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負けじの心

"A New Look For Japan’s Musicians"[Newsweek]

日本の音楽シーンが多民族的、多人種的になっているという話なんですが、そのことを強調するために日本の純血主義とやらを誇大に唱えることで-伝統的に血統幻想がそんなに強い社会だったとも思えないのですが-神話の強化に貢献してしまうというよくあるパターンの記事です。大衆はそんな話にさほどの関心がないことの証拠として捉えることだってできるかもしれないと思うのですがね。この奇妙な言説効果については何度も言及しましたのでもういいです。

それ以前にビルボード関係者とされる書き手には日本芸能史や歌謡史の基礎教養がないみたいです。確かに最近はいわゆるハーフの歌手や外国籍の歌手が増えている印象を受けますけれども、昔から日本の芸能の世界はそんなもんだったように思います。なお日本の歌謡についてなにか論じるには「芸能」が「芸術」(欧)や「エンターテイメント」(米)と取り結んできた入り組んだ関係への視座や東アジア諸国の芸能者たちの愛憎半ばする交流の歴史に関する認識も必要な気がするのですが、indigenousな日本にしておきたいのでしょう。こういう粗雑な地理-文化的なヴィジョンでは東アジアのマーケットには食い込めないんじゃないですかね。

ルイズ・ルピカールさん 「お百度参り」の日本訪問[毎日]

"French woman raised in Japan during war makes annual nostalgic pilgrimage"[The Mainichi Daily]

フランス人の父と日本人の母をもつ「トゥールーズの大和撫子」ルピカールさんが日本の訪問をしたという記事です。軍国少女時代の自伝『ルイズが正子であった頃』にはつくづくいろんな戦争体験があるんだなと思わされましたが、記事では「なにくそ」の「負けじ魂」について語っておられます。日仏の架け橋として活躍されていらっしゃるそうですが、本当に凛とした方のようですね。

週刊誌記者の取材に心が汚れた[Cnet]

別にメディア人が総じてすれっからしだとも思いませんし、それほどネットに大きな幻想を持っている訳でもないのですが(小さな幻想はありますが)、この記事にはなんだかしみじみとさせられました。「心が汚れた」という表現はいささか可憐に響きますが、氏には負けじの心でやってもらいたいものです。

"How do you solve a problem like Korea?"[Guardian]

どうということもない記事ですが、典型的に思えましたので。北朝鮮問題を解くには中国の協力が必要だ。しかし体制崩壊にともなう難民の発生を怖れる中国はこれまで非協力的であった。ところで北朝鮮の暴走は中国にとってコストになりつつある。なぜならば北朝鮮の挑発行動は中国が難民以上に怖れる日本の軍事化を促すからだ。この点で中国には状況を管理できる状態にするインセンティヴがあり、米中には共同の利害がある、と。もっとストレートに日本を後押しして中国に圧力をかけろ式の意見もちらほら見ますが、日本の現状を見ていないその幻想性においては軍国主義の復活だ!組と五十歩百歩なのかもしれません。

"On North Korea's nuclear and missile tests"[FP]

ウォルト氏に米国のリアリストの意見を代表させるのがいいのかどうか分かりませんが、同盟国は戦争を望んでいない、米国にはほとんど打つ手はない、この問題は中国に主導させろ、と述べています。あまり関心はなさそうですが、誰かが聞けば、日本については拡大抑止の有効性を確認して安心させとけ云々が続くのでしょう。

自国を棚にあげて言えば、米国の対北朝鮮外交はやはり稚拙なところがあったように思いますけれども、同盟国の足並みが乱れ、戦争オプションがとれないとなると他にどうしたらいいのだという気持ちにもなるでしょう。とりあえず今回韓国がPSIに参加したことは言祝ぐべきなのでしょう。当面は国連外交を進めたり同盟の空洞化を防いだり安全保障に関する縛りを緩めたり外交的手数を増やしたりすることぐらいですかね。ふう。否、負けじ。

追記

"A nuclear Japan is not an option"[Observing Japan]

クラウトハマー氏の日本核武装論に対して上のウォルト氏の記事を引用してオバマ政権は過敏に反応せずに同盟国に拡大抑止の口約束をせよと述べています。反対の理由としては日本の国内世論を挙げる一方で、地域の安定にとってワイルド・カード過ぎるからと述べていますが、後者は曖昧な言い方ですね。氏の見方には総じてそれなりの(米国から見た)合理性と現実性があると思いますが、現在の同盟関係が日本側にもたらす心理的側面についていささか楽観的に思えます。別に「保守」の頭がとりたてておかしい訳ではないと思いますよ(おかしい人もいますけど)。

ついでに、たとえ米国がゴー・サインを出したとしても(この仮定の現実性は度外視します)、核の目的をめぐって日米で齟齬が広がるように想像します。対中国の最前線の位置付けは御免蒙りたいと考える人が多いでしょうし、日本の日本による日本のための核戦略に賛成するほどアンクル・サム氏も親切ではなさそうですしね。なにかコンセプトが欲しいところです。ただ核であれなんであれ思考の縛りは無用だと思いますが、国民の合意がまったく存在しない現在は通常戦力の強化の問題に議論は集中すべきだと思います。

再追記

細かい部分の修正をしました。MTGで白熱した議論になっています。一応注記しておくと私はゴーリストではないですね。

[本日の一曲]

http://www.youtube.com/watch?v=2Y8I8xD46wU&feature=related

バートン・クレーン『酒がのみたい』(1931年昭和6年)

日本初の欧米系外国人歌手と言えば、このジャーナリストさんですね。お世辞にも上手いとは言いがたい歌唱ですが、この曲は耳に残ってよく口ずさみます。

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コメント

日本の純血主義とやらを誇大に唱えることで・・・


この日本人がもつという純血主義の神話よりも、そうした神話を日本人が持つという外国人による神話の起源というか、いかにしてそれが、多くの外国人が日本をみるときの、根深い色眼鏡になっていったのか、のほうに興味があります。

投稿: | 2009年5月29日 (金) 05時22分

起源はよく分りませんが、そうした神話が強くなるのは国際化が言われだした80年代90年代の近過去ではないでしょうかね。

投稿: mozu | 2009年5月29日 (金) 13時26分

ぼくなんか普通に生活していて血の幻想というのに出会ったことがない。で、例えば、天皇制の女系天皇問題なんかでてきたとき、「ああこういうふうに考えるひともいるのかな」と初めて意識した。あれは、血の問題と男系という問題があるのでしょうけど・・・で、意識して、会話なんかで出してみると、例えば部落問題なんかで、そういうことを聞いたことがあるという人がいた。しかし、一般人はそれほど強い幻想というか、神話を抱いていない。
 
 記事を読むと、
「It hasn't always gone so well. Aki, who lived in Hawaii as a teenager, recalls the racist rejection she faced when she first started peddling her demo tape seven years ago. "Harsh things like, 'Half Japanese don't sell!' were thrown at me," she says.
なんとかある。それじゃ、ゴールデンハーフスペシャルはどうなるのか?とかと思う。言われたのは、むしろ「ハーフというだけでは売れない」ということではなかったか、と忖度するんですね。
また、在日朝鮮韓国人の芸能人に関してタブーというのはあったのかもしれないですけど、その実態もどうなのか?
ぼくの記憶ですと、にしきのあきら、が朝鮮系日本人であると公表したのは、かれが最初の結婚の前後だったように思いますけど、http://ja.wikipedia.org/wiki/錦野旦
ウィキによると、最初の結婚が1980年ですから、そのころじゃないか、と思います。波紋があったのか、どうか、よく記憶にないですけど、なんか、記事とは違う気がする。
ハーフじゃないですけど、オーヤンフィフィやらアグネスチャンやらを違和感なく聞いて育ったぼくらには、記事の著者のような書き方に違和感を感じる。
 非常になんていうか、単純な調査不足ではないか、とも思う。
 外国人おおいに歓迎というわけではないですが、それほど排他的でもない。
 因みに、アメリカで黒人歌手などが白人に人気が出てきたのっていつぐらいからなんでしょうね?
 著者と同じような色眼鏡で、アメリカ社会での白人の血の幻想・神話なんて記事も書けそうな気もするんですがね。

投稿: 空 | 2009年5月29日 (金) 17時11分

血の幻想といっても私自身には実感はないです。おっしゃるように血が語られるのは皇室とマイノリティーぐらいじゃないでしょうかね。日本のナショナリズムは概して生物学的というよりも文化主義的だと思うんですけれどもね。

例えば八紘一宇の家族的な国家イデオロギーも純血主義とは異質だと思うんですよね。融通無碍な家制度と関わるのかもしれませんが。日本語では民族と人種を一応概念的に区別している訳ですが、民族をraceと訳してracismだ!と批判する人もいます。それは英語の問題だろとつっこみを入れたくなりますが。民族概念にもいろいろ問題はある訳ですけれども、人種理論とは違う。

神話に関しては多分80年代、90年代のアメリカのジャパン・バッシングと文化保守の日本人論が奇妙に協同した結果のような気がします。この時期に日本人論批判も盛んに書かれて日本人はみなこれを信奉しているかのように宣伝されたし、今もされている訳ですが、そこに自己の否定的イメージを投影しているんでしょうね。

ただこういうのは多くの人にとってはあ?という話だと思うんですよね。

投稿: mozu | 2009年5月29日 (金) 22時56分

ただネットのヘイトスピーチを見ていると民族と人種と国民の概念的区別もできていないようですし、実体論的な理解になっているようですから、あるところにはあるんでしょうね。

投稿: mozu | 2009年5月29日 (金) 23時08分

80年代、90年代、アメリカ映画なんかの日本描写では、日本の会社の台頭、その社員の、会社、ないし、上司に対する関係がなにかロボット的な忠誠心のような感じで描写されていたようなものを散見した憶えがあります。違和感がありましたけど、彼等から見た日本の一種の団体主義なありかたを描写したのかもしれませんが、それと血の幻想が合体したのかもしれませんね。
 団体主義も欧米に比べて強いのかもしれませんが、それも、アメリカなんかでもfamily tie なんていうのはわりにポジティブに評価されている。日本の団体主義も、あれの延長みたいな感じで、構成員同士の葛藤を含んだ絆みたいなものでしょう。で、実際の家族も、会社や団体の家族的関係も崩壊しつつある。
みると積み木崩しが出版されたのが、1982年ですから、このころすでに家族的関係が崩壊しつつあったわけです。だから、向こうでそういうことがいわれていたときにはすでに崩壊しつつあった。これからも家族的単位や関係は残るでしょうけど、従来型とは多いにことなるものになるでしょう。

日本の一部保守やネットの一部言説で、おっしゃるように実体論的な把握があるのはたしたかにそうですね。これもこまったものですが、未知の国民ないしマイノリティーに対して、一部を全部の代表として把握するのは論理的には間違っているが、心理的にはわからないでもない。そこから、日本人とはこういうものだ、アメリカとは、朝鮮人とは、中国人とは、こういうものだ、という本質主義的な発想になってしまうのはまずい。
 それじゃあ、そうした本質主義的神話にまでなった発想を日本人が広く共有しているかというと、そうでもない、安易な比較はできないでしょうけど、欧米とどっこいどっこいでしょう。
 欧米の一部ジャーナリスは、ーーーあるいは日本人の一部論者もそうかもしれませんが、ーーーーやはり、一部をとらえて全部に蔓延している、とする誤謬、その一部の見解の、社会全体での、機能や影響力、重さなどなどの位置付けが往々にして間違っているような印象をうけますね。

投稿: 空 | 2009年5月29日 (金) 23時45分

『ライジング・サン』なんかが典型的なんでしょうね。あんまりセンシティブになりたくないのですが、猿とか蟻とかロボットとかいうのは政治的に正しくないと思いますけれどもね。

団体主義とか集団主義というのもたぶんに神話化されている部分があって組織への忠誠心なんかも日本のほうがはるかに低かったりするんですけれども、欧米=個人主義、アジア=集団主義のイメージは根強くありますね。アメリカでは実態はともかく家族は日本よりも大切に思われているように見えますし、地域共同体については欧州のほうが日本よりもしっかりしているように見えますね。

おっしゃるように本質主義的な認識というのは人や社会にとってやむを得ない部分があってこの世の中からなくなるとは思えませんし、偉そうにそんなことを書いている私もそこからまったく無縁ではないのですけれども、少なくともジャーナリストや知識人のような一定の責任のある人にこれを相対化する視点がないのは知的退廃だろうと思いますね。

欧米もたいして変わらないというのもその通りでそれは日本に関する言説を見ればすぐに分ることですね。ただ公的な発言では慎重なところがあるのでそのあたりのコードのずれで損をしている部分があるように思います。

投稿: mozu | 2009年5月30日 (土) 01時25分

"一応注記しておくと私はゴーリストではないですね。"

ぜひその「余は如何にしてゴーリストにならざりし乎」をMFTのスレでコメントしてくださいよ。

投稿: Aceface | 2009年6月 2日 (火) 03時28分

ここ数日ネットを離れていて見ていませんでした。なにかコメント入れるかもしれません。勢力圏が狭すぎるので日本だとゴーリスムは孤立主義になってしまいそうですね。

投稿: mozu | 2009年6月 4日 (木) 21時00分

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