« テマルですか | トップページ | 抑止が効かなくなる時 »

ヤンキ-と私

少し前に飲みの席で茨城のヤンキ-事情についていろいろと聞きました。隣に居たもう一人は栃木者でしてそのやりとりがとても楽しかったです。この種の地域的な権力関係みたいな話はわりと好きです。茨城者の対抗意識を微苦笑でやり過ごす余裕の栃木者もまたその横で火花を散らす千葉者と埼玉者には頭が上がらないようだ、みたいなミクロな権力関係のことです。とりあえず福島には勝っているということで二人は落ち着いたようですが、そんな結論でいいのでしょうか。不在の福島者は福島者で俺達は東北ではなく関東に近いのだといった卓越主義的な県民意識を有するのかもしれません。東京を中心にしたこのいがみ合いとやっかみ合いの構造はヤンキ-という極めて土着的な存在を通じてくっきりと浮かび上がるようです。

笑いながら話を聞いていて思い出しだしたのですが、私の中学時代もまたヤンキ-にまみれていました。どちらかと言えばいわゆる優等生でヤンキ-ではなかった訳ですが、なんとなく周囲から浮いたもの同士でリーダーと仲がよかったこともあって彼らとはわりと近くにいたような記憶があります。校内権力闘争や学区間境界紛争にも関与していました。今思うにあの戦国的なノリはなんなんだったんだろうという気がしてきます(笑 なんの具体的利益がある訳でもないのに領域支配圏の争奪を繰り広げていましたね。

フランス大統領サルコジ氏の問題発言で一躍脚光を浴びたラカイユという仏語があります。くずとかワルとか貧民とかいった意味の侮蔑語ですが、言葉そのものの歴史は古いようです。私にはカミュの「ペスト」で使われるラカイユがひどく印象に残っています。郊外の悪がきを意味するようになったのは90年代以降にラッパー達がこれを自称として用いるようになってからとされます。サルコジ氏のラカイユ発言はこの文脈にあります。ちなみに郊外のラップは残念ながら私のフランス語能力では聞いただけでは意味が判らないところが多いです。英語のラップよりはまだましですけれども。ラカイユと言えば、レユニオン生まれのレゲエ歌手にトントン・ダヴィッドという人がいますが、その人の「ラカイユの歌」というアルバムも思い出します。

「ろくでなしブルース」というヤンキ-漫画が日本にありますが、これは「ラカイユ・ブルーズ」といいます。ろくでなし=ラカイユではないような気がしますが、不良少年を指す点で採用されたのでしょう。この仏訳版を読むと悪がきフレンチに親しむことができます。ワル語は日本語よりもフランス語のほうが生彩に富んでいるように見えます。

ともかくフランスの郊外の悪がき達にもヤンキ-漫画は読まれているようです。実際、読んでいるところを目撃したことがあります。悪がき、特に男のほう、があまり熱心なネットワーカーでないのは万国共通のように思えますし、ブログで取り上げているのもどちらかと言えばオタク的な層や普通の層が主体のようですが、それでもあんまり頭のよさそうじゃないブログ-ブログっぽくないですが-に感想なんかもあったりして読んでみるとなんとなく心和むものがあります。ある種の普遍性があるようです。

ヤンキ-漫画の範疇には入らないのでしょうが、松本大洋の「青い春」は私にはけっこう来るものがあります。そこに描かれる不良達の生態は私の周りにいた連中とはずいぶんと違うのですけれども(中学と高校じゃ違って当たり前ですが、時代もずれていますし)、作者の立ち位置がかつての私と少し似ているような気がするので。作者とは資質的にはあまり似ていないような気もしますが、とりあえずヤンキ-の中の異分子という立場は似ている訳です。陸這記さんに関連するエントリがあったのですが、そこで引用されている「あとがき」の

学生時代、私は俗に「不良」と呼ばれるタイプの人間では有りませんでしたが、その類の友人は多く、放課後の校庭で・屋上で「夜露死苦」だの「喧嘩上等」などの文字をバックに凄んでみせる彼らの写真をよく撮らされました。(中略)

 今にして思えば、現在をすでに過去として捉えていた彼らにとって、カメラというアイテムがとても重要であることも理解出来るのですが、当時はそうした間抜けた行動を奇天烈に感じた私にとって彼らの一挙手一投足は常に興味の対象でした。

は少し判る感じがあります。私には彼らの粗暴と感傷の振幅の大きさが謎でした。他校にスクーター特攻をかける恐れ知らずな面と自動車に轢かれた猫の葬式を川べりで嗚咽しながら執り行う面が同一人格内に共存することの不思議ですね。なおこのエントリで語られているイギリスですが、フランスと比べると逸脱行動のあり方が日本に似ているところがあるようにも見えますね。不良の消滅という話についてはどうなんでしょうね、「反抗する若者」みたいなイメージに収まらなくなっても不良的なものは存在し続けるように思いますけれども。と書いてきて、東アジア圏の不良文化に興味が湧いてきたのですが、韓国ぐらいしかイメージが湧きません。わりと似ているように感じられます。中国はどうなっているんでしょうね。武侠小説的な世界なんでしょうか。適当なことを書いていますが、それはそれでイメージとして楽しそうですね。

|

« テマルですか | トップページ | 抑止が効かなくなる時 »

閑話」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/507226/28065785

この記事へのトラックバック一覧です: ヤンキ-と私:

« テマルですか | トップページ | 抑止が効かなくなる時 »