カテゴリー「歴史」の43件の記事

日露戦なかりせば

もうひとつの日露戦争 新発見・バルチック艦隊提督の手紙から (朝日選書) Book もうひとつの日露戦争 新発見・バルチック艦隊提督の手紙から (朝日選書)

著者:コンスタンチン・サルキソフ
販売元:朝日新聞出版
Amazon.co.jpで詳細を確認する

ここしばらくまとまった時間がとれなくてTwitter(右側にリンクあり)でのつぶやきにとどめていましたが、三日坊主の性格を矯正すべく軽めの内容で更新しておきます。

以前コメント欄で勧められたサルキソフ氏の『もうひとつの日露戦争』を読みました。この戦争に関しては最近では、文化史的、メディア史的な研究の他、「最初の総力戦」とか「第零次世界戦争」とかいったやや大仰なキャッチフレーズの下にグローバルな視座から新たな照明を当てようとする試みがなされているようですが、本書はあまりけれん味なくバルチック艦隊提督の私信を中心に当時のロシア側の事情を明らかにしています。私はこういう着実な仕事が好きです。戦争の語りというのは一般にそういうものですが、日露戦争の語りも日本側の視点ばかりになっていますので本書は新鮮な視点を提供してくれるでしょう。

本書は著者が独自に発掘したロジェストヴェンスキー総督の妻子にあてたプライベートな書簡史料の紹介が目玉になっている点で「発見」の書です。書簡から浮かび上がる総督の人柄や錯綜する人間関係はなかなか興味深いものがあり、単なる「愚将」のイメージからは遠い人物であったことが分ります。このイメージは日本だけでなくロシアでも強いそうですが、著者によれば、帝政末期の無責任体制において無謀な作戦の責を全面的に負わされた格好になったということです。精鋭たる旅順艦隊(太平洋第一艦隊)に比べてバルチック艦隊は俄かづくりの混成部隊に過ぎず、欧米列強の中立維持によって燃料補給や食糧補給もままならず、本国との連絡もきわめて困難な状況に置かれ、戦闘開始以前に勝負がついていたことが総督の嘆きの書簡からよく分ります。歴史の肌合いの感じられるところですが、だらだら引用を続けるのもなんなんで簡単に済ませると、例えば、日本海海戦前の書簡から。

 お前にはもう伝わっていると思うが、昨日、われわれは南シナ海に到達した。われわれは今、日本艦隊がわれわれを打ち負かすためにいつ攻撃を開始するのか、また、日本艦隊がいつ、そしてどこで、ニェボガートフを捕捉することができるか、と判断することで大忙しだ。

[...]私は疲れた。熱帯の暑さの中でもう六ヶ月目だ。お前も覚えている通り、ペテルブルクの夏でさえ、私にはつらい。航海を続行してからあと二日ですでに一ヶ月になる。四十五隻体制の艦隊だ。航海再開からすべての船で故障や異常が起こっている。中には、十二回も故障や異常を起こした船もある。

[...]たとえ惨めなものであろうとも、幕を閉じることは必要だ。今、艦隊の誰もが締め付けられるような思いになっている。

[...]われわれはうぬぼれて、全部門にわたってロシア独自の学問を発展させようとし、時期尚早のうちにわれわれの教師だったドイツ人を追い出してしまった。すべてはここに起因する。彼らのもとに戻るべきである。ドイツに学ぶためロシア国民を派遣すべきである。我々の秩序のため、ドイツ人を呼ばなければならない。

といった具合に敗北を完全に予期しているにもかかわらず、軍人として死地に赴く悲愴な覚悟が記されています。個人の進退のみならず、敗北の後にロシアはどういう運命を辿るのか、ロシアにはなにが欠けているのかについて考察しているあたりには「戦艦大和の最期」を彷彿とさせるものがありました。

また本書の特徴としては「日露戦争は避けられたかもしれない・・・」という歴史のifをめぐって考察がなされている点でしょう。著者によれば日露戦争は日英同盟締結後でも十分に回避可能なものであったとされています。大津事件によるニコライ2世の怨恨説を退け、皇帝側に戦争の意思が必ずしもなかったこと、当時の極東政策が中央の手を離れて極東総督一派の推進派に握られていたこと、皇帝の曖昧な性格から責任体制が不透明になっていた状況-どこかで聞いたような話ですが-などが明らかにされていきます。

例えば1903年の日本側の均衡提案をロシア側が受け入れ、ロシアが満州、日本が朝鮮というように影響圏を分割できていたならば、日露戦争は回避できただろう、第一次政界大戦後の日露秘密協約に結実したように英米の中国進出に対して日露には共通利害があったのだとしています。ここで引用される日露をぶつけて両国の国力を消耗させ、フィリピンを安堵するというルーズベルトの発言にはやはりなと思わせられるものがあります。日露戦争というのは代理戦争ですからね。ついでにこの敗戦がなければロシアの共産革命も回避できたかもしれないという思いも-著者のソ連に対するスタンスは承知しておりませんが-伝わってきました。

当時の国際政治的、地政学的状況についての思考を非常に促される議論なのですが、ロシアのみならず日本にとっても都合のいいシナリオのように思えてくるのは著者一流の説得力なのでしょう。実際、回避シナリオが実現した場合には朝鮮統治と満蒙特殊権益をめぐる深刻な問題は発生しなかった訳でしょうから。勿論こういうのは「後知恵」に過ぎないですし、ロシア側の膨張主義的傾向を甘く見積もっているのではという批判もできるでしょう。ちなみに日露戦争の批判といっても日本側の「侵略」の糾弾ではなくてロシア側の自己批判、そして著者の日露の友好への思いが伝わってくる趣きの議論になっています。

以上、予備知識なしでも読める一般向けの内容ですが、発見と洞察に満ちた本ですのでおすすめしておきます。

| | コメント (12) | トラックバック (1)

市民宗教ねえ

最近読んだ宗教がらみの記事をクリップしておきます。

"'Etiquette guide' for Thai monks"[BBC]

タイのお坊さんのよいマナーのガイドラインが出されたという和み系の話です。不良坊主問題が発生しているので-昔からといいますが-指導ということのようですが、その中でトランスとゲイの坊さんの話もあって、

He was especially concerned, he said, by the flamboyant behaviour of gay and transgender monks, who can often be seen wearing revealingly tight robes, carrying pink purses and having effeminately-shaped eyebrows.

とのこと。同性愛はオーケーだが、目立ち過ぎるなということのようです。かつては華やいでいた日本の仏教界ですが、現在はそういうのってどこかに残っているのでしょうか。ちなみにBBCはどうやらタイモンク・ネタが好きみたいですね。

"God is back: How Ned Flanders won the evangelical crusade"[Times]

タイムズのエヴァンジェリカルについての記事。アメリカのクリスチャンのカリカチュアとしてシンプソンズの信心深い隣人ネッド・フランダースに言及しています。これまでハリウッドではエヴァンジェリカルの説教師は偽善の代名詞のような扱われ方をしてきたし、フランダースも愚か者の象徴として描かれている、しかしフランダースは負け犬なのだろうかと記事は問います。実際にはフランダース主義は世界中で勝利しつつあるのではないか、と。啓蒙の時代以来、欧州の知識人は宗教が近代性によって没落することを予言してきたが、アメリカは当初から違っていた。確かにアメリカの知識人も合理主義の下での宗教の弱体化を予言し、弱者や貧者や愚者の間でのみ宗教は生き残ると考えてきたが、このピクチャーは変化しつつあるとしています。ピーター・バーガー氏によれば社会学者は近代性を世俗化と捉えたが、これは誤りであり、近代性とは多元性のことである。アメリカではどの宗教を選ぶことも選ばないことも自由である、と。またフランダースは世界展開しており、今ではクリスチャンの60%は途上国にいるといいます。ロシアや中国のような国家による強制的世俗化を蒙った国でも宗教リヴァイヴァルが顕著であり、欧州ですら世俗化の放棄の兆候が見られる、と。宗教紛争の原因ともなっているとしつつも、記事はグローバル化する世界において宗教のプラスの側面についても触れています。いかにも欧州的な戸惑いが感じられる記事ですが、後半ではわりと好意的な解釈もしています。仲間と一緒でヘルシーでハッピーだ、と。まあ、そうなんでしょう。

ただ日本でもその傾向がありますが、欧州ではアメリカの「エヴァンジェリカル」はだいぶ記号化されているような気がします。よく知らないのですが、そんなに単純なイメージでいいのかなと思われます。世俗化や多元主義は難しい話ですが、イスラームも含めて中世的なものの浮上ではなく近代性-曖昧な概念ですが-の内部の宗教の再編現象が生じているのでしょう。以下、多少関連した記事になっています。

"'Religon' and 'the Secular' in Japan. Problems in history, social anthropology, and the study of religion" by T. Fitzgerald[ejcjs]

日本における「宗教」と「世俗」概念の用法が「我々西洋」とはなにかずれているということを指摘する記事です。多くの人が無宗教を自称しつつ宗教的プラクティスを怠らないのはなぜなのかといった問題には様々な答え方があり得るのでしょうが、それは西洋から輸入した概念が社会的現実からずれているからうまく自己記述できないからだというのもひとつの回答になるのでしょう。比較宗教学的方法論にキリスト教的前提が多数忍び込んでいることもまたつとに指摘されるところですが、記事は非西洋圏の宗教現象を把握するためには歴史的コンテクストを踏まえつつ、基本的な概念の語用論的な分析をする必要があると主張しています。ここでなにか具体的な対象の分析をしている訳ではなく、多くの英語圏の日本の宗教に関する言説をとりあげて方法論的反省をしています。他者性を強調するあまりに不可知論みたいになるとそれはそれでひどく困るのですが、ずれているのは事実でしょう。ただ「我々西洋」ってそれほど一枚岩でしょうか。政教分離や社会における宗教のあり方にはずいぶん多様性があると思われます。

ちなみにこの調査では世界二位の無神論者の国ということになっているのはおそらく「宗教」概念の混乱ゆえなのでしょう。戦後日本人は宗教を失ったみたいな嘆きを聞くこともありますが、おそらく戦前でも同じ方法で調査したならば「無神論者」率は高くなるのではないかと想像します。そもそも無神論(atheism)というのは一神教空間内の概念だと思いますので意味が違っていると思うのですがね。

Religiones

法外なるものの影で 近代日本における宗教/世俗[pdf]

こちらは近代日本の宗教と世俗の概念の文節化を扱った現代思想系の論文ですが、上の論文に対するひとつの変化球的な応答になっているように思われます。日本の批判的知識人の間でとりわけ靖国とイスラームに関して政教分離をめぐる問題が近年では取りざたされているが、このふたつの問題に対して彼らは正反対の対応をしている。イスラームに関しては政教分離は西洋近代の生んだ局所的な理念に過ぎず、その普遍性妥当性を疑う一方で、靖国に関しては政教分離を金科玉条のごとく唱えている。政教分離の問題は非西洋社会が西洋の宗教概念および関連制度に包摂される中で浮上する問題であり、日本において政教分離を貫徹すべきか否かの二者択一的な議論をする前に、近代日本がこうした理念をいかに受け入れたのかを歴史具体的に論じる必要がある。戦後日本では普遍主義的な理念として政教分離が謳われるが、現実には西洋においてもこれが貫徹されることは稀であり、宗教の占める位置には多様性がある。実際、明治エリートはこのことを見抜いており、プロイセン型の「宗教の寛容」理念を採用したが、敗戦とともにアメリカ的な政教分離を受け入れることになる、と。

次に「国家神道」をめぐるこれまでの議論をまとめていますが、論者によって定義が異なるためにこの語でなにを指すのかは自明ではなく、例えば島園氏によれば現在でも広義の国家神道は存在するという話になっているとされます。ただし国家神道という語はGHQの「神道指令」で用いられる以前は行政や学術の世界で用いられることはなかったために、これを遡及的に使用することの問題性も指摘しています。後代の呼称である以上は、国家神道なるものがいつ存在したのか、あるいはまったく存在しなかったものなのかは言葉の定義によって決まってしまう、と。論者はここでは一貫した政策的意図を欠いた偶発的で紆余曲折の政策過程を捉えるための分析概念として用いるとしてます。

よく知られるように「国教」を定めず、諸宗教に「宗教の自由」を認める一方で神社神道を臣民の公的義務たる「祭祀」に割り当てるという戦略が採られる訳ですが、論者は「宗教」と「祭祀」は明確な二分法とは言えず、国家と癒着した祭祀が私的領域の宗教を覆うという曖昧模糊とした分割であったと評しています。以下、島地黙雷の政教分離論や美濃部達吉の説を引用して論文は帝国が「政治と宗教」、「宗教と道徳」といったニ分法では明確に括れない社会体勢であった点を指摘しています。またGHQによる国家神道の解体は一般には「敵対型政教分離」とみなされがちだが、そうではなく政治による「好意的無関心」に基づく政教分離を目したとされます。GHQの考える政教分離はフランス型ではなく法制度としてはともかく社会としては宗教に好意的なアメリカ的な政教分離である。これは日本側にとっても望ましいことで、結果、天皇制と神道との曖昧な関係を戦後に残すことになった、と。

次に現在まで混乱の続く「宗教」概念について論じています。戦前の日本では神社が宗教なのか祭祀なのか、宗教と祭祀をどのように定義するのかは法的に未規定のままであり、この区分はあくまでも「官私の別」という政治的配慮によるものであったため、神社政策や信教の自由との兼ね合いから激しい議論を呼ぶことになった。明治10年代には日本でreligionの訳語としての「宗教」が輸入され、20年代以降には宗教学が誕生するが、宗教の定義としては2系統が存在した。そのひとつはプロテスタント系の定義であり、姉崎正治の心理主義的、体験主義的、ビリーフ中心主義的な宗教の定義、それから加藤玄智による「国民的宗教」「神人同格教」としての神道理解が代表的である。ビリーフを重視する立場に対して柳田國男の共同体のプラクティスとしての宗教概念がもうひとつあり、宗教民俗学、宗教人類学によって洗練されていくことになる。現在にまで残るこの宗教の意味のゆらぎは宗教に対立するところの祭祀という言葉にも存在した。また神社祭祀が国民道徳論と結びついたために神社非宗教論は宗教と対立するところの道徳という世俗領域にまで浸透することになり、宗教と祭祀、宗教と道徳の二分論は無効化されることになる。このように二分法の境界はきわめて流動的であり、神社非宗教論も宗教の定義によって多様な解釈が主張される状態であったとされます。

最後に天皇制の問題を論じています。上述のような議論は穏やかな宗教の自由の下に許容されていたものの天皇の権威に及ぶところで弾圧の対象とされることになった。しかし、これは政府ではなく社会の側からの声による制裁としてなされた。様々な二分法に重層的に規定された天皇は宗教や国家神道といった概念では理解できない。そもそも幕末開国以降、西洋世界に包摂される中でこれに対抗する形で社会の中に本来的な伝統を見出す運動が起こり、日本という国民国家を根拠づける究極の権威として想像された以上、天皇は歴史的状況の内部に文節化された文化的一要素であってはならず、歴史的変化を超えて輝き続ける決定不能な外部でなくてはならなかった。また西洋的立憲君主であると同時に伝統的な祭祀王である天皇は「西洋/日本」という対立項を超え出た、宗教と世俗というニ分法を生み出すような根源である。以下、宗教/世俗、宗教/道徳の二分法を前提とする歴史学や宗教学の言説の不能を説き、天皇制のような外部に屹立するような存在がいかに歴史的文脈の内部に顕現してきたのか、そのプロセスを発生論的に対象化していく必要があるとしています。一見、超歴史的な存在に見えても非西洋が西洋に包摂する中で内部で夢見られた余白なのだから、と。

冒頭のバルトの引用からいかにもな香りが漂う論文ですが、「国家神道」や「天皇制」を実体的に考えるべきではないという点についてはその通りだろうと思います。だいたいこうした用語は「」に入れるか、個人的には使わないことにしています。宗教と世俗のゆらぎの論点も重要でしょう。ただ「決定不能な外部」とか「法外なもの」とか「余白」といった形で天皇制を過剰に神秘化することには同意したくありません。戦後神話というのもあって、メディアが空疎なプロパガンダを喚いていたとしても、実際、そんなにファナティックな人間ばかりだったはずはないでしょう。憲法の規定通りに象徴君主として遇すること、あまり深読みしないことが「社会に封じ込める」最良の戦略に思えますが、どうなんでしょうかね。

戦前期日本の日蓮仏教に見る戦争観[pdf]

大谷氏は近代日本の「日蓮主義」についての研究で知られる方ですが、これは田中智学、石原莞爾、妹尾義郎の三者の戦争観についての講演です。今日において日蓮仏教の公共的展開の可能性を考えるというテーマのようです。日蓮主義運動は「仏教的な政教一致による、国教の樹立を目指した宗教運動である」と定義されていますが、ご承知の方も多いように、大正から昭和初期にかけて流行したナショナリズムとの関連性の強い運動のことです。

まず問題意識を説明していますが、宗教と公共性に関して、現在、社会参加仏教(engaged buddhism)研究と公共宗教研究への注目があるとしています。前者に関してはムコパディヤーヤ氏の「国家化」「社会化」「大衆化」「国際化」の4類型を紹介し、これが戦前、戦後の日蓮主義の活動を分析するのに役立つとします。また後者についてはアメリカの研究動向で、公共宗教とは社会統合や資源動員に資する、あるいはこれに対抗する「公共領域で機能する宗教」のこととされます。最近では「国家神道」を市民宗教ないし公共宗教として断罪調ではなくニュートラルに捉え直す動向もあるようですが、その点についても触れています。いわゆる「宗教」は公的領域から排除され、そこに「国家の祭祀」たる「国家神道」がおさまり、近代仏教は私的領域に配分されることになる。しかし内面の信仰には留まらずに社会参加、教育や福祉を通じて国家や社会に関わろうとした。公的領域で仏教教団の果たす役割の可能性と不可能性に関心がある、と。

次に田村芳郎氏の日蓮主義ないし日蓮仏教の類型論を紹介しています。第一に国家主義や日本主義の高まりに伴って現われた日蓮信奉のあり方で、田中智学、本多多生の日蓮主義、第二に普遍的な個にたっての信仰、あるいは宇宙実相の信仰で高山樗牛、宮沢賢治、尾崎穂積、妹尾義郎の名前を挙げています。最後がいわゆる新宗教で本門佛立講、霊友会、創価学会であると。講演者は第一の日蓮主義は後の二者にも多かれ少なかれ影響しているとします。

以下、田中智学、石原莞爾、妹尾義郎の戦争観が論じられます。田中智学については国立戒壇論と「世界の大戦争」の教えが採りあげられていますが、日蓮仏教の国教化(国立戒壇の建立)にあたっては「二法冥合」「事壇成就」「閻浮統一」のプロセスがあるといいます。まず国体の自覚を促し(国体概念が重視されている点が特徴とされます)、日蓮仏教の教えを広め、憲法改正により国教化、国内で政教一致が実現した後に世界の統一へと進むと。しかし世界は日本に敵対するために「賢王」の指揮の下で「世界の大戦争」が起こる云々と。次に石原莞爾はこの日本国体論と世界の大戦争論と世界統一のヴィジョンを切迫した終末観の下にさらに先鋭化させたと。最後にこれとは対極的な例として妹尾が紹介されています。小作争議に関わる中で日蓮主義を捨て新興仏教青年同盟を結成し、社会主義的な宗教運動を展開したが、1936年には治安維持法違反で弾圧、戦後は仏教社会主義同盟や全国仏教革新連盟を結成し、平和運動や日中交流や日朝交流にも関わったという人です。要するに平和主義者ですが、テクストの中には血盟団事件で有名になった「一殺多生」の考えがある点に注目しています。

多様に展開した運動の中において「国家化」の過去の側面を踏まえていかに「民の公共」に関われるのかが日蓮仏教の課題であるとしていますが、まあ、そうなのでしょう。何系でもいいですから、日本仏教界からはもう少し活発な社会活動があってもいいと思われます。メディアが報じないだけでいろいろとなされていることはそれとなく見てはいますが。ちなみに昔よく読んでいた人々の名前がずらりと並んでいるのですが、この系統の資質があるのでしょうか。思いつきを言えば、戦後の平和主義も市民宗教みたいなものなのかもしれませんね。

ではでは。南無南無。

追記

Ideology, Academic Inventions and Mystical Anthropology: Responding to Fitzgerald's Errors and Misguided Polemics

The Religion-Secular Dichotomy: A Response to Responses

Dichotomies, Contested Terms and Contemporary Issues in the Study of Religion

上で紹介したフィッツジェラルド氏の記事をめぐってリーダー氏との間で論争があったことをtomojiroさんに教えていただきました。ざっと読んだところですが、同型の議論はあちこちで見たことがあるような気がします。確かに問題提起そのものは分りますが、やや性急な政治性が感じられてそれが生産的な意味をどこまで持ち得るのかどうかというところで、うーむ、という印象も受けますね。

[本日の一曲]

http://www.youtube.com/watch?v=qvKJCb1h0to&feature=related

HIS『夜空の誓い』(1991年平成3年)

この曲は好きでした。ピース。

| | コメント (6) | トラックバック (3)

革命前夜?

フランス関連で最近話題になっていた記事をクリップしておきます。

"Villepin s'inquiète d'un "risque révolutionnaire" en France"[Le Monde]

前首相のド・ヴィルパン氏が「フランスには革命のリスクがある」と発言したという記事です。失業者の間の「強い怒り」と「絶望」に対して社会政策を訴える文脈にあるこの発言ですが、ずいぶんあちこちで採りあげられていますね。「予測できない社会的反応」、「コントロール不能の集合行動」に備えるべく全速力で非常措置を取らねばならぬとのこと。内閣改造の話を振られたのに対して2年の首相任期は長いが、自分は首相に返り咲く気はないと述べた模様です。

"Avant un 1er-Mai massif, le climat social se tend"[JDD]

昨今の社会的緊張を扱った記事です。メイ・デイを前にしてかの国では例によってデモやストが各地で起こっている訳ですが、学校でも工場でもラディカル化の兆しが見えているようです。ド・ヴィルパン氏の「革命のリスク」発言に加えて、記事によれば、やはり元首相のラファラン氏がフランスの「熱い血」について語っているようです。熱いですよね、本当に。ユベール・ランディエ氏によれば、「社会危機は常に予測できないものだが、確かに火種がある」と言います。大統領の失言のようなほんの一刺しが火に油を注ぐことになるだろう、と。ただ1970年代に比べたらまだまだ全然温いとしています。それから記事はCGTのような組合が現在は運動のラディカル化を抑えつつ、政治に働きかけようとしている点についても触れています。平等や自由を求める情熱は高まっているが、1968-2009はないだろうとしています。

"Who wants a new French revolution ?"[Times]

でタイムズもド・ヴィルパン氏の発言を採りあげてその可能性はないとしています。この発言については、

Revolution is being talked up by people in the Establishment with their own ambitions at heart. Villepin is the most glaring example. He is a never-elected diplomat who owed all his government appointments to his mentor President Jacques Chirac. He is to stand trial later this year on charges of trying to smear Sarkozy in the so-called Clearstream affair. Last Sunday he talked of possible revolution saying he feared that public despair would lead to "collective behaviour that we might not be able to control". On Friday, he announced that he hoped to stand against Sarkozy in the next presidential election in 2012.

といった具合に政局的な解釈をしています。またロワイヤル氏も大統領攻撃を強め、フランスのために海外に対して「謝罪」する発言をしたり、暴力的な事件のたびに労働者と連帯して革命を訴えている、中世レベルの労働条件だ!と、しかし彼女もまた大統領選挙の立候補を公言しているとし、眉に唾したほうがいいと述べています。

この観察そのものは必ずしもシニカルという訳ではないでしょう。政局絡みの発言には違いないでしょうから。結局のところ、「革命」の語でなにを想起するのかという問題だと思われますが、政権を揺るがすような規模の社会的争乱が生じる可能性という意味ならば、それはなくはないでしょうね。オーストリアの話で済むと楽観しているのか政治経済エリート層には危機感が乏しいように見えますが、東から大波がやって来たならば、今はリスク回避のために大人しくしている人々も踊り出る可能性はあるのではないでしょうかね。ちなみにロワイヤル氏の「謝罪」ですが、サルコジ氏がフランスのイメージを落としていることに対してフランスに代わって謝罪するという意味でブッシュ政権時にアメリカでソーリー・サイトみたいなものが出来ていましたが、その真似なんでしょう、こんなブログもありますね。

サルコジ仏大統領が各国首脳を酷評、仏紙報道に波紋[AFP]

かのハイパー大統領が各国首脳をこき下ろした件は国際的に波紋を呼んでいましたが、あーあ、また、やったか、と思いました。ヌーヴェルオプのブログがこの件についてエントリしていました。件のリベラシオンの記事が正しいのかどうかはよく分りませんが、この通りに語ったとしてもまったく違和感がないです。政治家はまず選ばれなくてはならない、三度も選ばれたベルルスコーニは偉い、というのは冗談なんでしょうか、本気なんでしょうか。我が邦の首相も失言でよく叩かれますが、サルコジ、ベルルスコーニのコンビはそうとうのものですね。

"After 43 Years, a French Town’s Nostalgia for Harry and Joe Lingers"[NYT]

前にNATO統合軍事機構完全復帰をめぐる論争を紹介した際に米軍基地があった時代に簡単に言及しましたが、これはシャトールーの今の様子のリポートです。基地に対する受け止めというのは概して両価的なものなのでしょう。記事は昔をなつかしむ地元の声を拾っています。アメ車乗り回して、やあ、戻ってきなよ、と言っていますね。ちなみに記事に出てくるハリーズのパンはそのへんのスーパーで売っているものですが、こういう経緯があったのですねえ。

40年以上前に米軍はこのフランス中部の町を離れたが、ハリーとジョーは居残った。

二人のアメリカ人がここに居た。というのもフランスはかつてNATOのメンバーであり、シャトールーは欧州最大の米軍基地を擁していたからだが、ここは8000人のアメリカ人と3000人のフランス人民間雇用者-料理人、お抱え運転手、床屋、会計係、大工-を抱える巨大な補給センター、航空機補修ユニットであった。

しかし1966年にドゴールがフランス-英国、カナダ、オーストリア、ニュージーランド、米国の兵士の助けで二つの世界大戦を生き延びたフランス-は軍事的に自立できると決断し、NATO軍事機構から脱退し、アメリカ人に立ち去るように命じたのだった。

ここシャトールーの年配世代の多くにとってNATO基地時代は戦後フランスの陰鬱な灰色の時代にあって古きよき日々である。基地には金払いのいいたくさんの仕事があり、カラフルに彩られ、任務を離れたアメリカ人はハワイアンシャツを見せびらかし、明るい色のシボレーや他の古い車を乗り回したものだった。市庁舎ではアメリカのサービスマンとフランス人女性の間で約450の結婚が祝われた。

勿論皆がアメリカ人を歓迎した訳ではない。共産主義者や社会主義者はいつも「US、ゴーホーム」と壁に落書きした。しかしニコラ・サルコジ大統領がNATOの懐にフランスを復帰させた今、こうした年月が戻るのではないかと希望をもって語っている者もいる。

アメリカ人が帰ってきたとして、「私は別に困らない」と政府機関で働く40代のゾフィー・バラは控えめな声で語る。「そのことを話していますよ」。

しかし今日でもアメリカ人は完全に出て行った訳ではない。ノルマンディーに上陸したメイン州オーガスタ生まれのジョセフ・ガニエは1952年1月にここに基地を建設する計画のうわさを聞きつけた。フランス人妻のジャニンと一緒に彼はルドリュ・ロラン通りにジョー・フロム・メーンJoe from Maineというハンバーガーレストランを開店した。ジョーは今月86歳で地元の病院で亡くなったが、娘のアネットが今もハンバーガー、ホット・ドッグ、テクス・メクスを週に6日間出している。

「お客さんは今はフランス人ですけど、当時基地に勤めていたGIやその子供達がやってきますよ」とアネットは言う。"Schlitz on Tap"と書かれた偽のティファニー・ランプの下で彼女はある訪問者を楽しませていた。「1952年1月に父が店を開いた時にフランス人はハンバーガーがなにか知りませんでした」とアネットは言う。「私達は自分達のケチャップをつくって、基地でスパイスを手に入れたんです」。

レストランの下には今は貯蔵庫に用いられている30平方フィートのアーチ型天井の石造りのセラーがある。そこでかつてアメリカ人は途方もない量のビールを飲み干し、チェーン・スモークをし、フランス人のガール・フレンドと踊ったものだった。アーチ天井には「ベニー、トム、フェ-ガン」と名前が刻まれている。

ハリーはこの町にもっと大きな足跡を残した。1960年代に地元の実業家のポール・ピカールはアメリカのサービスマンが食べていた奇妙な白い四角形のパンに印象付けられた。長いバゲットに慣れた他のフランス人のようにピカール氏はそんなものを見た事がなかったが、ここに可能性があると考えたのだった。

それで氏は米国のパン屋を訪れ、製造法を習い、フランスに戻ってワンダー・ブレッドをリエンジニアした。アメリカっぽさを与えようと氏はこれをハリーズ・アメリカン・ブレッドと名づけ、その包装も星条旗で飾った。ハリーが誰かは誰も言えないが、おそらくはアメリカっぽく響く名前というだけなのだろう。

ピカール氏がここでパンを売るには基地が閉鎖されたのは早過ぎたのだが、氏のパンはフランスでヒットすることになった。今ではシャトールー郊外のハリーズの巨大なパン工場で白パンその他が年間1億3千万斤も生産されている。これはフランス全土に点在する他の工場でのハリーズの生産の3分の1程度だ。フランス全土に展開する6つの工場はハリーズをこの国最大のパッケージされたパンの製造業者とした。

ピカール氏は今はこの地域のとある城に引退し、ヴィンテージのレーシングカーを収集しており、氏の会社はイタリアの多国籍食品企業が所有している。しかし400人の雇用者を抱えるこの工場ともうひとつの工場によってハリーズはこの地域で二番目の雇用主となっている。トップは自動車部品会社であるが、自動車産業のスランプで雇用を減らしている。それゆえハリーズはまもなくナンバーワンになるだろう。

「彼はヴィジョナリーだった」と42歳の工場マネージャーのジャック・ローランはピカール氏を評して言う。白いサンドウィッチ・パンは「フランスでは二義的な存在」だと彼は断じる。フランスではスライスされたサンドウィッチパンはパン市場の7%を占めるに過ぎない。「フランス人はバゲットを食べる」と彼は言う。しかしハリーズは子供向けのスナックのDoo Wopやパンの耳を食べたがらない子供向けの耳なし白パンのようなアメリカっぽい新しい商品を生産し続けている。ハリーズはクイック-フランスにおけるマクドナルドとの競争企業-のハンバーガー・ロールを生産している。自家製のパンをつくっているジョー・フロム・メインのためではない。

人口66000人のシャトールーはパリやヴェルサイユやシャルトルと並ぶような存在では決してない。町には魅力的な裏路地があるが、聳え立つカテドラルがある訳ではなく、町で最も古い教会のサン・マルシャルも予約でのみ訪問者に公開されているだけだ。町のモダンなタウン・ホールには車検場といった具合の魅力がある。作家のエディス・ワートンが1906年にシャトールーを訪れた際にこのタウン・ホールを「否定しようもなく幻滅させる」と評した。

近年フランス経済の高波はシャトールーの地位を高めていたが、今や危機がこの町を揺るがしている。町長のジャン・フランソワ・メイエはNATO基地が戻ってきたならばなにをもたらすだろうかと思い巡らしている。1951年にアメリカ人が建設した滑走路はまだ存在しているし、シャトールーの空港は、航空便、航空機補修、パイロット訓練、チャーター便などのビジネスをしたりしている。

「もうかつてと物事は同じではないが、彼らに戻ってもらえるといいです」とメイエ氏は語る。「空港が存在しているのは役に立ちますよ。アメリカ人が来る場所はありますから」。

しかし他の者にとってはアメリカ時代は今後も黄金時代のままだろう。IBMパンチカードマシーンを操作する学校を出てすぐ米軍基地で働いていた74歳のミシェル・ブランシャンダンは去年、150人ぐらいの労働者を集めてこの時代の記憶を保つためのアソシエーションを結成した。メンバーの中には今でも古いシボレー、ムスタング、キャディラックを運転している者もいる。

アメリカ人は帰ってくるのだろうか。「いや」と彼は言う。「文脈が同じじゃないね。冷戦がある訳ではない」。彼は少し考えて、付け加えた。「もし彼らがやって来るなら、歓迎するよ」。

追記

"Nationalism and Anti-Americanism in Japan-Manga Wars, Aso, Tamogami, and Progressive Alternatives"[Japan Focus]

書き手の水木しげる氏の記事には少しだけ感心したのですが、これは読んでいて溜息が出ました。基地も出ますし、反米主義の話ですので短くコメントしておきましょうか。まず「ネオナショナリスト」VS「プログレッシヴ」という架空の対立図式を設定し、前者を否定し、後者を称揚するというパターンの英語圏の一部の言説には飽きています。だいたい列挙される名前も恣意的ですし、各人それぞれに違いますし、どちらにも属さない人々が主流なのです。こうした英語圏の一部の言説における日本の言説空間の「誤表象」や「良き日本人」も存在するといった傲岸不遜な物言いは半可通ブロガーあたりにも感染していますね。なお私は戦後の左右の硬直的な思考枠組みの中では両者と絶妙に距離を置いた人や両者に叩かれた人しか信用しませんが、こうした微妙な問題意識は図式主義者には見えないようです。ところでこのところ田母神氏は英語圏の一部の人々の間ではすっかりアイドルになっているようでなによりです。こういう人々は「敵」なしではいられませんから過大評価し続けるのでしょう。最後に激しい人々を別にすれば、全体としては気分は「反米」というよりは「離米」ではないでしょうかね。それは悪いことではないと思います。

再追記

協調戦略を描けないヨーロッパ[JBpress]

FTのミュンヒャウ氏の記事の翻訳。IMFの金融安定性に関する報告を受けたものですが、内容は氏のこれまで語ってきたことの繰り返しです。不良債権額は米国よりも欧州の方が多く、また処理もちっとも進んでいない。銀行救済にせよ景気刺激にせよ協調戦略が欠如しているため、保護主義的になっている。今回の危機は欧州域内市場と単一通貨を強化するチャンスであるにもかかわらず、現実にはどうもそうはなりそうもない、と。最後に述べている全5幕の長編劇というのはどんな悲喜劇を想定しているのでしょうかね。あまり悲観シナリオばかり語るのもどうかと思われますが、氏の論説はどんどん陰鬱なトーンになってきていますね。

上で批判的に言及した記事ですが、英語圏における言説編成の中において書き手の意図を勝手に解釈すれば、その「好意的」なスタンスを指摘することもできるでしょうし、書き手の文脈化の意志には評価すべき点もあるのかもしれませんが(実際、平均的語り口よりはずっと丁寧です)、結局のところ、こういう言説スタイルだと不毛な対立を延命させることにしかならないように思えますし、正直に申し上げまして、今、文化戦争をやっている場合ではないと思うのですね。最後に、言うまでもなく、誰かを弁護するために書いているつもりはありません。

再々追記

追記でまとめて批判するような書き方をしましたが、図式主義者とか半可通ブロガー云々というところで念頭にあったのは別の人々です。この点不透明な書き方で失礼しました。この記事に絞って書きます。公正かつ細かく見ている方だとは思いますが、この記事で不満なのは、ネオナショナリスト対プログッレシブという一部でよく用いられるラベルによるまとめ方です。水木しげる氏はいわゆるプログレッシブではまったくないけれども、その戦争漫画には保守的大衆にも訴えかけるだけの力がある。こういう人々はいわゆる中道というのとは違う意味で分極化した状況の橋渡し役的な存在として貴重だと思うので私がつまらないと思うような人と一緒に囲い込んでほしくない訳です。また現実政治のヴィジョンについても日米同盟か東アジア共同体か、戦争か平和かといった二者択一の提示の仕方にはあまり感心しませんし(氏の議論ではなく日本の国内議論ですが)、「ネオナショナリスト」とされる人々の言説も「プログレッシブ」と同様にいわゆる「政府の現実主義」に対する「民間の理想主義」の位置にあることを確認しておきたいと思います。実際には三帝国の間で絶妙な位置取りをしていかなければならないのであってそうそう乱暴な舵取りはできないということは誰よりも日本国民の多くが直感的に知っているところなのではないでしょうかね。

英語圏のリベラル言説への不満やら現在の日本の論壇への幻滅やらでなんだか難癖をつけているような格好になりましたが(コメント欄で指摘されたように氏の問題というよりも現在の日本の言論の問題ですね)、記事そのものは優れていますので読んで損はないと思います。個人的には論旨に同意できない部分はありますが、リベラルな傾向の方にはお勧めしておきます。対話できる方だと思います。

再々々追記

「恣意的」と書きましたが、進歩派なら水木しげる氏にとっての戦争は受け止めるべきだという意味に理解するならば、このチョイスも正しいのかもしれないと思い直しました。小田実も現在の政治的正しさの観点から見れば過剰な人々に含まれるのでしょうし。実際、進歩派にも変わってほしいです。

[本日の一曲]

http://www.youtube.com/watch?v=qVX29N2E0z0&feature=related

カントループ『バイレロ』(オーヴェルニュの歌より)

マリ=ジョゼフ・カントループ(1879-1957)の『オーヴェルニュの歌』は作曲家の故郷の民謡の編曲集ですが、歌詞は南仏の言語のオック語です。リンク先で歌っているのはマドレーヌ・グレイ。初録音の人です。内容は羊飼いの素朴な歌です。

| | コメント (10) | トラックバック (5)

憧れの杜氏たち

まとまったことは書けそうもないので記事のクリップを続けます。

"Communist party surges as Japan's economy withers" by Eric Talmadge[WaPo]

APのタルマジ記者による日本共産党の近況報告。不況とともに、特に若年層の間で、人気がそれなりに集まりつつあること、志位氏がメディアで人気者であること、党勢は国政では弱体であるが地方では強いこと、全般に政界が保守化している中にあってチェック&バランスを果たす機能を果たしていることなどが書かれています。日本の政界をウォッチする上で特筆すべき存在なのかどうかは別にして、また資本論や蟹工船の漫画とかはネタとして微笑むだけにしておくとして、だいたいそんな感じなのでしょう。似たような趣旨のわりと好意的な記事としてはタイムのコレがあります。冷戦崩壊の影響をそれほど受けずに先進国では最大級の共産党が日本に残っているという現象はやはりなにか不思議に見えるのでしょうね。他の国ならば別のものが手当てしているような層がいて日本では「土着化した」共産党がその役割の一端を担っているということなんでしょう。党勢回復はあっても躍進とまではいかないのではないでしょうかね。

"The conservatives undaunted"[Observing Japan]

日本はミドル・パワー路線でいくべきであり、「保守」は危険であるというのがハリス氏の基本的なスタンスですが、安倍元首相のワシントンでのスピーチと中川氏の核の議論の必要性に関する発言をとりあげています。とりわけ中川氏の発言に関しては公論において感情的な反発ではなく理性的な批判が必要だとだいぶ懸念しているようです。心配せずとも、政治的ハードルが高すぎる独自核については「現状では」現実的でない選択であることはよく理解されている話だと思われます。ちなみにテレグラフがこの件で軽く煽っていました。えーと、憲法9条で禁止されている訳ではないんですよ。

引っかかるのはハリス氏の言う憲法改正と「保守」の関係です。氏の言説では憲法改正は「保守」のアジェンダとされているのですが、それは正確ではないでしょう。「保守」でない改憲論者というのもいる訳ですし、9条問題にオブセッションを抱いている人ばかりでもない。また憲法改正とミドル・パワーも別の話でしょう。憲法論と国家戦略論は別の問題であってミドル・パワーを標榜する改憲論の立場だってあり得る訳ですから。とはいえビッグとかミドルとかスモールと言っても結局、自己イメージをどう持つのかとか国外向けのブランド戦術の話でしかないようにも思えてきます。それが重要ではないとは思いませんが、漠たる話に感じられます。

"Integrity needed in journalism"[Japan Times]

"Shukan Shincho's responsibility"[Japan Times]

ジャパン・タイムズの社説二本ですが、それぞれ講談社と週刊新潮の問題を扱っています。精神科医がクライアントの個人情報を提供したとされる事件と朝日新聞襲撃に関する例の記事の話です。内容は日本語圏で報じられている通りですが、ここで述べていることを自ら実行することをジャパン・タイムズには求めます。なおこの件で擁護する気はさらさらないですが、週間新潮の話には微妙な感想を持ちます。必ずしも週刊誌の良い読者ではないですが、ろくでもない記事に塗れつつもそこにジャーナリズムの場所があるのもまた事実であってそこまで一緒に萎縮するようだと困るなという思いもするからです。ただ今の週刊誌の形式がなにかずれている感じはあります。遠くない将来に再編されるのでしょう。

"Manifesto of a Comic-Book Rebel"[NYT]

劇画の生みの親とされる辰巳ヨシヒロ氏の『劇画漂流』の英訳版の紹介記事ですが、漫画史に占める劇画の位置について基本的な説明がなされています。ふむふむと読んだのですが、最後で躓きました。村上春樹って・・・あるいはこの意外な連想になにかを読み取るべきなのかもしれません。話を戻すと、藤子不二夫の『まんが道』にも似た自伝ですが、戦後の風俗史としても面白いのでおすすめしておきます。ところでフランス語訳は知っていましたが、辰巳氏は各国語に訳されているのですね。社会派漫画みたいな受け止めなんでしょうか。漫画についてあまり偏ったイメージになるのも困りますから訳者に敬意を表しておきます。歴史的なパースペクティヴが得られるような地味な作業はひっそりと進行しているようです。

"Japanese whisky leaves traditionalists on the rocks"[Guardian]

中学生の頃には杜氏は憧れの職業でした。今も酒造りの人々には敬意を抱いています。ニッカの余市とサントリーの響が昨年のウィスキーのワールドコンテストで優勝し、英国進出を目指しているというマッカリーさんの記事です。竹鶴政孝とスコットランド人の妻リタによる日本におけるウィスキー史のはじまりにも記事の最後で簡単に触れています。竹鶴についてはこのサイトで概要がつかめます。かなりの情熱家のようですね。いい顔をしている。

"Although some Japanese people are the last to believe in the quality of their own products, their malt whiskies are as good as any in the world," said Chris Bunting, an expatriate Yorkshireman who blogs about the country's whisky at Nonjatta.

とバンティングさんも言っておられますが、ニッカのウヰスキーは美味いと思います。余市よいとこ一度は行くべし

2009年4月20日・4月21日[ムネオ日記]

先日の谷内氏の3.5島発言は不可解で理解し難いです。国内世論向けの観測気球のつもりなのかとも思ったのですが、先に手の内を明かすメリットがよく見えません。この問題で内閣と外務省は統一的に行動しているのでしょうかね。

バルチック艦隊司令長官の手紙 ロシアで発見[朝日]

もうひとつの日露戦争 新発見・バルチック艦隊提督の手紙から [著]コンスタンチン・サルキソフ[朝日]

コメント欄で教えていただいたのですが、サルキソフ氏が発見したロジェストウェンスキー中将の書簡と書籍についての一昨年前の記事です。この話見逃していました。司馬遼太郎の描いた提督像とは大きく違い、日本海海戦の敗北を冷徹に予測していた将であることが書簡からは分るといいます。「坂の上の雲」を読んだのはずいぶん前の話なのでそこで中将がどう描かれていたのか具体的な記憶に乏しいですが、愚将のイメージは確かに残っています。いつかこの本には目を通さないといけないですね。ネットソースでは子孫も加わった日露戦争百周年会議に参加された方の記した文章がありましたが、軍人さん同士の心の連帯が感じられます。日露戦争はいろいろな意味で本当にすごい戦争ですが、集合的な記憶からはだいぶ抜け落ちてしまってますね。90年代には1930年代にリアリティーを感じることが多かったのですが、今はこの時代のほうにリアリティーを感じることが多いのは不思議な話です。論壇もこっちのほうに目を向けるべきではないでしょうかね。激しくレベルは違いますが、この時代と同じことを言っているだけのような気もするんですよね。

[本日の一曲]

http://www.youtube.com/watch?v=M4O1di7fmW8&feature=related

沢田研二『時の過ぎ行くままに』(1975年昭和50年)

研二サイコ-。

| | コメント (6) | トラックバック (1)

美術とそうでないもの

"A Ukiyo-E Master in the Art of Subtle Protest"[NYT]

ロンドンの王立アカデミーの国芳展の記事。国芳の現代性については喧伝されるようになっていますが、なにも知らずに小学校高学年の頃に模写して遊んでました。ひどく訴えるものがあったような記憶がありますが、今は猫ものぐらいです。記事は浮世絵を「文化革命」と呼び、国芳の浮世絵の当時の政治社会の風刺的側面、それから開国前にいち早く西洋絵画に出会ってその手法を貪欲にとりこんだ点について強調しています。幕府のあいつぐ禁令とこれを逆手にとって庶民の喝采を浴びた反骨の人、鎖国下にあって海外の新奇なものへの好奇心に溢れていた人といったまとめ方のようです。前者の例として天保の改革を風刺したとされる『源頼光公館土蜘蛛妖怪図』(下)、後者の例として『縞揃女弁慶』が特筆されています。米国人コレクターの協力で開催された模様です。英国の展覧会評も読みましたが、戸惑いが表れていますね。絵画なのかカルトゥーンなのかどうカテゴライズしたらいいのか分らないと。内容の理解以前に、美術館に陳列された時点でこのメディアの性格が覆い隠されてしまうように思えますね。「鑑賞」するものではない。この記事が風刺画の説明をしています。これが時事錦絵、錦絵新聞、さらに小新聞へとつながっていくようです。英国の政治風刺版画から新聞への流れとどう同じでどう違うのでしょう。

10minamoto

「幕末・明治期の欧字新聞と外国人ジャーナリスト」鈴木雄雅

こちらはおまけに紹介しておきます。日本における英字新聞の歴史にちょっと興味があってぼちぼち調べているのですが、この記事は戦前の概略です。横浜におけるハンサードの『ヘラルド』、リッカービィの『タイムズ』、ブラックの『ガゼット』の競争が佐幕派対尊王派に対応した論調であったこと、ハウエルおよびブリンクリーの『メイル』とハウスの『トキオ・タイムス』が「親日新聞」として知られたこと、近代的経営を持ち込んだヤングの『クロニクル』とフライシャーの『アドヴァタイザー』がそれ以前の個人経営的な新聞にとって代わり、「軍国主義」への傾斜を強める日本への厳しい論調で知られたことなど基本的な事実がまとめられています。おわりにを引用すると、

 一般に日本における近代国家の成立とみなされる憲法発布(1889年=明治22)以降,社会的政治機能が,新聞界においても,一般化された欧字新聞の持つ機能--すなわち,外からの資本的侵入,内からは国家の代弁機関という要因のうち,後者を重要視したのは当然のことであろう。しかしながら,外人ジャーナリストの中には助成金を貰いつつも,そうしたことのみ目的に新聞を発行したとは考えられない者が少なくない。とりわけ,彼らがくり広げた紙上論争は,自国の利益追及にのみこだわったものではない時もあった。
 欧字新聞界ではその創生期から第二次大戦終了時まで,自由な論争が「反日」のレッテルを貼られる時代が続き,「親日」「反日」のどちらかを選ばなければならなかったのも時代の趨勢であった。欧字紙は戦後ようやく経営的に一本立ちするようになるが,今でもなお,一紙を除き親新聞の啓蒙宣伝紙といわれるぐらいだから,当時の経営面の脆弱性は推して知るべしだろう。
 顧みると,多くの批判があるにもかかわらず,幾人かの傑出した外国人ジャーナリストが評価されるのは,彼らと彼らが生みだした欧字紙が,日本の国際コミュニケーションの私的担い手としてそれなりの役割を果たしたからであり,さらにジャーナリズムのみならず日本社会の近代化に深く貢献したことに他ならないからである。

といった具合にまとめています。近代的新聞概念を日本にもたらしたこと、優れたジャーナリストを輩出した点について評価しています。国際コミュニケーションの担い手としての「それなりの役割」の「それなり」という書き手の留保になにを読み取るべきなのでしょうか。「親日」「反日」をめぐる話は今もたいして変わっていないような気がします。記事は日本側からの視点ですが、その鏡として「外人社会」における分裂抗争の歴史というものもあったりする訳ですね。「外人社会」の利害の主張や自国の主張の代弁の側面が強く出る面とあまり自己規制のない活発な議論が展開される面と二重の性格があるのは今も変わらないような気がします。別の言い方をすると、共同体主義的側面と普遍主義的側面の独特な結合といいますかね。まあ、私は正確で公正であれば「親日」でも「反日」でもなんでも構わないですし、どちらかというと、うならせるような鋭い分析や批判のほうを期待していますのでどうぞ宜しく。なお英字新聞史関連の話はそのうちもう少し書きたいと思います。現在はブログのほうが優れたものがありますね。

"Looking at history: the argument for facts over theory"[Japan Times]

厳格な実証主義史家として知られるジョージ秋田氏の著書の書評です。記事は伊藤隆氏の業績についても触れていますが、要するに日本の戦後の文脈ではマルクス主義史学と対立して厳密な史実に基づいて歴史を記述した流派のことです。理論的なものに距離を置く歴史学的実証主義というと古臭いもののように語られたりすることもある訳ですが、そんなことはなくてごく正統的な歴史学の方法です。素人目にはひどく禁欲的だなあ(小声で:退屈だなあ)ということになるのですが、面白ければいいじゃんというものではないのですから仕方ありません。それで秋田氏の著書ではジョン・ダウワー氏とハーバート・ビックス氏が槍玉にあげられているようです。ビックス氏については素人でもルール違反であることはすぐに見抜けるお粗末な本ですが、ピューリッツァー賞を受賞したこともあって英語圏の読書界では昭和天皇というと氏の本のイメージがわりと強かったりします。ですから英語でこうした仕事が現われると(もうすでに反論本は複数ありますが)コミュニケーションをする上でありがたかったりします。以下は評者の言ですが、

I think Bix is wrong if his premises include, as Akita says they do, that Hirohito possessed immense powers and, because of his kami ("someone above") status, assumed his commands or demands would be obeyed. The suggestion is that he should have been on top of the list of Japanese war criminals.

The accolades heaped upon Bix's book, including a Pulitzer Prize, remind me: Americans continue to grab at the slightest hint that Hirohito, who was equated with Hitler and Mussolini during the war, wielded powers comparable to the two dictators'. This is the impression I've had ever since David Bergamini's "Japan's Imperial Conspiracy" (William Morrow, 1971) appeared.

Yes, Bix once dismissed the Bergamini book as "imaginatively constructed." But we can do the same with Bix's own book, Akita shows.

Bix believes in the efficacy of the "voiceless order technique," among other things, as he liberally puts his imaginings and assumptions into others' heads where evidence does not exist.

都合のいい事実を集めて都合の悪い事実はないことにして史料がないところは想像で埋め合わせる、これは、結局、結論ありきの議論でしかない、そしてその結論は政治的な欲望にダイレクトに導かれているので反論に対しては論理や事実ではなくレッテル貼りでしか応答できなくなると。別に実証主義にあらずば歴史にあらずとは思いませんが、論争がもつれたときに立ち返る立場として尊重すべきだと思います。なお機関説論者から見ると「天皇の責任」論という問題設定そのものがなにかずれたものに思えるのですが、内外の親政説論者は我が邦の国体の神秘なるものを強化したくて仕方がないのでしょうかね。まあ、がんばってください、千代に八千代に。

"Japanese underworld boss quits crime to turn Buddhist"[Guardian]

悪名高かった後藤組の元組長さんが坊さんになろうとしているという心温まる話です。そう言えば、元ヤクザの神父さんの話もガーディアンで読んだような気がします。マッカリーさんは本当にヤクザが好きですね。2001年に手術のために渡米した際に入国と引き換えにFBIに提供したとされる情報ですが、ヤクザ・ファンジンにある程度の話だということです。日本のヤクザって本当に情報公開が進んでいますよね。ついでにこの病院に大きな寄付をして

The grateful don, who was suffering from liver disease, later donated $100,000 (£68,000) to the hospital, his generosity commemorated in a plaque that reads: "In grateful recognition of the Goto Research Fund established through the generosity of Mr Tadamasa Goto."

と記念されているそうです。前から疑問なんですが、日本の大物右翼とかヤクザの組長ってどうして海外に名前を残したがるのでしょうかね。ひとつの様式になっているような気がします。よく知らないのですが、このあたり魑魅魍魎の跋扈するディープな戦後史があるのでしょうね。

"Letter:The Disputed Islands"[NYT]

竹島について韓国系米人がクリーニング屋のバッグでアピールしているという記事を読んで、そのエネルギーを別の方向に使ったらどうでしょう、と溜息をついた訳ですが、それに対して韓国人も日本人も騒ぐのを止めて島の周囲の環境を保持しようとかいうあるフランス人のレターがついていました。お前さんは誰なんだ、環境とかいうとリベラルっぽいとでも思っているのか、底の浅いやつめ、と思った訳ですが、それに続いて日本情報センターの杉本氏が元記事に対してこの問題は「植民地主義の遺産」ではない、歴史的にも法的にも日本領である、国際司法裁判所に出てきたらどうだ、とマジレスしていました。『消耗』という文字が大書された掛け軸が脳裏に浮かびますが、こうやって地味に反論をしておくのはとても大切なことだと思います。政府間で今がちゃがちゃやる問題ではないと思いますけれども。

もはや国内では教科書検定の話はたいして騒がれなくなった感がありますが、英語圏でもずいぶん静かになりましたね。日中韓発のソースを除けばAFP記事とテレグラフ記事ぐらいでした。AFP記事は反対派の主張を掲載し、最後に採択率がわずかである事実を伝えています。テレグラフ記事は韓国政府側の言い分-読んでないでしょ-を伝えていますが、タイトルやリード文や本文の修辞に強い主張が入っています。なぜインディペンデントでもBBCでもなくテレグラフなんでしょう。

それはともかくこうして政治の主戦場が象徴的なものから実質的なものに移りつつあるように見える傾向そのものはいいことなのでしょう。この話に関しては、作成から検定を通じて出版にいたるプロセスで手続きが適切に守られるべきだという原則論以外にあまり語るべき言葉はありません。歴史の係争点はプロないしセミプロが公的に議論をすればいい。だいたい人は教科書の外で真に歴史的なものに触れるものです。

ではでは。

追記

佐藤氏のジョージ秋田氏の書評に不満の声が挙がっているようです。読んでもいないのに批判するなと。そりゃそうですね。佐藤さん、がんばって。でも、ビックス氏の本はレベルが低いので依拠していると頭が悪く見えますよ。これはイデオロギーの話ではなく史学的な話です。まあ、あなた方が関心あるのは政治であって歴史じゃないんでしょうけれどもね。

[本日の一曲]

http://www.youtube.com/watch?v=bSs5DVHkjqE&feature=related

江利チエミ『踊り明かそう』(1963年昭和38年)

告白しますと私はかなりのチエミ・ファンでしてこれを見ると涙が出そうになります。マイ・フェア・レディと言えばチエミ。他は知らない。

| | コメント (8) | トラックバック (4)

下からの発展主義者

すっかり春めいていますが、昨日今日読んだ記事を紹介しておきます。

"It's Not Just the Economy, Stupid: Asia's Strategic Dangers from the Financial Crisis" by Michael J. Green and Steven P. Schrage[CSIS]

CSISに掲載されていたグリーン氏とシュレージ氏の記事。タイトルはクリントン大統領の"It's just the economy, stupid"のもじりで、今回の金融危機が単なる経済の問題ではなく、戦略的危険を東アジアに及ぼし得る点について警告する内容です。といっても警世家のごとく喚いている訳ではなく、多くの人が危惧している事柄についてのごく慎重な考察です。今のところ東アジアの戦略的構図には変化が見られない。中国が米国に代わってヘゲモニーを握った訳でもなく、今回の金融危機の救済を主導する余裕もなく国内問題に忙殺されている。米国の財政赤字をファイナンスしているのだから米国は中国に膝を屈することになるだろうという予言もあたらない。中国の指導者は世界新秩序を構想している訳ではなく現状維持に汲々としている。中国に関する戦略的危険は米国の影響力の低下にあるのではなく、大恐慌の後の日本のような戦略的シフトが起こることだ。中国の社会的安定のためには8%の経済成長が必要だと言われるが、2009年の成長は5%程度だと予測されている。既に工場閉鎖にともなう抗議運動は生じているが、全国的なレベルでの騒擾は起こりそうにないという。しかし危機は始まったばかりであり、誰にも今後は予測できない。

北朝鮮、ミャンマー、イランが金融危機を受けて挑戦的になっている点に注意すべきだ。中国が国内不安へのインパクトを危惧し、日韓の指導者が議会で責められている間に、北朝鮮は核保有国としての地位の要求の声を強めている。ミャンマーの軍事政権はこの機会を捉えて数百人の反体制派を逮捕した。イランは中露とP3の齟齬を利用しつつ核開発を続けている。他方、経済情勢の悪化が燃料費の下落や経済援助の必要性ゆえにこうした危険な国々を軟化させる可能性はあるが、それは指導者が国民の福利厚生にどれほど関心があるのか、どれほど経済に関連して国内の圧力がかかるのかによる。現状ではどちらに転ぶのか十分なエヴィデンスがない。

経済危機は東アジアの民主主義国に打撃を与えている。日本では麻生首相の支持率は1割代であり、韓国の李大統領、台湾の馬総統の支持率も芳しくない(台湾経済の打撃は貿易の利を説いて中国との融和を主張する馬総統の説得力を奪っている)。タイの連立政権の未来は不確実だ。東アジアの新旧民主主義諸国は米中関係をアンカーし、「自由を推進する勢力均衡」と前ライス国務長官が呼んだものを維持するのに役立っている。ここ20年の民主主義の拡大に逆風が吹くようなことがあれば、グローバルな勢力均衡に影響を与えるばかりでなく破綻国家を増大させることにつながるだろうし、米国が中国に訴えているリベラルな規範のデモンストレーション効果を損なうことになるだろう。

1932年のSmoot Hawley関税のような保護主義的措置によって金融市場の崩壊は突如として自給的な貿易圏のゼロサムゲームに転じ、これが戦争の主因となった。今日では金融、サーヴィスのグローバル化、製造業ネットワーク、WTOなどのおかげでこうした急変はありそうもない。しかし、既に世界中で特定産業の保護がなされていて、これは競合する外国企業からは不公正な貿易措置に見えるし、これが"Smoot Hawley2.0"刺激効果といったものを生むかもしれない。政権によって「バイ・アメリカン条項」はどうにか抑えられたが、他の国々を誘惑する先例をつくってしまった。気候変動関連立法もまた保護主義の偽装の罠となり得る。平価切下げ競争もまた保護主義と摩擦を強化するだろう。既に世界貿易は縮小し、WTOの貿易自由化は停滞し、オバマ政権は韓国、コロンビアとの自由貿易協定に慎重な姿勢を見せている。保護主義の動きは1930年代式の自給ブロックの形成につながらないとしても、各国が脅威に対して協力するのを妨げたり、経済の回復を遅延させることになるだろう。

幸いなことに我々は過去の失敗から学べる。保護主義と戦うことの重要性を我々は知っているし、我々の同盟国はこうした努力を主導することができる。WTOやKORUS FTAを通じた攻撃的貿易自由化が保護主義の防衛に最もふさわしいことを我々は知っている。パキスタンのような脆弱な国家に経済支援することの重要性も我々は知っている。1920年代、30年代のように軍事費をカットしたり、抑止と強力な同盟関係を脆弱な外交的調整に代替することの愚を我々は知っている。経済成長を再び活性化するグローバルな戦略の必要性も安全保障との関連性についても我々は知っている。

といった具合に大恐慌後の歴史と重ね合わせて自由貿易体制と同盟関係の維持を訴えています。最後のパラグラフには「心配するな、でも、賢くなれ」という表題がついていますが、人はそれほど賢くなれますかね。日本の例が取り上げられている部分がやはり関心を惹きますかね。

Japan was arguably not a revisionist power before 1932 and sought instead to converge with the global economy through open trade and adoption of  the Gold standard. The worldwide depression and protectionism of the 1930's devastated the newly exposed Japanese economy and contributed directly to militaristic and autarkic policies in Asia as the Japanese people reacted against what counted for globalization at the time.

中国がこうならないように気をつけなくてはならないという文脈にある訳ですが、何年か前から同じ文脈で同じような記述を見るようにな気がします。「日本特有の道」論から横滑り論へといった感じでしょうか。正直、曲がりなりにも議会制民主主義のあった国と現在の中国を同一視できると思えないですが、逆に言えば、現体制の下では中国が冒険主義に走る可能性はあまり高くはなさそうだというアイロニカルな認識が得られるのかもしれません。それからヴェルサイユ・ワシントン体制の短い言及の部分は、米国で今後地域的なウィルソン主義的志向が高まるリスクへの牽制に見えます。勢力均衡と集団安全保障と同盟をめぐる問題群は日本にとって死活的に重要な話なはずなのですが、どうも日本側がどうしたいのかさっぱり意志が見えないのは米国から見てじれったい話でしょうね。一日本国民から見てもそうですから。ところでrevisionistやrevisionismにはこういう用法もあるのですね。現存する世界秩序に対する修正要求という意味合いなんでしょうか。

"Takahashi Korekiyo's Economic Policies in the Great Depression and Their Meiji Roots" by Richard J Smethurst[pdf]

英語圏の高橋是清のスタンダードな伝記を書かれたスメサースト氏の99年のシンポジウムでのペーパー。高橋是清の経済政策の由来を明治の思想潮流に探ることを目的にしています。確かに流暢な英語を話し、同時代の英語圏の政治経済の潮流に通じてはいたが、高橋は大学の経済学者ではなく多様な職歴を持つ人物であり、彼の思考はその経歴を通じて探求しないといけないとしています。

まず、高橋の5原則を確認しています。(1)政府は不況の際には経済を刺激するために財政金融政策を用いることができる。(2)政府は景気過熱の際には経済を冷まし、インフレ退治をするために財政金融政策を用いることができる。(3)市場の情報は経済成長の鍵である。(4)経済発展は単に国家を豊かにしたり、強くするためのものであるばかりでなく国民の生活水準の向上をもたらすものであるべきだ。(5)過剰な軍事支出は国民経済の健全性を損なう。

それで第二次世界大戦後にはごく普通になったこうした考え方を世界に先駆けてなぜ彼が持つことになったのかということになります。高橋はひとつのポストにとどまることなく、ポストの移動を重ねて政治、経済、金融の幅広い知識を身に付けたとされますが、論者は原則(3)(4)(5)については農商務省の先輩にあたる前田正名の影響を重視しています。薩摩藩士の前田は江戸末期に蘭学や儒学の教育を受け、明治維新とともにフランスに留学し、ティスランの下で政府による殖産興業の考えを学び、農業と在来産業の発展を政府の政策の中心と考え、『興業意見』を提出したこと、野に下った後にも地方の産業振興の運動を起こしたことで有名な人です。国家支援による経済発展を強調する前田の考えは高橋のマクロ経済政策的な発想に影響を与えたとされます。また高橋も前田も熱烈なナショナリストであるが、政府への軍の影響力の増大を恐れ、軍事支出の増大に反対した点でも、政策形成の前に現状の基礎的な調査をするという「根本」を強調した点でも、経済成長の利益は全国民が享受すべきであると考えた点でも、政府の役割を強調する一方で東京の官僚ではなく地方の役人や生産者のほうが多くの情報を知っていると信じた点で共通しているといいます。

1880年代に地域の実情、すなわち「根本」を調査し、『興業意見』を作成していた頃に両者は出会うのですが、この意見書は農業と在来産業の振興を通じた経済発展を目指している点で、重工業や軍事力偏重の政府方針と対立する要素を持っていたとされます。前田は平均的な国民の生活水準の向上なくして経済成長なしとの信念、強兵よりも富国の主義であり、農村経済に悪影響を与えるとして松方蔵相のデフレ政策を批判したといいます。論者は前田を財閥偏重の政府政策を批判した「下からの」発展主義者としています。これは前田の提唱した地方の意志決定を重視した産業銀行案に現れているとされます。松方および大蔵省の中央集権主義対前田、高橋および農商務省の地方分権主義という構図です。前田は政策論争に敗れるのですが、この地方の意志決定を重視するスタンスは高橋に影響を残したといいます。

以下、高橋の軍事予算をめぐる衝突や教育、公共事業等の分権化の訴えなどに前田の教えを見ていますが、特筆しているのは30年代の農村救済案への反対と自助の訴えです。論者はこの点に関しての従来の歴史家の解釈に異を唱えていますが、このペーパーの眼目はこの論点にあるのでしょう。金融資本階級の代表たる高橋には農民への共感などなかったとか老年の高橋はもはや大蔵省タカ派のロボットに過ぎなかったとかいった説明がなされてきたが、前者に関して高橋は常に地方の振興を訴えていたし、後者についても戦後になってからの戦争責任回避のための官僚の言い訳に過ぎないとしています。また財政赤字削減のための措置であり、軍事費縮小は政治的に困難だったたけに農村救済をカットしたのだという説明にはより説得力があるが、高橋は常に勇敢に軍と対立しているし、既に死ぬ覚悟は出来ていたとして退けています。それで著者の説明は地方の実情を知らない中央官僚主導の農村救済案は成功しないという彼の信念によるものだというものです。地方ごとに実情が違うのだが、その状況は十分に調査されていないので全国一律の救済案には効果がないという発言を取り上げていますが、この信念は前田の教えであるといいます。35年以降には分権的な意思決定と草の根の情報への注意による農村経済発展を訴えていると。また貧農ではなく自営農や小地主を支援したことでも批判されているが、これも的外れだとしています。村を支配する大地主階級ではなく農村中間階級が経済発展の鍵であると1880年代に前田は見抜いたが、1930年代には既にこの階級が村の政治経済リーダーに成長していたのだからこの層を支援したのは高橋が村の現実を知っていた証拠であるとしています。

以上のように農商務省時代に高橋は前田真名の経済思想から多くを学んだというのがこのペーパーの趣旨です。素人の私にはとても説得的な議論に感じられましたが、私の知らないいろいろな文脈があるのかもしれません。フランス留学組の見聞録のたぐいは以前まとめて読んだことがあって前田のことは知っていましたが(普仏戦争とパリ・コミューンを目撃した日本人です)、フランスの重商主義の伝統を引き継いだ殖産興業の人ぐらいの理解でしたのでなかなか勉強になりました。政府の役割の強調と下からの経済発展の理念が独特に結合している訳ですね。これが高橋是清につながるというのもなにか数奇なものを感じます。日本のワインの父みたいな人でもあるのですね。飲んべいの私としては前田ゆかりのワインというのも気になります。ちなみにスメサースト教授が朝日に寄稿しています。是清についてはアメリカのマクロ経済学者のみなさんにももっと知ってほしいところですね。ではでは。

追記

財務省→大蔵省に直しました。

[本日の一曲]

http://www.youtube.com/watch?v=4VnURW4tNIk

江利チエミ『木遣りくずし』

幕末の有名な俗曲のカバーですが、とても耳心地のいい粋な歌いっぷりです。

| | コメント (4) | トラックバック (1)

台湾の神様

"The Costs and Benefits of Japan's Nuclearization: An insight into the 1968/70 Internal Report" by Yuri Kase[pdf]

佐藤政権で日本の核武装の可能性が政府からの依頼で有識者によって検討された話は有名ですが、その際に提出された「68/70年リポート」について分析した論文。2001年に刊行された論文なので射程に入っているのは90年代までの議論です。先日亡くなられた永野陽之助氏もメンバーだった民間人からなる委員会では検討の結果、技術的には可能だが、政治的にはコストのほうが大きいという結論が出された訳ですが、このリポートを戦後の安全保障思潮や中国の核武装にともなう安全保障環境の変化といった同時代の文脈の中に位置づけています。個人的にはそれほど目新しい記述はないかなという感想でしたが、議論は明晰で英文で書かれた意味は十分にあると思います。関心を引いたのは佐藤政権の非核三原則とこのリポートの関係の部分ですかね。国会での首相発言を引用すると、

If the other fellow has nuclear weapons, it is only common sense to have them oneself. The Japanese public is not ready for this, but would have to be educated... Nuclear weapons are less costly than is generally assumed, and the Japanese scientific and industrial level is fully up to producing them.

というように親核武装的スタンスだった点が指摘されています。また有名な核政策の4つの柱にしても、自民党のリポートでは、優先順位として(1)核の平和的利用(2)核軍縮(3)米国の核の傘への依存の順番で、最後に「日本の国防が前記の三政策によって保証されている環境の下では」という条件つきで非核三原則が記述されている、従って核武装の可能性についての委員会が準備されたのもなんら不思議はないとしています。考えてみると核政策については歴代政権はかなり慎重かつ着実に事を進めたもんだなと感心させられます。政治的にはけっこう高いハードルだった訳でしょうしね。また個々の政策担当者の努力といった話だけでなくそこになにか集合的な意志のようなもの-分かりやすいところでは『鉄腕アトム』とか『ゴジラ』といった大衆的想像力の系譜が思い浮かびますが-を感じずにはいられません。ちなみに一部で話題になっている朝日社説には心底萎えてしまったことをここに記しておきます。私には同新聞の論調を揶揄する趣味はないのですが、想像力と認識が冷戦時代のままで根本的にずれていると思いますね。

"Formosa's First Nations and the Japanese: from colonial rule to postcolonial resistance" by Scott Simon[Japan Focus]

台湾の太魯閣(Taroko)族の集団的、個人的アイデンティティーにとって日本統治時代の記憶が意味するところを扱った論考。ジャパン・フォーカスにもたまには読める記事がある訳ですが、この論考はよく調査され、よく書かれています。当地の政治的アイデンティティーに関して「本省人」「外省人」の分割線が決定的に重要であること、またその政治志向に相即的に日本統治時代の評価が分裂していることは誰もが知るところですが、ここでは「原住民」の例として太魯閣族の場合が検討されています。太魯閣の人々は現在でも日本語混じりの言語を使用しているが、それは日本語が近代的概念の運び手であったからである。日本統治時代の記憶は「本省人」のそれとも「外省人」とのそれとも違う。近代的なものをもたらした日本という肯定的イメージがある一方で、部族の風習(入れ墨にかかわる苦い記憶)を喪失した痛み、抑圧に対して果敢に蜂起した相手としての否定的イメージもある。しかし、全体としては「古きよき時代」として統治時代は喚起されることが多く、日本の悪口は言わない。靖国神社への抗議に出かけた「原住民」を代表するとする議員には冷淡である。日本への勇敢な蜂起の記憶は現在の台湾社会内部の地位向上をめざした社会運動の基盤となっている云々。といった具合に日本統治時代は太魯閣族の生活様式を後戻り不能な形で根底的に変えた、イデオロギー的な歴史からは零れ落ちる記憶の層があり、その記憶は現在でも太魯閣の人々の集団的あるいは個人的な生にとって決定的な意味を持っているといった話です。善悪二元論的な認識から離れて歴史の複雑性をその幅と厚みのままに記述しようとする姿勢-原理的にそんなことが可能かといった問題は別にして、意志と企ての問題として-を評価したいと思いました。以前テレビで女性タレントさんが村を訪れるといった趣向の番組を見た記憶があるのですが、その時は日本式の教育を受けた高齢の方々が日本語を話すのだと思った訳ですが、どうもそうではないようですね。若い人の間でも「ありがとう」とか「何歳だ」とか「何時だ」とかいった表現が使われ、教会用語や計算や時間表現で日本語が日常的に使用されるそうです。対応する語彙がなかったということのようです。しかし、クリスチャンがkamisamaって言うんですねえ。

"The Inadvertence of Benedict Anderson: Engaging Imagined Communities" by Radhika Desai[Japan Focus]

こちらはベネディクト・アンダーソンの『想像の共同体』の新版発行に寄せた批判記事。個々の論点については既に多くの批判があるが、目的と議論とロジックの間の齟齬が問題だと言います。まずあれほどナショナリズムの重要性を語っていたアンダーソンが1990年代以降はグローバリゼーションが国民国家やナショナリズムを弱体化するといったたぐいの平板な現状認識にいつのまにか変化したのにこの点について新版での説明がないのはおかしいとしています。その通りです。

以下、批判になりますが、おおまかに言うと(1)本書の執筆動機、(2)先行理論との関係、(3)政治効果をそれぞれ対象にしています。(1)については中印紛争の際に左翼シンパだった著者がこれを従来のマルクス主義系の理論では説明できないと感じたことがこの本が書かれた目的であるとされるが、なぜ欧州の紛争は説明できてアジアの紛争は説明できないと思ったのかが問われるし、従来の緻密な議論を無視している。(2)偶像破壊者を気取ってマルクス主義とリベラリズムの破綻を宣告しているが、これは無根拠だったし、「文化」の位相に注目することで理論的隘路を乗り越えたというのも怪しい。ナショナリズムは「文化的」であるよりも「政治経済的」なものだからだ。批判的に継承したとするTom Nairnの理解も浅薄だ。下層階級の政治参加とナショナリズムの結びつきについての興味深い議論への著者の批判も弱い。Nairnの唯物論議論においてナショナリズムの根拠は18世紀以来の政治経済的発展の不均等性そのものにある-社会内部の不均等発展が階級の、地域的不均等発展がネーションの根拠-のであってナショナリズムが「文化的構築物」であるなどといった話は木を見て森を見ずの議論に過ぎない。またナショナリズム研究の「脱欧州化」のアジェンダについても著者が行ったのは最悪の形でのアメリカ化である。西洋のモデルに他の世界が従うといった話は第三世界のナショナリストの経験を軽視するものであり、モジュール、剽窃、模倣といった概念がこのために動員されているのだ。以下、アンダーソンの有名な概念が個々に批判されていますが、ここは省略します。

(3)政治効果については新自由主義が第三世界の独立の成果を根扱ぎにしようとしている最中にナショナリズムを脱政治化する結果となった。『想像の共同体』は偽りの破産宣告によって豊かな理論伝統を無にした。一番皮肉なのは、国民的階級的ラインによる進歩的政治が新自由主義に対抗すべきまさにその歴史的瞬間に第三世界のナショナリズムを西洋の構築物とすることで脱正統化し、これまでにないほどユーロセントリックなものにしたことだ。『想像の共同体』の人気の一部は新自由主義、グローバル化、帝国の産物であり、こうしたものは市場と資本主義の悪に対抗する国民的社会的試みと対立するのだ。最後に時事的なメッセージで締めくくっています。

As these come crashing down in the world-wide economic crisis which marks the end of the century’s first decade, as it becomes clear just how national the responses to the crisis have been despite decades of neoliberal and postmodern and postcolonial anti-state discourses, one hopes that those interested in nationalisms and nation-states will turn to the traditions of scholarship which have better illuminated the dynamics of nationalist and revolutionary change than has IC.

といった具合に用語からも分かるように筋金系左翼による軟弱系文化左翼批判といったおもむきの論考です。(1)(2)の理論的、実証的な論点の部分に関して言えば、私も、正直、『想像の共同体』のどこが凄いのかよく分からない-京都学派の「世界史の哲学」や戦後史学の「民族の世界史」のほうがある意味凄いような気がします-ですし、参考文献に挙げているのを見ると、ああ、またか、とげんなりすることがあります。しかしこの論文の書かれた動機はむろん(3)の政治的批判にある訳でしょう。リベラル左翼による国民国家批判、ナショナリズム批判はグローバル化なる美名の下での帝国の支配のお飾りに過ぎない、世界資本主義の暴政に対しては進歩的、革命的ナショナリズムで対抗せよ!ということのようです。しかし、まあ、文化左翼のみなさんは無害だからいいとして今後は筋金系左翼のみなさんを本気で相手にしなくてはいけない時代になるのですかねえ。だいぶ声が大きくなっている印象を受けます。ふう。歴史が反復しないことを祈ります。

"Japan’s Leadership Deficit" by Tobias Harris[Far Eastern Economic Review]

日本の政治家は駄目だという定評があるが、その原因を考えてみるというエッセー。原因論はいろいろあるがひとつは世襲に帰責する議論だ。しかし世襲議員がそうでない議員よりも悪いのかどうかはそれほど明らかではない。指導力を発揮した小泉は世襲議員であるし、戦後もっとも不人気だった森は非世襲議員である。指導力不足に関するAurelia George Mulganの議論によれば日本が強いリーダーを欠いているのは文化でもパーソナリティーでもなく制度デザインによるものだという。日本の首相と内閣の力は他の議会制の国と違って官僚や政府外の与党議員などのライヴァルとたたかう必要があるために制限されているのだと。

こうした制約に加えて一般的な制約もある。政治的コミュニケーションの技術を身に付けた首相候補の少なさだ。この点で小泉は例外で多くの年長の政治家には現代のメディア環境でコミュニケートする技術がない。再選されるかどうかはコミュニケーション技術を通じて選挙民を動員したり、公衆にメッセージを送ったりするよりも選挙運動をファイナンスする資金を集める能力にかかっているからだ。若い政治家は違うが、首相候補にはまだ遠い。近代史を通じて日本の政治家はその密室政治や与党内部、官僚、野党との調整能力で名高い。欧米の政治家とは似ていないように見えるが、少なくとも戦後の数人の首相は有能な指導者であった。

現在、あまりに多くの危機に直面して麻痺している状態であり、仮に民主党政権ができたとしても同じようになるのではないかと懐疑的になるのは当然だ。しかし民主党政権が変えることができるのは制度的制約だ。民主党は自民党の失敗を観察し、内閣とサブ内閣ポストを増員する案を練ってきた。この案は省庁に対する内閣のコントロールを強化し、民主党内部の潜在的ライヴァル関係を政府に持ち込むだろう。民主党はこうしたプログラムの実施に失敗するかもしれない。日本の問題は退廃した政治家にあるのではなく機能不全の制度にある。民主主義においては政治家の不足というものはないが、いい制度というものを手に入れるのはもっと困難なのだ。

以上、日本の政治家に指導力がないのは個々の政治家の問題ではなく制度の問題であるという考えです。ここでいう制度は慣習も含んだ広い意味合いでしょう。基本的にはその通りだろうと思います。コンセンサス政治の伝統に加えて自民党の尋常でない長期政権が現在の疲弊をもたらしている点についてはわざわざ想起するまでもないでしょう。党組織の現代化を怠ったことも政党政治の停滞の原因として批判されるべきでしょう。ただ最後の民主党の部分ですが、反官僚を掲げて真正面から敵対しようとしている(ように見える)点についてはどうなんだろうなと前から思っています。それが上手いやり方なのか、もっと賢いやり方があるのではないかと。政権交代が定期的に起こるようになればそれだけで政官関係はずいぶん変わると思うのですけれどもね。あるいは小沢氏は熾烈な闘争をするつもりになっているのかもしれませんが、内外の情勢がそれを許すのかどうか不安になりますね。まあどうなるんだかもはやよく分かりませんけれども。

[本日の一曲]

http://www.youtube.com/watch?v=Pbu9tpq699g

水原弘『黒い花びら』(1959年昭和34年)

昨今の昭和30年代懐古にはいささかうんざりさせられますが、おミズの歌は少しずれていて当時の世相に収まらないものあるように思います。

追記

微修正しました(2009/3/24)

ところで大先生がまたジャパン・タイムズ上で警察・司法陰謀論を展開しています。空さんが反論されていますが(ありがとうございます)、ジョンソン教授のリファーの部分には思わず笑いました。こういう自爆の仕方が先生の先生たる所以です。しかし、こんないい加減な記事を掲載する新聞ってなんなんでしょう。この新聞にはファクチュアル・チェックという概念は存在しないのでしょうかね。これだから学級新聞レベルだと嘲笑されるんです。論調についてはお好きにどうぞですが、最低限、事実だけは正確にしてください。

再追記

空さんのリンクを間違えていましたので修正しました(2009/3/26)

| | コメント (3) | トラックバック (2)

ディア・リーダーをめぐるあれこれ

拓殖大学大学院教授・森本敏 北朝鮮ミサイルの迎撃決断を[産経]

第1に、わが国の政治決断を急ぐべきである。ミサイル防衛は自衛隊法第82条の2項に基づき、防衛大臣が内閣総理大臣の承認を得て、指揮官に対処権限を委任する仕組みになっている。総理の承認がなければミサイル防衛は機能しない。この対処要領は、航空総隊司令官がイージス艦艦長やパトリオット部隊指揮官に下令し、飛翔するミサイルをわずか数分のうちに撃墜するものである。

その手順は防衛省内で決められているが、これを有効にするためには空域をクリアにする必要もあるし、パトリオットミサイルの運用に必要な電波管制も必要となる。まだ総理の政治決断は下っていないが、時機を逸したのでは取り返しがつかない。

第2に、日米間の運用上の調整を急ぐことである。米国はイージス艦を日本周辺に5、6隻配備し、海自も2隻の配備が可能だ。緊迫すれば、このうち最低2隻を日本海に展開させる必要がある。しかし、日米では指揮権が異なるため、司令部・部隊間の調整が不可欠になる。ミサイル防衛は日米が共通の対応をしなければ効果はない。日本だけが対応しなければ、その必要性が問題になり、米国だけが対応しなかったら日米同盟の信頼性という問題になる。

森本氏の論説でだいたい技術的な問題の輪郭が掴めます。だいたいこの通りの対応がなされるのでしょう、きっと。中国の圧力とやらがどの程度効くものなのか観察したり、粛々と国内的な問題を処理したり、日米間の調整をしたりする機会として活用すればいいという話なんでしょう。これ、集団的自衛権の問題は浮上しないで済みそうなんですかね。

"What Hillary Should Tell Japan" by Doi Ayako[CSIS][pdf]

ジャーナリストのDoi Ayako氏の拉致関連の記事。ヒラリー国務大臣は東京訪問の際に変な期待を与えずに日本の世論の拉致問題への執着に警告を発するべきだったという趣旨です。米国側の同情的発言が日本側に依存感情を生んできたが、ブッシュ政権後期の方針転換によって日本側には裏切られたという感情が広まっている。メディアはこの問題を扇情的にとりあげるばかりで冷静な分析がない。加藤紘一氏や山崎拓氏や田中均氏のように日本にも北朝鮮との対話をすべきだと考える者もいるが、「裏切り者」扱いされている。世論を正気に立ち返らせ、なにが国益なのかを思考させるには根拠のない期待の源を断つことにある。それゆえヒラリー国務大臣は誤りを犯したと。

あまり口汚くないという点を除けば、だいたい英語圏のリベラル系のオブザーバーと同じような意見ですね。まあ、これもひとつの意見でしょう。いささか表層的な現象に拘泥し過ぎではないのかといった疑問やそもそも非核化のプロセスに関与する気がないのは誰なんですかという話もありますがね。私の意見と大きく違いそうなのは米国への不信に関してはさほど問題だと思っていないところですかね。裏切られた感情というのは確かに一方的なものだと思いますが、妙な依存心から脱却して健全な懐疑を含んだ信頼の水準に落ち着く上で重要なプロセスだとも思うのですね。最後に細かいですが、この記事で気に入らないのはテレビ局のプロデューサーの発言の使い方です。これはオバマ就任の際のワシントン・ポストの同記者の記事に感じましたが、この種の手法の濫用はジャーナリズムとして反則だと思います。少なくとも私は嫌いです。ついでにこの就任時の記事の「世界で日本だけ」で世論が歓迎的でないって端的に嘘でしょ。

"Japanese Perceptions of Nuclear "Twin Commitments" Under the Obama Administration" by Jimbo Ken[CSIS][pdf]

オバマ政権の核廃絶と核抑止の維持の「二重のコミットメント」を日本側がどう見ているかについてのJimbo Ken氏の記事。"four horsemen"の提案を受けてNPT体制を維持し、核廃絶を目指す一方で現状の核抑止体制を維持するというドクトリンに対して日本には二通りの反応が見られる。これは核廃絶を望みつつも信頼できる拡大抑止を求めるという日本の核に関するアイデンティティーを示している。軍縮派は核廃絶に関する国連総会決議に米国がサインしたことを歓迎し、米国の核軍縮のプランを支持し、さらにロシアと中国との連携的な核軍縮を求め、これが北朝鮮を含む地域的な非核化に貢献することを望む。一方、軍事戦略専門家は警戒的である。米国の大規模な核軍縮がアジアにおける抑止を弱体化させ、対北朝鮮への交渉力を弱めることを危惧している。また米中間の相互確証破壊に近づくような両国の核のパリティーが実現すること、中国の核が最小限の抑止から限定的な抑止へ発展すること、MRBMのような戦域抑止に傾斜することを望まない。

米国に対して以下のような応答がなされるべきだ。日本は拡大抑止を毀損しない範囲での核軍縮の試みを歓迎する。日本はドクトリンおよび戦力の両面において米国から明瞭な核のコミットメントを要求する。米国がより明瞭な原則、目的、通常戦力の配置を示すことで拡大抑止はより有効になる。東アジアへの通常戦力のプレザンスは維持されなくてはならない。核戦力についても具体的に考慮されるべきだ。米国の拡大抑止にとって日本の自衛力の強化が必要で共同の抑止構造が維持されるように現代化を進めなくてはならない。日本は米国が絶対優位にあることが望ましいが、中長期的に米国が中国との相互バランスにシフトした場合でも非対称的なレベルが望ましい。日本のミサイル防衛能力の基準となる年は2011年であり、集団的自衛権の解釈の変更が必要だ。日本は欧州のミサイル防衛に対して米国が強い態度を示すことを望んでいる。ここでロシアに配慮した場合、中国に悪いメッセージを与える云々。後半は抜書きですので具体論は本文で確認してください。軍事用語は苦手なので変なところがあるかもしれません。

以上、前提が変わらずに事態が推移した場合のシミュレーションとしてはごく理性的な論調だと思いますが、どこまで現実的かどうかは別にして日本が自前の抑止能力を強化していく別のシナリオも描けるでしょうね。ミサイル防衛が支柱というのはどうなのよということになる日がそう遠くないうちに来るかもしれませんから。欧州のミサイル防衛の帰趨の極東への影響というのは重要な点でウォッチしないといけませんね。

"Bad Advice for Secretary Clinton" by Victor Cha[CSIS][pdf]

対北朝鮮政策についてのVictor Cha氏の記事。ヒラリー国務大臣のアジア歴訪はうまくいった。北朝鮮に関して悪いアドヴァイスに従わなかったからだ。悪いアドヴァイスには二種類ある。一方の極にいるのがSelig Harrison氏で北朝鮮との核との共存を訴える輩たちである。ヒラリー氏がこうした声に耳を傾けず、北朝鮮の完全な非核化を明瞭に訴えたのは正しい。米国は北朝鮮を核保有国として絶対に承認してはならない。核を完全放棄するまでは国交の正常化や平和条約の調印に応じてはならないということだ。これを放棄した場合には日本および韓国への拡大抑止は毀損するだろう。

もう一方の極にいるのがPhilip Zelikow氏でミサイル発射施設への限定攻撃を訴えている。ヒラリー氏がこうした声に耳を傾けなかったのも正しい。確かにミサイルプログラムを遅らせるが、こうした行動が数年後にもたらす結果はより全般的なものとなるだろう。日本も韓国も戦争を望んでいない。よいアドヴァイスとは次のようなものだ。同盟国や中国と連携して北朝鮮にミサイル発射を止めるよう警告し、ミサイル防衛システムを稼動させ、国連決議1695、1718に基づく制裁の準備をし、北朝鮮への援助を絞るように中国に圧力をかけるべきだといったものだ。金正日後の体制について日中韓と協議するという発言も今後の現実を見据えていて問題ない。関係国と連携して北の体制変革に備えるというのが慎重かつ賢いやり方だ。北の核との共存や発射装置の限定攻撃はそうではないのだ、と、いかにも現実派の氏らしい論評です。ところで国連決議に基づく制裁というのは実際にあるんでしょうかね。

以上、CSISから最近の記事をピックアップしてみました。外交安全保障に関心のある方々はだいたい目を通していると思いますが、あまり日本語圏で言及されないのは不思議に思えますね。日本人論者の声が全般に小さく感じられるというのと時に日本について言及する英語圏人のクオリティー・コントロールをちゃんとしたほうがいいのではないかと思うこともあります。大御所の間に英会話ティーチャーレベルが紛れ込んでいたりしますから。誰とは申しませんが。

"Why shouldn't Kim Jong Il fire his missile?" by Richard Lloyd Parry[Times]

パリー記者もいわゆるひとつのマコーマック化が進んでいるようでなりよりです。ねえ、どうして北朝鮮がミサイルを打っちゃ駄目なの?とあどけない眼差しで読者に語りかけています。パパ、the Westもそうしてきたんじゃなかったの、と。いい事教えてあげましょうか、別に発射に反対しているのはthe Westだけじゃないんですよ。北朝鮮はジャーナリストやアカデミシャンにとって死屍累々のフィールドですから気をつけることですね、パリーさん。

ところでマコーマック氏で思い出したのは-ええ、もちろん意地悪になっていますとも-1952年にパリで起こった反リッジウェイ・デモです。朝鮮戦争で国連軍が細菌兵器を使用したという例の共産陣営のプロパガンダを受けてフランスの共産主義者がNATO軍司令としてリッジウェイがパリに到着した際に大規模デモを組織したという事件です。"Ridgway la peste! Ridgway la pest!"というシュプレヒコールは戦後の混乱期を象徴する挿話のひとつとして国民の集合的記憶の一部を構成しているようなんですね。このたびのNATO完全復帰の件でこの挿話がよく想起されているようです。赤化が著しかった時代の反米感情を示す挿話として。ところでリッジウェイはGHQ総司令官もしていたのに日本では今ひとつ記憶に残っていないのはマッカッサーの印象が強烈すぎたからでしょうかね。

ではでは。

| | コメント (5) | トラックバック (2)

政治的オーラ

"Commercial Appetite and Human Need: The Accidental and Fated Revival of Kobayashi Takiji's Cannery Ship" by Norma Field[JF]

小林多喜二の新書を刊行したばかりのフィールド氏が蟹工船ブームと昨今の反貧困運動について書いています。ブームを支える商業主義の論理を指摘しつつこれを求める社会的需要が現在の日本にはあるとしています。自分が研究した時にはなんでそんなこと調べているのといった白々しい空気だったのにねえという風に時代の変化への感慨を表明されています。この記事を読んでいて、個人的には日本の左翼やリベラルにはもっとしゃんとしてほしいものだとは思うのですけれども、世直しや人助けは彼らの占有物ではないのですよと言いたい気持ちにもなりました。ひとつだけ言うと、

If Japanese activists today, often securely middle-class, well educated, and middle-aged and older, who are dedicated to problems of historical consciousness, the former military comfort women or Article 9,have not seemed engaged by the antipoverty movement of the young, then the latter have not taken up the antiwar cause.  Given the limitations of time and resources, this is altogether understandable.  But in order to catch up with the consciousness of Takiji and his comrades of the late 1920s and early 30s, in order, therefore, to be adequate to the demands of the present, it is necessary to join the antipoverty and antiwar struggles. That entails overcoming the sectarian residues from the 1960s and 70s as well as generational divides.

この点はどうなのかなと思いました。個人的には昔の戦争の話や護憲の話はどうぞご自由にといった程度ですが、飯食わせろとか住むところくれの切実さには共感的になれるかもしれないといった感じですかね。別にシニカルになっている訳ではないですが、運動のやり方や目標の掲げ方や言葉の使い方があんまり上手じゃないように見えます。一般論として民主主義の活性化にとっても必要だとは思うのですが、私はどうにも日本の社会運動のノリが苦手なんですよね。いえ、有意義なことをしている人達も感じのいい人達もいるとは思うのですけれどもね。

""La Puissance ou l'influence ?", de Maurice Vaïsse : cinquante ans de diplomatie française"[Le Monde]

フランスの高名な外交史家のモーリス・ヴァイス氏の新著の紹介記事。ここ50年のフランス外交を扱った大著のようです。現在ではド・ゴール時代には考えられなかったようなアフガニスタンへの派兵やNATO統合軍事機構への完全復帰といった新しい展開を迎えている。無論フランスが並のミドル・パワーといった地位に満足できるはずもなく、絶えず世界的な影響力の拡大を目指している。本書はこれは今に始まった話ではないということを権力に関する派手な言説と現実の受け入れの間の逡巡を軸に辿っているようです。またこの紹介によれば本書は個々の外交官へのオマージュであるといいます。いつか読むかもしれません。ちなみに「戦後フランス外交」という時、「将軍」のこの隠し立てのない言葉を想起することがあります。

「私は劇場にいるのと同じである。私は信じるふりをしてきた。フランスが大国であるということを信じるふりをしてきたのである。それは永遠の幻想である」

それはたぶん幻想かもしれないのですが、それが事実ではないかもしれないことを痛苦とともに自覚し、それを信じているかのごとく振舞えない者は指導者たり得ないといった種類の国家を支える幻想になってきた訳です。多分、21世紀のフランス外交もまた簡単にこの幻想を諦めないでしょうね。

"Defending Kantorowicz"[The NewYork Review of Books]

"Kantorowicz. Juif et nazi?"[paris4philo]

カントロヴィチの「王の二つの身体」を再読してやはり傑作なんだろうなと思ったのですが、ついでに90年代初頭のカントロヴィチはナチなのか論争に関する記事をネットソースで読み直しました。簡単に説明しておくと、カントロヴィチはナチス政権ができた後に米国に亡命した20世紀を代表するユダヤ系ドイツ人中世史家で政治神学研究という副題を持つ「王の二つの身体」は近代国家の誕生を王権の観念や儀礼を通じて分析した代表作です。王には二つの身体がある、自然的身体と政治的身体である、前者はもろく束の間のものに過ぎないが、後者は永遠のものであり、王国の政治的秩序の永続性を表象する、王の政治的身体の観念の発達が近代的で公権的な観念を生み出すことになるのだ、といった内容です。日本語訳は文庫化もされてますのでおすすめしておきます。

でこの人は亡命ユダヤ人であるにもかかわらず、ナチ的だと糾弾されたのですね。いわゆる同化ユダヤ人で戦間期にはドイツの保守革命に近い位置にいて「フリードリヒ2世」という問題作を発表し、ヒトラー登場の際には一時的に共感したという「判断ミス」をした、またシュラムというこちらはナチべったりになった中世史家がいてこの人の王権儀礼研究と重なる部分が大きい点でナチ的だと。この論争、判断ミスぐらい人間なんだからするでしょう、それを認めないならば知的誠実性の観点から批判されても当然でしょうけれども、かなり早い時点で危険を見抜いた訳ですよね、政治的に責任ある立場に置かれていた訳でもないしょうし、なにか生産性のある論争なんですか、ぐらいの感想をもつ「甘い」人間なせいかピンとこない部分もあるのですが、ワイマール時代のあのなんだか判らない狂乱じみた空気には気になるところがあってあれこれ読みふけってしまいました。で、これはドイツに限った話ではないです。知らん顔をしていますけれども、欧州は程度の差はあれどこも似たような空気が存在していた訳ですから。

"A Sacred Aura"[The New Republic]

ちなみにBHL氏がサルコジ大統領は世俗的過ぎて聖なる政治的身体が欠けているという批判だかなんだか判らない論評をしていますね。私にはあの大統領にボナパルティズムの伝統がちらほら見えるのですけれども、違いますかね。といいますか、こういう「教訓」を引き出すべき本なんでしょうかね、揶揄のつもりでしょうけれども、けっこう危険なことを語っているような気もしますね(笑

追記

"Japan's Beleaguered Leader to see Obama"by Blaine Harden[WaPo]

ニュースでHarden氏のこの記事がよく引用されてましたね。就任の際のNYTの狂気じみた社説に騒がずにこれで騒ぐのですか。うーん、どうってことない記事だと思うのですがね。Harden氏の記事ではまともな部類だと思いますけれども。「国家元首」とした誤りは修正されましたが、それ以外に大きな間違いや誇張もないように見えます。といいますか、全部日本のメディアの政治的waiwaiではないですか。みのさんがなぜかお怒りのようですが、朝ズバで今日のけしからん日本記事でもやったらどうですか。おそろしいことになりそうですね。

| | コメント (13) | トラックバック (0)

抑止が効かなくなる時

"Impairing the European Union, Gibe by Gibe"[NYT]

欧州の内輪もめについてのNYTの記事。記事はフランス対チェコの図式を中心に描いています。「高校生の喧嘩」と評しています(笑 理念的な対立に加えて名誉感情上のぶつかり合いもあるようです。チェコはプライドの高い国として有名だったりしますからねえ。大国と小国、自由主義的経済と国家主義的経済、ユーロ圏と非ユーロ圏、西欧と中欧といった具合に複数の分割線が走っているが、経済危機がこれを悪化させている、保護主義と国家主義の声が強くなり、グローバル・プレイヤーとしての欧州というのも冗談みたいだと。フランスとチェコの最近の確執としてガザ侵攻の和平案をめぐる交渉でのサルコジ氏の独走の話や自動車産業への救済案を提出した際のチェコみたいな国から雇用を取り戻すのだ発言が挙げられています。また財政規律をめぐってフランスやイタリアとドイツやチェコが対立している点も書かれています。チェコの外相の発言が関心を惹きます。

“In a time of economic crisis, we see atavistic instincts emerging,” said the Czech foreign minister, Karel Schwarzenberg, describing the way that individual nations are responding to popular distress by patriotic and protectionist measures and statements and by playing down the unity of Europe.”

“I’m most afraid of the slogans of the 1930s” about the primacy of the nation, he said. “With these problems, people forget about European thinking, and it’s understandable but it’s damaging, very damaging to ignore Europe in a crisis, especially as the crisis grows.”

1930年代みたいに危機に直面した各国が愛国主義と保護主義に訴えて欧州の一致を犠牲にしていると。「隔世遺伝的な本能atavistic instincts」というのは面白い表現です。またフランスみたいに欧州の中央集権化を求める国が愛国主義に走るのは奇妙だとも語っています。記事はチェコの欧州担当大臣の発言を引用して小国の感情にも触れています。

France, Germany and Britain still dominate the European Union and want to continue to do so, said Alexandr Vondra, the Czech deputy prime minister for European affairs. “Occasionally they consult others,” he said, “but of course the people of small countries know this, and that’s why there is hesitation about the Lisbon Treaty,” which would create a permanent European president and foreign minister, and which the Irish have rejected and the Czechs have not yet ratified. “People fear more of this power management.”

優越的な地位を維持しようとする英仏独への反感がリスボン条約への躊躇の理由であると。まあ感情的には判るような気がしますが、こうやってぐずぐずしている場合ではないと思うのですけれどもね。フランスの欧州主義と愛国主義の矛盾は確かにその通りですが、この種の論理矛盾を意志と実用主義で乗り越えるのが政治家というものではないかとも思うのですね。必ずしもサルコ・ファンという訳でもないですし、保護主義は困ると本気で思うのですが、とりあえず提案と挑発を続けるよう期待しているところもあります。

"Japan's Decision for War in 1941: Some Enduring Lessons" by Dr. Jeffrey Record

地政学の奥山さんが紹介していた記事ですが、こうした認識が出てくるのはイラク戦への反省が背景にあるようです。論者のことはなにも知りませんが、戦略論の世界の人なんでしょう、道徳的、イデオロギー問題関心があまり前面に出て来ないためある種の清々しさを覚えます。正義や道義に関心のある人には物足りないかもしれません。要は日米戦争はどちらもやる気がなかったのに双方の判断ミスによって生じたという考えですね。歴史的観点から言って特に目新しい知見があるという訳ではありませんが、アメリカからこういう議論も出てくる時代なんだというある種の感慨はあります。それは必ずしも弱さではなく経験からのフィードバックが効きやすいアメリカという国の強さの証だとも思います。各論部分の分析は紹介し切れないのでパスして、6つの教訓の部分だけメモします。

(1)fear and honor, "rational" or not, can motivate as much as interest.

リアリストは利益計算による権力闘争として国際政治を説明するが、恐怖、イデオロギー、プライドといった要素を無視している。ツキディデスの言う「恐怖、名誉、利害」の前二者だ。石油禁輸措置の断行と代替的選択肢の不在が太平洋戦争を「不可避」にした。恐怖に怯える国家指導者は無軌道に行動する。911テロの後のブッシュ政権のように。名誉は日本の例だけでなく、英国のダンケルク後の開戦決定、フランスのインドシナとアルジェリア、南北戦争時の南軍の例もある。持たざる者はリソースを超えた行動をする。ヴェトナムのように。

(2)there is no substitute for knowledge of a potential adversary's history and culture

互いの文化に無知であったことは開戦にとって重要な要素であった。グルー駐日大使のような例外を別すれば日本については知っている者は米国にいなかった。日本には山本五十六のような知米派が存在したが、多くの指導者、とりわけ陸軍指導者は米国について無知であった。人種的偏見も両国に存在した。日系人を含めて人種差別の歴史を持つ米国では黄色い小さな人々に過ぎなかったし、人種的卓越性を信じる日本人は米国人は長期戦を戦うには物質主義的かつ個人主義に過ぎると考えた。日本はパールハーバーが米国世論に与える影響を理解していなかった。文化への無知は米国の外交政策を蝕み続けている。ヴェトナムとイラクへの無知は日本同様だった。ここで米国の自己過信が他の文化の尊重を妨げているというコリン・グレー氏の言葉を引用しています。

(3)deterrence lies in the mind of deterree, not the deterror

日本の南進に対してローズヴェルトはハワイへの艦隊の派遣、度重なる経済制裁、フィリピンでの軍備増強によって抑止しようとした。米国への勝利はあり得なかったためにこれが抑止になると考えられたのだ。東京が恥ずべき平和よりも負け戦を望んだことを知った時には遅すぎた。石油禁輸は日本には耐えられなかったのであり、従属よりも戦争を選択した。彼らは抑止されたのではなく挑発されたのだ。米国の軍事的卓越が戦争を急がせた。ミリタリーバランスが後戻り不能なまでに不利にシフトする前にできるだけ早く開戦しなければならなかったのだ。

(4)strategy must always inform and guide operations

日本には中国および東南アジアにおいて目標を達成する一貫した戦略がなかった。この戦略の不在は部分的に東アジアにおける野心と軍事的リソースの間のギャップに帰せられるし、また部分的には日本軍の戦争の戦術レベルへのフォーカスに帰せられる。日本は対米戦の戦略を持っていなかったし、いかに戦争を終結するのかの絵柄も描けなかった。初期の戦術的勝利が究極的な戦略的成功をもたらすということを信じていた、あるいは希望していただけだった。2003年のイラク侵攻、とりわけその戦後の計画の不在や兵力とイラク再建のミスマッチを想起させる。いかに古い体制を解体するかの軍事作戦しか考えておらず、後はイラク人は解放を喜ぶだろうといった希望的観測があったばかりだ。

(5)economic sanctioning can be tantamount to an act of war

1941年の石油禁輸は破滅的なものであり開戦を決定づけた。経済制裁が及ぼすダメージは国際貿易に依存する日本のような国にとっては軍事攻撃に匹敵し得る。戦争の代替策としての経済制裁という一般の見方は再検討が必要だ。

(6)the presumption of moral or spiritual superiority can fatally discount the consequences of an enemy's material superiority

卓越した意思が火力や技術で優位の米国を打ち負かすという考えは日本に限った話ではない。毛沢東は人民解放軍の士気が米国を朝鮮から追放すると信じたし、フセインやビン・ラディンはヴェトナム敗戦やレバノンの屈辱を見ていた。より強い敵に直面すると人種や戦略や戦術の卓越性への信仰が強いられることになる。非正規戦のみが強い敵に勝てるチャンスを与えるが、通常は正規戦を戦える能力を得る前に失敗に終わる。毛沢東は非正規戦を正規戦への移行と捉え、正規軍の卓越性を評価した。ヴェトナム共産軍がフランスに勝利したのは正規戦だった。

(7)"inevitable" war easily becomes a self-fulfilling prophecy

戦争は少なくとも一方がそう信じれば不可避のものとなる。日本は東南アジアの欧州の植民地のみを攻撃することで米国との戦争を回避できたが、そのチャンスをつぶした。パールハーバーとフィリピンへの攻撃がなければ、ローズヴェルトがアメリカの選挙民を戦争に賛成させるのは極めて困難、おそらく不可能であったろう。しかし1941年の夏の終わりには日本の指導者のほとんどが米国との戦争は不可避だと考えた。そして最も有利な戦術的な環境下でこれを開始すべく動き出すにつれてそれは不可避となった。不可避であるという仮定が先制攻撃を促し、これを命じすらする。予防戦争というものは不可避性と不利な戦略トレンドという仮定に基づく。ブッシュ政権はフセインとの戦争が不可避であり、核兵器を取得する前に開戦しなければならないと論じた。日本は抑止可能だと誤って考えたローズヴェルトと異なり、ブッシュは核を保有したフセインは抑止不能だと主張した。本当にそう考えていたのかどうかの証拠はないが、明白なのはこの予防戦争のコストが利益に比べて巨大であったことだ。この経験は対イラン戦略に生かされねばならない。

南部仏印進駐が決定的だった点については誰もが認めるところでしょうけれども、ローズヴェルトが日本の南進を経済制裁で抑止できると考えたのは誤りだった、むしろ戦争の引き金を引いてしまったという考えですね。勿論日本を戦争に引き込んだ式の謀略論はとっていません。もっとも論者が述べるようにそのまま南進したとしてもパールハーバーがなければ米国の介入がなかった可能性が高い訳ですから対米戦は「不可避」ではなかったということになるでしょうし、また経済制裁をくらっても実際にはいくらでも抜け道はあったでしょうからやはり「不可避」ではなかったということになるのでしょうね。あの思いつめ方はやはり「恐怖」と「名誉」の要素を無視しては理解不能ということになるのでしょう。

ひとつの論文にすべての論点を網羅することを期待する訳ではないですが、なにか言うとすれば、日本の意思決定プロセスでトップの部分のみに注目していて、海軍内部の派閥抗争や陸軍と陸軍との敵対関係やメディアに煽られて強硬になった世論の要素の分析が薄いところでしょうか。特に世論の動きはアメリカの方はあまり信じたくないかもしれませんが、民主主義国だった訳ですから重要でしょう。それから海洋での戦争の理解はともかく大陸の戦争の理解は怪しい感じがしました。こちらは道義性の問題が前面に出てしまってなかなか正確な像が描けていないのですから現状では仕方がない面があるのかもしれませんが、多分こちらのほうが中東政策にとっては教訓に満ちているように思いますがね。最後に二番目の教訓での主張に反して日本の文化と歴史の理解の届いていない部分があろうかとも思いました。実際にそういう戦時プロパガンダがあったのは事実ですから誤解されるのも無理からぬところがあると思うのですが、違和感のある部分がありましたね。前後から見てdetourと考えているようなので本質主義的な理解をしている訳ではないのでしょうけれども。まあ日本の論者のうちの理性的な部分とは対話可能な人ではないでしょうかね、といった感想を持ちました。

| | コメント (7) | トラックバック (1)

日本の反ユダヤ主義?

”The 'Jewish conspiracy' in Asia” by Ian Buruma[Guardian]

ガーディアンへのイアン・ブルマ氏の寄稿。この方については日本について論じる左派の中ではわりあい評価しているほうなのですが、率直に申し上げて、このタイミングでこのネタ投じるのかといささか困惑しました。この記事で言うアジアというのは東アジアのことです。またJewsはユダヤ人で通します。以下、翻訳ではなく内容紹介です。

中国のベストセラーはいかにユダヤ人が国際金融システムを操作することで世界支配を計画しているかを描いている。この本は政府高官の間で読まれていると伝えられる。もしそうならばこれは国際金融システムにとってよくないことだ。こうした陰謀論はアジアでは稀ではない。日本の読者もこの手の本に食指を動かしてきた。こうした本は1903年にロシアで刊行されたシオンの議定書のヴァリエーションであるが、日本が出会ったのは1905年にツァーの軍隊を打ち破った後のことである。中国は多くの近代的なアイディアを日本人から受け入れたが、おそらくユダヤ陰謀論もそうだろう。しかし東南アジア人がこの種のナンセンスを免れている訳ではない。マレーシアのマハティール前首相は「ユダヤ人は代理を立てて世界を支配している。彼らは他人を戦わせて自分達のために死なせるのだ」と発言した。フィリピンのビジネス雑誌の最近の記事はいかにユダヤ人がアメリカを含めて自らが居住する国をコントロールしてきたのかを説明する。マハティールの場合には歪んだ種類のムスリムの連帯の観念がおそらくは働いている。しかし欧州やロシアの反ユダヤ主義とは異なり、アジアのヴァラエティーは宗教的ルーツを持たない。中国人も日本人も聖なる人物を殺害したことを非難しないし、実際に中国人や日本人やマレーシア人やフィリピン人のほとんどはユダヤ人を見たことすらない。

それではアジアにおけるユダヤ陰謀論の顕著なアピールをいかに説明するのか。答えは部分的には政治的なものに違いない。陰謀論はニュースへの自由なアクセスが限定され、自由な研究が制限された相対的に閉じられた社会で生き延びるものだ。日本はもはやそうした閉じられた社会ではないが、民主主義の短い歴史を持つ人々ですら見えない力の犠牲者であると信じがちなものである。ユダヤ人は相対的に知られていないが故に神秘的なのだ。そして西洋となんらかの仕方で結びついて反西洋パラノイアの備品となるのだ。どの国も数百年間西洋列強の犠牲となったアジアではこうしたパラノイアが広まっている。日本は正式には植民地化されたことはないが、アメリカの砲丸外交で開国した1850年代以降、西洋の支配を感じていた。

アメリカとユダヤ人を一つにみなすのは19世紀末に遡るが、欧州の反動主義者達は金融の貪欲にのみ依拠する根無し草の社会であるとアメリカを難じた。これは「根無し草のコスモポリタン」の金融屋というステレオタイプと完全にマッチした。それゆえユダヤ人がアメリカを動かしているという考えが生まれたのだ。植民地の歴史の大いなる皮肉のひとつは植民地化された人々が植民地統治を正統化する当の偏見を採用したことにある。反ユダヤ主義は欧州の人種理論とともに到来し、西洋では流行らなくなった後にもアジアで生き延びた。ある意味、東南アジアの中国系の少数派は西洋でユダヤ人が苦しんだ敵対感情を共有してきた。多くの職業から排除されて一族主義と貿易で生き延び、「大地の子」ではないという理由で迫害されてきた。そして彼らもまた金を生むことに関して超人的な力を有すると考えられた。物事がうまくいかないと中国系は貪欲な資本主義者としてばかりでなくユダヤ人同様に共産主義者として非難された。というのも資本主義も共産主義も根無し草性とコスモポリタニズムに結び付けられているからだ。恐れられるのと同時に中国人は誰よりも賢いと賛嘆されている。恐れと畏怖はアメリカ、そしてユダヤ人に対する人々の見方にもしばしば明らかになる。

日本の反ユダヤ主義はとりわけ興味深い事例だ。ニューヨークのユダヤ人銀行家のジェイコブ・シフの支援を受けて日本は1905年にロシアを打ち負かすことができた。したがってシオンの議定書は日本人が疑った事柄を確認したのだ。しかし彼らを攻撃する代わりにプラクティカルな国民である日本人はこうした賢く、強力なユダヤ人を友人にするほうがいいと決めたのであった。その結果、第二次世界大戦の間にドイツ人が同盟国日本にユダヤ人を引き渡すよう求めたにも関わらず、満州国では日ユ友好を祝うべく夕食会がもたれたのだった。上海のユダヤ人難民は決して快適ではなかったが少なくとも日本の保護下で生き長らえた。これは上海のユダヤ人にとってはいいことだった。しかし彼らを生き延びさせたアイディアそのものは今では彼らのことをもっとよく知るべき人々の思考を混濁させ続けているのだ。

以上、アジアではユダヤ陰謀論が受け入れられている、それは宗教的なものではなく無知に基づくものだが、それを支える政治的理由というものがあるという内容です。中国については知りませんので、日本についてのみコメントしておきます。

第一に「反ユダヤ主義」anti-semitismと呼ぶべきなのかどうかがまず疑問です。全体として日本国民にユダヤ人への憎悪があるかと言えばない訳ですし、遠くの話で興味もない訳ですね。にもかかわらず、聞いたことのないような人々の言説を取り上げて書かれたかなりバイアスの強い「日本の反ユダヤ主義」についての本なんてのがある訳ですね。かつてこれで日本批判もありました。しかし、例えば、「フランスの反日主義」についての本だってその辺の素材をランダムにサンプリングして書こうと思えば私でも書けますが、それがミスリーディングなことは言うまでもありません。日本には歴史的にユダヤ人差別は存在しないし、反ユダヤ主義が広汎に存在しているかのように表象することは投影と不当な一般化であるという点はしつこく繰り返さないといけないポイントだと思います。陰謀論マーケットは熱烈な人々の間のごく限定されたものであり、日本でもUFOやオカルトと同じ扱いでまともな議論としては相手にされていないし、三文ライターやネットの陰謀論好きに「日本人」を代表させるのは誤表象でしょうと。勿論こう言ったからといってこの種の言説を是認している訳ではなく有害であり、現状以上に周縁化されるべきだと思います。ちなみにブルマ氏はフルフォード氏をどう理解するのですかね。私には意味不明なんですけれども。

それからユダヤ人に学ぶ金儲けとかユダヤ人に学ぶジョークみたいな本が偏見に基づいているのは事実でしょうが、読者にとっては華僑に学ぶ金儲けやイギリス人に学ぶ資産運用やフランス人に学ぶ恋愛術との間に質的な差異があるとも思えません。読んだことがないので判りませんがね。こういう偏見なり無知なりと憎悪はやはり違うと思うのですね。ついでに無知や偏見ということで言えば、ここで悪意はないけれども偏見のある日本本-残念ながら多くがそうですが-に対して反日主義だ!と糾弾してまわる奇妙さを想像してみればいいと思います。私はこのブログでいろいろケチをつけたりしますが、それはクオリティティーを保つべき責務のある人々だと思うからであってそれ以外に対してはかなり寛容というのか期待水準が低いです。勿論ユダヤ人について正しい知識が日本で広まることは私も願っていますし、まともな本や論文は日本語でもいくらもありますので多くに読まれることを望んでいます。

第二に戦前日本におけるユダヤ人観についていささか単調な記述に見えます。シオンの議定書的な陰謀論を真に受けた人々がいたのも事実ですが、日ユ同祖論に見られるような同一視の(脱)論理もまた存在していたことも興味深い現象として記述すべきではないでしょうかね。西洋列強への恐怖とユダヤ人への共感さらには同一視といういささか倒錯した理路もあった訳ですね。これもいわゆるあやかりの心理ですから、プラグマティックという評価は正しいと思います。ただユダヤ人をめぐる問題は帝国臣民全体の共通の問題関心になったこともない訳ですし、論じていたのは事情通を気取る人々や政策担当者ぐらいなんですからから「日本人」を主語にして語って欲しくないのですね。日本から中国への陰謀論の伝播については面白い論点ですが、どうなんでしょうね。欧州からの直輸入経路もあると思いますが。

第三に明治デモクラシーも大正デモクラシーも昭和デモクラシーも無視して戦後デモクラシーではじめて日本にデモクラシーが開花したかのごとき記述もまたありがちなナラティブでしょうし、また閉じられた社会云々にしても戦前欧州で反ユダヤ主義が吹き荒れたのは欧州が閉じられた社会だったからなのか、黄禍論が吹き荒れたのはアメリカが閉じられた社会だったからなのかという疑問が浮かびます。あるいはブルマ氏はベビーブーマー世代らしく第二次世界大戦以前と以後で歴史を区分し、欧米も閉じられた社会だったと考えているのかもしれません。

では反ユダヤ主義の言説形式でユダヤ人の部分を日本人に置き換えたような言説が1980年代から90年代にかけての欧米の主流メディアを浮上し(今でもネットに残存し)、中国人に置き換えたような言説が2000年代に主流メディアにまで浮上した事実をどう考えればいいのかとか、また現在のアメリカのネットで陰謀論が盛んになっているのはどういうことなのかという問いも浮かびます。私にはむしろ情報技術の発達が新たなる人種主義の可能性をも押し広げているようにも見えるのですが、杞憂でしょうかね。情報の量と多様性が固定観念の解除に貢献するという一般論には同意しますが、その点は過度に楽観的にならないほうがいいと思いますがね。情報量の拡大に対応できずに単純な物語に固着するということもあるでしょうから。

この記事の特にリード文で「西洋」と「アジア」の対比が想定されているのが、あるいはそういう言説を誘発させるリスクがあるのが問題だと思うのですね。つまり西洋は反ユダヤ主義を克服したが(事実ではないでしょう)アジアはまだ克服していない(差別問題そのものが存在しないのに)といった珍妙な責任転嫁の言説として受け止められないかという危惧があるのですね。実際、既にそういう反響をいくつか見たので。愚かな読者の責任を書き手は負うべきだとは思いませんけれども、オリエンタリズムとオクシデンタリズムのリスクに敏感なはずの論者にしては少し脇が甘いように見えました。

誤解を避けるためにいうまでもなく陰謀論のたぐいは有害だと考えていることを繰り返しておきます。ガザに関して騒いでいる極左や極右で暗黒面に落ちているのもいるようですね。軽蔑の眼差しを捧げておきます。我々はそんなものを輸入すべきではない。またあまり真面目に見ていないのですが、主流メディアに対してもやや不満があります。基本的に日本国民はこの問題については他者であり、当事者とは別の認識とアプローチが可能であるはずなのにあちらのメディアのフォーカスの吟味なしにその上で踊るのはどこか滑稽な話だと思います。勿論イスラエルの批判をするなと言っているのではなく、批判的でももっと引いた視線が必要だと思うのです。

ちなみにこの記事のコメント欄がひどいことになっていてかたっぱしから削除要請しておきました。大先生のブログのコメント欄に登場する人も湧いていました(笑 この人達が忠実に反ユダヤ主義の「論理」を踏襲しているのもまた滑稽きわまりない話です。ねえ、友達つくったらどうですか、と忠告しておきますかね。

追記

コメント欄で指摘がありましたが、ガザ侵攻以降の世界の世論動向に関心があってこういう記事を掲載したのでしょうね。特に今、欧州で不穏な空気が漂っているので。それで私にはこの論調に他者への不安の投影を感じるのですね。

エントリを読み直してちょっと過敏に反応しているところがあるのかなという気もしてきました。ただこの話は間歇的にぶり返す傾向があるので困ったもんだなと前々から思っていたのですね。細かい部分での不同意を別にすれば、記事そのものはそれほどおかしな内容という訳でもないです。ただ日本人も、たぶん中国人も大多数にとっては?だと思うんですよね。そしてそういう反応そのものは差別文脈を欠いた地域が世界に存在している証拠でもあるのですから必ずしも悪いことではないと思うのですけれどもね。

細かい表現、誤字等修正しました(2009.2.12)

| | コメント (9) | トラックバック (3)

リベルテールという語について

きみはアナーキストか、それともリバタリアンか?[ル・モンド・ディプロマティック]

ここでリバタリアンとカタカナ英語化されているのは仏語ではリベルテール(libertaire)です。日本語圏では今リバタリアンというとアメリカのそれをイメージするかもしれませんが、別物ですね。この記事、もともとはアナルシスト(anarchiste)とこのリベルテールは不可分な言葉だったのが、最近では分離し、意味が変わってきているという話ですが、イメージとしてはよく判ります。論者は筋金系左翼の方なんでしょう、今時の格好だけのリベルテールは資本主義の同伴者でプチ・ブル的な保守主義者に過ぎない!と否定的評価を下しています。まあ私は左翼ではないですし、反動主義者でもないですけれども、いい気なもんだな、大将、みたいな感じはありますね。ああ、分かった、分かった、どうぞご自由に、と。私もかなり個人主義的な人間のような気もしますが、他人に自己のライフスタイルを誇示したいという欲望は特にないので。

浮世を楽しむ陽気なリベルテール族は別にして、今でも戦闘的なアナーキスト団体のほとんどがこのリベルテールの語を使用しています。一番有名なのはル・モンド・リベテール(le monde libertaire)とアルテルナティヴ・リベルテール(Alternative libertaire)ですけれども、他にもうじゃうじゃとリベルテールないしアナルシストの名を冠した団体が存在しています。記事にもあるように、こちらのリベルテール族は公安からひどく危険視されています。負け組リベルテールといいますか、私には政治的には評価できない人々ではありますが、負け戦に果敢に挑む根性が時に好もしかったりします。そこに浪人道的なものが見えます。実際、サムライ好きがいたりするみたいです。ちなみに極右にもサムライ好きがいたりします。なぜだ。日本の文化的リベルテール達のアナーキーな侍映画の影響なんでしょうかね。

話があっちこっちにいっていますが、要はもともと社会主義系の用語だったのが、アメリカでリバタリアン党ができて以来この語はむしろ右側の思想というイメージになっている訳ですね。アナーキストからすれば俺達がリバタリアンであってお前らは古典的リベラルだろということになります。まあ、私から見ると、古典的リベラルといいますか、アメリカのリバタリアンはかの地の風土を反映してか、かなり勇敢な人々に見えます。アナルコ・キャピタリズムって言うんですか。あそこまで徹底的なのはすごいもんだと思います。記事にあるように、現代フランスのリベルテールが社会主義的伝統から切れつつあるのは確かなのですが、アメリカのリバタリアンとはやはり全然雰囲気が違います。共通しているのは個人の自由を最優先するという部分ぐらいですかね。

”Joseph Déjacque et la création du néologisme "libertaire" (1857)” par Valentin Pelosse

それでこの語の初出ですが、リンク先の論文によれば、社会主義者のジョセフ・デジャック氏とされます。論者によれば、1875年(?)に反権威主義インターナショナルのアナーキストがこの語を採用したのがこの語が広まった契機となったが、最初にこの語を使った人物であるジョセフ・デジャック(1822-1864)についてはあまり知られていない。1857年にニューオーリンズで出版された11ページのパンフレット『男と女という人間存在についてP・プルードンへの書簡』(De l'Etre Humain mâle et femelle - Lettre à P. J. Proudhon)が初出でこのパンフレットの内容はプルードンの保守主義に対して女性の解放と欲望の自由を訴えたものということです。実際、19世紀にはフェミニスト的なアジェンダとリベルテールは結びつきは強いですね。ブルジョワ道徳を粉砕せよ!ということで。ちなみに、これ、なかなか精密な論文ですね。パンフレットの電子テキストもありますので仏語読みはどうぞ。

それでリベルテールの反対語は何かと言いますと、もともとはリベラルということになります。要は伝統的にフランスでは左にリバタリアン、右にリベラルがいて、それがアメリカでは逆になっている訳ですね。語の関係で言うと、リベルテールが英訳されてリバタリアンになったのですが、それが仏訳されて逆輸入されてリベルタリアンという語もあります。これはアメリカのリバタリアンのみを指すようです。ウルトラ・リベラルとも言いますね。なおディプロの記事にもありますが、最近の親資本主義的なフランスのリベルテールのことをリベラル・リベルテールと呼んだりするのですが、これはもともとの語義からすると矛盾していることになります。反対語をつないでいる訳ですから。アメリカでもリベラル・リバタリアンといったらちょっと変ですよね。

なにを書いているのか判らなくなってきているのですが、要は自由をめぐる立場というのはひどく複雑で流動的だということを言いたいのかもしれません。しれませんって無責任ですが(笑 

それでさらに脱線すると、アメリカにリベラルと呼ばれる人々がいて、私の中にもリベラル的感性はあると思うにもかかわらずなぜ自分をリベラルとは呼びたくないし、呼ばれたくもないという気持ちが強くあるのかが個人的にはよく判らないです。リベラルが概して日本につらくあたるからとかそういう話ではない。そうでない人もたくさんいますし、もしかすると最後の最後に日本国民の味方になってくれる人達なのかもしれないと思うこともある。ただ私が連なっていると思う日本にある自由の伝統の感覚とどこかで衝突するようなんですね。自由とはなにかみたいな一般論にあまり興味はないのですが、私の属する歴史的文脈があって、そこにはいろいろな人々の面影や光景の連なりと堆積があって、自分はその流れにコミットしているという感覚があります。別に思想家がどうとかなんとか理論がどうしたというような宙に浮いたような話ではなくてですね。こういう歴史の感覚を往々にして欠いているからなんでしょうかね、アメリカのリベラルなみなさんに違和感を抱きがちなのは。この点はネオコンなみなさんが与える違和感と大差ない。まあ、不当な一般化をしているような気もしますし、日本も似てきているところもありますし、例外だらけの大雑把な話だとは思うのですがね。

なにか意味不明なことを書いているような気もするのですが、まあ、いいでしょう、そういう一日でしたということで。

追記

少しだけ直しましたが、酔って書いたせいか文意不明ですね。注記しておくと、別に私はリベラル嫌いではなくて尊敬する人もいますし、別に偉い人じゃなくてよくいそうな人でああこの人生粋のリベラルだなあと好もしく感じることもあるのですが、それでもなにか違和感が残る訳ですね。とりあえず歴史の感覚と書きましたが、言い尽くせていないような気がしますし、はずしているような気もします。なんなんでしょうね。つくづくアメリカ知らずです。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

アマテラスの誕生

アマテラスの誕生―古代王権の源流を探る (岩波新書) Book アマテラスの誕生―古代王権の源流を探る (岩波新書)

著者:溝口 睦子
販売元:岩波書店
Amazon.co.jpで詳細を確認する

神々の居す国に生まれたわりには日本神話の世界への接触が遅れたのはあるいは私がアカの家の出であることと無関係ではないような気もしますが、おそらくは戦後生まれの日本国民の多数にとっても神社参拝の際にへえと思ったりする以外にはこの世界は日常生活からやや遠いのではないだろうかと推察します。大学の同級生でその名すら知らない人にやや衝撃を受けつつも請われてアマテラスとは何かについて説明させられた時に、いや、私もさっぱり知らないぞ、これはちょっとまずいのではないか(汗)、と思ったことからアマテラス関連の文献に目を通すようにはしていました。また或るフランス人とこの神について話したこともありますが、日本好きのブログなどを見ていても、どうも日本に関心のある外国人の日本文化のイメージにとって彼女はひどく魅力的な存在のようですね。日本文化に占めるフェミナンなものの位相がひどくエキゾチックに見えるという話は今に始まったことではないですが、そうしたものを象徴し、要約し、凝縮する記号として映じるようです。まあそういう見方もどうなんだろとは思いますが。岩波新書で新刊が出ていたので紹介しておきます。

本書はアマテラス論であると同時にタカミムスヒ論でもあります。アマテラスはともかくタカミムスヒについては一般的な認知はかなり薄いだろうと推察しますが、日本神話研究に多少の興味を持ったことのある方ならば上古においてはアマテラスではなくタカミムスヒ(高皇産霊)こそ天の最高神、皇祖神に他ならなかったという説が有力であることは御承知かと存じます。天孫降臨神話においてアマテラスとともにあるいは単独で出現するこの影の薄い神の由来について著者は大胆な仮説を提出しています。著者によればタカミムスヒが登場するのは4世紀末から5世紀初頭のことであり、これは高句麗を最大の仮想敵国として国造りを進めるヤマト政権が新しい王権思想を朝鮮半島から輸入した際に創られた神であるということになります。天孫降臨型の神話が朝鮮半島に存在していること、さらには北方ユーラシア世界に起源を有することは以前から指摘されてきた事実でありますが、著者は4、5世紀の東アジア世界の国際情勢の中でこの神の由来を説明していきます。五胡十六国の分裂時代に活発化する周辺地域の国家建設の動きの中で中華世界と北方ユーラシア世界の二重の性格を持つ統一国家として高句麗が立ち現れるが、広開土王の碑に記されたようにこの高句麗との戦争で手痛い敗北を喫したことが倭国に王権の強化への志向を抱かせることになった、この際、強力な統一王権を正統化するのに適当な北方系の天孫降臨神話の骨格が導入されのだ、と。

この競争的模倣説とも呼ぶべき著者の仮説ですが、国内情勢に目を転じるならば、やはりこの時期に倭国に大きな変動が生じているとされます。それは倭国の独自色の強い文化から朝鮮半島の影響の強い文化への古墳文化の劇的な転換、応神王朝論や河内政権論が想定するような政権の動揺のことですが、この変動を対高句麗戦の敗北と関連づけるべきだと言うのが著者の主張です。かくして敗戦ショックで戦勝国を意識しながらの国造りというその後何度か見られたパターンを著者は5世紀前半に見ています。豪族連合的な社会から統一王権体制への転換にはそれを正統化する政治思想が必要であり、それが天孫降臨神話であるという訳です。

タカミムスヒそのものについては、まず記紀神話における天孫降臨の場面の分析からタカミムスヒが主神であるのが古形であり、両神が併記されるのが過渡期であり、アマテラスが主神となるのが最終形であるといいます。また祭祀の面に注目して「月次祭」(つきなみのまつり)が紹介されますが、「月次祭祝詞」によれば「八神殿」においてタカミムスヒを筆頭とする「宮中八神」が皇祖神として祭られていたこと、またこの祝詞にアマテラスの名が挿入されるのが後の時代であることが指摘されます。この天の最高神、皇祖神であるという論点に加えて、神名分析からこの神が太陽神であること、日祀部(ひまつりべ)において太陽神祭祀がなされていたこと、朝鮮半島の神話の神名分析(「解」の語義解釈)から王祖神の名前がタカミムスヒと同型であること、この「孤立した神」にまつわる伝承がきわめて異質であることから外来神であると考えられること等が主張され、支配者は天から降りてきた天の主宰神の子であるという神話を当時の先進思想として導入したという論点を確認しています。

5世紀に怒涛のごとく北方系文化が導入される以前の弥生時代に由来する古層の文化がいかなるものであったのか、著者は手がかりを神話に求めていくのですが、この点について戦後の歴史学の禁忌について触れています。しかし神話は無文字時代の思想や文化、社会や歴史に接近するのに貴重な情報源であり、不可知論はとるべきではないとしています。ここで著者が提示するのは記紀神話の二元構造です。著者によればイザナキ・イザナミ~アマテラス・スサノヲ~オオクニヌシと続くイザナキ・イザナミ系と天孫降臨神話を中心とするムスヒ系の二つの神話体系が存在し、両者は「国譲り神話」で結合されているとしています。著者によれば、まずムスヒ系建国神話が大王家と王権中枢の伴造氏族により作成され、次にイザナキ・イザナミ系神話が地方豪族によって作成され、第三に後者の主神たるオオクニヌシがタカミムスヒに国の支配権を譲るという神話を挿入して両系統が接合され、最後に海幸・山幸神話、日向神話が後から付け加えられて完成されたといいます。この説によれば豪族を中心に作成されたイザナキ・イザナミ系神話は4世紀以前の記憶の痕跡をとどめているということになります。

この系統の特徴として著者が挙げるのが、中国江南から東南アジア、東インド、インドネシア、ニューギニアに広がる南方的性格、「海洋的」性格、さらに「多神教的」性格です。海に関わる話に溢れていることは一読すれば判ることですが、本書では太平洋の彼方に存在するとされる「トコヨの国」とオオクニヌシとの関係などに触れています。多神教的というのは至高神のいない神々の戯れる世界のことで、4世紀以前の土着の神話世界における神々の王はアマテラスではなくオオクニヌシであったこと、圧倒的な量の伝承を誇るこの「国造りの神」に初期王権の性格が表れていること、天つ神と国つ神の二元構造は5世紀の作為であり、建国神話と分離してこの神を理解すべきことなどが論じられます。各種伝承から倭王が豪族連合の盟主に過ぎなかった時代の王権の姿が、有力神の頭領的存在であるオオクニヌシのイメージに透視されるとしています。

ではこの時代のアマテラスがどのような存在だったのかという点に関しては著者は伊勢地方の有力な地方神であったという直木孝次郎氏の有名な伊勢神宮論に同意しています。また日本書紀の伝承の分析から伊勢と沖ノ島が東国および半島への交通の要衝にあり、沖ノ島の宗像三女神とアマテラスとが神話上親子関係にあること、神功皇后伝説において政治的な役割を担った地方神として登場することなど皇祖神ではないアマテラスについて論じていきます。さらに著者の述べる神話の二元構造に対応して外来の北方系の神々が「連」系の氏グループ、在来の神々が「君」系の氏グループに担われるという分担体制が出来ていたとされます。この分担は「連」の下位の「伴造」系の氏が外来神、「君」系の下位の氏が土着神という具合に中・下の豪族層にも見られること、さらに地方豪族の系譜にイザナキ・イザナミ系の神話が記されていることなどから列島の豪族ネットワークにおいて神話の共有がなされていた事実に注意を促しています。

最後にこの地方の太陽神であったアマテラスが皇祖神、国家神の地位に格上げされるようになったのは律令国家の成立に向けて改革を推進する天武天皇の時代であったといいます。国際的な面から見るとこの動きは中国の文字文化という新しい外来文化を取り入れるにあたって古い外来文化である北方ユーラシアの支配者文化を脱ぎ捨てるという側面、それから圧倒的な中国文明に対して土着の文化で対抗するという側面があったのでないか、あるいは「蕃国」「朝貢国」として遇そうとする新羅への対抗意識の表れなのではないかと一般的に述べていますが、国内的には律令国家化の中での神話の一元化と姓制度の改革という政治課題に答える動きとしてアマテラスの皇祖神化を捉えています。天武による古事記編纂事業において日本書紀とは別のやり方で系統の異なる神話体系が統合され、一元化され、アマテラスが皇祖神の地位に置かれたが、これは一君万民的な世界観を必要とした天武の意向を受けたものであったといいます。また古事記において土着神系の臣、君の尊重と外来神系の連の軽視が見られるが、現実の姓の改革においても旧臣、旧君の尊重と旧連の軽視という古い伝統重視の志向が見られるといいます。かくして現実政治の場面では連系の重要性は疑えないにもかかわらず、文化的に古い層を担う集団に栄誉が与えられた点に著者は天武の政治的深慮を見ています。タカミムヒトのような政権中枢の王族や氏族にのみ奉じられた親しみのない神ではなく信仰の裾野の広いイザナギ・イザナミ系の土着の神のほうが求心力があると判断したのではないかと。古事記については激しい議論がある訳ですが、氏族対策という論点は朝鮮半島と対比させて国内情勢を考える上で極めて重要な論点かと思われます。

以上のように本書は5世紀から7世紀のヤマト政権=タカミムスヒ、7世紀末以降の律令国家=アマテラスと内外の情勢変化に対応して交代する王権を支える神々の系譜を描き出していきます。この枠組みそのものは他の研究者の著作からぼんやりと思い描いていたのですが、本書は壮大な展望の下に極めて詳細にこの交代劇を描き出しています。本書の特徴は神話学的分析と歴史学的知見とを接合する手つきにあります。私は後者の世界にはそれなりに親しんでいるのですが、前者は遠いところから望見している身ということもあって刺激的であると同時にその意見の妥当性について判断する術がないというある種のもどかしさも感じました。著者の説く神話の二元構造を真に理解するには著者の専門書のほうを読まないといけないのでしょう。読んだとしても私の能力を超えているのでしょうけれども。著者も述べているように皇国史観アレルギーに由来する神話を歴史へ持ち込むことへの極度の禁忌も問題だとは思うのですが、一方でやはり神話伝承を歴史的に評価するのは推論と解釈論の巧みさの勝負になりそうでなかなか難しそうだなという印象も受けました。この点で氏族系譜の議論が祭祀の担い手集団という地上に繋ぎ止められた現実の存在を持つだけに興味深く思われました。

文化の多層的、混交的な成り立ちという点に関して言えば、朝鮮半島からの流入を先として中国からの流入を後という風にくっきりと対照的に描いている点は、エクスキューズもあるのですが、やはり問題があろうかと思われました。時期的に影響の濃淡はあったにせよやはり常に既に交渉のあった世界なのでしょうから。個人的に中国南部との関係に興味があるせいかもしれません。それから北方ユーラシア世界や南方的世界や中華世界といった具合に外部世界がいくぶん抽象化され過ぎているような印象も受けました。もう少し特定された名称で論じないとイメージが先行してしまうような危惧があります。それから文化の混交性や多層性を論じるには外来/土着の二分法がやや強く出過ぎているような印象も受けなくもなかったです。同時代人がどう外来的なものと土着的なものを区別、認識していたのかに迫れたらこの枠組みもより生きてくるのかなとも思いました。よく判りませんが、当時にあってはそれもかなり流動的なものに思えます。最後に主権神や唯一絶対の至高神といった用語にいささか違和感を覚えました。主権概念を持ち込むとけこうややこしい議論を誘発しそうであることと神々の階層秩序が成立したとしても多神教には違いないだろうということです。日本語の語感の問題なのかもしれませんけれども、私の耳にはいささか西洋的に聞こえますね。

最後は素人にもかかわらず生意気にも注文じみたことも書いてしまいましたが、本書は明快、平易な文体で読みやすく、異論に対しても公平な姿勢が好もしく、なによりも伊勢神宮の外宮の森にほど近いところで幼少期を過ごされたという著者のアマテラスへの愛が静かに伝わってきますのでこのテーマに興味をもたれた方にはおすすめしておきます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

アルノルドゥス・モンタヌス「日本誌」の挿絵が楽しい件

3200681706_4211bf400f1via mutantfrog

BibliOdysseyで他の挿絵が見られます。17世紀オランダ人にとっての日本。これはなんなんでしょう。仏教なんでしょうけれども、異教の国ですねえ。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

シヴィックとエスニックの二項対立について

民族とネイション―ナショナリズムという難問 (岩波新書) Book 民族とネイション―ナショナリズムという難問 (岩波新書)

著者:塩川 伸明
販売元:岩波書店
Amazon.co.jpで詳細を確認する

本書は我が国を代表するソ連・ロシア研究者の一人によるエスニズム・ナショナリズム論です。90年代以降はこの問題を扱う研究の洪水状態になっておりますが、正直に言いまして類似図式の反復に個人的にはもう飽きていました。塩川氏の著作ならそれほどはずれはないだろうということで手にとりましたが、紙幅の制約にもかかわらず論点も整理され、事例もきわめて豊富でよく書かれていると思いますので同じような思いを抱いている方におすすめいたします。いたるところに散見される慎重な留保があるいはまどろっこしく感じられるかもしれませんが、そこが大切な部分だと思いますのでそうした部分にこそ注目して読まれるといいかと存じます。ナショナリズムというこの変幻自在な現象はお手軽な図式ではとうてい把握し切れない訳ですから。

第1章で理論的な問題を扱っていますが、氏はエスニシティー、民族、国民の三つの概念でこの現象にアプローチすることを提唱しています。言語なり宗教なり文化なりを共有している意識が広まっている集団をエスニシティーと呼び、この集団が国ないし政治的単位を持つべきだという意識が広まった時にこれを民族と呼び、国家樹立後の正統な構成員の総体を国民と呼ぶという風にゆるやかに定義されていますが、ここで可変性と流動性がきわめて大きいエスニシティーと民族の具体的な確定の困難と確定作業じたいがきわめて政治的な行為である点について注意を促しています。また三者を峻別すべきだとする規範的主張に理解を示しつつも三概念が入り組んだ関係をなしている現実の複雑性を対置しています。それから原初主義対近代主義、本質主義対構築主義、表出主義対道具主義という図式に対しても近代主義=構築主義=道具主義という暗に想定される等式が必ずしも成立しないことに注意を喚起しています。といった具合にこの章では理論家にありがちな抽象的原理からの現実の裁断の傾向に対して事実性の重視からニュアンスを含んだ分析概念の構成が目指されています。私みたいな人間には非常に好ましい態度でありますが、ここは意見が分かれるところなのでしょう。

第2章以降は具体的な歴史編になります。「国民国家の登場」と題される2章では欧州における国民国家の誕生、帝国(ロシア帝国、オスマン帝国、ハプスブルク帝国)の再編、新大陸における新しいネーションの誕生、東アジア(中国、日本、朝鮮)への衝撃が豊富な事例とともに記述されます。私個人はこの章では帝国の再編の節と新大陸の節、とりわけ南米の部分に興味を引かれました。ロシアのいわゆる「公定ナショナリズム」の中途半端性と南米におけるエスニシティーと国民国家の無関連性の部分です。アンダーソンのフィールドが東南アジアと南米である事実が氏の古典的な国民国家論におけるエスニシティーの軽視をもたらしているという指摘は多分正しいのでしょうし、逆に塩川氏がエスニシティーを重視せざるを得ないのはソ連・ロシア研究者である事実とも切り離せないのでしょう。

第3章では世界戦争の時代における自決論に基づく国際秩序の再編が記述されます。まずウィルソンの提唱したself-determinationの語が想定していたのはネーション、つまり米語における「国民」の自決である訳ですが、第一次世界大戦後における国際秩序の再編の焦点たるドイツ・中東欧・ロシア地域においては「民族自決」としてこの言葉がシンボル化されて激越な政治闘争の根拠として受け取られた経緯について言及され、第二次世界大戦後の植民地の独立を受けた国際秩序再編(インドネシア、インド、トルコ、アラブ諸国、イスラエル)や自立型社会主義の実験(ユーゴ、中国、ヴェトナム)が論じられています。この章は私の知識の空白部分が多いので非常に興味深かったのですが、なかでも「アファーマティブ・アクション帝国」ソ連の節がやはり力がこもっています。この論点については氏が以前から語られていたことですが、ソ連における積極的な「民族形成」政策と中心民族たるロシア人の被害者意識は昨今のこの地域のニュースを見る際の前提的知識として共有されるべきだろうと思います。

第4章は冷戦以降の現代世界の章で「帝国」アメリカ、欧州の東方拡大とエスニシティーの問題、新たなる民族自決の動き(ユーゴスラヴィア、旧ソ連およびその周辺地域など)、各地で起こっている歴史認識論争などが論じられています。まずグローバル化とボーダーレス化の進行とともに先進国においてエスニシティーをめぐる問題が激化していること、また現在の民族問題が第一次、第二次世界大戦の後の国際秩序の再編と同様に冷戦という「戦争」の戦後処理の性格を持つことが大づかみに開示されます。さらに冷戦終焉にともなって誕生した多くの国家に共通する性格として連邦制を採用していた多民族国家の旧共和国の枠組みに依拠している点が指摘されますが、ドイツ統一のように複数国家にまたがる「同一民族」が統一する場合もあれば、またモルドヴァとルーマニアのように「同一民族」にかかわらず統一がなされない場合もあるといった具合に一様ではないとされます。そして全体としては「民族自決」のスローガンがかつてのような輝きを失い、条件次第で認められるやっかいな主張のような受け止め方が広まっているとされます。あらゆる民族に自決を与える訳にはいかないという現実的な理由による訳ですが、あの民族に自決を認めてこの民族に認めない理由はなにか、その恣意性が不満を呼ぶことは不可避であると(コソヴォ独立の波及効果の懸念)。歴史問題ではトルコのアルメニア人虐殺、ナチスのホロコースト、第二次世界大戦中のセルビア人とクロアチア人の相互虐殺の記憶が政治的に利用される例やドイツとチェコの間の「追放」をめぐる問題、中東欧におけるユダヤ人虐殺への加担の歴史、ウクライナとロシア、エストニアとロシアの歴史認識論争などが挙げられていますが、犠牲者の人数をめぐる論争の泥沼化といった日本をめぐる歴史論争とも似たような構造があることが指摘され、アルメニア系トルコ人作家フラント・ディンクらの発言に歴史問題の乗り越えの可能性を見ています。加害と被害の重層性や相互入れ換え性についての冷静な指摘の部分は過熱しがちなこの問題について考えるのに頭を冷やす効果があるだろうと思います。

終章ではナショナリズムをどう評価すべきかという問題に踏み込んでいます。19世紀を通じて、それから第一次世界大戦後の民族自決の時代、また第二次世界大戦後の植民地独立の時代に至るまで国民国家形成やナショナリズムには基本的には肯定的な評価がともなっていたが、1990年代にユーゴスラヴィア内戦をはじめとした暴力的衝突が世界中で頻発したこと、また先進国においては移民排斥を訴える極右ナショナリズムが高まったことなどから肯定的評価が後退し、その克服が叫ばれるようになる傾向がある、とはいえその評価は論争的なままであると全体的な論調を要約し、「よいナショナリズム」と「悪いナショナリズム」の区別論を検討していきます。素朴なものでは「抑圧民族」のナショナリズムは悪いが「被抑圧民族」のナショナリズムはよいとする人々の感情に訴える議論があるが、現実には強者・弱者関係には逆転現象や重層関係があること、また国際秩序が流動化した際に誰が強者で誰が弱者か、誰が進歩的で誰が反動的なのかの裁定は中立的ではありえず、それ自体が極度に政治的行為となるとしています。またナショナリズムをリベラルなものと非リベラルなものに区別して前者をよいもの、後者は悪しきものとみなす議論(ミラー、キムリッカなど)、あるいは自由や公共性を目指すパトリオティズムをよきナショナリズムとみなす議論(ヴィローリ、ハバーマス)に対しては現実には両者は往々にして相互移行しがちであり、境界も流動的であると評しています。

さらにこうした区別論の中でも特に影響力のある図式としてシヴィック・ナショナリズムvsエスニック・ナショナリズムの二項対立が検討されています。ネーションの基礎にエスニックな共通性があるという考えが優位な国では合理主義や自由主義が排斥され、権威主義に傾き、自民族中心主義や排外主義が優位になりやすいのに対して、ネーションの基礎にエスニックな共通性を求めない国ではエスニックな多様性や個人の自由が尊重され、自由主義や民主主義と親和性が高いという例の噺です。こうした議論に対して著者は二点から疑義を呈しています。まず多くの論者において「西」ではシヴィック・ナショナリズムが優勢であり、エスニックな差異に対して寛容であるのに対して「東」ではエスニック・ナショナリズムが優位であり、偏狭で排他的であるというイメージが想定されているが、ここにはオリエンタリズム的発想が潜んでいる。そもそも「東」とされる諸国には均一性はなく、歴史的にも「東」の諸国のナショナリズムは「西」の諸国への対抗のための模倣であり、「西」と無縁なものではないと。

もうひとつの問題点としてこの二項対立が普遍主義vs特殊主義と結び付けられている点を指摘しています。実際には大半のナショナリズムは普遍主義の論理に立ちながら、特殊主義的な色彩を帯びるという二面性を持っているのであり、両者を分離することはできない。「我が国こそが普遍的な価値の担い手だ」という意識は「その価値の卓越した、先駆的担い手が自分達だ」というナショナリズムを正当化することになるが、これは「自由、平等、友愛」を掲げるフランス、「アメリカ的自由」を掲げるアメリカ合衆国、「社会主義インターナショナリズム」を掲げたソ連のナショナリズムに典型的に見られる。またドイツ、ロシア、日本もまた特殊性のみに依拠した訳ではなく普遍主義的論理を振りかざしていた。そもそも他者に対する自己の卓越性を主張する以上は物差しとしての普遍と自己を上位におく特殊との並存は論理必然的である。以上のようにこの二項対立はよいナショナリズムに分類される「西」の国々の危険な要素を覆い隠し、悪いナショナリズムに分類される「東」の国々を宿命的に劣った存在として決め付ける危険があるとして批判されています。

要するに、ナショナリズムは善とも悪ともなり得るが、予めなにが善なるナショナリズムでなにが悪なるナショナリズムかは原理的に決定できないし、また外部の観察者は誰が寛容な善玉で誰が不寛容な悪玉かを決定すべきではないし、こうした加担的態度は事態を悪化させるだけだ(アルメニア・アゼルバイジャン紛争でのデリダ、ハバーマス、ローティーらの思想的介入が糾弾されています)という禁欲的な要請がなされます。また紛争の原因論についても図式的な一般論は無意味であるとしていますが、エスニシティー、民族を要因とする紛争が軍事的衝突にいたる事例においては政治指導者達の役割が大きいとし、彼らが軍事的選択が「合理的選択」に見えるような条件とは既存の国家秩序が解体するような特別の状況が現出するケースに限定されるといい、小規模紛争の段階で悪循環的拡大を防ぐための初期対応の重要性が説かれています。「魔法使いの弟子」にならないようにと。

以上、アフリカを除くほぼ世界全体を対象としてナショナリズム現象を概観する本書は限られた紙幅の中でこの問題の複雑性を提示することに成功しているように思われました。善悪の価値評価を留保し、「寛容」や「相互理解」といった美名それ自体が政治的に機能してしまう現実まで記述する著者の禁欲的姿勢にはなにかしら畏敬の念に近いものすら感じました。ここから元気の出る当為を引き出すのはなかなか難しい訳ですけれども、よくある反ナショナリズム論やその逆の論にはないこうした歯切れの悪さを積極的に評価したいと思います。またここで何度か書きましたが、シヴィックとエスニックの二分法のはらむ問題には私自身意識的になっていることもあって最終章では考えさせられました。西洋志向の強い研究者からはなかなか出てこない論点ですが、ユーゴの時もグルジアの時もあるいは北東アジアに関しても西側メディアの論調のイデオロギー性にはいささかうんざりさせられていましたので。最後に要約困難なので歴史編は軽い紹介にとどめましたが、ここの部分が一番面白いことは言うまでもありません。民族問題やナショナリズムについては一般論はあんまり役に立たない訳で徹底的に個別的アプローチをしつつ同時に比較の視点を失わないようにするという本当に言うは易く行なうは難しの作業をここまで積み上げられた氏の仕事に対して敬意を表したいと思います。

| | コメント (2) | トラックバック (1)

今さらですが

戦後史のなかの日本社会党?その理想主義とは何であったのか (中公新書) Book 戦後史のなかの日本社会党?その理想主義とは何であったのか (中公新書)

著者:原 彬久

販売元:中央公論新社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

2008年の師走のこの忙しい時期に日本社会党の歴史を個人的に回顧することほど無益なことはまたとあるまいという気もしてきますが、やはり戦後政治史を回顧するにはこの政党を無視することはできません。社会党関係の書籍も折にふれてそれなりに目は通しているのでありますけれども、率直に言って少数を除くと現在の目から見て面白く思えるものはほとんどありません。本書は社会党の通史ですが、戦後政治とはなんであったのかという問題意識に貫かれているため社会党そのものに興味のない人にでも読める内容になっています。明晰かつバランスのとれた記述スタイルで非常に読みやすいですので政治に多少とも関心のある人ならば読んでおいて損はないでしょう。たぶん途中から気が滅入ってくると思いますが。一部だけ紹介します。

現在の目から見るならば、どうしてもあり得たかもしれない戦後史の視点、条件法過去の視点において回顧する他ないのですが、そうした視点から見るならば、やはり敗戦直後から片山政権時代に特に興味を惹かれます。社会党の思想的、運動的水脈は言うまでもなく戦前の無産運動に遡ります。農民労働党転じて労働農民党が分裂した結果生まれた代表的な三つの潮流たる日無系、日労系、社民系、この三派がそれぞれ後の社会党左派、中間派、右派を形作ることになった事実は著者も強調するようにこの党を理解する上で最も基本的な事実として想起されなければなりません。この三派が戦後になっても党内の路線対立や派閥対立の軸をなすことになるからです。日無系は共産党の支配を嫌った労農派マルクス主義者を中心としますが、最終的に社会主義革命を理想としている点では共産主義からさほどの距離はないイデオロギー集団です。次に日労系ですが、総力戦体制と深い結びつきを持っていた集団で岸新党いわゆる護国同志会のメンバーが多数含まれていたことでも知られています。以前紹介した雨宮氏の分類では「高度国防派」と「社会国民主義派」ですね。最後に後に民社党へと分裂することになる右派の社民系ですが、マルクス主義の影響の薄いこの集団のリーダーたる西尾末広が社会党結成の立役者であったこと、当初は社民系と日労系が中心で左派の日無系は少数派であったことが重要かと思われます。

また社会党党首として当初は徳川義親侯爵、さらには有馬頼寧伯爵を党首に担ごうとした点も興味深いです。前者は徳川19代当主にして戦前の軍部右翼の「国家改造計画」への関与で有名であり、後者は大政翼賛会事務局長で鳴らした人物といった具合に初期の社会党は総力戦体制の香りの濃厚な政党であった訳です。かくして結党大会において社会主義者達によって天皇陛下万歳や国体護持の称揚が堂々となされたこともなんら不思議ではありません。最後に党名論争においてマルクス主義階級闘争論に立つ日無系が「社会党」を望み、反共かつ議会制民主主義を重視する社民系が「社会民主党」を望んだこと、階級政党なのか国民政党なのかという問題が既に党名で争われた点が重要でしょう。日本名「日本社会党」英語名「ソーシャル・デモクラティック・パーティー・オブ・ジャパン」という意味不明な—考えてみれば意味深長な—妥協に終わった訳ですが。

戦後初の衆参総選挙で第一党に躍進した結果、社会党、民主党、国民協同党の連立による日本で最初の社会主義政権たる片山哲内閣が成立した訳ですが、著者によれば、戦後的な意味における「革新」を呼号するこの政権が社会党右派主導政権であった点が重要とされます。固定化してしまった社会党のイメージとは大分違っているのですね。第二に経済安定本部、いわゆる「安本」長官に企画院事件に連座した革新官僚たる和田博雄が就任したことは「安本内閣」と呼ばれるほどにこの政権にとって大きな比重をもつ事実であったとされます。個人的に企画院→経済安定本部→経済審議庁→経済企画庁の流れに関心を持っているのですが、安本に集った統制主義の革新官僚や社会主義者の面々にはある種の感慨を抱かされます。最後にここまでGHQの対日占領政策への応答が外交のすべてであったステージを脱して「日米共同防衛」構想を提出した点が戦後史における重要な転換点と評価されています。冷戦の高進にともない芦田外交が始動し始める訳ですが、本書ではガスコイン英代表との会談の内容について芦田メモから紹介されています。ここから伺えるのは後の日米安全保障体制の下絵が社会党右派と保守派の協同によって描かれたという事実です。少なくともこの時期の右派優位の社会党は欧州的社民主義を志向して資本主義陣営との連携を模索していたという点が重要でしょう。

私個人としては社会党の歴史で興味深いのはどうやらこの55年体制完成以前に限定されているようです。ある意味で社会党が最も輝いていた安保騒動については華麗にスルーすることにします。ま、その非現実的な目標は別にして社会運動史的文脈において全否定はしませんけれども。批判はしても全否定はしない主義ですので。また1960年代の構造改革派の江田三郎ブームをうまく利用すれば、欧州的社民主義ないし市民主義政党に脱皮してあるいは党勢を回復することもできたかもしれませんが、原則論において議会制民主主義を否定し、国民の代表たることを拒否している左派優位が決定的になって以降は勝利などあり得なかったという話です。自己改革能力を失って以降の路線対立も派閥争いもその哀れとしか言いようのない外交政策からも学ぶべきものはないでしょう。社会進歩的提言を時にはなしたこと、容共勢力を内部に抱えたことで日米関係強化に逆説的に貢献したことなどを取り分として認めることもできるかもしれませんが、後者は望んだものではないですからねえ。自由党と民主党の二大政党で戦後再出発していたら・・・とか岸信介が右派社会党に入党してあの恐るべき権謀術数で左派社会党を壊滅してくれていたら少なくとも欧州的な保守と社民主義の対立構図にもっていけただろうに・・・とか歴史にifを持ち込んではいろいろ考えてしまいます。

終章の「日本社会党の理想主義」で著者の社会党の評価が端的に示されています。通常の議会制民主主義において当たり前の権力移動システムが機能しなかった理由として社会党の「理想主義」を著者は重視しています。ここで著者は現実主義-シニシズムと理想主義-ドリーミズムの対概念で説明しようとしていますが、要は後者は前者の頽落形態であり、現実との接点を失って主観主義の牢獄に落ち込んだ社会党は心地よいドリーミズムに微睡み続けていた。また議会制民主主義が機能するためには「体制」へのコンセンサスが前提となるが、戦後日本の議会制民主主義はこの点で極めて脆弱であった。米ソ冷戦構造下にあって一方に自由主義、民主主義、資本主義を価値とする日米同盟にコミットする保守陣営がいて、他方に労働者中心の社会主義を標榜して中ソ北朝鮮に憧憬をよせる左派優位の社会主義陣営がいる。ここにおいては政権選択は「体制選択」そのものを意味してしまう。かくして政党Aに国民が不満を抱いているにもかかわらず、政党Bを選択することができない時政治不信は不可避のものとなる・・・

要するに戦後の政治エリートは国民に選択肢を提示することに失敗したということですね。私は別に戦後日本に対して自虐的ではなく胸を張って誇るべきだと思っていますが(「同時に」戦前を否定すべきだとも思いませんが)、やはり政党政治の成熟が遅延してしまったこと、安全保障体制の整備が中途半端に終わったこと、この二つの負の遺産が克服されるべき課題として残されていることは、カオス的な様相を呈している現在の政局を眺めるに日々実感されるところであります。もっともここ20年ぐらいずっと実感されるところな訳でありますが。とほほ。民主党内の元社会党のみなさんも「結党三人男」の精神を思い起こしていただきたいものです。彼らはそこまで愚かではなかったです。

おまけ
"Facing the Past: War and Historical Memory in Japan and Korea" by Gavan McCormack[Japan Focus]
エマニュエル・トッド氏言うところの「構造的反米主義者」—冷戦時代の亡霊—たるマコーマック氏がなにかまた呟いています。この記事そのものは特にコメントに値しないのでスルーします。日本に過去との直面を要求するのもいいですが、その前にあなた自身が自身の過去と向き合って自己批判することを私は待っています。Japan Focusの編集委員のみなさんはなぜこの道義的に疑わしい御仁を批判しないんですか。まあ似たり寄ったりの亡霊がメンバーに含まれていることは承知しておりますから最後のは修辞疑問です。人間ですから間違えることはあると思うのですよ、でもまずその事実を認めるところからすべては始まるのではないですか。それがないからいつまでも変われないんです。Yes, you can! 

"Back to the baths: Otaru revisited"[Japan Times]
ポール・ド.ヴリ氏による大先生の批判。読者欄でも呼応する声あり。ポール氏の「連帯責任」の説明には同意しませんが(アジアでなくとも起こりえる話です)、大先生のダーティーなやり口はもはや周知のところであり、今後も批判の声は高まるばかりでしょう。こんなやり方ではバックラッシュしか呼ばないなんてことは少しでも自国の移民をめぐる状況に真剣に思い悩んでいる人であればすぐに判る事柄です。最近はオバマ政権の誕生が自分の活動の正統性につながるなどといった甘い夢想を抱いているようですが、言うまでもなくそんなことはあり得ません。残念ながら公的に謝罪しない限りはあなたの汚名は消えません。あなたも変わらないといけない。Yes, you can!

追記
一部加筆しました(2008/12/12)。ちなみに社会党右派の指導者にして民社党初代委員長の西尾末広の自伝、それから革新官僚転じて社会党政審会長、国際局長の和田博雄の伝記はいろいろ考えさせられてなかなか面白かったです。特におすすめはしませんが。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

宿命ですか

"The 'Honne-Tatemae' Dimension in Japan's Foreign Aid Policy Overseas Development Aid Allocations in Southeast Asia"
読んでいて頭が痛くなりました。たぶん善意の人達なんでしょう。批判はいいんですよ、でもこの論文のなにが憂鬱にさせるかというとタイトルからも判るように外国人受けしそうな「文化的説明」を恥ずかしげもなく披露している点です。「本音と建前」論の誕生が実は最近のことらしい(それ以前は言葉の意味も違ったらしい)という「歴史的事実」を知らないようですね。といいますか参考文献にアンチ日本人論やメタ日本人論を挙げているのになんでベタな日本人論を展開しているのか意味不明です。それからずいぶんと理想化しているようですが、諸外国の援助の実態を知らないのでしょうかねえ。日本に必要なのは自己満足を止めて厳密な成果の評価と戦略的視点を導入することだと思います。なお私は「文化的説明」は好みませんが、援助をめぐる戦略性の乏しさという点ではいわゆる「お大尽」志向のほうがイメージ的には説得的なような気がしますね。まあ見直されるべき時期だという点には同意しますけれどもね。

"The Anxiety of Influence: Ambivalent Relations Between Japan's 'Mingei' and Britain's 'Arts and Crafts' Movements"
民芸運動とイギリスのアーツ・アンド・クラフツ運動の影響関係に関する考察。産業主義への反発から英国で生まれたモリスやラスキンらの伝統工芸の復興運動が柳宗悦の民芸運動に与えた影響についての入り組んだ関係を解き明かそうとしています。モリスやラスキンの著書はすぐに翻訳され知識人の世界ではブームとなった訳ですが、柳は民芸運動を日本オリジナルな運動と称して影響関係を認めなかったとされます。論者はこのアンビヴァレンツに西洋コンプレックスとナショナリズムの結合を読み取っています。また柳による朝鮮の民芸の美の発見の眼差しには帝国日本の他者に対するオリエンタリズムがあったとしています(「オリエンタル・オリエンタリズム」)。一方で英国では自己の文化的優越性を維持すべく日本の工芸を「野蛮」視するという冷ややかな態度が一般的であった点を指摘することを忘れていません。最後に西欧への劣等コンプレックスを抱くアメリカにおいては日本の工芸は欧州の工芸に匹敵するものと絶賛されたのことです。西欧コンプレックスを媒介に日米が結ばれるわけですね。いささか図式的な感じもしますが、イメージとしては判らなくもありません。

ただこの論文では近代日本の美的階層秩序の中における民芸が占める位置への言及が乏しいような気がしました。近代日本では「美術」制度は非常に不安定な状態だったわけで近代英国におけるモリスの占める位置とはやはり違うわけですから。またロシアの影響に言及しないのもどうかと思うのですがね。民芸運動というのはトルストイ主義や白樺派運動とリンクしているわけですよね。大正時代の日本帝国をめぐるジオカルチャラルな構図を描くのだとしたら、最大の仮想敵国である一方で知識層が非常に親近感を抱いていたやはり西欧への劣等コンプレックスに苦しむ大国ロシアへの言及は省くべきではないように思いました。あれがないこれがないというのはあまり上等な意見ではないのでしょうけれどもいわゆる大正生命主義に多少興味があるので柳宗悦のもう少しややこしい位置づけをおさえて欲しかったのです。

"Yosano rejects increased public spending"[FT]
"Japanese stimulus will fail, warns minister"[FT]
"Japan shuns role as leader of recovery"[FT]
与謝野氏がFTのインタビューでなにか評論家風の発言をしています。政治家としてこういう場面で正直に持論を展開するのは止めていただきたいのですが、与謝野氏になにを言っても無駄なのかもしれません。政策余地は少ないができることはしていきたいぐらいのことを言えばいいのに、ここで日本はなにもしないぞ宣言を高らかにされてもね。いや、そんなに大規模な財政政策を期待しているわけではないのですが、ここまで頑固だとは思わなかったです。私も見る目が甘かったようですね。ふう。ところで関連記事が3本もあるのはなぜでしょう。財務省からのクレームでもついたのでしょうか。どれも似たような記事に見えますけれども。「宿命論」というのは言い得て妙ですね。意図はともあれこれだと単にもう駄目だとしか聞こえないのですよね。

"German complacency poses a serious threat"[FT]
ミュンヒャウ氏のドイツについての論評。ドイツの欧州協調の拒絶が深刻な脅威となるという内容ですが、ドイツが意固地になっている理由として、ドイツの経済「構造主義者」の癖のある思考(改革はすべてうまくいっている)、歴史的にこうしたスランプに対応する能力のなさ(メルケルは大恐慌時のハインリヒ・ブリューニングと同じ)、最後にメルケルとサルコジの強烈な敵対感情の3つを挙げています。ドイツ経済の沈没もあきらかであり、またドイツがこの路線に固執する限り、欧州レベルでの適切な対応は不可能だ。アメリカの景気刺激策は大規模に過ぎ、欧州の財政刺激策は小規模に過ぎる。ECBの金融政策は限定的な効果しか持たない。最後は例のごとく

The dual problem in the eurozone, and in Germany in particular, is the conviction that all economic policy is structural and that the creation of a single currency is irrelevant to economic policy. The fallacy of those convictions will be demonstrated shortly – at crippling cost.

と暗い見通しを示しています。ところで“We can only hope that the measures taken by other countries ... will help our export economy.”に日本の本音と似たものを感じてしまったのは私だけではないでしょう。

おまけ
"De latrinis Japonorum"[Ephemeris]
エフェメリスで日本の便所のニュースが報じられています。世界に冠たる我が邦のハイテク便所でありますが、ラテン語で関連記事を読むことになるとは思いませんでした。俳句が引用されていますね。

"Fert mihi sola mea in vita latrina calorem."

人生で暖かみを与えてくれるのは我が便所だけだといった意味です。ラテン語になるとなにか違った響きがありますね。ポンペイの壁に遺された古代人の落書きみたいです。

| | コメント (10) | トラックバック (1)

封建制をめぐって

封建制の文明史観 (PHP新書)Book封建制の文明史観 (PHP新書)

著者:今谷 明

販売元:PHP研究所
Amazon.co.jpで詳細を確認する

室町政治史論や天皇論で高名な今谷明氏の新書です。ビザンツに関する著書で最近は比較封建制論に関心をお持ちであることは承知しておりましたが、本書からは著者の新しい関心の在処とともに著者のよって立つ基盤のようなものが伺えます。非常に大きな史学上のテーマを扱っていますが、同時に非常にパーソナルな印象を与える不思議な書です。特定のテーマについての新書としての完成度という意味ではそれはあるいは欠点なのかもしれませんが、私のような読者はある種の感慨を与えられました。封建制についての本というのも最近はあまり見かけませんし、このテーマに関心のない方にも近代日本が過去をいかに捉えたのか、あるいは西洋人が日本の過去をいかに捉えたのかといった事柄について予備知識なしで平易な文体で読めますのでおすすめしておきます。

多岐にわたる話題を同時に扱っているので率直に申しましてやや見通しがよくないのですが、本書は文明論としての封建制と日本の封建制をめぐる言説史のふたつのテーマを同時に扱っています。実際、前者に関しては本書ではそれほど明瞭な像が与えられるわけではないのですが、我が国の近代化にとって封建制の時代は不可欠であった、それなくして日本の近代はなかったという著者の確信が本書を通じて強く伝わってきます。そのヒントとして、モンゴル帝国の進撃を食い止められたのは封建制の確立していた西欧とエジプトと日本のみであった事実(著者は単なる神風原因論を否定しています)、また「東洋的専制主義」のウィットフォーゲルと「文明の生態史観」の梅棹忠夫の説を紹介してユーラシア大陸の内陸ではなくその辺境地域たる封建制を通過した西欧と日本において近代化が展開された事実を重視しています。実際、西欧と日本の歴史の奇妙な平行性について語られることが多いわけですが、著者はこれをグローバルな枠組みの中に位置づけることを志向しているようです。

こうした壮大な文明論の展望が語られる一方で、本書のコアになっているのは封建制の言説史です。日本においては「封建」「封建的」「封建制」等の言葉が概念規定の曖昧なままに多用されたこと、またその言葉に込められた思いや評価が激しく揺れ動いたことが叙述されます。まず概念規定の曖昧さには二重の原因があって、一つは中国の「封建」と西欧のfeudalismの両者の意味の間で混乱が生じたこと、もう一つは西洋の法制史的概念としてのfeudalismと経済史的な発展段階論(ドイツ歴史学派、マルクス主義)の概念としてのfeudalismの混同があったことを上原専禄の所論を紹介して指摘しています。さらにこうした混乱に加えて単なる旧弊や固陋を意味する非難のための言葉として明治および戦後にこの語が使用されたことがこの言葉の意味の過剰を生んだ大きな原因であったとされます。

まず近代以前における封建ですが、勿論これは群県に対するところの封建という中国的意味です。周の時代に王の一族や功臣を地方に分封し、その子孫が世襲をして各地を治めたという古典の記述に倣ったもので、この王の一族による分封は中国的ないし儒教的封建観と呼ばれています。「愚管抄」にせよ「神皇正統記」にせよ「武士の世」という言葉あっても「封建」の語はなく中世で同時代を封建時代と考えたものはいないとされます。しかし江戸時代になると本居宣長を含めた国学者達が大化以前の古代を封建の時代とみなす考えが生まれたといいます。国造が世襲して地方を統治する制度を「封建」とみなすと。さらに日本の中世を「封建」と捉えた最初の例は幕末の頼山陽の「日本外史」で、鎌倉、室町の開幕を「封建の勢」と呼んでいるそうです。

西洋のfeudalismを最初に封建と訳したのは他ならぬ「文明論之概略」の福沢諭吉で明治8年(1875年)のこととされます。福沢は門閥制度=封建制ということで啓蒙家として封建制批判の急先鋒に立つわけですが、著者はここで福沢の封建制攻撃は「為にする議論」であって本音ではないというニュアンスのある解釈をしています。またアカデミックな用法でもないと。なおこの訳語はまだ定着しておらず、法学者の間では「籍土の制」とされていたのが、国会開設の頃までに徐々に「封建制」にとって代わられたそうです。しかし文明開化の反対物としての封建といった民間の議論は別にして、伝説を次々と放逐したことで通称「抹殺博士」と呼ばれた実証史学の重鎮たる重野安繹の見解たる「日本に封建の制なし」が学会の公式見解であったとされます。これが変わるのは20世紀に入ってからで福田徳三、中田薫、三浦周行の三人の巨匠によって日本に封建制が存在したことが主張され、日本中世は封建時代であることになったといいます。ここで言う封建は勿論西洋的なfeodalismの意味の封建で日本と西欧の歴史展開が類似したコースを辿ったという認識が学会で広まったとされます。ここでの封建制は全く中立的な学問的用法であったとされますが、著者はここで開国時には圧倒的に思われた落差が日清日露戦争を通じて急速に接近したという意識が日欧を類似の存在としてみなす風潮として存在したのではないかと推測しています。

ここで学会から目を転じて島崎藤村の文明論が分析されます。西洋熱に浮かされて洋行し、一時はパリの日本人コロニーの主的な存在になるのですが、英国植民地でのコロノストの横暴を目の当たりにするにつれて祖国の運命に思いを巡らせる文明批評家藤村が誕生したとされます。西洋の植民地化に抗することを可能にしたなにか強力な「組織的なもの」はなんだったのかという問いに対して日本に中世があったこと、封建時代があったことを発見するプロセスは平田篤胤の熱烈な信奉者で最後は狂死した父(「夜明け前」の主人公)とのある種の和解を伴ったようです。藤村によれば日本文明とは江戸封建制の遺産の近代化である。こうした見方は明治世代とは異なって断絶ではなく江戸と近代の連続性を重視する立場であったといいます。少し引用します。

幸いにして我が長崎は新嘉堡たることを免れたのだ。それを私は天佑の保全とのみ考えたくない。歴史的の運命の力にのみ帰したくない。その理由を辿ってみると様々なことがあろうけれども、私はその主なるものとしてわが国が封建制度の下にあったことを考えてみたい。実際わが国の今日あるは封建制度の賜物であるとも言いたい。(中略)印度でもなく支那でもないのは彼様いう時代を所有したからではないか。今日の日本文明とは、要するにわが国の封建制度が遺して置いて行ってくれたものの近代化ではないか。

こうした封建制の肯定的評価が出現する一方で大正後半にマルクス主義が導入されると再び福沢諭吉同様の封建制害悪説が復活することになります。有名な講座派と労農派の対立(「封建論争」)についても言及されていますが(明治をブルジョワ革命後とみなすのか絶対王政とみなすのかという不毛なアレ)、こうした政治的議論とは別に朝河貫一や上原専禄の学問的業績が生み出されています。

戦後は再び「封建制バッシング」の時代となるわけですが、これは敗戦原因が日本の前近代性の克服の不十分性に求められたからで学会と論壇の両者で「封建」をめぐる言説がインフレーションを起こします。しかしここでも学問的な用語ではなく旧弊や固陋と同意味で「錦の旗のように」使用されたのは明治と同じであり、戦後啓蒙派の丸山真男、大塚久雄、川島武宜等も史的唯物論の影響下にあった戦後史学の言説も同様であったとされます。上原専禄による概念整理の提言が要請されたのは、講座派的な「封建遺制」の克服が社会運動の文脈でも政治課題として取り沙汰されたような沸騰的状況であったとされます。こうした高揚した状況の中にあって駐日大使となったライシャワーは封建主義的なものを経過したことが日本の近代化を促す要因となったと説きます。専制制度に比べて法律的な権利と義務が重視され、商人と製造業者は大幅な活動範囲と保障を得られ、政治権力の外部にあっては身分志向的な倫理観よりも目的合理的な倫理観が重視される傾向があると。これは西洋史ではごく標準的な見方ですが、史的唯物論の支配下にあった当時の学会ではタブーとなる考え方だったといいます。またライシャワーを擁護した西洋中世史学者の堀米庸三は封建制を先行統一国家の崩壊の後に治安秩序を維持するために自然発生的に生まれた不可避の制度であるが、同時に先行的統一への寄生をも要請するとして天皇制度が持続した原因を説明したとされます。こうした冷静な議論が可能になり、1970年代以降は封建制の用語の使用に人々が慎重になる一方でこの語のもつ「イデオロギー性」ゆえに歴史学会でも封建制を語るのを忌避する傾向が徐々に広まるといいます。2004年には保立道久氏が封建制は西欧に固有の制度で日本中世史理解から封建制概念を放棄すべきとする本を出版するにいたって「日本に封建の制なし」に再び戻ったかのようだと述べています。大谷瑞郎氏の批判を引用しておくと、

問題の所在については(中略)きょくたんな言いかたが許されるならば、第二次世界大戦後の日本における歴史学は、「封建」というまじない文句に振廻されてきたとも言えるのではなかろうか。「封建」ということばの安易な用法が、日本についても外国についても、また、近代からさかのぼって古代にいたるまで、歴史の見かたをゆがめてきたと言っても、おそらく言いすぎにはならないであろう。そして、その背景にはいわゆる「単系的発展段階説」が伏在し、それが大きな影響を及ぼしてきたのである。

かくして「日本に封建の制なし」から「日本に封建の制あり」へ、一方では「日本の近代化の原因」、他方では「日本の近代化を阻害する要因」と日本近代史を通じて学会、論壇を巻き込んだ論争を引き起こし続けた封建制ですが、現在は鳴りを潜めている状態のようです。またこれが開国と敗戦の二度にわたる日本の自信喪失の局面で否定的に使用され、そこから自信回復する局面で肯定的に使用されるというパターンを辿った点も興味深く思われます。つまり封建制をめぐる言説史は近代日本が自身の過去にいかに対するのかという態度の動揺をきれいに反映しているわけですね。なお本書ではザビエル以来の西洋人の見た日本と封建制についての言説も日本人の言説の鏡として叙述されているのですが、興味のある方はそちらのほうは購入してご確認下さい。初めて知ったことも多かったですし、個人的に勉強になりました。最後に本書の随所からまた上原専禄氏のobituaryのエピローグあたりからはなにか個人的に伝わってしまったものがあるような気がしますが、一読者として著者が今後もスケールの大きな比較封建制論的視座から新鮮な歴史像を提示され続けますことを期待しております。

追記
大谷氏の批判ですが、状況は例えばフランスも似たようなところがありますね。あちらもマルクス主義が強かったわけで1980年代以降に封建制について語るのになにかしら白けた空気が漂うようになる点も含めて。ただなにが違うのかと言えば、日本の戦後の学会が一色に染まってしまった点ではないでしょうかね。敗戦の心理的ショックに加えて学会におけるネポティズムの問題等いろいろあるのでしょうが、あまりにも支配的論調が硬直的だったせいで、それが倒壊した後にアカデミズムの信頼そのものを一時的に失わせる結果を招いてしまったという点は今後に生かされるべき教訓に思えます。90年代以降の「歴史認識論争」があれほど熾烈かつ不毛なものになってしまった原因はやはりアカデミズムの世界の側にもあったと思います。今のドグマ的な特定論壇の論調を擁護する気はさらさらないですし、先行世代の負の遺産を苦々しく思う現役世代の方々を批判する意図もないのですが(ええと、ゾンビ除く)、戦後のアカデミズムがもう少し健全だったならばたぶんここまでひどい状況にならなかったのでしょうねえ。ふう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

協同主義の地下水脈

占領と改革 (岩波新書 新赤版 1048 シリーズ日本近現代史 7)Book占領と改革 (岩波新書 新赤版 1048 シリーズ日本近現代史 7)

著者:雨宮 昭一

販売元:岩波書店
Amazon.co.jpで詳細を確認する

岩波新書のシリーズ日本近現代史は発刊とともに現在の左派ないしリベラル派史学者の動向をつかむべく目を通したのですが、その中で異彩を放っていたのがこの「占領と改革」である点には多くの方が同意されるのではないでしょうか。想定される岩波新書の読者層の困惑した表情を想像してしまいますが、たぶん想定されていない読者であろう私にも、うーむ、これは、とかなり微妙な読後感が残りました。ただ著者とモチーフを共有しない人間の目にも本書が荒削りな印象を与えるもののひとつのパースペクティブを示しているという点で無視できないように思えましたのでメモしておきます。

帯のいささか扇情的な「占領がなくても戦後改革は行われた その原典は総戦力体制にある」が示しているように本書は冒頭でジョン・ダウワー的な「サクセス・ストーリー」としての占領統治史に抗うことを宣言しています。反米色の強い右派論壇人の異議申し立てとは異質な理路を辿る本書が、現在もなお世界各地で強迫反復される「占領改革モデル」の相対化を目指すという動機に発していること、また同時にグローバル化の名の下に世界を席巻する「市場全体主義」に抗して「協同主義」の思想水脈の可能性を提示するという現在的な問題意識からなる戦略的読み直し作業であること、こうした点について著者は隠し立てなく正直に打ち明けています。ここで読者を選んでしまうわけですが、まあ先に進みます。

本書を理解する上でキーになるのが1980年代ぐらいから話題になった「総力戦体制論」の枠組みです。簡単に言うと、戦前と戦後を連続的なものと捉え、現代社会のシステムが戦時体制に端を発しているという見方のことです。これは日本に限った話ではなくて、一般に総力戦体制において政治、経済、社会の合理化、国民の平準化と平等化等等が進行し、こうした動きは戦後の福祉国家体制へと接続したとされます。例えばいわゆる構造改革主義のバイブルのように世間を賑わせた「1940年体制論」という本がありましたが、同じような認識に依拠して戦時に由来するとされるシステムの改革を説く書物でした。本書が違うのは市場主義に対して総力戦体制下に端を発する「協同主義」で対抗せよという真逆のモチーフになっている点です。来るべき社民主義的なものの可能性をここに見るということですね。そしてこうした著者のモチーフがよくあるナラティブを転倒させるような暴力的な読み直し作業を導くことになっています。

著者の用語系では「高度国防派」「社会国民主義派」「自由主義派」「反動派」の4種類に戦前の政治潮流が分類されています。高度国防派は上からの軍需工業化と国民負担の平等化を強行する政策を推進した陸軍統制派や革新官僚のことです。東条英機、岸信介、加賀興宣、和田博雄といった具体名が代表するところの勢力です。社会国民主義派は下からの社会の平等化、所有と経営の分離、労働条件の改善、女性の社会的地位の向上を目指した勢力で近衛内閣周辺の人脈や昭和研究会のメンバー達のことです。本書のキーワードの「協同主義」や亜細亜共同体はこの人脈に由来しますが、風見章、麻生久、有馬頼寧、亀井貫一郎、千石興太郎といった人物がこの派に分類されています。自由主義派は産業合理化、財政整理、軍縮、自由主義経済政策を追求する20年代以来の政財界の主流勢力で、田中義一、浜口雄幸、鳩山一郎、吉田茂などの名が挙げられています。最後の反動派は明治体制への復帰を唱える勢力で観念右翼、地主、陸軍皇道派、海軍艦隊派がここに分類されています。真崎甚三郎、末次信正、三井甲之などの名前が挙げられています。

勿論この分類については異論もあるでしょうけれども、そもそも多様性を切り分ける作業たる分類とは本質的に暴力的なものでありますし、この大ざっぱな分け方にもそれなりの認識利得があるように思えます。左右とか保革といった枠組みに依拠しなくてもいいところ、また右翼と軍部の台頭により・・・といった通俗的なナラティブを無効化させてしまうところがあるからです。 著者によれば、総力戦体制を構築したのが前二者であり、これに抗ったのが後二者であるということになります。これがはっきりするのは戦争末期において自由主義派と反動派が反東条派、反翼賛派を形成して倒閣運動を起こした例の動きです。実際、反動派の領袖たる平沼騏一郎のきわめて両義的な動きは私も以前から気になっていました。本書で引用される近衛文麿の言葉を引用すると、

軍閥と極端なる国家主義者が世界の平和を破り日本を今日の破局に陥れたことに付いては一点の疑いもない、問題は皇室を中心とする封建的勢力と財閥とが演じた役割及び其の功罪である、此の点米国に於いては相当観察の誤りがあるのではないかと思ふ。即ち、米国では彼等は軍国主義者と結託して今日の事態を齎したと見て居るのではないかと思う、然るに事実は其の正反対であって彼等は常に軍閥勢力の向上を抑制する「ブレーキ」の役割を努めたのである。(中略)日本を今日の破局に陥れしものは軍閥勢力と左翼勢力の結合であった、今日の破局は軍閥としては確か大なる失望であるが、左翼勢力としては正に彼等の思う壷なのである。

というように戦争の原因を軍閥勢力(高度国防派)と左翼勢力(社会国民主義派)に求め、封建的勢力(反動派)と財閥(自由主義派)がこれに抗ったのである、米国はこのことを理解していないと近衛公は述べています。今でもアンクルサム氏は理解していないようですね。いまだに政治勢力としてはどうということもない人々に過剰にぴりぴりしているわけですから。

なお社会国民主義派ですが、著者は本書においてその戦争責任を糾弾しているわけではなく総力戦体制下における現代化勢力としてむしろ「肯定的に」捉えています。そしてニューディーラーと協同主義はきわめて近い政治潮流であったにもかかわらず、占領軍はこのことを認識できずに彼等を超国家主義者と見誤ってしまった点を指摘しています。また改革とされるものもすべて高度国防派と社会国家主義者のタッグが用意していたものであり、占領統治がなかったとしても戦後改革はなされたであろうとし、リベラリズム対封建主義という素朴な対立図式で理解しようとした占領軍の不見識を嘲笑しています。彼らが改革したと錯覚した日本は総力戦を通じて既に現代化した社会だったのであり、この致命的な錯誤は現在もなお米国の世界戦略を狂わせていると。なおググってみた限りはどうみても左派である著者はこの章で右派と見まがうほどの「愛国」ぶりを発揮しています。また翼賛体制の「肯定的側面」(そう言う言葉は使っていませんが)を説く著者は戦後左派の認識の縛りを軽々と突破しているようです。

戦後この協同主義がどうなったのかですが、翼賛政治会、大日本政治会、日本進歩党、民主党の流れ、また日本協同党、協同民主党、国民協同党の流れに受け継がれ、国民民主党で両者が合流して改進党、日本民主党、最後には保守合同により自民党の中に協同主義の潮流が流入したプロセスを描いています。また社会党にも協同主義の潮流は流れ込んでおり、イデオロギー的には左から共産主義、社会主義、協同主義、自由主義の中央の位置を占め、左右の両者に関わっていたとされます。そして協同主義的な政権として著者は片山政権と芦田政権を挙げています。さらに55年体制が完成して以降も自民党、社会党の内部で協同主義の思想水脈は命脈が保たれ、戦後日本の中道的なスタンスを可能にした要素と著者はみなしているようです。著者には岸信介と社会保険についての論考もあるようですからこの高度国防派の領袖の一人も協同主義者として評価しているのでしょう。最後に現在世界規模で自由主義派が席巻する中にあって協同主義派の復活に著者は期待を寄せているのは当然のことですね。戦後的な保守と革新の対立の時代は終焉し、自由主義対協同主義の対立の時代に回帰したとしています。

淡々とした筆致で書き進められるのですが、以上のような著者の認識はきわめてラディカルなものに見えます。社民主義的なものの価値を説く人はたくさんいますし、亜細亜主義の可能性を説く人もそれなりにいますが、総力戦体制的なものに自己の政治思想的根拠を求める人はあまり知らないからです。いえ、そういう潮流を知らないでもないのですが、ここまでストレートに語った例はあまり知りません。政治的にはどちらかといえば穏健と賢明を求める一方で、認識におけるラディカルさにはわりと寛容な質ですので居心地の悪さとともに著者にはもっと走っていただいて左派やリベラル派を撹乱して欲しいものだなという感想を抱きました。もっとも現実において高度国防派と社会国民主義派が今後台頭するようなことになったならば、自由主義派としては反動派とタッグを組んで(笑)打倒する側にまわりたいものだとここに書き記しておきます。自由主義派と穏健な社会国民主義派の連携というのは場合によってはあり得ましょうけれどもね。といった具合にこれは歴史の書というよりは政治の書です。歴史好きとしては協同主義に関するもっと緻密で実証的な研究がなされることを期待します。このテーマはいろいろなものが見えてきそうで面白そうですね。

追記
最後のほうは半ば冗談みたいに書きましたが、景気後退が長引くと「協同主義的」な声も大きくなる可能性がありそうです。それがアジア主義的感情と接続して奇妙なイデオロギーにならないことを祈っています。また左派論壇には素朴な反米主義的感情をうまく処理することを願います。戦後的な思考の縛りから解放されることそのものはいいと思うのですが、歴史の探求はともかくこの論調では政治的にはやや危うい印象を受けます。興味深い事実や認識を提示しているとは思いますけれども。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ドイツ語できる人求む

"Bouclier antimissile américain : Sarkozy fait marche arrière"[NouvelObs]
東欧に設置されるミサイル防衛システムについて先週の木曜と金曜にサルコジ氏がかなりストレートに批判したことは大きく報じられていましたね。ミサイルの設置は不適切であり、欧州の安全に貢献しないと。この発言はもはや宿敵と化した感のあるチェコ大統領の憤激をひき起していましたが(ポーランドからもお前は関係ないだろ発言がありました)、G20の後にはあっさりとトーン・ダウンしています。曰く、ミサイル防衛システムは「他国、とりわけイランからの脅威に対する補完物」となるだろうと。ブログでも書いたようにグルジア紛争勃発時には少し違う感想を持っていましたが、だんだんフランスの戦略が見えてきて基本的に合理的なんだろうと思っていたのですが、ちょっとこの展開は拙かったように見えます。少なくともオバマ政権の対露政策が見えてから動くべきだったのではないでしょうかね。どういう圧力がかかったのかは判りませんが(G20に出席していたオルブライトあたりでしょうか)、結果、ロシアの猜疑心を高める結果になったように思えます。いつものおっちょこちょいなのか、あるいはレヴィット氏あたりの入れ知恵なのか判りませんが、まあ、またリカバリーに動くのでしょう。

"French Socialists torn after congress failure"[FT]
社会党党大会については仏語メディアはずいぶん騒いでいましたが、このFTの記事は要領よくまとまっていますね。分裂の危機かまで言われていましたが、社会党、あいかわらず重症です。結局、パリ市長のドラノエ氏が退場してロワイヤル氏とオブリ氏の対立構図が残される結果になりました。問題はこの二人の対決がなにを意味しているのか意味が判らないところにあると思います。理念的な路線対立というわけでもなく、また誰の利害を代表しているのか(階級、地域、人種)不透明ということもあり、結局、ただのいがみ合いにしか見えないところが問題です。さっそく右翼からは野次が飛んでいますね。さすがに政党政治が機能しないというのはまずいと思うのですが(まあ我々は慣れっこですが)、むー、このままフランス左翼は沈没していくのでしょうか。社会党については書き出すと長くなりそうなのでこのぐらいにしておきます。

"Ce n'est plus Jean-Marie Le Pen qui dirige le Front national"[Rue89]
国民戦線のごたごたですが、幹部級のカール・ラングとジャン・クロード・マルティネがどうやら離脱する可能性があるようです。「もはや国民戦線を指揮しているのはジャン・マリ・ル・ペンではなく娘だ。残念だがそういうことだ」というのはラング氏の弁。ラング氏は国民国家派、マルティネ氏は欧州派ということで最近の欧州極右の分裂傾向を体現しているような二人ですが、両者から見ると娘のマリヌはぬるくて仕方がないようです。発言だけみるならば、別に与党UMPの議員でもおかしくないような人ですからまあそれは判らなくもないです。ということで一世を風靡した(?)国民戦線もすっかり退潮のようです。

"Jean-Pierre Jouyet quitte le gouvernement"[Coulisses de Bruxelles]
ジャン・ピエール・ジュイエ氏が欧州担当閣外大臣を辞職する話については書きましたが、この件についてのカトルメール氏の論評です。英語圏ではジュイエ氏の辞職後はサルコジ氏周辺のユーロ懐疑派勢力が強くなるのではないかという危惧する声が既に見られるようですが、カトルメール氏の意見では、まずクシュネルは駄目(海外プレスに対する荒っぽさと軽蔑ゆえに)、また空位が続くようだとサルコジ氏周辺の助言者連中がやりたい放題する危険がある。また現在サルコジ周辺でドイツ語を話せる人間がいないのに対してベルリンの欧州チームは全員フランス語を話せるという状況でこれがパリに対するルサンチマンになっている。したがって空位期間は短く閣僚級の人物でドイツ語が出来て・・・と条件を挙げています。あまり夢見ることはできないとおっしゃっていますが、実際、そんな人間はいるのでしょうかね。普通に考えるとアンリ・ゲノー氏かジャン・ダヴィッド・レヴィット氏のどちらかが主導しそうな気がしますが、どちらにしても周辺国の猜疑心を高めそう(特に前者)です。ここは重要ポストですから興味深いです。

こんな具合でどうもサルコジ氏のパワーを前にあらゆる政治勢力がかすんでしまっている感があります。また今後の対欧州政策の責任者が誰になるのかというのはフランスだけの話ではないのでかなり重要ですね。当初のパプリック・イメージ(「大西洋主義者」「新自由主義者」云々)は多分につくられたものでしたが、徐々に地が出てきているところなだけに目が離せないです。もっともなにが地なんだかよく判らないのですけれどもね(笑)。筋金入りのボナパルティストということなんでしょうかね。

ではでは。

追記
ゲノー氏あたりの入れ知恵→レヴィット氏あたりの入れ知恵に直しました。実際のところよく判りません。しかし、バランサーってなかなか難しいですね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

変われば変わるほど

「狡(こす)いぞ日銀」[産経]
一般紙はまたスルーかと思ったのですが、産経が今回の利下げについて批判的な記事を掲載しています。産経の経済論調ってこんな感じでしたかね。一言、「狡いぞ」と。中央銀行の政策について一般の人が関心がない(さらに日銀がなにをしているのかも知らない)というのはどうかと思いますのでこうやって記事が出ること自体は多分いいことなのでしょう。でも普通に考えてこういうイベントの時にはエコノミスト達が各紙に論評を寄稿するものだと思うのですが。ところで産経サイトの「小新聞化」傾向は世の中的にはどのように受け止められているのでしょうか。世相への敏感さとある種のアナーキーさが持ち味だったのは以前からそうだったような気もするのですがどこまでいくのかやや心配になります。

“パラオの父”死去 日本軍玉砕のペリリュー島で遺骨収集や慰霊に尽力[産経]
産経らしい記事ということなのかもしれませんが、遺骨収集事業に関しては個人的に思うところがあるので感慨深く読みました。こういう方への感謝を忘れるべきではないですし、また個人で執念深くやっている方にも関心が払われるべきです。本当は政府が動くべきなのであって、こういう部分を怠るから祟られるのだと思います。

"Probing the real Japan"[JT]
国際交流基金賞受賞記念のケネス・パイル氏のインタビュー記事。著名な近代日本外交史家で最近話題になったJapan Risingの著者です。積読ですが、明治期の欧化と国粋のせめぎあいを扱った著書もあります。このインタビューでも著者の基本的な考え方が示されています。長期的な視座からいわゆる政治文化の連続性を強調する議論ですから文句のある人もあるでしょうが、そうした視座にはそうした視座なりの認識利得があるのだろうとは思います。それですべて説明されると困りますがね。

まず日本はその生存のために外的環境の変化にきわめて敏感でなければならないという条件を背負っている国であるという点。長期的なスパンでの外部環境への適応の話です。インタビューにはありませんが、著者によれば、ここから日本の驚嘆すべき「機会主義」の伝統が生まれると。外部からの無原則的な文化の摂取の貪欲さもこの外部環境への敏感さと関わっているわけです。島国は多かれ少なかれそういう傾向があるような気がしますが、これはまあその通りでしょうね。

それから日本の保守的伝統とはなにかという点。日本の保守的伝統は全歴史を通じて一貫している。アメリカは占領時代に日本を民主化し、保守主義を根絶やしにしたと考えたが、彼らは生き残り、今でも権力を握っている、今の内閣のメンバーを見てご覧なさいなと。それで日本の保守とはなにかという点ですが、

And Japanese conservatism is very different from conservatism in, say, Europe, where you have a set of deep-seated conservative principles. Japanese conservatism is pragmatic. It goes with the flow.

欧州の保守のようなプリンシプルズを持たないプラグマティストだ、流れのままに行くと。go with the flowというとなんだか禅みたいです。なんだかんだ言っても私はこういうプラグマティズムの伝統については基本的には尊重していますので、ドグマチックな保守には違和感を抱くのかもしれません。非イデオロギー的な実際家といえどもやはり言葉は欲しいわけでそれを供給する言論の質の悪さに困惑させられてしまうようです。ついでに言っておくとパイル氏によれば日本の保守的エリートは国粋主義だろうが亜細亜主義だろうが自由民主主義だろうが西洋的な意味において「信じている」わけではないということになるのですが、そこまでクールなマキャベリスト集団とまで言えるかなという気もしてきますね。「情」の成分の濃さというのもありますね。

最後に外部から見るとなにをしたくてどこに行こうとしているのかさっぱり判らないが、そこには感知し難いdeliberateな戦略というものがある。インタビューでは、最初に日本に来た頃には戦後の世界情勢への非関与は平和主義や戦争のトラウマによって説明されていたが、そこには戦略の存在が感じられた、永井陽之助教授が「吉田ドクトリン」と名付けたものだが、日本が戦略をもっているということを見つけ出すことが一番エキサイティングだったと語っています。また日本で変化が起こる時にしばしばその急激さで外国人を驚かせるが、それは部分的には我々がレーダーの下で進行している事態について研究していないからだと言います。

The things that are changing — they're there, and when the tipping point comes, whether it's through North Korea deciding to fire a missile over Japan again, or Chinese provocation, or something, or a consensus reached through a political realignment at home — Japan can change very rapidly because those things are there.

those things are thereのフレーズを繰り返しているのですが、お前さんには見えないのかと言いたいのかもしれません。そういうわけで著者はJapan Risingでやはり微細な兆候的な事象から今後は日本が外交的にassertiveになると予測しています。インタビューでは軍国主義云々ではないよと釘を刺していますね。前からそう思っていましたが、このインタビューを読んでいて日本研究というのは暗号解読に近いものがあるんだなとあらためて感じました。また日本研究者の第一世代と第二世代の差について述べているところも興味深かったです。ライシャワー世代に比べるとsympatheticでないということはないのだが、アカデミックなのでもう少しdispassionateだと。個人的にはこのぐらいの距離感がいいようです。それと小沢一郎の高評価がこの人の特徴でしょうね。そこからアーミテージ・ナイ・リポートを批判したわけです。日本がイギリスみたいになるはずがないと。ところでJapan Risingの邦訳がなくて韓国語訳があるという状況はどうなのよと思います。あちらでは日本の野望云々の文脈で受け取られているようですね。とほほ。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

反論では弱過ぎる

"Rudd angered by Gallipoli remarks"[BBC]
日本にとって第一次世界大戦はやはりどこか対岸の火事のように—それが誤りの始めだったわけですが—記憶されている歴史事象でありますが、ガリポリ上陸作戦は後のトルコ共和国初代大統領ケマル・アタチュルクが当時零落の一途をたどっていたオスマン・トルコ側の「反乱将軍」として獅子奮迅の激闘をしたことで有名な戦いです。オーストラリア史には最近まで興味がなかったので恥ずかしながらこの戦いで敗北した側へのインパクトについて知ったのはごく最近のことでした。そういうわけで個人的にとてもタイムリーな記事でした。オーストラリアとニュージーランドのネーション意識形成にとって重要な意味を持つとされるこの戦いの評価をめぐって元首相と現首相の間でちょっとした諍いが生じているようです。記事によると、労働党の元首相のポール・キーティング氏の発言は以下。

Without seeking to simplify the then bonds of empire and the implicit sense of obligation, or to diminish the bravery of our own men, we still go on as though the nation was born again or even was redeemed there - an utter and complete nonsense.

これに対してラッド首相がガリポリはオースラリアのナショナル・アイデンティティーの一部であり、この戦いの犠牲となった兵達はプライドの源泉であり続けると批判しているとのことです。「ナショナリスト」ラッドの一面が出ていますね。記事にもあるように、この戦いで勇敢なアンザス軍兵士が無能な英軍に裏切られたという「伝説」(ママ)が旧宗主国からの独立意識の高揚に大きな役割を果たしたとされているようですね。オーストラリアのナショナル・アンデンティティー・ポリティックスもなかなかに複雑なようでそれが時に不透明に見える動きとなって現れることもあるようです。最近少し勉強し始めたばかりの素人ですのでここではあまり踏み込まないことにします。なお今日はオージー・ビーフをいただきました。牧畜業のポールさん(かどうか知りませんが)には感謝を捧げます。

"U.S. candidates vow to 're-engage' Japan"[Japan Times]
アメリカの両大統領候補の対日政策についてのJTの記事。小泉ブッシュの蜜月時代—首脳同士の個人的関係に依存する—から徐々に齟齬が大きくなっている中で日米関係をどう再定義していくのかは勿論我が国にとって死活的な問題なわけですが、関係者を除くとどうもそういう問題意識が広く共有されているようにあまり感じられないのが困ったものです。それほど濃い内容ではありませんが、ジャパン・ハンズや研究者の声が拾われているので便利な記事かもしれません。個人的にはマケイン氏よりもオバマ氏のほうが日本の国益にとってはいいのではないかと思い始めていますが、これには賛成しない方も多そうな気がします。ただ嬉しいことを言ってくれる相手が必ずしもいいパートナーとは限らないわけで、一部にある民主党アレルギーにはあまり根拠がないように思います。それもある種の対米依存心の現れだといったら叱られるのでしょうか。記事の最後にあるように問題は日本側で政権交代があった場合にどうなるかですね。やはりやらかしてしまうのかもしれません。それが致命的なものにならないことを願うばかりですが、いくらなんでもそこまで愚かではないだろうと信じたいものです。

白川日銀総裁記者会見の一問一答[朝日]

 ──与謝野馨経済財政担当相が利下げに肯定的な発言をして以降、日銀の考えが変わった印象があるが。総裁は政治的な圧力を感じたか。

 「結論から言うと、政治的なプレッシャーを感じたことは全くない。どの委員もそうだが、国会の同意を得て内閣が任命して政策委員メンバーが選ばれるが、いったんこの仕事に就くと、何を一番大事にするかと言うと、自分に託されている仕事をしっかり果たしていくという責任だ。責任は、その瞬間で評価されるのではなく、ある程度の時間を経て経済や金融の姿によって評価される。それだけに、何年何月にこういうことがあったというのは、ほとんどの人は覚えていない。自分が、ここでどういう決断をするかが、将来の金融・経済にどのような影響を与えるか、その一点で判断をしている。例えば、これだけ経済情勢が厳しい中で、政策金利を引き下げてもどれほどの効果があるのか、ということもあると思う。確かに、今、経済の大きな調整を考えると、金利だけで変化するわけではない。一方で、日本銀行は金利政策を委ねられている。自分達自身がアクションに責任を持っている立場であり、そうした立場で何をやるべきかということをギリギリ考えているということだと思う。ほかの委員の頭のなか、感情の動きをわたしが云々する話ではないが、自分の経験からして政治的なプレッシャーがあって、この際、金利を下げようと判断した人は1人もいないと断言できる」

へえ、そうなんですか(棒読み)。しかし金利の上げ下げのたびにこうも方々からノイズが発生するのは本当に困ったものです。日経も・・・。日銀がまるで高い見識をもって政策決定しているがごとく見せることが大切だと思うのですけれどもね。

"So much for the Japanese system of lifetime employment"[Coming Anarchy]
またですね。これほどの責任ある公的地位にある人間がなぜこうも不用意な個人的見解を公表したがるのか理解を絶しています。繰り返しますが、歴史は歴史家に任せろです。この「論文」は読んでいませんが、報じられている限りでは「正論」あたりのサークルの論議とさほど変わらないように見えます。仲間内の談義の臭いがします。この方はまったく存じ上げておりませんが、幕僚長がこの程度の見識では困ります。個々の論点についてコメントしませんが、この手の論調の問題を指摘するならば、それが「反論」でしかない点です。「東京裁判史観」とやらへの反論形式をとっている限りは永遠に脆弱な立場にとどまり続けるでしょう。たとえそこに実証的になにほどかの貢献があったとしてもです。戦後の支配的言説に不満があったとして事実を淡々と積み上げて単純なナラティブに複雑な現実を対置するか、より洗練された複数のパースペクティブを提示していくかのどちらか以外にはなんら生産性はないのであって粗雑な「反論」の形をとった時点で敗北してしまいます。不条理に思えてもそれが現実であることを認識してください。ともかくこういう自爆は百害あって一利無しです。拍手をおくっているむきには暗澹たるものしか感じません。あなた方はすっきりすればそれでいいのですか。政権の動きは迅速で評価に値すると思います。やはり麻生氏は外交に関してはなかなか手堅いようですね。

ではでは〜。

追記
後で読んで舌足らずに感じられましたので追記します。「歴史は歴史家に・・・」というのは単に放っておけという意味ではなくて歴史問題については国際的に通用する学者を養成することが大切だという積極的な意味合いもあります。また不用意な発言に対して批判的なのであって、一切語るべきではないという意見でもありません。ただ余程戦略的に振る舞わないとやられます。メディアも日本語圏以上に英語圏のメディアを意識したほうがいいと思います。もはや主戦場はそちらになってしまっているようですから。次に幕僚長の主張ですが、論点のすべてを全面否定するつもりはないですが、単純な誤謬に溢れていますし、自衛隊のトップクラスの主張としては幼稚過ぎると思います。こんなチープな陰謀論つかまされるなんて。最後に「正論的」論調(ひとくくりにはしませんが)については「東京裁判史観」へのアンチをやっている限り、そこから抜け出せなくなると思うのですね。東京裁判そのものはいくつかの優れた仕事によって既に「歴史化」されているわけですからもはや議論の参照点にしないほうが賢明だろうと思います。またここにこだわりだすと反米主義しか出てこないような気がするのですが。また一部の論者はその悪魔化の修辞の乱用により視点が極度に狭隘化してしまっていて対立する当の相手のイメージもそうとうに奇妙なものになっていると思います。もはやマルクス主義者全盛の時代ではないのです。アンチが強くなり過ぎると対立する当の相手をちょうど裏返したようにしてドグマ化、イデオロギー化してしまうなどとよく言われますが、その見本のような話に思えます。こういう人々に関しては、率直に申し上げまして、左翼イデオローグもろともに没落することを祈っています。

再追記
雪斎氏の軍人勅諭による批判にシビれてしまいました。まあここで226を想起するのはいささか行き過ぎかもしれないとは思いますが。今回の事件には人をして脱力させるなにかが漂っています。なおこの件についてはいろいろ読んでみていくつかの軍事ブログが一番説得的でした。

| | コメント (15) | トラックバック (0)

実に寒い一日でした

寝ぼけたまま半袖シャツで出勤したので寒い一日でした。真の阿呆ですね。以下気になった記事をクリップしておきます。テーマはまったくありません。

阿佐奈伎尓(朝なぎに)…万葉歌刻んだ最古の木簡が出土[読売]
紫香楽宮から万葉集と同時代の歌木簡が発見された報に続いて、明日香村の石神遺跡で出土した7世紀後半の歌木簡に万葉歌が刻まれていたことが判明したそうです。いやあ、発見が続きますね。

木簡は羽子板を逆さまにしたような形で、長さ9・1センチ、幅5・5センチ、厚さ6ミリ。万葉集巻七に収められた「朝なぎに 来寄る白波見まく欲(ほ)り 我はすれども 風こそ寄せね」のうち、万葉仮名で左側に「阿佐奈伎尓伎也(あさなきにきや)」、右側に「留之良奈●麻久(るしらなにまく)」の計14文字が2行にわたって、クギのようなもので刻まれていた。歌の大意は「朝なぎに寄せて来る白波を見たいと私は思うが、風が吹いてくれない」で、作者は不明。(●はニンベンに「尓」)

朝なぎに来寄る白波見まく欲(ほ)り我はすれども風こそ寄せね

年代測定の根拠は記事にある近くで発見された「己卯(つちのとう)年(679年)」と記された木簡なんでしょうか。遠方よりの客人のための饗宴施設や役所があったところだそうで、饗宴の席で詠まれたものと推定されています。実に微妙な時期でありますね。万葉学の深淵にはアクセスできずに、その周囲を経巡っているだけのただの素人でありますが、いっそうの解明が進むことを期待します。

保守政策の配当金は 危機の震源から遠い日本にも[FT]
近況報告みたいな記事なのでそうですねえという他ないですが、金融立国!のかけ声は当分聞こえなくなりそうな雰囲気ですね。最後は製造業があって羨ましいな、日本はということですね。英国の次の一手が楽しみです。国内消費はどうしたら高められるのでしょうねえ。ふう。

"Robot girl mix up"[Guardian]
少女ロボット・スーツのニュースは私もあちこちで見て、ああ、またテクノオリエンタリズムか、とため息をついたのですが、考えてみれば、老人が少女のロボット・スーツを着るってすごい光景ですよね。というわけで「カット・アンド・ペイスト・ジャーナリズム」がいかにこの奇怪なマシーンをつくりあげたのかについての検証記事。ネタ元はザ・サンでしたというオチです(笑)。ネット情報からでっちあげたサンの記事が伝言ゲーム的に主要紙の紙面を飾るというのはかなり兆候的な現象だと思います。実はいわゆる一流紙ですら取材をせずに在日外国人のブログやフォーラムをソースにして記事を書くパターンは珍しくないんですね。いくらでも例はあります。そのうち私もメイキング・オブのエントリを書きましょうかね。

Olivier Besancenot : "Avec la crise, un chapitre des possibles est en train de s'ouvrir"[Le Monde]
前に紹介したフランスの「左の左」のブザンスノ氏のインタビュー。2009年の1月に例の反資本主義新党の立ち上げが決定しているようです。このたびの危機について可能なるものたちの一章が開かれつつあると述べております。労働者、消費者が監督する唯一の公的銀行サービスの下に全銀行を統合せよとか、今や社会変革の必要にして可能なる時なのだとか語っています。このキャラクターがうけるのは判るのですが、反資本主義派はどのぐらい支持を集められるのでしょうかねえ。共産党から国民戦線へ流れた層を引っ張り込めるかどうか。はるかに生温いですが、なんだか1930年代みたいな話ですね。Rue89に新党結成の舞台裏の詳細を伝える記事がありましたので仏語読みはどうぞ。

"The Great Illusion" by Paul Krugman[NYT]
クルーグマン氏が第二のグローバル化が終焉するのではないかという不安を語っています。以下、多くの人々が懸念とともに想像している図柄でしょうけれども、氏が語るのはそれはそれで意味があるのでしょう。訳ではありません。グルジアは兆候だ。第一のグローバル化が唐突に終焉した後に来たのは、民族主義の時代だった。食料危機を考えよう。食料自給なんていうのは古くさい考えで世界市場からの輸入に頼ればいいとされていたのが、食料の高騰とともに、ケインズの言う “projects and politics” of “restrictions and exclusion” が復活した。民族主義と帝国主義に戻ろう。グルジアは経済的にはたいした意味はないが、パクス・アメリカーナの終焉を画している。欧州のロシアへのエネルギー依存は中東への石油依存に比べても危険に見える。ロシアはウクライナに供給停止をして既にガスを武器に使っている。ロシアがもしその影響圏への支配を武力でもって主張したならば、他の国はこれに続かないだろうか。中国が台湾に武力侵攻した時に起こるだろうグローバル経済の混乱を想像しよう。そんな心配はいらぬと言うアナリストもいる。グローバルな経済統合は戦争から我々を守ってくれる。なぜならば繁栄する交易経済は軍事的冒険主義を妨げるだろうから。第一次世界大戦の後に19世紀イギリスの作家Norman AngellはThe Great Illusionという有名な本を出版したが、そこでは現代の産業時代にあっては軍事的勝利で得るものよりも失うもののほうが多いと論じられている。第二次グローバル化の基礎は第一次のそれよりも堅固だろうか。ある意味はイエスだ。例えば西欧民主主義諸国の間での戦争は考えることすらできない。経済だけではなく価値によっても結合されているからだ。しかし世界の国々はこうした価値を共有しているわけではない。征服がペイするというのは大いなる幻想だという信念を述べている点でAngellは正しいが、経済的合理性が戦争を抑止すると考えるのもまた大いなる幻想だ。今日のグローバルな経済的相互依存は想像する以上に脆弱なのだと。まあ実際に経済的合理性で動かない国だらけですからねえ。困ったもんです。というのは暢気すぎるコメントですが。

"Baltic Dry index at lowest since 2002"[FT]
第一次グローバル化がなぜ終焉したのかについて保護主義よりも輸送コストの果たした役割が大きいという論文については前に紹介しましたが、輸送関係のニュースです。de-globalizationの傾向は海運に現れそうですので、注目したほうがいいでしょう。

The cost of shipping bulk commodities such as iron ore, coal or grains on Thursday tumbled to its lowest level in more than six years as recession fears intensified and the difficulty of obtaining trade finance left many ships without any cargo.

The Baltic Dry Index, a benchmark for shipping costs and seen as an indicator of global economic activity, fell 6.75 per cent to 1,506 points, its lowest level since November 2002. The index has plunged 53.2 per cent since the end of September.

The average daily cost for the largest dry bulk vessels – known as Capesize and used mostly to ship iron ore from Brazil and Australia to China – on Thursday sunk 11.4 per cent to just $11,580 a day.

この海運の輸送コストを示すバルティック・ドライ・インデックスが2002以来11月以来最低レベルに達しているそうです。9月末からでは53,2%も低下しているとのこと。またブラジルやオーストラリアから中国への鉄鋼石の輸送に用いられるケイプサイズとして知られる輸送船のコストも低下中。そのため輸送船を出せない状況だそうです。この海運市場のクラッシュですが、特に大型輸送船の蒙っている損害が大きいようです。また中国の需用低下の影響が現れているとのこと。さらに金融が引き上げてしまったためにトレード・クレジットのレートが急上昇している模様です。タンカー輸送の市場も打撃を受けているとのこと。むう。デグローバラズしていますね。

"The Okinawan Alternative to Japan’s Dependent Militarismby Gavan McCormack"[Japan Focus]
Client Stateが翻訳されたばかりで(邦題は『属国』でしたか)最近は沖縄にご執心のマコーマック氏です。韓国の建国記念の際には道徳性を装ったプロパガンダ記事を書かれていましたね。とっても分かりやすいお方です。この記事についてはコメントいたしません。私は沖縄についてこんな風に「べき論」を高らかにそして気安く語る非沖縄県民を軽蔑しているのですよ、日本人だろうが非日本人だろうがね。ところで、あなたはポルポト裁判を傍聴して自己の認識を公的に表明する道義的義務があると思うのですが、こんなところでなにをやっているんですか。道徳警察官を気取るのはまったく趣味ではないのですが、訳書が出たことですし、この御仁を持ち上げる人も出そうですから釘を刺しておきます。こんなことを言っても、愚か者達が呼び合うのは世の常ですけれどもね。これはイデオロギーに免疫がなく人を疑うことを知らない善良な人々に向けた忠告だと思ってください。私は善良な人々が惑わされ騙される光景はもう見たくないんですよ。賢くなってくださいね。

ではでは。

| | コメント (4) | トラックバック (1)

快楽亭ブラック

Electronic Journal of Contemporary Japanese Studies[ejcis]という日本研究の電子ジャーナルの存在はどれぐらいの人に知られているのか判りませんが、ここは一定の水準の記事が多くてそれほどはずれが少ないなという印象があります。寄稿者の大部分は英語圏の日本研究者ですが、日本人研究者もいますね。ただ日本語圏でここが参照されたり、ここから議論が展開したという光景も見たことがありません。なんとなくもったいないので新しいのを2本紹介しておきたいと思います。

"Transforming Security: Politics Koizumi Jun'ichiro and the Gaullist Tradition in Japan" by H.D.P. Envall[ejcis]
「日本のゴーリスム」をテーマにした論文ですが、岸信介、中曽根康弘、小泉純一郎の安全保障政策が検討されています。そもそも戦後日本にゴーリスムの伝統はあるのかという点から議論は開始されています。以下内容を要約すると、確かにゴーリスムの伝統はあるのだが、理想主義的な少数派だ。また日米同盟を受け入れている点で軍事リアリストと論じることも可能だろう。とはいえ自立(autonomy)を目指す伝統というのはあり、岸、中曽根はこうした目標を共有していた。実際には首相として日米同盟の枠組みの中で現実的にアジェンダを追求したのだが。小泉もまたこの伝統に適合する。前二者よりも自立への関心は低いようだが、憲法改正や自立外交(イラン、北朝鮮)といったゴーリスト的な政策を追求した。また小泉は安全保障に関する国内変化をもたらしたという点で前二者よりもはるかに前進した。今後ゴーリスムが日本の政策となるかどうかは未知数だが、この可能性を開いた点で小泉は重要であると。

日本の外交安全保障潮流を記述する際の用語系ですが、戦後日本には非武装中立主義、政治リアリズム、軍事リアリズム、ゴーリスムの4種類が存在したという望月氏の分類に基づいているようです。軍事リアリズムとゴーリスムの違いは前者が日米同盟を自明視しているのに対して、後者が「自主防衛」への志向を少なくとも理念において保持している点にあるようです。そして論者が強調しているのは日本のゴーリスムが国内アジェンダとの関連性が強いという点です。国内体制を変化させるためにこうしたアジェンダが追求されると。それから日米同盟との兼ね合いから自立をめぐるパラドックスがあるとしています。日米同盟の強化によるアジェンダの追求という形をとると。憲法9条と日米同盟という枠組みの中で自立を追求するのだからそうなるのは自明なのですが、英語で説明するにはここから確認しないといけない訳ですね。ただアメリカと接近することがむしろ自立性を強化するのだという考えは別にパラドックスではないと思いますけどね。この点でCIAのスパイだから岸はどうのこうの言っている人は底が浅いですね。この人はなかなか凄いです。現在のフランス的な補完的自立の道というのもないわけではないのですから。結局のところコストを考えて判断するしかない訳ですが、後者の志向も現実的にはともかく原理的に排除すべきではないと思いますね。素朴な反米主義の情念に染まった自立論には私は与しませんが、安全保障関連についてはもうタブーなく様々なオプションが検討されるべきなのは言うまでもないことだと思います。

"Narrating the Law in Japan: Rakugo in the Meiji Law Reform Debate" by McArthur, Ian[ejcis]
こちらは面白かったですね。名前しか知らなかった明治の外人落語家快楽亭ブラックと自由民権運動、明治の司法改革の関わりを探った論文です。イギリス植民地オーストラリア出身の英国籍のヘンリー・ブラックが渡日したのは1865年のことですが、新聞社のスタッフ、政治活動家、演説家、落語家として精力的な活動を展開します。自由民権運動の最高潮の時期には民権論、条約改正、監獄制度の是非、ナポレオン、吉原の廃止、開国のデメリット、治外法権、刑事訴訟手続き、コレラ予防、陪審制、政体論、課税、証拠裁判の説、米価高騰、人民と政府の関係などについて登壇して演説をしたといいます。1880年の政府の集会条例による弾圧以降はいわゆる軍談グループに参加して政治活動を続け、1890年には落語家グループに参加、真打ち快楽亭ブラックとなります。論者によれば、ブラックのキャリアは、この時期多くのかつての闘志が政治小説家になったり社会運動に参加したり新聞を創刊したりしたように、民権運動の拡散のプロセスをなぞるものであったといいます。

落語は映画登場以前の最大の大衆的娯楽であった訳ですが、論者によれば、検閲にひっかからずに自由な表現ができる柔軟なメディアであったとされます。この時代の落語家はマスにアピールする教育者、啓蒙家、エンターテイナーであり、また出現したばかりの大衆向けのいわゆる「小新聞」、さらに落語の「速記本」を含めたメディア環境はブラックのアジェンダの追求の場として相応しかった。主として落語化された英語の探偵小説やミステリー小説をレパートリーとしたといいますが、このジャンルは社会規範や司法批判の要素を含んでいます。以下論文は司法に関わる師匠の三遊亭円朝とブラックの噺の比較分析をしていますが、前者が儒教的なモラルへのノスタルジーに染められているのに対して後者が西洋化と近代性のネガティブな影響への警告を含むものの基本的に変化に楽観的であるという対照性を示しているとされます。

結論として1890年代においても寄席や速記本のオーディエンスの間では近代性が好奇心と議論の対象であったこと、西洋並みを目指した司法改革によって失われたモラルを哀惜していたことが指摘されています。最期にこのアプローチの差は近年の司法改革の議論においても同じように見られるが、一方通行の議論にならないようにするためにもこの時代の国内法と西洋諸国の法律との擦り合わせの歴史に注目すべきであるとしています。また歴史的経験から日本側からもいろいろメッセージを発することができるだろうと。

大衆メディアと民権運動、翻訳文学、テキストと口頭、在日外国人(帰化日本人)、司法改革の問題など論点は非常に多岐にわたるのですが、いわゆる外人タレントのはしりみたいな存在でもある「江戸の英国人」快楽亭ブラックという人物が単純に興味深かったですね。この人物を突き動かしていたのはフリーメーソンとしての情熱だったようですが、ここまでやる人はそれはそれで尊敬に値するように思えます。英語の世界に閉じこもっている人々に比べたらね。民権と落語というテーマは他にも論じている方がいたと記憶してますが、政治史中心の民権運動史では見逃される運動の裾野を垣間見させる面白いテーマだと思いました。演歌もそうですが、この時代はとても政治的なんですよね。しかしディケンズやモーパッサンが落語化された時代なんですよねえ。凄い時代です。

こんな感じで興味をひいた記事はまた紹介したいと思います。ジャパノロジストの成果が英語圏や研究者の狭いサークルだけで閉じているのはもったいないと思うのですね。何度かケチをつけたので誤解されているかもしれませんが敵愾心を持っている訳では全然ありません。ただアカデミシャンの間でも健全な相互批判がなされているのかどうか怪しいというのと、一般的に日本の公論との間で相互性が欠如しているのはとても問題だと思うので、その資格があるのかどうか不透明な素人にも関わらずあえてブログで紹介したりコメントしたりしている訳ですね。というわけでお気を悪くされないように願います。

ではでは。

| | コメント (10) | トラックバック (0)

佐賀藩の位置

幕末維新と佐賀藩?日本西洋化の原点 (中公新書 1958)Book幕末維新と佐賀藩?日本西洋化の原点 (中公新書 1958)

著者:毛利 敏彦

販売元:中央公論新社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

本書は論争の書である「明治六年政変」(同新書)で知られる日本近代史家の手になる幕末維新期の佐賀藩の位置づけを問い直すという主旨の新書です。私はいわゆる幕末マニアではないのですが、歴史好きですのでこの時期にもそれなりに関心はあります。薩長土肥と言われるわりには影の薄い佐賀藩ですが、地域史家の杉谷昭氏の著作からこの渋い藩には以前から惹かれるものがありましたので手にとりました。感想を一言で言えば佐賀藩史としてはやや物足りないが、この藩の重要性を一般に訴える意味において価値のある新書といったところです。この時期に関心のある方にはおすすめしておきます。全体は「徳川国際秩序」(「鎖国」の言い換え)における長崎御番という特異な位置、幕末における藩主鍋島閑叟(かんそう)の藩政改革、司法卿江藤新平の司法、教育改革、最後に佐賀の乱を論じるという構成になっています。

著者によれば、日本社会を後戻り不可能なまでに根底から変貌させた明治維新の引き金を引いたのは「西洋の衝撃」であるが、この「衝撃」とは具体的には黒船に象徴される鉄製大砲と蒸気機関であった。この技術的優位が西洋諸国をして非西洋諸国の植民地化と資本主義世界市場の形成を可能せしめたものであり、日本の開明的な指導者は「夷の術を以て夷を制す」という当時可能なる唯一の戦略をとることで日本の近代史は幕を開くことになった。したがって鉄製大砲の製造、運用技術の体系的な導入は明治維新史において主軸となる事業であるはずだ。その意味において鍋島閑叟の果たした役割はもっと注目されなくてはならないと。

「徳川国際秩序」において唯一の国際色豊かな都市長崎の御番をあずかる「百日大名」(参勤交代が百日に制限)の誉れを得ていた佐賀藩は江戸時代を通じて外国に対して開かれた土地であり続けた訳ですから、幕末の国際情勢の急変に最も敏感に反応したのがこの藩であったことも当然のことでしょう。鍋島閑叟は藩主に就任するや否や長崎視察とオランダ船乗り込みを実施し、以後これを恒例化するという破天荒な人物であったこと、医学寮を西洋医学のセンターとしたこと、いち早く高島流砲術(洋流と和流の折衷)を導入したことなどが言及されますが、これはすべて天保年間の微睡みの時期になされたことに著者は注意を喚起しています。アヘン戦争の衝撃にもっとも敏感に反応したのも閑叟で、青銅製大砲から鉄製大砲への転換を押し進め、「火術方」を設置し、開発研究、製造や砲術、銃隊訓練センターにし、オランダ国書を携えた使節の開国要求に対しては長崎防衛構想を練り上げ、幕府とは別に単独で長崎沖合砲台を神ノ島、伊王島に設置します。かくして当時の技術の総決算とも言うべき沖合砲台が完成したのはペリー来航の前年のことで、以後、アームストロング砲、蒸気機関、蒸気船の開発に成功した先進的科学技術を保持する藩として名を馳せることになります。

その火力において特異な地位を占めつつも「肥前の妖怪」と呼ばれた閑叟が主要な政治勢力から距離を保ち続けた老獪な政治家であったことが維新史における佐賀藩の存在感の希薄さの原因となった訳ですが、この洋学の伝統の強い藩は明治の国づくりにあたっても技術者のみならず優秀な人材を輩出し続けます。その代表者として著者が本書でとりあげているのが江藤新平です。江藤の業績については著者は「江藤新平」(同新書)で既に論じていますので、この新書では藩主鍋島閑叟とのつながりが強調されています。上の新書と同じく江藤は日本の「人権の父」として描かれていますが、司法と教育の近代化、さらには日本という国民国家の形成においてこの鋭利な知性が果たした役割が絶賛調で論じられていきます。私自身の感想を差し挟んでおきますと、著者の江藤新平評についてはいささか陰影が乏しいかなあといったところです。その輝かしい業績に疑問を抱く者ではありませんが、もう少し幅のある人のような印象も受けるからです。

江藤を論じるところで本書の論述は佐賀藩を離れてしまうのですが、佐賀の乱と江藤の悲劇的最期のところでまたこの土地に議論が戻ります。この経緯は著者の「明治6年政変」の枠組みが踏襲されています。すなわちこの政変を「征韓論政変」とはみなすべきではないという議論です。この議論の入り組んだ論争史についてはここではパスしますが、いずれにせよ、この薩長勢力の再結集と土肥勢力の駆逐をねらった政変によって江藤新平は貧乏クジを引くことになります。いわゆる「佐賀の乱」については著者は江藤には反乱の意図はなかったとしています。下野の後に民選議員設立建白書の提出に加わった江藤は直ぐに佐賀に戻りますが、この土地で自由民権運動を組織化しようとしたものと著者は推測しています。この時期征韓論をめぐって一部士族が騒ぐ程度で佐賀の治安はごく安定しており、江藤自身この士族達と距離をとり、長崎に静養していたにもかかわらず、東京では武力討伐論が優勢を占めた訳ですが、著者はこの原因を大久保利通の嫉妬という個人心理に帰しています。この点はかなり弱い議論に思われますが、いずれにせよ政治的抹殺には違いないのでしょう。

かくして著者によれば近代日本の形成において果たした役割において鍋島閑叟や江藤新平に比べるならば人気の坂本龍馬、高杉晋作、新撰組や白虎隊などは派手だが「歴史の端役」に過ぎない。そしてこの不当な軽視は佐賀の乱(本書では「佐賀戦争」)の後遺症によるものであり、彼らを軸にして維新史は見直されるべきであると結論づけています。私はまずまず面白かったのですが、江藤を論じるあたりから佐賀藩からフォーカスが外れてしまうところが物足りなさの原因なのかもしれません。軍事史的な観点をもっと導入したならば藩としての存在感をもっと説得的に描けたのだろうかとも思います。いずれにせよ維新史において正当な評価がなされていない人物達は他にもいるはずで今後も問題関心の変化に応じて読み直しの作業は続くのでしょうね。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

普遍史から世界史へ

聖書vs.世界史?キリスト教的歴史観とは何か (講談社現代新書)Book聖書vs.世界史?キリスト教的歴史観とは何か (講談社現代新書)

著者:岡崎 勝世

販売元:講談社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

ドイツ啓蒙主義の歴史研究の研究で知られる著者による新書です。歴史研究の研究ですから著者の専門はいわゆる「歴史の歴史」と呼ばれる分野に属することになるのでしょう。つまり過去がなんであったのかの研究ではなく、過去において過去(大過去)はいかに理解されていたのかの研究ということになります。この新書の扱う対象は巨大でありまして数千年スパンでキリスト教的歴史観(普遍史)から近代の科学的歴史観(世界史)への変化を跡づけています。明確な枠組みの下にケレン味のない実直な文体で細部にまでよく目の行き届いた記述がなされています。西洋文化一般に関心のある人には必須の(さほど関心のない人にも有益な)知識を新書で手軽に得られるのでありますからこれは買いだと思います。以下内容の簡単な紹介です。

「普遍史universal history」なる聞き慣れない言葉でありますが、18世紀ぐらいまで西洋世界を支配し続けた聖書に依拠した歴史観のことを意味します。旧約聖書の記述に基づいたこの世界史は「古代的普遍史」「中世的普遍史」さらにルネサンス、宗教改革、大航海時代、科学革命の時代と時代ごとにその姿を変じていくのでありますが、18世紀に啓蒙主義によってついに息の根を止められたとされるものです。これ以降、近代歴史学の発達にともなって登場し、我々の存在をもまたその内部に巻き込んでいるのがかの「世界史world history」と呼ばれる歴史観であります。

著者に倣って旧約聖書に歴史の枠組みを求めるならば、天地創造に始まりノアの洪水にいたる第一期、セム、ハム、ヤペテを始祖とする諸民族の興亡を経てアッシリアの時代までの第二期、「ダニエル書」が描く四世界帝国(カルデア、メディア、ペルシア、ギリシア)が興亡する第三期、そして「ヨハネの黙示録」に描かれるローマ帝国の支配下で迫害に苦しむ第四期から構成されることになります。次に歴史の典拠となる旧約聖書に関しては、ヘブライ語聖書、ギリシア語訳聖書(七十人訳聖書)、サマリタン版聖書、ラテン語訳聖書(ウルガータ)と複数あり、その記述や数字の齟齬が後の論争の火種を提供することになったとされます。さらにこれを素材にして歴史を構成するその作法(聖書年代学)の起源となったのが例のユダヤ人歴史家のヨセフスであり、キリスト教徒も彼に倣うことになりますが、後の時代に決定的な意味をもったのがエウセビオス=ヒエロニムスの年代学とアウグスティヌスの救済史とされます。

エウセビオス=ヒエロニムスの年代学ですが、例えば、ノアの大洪水が2242年、イエス生誕が5199年です。言うまでもなくこれはキリスト紀元ではなく創世紀元ですが、エウセビオスはこうした旧約聖書の年代学の中に他の世界をいかに組み込むかに腐心します。バビロニア、エジプト、ギリシア、ローマの各地の歴史や伝説を旧約聖書の世界観へ強引に組み込んでいくのですが、アッシリアやエジプトの処理には多くの矛盾を残すことになったとされます。これは後述のように大問題となります。次にアウグスティヌスですが、この古代最大の教父の「神の国」と「地上の国」の交錯からなる救済史においては人類史は8つに時代区分されています。また人間の成長に類比して「幼年期」(第1期)「少年期」(第2期)「成年期」(第3〜5期)「老年期」(第6期〜)とも呼ばれますが、イエス生誕以降人類史は老年時代に入る訳です。例えば、独自の計算によって大洪水は2262年、イエス生誕は5349年と修正されますが、この救済史にエウセビオス的な年代学が組み込まれ、大きな筋立てとして四世界帝国論(アッシリア、ペルシア、マケドニア、ローマ)も継承されたといいます。

かくして古代的普遍史が完成されるのですが、これはローマ世界に対するキリスト教の護教活動と結びついていたとされます。うさんくさい新興宗教との疑念を前に旧約聖書との連続性を強調することで古さと正統性を主張し、聖書の歴史に世界の全民族の歴史を包括することでキリスト教的世界観の優越性を示し、もってギリシア人やローマ人に改宗を説得することを目的としたと。また第四帝国たるローマ時代にイエスが出現したことをもって「神の国」の担い手がユダヤ人からキリスト教会へと移行したと説明することでユダヤ教との差異化もはかったとされます。いずれにせよ普遍史は天地創造から神の国の実現までと始まりと終わりの明確に区切られた独特の時間感覚をもった歴史として、当時正典視されたという「バルナバの手紙」によれば6000年という明確な時間幅(あと何年残っているのか!問題)の歴史として構成されることになります。

この古代的普遍史を中世に引き継ぐ役割を果たしたのが7世紀のイングランドの修道士ベーダです。彼の「時間論」および「時間計算論」の内容はほとんどエウセビオスとアウグスティヌスの枠組みそのままですが、ベーダ経由でこの古代知は中世に受け継がれたそうです。しかし真に中世を代表する普遍史を書いたのは12世紀のフライジングのオットーであるといいます。彼の「年代記」のローマ帝国までの内容はアウグスティヌスの丸写しですが、オットーの独創はその後の時代の処理にあるとされます。西ローマ帝国が滅んでしまった後の歴史をどのように普遍史枠組みに組み込むのかという問題です。古代のキリスト教徒にとっては第四帝国たるローマ帝国の崩壊とともに世界は終末を迎えるはずであった訳ですが、この歴史の存続の事実をオットーは東ローマ帝国、カール大帝の西ローマ帝国、神聖ローマ帝国と継承されていく帝権の存続に求めます。つまりローマ帝国は滅んでおらず、第四帝国たるローマ帝国は現存しているという立場です。さらに彼は異教的ローマとキリスト教的ローマを区別し、後者に皇帝と教皇が、あるいは国家と教会が役割分担をする形での地上の国と神の国の「混合状態」を認め、この二つの権力を焦点とした楕円的な世界として中世ヨーロッパ世界を記述します。クローヴィスまでにこの楕円的ヨーロッパが形成され、以後、グレゴリウス7世の時代までが国家と教会とが協調する「混合状態の教会」が完成した時代と位置づけられます。彼にとってはハインリヒ3世の時代がこの頂点であり、この協調体制を崩すグレゴリウス7世のいわゆる叙任権闘争によって世界は急速に終末に向かっていくことになるとされます。実際には世界は終末を迎えない訳ですが、このオットーの普遍史は皇帝権、教皇権の両者によって自己の支配権の思想的支柱として長く利用され続けられることになったといいます。

こうしてなんとか生き延びた普遍史ですが、中世以降は度重なる危機に見舞われることになります。まずルネサンスの一撃としてマキャベリによる政治的世界の発見が挙げられています。「君主論」で宗教的論理から決別した政治論の可能性を開いたと言われるマキャベリは「フィレンツェ史」においても徹頭徹尾「力量」の保持者たる人間が織りなす対立と抗争の歴史的世界を描いたとされます。またルネサンスの古典研究がエジプト史問題を再燃させることになります。エウセビオスにおいてもエジプト史の古さの処理(大洪水の年代より前に存在していたことになる)が重大な矛盾を残していたのですが、中世には忘却されていたこの問題がヘロドトスのエジプト史(11340年!)とディオドールスのエジプト史(5000年)の「発見」によって無視できなくなります。

また伝統的普遍史に危機をもたらした要因として宗教改革が論じられます。まず著者が挙げているのがプロテスタント的普遍史の白眉として知られる「四世界帝国論」を著わした16世紀のドイツの人ヨハネス・スレイダネスです。この歴史の枠組みそのものは古代、中世の普遍史の伝統を踏襲したものでありますが、スレダネスの独自性としてまず第一帝国をバビロニア帝国としている点が挙げられています。古代、中世の普遍史においては第一帝国はアッシリアとされていたのですが、ダニエル書の記述に忠実であるスレイダネスはこれを排除します。また第四帝国たるローマ帝国に関してはフライジングのオットー同様に古代ローマ帝国と中世ローマ帝国を統合して当時のカール5世にいたる歴代のローマ皇帝の事蹟が記述されます。最後に特徴的なのはその苛烈なローマ教皇、カトリック教会批判、また聖書中心主義的にヘブライ語聖書年代学に依拠している点であるとされます(カトリックは70人訳聖書)。この信仰心溢るるプロテスタントによる聖書の批判的研究が普遍史の内部崩壊を招くことになるのは歴史の皮肉としか言いようがないのですが、17世紀ぐらいになるとホッブズ、スピノザのような知識人もモーセ5書の著者がモーセでないことを公的に論じるようになり、さらにカトリックの司祭リシャール・シモンがプロテスタントの「聖書中心主義を批判するために」聖書の権威そのものの根拠を相対化する聖書の批判的研究(預言者=書記説)を敢行するという倒錯的な展開を辿ったことも歴史の皮肉と言えましょう。

こうした内部からの崩壊に加えて大航海時代には新大陸と中国という他者の発見によって外部からも動揺が加えられます。新大陸の「発見」はヨーロッパ、アフリカ、アジアの三大陸からなる伝統的世界像に衝撃を与えた訳ですが、ここでインディアンをいかに普遍史に組み込むのかという問題が発生します。インディアンが「人間」なのかをめぐって今から見れば破廉恥極まる議論が大真面目に展開されたことは有名ですが、多種多様な起源説がこの時期大量に生産されます。「古イスパニア説」「カルタゴ人説」「東インド起源説」「アトランティス起源説」「ギリシア人起源説」「イスラエル人起源説」などなど既知の「民族表」に関連づけようとする種々の試みがなされたといいます。移住したアジア人という聖書の枠組みに編入可能な存在であることが判明したことで普遍史は今しばらく持ちこたえる結果になった訳ですが。

マルコ・ポーロ、マンデヴィルという中世における前史がある訳ですが、本格的な中国との接触がイエズス会士によってなされたことは高校世界史レベルでも既知の事項なので詳述は控えますが、とりわけインパクトを与えたのがマルティニの「中国古代史」であったとされます。三皇五帝からイエスの時代(漢代)までを扱う本書で中国史は紀元前2952年に始まるとされますが、これは計算されたノアの洪水以前の出来事であるという(普遍史側から見た)矛盾を提出するものでした。これに対するリアクションはある意味滑稽を極めるのですが、フォシウスなる中国狂はノアの大洪水が全世界を襲ったものでなく局地的な現象に過ぎなかったと論じる一方で、ゲオルグ・ホルンは伏羲=アダム、神農=カイン、黄帝=エノクと聖書と中国の史書が同一の事実を語っているとし、またウェッブは堯=ノア説を採用し、ノアは中国に住み、方舟も中国で建造したという説を提出します。他にも伏羲=ゾロアスター説、漢字=ヒエログリフ説に基づく中国人=エジプト人説などなど「民族表」との関連づけのゲームが18世紀ぐらいまで続いたといいます。

さらに普遍史と科学革命の関係を論じるにあたって本書ではニュートンの普遍史の試みが紹介されています。ギリシア、エジプト、アッシリア、ペルシアの年代学である「改訂古代王国年代学」ではアルゴナウテース遠征が天文学的に前937年と確定され、この絶対年代を基準にその他の年代が確定されるというようにニュートンらしい方法論が駆使されているといいます。最大の問題であるエジプトの古さの問題は天文学と歴代ファラオの「虐殺」によって解決されます。ニュートンによればエジプト人はヘブライ人よりも新しい民族だそうです。ニュートン自身は絶対時間と絶対空間という意味を剥奪された時空概念を提出する一方で真面目に普遍史的な時間を擁護をすることに矛盾を感じていなかったといいますが、この点でも最後の魔術師にして最初の近代科学者的であったと評されています。

以上のような危機を受けて激しい論争が起こるのですが、著者はこれを「年代学論争」と名付けています。中世以降の年代学の枠組みをつくったのが16世紀のカルヴァン派のヨハネス・スカリゲルなる人物です。「時間修正論」においてその恐るべき語学力と博識で古代バビロニア人、エジプト人、ペルシア人、エチオピア人、ゲルマン人、ギリシア人、ローマ人の暦、イスラム暦やインド暦など当時知られたすべての暦を参照し、「ユリウス周期」と呼ばれる尺度を基準にこれらすべての暦の対応関係を確定したといいます。彼によればノアの洪水が1656年、イエス生誕が3948年、彼のいた時代が5500年となりますが、この間に起きた出来事を包括する大年表を作成します。スカリゲルを悩ますのがエジプトの古さの問題で、「仮定のユリウス周期」を置いてエジプト史の起点を置くという数学的処理を行うのですが、天地創造に先立ってしまうという矛盾を抱えてしまいます。以下、ペタヴィウス、アッシャー、ボシュエ、ペズロンと新旧両教徒の年代学者の論争が紹介されますが、この年代学論争は上述の危機に対して普遍史の枠組みを擁護する試みであると同時にカトリックとプロテスタントの時間をめぐる宗教闘争でもあったと位置づけられています。エジプト史と中国史の古さにいかに立ち向かうか、ヘブライ語聖書と70人訳聖書のどちらかに依拠すべきか、聖書の批判研究や「自由思想家」達にいかに立ち向かうかなどこの論争の賭け金は甚大なものでした。

しかしこの種の試みが空しく瓦解するのは18世紀の啓蒙主義時代のことです。「歴史のコペルニクス的展開」をもたらしたヴォルテールが「ルイ14世紀の世紀」で示すのは古代ギリシア、古代ローマ、ルネサンス、ルイ14世時代を高い峰とする文化史ないし精神史の枠組みです。聖書的世界が放逐され、世俗的世界における理性的存在たる人間の「理知」の進歩の歴史が記述されるのですが、著者はこの進歩史観(人類の自己啓蒙の発展史)がキリスト教的進歩観(神による人間教育の発展史)の世俗化である事実を注記するのを忘れてはいません。またこのニュートン主義者は「歴史哲学」において6000年という普遍史の時間を放棄し、人類史はアダムとイブではなく地球上の変化から開始されます。また歴史の空間的広がりは地球規模に拡大し、アラビア人、インド人、アメリカ人、中国人の文化と社会も記述対象となり、文明の多元的発生論が主張され、旧約聖書はもっとも新しい民族のひとつたるヘブライ人の偏狭な世界観に過ぎないと批判されます。なお中国の古さは普遍史の否定の根拠として利用される一方で彼の進歩史観において中国は「停滞」した文明という診断が下され、長らく消えない中国停滞論の端緒も開かれます。

一方歴史学の発展もまた普遍史にとどめを刺すことになるのですが、まず17世紀末のケラーによる古代、中世、近代の古典的三区分法の提唱があります。ケラー自身は普遍史の枠組み内にいたとされますが、この三区分法は聖書的時代区分論に風穴をあける事になります。また著者が重視しているゲッティンゲン学派の祖たるヨハン・クリストフ・ガッテラーは普遍史から世界史への変化を体現する存在です。ガッテラーの初期の普遍史では四世界帝国論が放逐され、三区分法が導入され、中国や日本などのアジア諸国の歴史が記述されるなどの革新が見られ、また後には世界史の名称が採用され、旧約聖書が「伝説」の地位に引き下げられ、年号体系が変更され、文化史的観点から6つの時代に時期区分され、モーセと並んで孔子が記述されるなど地球大の規模の歴史に拡大されたといいます。最後の世界史になると創世紀元の使用以外には普遍史的要素は皆無となり、全地球規模の文化史、社会史に変貌しているとされます。こうしてフランス啓蒙主義者の外からの攻撃ばかりでなく誠実なるプロテスタント歴史学者による自己否定によって普遍史は打撃を受けることになったといいます。

これに続くシュレーツァーは自覚的に普遍史と世界史を区別します。普遍史は聖書文献学と世俗的文献学の補助科学にすぎなかったが、世界史(Welt Geschichte)は諸事実の系統的集成であるとともにそれを通じて大地や人類の現状を理解するものであると。内容的には啓蒙主義的な地球大の文化史、社会史であり、人類史は古代、中世、近代の三区分(とそれに先立つ始原世界、無明世界、前世界の三区分)で記述されています。創世紀元も放棄され、「キリスト前(B.C.)」年号が採用され、科学的知見から6日間での天地創造も否定されます。この「キリスト前」年号はいくらでも過去に向かって延長可能な非宗教的な時間であり、キリスト教的な時間たる創世紀元とは本質的に異なることを著者は強調しています。

このようにして時間をかけて普遍史から世界史へというプロセスが進行した訳ですが、最後に著者は19世紀末において普遍史が学校教育の場で教授された稀少な事例として明治日本を採り上げています。そう、我が国においてなぜかアダムとイブから始まる世界史教育がなされていたのです。この翻訳教科書の底本はアメリカで出版されたグードリッチの「パーレー萬國史」なのですが、著者によるとアメリカでは普遍史的な歴史記述は長く残っていたそうです。福沢諭吉が持ち込み、新渡戸稲造が激賞したこの万国史は諸国民の興亡からなる19世紀的な普遍史ですが、帝国主義時代にあって世界情勢の理解に飢えていた明治知識人の欲求にかなうものであったといいます。また神話記述からスタートするこのスタイルは日本史の教科書でも踏襲されていたため違和感なく受け入れられたのだろうと「共通の精神構造」を指摘しています。

以上、本書はハンディーな新書ながら(このブログでは専門書は基本的にとりあげない方針です)古代から近代までの西洋世界の歴史意識を知るのに大変貴重な情報に満ちています。ここでは紹介しなかった論点や事例も多数ありますが、それぞれたいそう興味深いものがあります。こんな風に聖書年代学やら民族起源論の類いは現在ではオカルトの領域に押し込められている訳ですが、かつては正統的な知的伝統であった訳です。なお普遍史的伝統は世界史の中にも残存しているし、完全に死んだものとは見なせないのではないかといった印象も抱いています。著者も指摘するように啓蒙主義的な進歩史観の中にもヘーゲル=マルクス的な歴史の目的論やらその他様々なバリエーションの中にもその尻尾は残っているでしょう。またアメリカではこの伝統は長く残ったということですが、どなたかアメリカにおける普遍史の歴史を研究されていないでしょうかね。私の不確かな記憶でも確か第四帝国としてのアメリカとか誰かが言っていたような気がするんですよね。なお最後の帝国としてのローマというのはたびたび浮上するたいそうディープなテーマで個人的には興味があったりします。なぜああもローマ帝国を存続、復活させたがるのかという点はこういう歴史観の理解がないと意味不明になるんですよね。オクシデンタリズムの罠には嵌るまいと思うのではありますが、いわゆる「西洋」というのはやはり他者だなあと感じさせられるのはこういう部分です。面白いですけどね。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

フランスの右翼

フランスの右翼とはなにかという点についてはどうも日本語情報が限られており、専門家やフランス好きを別にすれば多くの人々の間ではイメージすら湧かないのではないかという印象があります。やはり一般にはフランスというと左翼の国というイメージが強いのではないでしょうかね。でもあなたは右翼ですか左翼ですかと問われるならば、うーん、右翼ですねと答える人のほうが多数派の国なんですよね。まあだいたいどこの国でもそうだと思いますが。

こういう情報の偏りはアメリカに関してもある訳ですが、アメリカの保守の動向は今では日本語でもある程度まで捕捉できるようになって徐々に是正されている印象を受けます。一方でフランスについては左翼の声ばかりが聞こえる状況はあまり変わっていないような気がします。そのせいでいくぶんか悪魔化された右翼のイメージが伝わる訳です。個人的にどちらにシンパシーを抱くのか、とか、どちらがより正しいと思えるのか、という判断に関わる問題とは別により正確な認識というのはやはり必要な訳ですからこうした偏りは是正されるべき事には違いないだろうなあと思えます。いいえ、日本語圏で私がフランスの右翼の広報役をつとめるぞという意味ではないです。そんな義理はないので。

残念ながら私は別にこの領域の専門家でもなんでもなく基本的にニュースを追っかけるのが好きな単なる極東の見物人に過ぎないのでフランスの右翼とはなにかについて滔々と論じられるほどの知識や教養がある訳でもありません。でもなにも知らない人よりはだいぶ知っていると思いますからル・モンドのオピニオン欄にあったルネ・レモンの古典再訪記事をネタに少し捕捉情報を追加してほとんど知らない人向けにイメージを掴むためのヒントのようなものを提供してみたいと思います。なおここは素人談義のネタ提供を目的としたあまり敷居の高くないブログを目指しておりますので専門の方々におかれましては温かい眼差しで見ていただけますと幸いです(間違いはコメントでどんどんご指摘お願いします)。

それで昨年物故したルネ・レモンという人物ですが、フランスの右翼研究で知られる歴史学界の重鎮です。政治史だけなく宗教史でも有名な人です。最近では歴史家集団が記憶法(歴史の修正主義的解釈を規制する法律)に反対する声明を提出したニュースでこの人の名前が日本でも報じられていましたね。それはこの方がいわゆる修正主義者や否定論者にシンパシーを抱いているからではなく、間違った議論は証拠を示して批判すればいいのであって法律で規制するなんて馬鹿げているということですね。それはともかく、記事によると第二次世界大戦後にはヴィシー政権に対する反動から左翼の権威が高まり、右翼というのはなにかいかがわしい単一の政治潮流とみなされていたという前提があったといいます。これに対してレモンが「フランスの右翼 1815年から今日まで」で提出したのはフランス右翼とは単数(droite)ではなく複数(droites)であるというテーゼです。当たり前みたいな話ですが、右翼といってもひとつじゃなくていろいろなんですよと言った訳です。

当時は19世紀的な実証主義的な政治史を乗り越えるものとして経済史、社会史を歴史のアルファであり、オメガであると考える学派(いわゆるアナール派)が隆盛していた訳ですが、レモンは政治的なものは社会的、経済的現実の反映に過ぎないという発想を共有しなかったとされます。勿論両者は無関係ではないが、前者は後者に還元できないという認識は後に大きな影響を与えることになります。この方法論的な問題での衝突に加えて、当時は右翼を研究テーマにするというだけで疑わしい目で見られたといいます。日本でもそうだったようですね。記事ではシモーヌ・ド・ボーヴォワールの言葉が引用されています。「真実は一つだが、誤謬は多数だ。右翼が複数であると白状するのは偶然ではない」と。残念ながら左翼が一つの真実ではなかったことはその後の歴史が証明してしまった訳ですがね。

右翼は複数だというテーゼですが、レモンは三つだと考えました。彼の用語系ではレジティミスト、オルレアニスト、ボナパルティストの三つです。以下それぞれについて簡単に説明します。

レジティミスト(正統王朝派)は「反革命派」とも呼ばれるようにフランス革命を完全否定し、それ以前を正統であると考える一派です。思想家で言えばジョセフ・ド・メーストルといった人々に連なりますが、中世以来の社会秩序観に依拠し、カトリック教会を精神的、社会的支柱と考えます。彼らにとっては近代性とは社会秩序の破壊そのものを意味する訳です。一般に中小貴族や農民に支持された立場であると言われ、地域的にはブルターニュやフランス南部などに多かったとされます。復古王政期(1815-1830)に権力の座に就きますが、7月革命で権力を喪失して以降は、時折連立の形で政権に加わることもありますが、田舎の所領で封建的な秩序を固持しようとしたとされます。

オルレアニスト(オルレアン派)は7月王政(1830-48)で権力の座についた自由主義的な一派です。彼らも君主制支持者ですが、自由主義的、議会主義的な革命の遺産を承認する立場です。世俗的王権、三権分立、議会主義、基本的人権(自由権、平等権)といった制度や価値の信奉者であり、主としてブルジョワ層に支持されたとされます。参政権の拡大(制限選挙)、教育や学術の普及などに熱心であり、離婚や結婚に関して社会改革的意思も示したりします。政権側のオレルアニストと野党側のオルレアニストとがいますが、後者がより自由主義的であったことは言うまでもありません。

ボナパルティスト(ボナパルト派)は2月革命(1848)後に権力を獲得したナポレオン崇拝を正統性の根拠する権威主義的かつ大衆主義的な一派です。一方でカリスマ的な指導者の下での権力の権威主義的行使、他方で絶えざる大衆の支持(プレビシットの実施)の追求で特徴づけられるこの体制は、政党政治や議会主義を軽蔑する一方、都市や経済の近代化を推進したことで知られます。この体制が急増する都市労働者の存在抜きに語れないことはマルクスのおかげか日本でも一部論壇で有名になっていますね。社会進歩的な動きは停滞しますが、普通選挙が導入されたように反自由主義的かつ「民主主義的」な体制であったと称されます。

話をだいぶ単純化していますから本当はそれぞれの内部もかなり複雑多様なんですが、こんな具合にナポレオン以後、順番に権力の座についた右翼潮流をルネ・レモンはフランス右翼の原型のようなものとして捉えています。つまりこれ以降にも様々な右翼潮流が出現する訳ですが、それをこの三類型の主題の変奏や組み合わせの変化として理解していく訳です。国民戦線はレジティミスト成分が濃いとかブーランジスムやド・ゴール主義はボナパルティスト的だとか現在の保守はオルレアニスト的だという風に。復古主義的右翼、自由主義的右翼、権威主義的(大衆主義的)右翼という要素なんですが、特定のアジェンダをめぐって離合集散したり、再編されたり、修辞が微妙に変化したり、左翼側との混交現象が起きたりという風に不変な実体という訳ではないのですが、やはり右翼潮流を見渡した場合にはそこには驚くべき連続性があるというのがこの人の認識です。

予想されるように連続性の認識に対しては不連続性の認識からの批判というのがあります。また1954年に出版されたこの古典的傑作に対しては実証的なレベルでの批判もあり(最大の争点は「フランス・ファシズム」の位置づけ)、著者は細部において修正を加えていくのですが(私が読んだのは改訂版)、レモンは「今日の右翼」という最近の著作でもこの三類型は現在の右翼の記述になお有効だとしています。こうした類型がなぜ執拗に反復回帰するのかについては、人々の心理的、文化的傾向性に行き着くのだろうとしていますが、説明理論というよりも歴史記述ですからね。理由はあまり深く問うてはいけない。そしてその記述力はやはりたいしたものだと思いますね。この三類型はリセの教科書レベルでも踏襲されていますから今でも標準的理解といってよろしいかと思います。レモンによるサルコジスムの分析はないのですが、おそらくはこのいかがわしさを漂わせた正体の知れない政権の中に、ボナパルティズム(権威主義的権力行使、メディア戦術)とオルレアニズム(経済自由主義的政策)とレジィティミズム(道徳主義的、宗教的修辞の復活)の要素の独特にして最新の結合形を見出していたんじゃないかと思いますね。

本当を言えば、私はこういう類型論的な歴史理解というのはあまり好まないのでありますが、日本政治史や政治思想史に関してもこういう総合的記述のやり方はあり得るだろうなとは思います。でも我が国の近代政治思想史、政治史はフランスに比べても複雑ですからねえ。そしてずっと面白いと思います。総合には向かないかもしれませんがね。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

ある保守政治家の肖像

評伝斎藤隆夫 孤高のパトリオット  /松本健一/著 [本]評伝斎藤隆夫 孤高のパトリオット /松本健一/著 [本]
販売元:セブンアンドワイ ヤフー店
セブンアンドワイ ヤフー店で詳細を確認する


記念碑的な北一輝研究で名高い著者による斉藤隆夫論です。戦後の硬直したイデオロギー枠組みの中では右翼思想研究者であるという事実のみをもって時には両翼より不当なる非難を受けることもあったと言われるこの近代思想史家の手によって斎藤隆夫が論じられるという時点で決して平凡な聖人伝にはなるまいという期待を持って本書を手に取りましたが(初読は数年前で今回は再読)、著者独特の深い情感と歴史の襞から襞を辿る繊細な視線は本書でも十分に発揮され、本書は立体的な斎藤隆夫像を描き出すことに成功していると思われます。名高い「粛軍演説」と「反軍演説」によって軍部独裁に反対した民主主義者といった平板なイメージとともに今でこそその名がたびたび想起されるようになりましたが、解説によれば我が国が誇るべきこの保守政治家が注目されるようになったのは実は1980年代以降の話だと言われます。つまり戦後日本の言説状況となじまないなにかがこの人物にはあった訳であります。本書で強調されているのは政治思想家(天皇機関説論者)としての斎藤隆夫、政治的現実主義者(帝国主義的権力政治の冷徹な認識者)としての斎藤隆夫という二つの側面であります。それほど堅い文体でも晦渋な内容でもありませんし、予備知識も要求されませんので(背景説明部分が懇切丁寧、あるいはそこが読むのがしんどいかもしれませんが)、政治に関心があるという人々、特に若い衆─まだ私もその一部かもしれませんが─の間で本書が広く読まれることを希望します。以下書評ではなく内容の紹介です。

斎藤隆夫は明治3年(1870年)8月18日に兵庫県出石(いずし)郡(現出石町)中村という山陰の村の貧しい自作農の6男として誕生します。この出石は「弘道館」を中心とする教育熱心で名高い小藩であったそうで後に論敵となる東大初代総理の加藤弘之もまたこの佐久間象山とも因縁深い出石出身だそうであります。この土地の空気を吸って育った貧乏にもかかわらず向学心と立身出世の意思に燃えた少年だったことが数々のエピソードから描かれます。郷党の先輩の元に寄宿する苦学生として東京専門学校(現早稲田大学)の行政科に学び、弁護士試験に合格した後には、同校の校長たる鳩山和夫の弁護士事務所に入りますが、この事務所の廃業とともに自分の弁護士事務所を開きます。とはいえ私学出身の弁護士では食えない時代であったためアメリカ留学を目指し英語の勉強に熱心に取り組んだといいます。32歳でエール大学に公法や政治学を学びに留学しますが、この留学は弁護士仕事に飽き足らず「天下国家の為に何事をか為さん」すなわち後の政治家への道を漠然と企図したものであったと著者によって推察されています。

このアメリカ体験は後の斎藤隆夫の精神を形作る上でとりわけ重要なものであったようであります。留学中に左肋膜炎を患い、1年間入院生活をおくることになるのですが、斉藤は手術に失敗したグレース病院に対して法的な闘争を挑んだといいます。これは黄色人種への偏見と差別が当然視されていた当時の白人社会に対する「理屈」による闘争という意味合いを持っていたことを著者は明らかにします。とはいえ斉藤の批判の対象は白人社会そのものよりも当地の「卑屈な日本人」達に向けられていたといいます。「亜米利加乞食」「亜米利加ゴロツキ」という強い言葉で批判しているのは、アメリカに10年いるなどと鼻にかけては白人に対しては媚びへつらい、あまつさえ日本に戻ると「洋行帰り」「ハイカラ」として権威ぶる連中でありました。この「洋行帰り」嫌悪は後の「講壇派社会主義」の源流に位置する同郷の帝大教授和田垣謙三批判として展開されることになります。桜を尊ぶ日本人は西洋人に比べてしょうもないという議論(?)への彼らしい徹底的に「理詰め」の反論です。

このように西洋風を吹かす軽薄才子を心底軽蔑するパトリオットである一方で、斉藤が国粋的惑溺(いわゆる「暗黒面」)からほど遠い人間であったことは「立憲政治の完美」を目指したその政治活動からも─それゆえ著者はナショナリストではなくパトリオットと彼を呼ぶ─また彼の政治思想からも明らかであると著者は診断します。帰国後自費出版された彼の著書「比較国会論」に伺われるのは天賦人権説(自然権論)に依拠し、「輿論政治」としての国会政治の漸進的な成熟を訴える立憲政治の啓蒙家の姿であります。具体的には天皇の条約締結大権や緊急勅令大権をいずれ超克されるべき「初期におけるやむを得ざる事態」とみなし、国会を「主権機関」のひとつとみなす国家主権説(天皇機関説)であります。

余は、天皇は単独主権機関にあらず、換言せば、我国の国会は天皇と共同して主権機関を組成す、更に政治上の語を以て云えば、我国の主権は英国其他の立憲君主国と同じく君主のみに属せずして、君主と議会との共同団体に属す、と断言せんとす。
以上のように個人的には皇室崇拝者であったにも関わらず、同時代の北一輝と類似した「ラディカルな」天皇機関説の立場に斎藤隆夫は立ったとされます。この立場から同郷の先輩にして帝国学士院長の加藤弘之に論戦を仕掛けます。「族父統治の天皇機関説・加藤博士の所論に就て」において、天皇機関説論者を「共和主義を説くもの」として排撃し、天皇と国民の間の関係を「父子」関係に類比される「族父統治patriarchie」(つまり通常の君主統治monarchieではない)とする加藤を政治論および法理論の立場から批判しますが、「国体新論絶版事件」以降「転向した」かつての明治啓蒙主義者加藤弘之はこれを頑迷に拒むばかりであったといいます。


明治末年に改進党系の野党立憲国民党所属の衆議院議員として立候補し、これに最下位当選するところから斉藤の政党政治家としてのキャリアは始まりますが、その活動は長い間それほど華々しいものではありません。その後立憲同志会、憲政会、民政党と政党をスライドしていきますが、その政治行動および発言の公準となっているのは我が国における政党政治、立憲政治の確立と成熟という揺るぎない政治的信念であった点は言うまでもありません。斉藤が目撃したのは藩閥政治から政党政治への転換、大正デモクラシー運動の高揚、普通選挙法の確立、党利党略にまみれた政党政治の退廃、そして終焉という光景でありました。この中で著者が特筆しているのは普通選挙法の推進活動と昭和6年の演説であります。前者ですが、「普通選挙法心得」という彼が書いたパンフレットの中で彼の普通選挙法に関する考えが判ります。斉藤は普通選挙を「日本建国以来の大革新」と呼ぶ一方で、

即ち普通選挙は国民平等の原則に立脚して居るから、政治の前に於ては貧富の原則を認めない。日本一の大金持も其日稼ぎの労働者も参政権の前に立てば絶対平等である。故に、今後吾々は政治上に於て有産階級の特権を認めざると共に、無産階級の特権をも認めない。有産階級の跋扈を許さざると共に、無産階級の横暴をも許さない。国内に於ける有ゆる階級は互いに一致調和して、国家の進運と国民の幸福に向って最大の義務を果すと云うのが、普通選挙の精神である

というようにこの時代に台頭しつつある社会主義運動をおそらくは意識して保守政治家の立場から「国家の進運と国民の幸福」を目指すのが普通選挙の精神であるとしています。また後者ですが、普通選挙によって成立した田中内閣批判演説「正しき者に勝利あり」は政党政治の退廃の予兆を鋭く指摘したものと評価されています。田中内閣と軍閥との距離の近さの批判、また公共事業の空約束による集票活動に見られるように国益を語って党益を第一とする党略政治の批判であります。政党の利益のための政治ではなく国家民衆の利益のための政治を行わない限り、政党内閣否認の声がいずれ挙がることになるだろうと。またこの演説の予言的性格でありますが、

さなきだに近時国民思想の流れ行く有様を見ると、一方には極端なる左傾思想があると共に、他の一方には極端なる右傾思想があり、而して是等の思想は悉く其向かう所は違っているけれども、何れも政党政治とは相容れない思想であって、彼らは大なる眼光を張って、政党内閣の行動を眺めて居る。 若し一朝、政党内閣が国民の期待を裏切り、国民の攻撃に遭うて挫折するが如き事があるならば、其時こそ彼等は決河の勢を以て我政治界に侵入して政治界を撹乱し、彼等の理想を一部でも行おうと待設けて居るのである。故に、今日は政党内閣の試験時代であると共に、政治界に取っては最も大切なる時である。

というように党利党略に走った場合には立憲政治の基盤を破壊する「極端なる左傾思想」と「極端なる右傾思想」の攻撃を受けることになるだろうと─後に的中することになった─予言をしています。

さて226事件を受けてなされた高名ないわゆる「粛軍演説」でありますが、これが保守的現実主義者の立場からなされたものであることを著者は強調しています。まず「革新」という語のインフレ批判。

まず第一は革新政治の内容に関することでありまするが、一体近頃の日本は革新論及び革新運動の流行時代であります。革新を唱えない者は経世家ではない、思想家ではない、愛国者でもなければ憂国者でもないように思われているのでありまするが、しからば何を革新せんとするのであるか、どういう革新を行わんとするのであるかといえば、ほとんど茫漠として捕捉することは出来ない。 [...] 彼らの中において、真に世界の大勢を達観し、国家内外の実情を認識して、たとえ一つたりとも理論あり、根底あり、実効性あるところの革新案を提出したる者あるかというと、私は今日に至るまでこれを見出すことが出来ないのである。

というように「革新」なるものは内実を欠いた空疎なスローガンに過ぎず、「世界の大勢」の認識も「国家内外の実情」の認識もともなっていないという現実家の立場からの批判。それから軍人の政治活動の危険性についての言及となりますが、これは青年将校によるテロやクーデターが純真な─すなわち単純にして危険な─「愛国の至情」に由来するものであるとの認識に基づくものです。軍人が政治運動をすることは明治大帝の「軍人勅諭」に反している。軍人は陛下の統帥権の下に服して国防に専心すべし。「無責任にして誇張的な」ジャーナリズムやマスコミに煽られた純真な青年将校達は軍人内閣を樹立することで一切の腐敗や悪が消滅すると思い込んでいるがなんの具体的な展望もありはしないと。この「直情怪行の青年」とカリスマ的な「一部の不平家、一部の陰謀家」の言論の結託によるテロという認識は著者も述べる通り正確なものであります。さらにこうした事態の萌芽的な段階で刈り取らなかった軍当局の責任の追求へと演説は進みます。三月事件、十月事件、515事件でもし徹底的な追及がなされたならばこのクーデター未遂は生じなかったに相違ないとし、苛烈な軍法会議批判を行い、さらに226事件において事態の真相解明は十分になされておらず、「裏面に於て糸を引いて居る」軍首脳(つまり真崎教育総監)の存在も暗示しているといいます。さらに反軍思想という悪罵に対して、

元来我国民中には動もすれば外国思想の影響を受けやすい分子があるのであります。欧羅巴戦争の後に於て、「デモクラシー」の思想が旺盛になりますると云うと、我も我もと「デモクラシー」に趨る。其後欧州の一角に於て赤化思想が起こりますると云うと、又之に趨る者がある。或は「ナチス」「ファッショ」の如き思想が起ると云うと、又之に趨る者がある。 [...] 今日極端なる所の左傾思想が有害であるのと同じく、極端なる所の右傾思想も亦有害であるのあります。左傾と云い、右傾と称しまするが、進みいく道は違いまするけれども、帰する所は今日の国家組織、政治組織を破壊せんとするものである。 [...] 我が日本の国家組織は、建国以来三千年牢固として動くものではない、終始一貫して何ら変わりはない。又、政治組織は、明治大帝の偉業に依って建設せられたる所の立憲君主政、是より他に吾々国民として進むべき道は絶対にないのであります。故に軍首脳部が宜しく此精神を体して、極めて穏健に部下を導いたならば、青年軍人の間に於て怪しむべき不穏の思想が起こる訳は、断じてないのである。

というように不変の国体と明治以来の立憲君主政体を擁護する者という立場からの外国の最新流行かぶれの「極端なる所の左傾思想、右傾思想」批判である旨自らの依って立つ場所を明示しています。かくして国民の代表者たるべき政党政治家が党利のために軍と結託し、政党政治の基盤を自ら破壊せんとする事態を前にして孤軍奮闘する一人の保守政治家の姿が立ち現れる訳であります。この「粛軍演説」はマスコミからも国民からも圧倒的な支持を得たという話でありますから、決して雄弁家ではない彼の説得の言葉は広く国民大衆の心を掴むだけの威力を持つものであったようであります。

その後の展開が斉藤の望むものでなかったことは誰もが知るところではありますが、斉藤の批判の舌鋒はますます鋭くなっていきます。近衛内閣における国家総動員法をナチスの授権法と類似したものとみなす批判演説、そして名高い「支那事変処理に関する質問演説」であります。この米内光政内閣に向けられた「反軍演説」として知られる演説でありますが、これはいわゆる平和主義の立場からではなく徹頭徹尾リアリズムの立場からなされている点が特徴であります。「国民」の名において日華事変の処理がいかになされるのかストレートに問い質しているのでありますが、批判の射程は米内内閣ではなく近衛内閣にまで向けられていきます。ここで近衛第三次声明を想起し、これを5本の柱に要約します。すなわち、1、支那の独立主権の尊重、2、領土要求、賠償金要求をしない、3、経済上の独占を行わない、4、第三国の権益の制限をすることを支那政府に要求しない、5、内モンゴルを除く地域からの日本軍の撤兵。しかしながら中国からの撤兵はいまだなされていない。これは汪兆銘政権を欺くものではないかと。さらに昭和14年12月の「東亜新秩序答申案」を事挙げし、かつて「革新政治」の無内容を衝いたように、その言語不明瞭を揶揄します。曰く

之を見ますると云うと、吾々には中々難かしくて分からない文句が大分並べてあります。即ち皇道的至上命令、「ウシハク」に非ずして「シラス」ことを以て本義とすることは我が皇道の根本原則、支那王道の理想、八紘一宇の皇謨、中々是は難しくて精神講話のように聞えるのでありまして、私共実際政治に頭を突込んで居る者には中々理解し難いのであります。

という具合に泥沼化した戦局をいかに処理するのかという実際的問題を離れ、国民の犠牲も忘れて観念の遊戯に没頭している愚を問い詰めていきます。ここではもはや事変でなく「戦争」と明瞭に言い表していますが、なぜ1年半の後になって慌てて戦争目的を設定しようとしているのかと。また近衛声明にある「聖戦」観に対しては、

斯様な考えを持つて居らるるか分らない、現に近衛声明の中には確に此の意味が現われ居るのであります、其の言は洵に壮大である、その理想は高遠であります、併しながら斯くの如き高遠なる理想が、過去現在及び将来国家競争の実際と一致するものであるか否やと云うことに付ては、延いて考えねばならぬのであります。苟も国家の運命を担うて立つ所の実際政治家たる者は、唯徒に理想に囚わるることなく、国家競争の現実に即して国策を立つるにあらざれば、国家の将来を誤ることがあるのであります。

というように「実際政治家」の立場から戦争目的の空想性、観念性を批判した上で帝国主義的な権力政治の現実をこれに対置します。曰く世に平和論や平和運動は蔓延るがこれが実現したことなど歴史上一度もない。人類の歴史は戦争の歴史だ。戦争が一度起こったならば、最早正邪曲直の争いではない、是非善悪の争いではない、徹頭徹尾力の争いだ。強者が弱者を征服する、これが戦争である、正義が不正義を贋懲する、これが戦争という意味ではない。この現実を否認する者は偽善だ。国家競争の真髄を掴まなければ生き残れない。国家競争の真髄とは生存競争、優勝劣敗、適者生存だ。これ以外の歴史など存在しなかったし、今後も存在しない。と空しい正義論に対して「力こそが正義」の現実を対置し、国策はここに依拠せねばならないと訴えます。さらに曰く

此の現実を無視して、唯徒に聖戦の美名に隠れて、国民的犠牲を閑却し、曰く国際正義、曰く道義外交、曰く共存共栄、曰く世界の平和、斯くの如き雲を掴むような文字を列べ立てて、そうして千載一遇の機会を逸し、国家百年の大計を誤るようなことかありましたならば現在の政治家は死しても其の罪を滅ぼすことは出来ない。

というように政治家の責任を追求していくのでありますが、この「唯徒に聖戦の美名に隠れて」の部分が軍を激しく刺激することとなり演説の削除問題に発展し、最終的に斉藤は議会からの除名処分の憂き目に遭います。以上のように斉藤の批判は十分な説明のない状態で国民に膨大な犠牲を強いることへのパトリオットとしての、さらに空想的な聖戦論を嘲笑する政治的現実主義者としての批判であったとされます。

除名処分後に翼賛選挙で無所属議員としてトップ当選しますが、もはや政治家としての有意義な活動は出来ず、近衛批判、大政翼賛会批判、東条の憲兵政治批判、大東亜会議批判をただ家で書き継ぐ日々を過ごしていたといいます。彼にとっては日本の敗戦は当然の結末であり、米軍の占領も極めて冷静に受け止め、戦後は老体に鞭打って日本進歩党の結成に奔走し、新日本の建設に力を尽くすことになります。我々は戦争に敗けた。しかし国家が亡ぶるものではない。人間の生命は短いが、国家の生命は長い。国家の盛衰はあるが衰えたからといって失望落胆することはない。失望落胆して気力を失った時こそ国家が滅びる時だ。日本国民は勇気を取り戻して旧日本に別れを告げて新日本の建設に邁進せねばならない、と国民を叱咤激励して。

以上のように斎藤隆夫はまさに「孤高のパトリオット」として孤軍奮闘した保守政治家でありました。米英の亜細亜侵略もまた強者の権利と言わんばかりの冷徹な国際政治認識は、戦後の思想地図にあっては大東亜戦争の大義を捨てきれないロマン主義的な右派にも、また軍国主義への抵抗者として彼を英雄視する動機を持つはずのロマン主義的な左派にも受け入れらない「毒」であったため彼は長らく水で薄めた形で時折言及される政治家にとどまったと著者は喝破しております。いずれにせよこうした保守政治家というのはどこの国にもいて緊急時において最もその威力と高貴を示すものであるという点は忘れないようにしたいものだとあらためて思った次第です。なおお節介に聞こえるでしょうが、特に自分を右派だと思っている若い人にはこういう認識を分け持っていただきないなと個人的には思っています。保守と右翼は似ているようでいて全然違います。大人と子供ぐらい違います。ここで右翼というのは勿論あの奇矯なパフォーマー集団のことではなく、認識の問題です。

追記
斎藤隆夫の演説はこのサイトで電子テキスト化しています。その労苦に感謝と称賛を送り、リンクを張らせていただきます。

| | コメント (2) | トラックバック (1)

苗字の歴史

(以下昨晩アップしたのですが誤って一度削除してしまったエントリです)

日本家族史、特に近代家族史というのは─私もその中に含まれているのではありますが─なかなか腑に落ちたという感じを与えない分野であります。それはひとつには家族というものが個々人の生活に直接関係するだけに一般的かつ俯瞰的な理解図式にはなにか抵抗感を覚えさせられやすいということもありましょうし、実際にこの列島上に展開された家族形態が歴史的になかなか複雑多様であることにも起因しているのでしょう。また本によってずいぶん書いてあることが違うのも困ったところですね。

梶ピエール先生のところからのリンクで見つけたウェブページの記述でうーむとうならされたのでメモしておきます。この書き手の方は夫婦同姓は明治以降の「創られた伝統」だ、前近代には夫婦別姓はよくあったし、そもそも百姓には苗字などなかったではないかという夫婦別姓論者による議論(よく知らないのですが、一般的にこういう論調なんですかね)に対して、別姓論議の妥当性とは別に、その歴史的認識の誤りを指摘しています。前近代における夫婦別姓は大陸の父系主義的な宗族組織の影響なんだから現在の男女平等の理念とは無関係でしょうぐらいのことは私でも言えますが、後者の論点については恥ずかしながら知識とイメージが混乱していました。それによると、

確かに、江戸時代の百姓は原則として、公的な場や武士の面前で苗字が用いられることは禁止されていましたが、村の中などでは堂々と苗字が名乗られていたという事実が、多くの研究者によって明かされています(坂田「百姓の家と村」P35)。中世の庶民のなかには、苗字だけではなく擬似的な姓(天皇から与えられたわけではないという意味で)を有していた者もいますが、庶民のなかで姓から苗字が中心となり、苗字の数が飛躍的に増加するのは、15〜16世紀のことです(坂田「百姓の家と村」P36〜37)。苗字・家名という社会的制度は、制約があるとはいえ、前近代の日本社会に広く浸透していたのでした。

といいます。これで立派な苗字が持てるんだ!俺は上杉だ!いや藤原だ!とそれまで苗字を持たなかった村人達が驚喜して役所に押し寄せて我先に家名を登録している光景が─そんな光景は目撃したはずはないのですが─「四民平等」という言葉から自動的に連想されるのでありますが、室町時代ぐらいから庶民も苗字を持っていたというのは他の歴史的事象との関連から言っても当然の話ですね。そう言えば、農民の苗字が書かれている江戸時代の史料を見た記憶がありますし、また明治政府が夫婦別姓にしようとしたけれども強硬な反対で頓挫したというエピソードもどこかで読んでいました。なぜこんな連想が生じるのだろう。どこかで刷り込まれたんですね。

また同じ書き手の方は別の記事で氏名、姓、苗字の差異について解説しています。姓と苗字の違いは理解していたつもりですが、氏名と姓の違いと同一化のプロセスの理解は中途半端な状態でした。坂田敏氏の議論のようですが、

氏とは氏名(ウジナ)であり、藤原・源・平などです。姓はカバネであり、ウジナとともに天皇から与えられるものです。真人・朝臣・宿禰などがあります。公的な場では、ウジナとカバネは実名(ジツミョウ)と組み合わせて用いられます。たとえば、藤原(ウジナ)朝臣(カバネ)道長(ジツミョウ)、平(ウジナ)朝臣(カバネ)清盛(ジツミョウ)となります。ウジナとカバネは父系血縁原理による氏族集団を指す名称であり、家名ではなく、公的性格の強い名称です。


ウジナとカバネがやがて同一視されるようになり、ウジナを姓(セイ)と称するようになった経緯について、前回の記事ではやや曖昧な説明しかできませんでした。本書では、カバネの機能が官位に取って代わられ、姓をカバネと呼ぶ習慣が廃れ、ウジナが姓(セイ)とみなされるようになったのではないか、とされます。また、ウジナとカバネをあわせて広義のセイと考えられていたのが、ウジナ=姓(セイ)に変わった可能性もある、とも指摘されています。ただいずれにしても、古代の段階ですでにウジナと姓(セイ)の同義化が進行していたようです。姓と実名による呼称は、その人物が氏族の構成員であることを表していました。姓は原則として天皇から与えられるという意味で、他律的性格の強い名称でした。

ということですね。なお名字と字(アザナ)についての説明も判りやすいのでおすすめしておきます。15、16世紀に百姓層にまで家制度が根を下ろしたという話でありますが、地域的差異や定着のリズムのずれのようなものはどこまで追跡できるのでしょう。この本はいずれ読まないといけませんね。琉球やアイヌの家族制度(や氏族制度)も判ったようで判らないんですよね。なお近代におけるなんとかの誕生モノは大量生産されていますが─勿論その仕事の意義を否定するつもりもないのですが─ちょっと飽き飽きしているというのが本音です。政治的動機が見え透いた議論が多いということもありますし、相対化すると称しつつも逆に近代を特権化し過ぎではないのかなという疑念も湧いてきます。私は私なりの仕方で近代主義者なのだろうとは思いますが(なんだか不確かな物言いですみません)、最近はもう少し長いスパンで物事を考えたい気分になっています。

ちなみに私がなんとなく近代家族史のナラティブに含まれていないという感覚をもつのは実家が代々の女系的な─厳密には双系的なんでしょうが─一家であることにも起因しているような気がします。私にとって家長とは奥座敷に威厳をもっていつも座している、なによりも煙管を愛するあの曾祖母(おひいさま)のことであり、家という語は男などは闖入者と言わんばかりのあの女性的な権力空間を意味しています。そんな感じの家は今でもけっこう各地にあるようですね。いわゆる現代家族の多様化とは別に近代法的擬制の下に実際には多様な形態の家族生活が営まれてきた歴史はいったい誰が書いてくれるのでしょう。いや、私が無知なだけでどなたかがもう書かれているのかもしれませんね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

なぜかくもナショナリズムを恐れるのか

Japan Focusはその編者の選好のせいでJapan misFocusと呼びたくなるほど─ええ、煽ってますとも─内容的に偏りがあるサイトでありますが、それでも読める記事が掲載されることもあります。正直に言えば今回はそれほど興味深くもなかったのですが、こんな論調もありますよということでクリップしておきます。今日はあまり機嫌がよくないので、不愉快な表現もあるかもしれませんのでご注意下さい。

Laura Hein, The Cultural Career of the Japanese Economy: Developmental and Cultural Nationalisms in Historical Perspective[JF]
日本のナショナリズムの研究も大量生産され過ぎてもはや飽き飽きしているのですが、これは戦前戦後の経済ナショナリズムを扱った記事です。とはいえ対象になっているのは政府や企業や家計の行動ではなくて経済言説です。それを「時代精神」とみなしてナラティブを紡ぐというやり方ですね。もう方法論的に最初から危うい感じであります。戦前、高度経済成長期、1970年代80年代、1990年代以降と4つの期間に区切っています。

戦前のナショナリズムの特徴としては、欧州のナショナリズム(特に後発国)と似ている一方で、アジア国家であった点に日本の特異性が見られる。植民地と後発近代国のナショナリズムの特徴を同時に備えている。近代化に成功したにも関わらず、列強クラブから人種的に排除されたことに加えて、近代化=西洋化であるとみなされ、完全な西洋化の不可能性と自らの文化的正統性の喪失の不安がナショナリズムの根拠になっていた。その不安は特に戦間期に亢進し、反自由主義的で文化ナショナリズム的な経済思潮を生むことになった。満州国の実験がその実現であったと。これはもはや伝統的なナラティブといっていいでしょう。ただ現実の経済は戦時体制が構築されるまでは古典的なレッセ・フェールだったことに言及すべきではないでしょうかね。またナショナリズムについてももっと複雑だと思いますよ。

敗戦によって日本の特殊性は否定的に捉えられるようになり、開発主義的ナショナリズムとノ−マルな近代化の夢にとって代わることになる。他の先進国との共通性が強調され、古い社会的、文化的伝統が批判され、社会的平等が促進された。1970年代までに「二重構造」や「経済成長の歪み」といった批判も姿を消すほどの平等主義的な社会が実現し、環境主義的な「成長第一主義」の批判にとって代わる。この時期には過去の日本への批判はあっても日本の経済成長はノーマルなものであり批判は資本主義そのものに対するもので日本をこの逸脱として批判することはなかったと。近代主義者の黄金時代として描かれていますが、ここで言及される「開発主義的ナショナリズム」の中身はなんでしょうかね。いろいろな議論があることはそれなりに知ってはいますが、最低限の概念規定はして欲しいところです。ところで安保の頃の平和主義ナショナリズムや戦後民主主義者の日本特殊論についての言及はないんですかね。

しかし1970年代以降、文化ナショナリズムが再浮上することになる。グローバルな経済舞台に登場することで他者に日本を説明する必要が生じ、日本人論が人気を博することになる。日本の特殊性は経済に向けられ、過去を想起させる国家には向けられなかった。日本に関する海外の評価が翻訳され、討論され、受容され、拒否されといったように、他者に受け入れられないのではないかという不安がこの文化ナショナリズムを支えていた。文化的同質性が平等主義の理由として称揚されたが、勿論平等は戦後の格差の是正によるものであり、伝統的でもなんでもないと。この時期の日本論の隆盛をグローバルな環境との相互作用として捉える視点は大切だろうとは思います。とはいえ本当にこの時期を日本人論の時代としていいのですかね。私は一応この時代には存在しているのですが、あまり記憶にないんですよね。それにこの程度のナショナリズムのなにが問題なんでしょうね。実際、平和な時代でしたよね、うんざりするほどに。

1990年代の経済の悪化は楽観的な差異の称揚を不可能にし、文化的変化を受容すべきか、国際社会にどうアプローチするか、新自由主義的改革を受け入れるべきかといったように公論を両極化させる。ベストセラーになった「複合不況」は日本経済がグローバル経済に統合されている事実を強調しつつ、国内での開発主義的ナショナリズムの原則への呼びかけを行った。ナショナル・アイデンティティーの問いかけは諸々のリベラルな動きを生み出し、日本人はコスモポリタン的なアイデンティティーへと向かうように見えた。「1940年体制論」のように戦後の開発主義的ナショナリズムを批判し、新自由主義改革を唱導する声と石原慎太郎のような文化主義的ナショナリストの声が強くなり、小泉、安倍政権がこれを実現した。以下ずっと悪口が続きます。左派メディアの言説だけ追っているとこんな風に見えるんでしょうね。政治家の失言を並べるのがナショナリズムの証明なんですかね。こんな失言集ならどこの国に関してもつくれるような気がしますが。言論人はぎゃあぎゃあ喚いてますが、近隣諸国の恫喝にも関わらず、大衆はのほほんとしたもんですよ。そんなに怖がらなくてもいいじゃないですか。あなたの恐怖はどこに起因しているんでしょう。それを掘り下げて文章にしてくれたほうが興味深いかもしれませんね。「なぜジャパノロジストはかくもナショナリズムを恐れるのか」。これを御題にみなさんなにか書いて下さい。よろしくお願いします。ついでにマコーマック氏もナショナリズムについて寄稿してますね。マクニールとかマクガイアとか我々はマックに呪われているのでしょうか。これはさすがに言い過ぎですか。そうですか。

The Keiretsu and the Japanese Economy[JF]
これは楽しいですね。三輪氏とRamseyer氏の系列神話解体に対する応答です。応答になっているのかどうか判りませんが。系列が存在しないだって!メインバンクなんてものはないだって!そんな馬鹿な!私が見たあれは幻だったのか!といった内容です。この研究はどれほど世間的に知られているのか判りませんが、たいそう刺激的なものです。だいたいジャパノロジストは政治学者や法学者や歴史学者や社会学者が多く、ごりごりの経済学者は少なかった上に、日本の経済学者はマルクス主義者ばかりだった─しかしなんという国なんでしょう、西側の一員ではなかったのですか、我々は─ために日本経済像はえらく歪んでいるが、普通の新古典派経済学で説明できてしまう、日本は特殊な国じゃなかったという話です。この議論は日本的経営批判や統制経済批判に依拠する一部の構造改革主義者のベースを掘り崩してしまうのでしょうが、刺激的過ぎて反発も多いようですね。上にあげた開発主義の話も同断なんでしょう。この文章はこの説への戸惑いをユーモラスに描いています。

追記
Japan TimesにKevin M. Doak氏のナショナリズム本の書評が掲載されていますね。国民主義、民族主義、国家主義、ナショナリズムという日本語(カタカナ語)を一括して英語でnationalismと呼んで議論することについては前々から疑問を感じていたのですが、どうもこの点でとりあえず一歩前進した議論のようです。全部一緒くたにして論じるから混乱が生じてきた訳ですよ。とはいえ例のcivic nationalism対ethnic nationalismという図式を外挿して論じているらしいのでそこはどうなのよという気がしてきますが。国民はcivic nationですか、無理訳ではないですかね。例えば徳富蘇峰はどっちなんですかね。まあ読んでいませんからなんとも言えませんけれどもね。

コメント欄にも書きましたが、ナショナリズム研究やナショナリズム批判は勿論あっていい。ただ客観的に言って東アジアで最もナショナリズムの弱い状態の国に批判が集中し、他の国はスルーという奇妙な言説効果をもたらしていることに自覚的になってもらいたいわけです。この扱いに対する不公平感が逆説的に日本のナショナリズムを高めてしまうかもしれない可能性について少し考えてみたらどうでしょうか。可能性ではなく一部では現実になっていると思います。

| | コメント (8) | トラックバック (0)

荘園絵図

83966_c450

遷都1300周年に合わせたように発見が続いています。江戸時代まで東大寺に保存されていたもののその後消失していた日本最古級の地図が発見されたというニュースのことです。この地図を含めて8世紀の東大寺荘園絵図19点は現存する日本最古の地図として有名なものみたいですね。なおこれは世界的にみても非常に稀少なもののようです。確かに私の知る限り同時代の欧州にはこうした資料は存在していないはずです。中国では作製はされていたようですが、残っていないみたいですね。なぜ日本にこんな古い地図が残っているのかというのもちょっとしたミステリーではあります。

最古級の荘園絵図を発見…奈良国立博物館「国宝級」[読売]

◆東大寺所領、外部流出の1枚

奈良時代中期に奈良・東大寺が所領した荘園の開発状況などを描いた荘園絵図=写真上=が見つかった。正倉院宝物として現存する同時期の荘園絵図18点とともに江戸時代まで東大寺に一括保存されていたが、その後外部に流出し、所在不明だった絵図であることが奈良国立博物館(奈良市)の調査でわかった。日本で最も古い時期に描かれた地図原本の一つで、同博物館は「正倉院宝物より保存状態が極めて良く、国宝級の発見」と評価している。

「越中国射水(いみず)郡鳴戸開田地図」で、縦77センチ、横141センチの麻布製。現在の富山県高岡市の一部を、東を上に、「条里」と呼ばれる碁盤の目状の区画に割って、荘園の範囲や地番、田の開発状況を個別に墨書き。「沼」などの書き込みや水路のような線がある。

造(ぞう)東大寺司や東大寺僧、越中国司の署名と「天平宝字三年(759年)十一月十四日」の日付が添えられていた。

東大寺では、越中と越前、近江の開田図や墾田図を中心に、奈良時代中期の麻布の荘園絵図19点を保存していたが、うち1点が江戸時代後期に外部に流出。一時、個人所蔵となったが、戦後は所在不明だった。残る18点は明治初期に献納され、正倉院宝物となった。

同博物館は、今回見つかった絵図のほぼ全面に押された97個の「越中国印」の印影などを正倉院宝物のものと比較した結果、外部流出した1点と確認した。

正倉院宝物以外で現存する同様の荘園絵図は、国宝・額田(ぬかた)寺伽藍(がらん)並(ならびに)条里図(国立歴史民俗博物館蔵)しかない。

同博物館はすでに絵図を購入しており、修理後、同博物館で一般公開する。

杉本一樹・宮内庁正倉院事務所長の話「(正倉院宝物の荘園絵図と異なり)修理の跡がほとんどなく、当初の状態に近いところが大変貴重だ。この価値を損なわないよう保存・展示してほしい」

■荘園絵図

荘園で収穫される米などは当時、寺などの経営基盤を支えていたため、その荘園の所在や田の開発状況などを絵図として記し、重要な書類として取り扱われた。奈良時代の荘園絵図は、日本最古の地図群として、当時の地形や地名の研究にも欠かせない。
(2008年5月24日)

この「越中国射水郡鳴戸開田地図」のあまり解像度の高くないフォトを目を凝らして見ると確かに「条里制」の痕跡が見て取れます。この8世紀の富山県の地域社会の断面を眺めているとなにか心を打たれるものがあります。荘園絵図というのは実用目的で作製されたものということですので、古代人の世界観をストレートにイメージ化した世界図のような地図類とは性格が違うのでしょうが、それでもこの絵画性から当時の人々の空間認知のあり方だとか律令体制的な政治意思だとか読み取れるのでしょうね。正統的な荘園史のみならず様々な視角からこの資料は利用できそうです。東大寺荘園絵図に関してネット上では文献情報以外見当たらないのですが、私みたいな素人はこの新書を読めば十分のように思えます。著者は歴史地理学の大家だそうですから内容は保証されているものと思われます。

この際ですので、古代の地図史を確認しておくと、日本最古の地図というのは646年2月8日の改新の詔によるもの(現存せず)という記述につきあたります。「日本書紀」の大化2年8月の部分を引用しておきます。

大化二年(六四六)八月癸酉【十四】》◆秋八月庚申朔癸酉。詔曰。[...]宜観国々疆堺。或書或図。持来奉示。国懸之名来時将定。国々可築堤地。可穿溝所。可墾田間。均給使造。当聞解此所宣。

「宜しく国々の疆堺を観、或は書し或は図し、持ち来って示し奉れ」、つまり地方豪族に地図作成を命じたという部分のことです。いわゆる班田収授法に関連した詔の中に見えますが、ご承知のように大化の改新の評価についてはややこしい問題があるようですので深入りしません。この図がどのようなものを指しているのかははっきりしませんが、徴税のためのものでしょうから、後の荘園図につながるような狭い範囲を対象としたものだったのかもしれません。

一方、もう少し広い地域一体の地図も8世紀になると作成された模様です。これも現存していないそうですが。実際、天平10年(738年)と延暦15年(796年)には諸国に国郡の地図作成が発令されています。それぞれ「続日本紀」と「日本後紀」の該当箇所は以下。

《天平十年(七三八)八月辛卯【廿六】》○辛卯。令天下諸国造国郡図進。

《卷五延暦十五年(七九六)八月己卯【廿一】》○己卯。巡幸京中。』始置正親司史生二員。』是日。勅。諸國地圖。事迹疎略。加以年序已久。文字闕逸。宜更令作之。夫郡國郷邑。驛道遠近。名山大川。形體廣狹。具録無漏焉。

「天下の諸国をして国郡図を造ってたてまつらしむ」とあるように天平10年に国郡図の作成が命じられています。延暦15年のほうの記述が少し詳しいのですが、それによると「諸国地図」が「事迹疎略、加以年序已久、文字闕逸」といった状態になったため新たに命じられたとあります。この「諸国地図」は天平10年に作成されたものなのかもしれませんね。ともかく延暦15年の地図は「郡國郷邑。驛道遠近。名山大川。形體廣狹」を示すようなものだったようです。

なお時代的に少し前後しますが、713年の「出雲風土記」には地理的に非常に詳細な情報が記述されていることで有名でありますが、これも国郡図の存在が前提になっていると考える方もいらっしゃるようです。このサイトが詳しいですのでご参考までに。ここで引用されている金田氏の見解を孫引きしますと、

天平十年(738)には、中央政府が諸国に「国郡図」の造進を命じた。国郡図というからには、少なくとも国単位でかつ郡が明示されていたものと思われるが、実物は現存していないので内容は不明である。 延暦十五年(796)新しく作製が指示された「諸国地図」には、「郡国郷邑、駅道遠近、名山大川、形体広狭」を録せとしたことを『日本後記』は伝えている。国・郡・郷は行政単位、駅道は国家管理の下に七道諸国を貫いた官道であり、まずは行政単位と官道の距離に加えて、邑つまり主要集落を記入し、かつ著名な山と大河、ならびに土地の形状と広狭を表現することを命じていることになろう。

とすれば、現存史料類の中でまず想起されるのは『出雲国風土記』の記述である。和銅六年(713)選上を命じられたものであり、例えば次のように記載されている。

  意宇の郡
合わせて郷は十一、餘戸は一、駅家は三、神戸は三里は六なり。(中略)
母理の郷 郡家の東南のかた三十九里百九十歩なり。(中略)
伯太川 源は仁多と意宇と二つの郡の堺なる葛野山より出て母理・楯縫・安来の三つの郷を経て、入海に入る。

このような内容が地図に表現されていると考えるのが最も推定しやすい状況である。天平十年のものがこれより疎略とすれば、さらに簡便なものとなるが、あるいは改訂のための単なる文飾に過ぎないかも知れない。

というわけで7世紀の半ばぐらいから律令体制が整備されていくのに応じて地図作成事業が進捗していく様子が伺えます。空間を支配、管理するにあたって地図というのは権力にとって必須の技術体系でありますから頷けるところであります。これは国家レベルの話ですが、東大寺の荘園図の場合には近隣との争論の処理みたいなもっとミクロな政治力学の文脈に置かれるのかもしれませんね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

神風協奏曲

大澤壽人 (1907-1953)/Piano Concerto.3神風協奏曲  Sym.3: Saranceva(P)  Yablonsky / Russian Po大澤壽人 (1907-1953)/Piano Concerto.3神風協奏曲 Sym.3: Saranceva(P) Yablonsky / Russian Po
販売元:HMVジャパン
HMVジャパンで詳細を確認する

忘れられた作曲家大澤壽人が「再発見」されたのはここ数年前のことだといいます。溝口健二のいくつかの映画音楽を担当していたということもあって私もこの人の音楽を実際には耳にしてはいたのですが、作曲家の名前や経歴についてはなにも知りませんでした。最近一部で話題になっていたのでさっそく聞いてみたわけですが、確かにこんなモダンボーイが我が帝国にもいたのかと感心しました。私はクラシックについて滔々と語れるほどの教養は持ち合わせていないので以下はライトなリスナーによる紹介です。

生没年が1907〜1953年ということですから日本史で言えば日露戦争後の生まれで戦後の吉田内閣の頃まで活躍した人ということになります。解説によると、神戸の製鉄関連の大澤工業の経営者の子息として生まれ、クリスチャンの母の影響で西洋音楽に親しみ、関西学院中等部、高等商業学部在籍中に外国人教師などからピアノの薫陶を受け、卒業後そのまま渡米、ボストン大学とニューイングランド音楽院に学び、その後、パリで多くの音楽家と交流し、才能を認められたといいます。アメリカのポピュラーミュージックや当時のヨーロッパの前衛音楽、それに日本の伝統音楽の語法を自在に使いこなす神戸生まれのモダンボーイです。実際、いろんな作曲家の音が聞こえてきます。帰国後、あまりにも先端的であったために日本での評価は今ひとつであったといいます。居場所を見つけられないままに関西を舞台に活動を続けますが、そのモダンぶりを控えて「社会的要求に適った音楽を提供する職人に徹して戦時期」を生き抜こうとしたされます。ラジオ向けの曲を書いたり、映画音楽を作曲したり、宝塚歌劇団や松竹歌劇団にミュージカルを提供したりしているようです。戦後は軽音楽の領域にも進出し、ラジオの音楽番組を受け持ち、クラシック音楽の聴衆の裾野を広げる啓蒙家としての役割を果たしたそうです。

それでこのCDに収録されている彼の代表作(?)の神風協奏曲こと協奏曲第3番ですが、特攻隊とはなんの関係もありません。神風というのは当時の朝日新聞社が所有していた民間航空機の名前で、日本の航空機の国産時代への転換期を象徴する最新鋭機だったそうで、1937年にこの神風は東京-ロンドン間の最速記録を樹立し、日本の工業力を内外に知らしめたといいます。ちなみに毎日新聞のニッポン号が「世界一周親善大飛行」を行って当時の我が国は「航空ブーム」に湧いていたとのことです。これは知りませんでしたね。ともかくこうした時流に乗って1938年に初演された航空機讃歌がこの神風協奏曲であります。モダニストが機械をテーマにするのは珍しくない話ですが、この曲は航空機の運動イメージの音楽化です。プロコフィエフがモダンボーイだった頃の協奏曲を想起させるところもありますが、ジャズ調があちこちに散りばめられてアメリカンなテイストになってます。日中戦争が進行している時期に作曲されたとはとても思えないほど軽快な曲です。

収録されているもう一曲の交響曲第3番のほうは別名「建国の交響曲」といい、1937年の紀元節に完成した曲です。1940年の皇紀2600年記念行事は歴史上有名でありますが、大澤は自主的に3年前にこの奉祝曲を発表したといいます。「垢抜けしすぎてしまったらしい彼は、日本人として足下を見つめ直し、日本の楽壇、この国の聴衆との接点を模索」すべく皇紀2600年を口実にこの曲をつくったとのことですが、書法は少し前の時代のものに遡り、全般に和洋折衷的な曲調になっています。とはいえそれほど「日本主義的」という感じもしませんね。途中、バルトークを想起させるところもありますが、それほど野性的というわけでもなく聞きやすい曲です。この時期のモダニスト達の「後退」は世界的な現象のように思われますが、あるいはこの作曲家はこうした時代の変化に敏感だったのかもしれません。解説はショスタコーヴィチの例を挙げていますが、ロシア回帰した後の民族主義的重厚さみたいなものは欠けているように思えます。

2曲とも1930年代後半の曲であり、その成立事情からいって当時の情勢を深く反映した作品なのですが、「軍国主義的」なところがあまり感じられないのは、この関西のモダンボーイはそういう深刻ぶった重々しさとは本質的に無縁なタイプだったということなんでしょうか。2曲聞いただけでどうこう言うことはできないわけですが、欧州や日本の同時代のモダニスト達ともなにか異質な感じがするのは、この人にとってはアメリカという存在がかなり大きいことが関係があるのかもしれませんね。神風号讃歌にしても全体主義的な機械賛美の美学とはちょっと異質な印象を受けました。ジャズ・エイジが日本にもあったのは歴史的事実でありますが、全体に芸術家の間では欧州志向が強かった時代にこういう人がいたのは面白いなと思いました。対米戦争はこの人の音楽にどういう影響を与えたんでしょうね。

追記
朝日の神風号、毎日のニッポン号については実に力の入った記事がありました。やはりこういう分野のマニアの方の圧倒的な知識には脱帽せざるを得ません。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ギリシア文明の後継者は誰だったのか

1990年代あたりから欧州のあちこちで歴史問題が火を吹いていること、また欧州諸国と旧植民地諸国との間でも浮上していることは、我が国においては知っている人は知っているというレベルにとどまっているような印象を受けます。ググればけっこうヒットしますけれどもね。もちろんこれをうまくかわしている賢明あるいは狡猾な国もありますが、イデオロギー的な分極化傾向の強い国には内輪もめに熱中し過ぎて火の手を大きくするというまるで極東のどこかの国を想起させるような展開を辿っているところもあります。フランスのことですが。歴史問題は専ら近代史の解釈への政治的動機や利害の介入により発生することが多いわけですが、前近代に関しても歴史問題が発生し得ることは我々も身を以て知っているところであります。茶道がどうしたとかはまだ可愛らしいものでありますが、高句麗は俺のものみたいな洒落にならない主張をする国もあったりしますね。

それでフランスで今ちょっとしたホットな話題になっているのがギリシア文明はイスラーム経由でヨーロッパに移植されたというのは本当なのか論争であります。これは世界史の教科書などでも記されている論点ですが、ギリシア・ローマ文明の伝統が西方ではゲルマン諸民族の侵入やらなんやらで先細る一方で、ビザンツやイスラームなど先進的な東方世界で継受、発展され、遅れた西方はスペインやシチリアなどの翻訳センターを通じて古典的な知を吸収することになったという話です。最近のがどうなっているのかよく知らないのですが、世界史の教科書ではこの翻訳運動は「12世紀ルネサンス」の一部として記述されていたはずです。ちなみに「ルネサンス」なる概念そのものがヨーロッパのギリシア(ローマ)コンプレックスの表現であることは言うまでもありません。そのために中世を暗黒時代としなければならなかったのであり、いや中世にもルネサンスがあったのだといった主張が生まれたわけでもあります。この文明のルーツをめぐる心理学は非常に興味深いものがあるのですが、いずれにせよ、この「イスラームの寄与」をめぐってこれに挑戦する人物がいるらしく、論争は反イスラームの機運にものって妙な展開をたどっているようです。Rue89にこれに関連した記事がありましたので紹介します。

「イスラームの貢献をめぐる中世史家の間の喧嘩」(Rue89)
ステレオタイプとは反対に、中世史家は必ずしも図書館の修道士的静寂の内に引きこもった静かな歴史家というわけではない。中世史家も決して政治的情熱とは無縁ではないし、同僚の一人の頭を正すべくベースボールのバットを握ることもあるし(これは比喩だ)、群れなすことすらあるのだ。シルヴァン・グゲンハイムの「モン・サン・ミッシェルのアリストレス」という名の書物が引き起こした論争がこれを証言する。

なにが問題なのか。ムスリムがキリスト教的西方へのギリシア文化(医学、哲学、天文学など)の統合を助けたことを示す最近の研究を逆なですることをこのグゲンハイムは決めたのだった。言葉の現代的な意味において我らの啓蒙と民主主義を準備した錬金術。

グゲンハイムによれば、この文化の伝達においてアラブ知識人の役割は非常に誇張されてきた。ギリシア的知は本質的に言ってアラビア語を経由せずにギリシア語からラテン語に直接に翻訳されたのだと彼は主張する。しかし多くの歴史家にすると、このテーゼはイデオロギー的な下心によって導かれているものだ。

ロジェ・ポル・ドロワがこの書物を褒めそやす
哲学者で批評家のロジェ・ポル・ドロワの筆の下でル・モンド・デ・リーヴルは4月のはじめに非常に好意的にこの作品を紹介した。

現代の偏見の驚くべき修正であるシルヴァン・グゲンハイムのこの仕事は討論と論争とを引き起こすだろう。テーマは西洋世界とムスリム世界の文化的系譜関係だ。この主題についてはイデオロギー的、政治的賭け金が重くのしかかる。この真摯な大学人たるリヨンの高等師範学校の中世史教授は支配的となった一連の信念に痛打を与える。

この記事は脱帽の挨拶で終わる。

結局のところ1960年代以来次第に強く繰り返されたのと反対に、ヨーロッパ文化はその歴史と発展においてイスラームに多くのものを負っていないようである。ともかく本質的なものはなにも負っていない。的確で論証のしっかりしたこの書物は歴史を当時に返すものであり、また非常に勇敢なものである。
この間に、フィガロ・リテレールは4月17日に以下の語で終わるべたぼめのもうひとつの批評を公表した。
アテネとエルサレムの遺産の果実たる中世キリスト教の坩堝が存在したことを想起することを恐れなかったグゲンハイム氏に拍手。イスラムは西洋にその知識をほとんど提供しなかった一方で、この遭遇─ローマの遺産もここに加えるべきだが─が、ベネディクト16世が我らに語るように、ヨーロッパを生み出したのであり、人がヨーロッパと正しく呼ぶところのものの基礎をなし続けているのだ。

中世史家達は疑わしい共感をめぐってグゲンハイムを非難する

中世史家の間で不満の反響が感じられ始めている。「歴史修正主義」(彼らによれば)に類似するものを放っておくべきなのだろうか。反撃が準備された。4月24日に最初の一撃がル・モンドに掲載された。2人の歴史家、ガブリエル・マルティネ・グロ(パリ第8)とジュリアン・ロワゾ(モンペリエ第3)が激しく攻撃したのだ。

キリスト教ヨーロッパの知の歴史の見直しにおいて、シルヴァン・グゲンハイムは、数学、天文学、占星術の主要著作─その受容がヨーロッパでの近代科学革命を準備することとなった─がアラビア語からラテン語へと翻訳されたイベリア半島が果たした役割に実際のところ口を噤んでいる。

彼らはさらに進み、疑わしい共感をめぐって著者を非難する

このいかがわしい界隈で著者は一人ではない。彼が喜んで依拠する先行者達がいるのだ。その「注意深い再読」やその「示唆」に対して謝辞が与えられた後、ルネ・マルシャンが何度も言及されている。
彼の著作「ムハマンド。再調査」が文献目録に登場する。この著作のサブタイトルは「現代の専制君主、偽造された公的な伝記、ディスインフォメーションの14世紀」となっている。ところでルネ・マルシャンはOccidentalisというアソシエーンのインターネット・サイト─彼はそのインタビューを受け、このサイトは彼の著作の美点を褒めそやす─によって多数に選出された人物だ。
「フランスがイスラムの地にならないように」見守るイスラモヴィジランスのサイトも・・・シルヴァン・グゲンハイムの知的交際関係は少なくとも疑わしい。それは真剣な著作、大出版社のコレクションに一角を占めるようなものではない。

「私の意図しないものを私に帰そうとする」

グゲンハイムのテーゼや「文明の衝突」のアイディアに対抗する請願書が出回り始めている。グゲンハイムは自らを弁護しなくてはならない。彼はこうした攻撃に「仰天した」と述べる。「私の意図しないものを私に帰そうとしている」と彼はル・モンドで叫んでいる。

私の調査は正確な論点に関するものです。様々な水路─それを通じて中世人によってギリシア的な知が保存され、再発見される水路という論点です。わたしはアラビアの伝達の存在を否定する者ではありません。だたそれ以外にもギリシア語からラテン語への翻訳の直接のルートの存在を強調しているのです。ジャック・ド・ヴニーズのおかげで12世紀初頭にモン・サン・ミッシェルがそのセンターになったとね。

この書物の出版の数ヶ月前から、抜粋が極右のOccidentalisのサイトで公表された。この点を尋ねられてグゲンハイムは議論を広げた。

5年前から─私がジャック・ド・ヴニーズを「再発見」した時から─私は自著の抜粋を多くの人物達に提供したのです。私は各人がそれをどうできたのかについては全く知りません。

レジスタンスの家系に属するこの私が極右の人間とされたことに衝撃を受けています。子供の頃から私は一家の価値に忠実であることを止めたことはありませんよ。

「移民、国民アイデンティティー省とヴァチカンの地下倉庫のヨーロッパ」

しかしこのインタビューは情熱を冷まさなかったどころではなかった。テレラマの詩的高揚に満ちた記事で、哲学者のアラン・ド・リベラ─著書でグゲンハイムに疑問視された─は釘を打ち込んだ。

「学問の伝播」の展望から眺めると、よくいるイスラム嫌いによって性急に賞賛された「アリストテレス哲学のギリシア世界からラテン世界への継承の歴史におけるミッシングリンク」たるモン・サン・ミシェル仮説はオムレツの歴史におけるマダム・プラールの役割の再評価と同程度の重要性しかもたない。

この中世の専門家は手ひどく結論づける。

このヨーロッパは私のものでない。私はこれを移民、国民アイデンティティー省とヴァチカンの地下倉庫に任せることにする。

日曜にフランス・キュルチュールの「公共精神」という番組でマックス・ギャロはこの書物を擁護した。同じ日にル・モン・デ・リーヴルの中心人物たるピエール・アスリヌは歴史家の感情を彼のブログで伝えた。グゲンハイムはチュートン騎士団、ラインの神秘主義、十字軍の専門家であると持ち上げて(下心がなくもなく?)、彼は非難する。

Occidentalisが出版の9ヶ月前にまだマニュスクリプトの状態だったのにこの書物の「すばらしいページ」を公表しただけでなく、シルヴァン・グゲンハイムはOccidentalisのブログ、イスラモヴィジランスのサイト、Amazon.fr.で"Sylvain G."のサインで同様のテーゼ(ギリシア・ラテン的な知の西洋への継承におけるイスラムの役割は神話である)を擁護すべく著書の中以上に生き生きした直接的なコメントを投稿したようである。それが本当に彼なのか、彼のレトリックを支持した挑発者なのか明確にする必要はなおある。

リベラシオンはジャン・イヴ・グルニエの筆の下4月29日にこの著書のニュアンスのある批判を掲載した。しかし翌日には大学人のグループがrebonds du quotidienのページで「然り。キリスト教的西洋はイスラム世界に借りがある」というタイトルでこの本を激しく攻撃した。

歴史家と哲学者からなる我々はキリスト教中世ヨーロッパが直接にギリシアの遺産を横領したことを証明すると称する─イスラム世界との関係なしでも同じ道筋を歩んだだろうとまでも断じる─シルヴァン・グゲンハイムの著作を驚きをもって読んだ。[...]この著作はかくして現在の研究の潮流の真逆にいくのである。

彼らによれば、グゲンハイムのやり方は「受け入れ難い政治的含意をもったイデオロギー的プロジェクトに属している」。以下長い署名リストが続く。リヨンの高等師範学校の学生や卒業生の署名の入ったもうひとつの請願がTelerama.frに発表された。それは"Sylvain G"の署名コメントに関する「さらなる調査」を求め、「リヨン高等師範学校の教育の平静と科学的評価を維持するためにあらゆる必要な措置がとられる」ことを願っている。

反動スフェアの支持

グゲンハイムは「反動スフェア」─右派のブログスフェアのうちの最も辛辣な部分を指すために徐々に使用されつつある言葉─で支持されている。カトリックのブログ、「ベルギーのサロン」は多幸症的に結論している。「結局のところ、政治的に正しい考えとは反対に、ヨーロッパ文化はイスラムになんの借りもないのだ」と。また別のブログ、「バロックと疲労」は「愚か者に死を」というタイトルで歴史家と請願者を噛み付くように非難している。

打ちのめされるのはこの著作が引き起こした激怒だ。これに関するコミュニケ。ああ、ご注意を、このタイプは一人じゃないのです、ねえ、我々は彼みたいに考えたりしないんですよ[...]じゃあ彼らはなにを言っているわけ。まあ、シルヴァン・グゲンハイムの著作が実際インターネットで大っぴらに意見を述べている外国人嫌いやイスラム嫌いの連中の論拠に使われていることを知りなさいだって。

神様、神様、神様。外国人嫌いの集団がインターネットで自己表現しています。警察は何をしてるのですか。なんてこった。でもそれがなにができるっていうんだい、畜生め。世界が世界であった頃から、作家は自分の手の及ばない連中によって自著がリサイクルされるのを見るのさ。残念でした。でもそういうものです。

僕は外国人嫌いやイスラム嫌いの連中が墓地にハーケン・クロイツの落書きするのよりもグゲンハイム氏の古本に飛びつく方が見たいな、個人的にはね。

ブロガーのSILはモスクワ裁判を語る

イスラム左翼の共産党政治局による裁判に出頭するのは今度は中世史家のシルヴァン・グゲンハイムの番だ。彼が最初なわけではない。彼は最後にもならないだろう。[...]歴史の道徳性。興味深い議論を提供する代わりにこの歴史家達はこのテーゼを「周囲のイスラム嫌い」に分類することを目指してプチ・モスクワ裁判を我々に提唱することを好むのだ。40対1。ブラボー。なんという勇気だ。

それで私は極右のブログも見てみた。よき一歩から始まったのかもしれない─大人の知識人の間のヨーロッパの起源をめぐる激しくはあるが豊かな交換の一歩─この論争は罵詈雑言(「ファシスト」という中傷は2方向に向けられる)の不毛な応酬に落ち込んでいるようだ。問題の本を読むまでもなくどちらかの陣営を選択するよう招かれる。そして議論は型通りでぶつ切りで断言調の言葉でのみなされるのだ。残念な話である。
(了)

というわけでギリシア、キリスト教文明の後継者をもって任じる人々にとってはそこにイスラームという他者が介在しているという事実はなにか面白くないものがあるようです。また一方でイスラームへの知的負債という事実を「政治的に」強調したい人々もいると。モン・サン・ミシェルの翻訳センターについての仮説はそれはそれで事実なら面白い事例じゃないのという気もしますが、大げさな文明論的な話に展開したために政治化してしまったということなんでしょう。極右云々はこれだけではよく分からないのでなんとも言えないのですが、「ムハマンド。再調査」みたいな本を文献目録に入れて著書で何度も言及している時点でやはりまともなアカデミシャンなのかなという疑念を呼ぶでしょうね。私はこの人についてはなにも知らないですし、著書も読んでいないのでなんとも言えないですが。いずれにせよ歴史学的な方法論に準拠している限りは著者を政治的に葬ったりはすべきではないですし、こういう論争でさらにPCの基準が高くなったりするようだと反発する層を増やすだけだろうなと推察します。何度でも強調したいのですが、歴史の問題は歴史学の枠組みの中で処理するというのが基本だろうと思います。どうもイスラームへの知的負債というテーマをめぐっては政治動機が見え透いた議論が多いようなのは残念な話でこういう空中戦を静められるのは大げさなことは言わない堅実な実証史家だけということになるのでしょうかね。

追記 
・「移民、国民アイデンティティー省」というのはサルコジ大統領の肝いりで創設された省庁でありまして、多文化主義やらなんやらで崩壊の危機にある国民アイデンティティーを定義するというなんだかすごい省庁です。そんなの国が定義すんなよという話でありますが、実際、ほとんど機能していないという噂ですね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

68年をめぐる論争(番外)

もうこのネタは終わりと書きましたが、番外編ということでル・モンドの「視点」欄に掲載されていた日本の記事を紹介しておきましょう。他にも作家のポース・オースターが自分の運動体験について書いている記事もありました。Le nouvel observatoireは1968年の紙面を仮想的に再現する企画をやっていて、当時の中国や日本の動向の記事もアップされています。日本では1968年4月28日に学生が警官隊に投石したニュースがありますね。

「日本の5月あるいは祝祭と記憶なき暴力」(Le Monde)Par Michael Prazan
今日フランスでは新聞、テレビ、ラジオなど至る所で「5月の大祝祭」が祝われているが、日本ではそうしたものはなにもない。しかしこの国での学生反乱は1968年に爆発を経験した全民主主義国の中でおそらく最も大規模かつ最も攻撃的なものであった。

日本の学生運動の連合である全学連(1965年に発足)は、世界中の、とりわけフランスの学生達を魅了した。シチュアショニスト達は全学連に熱のこもったテキストを捧げたし、ジュネが東京に来て、ピエール・ゴルドマンも空手を始めた。この列島も間接的に参加していたベトナム戦争、そして体制主義的、権威主義的な社会に反対した日本の学生達は自治や組織化の手本であった。彼らは西側世界の反乱の最先端におり、そのメートル原器でもあった。

1968年に火薬に火をつけたのは日大─「栄光の30年」世代の象徴─の大学当局による20億円の横領であった。この横領は学生の一人秋田明大によって非難されたが、彼はすぐに学生運動のリーダーに抜擢され、我らがダニエル・コーン・バンディットに相当する存在となった。彼はみなから忘れられて、今は広島郊外の奥深くに引きこもって修理工場主をしている。いったいなにが起こったのか。

自由に飢えた日本の運動は驚喜して東京中心部や他の至る所で巨大デモに参加し、当初は人々の広範な支持を得ていた。フランスと同じように。1968年の夏の始まりに停止しなかったことを除いては。運動はなお1年ほど続いたが、内部闘争、街頭での乱闘、暴力的逸脱で分裂し、数ヶ月のうちに人々の好意を失い、1969年1月の東大の安田講堂の占拠にまで至った。これは日本の機動隊との市街戦で終了したが、この後、主要な学生リーダー達は全員投獄された。

しかし、確かにより「戦闘的」であったが、ヨーロッパやアメリカと同じように自由で、女性解放的で、反人種主義的で、「反戦的」だったこの運動には正しいものがあったのだが、問題は次に起こったものであった。1年後、1970年に学生運動から派生した極左集団の日本赤軍は、日本航空の飛行機を北朝鮮に転じて、国際テロリズムへのゴーサインを出したのだった。日本の指導者の暗殺や爆弾が日本のあちこちで炸裂して多数の死傷者を出し、1972年冬の山荘の恐るべき事件へと至った。日本でのありそうもない革命に備えて、長野の山荘で訓練をしていた赤軍の一派が同士討ちを始めたのだった。狂気に襲われた集団の若いリーダー達に命じられた拷問、虐待、暗殺は14人の犠牲者─そのうちの一人の女性は9ヶ月の子供を宿していた─という結果となった。この醜悪なエピソードに日本の全テレビによって放映され続けた人質事件が続くのであった。

この出来事のトラウマは人々の間で非常に深く、先行した運動の全面否定を、さらにこれに関連した全左翼党派の完全否定すら生み出した。日本共産党は戦後最強の政党の一つであったが、これ以降、文字通りに崩壊し、その勢力を決して挽回することはなかった。そしてこれでは十分ではないというばかりに、赤軍の別のグループは「世界革命」を行うべくレバノンのパレスティナ解放戦線に加わり、同年5月にテル・アビブのロッド空港で世界初の自殺テロとなるものを実行した。26人の死者と約100人の負傷者。2000年までこのかつての学生達の写真は日本中の駅や交番に掲げられ、日本社会に鈍い耐えざる脅威の負荷を課し続けた。

フランスにおける68年5月の記念が示すもの、それはこの「事件」が祝祭の範囲のものに過ぎず、日本を、また旧枢軸の他の2国(ドイツ、イタリア)を震撼させた過激派集団による政治プロジェクトに至るものではなかったということだ。日本は学生運動の目に見える痕跡をとどめていないが、これはかつてフランス以上に権力を動揺させ、今日は当時の完全なる忘却の下にある。1968年のエリート学生達─そのメンバーはフランスのように著名人になったものもいる─は武勲をもたない。そのキャリアを通じて彼らは自身の若気の至りを忘却させようとして止まないのである。
(了)

細かい事実の間違いが見られますが(死者数、要人暗殺の言及、赤軍派、連合赤軍、日本赤軍の差異など)、フランスの能天気さに比べて日本の冷ややかというよりも無関心な態度はよく活写していると思います。わたしは世代的なこともあるのでしょうが、肯定的であれ否定的であれ、この時代に特に強い感情を持たないのですが、ここで生じているらしい記憶の切断には関心があります。一番大きいのは1945年ですが、歴史というよりも集合的記憶のレベルではプッツリ切れているポイントというのがいくつかあります。実際には連続性があるにもかかわらず。こうした現象はどこの国にも存在しているわけですが、日本社会にとってもややネガティブな効果をもたらしているような気が個人的にはしています。それは欧米では68年は肯定的な意味をもったのに対して、日本では云々といった話ではなく─それは欧米(ってどこ?)のことも日本のこともよく分かっていない物言いです─、どうも清算主義的に過ぎるといいますか、この記事にもありますが、過去に対する「全否定的」態度というのは一般的に言ってよろしくないと思うわけです。そうすることによって逆説的に過去の一時点に固着してしまうことになる。といってももちろんノスタルジーの奨励や過去の不可能な称揚を勧めているわけではなく、歴史の持続の事実への敏感さを失わないためにもこういうトラウマ的な記憶のポイントをいかに処理するのかという問題は重要だろうという話です。抑圧されたものが歪んだ形で回帰するのを防ぐためにも─こういう精神分析的な発想は信用しないはずなのに、実際、わたしはオウム事件にそれを感じました─本当の意味で過去の亡霊を「殺す」ことが必要だということです。そのためには対象化しないといけないわけですが、当事者世代による武勲詩やら告白録やらは別にして(親世代を反復しているのは皮肉な話です)、まだまだ十分に言語化されていないように思います。とはいえ完全に歴史化されるには世代交代が必要になるのでしょうね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

68年をめぐる論争(2)

さて今度は68年をめぐる論争の右の方からの意見です。実際、右といってもいろんな流派があるわけですが、これは保守本流たるゴーリストの見解です。ここでまで堂々としていると清々しさすら感じます。

68年5月と58年5月、神話と現実[Le Figaro]Par Alain Terrenoire
68年5月の出来事の記念と賛美のメディア的氾濫に溺れた2008年5月の若者達は幻想と欲求不満で茫然となる危険がある。この時代の古い闘士は戦後の硬直化したフランス社会を変化させることになる革命とやらに信憑性を与えるために自己満足をもって我々にこの時代を描き立てている。

実際我々は歴史上前例のない成長と近代化の進歩をフランス人に与えた「黄金の30年」(高度成長のこと)の渦中にいた。領土全体での経済発展、購買力の恒常的増加、ベビーブームの子供達への高等教育の開放、民主化、休暇の延長、家庭の快適さの爆発、万人のためのテレビ、こうしたものは他の多くの変化の中でフランス人の生活とフランスの顔とを深いところで変化させた。10年前には「欧州の病人」扱いされたフランスを!

確かにこの偉大な大変化はその裏面を持っていた。とりわけ都市への予期されない、管理されない根無し草の人口の流入は深刻な住宅危機の原因となった。最も危機的な状況は明らかに経済成長、完全雇用、企業の富裕化に応じた雇用者の報酬の上昇の遅れであった。企業の社会的経営と機能はしばしば非常に保守的なものであった。

しかしこの遅れや適用の失敗はカルチェ・ラタンのバリケードの数週間、多様なデモ、大学、工場の占拠、そして東欧やその他の諸国民の抑圧者たる全体主義的共産主義の赤旗に覆われた行政組織を正当化しただろうか。

大学の近代化に関するエドガール・フォーレ法を翌年の秋に獲得するために、そして給料の大幅な増加を享受するために─ああ!その半分は16ヶ月後に弱いフランの切り下げで侵食されたのだった─「禁止することを禁止する」必要はあったのか。

いかにして人は「極左集団」─毛沢東の文化大革命とカストロの独裁を手本として我々に与えた共産主義者Marchaisの有名な言葉─のスローガンに人は酔うことができたというのだろう。いかなる戦慄が深淵にあってクーデターをシャルレティのスタジアムで夢見させ、ミッテンランをして辱められた共和国の救世主として立ち現れることを許せたのであろうか。

いずれにせよ今日では、時代遅れの少数のトロツキストを別にすれば、68年5月のかつての我らが闘士達は─その多くは今でもメディアで気取っているが─もはやそのことで自らを称えはしない。風俗の革命と社会的振る舞いの自由化のみが彼らの衰えた記憶で輝くのだ。しかしそうしたものは西洋の至る所で進行していたことであり、他の場所と同様にフランスにおいてもバリケードなしで、我が国を不在の予約購読者にすることなく、実現されたであろう。

最後に、この冒険的な、しかし流血のない時期が短い春しか生き延びなかったことを忘却しないようにしよう。ド・ゴールはしばらくの動揺の後にこの「大混乱」への措置を取り、5月30日に百万人のフランス人をコンコルド広場に集め、一ヶ月後に選挙によって国民議会で例外的な多数を与えたあの言葉を見つけ出したのだった!

その代わりに10年前の58年5月はフランスが経験することになる真の革命の開始であった。我らが68年世代の見栄っ張り達のために、そしてこの時代をよく知らない2008年の若者達のために、いくつかの事柄を想起することが必要だろう。

解放以来、フランスは絶え間ない植民地戦争に苦しんでいた。アルジェリア戦争は最も悲惨なものであったし、権力の座にあった左翼政府はこれを終わらせることができなかった。他方、フランスは第四共和制の諸制度、政府を不安定にする選挙システムを備えていた。この状況は我が国に一般化された発展の恩恵を十分に獲得することを許さなかったのだ。

我々はまた我らが対外政策と防衛政策に関して米国の従属下にあった。最後に、欧州の新たな協力の素晴らしい開始にもかかわらず、フランスは1958年初頭にはその弱体ゆえにローマ条約の始動を延期せざるを得なかったのだ。

この袋小路の中でフランス人は6月18日にこの男に訴えたのだ。権力に返り咲くとド・ゴール将軍は民主的権力の平衡と有効性の必要に答えた新しい憲法の作成に着手した。彼はまた我らのすべての植民地に独立を与え、アルジェリア戦争を集結させることで脱植民地化を成し遂げた。ド・ゴールは同様に特に第三世界に評価された新しい外交政策を開始し、フランスに自立的防衛による安全を保証することで、我が国に第一次世界大戦以降失われた威信を再び与えてくれた。

研究と新技術の領域ではこの国家元首は劇的な主導権を発揮した。我々はなおそこから多くの利益─とりわけ防衛、エネルギー、核、宇宙の領域で─を引き出すことができるのだ。

ド・ゴールの復帰以降、経済の回復が我々に欧州的、国際的な舞台で我々の地位を占めることを可能にしてくれた。

最後に、長期的に確立することなったものとして、ずいぶん変質してしまったが、ド・ゴール将軍の欧州ヴィジョンがある。

かくして我らは常にエコロ改革主義に改宗したボボの懐古的な想い出よりもド・ゴールの畝の存続を好む多数なのである。遭遇する障害やしばしば優柔不断な犂にもかかわらず、欧州権力の希望とともに、強力で独立的で主権的で連帯的でそしてなによりもグローバル化─そのカオス的な市場は加速することを止めない─のプロセスの主要なアクターとなる決意をもつフランスをあらしめるのがこのド・ゴールの畝なのだ。
(了)

いやー、これも熱い文章ですが、68年なんかどうでもいい、問題なのは58年なんだという言い切りが心地いいです。この生ける「フランスの偉大」を辞任させたのも68年世代ですから、保守本流の方々には忸怩たる思いがあるでしょう。わたしも歴史的にはどう考えても、68年より58年の方が重要だろうとは思います。が、しかしゴーリスト親父の説教に今時のボボのみなさんが耳を傾けるのかどうかは少々疑問であります。ちなみにボボというのはエコロジーとかが好きな遊民化している坊ちゃん、嬢ちゃん達のことで、今時の若者は・・・という時の代名詞的存在です。それからこのお方は多分サルコジにはけっこういらついていそうです。ちゃらちゃらしやがってと。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

68年をめぐる論争(1)

今年で40周年を迎えるわけですが、1968年5月が戦後フランス史にとっての特異点のようなものとして記憶されていることは御存知かと思います。学生運動や労働者運動が高揚し、大学の自治やらベトナム反戦やらプラハの春やらフリーセックスやらが叫ばれ、すったもんだのあげくにシャルル・ドゴールが退陣することになったあの一連の社会的な騒乱のことです。この動きが我が国にも波及し、パリに続けとばかりに、もちろん戦後日本の文脈において束の間の高揚をもたらしたことは特に強調するまでもない歴史事実であります。

フランスにおいてはこの記憶をめぐって今でもけっこう熱い議論がなされています。それが生産的なものなのかどうかわたしは懐疑的なところがありますが、そういう議論をするのが好きな人達ですからそれはそれで仕方がない。まずは左派というよりも極左サイドの見方を紹介したいと思います。キーワードは「沸騰」。自由主義の黄昏を打破せよ!

反68年5月の思想は底をついている[Le Monde]Par Nicholas Weill
ここ40年、哲学者、作家、歴史家が行ってきた様々な読解を導き手として採り上げることで、68年5月の40周年はここ数年の知的風景において生じたいくつかの変化を確認する機会を提供してくれる。今日まで「事件」の呼称を保持したほどに特異な時期。68年5月の記念は、他のどの時代とも同じようにこれを歴史的なものにするのではなく、この不可欠な一部であり、社会に対するこの持続的な影響を延長する。さらにこの記憶との10年毎のランデブーは時代精神のイデオロギー的変容の優れた指標をなしている。かくして多数の著作が─そのうちのひとつはミシェル・ザンカリニ=フルネル著「68年という時代。論議の的となる歴史」─我々の現在になお多くを語りかける固有財産を有するあの学生と労働者の反乱の「歴史の歴史」の現状分析をしてくれる。

1970年代には、「反全体主義的転回」と呼ばれるものに際して、相当数の知識人がレイモン・アロンが渦中にあって「奇妙な革命」(1968)で定式化した1968年に対する批判を自分のこととして引き受け、さらに強化した。しかし哲学者のセルジュ・オディエが最近「反68年の思想。知的復興の起源についてのエッセー」で示したように、アロンはゴーリスト体制の袋小路をとりわけ非難し、彼が脅かされているとみた大学に関して心配していたのに対して、10年後に彼を引き合いに出した者達はこうした問題をより保守的に転回させた。

マルクス主義的な教養との距離を求めた知識人による民主主義と市民社会の徳の再発見はいくつかの側面で68年の沸騰の長所とみなされるものを有していた。結局のところ、共産党にとって革命とは国家機構の征服に貢献するものにとどまったわけで、5月の価値は共産党によってほとんど評価されなかったのだ。しかし徐々にエドガール・モラン、クロード・ルフォール、コルネリュウス・カストリアディアス(「68年5月。裂け目」)によって称えられた市民社会の自発主義は自由主義的な思想家の下で国家と国民の復権へと席を譲ることになった。

「68年世代の」遺産が1980年代にはモデルとしての地位から引き立て役としての地位へと滑り落ちたことにはなんら驚くべくものはない。この新たな方向付けをした2人の主役は歴史家のフランソワ・フュレ─1789年の再解釈は革命という理念そのものに打撃を与えることに帰着した─と哲学者のマルセル・ゴシェ─「人権政治」の疑わしい正統性と民主主義社会をその反対物へ転化する危険についての省察は徐々に悲観主義的な色調を帯びることになる─である。遡及的な悪魔化へと道は開かれた。レジス・ドゥブレの「10周年の言説と儀式へのささやかな貢献」(1978)以来の思考は、68年5月の街路が覆い隠していた道を単純な「消費主義的画一化」に、異議申し立てが予示した道を「資本主義の新たな精神」(リュック・ボルタンスキ、エヴェ・チアペッロ著、1999)にし始めたのだ。ジル・リポヴェツスキー、ジャン・ピエール・ル・ゴフのような社会学者によって材料が提供され、黒い伝説が形成された。この伝説は68年5月にナルシスト的、個人主義的漂流の坩堝を見ていたのだが、これは社会的な無関連化を唆すもので、その後継者は現実には「リベロ・リベルテール」やその他の「ボボ」達なのだろう。

奇妙な情熱
しかしこうした文化的反動は哲学者リュック・フェリーとアラン・ルノーのパンフレット本(「68年の思想」1985)とともに頂点に達する。この書は1960年代、70年代の知的、哲学的生産の大部分にこうしたレッテルを貼る。構造主義者とポスト構造主義者は「反人間主義的」であると非難される。賃金労働者と学生を街路に立たせたより自由でより階層的でない社会の具体的ユートピアは全体主義の邪悪な蛇を腕に温めさせるものに過ぎなかったのだ!

5月から離れんするこの奇妙な情熱はデフォルメを経由する。フェリーとルノーによって刺された登場人物の大部分は実際には68年5月とその役者達と非常に疎遠な関係しかなかったことを徐々に増えている当時の歴史家達が我々に教えてくれる。しかしこのカリカチュアは権力の座にある右派の未来の言説の養分となるのだ。2007年春にベルシーで「知的、道徳的相対主義」を課すこととなった68年5月の「遺産を清算する」意思を表明する時、このカリカチュアはニコラ・サルコジによって再び採り上げられることになるだろう。

ところでこの基調傾向は数年前から歴史研究の進歩によって真っ向から反対されている。それによってそのメッセージが風俗や世代的な共犯効果の中に求められるような出来事というイメージとは全く別のイメージが68年5月に与えられたのだ。この更新はラディカルな思考のダイナミズムをともなうものであり、しばしば非常に若い世代によって再活性化されている出版社や雑誌の活況によって表現される。ベルリンの壁の崩壊以後、極左は実際にはその理論的生産性を刺激するような