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封建制をめぐって

封建制の文明史観 (PHP新書)Book封建制の文明史観 (PHP新書)

著者:今谷 明

販売元:PHP研究所
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室町政治史論や天皇論で高名な今谷明氏の新書です。ビザンツに関する著書で最近は比較封建制論に関心をお持ちであることは承知しておりましたが、本書からは著者の新しい関心の在処とともに著者のよって立つ基盤のようなものが伺えます。非常に大きな史学上のテーマを扱っていますが、同時に非常にパーソナルな印象を与える不思議な書です。特定のテーマについての新書としての完成度という意味ではそれはあるいは欠点なのかもしれませんが、私のような読者はある種の感慨を与えられました。封建制についての本というのも最近はあまり見かけませんし、このテーマに関心のない方にも近代日本が過去をいかに捉えたのか、あるいは西洋人が日本の過去をいかに捉えたのかといった事柄について予備知識なしで平易な文体で読めますのでおすすめしておきます。

多岐にわたる話題を同時に扱っているので率直に申しましてやや見通しがよくないのですが、本書は文明論としての封建制と日本の封建制をめぐる言説史のふたつのテーマを同時に扱っています。実際、前者に関しては本書ではそれほど明瞭な像が与えられるわけではないのですが、我が国の近代化にとって封建制の時代は不可欠であった、それなくして日本の近代はなかったという著者の確信が本書を通じて強く伝わってきます。そのヒントとして、モンゴル帝国の進撃を食い止められたのは封建制の確立していた西欧とエジプトと日本のみであった事実(著者は単なる神風原因論を否定しています)、また「東洋的専制主義」のウィットフォーゲルと「文明の生態史観」の梅棹忠夫の説を紹介してユーラシア大陸の内陸ではなくその辺境地域たる封建制を通過した西欧と日本において近代化が展開された事実を重視しています。実際、西欧と日本の歴史の奇妙な平行性について語られることが多いわけですが、著者はこれをグローバルな枠組みの中に位置づけることを志向しているようです。

こうした壮大な文明論の展望が語られる一方で、本書のコアになっているのは封建制の言説史です。日本においては「封建」「封建的」「封建制」等の言葉が概念規定の曖昧なままに多用されたこと、またその言葉に込められた思いや評価が激しく揺れ動いたことが叙述されます。まず概念規定の曖昧さには二重の原因があって、一つは中国の「封建」と西欧のfeudalismの両者の意味の間で混乱が生じたこと、もう一つは西洋の法制史的概念としてのfeudalismと経済史的な発展段階論(ドイツ歴史学派、マルクス主義)の概念としてのfeudalismの混同があったことを上原専禄の所論を紹介して指摘しています。さらにこうした混乱に加えて単なる旧弊や固陋を意味する非難のための言葉として明治および戦後にこの語が使用されたことがこの言葉の意味の過剰を生んだ大きな原因であったとされます。

まず近代以前における封建ですが、勿論これは群県に対するところの封建という中国的意味です。周の時代に王の一族や功臣を地方に分封し、その子孫が世襲をして各地を治めたという古典の記述に倣ったもので、この王の一族による分封は中国的ないし儒教的封建観と呼ばれています。「愚管抄」にせよ「神皇正統記」にせよ「武士の世」という言葉あっても「封建」の語はなく中世で同時代を封建時代と考えたものはいないとされます。しかし江戸時代になると本居宣長を含めた国学者達が大化以前の古代を封建の時代とみなす考えが生まれたといいます。国造が世襲して地方を統治する制度を「封建」とみなすと。さらに日本の中世を「封建」と捉えた最初の例は幕末の頼山陽の「日本外史」で、鎌倉、室町の開幕を「封建の勢」と呼んでいるそうです。

西洋のfeudalismを最初に封建と訳したのは他ならぬ「文明論之概略」の福沢諭吉で明治8年(1875年)のこととされます。福沢は門閥制度=封建制ということで啓蒙家として封建制批判の急先鋒に立つわけですが、著者はここで福沢の封建制攻撃は「為にする議論」であって本音ではないというニュアンスのある解釈をしています。またアカデミックな用法でもないと。なおこの訳語はまだ定着しておらず、法学者の間では「籍土の制」とされていたのが、国会開設の頃までに徐々に「封建制」にとって代わられたそうです。しかし文明開化の反対物としての封建といった民間の議論は別にして、伝説を次々と放逐したことで通称「抹殺博士」と呼ばれた実証史学の重鎮たる重野安繹の見解たる「日本に封建の制なし」が学会の公式見解であったとされます。これが変わるのは20世紀に入ってからで福田徳三、中田薫、三浦周行の三人の巨匠によって日本に封建制が存在したことが主張され、日本中世は封建時代であることになったといいます。ここで言う封建は勿論西洋的なfeodalismの意味の封建で日本と西欧の歴史展開が類似したコースを辿ったという認識が学会で広まったとされます。ここでの封建制は全く中立的な学問的用法であったとされますが、著者はここで開国時には圧倒的に思われた落差が日清日露戦争を通じて急速に接近したという意識が日欧を類似の存在としてみなす風潮として存在したのではないかと推測しています。

ここで学会から目を転じて島崎藤村の文明論が分析されます。西洋熱に浮かされて洋行し、一時はパリの日本人コロニーの主的な存在になるのですが、英国植民地でのコロノストの横暴を目の当たりにするにつれて祖国の運命に思いを巡らせる文明批評家藤村が誕生したとされます。西洋の植民地化に抗することを可能にしたなにか強力な「組織的なもの」はなんだったのかという問いに対して日本に中世があったこと、封建時代があったことを発見するプロセスは平田篤胤の熱烈な信奉者で最後は狂死した父(「夜明け前」の主人公)とのある種の和解を伴ったようです。藤村によれば日本文明とは江戸封建制の遺産の近代化である。こうした見方は明治世代とは異なって断絶ではなく江戸と近代の連続性を重視する立場であったといいます。少し引用します。

幸いにして我が長崎は新嘉堡たることを免れたのだ。それを私は天佑の保全とのみ考えたくない。歴史的の運命の力にのみ帰したくない。その理由を辿ってみると様々なことがあろうけれども、私はその主なるものとしてわが国が封建制度の下にあったことを考えてみたい。実際わが国の今日あるは封建制度の賜物であるとも言いたい。(中略)印度でもなく支那でもないのは彼様いう時代を所有したからではないか。今日の日本文明とは、要するにわが国の封建制度が遺して置いて行ってくれたものの近代化ではないか。

こうした封建制の肯定的評価が出現する一方で大正後半にマルクス主義が導入されると再び福沢諭吉同様の封建制害悪説が復活することになります。有名な講座派と労農派の対立(「封建論争」)についても言及されていますが(明治をブルジョワ革命後とみなすのか絶対王政とみなすのかという不毛なアレ)、こうした政治的議論とは別に朝河貫一や上原専禄の学問的業績が生み出されています。

戦後は再び「封建制バッシング」の時代となるわけですが、これは敗戦原因が日本の前近代性の克服の不十分性に求められたからで学会と論壇の両者で「封建」をめぐる言説がインフレーションを起こします。しかしここでも学問的な用語ではなく旧弊や固陋と同意味で「錦の旗のように」使用されたのは明治と同じであり、戦後啓蒙派の丸山真男、大塚久雄、川島武宜等も史的唯物論の影響下にあった戦後史学の言説も同様であったとされます。上原専禄による概念整理の提言が要請されたのは、講座派的な「封建遺制」の克服が社会運動の文脈でも政治課題として取り沙汰されたような沸騰的状況であったとされます。こうした高揚した状況の中にあって駐日大使となったライシャワーは封建主義的なものを経過したことが日本の近代化を促す要因となったと説きます。専制制度に比べて法律的な権利と義務が重視され、商人と製造業者は大幅な活動範囲と保障を得られ、政治権力の外部にあっては身分志向的な倫理観よりも目的合理的な倫理観が重視される傾向があると。これは西洋史ではごく標準的な見方ですが、史的唯物論の支配下にあった当時の学会ではタブーとなる考え方だったといいます。またライシャワーを擁護した西洋中世史学者の堀米庸三は封建制を先行統一国家の崩壊の後に治安秩序を維持するために自然発生的に生まれた不可避の制度であるが、同時に先行的統一への寄生をも要請するとして天皇制度が持続した原因を説明したとされます。こうした冷静な議論が可能になり、1970年代以降は封建制の用語の使用に人々が慎重になる一方でこの語のもつ「イデオロギー性」ゆえに歴史学会でも封建制を語るのを忌避する傾向が徐々に広まるといいます。2004年には保立道久氏が封建制は西欧に固有の制度で日本中世史理解から封建制概念を放棄すべきとする本を出版するにいたって「日本に封建の制なし」に再び戻ったかのようだと述べています。大谷瑞郎氏の批判を引用しておくと、

問題の所在については(中略)きょくたんな言いかたが許されるならば、第二次世界大戦後の日本における歴史学は、「封建」というまじない文句に振廻されてきたとも言えるのではなかろうか。「封建」ということばの安易な用法が、日本についても外国についても、また、近代からさかのぼって古代にいたるまで、歴史の見かたをゆがめてきたと言っても、おそらく言いすぎにはならないであろう。そして、その背景にはいわゆる「単系的発展段階説」が伏在し、それが大きな影響を及ぼしてきたのである。

かくして「日本に封建の制なし」から「日本に封建の制あり」へ、一方では「日本の近代化の原因」、他方では「日本の近代化を阻害する要因」と日本近代史を通じて学会、論壇を巻き込んだ論争を引き起こし続けた封建制ですが、現在は鳴りを潜めている状態のようです。またこれが開国と敗戦の二度にわたる日本の自信喪失の局面で否定的に使用され、そこから自信回復する局面で肯定的に使用されるというパターンを辿った点も興味深く思われます。つまり封建制をめぐる言説史は近代日本が自身の過去にいかに対するのかという態度の動揺をきれいに反映しているわけですね。なお本書ではザビエル以来の西洋人の見た日本と封建制についての言説も日本人の言説の鏡として叙述されているのですが、興味のある方はそちらのほうは購入してご確認下さい。初めて知ったことも多かったですし、個人的に勉強になりました。最後に本書の随所からまた上原専禄氏のobituaryのエピローグあたりからはなにか個人的に伝わってしまったものがあるような気がしますが、一読者として著者が今後もスケールの大きな比較封建制論的視座から新鮮な歴史像を提示され続けますことを期待しております。

追記
大谷氏の批判ですが、状況は例えばフランスも似たようなところがありますね。あちらもマルクス主義が強かったわけで1980年代以降に封建制について語るのになにかしら白けた空気が漂うようになる点も含めて。ただなにが違うのかと言えば、日本の戦後の学会が一色に染まってしまった点ではないでしょうかね。敗戦の心理的ショックに加えて学会におけるネポティズムの問題等いろいろあるのでしょうが、あまりにも支配的論調が硬直的だったせいで、それが倒壊した後にアカデミズムの信頼そのものを一時的に失わせる結果を招いてしまったという点は今後に生かされるべき教訓に思えます。90年代以降の「歴史認識論争」があれほど熾烈かつ不毛なものになってしまった原因はやはりアカデミズムの世界の側にもあったと思います。今のドグマ的な特定論壇の論調を擁護する気はさらさらないですし、先行世代の負の遺産を苦々しく思う現役世代の方々を批判する意図もないのですが(ええと、ゾンビ除く)、戦後のアカデミズムがもう少し健全だったならばたぶんここまでひどい状況にならなかったのでしょうねえ。ふう。

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投稿: WOOTENJeri18 | 2011年8月10日 (水) 02時46分

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