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ブルマの叱咤

最近のJapan Timesはどうも日本と無関係な記事のほうが面白いような印象を受けますが、そりゃ私も長いこと日本国民をやっているわけですから、日本関連記事については同じ事件がいかに違うアングルで報じられるのかとか、なにが報じられてなにが報じられないのかその差について考えてみるとか、日本の新聞では凡庸すぎてネタになりそうもない話題が記事になっているのを見てなんとなく微笑ましく思うとか、いや、その説明はどうなのよと突っ込むとか、まあ歴史は歴史でいいですけどね、少しは愚かな政治家や珍奇な風俗以外でも現代の日本について報じてくださいよとか、まあ、異文化圏に身を置くとけっこうしんどいこともあるでしょうけど、元気だしてくださいねとか、なんだ、しょうもないやつがまた顔を出してるな、お前さんはもう反則退場だろうとか思うぐらいで、それほどの面白みを感じないのはある意味で当たり前のことなのかもしれませんが、私の最近のこの新聞への関心は書評欄を別にすればイアン・ブルマ氏の寄稿ぐらいに限られているようです。

前にも書いたような気がしますが、氏のアングラ文化へのいささか由来の不明な愛着を別にすれば(寺山修司の短歌を除くとどうも駄目みたいです)、欧州の左派のジャーナリストの中ではそれなりに買っている人です。ひとつには戦後日本の思想状況や社会状況についてよく知っていることもあって批判的な論調でも西洋左派にありがちな偏見にもとづいた形式的非難にはならないということがありますし、また日本にせよ欧州にせよ戦後の左派のあり方の問題点について自覚的であるということがあります。必ずしも意見が一致するという訳ではないのですが、欧州にせよ、日本にせよ、見ている光景はそれほど違わないような気がします。見ている光景がそれほど違わない人というのは、赤であれ白であれ黒であれなんであれ、コミュニケーション可能なものです。

でこの記事なんですが、けっこう踏み込んでいますね。以下逐語訳ではありません。

"Europeans draw wrong lesson from Munich"[Japan Times]

英国首相ネヴィル・チェンバレンのミュンヘン協定は悪名高いが、戦争に疲弊していた当時の人々はそうは考えなかった。ナチとの戦争の用意はなく、外交と妥協がより安全な選択だという考えは実際には多くの欧州人に共有されていた。しかしチェンバレンは「臆病者」の代名詞となり、ナチとの妥協はヒトラーの欧州制覇を許したと非難されている。チェンバレンはおそらく誤ったし、イギリスとフランスはドイツを止められただろう。「1938年のミュンヘン」は民主主義国の歴史で慎重な外交が誤りであった稀のケースのひとつだ。必要だったのはチャーチルのような「どんな犠牲を払ってでも」戦うことで国民の運命を賭けられるロマチックな英雄だったのだ。「歴史から学ばない者はそれを繰り返す運命にある」という有名な言葉があるが、実際には歴史は矛盾した多くの教訓を教えるし、同じような仕方で繰り返したこともない。過去に過剰に関心を向けることが道を誤らすこともある。では世界はミュンヘンからどんな教訓を得たのか。

第二次世界大戦後の西欧人はチャーチルよりもチェンバレンに近い結論を導き出した。二度の破滅的な戦争の後に西欧人は軍事的紛争を余計なものとするような諸制度を建設した。外交、妥協、共有された主権が規範となり、ロマンチックなナショナリズムは過去のものとなるだろう。廃墟の中から新しい種類の欧州は立ち上がった、平和憲法すら持った新しい種類の日本が立ち上がったように。ナショナリズムは文明的、外交的、平和的外交を発見したという気取った自己満足に席を譲った。実際に平和は維持された。しかし第二次大戦以前の国家安全保障、国際安全保障観念にしがみつく米国がこの平和を保証したからなのだ。米国ではミュンヘンは違った響きをもつ。そこではミュンヘンは自由の擁護者として歴史に名を残すことを夢見る「戦時大統領」というチャーチル的な幻想を育んだ。ミュンヘンは何度も召喚された。共産主義と戦うため、サダム・フセインを打倒するため、イランを阻止するため、「テロとの戦い」を遂行するため。

このような異なったパースペクティブが米国とその民主主義の同盟国との間で特有の緊張をもたらした。欧州人と日本人は安全を米国の軍事力に頼っているが、米国がそれを使用するやり方が気に入らない。永遠の若者のように、欧州人と日本人は偉大な父たる米国の安全保障を切望し、同時に深く父に憤っている。米国が愚かな戦争を始めたり、ガキ大将のように振る舞ってきたことは疑えない。しかしなにもミュンヘンの亡霊を召喚せずとも圧政者の相手をするのに軍事力が唯一の方法であるような場合は存在している。欧州人はセルビアの大量殺人者達に立ち上がるのに乗り気でなかった。米国人は最初はいやがったが、汚れ仕事をしなければならなかった。米国がサダム・フセインの殺し屋達をクウェートから追い出すことを決定した時には、ドイツの抗議者達は自分達は「石油のために血を流す」ことはないと叫んだものだった。

他方で欧州外交はいくつかの顕著な成功もした。欧州連合に参加させるという見込みは中欧、東欧、そしてトルコで民主主義を強化する助けとなった。こうした民主主義国のいくつかはNATOに参加し、他は絶望的なまでにそれを望んでいる。しかしNATOは欧州連合とは異なり、軍事組織だ。ここにチェンバレンの古い問題がある。欧州人は仲間のために戦争を行う用意があるのかだ。

冷戦時代にはこれは深刻なジレンマではなかった。欧州人はソビエトの侵略の際に守ってもらうべくNATOや米国に依存した。今やグルジアやウクライナがロシアを相手に血を流して守ってくれることを欧州人と米国人に期待したいのだ。この選択はあからさまなものだ。グルジア、ウクライナのために戦う用意が欧州人にあるならば、こうした国々はNATOに加盟させるべく招待されるべきだし、そうでないならば、招待されるべきではないのだ。しかし選択することなくドイツのような主要国はためらったのだ。まず美味いニンジンとしてNATO加盟をちらつかせ、次にこの提案を撤回し、米国人が後を考えずに英雄的な修辞をほしいままにするようにさせたのだ。

こうしたことが西側の同盟を一貫性を欠いたものにみせ、その莫大な富と米国の軍事力にもかかわらず、奇妙に無力なものにみせている。欧州の民主主義国にとって決心する時だ。米国の保護に依存したままで、しかし不平を言うのを止めるか、欧州を自分達で防衛する能力を高めていくのかだ。最初の選択はパクス・アメリカの黄昏にあってそれほど長い間うまくいかないだろう。二番目の選択は高くつくしリスクもある。欧州連合内部の多くの対立からいって、深刻な危機に行動することを強いられるまでは欧州人は多分混乱したままだろう。しかしその時にはもはや遅過ぎたということにもなり得るのだ。


という風に戦後欧州と戦後日本を父アメリカに依存して文句ばかりたれている永遠の若者に例えています。日本ばかりではないわけです、甘ったれているのは。家族のメタファーで国家間関係を語るのはあまり好きではないのですが、この文脈ではいいでしょうかね。依存するなら文句を言うな、じゃなきゃ自立しろと。この部分ですね。

It is time for European democracies to make up their minds. They can remain dependent on U.S. protection and stop complaining, or they can develop the capacity to defend Europe, however they wish to define it, by themselves.

非常にシンプルで力強いメッセージです。我が国には米国への敵愾心から欧州に政治的な幻想を抱く人というのはいつもいるわけですが、実は日本とそんなに変わらなかったりもするわけですね。いや、ドイツはともかく戦後も独立戦争つぶしをやったりあちこちで戦争に参加していた国とは確かに違うのですが、日本にせよ欧州にせよ、第二次世界大戦後の平和は米ソ超大国の対立構造がもたらした束の間の幸運に過ぎないのに自分達の理想が平和を実現したかのように思いたがり、さらには恥知らずにも反米主義に身を染めてしまうといっただらし無い傾向で共通する部分はあるわけです。まあどちらかというと左派の話ですけどね。右派には恥の自覚ぐらいはあるわけですから。いえ、恥を知る左派も恥知らずな右派もいますけれどもね、傾向としては言えるでしょう。ちなみにブルマ氏は早い時期から日本の「普通の国」化に賛成していましたね。

日本にまとわりついている左派というと、ここだけの話、昔は金日成の擁護をしてましたとか、いやあ、若い頃はマオイストやってましたとかいった昔の日本を叩く以外にやることがなくなった極左崩れだの、憲法9条をまるで自分が書いた宝物みたいに錯覚しているニューディーラー気取りのパターナリストだの、沖縄基地反対運動に精を出しているあなたの国籍はどこですかと聞きたくなるような平和主義者だの、国家意識など欠落した大学生に向かって日本のナショナリズムのなんたるかを教えてくれる歴史学の素養のない文化左翼だの、いかに日本社会が閉鎖的で差別的なのかをデマばかりでなくあろうことか人種主義的な修辞で訴えることによって反移民世論の高まりにのみ貢献している自称多文化主義者だの(いや、別に左派じゃないか)、日本におけるフェミニズムの弱さを嘆き、メディアにおける女性のモノ化を批判していたと思ったらwaiwai問題ではネット右翼の強迫から毎日を守れと叫ぶリベラルだのばかりをイメージするかもしれませんが、勿論そういう冗談みたいな人々ばかりではないのであって、ちゃんと物の見える左派の方もそれなりにいますのでそういう声はしっかり聞いといたほうがいいと思いますね。はい。

追記
なおこの論説の内容に必ずしも同意というわけではないです。アメリカの黄昏というのは少し気が早いように思えますし、欧州のあり方のヴィジョンもどうなんだろうなという気がします。ただありがちな論調や態度に対する批判としては判りやすく面白かったので紹介しておきました。日本にもあてはまる部分があるし、欧州のある側面がうまく描かれているように思えましたので。

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欧州情勢」カテゴリの記事

コメント

イアンさんの書かれている内容は、アメリカの主張であり、珍しい物ではありません。また、事実その通りだと思います。
グルジア問題に関し、NATOは最早役立たずだ、とイギリスの記者は書いています。とは言え、NATOが軍事同盟であることも事実で、参加を仄めかしていた日本は、同盟内容を本当に理解しているのか、不安です。
アメリカの苛立ちは既にアフガンで始まっています。アフガンでは、小澤さんの好きな国連部隊(NATO主体)の統制が取れておらず、攻撃が散発的で、タリバンの跳梁を許しています。このため、アメリカは単独行動を主張し、現に行動しつつあります。

投稿: chengguang | 2008年9月17日 (水) 23時13分

ブルマ氏はオランダ人のジャーナリスト、作家ですから欧州人として語っている点に意味がある訳ですね。左派でここまですっぱり言う人はやはり稀です。とはいえ現実には欧州連合の共同防衛構想は前途多難に見えますね。

NATOの動向は日本にも影響してくるので注視していますが、アメリカから見ると本当に歯がゆいでしょうね。ただここはちょっとやそっとでは安定する地域ではないですからね。注目されたアフガン・ミッションへのフランスの追加派兵ですが、先日部隊が派手にやられた事件はやはりショックだったようで反対世論がだいぶ強くなっていますね。日本については経済が大変なのですっかり焦点からはずれていますが、最近の外交安全保障分野の遅滞ぶりには溜息がでます。

投稿: mozu | 2008年9月18日 (木) 00時02分

ご指摘にあるように完全に人違いでした。姓名の方をいい加減に見ていてIan Bremmer氏と誤認していました。
オランダ人のブルマ氏がこの文章を書いた意図を、Mozu さんはどの様に見ているのでしょうか。

投稿: chengguang | 2008年9月18日 (木) 09時19分

政策決定とは無関係なところにいますがGuardianやNYTにコラムをもったりするそれなりに名の知られたパブリック・インテレクチュアルですからそれなりの反響はあるでしょうね。最近はこういうごりごりでない人の声が強くなっているようですし。

議長国フランスが今後進めようとしているアジェンダのひとつに欧州連合の防衛構想があって、これとNATOとの関係をどうするのかというのが今問題になっていますからこの機運にのって一石を投じようとしたのではないでしょうかね。アメリカはフランス主導で欧州が軍事的にまとまるのを警戒していたのですが、最近はサルコジへの信頼からか任せる姿勢を見せていました。ただ今度のグルジア紛争で大混乱になっているので今後どうなるのかは見えないですね。東欧は欧州連合(独仏)よりはアメリカに頼りたいでしょうからね。

今度のNATOの首脳会談では対ロシアの東欧諸国防衛が最大のテーマになるでしょうが、今後の領域外ミッションにどういう影響を与えるのかは未知数です。おっしゃるようにこれは日本に影響しますね。後は防衛費のGDP2%枠問題でしょうかね。逃げている国がたくさんありますからね。

投稿: mozu | 2008年9月18日 (木) 22時21分

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