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ある保守政治家の肖像

評伝斎藤隆夫 孤高のパトリオット  /松本健一/著 [本]評伝斎藤隆夫 孤高のパトリオット /松本健一/著 [本]
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記念碑的な北一輝研究で名高い著者による斉藤隆夫論です。戦後の硬直したイデオロギー枠組みの中では右翼思想研究者であるという事実のみをもって時には両翼より不当なる非難を受けることもあったと言われるこの近代思想史家の手によって斎藤隆夫が論じられるという時点で決して平凡な聖人伝にはなるまいという期待を持って本書を手に取りましたが(初読は数年前で今回は再読)、著者独特の深い情感と歴史の襞から襞を辿る繊細な視線は本書でも十分に発揮され、本書は立体的な斎藤隆夫像を描き出すことに成功していると思われます。名高い「粛軍演説」と「反軍演説」によって軍部独裁に反対した民主主義者といった平板なイメージとともに今でこそその名がたびたび想起されるようになりましたが、解説によれば我が国が誇るべきこの保守政治家が注目されるようになったのは実は1980年代以降の話だと言われます。つまり戦後日本の言説状況となじまないなにかがこの人物にはあった訳であります。本書で強調されているのは政治思想家(天皇機関説論者)としての斎藤隆夫、政治的現実主義者(帝国主義的権力政治の冷徹な認識者)としての斎藤隆夫という二つの側面であります。それほど堅い文体でも晦渋な内容でもありませんし、予備知識も要求されませんので(背景説明部分が懇切丁寧、あるいはそこが読むのがしんどいかもしれませんが)、政治に関心があるという人々、特に若い衆─まだ私もその一部かもしれませんが─の間で本書が広く読まれることを希望します。以下書評ではなく内容の紹介です。

斎藤隆夫は明治3年(1870年)8月18日に兵庫県出石(いずし)郡(現出石町)中村という山陰の村の貧しい自作農の6男として誕生します。この出石は「弘道館」を中心とする教育熱心で名高い小藩であったそうで後に論敵となる東大初代総理の加藤弘之もまたこの佐久間象山とも因縁深い出石出身だそうであります。この土地の空気を吸って育った貧乏にもかかわらず向学心と立身出世の意思に燃えた少年だったことが数々のエピソードから描かれます。郷党の先輩の元に寄宿する苦学生として東京専門学校(現早稲田大学)の行政科に学び、弁護士試験に合格した後には、同校の校長たる鳩山和夫の弁護士事務所に入りますが、この事務所の廃業とともに自分の弁護士事務所を開きます。とはいえ私学出身の弁護士では食えない時代であったためアメリカ留学を目指し英語の勉強に熱心に取り組んだといいます。32歳でエール大学に公法や政治学を学びに留学しますが、この留学は弁護士仕事に飽き足らず「天下国家の為に何事をか為さん」すなわち後の政治家への道を漠然と企図したものであったと著者によって推察されています。

このアメリカ体験は後の斎藤隆夫の精神を形作る上でとりわけ重要なものであったようであります。留学中に左肋膜炎を患い、1年間入院生活をおくることになるのですが、斉藤は手術に失敗したグレース病院に対して法的な闘争を挑んだといいます。これは黄色人種への偏見と差別が当然視されていた当時の白人社会に対する「理屈」による闘争という意味合いを持っていたことを著者は明らかにします。とはいえ斉藤の批判の対象は白人社会そのものよりも当地の「卑屈な日本人」達に向けられていたといいます。「亜米利加乞食」「亜米利加ゴロツキ」という強い言葉で批判しているのは、アメリカに10年いるなどと鼻にかけては白人に対しては媚びへつらい、あまつさえ日本に戻ると「洋行帰り」「ハイカラ」として権威ぶる連中でありました。この「洋行帰り」嫌悪は後の「講壇派社会主義」の源流に位置する同郷の帝大教授和田垣謙三批判として展開されることになります。桜を尊ぶ日本人は西洋人に比べてしょうもないという議論(?)への彼らしい徹底的に「理詰め」の反論です。

このように西洋風を吹かす軽薄才子を心底軽蔑するパトリオットである一方で、斉藤が国粋的惑溺(いわゆる「暗黒面」)からほど遠い人間であったことは「立憲政治の完美」を目指したその政治活動からも─それゆえ著者はナショナリストではなくパトリオットと彼を呼ぶ─また彼の政治思想からも明らかであると著者は診断します。帰国後自費出版された彼の著書「比較国会論」に伺われるのは天賦人権説(自然権論)に依拠し、「輿論政治」としての国会政治の漸進的な成熟を訴える立憲政治の啓蒙家の姿であります。具体的には天皇の条約締結大権や緊急勅令大権をいずれ超克されるべき「初期におけるやむを得ざる事態」とみなし、国会を「主権機関」のひとつとみなす国家主権説(天皇機関説)であります。

余は、天皇は単独主権機関にあらず、換言せば、我国の国会は天皇と共同して主権機関を組成す、更に政治上の語を以て云えば、我国の主権は英国其他の立憲君主国と同じく君主のみに属せずして、君主と議会との共同団体に属す、と断言せんとす。
以上のように個人的には皇室崇拝者であったにも関わらず、同時代の北一輝と類似した「ラディカルな」天皇機関説の立場に斎藤隆夫は立ったとされます。この立場から同郷の先輩にして帝国学士院長の加藤弘之に論戦を仕掛けます。「族父統治の天皇機関説・加藤博士の所論に就て」において、天皇機関説論者を「共和主義を説くもの」として排撃し、天皇と国民の間の関係を「父子」関係に類比される「族父統治patriarchie」(つまり通常の君主統治monarchieではない)とする加藤を政治論および法理論の立場から批判しますが、「国体新論絶版事件」以降「転向した」かつての明治啓蒙主義者加藤弘之はこれを頑迷に拒むばかりであったといいます。


明治末年に改進党系の野党立憲国民党所属の衆議院議員として立候補し、これに最下位当選するところから斉藤の政党政治家としてのキャリアは始まりますが、その活動は長い間それほど華々しいものではありません。その後立憲同志会、憲政会、民政党と政党をスライドしていきますが、その政治行動および発言の公準となっているのは我が国における政党政治、立憲政治の確立と成熟という揺るぎない政治的信念であった点は言うまでもありません。斉藤が目撃したのは藩閥政治から政党政治への転換、大正デモクラシー運動の高揚、普通選挙法の確立、党利党略にまみれた政党政治の退廃、そして終焉という光景でありました。この中で著者が特筆しているのは普通選挙法の推進活動と昭和6年の演説であります。前者ですが、「普通選挙法心得」という彼が書いたパンフレットの中で彼の普通選挙法に関する考えが判ります。斉藤は普通選挙を「日本建国以来の大革新」と呼ぶ一方で、

即ち普通選挙は国民平等の原則に立脚して居るから、政治の前に於ては貧富の原則を認めない。日本一の大金持も其日稼ぎの労働者も参政権の前に立てば絶対平等である。故に、今後吾々は政治上に於て有産階級の特権を認めざると共に、無産階級の特権をも認めない。有産階級の跋扈を許さざると共に、無産階級の横暴をも許さない。国内に於ける有ゆる階級は互いに一致調和して、国家の進運と国民の幸福に向って最大の義務を果すと云うのが、普通選挙の精神である

というようにこの時代に台頭しつつある社会主義運動をおそらくは意識して保守政治家の立場から「国家の進運と国民の幸福」を目指すのが普通選挙の精神であるとしています。また後者ですが、普通選挙によって成立した田中内閣批判演説「正しき者に勝利あり」は政党政治の退廃の予兆を鋭く指摘したものと評価されています。田中内閣と軍閥との距離の近さの批判、また公共事業の空約束による集票活動に見られるように国益を語って党益を第一とする党略政治の批判であります。政党の利益のための政治ではなく国家民衆の利益のための政治を行わない限り、政党内閣否認の声がいずれ挙がることになるだろうと。またこの演説の予言的性格でありますが、

さなきだに近時国民思想の流れ行く有様を見ると、一方には極端なる左傾思想があると共に、他の一方には極端なる右傾思想があり、而して是等の思想は悉く其向かう所は違っているけれども、何れも政党政治とは相容れない思想であって、彼らは大なる眼光を張って、政党内閣の行動を眺めて居る。 若し一朝、政党内閣が国民の期待を裏切り、国民の攻撃に遭うて挫折するが如き事があるならば、其時こそ彼等は決河の勢を以て我政治界に侵入して政治界を撹乱し、彼等の理想を一部でも行おうと待設けて居るのである。故に、今日は政党内閣の試験時代であると共に、政治界に取っては最も大切なる時である。

というように党利党略に走った場合には立憲政治の基盤を破壊する「極端なる左傾思想」と「極端なる右傾思想」の攻撃を受けることになるだろうと─後に的中することになった─予言をしています。

さて226事件を受けてなされた高名ないわゆる「粛軍演説」でありますが、これが保守的現実主義者の立場からなされたものであることを著者は強調しています。まず「革新」という語のインフレ批判。

まず第一は革新政治の内容に関することでありまするが、一体近頃の日本は革新論及び革新運動の流行時代であります。革新を唱えない者は経世家ではない、思想家ではない、愛国者でもなければ憂国者でもないように思われているのでありまするが、しからば何を革新せんとするのであるか、どういう革新を行わんとするのであるかといえば、ほとんど茫漠として捕捉することは出来ない。 [...] 彼らの中において、真に世界の大勢を達観し、国家内外の実情を認識して、たとえ一つたりとも理論あり、根底あり、実効性あるところの革新案を提出したる者あるかというと、私は今日に至るまでこれを見出すことが出来ないのである。

というように「革新」なるものは内実を欠いた空疎なスローガンに過ぎず、「世界の大勢」の認識も「国家内外の実情」の認識もともなっていないという現実家の立場からの批判。それから軍人の政治活動の危険性についての言及となりますが、これは青年将校によるテロやクーデターが純真な─すなわち単純にして危険な─「愛国の至情」に由来するものであるとの認識に基づくものです。軍人が政治運動をすることは明治大帝の「軍人勅諭」に反している。軍人は陛下の統帥権の下に服して国防に専心すべし。「無責任にして誇張的な」ジャーナリズムやマスコミに煽られた純真な青年将校達は軍人内閣を樹立することで一切の腐敗や悪が消滅すると思い込んでいるがなんの具体的な展望もありはしないと。この「直情怪行の青年」とカリスマ的な「一部の不平家、一部の陰謀家」の言論の結託によるテロという認識は著者も述べる通り正確なものであります。さらにこうした事態の萌芽的な段階で刈り取らなかった軍当局の責任の追求へと演説は進みます。三月事件、十月事件、515事件でもし徹底的な追及がなされたならばこのクーデター未遂は生じなかったに相違ないとし、苛烈な軍法会議批判を行い、さらに226事件において事態の真相解明は十分になされておらず、「裏面に於て糸を引いて居る」軍首脳(つまり真崎教育総監)の存在も暗示しているといいます。さらに反軍思想という悪罵に対して、

元来我国民中には動もすれば外国思想の影響を受けやすい分子があるのであります。欧羅巴戦争の後に於て、「デモクラシー」の思想が旺盛になりますると云うと、我も我もと「デモクラシー」に趨る。其後欧州の一角に於て赤化思想が起こりますると云うと、又之に趨る者がある。或は「ナチス」「ファッショ」の如き思想が起ると云うと、又之に趨る者がある。 [...] 今日極端なる所の左傾思想が有害であるのと同じく、極端なる所の右傾思想も亦有害であるのあります。左傾と云い、右傾と称しまするが、進みいく道は違いまするけれども、帰する所は今日の国家組織、政治組織を破壊せんとするものである。 [...] 我が日本の国家組織は、建国以来三千年牢固として動くものではない、終始一貫して何ら変わりはない。又、政治組織は、明治大帝の偉業に依って建設せられたる所の立憲君主政、是より他に吾々国民として進むべき道は絶対にないのであります。故に軍首脳部が宜しく此精神を体して、極めて穏健に部下を導いたならば、青年軍人の間に於て怪しむべき不穏の思想が起こる訳は、断じてないのである。

というように不変の国体と明治以来の立憲君主政体を擁護する者という立場からの外国の最新流行かぶれの「極端なる所の左傾思想、右傾思想」批判である旨自らの依って立つ場所を明示しています。かくして国民の代表者たるべき政党政治家が党利のために軍と結託し、政党政治の基盤を自ら破壊せんとする事態を前にして孤軍奮闘する一人の保守政治家の姿が立ち現れる訳であります。この「粛軍演説」はマスコミからも国民からも圧倒的な支持を得たという話でありますから、決して雄弁家ではない彼の説得の言葉は広く国民大衆の心を掴むだけの威力を持つものであったようであります。

その後の展開が斉藤の望むものでなかったことは誰もが知るところではありますが、斉藤の批判の舌鋒はますます鋭くなっていきます。近衛内閣における国家総動員法をナチスの授権法と類似したものとみなす批判演説、そして名高い「支那事変処理に関する質問演説」であります。この米内光政内閣に向けられた「反軍演説」として知られる演説でありますが、これはいわゆる平和主義の立場からではなく徹頭徹尾リアリズムの立場からなされている点が特徴であります。「国民」の名において日華事変の処理がいかになされるのかストレートに問い質しているのでありますが、批判の射程は米内内閣ではなく近衛内閣にまで向けられていきます。ここで近衛第三次声明を想起し、これを5本の柱に要約します。すなわち、1、支那の独立主権の尊重、2、領土要求、賠償金要求をしない、3、経済上の独占を行わない、4、第三国の権益の制限をすることを支那政府に要求しない、5、内モンゴルを除く地域からの日本軍の撤兵。しかしながら中国からの撤兵はいまだなされていない。これは汪兆銘政権を欺くものではないかと。さらに昭和14年12月の「東亜新秩序答申案」を事挙げし、かつて「革新政治」の無内容を衝いたように、その言語不明瞭を揶揄します。曰く

之を見ますると云うと、吾々には中々難かしくて分からない文句が大分並べてあります。即ち皇道的至上命令、「ウシハク」に非ずして「シラス」ことを以て本義とすることは我が皇道の根本原則、支那王道の理想、八紘一宇の皇謨、中々是は難しくて精神講話のように聞えるのでありまして、私共実際政治に頭を突込んで居る者には中々理解し難いのであります。

という具合に泥沼化した戦局をいかに処理するのかという実際的問題を離れ、国民の犠牲も忘れて観念の遊戯に没頭している愚を問い詰めていきます。ここではもはや事変でなく「戦争」と明瞭に言い表していますが、なぜ1年半の後になって慌てて戦争目的を設定しようとしているのかと。また近衛声明にある「聖戦」観に対しては、

斯様な考えを持つて居らるるか分らない、現に近衛声明の中には確に此の意味が現われ居るのであります、其の言は洵に壮大である、その理想は高遠であります、併しながら斯くの如き高遠なる理想が、過去現在及び将来国家競争の実際と一致するものであるか否やと云うことに付ては、延いて考えねばならぬのであります。苟も国家の運命を担うて立つ所の実際政治家たる者は、唯徒に理想に囚わるることなく、国家競争の現実に即して国策を立つるにあらざれば、国家の将来を誤ることがあるのであります。

というように「実際政治家」の立場から戦争目的の空想性、観念性を批判した上で帝国主義的な権力政治の現実をこれに対置します。曰く世に平和論や平和運動は蔓延るがこれが実現したことなど歴史上一度もない。人類の歴史は戦争の歴史だ。戦争が一度起こったならば、最早正邪曲直の争いではない、是非善悪の争いではない、徹頭徹尾力の争いだ。強者が弱者を征服する、これが戦争である、正義が不正義を贋懲する、これが戦争という意味ではない。この現実を否認する者は偽善だ。国家競争の真髄を掴まなければ生き残れない。国家競争の真髄とは生存競争、優勝劣敗、適者生存だ。これ以外の歴史など存在しなかったし、今後も存在しない。と空しい正義論に対して「力こそが正義」の現実を対置し、国策はここに依拠せねばならないと訴えます。さらに曰く

此の現実を無視して、唯徒に聖戦の美名に隠れて、国民的犠牲を閑却し、曰く国際正義、曰く道義外交、曰く共存共栄、曰く世界の平和、斯くの如き雲を掴むような文字を列べ立てて、そうして千載一遇の機会を逸し、国家百年の大計を誤るようなことかありましたならば現在の政治家は死しても其の罪を滅ぼすことは出来ない。

というように政治家の責任を追求していくのでありますが、この「唯徒に聖戦の美名に隠れて」の部分が軍を激しく刺激することとなり演説の削除問題に発展し、最終的に斉藤は議会からの除名処分の憂き目に遭います。以上のように斉藤の批判は十分な説明のない状態で国民に膨大な犠牲を強いることへのパトリオットとしての、さらに空想的な聖戦論を嘲笑する政治的現実主義者としての批判であったとされます。

除名処分後に翼賛選挙で無所属議員としてトップ当選しますが、もはや政治家としての有意義な活動は出来ず、近衛批判、大政翼賛会批判、東条の憲兵政治批判、大東亜会議批判をただ家で書き継ぐ日々を過ごしていたといいます。彼にとっては日本の敗戦は当然の結末であり、米軍の占領も極めて冷静に受け止め、戦後は老体に鞭打って日本進歩党の結成に奔走し、新日本の建設に力を尽くすことになります。我々は戦争に敗けた。しかし国家が亡ぶるものではない。人間の生命は短いが、国家の生命は長い。国家の盛衰はあるが衰えたからといって失望落胆することはない。失望落胆して気力を失った時こそ国家が滅びる時だ。日本国民は勇気を取り戻して旧日本に別れを告げて新日本の建設に邁進せねばならない、と国民を叱咤激励して。

以上のように斎藤隆夫はまさに「孤高のパトリオット」として孤軍奮闘した保守政治家でありました。米英の亜細亜侵略もまた強者の権利と言わんばかりの冷徹な国際政治認識は、戦後の思想地図にあっては大東亜戦争の大義を捨てきれないロマン主義的な右派にも、また軍国主義への抵抗者として彼を英雄視する動機を持つはずのロマン主義的な左派にも受け入れらない「毒」であったため彼は長らく水で薄めた形で時折言及される政治家にとどまったと著者は喝破しております。いずれにせよこうした保守政治家というのはどこの国にもいて緊急時において最もその威力と高貴を示すものであるという点は忘れないようにしたいものだとあらためて思った次第です。なおお節介に聞こえるでしょうが、特に自分を右派だと思っている若い人にはこういう認識を分け持っていただきないなと個人的には思っています。保守と右翼は似ているようでいて全然違います。大人と子供ぐらい違います。ここで右翼というのは勿論あの奇矯なパフォーマー集団のことではなく、認識の問題です。

追記
斎藤隆夫の演説はこのサイトで電子テキスト化しています。その労苦に感謝と称賛を送り、リンクを張らせていただきます。

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コメント

ご投稿を読んでいると、なんか、日本の思想風土というか政治風土というのはあんまり変わってないのかなあ、という印象も持ちますね。

 本書は読んでいないのですが、松本 健一氏の「日本に失敗」はいけましたけど、「北一輝論 」は個人的には眠くなりました。両翼から批難されるというのは、しかし、羨ましいですなあ。

投稿: 空 | 2008年7月21日 (月) 14時39分

>日本の思想風土というか政治風土というのはあんまり変わってないのかなあ、という印象も持ちますね。

ええ、戦前と戦後とたいして違っていないと思いますね。言っていることもやっていることも。現在とダブることが多いです。でもそれはドイツでもフランスでもどこでもそうだと思います。こういう慣性のような力ってなんなんでしょうねえ。伝統と言ってしまえば一言で済むのですが。

>松本 健一氏の「日本に失敗」はいけましたけど、「北一輝論 」は個人的には眠くなりました。

「日本の失敗」は先の大戦のひとつの誠実な受け止めの形なんでしょうね。私はまたもう少し距離感をもって別の受け取りをしたいなあと思っているんですけれども。

松本さんの仕事がなかったら北一輝はただの狂信者で終わっていたでしょうから重要な貢献をなさったんだと思いますね。北一輝とか石原莞爾とか中野正剛とかこういうデーモンの宿ったタイプは個人的に苦手なんですが、北一輝の書いた政治評論は今読んでも中々面白いと思いますね。

>両翼から批難されるというのは、しかし、羨ましいですなあ。

戦後の思想家では両翼から攻撃された人しか信用すまいというのはなにか私的な公準のようなものになっていますね。精神の柔軟性と平衡性の証明書だと思っています。

投稿: mozu | 2008年7月21日 (月) 18時54分

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