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欧州左派の後退

なんだか大仰なタイトルではありますが、欧州政治が右派の手に移っていることは皆様もご承知の通りです。欧州全体について語る能力はないのですが、いくつかの国については(特にフランス)ここに至る経緯をずっと観察していましたので生々しい現実への敏感さを欠いた政治勢力が後退してしまうのは宜なるかなという感想しか抱けませんが、内部での真摯な内省の試みや新しい方向付けの試みなどがなされているのはそれとなく観察し続けています。物事にはバランスというものがあって一方に流れ過ぎるのは好ましくないという私の中の「保守的な本能」がそうしろと告げているからですが、あんまり状況が見えていない人が多いなという印象を持ちますね。我が国については・・・なにか語るのも鬱になる感じですが、優秀で良質な部分については心の中で応援しています。余計なお世話かもしれませんけれども。

フランス左翼の後退については前にも述べましたが、出口の見えない状況は続いているようです。国民国家主義的な左翼と欧州連合主義的な左翼の対立だとか、親市場派と「左の左」の対立だとかえんえんと内輪もめをしています。そんなことをやっている場合かという気もしますが、この潜伏期間の議論で鍛え直された理念と政策をもったまともな勢力が出てくることをなんとなく希望してはいます。

French Politicsでリンクされていたリベラシオンのこの記事ではフランス知識人の類型論に基づいて社会党に提案をしています。エミール・ゾラの"J'accuse"以来の「怒れる知識人」。人権理念に基づいて不正義に立ち上がる人々ですが、皮相かつ世俗的な観察に依拠するために本質的な批判足り得ない。もう一つが古典主義時代に由来する「ハイパークリティック」。非難し、疑うことそれ自体を信条とし、体制派とも反体制派とも妥協することを潔しとせず、全体か無かの絶対の賭けにしか興味がない人々です。それから1960年代70年代に出現した「専門家」。法や経済や文化や社会の専門領域に通じ、体制派だろうが反体制派だろうが助言者として振る舞える人々で、前の類型の人々のように感情には動かされない。それで論者は第四の類型として「社会科学者」の必要を訴えています。彼らの知識は政治家が欲するものとは一見遠いが、「理念」を供給するならここからしかないと。論者自身が社会科学者なのでセルフ・プロモーションと言ってしまえばそれまでの話ですが、フランス知識人のプロフィールを戯画的によく描いているとは思います。

以下、欧州議会議員で社会党の全国書記のアンリ・ヴェーバー氏の寄稿記事「なぜ欧州では社会主義が後退しているのか」です。ローラン・ファビウスに近い人のようですが、わりと物事が見えているような印象を受けます。記事中では党内の特定の潮流とか派閥への直接的な攻撃はありませんが、フランス政界にある程度詳しい人には細かい言及が実際に誰を念頭を置いて書いているのか見抜けるでしょう。標的になっているのは頭の固い社会主義者やムードだけのPC左翼などですね。問題点の指摘はおおよそ正しいとは思いますが、欧州連合レベルでの社民主義勢力の協力というぼんやりとした提案で締めくくっているので、具体的になにをすればいいんだというつっこみの声が入るところなんでしょう。また最初に断ってはいますが、やはり各国の事情の差異は無視できないと思います。イギリス労働党とフランス社会党とでは全然違うじゃんかとか。ただなにかしら未来を見据えたまともな部類の提言に見えましたので紹介しておきます。

"Pourquoi le socialisme recule en Europe" par Henri Weber[Le Monde]
選挙の敗北が続き、戦闘的な活動家が失墜し、労組や各種団体との連携も弛緩している。たった7年前には欧州連合の15のうち13の政府が社会主義者に指導されていた。現在ではもうスペイン、ポルトガル、イギリス─あとどのぐらいの期間?─だけだ。勿論、こうした結果は慎重に分析されなくてはならない。各国の国政選挙はそれぞれの固有性を持つからだ。それにもかかわらず一般的傾向は明瞭であり、これを否定するのは馬鹿げているだろう。

1996年から2006年のこのバラの波の退潮には多数の理由がある。連続した複数の任期を務めた後の権力の当然の摩滅が引き合いに出された(イギリスのトニー・ブレア、スウェーデンのヨーラン・ペーション)。犯罪、無作法、崩壊する個人主義の高まりに直面して、社会、とりわけ庶民階級(classes populaires)に発する秩序の要求に説得的に応答する能力の欠如、また移民の波とその統合を制御する哀れなまでの無能さだ。左翼が敗北したのは右翼が勝利したからだということも確認された。右翼はその言説、姿勢、指導者、コミュニケーションと同盟の戦略を更新することに成功したのだ。スウェーデンのフレドリック・ラインフェルト、フランスのニコラ・サルコジ、イギリスのディヴィッド・キャメロン、ドイツのアンゲラ・メルケルはこうした時代に適応した人物達だ。

こうした要因のすべてが重要ではあるが、根本的な理由はより深いところにある。それは1990年代に結ばれた「危機への社民主義的な妥協」の衰滅にあるのだ。そしてまた世紀の変わり目に欧州の社会党や社民党が非協力的な仕方で実現せざるを得なかった各国の戦略の行き詰まりにあるのだ。新しい歴史の挑戦─グローバル化、経済の金融化、知識経済への移行、新興国のパワーの上昇、人口の高齢化、賃金制度の断片化、福祉国家の官僚化と貧困化─に対面した欧州の社会主義者はそれぞれに新しい社会契約を受け入れた。この防衛的な妥協は3つの要素を結合したものだった。

経済の控えめな自由化。我々の「混合経済」にあって公的セクターの比重が縮減され、商業的な私的セクターの比重が強化された。企業家国家がレガリア国家(état regalien)のために後退した。社会主義者は、失業、健康、年金に関して「賃金の調整」と既得権の「再構成」を認め、労働コストの、とりわけ非熟練労働のコストの低下に協力することを受け入れた。それと引き換えに社会主義者は投資と技術革新によって新たな国際的分業において我々の社会がよりよく専門化することを企業トップに期待した。完全雇用と「よき雇用」を保証するためのあらゆる活動領域での「全体での上昇」である。

1990年代の妥協の二つ目の柱は現代化のコストの分散化であった。これは個人に負担がかかるべきではなく、国民的共同体が引き受けるべきものだった。それゆえ高い水準の源泉徴収と社会的再配分、質の高い公的サービスと緩和されても維持された福祉国家、社会的パートナーの動員が要請された。

社会的進歩主義の表明が三番目の柱をなした。社会主義者は道徳風習の自由化、男女平等、同性愛カップルの結婚、尊厳死の権利、生活環境の防衛のチャンピオンだった。彼らは政治的エコロジーの寄与をプログラムに組み込んだ。こうした提案が1990年代後半の各国の社会党の成功を可能にしたが、その結果に直面することになった。社会防衛的妥協は不平等の拡大、プレカリア労働の増大、社会保護の水準の低下、「ワーキングプア」の増加を防ぐことが出来なかったのだ。

我々が参入したグローバル化の新しい時代は、エネルギー、食料、原料価格の上昇、反復する金融、経済危機をともなうが、この戦績を改善しないだろう。もし政権につくことを望むならば、欧州の社民主義は新たな政治的提案をしなければならない。それは欧州連合のレベルで構想され、経済的目的を超えた文明の構想を体現するものでなくてはならない。グローバル資本主義の挑戦には大陸レベルでなければ有効に応じられないことを社会主義者は知っている。しかしこの仕事の困難に対面して彼らは実際には国家的な─たいてい非協力的な─戦略に後退した。

ドイツの社会主義者は「サイト・ドイツ」(?site Allemagne)の工業と輸出の力を救うために重い犠牲を受け入れた。このサイトはとりわけ欧州の他の国々における市場の取り分を得た。イギリスの労働党はイギリスを金融業の選ばれた土地にするために不公正な税制と極端な労働の柔軟性を維持した。このリストは長々と続けられるし、フランスの社会主義者も例外ではない。こうした「各自が各自のために」の政策は一時的にはそれぞれによい効果をもたらし得たが、全体に対しては有害であることが明らかとなった。欧州連合はここ15年弱い成長と高い失業率のゾーンだった。

最後の分析として社民主義の危機はグローバル化の挑戦に欧州としての応答を実現する能力の欠如に起因している。その復活は欧州の再活性化と新たな方向付けを経た上のものだ。かくして高く持続的な成長、社会的リスクに対する雇用者の保護、温暖化との戦い、移民の管理、グローバル資本主義の規制(といったアジェンダ)がより意志的でより野心的でより社会的なひとつの連合というものを要請するのだ。

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