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西から東へ

愛用のマックは手術を受けている最中で、ありえないほど古臭いパソコンを使っているのですが、この驚異的な遅さにも徐々に慣れているのが恐ろしい話です。いいじゃん、スローなネットライフでもという気分になっています。読み込むのに十秒ぐらいかかり、テキスト以外ほとんど見られないのですが(笑。以下、記事のクリップをしておきます。

"And worse to come"[Economist]

エコノミストの欧州シリーズが非常に簡潔ですが、当地の雰囲気を伝えています。これはスペインの光景。サラゴサのストの掛け声から始まるこの記事ですが、壮大なバブル崩壊を経験した同国の失業率は政府予測では13%から16%、あるビジネススクールの予測では20%に達する模様です。記事ではエキスポの建設ブームに沸いたアラゴンの苦境が言及されていますが、特に移民と若年層の雇用の問題が深刻化しているとのこと。母国への帰国を促す政策については以前から報じられていましたが、これは機能していないとのことです。ブームの時期に大量に入った移民の子弟が学校からもドロップアウトして失業者化しているようです。社会問題化するでしょう。

"A time of troubles and protest"[Economist]

こちらはフランスの光景。パリ西部のプジョー工場のあるポワシーを覆う不安と沈鬱に同国の空気を代表させています。日本同様に短期雇用労働者の解雇が進んでいるのですが、同国の失業率は2010年には10%の大台に達することが予測されているようです。これが今後社会不安を高めることになるとして学生組合と労働組合の動きに注意を向けています。外国人向けにアナルコ・サンディカリスムの伝統を解説し、特にSUDの動向を報じています。ええ、確実にこの機を逃さないでしょう。また国際ニュースで騒がれるのではないでしょうか。で一般市民はわりと平気な顔をしていると。

"To the barricades"[Economist]

こちらは東欧全体を扱っていますが、中心になっているのはラトヴィアです。IMFの緊急融資を受けた同国ですが、リガでは暴動が発生した模様です。借金漬けの状態で金融がメルトダウンということで緊縮財政と増税しか手がないようです。IMFは通貨ラットの切り下げとユーロの採用を勧めているようですが、政治的に不可能な状況のようです。リトアニアも同様の苦境に置かれているようですが、エストニアはまだましとのこと。緊縮財政をとるか財政拡大をとるかの選択肢が残っているだけポーランドはましだが、借金漬けのハンガリーには選択肢はなし、と各国で状況に差異はありますが、東欧の多くの債務国で財政政策をとることはできず、通貨ペッグ制も不安定性と厳しい条件への適応負担をもたらしていると記事はまとめています。アジア通貨危機以前の東アジア諸国にも似たこの地域の発展モデルはこの危機の試練を乗り越えられるのでしょうかね。

欧州経済についてVoxeuの記事が関心を引いたので紹介しておきます。

"The looming divide within Europe" by Zsolt Darvas and Jean Pisani-Ferry[Voxeu]

こちらは欧州内部の非対称性を扱った記事です。スムーズな経済統合をすると思われた欧州連合新加盟国の脆弱性が露呈している。ユーロのシェルター効果の利益を享受する国とそうでない国とに欧州は分裂している。ユーロ圏の危機管理は中東欧地域では金融機関とユーロ圏諸国の利害に偏向し、地域の状況を悪化させていると非難されている。逆にユーロ圏のオブザーバーは非ユーロ圏諸国の政策対応を不適切であるとみなしている。それは確かだが、ユーロ圏で採用された政策がこの非対称性に貢献しているのもまた事実だ。西側が採用した非協調的な預金保護と非対称的な流動性、クレジット管理がチャンネルとなっている。実際、新加盟国の地元の銀行のユーロへのアクセスは制限されている。最後にこのたびの危機は欧州連合レベルの監視システムの不在を明らかにしてしまった。一方のみを非難すべきではないのだが、政治的対立には理由がある。ユーロ圏への加盟がこうした問題の解決策であると考える者もいるし、欧州連合はキャッチアップ経済の国々に不適切な基準を設けていると非難されている。ユーロ圏加盟交渉の迅速化には理由がある。しかしチェコとスロヴァキア経済が示すように、ユーロ圏メンバーであることは安定の鍵とは必ずしも言えないし、新興経済に低すぎる実質金利を課すことは避けるべきだという意見は有効だ。以下、具体的な政策提言をしていきますが、ここは省略します。双方の非難には理由があるが、ユーロ圏は自分達の政策が非ユーロ圏に影響を与えていることを認めて、オープンに議論し、共通の結論が導かれるようにしないといけない。さもないと欧州内部の新しい分断が生み出されることになるという結論ですね。

"Was the euro a mistake?" by Barry Eichengreen[Voxeu]

軍靴の響きではないですが、リラ復活!リラ復活!の響きが私の耳には聞こえているのですけれども、アイケングリーン教授のこの記事はこの問題について扱っています。現実問題としてユーロ圏の加盟は後戻り不可能であり、そこからの離脱は深刻な金融危機をもたらすために不可能な選択だ。しかしそもそもユーロは間違いだったのか。批判派は非対称ショックを根拠にしている。非対称的ショックが債務国を襲った時には政府は財政政策を展開する能力がない。国家間での再分配メカニズムがない以上は唯一の選択はデフレと失業のみだと。我々が目撃しているものの一部は明らかに非対称的な金融ショックだ。債務を抱えるギリシアや、住宅バブルの崩壊したアイルランドやスペインの苦境がそうだ。しかし時間が経つにつれてネガティブな経済ショックが全ユーロ圏に及んでいることも明らかになりつつある。程度は違うにしても全メンバーが同様の経済的苦境に立たされている。このショックは対称的なのだ。つまり共通の金融政策が適当であることを意味しているのだ。ECBに対してゼロ金利、量的緩和を求める圧力がかかっていくだろう。今や不況とデフレはユーロ圏全体に及んでいるので財政刺激についても合意できるはずだ。ドイツのような予算に余裕のある国がこれを行えば、債務国の手助けにもなるだろう。無論これは政策担当者が正しく行動することが前提になっている。ECBはインフレへの固執を捨てて、ゼロ金利、量的緩和策を採用しなければならなくなり、ドイツは赤字フォビアを捨て、財政刺激策を採用しなければならないだろう。ロスする時間はない。2008年は非対称的な金融ショックの年だったが、2009年は対称的経済ショックの年だ。政策担当者は行動しなければならない、とのことです。政策担当者が合理的に行動できるかどうかですが、うーむ、という感じがしますね。離脱組の出現は確かに現実問題としては可能性は低いのでしょうが、内輪もめしている間にずるずるという図が浮かんでしまいます。うるさい政治家が揃っていますからねえ。また政策的には教授の提言の通りなのですしょうが、いくつかの国を除くとそれで救済できるほど甘い状況ではないように見えてしまいますね。いえ、勿論分かった上でよりましな未来のための提言をなされているのでしょうけれども。教授の大恐慌の説明に従えば金本位制からの離脱とユーロとの固定相場制からの離脱が重なってしまうのですが・・・どうも昔からユーロに懐疑的なこともあって私の見方にはバイアスがあるかもしれませんね。

ではでは。

おまけ

"Japan's outcasts still wait for acceptance"[NYT]

"Discrimination claims die hard in Japan"[Japan Times]

"Breaking the silence on Burakumin"[Japan Times]

なぜだかよく判りませんが、先週ぐらいから英語圏が部落問題で騒ぎ始めていますね。なぜ今なんでしょう。アイヌの次ということなんですかね。オバマ大統領就任記念の大西記者のNYTの記事は涙を誘うほど貧弱な出来でしたが、今度はジャパン・タイムズの番みたいです。ちなみに大西氏の記事についてはGlobalTalk21の奥村さんが批評されています(コレコレコレ)。これに便乗したジャパン・タイムズの記事は記事の前半と後半が言っているところが矛盾しているところが奇妙です。前半のコピペ部分と後半のインタビュー部分ですね。裏事情は知りませんが、野中氏の凋落とこの問題を結びつけるのはそもそも無理があるように思います。政治改革の進展とともに野中氏的な政治手法がダーティーとみなされていくプロセスを眺めていて当時その政治的な「進歩」を寿ぎつつも滅びゆく者達へのいくばくかの愛惜の念を抱いたものでした。ムネオ先生もそうですね。個人的には任侠的なものとか浪花節的なものとか-なんと呼んだらいいのかよく判りませんが-はそれほど嫌いではないので。

で、もう一本のジャパン・タイムズの記事はこれらの惨めな記事に比べればだいぶ文脈に敏感に思えますが、英語圏を含めて各方面から批判された国連のあの報告を錦の旗のごとく用いている部分にはやや溜め息がでます。いえ、差別が存在しないなどと言いたい訳ではありません。そうではなくてそもそも多文化主義的なアジェンダとなじむ問題なのかどうか少し疑問に思うのです。人種やエスニシティ-に基づく差別とはやや違うという点でやや違う戦術がとられるべきなんじゃないでしょうかね。私には中長期的にはいい方向に向かっているように思えるのですけれども、楽観的に過ぎるのでしょうか。なお確かにネットのヘイトスピーチは問題だと思いますが、記事の主張とは違って一昔前では考えられないほどタブーは解けてきていると思います。ちなみに私はこの問題が存在しない場所に生まれ育ったせいか、その後いろいろ学んだ訳ですけれども、いまだにforeignな話に感じられてしまいます。知識としては理解しているつもりでも実感としてはよく判らないなということです。

追記

"Economic Crisis Fuels Unrest in E. Europe"[WaPo]

ラトヴィア情勢のより詳しいリポートです。これを読む限りでは政権の動揺はあっても根本的なイデオロギー的混乱にはなりそうにないですね。同国にとってはロシア系の問題や無国籍者の問題が大きいと言われますが、ここに引火しなければいいです。

再追記

EUの南端が崩れる時 南北格差が生む亀裂、ユーロ離脱の動きも?[JBPRESS/FT]

ユーロに関するFTの記事の邦訳。ギリシアは文化的に欧州ではないという感覚があるんですよね。トルコとあんまり変わらないと。この辺の感じが判るようで判らないところです。それでやはりイタリアが鍵になりそうですね。

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コメント

>一昔前では考えられないほどタブーは解けてきていると思います。

その一例が、こんなところにも出ているようですね。
構成員約4万人、彼らはなぜ存在するのか~『山口組概論』 猪野健治著(評:荻野進介):日経ビジネスオンライン
http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20090116/182991/

> ちなみに、二十数年前、やくざになる人間といえば、被差別部落出身者、在日韓国・朝鮮人、市民社会ドロップアウト組がそれぞれ3割ずつだったが、最近は市民社会ドロップ組が過半を占めるようになった、と著者は言う。前二者が少なくなったのは進学や就職面での厳しい差別が緩和されたからだ。

僕はその問題が濃厚に存在する場所で生まれ育った人間なので、「人権教育」なんかも受けましたねえ。確かに1980年代前半の時点では、問題はまだ大きかったと思います。ジャパン・タイムズはまだそのころのイメージで見ているのかもしれませんね。

投稿: Baatarism | 2009年1月26日 (月) 10時28分

アイヌもそうですが、反差別の掛け声と実態がずれている感じがするんですよね。社会的現実のほうがどんどん変わっているのに認識が追いついていない印象を受けます。

リンク先の新書は面白そうですね。引用部分はなるほどなあと思いました。ストレートに反映されるもんですねえ。

投稿: mozu | 2009年1月26日 (月) 13時17分

私はその問題が濃厚に存在する関西地方の公務員ですが、彼らは正直恐ろしいです…

彼らのための特別予算が(道路とか住宅とかの整備費用、部落の子どもたちのための補助教育とか)いまだに組まれ、聖域化して手が出せません。恐ろしいことになります。
部長クラス以上になると、正月は彼らの幹部のところにご機嫌伺いに行きます。
何か要求があると、数人でやってきて、
「おれたちも事を荒立てたくない。数百人で押しかけてきてもいいんだぞ」とにやにや笑いながら、脅しつけます。

関西のある市では差別的言動をしたとかで、白昼堂々中学校から子供が誘拐されました。
小泉政権時代にその人たちにメスが入ってはじめて新聞に載りました。
(学校の先生は止めなかったのかときかないでください…私でもとめられないと思います。身が危ないのです)

私たちの間では、人権課に配属されると、
数年で精神がまいるといわれているんですよ。

教科書改訂の時には集団で押しかけ障害事件を起こし、後日また数十人で押しかけ、たった一人の対応者につめより罵声を浴びせていました。

何より怖いのは、30代の小さなお子さんのいる一見普通のお母さんたちまでもが、その中にいてやくざまがいの言動をするということです。

私も公務員になるまでは実情を知りませんでした。時々市役所の前でそれらしいシュプレヒコールをあげているあの人たちの役所前での言動はまだましで、役所内で私たちとだけになったとき、あんなものではありません。

そのほかその地域に工場や店をたてる民間企業が幹部にはらうみかじめ料も巨額です(もちろん違法です)。

アンタッチャブルですよ…
利権に最近確かにメスが入ってきたようですが、いまだに彼らは恐ろしい特権階級です。

よくわからないでいられるMOZUさんやコメントされておられる皆さんがうらやましいです。

投稿: | 2009年1月30日 (金) 12時02分

生々しい証言ありがとうございます。まだそのあたりの利権構造にメスが入り始めたところなんですよね。ふう。ただそういう部分がだんだん可視化され始めているところ、こういう構造そのものが差別意識を延命させるという認識が広まりつつあること、行政対象暴力の概念が生まれたところなどはやはりここしばらくの進歩だと思うのです。問題からひどく遠いところからの呑気な発言に聞こえるかもしれませんが・・・、御気苦労の多い御職場のようですが、何卒ご自愛下さいませ。コメントありがとうございました。

投稿: mozu | 2009年1月30日 (金) 22時28分

北海道在住のものですが、いわゆる「部落問題」については成人して内地の方に聞いてから初めて知ったくらいにこの地域では馴染みがなく、日本広しといえどこの認識の差には驚かされた記憶があります。「人権教育」というものもなくさらっと歴史を教わったくらいです。

そんな地域柄、知る機会といえばもっぱら人づてに聞くかテレビで知るかなので今回ここを読ませて頂いてその根の深さに驚きました。
自分も問題からひどく遠いところからの呑気な発言に聞こえるかも知れないですが・・インターネットにより情報の発信と拡散がより早く自由になった昨今、そういった問題がより多くの方に認識され、メスが入る事を願ってます。

アイヌの事に関してですが、それらの歴史と文化を学ぶ事多々はあったものの過剰なものではなかったので昨今の注目のされ方には違和感を覚えていたりします。(特に違和感を覚え始めたのは去年のオリンピック後からサミット前くらいからでしょうか・・)
とはいえ現地の感覚では「何か最近特集多いよね~」なお気楽なものですが。変に過剰になっておかしな方向へゆかないよう願ってやみません。


投稿: えこ | 2009年2月 1日 (日) 00時49分

アイヌについても歴史や神話には興味はあっても実感には乏しいところがあります。北海道のアイヌの方と都市部に居住するアイヌの方とはそうとう意識差が生まれていると聞きますが、例の先住民決議前後でなにか変化があるのでしょうかね。アイデンティティーの承認の政治というのも否定はしないのですが、生活実態からかけ離れたところで観念だけの話になるとかえって苦しい思いをする方が生まれるのではないかというような危惧もなくもないのですね。いらぬお世話かもしれませんけれども。

投稿: mozu | 2009年2月 1日 (日) 04時58分

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