝記、ディスインフォメーションの14世紀」となっている。ところでルネ・マルシャンはOccidentalisというアソシエーンのインターネット・サイト─彼はそのインタビューを受け、このサイトは彼の著作の美点を褒めそやす─によって多数に選出された人物だ。
「フランスがイスラムの地にならないように」見守るイスラモヴィジランスのサイトも・・・シルヴァン・グゲンハイムの知的交際関係は少なくとも疑わしい。それは真剣な著作、大出版社のコレクションに一角を占めるようなものではない。

「私の意図しないものを私に帰そうとする」

グゲンハイムのテーゼや「文明の衝突」のアイディアに対抗する請願書が出回り始めている。グゲンハイムは自らを弁護しなくてはならない。彼はこうした攻撃に「仰天した」と述べる。「私の意図しないものを私に帰そうとしている」と彼はル・モンドで叫んでいる。

私の調査は正確な論点に関するものです。様々な水路─それを通じて中世人によってギリシア的な知が保存され、再発見される水路という論点です。わたしはアラビアの伝達の存在を否定する者ではありません。だたそれ以外にもギリシア語からラテン語への翻訳の直接のルートの存在を強調しているのです。ジャック・ド・ヴニーズのおかげで12世紀初頭にモン・サン・ミッシェルがそのセンターになったとね。

この書物の出版の数ヶ月前から、抜粋が極右のOccidentalisのサイトで公表された。この点を尋ねられてグゲンハイムは議論を広げた。

5年前から─私がジャック・ド・ヴニーズを「再発見」した時から─私は自著の抜粋を多くの人物達に提供したのです。私は各人がそれをどうできたのかについては全く知りません。

レジスタンスの家系に属するこの私が極右の人間とされたことに衝撃を受けています。子供の頃から私は一家の価値に忠実であることを止めたことはありませんよ。

「移民、国民アイデンティティー省とヴァチカンの地下倉庫のヨーロッパ」

しかしこのインタビューは情熱を冷まさなかったどころではなかった。テレラマの詩的高揚に満ちた記事で、哲学者のアラン・ド・リベラ─著書でグゲンハイムに疑問視された─は釘を打ち込んだ。

「学問の伝播」の展望から眺めると、よくいるイスラム嫌いによって性急に賞賛された「アリストテレス哲学のギリシア世界からラテン世界への継承の歴史におけるミッシングリンク」たるモン・サン・ミシェル仮説はオムレツの歴史におけるマダム・プラールの役割の再評価と同程度の重要性しかもたない。

この中世の専門家は手ひどく結論づける。

このヨーロッパは私のものでない。私はこれを移民、国民アイデンティティー省とヴァチカンの地下倉庫に任せることにする。

日曜にフランス・キュルチュールの「公共精神」という番組でマックス・ギャロはこの書物を擁護した。同じ日にル・モン・デ・リーヴルの中心人物たるピエール・アスリヌは歴史家の感情を彼のブログで伝えた。グゲンハイムはチュートン騎士団、ラインの神秘主義、十字軍の専門家であると持ち上げて(下心がなくもなく?)、彼は非難する。

Occidentalisが出版の9ヶ月前にまだマニュスクリプトの状態だったのにこの書物の「すばらしいページ」を公表しただけでなく、シルヴァン・グゲンハイムはOccidentalisのブログ、イスラモヴィジランスのサイト、Amazon.fr.で"Sylvain G."のサインで同様のテーゼ(ギリシア・ラテン的な知の西洋への継承におけるイスラムの役割は神話である)を擁護すべく著書の中以上に生き生きした直接的なコメントを投稿したようである。それが本当に彼なのか、彼のレトリックを支持した挑発者なのか明確にする必要はなおある。

リベラシオンはジャン・イヴ・グルニエの筆の下4月29日にこの著書のニュアンスのある批判を掲載した。しかし翌日には大学人のグループがrebonds du quotidienのページで「然り。キリスト教的西洋はイスラム世界に借りがある」というタイトルでこの本を激しく攻撃した。

歴史家と哲学者からなる我々はキリスト教中世ヨーロッパが直接にギリシアの遺産を横領したことを証明すると称する─イスラム世界との関係なしでも同じ道筋を歩んだだろうとまでも断じる─シルヴァン・グゲンハイムの著作を驚きをもって読んだ。[...]この著作はかくして現在の研究の潮流の真逆にいくのである。

彼らによれば、グゲンハイムのやり方は「受け入れ難い政治的含意をもったイデオロギー的プロジェクトに属している」。以下長い署名リストが続く。リヨンの高等師範学校の学生や卒業生の署名の入ったもうひとつの請願がTelerama.frに発表された。それは"Sylvain G"の署名コメントに関する「さらなる調査」を求め、「リヨン高等師範学校の教育の平静と科学的評価を維持するためにあらゆる必要な措置がとられる」ことを願っている。

反動スフェアの支持

グゲンハイムは「反動スフェア」─右派のブログスフェアのうちの最も辛辣な部分を指すために徐々に使用されつつある言葉─で支持されている。カトリックのブログ、「ベルギーのサロン」は多幸症的に結論している。「結局のところ、政治的に正しい考えとは反対に、ヨーロッパ文化はイスラムになんの借りもないのだ」と。また別のブログ、「バロックと疲労」は「愚か者に死を」というタイトルで歴史家と請願者を噛み付くように非難している。

打ちのめされるのはこの著作が引き起こした激怒だ。これに関するコミュニケ。ああ、ご注意を、このタイプは一人じゃないのです、ねえ、我々は彼みたいに考えたりしないんですよ[...]じゃあ彼らはなにを言っているわけ。まあ、シルヴァン・グゲンハイムの著作が実際インターネットで大っぴらに意見を述べている外国人嫌いやイスラム嫌いの連中の論拠に使われていることを知りなさいだって。

神様、神様、神様。外国人嫌いの集団がインターネットで自己表現しています。警察は何をしてるのですか。なんてこった。でもそれがなにができるっていうんだい、畜生め。世界が世界であった頃から、作家は自分の手の及ばない連中によって自著がリサイクルされるのを見るのさ。残念でした。でもそういうものです。

僕は外国人嫌いやイスラム嫌いの連中が墓地にハーケン・クロイツの落書きするのよりもグゲンハイム氏の古本に飛びつく方が見たいな、個人的にはね。

ブロガーのSILはモスクワ裁判を語る

イスラム左翼の共産党政治局による裁判に出頭するのは今度は中世史家のシルヴァン・グゲンハイムの番だ。彼が最初なわけではない。彼は最後にもならないだろう。[...]歴史の道徳性。興味深い議論を提供する代わりにこの歴史家達はこのテーゼを「周囲のイスラム嫌い」に分類することを目指してプチ・モスクワ裁判を我々に提唱することを好むのだ。40対1。ブラボー。なんという勇気だ。

それで私は極右のブログも見てみた。よき一歩から始まったのかもしれない─大人の知識人の間のヨーロッパの起源をめぐる激しくはあるが豊かな交換の一歩─この論争は罵詈雑言(「ファシスト」という中傷は2方向に向けられる)の不毛な応酬に落ち込んでいるようだ。問題の本を読むまでもなくどちらかの陣営を選択するよう招かれる。そして議論は型通りでぶつ切りで断言調の言葉でのみなされるのだ。残念な話である。
(了)

というわけでギリシア、キリスト教文明の後継者をもって任じる人々にとってはそこにイスラームという他者が介在しているという事実はなにか面白くないものがあるようです。また一方でイスラームへの知的負債という事実を「政治的に」強調したい人々もいると。モン・サン・ミシェルの翻訳センターについての仮説はそれはそれで事実なら面白い事例じゃないのという気もしますが、大げさな文明論的な話に展開したために政治化してしまったということなんでしょう。極右云々はこれだけではよく分からないのでなんとも言えないのですが、「ムハマンド。再調査」みたいな本を文献目録に入れて著書で何度も言及している時点でやはりまともなアカデミシャンなのかなという疑念を呼ぶでしょうね。私はこの人についてはなにも知らないですし、著書も読んでいないのでなんとも言えないですが。いずれにせよ歴史学的な方法論に準拠している限りは著者を政治的に葬ったりはすべきではないですし、こういう論争でさらにPCの基準が高くなったりするようだと反発する層を増やすだけだろうなと推察します。何度でも強調したいのですが、歴史の問題は歴史学の枠組みの中で処理するというのが基本だろうと思います。どうもイスラームへの知的負債というテーマをめぐっては政治動機が見え透いた議論が多いようなのは残念な話でこういう空中戦を静められるのは大げさなことは言わない堅実な実証史家だけということになるのでしょうかね。

追記 
・「移民、国民アイデンティティー省」というのはサルコジ大統領の肝いりで創設された省庁でありまして、多文化主義やらなんやらで崩壊の危機にある国民アイデンティティーを定義するというなんだかすごい省庁です。そんなの国が定義すんなよという話でありますが、実際、ほとんど機能していないという噂ですね。

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