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追悼ねえ

ふう。8月15日ですか。なんの感慨もないですねえ。

MDシステム配備計画で米・ポーランド大筋合意[AFP]
すごい判りやすいタイミングで来ました。これから連鎖的にいろいろな動きが出てくるでしょう。短期的にはともかく中長期的にはこのままいくと欧州の東西の溝は広がっていきそうに見えます。それはアメリカの方が頼りになるんですから当たり前です。これは理念云々ではどうにもならない話です。しかしアイランドのノンといい、次から次に衝撃が来ますねえ。サルコジ、がんばっていると思うのですけどねえ。ここは踏ん張りどころですね。

終戦から63年、戦没者追悼式[読売]
先の大戦の戦没者に追悼を捧げる気持ちは勿論私にも十二分にあるのですが、この記念のあり方に不満を覚えている自分がいるのも確かだったりします。8月15日の形成のされ方については話題になった佐藤卓巳氏の新書もありますが、氏の語るように9月2日も教えればいいという話でもないような気もしています。そもそも私はあまりこの手の記念行事というのは好きではないのでして私なりの追悼の形を探していくことにしましょうか。

太田農水相、保岡法相が靖国参拝 小泉・安倍両氏も[朝日]
"Japan's PM stays away from shrine"[BBC]
こちらはこちらで相変わらずですね。このネタとりあげているのは私の見た限りでは通信社を除けばBBCだけですが、相変わらずエグいですね。コスプレ禁止にしたらどうですか、靖国さん。私にはこの奇矯な人達はただただ境内を汚しているだけにしか見えないんですけどね。昔は笑っていましたけど最近では腹が立ちます。なお私は靖国に対してはアンビバレントな立場でして、ニュアンスを全く欠いた非難には不満を抱く一方で、現状には満足していないのです。そういう人もけっこういると思うのですがね。極端な人々が大騒ぎをしてその他大勢が怖じ気づいて口を噤むというのはよくないと思うので言っておきますと、やはり誰を祀るのかという問題はありますよね。東京裁判云々は別の話として。いわゆる植民地兵や賊軍の問題も含めて。私にはもうこれは「霊璽簿」という顕名制度を止めることですべて終了させるしかないような気がするんですよね。「祖国のために尊い命を捧げた人々すべて」というように匿名化して(「無名兵士の墓」の無名は匿名のことですよね)、後は皆が皆自分の思いで祈るという形です。日本の宗教的伝統から言ってもこの顕名制度が異質な感じがするのは、厚生官僚的なロジックからこのシステムが来ているように見えるからだと思うのです。政治的譲歩みたいに見えないようにして実現できないでしょうかね。・・・難しそうですね。ただ外圧に対してつっぱっているうちに中長期的には国内の支持層が濃い人しか残らなくなるという可能性もない訳ではない。それはよくないことではないですか。これ読んでそうとう頭に来る人もいるかもしれませんが、私も私なりにこの問題はいろいろ考えてとりあえず言っておきたいのです。やはり他の場所という訳にはいかない「約束の地」なんだろう。あまり政治にまみれてほしくないなと。なお私自身は私なりの追悼の仕方を編み出したい気持ちもあります。大岡昇平的なあり方の一部を加藤典洋などを経由させずにアクロバティックに世代間継承できないかなというような問題意識です。でもこれはまったく私個人の話ですね。

「8月15日」 東洋学園大学准教授 櫻田淳[産経]
いろいろ見て回ったのですが、なにか腑に落ちる感じがあったのは櫻田淳氏の論説ぐらいでした。「正論左派」としてのお役目を立派に果たされているようです。保守と反動との境目はなにか、実績に対する余裕と自信があるかないか、具体論か観念論かだというとても氏らしい内容です。こういう明るい認識というのは優れた保守主義者に共通する資質のような気がします。残念ながらとうてい手の届かないところにある境地です。

毎日新聞問題は「セクハラ問題」であるとの認識[Tech Mom Silicon Valley]
「敵」を見誤った毎日新聞[ガ島通信]
噫、つまらぬ展開だと言いましたが、それは愚か者が大量に入ってきてすっかり荒れたからでして「主婦層」(主婦だけでなく会社勤めの女性が多い印象を受けますけど。まあ判りませんけれどもね)には声援を送ってきました。心の中で応援していただけなので使えないやつなんですがね。そこにはあまり空想的な要素がなく、その怒りには根拠があると思ったからです。実は今回初めて見たのですが、まあなんといいますか、その戦術論的的確性といい、荒らしや誤誘導のあしらいぶりといい、行動力といい、驚嘆させられるものがありましたね。いったいどこでゲリラ戦の極意を学んだのでしょう。繰り返しますと、私にとっては外国からどう見られるかという問題は二義的な問題に過ぎず、我が国のメディアの無責任体質やこういう記事を平気で通してしまう企業体質が問題な訳です。海外メディアも最終的には日本のメディアの情報網に依存しているのですから(自分で取材するまともなジャーナリストなど今や数えるほどしかいないですから)日本のメディアのあり方が見直されることがとりあえずは一番重要なことです。要はこの件を契機にして我が国のメディア環境が幾分かましになってくれないと私には心底つまらないのです。でないと同じ事の繰り返しです。ありもしない黒幕探しをしている暇があったら、奮起してよりよい紙面づくりに励んで下さい。ちなみに私にはこういう事件を許した背景には日本の左翼アナーキスト文化のミソジニックな暗黒面が関わっているように感じられますがね。まあ感じです。

ではでは。

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コメント

「私にとっては外国からどう見られるかという問題は二義的な問題に過ぎず、我が国のメディアの無責任体質やこういう記事を平気で通してしまう企業体質が問題な訳です」

たしかに我が国のメディアの無責任体質も大きいですね。と、同時に、海外のメディアの偏見に満ちた無責任体質の問題も大きいと思います。
 お坊ちゃんにみられたい、とか、いいとこの出とみられたいとか、よくみられたいとかいう、そういう見栄のレベルではなく、人種差別に近いといえようような偏見からの論述にはウンザリします。
 
 靖国のコスプレはまたかいな、という感じがしますね。写真の髭のおじいさんはともかく、若手のコスプレーヤーは戦争にいったわけでもないでしょう。だからこそ、コスプレーヤーなのかもしれませんが。

 前にもこの件に関しては、ネットで会話しましたが、私は靖国に対して個人的におもいいれはない。mozuさんのおっしゃる匿名制度はいい案かもしれませんね。そもそも、ろうそくの炎ののように一体になっている、と言っているのですから、その解釈も無理はない。
 

投稿: 空 | 2008年8月16日 (土) 10時36分

>と、同時に、海外のメディアの偏見に満ちた無責任体質の問題も大きいと思います。
ええ、そうですね。事実誤認訂正や人種偏見を助長するような文章を指摘するメール魔と化しています。まあそのうち本気で「事件化」してやろうとかとも思い始めていますがね。ただまずは国内の病根を除去しないと仕方がない。アジア報道全般に問題がありますが、日本が特にひどいのは、自覚的、無自覚的なコラボの存在が大きいです。

匿名制度にしなくとも個人情報保護法的ロジックで合祀者名簿を秘匿するという手もあると思いますがね。それ以外にあそこにはなんの具体物もない訳ですから。ただ合祀をめぐっては国外のみならず国内においても不満を生む原因になっていますから、そこは宗教組織としてのある成熟があっていいんじゃないかと思うのです。こういう部分は官弊社時代の官僚主義の残滓に見えてしまいます。

国営化して無名兵士の墓化する案に一時傾斜していたのですが、理が勝り過ぎて大衆の心情を汲んでいないかもとちょっと思い直しているところですね。こういう問題は多くが納得しないようでは後に大きな禍根を残すことになりますから。

「追悼の失敗」というのは政治的にはけっこう危ういと思います。日本だからなんとかなっていますけれどもね。原理的な反国民国家主義者は政治的に甘過ぎますね。追悼の賭け金を必要以上に上げて、世論の一部を硬化させているのが自分自身なんだということに自覚的になってほしい。またいつものごとく日本以外は全部スルーのタブスタもどうにかしてほしい。まあ、島国根性なんですよ、この人々もね。

投稿: mozu | 2008年8月16日 (土) 12時07分

「宗教組織としてのある成熟があっていいんじゃないかと思うのです」

→賛成ですね。

投稿: 空 | 2008年8月16日 (土) 13時28分

珍しく?主張されていますね。
 私にはどうして神社なのかが分かりません。何を測定しているのか知りませんが、リトマス試験紙のように使われていますね。
 追悼する気持ちはありますが、追悼を表す気持ちはありません。

投稿: arz2bee | 2008年8月17日 (日) 23時38分

ブログ通信簿の影響という訳ではないのですが、8月15日のおまけのコメントぐらいで受け取っていただけますと幸いです。これだけ政治問題化してしまうとなんらかの具体的な解決を探すしかないように思えます。こういうイデオロギーや感情論の絡む話には本当はあまり踏み込みたくはないのですが、公共的問題について私は知らないという態度もとりたくない。私個人の追悼については書いた通りでして8月15日や靖国や広島とは無関係に自分なりにしたいと思います。勿論全国民が靖国の前で頭を垂れろなどと言っている訳ではなく、行きたい人は行けばいいし、行きたくない人は行かなければいい、ただ参拝するという行為そのものが必要以上に政治的含意を持ち、国際問題化する現状を変えていくにはどうしたらいいのかと考えるとこうするしかないような気がしています。

イデオロギーの徒を別にすれば、靖国参拝者のほとんどは非政治的な人々であそこが「約束の地」だからという以上の動機はないと思います。彼らが静かに参拝する権利は保護されなくてはならない。ぎゃあぎゃあ喚いている連中には右であれ左であれ嫌悪しか感じません。ただこの問題がこじれると反発を強める人々が増えていくことになるように思います。それがよくない形でのナショナリズムとして現れるのは困るなあという危惧のようなものもないではありません。敗戦国のドイツも含めて兵士の追悼はどこの国でもなんということもなくやっていることですからね。妙に意味が重くなってしまっている状況は不健全かつ不安定だと思います。

リプライというよりも追記みたいになってしまいましたが、コメント欄で私の意図を捕捉説明させていただきました。ご了解ください。

投稿: mozu | 2008年8月18日 (月) 00時10分

お考え理解できたと思います。さほど小生と違いません。
 イデオロギーから自由な深閑とした追悼の場所が用意できないのは、未だ学習せずということでしょうか。日本人には問題のプライオリティを見極めて決断する力が足りないように思えます。
 どうして神社なのか、私にはよくわかりません。
 

投稿: arz2bee | 2008年8月18日 (月) 20時38分

いろいろな追悼の仕方があってよい、と思います。
神社ではなく、自分の部屋で追悼する自由もある。
それを戦死者の追悼ということで、戦争を賛美しているとか、わめき立てられる筋合いはない。霊魂を信じる馬鹿者だと、批難するのもおかしい。そんなことで、大騒ぎして魔女狩りする社会はやはり、異様な社会だと思います。自分なりに静謐に追悼する自由は守っていかなければならない。

同じにように、墓参りしてもよい。神社にいってもよい。靖国神社に参拝する人々はそれが「約束の地」だからと思いますが、内心はわからない。わからないけど、靖国にいって黙祷して、心の対話をする自由はある。追悼参拝者の思惑をとやかくいう社会はやはりおかしい、と思う。
神社の宮司の発言に文句がある、あるいは、記念館に不平がある、というのはこれは、これでいい。年がら年中批判するのが筋である。それを追悼参拝者が多いときに大騒ぎするのは、やはり、移動の自由、思想の自由、宗教の自由を侵害する行為とみなされてもいたしかたない。

 国家としての追悼ということなら、これは神社はまずい、と思う。霊魂としての死者への追悼というのもやはり、宗教がかってしまうおそれがある。

投稿: | 2008年8月19日 (火) 10時09分

一般人は別にして、政治家や論壇人に関して言えば、そもそもこんな風にぐだぐだになったのも戦後の国内の不毛なイデオロギー闘争が元凶だった訳ではやくそこから抜け出るのが第一だと思います。

>国家としての追悼ということなら、これは神社はまずい、と思う。

国家追悼するなら靖国を非宗教化するかあるいは他の場所に追悼施設をつくるか(千鳥が淵というのもありますが)のどちらかでしょうね。不謹慎かもしれませんが、今後日本人の兵士が亡くなるような場合だって想定しないといけないのですが、靖国を論じる人達がこの点を考えていないように見えるところにやはり思考の枷を感じます。プロもアンチもどうも戦後日本の諸前提の上で対立しているように見えます。その前提はもうだいぶ崩れていると思うのですけれどもね。

投稿: mozu | 2008年8月20日 (水) 01時22分

ぐだぐだになったのも戦後の国内の不毛なイデオロギー闘争が元凶だった訳ではやくそこから抜け出るのが第一だと思います。
→その通りだと思います。
ぼくは、靖国参拝派がが騒がなければ、逆に参拝は先細りしていくのではないか、という気もしています。国家レベルではなく、首相にしても誰にしても個人レベルで細々とやっていくわけですから・・・

国家レベルでやるなら、非宗教化して、なんかこう、非常に荘厳な感じでやってもらいたい。千鳥ヶ淵はいったことないですが、ちょっとちゃちい感じがする。

投稿: | 2008年8月21日 (木) 00時34分

靖国参拝派
→靖国反対派

投稿: | 2008年8月21日 (木) 00時37分

>靖国反対派が騒がなければ、逆に参拝は先細りしていくのではないか
結局、宣伝をしているだけだということが判っていないみたいですね。「ネット右翼」などと言われる人々も一見それらしい言葉などを使っていたりしても基本的には反左翼なんですよね。私の目には彼らはオーセンティックなナショナリストにはとても見えないです。

戦後と言いましたが、80年代以降の傾向かもしれませんね。それ以前は左翼の人達も理念過剰だったにしても目の前の現実と一応格闘していた訳ですから。彼らの主戦場が過去しかなくなったのはこの頃からだと思います。そしてこれは日本に限らない現象です。欧州でも90年代は記憶の戦争に明け暮れていたという印象があります。

しかし21世紀に入って現実が激しく動き出し、過去ばかり見ている場合じゃないという問題意識があちらの左翼にはあるように見えますが、どうも日本左翼のみなさんは鈍感に見えます。その点では雇用や貧困の問題とか人々の生活に直接関係のある問題に関心をもつ人々が出始めているのはいいことだと思います。ただ経済学嫌いはなんとかしてほしい。あまりにも無茶苦茶なんで困ります。

投稿: mozu | 2008年8月21日 (木) 03時39分

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