« デジャヴュな日々 | トップページ | 仏露の接近 »

今さらですが

戦後史のなかの日本社会党?その理想主義とは何であったのか (中公新書) Book 戦後史のなかの日本社会党?その理想主義とは何であったのか (中公新書)

著者:原 彬久

販売元:中央公論新社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

2008年の師走のこの忙しい時期に日本社会党の歴史を個人的に回顧することほど無益なことはまたとあるまいという気もしてきますが、やはり戦後政治史を回顧するにはこの政党を無視することはできません。社会党関係の書籍も折にふれてそれなりに目は通しているのでありますけれども、率直に言って少数を除くと現在の目から見て面白く思えるものはほとんどありません。本書は社会党の通史ですが、戦後政治とはなんであったのかという問題意識に貫かれているため社会党そのものに興味のない人にでも読める内容になっています。明晰かつバランスのとれた記述スタイルで非常に読みやすいですので政治に多少とも関心のある人ならば読んでおいて損はないでしょう。たぶん途中から気が滅入ってくると思いますが。一部だけ紹介します。

現在の目から見るならば、どうしてもあり得たかもしれない戦後史の視点、条件法過去の視点において回顧する他ないのですが、そうした視点から見るならば、やはり敗戦直後から片山政権時代に特に興味を惹かれます。社会党の思想的、運動的水脈は言うまでもなく戦前の無産運動に遡ります。農民労働党転じて労働農民党が分裂した結果生まれた代表的な三つの潮流たる日無系、日労系、社民系、この三派がそれぞれ後の社会党左派、中間派、右派を形作ることになった事実は著者も強調するようにこの党を理解する上で最も基本的な事実として想起されなければなりません。この三派が戦後になっても党内の路線対立や派閥対立の軸をなすことになるからです。日無系は共産党の支配を嫌った労農派マルクス主義者を中心としますが、最終的に社会主義革命を理想としている点では共産主義からさほどの距離はないイデオロギー集団です。次に日労系ですが、総力戦体制と深い結びつきを持っていた集団で岸新党いわゆる護国同志会のメンバーが多数含まれていたことでも知られています。以前紹介した雨宮氏の分類では「高度国防派」と「社会国民主義派」ですね。最後に後に民社党へと分裂することになる右派の社民系ですが、マルクス主義の影響の薄いこの集団のリーダーたる西尾末広が社会党結成の立役者であったこと、当初は社民系と日労系が中心で左派の日無系は少数派であったことが重要かと思われます。

また社会党党首として当初は徳川義親侯爵、さらには有馬頼寧伯爵を党首に担ごうとした点も興味深いです。前者は徳川19代当主にして戦前の軍部右翼の「国家改造計画」への関与で有名であり、後者は大政翼賛会事務局長で鳴らした人物といった具合に初期の社会党は総力戦体制の香りの濃厚な政党であった訳です。かくして結党大会において社会主義者達によって天皇陛下万歳や国体護持の称揚が堂々となされたこともなんら不思議ではありません。最後に党名論争においてマルクス主義階級闘争論に立つ日無系が「社会党」を望み、反共かつ議会制民主主義を重視する社民系が「社会民主党」を望んだこと、階級政党なのか国民政党なのかという問題が既に党名で争われた点が重要でしょう。日本名「日本社会党」英語名「ソーシャル・デモクラティック・パーティー・オブ・ジャパン」という意味不明な—考えてみれば意味深長な—妥協に終わった訳ですが。

戦後初の衆参総選挙で第一党に躍進した結果、社会党、民主党、国民協同党の連立による日本で最初の社会主義政権たる片山哲内閣が成立した訳ですが、著者によれば、戦後的な意味における「革新」を呼号するこの政権が社会党右派主導政権であった点が重要とされます。固定化してしまった社会党のイメージとは大分違っているのですね。第二に経済安定本部、いわゆる「安本」長官に企画院事件に連座した革新官僚たる和田博雄が就任したことは「安本内閣」と呼ばれるほどにこの政権にとって大きな比重をもつ事実であったとされます。個人的に企画院→経済安定本部→経済審議庁→経済企画庁の流れに関心を持っているのですが、安本に集った統制主義の革新官僚や社会主義者の面々にはある種の感慨を抱かされます。最後にここまでGHQの対日占領政策への応答が外交のすべてであったステージを脱して「日米共同防衛」構想を提出した点が戦後史における重要な転換点と評価されています。冷戦の高進にともない芦田外交が始動し始める訳ですが、本書ではガスコイン英代表との会談の内容について芦田メモから紹介されています。ここから伺えるのは後の日米安全保障体制の下絵が社会党右派と保守派の協同によって描かれたという事実です。少なくともこの時期の右派優位の社会党は欧州的社民主義を志向して資本主義陣営との連携を模索していたという点が重要でしょう。

私個人としては社会党の歴史で興味深いのはどうやらこの55年体制完成以前に限定されているようです。ある意味で社会党が最も輝いていた安保騒動については華麗にスルーすることにします。ま、その非現実的な目標は別にして社会運動史的文脈において全否定はしませんけれども。批判はしても全否定はしない主義ですので。また1960年代の構造改革派の江田三郎ブームをうまく利用すれば、欧州的社民主義ないし市民主義政党に脱皮してあるいは党勢を回復することもできたかもしれませんが、原則論において議会制民主主義を否定し、国民の代表たることを拒否している左派優位が決定的になって以降は勝利などあり得なかったという話です。自己改革能力を失って以降の路線対立も派閥争いもその哀れとしか言いようのない外交政策からも学ぶべきものはないでしょう。社会進歩的提言を時にはなしたこと、容共勢力を内部に抱えたことで日米関係強化に逆説的に貢献したことなどを取り分として認めることもできるかもしれませんが、後者は望んだものではないですからねえ。自由党と民主党の二大政党で戦後再出発していたら・・・とか岸信介が右派社会党に入党してあの恐るべき権謀術数で左派社会党を壊滅してくれていたら少なくとも欧州的な保守と社民主義の対立構図にもっていけただろうに・・・とか歴史にifを持ち込んではいろいろ考えてしまいます。

終章の「日本社会党の理想主義」で著者の社会党の評価が端的に示されています。通常の議会制民主主義において当たり前の権力移動システムが機能しなかった理由として社会党の「理想主義」を著者は重視しています。ここで著者は現実主義-シニシズムと理想主義-ドリーミズムの対概念で説明しようとしていますが、要は後者は前者の頽落形態であり、現実との接点を失って主観主義の牢獄に落ち込んだ社会党は心地よいドリーミズムに微睡み続けていた。また議会制民主主義が機能するためには「体制」へのコンセンサスが前提となるが、戦後日本の議会制民主主義はこの点で極めて脆弱であった。米ソ冷戦構造下にあって一方に自由主義、民主主義、資本主義を価値とする日米同盟にコミットする保守陣営がいて、他方に労働者中心の社会主義を標榜して中ソ北朝鮮に憧憬をよせる左派優位の社会主義陣営がいる。ここにおいては政権選択は「体制選択」そのものを意味してしまう。かくして政党Aに国民が不満を抱いているにもかかわらず、政党Bを選択することができない時政治不信は不可避のものとなる・・・

要するに戦後の政治エリートは国民に選択肢を提示することに失敗したということですね。私は別に戦後日本に対して自虐的ではなく胸を張って誇るべきだと思っていますが(「同時に」戦前を否定すべきだとも思いませんが)、やはり政党政治の成熟が遅延してしまったこと、安全保障体制の整備が中途半端に終わったこと、この二つの負の遺産が克服されるべき課題として残されていることは、カオス的な様相を呈している現在の政局を眺めるに日々実感されるところであります。もっともここ20年ぐらいずっと実感されるところな訳でありますが。とほほ。民主党内の元社会党のみなさんも「結党三人男」の精神を思い起こしていただきたいものです。彼らはそこまで愚かではなかったです。

おまけ
"Facing the Past: War and Historical Memory in Japan and Korea" by Gavan McCormack[Japan Focus]
エマニュエル・トッド氏言うところの「構造的反米主義者」—冷戦時代の亡霊—たるマコーマック氏がなにかまた呟いています。この記事そのものは特にコメントに値しないのでスルーします。日本に過去との直面を要求するのもいいですが、その前にあなた自身が自身の過去と向き合って自己批判することを私は待っています。Japan Focusの編集委員のみなさんはなぜこの道義的に疑わしい御仁を批判しないんですか。まあ似たり寄ったりの亡霊がメンバーに含まれていることは承知しておりますから最後のは修辞疑問です。人間ですから間違えることはあると思うのですよ、でもまずその事実を認めるところからすべては始まるのではないですか。それがないからいつまでも変われないんです。Yes, you can! 

"Back to the baths: Otaru revisited"[Japan Times]
ポール・ド.ヴリ氏による大先生の批判。読者欄でも呼応する声あり。ポール氏の「連帯責任」の説明には同意しませんが(アジアでなくとも起こりえる話です)、大先生のダーティーなやり口はもはや周知のところであり、今後も批判の声は高まるばかりでしょう。こんなやり方ではバックラッシュしか呼ばないなんてことは少しでも自国の移民をめぐる状況に真剣に思い悩んでいる人であればすぐに判る事柄です。最近はオバマ政権の誕生が自分の活動の正統性につながるなどといった甘い夢想を抱いているようですが、言うまでもなくそんなことはあり得ません。残念ながら公的に謝罪しない限りはあなたの汚名は消えません。あなたも変わらないといけない。Yes, you can!

追記
一部加筆しました(2008/12/12)。ちなみに社会党右派の指導者にして民社党初代委員長の西尾末広の自伝、それから革新官僚転じて社会党政審会長、国際局長の和田博雄の伝記はいろいろ考えさせられてなかなか面白かったです。特におすすめはしませんが。

|

« デジャヴュな日々 | トップページ | 仏露の接近 »

その他」カテゴリの記事

我が国」カテゴリの記事

」カテゴリの記事

歴史」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/507226/26086240

この記事へのトラックバック一覧です: 今さらですが:

« デジャヴュな日々 | トップページ | 仏露の接近 »