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苗字の歴史

(以下昨晩アップしたのですが誤って一度削除してしまったエントリです)

日本家族史、特に近代家族史というのは─私もその中に含まれているのではありますが─なかなか腑に落ちたという感じを与えない分野であります。それはひとつには家族というものが個々人の生活に直接関係するだけに一般的かつ俯瞰的な理解図式にはなにか抵抗感を覚えさせられやすいということもありましょうし、実際にこの列島上に展開された家族形態が歴史的になかなか複雑多様であることにも起因しているのでしょう。また本によってずいぶん書いてあることが違うのも困ったところですね。

梶ピエール先生のところからのリンクで見つけたウェブページの記述でうーむとうならされたのでメモしておきます。この書き手の方は夫婦同姓は明治以降の「創られた伝統」だ、前近代には夫婦別姓はよくあったし、そもそも百姓には苗字などなかったではないかという夫婦別姓論者による議論(よく知らないのですが、一般的にこういう論調なんですかね)に対して、別姓論議の妥当性とは別に、その歴史的認識の誤りを指摘しています。前近代における夫婦別姓は大陸の父系主義的な宗族組織の影響なんだから現在の男女平等の理念とは無関係でしょうぐらいのことは私でも言えますが、後者の論点については恥ずかしながら知識とイメージが混乱していました。それによると、

確かに、江戸時代の百姓は原則として、公的な場や武士の面前で苗字が用いられることは禁止されていましたが、村の中などでは堂々と苗字が名乗られていたという事実が、多くの研究者によって明かされています(坂田「百姓の家と村」P35)。中世の庶民のなかには、苗字だけではなく擬似的な姓(天皇から与えられたわけではないという意味で)を有していた者もいますが、庶民のなかで姓から苗字が中心となり、苗字の数が飛躍的に増加するのは、15〜16世紀のことです(坂田「百姓の家と村」P36〜37)。苗字・家名という社会的制度は、制約があるとはいえ、前近代の日本社会に広く浸透していたのでした。

といいます。これで立派な苗字が持てるんだ!俺は上杉だ!いや藤原だ!とそれまで苗字を持たなかった村人達が驚喜して役所に押し寄せて我先に家名を登録している光景が─そんな光景は目撃したはずはないのですが─「四民平等」という言葉から自動的に連想されるのでありますが、室町時代ぐらいから庶民も苗字を持っていたというのは他の歴史的事象との関連から言っても当然の話ですね。そう言えば、農民の苗字が書かれている江戸時代の史料を見た記憶がありますし、また明治政府が夫婦別姓にしようとしたけれども強硬な反対で頓挫したというエピソードもどこかで読んでいました。なぜこんな連想が生じるのだろう。どこかで刷り込まれたんですね。

また同じ書き手の方は別の記事で氏名、姓、苗字の差異について解説しています。姓と苗字の違いは理解していたつもりですが、氏名と姓の違いと同一化のプロセスの理解は中途半端な状態でした。坂田敏氏の議論のようですが、

氏とは氏名(ウジナ)であり、藤原・源・平などです。姓はカバネであり、ウジナとともに天皇から与えられるものです。真人・朝臣・宿禰などがあります。公的な場では、ウジナとカバネは実名(ジツミョウ)と組み合わせて用いられます。たとえば、藤原(ウジナ)朝臣(カバネ)道長(ジツミョウ)、平(ウジナ)朝臣(カバネ)清盛(ジツミョウ)となります。ウジナとカバネは父系血縁原理による氏族集団を指す名称であり、家名ではなく、公的性格の強い名称です。


ウジナとカバネがやがて同一視されるようになり、ウジナを姓(セイ)と称するようになった経緯について、前回の記事ではやや曖昧な説明しかできませんでした。本書では、カバネの機能が官位に取って代わられ、姓をカバネと呼ぶ習慣が廃れ、ウジナが姓(セイ)とみなされるようになったのではないか、とされます。また、ウジナとカバネをあわせて広義のセイと考えられていたのが、ウジナ=姓(セイ)に変わった可能性もある、とも指摘されています。ただいずれにしても、古代の段階ですでにウジナと姓(セイ)の同義化が進行していたようです。姓と実名による呼称は、その人物が氏族の構成員であることを表していました。姓は原則として天皇から与えられるという意味で、他律的性格の強い名称でした。

ということですね。なお名字と字(アザナ)についての説明も判りやすいのでおすすめしておきます。15、16世紀に百姓層にまで家制度が根を下ろしたという話でありますが、地域的差異や定着のリズムのずれのようなものはどこまで追跡できるのでしょう。この本はいずれ読まないといけませんね。琉球やアイヌの家族制度(や氏族制度)も判ったようで判らないんですよね。なお近代におけるなんとかの誕生モノは大量生産されていますが─勿論その仕事の意義を否定するつもりもないのですが─ちょっと飽き飽きしているというのが本音です。政治的動機が見え透いた議論が多いということもありますし、相対化すると称しつつも逆に近代を特権化し過ぎではないのかなという疑念も湧いてきます。私は私なりの仕方で近代主義者なのだろうとは思いますが(なんだか不確かな物言いですみません)、最近はもう少し長いスパンで物事を考えたい気分になっています。

ちなみに私がなんとなく近代家族史のナラティブに含まれていないという感覚をもつのは実家が代々の女系的な─厳密には双系的なんでしょうが─一家であることにも起因しているような気がします。私にとって家長とは奥座敷に威厳をもっていつも座している、なによりも煙管を愛するあの曾祖母(おひいさま)のことであり、家という語は男などは闖入者と言わんばかりのあの女性的な権力空間を意味しています。そんな感じの家は今でもけっこう各地にあるようですね。いわゆる現代家族の多様化とは別に近代法的擬制の下に実際には多様な形態の家族生活が営まれてきた歴史はいったい誰が書いてくれるのでしょう。いや、私が無知なだけでどなたかがもう書かれているのかもしれませんね。

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