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快楽亭ブラック

Electronic Journal of Contemporary Japanese Studies[ejcis]という日本研究の電子ジャーナルの存在はどれぐらいの人に知られているのか判りませんが、ここは一定の水準の記事が多くてそれほどはずれが少ないなという印象があります。寄稿者の大部分は英語圏の日本研究者ですが、日本人研究者もいますね。ただ日本語圏でここが参照されたり、ここから議論が展開したという光景も見たことがありません。なんとなくもったいないので新しいのを2本紹介しておきたいと思います。

"Transforming Security: Politics Koizumi Jun'ichiro and the Gaullist Tradition in Japan" by H.D.P. Envall[ejcis]
「日本のゴーリスム」をテーマにした論文ですが、岸信介、中曽根康弘、小泉純一郎の安全保障政策が検討されています。そもそも戦後日本にゴーリスムの伝統はあるのかという点から議論は開始されています。以下内容を要約すると、確かにゴーリスムの伝統はあるのだが、理想主義的な少数派だ。また日米同盟を受け入れている点で軍事リアリストと論じることも可能だろう。とはいえ自立(autonomy)を目指す伝統というのはあり、岸、中曽根はこうした目標を共有していた。実際には首相として日米同盟の枠組みの中で現実的にアジェンダを追求したのだが。小泉もまたこの伝統に適合する。前二者よりも自立への関心は低いようだが、憲法改正や自立外交(イラン、北朝鮮)といったゴーリスト的な政策を追求した。また小泉は安全保障に関する国内変化をもたらしたという点で前二者よりもはるかに前進した。今後ゴーリスムが日本の政策となるかどうかは未知数だが、この可能性を開いた点で小泉は重要であると。

日本の外交安全保障潮流を記述する際の用語系ですが、戦後日本には非武装中立主義、政治リアリズム、軍事リアリズム、ゴーリスムの4種類が存在したという望月氏の分類に基づいているようです。軍事リアリズムとゴーリスムの違いは前者が日米同盟を自明視しているのに対して、後者が「自主防衛」への志向を少なくとも理念において保持している点にあるようです。そして論者が強調しているのは日本のゴーリスムが国内アジェンダとの関連性が強いという点です。国内体制を変化させるためにこうしたアジェンダが追求されると。それから日米同盟との兼ね合いから自立をめぐるパラドックスがあるとしています。日米同盟の強化によるアジェンダの追求という形をとると。憲法9条と日米同盟という枠組みの中で自立を追求するのだからそうなるのは自明なのですが、英語で説明するにはここから確認しないといけない訳ですね。ただアメリカと接近することがむしろ自立性を強化するのだという考えは別にパラドックスではないと思いますけどね。この点でCIAのスパイだから岸はどうのこうの言っている人は底が浅いですね。この人はなかなか凄いです。現在のフランス的な補完的自立の道というのもないわけではないのですから。結局のところコストを考えて判断するしかない訳ですが、後者の志向も現実的にはともかく原理的に排除すべきではないと思いますね。素朴な反米主義の情念に染まった自立論には私は与しませんが、安全保障関連についてはもうタブーなく様々なオプションが検討されるべきなのは言うまでもないことだと思います。

"Narrating the Law in Japan: Rakugo in the Meiji Law Reform Debate" by McArthur, Ian[ejcis]
こちらは面白かったですね。名前しか知らなかった明治の外人落語家快楽亭ブラックと自由民権運動、明治の司法改革の関わりを探った論文です。イギリス植民地オーストラリア出身の英国籍のヘンリー・ブラックが渡日したのは1865年のことですが、新聞社のスタッフ、政治活動家、演説家、落語家として精力的な活動を展開します。自由民権運動の最高潮の時期には民権論、条約改正、監獄制度の是非、ナポレオン、吉原の廃止、開国のデメリット、治外法権、刑事訴訟手続き、コレラ予防、陪審制、政体論、課税、証拠裁判の説、米価高騰、人民と政府の関係などについて登壇して演説をしたといいます。1880年の政府の集会条例による弾圧以降はいわゆる軍談グループに参加して政治活動を続け、1890年には落語家グループに参加、真打ち快楽亭ブラックとなります。論者によれば、ブラックのキャリアは、この時期多くのかつての闘志が政治小説家になったり社会運動に参加したり新聞を創刊したりしたように、民権運動の拡散のプロセスをなぞるものであったといいます。

落語は映画登場以前の最大の大衆的娯楽であった訳ですが、論者によれば、検閲にひっかからずに自由な表現ができる柔軟なメディアであったとされます。この時代の落語家はマスにアピールする教育者、啓蒙家、エンターテイナーであり、また出現したばかりの大衆向けのいわゆる「小新聞」、さらに落語の「速記本」を含めたメディア環境はブラックのアジェンダの追求の場として相応しかった。主として落語化された英語の探偵小説やミステリー小説をレパートリーとしたといいますが、このジャンルは社会規範や司法批判の要素を含んでいます。以下論文は司法に関わる師匠の三遊亭円朝とブラックの噺の比較分析をしていますが、前者が儒教的なモラルへのノスタルジーに染められているのに対して後者が西洋化と近代性のネガティブな影響への警告を含むものの基本的に変化に楽観的であるという対照性を示しているとされます。

結論として1890年代においても寄席や速記本のオーディエンスの間では近代性が好奇心と議論の対象であったこと、西洋並みを目指した司法改革によって失われたモラルを哀惜していたことが指摘されています。最期にこのアプローチの差は近年の司法改革の議論においても同じように見られるが、一方通行の議論にならないようにするためにもこの時代の国内法と西洋諸国の法律との擦り合わせの歴史に注目すべきであるとしています。また歴史的経験から日本側からもいろいろメッセージを発することができるだろうと。

大衆メディアと民権運動、翻訳文学、テキストと口頭、在日外国人(帰化日本人)、司法改革の問題など論点は非常に多岐にわたるのですが、いわゆる外人タレントのはしりみたいな存在でもある「江戸の英国人」快楽亭ブラックという人物が単純に興味深かったですね。この人物を突き動かしていたのはフリーメーソンとしての情熱だったようですが、ここまでやる人はそれはそれで尊敬に値するように思えます。英語の世界に閉じこもっている人々に比べたらね。民権と落語というテーマは他にも論じている方がいたと記憶してますが、政治史中心の民権運動史では見逃される運動の裾野を垣間見させる面白いテーマだと思いました。演歌もそうですが、この時代はとても政治的なんですよね。しかしディケンズやモーパッサンが落語化された時代なんですよねえ。凄い時代です。

こんな感じで興味をひいた記事はまた紹介したいと思います。ジャパノロジストの成果が英語圏や研究者の狭いサークルだけで閉じているのはもったいないと思うのですね。何度かケチをつけたので誤解されているかもしれませんが敵愾心を持っている訳では全然ありません。ただアカデミシャンの間でも健全な相互批判がなされているのかどうか怪しいというのと、一般的に日本の公論との間で相互性が欠如しているのはとても問題だと思うので、その資格があるのかどうか不透明な素人にも関わらずあえてブログで紹介したりコメントしたりしている訳ですね。というわけでお気を悪くされないように願います。

ではでは。

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コメント

ここの記事は結構レベルが高いです。あるいは日本をよく知っていてリベラルでも比較的バランスの取れた記事が多いですね。

Japan Focusも面白い記事・論文はあるのですが、時々懐かしいまでの左派色に相当にずっこけるものが多いのも事実です(小田実の記事の翻訳とか・・・・・・)。

いずれにしろ海外ではオンラインジャーナルが本当に盛んになってきていますね。日本の出版業界は相当遅れていると業界にいるものとして、痛切に感じます。

投稿: tomojiro | 2008年9月11日 (木) 10時01分

明治時代の「演歌」は「演説」が禁止されたので代わりに歌で政治的主張や風刺をしたので「演歌」と呼ばれたんですよね。昔はソウルフラワーモノノケサミットのファンだったので、添田唖蝉坊の名前は知ってます。(今は彼らの政治的姿勢に嫌気が差してしまいましたがw)
初代快楽亭ブラックがそんなことをしていたとは知りませんでした。当時の落語は懐が深かったんですねえ。

投稿: Baatarism | 2008年9月11日 (木) 12時50分

>tomojiroさん
そうですね、ここは勉強になることが多いですし、バランスのとれた中和的な情報を流してくれるのでありがたいです。Japan Focusは面白い記事が掲載されることもたまにありますが、頭がくらくらするような記事が多いですね。日刊ゲンダイの翻訳とかね(笑)。日本でもオンラインジャーナルがどんどん出来てくれると私としてはありがたいです。今どこに公論があるのかさっぱり見えない状態ですからね。

投稿: mozu | 2008年9月11日 (木) 14時15分

>baatarismさん
添田唖蝉坊も名前しか知らないですね。民権運動って江戸と近代のごった煮状態でわけわからんエネルギーに満ちていてかなーり面白いですよね。私もよく知らないんですが、明治の落語は伝統文化指定された今の落語のイメージとは随分違うようです。もっとアナーキーな世界に見えますね。

投稿: mozu | 2008年9月11日 (木) 14時39分

H.D.P. Envallさんは中庸のようですが、日本ゴーリズムの議論自体、基本理解を欠いて論議されている感がします。外国人の目には、日本の自衛隊というのは、よく理解できない存在なのかもしれません。それ故、現象の表層を捉えて、ゴーリズムを議論しているだけのように見えます。国の独自性などというのは、主権国家であれば当たり前のことであり、その主権国家に当然あるべき軍隊が存在していないことが、国内議論を喚んでいる譯です。
先のコメントでも触れましたが、安倍元首相は『戦後レジームからの脱却』を公に掲げた初めての首相です。これに関する議論が無く、小泉さんなのは、矢張り翻訳された物が無い所為なのでしょうか。

投稿: chengguang | 2008年9月11日 (木) 15時57分

ここで言うゴーリスムは米国から軍事的に独立し、米国の世界戦略から独立した戦略を自ら展開することを志向する思潮を指しているのだと思うのですが、勿論戦後はその条件自体が存在していないですから表層的な観察(言葉への着目)に過ぎないと言えばそうなんだと思います。

「自主防衛」を文字通りにとれば米軍基地を撤去し、核武装して兵器も自国生産することを意味するようにとられる訳です。あるいはもっと言えば日米同盟破棄まで含めてですね。本気で言っている人が今いるとは思えないので軍事リアリストしかいないと思いますけどね。ただ言葉は大切です。「自主憲法制定」もそうですね。これだと革命をするのかということになります。

安倍さんに関してはまともな分析は見たことがないですね。やはり一年で辞められてしまったのと「戦後レジームからの脱却」というのが抽象的に響くからでしょうかね。具体的な戦略論や政策論が見え難かったのではないでしょうか。外交的にはいろいろ興味深い動きを見せていたと思いますが、種をまくところまででしたね。

投稿: mozu | 2008年9月11日 (木) 21時22分

ご返答の二段落目にある『自主防衛』『自主憲法制定』の言葉は、そのまま翻訳されるとMozuさんの解釈のようになるかもしれません。しかし、この件に関心を持つ日本人ならば、疑問なく理解する言葉だと思います。
自衛隊の英訳用語については、他国の人に質問される度に、『他人防衛』とか『自主攻撃』という名の軍隊の存在する国があるのか、と逆に訊ねています。何処の国の軍隊も自主防衛を掲げています。要は、英訳の拙劣さにあるだけの事ではないかと思います。ですから、日本語の読み書き能力と読解力のあるJapan Hand か否かの相違が大事だと痛感しています。

投稿: chengguang | 2008年9月13日 (土) 13時56分

日本という国が本当に西側にとどまるのかという点で英米圏の議論を見ていると獏たる疑念があるように感じられることがあります。それが日本人から見ると奇妙に見える解釈の原因のひとつなのかなと思ったりもしますね。

あるいは日本側にも誤解を呼ぶような論調というものがやはり少数ながら存在し、警戒心からそこに過大な意味を求めているのかもしれません。この論者がという訳ではないのですが、一般に日本を論じる方の目があまり一般的とは言えないかなり強い主張に向いてしまう傾向はいつも感じます。

ただ相手に期待するばかりでなく、やはりこちらから説明しないといけないと思います。日本側の説明不足というのは安全保障に限らずすべての領域で言えることだと思いますね。残念ながら現状の我が国のメディアにはあまり期待はできそうもないので各組織なり各個人なりが英語で発信していくしかないのでしょう。以前に比べたらずいぶん条件は整っているのに有効に利用できていないのは残念です。

投稿: mozu | 2008年9月13日 (土) 17時17分

日本に対する漠たる疑念があるとすれば、それは、日本が自主性や正当性を強く主張しない点にあります。しかし毅然とした姿勢は長い言葉よりも語るものです。ただ、そのどちらも今は見られませんが。小泉さんの受けが良かったのは、内容があったからではなく、相手に物怖じせず言葉を多用した所為ではないでしょうか。
最近はインターネットの普及により、報道される記事に関しては、意見を英語で発信されている方が増えたように思いますが、自己正当癖の強い外国人相手に、コメント投稿や個人ブログでは、中々相手の考え方を翻すのは難しいように見えます。矢張り、日本の為政者が国益に軸足に据えて、毅然たる態度を示すのが第一のように考えます。
そういう意味では、グルジア侵攻非難に対する、ロシア大統領とNATOロシア大使の反論投稿記事には、羨ましさと嫉ましさが綯い混じった感情が湧きました。

投稿: chengguang | 2008年9月14日 (日) 00時34分

そうですね。日本の政治の意思決定プロセスがとても不透明なのが余計な疑念を呼ぶ理由になっているようなので、その点小泉氏はとても判りやすかったので受けがよかったのでしょう。

コメント投稿や個人ブログでは弱いというのはその通りでしょうね。ただよく参照される優れたブログというのも少数ですが存在しています。専門家の方々にはどんどんこの環境を利用してい欲しいです。質もそうですが、情報量が圧倒的に少ない。出鱈目な記事が有力紙に掲載されてそれが信じられてしまうのもそのせいですね。英語では検証できないですから。

安全保障関連については専門の方々には英語の論文や記事をどんどん投稿してほしいなと思いますね。日本人には常識のような話でも英語圏では新鮮だったりすると思います。

投稿: mozu | 2008年9月14日 (日) 13時37分

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