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BHLの創作について

このブログではわりと新哲学派の面々の発言を拾っていますが、それは彼らにそれなりに影響力があってパリ左翼のミクロコスモス内部の論調を知るのにそれなりに便利だからでありまして、私自身がこの文化人達にどうやらさほどの敬意を抱いていないらしいことは注意深い方ならばお気づきのことでしょう。このエントリではベルナール・アンリ・レヴィ(BHLと略される)がどうやらやらかしてしまった件について紹介しておきます。それは単にこの見栄っ張りさんを嘲笑してやろうという意図からではなくて、なにかしら興味深い事柄が含まれているように思えたからです。

このBHLの問題の文章ですが、8月19日付でル・モンドに掲載された「戦火のグルジアで見たもの」という3ページの長い記事です。長いので訳すのは止めておきます。多分そのうち英訳も出るでしょう。内容ですが、

1. トリビシ周辺でBHLが見たもの。予想に反するグルジア軍の不在。真新しい制服を着用した兵士。ロシアの戦車部隊がトリビシに来るという噂と混乱。ロシア軍との遭遇。負傷したオセチアの農民の語るロシア兵による残虐の事実。
2. ゴリ周辺でBHLが見たもの。打って変わって緊張した状況。側溝に落ちたグルジアのジープ、燃えたタンク。チェック・ポイントで取材を拒否されるが、エストニア大使の車に同乗して通過し、ゴリに到着。火災を目撃。照明弾と爆発音。空っぽな略奪された都市。
3. サーカシビリ大統領との対面。閣僚達の印象批評。大統領の熱弁。
4. カスピでBHLが見たもの。橋、駅の破壊。5台の戦車。
5. 疲れた様子のサーカシビリと対面。和平案への不満をもらす。夜を徹して文書を読むがグルジアの領土一体性の言及がないことに仰天。ホテルで出会ったリチャード・ホルブルックのセリフ。

以上がだいたいこの文章の概略です。BHLが見たとされるものの記述の間に様々な独語やら内省やらがあちこちに散りばめられ、全体としてロシアの非道を糾弾し、西洋の救援を呼びかけるメッセージとして作文されています。メッセージの中心は3のサーカシビリの熱弁と5のホルブルックのセリフにあるといっていいでしょう。前者ではBTCパイプラインが奪われた場合に欧州は100%ロシアに資源を依存することになるぞという例の話とイランとロシアが接近した場合、この枢軸に対して西洋はいかに立ち向かうのかという脅しです。イスラム原理主義とスターリン主義が組んだら怖いでしょうということです。後者はミュンヘン協定の臭いがするというたびたび言及される例です。こちらはナチスで、要は「悪」の三点セットですね。

BHLがグリュックスマンとともに先日のNATO首脳会談の際にグルジア、ウクライナの加盟を訴えた手紙は前に紹介しました。68年5月に大学で暴れ回っていた一人であったのが、その後自らが影響下にあった「68年の思想」との格闘の末にサルトルの再発見を経ていつの間にか西洋文明の守護者に転進することになったという屈曲した遍歴を辿った彼の思想的立場について詳述する暇も知識もないのですが、ネオコンのフランス版みたいなものと言ってもそれほどはずれていないと思います。ネオコン批判もしていますし、同世代の他の文化人達とも微妙に異なる声色で歌っていはいるのですけれどもね。ともかくこの主張そのものは普段から言っていることです。この文章は「私」を主語としていて徹頭徹尾主観的な文体で綴られており、読者は書き手に感情移入することである種の「臨場感」を味わうことができるといった趣向になっています。

まず一読した瞬間にあーあと思ったことを白状しておきます。私は書き手自身が「戦地」に身をおいて視点人物にとどまって自分が見た物についてあれやこれや主観的に考察し、読者を感情移入に巻き込むといった手法で書かれた記事を信用しないだけではなくどうやら嫌悪しているようなのです。この記事はル・モンドでは「哲学者、エッセイスト」の「証言(le temoignage)」と分類されていて、通常の事実報道や分析報道とは別枠にされています。あいつをグルジアに連れて行ってなんか書かせてやれよ、面白い事書くかもしれないから、といった企画なのでしょうか。ですからこれは通常のジャーナリズムの倫理やルールの問題ではなく、哲学者なり批評家なりの政治的証言文学の倫理の問題ということになります。「私が見なかったもの」への想像力や「私は本当に見たのか」という省察を欠いたこうした「私は見たのだ」式の書き物を恥ずかしげもなく披露する書き手の認識論的居直りに対する苛立ちとでもいったらいいのでしょうか。コソボの時のスーザン・ソンタグもそんな感じでした。なおこれは政治的立場や主張内容の是非論とは違います。ロシアの非道を批判し、NATOの介入を訴えるのはそれはそれで一向に構わない。それはそれで立派な考えだと思います。問題はこのスタイルです。本人の主観的な誠実性とは別にこのスタイルそのものが本質的に不誠実に私には感じられるのですね。

とはいえ嫌いだからといって大上段に倫理を振りかざすのはどうなんだろう、まあ、こういうジャンルもジャンルとしてあってもいいんじゃないか、個々の作品ごとに出来不出来を評価すればいいのでジャンルとして否定するのはいささか性急ではないかと思い直したりしていたのであります。そして私のこの記事に対する評価は下の下というものでした。ヴォイスの選択といい、人物描写の平板さといい、とうてい世界の複雑性を開示するような文章ではなく程度の低いプロパガンダに過ぎないと。が、事態は思わぬ方向に展開したようです。「私が見なかったもの」への想像力の欠如どころか「私が見なかったもの」を「私が見た」と書いていた、すなわちこの記事に虚偽が含まれていたという疑惑が持ち上がっているようなのです。

またしてもインターネット新聞Rue89なのですが、本当にここは元気ですねえ。最近では大手メディアよりも強力になりつつあるような気がします。ここの「BHLはグルジアで『見たもの』のすべてを見ていなかった」という記事です。ジュリアン・マルタン、パスカル・リシェ、ダヴィド・セルブネの3人が「ジャーナリズム」の立場からBHLの記事の「ファクト・チェッキング」をしています。

まず「BHLの語っていない事柄」としてこの哲学者の2日半の旅行の背景を説明しています。8月13日水曜日にブルジェ空港発のジェット機を借りて4人の同行者とともにトビリシに向かう。正午にグルジア到着。パリの大使の知らせでグルジア大統領が通訳を送るが、この通訳が滞在中に同行した。土曜朝8時にトビリシを発つまで2日半しかグルジアに滞在しなかった。このチームはマリオ・トビリシというジャーナリスト、外交官御用達の5つ星ホテルに滞在した。この訪問は多数のフランス人ジャーナリストを驚かせたが、哲学者は自分のモチーフを隠さなかった。ロシアの鬼からグルジアの自由を守ることだと。

以下検証が進みます。ゴリ行きの白い空調付きのミニバスで路上で最初に「見た」とされるもの。

「我々が最初に遭遇した最初の重要な軍事的プレザンスはロシアの長い車列だったが、少なくとも100台の軍用車がトビリシに向かってガソリンを充填するために静かにやって来たのだった」

この文について同じ日に同じ道路を利用したヌーベル・オプセルヴァトワールの特派員のクリストフ・ボルタンスキ氏は実際に車列の数を数えたそうですが、彼によれば30台だったとのことです。

そして最大の問題となるのが彼のゴリの報告です。

「我々はゴリに到着した。都市中心部ではなかった。しかしロマイアがアウディーで負傷者回収のために出発する前に我々をおろした場所から、車輪付きのトーチカのような巨大戦車が支配する四つ辻から、我々は見渡す限りの火災を確認することができた。規則正しく間歇的に天空を照らす照明弾に短い爆発音が続いた。空虚。死の腐敗の軽やかな香り」

「ゴリはロシア人が『解放』しに来たと言い張るこのオセチアには属していない。この都市はグルジアの都市だ。ところがロシア人はこの都市を燃やし、略奪し、幻の都市の状態にしたのだ。空虚」

しかしながら記事によれば問題はBHLはゴリに到着していないこと、またゴリは燃えていなかったことにあります。BHLがグルジア国家安全保障評議会議長アレクサンドル・ロマイアらとともに最初の関門をなんとか通過したのは事実ですが、その一行の一人でBHLを同乗させるようにした欧州議会議員イスラ・ベギンの証言によると、「誰もゴリには行っていません」「都市の1.5kmの関門で足止めを食らいました」。彼女によれば燃えていたのは野原だけだそうです。潜伏するスナイパーを避けるための手段だそうです。また「腐敗の香りを感じたというけれども、私は感じなかった。ゴリは燃え、略奪され、幻の都市の状態にされていたと書いているけれども、この時、私達はそんな風には言えないはずです。というのも単に誰もそこに行っていないから。結局、私達はゴリから1.5kmのところで止められていたのだし」と真実を語っております。

また編集者のジル・ヘルツォークも「いや、我々は都市に入らなかったよ。外れにいたけれどもゴリから何キロなのかは知らない。もう夜で照明弾があがるとぼんやりと建物は見えたね。でもみんな道路の端にいたからねえ。周りに燃えている野原はあったよ」と同様の証言をしています。腐敗の香りについても「個人的にはなにも感じなかったね。でもたぶん我が友BHLは感じたんだろうさ」と。また同行中のワシントン・ポストの記者の記事は「8月13日グルジア、ゴリ郊外」と明記され、一行が都市に入らなかったことが明記されているそうです。

また金曜日に再びゴリに入ろうとした際の記述にも問題があるそうです。

「金曜朝。我々はラファエル・グリュックスマン、ジル・ヘルツォーク、欧州議会議員とともにゴリに再び行くことに決めた。サルコジとメドジェーエフの休戦協定に続いてゴリからはロシア人が撤退を開始しただろうし、グルジア人の屍体が豚と犬に委ねられたツヒンバリへ出発間際のトビリシ主教に合流できると思われたのだ」

「しかし主教を見つけることはできなかった。ロシア人は撤退などしていなかった。我々はまたゴリの20キロ手前で足止めされた。我々の前の一台の車が非正規兵の一隊にホールドアップされたが、ロシア人将校の穏やかな眼差しの下にこの一隊はジャーナリストを降ろさせ、カメラ、金銭、個人的な持ち物、それから車を奪ったのだ」

「結局、誤報だった。ロシアのプロパガンダ職人が確かにマスターとなるかに見えるいつもの誤報の駆け引きだ。それでという訳でゴリとトビリシの中間にあるカスピへ向かった。ここには欧州議会議員の通訳の家族がいて、状況は基本的にもっと安定していた」

この文ですが、同行したアンドレ・グリュックスマンがこのホールドアップについて3台の車が先に進むなとグルジア警察に止められたのだと証言しています。彼によればUNHCRの車がロシアの関門を突破したと警察官から聞いたが、このシーンは見ていない。ロシアの関門は500メートル先にあって見えなかったからと。またイスラ・ベギン議員によれば木曜日にグルジア当局から人道支援物資を運びにゴリに行けると聞いたが、金曜日には待てども待てどもロシア側からの許可が得られなかった。したがってBHLと一緒にゴリには行っていないし、主教も探していない。トビリシにずっといたが、グルジア人アシスタントとカスピの村に行く事に決めた。BHLは私のところに来て言った。「昨日もチームを組んだけど、今日もこれ続けるの」と。

またトリビシの最後の晩の大統領との対話の部分ですが、グリュックスマンによればBHLの著書「危険な純粋さ」とサルトルをめぐる哲学談義に花が咲いたそうです。憔悴し切った大統領の必死の訴えのシーンやら和平案の文書を血眼になって読みあさるシーンとはずいぶん印象が違うような気がするのは私の目の錯覚ではないようですね。

以上のようにどうやらBHLのこの作文、記憶違いと寛容な解釈をするのは困難なほどの虚偽や創作が含まれていることは明らかのようであります。そう、この哲学者はゴリには行かなかったし、炎上するゴリも見ていなかったのです。戦争のリポートに関して哲学者や文学者がジャーナリストに「勝つ」場合もあるとは思いますが(いくつか例が思い浮かびます)、どうやらこの勝負に関してはジャーナリズムの側に軍配を上げたいと思います。BHLの駄目駄目さを暴露したRue89らしい対抗ジャーナリズム魂溢れる記事でした。まあだいたいグルジアに関して今私が本当に知りたいのは「意見」などではなく「事実」なんです。本物のジャーナリストの皆様宜しくお願いします。

追記
タイトル変更。偽証→創作。この件では小説の筋や作り話を意味する語であるaffabulationが使われているようですので創作としておきました(8.24.2008)。

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