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2009年4月

革命前夜?

フランス関連で最近話題になっていた記事をクリップしておきます。

"Villepin s'inquiète d'un "risque révolutionnaire" en France"[Le Monde]

前首相のド・ヴィルパン氏が「フランスには革命のリスクがある」と発言したという記事です。失業者の間の「強い怒り」と「絶望」に対して社会政策を訴える文脈にあるこの発言ですが、ずいぶんあちこちで採りあげられていますね。「予測できない社会的反応」、「コントロール不能の集合行動」に備えるべく全速力で非常措置を取らねばならぬとのこと。内閣改造の話を振られたのに対して2年の首相任期は長いが、自分は首相に返り咲く気はないと述べた模様です。

"Avant un 1er-Mai massif, le climat social se tend"[JDD]

昨今の社会的緊張を扱った記事です。メイ・デイを前にしてかの国では例によってデモやストが各地で起こっている訳ですが、学校でも工場でもラディカル化の兆しが見えているようです。ド・ヴィルパン氏の「革命のリスク」発言に加えて、記事によれば、やはり元首相のラファラン氏がフランスの「熱い血」について語っているようです。熱いですよね、本当に。ユベール・ランディエ氏によれば、「社会危機は常に予測できないものだが、確かに火種がある」と言います。大統領の失言のようなほんの一刺しが火に油を注ぐことになるだろう、と。ただ1970年代に比べたらまだまだ全然温いとしています。それから記事はCGTのような組合が現在は運動のラディカル化を抑えつつ、政治に働きかけようとしている点についても触れています。平等や自由を求める情熱は高まっているが、1968-2009はないだろうとしています。

"Who wants a new French revolution ?"[Times]

でタイムズもド・ヴィルパン氏の発言を採りあげてその可能性はないとしています。この発言については、

Revolution is being talked up by people in the Establishment with their own ambitions at heart. Villepin is the most glaring example. He is a never-elected diplomat who owed all his government appointments to his mentor President Jacques Chirac. He is to stand trial later this year on charges of trying to smear Sarkozy in the so-called Clearstream affair. Last Sunday he talked of possible revolution saying he feared that public despair would lead to "collective behaviour that we might not be able to control". On Friday, he announced that he hoped to stand against Sarkozy in the next presidential election in 2012.

といった具合に政局的な解釈をしています。またロワイヤル氏も大統領攻撃を強め、フランスのために海外に対して「謝罪」する発言をしたり、暴力的な事件のたびに労働者と連帯して革命を訴えている、中世レベルの労働条件だ!と、しかし彼女もまた大統領選挙の立候補を公言しているとし、眉に唾したほうがいいと述べています。

この観察そのものは必ずしもシニカルという訳ではないでしょう。政局絡みの発言には違いないでしょうから。結局のところ、「革命」の語でなにを想起するのかという問題だと思われますが、政権を揺るがすような規模の社会的争乱が生じる可能性という意味ならば、それはなくはないでしょうね。オーストリアの話で済むと楽観しているのか政治経済エリート層には危機感が乏しいように見えますが、東から大波がやって来たならば、今はリスク回避のために大人しくしている人々も踊り出る可能性はあるのではないでしょうかね。ちなみにロワイヤル氏の「謝罪」ですが、サルコジ氏がフランスのイメージを落としていることに対してフランスに代わって謝罪するという意味でブッシュ政権時にアメリカでソーリー・サイトみたいなものが出来ていましたが、その真似なんでしょう、こんなブログもありますね。

サルコジ仏大統領が各国首脳を酷評、仏紙報道に波紋[AFP]

かのハイパー大統領が各国首脳をこき下ろした件は国際的に波紋を呼んでいましたが、あーあ、また、やったか、と思いました。ヌーヴェルオプのブログがこの件についてエントリしていました。件のリベラシオンの記事が正しいのかどうかはよく分りませんが、この通りに語ったとしてもまったく違和感がないです。政治家はまず選ばれなくてはならない、三度も選ばれたベルルスコーニは偉い、というのは冗談なんでしょうか、本気なんでしょうか。我が邦の首相も失言でよく叩かれますが、サルコジ、ベルルスコーニのコンビはそうとうのものですね。

"After 43 Years, a French Town’s Nostalgia for Harry and Joe Lingers"[NYT]

前にNATO統合軍事機構完全復帰をめぐる論争を紹介した際に米軍基地があった時代に簡単に言及しましたが、これはシャトールーの今の様子のリポートです。基地に対する受け止めというのは概して両価的なものなのでしょう。記事は昔をなつかしむ地元の声を拾っています。アメ車乗り回して、やあ、戻ってきなよ、と言っていますね。ちなみに記事に出てくるハリーズのパンはそのへんのスーパーで売っているものですが、こういう経緯があったのですねえ。

40年以上前に米軍はこのフランス中部の町を離れたが、ハリーとジョーは居残った。

二人のアメリカ人がここに居た。というのもフランスはかつてNATOのメンバーであり、シャトールーは欧州最大の米軍基地を擁していたからだが、ここは8000人のアメリカ人と3000人のフランス人民間雇用者-料理人、お抱え運転手、床屋、会計係、大工-を抱える巨大な補給センター、航空機補修ユニットであった。

しかし1966年にドゴールがフランス-英国、カナダ、オーストリア、ニュージーランド、米国の兵士の助けで二つの世界大戦を生き延びたフランス-は軍事的に自立できると決断し、NATO軍事機構から脱退し、アメリカ人に立ち去るように命じたのだった。

ここシャトールーの年配世代の多くにとってNATO基地時代は戦後フランスの陰鬱な灰色の時代にあって古きよき日々である。基地には金払いのいいたくさんの仕事があり、カラフルに彩られ、任務を離れたアメリカ人はハワイアンシャツを見せびらかし、明るい色のシボレーや他の古い車を乗り回したものだった。市庁舎ではアメリカのサービスマンとフランス人女性の間で約450の結婚が祝われた。

勿論皆がアメリカ人を歓迎した訳ではない。共産主義者や社会主義者はいつも「US、ゴーホーム」と壁に落書きした。しかしニコラ・サルコジ大統領がNATOの懐にフランスを復帰させた今、こうした年月が戻るのではないかと希望をもって語っている者もいる。

アメリカ人が帰ってきたとして、「私は別に困らない」と政府機関で働く40代のゾフィー・バラは控えめな声で語る。「そのことを話していますよ」。

しかし今日でもアメリカ人は完全に出て行った訳ではない。ノルマンディーに上陸したメイン州オーガスタ生まれのジョセフ・ガニエは1952年1月にここに基地を建設する計画のうわさを聞きつけた。フランス人妻のジャニンと一緒に彼はルドリュ・ロラン通りにジョー・フロム・メーンJoe from Maineというハンバーガーレストランを開店した。ジョーは今月86歳で地元の病院で亡くなったが、娘のアネットが今もハンバーガー、ホット・ドッグ、テクス・メクスを週に6日間出している。

「お客さんは今はフランス人ですけど、当時基地に勤めていたGIやその子供達がやってきますよ」とアネットは言う。"Schlitz on Tap"と書かれた偽のティファニー・ランプの下で彼女はある訪問者を楽しませていた。「1952年1月に父が店を開いた時にフランス人はハンバーガーがなにか知りませんでした」とアネットは言う。「私達は自分達のケチャップをつくって、基地でスパイスを手に入れたんです」。

レストランの下には今は貯蔵庫に用いられている30平方フィートのアーチ型天井の石造りのセラーがある。そこでかつてアメリカ人は途方もない量のビールを飲み干し、チェーン・スモークをし、フランス人のガール・フレンドと踊ったものだった。アーチ天井には「ベニー、トム、フェ-ガン」と名前が刻まれている。

ハリーはこの町にもっと大きな足跡を残した。1960年代に地元の実業家のポール・ピカールはアメリカのサービスマンが食べていた奇妙な白い四角形のパンに印象付けられた。長いバゲットに慣れた他のフランス人のようにピカール氏はそんなものを見た事がなかったが、ここに可能性があると考えたのだった。

それで氏は米国のパン屋を訪れ、製造法を習い、フランスに戻ってワンダー・ブレッドをリエンジニアした。アメリカっぽさを与えようと氏はこれをハリーズ・アメリカン・ブレッドと名づけ、その包装も星条旗で飾った。ハリーが誰かは誰も言えないが、おそらくはアメリカっぽく響く名前というだけなのだろう。

ピカール氏がここでパンを売るには基地が閉鎖されたのは早過ぎたのだが、氏のパンはフランスでヒットすることになった。今ではシャトールー郊外のハリーズの巨大なパン工場で白パンその他が年間1億3千万斤も生産されている。これはフランス全土に点在する他の工場でのハリーズの生産の3分の1程度だ。フランス全土に展開する6つの工場はハリーズをこの国最大のパッケージされたパンの製造業者とした。

ピカール氏は今はこの地域のとある城に引退し、ヴィンテージのレーシングカーを収集しており、氏の会社はイタリアの多国籍食品企業が所有している。しかし400人の雇用者を抱えるこの工場ともうひとつの工場によってハリーズはこの地域で二番目の雇用主となっている。トップは自動車部品会社であるが、自動車産業のスランプで雇用を減らしている。それゆえハリーズはまもなくナンバーワンになるだろう。

「彼はヴィジョナリーだった」と42歳の工場マネージャーのジャック・ローランはピカール氏を評して言う。白いサンドウィッチ・パンは「フランスでは二義的な存在」だと彼は断じる。フランスではスライスされたサンドウィッチパンはパン市場の7%を占めるに過ぎない。「フランス人はバゲットを食べる」と彼は言う。しかしハリーズは子供向けのスナックのDoo Wopやパンの耳を食べたがらない子供向けの耳なし白パンのようなアメリカっぽい新しい商品を生産し続けている。ハリーズはクイック-フランスにおけるマクドナルドとの競争企業-のハンバーガー・ロールを生産している。自家製のパンをつくっているジョー・フロム・メインのためではない。

人口66000人のシャトールーはパリやヴェルサイユやシャルトルと並ぶような存在では決してない。町には魅力的な裏路地があるが、聳え立つカテドラルがある訳ではなく、町で最も古い教会のサン・マルシャルも予約でのみ訪問者に公開されているだけだ。町のモダンなタウン・ホールには車検場といった具合の魅力がある。作家のエディス・ワートンが1906年にシャトールーを訪れた際にこのタウン・ホールを「否定しようもなく幻滅させる」と評した。

近年フランス経済の高波はシャトールーの地位を高めていたが、今や危機がこの町を揺るがしている。町長のジャン・フランソワ・メイエはNATO基地が戻ってきたならばなにをもたらすだろうかと思い巡らしている。1951年にアメリカ人が建設した滑走路はまだ存在しているし、シャトールーの空港は、航空便、航空機補修、パイロット訓練、チャーター便などのビジネスをしたりしている。

「もうかつてと物事は同じではないが、彼らに戻ってもらえるといいです」とメイエ氏は語る。「空港が存在しているのは役に立ちますよ。アメリカ人が来る場所はありますから」。

しかし他の者にとってはアメリカ時代は今後も黄金時代のままだろう。IBMパンチカードマシーンを操作する学校を出てすぐ米軍基地で働いていた74歳のミシェル・ブランシャンダンは去年、150人ぐらいの労働者を集めてこの時代の記憶を保つためのアソシエーションを結成した。メンバーの中には今でも古いシボレー、ムスタング、キャディラックを運転している者もいる。

アメリカ人は帰ってくるのだろうか。「いや」と彼は言う。「文脈が同じじゃないね。冷戦がある訳ではない」。彼は少し考えて、付け加えた。「もし彼らがやって来るなら、歓迎するよ」。

追記

"Nationalism and Anti-Americanism in Japan-Manga Wars, Aso, Tamogami, and Progressive Alternatives"[Japan Focus]

書き手の水木しげる氏の記事には少しだけ感心したのですが、これは読んでいて溜息が出ました。基地も出ますし、反米主義の話ですので短くコメントしておきましょうか。まず「ネオナショナリスト」VS「プログレッシヴ」という架空の対立図式を設定し、前者を否定し、後者を称揚するというパターンの英語圏の一部の言説には飽きています。だいたい列挙される名前も恣意的ですし、各人それぞれに違いますし、どちらにも属さない人々が主流なのです。こうした英語圏の一部の言説における日本の言説空間の「誤表象」や「良き日本人」も存在するといった傲岸不遜な物言いは半可通ブロガーあたりにも感染していますね。なお私は戦後の左右の硬直的な思考枠組みの中では両者と絶妙に距離を置いた人や両者に叩かれた人しか信用しませんが、こうした微妙な問題意識は図式主義者には見えないようです。ところでこのところ田母神氏は英語圏の一部の人々の間ではすっかりアイドルになっているようでなによりです。こういう人々は「敵」なしではいられませんから過大評価し続けるのでしょう。最後に激しい人々を別にすれば、全体としては気分は「反米」というよりは「離米」ではないでしょうかね。それは悪いことではないと思います。

再追記

協調戦略を描けないヨーロッパ[JBpress]

FTのミュンヒャウ氏の記事の翻訳。IMFの金融安定性に関する報告を受けたものですが、内容は氏のこれまで語ってきたことの繰り返しです。不良債権額は米国よりも欧州の方が多く、また処理もちっとも進んでいない。銀行救済にせよ景気刺激にせよ協調戦略が欠如しているため、保護主義的になっている。今回の危機は欧州域内市場と単一通貨を強化するチャンスであるにもかかわらず、現実にはどうもそうはなりそうもない、と。最後に述べている全5幕の長編劇というのはどんな悲喜劇を想定しているのでしょうかね。あまり悲観シナリオばかり語るのもどうかと思われますが、氏の論説はどんどん陰鬱なトーンになってきていますね。

上で批判的に言及した記事ですが、英語圏における言説編成の中において書き手の意図を勝手に解釈すれば、その「好意的」なスタンスを指摘することもできるでしょうし、書き手の文脈化の意志には評価すべき点もあるのかもしれませんが(実際、平均的語り口よりはずっと丁寧です)、結局のところ、こういう言説スタイルだと不毛な対立を延命させることにしかならないように思えますし、正直に申し上げまして、今、文化戦争をやっている場合ではないと思うのですね。最後に、言うまでもなく、誰かを弁護するために書いているつもりはありません。

再々追記

追記でまとめて批判するような書き方をしましたが、図式主義者とか半可通ブロガー云々というところで念頭にあったのは別の人々です。この点不透明な書き方で失礼しました。この記事に絞って書きます。公正かつ細かく見ている方だとは思いますが、この記事で不満なのは、ネオナショナリスト対プログッレシブという一部でよく用いられるラベルによるまとめ方です。水木しげる氏はいわゆるプログレッシブではまったくないけれども、その戦争漫画には保守的大衆にも訴えかけるだけの力がある。こういう人々はいわゆる中道というのとは違う意味で分極化した状況の橋渡し役的な存在として貴重だと思うので私がつまらないと思うような人と一緒に囲い込んでほしくない訳です。また現実政治のヴィジョンについても日米同盟か東アジア共同体か、戦争か平和かといった二者択一の提示の仕方にはあまり感心しませんし(氏の議論ではなく日本の国内議論ですが)、「ネオナショナリスト」とされる人々の言説も「プログレッシブ」と同様にいわゆる「政府の現実主義」に対する「民間の理想主義」の位置にあることを確認しておきたいと思います。実際には三帝国の間で絶妙な位置取りをしていかなければならないのであってそうそう乱暴な舵取りはできないということは誰よりも日本国民の多くが直感的に知っているところなのではないでしょうかね。

英語圏のリベラル言説への不満やら現在の日本の論壇への幻滅やらでなんだか難癖をつけているような格好になりましたが(コメント欄で指摘されたように氏の問題というよりも現在の日本の言論の問題ですね)、記事そのものは優れていますので読んで損はないと思います。個人的には論旨に同意できない部分はありますが、リベラルな傾向の方にはお勧めしておきます。対話できる方だと思います。

再々々追記

「恣意的」と書きましたが、進歩派なら水木しげる氏にとっての戦争は受け止めるべきだという意味に理解するならば、このチョイスも正しいのかもしれないと思い直しました。小田実も現在の政治的正しさの観点から見れば過剰な人々に含まれるのでしょうし。実際、進歩派にも変わってほしいです。

[本日の一曲]

http://www.youtube.com/watch?v=qVX29N2E0z0&feature=related

カントループ『バイレロ』(オーヴェルニュの歌より)

マリ=ジョゼフ・カントループ(1879-1957)の『オーヴェルニュの歌』は作曲家の故郷の民謡の編曲集ですが、歌詞は南仏の言語のオック語です。リンク先で歌っているのはマドレーヌ・グレイ。初録音の人です。内容は羊飼いの素朴な歌です。

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憧れの杜氏たち

まとまったことは書けそうもないので記事のクリップを続けます。

"Communist party surges as Japan's economy withers" by Eric Talmadge[WaPo]

APのタルマジ記者による日本共産党の近況報告。不況とともに、特に若年層の間で、人気がそれなりに集まりつつあること、志位氏がメディアで人気者であること、党勢は国政では弱体であるが地方では強いこと、全般に政界が保守化している中にあってチェック&バランスを果たす機能を果たしていることなどが書かれています。日本の政界をウォッチする上で特筆すべき存在なのかどうかは別にして、また資本論や蟹工船の漫画とかはネタとして微笑むだけにしておくとして、だいたいそんな感じなのでしょう。似たような趣旨のわりと好意的な記事としてはタイムのコレがあります。冷戦崩壊の影響をそれほど受けずに先進国では最大級の共産党が日本に残っているという現象はやはりなにか不思議に見えるのでしょうね。他の国ならば別のものが手当てしているような層がいて日本では「土着化した」共産党がその役割の一端を担っているということなんでしょう。党勢回復はあっても躍進とまではいかないのではないでしょうかね。

"The conservatives undaunted"[Observing Japan]

日本はミドル・パワー路線でいくべきであり、「保守」は危険であるというのがハリス氏の基本的なスタンスですが、安倍元首相のワシントンでのスピーチと中川氏の核の議論の必要性に関する発言をとりあげています。とりわけ中川氏の発言に関しては公論において感情的な反発ではなく理性的な批判が必要だとだいぶ懸念しているようです。心配せずとも、政治的ハードルが高すぎる独自核については「現状では」現実的でない選択であることはよく理解されている話だと思われます。ちなみにテレグラフがこの件で軽く煽っていました。えーと、憲法9条で禁止されている訳ではないんですよ。

引っかかるのはハリス氏の言う憲法改正と「保守」の関係です。氏の言説では憲法改正は「保守」のアジェンダとされているのですが、それは正確ではないでしょう。「保守」でない改憲論者というのもいる訳ですし、9条問題にオブセッションを抱いている人ばかりでもない。また憲法改正とミドル・パワーも別の話でしょう。憲法論と国家戦略論は別の問題であってミドル・パワーを標榜する改憲論の立場だってあり得る訳ですから。とはいえビッグとかミドルとかスモールと言っても結局、自己イメージをどう持つのかとか国外向けのブランド戦術の話でしかないようにも思えてきます。それが重要ではないとは思いませんが、漠たる話に感じられます。

"Integrity needed in journalism"[Japan Times]

"Shukan Shincho's responsibility"[Japan Times]

ジャパン・タイムズの社説二本ですが、それぞれ講談社と週刊新潮の問題を扱っています。精神科医がクライアントの個人情報を提供したとされる事件と朝日新聞襲撃に関する例の記事の話です。内容は日本語圏で報じられている通りですが、ここで述べていることを自ら実行することをジャパン・タイムズには求めます。なおこの件で擁護する気はさらさらないですが、週間新潮の話には微妙な感想を持ちます。必ずしも週刊誌の良い読者ではないですが、ろくでもない記事に塗れつつもそこにジャーナリズムの場所があるのもまた事実であってそこまで一緒に萎縮するようだと困るなという思いもするからです。ただ今の週刊誌の形式がなにかずれている感じはあります。遠くない将来に再編されるのでしょう。

"Manifesto of a Comic-Book Rebel"[NYT]

劇画の生みの親とされる辰巳ヨシヒロ氏の『劇画漂流』の英訳版の紹介記事ですが、漫画史に占める劇画の位置について基本的な説明がなされています。ふむふむと読んだのですが、最後で躓きました。村上春樹って・・・あるいはこの意外な連想になにかを読み取るべきなのかもしれません。話を戻すと、藤子不二夫の『まんが道』にも似た自伝ですが、戦後の風俗史としても面白いのでおすすめしておきます。ところでフランス語訳は知っていましたが、辰巳氏は各国語に訳されているのですね。社会派漫画みたいな受け止めなんでしょうか。漫画についてあまり偏ったイメージになるのも困りますから訳者に敬意を表しておきます。歴史的なパースペクティヴが得られるような地味な作業はひっそりと進行しているようです。

"Japanese whisky leaves traditionalists on the rocks"[Guardian]

中学生の頃には杜氏は憧れの職業でした。今も酒造りの人々には敬意を抱いています。ニッカの余市とサントリーの響が昨年のウィスキーのワールドコンテストで優勝し、英国進出を目指しているというマッカリーさんの記事です。竹鶴政孝とスコットランド人の妻リタによる日本におけるウィスキー史のはじまりにも記事の最後で簡単に触れています。竹鶴についてはこのサイトで概要がつかめます。かなりの情熱家のようですね。いい顔をしている。

"Although some Japanese people are the last to believe in the quality of their own products, their malt whiskies are as good as any in the world," said Chris Bunting, an expatriate Yorkshireman who blogs about the country's whisky at Nonjatta.

とバンティングさんも言っておられますが、ニッカのウヰスキーは美味いと思います。余市よいとこ一度は行くべし

2009年4月20日・4月21日[ムネオ日記]

先日の谷内氏の3.5島発言は不可解で理解し難いです。国内世論向けの観測気球のつもりなのかとも思ったのですが、先に手の内を明かすメリットがよく見えません。この問題で内閣と外務省は統一的に行動しているのでしょうかね。

バルチック艦隊司令長官の手紙 ロシアで発見[朝日]

もうひとつの日露戦争 新発見・バルチック艦隊提督の手紙から [著]コンスタンチン・サルキソフ[朝日]

コメント欄で教えていただいたのですが、サルキソフ氏が発見したロジェストウェンスキー中将の書簡と書籍についての一昨年前の記事です。この話見逃していました。司馬遼太郎の描いた提督像とは大きく違い、日本海海戦の敗北を冷徹に予測していた将であることが書簡からは分るといいます。「坂の上の雲」を読んだのはずいぶん前の話なのでそこで中将がどう描かれていたのか具体的な記憶に乏しいですが、愚将のイメージは確かに残っています。いつかこの本には目を通さないといけないですね。ネットソースでは子孫も加わった日露戦争百周年会議に参加された方の記した文章がありましたが、軍人さん同士の心の連帯が感じられます。日露戦争はいろいろな意味で本当にすごい戦争ですが、集合的な記憶からはだいぶ抜け落ちてしまってますね。90年代には1930年代にリアリティーを感じることが多かったのですが、今はこの時代のほうにリアリティーを感じることが多いのは不思議な話です。論壇もこっちのほうに目を向けるべきではないでしょうかね。激しくレベルは違いますが、この時代と同じことを言っているだけのような気もするんですよね。

[本日の一曲]

http://www.youtube.com/watch?v=M4O1di7fmW8&feature=related

沢田研二『時の過ぎ行くままに』(1975年昭和50年)

研二サイコ-。

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実るほど頭をたれる稲穂かな

"Prosperity's Children: Generational Change and Japan's Future Leadership"J. Patrick Boyd and Richard J. Samuels[pdf]

via Observing Japan

ボイド氏とサミュエルズ氏による日本の政治家の世代間比較と未来予測の論文です。結論そのものにさほどの意外性はなかったのですが、方法論的にふーんとなりました。マンハイムらの歴史的経験を共有する世代単位ごとに価値観の差異が生まれるという理論的仮定を基に三世代間の統計的な比較分析をしています。具体的には経済政策、安全保障政策、文化の問題について全政治家を対象にしたアンケートに基づいて分析し、今後の予測をしています。ここから浮かび上がる限定的な発見として、

(1)世代間の差は経済観に現われている。年長世代は中堅世代や若手世代よりも日本的資本主義の維持を好む傾向がある。

(2)世代間ではごく限定的な差異しか見られない。ただ若手世代は他の世代に比べてタカ派的である。

(3)右派的ナショナリズムの問題を含む文化の問題について意外なことに世代間では有意な差異は見られない。ただ中堅世代は相対的に進歩的である。

といった点を指摘しています。(1)は財政政策と公共事業、政府の市場介入、終身雇用などに対する考え方で中堅世代と若手世代は「新自由主義的」としています。もっとも英米のそれとは異なるだろうが、と留保した上で今後も経済改革は継続されるだろうと予測しています。(2)は日本の国防力の増強、日米同盟の強化、武力の使用(先制攻撃、集団的自衛権、憲法改正、イラク派兵)、国連常任理事国などについての考え方のことですが、中堅世代に比べて若手世代と年長世代がタカ派的であるが、それほど極端な分裂はないとしています。ここから米国の動機や意図への疑問が増大したとしても、日米同盟のマネージャーは東京からの支持を期待できるとしています。(3)は首相の靖国参拝、太平洋戦争の正当性、治安と市民的自由のトレードオフ、特別永住者の地方参政権などについての考え方のことで中堅世代がやや進歩的であるもののここに世代間の差異があまりないことに調査者は驚きを感じています。ここから引き続き文化戦争の問題は続くだろうと予測しています。

論文は次の15年をリードする政治家をリストして各人を個別に分析していますが、誰が選ばれているのかはお楽しみということでご確認下さい。これが出版されたのは昨年の夏ですが、そうですねえ、短期的には、経済改革は後退し、日米同盟は現状維持のままあちこちからいろんな声があがり、文化戦争については沈静化に向かうように思えます。これはただの一日本国民による願望やら失望やらの入り混じった予測に過ぎませんけれども。

それからサミュエルズ氏の安全保障に関する立場の類型化(neoautonomists、normal-nationalists、middle-power internationalists、pacifists)は全般的な傾向性をつかむにはよく出来ているとは思いますが、あくまでも類型は類型であって実際には複数の類型が個人の中に濃淡の差異とともに共存しているし、状況に応じてシフトも起こるのだろうなと思います。私は氏の言う「普通の国派」と「ミドル・パワー国際派」の間ぐらいになるのでしょうが、そこからはみだす部分もあるようです。そもそもこの類型に完全にはまるような政治家はどれほどいるんでしょうかね。だからと言って無意味だとは勿論思わないのですが、言葉だけが一人歩きしないといいなと思います。こういうラベルは便利ではありますが往々にしてなにも説明しないばかりか場合によっては誤解を生むものだからです。後は文化戦争がらみについては穏当ではありますが、最終的には米国的な視点からの分析ですね、といったところです。本当に多様で人それぞれなんですよ。

まあ、こんな風に分析されている訳です。さて日本のアメリカ学者はちゃんと分析していますかね。

検察vs政治の歴史的対立を考えれば、 小沢代表秘書逮捕は国策捜査ではなかった[ダイヤモンド・オンライン]

小沢氏の検察批判に関する上久保氏の記事。戦前の「日糖疑獄」「ジーメンス事件」「帝人事件」を想起し、いかに検察官僚出身の平沼騏一郎が政党政治の崩壊に手をかしたのか、また戦後「昭電事件」で社会党右派が凋落することで政権交代のない55年体制が完成してしまった経緯について説明し、今回の事件は政府と検察が手を握った国策捜査などではなく、政党政治対検察の対立の歴史の文脈において理解すべきだとしています。にもかかわらず、民主党が政権交代を実現するためには小沢氏はすみやかに代表を辞任すべきであるとしています。政治的観点に立つならば、たぶんそれが賢明のように思えます。なお記事の

検察は歴史的に権力の座にある(座を狙う)政治家をターゲットにする「政治的思惑」を持って行動しているのだが、検察と政治は対立関係にある。逆に言えば、検察と政治が一体となって行動する「国策」はあり得ないのだ。今回、検察は政権交代間近と見て民主党潰しに動いた。自民党がターゲットでなかったのは、「国策」だからではなく、自民党がもはや検察が相手にもしないほど衰退したということではないだろうか。

の部分はどうなんだろうなという感じがあります。実際に民主党潰しの「政治的思惑」なるものが検察にあったのでしょうか。私もご多分に漏れず古風な言い方を借りれば「検察ファッショ」のことを想起した訳ですけれども、それについて書かなかったのは、むしろ他と類比するならば80年代、90年代あたりのフランス政界の例のほうが適当なのではないか、先進国における政治の透明性と説明責任の明瞭化の流れの一齣として理解しておくのがいいのではないかという迷いがあったからです。今でもよく分らないのですが。

小沢代表が今、行うべきこと[日経ビジネスオンライン]

それでこの事件に関する言説で注目された郷原信郎氏が民主党の「政治資金問題をめぐる政治・検察・報道のあり方に関する第三者委員会(略称:政治資金第三者委員会)」に加わったようです。なんの情報もない個人の目から見るとやや大時代がかった修辞は別にして郷原氏の検察の動きの説明にはそれなりの説得性を感じましたが、その一方でこの件で民主主義を守れ!といっても理解されにくいだろうなとも思いました。というのも90年代以降に政治と金について国民側の意識がそうとうに厳しくなった点について勘定に入れないと通じないように思えたからです。とはいえ小沢氏のみならず検察側の説明責任の明確化と報道の検証はなされてしかるべきなのでしょう。政治的思惑とやらが本当にあったのかどうかはっきりさせてもらいたいものですし、報道については検察からの情報についてもガイドラインが必要なのではないかと思います。それが実現されるならば今回の騒動も我が国の自由民主主義の進歩に少しは貢献することになると思いますので、委員会のみなさんにおかれましてはしっかりと検証作業をしていただきたいものです。ただの政局ネタに終わってほしくはないです。後世になにか残しましょう。

"Barack Obama criticised for 'bowing' to King Abdullah of Saudi Arabia"[Telegraph]

G20の場でサウジ国王にオバマ大統領がおじぎ(bow)をしたことで右翼から批判されているという和み系のニュースです。大統領はおじぎではないと否定している模様ですが、この行為は王権に対して臣従の礼をしないという米国の伝統に反するのだそうです。でこれはテレグラフの記事ですが、ワシントン・タイムズが社説で攻撃しているそうです。これですね。アメリカン・デモクラシー魂が炸裂しています。米国大統領は誰に対してもおじぎをしてはいけないというプロトコルがあるんだそうです。テレグラフに戻ると1994年にクリントン大統領が天皇陛下におじぎをしたのかどうかをめぐって論争があったことに触れています。サウジの新聞はこのおじぎを国王陛下に対する敬意を表明したと評価しているようです。でクリントン氏が我らがハイ・マジェスティーにおじぎをしたとかしないとかという話は聞いたことがなかったのですが、右翼ではなくてNYTに-ふーん-批判された模様です。これですね。日本じゃ上も下も横も斜めも誰に対してもおじぎするんですからいいじゃないという気もするのですが、建国精神なんだからそうもいかないということなのでしょうかね。

北方領土:「3島と択捉一部返還でも」 前外務事務次官[毎日]

前外務事務次官の谷内正太郎政府代表が毎日のインタビューで3.5島折半論について語ったとのことです。

谷内氏は「(歯舞、色丹の)2島では全体の7%にすぎない。択捉島の面積がすごく大きく、面積を折半すると3島プラス択捉の20~25%ぐらいになる」と指摘した。政府は歯舞、色丹、択捉、国後の四島の帰属をロシア側に求める立場を崩していないが、麻生首相は先の日露首脳会談の際、記者団に「向こう(ロシア)が2島、こっち(日本)が4島では進展がない。政治家が決断する以外、方法がない」と強調。谷内氏の発言は麻生首相の意向を反映したものとみられる。

ということですが、実際、意向を反映したものなのでしょうか。これまでの主張とどう整合させるのか、あるいは予見される政治的波及効果を防ぐつもりなのでしょうかね。そう言えば、

日本の「右翼」がロシアを歴史的訪問[JBpress]

こんな記事もありました。民族派の日本青年社がロシアを訪問したという話です。セッティングをされたサルキソフ氏は冷戦時代にはソ連大使館前で罵声を浴びせていたあの右翼までが歩み寄る時代なのだなとある種の感慨を抱かれたようです。ロシアは共産主義を捨てて民主国家になったから協力できる、ロシアの民族主義に含まれる反米主義の要素には同調しない、というのは一瞬リベラルな意見に聞こえてしまいます。日本青年社のサイトをのぞいてみたのですが、これが「社稜」というんでしょうか、たいへんエコなメッセージが掲げられています。訪問記は読んでいてなんだか和んでしまいました。この訪問の「意義」について評価する能力はないですし、日本史こぼれ話ぐらいの話なんでしょうけれども、例えば日韓国交正常化の際の例を想起するならば、これも前触れのひとつぐらいに解釈すべきなのかなとも思いました。ロシアとは接近したほうがなにかといいとは思いますが、交渉する上では足元を見られないよう構えていたほうがいいような気も同時にします。今後は産経新聞あたりの論調が見所ですね。

ではでは。

追記

意味の通りにくいところを直しました(2009.4.17)

波紋呼ぶ「北方3・5島」返還発言報道 谷内政府代表[産経]

さっそく産経が反応しています。既に多数の記事あり。さすが。しかし、この展開、伝統芸の域に達しているようにも思われますね。

「真意伝わっていない」谷内代表が反論 「北方3・5島」返還発言報道[産経]

谷内代表が産経の取材に対して「捏造」であると反論した模様です。しかしその後、真意が伝わっていないとコメントを修正したとのことです。さあ、どちらが正しいのでしょう。

[本日の一曲]

http://www.youtube.com/watch?v=qV0U-lB45RY&feature=related

バッハ『6声のリチェルカーレ』

ウェーベルン編曲版は不安な時代の魂に届いた結晶のような古典の音の像といった感じで原曲よりも惹かれます。

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美術とそうでないもの

"A Ukiyo-E Master in the Art of Subtle Protest"[NYT]

ロンドンの王立アカデミーの国芳展の記事。国芳の現代性については喧伝されるようになっていますが、なにも知らずに小学校高学年の頃に模写して遊んでました。ひどく訴えるものがあったような記憶がありますが、今は猫ものぐらいです。記事は浮世絵を「文化革命」と呼び、国芳の浮世絵の当時の政治社会の風刺的側面、それから開国前にいち早く西洋絵画に出会ってその手法を貪欲にとりこんだ点について強調しています。幕府のあいつぐ禁令とこれを逆手にとって庶民の喝采を浴びた反骨の人、鎖国下にあって海外の新奇なものへの好奇心に溢れていた人といったまとめ方のようです。前者の例として天保の改革を風刺したとされる『源頼光公館土蜘蛛妖怪図』(下)、後者の例として『縞揃女弁慶』が特筆されています。米国人コレクターの協力で開催された模様です。英国の展覧会評も読みましたが、戸惑いが表れていますね。絵画なのかカルトゥーンなのかどうカテゴライズしたらいいのか分らないと。内容の理解以前に、美術館に陳列された時点でこのメディアの性格が覆い隠されてしまうように思えますね。「鑑賞」するものではない。この記事が風刺画の説明をしています。これが時事錦絵、錦絵新聞、さらに小新聞へとつながっていくようです。英国の政治風刺版画から新聞への流れとどう同じでどう違うのでしょう。

10minamoto

「幕末・明治期の欧字新聞と外国人ジャーナリスト」鈴木雄雅

こちらはおまけに紹介しておきます。日本における英字新聞の歴史にちょっと興味があってぼちぼち調べているのですが、この記事は戦前の概略です。横浜におけるハンサードの『ヘラルド』、リッカービィの『タイムズ』、ブラックの『ガゼット』の競争が佐幕派対尊王派に対応した論調であったこと、ハウエルおよびブリンクリーの『メイル』とハウスの『トキオ・タイムス』が「親日新聞」として知られたこと、近代的経営を持ち込んだヤングの『クロニクル』とフライシャーの『アドヴァタイザー』がそれ以前の個人経営的な新聞にとって代わり、「軍国主義」への傾斜を強める日本への厳しい論調で知られたことなど基本的な事実がまとめられています。おわりにを引用すると、

 一般に日本における近代国家の成立とみなされる憲法発布(1889年=明治22)以降,社会的政治機能が,新聞界においても,一般化された欧字新聞の持つ機能--すなわち,外からの資本的侵入,内からは国家の代弁機関という要因のうち,後者を重要視したのは当然のことであろう。しかしながら,外人ジャーナリストの中には助成金を貰いつつも,そうしたことのみ目的に新聞を発行したとは考えられない者が少なくない。とりわけ,彼らがくり広げた紙上論争は,自国の利益追及にのみこだわったものではない時もあった。
 欧字新聞界ではその創生期から第二次大戦終了時まで,自由な論争が「反日」のレッテルを貼られる時代が続き,「親日」「反日」のどちらかを選ばなければならなかったのも時代の趨勢であった。欧字紙は戦後ようやく経営的に一本立ちするようになるが,今でもなお,一紙を除き親新聞の啓蒙宣伝紙といわれるぐらいだから,当時の経営面の脆弱性は推して知るべしだろう。
 顧みると,多くの批判があるにもかかわらず,幾人かの傑出した外国人ジャーナリストが評価されるのは,彼らと彼らが生みだした欧字紙が,日本の国際コミュニケーションの私的担い手としてそれなりの役割を果たしたからであり,さらにジャーナリズムのみならず日本社会の近代化に深く貢献したことに他ならないからである。

といった具合にまとめています。近代的新聞概念を日本にもたらしたこと、優れたジャーナリストを輩出した点について評価しています。国際コミュニケーションの担い手としての「それなりの役割」の「それなり」という書き手の留保になにを読み取るべきなのでしょうか。「親日」「反日」をめぐる話は今もたいして変わっていないような気がします。記事は日本側からの視点ですが、その鏡として「外人社会」における分裂抗争の歴史というものもあったりする訳ですね。「外人社会」の利害の主張や自国の主張の代弁の側面が強く出る面とあまり自己規制のない活発な議論が展開される面と二重の性格があるのは今も変わらないような気がします。別の言い方をすると、共同体主義的側面と普遍主義的側面の独特な結合といいますかね。まあ、私は正確で公正であれば「親日」でも「反日」でもなんでも構わないですし、どちらかというと、うならせるような鋭い分析や批判のほうを期待していますのでどうぞ宜しく。なお英字新聞史関連の話はそのうちもう少し書きたいと思います。現在はブログのほうが優れたものがありますね。

"Looking at history: the argument for facts over theory"[Japan Times]

厳格な実証主義史家として知られるジョージ秋田氏の著書の書評です。記事は伊藤隆氏の業績についても触れていますが、要するに日本の戦後の文脈ではマルクス主義史学と対立して厳密な史実に基づいて歴史を記述した流派のことです。理論的なものに距離を置く歴史学的実証主義というと古臭いもののように語られたりすることもある訳ですが、そんなことはなくてごく正統的な歴史学の方法です。素人目にはひどく禁欲的だなあ(小声で:退屈だなあ)ということになるのですが、面白ければいいじゃんというものではないのですから仕方ありません。それで秋田氏の著書ではジョン・ダウワー氏とハーバート・ビックス氏が槍玉にあげられているようです。ビックス氏については素人でもルール違反であることはすぐに見抜けるお粗末な本ですが、ピューリッツァー賞を受賞したこともあって英語圏の読書界では昭和天皇というと氏の本のイメージがわりと強かったりします。ですから英語でこうした仕事が現われると(もうすでに反論本は複数ありますが)コミュニケーションをする上でありがたかったりします。以下は評者の言ですが、

I think Bix is wrong if his premises include, as Akita says they do, that Hirohito possessed immense powers and, because of his kami ("someone above") status, assumed his commands or demands would be obeyed. The suggestion is that he should have been on top of the list of Japanese war criminals.

The accolades heaped upon Bix's book, including a Pulitzer Prize, remind me: Americans continue to grab at the slightest hint that Hirohito, who was equated with Hitler and Mussolini during the war, wielded powers comparable to the two dictators'. This is the impression I've had ever since David Bergamini's "Japan's Imperial Conspiracy" (William Morrow, 1971) appeared.

Yes, Bix once dismissed the Bergamini book as "imaginatively constructed." But we can do the same with Bix's own book, Akita shows.

Bix believes in the efficacy of the "voiceless order technique," among other things, as he liberally puts his imaginings and assumptions into others' heads where evidence does not exist.

都合のいい事実を集めて都合の悪い事実はないことにして史料がないところは想像で埋め合わせる、これは、結局、結論ありきの議論でしかない、そしてその結論は政治的な欲望にダイレクトに導かれているので反論に対しては論理や事実ではなくレッテル貼りでしか応答できなくなると。別に実証主義にあらずば歴史にあらずとは思いませんが、論争がもつれたときに立ち返る立場として尊重すべきだと思います。なお機関説論者から見ると「天皇の責任」論という問題設定そのものがなにかずれたものに思えるのですが、内外の親政説論者は我が邦の国体の神秘なるものを強化したくて仕方がないのでしょうかね。まあ、がんばってください、千代に八千代に。

"Japanese underworld boss quits crime to turn Buddhist"[Guardian]

悪名高かった後藤組の元組長さんが坊さんになろうとしているという心温まる話です。そう言えば、元ヤクザの神父さんの話もガーディアンで読んだような気がします。マッカリーさんは本当にヤクザが好きですね。2001年に手術のために渡米した際に入国と引き換えにFBIに提供したとされる情報ですが、ヤクザ・ファンジンにある程度の話だということです。日本のヤクザって本当に情報公開が進んでいますよね。ついでにこの病院に大きな寄付をして

The grateful don, who was suffering from liver disease, later donated $100,000 (£68,000) to the hospital, his generosity commemorated in a plaque that reads: "In grateful recognition of the Goto Research Fund established through the generosity of Mr Tadamasa Goto."

と記念されているそうです。前から疑問なんですが、日本の大物右翼とかヤクザの組長ってどうして海外に名前を残したがるのでしょうかね。ひとつの様式になっているような気がします。よく知らないのですが、このあたり魑魅魍魎の跋扈するディープな戦後史があるのでしょうね。

"Letter:The Disputed Islands"[NYT]

竹島について韓国系米人がクリーニング屋のバッグでアピールしているという記事を読んで、そのエネルギーを別の方向に使ったらどうでしょう、と溜息をついた訳ですが、それに対して韓国人も日本人も騒ぐのを止めて島の周囲の環境を保持しようとかいうあるフランス人のレターがついていました。お前さんは誰なんだ、環境とかいうとリベラルっぽいとでも思っているのか、底の浅いやつめ、と思った訳ですが、それに続いて日本情報センターの杉本氏が元記事に対してこの問題は「植民地主義の遺産」ではない、歴史的にも法的にも日本領である、国際司法裁判所に出てきたらどうだ、とマジレスしていました。『消耗』という文字が大書された掛け軸が脳裏に浮かびますが、こうやって地味に反論をしておくのはとても大切なことだと思います。政府間で今がちゃがちゃやる問題ではないと思いますけれども。

もはや国内では教科書検定の話はたいして騒がれなくなった感がありますが、英語圏でもずいぶん静かになりましたね。日中韓発のソースを除けばAFP記事とテレグラフ記事ぐらいでした。AFP記事は反対派の主張を掲載し、最後に採択率がわずかである事実を伝えています。テレグラフ記事は韓国政府側の言い分-読んでないでしょ-を伝えていますが、タイトルやリード文や本文の修辞に強い主張が入っています。なぜインディペンデントでもBBCでもなくテレグラフなんでしょう。

それはともかくこうして政治の主戦場が象徴的なものから実質的なものに移りつつあるように見える傾向そのものはいいことなのでしょう。この話に関しては、作成から検定を通じて出版にいたるプロセスで手続きが適切に守られるべきだという原則論以外にあまり語るべき言葉はありません。歴史の係争点はプロないしセミプロが公的に議論をすればいい。だいたい人は教科書の外で真に歴史的なものに触れるものです。

ではでは。

追記

佐藤氏のジョージ秋田氏の書評に不満の声が挙がっているようです。読んでもいないのに批判するなと。そりゃそうですね。佐藤さん、がんばって。でも、ビックス氏の本はレベルが低いので依拠していると頭が悪く見えますよ。これはイデオロギーの話ではなく史学的な話です。まあ、あなた方が関心あるのは政治であって歴史じゃないんでしょうけれどもね。

[本日の一曲]

http://www.youtube.com/watch?v=bSs5DVHkjqE&feature=related

江利チエミ『踊り明かそう』(1963年昭和38年)

告白しますと私はかなりのチエミ・ファンでしてこれを見ると涙が出そうになります。マイ・フェア・レディと言えばチエミ。他は知らない。

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防空ヘルメット

病院と理髪店と高層ビルには近寄りたくもない、できれば忌避したまま生涯を終えたいものだと心より願っているのですが、そうも言っていられないのが人生というものでありまして、歯医者に通っています。いい具合に古び、くたびれ、うちのめされた風情の歯科医院に飛び込んだ訳ですが、治療の後に沈んだ気持ちになったり、悪い夢を見たりしないのが不思議です。あるいはこれまでとはなにか違う局面に入りつつあるのかもしれません。

それはともかく今日は受付の年配の女性とテポドンについて話した訳ですが、その意気込んだ話ぶりに、ああ、こんな風に人々の安全意識を静かにしかし着実に揺り動かしているのだろうなと実感させられました。ちなみに発射の日に近所のあほの子がヘルメットをかぶっているのには笑わせられました。防空壕について訴えていましたが、このあたりには地下駐車場のようなものはないですねえ。やはり子供は「テポドン」の響きに反応するようです。怪獣みたいですからね。以下、意味のあることは書けそうもないのでぬるーい感想を書いておきます。

"N Korea launch sparks arms race fear"[Financial Times]

北朝鮮のロケット発射が東アジアの軍拡競争を惹起するのではないかと懸念するFT記事です。韓国の首相が議会でMTCR遵守に関して見直しの可能性を発言した模様です。記事によれば、長距離ミサイル拡散を管理するMTCRは加盟国に開発そのものを禁じている訳ではないが、米国の要請で300km以上の飛距離のミサイル開発をしないことに韓国政府は非公式に合意しているとのことです。これは中国を刺激することになるだろうと。また日本では先制攻撃能力の保有論が浮上しているとして、前財務相の中川氏の発言が引用されています。こちらもまた中国を刺激するだろうとしています。しかし、後半では、韓国側の発言は国連の安保理決議をめぐる中国へのシグナルの意味合いが強い可能性があること、保守サイドでも長距離ミサイル開発への批判が強いことに触れて記事のトーンを抑えています。

"North Korea rocket revives Japan pre-emptive strike talk"[Reuters]

こちらは日本の先制攻撃能力保有談義をめぐるロイター記事です。FT記事同様に、

"We should hold a proper debate about attacking launch bases and about shelters in case something does happen," Kyodo news agency reported former finance minister Shoichi Nakagawa as saying on Sunday.

と攻撃、防衛両面の抑止能力の保有について議論せよとの中川氏の発言が引用されています。また前回の発射の際にも同様の声が聞かれた点、それが中韓の激しい反発を呼んだ点、世論にも歓迎されなかった点について紹介しています。CSISの研究員のグロッサーマン氏は、こうした議論をオプションと考えている人も多いが、個人的にはextremely destabilizingだと思うと述べています。憲法上の制約や専守防衛論の基本的な説明の後、記事は現在の財政状況や不況から考えてこれを変更する政治的タイミングではないだろうと述べ、英語圏における日本の安全保障論の基本書となっているSecuring Japanの著者であるMITのサミュエルズ教授の発言を引いています。

"It is very hard to focus for very long and very hard, even on things as important as national security, given the economy"[...] "Since the incident proceeded without direct impact on Japan, I think we are not going to get the hard focus we got in 1998."

と。記事は、98年の実験がミサイル防衛体制の構築のきっかけとなったが、直接攻撃は正当化困難であると多くの人々に考えられており、既に6兆ドル以上を費やした[註:これ金額合ってますかね]MDの増強が受け入れられるオプションだろうとしています。ここで岡本行夫氏が登場し、北朝鮮の領空でミサイルを破壊する訳にはいかない、より戦略的な防衛システムを保有すべきであり、研究開発がなされるべきだ、と述べておられます。また林前防衛大臣は先制攻撃にはラウンチ前とブースト時の二種類があり、法的には後者のほうが厳しくないが、技術的には難しいとも発言しています。以上、先制攻撃能力保有の声もあるけれども、ミサイル防衛の増強という穏当な反応になりそうだという記事でした。

といった具合に英語圏では前回同様「日本の先制攻撃論」として報じられています。ロイター記事では林氏が記事の末尾で簡単に解説していますが、現憲法体制下における策源地攻撃論を予備知識のない外国人に説明するのはなかなか難しい話のように思えます。前回もブッシュ・ドクトリンみたいに受け取って大騒ぎしている人々がけっこういました。専門の日本の防衛の研究者を別にすれば、理解しろといってもある意味無理からぬところもありますが、この言葉だけが一人歩きする可能性があるかもしれませんね。とはいえロイター記事が英国yahooのbreaking newsになっていたのを除けば大きくは報じられてはいないようです。

ところでこの中川氏の発言ですが、前回とは異なり、日本語圏ではそれほど報じられなかったようですね。閣外だからということなんでしょうけれども、あるいは以前ほどのヒステリカルな反応がないのは世論の微妙な変化を反映しているのかもしれません。件の共同通信の記事は見あたらなかったのですが、東京新聞の記事が上記の引用部分の発言を掲載しています。さらに時事通信の記事によると、氏は前回同様に核保有の議論の必要性にまで言及したようです。むう。また自民党の部会が敵地攻撃について検討しているとされます(コレ)。もちろん議論は活発になされるべきですが、政治的インプリケーションには十分に自覚的にやってもらいたいところです。このあたり各自が持論を展開している状況のように見えますが、レベルごとに役割分担ができているようだとなおいいです。それから基本的に支持はしてきましたが、これでいっそうMDに傾斜するというのも考え物ですね。

なんだか余計な事まで報じていたような気もする今回の日本のメディアの論調としては産経の紙面にときおり浮上した対米不信の色が気になりました(コレとかコレとか)。これも一概に悪いことではないとは思いますが、このイベントにとりあえずは日米が協力して軍事的にも政治的にも対応した事実を考え合わせるとやや過敏な反応のようにも感じられます。いわゆるG2に見られるような動きや同盟を犠牲にして多国間主義に傾斜するのではといったオバマ政権に対する不安とこのイベントを利用して専守防衛論の縛りに風穴をあけたいという希求とが綯い交ぜになっているのはよく分りますけれでも。ゲイツ氏の発言に関してはなにか言っておくべきでしょうね。

Foxソースですが、これを見る限りは米国世論はだいぶ強硬に反応しているようですね。民主党員も含めて多数が軍事的対応を支持している模様です。実際、思った以上に米国メディアも報道していましたし、就任後の初の危機対応ということで大統領の発言も厳しいものでした。とはいえ国連での決議以外になにか強い措置が取られるのかどうかはあやしい印象も受けます。目に付いたものではカプラン氏のこの論説がありますが、日本に配慮しつつ放置しておけとしています。という訳で1ミリでも状況を動かすために韓国と一緒になってでも声を出しておくべきなのでしょうし、国内の「冷戦残滓」を粛々と周縁化していく機会として有効に利用すべきなのでしょう。今後どういう動きになるのかは分りませんが、とりあえず日本の世論に影響を与えたようだという点で社会的に意味のあった事件として記憶にとどめておきたいと思います。

ではでは。

追記

自民・坂本組織本部長「日本も核保有、国連脱退」[読売]

こちらはストレートな核保有の主張ですか。国連脱退も辞さずと。いや、本部長殿、足をすくわれないようにお願いします。国内外の反響を計測しながら物事が進展するような形で「議論」をなさってください。

再追記

上の件、こちらの朝日の記事のほうが詳しいです。読売記事に釣られてしまったようです。ただ議論によるプレッシャーというのも露骨だと無意味かつ有害だと思うのですがね。

[本日の一曲]

http://www.youtube.com/watch?v=CIHCI5dVzHM&feature=related

岩崎宏美『銀河伝説』(1980年昭和55年)

Unhaつながり以外は関係ないですが・・・劇場用アニメ『ヤマトよ永遠に』の劇中歌です。若いのにしっかりした歌唱です。

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日本的統合主義?

"Waiting in the Wings" by David McNeill[Newsweek]

民主党をめぐる状況を扱ったニューズウィークの記事。なんだか見知った名前が並んで脱力する感じもありますが、ウォルフレン氏も御健在のようです。特定社会を理解するのに"the System"なる単数形の仮説的実体を立てる氏の方法論の問題点-陰謀論に接近する-が発言部分でも見事に露呈しています。記事では自民党のばらまき批判がなされていますが、民主党もやる気まんまんな訳ですよね。また官僚対民主党という対立図式を強調していますが、前にも書いたように非妥協的に対決した場合、民主党は政策立案能力を失うことになるでしょうし、党の支持母体を考えても無謀な賭けではないでしょうかね。まあ修辞なら修辞でいいんですけれども。最後に小沢氏の検察批判ですが、これを日本政治において検察の果たしたネガティヴな役割の歴史を想起すれば、その意味は理解できますが、この事件でそれを弁明の論拠に持ち出すことには今のところあまり説得力を感じていません。正直、こんなタイミングで「政治と金」がテーマになりそうなことには激しく溜息が出てしまいます。ところでこの記事ですが、ところどころでなんだか臭みがあるなと思ったらマクニール氏でしたか。

裁判員制度で大わらわ 新聞各社が「自主規制」を開始[Cyzo]

(Hat tip to Adam)

裁判員制度については基本的なアイディアとしてはいいけれども細かい部分で修正は必要だろう、いろいろな波及効果はありそうだけれどもどういうネガティヴな効果がもたらされ得るのかについての想像力も保っておこうぐらいのスタンスで見ている訳ですが、これはポジティヴな効果でしょうね。新聞各社が事件報道の際にソースを明示するようガイドラインを変更した、あるいはしつつあるという話です。前に書きましたが、事件報道の際にセンセーショナリズムに頼って社会不安を必要以上に煽る傾向には困ったものだなと思っていましたのでこれはこれでひとつの進歩でしょう。日本国民の正義感の強さはそれ自体悪いことではないと思いますが、メディアが商売繁盛のためにこれを動かす構図には醜悪なものがあります。もっともこうした原則はテレビにこそ適用されるべきでしょう。こちらのほうが影響力が強い訳ですから。ドラスティックな変化とはいかないのかもしれませんが、この小さな改善については評価しておきたいと思います。といいますか、こんなの基本中の基本ですよね。

日本人同性愛者の外国での同性結婚が可能に[JanJan]

前エントリの続きで紹介しておきます。書き手は「僕の悪い癖」かもしれないと述べていますが、これといった方針もなく法務省が諸外国への配慮で動いているというのはどうやら正しいでしょう。ルース・ベネディクト流の罪と恥の文化論や阿部謹也流(?)の世間論はあまり信用しないのでちょっと一般化し過ぎに思えますが、日本の「遅れ」は「一神教圏」よりも差別やバッシングが露骨でないために問題化しにくいことによるという経験的な観察そのものはおそらくは正しいでしょう。条件はそれほど悪くないと思います。この件に関しては特に利害関係はないのですが、ポジティヴな政治闘争が展開されるのを見てみたいという気持ちがあります。ご健闘を祈ります。

"For enlightenment, step this way" by Mark Schilling[Japan Times]

"Masterpiece Maker"[Japan Times]

私とは趣味がずれているようですけれども、シリング氏の映画評にはある一貫性が感じられるので読んでいます。中村義洋監督の『フィッシュストーリー』が好評価ですね。監督のインタビューもあります。同監督の映画はなかなかいいけれども個人的にはそれほど訴えかけない-全作品を見ている訳でもないですが-ぐらいですが、面白そうなので天気のいい日にでも見に行きましょうかね。

映画ということでついでに書いておくと、今日、渥美清主演の『拝啓天皇陛下様』を見てうならされました。別に深刻ぶった戦争映画ではなく気のいいはぐれものを主人公にした喜劇映画なのですが、妙なリアリティーがありました。どうも戦争から遠ざかれば遠ざかるほどイデオロギーの声が大きくなり、悲劇が過剰に演出される傾向がある訳ですが、この字もろくに書けない朗らかな山田二等兵の泣けてくるほどの現実感の欠如に戦争のリアルの一面が描かれているように思えました。また周縁の者たちがいちばん熱心に天皇陛下万歳だったことはよく知られた話ですが、例えば、色川大吉が重視した水俣病患者の天皇陛下万歳とはまた違うのでしょうけれども、この天涯孤独者の忠君のあり方にもそれと通底するなにかを感知しました。つまらぬ機関説論者なのでこういう不透明なものに「底知れぬ日本」を感じて畏怖の念のようなものを覚えてしまいます。もっともらしい説明やら安易なレッテル貼りやらをして安心したような顔をできる人々が羨ましいです。

"Refugees, Abductees, “Returnees”: Human Rights in Japan-North Korea Relations" by Tessa Maurice Suzuki[Japan Focus]

北朝鮮の難民の扱いをどうすべきかについてのテッサ・モーリス・スズキ氏の記事。救う会や守る会や現代コリア研究所の活動を「人権ナショナリズム」とレッテル貼りをした上で「普遍主義的な人権」の観点に立って救済すべきであると説いています。確かによく調べていますし、記述に多少のニュアンスもありますが、私は右派だろうが左派だろうが実際に汗をかいて真面目に人助けをしている人には基本的には敬意を持つし、勿論意味はあるとは思いますが、論文を生産したりしているだけの人にはそれよりはだいぶ低い敬意しか持たないです。三浦小太郎氏の評価については(コレです)、政治思想的には多文化主義対統合主義の変奏なのでしょう。エマニュエル・トッド氏の「開かれた同化主義」の概念は確かにフランス的偏りがあるとは思いますが、それなりに練られた概念なので感情的に反応すべきではないと思います。コストの観点からの批判はあるでしょうけれどもね。また歴史は飛躍をなさず、日本の多文化共生派についても氏は大いなる見込み違いをしていると思います。ところでJapan's cultural uniquenessなんて言い方をしていないように思えるのですが、いつもの藁人形議論ですか。まさか英語はよくて日本語は駄目なんて言わないですよね。また「国家の保護」的発想を批判していますが、悪しきNGO主義といいますか、細部に批判はあっても現実には政府の保護なくして人権が保障されることはないと思いますけれども。この論点は氏の国家安全保障的発想批判にもつながるのかもしれませんが、極東の戦略的環境についての認識が根本的に甘過ぎると思います。夢を見ることは人間の自由に属しますが、それがあまりにも非現実的な時には、悪夢に転じるかもしれないことは肝に銘じるべきではないでしょうか。最後に氏の言説の動機に触れている部分

The problem for those who take this view, though, is that it is very difficult to promote engagement with North Korea while also publicly condemning that country’s human rights violations, and it therefore becomes all too tempting to ignore these violations or sweep them under the carpet. The task of identifying alternative responses to the North Korean human rights problem – responses not linked to a hawkish political agenda – is an urgent and difficult one. In the pages that follow, I shall use a critical analysis of some Japanese debates on North Korean human rights as a basis for considering some aspects of this problem.

抱擁政策を支持し、タカ派と自分を区別したいので、北朝鮮に対する人権侵害の批判は手控えよう、北朝鮮の人権問題を考えるオルタナティヴとして(なぜか)日本を批判しよう、というのは追い詰められた日本左翼の心情論理そのままじゃないでしょうかね。それに他人の疚しい良心を政治的に利用しようなんて下品で卑しい振る舞いだと思いますがね。ジャパン・フォーカスはそういう場所ですけれども。佐藤勝巳氏の言説を批判的に扱っていますが、私はだいぶ下ですけれどこの世代のアカの人々のことはある程度は知っているつもりなので痛いほど分かるところがあります。なぜ民社党系の人々なのかとかもですね。氏の「帰国事業」のナラティヴが見過ごしているポイントというのがあって氏は歴史に復讐されることになるのかもしれませんね。なお私は別に対北朝鮮強硬派ではありませんので。悪しからず。

ではでは。

追記

いささか攻撃的だったかなとも思いますが、鈴木氏のアプローチには批判的なところがあるのですね。人権保障のあり方について意見を言うことそのものを批判している訳では勿論ないです。氏の持ち味である名もなき実存たちに寄せる思いや微細なものへの視線は評価できても、それがわりと単純な二項対立に基づいた性急な価値判断なり友敵理論に基づいた党派的主張なりに接続するところでちょっと待ってくださいな、となる訳です。

[本日の一曲]

http://www.youtube.com/watch?v=pE-6vwW9et8

ディック・ミネ『ダイナ』(1934年昭和9年)

戦前巻き舌界の帝王と言えば、この方です。原曲は1925年のジャズのスタンダードで昭和9年のヒット曲。

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4月ですか

"Catholic bishops in US ban Japanese reiki"[Guardian]

米国のカトリックの司教がreikiを「迷信」として禁止したということです。米国カトリック司教評議会が出したガイドラインにこのセラピーは「科学的信憑性」を欠き、信徒を「邪悪な力」に晒す危険があるという警告が含まれたそうです。reikiのセラピーはカトリック信仰や科学とは相容れないものであり、ヘルスケア施設のようなカトリックの施設には不適切であり、教会を代表する人物たちはこれを支持したり、広めてはならないということです。これに対してキリスト教徒でマスターのジュディス・ホワイトさんはネットにはreikiが反キリスト教的だといった情報が溢れているが、これは誤解であり、リフレクソロジーと同じで有害なものではないと反論しています。どうやら「霊spiritsとの交感」というアイディアがお気に召さないようです。カトリックの聖霊spiritus概念とはそもそも違うと思うのですけれどもね。

で世界各地でそれなりに浸透しているというreikiについてはご存知の方もいらっしゃると思いますが、戦前戦中の日本で流行った「霊気」のことです。臼井甕男氏が創始したこの療法は戦後は我が国では廃れたとされますが、ハワイの日系人高田ハワヨ氏を通じて米国へ上陸、東洋の神秘としてニューウェーブの波に乗って徐々に浸透、80年代ぐらいからカタカナ化されて「レイキ」として日本に逆輸入されるようになる-日本霊気と区別して西洋レイキとも呼ばれるようです-というのが大まかな歴史的経緯になるようです。最近の日本のヨガ・ブームがインドではなくマドンナもやっているということでアメリカから来ていたりするのとなにか似たような話ですね。もともと日本発だという点になにかアイロニーを感じますが。どこかで読んだ記憶はありましたが、なぜか連れ合いが詳しいのでいろいろ話を聞きました。

このマイナーと言えばマイナーな話題について真剣に考察する時間も余裕もないのですが、考え出すと多くの論点が含まれているように思われます。戦前戦中の新興宗教ブームの中で霊気とはどのような位置に置かれるのか、霊気史においては単なる中継点のごとく語られているハワイという場所の持つ意味はなんなのか、霊気からreikiに至るアメリカ化のプロセスにおいてこの術はいかに変容したのか、カトリック神学のreligio(「宗教」)対superstitio(「迷信」)という-しばしばきわめて巨大な政治的意味を持った-二項対立の概念史においてこの事例はどのように位置付けられるべきなのか、あるいは米国のカトリック教徒の置かれた状況に肉薄すべきなのか、それともカトリックから離れて米国における科学と宗教と迷信をめぐる論争における「東洋的なもの」「アジア的なもの」の位相を考察すべきなのか、こうした問題の立て方そのものを曖昧な笑みとともに拒絶してきたようにも思える風土にこうした問題関心をそのまま持ち込もうとする人々との間にいかなる対話の可能性が開かれるべきか、あるいはいかにはぐらかすべきなのか、といった問題群です。本エントリはこうした困難な問いに答えることをそもそも目的としてはいませんので、問いを放ったまま通り過ぎることにします。失礼しました。

"Searching for a sense of 'home'" by Stephen Mansfield[Japan Times]

イアン・ブルマ氏の『チャイナ・ラヴァー』という新刊の書評ですが、李香蘭こと山口淑子のフィクショナルな伝記ということです。満州国、日中戦争、パレスチナ紛争を背景として、血生臭い20世紀の政治史に巻き込まれた「心の故郷」を求めて止まないある真摯で無垢な魂の彷徨の物語といった趣向のようです。戦前に関しては王道楽土と亜細亜解放の悠久の大義に燃える理想主義的青年佐藤、占領統治期については過去の過ちゆえに故郷に帰ることができず、異国の地で再生を求める日本文化を溺愛するアメリカ人シドニーといった具合に複数の語り手の視点から山口淑子の生涯が辿られているようです。書評によれば、金日成に祝辞を述べる姿やパレスチナで日本赤軍の物語と交錯するといった具合に同時代の歴史的事象をふんだんに織り込んで「極端な御世」であった昭和の歴史が語られている模様です。評者は「今となっては信じがたいが」といっていますが、勿論中国への敬愛と満州の夢に燃えて敗れた理想主義者というのはたくさんいた訳ですし(私の親族にもいます)、占領統治期の描写は話題になった英国人作家ディヴィッド・ピース氏の『東京零年』を髣髴とさせるといいます。なかなか面白そうですね。

本来であれば小津安二郎や溝口健二と並び称されておかしくない存在であるにもかかわらず、戦後忘れ去られた巨匠とされる清水宏監督による李香蘭主演映画『サヨンの鐘』を見たばかりなのでこの本を読みたくなっているのかもしれません。ゴージャス過ぎるお方ですが、この映画の李香蘭は個人的にひどく訴えかけるものがあります。台湾の高砂族の愛国乙女の悲劇を扱ったこの戦中の空前の大ヒット映画については台湾で論争があったといいますが、この論争に関してネットソースで読みふけってしまいました。ここでも様々なエージェントによって歌と鐘をめぐって記憶の政治が展開しているようです。まあ、こうした歴史的文脈を捨象して聴いてもごくいい曲だと思いますし、だから歌い継がれたという側面は無視できないでしょう。

"Piracy and the Constitution" by Craig Martin[Japan Times]

ソマリア沖の海賊対策の国会審議に関する論評ですが、憲法9条と関連する国際法の諸原則が基本的に理解されていないと批判しています。海賊討伐のための海自の派兵は国際法的には憲法9条とは無関係であるのに国会での議論は集団的自衛権の行使の禁止という憲法の政府解釈に枠づけられて展開している。国際紛争の武力による解決を放棄するというのは主権国家とその国民に対して武力行使をしないという意味である。国際法における「海賊」とは私人による不法行為のことであり、各国家はこれを取り締まる義務を負っている。つまり公海上の海賊討伐はそもそも国際紛争の武力解決ではない。憲法違反の疑いのある派兵に批判的な勢力が憲法を楯にしてこれに反対するのは理解可能であるが、この戦術はかえって危険である。政治権力が道具的に憲法を利用して、その権威を毀損してしまう結果になる恐れがあるからだ。

There may be room for debate over the wisdom of deploying naval forces to defend against pirates on the high seas. The Constitution should not be part of that debate. One of the key defenses against government infringement of the actual constitutional principles is to ensure that the scope and meaning of the principles remain clearly understood and widely shared. And the government ought to ensure the integrity of the Constitution by applying its provisions consistently, and in accordance with that understanding, in the shaping of national policy.

以上のように憲法を持ち出すのは論理的ではないし、政治的にも危ういとしています。マーティン氏は憲法解釈は行政ではなく司法が行うべきだという観点から安倍政権の解釈改憲の動きやいわゆる柳井報告を厳しく批判している方ですが、海賊に関しては以上のようなクリアな議論をしています。そうですね、ともかく自衛権については国際法からあまりにかけ離れた解釈をして国際的に話が通じにくい状況というのはそれ自体危ういのではないでしょうかね。

以上、ジャパン・タイムズから記事を紹介しましたが、悪質な嘘と邪推に塗れた記事を事実チェックせずに無責任に掲載し続ける限りは信頼性を得られないでしょう。外国人の裁判が公平になされているのかどうか注目しよう、バイアスがかかりやすい条件をできるだけ排除して裁判の質を向上させていこう、という点には同意しますが、そのためにデマを流すことは報道の倫理とルールに反しています。アクセス稼ぎのためのパンダのつもりかもしれませんが、洒落になっていません。記事についても事実に関わる部分はチェックすべきではないですかね。あるいはもう手を切る時期なのかもしれませんね。

"Spy agencies believe NKorea has nuke warheads"[AFP]

北朝鮮:核小型化に成功、「ノドン」搭載…国際調査機関[毎日]

国際シンクタンクの「国際危機グループ」がノドンに搭載可能な核の小型化に既に北朝鮮は成功している可能性があるという報告書を提出するようです。この情報の真偽そのものは不明ですが、こうした情報が流れることで抑止は高まることになるのかもしれません。さて、どうしたものでしょうかね。前に出た策源地攻撃能力の保有あたりでしょうか。ただあの時とは政権も交代して状況も変わっていますから、米国の猜疑心を呼ばないようにかなり注意しないといけないのかもしれませんね。

"Gov't to enable Japanese to marry foreign gay partners overseas"[AP]

法務省が外国人との同性結婚を認める方向で動いているようです。日本語ソースが少ないですね。APの英語記事はずいぶん参照されていますが。国内での同性結婚を認めるつもりはないようで同性結婚が認められた国の人との結婚ということのようです。記事ではこれは第一歩だとアクティヴィストの方が法務省を賞賛していますが、国外と国内とで同性愛者の権利状態に差があることになる訳でなんだか奇妙な話ではあります。どういうロジックなんでしょうか。これに対して熱烈な大規模反対運動が起こったり・・・はなさそうな気がします。ちょうど三橋順子氏の『女装と日本人』という新書を読んでいて積年の謎のいくつかが解けた感じがあってとても面白かったところでしたので個人的にはちょっとタイムリーなニュースでした。この新書ですが、歴史が好きだからうならされたということもありますが、こういうトーンで語れる方が前に出られるならばかなり広い層にまで声は届くだろうなと思えました。

ではでは。

追記

同性結婚の話はいろいろ読んでみましたが、なにをどうしたいのかよく分らないですね。法務省が勝手にやっているといった印象を受けます。

近づく「テポドン2」打ち上げ[日経BP]

松浦信也氏の技術的なインタヴュー記事ですが、分りやすいのでおすすめしておきます。推測だが、とことわっていますが、情報収集体制が整っていない点から見て、技術者たちは追い詰められているようだとしています。

[本日の一曲]

http://www.youtube.com/watch?v=w8ilpWgTYTk

渡辺はま子『サヨンの鐘』(1941年昭和16年)

http://www.youtube.com/watch?v=WK1lGpVxNgM&feature=related

紫薇『月光小夜曲』

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