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ブルカをめぐる熱い論争(5)

だんだん日本語圏に紹介している意味が分からなくなっているのですが(他国の社会ネタというのはそうしたものですが)、乗りかかった船ということで個人用のメモのつもりで続けておきます。

"Ce que la loi sur la burqa nous voile" par Farhad Khosrokhavar[Le Monde]

ル・モンドに掲載されたKhosrokhavar氏のオピニオン。以下、逐語的な訳ではなくかなり自由な要約です。

2004年の公立学校でのスカーフ禁止は学校に平和をもたらしたが、街頭を含む公的空間でのスカーフの非正統化を代償とした。街頭での着用は許容されているが、いまやスカーフは違法(illegal)ではないが非正統的(illegetime)なものとなった。人はそこにフランス的な近代性と両立しないものを認知したが、象徴の意味というのは可変的なものである。英米のヴェールを纏った女性たちは「共同体主義」、最悪、原理主義ではなくて宗教的象徴の個人化を体現している。公的空間でのスカーフの非正統化は、ヴェールを着用しつつ近代性を求める女性たちがフランスを捨てるという結果をもたらしている。高等教育を受けた女性たちの流出は人的、経済的リソースの損失である。こうした状況は逆説的に原理主義者やセクト主義者を利している。彼らと戦うための仲介者となるはずの女性たちもまたヴェールを着用するゆえに彼らの一部のようにみなされることになるのだから。両義的な知識人の拒絶は、共和主義的なムスリムか、それとも「原理主義者」か、のどちらかであるという結果をもたらしている。「共和主義的スカーフ」を打ち立てるのではなく、スカーフなき共和国が望まれたのだ。結果は逆になった。その後、多くの街区が「原理主義化」した。仲介的な共同体の拒否が原理主義に対して無防備にしたのだ。意味を変じた宗教的象徴を纏う者こそがセクト主義的な宗教性の防波堤になるのに、フランスはこれを拒絶している。ブルカ禁止法が施行されたならば、フランスはイスラム諸国のみならず他の西洋諸国からもイスラム嫌悪の国とみなされるだろう。新法を制定する代わりに、国内のムスリム共同体との対話の能力を強化し、セクト主義と戦うためにムスリム個人の個別性を承認しなくてはならない。

以上、ムスリムの個別性に力点をおいた意見です。私みたいな個人主義的な傾向性の強い人間には正論に聞こえるのですが、英米をやや理想化しているように感じられなくもないです。ライシテ原理主義的な行き方には憂慮する一方で、極東の一素人ブロガー的にはどこかでフランス的な道というのを勝手に期待しているところもあるのですね。

"Pourquoi les Français veulent interdire la burqa ? Entretien avec John Bowen"[Nonfiction.fr]

スカーフ問題についての米国の代表的な解説者であるジョン・ボーウェン氏のインタビューです。興味を引かれる観点になかなか出会えないと前に書きましたが、公的秩序概念になにかが生じているという直観はあって、短い記事であまり深い掘り下げはないもののその点に言及していたので紹介しておきます。

nonfiction.fr :  あなたは現在のブルカ問題の再浮上をどう説明しますか。

John Bowen :   特定の出来事と関連している訳ではないのでこの問題が今復活している理由を説明するのは難しいです。スカーフについての本の中で私はスカーフについての発言の再浮上と、例えば、アルジェリアやアフガニスタンといったムスリム世界で生じている出来事との関連を探求しました。ブルカについてはむしろ長い歴史があります。北イタリア、ベルギー、オランダで数年前から地元当局によるブルカ禁止の動きが見られます。イスラムに対するこうした欧州的な動きはフランスでは極右層ばかりでなく強い反響を呼んでいます。というのも分裂をもたらすものは許容すべきではない、ところでブルカは個人を分裂させる、という考えが身に染みているからです。討議は共通価値という理念に焦点化して左翼右翼の政治的連続体を横断しています。例えば、身分証明の管理の技術的問題に訴えているとしても、困惑させているのはむしろ仕切りや共同体を抱えているという事実なのです。

nonfiction.fr :  学校から街頭へのこの移動はなぜなのでしょう。

John Bowen : 2002年2003年の討議の間にも、ヴェールが女性の抑圧の象徴ならば、学校であろうと街頭であろうと公的空間で禁止されるべきだという声がありました。理由付けの点で非常に一貫性のあるこうした提案は聞き届けられませんでした。この時にはヴェールに関する法は施設の管理者としての教師達を悩ませていて当事者には手だてがない学校固有の問題に応答しなければならなかったからです。例えばショアーの歴史の授業への異論だとか宗教的な義務に学校生活のリズムを適応させることだとか。こうした文脈では、ヴェール問題は、法制化することの、そして法制化による問題解決の印象を与えることの適当性を提供したのです。立法に対するフランスのこの偏愛ですが、最近ではグループと覆面の着用に関する法律にも見られました・・・。

nonfiction.fr : 面白い偶然の一致ですね。この覆面とブルカの平行性は!

John Bowen : はい、意図した訳ではないですが、この二つは公的空間に関していかに法制化するのかという同じ問題に関わります。一般にフランスは公的空間というものに共通価値の場とか共生の場という風にポジティヴな考え方を持っています。そこから分裂をもたらす表徴は排除されるべきだという考えが出る訳です。これはフランス的なライシテの感覚です。しかしこの空間の境界線は流動的です。具体的には公的空間とはどこでしょう。街路でしょうか。学校でしょうか。市庁舎でしょうか。

ブルカを着用していたためにフランス市民権を拒否された女性のケースをとりあげると、政府の理由付けは市民権取得のための条件が満たされていなかったからというのではなくブルカを着用して家にいた事実からして彼女は同化していないからというものでした。ここに興味深い点があります。問題は公的秩序へのトラブルにではなく私的領域にとどまっていた事実に起因しているのです。ここには変化が見られます。現在では部屋の中にまで入るのです。妻が非処女であったがゆえの婚姻解消に関する討議でもこれは見られました。この婚姻解消は妻も判事も異議申し立てしなかった訳ですが、こうした区別が私的領域に存在する理由はないと考えた政治の声によって異議申し立てがあったのです。ブルカ問題では私的生活が公的領域における欠如ーライシテの欠如、同化の欠如等々ーの源泉足り得ると考えられています。私が関心があるのは公的秩序の観念の進化です。一方に親密空間、家族空間に対立して公的空間があり、他方に私的には嘲弄され得る公的秩序ー非常にデュルケーム的な社会秩序、道徳秩序ーがある。それでこの道徳秩序という考えから私たちはブルカ禁止に好意的な解釈へと導かれるのです。しかしポスト・ヴィシーの時代にあっては道徳秩序については語り難いのですね。

nonfiction.fr : 私的空間に関心があるということは政治的なものから離れることになるとあなたは言いたいのですか。

John Bowen : 私はここに人々の私的生活への、私的領域での自由への潜在的な攻撃を見るのですね。ブルカの件で現在は共同体主義の問題が女性の身体に関わっています。最近のことのように見えますが、この移動は実際には長い時間に刻みこまれています。個人の自由と共通価値の緊張というのはフランス革命以来不変なのですから。1789年の後に1792年があったことを忘れるべきではありません。フランスはなお一般意志の表現たる国家と個人の自由の間のこの緊張に貫かれているのです。この緊張は明瞭にルソーの思考に現れます・・・

nonfiction.fr : スカーフに関する著書の中でルソー主義的な思考がフランスの心性に深く染み込んでいることをあなたは示しました。フランスの子供たちは学校でアングロ・サクソン哲学をもっと読むべきだとあなたはお考えですか。

John Bowen : それは学校教育に関する質問です・・・、何年も前からフランスで自由主義者の思想を紹介するための努力がなされてきました。しかしフランスの教育や歴史に根付いていない他の哲学システムに訴えなくとも、ルソーの中にも個人の自由の擁護は見出せます。

他方、こうした問題は一般的に公的自由の問題を提起するばかりでなく個別的にフランスにおけるイスラムの問題を提起します。私が新著の『イスラムはフランス的になれるのか』で示そうとしたのはこういう問題です。対話の形式を発明すること、フランスのイスラムの存在を正常化できるような特権的な対話者を見つけることがなお残されているのです。

と言った具合でやや散漫なインタビューですが、公的秩序、公的空間の概念になにかが生じている、といいますか、公的なものと私的なものとの関係性に異変が起こっていると論者はみているようです。ここではそれ以上はあまり展開されないのですが、集中的に論じているらしい論者の新著には興味が引かれます。どうでもいい話ですが、私はルソーは嫌いでデュルケームが好きなのですが、ブルカをめぐるあれこれもルソーの呪いと考えるならば、私のいやな感じの説明がつきそうです。

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