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2008年12月

シヴィックとエスニックの二項対立について

民族とネイション―ナショナリズムという難問 (岩波新書) Book 民族とネイション―ナショナリズムという難問 (岩波新書)

著者:塩川 伸明
販売元:岩波書店
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本書は我が国を代表するソ連・ロシア研究者の一人によるエスニズム・ナショナリズム論です。90年代以降はこの問題を扱う研究の洪水状態になっておりますが、正直に言いまして類似図式の反復に個人的にはもう飽きていました。塩川氏の著作ならそれほどはずれはないだろうということで手にとりましたが、紙幅の制約にもかかわらず論点も整理され、事例もきわめて豊富でよく書かれていると思いますので同じような思いを抱いている方におすすめいたします。いたるところに散見される慎重な留保があるいはまどろっこしく感じられるかもしれませんが、そこが大切な部分だと思いますのでそうした部分にこそ注目して読まれるといいかと存じます。ナショナリズムというこの変幻自在な現象はお手軽な図式ではとうてい把握し切れない訳ですから。

第1章で理論的な問題を扱っていますが、氏はエスニシティー、民族、国民の三つの概念でこの現象にアプローチすることを提唱しています。言語なり宗教なり文化なりを共有している意識が広まっている集団をエスニシティーと呼び、この集団が国ないし政治的単位を持つべきだという意識が広まった時にこれを民族と呼び、国家樹立後の正統な構成員の総体を国民と呼ぶという風にゆるやかに定義されていますが、ここで可変性と流動性がきわめて大きいエスニシティーと民族の具体的な確定の困難と確定作業じたいがきわめて政治的な行為である点について注意を促しています。また三者を峻別すべきだとする規範的主張に理解を示しつつも三概念が入り組んだ関係をなしている現実の複雑性を対置しています。それから原初主義対近代主義、本質主義対構築主義、表出主義対道具主義という図式に対しても近代主義=構築主義=道具主義という暗に想定される等式が必ずしも成立しないことに注意を喚起しています。といった具合にこの章では理論家にありがちな抽象的原理からの現実の裁断の傾向に対して事実性の重視からニュアンスを含んだ分析概念の構成が目指されています。私みたいな人間には非常に好ましい態度でありますが、ここは意見が分かれるところなのでしょう。

第2章以降は具体的な歴史編になります。「国民国家の登場」と題される2章では欧州における国民国家の誕生、帝国(ロシア帝国、オスマン帝国、ハプスブルク帝国)の再編、新大陸における新しいネーションの誕生、東アジア(中国、日本、朝鮮)への衝撃が豊富な事例とともに記述されます。私個人はこの章では帝国の再編の節と新大陸の節、とりわけ南米の部分に興味を引かれました。ロシアのいわゆる「公定ナショナリズム」の中途半端性と南米におけるエスニシティーと国民国家の無関連性の部分です。アンダーソンのフィールドが東南アジアと南米である事実が氏の古典的な国民国家論におけるエスニシティーの軽視をもたらしているという指摘は多分正しいのでしょうし、逆に塩川氏がエスニシティーを重視せざるを得ないのはソ連・ロシア研究者である事実とも切り離せないのでしょう。

第3章では世界戦争の時代における自決論に基づく国際秩序の再編が記述されます。まずウィルソンの提唱したself-determinationの語が想定していたのはネーション、つまり米語における「国民」の自決である訳ですが、第一次世界大戦後における国際秩序の再編の焦点たるドイツ・中東欧・ロシア地域においては「民族自決」としてこの言葉がシンボル化されて激越な政治闘争の根拠として受け取られた経緯について言及され、第二次世界大戦後の植民地の独立を受けた国際秩序再編(インドネシア、インド、トルコ、アラブ諸国、イスラエル)や自立型社会主義の実験(ユーゴ、中国、ヴェトナム)が論じられています。この章は私の知識の空白部分が多いので非常に興味深かったのですが、なかでも「アファーマティブ・アクション帝国」ソ連の節がやはり力がこもっています。この論点については氏が以前から語られていたことですが、ソ連における積極的な「民族形成」政策と中心民族たるロシア人の被害者意識は昨今のこの地域のニュースを見る際の前提的知識として共有されるべきだろうと思います。

第4章は冷戦以降の現代世界の章で「帝国」アメリカ、欧州の東方拡大とエスニシティーの問題、新たなる民族自決の動き(ユーゴスラヴィア、旧ソ連およびその周辺地域など)、各地で起こっている歴史認識論争などが論じられています。まずグローバル化とボーダーレス化の進行とともに先進国においてエスニシティーをめぐる問題が激化していること、また現在の民族問題が第一次、第二次世界大戦の後の国際秩序の再編と同様に冷戦という「戦争」の戦後処理の性格を持つことが大づかみに開示されます。さらに冷戦終焉にともなって誕生した多くの国家に共通する性格として連邦制を採用していた多民族国家の旧共和国の枠組みに依拠している点が指摘されますが、ドイツ統一のように複数国家にまたがる「同一民族」が統一する場合もあれば、またモルドヴァとルーマニアのように「同一民族」にかかわらず統一がなされない場合もあるといった具合に一様ではないとされます。そして全体としては「民族自決」のスローガンがかつてのような輝きを失い、条件次第で認められるやっかいな主張のような受け止め方が広まっているとされます。あらゆる民族に自決を与える訳にはいかないという現実的な理由による訳ですが、あの民族に自決を認めてこの民族に認めない理由はなにか、その恣意性が不満を呼ぶことは不可避であると(コソヴォ独立の波及効果の懸念)。歴史問題ではトルコのアルメニア人虐殺、ナチスのホロコースト、第二次世界大戦中のセルビア人とクロアチア人の相互虐殺の記憶が政治的に利用される例やドイツとチェコの間の「追放」をめぐる問題、中東欧におけるユダヤ人虐殺への加担の歴史、ウクライナとロシア、エストニアとロシアの歴史認識論争などが挙げられていますが、犠牲者の人数をめぐる論争の泥沼化といった日本をめぐる歴史論争とも似たような構造があることが指摘され、アルメニア系トルコ人作家フラント・ディンクらの発言に歴史問題の乗り越えの可能性を見ています。加害と被害の重層性や相互入れ換え性についての冷静な指摘の部分は過熱しがちなこの問題について考えるのに頭を冷やす効果があるだろうと思います。

終章ではナショナリズムをどう評価すべきかという問題に踏み込んでいます。19世紀を通じて、それから第一次世界大戦後の民族自決の時代、また第二次世界大戦後の植民地独立の時代に至るまで国民国家形成やナショナリズムには基本的には肯定的な評価がともなっていたが、1990年代にユーゴスラヴィア内戦をはじめとした暴力的衝突が世界中で頻発したこと、また先進国においては移民排斥を訴える極右ナショナリズムが高まったことなどから肯定的評価が後退し、その克服が叫ばれるようになる傾向がある、とはいえその評価は論争的なままであると全体的な論調を要約し、「よいナショナリズム」と「悪いナショナリズム」の区別論を検討していきます。素朴なものでは「抑圧民族」のナショナリズムは悪いが「被抑圧民族」のナショナリズムはよいとする人々の感情に訴える議論があるが、現実には強者・弱者関係には逆転現象や重層関係があること、また国際秩序が流動化した際に誰が強者で誰が弱者か、誰が進歩的で誰が反動的なのかの裁定は中立的ではありえず、それ自体が極度に政治的行為となるとしています。またナショナリズムをリベラルなものと非リベラルなものに区別して前者をよいもの、後者は悪しきものとみなす議論(ミラー、キムリッカなど)、あるいは自由や公共性を目指すパトリオティズムをよきナショナリズムとみなす議論(ヴィローリ、ハバーマス)に対しては現実には両者は往々にして相互移行しがちであり、境界も流動的であると評しています。

さらにこうした区別論の中でも特に影響力のある図式としてシヴィック・ナショナリズムvsエスニック・ナショナリズムの二項対立が検討されています。ネーションの基礎にエスニックな共通性があるという考えが優位な国では合理主義や自由主義が排斥され、権威主義に傾き、自民族中心主義や排外主義が優位になりやすいのに対して、ネーションの基礎にエスニックな共通性を求めない国ではエスニックな多様性や個人の自由が尊重され、自由主義や民主主義と親和性が高いという例の噺です。こうした議論に対して著者は二点から疑義を呈しています。まず多くの論者において「西」ではシヴィック・ナショナリズムが優勢であり、エスニックな差異に対して寛容であるのに対して「東」ではエスニック・ナショナリズムが優位であり、偏狭で排他的であるというイメージが想定されているが、ここにはオリエンタリズム的発想が潜んでいる。そもそも「東」とされる諸国には均一性はなく、歴史的にも「東」の諸国のナショナリズムは「西」の諸国への対抗のための模倣であり、「西」と無縁なものではないと。

もうひとつの問題点としてこの二項対立が普遍主義vs特殊主義と結び付けられている点を指摘しています。実際には大半のナショナリズムは普遍主義の論理に立ちながら、特殊主義的な色彩を帯びるという二面性を持っているのであり、両者を分離することはできない。「我が国こそが普遍的な価値の担い手だ」という意識は「その価値の卓越した、先駆的担い手が自分達だ」というナショナリズムを正当化することになるが、これは「自由、平等、友愛」を掲げるフランス、「アメリカ的自由」を掲げるアメリカ合衆国、「社会主義インターナショナリズム」を掲げたソ連のナショナリズムに典型的に見られる。またドイツ、ロシア、日本もまた特殊性のみに依拠した訳ではなく普遍主義的論理を振りかざしていた。そもそも他者に対する自己の卓越性を主張する以上は物差しとしての普遍と自己を上位におく特殊との並存は論理必然的である。以上のようにこの二項対立はよいナショナリズムに分類される「西」の国々の危険な要素を覆い隠し、悪いナショナリズムに分類される「東」の国々を宿命的に劣った存在として決め付ける危険があるとして批判されています。

要するに、ナショナリズムは善とも悪ともなり得るが、予めなにが善なるナショナリズムでなにが悪なるナショナリズムかは原理的に決定できないし、また外部の観察者は誰が寛容な善玉で誰が不寛容な悪玉かを決定すべきではないし、こうした加担的態度は事態を悪化させるだけだ(アルメニア・アゼルバイジャン紛争でのデリダ、ハバーマス、ローティーらの思想的介入が糾弾されています)という禁欲的な要請がなされます。また紛争の原因論についても図式的な一般論は無意味であるとしていますが、エスニシティー、民族を要因とする紛争が軍事的衝突にいたる事例においては政治指導者達の役割が大きいとし、彼らが軍事的選択が「合理的選択」に見えるような条件とは既存の国家秩序が解体するような特別の状況が現出するケースに限定されるといい、小規模紛争の段階で悪循環的拡大を防ぐための初期対応の重要性が説かれています。「魔法使いの弟子」にならないようにと。

以上、アフリカを除くほぼ世界全体を対象としてナショナリズム現象を概観する本書は限られた紙幅の中でこの問題の複雑性を提示することに成功しているように思われました。善悪の価値評価を留保し、「寛容」や「相互理解」といった美名それ自体が政治的に機能してしまう現実まで記述する著者の禁欲的姿勢にはなにかしら畏敬の念に近いものすら感じました。ここから元気の出る当為を引き出すのはなかなか難しい訳ですけれども、よくある反ナショナリズム論やその逆の論にはないこうした歯切れの悪さを積極的に評価したいと思います。またここで何度か書きましたが、シヴィックとエスニックの二分法のはらむ問題には私自身意識的になっていることもあって最終章では考えさせられました。西洋志向の強い研究者からはなかなか出てこない論点ですが、ユーゴの時もグルジアの時もあるいは北東アジアに関しても西側メディアの論調のイデオロギー性にはいささかうんざりさせられていましたので。最後に要約困難なので歴史編は軽い紹介にとどめましたが、ここの部分が一番面白いことは言うまでもありません。民族問題やナショナリズムについては一般論はあんまり役に立たない訳で徹底的に個別的アプローチをしつつ同時に比較の視点を失わないようにするという本当に言うは易く行なうは難しの作業をここまで積み上げられた氏の仕事に対して敬意を表したいと思います。

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テレグラフもなあ

"Japan’s Historical Memory: Reconciliation with Asia" by Kazuhiko Togo[Japan Focus]
東郷和彦氏の歴史問題についての論考。先の大戦の認識に関する左派と右派の飽く事なき言論闘争がもたらした国論の分裂を克服すべく中道派は結集し、功罪含めたバランスのとれた認識を打ち出すべく自らの立場を強化せよとのこと。前にリンクしたジェニファー・リンド氏の提言に呼応しつつ「アジアとの和解」の道筋を描いています。後者の論点について言えば、国内でゆるいコンセンサスが生まれるまでは下手な動きはすべきでないでしょうね。リンド氏も言う通りこじらせるだけでしょう。国論の分裂状態を克服すべきだという点については誰のためでもなく我が国のためにそうした方向に向けた動きがあってしかるべきでしょうねとは思います。もっとも自由民主主義国においては意見の多様性がある以上は難しい話ですが、言論の世界のあまりに極端な分極化とそこに飽きたマジョリティーの無関心といった事態が進行することは望ましくはないでしょう。新刊は未読ですが、氏の言動の背後に東郷家のパーソナルな歴史をぼんやりと思い描いていたのであるいはそこに触れているのかもしれません。それとこれは如何ともし難い話ですが、私はやはり東郷氏の言うmy generationに属していないので温度差があるような気がします。いや、これは世代とは関係ないのかもしれませんが、できるだけ距離をとって「理解」したいという感じですね。なお英語圏においては左右の極論ばかり紹介される傾向がありますので中道派の声を英語にすることはそれだけで意義があると思います。ともかくこの実務に長けた分厚い層が大人し過ぎるのが日本の言論の世界の最大の問題だといつも思いますね。

"So Now the US is Trying to Emulate Japan's Lost Decade?" by Yves Smith[Japan Focus]
まあこの記事そのものはどうということはないのですが、いつも見ているnaked capitalismのスミス氏の記事がJFに掲載されていたので。アメリカは日本の90年代と同じ運命を辿るのだろうかという疑いを表明しています。いろいろ懸念もありますし、後遺症に苦しむことになるのかもしれませんが、多分アメリカはそうはならないだろうと今でも思っています。なぜこの記事がJFに掲載されたのか考えたのですが、今ひとつよく判りません。ともかくJFはもっと論調を多様化すべきです。読める記事もありますが、少な過ぎます。

"Japan concerned over US relations with China"[Telegraph]
中国海軍のソマリア沖派遣は国内外ともに大々的に報じられていますが、日本の懸念については英語圏ではこの記事が扱っていました。日本はオバマ政権の日本軽視と中国への接近を怖れている、海自の派遣には公明党と憲法の制約といった障害があるといった基本的な事柄が書かれています。ソマリア沖については前からけっこう騒がれていましたし、安全保障関係者は提言もしていたのにあいかわらず日本の動きは鈍いですね。この件に関してインド側のリアクションが知りたいところです。それはともかくテレグラフの日本ページがけっこう無惨なことになっていますね。コリン・ジョイス氏以降はどうにもならないようです。ジョイス氏の告白に書かれたように新米記者がデスクの注文仕事をさせられているだけなんでしょうけれども。そうですねえ、日本にはイエスの子孫もいますけれども、唯一神そのものが存在していますよ、こちらのほうが凄いと思うのですが、取材したらどうですかね、どうなっても知りませんけれどもね。

"Koons reste à Versailles, n'en déplaise à l'héritier de Louis XIV"[Rue89]
ヴェルサイユでジェフ・クーンズの展覧会を開催しているらしいのですが、そこに展示されている「ピンク・パンサー」という作品がフランス王家の子孫の気にえらく障ったらしく訴訟沙汰になっています。この子孫氏はルイ14世とマリ・アントワネットの直系の子孫にあたる人物だそうでその名もドつきのシャルル・エマニュエル・ド・ブルボン・パルム氏というなんとも高貴なお名前です。この獣と熱情的に対話をする女性の表象はご先祖様への敬意を欠いていると上品な口調で憤慨しています。獣姦は古代からそしてアンシャン・レジーム下でも禁止されていた、っていったいいつの時代の話ですか(笑)。ことごとく王家に物事を関連づけないと気が済まないようで、なるほど由緒の世界の住人の方のようですね。ヴェルサイユ城は国有財産だということで訴えは退けられたそうです。

追記
国連総会に同性愛の非犯罪化求める宣言案提出、66か国が賛同[AFP]
「性的指向や性同一性がいかなる状況でも極刑や逮捕、拘束を含む刑罰の根拠とならないよう法的および行政的を含めたあらゆる必要措置を取ることを求める」と謳われた宣言が国連で出されたようですが、日本はアジアで唯一の支持国だったようですね。この宣言に関連した教皇猊下の発言は西洋諸国ではずいぶんと波紋を呼んでいるようです。

"Gay scene: Tolerance, legal limbo"[JT]
同性愛をめぐる日本の状況についての解説と各氏のインタビューの記事。確かに同性愛に対して寛容なのか不寛容なのかよく判らない国ですね。世界に冠たる同性愛文化の歴史を誇り、宗教的原理勢力もほぼ存在せず、ホモフォーブによるヘイト・クライムのニュ−スなども聞こえない訳ですが(多分イメージと違ってフランスでもこういうニュースはあります)、寛容というよりはあまり関心がないといったほうがいいような気がしますね。アイデンティティー・ポリティックスに疲れて日本に来て「解放」されている欧米系の方はけっこういらっしゃるようですけれども。

"It took more than three decades for sexual minorities to begin obtaining rights in the U.S., but Japan does not have any religious restraint," he said. "We just need one small start, which will hopefully trigger a larger movement for the rights of LGBTs."

と記事は締めくくられていますが、法的権利運動となるとどうなるのでしょうか。不必要な敵対的修辞や上から目線の啓蒙的修辞を避けて「まごころ」的アプローチをとれば案外するっといきそうな感じは確かにありますね。これまでの運動が辿った悪いパターンを踏まなければ。

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チェコのロマ

私は別にチェコ語が出来る訳でもなくカフカとチャペックがかなり好きでプラハの町に強く惹かれ・・・といった程度の関心がある日本国民の一人に過ぎないのでこの国についてなにか意味のある事を書く訳にはいかないのですが、このたびの経済危機の東欧社会に与える影響という点で気になる記事があったので紹介しておきます。ここまでチェコ発のそれほどひどい話は聞こえてこなかったのですが、やはり外国人とりわけロマの排斥の動きが出始めているようです。リトビノフで起こった襲撃事件に関する短信はAFPで一ヶ月ほど前に報じられていましたが、以下はクリエ・アンテルナショナルの仏訳記事の日本語訳です。元ソースは憲章77のジャーナリスト達が創刊したとされるレスペクトというチェコの有名なインディペンデントな週刊誌(チェコ語)です。チェコにおけるロマに対する差別や襲撃そのものは昨日今日の話ではなく根深い問題とされますが、このたびの経済の悪化がこれに深刻な影響を与える危惧があるのでしょう、歴史を想起して強い警鐘を鳴らしています。左右の全体主義の両者を経験した国ならではの論調かと思います。もっとも既に安定した政治体制の基盤が整備されていてこの危機でそれが覆るような事態はちょっと想像し難いのですが、ともかく社会の不安定化が賢明に回避されることを願います。

極端主義に無力な政府

共産主義崩壊から20年、極端主義がこれほど強力だったことはない、とチェコの週刊誌が報じる。

チェコ社会はまずまず上手く発展しているが、それでも1918年のチェコスロバキアの誕生以来これまでこの社会は極端主義というものを真に理解できたことはない。こうしてチェコ人は11月17日に北部の町リトビノフでロマに対する極右の大規模なデモをある種の無関心とともに眺めたのであった(このデモは500人を集め、警察との乱闘を引き起こした)。チェコ人はこのデモを首都から離れた孤立的、地域的な現象であるかのように眺めた。これは明日と同様に今日も在る誤りといったものではない。国家が介入しない限り、なにも動かないだろう。我々の歴史のいくつかの決定的な瞬間が明らかにするのは、恐怖の中にあって想像できない故に差し迫った危機を認めることのある種の否認である。こうしてもはや戦争はないだろうと言って多くのチェコの知識人が1920年代には軍創設の無益を訴えたのだ。そしてドイツのエリートはヒットラーの登場を信じなかった。1989年11月の「ビロード革命」の後に共産党を禁止しなかったと言ってヴァーツラフ・ハヴェルは非難された。彼は他の者達と同様に共産党と選挙で戦う必要性を信じていたのだ。チェコの政治的偶像であるトマーシュ・G・マサリクは最初の共和国の際に民主主義を尊重してチェコスロヴァキア内のドイツのナショナリスト・グループの解散を拒否することで同様の誤りを犯した。国家が反応した時には既に遅かったのだ。チェコスロヴァキアのナチと同様に共産主義者は自分達の機会をうかがい、それを見つけたのだ。今日でもこの両極端はなお存在しており、生命力を失っていない。リトビノフのロマ人街の襲撃の後に、チェコのネオナチは以下のことを確証できたのだ。第一に自らの問題に追われて満足していたこうしたいくつかの街区の住民の一部が初めて公然と自分達の側に味方した。第二にメディアは常に自分達に関心を持っている。第三に標的である「問題のジプシー達」の存在が住民にショックを与えることなくうっぷんを晴らさせることを自分達に許した。最後に彼らはシステムが自分達をどう扱うべきか知らないことを発見したのだ。誰も彼らを守っている政党(労働者党)を解散せず、コミューンはデモを禁止できず、警察は証拠不十分で彼らを逮捕できなかった。

チェコ共和国では危機を原因とする工場閉鎖の後に路上に投げ出されたロマないし外国人のゲットーが拡大し続けている。フラストレーションは大きく、これがネオナチの言動に有利な腐植土を形成している。今日、国が危機に瀕していることは誰もが認めるのに、誰も出口戦略を提案できない。ここに困難があり、10年以上も政治階級は極端主義者の問題に対して将来性のある有効な解決策を引き出せなかった。

我々はなお原則的な糾弾とジプシー達のための短期的な援助の段階にいる。リトビノフで児童公園を新しくしたり、マイノリティーを担当する何人目かの責任者を雇ったりすることで問題を解決できると信じることは実際のところ絶望的である。政府は国全体の同様の状況に対して共通の解決策を引き出すために内務大臣、法務大臣、人権大臣からなる危機内閣を創設すべきだったのだ。とりわけ政府はネオナチが恐怖と暴力を広めるのを止め、ロマに対する真の政策に着手すべきだったのだ。

おまけ
"European left is sidelined by contradictions" by GUY SORMAN[Japan Times]
「嘘の帝国」という現代中国本でけっこう話題になっていたギ・ソルマン氏がJTに寄稿しています。欧州の左派がいかに時代に取り残されているのか、社会主義者のアイデンティティー喪失、それから最近の極左主義の台頭について論じています。ギリシアの騒乱を枕に、欧州を亡霊が徘徊している、カオスと言う名の亡霊が、と締めくくっています。そんな感じですね、ギリシアのことはよく判らないのですけれども。

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お疲れ様でした

ここしばらくかなりあたふたしているのですが、とりあえず生来の三日坊主な性格を矯正するためにも—このブログを運営する目的のひとつ—ゆるゆると更新しておきます。

"Six-party standstill"[Economist]
六カ国協議が暗礁に乗り上げたのを受けた記事。英語圏の議論が分裂的になりがちなのでこうした引いた感じの記事はいいですね。そう言えば、日本もなんだか随分と理不尽な叩きを受けてましたね。北朝鮮の相手は誰がやっても難しいのでしょうが、ともかくヒル氏の顔を見なくて済むのは個人的にはありがたいです。将軍様の状況に関して様々な情報が入り乱れていてどうなるのかよく判りませんが、体制がなんとか保たれる限りは膠着状態が続くことになるのでしょうね。まあもう米中間の問題ですから日本としては国内問題の処理や安全保障体制の整備を粛々と進めていく他なさそうです。政治社会言説の再編成も進めないといけないのでしょうが、こちらはもっと時間がかかりそうですねえ。

"Escapee Tells of Horrors in North Korean Prison Camp"[Washington Post]
"Three Kernels of Corn"[Washington Post]
率直に申し上げてBlaine Harden氏はさほど評価していないのですが、WaPoにこの記事が掲載されるのは意味があると思うのでリンクしておきます。脱北者のロング・インタビューです。またこれを受けて北朝鮮の人権問題にもっと関心を向けろという社説です。大量難民を怖れて人権問題に目を閉ざす韓国と核問題に集中して人権問題から目を逸らしている米国を批判しています。アメリカの高校生はルーズヴェルトはなぜヒトラーの収容所行きの鉄道を爆破しなかったのか討論しているが、何世代か後にはなぜ西洋は衛星で把握していながらキム・ジョンイルの収容所になにもしなかったのか子供達に尋ねられるだろうと。私はこの種の歴史的類比はあまり好みませんが、現在の膠着した状況でこうしたメッセージを発する意味はあるのでしょう。

"False god?"[Economist]
朝鮮日報も中央日報も長いこと目を通していないので隣国の状況をさっぱり掴んでいないのですけれども、このミネルヴァとかいう経済ノストラダムス氏による騒ぎについては聞き及んでいました。この記事では民主化との絡みで政権批判の要素を強調していますが、どうなんでしょう、やや不健全な現象に見えます。ネットでの流言がマクロなレベルでネガティブな効果を発揮するという現象ですね。やはり似たところの多い国ですから我が国と比べたくなりますが、社会の細分化が進んでいる分ここまで大きな話にはなりにくいのでしょうか。現在の日本で予言者氏のところに数百万人が殺到するということはなさそうな気がしますが・・・、そうでもないかな、どうなんでしょう。

"Japan, Australia sign cooperation pact"[AFP]
第2回の日豪2プラス2が開催され、「アジア・太平洋地域の安全と安定の促進」が謳われています。他のソースでは防衛情報共有の促進での合意の部分にアクセントが置かれていますが、軍事訓練や将官の交流等を今後さらに押し進めることが確認されたとのことです。防衛情報の共有ということで法制面での調整等もあるようですが、我らが自衛隊の情報管理能力の向上を願います。この記事は両国の外交関係がしばらく冷え込んでいた点について細々と書かれていますが、鯨についてはイデオロギー・イシューを非妥協な仕方で外交に持ち込んだ際にはどういう結果になるのかという問題のひとつの事例として、あるいは英語メディアの言説戦術の読解練習問題としては多少興味がありますが、本音では季節の風物詩ぐらいにしか捉えていないので特にコメントしないでおきます。ところで去年もそうでしたが、一般に日本のメディアの日豪防衛協力への関心の薄さはどうにかなりませんかねえ。アメリカと中国と朝鮮半島だけが世界ではないと思うのですけれども。

"Japan ends five-year Iraq mission"[BBC]
自衛隊がイラクでの任務を終了して撤収することが決定したという話ですが、隊員のみなさまお疲れ様でした。麻生首相が隊員および家族を称える言葉が引用されています。記事では今回の派兵がcontroversialなものであった点を強調していますが、まあそれはいいでしょう。実際、そうだった訳ですから。このたびの貴重な経験は今後の活動に活かされることでしょう。本当にお疲れ様でした。

追記
日豪2プラス2は読売が社説で扱っていましたね。有力紙が一紙も社説でとりあげないのはまずいでしょうから評価したいと思います。

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仏露の接近

"Pourquoi Paris et Berlin ne s’entendent pas sur la relance" by Philip Ward[Telos]
独仏両国の歴史的経験と経済思想の差異に関してフランス人読者に解説する記事。ドイツにおいてトラウマとなっているのは1930年代の大恐慌よりも1920年代のハイパーインフレであること、また現在、英米でルーズベルトが想起されているが、ドイツでは大規模な公共投資がナチスの記憶と分ち難く結びついてしまっていること、それで現在想起されるのがケインズではなくて戦後の奇跡の復興の象徴たるエアハルトであることなどを説明しています。メルケルの演説でも「オルドリベラリズム」や「社会的市場経済」といった戦後ドイツ的な概念が参照されていると。米国的な「無秩序な」規制緩和主義への反発や不況時のケインズ主義的な国家介入への懐疑にこうした歴史的経験があるというのはいかにもそうなんだろうなという気がしますが、なにぶんにもドイツ事情には疎いので正確な解説になっているのかどうかはよく判りません。ともかくドイツ人の思考を理解せずには説得できないぞとのことです。

"Bruno Le Maire, loyal avec Sarkozy mais fidèle à Villepin"[Le Monde]
関連する話ですが、ジャン=ピエール・ジュイエ氏の辞任を受けてブリュノ・ル・メール氏が欧州担当閣外大臣に就任するとこのことです。この記事もそうですが、サルコジ氏のライバルであったド・ヴィルパン派の人物であるという点にメディアのフォーカスがあたっていますが、氏がドイツ語話者であるという点が重要だと思われます。この点については以前エントリに書きましたが、最近冷え込んでいる両国関係を調整するためにぜひともドイツ語能力が必要であるという点は識者によって指摘されていました。外務にも携わっている経歴がありますが、説得役ということで語学能力を買われたという面があるような印象を受けますね。

"Cold War takes gloss off Nicolas Sarkozy's presidency"[Times]
フランスの欧州およびロシア外交に関する記事。独仏関係の冷却化についても触れていますが、ジャン=ダヴィッド・レヴィット氏の発言の部分が重要でしょう。サルコジ氏はギリシアのような第二ランクのメンバーを使って欧州のバランス・オブ・パワーを揺るがしたいと考えていると。随分率直な物言いですね。またEUの議長国の任期切れに合わせてユーロゾーンのチェアマンに就任する事で事実上の欧州大統領への道を目指した試みはメルケル氏の反対で頓挫したが、EU地中海連合のチェアマンの任期はまだ18ヶ月残されていると。最後にロシアについては、

His next plan, not yet announced, is a new “economic and security space” with Russia, Mr Levitte disclosed. Given anger in the West towards Russia's occupation of northern Georgia, European leaders will be surprised to learn that Mr Sarkozy aims to offer a new security pact to Russia and hopes to bring in Ukraine and Turkey.

といった具合に新たなる「経済・安全保障空間」をロシアとの間に設定するプランを提出するつもりのようです。やはり先日のミサイル・ディフェンス批判はレヴィット氏の入れ知恵だったのでしょうかねえ。徐々にパズルの完成形が見えてきました。これではアメリカとの齟齬がだんだん大きくなりそうな予感がしますね。上手く立ち回る自信があるのでしょうけれども。しかし地中海連合にせよ親ロシア外交にせよやはりゴーリスムの伝統は永久に不滅でありますねえ。極東の見物人としてはそうこなくちゃという感じですけれどもね。

以下日本関連記事です。
"Fallout from Pentagon's gaffe spreads" by Kosuke Takahashi[Asia Times]
高橋浩祐氏のペンタゴン報告書をめぐる記事。同報告において北朝鮮を核保有国と記述した点について韓国では騒がれているようです。記事は志方俊之、権鎬淵、李英和各氏や外務省関係者の取材に基づいています。専門家の各氏は核実験は失敗だったのであり、核保有国とは言えないとし、senior officialは

"As the only nation in the world to be bombed with atomic weapons on Hiroshima and Nagasaki [in 1945], Japan can never accept such a policy stance," a high-ranking Japanese diplomat told Asia Times Online on the condition of anonymity. "In addition, Japan upholds the NPT. Also, admitting North Korea as a nuclear state is not a good negotiation tactic. It only benefits Pyongyang. "

と述べたとのことです。日本のメディアがスルーしている理由はよく判りませんが、こうやって英語記事にすることは十分に意味があるでしょう。ところでいつになったら日本のページからAsian Sex Gazetteのリンクバナーを撤去してくれるのでしょうねえ。非常に目障りなんですけど。

"Japan's premiers doomed to failure" by Yasuhiro Tase[Asia Times]
何故日本の首相の任期が短いかについての考察。これは首相個人の資質の問題ではない。アメリカ大統領の資質だって似たりよったりだ。問題は大統領を支えるようなシステムが日本にないこと、また公衆に訴えかけるには専門のスピーチライターが必要だが、日本の首相は生の言葉で語らされている。最後に各メディアが毎月支持率調査をしては騒ぎ立てるが、これは政策ではなく個人のパーソナリティーの投票に過ぎず、これを乗り切れる人間などそういない。それゆえ

As a result, the PM's approval rating falls day by day. The market is sensitive to this figure, leading to drops in the Nikkei Stock Average, which in turn pulls down the PM's approval rating. Japanese politics is caught in a vicious circle. A Japanese prime minister is expected to do an impossible job of implementing policies welcomed by the public, maintain a lovable character and exercise strong leadership on the world stage at the same time. This results in prime ministers with an annual income of approximately 30 million yen (US$325,000) being criticized by TV presenters earning hundreds of millions yen in income as "thoughtless of the public". The day might come soon when no one wishes to become prime minister in Japan.

ということです。元日経の方のようですが、メディアの政局報道への苛立ちが表明されています。日本の首相の任期の短さをメディアにのみ帰責する訳にはいかないと思いますが(明治以来の首相任期を想起しましょう)、ここで言う「悪循環」現象が現在存在しているのは確かだと思います。どうでもいい情報ばかりで本質的な議論を喚起するための素材提供の使命を十分に果たしていないどころか邪魔ばかりしているという印象を受ける人はかなりの数に達するでしょうし、供給サイドでもそう思っている人はかなりの数に達するでしょう。どうしましょうかね。少なくとも一流紙ぐらいは矜持を保って欲しいのですけれども、率先して政局を動かそうと仕掛けますからね。ふう。

"Norms of citizenship law"[Mutantfrog Travelog]
国籍法についてかつて大先生が盛んに流していたデマをとりあげている記事。なかなか考えさせられるコメントもありますね。血統主義と生地主義の歴史的展開の話は本当に複雑なんですよね。お手軽日本人論と結びつけて批判する人は大先生ならずともけっこういますが、そんな単純な話ではないです。ドイツと対比されてよく例に出されるフランスの国籍法についてもそもそも父系血統主義の元祖はナポレオン法典だという重要な事実をスルーしていはいけませんし、フィヒテとルナンの国民概念の対比を国籍法に重ね合わせるのは単なる歴史の無視でしょう。新哲学派の面々は歴史などお構いなしなのだということも忘れてはいけませんし、ルナンという人が悪名高い人種主義者で政治的にも反動派だという事実も省略すべきではないでしょうね。明治日本の国籍法でも血統主義と民族主義とはもともと別物ですし、帝国というものを無視しては国籍法は議論できないでしょうね。この点については私も勉強しないといけませんが、要はイメージで語ってはならないということですね。

おまけ
"Corporate Japan's War Stories" by William Underwood and Mindy Kotler[Far Eastern Economic Review]
Underwood氏とKotler氏の黄金コンビのご登場です。これまでのまとめといった感じで内容はpoorとしか言いようがないものでありますが、彼らの私的な正義の法廷の被告人をCorporate Japanとしているところがポイントです。クリントン時代に見られたような目立った動きはないだろうと予測しますが、まあこの二人の動きはモニターしておいたほうがいいです。Underwood氏は長年麻生氏を付け狙っている自称研究者ですね。またKotler氏の活躍はReconciliation between China and Japanという麗しい名の一方的な日本糾弾サイトで見られます。中国ではなく慰安婦ネタばかり書いているんですけれどもね。善意の人なんでしょう。でもこの人の東アジア史の絶望的な無知には溜息がでますし、ダブルスタンダードが非常に香ばしいです。中でもトルコのアルメニア人虐殺非難決議の際にこの人が見せたダブスタのことは決して忘れないでしょう。日本語読めなさそうですからここに日本語で書いても無意味かもしれませんが、米国の例の決議はあなたが思っている以上に深く持続性のある心理的インパクトを及ぼしていると思いますね。なぜかって。他ならぬ米国だからですよ。普段はなんとも思っていなくとも抑圧された記憶が回帰するという人々もけっこういる訳ですね。自己満足と引き換えになんだか困った人々を増やしてしまったようですね。ふう。文脈をわきまえない善意の介入主義は悲惨な結果をもたらし得るのだぐらいのことは学んで欲しいです。謝罪だの和解儀礼だので平和が実現すると思うほど私はナイーブではないのですけれども、そうですね、ジェニファー・リンド氏ぐらいのリアルな認識も持っていただきたいです。公正と正義を愛するならばマルチラテラリズムでやるというのもあると思いますよ。それがこの地域の大いなる和解につながるとは思えませんが、救われる人も個々にはいるのでしょうから。とっても判りやすいダブスタぶりから見てアメリカン・ナショナリズムを超えることは期待していませんけれどもね。

"Young 'Zainichi' Koreans look beyond Chongryon ideology"[Japan Times]
このブログでは批判的に言及することがありますが、別に私は根っからのJT嫌いという訳ではないです。あまりにも懐かしい論調の記事は別にして日本語のメディアではあまり読めないような記事が掲載されることがあるのは事実ですから。この記事は北朝鮮系の在日の若者の最近の動向を扱ったものです。話には聞いていましたが、イデオロギー離れの傾向は加速しているようです。拉致事件というのは戦後的なタブーを本当に破ってしまった事件だったのだなとしみじみと思ってしまいました。葛藤の中におられるようですが、みなさんに幸いがあらんことをお祈り申し上げます。私にはべき論を語る資格はなさそうですが、一つだけ言えるのは、イデオロギーなんてつまらんもんですよ、本当に、ということです。

追記
少し修正しました。タイトル変更しました(2008/12/16)。

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今さらですが

戦後史のなかの日本社会党?その理想主義とは何であったのか (中公新書) Book 戦後史のなかの日本社会党?その理想主義とは何であったのか (中公新書)

著者:原 彬久

販売元:中央公論新社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

2008年の師走のこの忙しい時期に日本社会党の歴史を個人的に回顧することほど無益なことはまたとあるまいという気もしてきますが、やはり戦後政治史を回顧するにはこの政党を無視することはできません。社会党関係の書籍も折にふれてそれなりに目は通しているのでありますけれども、率直に言って少数を除くと現在の目から見て面白く思えるものはほとんどありません。本書は社会党の通史ですが、戦後政治とはなんであったのかという問題意識に貫かれているため社会党そのものに興味のない人にでも読める内容になっています。明晰かつバランスのとれた記述スタイルで非常に読みやすいですので政治に多少とも関心のある人ならば読んでおいて損はないでしょう。たぶん途中から気が滅入ってくると思いますが。一部だけ紹介します。

現在の目から見るならば、どうしてもあり得たかもしれない戦後史の視点、条件法過去の視点において回顧する他ないのですが、そうした視点から見るならば、やはり敗戦直後から片山政権時代に特に興味を惹かれます。社会党の思想的、運動的水脈は言うまでもなく戦前の無産運動に遡ります。農民労働党転じて労働農民党が分裂した結果生まれた代表的な三つの潮流たる日無系、日労系、社民系、この三派がそれぞれ後の社会党左派、中間派、右派を形作ることになった事実は著者も強調するようにこの党を理解する上で最も基本的な事実として想起されなければなりません。この三派が戦後になっても党内の路線対立や派閥対立の軸をなすことになるからです。日無系は共産党の支配を嫌った労農派マルクス主義者を中心としますが、最終的に社会主義革命を理想としている点では共産主義からさほどの距離はないイデオロギー集団です。次に日労系ですが、総力戦体制と深い結びつきを持っていた集団で岸新党いわゆる護国同志会のメンバーが多数含まれていたことでも知られています。以前紹介した雨宮氏の分類では「高度国防派」と「社会国民主義派」ですね。最後に後に民社党へと分裂することになる右派の社民系ですが、マルクス主義の影響の薄いこの集団のリーダーたる西尾末広が社会党結成の立役者であったこと、当初は社民系と日労系が中心で左派の日無系は少数派であったことが重要かと思われます。

また社会党党首として当初は徳川義親侯爵、さらには有馬頼寧伯爵を党首に担ごうとした点も興味深いです。前者は徳川19代当主にして戦前の軍部右翼の「国家改造計画」への関与で有名であり、後者は大政翼賛会事務局長で鳴らした人物といった具合に初期の社会党は総力戦体制の香りの濃厚な政党であった訳です。かくして結党大会において社会主義者達によって天皇陛下万歳や国体護持の称揚が堂々となされたこともなんら不思議ではありません。最後に党名論争においてマルクス主義階級闘争論に立つ日無系が「社会党」を望み、反共かつ議会制民主主義を重視する社民系が「社会民主党」を望んだこと、階級政党なのか国民政党なのかという問題が既に党名で争われた点が重要でしょう。日本名「日本社会党」英語名「ソーシャル・デモクラティック・パーティー・オブ・ジャパン」という意味不明な—考えてみれば意味深長な—妥協に終わった訳ですが。

戦後初の衆参総選挙で第一党に躍進した結果、社会党、民主党、国民協同党の連立による日本で最初の社会主義政権たる片山哲内閣が成立した訳ですが、著者によれば、戦後的な意味における「革新」を呼号するこの政権が社会党右派主導政権であった点が重要とされます。固定化してしまった社会党のイメージとは大分違っているのですね。第二に経済安定本部、いわゆる「安本」長官に企画院事件に連座した革新官僚たる和田博雄が就任したことは「安本内閣」と呼ばれるほどにこの政権にとって大きな比重をもつ事実であったとされます。個人的に企画院→経済安定本部→経済審議庁→経済企画庁の流れに関心を持っているのですが、安本に集った統制主義の革新官僚や社会主義者の面々にはある種の感慨を抱かされます。最後にここまでGHQの対日占領政策への応答が外交のすべてであったステージを脱して「日米共同防衛」構想を提出した点が戦後史における重要な転換点と評価されています。冷戦の高進にともない芦田外交が始動し始める訳ですが、本書ではガスコイン英代表との会談の内容について芦田メモから紹介されています。ここから伺えるのは後の日米安全保障体制の下絵が社会党右派と保守派の協同によって描かれたという事実です。少なくともこの時期の右派優位の社会党は欧州的社民主義を志向して資本主義陣営との連携を模索していたという点が重要でしょう。

私個人としては社会党の歴史で興味深いのはどうやらこの55年体制完成以前に限定されているようです。ある意味で社会党が最も輝いていた安保騒動については華麗にスルーすることにします。ま、その非現実的な目標は別にして社会運動史的文脈において全否定はしませんけれども。批判はしても全否定はしない主義ですので。また1960年代の構造改革派の江田三郎ブームをうまく利用すれば、欧州的社民主義ないし市民主義政党に脱皮してあるいは党勢を回復することもできたかもしれませんが、原則論において議会制民主主義を否定し、国民の代表たることを拒否している左派優位が決定的になって以降は勝利などあり得なかったという話です。自己改革能力を失って以降の路線対立も派閥争いもその哀れとしか言いようのない外交政策からも学ぶべきものはないでしょう。社会進歩的提言を時にはなしたこと、容共勢力を内部に抱えたことで日米関係強化に逆説的に貢献したことなどを取り分として認めることもできるかもしれませんが、後者は望んだものではないですからねえ。自由党と民主党の二大政党で戦後再出発していたら・・・とか岸信介が右派社会党に入党してあの恐るべき権謀術数で左派社会党を壊滅してくれていたら少なくとも欧州的な保守と社民主義の対立構図にもっていけただろうに・・・とか歴史にifを持ち込んではいろいろ考えてしまいます。

終章の「日本社会党の理想主義」で著者の社会党の評価が端的に示されています。通常の議会制民主主義において当たり前の権力移動システムが機能しなかった理由として社会党の「理想主義」を著者は重視しています。ここで著者は現実主義-シニシズムと理想主義-ドリーミズムの対概念で説明しようとしていますが、要は後者は前者の頽落形態であり、現実との接点を失って主観主義の牢獄に落ち込んだ社会党は心地よいドリーミズムに微睡み続けていた。また議会制民主主義が機能するためには「体制」へのコンセンサスが前提となるが、戦後日本の議会制民主主義はこの点で極めて脆弱であった。米ソ冷戦構造下にあって一方に自由主義、民主主義、資本主義を価値とする日米同盟にコミットする保守陣営がいて、他方に労働者中心の社会主義を標榜して中ソ北朝鮮に憧憬をよせる左派優位の社会主義陣営がいる。ここにおいては政権選択は「体制選択」そのものを意味してしまう。かくして政党Aに国民が不満を抱いているにもかかわらず、政党Bを選択することができない時政治不信は不可避のものとなる・・・

要するに戦後の政治エリートは国民に選択肢を提示することに失敗したということですね。私は別に戦後日本に対して自虐的ではなく胸を張って誇るべきだと思っていますが(「同時に」戦前を否定すべきだとも思いませんが)、やはり政党政治の成熟が遅延してしまったこと、安全保障体制の整備が中途半端に終わったこと、この二つの負の遺産が克服されるべき課題として残されていることは、カオス的な様相を呈している現在の政局を眺めるに日々実感されるところであります。もっともここ20年ぐらいずっと実感されるところな訳でありますが。とほほ。民主党内の元社会党のみなさんも「結党三人男」の精神を思い起こしていただきたいものです。彼らはそこまで愚かではなかったです。

おまけ
"Facing the Past: War and Historical Memory in Japan and Korea" by Gavan McCormack[Japan Focus]
エマニュエル・トッド氏言うところの「構造的反米主義者」—冷戦時代の亡霊—たるマコーマック氏がなにかまた呟いています。この記事そのものは特にコメントに値しないのでスルーします。日本に過去との直面を要求するのもいいですが、その前にあなた自身が自身の過去と向き合って自己批判することを私は待っています。Japan Focusの編集委員のみなさんはなぜこの道義的に疑わしい御仁を批判しないんですか。まあ似たり寄ったりの亡霊がメンバーに含まれていることは承知しておりますから最後のは修辞疑問です。人間ですから間違えることはあると思うのですよ、でもまずその事実を認めるところからすべては始まるのではないですか。それがないからいつまでも変われないんです。Yes, you can! 

"Back to the baths: Otaru revisited"[Japan Times]
ポール・ド.ヴリ氏による大先生の批判。読者欄でも呼応する声あり。ポール氏の「連帯責任」の説明には同意しませんが(アジアでなくとも起こりえる話です)、大先生のダーティーなやり口はもはや周知のところであり、今後も批判の声は高まるばかりでしょう。こんなやり方ではバックラッシュしか呼ばないなんてことは少しでも自国の移民をめぐる状況に真剣に思い悩んでいる人であればすぐに判る事柄です。最近はオバマ政権の誕生が自分の活動の正統性につながるなどといった甘い夢想を抱いているようですが、言うまでもなくそんなことはあり得ません。残念ながら公的に謝罪しない限りはあなたの汚名は消えません。あなたも変わらないといけない。Yes, you can!

追記
一部加筆しました(2008/12/12)。ちなみに社会党右派の指導者にして民社党初代委員長の西尾末広の自伝、それから革新官僚転じて社会党政審会長、国際局長の和田博雄の伝記はいろいろ考えさせられてなかなか面白かったです。特におすすめはしませんが。

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デジャヴュな日々

"Après la démocratie", d'Emmanuel Todd : la société française en crise[Le Monde]
"Europe urged to protect and survive"[FT]
以前「保護主義の声」というエントリで歴史家にして人口学者にして社会学者のエマニュエル・トッドの経済自由主義批判と保護主義の訴えについて少し紹介しましたが、新刊の「民主主義以後」の書評が出始めています。現物は読んでいません。多分そのうち邦訳も出るでしょう。なぜか日本にはファンが一定数いるようですから。私自身は人口学的、家族論的な著作には刺激を受けた記憶はあるのですが、その大仰な口吻の時事的な評論はどうも好みに合わないようです(ちなみに日本には核武装を勧めています)。今度の著作ですが、反グローバリズムの書のようです。それでル・モンドとFTに書評が出ているのですが、奇妙なことにル・モンドがこき下ろし、FTがわりと好意的な評になっています。前者は、こいつは冗談を言っているのかといった冷たい反応ですが、後者は自由貿易主義の議論について問題提起をしている書だというあまりらしくない評です。なにがあったのでしょう。紹介を見ている限りでは、要は、今の世界というのは先進国が中国とインドを経済的に搾取することによって成立しているが、先進国の生活水準の低下と民主主義の機能不全がその巨大な対価である、欧州は英米型の自由貿易主義を袂を分って断固として保護主義政策を採用して中国の労働者との競争から自らの労働者を守らなければならないということのようです。それでフランス政治についてはサルコジはもはや沈める船に過ぎぬアメリカに追従する愚か者で、ロワイヤルの空疎な人気ぶりを見ると社会党ももう駄目だということのようです。またエリート層はもはや革命前の貴族層のごとく傲慢で選挙民の声など無視している。ポピュリズム現象の背景にあるのはイデオロギーと宗教の空洞化であり、反民主主義的なエリート勢力が成長し、イスラム移民を標的にした排外主義を煽って選挙民の不満を逸らしていると。タイトルの「民主主義以後」というのはグローバル・エリート専制みたいなイメージなんでしょうかね。ともかく保護主義によって民主主義が復活し、賃金水準が上昇し、社会的連帯も強化されるということのようです。なんだかひどい論理の飛躍があるような気もしますが、こういう論調そのものは実はフランスではけっこうありふれたものですから、別にいまさら驚きはしません。ただトッドはそれなりに有名な人ですから、それがここまでストレートに保護主義を主張するというのは兆候的な現象に見えます。こうした保護主義の声の高まりを予期し牽制するかのようにVoxEUも反保護主義のE-bookを新たに公表していますね。

"Rencontre historique entre Sarkozy et le dalaï-lama"[Le Figaro]
北京のあいかわらずの強烈な恫喝にもかかわらず、土曜日にグダンスクでサルコジ氏がダライラマ猊下と会談した模様です。猊下は独立を望んでいる訳ではないと述べ、大統領は中国の主権を侵害する意図はないと述べるといった具合にこの会談そのものを過剰にドラマタイズしないように配慮しているようです。かならずしもそうなることを意図していなかったにもかかわらず、行きがかり上すっかり強硬派のような立場に置かれてしまった仏国ですが、ここで会談という展開はなかなか悪くない人権カードの切り方だったのではないでしょうかね。これで両者の仲介役としての役割を果たす資格を得たということなのかもしれませんから、やはり時には根性を見せることも大切なのですね。もっとも中国はあいかわらず恫喝しているようですし、チベット問題についてのフランスの国家戦略はまだよく見えてきませんけれども。

"Devedjian et l'avenir de son ministère"[Le Figaro]
"Hortefeux appelé à devenir le nouvel homme fort de l'UMP"[Le Figaro]
サルコジ氏の盟友にして失言野郎のドゥヴェジャン氏がこのたびUMP幹事長から経済回復大臣に就任したようです。このたびの危機に対応して新設された特命大臣職です。ドゥヴェジャン氏が入閣できずにこぼしていたのは知っていましたが、それほど経済に強いようにも思えませんのでやや意外でした。もっと重視されているポストかと思ったのですがねえ。党務はどうやら移民・国家アイデンティティー相のオルトフー氏が担当することになるようです。あまり我の強くなさそうな氏のことですからこちらはたぶん適任のような気がします。

"Le plan de relance de Sarkozy, toujours très critiqué"[Le Monde]
サルコジ氏が公表した260億ユーロの景気刺激策に対する社会党とモデムの批判の記事です。社会党第一書記のオブリ氏によれば、400億ユーロが銀行に注入されたのにこの景気刺激策は危機のレベルに対応していないとのこと。中道派のモデムのバイル氏もまたドゥヴェジャン氏が担当するこの刺激策は危機のレベルに対応しておらず、この規模では経済機構を再起動させるのには不十分であるとしています。他方、OpinionWayの調査によれば、国民の61%が賛成している模様です。OFCEのグザビエ・タンボー氏はこのプランは不十分なものであり、需要を喚起するにはほど遠いため、第二次の景気刺激策を待たねばなるまいとし、バークレーズのロランス・ボヌ氏はこのプランは「必要」なものであるが、景気後退のレベルに対応しているかどうかは疑問だとしています。この措置そのものは悪くないが、その効果は短期に限定され、家計に信頼を回復させ、投資を再活性化させるかどうかは確かではないと。

"Les économistes pronostiquent déjà un deuxième plan de relance"[Le Monde]
こちらはエコノミストのフィトゥシ氏とアギオン氏の意見を紹介する記事。サルコジ氏の260億ユーロの財政刺激策はケインズ主義の最も純粋な伝統に即したものであり、純粋主義者はこれに拍手を送っていると。OFCEのネオ・ケインジアンのジャン=ポール・フィトゥシ氏はこれは数ヶ月前から考慮していた理想的な刺激策であると激賞しています。これは「1981年以来最も重要な措置」であり、ミッテランが夢見たものをサルコジが実現したと。大部分のエコノミストはこの刺激策の二つの柱—銀行の萎縮により悪化した企業の支援と公共投資の推進—を支持している模様です。しかし別のエコノミスト達は消費と購買力の回復に関して疑問符を付けている模様です。ハーバードで教鞭をとるフィリップ・アギオン氏はアメリカやスペインのような家計に向けた消費と需用の真の刺激策が必要であるとしています。氏によればこの危機は需要サイドの危機であり、典型的なケインズ的状況である、したがって需要を直接に支える対応をなすべきであると。「供給サイドを対象とするフランスのプランは間接的な影響しか持たず、時間もかかるだろう」と。ジャン・ピザニ・フェリー氏は付加価値税の全欧州レベルでの減税を訴えている模様です。なんだか聞いたことのある議論ですねえ(遠い目)。

それから国家公務員の削減計画はアギオン氏によれば狂気の沙汰であるということです。むしろ公共セクターの雇用をつくる必要があると。また自動車産業支援についてはベルナール・マリス氏は必要ではあるが、これが優先的かつ戦略的なセクターであるとは思えないとしています。その他のエコノミストの意見も掲載されていますが、まず必要なことをやってはいるが、これだけでは不十分であり、追加的な経済対策が望まれるというのがコンセンサスのようですね。とはいっても供給サイド重視派と需要サイド重視派で意見が割れているようなのは日本の経済論戦と似ています。マルクスの亡霊がちらちらしているところも含めて。財政均衡主義者の悲鳴も聞こえてきます。

おまけ
"Conservatives, Clientelists, and Koizumians"[Observing Japan]
小泉政権以後の自民党の党内政治の動向をまとめています。第一次近似としては判りやすく悪くない説明なのではないでしょうか。ただ問題は各グループの内部構成と境界線ですね。英語圏の議論でいつも感じるのですが、コイズミアンへの期待から逆算的に勢力地図が表象構築されているという側面はないでしょうかね。コンサバとかクライエンタリストといってもいろいろあると思うのですよ。「保守」の語に込める意味合いもそれぞれなわけでしてね。やはりルネ・レモンばりに明治以来の政治諸潮流に関する総合的歴史の決定版を日本の歴史家が書かないといけないのかもしれませんね。慣用的なラベリングを徹底的に相対化して。そこには目くるめく多様性とともに驚くべき連続性もあると思うのです。いわゆる改革派も含めてです。それはともかく麻生政権がいわゆる上げ潮派を完全排除してしまったのはやはり上手くなかったように思えます。ある程度とりこんでおいて管理しておけばここのところ目立ち始めた離反の動きを最小化できたようにも思うのですがねえ。まあ政局についてはコメントしないでおきます。だいたい政局読みで当たったためしがないですので(笑)。

"Tamp down the old ways" by Hanai Kiroku[Japan Times]
以前靖国問題でアメリカ様に介入を願って泣きついた恥知らずな(別に参拝批判はいいですよ、でも自分の足で立ちなさいということです)元東京新聞のHanai Kirokuさんが、タモガミ・アフェアでまた煽っています。ブログにも書いたように例の論文は問題外であり、また幕僚長の職務にはこの人物は不適当であり更迭されてしかるべきというのが私の立場でありますが、かといってこういう論調にも与するつもりもないのです。

If no action is taken, Japan could start moving back to the age of military dictatorship.

といった個人的妄想を在日外国人に向けて垂れ流すのは止めていただけませんかね。客観的にそういう状況は存在していませんよ。見たでしょう、あのヒステリカルな反応を。それから軍事独裁ってなんなんですか。もしかして東条英機を「独裁者」かなにかと考えているのでしょうか。独裁であったらあるいは日米戦の開戦は回避できたのかもしれませんねえ。本質的に今とさっぱり変わらないですよ。弱い指導者が立っては引き摺り降ろされてとね。キツいかもしれませんが、ピアニストを撃つなというのは個人的にもう止めようかなという気分になっているのですね。まあそれほどの政治的すれっからしさんには見えませんけれども、記者さんのようですからピアニストということはないのでしょうね・・・Baaang!・・・ お元気で。

"Understanding Pearl Harbor"[Guardian]
ガーディアンのEri Hotta氏の記事。米国はパール・ハーバーから熱狂的愛国心ばかりでなく外交の重要性も学ぶべきではないのかという内容です。他者の屈辱感に対して鈍感過ぎるのではないかと。開戦に至る経緯について我々にはごく当たり前の話ですが、英語圏の記事ではあまり見ることはない解説がなされています。要はいまだに頭のおかしな連中が攻めてきたというナラティブですから。Hotta氏はアジア主義と先の大戦の研究をされている方のようです。著書は読んでおりませんが、英語でこうして意見を表明できる日本史研究者が増えることそのものはいいことなのでしょう。ただ本質的に違うがとはことわっていますが、イスラーム・テロリストと重ね合わせるような修辞は危ういのではないでしょうかね。実際、そこからカミカゼ=聖戦士みたいな奇妙なステレオタイプが生じている訳ですから。なおこの論調はフランス語圏の左翼層なら多分それなりに通じると思いますが、英語圏でもガーディアンの読者ならばあるいは通じるのでしょうか。いささか懐疑的なところがあります。

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宿命ですか

"The 'Honne-Tatemae' Dimension in Japan's Foreign Aid Policy Overseas Development Aid Allocations in Southeast Asia"
読んでいて頭が痛くなりました。たぶん善意の人達なんでしょう。批判はいいんですよ、でもこの論文のなにが憂鬱にさせるかというとタイトルからも判るように外国人受けしそうな「文化的説明」を恥ずかしげもなく披露している点です。「本音と建前」論の誕生が実は最近のことらしい(それ以前は言葉の意味も違ったらしい)という「歴史的事実」を知らないようですね。といいますか参考文献にアンチ日本人論やメタ日本人論を挙げているのになんでベタな日本人論を展開しているのか意味不明です。それからずいぶんと理想化しているようですが、諸外国の援助の実態を知らないのでしょうかねえ。日本に必要なのは自己満足を止めて厳密な成果の評価と戦略的視点を導入することだと思います。なお私は「文化的説明」は好みませんが、援助をめぐる戦略性の乏しさという点ではいわゆる「お大尽」志向のほうがイメージ的には説得的なような気がしますね。まあ見直されるべき時期だという点には同意しますけれどもね。

"The Anxiety of Influence: Ambivalent Relations Between Japan's 'Mingei' and Britain's 'Arts and Crafts' Movements"
民芸運動とイギリスのアーツ・アンド・クラフツ運動の影響関係に関する考察。産業主義への反発から英国で生まれたモリスやラスキンらの伝統工芸の復興運動が柳宗悦の民芸運動に与えた影響についての入り組んだ関係を解き明かそうとしています。モリスやラスキンの著書はすぐに翻訳され知識人の世界ではブームとなった訳ですが、柳は民芸運動を日本オリジナルな運動と称して影響関係を認めなかったとされます。論者はこのアンビヴァレンツに西洋コンプレックスとナショナリズムの結合を読み取っています。また柳による朝鮮の民芸の美の発見の眼差しには帝国日本の他者に対するオリエンタリズムがあったとしています(「オリエンタル・オリエンタリズム」)。一方で英国では自己の文化的優越性を維持すべく日本の工芸を「野蛮」視するという冷ややかな態度が一般的であった点を指摘することを忘れていません。最後に西欧への劣等コンプレックスを抱くアメリカにおいては日本の工芸は欧州の工芸に匹敵するものと絶賛されたのことです。西欧コンプレックスを媒介に日米が結ばれるわけですね。いささか図式的な感じもしますが、イメージとしては判らなくもありません。

ただこの論文では近代日本の美的階層秩序の中における民芸が占める位置への言及が乏しいような気がしました。近代日本では「美術」制度は非常に不安定な状態だったわけで近代英国におけるモリスの占める位置とはやはり違うわけですから。またロシアの影響に言及しないのもどうかと思うのですがね。民芸運動というのはトルストイ主義や白樺派運動とリンクしているわけですよね。大正時代の日本帝国をめぐるジオカルチャラルな構図を描くのだとしたら、最大の仮想敵国である一方で知識層が非常に親近感を抱いていたやはり西欧への劣等コンプレックスに苦しむ大国ロシアへの言及は省くべきではないように思いました。あれがないこれがないというのはあまり上等な意見ではないのでしょうけれどもいわゆる大正生命主義に多少興味があるので柳宗悦のもう少しややこしい位置づけをおさえて欲しかったのです。

"Yosano rejects increased public spending"[FT]
"Japanese stimulus will fail, warns minister"[FT]
"Japan shuns role as leader of recovery"[FT]
与謝野氏がFTのインタビューでなにか評論家風の発言をしています。政治家としてこういう場面で正直に持論を展開するのは止めていただきたいのですが、与謝野氏になにを言っても無駄なのかもしれません。政策余地は少ないができることはしていきたいぐらいのことを言えばいいのに、ここで日本はなにもしないぞ宣言を高らかにされてもね。いや、そんなに大規模な財政政策を期待しているわけではないのですが、ここまで頑固だとは思わなかったです。私も見る目が甘かったようですね。ふう。ところで関連記事が3本もあるのはなぜでしょう。財務省からのクレームでもついたのでしょうか。どれも似たような記事に見えますけれども。「宿命論」というのは言い得て妙ですね。意図はともあれこれだと単にもう駄目だとしか聞こえないのですよね。

"German complacency poses a serious threat"[FT]
ミュンヒャウ氏のドイツについての論評。ドイツの欧州協調の拒絶が深刻な脅威となるという内容ですが、ドイツが意固地になっている理由として、ドイツの経済「構造主義者」の癖のある思考(改革はすべてうまくいっている)、歴史的にこうしたスランプに対応する能力のなさ(メルケルは大恐慌時のハインリヒ・ブリューニングと同じ)、最後にメルケルとサルコジの強烈な敵対感情の3つを挙げています。ドイツ経済の沈没もあきらかであり、またドイツがこの路線に固執する限り、欧州レベルでの適切な対応は不可能だ。アメリカの景気刺激策は大規模に過ぎ、欧州の財政刺激策は小規模に過ぎる。ECBの金融政策は限定的な効果しか持たない。最後は例のごとく

The dual problem in the eurozone, and in Germany in particular, is the conviction that all economic policy is structural and that the creation of a single currency is irrelevant to economic policy. The fallacy of those convictions will be demonstrated shortly – at crippling cost.

と暗い見通しを示しています。ところで“We can only hope that the measures taken by other countries ... will help our export economy.”に日本の本音と似たものを感じてしまったのは私だけではないでしょう。

おまけ
"De latrinis Japonorum"[Ephemeris]
エフェメリスで日本の便所のニュースが報じられています。世界に冠たる我が邦のハイテク便所でありますが、ラテン語で関連記事を読むことになるとは思いませんでした。俳句が引用されていますね。

"Fert mihi sola mea in vita latrina calorem."

人生で暖かみを与えてくれるのは我が便所だけだといった意味です。ラテン語になるとなにか違った響きがありますね。ポンペイの壁に遺された古代人の落書きみたいです。

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