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政治的オーラ

"Commercial Appetite and Human Need: The Accidental and Fated Revival of Kobayashi Takiji's Cannery Ship" by Norma Field[JF]

小林多喜二の新書を刊行したばかりのフィールド氏が蟹工船ブームと昨今の反貧困運動について書いています。ブームを支える商業主義の論理を指摘しつつこれを求める社会的需要が現在の日本にはあるとしています。自分が研究した時にはなんでそんなこと調べているのといった白々しい空気だったのにねえという風に時代の変化への感慨を表明されています。この記事を読んでいて、個人的には日本の左翼やリベラルにはもっとしゃんとしてほしいものだとは思うのですけれども、世直しや人助けは彼らの占有物ではないのですよと言いたい気持ちにもなりました。ひとつだけ言うと、

If Japanese activists today, often securely middle-class, well educated, and middle-aged and older, who are dedicated to problems of historical consciousness, the former military comfort women or Article 9,have not seemed engaged by the antipoverty movement of the young, then the latter have not taken up the antiwar cause.  Given the limitations of time and resources, this is altogether understandable.  But in order to catch up with the consciousness of Takiji and his comrades of the late 1920s and early 30s, in order, therefore, to be adequate to the demands of the present, it is necessary to join the antipoverty and antiwar struggles. That entails overcoming the sectarian residues from the 1960s and 70s as well as generational divides.

この点はどうなのかなと思いました。個人的には昔の戦争の話や護憲の話はどうぞご自由にといった程度ですが、飯食わせろとか住むところくれの切実さには共感的になれるかもしれないといった感じですかね。別にシニカルになっている訳ではないですが、運動のやり方や目標の掲げ方や言葉の使い方があんまり上手じゃないように見えます。一般論として民主主義の活性化にとっても必要だとは思うのですが、私はどうにも日本の社会運動のノリが苦手なんですよね。いえ、有意義なことをしている人達も感じのいい人達もいるとは思うのですけれどもね。

""La Puissance ou l'influence ?", de Maurice Vaïsse : cinquante ans de diplomatie française"[Le Monde]

フランスの高名な外交史家のモーリス・ヴァイス氏の新著の紹介記事。ここ50年のフランス外交を扱った大著のようです。現在ではド・ゴール時代には考えられなかったようなアフガニスタンへの派兵やNATO統合軍事機構への完全復帰といった新しい展開を迎えている。無論フランスが並のミドル・パワーといった地位に満足できるはずもなく、絶えず世界的な影響力の拡大を目指している。本書はこれは今に始まった話ではないということを権力に関する派手な言説と現実の受け入れの間の逡巡を軸に辿っているようです。またこの紹介によれば本書は個々の外交官へのオマージュであるといいます。いつか読むかもしれません。ちなみに「戦後フランス外交」という時、「将軍」のこの隠し立てのない言葉を想起することがあります。

「私は劇場にいるのと同じである。私は信じるふりをしてきた。フランスが大国であるということを信じるふりをしてきたのである。それは永遠の幻想である」

それはたぶん幻想かもしれないのですが、それが事実ではないかもしれないことを痛苦とともに自覚し、それを信じているかのごとく振舞えない者は指導者たり得ないといった種類の国家を支える幻想になってきた訳です。多分、21世紀のフランス外交もまた簡単にこの幻想を諦めないでしょうね。

"Defending Kantorowicz"[The NewYork Review of Books]

"Kantorowicz. Juif et nazi?"[paris4philo]

カントロヴィチの「王の二つの身体」を再読してやはり傑作なんだろうなと思ったのですが、ついでに90年代初頭のカントロヴィチはナチなのか論争に関する記事をネットソースで読み直しました。簡単に説明しておくと、カントロヴィチはナチス政権ができた後に米国に亡命した20世紀を代表するユダヤ系ドイツ人中世史家で政治神学研究という副題を持つ「王の二つの身体」は近代国家の誕生を王権の観念や儀礼を通じて分析した代表作です。王には二つの身体がある、自然的身体と政治的身体である、前者はもろく束の間のものに過ぎないが、後者は永遠のものであり、王国の政治的秩序の永続性を表象する、王の政治的身体の観念の発達が近代的で公権的な観念を生み出すことになるのだ、といった内容です。日本語訳は文庫化もされてますのでおすすめしておきます。

でこの人は亡命ユダヤ人であるにもかかわらず、ナチ的だと糾弾されたのですね。いわゆる同化ユダヤ人で戦間期にはドイツの保守革命に近い位置にいて「フリードリヒ2世」という問題作を発表し、ヒトラー登場の際には一時的に共感したという「判断ミス」をした、またシュラムというこちらはナチべったりになった中世史家がいてこの人の王権儀礼研究と重なる部分が大きい点でナチ的だと。この論争、判断ミスぐらい人間なんだからするでしょう、それを認めないならば知的誠実性の観点から批判されても当然でしょうけれども、かなり早い時点で危険を見抜いた訳ですよね、政治的に責任ある立場に置かれていた訳でもないしょうし、なにか生産性のある論争なんですか、ぐらいの感想をもつ「甘い」人間なせいかピンとこない部分もあるのですが、ワイマール時代のあのなんだか判らない狂乱じみた空気には気になるところがあってあれこれ読みふけってしまいました。で、これはドイツに限った話ではないです。知らん顔をしていますけれども、欧州は程度の差はあれどこも似たような空気が存在していた訳ですから。

"A Sacred Aura"[The New Republic]

ちなみにBHL氏がサルコジ大統領は世俗的過ぎて聖なる政治的身体が欠けているという批判だかなんだか判らない論評をしていますね。私にはあの大統領にボナパルティズムの伝統がちらほら見えるのですけれども、違いますかね。といいますか、こういう「教訓」を引き出すべき本なんでしょうかね、揶揄のつもりでしょうけれども、けっこう危険なことを語っているような気もしますね(笑

追記

"Japan's Beleaguered Leader to see Obama"by Blaine Harden[WaPo]

ニュースでHarden氏のこの記事がよく引用されてましたね。就任の際のNYTの狂気じみた社説に騒がずにこれで騒ぐのですか。うーん、どうってことない記事だと思うのですがね。Harden氏の記事ではまともな部類だと思いますけれども。「国家元首」とした誤りは修正されましたが、それ以外に大きな間違いや誇張もないように見えます。といいますか、全部日本のメディアの政治的waiwaiではないですか。みのさんがなぜかお怒りのようですが、朝ズバで今日のけしからん日本記事でもやったらどうですか。おそろしいことになりそうですね。

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コメント

蟹工船ブームと少し前に言われていましたが、此の手の本の場合、何部売れるとブームと、今は呼んでいるのでしょうか。どちらにしろ、最近の文字離れの中での話しだと思います。其れと昨今の反貧困騒ぎは、今まで中流の幻想に酔っていた人が、実は下流に属していると気付いた所以ではないでしょうか。貧困とは無縁と思っていた人が、そうでないと知り、明日は我が身の不安感とまだ大丈夫という一寸した安心感を覚えているだけだと思います。ヨーロッパで起きている貧困者による騒動とは中身が違います。
ナチス(ドイツ)という言葉を使うのは、そろそろ止めにしても良いのではないでしょうか。少なくとも日本人が呼ぶ必要はないと思います。ドイツで何故いけないのでしょう。ナチスと言いたいなら、少し前のスウェーデンはナチス国家でしたし、フランスもどちらかと言えばナチスの多い国ですし、日本にもナチスの政党があります。
mozuさんは認めたがりませんし、ポシティブでないと言う人もいますが、他人の不幸は密の味で、より不幸な人、より悲惨な面を見て安心感を覚えるのは、何も日本人に限ったことではありません。殊に異人種で嫉妬の対象となり易い日本・日本人は格好の材料です。然しながら、自国や自国の代表が貶められるのを喜ぶのは、日本人の特異な性癖の故なのでしょうか。

投稿: chengguang | 2009年2月27日 (金) 14時09分

>ヨーロッパで起きている貧困者による騒動とは中身が違います。
確かに移民の問題があるのであちらのほうが深刻ですが、若年層を中心にした都市の相対的貧困というのはやはり問題になっていますね。各国で労働市場のあり方が違うので同一視はできませんが、日本は日本の文脈でミスマッチが起きているように思えます。ただ運動論の人達の認識とはだいぶ違うとは思いますね。

>ナチス(ドイツ)という言葉を使うのは、そろそろ止めにしても良いのではないでしょうか。
本文に書いたようにこれは別にドイツ固有の話ではないと思っています。古典的自由主義の乗り越えの「理想」としてコミュニズムとともに戦間期の欧州のある種の時代精神をなしていた訳です。私としてはカントロヴィチがナチかなんてつまらない論争だといいたいのです。

>mozuさんは認めたがりませんし、
日本が嫉視や見くびりや叩きの対象になりがちであることを認識して英語圏の悪質な報道にクレームをつけている訳ですね。

>自国や自国の代表が貶められるのを喜ぶのは、日本人の特異な性癖の故なのでしょうか。
あちらのメディアの関心は景気刺激策に集中しているようです。民主党寄りのメディアが麻生政権叩きの一環ということであまり意味のない記事を利用したということなんでしょうかね。内政を動かすのに「海外の声」を恣意的に利用するのは副作用があるので止めてほしいのですけれども。ともかく国内政局にからんで外交ネタの報道が冷静さを欠いてしまう傾向は改めてほしいのですが、進歩がないですね。

>後で少し追加しました。

投稿: mozu | 2009年2月27日 (金) 21時28分

蟹工船はぼくもあの漫画版で読みました。あれは小説嫌いの人でも読める。ただ、あれと自分たちの姿を重ねあわせる若者がいるか、どうかは、ちょっと疑問ですね。

ぼくが知っている若者たちはあいかわらずのほほんとしていますが、ただ、実感として格差を感じている若者がいないとは言えない。この著者が指摘するような労働運動に目覚める若者がいるのもなんとなく理解できる。ただ、おっしゃるように、反戦などに結びつくかどうか?こちらは実感がないんじゃないでしょうかね?
 それに---気持のやさしい子たちが多いのですがーーーむしろ連帯とか、団体行動、あるいは、意見の交換といったことが非常に苦手でそういったことに違和感のある若者のほうが目立つ。

むしろ、「丸山眞男」をひっぱたきたい系の若者が出てきたりしないとも限らない。ただ、これとて、だから自衛隊に入って日々研鑽する、という類ではなく、現代社会に対してもつ不満をぶちまけたかったのだろう、と思います。

全体として、Norma Field氏の論文はいまひとつピンとこない、印象ですね。
 著者の日本はこうなってほしい、という願望を雑多の現象のなかに読み込んでいるじゃないか、という印象です。

投稿: | 2009年2月28日 (土) 00時01分

私も空さんの認識とさほど変わらないです。いくらなんでも蟹工船の時代とは違いますからね。貧困なら日本は豊かな文学的アーカイブにもっていますからそっちのほうがいいんじゃないのかなとも思います。

ただ格差の問題というよりも雇用や住宅の問題というのは出てきているようです。「若者」というくくりの運動では弱いでしょうから世代間連携みたいなことは必要なのだろうとも思えます。ノーマ・フィールド氏の言う意味ではなくてですね。昔の左翼運動の負の遺産をどこまで払拭できるかにかかっているように思います。いらぬお世話かもしれませんがね。個人的にはどちらかというと左派系の運動よりは地域の共同体や宗教その他の結社の動きのほうが気になります。

投稿: mozu | 2009年2月28日 (土) 00時28分

そうですね。格差というより、不当解雇とか、雇用などの問題。

あと、非正規労働者と正規労働者の待遇の違い、なんかも問題になってくるかもしれないな、と思います。
ここは非常に面白いところで、一方では、みんな正規雇用にしてしまえ、という意見と、他方ではみんな非正規雇用にしてしまえ、という対立。ぼくは経済に疎いですからなんともいえませんけど・・・

いずれにせよ、働く意志のあるもの対して、手厚く効率的なセーフティーネットが必要なんだろう、と思います。どの世代にも切実な問題ですから、そこらへんに共鳴するひとたちは、右左、世代を超えてあるように思いますね。

投稿: | 2009年2月28日 (土) 01時36分

>一方では、みんな正規雇用にしてしまえ、という意見と、他方ではみんな非正規雇用にしてしまえ、という対立

ここは経済観の違いがストレートに出る論点ですね。イデオロギーの議論になってしまいがちです。ただどちらに立ったとしても、今の雇用条件の差は公正性の観点からも効率性の観点からも必ずしも適正な水準ではないように思えます。私の考えは固まっている訳ではないですが、OECDレポートに近いですかね。

セーフティーネットの弱さは不況の際にしわ寄せとして現れますね。特に住宅の問題については少子化問題にも関わって重要だと思うのですけれども。

投稿: mozu | 2009年2月28日 (土) 02時13分

>今の雇用条件の差は公正性の観点からも効率性の観点からも必ずしも適正な水準ではないように思えます。

同じ職場で同じように働いて給料が違う。やばいときは首を真っ先に切られる、というのは当事者にとっては切実な不公平感があるんじゃないかな、と思います。

因みにOECDレポートの意見はどんな感じなんですか?


セーフティーネットにせよ、少子化問題にせよ、重要な問題であるにも係わらず、政治が後手後手ですよね。

政治ジャーナリストも政局ばっかおっかけないで日本にとって重要な課題は何かを見極めた上で、その観点から、政治の動向や政治家を追っかけてもらいたいですね。

 

投稿: | 2009年2月28日 (土) 06時08分

2008年のレポートはこれですね。日本語版もどこかにあったと思います。正規・非正規に関しては「労働市場の二重性」と呼ばれていますが、おおざっぱに言えば、正規にはより柔軟性が必要で、非正規に対しては社会保障の網の目に統合したり、職業訓練等のバックアップをしたほうがいいという意見ですね。日本の経済学者でもそうした意見を述べている人はけっこういますが、この議論、どうもイデオロギーや利権の声が強くなるきらいがあるようです。
http://www.oecd.org/document/17/0,3343,en_2649_201185_40353553_1_1_1_1,00.html

一般に政策論とジャーナリズムの距離が問題なんでしょうね。空騒ぎはもういいから腰をすえて中長期的な問題を軸に報じてほしいものです。まじめに政策論をしている政治家さんもいる訳ですし。

投稿: mozu | 2009年2月28日 (土) 07時09分

横からの差し出口で申し訳ありませんが、正規・非正規雇用に対する二極対立議論の存在は知りませんが、非正規従業員やその支援者の主張には全く同意していないので、『今の雇用条件の差は公正性の観点からも効率性の観点からも必ずしも適正な水準ではないように思えます』との見解の根拠が理解出来ません。雇用条件はどの点が如何いう風に公正ではなく、如何いう点が効率的ではないとのお考えなのでしょうか。また、セーフティ・ネットとは、何処に対して、誰のために、どの様なものを想定されているのでしょうか。
言及されているOECDレポートに目を通してからと思ったのですが、こちらはアドレスエラーが出て開けませんでした。

投稿: chengguang | 2009年3月 1日 (日) 13時19分

リンクのアドレスが途中で切れていて失礼しました。
OECDとJapanでググると日本関連のページに辿りつけます。日本語版はこれですね。
http://www.oecd.org/dataoecd/26/39/40377219.pdf
http://www.oecd.emb-japan.go.jp/top/Press%20release_Jobs%20for%20Youth%20Japan201218.pdf

毎年のOECD勧告ですが、生産性の見積もりに問題があるかなと思いますが、それ以外はだいたい実証的に正確かなと思います。勧告内容についてはそれぞれ同意不同意はあるでしょうけれども。

雇用の長期と短期の話は一般論としては産業構造の転換と関わるのでしょうが、それが日本の雇用慣行の文脈の中でいろいろな問題を起こしているという話だと思います。欧州には均等待遇原則というのがあります。失業率を増やすことになるのでそうしろとは思いませんが、多少の待遇改善があってもいいかなと思います(もっとも今は景気後退の最中ですからそう期待はできなですが、中長期的にはですね)。またアメリカはああ見えてユニオンが強いので不当解雇はそうはできないですし、労働市場が柔軟なので社会上昇チャンスというのは一応開かれているようです。アメリカのことはあまり具体的に知らないのですけれども。政府としても移民について議論する前に若年層や女性の労働力の市場への統合を考えたほうがいいと思うのですがね。

政府によるセーフティーネットが欧州と比べると弱いのは分かると思いますが、アメリカの場合には宗教そのほかの結社や社会事業みたいなものが果たしているらしい救貧機能が日本では弱いですよね(日本にも某学会とかありますが)。それと大失敗しましたが、サブプライムみたいな形での市場を通じた貧困層への住宅供給の仕組みをつくろうとしたりもしていますね。田中派的な再分配政治が行き詰まった後にもっと効率的な救貧の枠組みが整備されないといけなかったのでしょうが、そこがあまりうまくいっていないように見えます。生活保護をめぐる不透明な利権構造みたいなものもあったりしますしね。政府ばかりでなく共同体や結社の有効活用とかいろいろ考えるべきなんじゃないでしょうか。このあたり実態がなかなか見えないので困るのですが。

運動家の主張が往々にしてトンデモなのはよく分かります。ただ社会の細かい不平不満をある程度は吸収していかないと自由な市場システムへの信頼そのものが損なわれるというやや悲観的な経済観のせいかこういう問題が多少気になってしまうのですね。といっても他人の意見を斜め読みしているだけでこうした問題を本気で考えている訳でもないので、具体論にまで踏み込んだ固まった意見なり提言なりは特に持たないです。ただ住宅の問題ではなにか工夫ができないかなあとは思いますね。

>後でリンクとコメントを追加しました。

投稿: mozu | 2009年3月 1日 (日) 17時01分

ご紹介戴きました報告書(日本語)をざっと読んで見ました。この文章を読むと、読む人をある方向に誘導しようとする意図を感じます。それが日本の財務官僚の考え方と一致しているのは偶然なのでしょうか。
また、労働市場についても、『低賃金で社会的保護も手薄な非正規労働者』とは具体的にどの業種の労働者のことなのか不明です。まさかとは思いますが、外国からの出稼ぎ労働者を指しているのでしょうか。
本報告書は、OECDの経済担当者が自分で集めたデーターを分析した結果というよりも、日本の誰かが出した資料を基に文章を纏め上げている気がしてなりません。

投稿: chengguang | 2009年3月 1日 (日) 20時39分

『住宅問題』に付いては、何が問題点なのか解りませんでした。

投稿: chengguang | 2009年3月 1日 (日) 20時50分

>それが日本の財務官僚の考え方と一致しているのは偶然なのでしょうか。

出向者もいるでしょうけれども、どうなんでしょうね。読んできた限りでは特に財務省寄りという印象はなかったです。2008年度版は税制改革が急にフィーチャーされましたけれども。データ類は省庁や大学の研究機関から取っているのでしょう。全般的に言うと、日本に限らず自由主義改革を呼号していたのが、ここ数年でマイルドになりつつあるといった印象を受けます。チーフ・エコノミストの交代などの影響もあると思います。

>『住宅問題』に付いては、何が問題点なのか解りませんでした。

書いておいてなんですが、自分でも考えがまとまっていません。失礼しました。ぼちぼち勉強することにします。

投稿: mozu | 2009年3月 3日 (火) 00時47分

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