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佐賀藩の位置

幕末維新と佐賀藩?日本西洋化の原点 (中公新書 1958)Book幕末維新と佐賀藩?日本西洋化の原点 (中公新書 1958)

著者:毛利 敏彦

販売元:中央公論新社
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本書は論争の書である「明治六年政変」(同新書)で知られる日本近代史家の手になる幕末維新期の佐賀藩の位置づけを問い直すという主旨の新書です。私はいわゆる幕末マニアではないのですが、歴史好きですのでこの時期にもそれなりに関心はあります。薩長土肥と言われるわりには影の薄い佐賀藩ですが、地域史家の杉谷昭氏の著作からこの渋い藩には以前から惹かれるものがありましたので手にとりました。感想を一言で言えば佐賀藩史としてはやや物足りないが、この藩の重要性を一般に訴える意味において価値のある新書といったところです。この時期に関心のある方にはおすすめしておきます。全体は「徳川国際秩序」(「鎖国」の言い換え)における長崎御番という特異な位置、幕末における藩主鍋島閑叟(かんそう)の藩政改革、司法卿江藤新平の司法、教育改革、最後に佐賀の乱を論じるという構成になっています。

著者によれば、日本社会を後戻り不可能なまでに根底から変貌させた明治維新の引き金を引いたのは「西洋の衝撃」であるが、この「衝撃」とは具体的には黒船に象徴される鉄製大砲と蒸気機関であった。この技術的優位が西洋諸国をして非西洋諸国の植民地化と資本主義世界市場の形成を可能せしめたものであり、日本の開明的な指導者は「夷の術を以て夷を制す」という当時可能なる唯一の戦略をとることで日本の近代史は幕を開くことになった。したがって鉄製大砲の製造、運用技術の体系的な導入は明治維新史において主軸となる事業であるはずだ。その意味において鍋島閑叟の果たした役割はもっと注目されなくてはならないと。

「徳川国際秩序」において唯一の国際色豊かな都市長崎の御番をあずかる「百日大名」(参勤交代が百日に制限)の誉れを得ていた佐賀藩は江戸時代を通じて外国に対して開かれた土地であり続けた訳ですから、幕末の国際情勢の急変に最も敏感に反応したのがこの藩であったことも当然のことでしょう。鍋島閑叟は藩主に就任するや否や長崎視察とオランダ船乗り込みを実施し、以後これを恒例化するという破天荒な人物であったこと、医学寮を西洋医学のセンターとしたこと、いち早く高島流砲術(洋流と和流の折衷)を導入したことなどが言及されますが、これはすべて天保年間の微睡みの時期になされたことに著者は注意を喚起しています。アヘン戦争の衝撃にもっとも敏感に反応したのも閑叟で、青銅製大砲から鉄製大砲への転換を押し進め、「火術方」を設置し、開発研究、製造や砲術、銃隊訓練センターにし、オランダ国書を携えた使節の開国要求に対しては長崎防衛構想を練り上げ、幕府とは別に単独で長崎沖合砲台を神ノ島、伊王島に設置します。かくして当時の技術の総決算とも言うべき沖合砲台が完成したのはペリー来航の前年のことで、以後、アームストロング砲、蒸気機関、蒸気船の開発に成功した先進的科学技術を保持する藩として名を馳せることになります。

その火力において特異な地位を占めつつも「肥前の妖怪」と呼ばれた閑叟が主要な政治勢力から距離を保ち続けた老獪な政治家であったことが維新史における佐賀藩の存在感の希薄さの原因となった訳ですが、この洋学の伝統の強い藩は明治の国づくりにあたっても技術者のみならず優秀な人材を輩出し続けます。その代表者として著者が本書でとりあげているのが江藤新平です。江藤の業績については著者は「江藤新平」(同新書)で既に論じていますので、この新書では藩主鍋島閑叟とのつながりが強調されています。上の新書と同じく江藤は日本の「人権の父」として描かれていますが、司法と教育の近代化、さらには日本という国民国家の形成においてこの鋭利な知性が果たした役割が絶賛調で論じられていきます。私自身の感想を差し挟んでおきますと、著者の江藤新平評についてはいささか陰影が乏しいかなあといったところです。その輝かしい業績に疑問を抱く者ではありませんが、もう少し幅のある人のような印象も受けるからです。

江藤を論じるところで本書の論述は佐賀藩を離れてしまうのですが、佐賀の乱と江藤の悲劇的最期のところでまたこの土地に議論が戻ります。この経緯は著者の「明治6年政変」の枠組みが踏襲されています。すなわちこの政変を「征韓論政変」とはみなすべきではないという議論です。この議論の入り組んだ論争史についてはここではパスしますが、いずれにせよ、この薩長勢力の再結集と土肥勢力の駆逐をねらった政変によって江藤新平は貧乏クジを引くことになります。いわゆる「佐賀の乱」については著者は江藤には反乱の意図はなかったとしています。下野の後に民選議員設立建白書の提出に加わった江藤は直ぐに佐賀に戻りますが、この土地で自由民権運動を組織化しようとしたものと著者は推測しています。この時期征韓論をめぐって一部士族が騒ぐ程度で佐賀の治安はごく安定しており、江藤自身この士族達と距離をとり、長崎に静養していたにもかかわらず、東京では武力討伐論が優勢を占めた訳ですが、著者はこの原因を大久保利通の嫉妬という個人心理に帰しています。この点はかなり弱い議論に思われますが、いずれにせよ政治的抹殺には違いないのでしょう。

かくして著者によれば近代日本の形成において果たした役割において鍋島閑叟や江藤新平に比べるならば人気の坂本龍馬、高杉晋作、新撰組や白虎隊などは派手だが「歴史の端役」に過ぎない。そしてこの不当な軽視は佐賀の乱(本書では「佐賀戦争」)の後遺症によるものであり、彼らを軸にして維新史は見直されるべきであると結論づけています。私はまずまず面白かったのですが、江藤を論じるあたりから佐賀藩からフォーカスが外れてしまうところが物足りなさの原因なのかもしれません。軍事史的な観点をもっと導入したならば藩としての存在感をもっと説得的に描けたのだろうかとも思います。いずれにせよ維新史において正当な評価がなされていない人物達は他にもいるはずで今後も問題関心の変化に応じて読み直しの作業は続くのでしょうね。

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コメント

つい先日昔のNHK大河ドラマ「獅子の時代」(NHK大河唯一のオリジナル脚本でホンは山田太一)について知人と会話したばかりなので、偶然ながらびっくりしました。

投稿: Aceface | 2008年8月30日 (土) 01時27分

「獅子の時代」は名前は聞いたことがありますが未見です。あまり大河っぽくない大河のようですね。本当は近現代史をやってほしいのですが、幕末維新モノも渋いネタをどんどん投入すればもっと面白いドラマにできると思いますね。

投稿: mozu | 2008年8月30日 (土) 15時47分

佐賀藩というのはどうも影が薄い印象がありますが、佐賀藩の中に日陰志向があるんでしょうか。葉隠れというくらいですから。

投稿: arz2bee | 2008年9月 1日 (月) 22時05分

そうでした、佐賀は葉隠れの藩でした。なかなか輝かしい業績をあげている藩だと思うのですが、運が良くなかったということなんでしょうね。

投稿: mozu | 2008年9月 1日 (月) 22時15分

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