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まだ民主主義は損なわれていない

えーと、私は別にJT叩き屋になるつもりはないんですね。バイアスのかかった不正確な記事やしょうもない誤誘導記事ばかりだけでなく興味を引く記事だって掲載されることがあるわけです。日本と関係のないイアン・ブルマ氏の記事なんですけどね(笑)。

"Austria's fear and loathing still democratic" by Ian Buruma[Japan Times]
これもまた踏み込んでいますね。イデオロギーのマントラを唱えてなにかを言ったような気になっているお気楽かつ退屈なリベラル達に比べればはるかに誠実だと思いますがね。いわゆる欧州の「右傾化」はなおも進行中であり、どうやらこのたびの危機はこの傾向を促進させることはあっても後退させることはなさそうです。リベラルなみなさんも覚醒して奮起されることを期待したいのですがねえ。奮起というのは反動しか生まないような批判主義や理想主義のことではなくて本気で敵対者とも対話し、なにが問題なのかを考えて、理念なり実効的な対策の構想なり練り直しましょうよということです。私はユーロ懐疑派的ですが、民族主義の勝利を望んでいるわけではないんですよ。なおこれはハイダー事故死の衝撃的なニュースの前に書かれたものですね。以下辞書もろくに引いていないいい加減な訳ですのでチェックしてからご使用ください。

二つの極右政党、オーストリア自由党と未来同盟が先日のオーストリア総選挙で29%の投票を獲得し、2006年選挙から議席を倍増させた。

両党ともに移民、とりわけムスリムと欧州連合に対して同様の態度を共有している。すなわち恐怖と嫌悪だ。両党の指導者のハインツ=クリスチャン・シュトラッヘとヨルグ・ハイダーが互いに軽蔑し合っているおかげで極右同盟が権力を握る可能性はほとんどない。にもかかわらず困惑させる結果だ。

この29パーセントだが、他の欧州諸国でポピュリストの極右政党が最盛期に獲得した票よりも約15%多い。自由党の指導者のシュトラッヘは政府に移民送還を管理する新省庁を創設することを希望している。ムスリムが公然と罵倒されている。ハイダーはかつてヒトラーの第三帝国の雇用慣行を称えたことがある。新しい右翼達が突撃隊員や人種立法の記憶を喚起するのは不可避だ。

しかしオーストリア右翼の台頭をナチズムの復活とみなすのは誤りだ。彼らのレトリックの一部がそれを教唆していたとしても両党ともに暴力を訴えているわけではない。極右への投票者はイデオロギーよりも不安と怨嗟に動機づけられていると考えられる。この感情は多くの欧州諸国で感じられるもので、オランダやデンマークのようなナチの伝統と無関係なものも含まれる。

デンマークでは25議席をもつ強硬右派のデンマーク人民党が第三の政党だ。「イスラム化」へのパラノイア的な恐怖に駆動されるリタ・ヴェルドンクやヘールト・ウィルダースのようなオランダのポピュリストは伝統的な政治エリート─リベラル、社民主義者、キリスト教民主主義者─に強い圧力をかけつつある。

これがポイントなのだ。欧州諸国の右翼投票者の間の最大の怨恨は多くの人々の意見によると微温的な連合の形で長く政権につき過ぎた政治エリートに向けられているが、彼らは既得権益保護のためにだけに存在しているように見えるのだ。

オーストリアでは社民主義政権とキリスト教民主主義政権の終わりなき交代が政治システムの動脈硬化をもたらし、少数政党が政治的特権の砦とみなされているものを突破することを困難にしていることはリベラルですら認めている。これは同じ中道諸政党によって何十年も統治されているオランダについても言える。慈悲深いがパターナリスティックな指導者達の「多文化主義」「寛容」「欧州」についての見解は近年まで挑戦を受けることはほとんどなかった。

欧州統合への懐疑は常に頑迷固陋、あるいは一種の人種主義として非難されてきた。国民の帰属感情は不人気な政策で説明責任を果たさないEU官僚を非難してばかりいる政府によっていっそう蝕まれた。これは移民の怨恨と結びついている。

1960年代にトルコやモロッコのような諸国から移住した単純労働者の子弟達が欧州の諸都市で巨大なムスリム少数派を形成し始めた時、労働者階級の近隣で緊張が生じた。犯罪と見慣れぬ慣習への苦情はリベラルなエリートによって「人種主義」としてしばしば無視された。人々はただ寛容であることを学ばねばならなかったのだ。

こうしたことは必ずしも悪いことではなかった。寛容、欧州統合、ナショナリズムへの不信、人種主義への警戒は称賛されるべき目標だ。しかしこうした目的を批判はおろかなんの討議もなしに推進することはバックラッシュに帰着した。オランダ人、フランス人、アイルランド人が欧州憲法を否決した際に、彼らは政治エリ−トへの不信を表明したのだ。そして「欧州」を拒否し、「イスラム化」と戦い、移民を追放することで国家主権の回復を誓うポピュリスト達はこの不信を利用しているのだ。

ゼノフォビアとショーヴィニズムの修辞は不愉快であり、オーストリアのような過去のある国では警戒すべきですらある。しかし新しいポピュリズムは今のところ非民主主義的でも反民主主義的でもない。右翼諸党派の投票民の間で最もよく聞かれるフレーズは「新鮮な空気」である。政権政党の硬直を打ち破るためにハイダーやシュトラッヘに彼らは票を投じたのだと言われている。

人々が自身のナショナル・アイデンティティー、自身の政府の主権、自身の社会の人口的、社会的趨勢に不安だとして、そうした恐怖が政治アリーナに最もよく反映されたまでなのだ。人々が自身の憂慮を暴力ではなく投票によって表明している限りは、たとえリベラルの耳には不快なものだったとしても、民主主義は深刻なまでにダメージを受けていない。

政治エリートに挑戦する事が勿論どこであれポピュリズムの本質だ。アメリカ大統領候補者は前大統領の息子であったとしても「ワシントン」に挑戦するふりをするものだ。

真のダメージは人々がエリートのみならずシステムそのものに信頼を失った時にもたらされる。これはまだ欧州では、オーストリアですら生じてはいない。

追記
via Global Talk 21
大西記者のいい記事。この人の仕事で評価するのはこれで3本目ですね。この記者はこういうネタではけっこうグッジョブをするんですよね。ただ最近の大西記者のこの路線ですが、いわゆる弱者への共感が単なる聖化の回路に陥ったり、そうでないと見なされる人々への反感に転化するというよくある罠にはまらずに社会の複雑性を複雑性として開示するような仕事になることを期待します。この記事では日本人についてのステレオタイプな退屈なおしゃべりもなく、うざったいだけの文化論的な解釈もなく、深刻ぶった定型的な社会批判の要素もそれほど前面には出ておらず、ただある人々の生を描くことを通じて戦後の歴史とともにひとつの光景が描かれています。「日本人」ではなくただ人間が描かれているような英語記事に飢えているようなので評価がやや甘くなっているかもしれないです。なお記事に登場する池田さんのような種類のノビリティーにどうにも私は弱いようです。なにかの投影なのかもしれませんが、勝利を祈って敬礼したくなります。

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コメント

ボーダレス・ワールドやグローバル・エコノミーの考えが普及し、経済の壁が取壊されていく一方で、各国政府は国境の壁を高く積み上げ出した、と感じていましたので、ナショナリズムの勃興はそれほど違和感を覚えませんでした。
ナショナリズムが民族や部族の内なる共感の共有であるならば、移民問題は移民にあるのではなく、移民してくる異民族に対して存在しています。この点を日本は曖昧にしたまま移民受け入れを論じていると思います。
移民受け入れ国にとっての問題は、自分たちの文化・制度への同調を前提にして発生しています。同調できない移民は、正に自国への異民族の侵入と異なりません。つまり武器を持たない侵略と変わりません。この意識が今の日本人には欠けているように思えてなりません。

投稿: chengguang | 2008年10月13日 (月) 12時24分

ブルマさんは微妙な書き方をされていますね。既存の多文化主義や寛容主義に対する批判が人種差別主義として受け取られる現状にあっては、こうした微妙な書き方になるのかもしれませんね。

私はヨーロッパの経済が悪くなるにつれて、移民に対する態度も硬化していくのではないか、と思っているのですが、その一方、

As for what you say about anti-immigrant sentiments and the welfare state, the evidence I see doesn't really support any such connection. The Swedish welfare state is larger than Austria's, its immigrant population is relatively bigger, and yet there is virtually no immigrant-bashing sentiment there to speak of. No, a simpler explanation for Italy, Spain and Austria is that these are all countries with histories of fascist, xenophobic government, and the same cultural factors which predisposed them to such political histories continue to remain in place
http://foreigndispatches.typepad.com/dispatches/2008/10/joerg-haider-is-dead.html

というように文化的風土にもとめる見解もあるようです。ここらへんどうなんでしょうか?(因みにコメントしているのは私ではありません)

オオニシの記事は、確かにこれを単品でみると特に、悪くはないですね。が・・・・やはり、彼の過去の日本に関する記事、彼の韓国に関して取り上げるトピック、およびその記事の内容からして、彼の記事に対してアレルギーがあるひとも多いでしょうね。ボクもその一人ですけど。もっとも、だからといってそれで単品の評価を歪めるのもちろん間違っていますけど・・・

投稿: | 2008年10月13日 (月) 12時36分

この記事にあるように欧州では多文化主義的態度が称揚されてきたわけですが、民族対立や宗教対立に対して寛容をというメッセージだけではさすがに弱いですから、同化せよ、さもなくば立ち去れという声に押される結果になっています。極右現象みたいなのは判りやすいですが、声にならない声も含めるとそうとうな広がりがあると思います。実際、どこも移民管理や同化主義の方向に舵を切っていますね。

ただ問題は一世ではなく二世に生じていますから─一世はどこでも真面目に黙々と働くものです─異文明との衝突というよりも欧州内部の問題という側面が強いと思います。実際、移民の子弟は文化的には欧州化されていますね。母国なんて行ったこともないし、内心では軽蔑していたりするわけです。ただ宗教がからんでいるのが面倒ですね。

日本はまだリアリティーがないんでしょう。欧州を見ておいたほうがいいとずっと言っているのですがね。

投稿: mozu | 2008年10月13日 (月) 13時07分

>空さん
これは福祉国家と反移民感情の関係についてのコメントみたいなのでその文脈では正しい部分もあると思いますが、文化的風土に求めるのはたぶん誤りでしょうね。ブルマ氏もここでデンマークやオランダといったファシズム的伝統とは関係ない国の例を出しています。彼らはむしろリベラル的伝統に属しています。不寛容なイスラームと戦えと。このコメントのスウェーデンでは移民バッシングがないというのは政権レベルではその通りですが、スウェーデン民主党のような極右政党はありますし、いろいろと悪い噂は聞こえますけれどもね。それから不況が深刻化したら反移民の声は確実に大きくなると私も思います。

投稿: mozu | 2008年10月13日 (月) 13時52分

>空さん
大西記者には私もだいぶ頭にきていますし、これも大西アジェンダの一部なんですけれども、悪くない仕事をしたら悪くないと言うぐらいの度量は保つよう心がけています。それはマクニール氏だろうがマッカリ氏だろうが(笑)誰だろうが同じです。

投稿: mozu | 2008年10月13日 (月) 14時06分

 移民問題ってのはどこの国でも移民がなんとなく来て、問題が大きくなってから巷間の話題になる、という趣旨のコメントが有道センセのブログにあったのですが、これは案外真実かも、と思いますね。
 ぼくもそうでしたけど、なかなか実感がないのですよ、一般人にせよ、日本の進歩的なジャーナリストにも。
 、日本の場合は欧米などの先例があるのですから、そうした例を引きながら、前もって、具体的に考えていければいいと思います。
 オオニシに関してはボクの単純な印象です。mozuさんの度量は理解しております。
 

投稿: | 2008年10月13日 (月) 18時09分

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