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2009年3月

下からの発展主義者

すっかり春めいていますが、昨日今日読んだ記事を紹介しておきます。

"It's Not Just the Economy, Stupid: Asia's Strategic Dangers from the Financial Crisis" by Michael J. Green and Steven P. Schrage[CSIS]

CSISに掲載されていたグリーン氏とシュレージ氏の記事。タイトルはクリントン大統領の"It's just the economy, stupid"のもじりで、今回の金融危機が単なる経済の問題ではなく、戦略的危険を東アジアに及ぼし得る点について警告する内容です。といっても警世家のごとく喚いている訳ではなく、多くの人が危惧している事柄についてのごく慎重な考察です。今のところ東アジアの戦略的構図には変化が見られない。中国が米国に代わってヘゲモニーを握った訳でもなく、今回の金融危機の救済を主導する余裕もなく国内問題に忙殺されている。米国の財政赤字をファイナンスしているのだから米国は中国に膝を屈することになるだろうという予言もあたらない。中国の指導者は世界新秩序を構想している訳ではなく現状維持に汲々としている。中国に関する戦略的危険は米国の影響力の低下にあるのではなく、大恐慌の後の日本のような戦略的シフトが起こることだ。中国の社会的安定のためには8%の経済成長が必要だと言われるが、2009年の成長は5%程度だと予測されている。既に工場閉鎖にともなう抗議運動は生じているが、全国的なレベルでの騒擾は起こりそうにないという。しかし危機は始まったばかりであり、誰にも今後は予測できない。

北朝鮮、ミャンマー、イランが金融危機を受けて挑戦的になっている点に注意すべきだ。中国が国内不安へのインパクトを危惧し、日韓の指導者が議会で責められている間に、北朝鮮は核保有国としての地位の要求の声を強めている。ミャンマーの軍事政権はこの機会を捉えて数百人の反体制派を逮捕した。イランは中露とP3の齟齬を利用しつつ核開発を続けている。他方、経済情勢の悪化が燃料費の下落や経済援助の必要性ゆえにこうした危険な国々を軟化させる可能性はあるが、それは指導者が国民の福利厚生にどれほど関心があるのか、どれほど経済に関連して国内の圧力がかかるのかによる。現状ではどちらに転ぶのか十分なエヴィデンスがない。

経済危機は東アジアの民主主義国に打撃を与えている。日本では麻生首相の支持率は1割代であり、韓国の李大統領、台湾の馬総統の支持率も芳しくない(台湾経済の打撃は貿易の利を説いて中国との融和を主張する馬総統の説得力を奪っている)。タイの連立政権の未来は不確実だ。東アジアの新旧民主主義諸国は米中関係をアンカーし、「自由を推進する勢力均衡」と前ライス国務長官が呼んだものを維持するのに役立っている。ここ20年の民主主義の拡大に逆風が吹くようなことがあれば、グローバルな勢力均衡に影響を与えるばかりでなく破綻国家を増大させることにつながるだろうし、米国が中国に訴えているリベラルな規範のデモンストレーション効果を損なうことになるだろう。

1932年のSmoot Hawley関税のような保護主義的措置によって金融市場の崩壊は突如として自給的な貿易圏のゼロサムゲームに転じ、これが戦争の主因となった。今日では金融、サーヴィスのグローバル化、製造業ネットワーク、WTOなどのおかげでこうした急変はありそうもない。しかし、既に世界中で特定産業の保護がなされていて、これは競合する外国企業からは不公正な貿易措置に見えるし、これが"Smoot Hawley2.0"刺激効果といったものを生むかもしれない。政権によって「バイ・アメリカン条項」はどうにか抑えられたが、他の国々を誘惑する先例をつくってしまった。気候変動関連立法もまた保護主義の偽装の罠となり得る。平価切下げ競争もまた保護主義と摩擦を強化するだろう。既に世界貿易は縮小し、WTOの貿易自由化は停滞し、オバマ政権は韓国、コロンビアとの自由貿易協定に慎重な姿勢を見せている。保護主義の動きは1930年代式の自給ブロックの形成につながらないとしても、各国が脅威に対して協力するのを妨げたり、経済の回復を遅延させることになるだろう。

幸いなことに我々は過去の失敗から学べる。保護主義と戦うことの重要性を我々は知っているし、我々の同盟国はこうした努力を主導することができる。WTOやKORUS FTAを通じた攻撃的貿易自由化が保護主義の防衛に最もふさわしいことを我々は知っている。パキスタンのような脆弱な国家に経済支援することの重要性も我々は知っている。1920年代、30年代のように軍事費をカットしたり、抑止と強力な同盟関係を脆弱な外交的調整に代替することの愚を我々は知っている。経済成長を再び活性化するグローバルな戦略の必要性も安全保障との関連性についても我々は知っている。

といった具合に大恐慌後の歴史と重ね合わせて自由貿易体制と同盟関係の維持を訴えています。最後のパラグラフには「心配するな、でも、賢くなれ」という表題がついていますが、人はそれほど賢くなれますかね。日本の例が取り上げられている部分がやはり関心を惹きますかね。

Japan was arguably not a revisionist power before 1932 and sought instead to converge with the global economy through open trade and adoption of  the Gold standard. The worldwide depression and protectionism of the 1930's devastated the newly exposed Japanese economy and contributed directly to militaristic and autarkic policies in Asia as the Japanese people reacted against what counted for globalization at the time.

中国がこうならないように気をつけなくてはならないという文脈にある訳ですが、何年か前から同じ文脈で同じような記述を見るようにな気がします。「日本特有の道」論から横滑り論へといった感じでしょうか。正直、曲がりなりにも議会制民主主義のあった国と現在の中国を同一視できると思えないですが、逆に言えば、現体制の下では中国が冒険主義に走る可能性はあまり高くはなさそうだというアイロニカルな認識が得られるのかもしれません。それからヴェルサイユ・ワシントン体制の短い言及の部分は、米国で今後地域的なウィルソン主義的志向が高まるリスクへの牽制に見えます。勢力均衡と集団安全保障と同盟をめぐる問題群は日本にとって死活的に重要な話なはずなのですが、どうも日本側がどうしたいのかさっぱり意志が見えないのは米国から見てじれったい話でしょうね。一日本国民から見てもそうですから。ところでrevisionistやrevisionismにはこういう用法もあるのですね。現存する世界秩序に対する修正要求という意味合いなんでしょうか。

"Takahashi Korekiyo's Economic Policies in the Great Depression and Their Meiji Roots" by Richard J Smethurst[pdf]

英語圏の高橋是清のスタンダードな伝記を書かれたスメサースト氏の99年のシンポジウムでのペーパー。高橋是清の経済政策の由来を明治の思想潮流に探ることを目的にしています。確かに流暢な英語を話し、同時代の英語圏の政治経済の潮流に通じてはいたが、高橋は大学の経済学者ではなく多様な職歴を持つ人物であり、彼の思考はその経歴を通じて探求しないといけないとしています。

まず、高橋の5原則を確認しています。(1)政府は不況の際には経済を刺激するために財政金融政策を用いることができる。(2)政府は景気過熱の際には経済を冷まし、インフレ退治をするために財政金融政策を用いることができる。(3)市場の情報は経済成長の鍵である。(4)経済発展は単に国家を豊かにしたり、強くするためのものであるばかりでなく国民の生活水準の向上をもたらすものであるべきだ。(5)過剰な軍事支出は国民経済の健全性を損なう。

それで第二次世界大戦後にはごく普通になったこうした考え方を世界に先駆けてなぜ彼が持つことになったのかということになります。高橋はひとつのポストにとどまることなく、ポストの移動を重ねて政治、経済、金融の幅広い知識を身に付けたとされますが、論者は原則(3)(4)(5)については農商務省の先輩にあたる前田正名の影響を重視しています。薩摩藩士の前田は江戸末期に蘭学や儒学の教育を受け、明治維新とともにフランスに留学し、ティスランの下で政府による殖産興業の考えを学び、農業と在来産業の発展を政府の政策の中心と考え、『興業意見』を提出したこと、野に下った後にも地方の産業振興の運動を起こしたことで有名な人です。国家支援による経済発展を強調する前田の考えは高橋のマクロ経済政策的な発想に影響を与えたとされます。また高橋も前田も熱烈なナショナリストであるが、政府への軍の影響力の増大を恐れ、軍事支出の増大に反対した点でも、政策形成の前に現状の基礎的な調査をするという「根本」を強調した点でも、経済成長の利益は全国民が享受すべきであると考えた点でも、政府の役割を強調する一方で東京の官僚ではなく地方の役人や生産者のほうが多くの情報を知っていると信じた点で共通しているといいます。

1880年代に地域の実情、すなわち「根本」を調査し、『興業意見』を作成していた頃に両者は出会うのですが、この意見書は農業と在来産業の振興を通じた経済発展を目指している点で、重工業や軍事力偏重の政府方針と対立する要素を持っていたとされます。前田は平均的な国民の生活水準の向上なくして経済成長なしとの信念、強兵よりも富国の主義であり、農村経済に悪影響を与えるとして松方蔵相のデフレ政策を批判したといいます。論者は前田を財閥偏重の政府政策を批判した「下からの」発展主義者としています。これは前田の提唱した地方の意志決定を重視した産業銀行案に現れているとされます。松方および大蔵省の中央集権主義対前田、高橋および農商務省の地方分権主義という構図です。前田は政策論争に敗れるのですが、この地方の意志決定を重視するスタンスは高橋に影響を残したといいます。

以下、高橋の軍事予算をめぐる衝突や教育、公共事業等の分権化の訴えなどに前田の教えを見ていますが、特筆しているのは30年代の農村救済案への反対と自助の訴えです。論者はこの点に関しての従来の歴史家の解釈に異を唱えていますが、このペーパーの眼目はこの論点にあるのでしょう。金融資本階級の代表たる高橋には農民への共感などなかったとか老年の高橋はもはや大蔵省タカ派のロボットに過ぎなかったとかいった説明がなされてきたが、前者に関して高橋は常に地方の振興を訴えていたし、後者についても戦後になってからの戦争責任回避のための官僚の言い訳に過ぎないとしています。また財政赤字削減のための措置であり、軍事費縮小は政治的に困難だったたけに農村救済をカットしたのだという説明にはより説得力があるが、高橋は常に勇敢に軍と対立しているし、既に死ぬ覚悟は出来ていたとして退けています。それで著者の説明は地方の実情を知らない中央官僚主導の農村救済案は成功しないという彼の信念によるものだというものです。地方ごとに実情が違うのだが、その状況は十分に調査されていないので全国一律の救済案には効果がないという発言を取り上げていますが、この信念は前田の教えであるといいます。35年以降には分権的な意思決定と草の根の情報への注意による農村経済発展を訴えていると。また貧農ではなく自営農や小地主を支援したことでも批判されているが、これも的外れだとしています。村を支配する大地主階級ではなく農村中間階級が経済発展の鍵であると1880年代に前田は見抜いたが、1930年代には既にこの階級が村の政治経済リーダーに成長していたのだからこの層を支援したのは高橋が村の現実を知っていた証拠であるとしています。

以上のように農商務省時代に高橋は前田真名の経済思想から多くを学んだというのがこのペーパーの趣旨です。素人の私にはとても説得的な議論に感じられましたが、私の知らないいろいろな文脈があるのかもしれません。フランス留学組の見聞録のたぐいは以前まとめて読んだことがあって前田のことは知っていましたが(普仏戦争とパリ・コミューンを目撃した日本人です)、フランスの重商主義の伝統を引き継いだ殖産興業の人ぐらいの理解でしたのでなかなか勉強になりました。政府の役割の強調と下からの経済発展の理念が独特に結合している訳ですね。これが高橋是清につながるというのもなにか数奇なものを感じます。日本のワインの父みたいな人でもあるのですね。飲んべいの私としては前田ゆかりのワインというのも気になります。ちなみにスメサースト教授が朝日に寄稿しています。是清についてはアメリカのマクロ経済学者のみなさんにももっと知ってほしいところですね。ではでは。

追記

財務省→大蔵省に直しました。

[本日の一曲]

http://www.youtube.com/watch?v=4VnURW4tNIk

江利チエミ『木遣りくずし』

幕末の有名な俗曲のカバーですが、とても耳心地のいい粋な歌いっぷりです。

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台湾の神様

"The Costs and Benefits of Japan's Nuclearization: An insight into the 1968/70 Internal Report" by Yuri Kase[pdf]

佐藤政権で日本の核武装の可能性が政府からの依頼で有識者によって検討された話は有名ですが、その際に提出された「68/70年リポート」について分析した論文。2001年に刊行された論文なので射程に入っているのは90年代までの議論です。先日亡くなられた永野陽之助氏もメンバーだった民間人からなる委員会では検討の結果、技術的には可能だが、政治的にはコストのほうが大きいという結論が出された訳ですが、このリポートを戦後の安全保障思潮や中国の核武装にともなう安全保障環境の変化といった同時代の文脈の中に位置づけています。個人的にはそれほど目新しい記述はないかなという感想でしたが、議論は明晰で英文で書かれた意味は十分にあると思います。関心を引いたのは佐藤政権の非核三原則とこのリポートの関係の部分ですかね。国会での首相発言を引用すると、

If the other fellow has nuclear weapons, it is only common sense to have them oneself. The Japanese public is not ready for this, but would have to be educated... Nuclear weapons are less costly than is generally assumed, and the Japanese scientific and industrial level is fully up to producing them.

というように親核武装的スタンスだった点が指摘されています。また有名な核政策の4つの柱にしても、自民党のリポートでは、優先順位として(1)核の平和的利用(2)核軍縮(3)米国の核の傘への依存の順番で、最後に「日本の国防が前記の三政策によって保証されている環境の下では」という条件つきで非核三原則が記述されている、従って核武装の可能性についての委員会が準備されたのもなんら不思議はないとしています。考えてみると核政策については歴代政権はかなり慎重かつ着実に事を進めたもんだなと感心させられます。政治的にはけっこう高いハードルだった訳でしょうしね。また個々の政策担当者の努力といった話だけでなくそこになにか集合的な意志のようなもの-分かりやすいところでは『鉄腕アトム』とか『ゴジラ』といった大衆的想像力の系譜が思い浮かびますが-を感じずにはいられません。ちなみに一部で話題になっている朝日社説には心底萎えてしまったことをここに記しておきます。私には同新聞の論調を揶揄する趣味はないのですが、想像力と認識が冷戦時代のままで根本的にずれていると思いますね。

"Formosa's First Nations and the Japanese: from colonial rule to postcolonial resistance" by Scott Simon[Japan Focus]

台湾の太魯閣(Taroko)族の集団的、個人的アイデンティティーにとって日本統治時代の記憶が意味するところを扱った論考。ジャパン・フォーカスにもたまには読める記事がある訳ですが、この論考はよく調査され、よく書かれています。当地の政治的アイデンティティーに関して「本省人」「外省人」の分割線が決定的に重要であること、またその政治志向に相即的に日本統治時代の評価が分裂していることは誰もが知るところですが、ここでは「原住民」の例として太魯閣族の場合が検討されています。太魯閣の人々は現在でも日本語混じりの言語を使用しているが、それは日本語が近代的概念の運び手であったからである。日本統治時代の記憶は「本省人」のそれとも「外省人」とのそれとも違う。近代的なものをもたらした日本という肯定的イメージがある一方で、部族の風習(入れ墨にかかわる苦い記憶)を喪失した痛み、抑圧に対して果敢に蜂起した相手としての否定的イメージもある。しかし、全体としては「古きよき時代」として統治時代は喚起されることが多く、日本の悪口は言わない。靖国神社への抗議に出かけた「原住民」を代表するとする議員には冷淡である。日本への勇敢な蜂起の記憶は現在の台湾社会内部の地位向上をめざした社会運動の基盤となっている云々。といった具合に日本統治時代は太魯閣族の生活様式を後戻り不能な形で根底的に変えた、イデオロギー的な歴史からは零れ落ちる記憶の層があり、その記憶は現在でも太魯閣の人々の集団的あるいは個人的な生にとって決定的な意味を持っているといった話です。善悪二元論的な認識から離れて歴史の複雑性をその幅と厚みのままに記述しようとする姿勢-原理的にそんなことが可能かといった問題は別にして、意志と企ての問題として-を評価したいと思いました。以前テレビで女性タレントさんが村を訪れるといった趣向の番組を見た記憶があるのですが、その時は日本式の教育を受けた高齢の方々が日本語を話すのだと思った訳ですが、どうもそうではないようですね。若い人の間でも「ありがとう」とか「何歳だ」とか「何時だ」とかいった表現が使われ、教会用語や計算や時間表現で日本語が日常的に使用されるそうです。対応する語彙がなかったということのようです。しかし、クリスチャンがkamisamaって言うんですねえ。

"The Inadvertence of Benedict Anderson: Engaging Imagined Communities" by Radhika Desai[Japan Focus]

こちらはベネディクト・アンダーソンの『想像の共同体』の新版発行に寄せた批判記事。個々の論点については既に多くの批判があるが、目的と議論とロジックの間の齟齬が問題だと言います。まずあれほどナショナリズムの重要性を語っていたアンダーソンが1990年代以降はグローバリゼーションが国民国家やナショナリズムを弱体化するといったたぐいの平板な現状認識にいつのまにか変化したのにこの点について新版での説明がないのはおかしいとしています。その通りです。

以下、批判になりますが、おおまかに言うと(1)本書の執筆動機、(2)先行理論との関係、(3)政治効果をそれぞれ対象にしています。(1)については中印紛争の際に左翼シンパだった著者がこれを従来のマルクス主義系の理論では説明できないと感じたことがこの本が書かれた目的であるとされるが、なぜ欧州の紛争は説明できてアジアの紛争は説明できないと思ったのかが問われるし、従来の緻密な議論を無視している。(2)偶像破壊者を気取ってマルクス主義とリベラリズムの破綻を宣告しているが、これは無根拠だったし、「文化」の位相に注目することで理論的隘路を乗り越えたというのも怪しい。ナショナリズムは「文化的」であるよりも「政治経済的」なものだからだ。批判的に継承したとするTom Nairnの理解も浅薄だ。下層階級の政治参加とナショナリズムの結びつきについての興味深い議論への著者の批判も弱い。Nairnの唯物論議論においてナショナリズムの根拠は18世紀以来の政治経済的発展の不均等性そのものにある-社会内部の不均等発展が階級の、地域的不均等発展がネーションの根拠-のであってナショナリズムが「文化的構築物」であるなどといった話は木を見て森を見ずの議論に過ぎない。またナショナリズム研究の「脱欧州化」のアジェンダについても著者が行ったのは最悪の形でのアメリカ化である。西洋のモデルに他の世界が従うといった話は第三世界のナショナリストの経験を軽視するものであり、モジュール、剽窃、模倣といった概念がこのために動員されているのだ。以下、アンダーソンの有名な概念が個々に批判されていますが、ここは省略します。

(3)政治効果については新自由主義が第三世界の独立の成果を根扱ぎにしようとしている最中にナショナリズムを脱政治化する結果となった。『想像の共同体』は偽りの破産宣告によって豊かな理論伝統を無にした。一番皮肉なのは、国民的階級的ラインによる進歩的政治が新自由主義に対抗すべきまさにその歴史的瞬間に第三世界のナショナリズムを西洋の構築物とすることで脱正統化し、これまでにないほどユーロセントリックなものにしたことだ。『想像の共同体』の人気の一部は新自由主義、グローバル化、帝国の産物であり、こうしたものは市場と資本主義の悪に対抗する国民的社会的試みと対立するのだ。最後に時事的なメッセージで締めくくっています。

As these come crashing down in the world-wide economic crisis which marks the end of the century’s first decade, as it becomes clear just how national the responses to the crisis have been despite decades of neoliberal and postmodern and postcolonial anti-state discourses, one hopes that those interested in nationalisms and nation-states will turn to the traditions of scholarship which have better illuminated the dynamics of nationalist and revolutionary change than has IC.

といった具合に用語からも分かるように筋金系左翼による軟弱系文化左翼批判といったおもむきの論考です。(1)(2)の理論的、実証的な論点の部分に関して言えば、私も、正直、『想像の共同体』のどこが凄いのかよく分からない-京都学派の「世界史の哲学」や戦後史学の「民族の世界史」のほうがある意味凄いような気がします-ですし、参考文献に挙げているのを見ると、ああ、またか、とげんなりすることがあります。しかしこの論文の書かれた動機はむろん(3)の政治的批判にある訳でしょう。リベラル左翼による国民国家批判、ナショナリズム批判はグローバル化なる美名の下での帝国の支配のお飾りに過ぎない、世界資本主義の暴政に対しては進歩的、革命的ナショナリズムで対抗せよ!ということのようです。しかし、まあ、文化左翼のみなさんは無害だからいいとして今後は筋金系左翼のみなさんを本気で相手にしなくてはいけない時代になるのですかねえ。だいぶ声が大きくなっている印象を受けます。ふう。歴史が反復しないことを祈ります。

"Japan’s Leadership Deficit" by Tobias Harris[Far Eastern Economic Review]

日本の政治家は駄目だという定評があるが、その原因を考えてみるというエッセー。原因論はいろいろあるがひとつは世襲に帰責する議論だ。しかし世襲議員がそうでない議員よりも悪いのかどうかはそれほど明らかではない。指導力を発揮した小泉は世襲議員であるし、戦後もっとも不人気だった森は非世襲議員である。指導力不足に関するAurelia George Mulganの議論によれば日本が強いリーダーを欠いているのは文化でもパーソナリティーでもなく制度デザインによるものだという。日本の首相と内閣の力は他の議会制の国と違って官僚や政府外の与党議員などのライヴァルとたたかう必要があるために制限されているのだと。

こうした制約に加えて一般的な制約もある。政治的コミュニケーションの技術を身に付けた首相候補の少なさだ。この点で小泉は例外で多くの年長の政治家には現代のメディア環境でコミュニケートする技術がない。再選されるかどうかはコミュニケーション技術を通じて選挙民を動員したり、公衆にメッセージを送ったりするよりも選挙運動をファイナンスする資金を集める能力にかかっているからだ。若い政治家は違うが、首相候補にはまだ遠い。近代史を通じて日本の政治家はその密室政治や与党内部、官僚、野党との調整能力で名高い。欧米の政治家とは似ていないように見えるが、少なくとも戦後の数人の首相は有能な指導者であった。

現在、あまりに多くの危機に直面して麻痺している状態であり、仮に民主党政権ができたとしても同じようになるのではないかと懐疑的になるのは当然だ。しかし民主党政権が変えることができるのは制度的制約だ。民主党は自民党の失敗を観察し、内閣とサブ内閣ポストを増員する案を練ってきた。この案は省庁に対する内閣のコントロールを強化し、民主党内部の潜在的ライヴァル関係を政府に持ち込むだろう。民主党はこうしたプログラムの実施に失敗するかもしれない。日本の問題は退廃した政治家にあるのではなく機能不全の制度にある。民主主義においては政治家の不足というものはないが、いい制度というものを手に入れるのはもっと困難なのだ。

以上、日本の政治家に指導力がないのは個々の政治家の問題ではなく制度の問題であるという考えです。ここでいう制度は慣習も含んだ広い意味合いでしょう。基本的にはその通りだろうと思います。コンセンサス政治の伝統に加えて自民党の尋常でない長期政権が現在の疲弊をもたらしている点についてはわざわざ想起するまでもないでしょう。党組織の現代化を怠ったことも政党政治の停滞の原因として批判されるべきでしょう。ただ最後の民主党の部分ですが、反官僚を掲げて真正面から敵対しようとしている(ように見える)点についてはどうなんだろうなと前から思っています。それが上手いやり方なのか、もっと賢いやり方があるのではないかと。政権交代が定期的に起こるようになればそれだけで政官関係はずいぶん変わると思うのですけれどもね。あるいは小沢氏は熾烈な闘争をするつもりになっているのかもしれませんが、内外の情勢がそれを許すのかどうか不安になりますね。まあどうなるんだかもはやよく分かりませんけれども。

[本日の一曲]

http://www.youtube.com/watch?v=Pbu9tpq699g

水原弘『黒い花びら』(1959年昭和34年)

昨今の昭和30年代懐古にはいささかうんざりさせられますが、おミズの歌は少しずれていて当時の世相に収まらないものあるように思います。

追記

微修正しました(2009/3/24)

ところで大先生がまたジャパン・タイムズ上で警察・司法陰謀論を展開しています。空さんが反論されていますが(ありがとうございます)、ジョンソン教授のリファーの部分には思わず笑いました。こういう自爆の仕方が先生の先生たる所以です。しかし、こんないい加減な記事を掲載する新聞ってなんなんでしょう。この新聞にはファクチュアル・チェックという概念は存在しないのでしょうかね。これだから学級新聞レベルだと嘲笑されるんです。論調についてはお好きにどうぞですが、最低限、事実だけは正確にしてください。

再追記

空さんのリンクを間違えていましたので修正しました(2009/3/26)

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NATO軍事機構への完全復帰をめぐる論争(4)

ずっとこの話題に関連するニュースを追っていた訳ですが、各人各様の反応でいろいろなものが炙り出されてなかなか面白いものがありました。サルコジ大統領が議会多数により不信任動議を否決して完全復帰を決めたようですが、メモしておきます。以前のエントリで世論は賛成反対で多分拮抗しているだろうと書いたのですが、最新の調査では賛成派の方が多数でした。58%が賛成で反対は37%、意見なしが5%ということでけっこうな差がつきましたね。ところが政界や言論界での討議は相変わらず止まないようでした。

賛成派のカトルメール氏のポストから引くと、

当時は[註:1966年]社会主義者とキリスト教民主主義者(Modemの先祖)が君主ド・ゴールの振る舞いに対して不信任動議を提出したものだが、彼らは今日では滑稽を怖れずに「フランス的例外」を護持するために「ゴーリストの遺産」を引き合いに出している。反帝国主義(オバマ効果は過ぎたようだ)で沸騰したありそうもない同盟の中には歴史的なゴーリスト、シラキアン[シラク派]、右派主権主義者、極右、社会主義者、共産主義者、ラディカル左翼、おまけにModemすら肩を並べているではないか!

ということでありそうもない同盟が成立していました。Modemのバイル氏の意見は既に紹介しましたが、社会党側からは、例えば、オブリ氏は「私たちは欧州にプライオリティーを与えたいのです。私たちは欧州防衛を重視します。米国に与するどんな理由もないのです。そのことはバラク・オバマと仲良くやっていくこと-それを望みますが-を妨げるものではありません」と述べていました。ジョスパン氏によれば、この動きは「米国の大人しい長女」-お隣さんのこと-となることを免れされた半世紀にわたる左右の「コンセンサスを破壊」するものであり、「私には自らを凡庸化する利益が分からない。私たちはもう少しオリジナルでありたい」と批判していました。ファビウス氏もコンセンサスの不在とフランスの凡庸化と欧州防衛の無意味化を嘆き、この動きを「誤り」と断じていました。最後にロワイヤル氏は、この決定は「西洋圏への退却」を意味し、フランスの独立を毀損し、冷戦思考への後退を促すものであり(ロシアとの対決をイメージしているのでしょう)、オバマのマルチラテラリズムに対しては追従ではなく独立で応じるのがよいと論じています。バイル氏もそうですが、自分たちは「西洋圏」のみに属しているのではないといった種類の普遍意識がある訳ですね。

与党UMPの中からもシラク派から反対の声が挙がっていました。イラク戦争の際の国連演説で有名になった、しかし国内政治ではけっこう優柔不断だったド・ヴィルパン氏が盛んに批判していましたが、このインタビューでは凡庸化に抗してフランスの特異性を守れと主張しています。特異性とは西と東、北と南の掛け橋の位置を占めることであり、対テロ戦争のロジックがもたらすブロック化の趨勢に反対することだ、シラク時代の試みは冷戦崩壊後の文脈の中でなされたものだが、その文脈は失効していると。また元首相のジュペ氏も批判に連なっていました。本人のブログによれば、ドグマではなく国益に従って考えなくてはならない。失敗に終わったが、シラク時代にNATOとの接近が試みられた際には米国と欧州の対等な関係を前提にしていた。その後大きな歴史的転換があった。出発点にあった条件、米国と欧州の対等性は満たされているのか。否。欧州防衛はまだ途上にある。推進派の議論は強いが、立ち止まって考えるべきだ。NATO内部の特殊性を放棄することにいかなる利点があるのか、同盟内で影響力が増大するというのは本当なのか、欧州諸国はどう反応するのか云々。ド・ヴィルパン氏やジュペ氏の活発な批判の背景に年来の主義主張ばかりでなく政局的な配慮を読むのは必ずしもシニカルという訳ではないでしょう。

一般にシラク派はゴーリストとされる訳ですが、あいつらは真のゴーリストではないというもっと理念的な人々もいます。主権主義陣営からは「立ち上がれ!共和国」のデュポン=エニャン氏の痛憤の叫びが聞こえてきました。「最も高くつく、最も破滅的な政策、それは小国であることだ」というド・ゴールの言葉を引用し、米国への従属の道の危険を訴えています。ブログで反対署名を集めたり活発です。またフランス運動のド・ヴィリエ子爵もまた熱烈に反対しています。自動的にフランス軍が参戦する可能性を防ぐこと、この原則は多極化する世界にあって死活的に重要だと。米国はよき友であるが、自分たちのイデオロギー的ヴィジョンを押し付ける傾向があり、この決定は対米追従につながる。フランスの国際的なイメージも変わってしまうだろうと。

修辞やアクセントには違いはあるのですが、反対派の論調に共通する要素として、フランスの独立と特異性(singularite)を守るべしというナショナルな理念、大西洋主義ではなく欧州の地域秩序の形成者たれという地域主義的な理念、さらには西洋主義ではなく諸文明の掛け橋となれといった普遍主義的な理念、これらの複合を見て取れることができるようです。またロシアとの「新冷戦」はなんとしても避けるべきだという地政学的な判断に共通性が見られるようですね。後者への懸念はよく分かりますが、ここまでのサルコジ政権の動きを見る限りは対ロシアでは反対者とはそれほど戦略的に違わないように思えますがね。極左や極右の意見は割愛しましたが、だいたいこんな論調のようです。

英語圏での受け止め方はおおむね好意的のようで、そこにはなにか放蕩息子の帰還を暖かい目で迎え入れる一家のようなおもむきが感じられます。またこの機会とばかり人類の教師のごとくBBCがフランスは暗黒の歴史との和解が必要だと説教しています。戦後のレジスタンス神話のことですが、マクミラン氏の言葉を引用すると

France, he said, had made peace with Germany, had forgiven Germany for the brutality of invasion and the humiliation of four years of occupation, but it could never - never - forgive the British and Americans for the liberation.

と英米への屈折した心理を指摘しています。ただ助けられたことばかりではなくてTimesの記事にあるこうした戦後の「屈辱的」な光景も背景にはある訳でしょうけれどもね。引用すると、

Younger French people may find it unimaginable but American forces were part of the landscape from 1944 to 1967, admired and envied, especially in the 29 base towns, where they cruised in exotic cars, lived luxuriously and taught local women to dance rock'n'roll. At Chateauroux 10 per cent of all marriages between 1951 and 1967 were between US servicemen and French women. The film star Gérard Depardieu has fond memories of a black American girlfriend of his teenage years.

もちろん戦略的な決定な訳ですが、NATO軍事機構離脱と米軍基地撤去にはパリをパリスと発音するような連中が我が国土を・・・という強い感情があったのでしょう。若い人たちには分からないだろうがと記事が言うようにもう歴史の中の出来事なんでしょうけれどもね、まあ和解ということでよかったんじゃないですか(棒読み)

追記

"Sarkozy's Power Play" by Judah Grunstein[Foreign Policy]

グルンスタイン氏のよくまとまった論評。批判者たちの言うのとは違ってサルコジ氏は米国に接近することそのものを目的にしている訳ではなくて親密な関係をツールのひとつとしてフランスの影響力の拡大のために利用しようとしているのだという見方ですね。パリをワシントンの衛星にしようとしているのではなくて強い欧州に増強されたフランスを追い求めているのだと。また一見行き当たりばったりの連続に見える外交に「ディールのロジック」を見出しています。

Yet if Sarkozy has been right on almost nothing, he has been prescient on almost everything, guided by the attention-seeker's instinctive flare for tomorrow's crisis today. (For instance, his decision to engage Syrian President Bashar al-Assad at the time of Lebanon's presidential impasse in January 2008 later paid off in access to crucial back channels during the Gaza war.) His logic is the logic of the deal, where both fault lines in opinion and emerging consensus create leverage points that maximize France's influence.

これは同時並行的にゲームを進行させているというゴールドハマー氏の見方に近いですね。最後は意味深に記事を締めくくっています。

France's return to the heart of NATO will certainly not spell the end of France's independence and autonomy, nor will it prove the alliance's undoing. But both will be changed, in ways that no one -- least of all Sarkozy -- can foresee. Rich in symbolism, profound in consequences, unpredictable in effect: The move is typical Sarkozy, for whom it is the deed, and not the outcome, that matters.

フランスの独立や自立を終焉させることも同盟の失敗を証明することにもならないだろう。しかしこの両者が誰も予測できない形で変化していくことになるだろうと。対米自立ということで単純に対立することが手数を増やす訳ではないということはひとつの教訓として覚えておいていいのでしょう。ド・ゴール外交も後半は行き詰まりましたし。もっとも一度対立した後だから言える話なのかもしれませんけれども。また具体論ではなくなんとか主義だ!と批判している人はなにも見ていないということでいいのでしょう。賭けの連続に付き合わされるのは不安な話でしょうがね。

ではでは。

[本日の一曲]

http://www.youtube.com/watch?v=bMoY5rNBjwk&feature=player_embedded

クロード・フランソワ『コム・ダビチュード』(1968)

(HT to Charles Bremner)

誰もが知っているシナトラの曲のオリジナル。タイトルは「いつものように」の意。歌詞はまったく違っていて女心の歌です。

追記
微修正しました。それと女心の歌というよりも倦怠したカップルの歌ですね(2009・3・19)

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ディア・リーダーをめぐるあれこれ

拓殖大学大学院教授・森本敏 北朝鮮ミサイルの迎撃決断を[産経]

第1に、わが国の政治決断を急ぐべきである。ミサイル防衛は自衛隊法第82条の2項に基づき、防衛大臣が内閣総理大臣の承認を得て、指揮官に対処権限を委任する仕組みになっている。総理の承認がなければミサイル防衛は機能しない。この対処要領は、航空総隊司令官がイージス艦艦長やパトリオット部隊指揮官に下令し、飛翔するミサイルをわずか数分のうちに撃墜するものである。

その手順は防衛省内で決められているが、これを有効にするためには空域をクリアにする必要もあるし、パトリオットミサイルの運用に必要な電波管制も必要となる。まだ総理の政治決断は下っていないが、時機を逸したのでは取り返しがつかない。

第2に、日米間の運用上の調整を急ぐことである。米国はイージス艦を日本周辺に5、6隻配備し、海自も2隻の配備が可能だ。緊迫すれば、このうち最低2隻を日本海に展開させる必要がある。しかし、日米では指揮権が異なるため、司令部・部隊間の調整が不可欠になる。ミサイル防衛は日米が共通の対応をしなければ効果はない。日本だけが対応しなければ、その必要性が問題になり、米国だけが対応しなかったら日米同盟の信頼性という問題になる。

森本氏の論説でだいたい技術的な問題の輪郭が掴めます。だいたいこの通りの対応がなされるのでしょう、きっと。中国の圧力とやらがどの程度効くものなのか観察したり、粛々と国内的な問題を処理したり、日米間の調整をしたりする機会として活用すればいいという話なんでしょう。これ、集団的自衛権の問題は浮上しないで済みそうなんですかね。

"What Hillary Should Tell Japan" by Doi Ayako[CSIS][pdf]

ジャーナリストのDoi Ayako氏の拉致関連の記事。ヒラリー国務大臣は東京訪問の際に変な期待を与えずに日本の世論の拉致問題への執着に警告を発するべきだったという趣旨です。米国側の同情的発言が日本側に依存感情を生んできたが、ブッシュ政権後期の方針転換によって日本側には裏切られたという感情が広まっている。メディアはこの問題を扇情的にとりあげるばかりで冷静な分析がない。加藤紘一氏や山崎拓氏や田中均氏のように日本にも北朝鮮との対話をすべきだと考える者もいるが、「裏切り者」扱いされている。世論を正気に立ち返らせ、なにが国益なのかを思考させるには根拠のない期待の源を断つことにある。それゆえヒラリー国務大臣は誤りを犯したと。

あまり口汚くないという点を除けば、だいたい英語圏のリベラル系のオブザーバーと同じような意見ですね。まあ、これもひとつの意見でしょう。いささか表層的な現象に拘泥し過ぎではないのかといった疑問やそもそも非核化のプロセスに関与する気がないのは誰なんですかという話もありますがね。私の意見と大きく違いそうなのは米国への不信に関してはさほど問題だと思っていないところですかね。裏切られた感情というのは確かに一方的なものだと思いますが、妙な依存心から脱却して健全な懐疑を含んだ信頼の水準に落ち着く上で重要なプロセスだとも思うのですね。最後に細かいですが、この記事で気に入らないのはテレビ局のプロデューサーの発言の使い方です。これはオバマ就任の際のワシントン・ポストの同記者の記事に感じましたが、この種の手法の濫用はジャーナリズムとして反則だと思います。少なくとも私は嫌いです。ついでにこの就任時の記事の「世界で日本だけ」で世論が歓迎的でないって端的に嘘でしょ。

"Japanese Perceptions of Nuclear "Twin Commitments" Under the Obama Administration" by Jimbo Ken[CSIS][pdf]

オバマ政権の核廃絶と核抑止の維持の「二重のコミットメント」を日本側がどう見ているかについてのJimbo Ken氏の記事。"four horsemen"の提案を受けてNPT体制を維持し、核廃絶を目指す一方で現状の核抑止体制を維持するというドクトリンに対して日本には二通りの反応が見られる。これは核廃絶を望みつつも信頼できる拡大抑止を求めるという日本の核に関するアイデンティティーを示している。軍縮派は核廃絶に関する国連総会決議に米国がサインしたことを歓迎し、米国の核軍縮のプランを支持し、さらにロシアと中国との連携的な核軍縮を求め、これが北朝鮮を含む地域的な非核化に貢献することを望む。一方、軍事戦略専門家は警戒的である。米国の大規模な核軍縮がアジアにおける抑止を弱体化させ、対北朝鮮への交渉力を弱めることを危惧している。また米中間の相互確証破壊に近づくような両国の核のパリティーが実現すること、中国の核が最小限の抑止から限定的な抑止へ発展すること、MRBMのような戦域抑止に傾斜することを望まない。

米国に対して以下のような応答がなされるべきだ。日本は拡大抑止を毀損しない範囲での核軍縮の試みを歓迎する。日本はドクトリンおよび戦力の両面において米国から明瞭な核のコミットメントを要求する。米国がより明瞭な原則、目的、通常戦力の配置を示すことで拡大抑止はより有効になる。東アジアへの通常戦力のプレザンスは維持されなくてはならない。核戦力についても具体的に考慮されるべきだ。米国の拡大抑止にとって日本の自衛力の強化が必要で共同の抑止構造が維持されるように現代化を進めなくてはならない。日本は米国が絶対優位にあることが望ましいが、中長期的に米国が中国との相互バランスにシフトした場合でも非対称的なレベルが望ましい。日本のミサイル防衛能力の基準となる年は2011年であり、集団的自衛権の解釈の変更が必要だ。日本は欧州のミサイル防衛に対して米国が強い態度を示すことを望んでいる。ここでロシアに配慮した場合、中国に悪いメッセージを与える云々。後半は抜書きですので具体論は本文で確認してください。軍事用語は苦手なので変なところがあるかもしれません。

以上、前提が変わらずに事態が推移した場合のシミュレーションとしてはごく理性的な論調だと思いますが、どこまで現実的かどうかは別にして日本が自前の抑止能力を強化していく別のシナリオも描けるでしょうね。ミサイル防衛が支柱というのはどうなのよということになる日がそう遠くないうちに来るかもしれませんから。欧州のミサイル防衛の帰趨の極東への影響というのは重要な点でウォッチしないといけませんね。

"Bad Advice for Secretary Clinton" by Victor Cha[CSIS][pdf]

対北朝鮮政策についてのVictor Cha氏の記事。ヒラリー国務大臣のアジア歴訪はうまくいった。北朝鮮に関して悪いアドヴァイスに従わなかったからだ。悪いアドヴァイスには二種類ある。一方の極にいるのがSelig Harrison氏で北朝鮮との核との共存を訴える輩たちである。ヒラリー氏がこうした声に耳を傾けず、北朝鮮の完全な非核化を明瞭に訴えたのは正しい。米国は北朝鮮を核保有国として絶対に承認してはならない。核を完全放棄するまでは国交の正常化や平和条約の調印に応じてはならないということだ。これを放棄した場合には日本および韓国への拡大抑止は毀損するだろう。

もう一方の極にいるのがPhilip Zelikow氏でミサイル発射施設への限定攻撃を訴えている。ヒラリー氏がこうした声に耳を傾けなかったのも正しい。確かにミサイルプログラムを遅らせるが、こうした行動が数年後にもたらす結果はより全般的なものとなるだろう。日本も韓国も戦争を望んでいない。よいアドヴァイスとは次のようなものだ。同盟国や中国と連携して北朝鮮にミサイル発射を止めるよう警告し、ミサイル防衛システムを稼動させ、国連決議1695、1718に基づく制裁の準備をし、北朝鮮への援助を絞るように中国に圧力をかけるべきだといったものだ。金正日後の体制について日中韓と協議するという発言も今後の現実を見据えていて問題ない。関係国と連携して北の体制変革に備えるというのが慎重かつ賢いやり方だ。北の核との共存や発射装置の限定攻撃はそうではないのだ、と、いかにも現実派の氏らしい論評です。ところで国連決議に基づく制裁というのは実際にあるんでしょうかね。

以上、CSISから最近の記事をピックアップしてみました。外交安全保障に関心のある方々はだいたい目を通していると思いますが、あまり日本語圏で言及されないのは不思議に思えますね。日本人論者の声が全般に小さく感じられるというのと時に日本について言及する英語圏人のクオリティー・コントロールをちゃんとしたほうがいいのではないかと思うこともあります。大御所の間に英会話ティーチャーレベルが紛れ込んでいたりしますから。誰とは申しませんが。

"Why shouldn't Kim Jong Il fire his missile?" by Richard Lloyd Parry[Times]

パリー記者もいわゆるひとつのマコーマック化が進んでいるようでなりよりです。ねえ、どうして北朝鮮がミサイルを打っちゃ駄目なの?とあどけない眼差しで読者に語りかけています。パパ、the Westもそうしてきたんじゃなかったの、と。いい事教えてあげましょうか、別に発射に反対しているのはthe Westだけじゃないんですよ。北朝鮮はジャーナリストやアカデミシャンにとって死屍累々のフィールドですから気をつけることですね、パリーさん。

ところでマコーマック氏で思い出したのは-ええ、もちろん意地悪になっていますとも-1952年にパリで起こった反リッジウェイ・デモです。朝鮮戦争で国連軍が細菌兵器を使用したという例の共産陣営のプロパガンダを受けてフランスの共産主義者がNATO軍司令としてリッジウェイがパリに到着した際に大規模デモを組織したという事件です。"Ridgway la peste! Ridgway la pest!"というシュプレヒコールは戦後の混乱期を象徴する挿話のひとつとして国民の集合的記憶の一部を構成しているようなんですね。このたびのNATO完全復帰の件でこの挿話がよく想起されているようです。赤化が著しかった時代の反米感情を示す挿話として。ところでリッジウェイはGHQ総司令官もしていたのに日本では今ひとつ記憶に残っていないのはマッカッサーの印象が強烈すぎたからでしょうかね。

ではでは。

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NATO軍事機構への完全復帰をめぐる論争(3)

予定通りサルコジ大統領がNATO軍事機構への完全復帰の宣言をしましたが、この決定をめぐってどんな国内の論調になっているのかを同時代的に記録することを目的にこのシリーズを続けておきます。

今回は社会党側ということでユベール・ヴェドリヌ氏の意見を紹介しておきます。ル・モンドに寄稿されたオピニオンです。氏はシラク大統領の下で外務大臣にもなった人物ですので外交安全保障関係にはもともと強い人です。実は社会党の声ということでセゴレヌ・ロワイヤル氏のル・モンド寄稿オピニオンも訳したのですが、こちらはとほほな感じでしたので見送ることにしました。理念は控え目に具体論で今回の決定に疑義を呈しています。

"Pourquoi il faut s'opposer à une France atlantiste" par Hubert Védrine[Le Monde]

サルコジ大統領はド・ゴール将軍が離脱を決定した33年[註43年の間違い]年後にフランスがNATO統合軍事機構に復帰することを望んでいる。彼はこのことを2007年夏に宣言したが、4月はじめには確認しようとしている。1966年には冷戦だったが、すべてが変わったのだとの説明がなされている。しかしこれは関係がない。疑問符がつけられるべきなのはNATOの存在そのものなのだ。

欧州の同盟諸国の声が同盟の中で聞き届けられるように、「段階的復讐」という新しい危険な核戦略を保証しないように、8年にわたってアメリカ側に実りなき要求をした後にド・ゴールはこの決定をなした。その後、右派も左派もすべての後継者たちはこの戦略的決定を尊重し、これはフランスの外交政策と国防の支柱となった。

この同盟内における特殊な立場はフランス世論の幅広いコンセンサスの対象となってきた。この立場は長い間アメリカにも認められたがゆえにフランスとNATOが協力のために実際的な調整手段を採用したり、多くの舞台において見られたように、フランスがその決定をなした際には関与することの妨げにならなかったのだ。

それではなぜこの断絶が必要なのか。この断絶が行き詰まった欧州防衛を打開し、「同盟を欧州化」することを同時に可能にし、我々はより大きな影響力を持つことになるのだ言われている。欧州防衛の具体化はフランスの下心への欧州のパートナーたちの不信と衝突しただけであり、彼らを安心させれば十分だといった話を果たして信じられるだろうか。欧州人は真の欧州防衛への希望の表明したことはなかったし、防衛により多くの信頼を与えることを望んでおらず、NATOとの重複を望んでいないのだ。

欧州人は非常にリスクのある責任を負うことを望んでいないし、「欧州防衛」のラベルの下で下請け的になされる周縁的ないし二義的な活動に自己限定している。古典的な責任の分担でいいのだと。彼らはペンタゴンを苛立たせることを望んでいない(ペンタゴンはコソヴォの際に同盟諸国間で相談する義務を嫌った)。

反フランスの不信なるものが口実でなかったとすれば、10年前にサン・マロのサミット後に[註:英仏のサン・マロ宣言]この不信は霧散し、PESD(欧州安全保障政策)を構想し、実現すべく自立的な参謀部が日の目を見ていたことだろうに・・・。我々の変化はなにも変えないと断言しよう。欧州防衛の進展は既に10ヶ月前に準備条件として提出されたが、次に並行的作業として、今や復帰の希望的結果として提出されている。明日には後悔として?それとも欺瞞として?欧州防衛は二足で-NATOとEU-進むというのは神秘のダユ[註:フランス、スイスにいるとされる伝説の生き物]を思わせる!

同様にNATOのヒエラルキーの内部でフランス人が重要なポストを獲得することで実現される同盟の欧州化が口実とされている。これはジャック・シラクが1995年から97年に試みて失敗を確認し、ジョスパン政府がこの試みを停止した。ノーフォークやリスボンでのそこそこ重要な司令権がフランスに与えらると言われる。しかし同盟内部の意思決定様式の抜本的な変化なしに-現在では望むべくもない-ペンタゴンの指示を受けたり、伝えたりする士官たちの国籍がなんだろうと重要な意味を持つだろうか。

ジョージ・ブッシュの下で構想されたこの復帰がカリスマ的なオバマの下で効力を発揮し、環大西洋的な現実が消滅するからというのではない。現在のアメリカの政権はより好ましいが、同盟についての別の概念を持っているのだろうか。それを示すものはなにもない。影響力が増大するという点については完全復帰により同盟内の一同盟国が内部から行使できたとかいう影響の事例を難なく挙げられるだろうに。この変化の最も熱烈な擁護者ですら明白な力関係を考慮して我が国の工業的利点を口実にはしていないことに注意しよう。軍人自身は作戦の利点と不都合に関して分かれるところだろう。

欧州化、同盟において欧州側の柱を創造すること、これはまた別の話となるだろう。同盟内で真の「欧州の集い」を創り出すということだ。アメリカ人と討議する前に、介入にいかなる地理的限定も定めないような同盟の拡大を継続することが理性的なのかどうか欧州内部で我々が検討すべきだろう(これは非常に深刻なテーマだ。第5条の関与は強制的なものである)。一貫性を欠いたミサイル防衛戦略の展開に弱い国々を参加させることは受け入れるべきなのだろうか。

こうしたことすべてに危険がある。これまで我々は決定においていかなる重みも持たなかった。もし欧州人がフランスの復帰によって同盟において発言権を獲得し、アフガニスタン、グルジア、ウクライナ、ミサイル防衛、戦略的軍縮、ロシア等についてワシントンとパートナーシップをもって決定できるならば、その通りだ、これは2つの柱を持つ新しい同盟となるだろう。フランスの為政者たちはこれほどの野心を持っているのだろうか。復帰した後にこうした革命のためにより多くの重みを持つのだと本気で彼らは信じているのだろうか。利点についてはそれゆえ不確実であり論争的なのだ。政治的不都合は明確だ。世界に向けてフランスの見直しのシグナルを送ることになる、これは脱落とそれに起因するリスクとともにそのように政治的に解釈されるだろう。これは象徴的なものに過ぎない、というのも実際には我々はもうほぼ完全に復帰しているのだから!と人は言う。

そう、その通り、これは象徴的なものだ、正常化の意志の象徴なのだ。一旦決定が実現されたならば、歯車効果であらゆる効果を発揮するだろう。この決定は、大西洋主義的であれ西洋主義的であれ、イデオロギー的な配慮に基づくものに思われる。西洋一家の中の「不正常」な状態に終止符を打てと。しかしフランスに別の事を望むことだってできる。まだそのことについて議論をすべき時なのだ。

以上、.NATO完全復帰による欧州防衛の進展は望むべくもない、NATOの改革なしではメリットは疑わしい、これは現実的な利害得失計算ではなく大西洋主義なり西洋主義なりのイデオロギー的な配慮に基づく決定ではないのか、よく考えてみよう、という主張です。別の可能性については具体的に提案していません。NATOと欧州防衛の兼ね合いの問題はもちろん最も重要な点ですが、フランスがNATOに完全復帰したところで進展しないだろうというのはおそらくその通りでしょうけれども、完全復帰しなくともあまり進展しそうにないとも言えますね。端的に言えば、どこまでコストを支払う気があるのかという話ですけれども、誰も喜んでは支払いたくない訳でしょうから。となると米仏で話を進めるというのも分かるような気がするのですけれどもね。まあ、正直、この問題、複雑過ぎて私には判断がつきませんです。

[本日の一曲]

http://www.youtube.com/watch?v=mXuOo-He_-E

和田弘とマヒナスターズ&松尾和子『お座敷小唄』(1964年昭和39年)

スチール・ギターファンとしてははずせない一曲。なんとも能天気な曲調がいいです。東京オリンピックの年の大ヒット曲。

http://www.youtube.com/watch?v=NYCD-MQ-kIU&feature=related

奥村チヨ『お座敷小唄』

こちらは奥村チヨ版。こ、この艶っぽさは・・・。

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NATO軍事機構への完全復帰をめぐる論争(2)

前回はフランソワ・バイル氏の反対論のインタビューでしたが、今回は推進派のテルトレ氏のル・モンド寄稿記事です。氏は戦略研究財団のチーフ研究者ということです。反対論に対して逐一反論しつつ完全復帰のメリットを説いています。戦略系の人ということもあって論調に理念性は薄いですね。

"La France dans l'OTAN : le mauvais procès" par Bruno Tertrais[Le Monde]

NATO軍事機構への再統合によってまさにフランスがなそうとしている賭けについて自問することは不当なことではない。パリは欧州防衛の構築を通じて大西洋同盟を弱体化させようとしているのではと疑っている我々の同盟国との信頼を再建することを望んでいる。かくして我々は自らの善意を示し、NATOと補完的な欧州軍事計画を再始動するのによりよい立場に置かれるのだ。

NATOと欧州連合の一致が強くなっただけに議論は有意義である。今日では両者のメンバーは21ヶ国は下らない。しかしこれは弾が一発だけ込められた銃だ。カードは上手く使われないといけない。他方、我々の最良の士官が欧州の慎ましいポストよりもNATOの高官のほうに魅力を感じるのではないかと恐れられる可能性もある。そこでいくつかの問いを理解する必要がある。

しかし、我々は事実上アメリカの旗の下に身を置く事になるのではとか外交的駆引きの自由や独立権力としての我々のイメージを失うことになるではといった議論は根拠のあるものではない。我々はもはやアメリカの政策に反対できなくなるとかワシントンの対外的冒険への参加要請に反対できなくなるとか述べることにも意味がない。同盟内部の決定はコンセンサスによってなされるのであり、欧州の我々の同盟国は我々と同様にこの規則に従うのだ。各国は共通の作戦への軍事的貢献について主のままである。

復帰に反対する人々はしばしば本質的な点を忘れてしまう。すなわち、独自の核抑止能力をフランスが保持しているという点であり、この地位は復帰によっていかなる影響も受けないのだ。この能力によって我々は我々の生存が他者に依存しないと主張すること、それが正しい場合にはアメリカの政策を批判することができるのだ。こうしたラインの作り手は2003年のイラクへの米国の介入へのフランスの熱烈な反対には好意的ではなかった。しかし我々が抑止に与える戦略的独立性はこうした選択をすることを可能にするのだ(ドイツは作戦への参加を拒否したが、ワシントンへの活発な反対派のリーダーではなかっただろう)。

無視できないチャンス

時代を間違えるべきではない。ド・ゴール将軍は統合軍事機構からの脱退のみが我々の完全な主権の回復を可能にすると考えたが、それは1960年代にはフランスに米軍の強力なプレザンスがあったからなのだ。ところでワシントンにはフランス領土への軍隊の再配置を要求する意図も理由もないのだ。

大西洋同盟に復帰することで「西洋側」に閉じ込められるという感情を与えるリスクを冒すことになるのだといった話を聞くと当惑してしまう。この議論を進める人々は彼らのロジックの極限まで進み、NATO脱退を提案するべきだろう!しかし、とりわけ、この議論は政治的現実を勘定に入れていない。中東、アフリカ、アジア、南米で重要になるのは大西洋機構におけるフランスの地位ではなく対米政策と共通作戦への有効な参加なのだ。アフガンやパキスタンのイスラミスト運動のリーダーたちと関連してこの主題を取り上げた者は誰でもNATOの煩瑣な制度の話は彼らの理解を超えていることを知っている。彼らにとって重要なのはフランスがアフガニスタンでなにをするのか、フランスが米国の同盟国かどうか知ることだけなのだ。

それに大西洋同盟は西洋一家の排他的な代表たる野心を持たない。ワシントン条約(1949)には「西洋」にいかなる参照も含んでいない。そして同盟は西洋起源の共通価値によって互いに結ばれた諸国の一家を代表するが、例えばイスラーム世界とと対立するものではまったくない。トルコが57年間メンバーであることを想起すべきだろうか。それからNATOの3つの大規模な作戦―ボスニア、コソヴォ、アフガニスタン―が大部分ムスリムの人民に擁護され、支持されたことを想起すべきだろうか。

最後に復帰するがゆえに我々の声が小さくなると述べることは誤りに帰着する。大西洋同盟の内部で我々の声はむしろ大きくなるだろう。我々は国益を擁護するのによりよい位置に置かれることになるのだ。NATO軍事機構の中に多くのフランス人士官が入ることで防衛と安全保障に関して我々の概念がいっそう考慮されることが保証されるだろう。同盟が新たな戦略概念にまさに着手しようとしているその時にこうした作業においてフランスの重みが増大することは無視できないチャンスとなるだろう。

以上、フランスの独自性は失われないし、戦略的自立性は維持できる、西洋陣営に閉じ込められるというのは根拠のない危惧である、NATOの戦略構築への参加はフランスの声を反映させるチャンスである、という主張です。全般に合理的な意見であると思われますが、いくら言葉で否定してもNATOが西洋同盟として映るというパーセプション上の問題はあるでしょうね。それがいいことなのか悪いことなのかは別にして。

追記

「全般的に合理的」と書きましたが、「NATOと補完的な欧州防衛」のあり方がよく見えてこないので必ずしもすっきりした印象を与える訳ではないですね。

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政治的なもの、革命的なもの

"Le G20 devra être politique selon Henri Guaino"[Les Echoes]

via French Politics

サルコジ大統領のスピーチライターのアンリ・ゲノー氏については以前エントリしましたが、氏によればG20は「技術的なもの」ではなく「政治的なもの」になるだろうとのこと。氏によれば「問題は我々のいる、今日危機にある世界から別の世界、他の規則をもつ組織された別のモードへと抜け出すべく心性、精神を発展させることである。心性、思考様式に断絶がなければならない」とのことです。むう、精神革命ですか。また「問題はG20が本質的に政治的なものなのか技術的なものなのかを知ることである。政治を行うこと、それは全世界に理解可能で、すべてを変革し、責任をとれるような強力な決定を下すことである」と言います。技術的な決定は現状のシステムの微調整に過ぎず、現状の規則や理念を侵犯する能力は本質的に危機にある世界に属している技術屋どもにはないのだ、政治家にのみこの神聖なる侵犯能力があるのだ!と、いかにも「政治的なもの」の復興を掲げるゲノー氏らしい発言ですが、なにを決定するかが問題な訳ですよね、決定することそれ自体よりも、違いますかね。すでに波乱の気配の漂うG20ですが、席上でサルコジ氏は、はあ?みたいな演説をまたしそうで少し楽しみです。

"Pierre Lellouche nommé «Monsieur Afghanistan et Pakistan»"[Liberation]

少し前のニュースですが、UMPの議員で議会のNATO委員会委員長のピエール・ルルーシュ氏がアフガニスタン、パキスタンの特命大使に指名されたとのことです。2008年末にアフガニスタンへのフランス軍の関与とNATO戦略について評価する仕事をしたことがある安全保障の専門家で「アフガニスタンにおけるNATOの戦略は失敗しつつある。NATOはアフガニスタンで勝利できない」と述べたとのことです。記事は「我々はNATOの納税者の血税にファイナンスされた地上で初めてのアヘン国家をつくりあげることに成功した」という発言も引用しています。大西洋主義者で親米派とされるけっこう有名な人ですね。ホルブルック氏の相手としてはこの人以外いないような気がしますが、さて、どうなるんだか。

"La "gauche de la gauche" part en ordre dispersé aux élections européennes"[Le Monde]

先日「左翼党」を立ち上げたジャン・リュック・メランション氏とフランス共産党のマリ・ジョルジュ・ビュッフェ氏による3月8日の「左翼戦線」結成に関する記事。「市民的蜂起」を呼びかけたメランション氏ですが、「我々は6月7日の選挙をリスボン条約とサルコジの自由主義政策への二重の国民投票とする。人民は声を上げるだろう」とのこと。CGTシュミノのディディエ氏、映画監督のロベール・ゲディギアン氏、作家のジェラール・モルディヤ氏の演説に続いて最も成功を博したのが反資本主義新党青年部のリーダーのクリスティアン・ピケ氏であったということです。同党の同盟の拒絶の決定にもかかわらず一部が左翼戦線に合流したようです。数ヶ月前にオリヴィエ・ブザンスノ氏が同盟を拒んだ訳ですが、この会合の数時間前に同党の政治評議会が左翼戦線との「不一致」を表明し、「欧州の条約を拒絶するという根拠のみで結集することはラディカルな要請に満たない」と宣言したとのことです。ブザンスノ氏は候補に立つことを望んでいないが、党の選挙人リストを提出する予定であるとのこと。IFOP調査によれば極左の支持率は16%に達すると言われ、今後、極左政党間の競争は激しくなると予想されます。現在、反資本主義新党が9%、左翼戦線が4%、労働者の闘争党が3%の支持を受けているとされます。というわけで極左の通弊に違わず、いわゆる大同的見地に立った同盟はなく、互いに敵視し合っているようです。それはいいことなのでしょう。

"Le « Nouveau parti anticapitaliste » ou le retour vers un passé qui ne passe pas"[Coulisses de Bruxelles ]

極右が落ち着いたと思ったら今度は極左かよというのが正直なところですが、反資本主新党が10%近い支持率を獲得した事態を前にしてカトルメール氏が真面目に警告を発しています。大衆的人気ではサルコジ氏のライヴァルにまで祭り上げられているとっても感じのいい革命的郵便配達夫オリヴィエ・ブザンスノ氏ですが、彼がどれほど感じがよくとも反資本主義新党はレーニン主義的な革命政党であり、エコロジーやフェミニズムといった今風なアジェンダはこの点を覆い隠すものだ。ソ連や中国とは無関係だと言い張ったとしてもこれは1917年への回帰である。以下、同党の綱領を検討しています。

(1)欧州憲法、欧州中央銀行、OECD、IMF、世界銀行、WTO、NATOの否定。フランスの革命の後、全世界に反資本主義の波が及ぶとされる。

(2)民主主義の否定。左翼戦線を否定したようにいかなる妥協的連合もしない。「階級支配は改革の道によっては根絶できない」。暴力による革命も否定していないことになる。

(3)全体主義。生産手段の私的所有の否定、金融システム、サービス業に対する人民の支配。人民とは実際には国家でしかない。人民の善のための文化の革命。明瞭に語っていないが現在の政治的、法的秩序の打倒は論理必然的であり、反対意見に対して不寛容な体制になるだろう。

反資本主義新党に投票するとは社会党への抗議や社会党を左傾化させることを意味しない。反民主主義的、反欧州的な革命政党に投票すること、前世紀の亡霊たる共産主義に投票することを意味するのだ。といった具合に同党の危険性を警告しています。今時まさかと思われるかもしれませんが、綱領その他を読む限り、これまでの動きを見ている限りは、この人々は本気ですね。左翼戦線が成立しなかったことやブザンスノ氏個人の人気が必ずしも同党への人気につながらないという話を考えても、社会党不満層やエコな人々や極右支持層の一部も取り込んで今度の欧州議会選で躍進し、国際メディア的にも注目されることになるのかもしれません。もっともフランスおよび欧州政治の不安定の象徴となったとしても彼らの革命とやらが成就することはないでしょうが、日本でも勘違いした人々が騒いだりするのでしょうかねえ。

[本日の一曲]

佐藤千夜子『ゴンドラの唄』(1915年大正4年)

http://www.youtube.com/watch?v=hQp1RTjfiVU&feature=related

革命前のまだ浪漫的なロシア幻想ということで、ツルゲーネフ『その前夜』の劇中歌。この人の時に投げやりにも聞こえる歌い方はわりと壷です。

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NATO軍事機構への完全復帰をめぐる論争(1)

NATO統合軍事機構への完全復帰については以前エントリしましたが、この件についてしばらく前からフランス国内で議論が活発になされ始めているようなので紹介しておきたいと思います。

サルコジ大統領が昨年4月のブカレストのNATO首脳会談の席でNATOへの完全復帰を示唆し、6月の国防白書に明記され、今年の2月7日にミュンヘンで同様の宣言をしたことは日本語圏でも報じられていたのでご存知の方も多いでしょう。経緯を確認しておきますと、冷戦下において米国の世界戦略の下に置かれること嫌い、独自核に基づく自立的安全保障政策を展開すべくド・ゴール大統領が1966年にNATOの軍事機構から脱退した訳ですが、この脱退はフランスの独自性を示す経験として内外で記憶されてきました。したがって今回の完全復帰はきわめて象徴的な意味合いがもたされることになる訳です。ただ今回の動きは「親米家」サルコジ大統領による安全保障政策の急旋回ではなく、「ゴーリスト」シラク大統領の下で用意された路線の延長上にあります(「」に入れたのは、しつこいようですが、私はこの手のラベルは信用しない主義ですので)。

NATOには文民機構と軍事機構の二つの枠組みが存在していますが、ド・ゴール大統領が脱退したのは軍事機構であり、文民機構にはとどまっていました。軍事機構には軍事委員会、防衛計画委員会、核計画グループが存在していますが、ユーゴ紛争を契機に95年、シラク大統領によって軍事委員会には既に復帰しています。さらに実際にはNATOとはつかず離れずの関係でしたし、今回の復帰の条件として欧州防衛の強化と独自核戦略の維持が約束されていますので、今回の完全復帰は実質的な意味合いよりも象徴的意味合いが強いと言うこともできるかと思います。

それでも米国追従やフランスの独自性の喪失につながるのではないかという懸念があり、国内議論を惹起することになっています。最新の世論調査は確認できていませんが、これまでの結果からすると賛否は拮抗している状況だと思われます。外交安全保障問題が経済問題や教育問題のようなテーマに比べると一般国民から遠く見えてオピニオンを持つのはなかなか難しいというのはどこの国でも同様ですのでメディア上の討議を受けて賛否が拮抗する状態は理解可能な話に思えます。長期的な国家戦略論というよりもアフガニスタンへのいっそうの関与の是非という差し迫った話が焦点になっているようです。

おおまかに言うと、政府与党のUMPの大部分は完全復帰を進める側にまわっていて、左派と中道派さらに右派のゴーリスト・グループの一部が反対の論陣を張っているという構図になっているようです。内容的には推進派はフランスの独自性の維持とNATO完全復帰は矛盾しない、両立可能である点を強調し、反対派は我が国は米国とは一線を画した独自外交を追及すべきであり、完全復帰は理念と国益に反すると主張している格好になります。野党のほうがゴーリスト的なのが興味深いですね。国民投票にはかけられずに、議会でのフィヨン首相の信任投票によって決議される段取りになっているようですのでどうやら多数派の勝利は間違いなさそうですが、どういう議論になっているのか紹介するためにこのエントリではまず反対派の中道政党Modemの党首フランソワ・バイル氏のインタビューを訳しておきます。辞書を引かずに超特急で訳したので変なところがあるかもしれません。気づき次第直していきますが、ご注意ください。

"Sarkozy a une obsession..."[NouvelObs.com]
ル・ヌーヴェル・オプセルヴァトワール(誌名、以下N.O.):あなたはNATO統合軍事機構への復帰計画をフランスの敗北と呼びましたが、少し誇張し過ぎではありませんか。

フランソワ・バイル(以下F.B.):私たちは世界の目にはフランス・ブランドとなっていた遺産を犠牲にしようとしているのです。大西洋同盟において私たちは責務を疎かにすることは決してありませんでした。フランソワ・ミッテラン時代の湾岸戦争の際のクウェートでも、コソヴォでも、911以降のアフガニスタンでもです。しかし統合軍事機構と距離を置くことで、フランスは自らをアメリカの影響圏に還元させないこと、世界に開かれていること、ノーと言えることを-これはイラク戦争の際に明らかになりましたが-私たちは示したのです。犠牲にしようと望まれているのは50年の歴史なのです。代償としてなにを得るためなんでしょうか。幕僚部でのいくつかのフランス人の将軍のポストですか。この独立の遺産は一人の人間の好きにできるものではなく、ニコラ・サルコジだけではなく全フランス人に属するものだと私は言いたいのですね。というのも私たち国民的な財産の話だからです。したがってフランス人が国民投票で態度決定できるのでないといけないでしょう。

N.O.:しかし具体的に言うと、どういう点でフランスの独立が今後脅かされるというのでしょうか。

F.B.:私たちがこの決定をするまさにその時、世界の目には、私たちは西洋ブロックという理念を受け入れ、このブロックに与するということになるのです。一方に欧米ブロックがあって他方に全世界があると。これはフランスにとって、そしてその歴史と普遍性にとってひとつの断念なのです。確かにフランスは西洋の歴史に属し、これを形作ってきましたが、フランスは西洋に還元されず、開かれており、西洋と一線を画して、アラブ世界やアフリカを理解できるのです。また欧州連合の独立的防衛政策の理念の終焉が浮上するのが私には見えるのです。というのもフランスの独立、その特異性、思想と言論の自由とともにいささか他に還元不能なその性格というものは欧州のパートナーたちにとって常にひとつの基準だったからです。フランスは独立欧州の保証人であり、独立欧州は時とともに米国との関係において、またいずれ南米、アフリカ、インドとの関係において新しい道を開くことになるでしょう。これは等しい価値をもった複数の柱の上に打ち立てられたより均衡した世界のヴィジョンです。かくして私たちが売り払おうとしているもの、それは私たちの過去ばかりでなく私たちの未来、フランスと欧州の未来の一部なのだと私は主張したいのです。

N.O.:あなたはサルコジ大統領の意図の勘ぐりをしてませんか。というのも大統領自身がNATO軍事機構への復帰の条件として欧州防衛の進展を掲げたのですから。

F.B.:サルコジの選択は欧州防衛は今後NATOの枠組み、すなわちアメリカの権威の下でなされることを意味するのです。それはアメリカの政権がどうなろうとそうです。例えばNATO司令官とは欧州のアメリカ軍の司令官である点を思い起こしてください。それ以外は文学の問題なのです・・・。

N.O.:あなたはフランスはNATOを疎かにしたことはなかったし、そのミッションに参加してきた点を指摘しました。専ら象徴的な決定の話を大げさに受け止めていませんか。

F.B.:ほろりとさせるような無垢さで国防省はこの決定は純粋に象徴的なものだと述べました。ええそうですとも!人間と諸国民の生において象徴とは本質的なものなのです。私たちの独立の象徴を要求しなければなりません。諸国民の中で異なる私たちの特徴を示すのがまさにその象徴なのです。統合とは、全世界の目からすれば、同化を意味するでしょう。

N.O.:しかしあなたはこの復帰を真剣に構想したジャック・シラク政権の閣僚だったのでは・・・。

F.B.:これはジャック・シラクが暖めていた理念です。彼はそのリスクをとらないだろうと私は常に考えていました。そしてこの時代以来この主題に関する私の確信は明瞭になり、強固なものとなったのです。イラク戦争の際のフランスの選択は射程と反響の及ぶ限りのあらゆる人々の目にフランスの独立の本質的な特徴を示しました。

N.O.:ニコラ・サルコジによるアメリカの領域であるイラクへの電撃訪問は彼の独立意志に関してあなたを安心させませんでしたか。

F.B.:いいえ、バグダッドでフランスはある意味、状況を確認するのに飽き足らずにイラク介入に事後的に同意を与えたのです。この独立の印の放棄には断腸の思いがします。特定のセクター、軍需産業セクターを除いてはね。このセクターはNATO市場からこれまで排除されていました。彼らが圧力をかけていることを私は理解しています。しかしある国民の歴史的使命とはどれほど重要かつ強力でも特定の利害に還元できるものではないと私は考えるのです。

以上、「独立的欧州」「フランスの独立と特異性」を護持せよ、これほど重大な決定には国民投票が必要だ、また「世界の目」と「独立の印」を繰り返して具体的利害を超える象徴的価値の重要性を強調しています。理念的には西洋主義(occidentalisme)とは一線を画すのがフランスの流儀であるという主張ですね。理念としては分かります。さりげなく歴史的使命という言葉が出るのには皮肉でなく痺れるものもあります。氏にはNATO完全復帰はフランスの影響力を行使するための選択肢の拡大の一手段に過ぎないのだといった割り切った見方はとらないようです。実際、「世界の目」には米仏関係の強化、さらには西洋枢軸の形成と受け止められるのかもしれません、いや、フランスのことだから・・・となるのかもしれませんけれど。最後の軍需産業云々のところは事情を知りませんが、やや勇み足かなという気がしないでもないですね。

[本日の一曲]

http://www.youtube.com/watch?gl=FR&hl=fr&v=5Jcm41GFLMs

ミレイユ・マチュー『ド・ゴール』(1989)

いかにも80年代的な曲調で個人的にはあんまり好みではないですが、ミッテラン大統領の依頼でつくられた将軍賛歌です。リールのド・ゴール、ロンドンのド・ゴールといった具合に生涯を回顧し、最後はフランスのド・ゴールの連呼で締めくくられています。

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まあ、ぼちぼちいきましょうよ

"One France Is Enough" by Roger Cohen[NYT]

ロジャー・コーエン氏のNYTのコラムです。フランスを当て馬にしてオバマ政権に忠告を発しています。つっこみどころが多過ぎるのですが、要はレーガン以来の小さな政府路線には確かに行き過ぎがあったが、現在のオバマはまるでフランスのエタティスム(etatisme国家主義)のようだ、フランスはふたつもいらない、移民の国としての米国は可能性とチャンスの国であり続けるべきなのだ!と主張しています。このベタベタな記事を紹介するのはこの話法のままフランスを日本に置き換えても成立しそうな論調に見えたからです。例えば、記事のタイトルを"Turning Japanese"とでもして、ウォルフレン氏流の官僚陰謀論を持ち出して、主題に関係ない性的な話題をなぜか入れて・・・、あれ、もう読んだことがあるような。実際、アメリカのフランス叩きと日本叩きは似ている部分があるので比較言説分析の面白い素材になるかもしれません。トップ・ダウン的なものへの敵意、歴史や文化への妬み、センシュアルなものへの道徳的不安などなど。日本の場合には異文化への不安が入る分さらに不当なものになりがちな訳ですが。

一応フォローしておくと氏とは意見が一致することも時にありますし、最近では「イランのユダヤ人」のコラムなどは世界の複雑性を読者に示すという意味で悪くないとも思いますが、それでもある種のリベラルって・・・、止めておきますか。言い忘れましたが、コーエン氏はわりと知られたフランス・バッシャーです。かの国ではアメリカ嫌いに対して個人的にはなんの義理もないのにアメリカを擁護する役割を果たしていたのですけれどもね。

"Japan's Crisis of the Mind" by Mamoru Tamamoto[NYT]

こちらは同じくNYTの玉本氏の記事です。玉本氏のことはご存知の方もあるかもしれませんが、日本解説者として英語圏の一部で知られる政治学者です。かつて外務省系の財団法人と産経新聞の古森記者と玉本氏、さらに何人かのジャパン・ハンズや半可通ブロガ-達を巻き込んだ脱力系の事件がありました。クレモンス氏がワシントン・ポスト上で逆上、古森氏がこれに反論、NBRなどでの場の罵り合い、と心底くだらないと思いつつも見物人的には手に汗握る展開(笑)と相成りました。古森氏のWikipediaの項に経緯の記述があります。日本語のブログもけっこうヒットしますね。

この記事はスルーしようと思ったのですが、それなりに反響があるようなので一言だけ。内容は現在の日本の危機は精神的なものであり、戦後、西洋に追いつけ追い越せでやってきたが、もはや目標を失い、自由の原理に基づく西洋諸国とは異なり、日本では官僚が支配する自由も幸福もないシステムが立ちはだかっている(ウォルフレン症候群!)、今必要なのはリスクをとる意思とダイナミズムであるといった感じです。「日本人の心理的危機」ではなくて「私の心理的危機」ないし「我ら戦後リベラル左派(?)の心理的危機」ぐらいにしておくのが謙虚な姿勢というものではないですかと思いました、はい。また英語圏の日本言説に呑み込まれた善良な魂の痛ましさみたいなものをところどころで感じました。ただの偏見や叩きを真に受けなくてもいいのにと。リベラル層のオブザーバーに動揺を与えるわさびのきいた記事を一本でも書いたら-まあ全部読んでいる訳でもないので分かりませんが-氏のことを評価するかもしれません。そうですね、ダイナミズムが必要だという点は同意しますが、私は不幸でも不自由でもないですね、悪しからず。共感というのか同情する部分もゼロではないですが、こうした語りに巻き込まれたくないんですよね。だってちっとも生産的でないではないですか。もう聞き飽きました、泣き言を言ってる暇があったら地味なところからでもなにかやりましょうよと。

"A Japanese lesson for Afghanistan" by Matthew Patridge[Guardian]

こちらは歴史から誤った教訓を導き出す見本のような記事です。日本の占領統治の例はイラクの際にも散々想起され、「サクセス・ストーリー」の語り手のジョン・ダウワー氏本人が引用されて反論する事態にもなっていましたが、今度はアフガニスタンですか。ふう。マッカーサー式にやれと主張しています。アフガニスタンを貶める意図はないのですが、どちらかというと豊臣秀吉が必要な治安状況のように思えたりするのですが、違いますかね。早い時期に政治権力による武力の独占が実現し、長いこと秩序社会の伝統が存在していたからこそ占領統治もありえないほどスムーズに進行したように思うのですが。また戦前についても占領軍のプロパガンダそのものですね。封建主義対リベラリズムですか、いまどき英語圏のアカデミシャンでも言わないです。言うまでもなく識字率が高く、所有権も確立し、工業化も進んだ近代国家だった訳です。それにイギリスにはfeudalな土地所有とやらが残っているじゃないですか、農地改革はむしろ後の農政に悪影響を与えたと思うのですがね。ええと、日本は凄かったんだと威張りたいのではなく、誤った歴史の教訓をたしなめているのです。本を一二冊読んだぐらいでなにか理解した気になっているだけの人なんでしょうが、よく知らないことを新聞に寄稿すべきではないですし、またこんなレベルの記事をチェックなしに掲載するようではガーディアンのレベルも知れようというものです。

追記

クレモンス氏の発言で苛立った記憶があって文句を書いたのですが、確認できないのでその部分を削除しました。ともかく氏はエキスパート面してほしくない人トップ10に入りそうです。玉本氏にはさほどの悪感情はないですが、こういうナショナルなレベルでのmindについてそう簡単に語るのは止めて欲しいです。少なくとも私は氏の語りの中に含まれたくない。それから私は別に官僚の味方ではないですし、政官関係のバランスのとれたあり方が実現することを願っていますが、昨今のムード的な官僚叩きにはいささか不健康なものを感じます(2009.3.7)

[本日の一曲]

http://www.youtube.com/watch?v=N3re38PkW_U&feature=related

江利チエミ『テネシーワルツ』(1952年昭和27年)

進駐軍のアイドル・エリーのデビュー曲。14歳の子供にしてはおませな声ですよねえ。

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連合って不便ですよね

あちらもこちらも騒々しいですが、おかげさまでごく平穏な日々です。そう言えば、この間、金銭を代償にして他人に髪を切らせました。少し寒いです。以下、欧州関連記事のクリップです。

"L'Union pour la Méditerranée subit un coup d'arrêt depuis la guerre de Gaza"[Le Monde]

地中海連合が「制度的に機能停止」している件についてのル・モンド記事。サルコジ大統領の肝いりでアラブと地中海の43カ国を集めるこの広域連合組織が華々しくスタートした件については以前エントリしましたが、半ば予想通りイスラエルのガザ侵攻を受けて頓挫している模様です。イスラエルと同席することをアラブ諸国が拒否しているために4月以降開催される予定だった会合の見通しが立っていないとのことです。例えば、エジプト政府が地中海連合の停止を公的に求めているとされます。エジプト人はアラブ諸国の中で複雑な位置に置かれている、地中海連合で重要な役割を果たすエジプトを守らないといけない、というフランス側のコメントが引用されています。またアルジェリアは「我々は連合のメンバーだが、連合は進捗しないだろう」という冷ややかな見解を示している模様、リビアは「地中海連合はイスラエルの爆弾によって殺された」と発言、シリアも停止の方向に動いているとされます。他方、欧州との関係を強化したいモロッコは連合の進展を望んでいるといいます。理事会のポストをめぐる角逐もあるようで、43カ国も集めれば、そりゃなかなかうまくいかないですよ。さっそく企画倒れの匂いが濃厚に漂ってきていますが、まあ長い目で観察することにします。

"France to send envoy to Iran for nuclear talks"[Haaretz]

フランス政府がジェラール・アルノー氏をイランに派遣したとハアレツが報じています。それでこのアルノー氏ですが、

The French official to be tapped by President Nicolas Sarkozy to meet with the Iranians is Gerard Araud, who holds the title of political and security director-general of the French foreign ministry. Araud has been France's point man in the six-power talks - which include the five permanent members of the Security Council plus Germany - with Iran. Two years ago, he concluded a stint as Paris' ambassador to Israel. Two weeks ago, Araud called on the U.S. to expedite the formulation of its policy of dialogue with Iran. Washington ought to take a "one-time shot" at talks with Iran, Araud said.[....]"The French do not anticipate any extraordinary results from this visit," the diplomatic source said. "But they want to take part in preparing the groundwork for dialogue between the West and Iran."

といった人物です。フランスの対イラン戦略についてオバマ政権との間で齟齬が見られることは前からハアレツが報じていました。さすがに敏感ですね。修辞のレベルでは時に挑発的に振舞ったりしていますが、基本路線にそれほど大きな変更はないように見えます。こうした動きそのものはごく合理的だと思いますが、勿論イスラエルからすれば不満でしょう。

"Sarozy's talent for reinvention"[BBC]

BBCの記者によるサルコジ大統領の印象論。私は内務大臣になる前から眺めてきましたが、あのキャラクター-今日の俺は昨日の俺と違うんだぜとでも言いたげな-は変わってないですね。ともかく由来の知れない異様なエネルギーはありますし、政治玄人の爺さん大統領に飽きた国民の多くがそうした徳を欲していたし、こうした劇的な展開を前にして今も欲しているということなんでしょう。記者さんの言う予測不能性に関しては、大統領本人よりも取り巻き達の方を見たほうがいいんじゃないでしょうかね。

"EU consensus to tackle crisis"[BBC]

日曜のブリュッセルの緊急EUサミットに関してフランスの保護主義的な動きに対する牽制と東欧救援要請の拒絶の二点についてまとめたBBCの記事。前者については、連合内に動揺をもたらしたサルコジ氏の自国の自動車産業保護の訴えが却下され、自由で公正な共通市場の維持が確認されたとのことです。発言を否定するサルコジ氏ですが、アメリカが保護主義に走ったら欧州もそうするだろうと嘯いているようです、それで後者が問題です。ハンガリーによる東欧経済救済要請が拒絶された訳ですが、メルケル首相の各国で事情が違うからという発言が引用されています。他方、バローゾ委員長は不良債権処理の枠組みに関する協定が結ばれた点や中東欧への資金援助がなされている点を強調したとのことです。具体的には以下、

He said 7bn euros of structural funds would go to the new member states his year, including 2.5bn for Poland. Another 8.5bn euros from the European Investment Bank would help small and medium-sized firms in the region this year, he said.

"EU Rejects a Rescue of Flatering East Europe"[WSJ]

こちらは東欧の救援要請拒否に関するWSJの記事です。概括的ですが、こちらのほうが少し情報量が多いです。今回のサミットを象徴するかのように引用されているハンガリー首相の「新しい鉄のカーテン」発言やユーロ圏の拡大の要請についても触れています。ポイントは中東欧と言っても一枚岩ではなく状況がましな国は救援を受けることでイメージが悪くなることを恐れているという点でしょうか。ポーランド首相の発言は以下、

"Our position is that we must differentiate between countries that are in difficulties and those that are not," Polish Finance Minister Jacek Rostowski said. Poland, which benefited from years of healthy economic growth, is in better shape that some of its more-indebted neighbors. But it has seen a substantial fall in the value of its currency as investors scramble out of the region.

これに対して西欧諸国は他のどこかから借りたらといった冷ややかな態度であったとしています。こちらも深刻な景況悪化に直面して新たに東欧救済の件で国民を説得するのは困難だと。動こうとしない欧州連合に代わってIMFや他の国際機関の役割が重要になるだろうとしています。おーい。以下、各国の状況について概観しています。ポイントはやはりドイツですが、記事では、

Most critical was the cold shoulder from Germany, which, as Europe's largest economy and the one with most access to borrowing, would play the largest role in financing any aid. Germany, the EU's strongest economy, is unwilling to unwind its own fiscal discipline to pay for the spending excesses of others. Admitting countries with weaker finances could hurt the strength of the euro or push up inflation across the euro zone.

と書かれています。あの頑固な財務大臣がちゃんと役割を果たすと述べたという報を読んだ記憶があるのですが、ぎりぎりまで踏みとどまるようです。まあ気持ちは判りますけれどもねえ。ともかく欧州の東と西の間の心理的距離はモーゼの海割りの跡のごとく広がっているようです。

南無南無。ではでは。

追記

半ばボケて書きましたが、景況も財政状況もばらつきがありますし、中東欧と言っても一枚岩ではない訳で必ずしもハンガリー案が正しいアプローチとは限らないように思えます。東と西の二元図式よりも状況はもう少し複雑なようです。メルケル氏を支持する訳ではないですが。

再追記

"Emergency eurozone aid signalled"[FT]

こちらはメディアの反響の大きさを見て火消しのために書かれたような記事ですね。アルムニア氏がユーロ圏で困難に陥った国には支援がある点を強調しています。またこのたびのハンガリー案却下については

At an EU summit on Sunday called to discuss the crisis, it was not the bloc’s western European countries but several central and eastern states that had spoken most loudly against a Hungarian proposal for a €180bn ($226bn, £161bn) financial aid plan for the region, Mr Almunia said. “When someone says, ‘Give me a plan for the region’, I say, ‘It’s not a question of a plan, but of analysis, of monitoring, case by case, problem by problem’.”

といった具合に西欧諸国でなく中東欧諸国のほうがハンガリー案に反対だったのだと主張しています。また先日のシュタインブリュック財務大臣のユーロ圏支援の発言も想起し、ドイツのエゴイズム批判に反論しています。欧州連合の外交官によれば救済の法的根拠は第100条の

This states that “where a member state is in difficulties or is seriously threatened with severe difficulties caused by natural disasters or exceptional occurrences beyond its control”, EU governments “may grant, under certain conditions, community financial assistance to the member state concerned”.

に基づくとされます。金融危機、経済危機はexceptional occurrences beyond its controlの文言に関わる訳ですね。最後に氏はユーロ圏の崩壊はあり得ないと断言されています。まあ、その確率そのものは低いだろうと思いますけれども・・・、当面は戦力の逐次投入を続ける他ないのでしょうかね。

[本日の一曲]

http://www.youtube.com/watch?v=7SwC-S2aR3M&NR=1

灰田勝彦『アルプスの牧場』(1951年/昭和26年)

この年齢でこの声はすごいと思います。

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