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反論では弱過ぎる

"Rudd angered by Gallipoli remarks"[BBC]
日本にとって第一次世界大戦はやはりどこか対岸の火事のように—それが誤りの始めだったわけですが—記憶されている歴史事象でありますが、ガリポリ上陸作戦は後のトルコ共和国初代大統領ケマル・アタチュルクが当時零落の一途をたどっていたオスマン・トルコ側の「反乱将軍」として獅子奮迅の激闘をしたことで有名な戦いです。オーストラリア史には最近まで興味がなかったので恥ずかしながらこの戦いで敗北した側へのインパクトについて知ったのはごく最近のことでした。そういうわけで個人的にとてもタイムリーな記事でした。オーストラリアとニュージーランドのネーション意識形成にとって重要な意味を持つとされるこの戦いの評価をめぐって元首相と現首相の間でちょっとした諍いが生じているようです。記事によると、労働党の元首相のポール・キーティング氏の発言は以下。

Without seeking to simplify the then bonds of empire and the implicit sense of obligation, or to diminish the bravery of our own men, we still go on as though the nation was born again or even was redeemed there - an utter and complete nonsense.

これに対してラッド首相がガリポリはオースラリアのナショナル・アイデンティティーの一部であり、この戦いの犠牲となった兵達はプライドの源泉であり続けると批判しているとのことです。「ナショナリスト」ラッドの一面が出ていますね。記事にもあるように、この戦いで勇敢なアンザス軍兵士が無能な英軍に裏切られたという「伝説」(ママ)が旧宗主国からの独立意識の高揚に大きな役割を果たしたとされているようですね。オーストラリアのナショナル・アンデンティティー・ポリティックスもなかなかに複雑なようでそれが時に不透明に見える動きとなって現れることもあるようです。最近少し勉強し始めたばかりの素人ですのでここではあまり踏み込まないことにします。なお今日はオージー・ビーフをいただきました。牧畜業のポールさん(かどうか知りませんが)には感謝を捧げます。

"U.S. candidates vow to 're-engage' Japan"[Japan Times]
アメリカの両大統領候補の対日政策についてのJTの記事。小泉ブッシュの蜜月時代—首脳同士の個人的関係に依存する—から徐々に齟齬が大きくなっている中で日米関係をどう再定義していくのかは勿論我が国にとって死活的な問題なわけですが、関係者を除くとどうもそういう問題意識が広く共有されているようにあまり感じられないのが困ったものです。それほど濃い内容ではありませんが、ジャパン・ハンズや研究者の声が拾われているので便利な記事かもしれません。個人的にはマケイン氏よりもオバマ氏のほうが日本の国益にとってはいいのではないかと思い始めていますが、これには賛成しない方も多そうな気がします。ただ嬉しいことを言ってくれる相手が必ずしもいいパートナーとは限らないわけで、一部にある民主党アレルギーにはあまり根拠がないように思います。それもある種の対米依存心の現れだといったら叱られるのでしょうか。記事の最後にあるように問題は日本側で政権交代があった場合にどうなるかですね。やはりやらかしてしまうのかもしれません。それが致命的なものにならないことを願うばかりですが、いくらなんでもそこまで愚かではないだろうと信じたいものです。

白川日銀総裁記者会見の一問一答[朝日]

 ──与謝野馨経済財政担当相が利下げに肯定的な発言をして以降、日銀の考えが変わった印象があるが。総裁は政治的な圧力を感じたか。

 「結論から言うと、政治的なプレッシャーを感じたことは全くない。どの委員もそうだが、国会の同意を得て内閣が任命して政策委員メンバーが選ばれるが、いったんこの仕事に就くと、何を一番大事にするかと言うと、自分に託されている仕事をしっかり果たしていくという責任だ。責任は、その瞬間で評価されるのではなく、ある程度の時間を経て経済や金融の姿によって評価される。それだけに、何年何月にこういうことがあったというのは、ほとんどの人は覚えていない。自分が、ここでどういう決断をするかが、将来の金融・経済にどのような影響を与えるか、その一点で判断をしている。例えば、これだけ経済情勢が厳しい中で、政策金利を引き下げてもどれほどの効果があるのか、ということもあると思う。確かに、今、経済の大きな調整を考えると、金利だけで変化するわけではない。一方で、日本銀行は金利政策を委ねられている。自分達自身がアクションに責任を持っている立場であり、そうした立場で何をやるべきかということをギリギリ考えているということだと思う。ほかの委員の頭のなか、感情の動きをわたしが云々する話ではないが、自分の経験からして政治的なプレッシャーがあって、この際、金利を下げようと判断した人は1人もいないと断言できる」

へえ、そうなんですか(棒読み)。しかし金利の上げ下げのたびにこうも方々からノイズが発生するのは本当に困ったものです。日経も・・・。日銀がまるで高い見識をもって政策決定しているがごとく見せることが大切だと思うのですけれどもね。

"So much for the Japanese system of lifetime employment"[Coming Anarchy]
またですね。これほどの責任ある公的地位にある人間がなぜこうも不用意な個人的見解を公表したがるのか理解を絶しています。繰り返しますが、歴史は歴史家に任せろです。この「論文」は読んでいませんが、報じられている限りでは「正論」あたりのサークルの論議とさほど変わらないように見えます。仲間内の談義の臭いがします。この方はまったく存じ上げておりませんが、幕僚長がこの程度の見識では困ります。個々の論点についてコメントしませんが、この手の論調の問題を指摘するならば、それが「反論」でしかない点です。「東京裁判史観」とやらへの反論形式をとっている限りは永遠に脆弱な立場にとどまり続けるでしょう。たとえそこに実証的になにほどかの貢献があったとしてもです。戦後の支配的言説に不満があったとして事実を淡々と積み上げて単純なナラティブに複雑な現実を対置するか、より洗練された複数のパースペクティブを提示していくかのどちらか以外にはなんら生産性はないのであって粗雑な「反論」の形をとった時点で敗北してしまいます。不条理に思えてもそれが現実であることを認識してください。ともかくこういう自爆は百害あって一利無しです。拍手をおくっているむきには暗澹たるものしか感じません。あなた方はすっきりすればそれでいいのですか。政権の動きは迅速で評価に値すると思います。やはり麻生氏は外交に関してはなかなか手堅いようですね。

ではでは〜。

追記
後で読んで舌足らずに感じられましたので追記します。「歴史は歴史家に・・・」というのは単に放っておけという意味ではなくて歴史問題については国際的に通用する学者を養成することが大切だという積極的な意味合いもあります。また不用意な発言に対して批判的なのであって、一切語るべきではないという意見でもありません。ただ余程戦略的に振る舞わないとやられます。メディアも日本語圏以上に英語圏のメディアを意識したほうがいいと思います。もはや主戦場はそちらになってしまっているようですから。次に幕僚長の主張ですが、論点のすべてを全面否定するつもりはないですが、単純な誤謬に溢れていますし、自衛隊のトップクラスの主張としては幼稚過ぎると思います。こんなチープな陰謀論つかまされるなんて。最後に「正論的」論調(ひとくくりにはしませんが)については「東京裁判史観」へのアンチをやっている限り、そこから抜け出せなくなると思うのですね。東京裁判そのものはいくつかの優れた仕事によって既に「歴史化」されているわけですからもはや議論の参照点にしないほうが賢明だろうと思います。またここにこだわりだすと反米主義しか出てこないような気がするのですが。また一部の論者はその悪魔化の修辞の乱用により視点が極度に狭隘化してしまっていて対立する当の相手のイメージもそうとうに奇妙なものになっていると思います。もはやマルクス主義者全盛の時代ではないのです。アンチが強くなり過ぎると対立する当の相手をちょうど裏返したようにしてドグマ化、イデオロギー化してしまうなどとよく言われますが、その見本のような話に思えます。こういう人々に関しては、率直に申し上げまして、左翼イデオローグもろともに没落することを祈っています。

再追記
雪斎氏の軍人勅諭による批判にシビれてしまいました。まあここで226を想起するのはいささか行き過ぎかもしれないとは思いますが。今回の事件には人をして脱力させるなにかが漂っています。なおこの件についてはいろいろ読んでみていくつかの軍事ブログが一番説得的でした。

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コメント

日米関係ってのは米中関係の反射みたいなところがあって、米中がどういう関係を構築しようとしているか、によって、日本の対応を見極めたほうがいいようなところがありますよね。
 で、マケインにしろ、オバマにしろ、こればっかはやってみないと未知数ですからね。マケインになって同盟関係に配慮していただけるのはいいが、軍事的にもっとコミットしろ、といわれて日本人がどれだけついていけるか、もわかりませんしね。
http://search.japantimes.co.jp/cgi-bin/fl20081028zg.html
有道くんのところで紹介していましたが、予想通りちょこちょこってでてきましたね、麻生さんの歴史問題。
それほど盛り上がらないかもしれませんけど、幕僚長の論文で、中国がコメントをだしたり、
http://www.asahi.com/international/update/1101/TKY200811010172.html
微妙なところですね。
 

投稿: | 2008年11月 2日 (日) 09時33分

歴史に関する発言が問題だと言うなら、国として、政治家や各省の高官や官僚には、在職中の歴史発言を禁止する法律を作れば済む話です。
『歴史は歴史家に任せろ』というのは、政治家の発言については、無責任な発言により多大な損失を国家として受けていますので、よいと思いますが、それでは何故、オーストラリアの政治家の歴史発言については批判的に書かれていないのでしょうか。
それに日本の場合、戦後の歴史学会は左側の人によって占められている伝統があり、歴史家に一任では、何も変わらないと思いますが。

投稿: chengguang | 2008年11月 2日 (日) 16時46分

アンダーウッド氏は何年も前からこのネタで麻生氏をねらっていた方です。JTやJapan Focusのアーカイブに記事が大量にあります。ガーディアンにも出ていましたね。そのうち大西記者も書くでしょう。下手なコメントさえしなければ乗り切れると思います。

中国、韓国はむしろ静観していますね。歴史問題で本当の「敵」が英米豪だということが判らない限り、この手のごたごたは続くでしょう。保守派は日本左翼だの中韓だのと戦っているつもりなのかもしれませんが、相手を間違えているんだからどうしようもないです。

>括弧をつけましたが、敵は強過ぎましたね。説得すべき相手です。戦争犯罪の話ばかりが焦点化されますが、日本帝国の外交安全保障政策や国内政局についての理解はごく限られた少数の研究者を除くとひどく乏しいですからね。変な連中が突然発狂したようなイメージから得るものはなにもないわけで、今後の東アジア政策にとっても豊かな教訓に満ちている情報は同盟国間で共有されるべきでしょう。

投稿: mozu | 2008年11月 2日 (日) 16時47分

>chengguangさん

法律で禁止しろなどは言いません。それでは自由民主主義の大幅な後退になってしまいます。ただの政治技術の話です。「歴史は歴史家に任せろ」はやはり歴史問題で火傷しているフランスでよく言われるフレーズです。発言するならばその反響まで織り込んで戦略的にやってもらわないと困ります。

なぜ日本が特に問題になるのかは言うまでもないと思います。敗戦国だからです。不条理な現実というやつです。政治家その他はこの問題で政治的に争うよりも現実そのものを動かすほうが先だと思います。それと私は別に反ナショナリストではないのでこのラッド氏の発言ぐらいは政治家として理解可能です。日本の首相の靖国参拝にも、条件付きですが、私は肯定的です。この幕僚長の話はそれとは質が違うという判断です。

日本の歴史学会が左派やリベラルに占められているのは事実ですが、昔とはやはりだいぶ違います。それから保守派なり中道右派なりは国際的に通用する学者を育てる意識をもたないといけないでしょうね。論壇誌ではなく国際的に著名な歴史学雑誌に投稿できるような人材をもっと増やすのが遠回りのようで近道だと思います。実際に英語圏でもアカデミズムの世界では保守の議論でも史学のルールを守っているものは受け入れられていますから。

投稿: mozu | 2008年11月 2日 (日) 17時41分

追加
処分に関してはあるいは厳し過ぎるかもしれないとは思います。結局のところ民間に発表した論文ですから。ただ軍のトップクラスの行為としてはやはりお粗末だと思いますね。こんな風に隙を与えるべきではない。

投稿: mozu | 2008年11月 2日 (日) 19時01分

航空幕僚長の論文を読んでいませんので、mozuさんの指摘部分が何処を指しているのか判りませんが、発言自体に問題はないが、『軽率すぎる発言』は問題ありとするのは、それこそ恣意的に言論を歪めることであり、言論の自由の侵害になるのではありませんか。発言を憂慮するのであれば、夫々に既に法律がありますので、その中で追加・改定を行えば済む話だと思うのですが。
歴史家が英文で発表しようと無駄な気がします。例えばオーストラリアは戦死者の一人一人の経歴や戦闘場所とその戦闘状況などを国の事業として纏め、公開しています。この中で、日本軍による戦死は、slaughteredという言葉を使い、自分たちが日本兵を殺害した場合には、単にkilledと言う単語を用いています。
日本国として、このようなものがあるでしょうか。戦歴の地に残る慰霊碑さえ、国が面倒を見ている譯ではないので、戦友の減少と共に朽ち果てようとしています。兵站の無い戦は、勝敗が見えています。その上、力の誇示によって他民族を支配してきた民族に、他民族の理屈は通りません。欧米の人種主義を相手にするには支那式が一番です。強弁には強弁です。それを言い切る勇気と度胸が、今の日本という国に欠けているのではないでしょうか。

投稿: chengguang | 2008年11月 2日 (日) 23時19分

>発言自体に問題はないが、『軽率すぎる発言』は問題ありとするのは、それこそ恣意的に言論を歪めることであり、言論の自由の侵害になるのではありませんか。

国家指導層が自身の言葉の影響を考慮せずに好き放題言ったり書いたりするのは指導者としてのモラルに反すると思います。おっしゃるようになにが軽率でなにが軽率でないのかの線引きは文脈に依存するので恣意的です。個別に判断されるしかないので法律論ではありません。欧州のいくつかの国ではナチスや奴隷関連の発言を法的に規制していますが、私はああいうのはいやなんです。

論文ですが、すべての論点を否定はしませんが、陰謀論者のよくある事実誤認が含まれています。自衛隊の幕僚長は情報管理行政的な観点からも言動には細心の慎重さが要求される職務ですし、またここで首相が擁護した場合には外交上かなりのマイナスになったでしょうから更迭はおそらく賢明な政治的判断だったと思います。今この話でごちゃごちゃやっている暇はないでしょう。

>歴史家が英文で発表しようと無駄な気がします。

アカデミックな成果を尊重する文化はありますからやはり意味はあります。みなを承服させることなどできはしませんが、論理や事実を尊重する層はいます。例えば、小泉政権や安倍政権で大騒ぎになっていた頃、最初はめちゃくちゃな報道でしたが、徐々に日本の研究成果も反映されるように変化していきました。どうも日本研究者が動いてくださったようです。むしろ日本の報道のほうがひどかったですね。こういう話は即効性を求めるべきではなくて執念深くやるしかないと思います。事実の認識に関しては基本的に公平だと思います。

>欧米の人種主義を相手にするには支那式が一番です。強弁には強弁です。強弁には強弁です。それを言い切る勇気と度胸が、今の日本という国に欠けているのではないでしょうか。

もっと主張すべきだというのは同意しますが、私は日本が中共のレベルにまで堕ちる姿は見たくないです。それと欧米の人種主義の問題と歴史の問題は重なる部分もありますが、やはり切り離したほうがいいと思いますね。

投稿: mozu | 2008年11月 3日 (月) 01時50分

>戦歴の地に残る慰霊碑さえ、国が面倒を見ている譯ではないので、戦友の減少と共に朽ち果てようとしています。

遺骨採集事業もそうですが、私はこういう部分での戦後の政府の不誠実には非常に腹が立っています。戦争がなんであったのかについてそう簡単に結論のでないような空中戦を演じるよりも戦死者をきちんと弔ってほしい。

なおリンク先を見ていただけると判ると思いますが、英語圏でもいくぶん同情的な見方というのはあるんですね。特に軍関係者には自衛隊に対して同情的な人が多いです。

投稿: mozu | 2008年11月 3日 (月) 02時51分

くどいかなと思っていますが、お付き合い願います。
問題にしているのは、更迭理由です。『不適切な発言』と騒がれることで、閣僚も自衛隊の高官も過去に何度か辞任させられたり更迭されたりしています。この場合、『不適切』とは何に対して不適切であるのかを問題にすべきですが、『この時期に』とか『外交上』とか言うよく判らない日本的な理由でmozuさんを含め大方が納得している、そのことを問題にしています。
発言内容に問題があると言うなら、法律云々がお嫌いであれば、服務規程もあります。服務規程何項違反で更迭する、でよいのではありませんか。むしろ何も規定・規程も無いのに『その発言は拙い、立場を考えろ』という日本的発想で納得している人が、外交問題や歴史問題がを処理出来きるとは思えません。
『中共のレベルにまで堕ちる云々』と書かれていますが、英米人に理解し易いのは日本人ではなく、むしろ彼等の主張の方だと思いますが如何でしょうか。

投稿: chengguang | 2008年11月 3日 (月) 23時13分

法的に考えれば、国家公務員の私的な表現の自由の問題になるのでしょうが、原則的には違法ではないでしょうね。

メディアで報じられているこの懸賞論文への応募行為が「職務に関する意見」の公表にあたっては事前に届けを出さなければならないという自衛隊の内規に違反しているのかどうかという問題を別にしても、政治色の強い発言をする場合には自衛隊トップクラスの人間は個人の名においてではなくて国家機関の名においてするのが当然ではないでしょうか。懸賞論文に応募してみましたというのは軽挙に思えますが、これは「日本的」でしょうかね。アメリカの空軍長官が私的意見として論議を呼ぶことが予見可能な論文を軍による内容のチェックなしで不動産会社のコンクールに応募するでしょうか。違法ではないのかもしれませんが、職務意識の欠如を批判されるだろうと思いますが。

内容的に言って問題化されることを予見していないとすればどうかしていますし、もし自身の進退と引き換えに一石を投じる覚悟をもって投稿したのであればこうして問題化させたことは本望なのかもしれませんが、それによってなにを得たのでしょうか。私自身はこの方には怒りではなくて脱力してしまいます。とほほというやつです。

>むしろ何も規定・規程も無いのに『その発言は拙い、立場を考えろ』という日本的発想で納得している人が、外交問題や歴史問題がを処理出来きるとは思えません。

なにを主張するのかの内容の次元ですが、論文の内容が幼稚でこれを支持しろと言われても無理でしょう。歴史関連は問題化を抑える戦略とダメージコントロールの戦略をとるしかないでしょう。問題を大きくすることにばかり貢献する人が右にも左にも多くて困りますが、涼しい顔をしている面の顔の厚さがないといけないわけです。勿論出鱈目な主張や要求は反論し、却下すべきですが、主張すべきはより実質的な国益に関わる事柄でしょう。assertiveなのはいいですが、なにをassertするのかという点で、今回の件は有能な敵よりも無能な味方のほうが真の敵だという話だと思います。

投稿: mozu | 2008年11月 4日 (火) 05時41分

>くどいかなと思っていますが、お付き合い願います。

気になさらずにコメントしてください。私はこういうやりとりが楽しいのです。

投稿: mozu | 2008年11月 4日 (火) 22時58分

航空幕僚長の論文をよんで、初めてVenona文書のことを知り、ハルノートの作成にかかわったハリー・ホワイトがソ連のスパイだったと驚いたのですが、これはあなたの言われる「こんなチープな陰謀論」なのでしょうか?

投稿: コメント | 2008年11月 5日 (水) 17時21分

ピーター・ウェアー監督がハリウッドに行く前に
故国のオーストラリアで'81年に製作した「誓い」(原題Gallipoli)という映画があります。
見たのはずいぶん昔ですが、オーストラリアの田舎の青年が同盟国イギリスの要請に応じ自分の利害とは直接関係のない中東まで行き、命を落とすという、やるせない映画でした。

オーストラリアは、第二次大戦後はアメリカと同盟を組み、アメリカの戦争のほぼ全てに遠征軍を送るという忠勤ぶりを見せました。現在イラクからは撤退しましたが、アフガンには今でも派兵しています。この映画が公開されたころは、オーストラリア軍のベトナム帰還兵問題が大きかった頃のようなので、そうした問題も投影されているかと思います。

投稿: | 2008年11月 6日 (木) 00時51分

ヴェノナ文書はここで読めます。1990年代に公開された文書です。
http://www.nsa.gov/venona/

まず論文では「財務次官」となっていますが、「財務次官補」だと思います。ホワイトがソ連のスパイであったこと、ハルノートの作成に影響を与えたことは歴史的事実ですが、その影響というのは部分的なものにとどまったとされています。日米開戦を「共産主義者の陰謀」に帰そうとする論調がごく一部にありますが、大きな歴史の流れの中の些細な事実を過大評価しているだけだと思います。ホワイトの進言がなくとも南部仏印進駐によって強攻論に傾いたルーズベルトの対日戦略からすれば、些細な違いがあってもほぼ同様の文書になったと考えられます。またハルノートは「最後通牒」ではなく、交渉の叩き台というやつです。イラクだろうがイランだろうが北朝鮮だろうがアメリカはまずきつい要求を突きつけてから息の長い交渉を始めますが、あれです。

また例の話題になった「マオ」を根拠に日中戦争の開戦原因をコミンテルンに帰していますが、この歴史学者から総攻撃されている「マオ」を信頼する人は、同様にアイリス・チャンも信頼しないといけなくなるかもしれません。どちらも歴史学の方法論を無視した政治パンフです。開戦原因をめぐっては論争のあるところですが、現在のところ積極的に支持するには根拠に乏しい説だと考えられます。

評論家やジャーナリストと歴史学者は別人種ですのでそこは区別されないと俗説をつかまされることになります。幕僚長クラスの人にはやはり重厚かつ厳密な戦史知識を期待したくなりますので心底がっかりしてしまいました。戦史の知識があることと将として有能であることとは別の話かもしれませんけれども。

投稿: mozu | 2008年11月 6日 (木) 01時10分

オーストラリアにはガリポリ関連の映画がたくさんあるようですね。確かにイラク、アフガン派兵に関する国内論議とこの話は密接に関わっているように思えますね。ご指摘ありがとうございました。

投稿: mozu | 2008年11月 6日 (木) 01時33分

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