カテゴリー「欧州情勢」の77件の記事

主権が立ち現れるとき

宗教関連は弱いのですが、素人が素人なりに気になったことについて書いてみるという趣旨のブログですので躊躇せずに続けます。

"Trying to understand French Secularism" by Talal Asad[pdf]

コメント欄で教えていただいたタラル・アサド氏のフランスのライシテ(世俗性、非宗教性)についての論文です。50ページ以上あるので内容を要約するのはたいへんですからポイントだけかいつまんで感想を記しておきますが、主権論と規律訓練論でフランスのライシテを理解するという趣旨の論文です。スカーフをめぐる騒動は私もニュースやオピニオンを眺めていたのですが、フランス的語彙で言うと、統合主義と多文化主義、普遍主義と差異主義、共和国の世俗性と宗教的共同体主義等々の概念で盛んに論じられていました。もちろんスカーフはひとつの焦点であって他ではなくこの時にこのような形で問題化されたその背景まで考慮すれば、これはなんとも深刻な事態になっているなあと溜息が出る他なかったです。

メディア上の論調ではライシテの歴史を想起して共和国の原理としてこれを護持すべしという意見と移民の歴史を想起して文化的多様性を認めるべしという反対意見が戦わされていた記憶があります。個人的には知識人たちの神学論争よりも移民の子弟の置かれている状況やいわゆる普通のフランス人の不満の原因がどのあたりにあるのかといった具体的な話に興味があったのですが、私の記憶では論争の中で想起されていたのは戦後史、古くとも19世紀後半以降の歴史であり、この論文のように初期近代にまで遡って論じる人はあまりいなかったような気がしますね。

それでこの論文ですが、16世紀末の宗教戦争後のcuius religio eius religio(領主の宗教が領民の宗教となる)から始めています。これは宗教の核心が内面的なものであるとみなされるようなった時代に「特定の宗教問題」に「一般的な政治原理」を適応した例として重要である。政治的なものと宗教的なものとの分離そのものは中世にも認識されていたが、今日とはずいぶん違う。国家が脱キリスト教化され、非人格化され、政治的なものが宗教的なものをその領分から排除し、吸収し、といった具合にその下にさまざまな宗教を信仰する臣民が共存する抽象的かつ超越的な権力が立ち上がっていく。誰が宗教的寛容に値し、なにが宗教的寛容であるのかを決定するのはこの権力である、と。

フランスの文脈ではナントの勅令が言及されていますが、その後、革命政権により「宗教的不寛容」が弾劾され、自由、平等、友愛の名の下に教会が攻撃され、宗教の本質が個人の信仰として定義されるようになる、1世紀にわたる闘争を通じて第三共和国の下で最終的に解決されるという風に歴史を辿っていきます。人道と進歩の理念を掲げる共和国は実証主義的ヒューマニズムを涵養する公教育制度を樹立する一方で、文明化の使命の名の下に植民地を拡大する。反教権教育、教会との不平等な協定、帝国の拡大、この三つがフランス・ナショナリズムの柱であり、この上にライシテも誕生した。しかしアルジェリアのみがこの学校システムの例外で国家と教会が協働して改宗やムスリムの教育にあたった。マシニョンのようなオリエンタリストはムスリムの解放に熱狂したが、誰を解放するのか、いかに解放するのかを決定するのは共和国であった、と。

それで論者によればスカーフ事件から見えるのは今日のフランスはある意味でcuius religio eius religioのままであり、この原理の重要な点は特定の宗教へのコミットメントや禁止にあるのではなく、単一の絶対的な権力-主権国家-を立ち上げることにあるとされます。この権力は単一の源泉からその力を汲み、さまざまな信仰にかかわらず人民に対して世俗的配慮をするという単一の目的に取り組むような権力である。宗教はあの世のことに関わるのであって国家権力はこの世の福利厚生のための自らの適切な場を定義しなくてはならない。それゆえこの世の福利厚生のイメージが必要とされ、宗教のプレゼンスの記号はなにかという問題への答えも必要とされる、と。ここから特定の象徴が宗教的なものか否かを最終的に決定する権能が世俗国家に残されることになる。以下、国家の記号読解の様態をスタジ報告書から読み解いています。

論者によれば、スカーフをまとう動機は多様であり得るし、宗教的動機からだとしてもそれは「行為」であって「象徴」とはいえないかもしれない。それを宗教的シンボルと決定し-十字架とキッパとともに-禁止することを通じて世俗国家はその権力を行使する。さらに報告書はここに宗教的なシンボルを顕示する「意志」と「欲望」を読み込み、それを決定する、と。またカール・シュミットのいうように主権とは「例外」を決定する権力のことであるとして国家から補助を受けているキリスト教系とユダヤ教系の私学、国が教会財産を所有し、聖職者が給料を支払われているアルザス・モーゼル、司教区組織や様々な宗教的アソシエーション、軍隊、学校、病院付きの司祭の例などを挙げています。事実としてフランスは普遍主義的な市民のみから成り立っているわけではない、と。以下、友愛の問題やユダヤ人の問題やイスラム嫌悪の問題などについて具体的に論じていきますが、ここはよく語られる部分なので割愛します。具体的なことに興味のある方はリンク先をお読みください。

以上、ライシテの問題とは、なにが「宗教的」なのか、またなにを「例外」とするのかを決定する主権の行使の問題である、としています。そしてそこには本質的に恣意性がつきまとう点が示されていますが、特になにか政治的提言がある訳ではなくここでは「理解」が目指されています。まず、ここまで一般化するならば、フランスに限らず、政教分離が存在する近代国家であればどこでも権力の作動を記述できるのではないでしょうかね(こうした「批判的」な記述の仕方を好まない人もいるでしょうけれども)。確かに普遍的かつ世俗的な市民を育む公教育の場から宗教的記号を放逐せんとする情熱はいかにもフランス的ですが、スカーフが宗教的シンボルと認定され、これをまとうことが禁止されるにいたる経緯を見るならば、共和国の原理そのものから直接導き出される必然的な結論と言えるのかどうかは微妙なところもあるように思えます。なぜこの時期このような形でこのような措置がとられたのかはやはり具体的な政治社会状況を見ないと分からないでしょう。理念的にはライシテを「人類」の目標と普遍主義的に語る者もある一方で、ユダヤ・キリスト教文明やフランスの特異性に言及する者もあるといった混乱も問題でしょう。ただこの問題は長期的に見ないといけない問題だと思います。最後に、これは言って詮無いことかもしれませんが、私自身は象徴政治というのはやはり好きではないです。

信仰の土着化とナショナリズムの相関関係──「宗教の神学」の課題として[pdf]

こちらは小原克博氏の信仰の土着化とナショナリズムに関する論文です。日本のキリスト教の場から発せられた論文として読ませていただきました。当方、単なる歴史好きなので十分に咀嚼できているのかどうか心許ないところもありますが、問題意識は伝わってきました。世俗ナショナリズムと宗教ナショナリズムに対して寛容と多元主義を掲げるリベラリズムを掲げても問題の解決にはならない、そもそもこれらは西洋発の近代主義的ディスコースが排除した当のものなのだから、という認識が大きな枠組みになっています。

これに関連して近代国民国家における「宗教」と「迷信」の構築という論点が言及されていますが、この点は前エントリで紹介した記事などと認識を共有しているようです。近代国家は「宗教」がなんであるかを定義しつつこれを私的領域に割り当て、民俗的なものを「迷信」として排除することで世俗的な公共空間を形成していくが(近代的な「宗教」と「世俗」の関係の創出)、ナショナリズムと「宗教原理主義」は公共的な空間から排除されたものたちの復讐である。また植民地化と脱植民地化を経験した非西洋社会においては旧宗主国が押し付けた、あるいは輸入された制度たる政教分離に対して世俗的、宗教的ナショナリズムで応答する場合もある、と。

日本の文脈では天皇制イデオロギーおよび国民道徳が公的秩序原理として樹立される一方、伝統仏教の「再土着化」とキリスト教の「土着化」を通じて宗教が私的なものとして承認され、民俗的なものは迷信として排斥される日本的政教分離のプロセスを辿ったとされます。日本のキリスト教については土着化論と文脈化神学(というのがあるのですね)の観点から論じていますが、内村鑑三のようにキリストへの忠誠と日本への忠誠に引き裂かれ葛藤した人物もいたが、キリスト教のほぼ全体がナショナリズムの渦に飲み込まれてしまった。戦前にはナショナリズムは土着化の前提とされ、これが批判的に検討されることはなかった。逆に戦後は国家のみならず「日本的なもの」に接近することにまで強い警戒心を持つことになる。しかしただの反動であってナショナリズムを十分に対象化できていないといいます。

世俗的、宗教的ナショナリズムと批判的、建設的な対話をしつつ、自らを近代的価値の体現者と考えがちな西洋キリスト教の「宗教の神学」が前提とする「宗教」概念そのものを相対化する作業をすすめるために、論者は「一神教の神学」に加えてintra-contextual theology of religionsとinter-contextual theology of religionsという2つのプログラムを提唱しています。前者は郷土愛、民俗信仰や愛国心を対象とする神学、後者は国境を越えた文脈間の歴史的つながりや流動性を確認していく神学であるとされます。

シヴィック・ナショナリズム論やリベラルな多元主義論が単なる西洋の自己正当化に終わることへの警戒や宗教的ナショナリズムが近代からの逸脱ではなく近代化の産物そのものであることの認識などは私みたいな単なる国際ニュース好きにも理解可能な話ですし、ナショナリズムを単に否定するだけでは逆効果なことも実感させられてきたところですのでその問題意識は分るように思えます。「批判的・建設的」の「建設的」の部分が具体的にどういうものになるのかに興味があります。論者による近代日本の宗教概念についての論文も入手できたら読んでみたいなと思いました。ついでに「宗教」と「迷信」に加えて「科学」というのもありますね。特に我らが同盟国において宗教と科学が時に対立するだけでなく一緒になって迷信と戦ったりする光景をよく見ます。日本でも局所的にありますけれど。

"An interview with Peter Berger"[pdf]

かつて世俗化論の社会学者として知られたピーター・バーガー氏のインタビューですが、とても平易で明快です。氏の学説の放棄については仔細を知らなかったのですが、ネットで検索しただけでもずいぶん記事がありますね。このインタビューでは自ら説明しています。近代化とは世俗化ではなく多元化である、多元性と選択肢の拡大は世俗的選択につながるとは限らず、宗教的選択にもつながるのだとしています。ただ信仰がなんであるかではなく信仰がどのようになされているのかに注目するとそこには違いがあって、絶えず相対化にさらされるために確実性への信頼が毀損され易く、これが原理主義の土壌を形成しているとされます。

それから複数の世俗のあり方の可能性という話で日本が出てきます。最初に非西洋社会で近代化に成功した国として興味深いとしています。日本を世俗的な社会とみなした者もいたが、自分はそうは思わない、ただ異なる宗教性の形式を持っているのだ、西洋のようにドグマや教会を持たず、一人の人間が複数宗教のプラクティスを行っているというようにその宗教性は本質的にシンクレティズムである、ただ中国もそうであり、東アジア全体に言えることだろうとしています。西洋の一神教的な概念とは違うんだ、と。中村さん(誰?)の著書で一箇所だけ記憶に残っているところがあって、西洋のように一人の神がいてアリストテレスの排中律が支配する社会とは違うんだと言っていたと述べています。皮相といえば皮相かもしれませんが、まったくの間違いというわけでもないぐらいでしょうか。

次に米欧比較の話になりますが、宗教的アメリカと世俗的欧州という大衆的イメージは、実際には思われている以上にアメリカは世俗的で、思われてる以上に欧州は宗教的だったりもするが、有効ではあるとしています。「欧州化」した一握りの世俗的文化エリートがアメリカを牛耳り、他はまるで違う一方で、欧州では「信仰なき所属」が支配的である、と。世俗化論に従うならばアメリカは近代的でないことになるが、ベルギーのほうが近代的なのだろうか、アメリカが例外的なのか、否、欧州が例外的なのではないか、と問い、デイヴィーの世俗的欧州の考えを紹介しています。欧州といっても中東欧や正教圏では違うピクチャーになるが、と留保しつつ。一方、アメリカは振り返るならば最初から多元主義的であったし、多元主義というのは単なる事実ではなくアメリカのイズムそのものだと述べています。こうなると、結局、欧州の理論を学んだが、自国をうまく説明できないことに気付いたという話にもなりそうです。バーガー氏はこの構図はそれほど変わらないだろうとしていますが、欧州のムスリム人口の増大が与えるかもしれまない変化についても語っています。未来予測は難しいでしょうね。

その他、さまざまな質問に答えていますが、質問者の引用するエルヴュー=レジェ氏の言葉が印象に残りました。フランスは人々が教会に行かなくなった後にもカトリック文化のままであり、たとえフランス文化の中で無神論者だったとしても、その人は「カトリックの無神論者」である、と。とするならば「プロテスタント系の無神論者」というカテゴリーもあるのでしょうが実際、、彼らにはしばしば独特の宗教性を感じることがあるのですね。これだと宗教と文化の区別がなくなりそうですが、誰か無神論者の国際的比較分析でもしてくれないですかね。いや、もうあるのかもしれませんね。

[本日の一曲]

http://www.youtube.com/watch?v=lrCBNkINfr0

大島ミチル『御誦』(1984年昭和59年)

映画音楽やゲーム音楽で知られる作曲家の代表曲で読みは「おらしょ」です。長崎出身の方です。

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NATO軍事機構への完全復帰をめぐる論争(4)

ずっとこの話題に関連するニュースを追っていた訳ですが、各人各様の反応でいろいろなものが炙り出されてなかなか面白いものがありました。サルコジ大統領が議会多数により不信任動議を否決して完全復帰を決めたようですが、メモしておきます。以前のエントリで世論は賛成反対で多分拮抗しているだろうと書いたのですが、最新の調査では賛成派の方が多数でした。58%が賛成で反対は37%、意見なしが5%ということでけっこうな差がつきましたね。ところが政界や言論界での討議は相変わらず止まないようでした。

賛成派のカトルメール氏のポストから引くと、

当時は[註:1966年]社会主義者とキリスト教民主主義者(Modemの先祖)が君主ド・ゴールの振る舞いに対して不信任動議を提出したものだが、彼らは今日では滑稽を怖れずに「フランス的例外」を護持するために「ゴーリストの遺産」を引き合いに出している。反帝国主義(オバマ効果は過ぎたようだ)で沸騰したありそうもない同盟の中には歴史的なゴーリスト、シラキアン[シラク派]、右派主権主義者、極右、社会主義者、共産主義者、ラディカル左翼、おまけにModemすら肩を並べているではないか!

ということでありそうもない同盟が成立していました。Modemのバイル氏の意見は既に紹介しましたが、社会党側からは、例えば、オブリ氏は「私たちは欧州にプライオリティーを与えたいのです。私たちは欧州防衛を重視します。米国に与するどんな理由もないのです。そのことはバラク・オバマと仲良くやっていくこと-それを望みますが-を妨げるものではありません」と述べていました。ジョスパン氏によれば、この動きは「米国の大人しい長女」-お隣さんのこと-となることを免れされた半世紀にわたる左右の「コンセンサスを破壊」するものであり、「私には自らを凡庸化する利益が分からない。私たちはもう少しオリジナルでありたい」と批判していました。ファビウス氏もコンセンサスの不在とフランスの凡庸化と欧州防衛の無意味化を嘆き、この動きを「誤り」と断じていました。最後にロワイヤル氏は、この決定は「西洋圏への退却」を意味し、フランスの独立を毀損し、冷戦思考への後退を促すものであり(ロシアとの対決をイメージしているのでしょう)、オバマのマルチラテラリズムに対しては追従ではなく独立で応じるのがよいと論じています。バイル氏もそうですが、自分たちは「西洋圏」のみに属しているのではないといった種類の普遍意識がある訳ですね。

与党UMPの中からもシラク派から反対の声が挙がっていました。イラク戦争の際の国連演説で有名になった、しかし国内政治ではけっこう優柔不断だったド・ヴィルパン氏が盛んに批判していましたが、このインタビューでは凡庸化に抗してフランスの特異性を守れと主張しています。特異性とは西と東、北と南の掛け橋の位置を占めることであり、対テロ戦争のロジックがもたらすブロック化の趨勢に反対することだ、シラク時代の試みは冷戦崩壊後の文脈の中でなされたものだが、その文脈は失効していると。また元首相のジュペ氏も批判に連なっていました。本人のブログによれば、ドグマではなく国益に従って考えなくてはならない。失敗に終わったが、シラク時代にNATOとの接近が試みられた際には米国と欧州の対等な関係を前提にしていた。その後大きな歴史的転換があった。出発点にあった条件、米国と欧州の対等性は満たされているのか。否。欧州防衛はまだ途上にある。推進派の議論は強いが、立ち止まって考えるべきだ。NATO内部の特殊性を放棄することにいかなる利点があるのか、同盟内で影響力が増大するというのは本当なのか、欧州諸国はどう反応するのか云々。ド・ヴィルパン氏やジュペ氏の活発な批判の背景に年来の主義主張ばかりでなく政局的な配慮を読むのは必ずしもシニカルという訳ではないでしょう。

一般にシラク派はゴーリストとされる訳ですが、あいつらは真のゴーリストではないというもっと理念的な人々もいます。主権主義陣営からは「立ち上がれ!共和国」のデュポン=エニャン氏の痛憤の叫びが聞こえてきました。「最も高くつく、最も破滅的な政策、それは小国であることだ」というド・ゴールの言葉を引用し、米国への従属の道の危険を訴えています。ブログで反対署名を集めたり活発です。またフランス運動のド・ヴィリエ子爵もまた熱烈に反対しています。自動的にフランス軍が参戦する可能性を防ぐこと、この原則は多極化する世界にあって死活的に重要だと。米国はよき友であるが、自分たちのイデオロギー的ヴィジョンを押し付ける傾向があり、この決定は対米追従につながる。フランスの国際的なイメージも変わってしまうだろうと。

修辞やアクセントには違いはあるのですが、反対派の論調に共通する要素として、フランスの独立と特異性(singularite)を守るべしというナショナルな理念、大西洋主義ではなく欧州の地域秩序の形成者たれという地域主義的な理念、さらには西洋主義ではなく諸文明の掛け橋となれといった普遍主義的な理念、これらの複合を見て取れることができるようです。またロシアとの「新冷戦」はなんとしても避けるべきだという地政学的な判断に共通性が見られるようですね。後者への懸念はよく分かりますが、ここまでのサルコジ政権の動きを見る限りは対ロシアでは反対者とはそれほど戦略的に違わないように思えますがね。極左や極右の意見は割愛しましたが、だいたいこんな論調のようです。

英語圏での受け止め方はおおむね好意的のようで、そこにはなにか放蕩息子の帰還を暖かい目で迎え入れる一家のようなおもむきが感じられます。またこの機会とばかり人類の教師のごとくBBCがフランスは暗黒の歴史との和解が必要だと説教しています。戦後のレジスタンス神話のことですが、マクミラン氏の言葉を引用すると

France, he said, had made peace with Germany, had forgiven Germany for the brutality of invasion and the humiliation of four years of occupation, but it could never - never - forgive the British and Americans for the liberation.

と英米への屈折した心理を指摘しています。ただ助けられたことばかりではなくてTimesの記事にあるこうした戦後の「屈辱的」な光景も背景にはある訳でしょうけれどもね。引用すると、

Younger French people may find it unimaginable but American forces were part of the landscape from 1944 to 1967, admired and envied, especially in the 29 base towns, where they cruised in exotic cars, lived luxuriously and taught local women to dance rock'n'roll. At Chateauroux 10 per cent of all marriages between 1951 and 1967 were between US servicemen and French women. The film star Gérard Depardieu has fond memories of a black American girlfriend of his teenage years.

もちろん戦略的な決定な訳ですが、NATO軍事機構離脱と米軍基地撤去にはパリをパリスと発音するような連中が我が国土を・・・という強い感情があったのでしょう。若い人たちには分からないだろうがと記事が言うようにもう歴史の中の出来事なんでしょうけれどもね、まあ和解ということでよかったんじゃないですか(棒読み)

追記

"Sarkozy's Power Play" by Judah Grunstein[Foreign Policy]

グルンスタイン氏のよくまとまった論評。批判者たちの言うのとは違ってサルコジ氏は米国に接近することそのものを目的にしている訳ではなくて親密な関係をツールのひとつとしてフランスの影響力の拡大のために利用しようとしているのだという見方ですね。パリをワシントンの衛星にしようとしているのではなくて強い欧州に増強されたフランスを追い求めているのだと。また一見行き当たりばったりの連続に見える外交に「ディールのロジック」を見出しています。

Yet if Sarkozy has been right on almost nothing, he has been prescient on almost everything, guided by the attention-seeker's instinctive flare for tomorrow's crisis today. (For instance, his decision to engage Syrian President Bashar al-Assad at the time of Lebanon's presidential impasse in January 2008 later paid off in access to crucial back channels during the Gaza war.) His logic is the logic of the deal, where both fault lines in opinion and emerging consensus create leverage points that maximize France's influence.

これは同時並行的にゲームを進行させているというゴールドハマー氏の見方に近いですね。最後は意味深に記事を締めくくっています。

France's return to the heart of NATO will certainly not spell the end of France's independence and autonomy, nor will it prove the alliance's undoing. But both will be changed, in ways that no one -- least of all Sarkozy -- can foresee. Rich in symbolism, profound in consequences, unpredictable in effect: The move is typical Sarkozy, for whom it is the deed, and not the outcome, that matters.

フランスの独立や自立を終焉させることも同盟の失敗を証明することにもならないだろう。しかしこの両者が誰も予測できない形で変化していくことになるだろうと。対米自立ということで単純に対立することが手数を増やす訳ではないということはひとつの教訓として覚えておいていいのでしょう。ド・ゴール外交も後半は行き詰まりましたし。もっとも一度対立した後だから言える話なのかもしれませんけれども。また具体論ではなくなんとか主義だ!と批判している人はなにも見ていないということでいいのでしょう。賭けの連続に付き合わされるのは不安な話でしょうがね。

ではでは。

[本日の一曲]

http://www.youtube.com/watch?v=bMoY5rNBjwk&feature=player_embedded

クロード・フランソワ『コム・ダビチュード』(1968)

(HT to Charles Bremner)

誰もが知っているシナトラの曲のオリジナル。タイトルは「いつものように」の意。歌詞はまったく違っていて女心の歌です。

追記
微修正しました。それと女心の歌というよりも倦怠したカップルの歌ですね(2009・3・19)

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NATO軍事機構への完全復帰をめぐる論争(3)

予定通りサルコジ大統領がNATO軍事機構への完全復帰の宣言をしましたが、この決定をめぐってどんな国内の論調になっているのかを同時代的に記録することを目的にこのシリーズを続けておきます。

今回は社会党側ということでユベール・ヴェドリヌ氏の意見を紹介しておきます。ル・モンドに寄稿されたオピニオンです。氏はシラク大統領の下で外務大臣にもなった人物ですので外交安全保障関係にはもともと強い人です。実は社会党の声ということでセゴレヌ・ロワイヤル氏のル・モンド寄稿オピニオンも訳したのですが、こちらはとほほな感じでしたので見送ることにしました。理念は控え目に具体論で今回の決定に疑義を呈しています。

"Pourquoi il faut s'opposer à une France atlantiste" par Hubert Védrine[Le Monde]

サルコジ大統領はド・ゴール将軍が離脱を決定した33年[註43年の間違い]年後にフランスがNATO統合軍事機構に復帰することを望んでいる。彼はこのことを2007年夏に宣言したが、4月はじめには確認しようとしている。1966年には冷戦だったが、すべてが変わったのだとの説明がなされている。しかしこれは関係がない。疑問符がつけられるべきなのはNATOの存在そのものなのだ。

欧州の同盟諸国の声が同盟の中で聞き届けられるように、「段階的復讐」という新しい危険な核戦略を保証しないように、8年にわたってアメリカ側に実りなき要求をした後にド・ゴールはこの決定をなした。その後、右派も左派もすべての後継者たちはこの戦略的決定を尊重し、これはフランスの外交政策と国防の支柱となった。

この同盟内における特殊な立場はフランス世論の幅広いコンセンサスの対象となってきた。この立場は長い間アメリカにも認められたがゆえにフランスとNATOが協力のために実際的な調整手段を採用したり、多くの舞台において見られたように、フランスがその決定をなした際には関与することの妨げにならなかったのだ。

それではなぜこの断絶が必要なのか。この断絶が行き詰まった欧州防衛を打開し、「同盟を欧州化」することを同時に可能にし、我々はより大きな影響力を持つことになるのだ言われている。欧州防衛の具体化はフランスの下心への欧州のパートナーたちの不信と衝突しただけであり、彼らを安心させれば十分だといった話を果たして信じられるだろうか。欧州人は真の欧州防衛への希望の表明したことはなかったし、防衛により多くの信頼を与えることを望んでおらず、NATOとの重複を望んでいないのだ。

欧州人は非常にリスクのある責任を負うことを望んでいないし、「欧州防衛」のラベルの下で下請け的になされる周縁的ないし二義的な活動に自己限定している。古典的な責任の分担でいいのだと。彼らはペンタゴンを苛立たせることを望んでいない(ペンタゴンはコソヴォの際に同盟諸国間で相談する義務を嫌った)。

反フランスの不信なるものが口実でなかったとすれば、10年前にサン・マロのサミット後に[註:英仏のサン・マロ宣言]この不信は霧散し、PESD(欧州安全保障政策)を構想し、実現すべく自立的な参謀部が日の目を見ていたことだろうに・・・。我々の変化はなにも変えないと断言しよう。欧州防衛の進展は既に10ヶ月前に準備条件として提出されたが、次に並行的作業として、今や復帰の希望的結果として提出されている。明日には後悔として?それとも欺瞞として?欧州防衛は二足で-NATOとEU-進むというのは神秘のダユ[註:フランス、スイスにいるとされる伝説の生き物]を思わせる!

同様にNATOのヒエラルキーの内部でフランス人が重要なポストを獲得することで実現される同盟の欧州化が口実とされている。これはジャック・シラクが1995年から97年に試みて失敗を確認し、ジョスパン政府がこの試みを停止した。ノーフォークやリスボンでのそこそこ重要な司令権がフランスに与えらると言われる。しかし同盟内部の意思決定様式の抜本的な変化なしに-現在では望むべくもない-ペンタゴンの指示を受けたり、伝えたりする士官たちの国籍がなんだろうと重要な意味を持つだろうか。

ジョージ・ブッシュの下で構想されたこの復帰がカリスマ的なオバマの下で効力を発揮し、環大西洋的な現実が消滅するからというのではない。現在のアメリカの政権はより好ましいが、同盟についての別の概念を持っているのだろうか。それを示すものはなにもない。影響力が増大するという点については完全復帰により同盟内の一同盟国が内部から行使できたとかいう影響の事例を難なく挙げられるだろうに。この変化の最も熱烈な擁護者ですら明白な力関係を考慮して我が国の工業的利点を口実にはしていないことに注意しよう。軍人自身は作戦の利点と不都合に関して分かれるところだろう。

欧州化、同盟において欧州側の柱を創造すること、これはまた別の話となるだろう。同盟内で真の「欧州の集い」を創り出すということだ。アメリカ人と討議する前に、介入にいかなる地理的限定も定めないような同盟の拡大を継続することが理性的なのかどうか欧州内部で我々が検討すべきだろう(これは非常に深刻なテーマだ。第5条の関与は強制的なものである)。一貫性を欠いたミサイル防衛戦略の展開に弱い国々を参加させることは受け入れるべきなのだろうか。

こうしたことすべてに危険がある。これまで我々は決定においていかなる重みも持たなかった。もし欧州人がフランスの復帰によって同盟において発言権を獲得し、アフガニスタン、グルジア、ウクライナ、ミサイル防衛、戦略的軍縮、ロシア等についてワシントンとパートナーシップをもって決定できるならば、その通りだ、これは2つの柱を持つ新しい同盟となるだろう。フランスの為政者たちはこれほどの野心を持っているのだろうか。復帰した後にこうした革命のためにより多くの重みを持つのだと本気で彼らは信じているのだろうか。利点についてはそれゆえ不確実であり論争的なのだ。政治的不都合は明確だ。世界に向けてフランスの見直しのシグナルを送ることになる、これは脱落とそれに起因するリスクとともにそのように政治的に解釈されるだろう。これは象徴的なものに過ぎない、というのも実際には我々はもうほぼ完全に復帰しているのだから!と人は言う。

そう、その通り、これは象徴的なものだ、正常化の意志の象徴なのだ。一旦決定が実現されたならば、歯車効果であらゆる効果を発揮するだろう。この決定は、大西洋主義的であれ西洋主義的であれ、イデオロギー的な配慮に基づくものに思われる。西洋一家の中の「不正常」な状態に終止符を打てと。しかしフランスに別の事を望むことだってできる。まだそのことについて議論をすべき時なのだ。

以上、.NATO完全復帰による欧州防衛の進展は望むべくもない、NATOの改革なしではメリットは疑わしい、これは現実的な利害得失計算ではなく大西洋主義なり西洋主義なりのイデオロギー的な配慮に基づく決定ではないのか、よく考えてみよう、という主張です。別の可能性については具体的に提案していません。NATOと欧州防衛の兼ね合いの問題はもちろん最も重要な点ですが、フランスがNATOに完全復帰したところで進展しないだろうというのはおそらくその通りでしょうけれども、完全復帰しなくともあまり進展しそうにないとも言えますね。端的に言えば、どこまでコストを支払う気があるのかという話ですけれども、誰も喜んでは支払いたくない訳でしょうから。となると米仏で話を進めるというのも分かるような気がするのですけれどもね。まあ、正直、この問題、複雑過ぎて私には判断がつきませんです。

[本日の一曲]

http://www.youtube.com/watch?v=mXuOo-He_-E

和田弘とマヒナスターズ&松尾和子『お座敷小唄』(1964年昭和39年)

スチール・ギターファンとしてははずせない一曲。なんとも能天気な曲調がいいです。東京オリンピックの年の大ヒット曲。

http://www.youtube.com/watch?v=NYCD-MQ-kIU&feature=related

奥村チヨ『お座敷小唄』

こちらは奥村チヨ版。こ、この艶っぽさは・・・。

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NATO軍事機構への完全復帰をめぐる論争(2)

前回はフランソワ・バイル氏の反対論のインタビューでしたが、今回は推進派のテルトレ氏のル・モンド寄稿記事です。氏は戦略研究財団のチーフ研究者ということです。反対論に対して逐一反論しつつ完全復帰のメリットを説いています。戦略系の人ということもあって論調に理念性は薄いですね。

"La France dans l'OTAN : le mauvais procès" par Bruno Tertrais[Le Monde]

NATO軍事機構への再統合によってまさにフランスがなそうとしている賭けについて自問することは不当なことではない。パリは欧州防衛の構築を通じて大西洋同盟を弱体化させようとしているのではと疑っている我々の同盟国との信頼を再建することを望んでいる。かくして我々は自らの善意を示し、NATOと補完的な欧州軍事計画を再始動するのによりよい立場に置かれるのだ。

NATOと欧州連合の一致が強くなっただけに議論は有意義である。今日では両者のメンバーは21ヶ国は下らない。しかしこれは弾が一発だけ込められた銃だ。カードは上手く使われないといけない。他方、我々の最良の士官が欧州の慎ましいポストよりもNATOの高官のほうに魅力を感じるのではないかと恐れられる可能性もある。そこでいくつかの問いを理解する必要がある。

しかし、我々は事実上アメリカの旗の下に身を置く事になるのではとか外交的駆引きの自由や独立権力としての我々のイメージを失うことになるではといった議論は根拠のあるものではない。我々はもはやアメリカの政策に反対できなくなるとかワシントンの対外的冒険への参加要請に反対できなくなるとか述べることにも意味がない。同盟内部の決定はコンセンサスによってなされるのであり、欧州の我々の同盟国は我々と同様にこの規則に従うのだ。各国は共通の作戦への軍事的貢献について主のままである。

復帰に反対する人々はしばしば本質的な点を忘れてしまう。すなわち、独自の核抑止能力をフランスが保持しているという点であり、この地位は復帰によっていかなる影響も受けないのだ。この能力によって我々は我々の生存が他者に依存しないと主張すること、それが正しい場合にはアメリカの政策を批判することができるのだ。こうしたラインの作り手は2003年のイラクへの米国の介入へのフランスの熱烈な反対には好意的ではなかった。しかし我々が抑止に与える戦略的独立性はこうした選択をすることを可能にするのだ(ドイツは作戦への参加を拒否したが、ワシントンへの活発な反対派のリーダーではなかっただろう)。

無視できないチャンス

時代を間違えるべきではない。ド・ゴール将軍は統合軍事機構からの脱退のみが我々の完全な主権の回復を可能にすると考えたが、それは1960年代にはフランスに米軍の強力なプレザンスがあったからなのだ。ところでワシントンにはフランス領土への軍隊の再配置を要求する意図も理由もないのだ。

大西洋同盟に復帰することで「西洋側」に閉じ込められるという感情を与えるリスクを冒すことになるのだといった話を聞くと当惑してしまう。この議論を進める人々は彼らのロジックの極限まで進み、NATO脱退を提案するべきだろう!しかし、とりわけ、この議論は政治的現実を勘定に入れていない。中東、アフリカ、アジア、南米で重要になるのは大西洋機構におけるフランスの地位ではなく対米政策と共通作戦への有効な参加なのだ。アフガンやパキスタンのイスラミスト運動のリーダーたちと関連してこの主題を取り上げた者は誰でもNATOの煩瑣な制度の話は彼らの理解を超えていることを知っている。彼らにとって重要なのはフランスがアフガニスタンでなにをするのか、フランスが米国の同盟国かどうか知ることだけなのだ。

それに大西洋同盟は西洋一家の排他的な代表たる野心を持たない。ワシントン条約(1949)には「西洋」にいかなる参照も含んでいない。そして同盟は西洋起源の共通価値によって互いに結ばれた諸国の一家を代表するが、例えばイスラーム世界とと対立するものではまったくない。トルコが57年間メンバーであることを想起すべきだろうか。それからNATOの3つの大規模な作戦―ボスニア、コソヴォ、アフガニスタン―が大部分ムスリムの人民に擁護され、支持されたことを想起すべきだろうか。

最後に復帰するがゆえに我々の声が小さくなると述べることは誤りに帰着する。大西洋同盟の内部で我々の声はむしろ大きくなるだろう。我々は国益を擁護するのによりよい位置に置かれることになるのだ。NATO軍事機構の中に多くのフランス人士官が入ることで防衛と安全保障に関して我々の概念がいっそう考慮されることが保証されるだろう。同盟が新たな戦略概念にまさに着手しようとしているその時にこうした作業においてフランスの重みが増大することは無視できないチャンスとなるだろう。

以上、フランスの独自性は失われないし、戦略的自立性は維持できる、西洋陣営に閉じ込められるというのは根拠のない危惧である、NATOの戦略構築への参加はフランスの声を反映させるチャンスである、という主張です。全般に合理的な意見であると思われますが、いくら言葉で否定してもNATOが西洋同盟として映るというパーセプション上の問題はあるでしょうね。それがいいことなのか悪いことなのかは別にして。

追記

「全般的に合理的」と書きましたが、「NATOと補完的な欧州防衛」のあり方がよく見えてこないので必ずしもすっきりした印象を与える訳ではないですね。

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政治的なもの、革命的なもの

"Le G20 devra être politique selon Henri Guaino"[Les Echoes]

via French Politics

サルコジ大統領のスピーチライターのアンリ・ゲノー氏については以前エントリしましたが、氏によればG20は「技術的なもの」ではなく「政治的なもの」になるだろうとのこと。氏によれば「問題は我々のいる、今日危機にある世界から別の世界、他の規則をもつ組織された別のモードへと抜け出すべく心性、精神を発展させることである。心性、思考様式に断絶がなければならない」とのことです。むう、精神革命ですか。また「問題はG20が本質的に政治的なものなのか技術的なものなのかを知ることである。政治を行うこと、それは全世界に理解可能で、すべてを変革し、責任をとれるような強力な決定を下すことである」と言います。技術的な決定は現状のシステムの微調整に過ぎず、現状の規則や理念を侵犯する能力は本質的に危機にある世界に属している技術屋どもにはないのだ、政治家にのみこの神聖なる侵犯能力があるのだ!と、いかにも「政治的なもの」の復興を掲げるゲノー氏らしい発言ですが、なにを決定するかが問題な訳ですよね、決定することそれ自体よりも、違いますかね。すでに波乱の気配の漂うG20ですが、席上でサルコジ氏は、はあ?みたいな演説をまたしそうで少し楽しみです。

"Pierre Lellouche nommé «Monsieur Afghanistan et Pakistan»"[Liberation]

少し前のニュースですが、UMPの議員で議会のNATO委員会委員長のピエール・ルルーシュ氏がアフガニスタン、パキスタンの特命大使に指名されたとのことです。2008年末にアフガニスタンへのフランス軍の関与とNATO戦略について評価する仕事をしたことがある安全保障の専門家で「アフガニスタンにおけるNATOの戦略は失敗しつつある。NATOはアフガニスタンで勝利できない」と述べたとのことです。記事は「我々はNATOの納税者の血税にファイナンスされた地上で初めてのアヘン国家をつくりあげることに成功した」という発言も引用しています。大西洋主義者で親米派とされるけっこう有名な人ですね。ホルブルック氏の相手としてはこの人以外いないような気がしますが、さて、どうなるんだか。

"La "gauche de la gauche" part en ordre dispersé aux élections européennes"[Le Monde]

先日「左翼党」を立ち上げたジャン・リュック・メランション氏とフランス共産党のマリ・ジョルジュ・ビュッフェ氏による3月8日の「左翼戦線」結成に関する記事。「市民的蜂起」を呼びかけたメランション氏ですが、「我々は6月7日の選挙をリスボン条約とサルコジの自由主義政策への二重の国民投票とする。人民は声を上げるだろう」とのこと。CGTシュミノのディディエ氏、映画監督のロベール・ゲディギアン氏、作家のジェラール・モルディヤ氏の演説に続いて最も成功を博したのが反資本主義新党青年部のリーダーのクリスティアン・ピケ氏であったということです。同党の同盟の拒絶の決定にもかかわらず一部が左翼戦線に合流したようです。数ヶ月前にオリヴィエ・ブザンスノ氏が同盟を拒んだ訳ですが、この会合の数時間前に同党の政治評議会が左翼戦線との「不一致」を表明し、「欧州の条約を拒絶するという根拠のみで結集することはラディカルな要請に満たない」と宣言したとのことです。ブザンスノ氏は候補に立つことを望んでいないが、党の選挙人リストを提出する予定であるとのこと。IFOP調査によれば極左の支持率は16%に達すると言われ、今後、極左政党間の競争は激しくなると予想されます。現在、反資本主義新党が9%、左翼戦線が4%、労働者の闘争党が3%の支持を受けているとされます。というわけで極左の通弊に違わず、いわゆる大同的見地に立った同盟はなく、互いに敵視し合っているようです。それはいいことなのでしょう。

"Le « Nouveau parti anticapitaliste » ou le retour vers un passé qui ne passe pas"[Coulisses de Bruxelles ]

極右が落ち着いたと思ったら今度は極左かよというのが正直なところですが、反資本主新党が10%近い支持率を獲得した事態を前にしてカトルメール氏が真面目に警告を発しています。大衆的人気ではサルコジ氏のライヴァルにまで祭り上げられているとっても感じのいい革命的郵便配達夫オリヴィエ・ブザンスノ氏ですが、彼がどれほど感じがよくとも反資本主義新党はレーニン主義的な革命政党であり、エコロジーやフェミニズムといった今風なアジェンダはこの点を覆い隠すものだ。ソ連や中国とは無関係だと言い張ったとしてもこれは1917年への回帰である。以下、同党の綱領を検討しています。

(1)欧州憲法、欧州中央銀行、OECD、IMF、世界銀行、WTO、NATOの否定。フランスの革命の後、全世界に反資本主義の波が及ぶとされる。

(2)民主主義の否定。左翼戦線を否定したようにいかなる妥協的連合もしない。「階級支配は改革の道によっては根絶できない」。暴力による革命も否定していないことになる。

(3)全体主義。生産手段の私的所有の否定、金融システム、サービス業に対する人民の支配。人民とは実際には国家でしかない。人民の善のための文化の革命。明瞭に語っていないが現在の政治的、法的秩序の打倒は論理必然的であり、反対意見に対して不寛容な体制になるだろう。

反資本主義新党に投票するとは社会党への抗議や社会党を左傾化させることを意味しない。反民主主義的、反欧州的な革命政党に投票すること、前世紀の亡霊たる共産主義に投票することを意味するのだ。といった具合に同党の危険性を警告しています。今時まさかと思われるかもしれませんが、綱領その他を読む限り、これまでの動きを見ている限りは、この人々は本気ですね。左翼戦線が成立しなかったことやブザンスノ氏個人の人気が必ずしも同党への人気につながらないという話を考えても、社会党不満層やエコな人々や極右支持層の一部も取り込んで今度の欧州議会選で躍進し、国際メディア的にも注目されることになるのかもしれません。もっともフランスおよび欧州政治の不安定の象徴となったとしても彼らの革命とやらが成就することはないでしょうが、日本でも勘違いした人々が騒いだりするのでしょうかねえ。

[本日の一曲]

佐藤千夜子『ゴンドラの唄』(1915年大正4年)

http://www.youtube.com/watch?v=hQp1RTjfiVU&feature=related

革命前のまだ浪漫的なロシア幻想ということで、ツルゲーネフ『その前夜』の劇中歌。この人の時に投げやりにも聞こえる歌い方はわりと壷です。

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NATO軍事機構への完全復帰をめぐる論争(1)

NATO統合軍事機構への完全復帰については以前エントリしましたが、この件についてしばらく前からフランス国内で議論が活発になされ始めているようなので紹介しておきたいと思います。

サルコジ大統領が昨年4月のブカレストのNATO首脳会談の席でNATOへの完全復帰を示唆し、6月の国防白書に明記され、今年の2月7日にミュンヘンで同様の宣言をしたことは日本語圏でも報じられていたのでご存知の方も多いでしょう。経緯を確認しておきますと、冷戦下において米国の世界戦略の下に置かれること嫌い、独自核に基づく自立的安全保障政策を展開すべくド・ゴール大統領が1966年にNATOの軍事機構から脱退した訳ですが、この脱退はフランスの独自性を示す経験として内外で記憶されてきました。したがって今回の完全復帰はきわめて象徴的な意味合いがもたされることになる訳です。ただ今回の動きは「親米家」サルコジ大統領による安全保障政策の急旋回ではなく、「ゴーリスト」シラク大統領の下で用意された路線の延長上にあります(「」に入れたのは、しつこいようですが、私はこの手のラベルは信用しない主義ですので)。

NATOには文民機構と軍事機構の二つの枠組みが存在していますが、ド・ゴール大統領が脱退したのは軍事機構であり、文民機構にはとどまっていました。軍事機構には軍事委員会、防衛計画委員会、核計画グループが存在していますが、ユーゴ紛争を契機に95年、シラク大統領によって軍事委員会には既に復帰しています。さらに実際にはNATOとはつかず離れずの関係でしたし、今回の復帰の条件として欧州防衛の強化と独自核戦略の維持が約束されていますので、今回の完全復帰は実質的な意味合いよりも象徴的意味合いが強いと言うこともできるかと思います。

それでも米国追従やフランスの独自性の喪失につながるのではないかという懸念があり、国内議論を惹起することになっています。最新の世論調査は確認できていませんが、これまでの結果からすると賛否は拮抗している状況だと思われます。外交安全保障問題が経済問題や教育問題のようなテーマに比べると一般国民から遠く見えてオピニオンを持つのはなかなか難しいというのはどこの国でも同様ですのでメディア上の討議を受けて賛否が拮抗する状態は理解可能な話に思えます。長期的な国家戦略論というよりもアフガニスタンへのいっそうの関与の是非という差し迫った話が焦点になっているようです。

おおまかに言うと、政府与党のUMPの大部分は完全復帰を進める側にまわっていて、左派と中道派さらに右派のゴーリスト・グループの一部が反対の論陣を張っているという構図になっているようです。内容的には推進派はフランスの独自性の維持とNATO完全復帰は矛盾しない、両立可能である点を強調し、反対派は我が国は米国とは一線を画した独自外交を追及すべきであり、完全復帰は理念と国益に反すると主張している格好になります。野党のほうがゴーリスト的なのが興味深いですね。国民投票にはかけられずに、議会でのフィヨン首相の信任投票によって決議される段取りになっているようですのでどうやら多数派の勝利は間違いなさそうですが、どういう議論になっているのか紹介するためにこのエントリではまず反対派の中道政党Modemの党首フランソワ・バイル氏のインタビューを訳しておきます。辞書を引かずに超特急で訳したので変なところがあるかもしれません。気づき次第直していきますが、ご注意ください。

"Sarkozy a une obsession..."[NouvelObs.com]
ル・ヌーヴェル・オプセルヴァトワール(誌名、以下N.O.):あなたはNATO統合軍事機構への復帰計画をフランスの敗北と呼びましたが、少し誇張し過ぎではありませんか。

フランソワ・バイル(以下F.B.):私たちは世界の目にはフランス・ブランドとなっていた遺産を犠牲にしようとしているのです。大西洋同盟において私たちは責務を疎かにすることは決してありませんでした。フランソワ・ミッテラン時代の湾岸戦争の際のクウェートでも、コソヴォでも、911以降のアフガニスタンでもです。しかし統合軍事機構と距離を置くことで、フランスは自らをアメリカの影響圏に還元させないこと、世界に開かれていること、ノーと言えることを-これはイラク戦争の際に明らかになりましたが-私たちは示したのです。犠牲にしようと望まれているのは50年の歴史なのです。代償としてなにを得るためなんでしょうか。幕僚部でのいくつかのフランス人の将軍のポストですか。この独立の遺産は一人の人間の好きにできるものではなく、ニコラ・サルコジだけではなく全フランス人に属するものだと私は言いたいのですね。というのも私たち国民的な財産の話だからです。したがってフランス人が国民投票で態度決定できるのでないといけないでしょう。

N.O.:しかし具体的に言うと、どういう点でフランスの独立が今後脅かされるというのでしょうか。

F.B.:私たちがこの決定をするまさにその時、世界の目には、私たちは西洋ブロックという理念を受け入れ、このブロックに与するということになるのです。一方に欧米ブロックがあって他方に全世界があると。これはフランスにとって、そしてその歴史と普遍性にとってひとつの断念なのです。確かにフランスは西洋の歴史に属し、これを形作ってきましたが、フランスは西洋に還元されず、開かれており、西洋と一線を画して、アラブ世界やアフリカを理解できるのです。また欧州連合の独立的防衛政策の理念の終焉が浮上するのが私には見えるのです。というのもフランスの独立、その特異性、思想と言論の自由とともにいささか他に還元不能なその性格というものは欧州のパートナーたちにとって常にひとつの基準だったからです。フランスは独立欧州の保証人であり、独立欧州は時とともに米国との関係において、またいずれ南米、アフリカ、インドとの関係において新しい道を開くことになるでしょう。これは等しい価値をもった複数の柱の上に打ち立てられたより均衡した世界のヴィジョンです。かくして私たちが売り払おうとしているもの、それは私たちの過去ばかりでなく私たちの未来、フランスと欧州の未来の一部なのだと私は主張したいのです。

N.O.:あなたはサルコジ大統領の意図の勘ぐりをしてませんか。というのも大統領自身がNATO軍事機構への復帰の条件として欧州防衛の進展を掲げたのですから。

F.B.:サルコジの選択は欧州防衛は今後NATOの枠組み、すなわちアメリカの権威の下でなされることを意味するのです。それはアメリカの政権がどうなろうとそうです。例えばNATO司令官とは欧州のアメリカ軍の司令官である点を思い起こしてください。それ以外は文学の問題なのです・・・。

N.O.:あなたはフランスはNATOを疎かにしたことはなかったし、そのミッションに参加してきた点を指摘しました。専ら象徴的な決定の話を大げさに受け止めていませんか。

F.B.:ほろりとさせるような無垢さで国防省はこの決定は純粋に象徴的なものだと述べました。ええそうですとも!人間と諸国民の生において象徴とは本質的なものなのです。私たちの独立の象徴を要求しなければなりません。諸国民の中で異なる私たちの特徴を示すのがまさにその象徴なのです。統合とは、全世界の目からすれば、同化を意味するでしょう。

N.O.:しかしあなたはこの復帰を真剣に構想したジャック・シラク政権の閣僚だったのでは・・・。

F.B.:これはジャック・シラクが暖めていた理念です。彼はそのリスクをとらないだろうと私は常に考えていました。そしてこの時代以来この主題に関する私の確信は明瞭になり、強固なものとなったのです。イラク戦争の際のフランスの選択は射程と反響の及ぶ限りのあらゆる人々の目にフランスの独立の本質的な特徴を示しました。

N.O.:ニコラ・サルコジによるアメリカの領域であるイラクへの電撃訪問は彼の独立意志に関してあなたを安心させませんでしたか。

F.B.:いいえ、バグダッドでフランスはある意味、状況を確認するのに飽き足らずにイラク介入に事後的に同意を与えたのです。この独立の印の放棄には断腸の思いがします。特定のセクター、軍需産業セクターを除いてはね。このセクターはNATO市場からこれまで排除されていました。彼らが圧力をかけていることを私は理解しています。しかしある国民の歴史的使命とはどれほど重要かつ強力でも特定の利害に還元できるものではないと私は考えるのです。

以上、「独立的欧州」「フランスの独立と特異性」を護持せよ、これほど重大な決定には国民投票が必要だ、また「世界の目」と「独立の印」を繰り返して具体的利害を超える象徴的価値の重要性を強調しています。理念的には西洋主義(occidentalisme)とは一線を画すのがフランスの流儀であるという主張ですね。理念としては分かります。さりげなく歴史的使命という言葉が出るのには皮肉でなく痺れるものもあります。氏にはNATO完全復帰はフランスの影響力を行使するための選択肢の拡大の一手段に過ぎないのだといった割り切った見方はとらないようです。実際、「世界の目」には米仏関係の強化、さらには西洋枢軸の形成と受け止められるのかもしれません、いや、フランスのことだから・・・となるのかもしれませんけれど。最後の軍需産業云々のところは事情を知りませんが、やや勇み足かなという気がしないでもないですね。

[本日の一曲]

http://www.youtube.com/watch?gl=FR&hl=fr&v=5Jcm41GFLMs

ミレイユ・マチュー『ド・ゴール』(1989)

いかにも80年代的な曲調で個人的にはあんまり好みではないですが、ミッテラン大統領の依頼でつくられた将軍賛歌です。リールのド・ゴール、ロンドンのド・ゴールといった具合に生涯を回顧し、最後はフランスのド・ゴールの連呼で締めくくられています。

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連合って不便ですよね

あちらもこちらも騒々しいですが、おかげさまでごく平穏な日々です。そう言えば、この間、金銭を代償にして他人に髪を切らせました。少し寒いです。以下、欧州関連記事のクリップです。

"L'Union pour la Méditerranée subit un coup d'arrêt depuis la guerre de Gaza"[Le Monde]

地中海連合が「制度的に機能停止」している件についてのル・モンド記事。サルコジ大統領の肝いりでアラブと地中海の43カ国を集めるこの広域連合組織が華々しくスタートした件については以前エントリしましたが、半ば予想通りイスラエルのガザ侵攻を受けて頓挫している模様です。イスラエルと同席することをアラブ諸国が拒否しているために4月以降開催される予定だった会合の見通しが立っていないとのことです。例えば、エジプト政府が地中海連合の停止を公的に求めているとされます。エジプト人はアラブ諸国の中で複雑な位置に置かれている、地中海連合で重要な役割を果たすエジプトを守らないといけない、というフランス側のコメントが引用されています。またアルジェリアは「我々は連合のメンバーだが、連合は進捗しないだろう」という冷ややかな見解を示している模様、リビアは「地中海連合はイスラエルの爆弾によって殺された」と発言、シリアも停止の方向に動いているとされます。他方、欧州との関係を強化したいモロッコは連合の進展を望んでいるといいます。理事会のポストをめぐる角逐もあるようで、43カ国も集めれば、そりゃなかなかうまくいかないですよ。さっそく企画倒れの匂いが濃厚に漂ってきていますが、まあ長い目で観察することにします。

"France to send envoy to Iran for nuclear talks"[Haaretz]

フランス政府がジェラール・アルノー氏をイランに派遣したとハアレツが報じています。それでこのアルノー氏ですが、

The French official to be tapped by President Nicolas Sarkozy to meet with the Iranians is Gerard Araud, who holds the title of political and security director-general of the French foreign ministry. Araud has been France's point man in the six-power talks - which include the five permanent members of the Security Council plus Germany - with Iran. Two years ago, he concluded a stint as Paris' ambassador to Israel. Two weeks ago, Araud called on the U.S. to expedite the formulation of its policy of dialogue with Iran. Washington ought to take a "one-time shot" at talks with Iran, Araud said.[....]"The French do not anticipate any extraordinary results from this visit," the diplomatic source said. "But they want to take part in preparing the groundwork for dialogue between the West and Iran."

といった人物です。フランスの対イラン戦略についてオバマ政権との間で齟齬が見られることは前からハアレツが報じていました。さすがに敏感ですね。修辞のレベルでは時に挑発的に振舞ったりしていますが、基本路線にそれほど大きな変更はないように見えます。こうした動きそのものはごく合理的だと思いますが、勿論イスラエルからすれば不満でしょう。

"Sarozy's talent for reinvention"[BBC]

BBCの記者によるサルコジ大統領の印象論。私は内務大臣になる前から眺めてきましたが、あのキャラクター-今日の俺は昨日の俺と違うんだぜとでも言いたげな-は変わってないですね。ともかく由来の知れない異様なエネルギーはありますし、政治玄人の爺さん大統領に飽きた国民の多くがそうした徳を欲していたし、こうした劇的な展開を前にして今も欲しているということなんでしょう。記者さんの言う予測不能性に関しては、大統領本人よりも取り巻き達の方を見たほうがいいんじゃないでしょうかね。

"EU consensus to tackle crisis"[BBC]

日曜のブリュッセルの緊急EUサミットに関してフランスの保護主義的な動きに対する牽制と東欧救援要請の拒絶の二点についてまとめたBBCの記事。前者については、連合内に動揺をもたらしたサルコジ氏の自国の自動車産業保護の訴えが却下され、自由で公正な共通市場の維持が確認されたとのことです。発言を否定するサルコジ氏ですが、アメリカが保護主義に走ったら欧州もそうするだろうと嘯いているようです、それで後者が問題です。ハンガリーによる東欧経済救済要請が拒絶された訳ですが、メルケル首相の各国で事情が違うからという発言が引用されています。他方、バローゾ委員長は不良債権処理の枠組みに関する協定が結ばれた点や中東欧への資金援助がなされている点を強調したとのことです。具体的には以下、

He said 7bn euros of structural funds would go to the new member states his year, including 2.5bn for Poland. Another 8.5bn euros from the European Investment Bank would help small and medium-sized firms in the region this year, he said.

"EU Rejects a Rescue of Flatering East Europe"[WSJ]

こちらは東欧の救援要請拒否に関するWSJの記事です。概括的ですが、こちらのほうが少し情報量が多いです。今回のサミットを象徴するかのように引用されているハンガリー首相の「新しい鉄のカーテン」発言やユーロ圏の拡大の要請についても触れています。ポイントは中東欧と言っても一枚岩ではなく状況がましな国は救援を受けることでイメージが悪くなることを恐れているという点でしょうか。ポーランド首相の発言は以下、

"Our position is that we must differentiate between countries that are in difficulties and those that are not," Polish Finance Minister Jacek Rostowski said. Poland, which benefited from years of healthy economic growth, is in better shape that some of its more-indebted neighbors. But it has seen a substantial fall in the value of its currency as investors scramble out of the region.

これに対して西欧諸国は他のどこかから借りたらといった冷ややかな態度であったとしています。こちらも深刻な景況悪化に直面して新たに東欧救済の件で国民を説得するのは困難だと。動こうとしない欧州連合に代わってIMFや他の国際機関の役割が重要になるだろうとしています。おーい。以下、各国の状況について概観しています。ポイントはやはりドイツですが、記事では、

Most critical was the cold shoulder from Germany, which, as Europe's largest economy and the one with most access to borrowing, would play the largest role in financing any aid. Germany, the EU's strongest economy, is unwilling to unwind its own fiscal discipline to pay for the spending excesses of others. Admitting countries with weaker finances could hurt the strength of the euro or push up inflation across the euro zone.

と書かれています。あの頑固な財務大臣がちゃんと役割を果たすと述べたという報を読んだ記憶があるのですが、ぎりぎりまで踏みとどまるようです。まあ気持ちは判りますけれどもねえ。ともかく欧州の東と西の間の心理的距離はモーゼの海割りの跡のごとく広がっているようです。

南無南無。ではでは。

追記

半ばボケて書きましたが、景況も財政状況もばらつきがありますし、中東欧と言っても一枚岩ではない訳で必ずしもハンガリー案が正しいアプローチとは限らないように思えます。東と西の二元図式よりも状況はもう少し複雑なようです。メルケル氏を支持する訳ではないですが。

再追記

"Emergency eurozone aid signalled"[FT]

こちらはメディアの反響の大きさを見て火消しのために書かれたような記事ですね。アルムニア氏がユーロ圏で困難に陥った国には支援がある点を強調しています。またこのたびのハンガリー案却下については

At an EU summit on Sunday called to discuss the crisis, it was not the bloc’s western European countries but several central and eastern states that had spoken most loudly against a Hungarian proposal for a €180bn ($226bn, £161bn) financial aid plan for the region, Mr Almunia said. “When someone says, ‘Give me a plan for the region’, I say, ‘It’s not a question of a plan, but of analysis, of monitoring, case by case, problem by problem’.”

といった具合に西欧諸国でなく中東欧諸国のほうがハンガリー案に反対だったのだと主張しています。また先日のシュタインブリュック財務大臣のユーロ圏支援の発言も想起し、ドイツのエゴイズム批判に反論しています。欧州連合の外交官によれば救済の法的根拠は第100条の

This states that “where a member state is in difficulties or is seriously threatened with severe difficulties caused by natural disasters or exceptional occurrences beyond its control”, EU governments “may grant, under certain conditions, community financial assistance to the member state concerned”.

に基づくとされます。金融危機、経済危機はexceptional occurrences beyond its controlの文言に関わる訳ですね。最後に氏はユーロ圏の崩壊はあり得ないと断言されています。まあ、その確率そのものは低いだろうと思いますけれども・・・、当面は戦力の逐次投入を続ける他ないのでしょうかね。

[本日の一曲]

http://www.youtube.com/watch?v=7SwC-S2aR3M&NR=1

灰田勝彦『アルプスの牧場』(1951年/昭和26年)

この年齢でこの声はすごいと思います。

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東から西へ

深刻さ増す欧州の金融・経済[日経]

欧州経済が一段と悪化してきた。中・東欧諸国の景気減速で欧州全体の銀行の貸し付けが焦げ付き、巨大な不良債権を抱え込む可能性が高まっている。

[,,,]ハンガリーやポーランド、チェコの金融市場の混乱は著しい。3カ国の株価は2月半ばから下落が加速し金融危機前に比べて約半分の水準となった。債券も売られ、通貨も下がっており、最悪の状態といえるトリプル安の様相を見せ始めている。

3カ国は欧州連合(EU)の新規加盟国の中でも経済規模が大きく、これまでは投資先として安定性が高いとみられてきた。トリプル安が起きるのは、国外の投資家の信頼が揺らぎ、投資マネーが一斉に流出しているためである。

問題は中・東欧にとどまらない。この地域で事業展開する企業などに資金を融資しているのは主に西欧各国の金融機関だからだ。特にオーストリア、ドイツ、イタリアの銀行の債権額が大きく、主要行の財務への影響は深刻だとみられている。

[...]ここで中・東欧発の信用収縮に歯止めをかけなければならない。EU内にとどまらず日米を含め国際的で大規模な政策協調を考えるときだ。国際通貨基金(IMF)や世界銀行の支援も視野に置くべきである[,,,]

日経の社説が簡明な見取り図を描いています。中東欧発の信用収縮と景気減速が顕在化し始め、西欧への波及が危ぶまれていると。多くが早くから予想し、危惧していた展開ですが、いよいよ黄色信号が点灯し始めているようです。で西欧諸国の対応は相変わらず足並みが揃っていない、と。ふう。

"Argentina on the Danube? "[Eonomist]

こちらはエコノミストの東欧経済の記事。2009年の東欧は1997年の東アジアと2001年の南米のミックスかと問うています。西側からの資金に頼る当地の金融システムの脆弱性が露呈している。地元の銀行の多くが失敗し、外資系銀行も親会社の好意に依存している状態で、親会社のほうも尻に火がついていると。ギリシア政府は銀行にバルカンへの投資から撤退するように勧告し、オーストリアはGDPの80%を東欧諸国に貸している。また金融だけではなくグローバルな沈滞がさまざまな問題を引き起こしている。西欧諸国への工業製品の輸出は激減し、移民の送金は落ち込み、ウクライナもラトヴィアも先行きが暗い。1997年の東アジア諸国並の落ち込みだが、輸出主導の回復も見込めない。政府ができることと言っても、多くの国で政策手段はわずかだ。利下げをしたポーランドやチェコでは通貨が暴落し、スイス・フランやユーロで抵当付きのローンをしている家計に苦痛を与えている。ハンガリーのようないくつかの国では巨大な赤字の問題が加わる。政策的に余裕のある国ですら緊縮財政をとっている。バルト三国とブルガリアではペッグしている関係で強いユーロが問題となっている。2001年のアルゼンチンの再来を恐れる者もいる。IMFは個々の国の援助は出来るが、地域全体はできないし、ECBは外部の国に貸し付けることを鼻であしらっている。ひどい景気後退は不可避だが、地域のカタストロフは不可避ではない。まず「東欧」というくくりは不正確だ。カザフやウクライナとより小さく豊かでよく統治された国とは無関係だ。10年前のアジアに比べて外貨準備があり、「ホットマネー」も少ない。新加盟国は西欧からの援助を期待できる。銀行システムはかつてのアジアよりも錯綜し、外資系銀行の撤退もなさそうだ。欧州連合やECBは大型の救済に関与したくないだろうが、しなくてはならなくなるだろう。近視眼的な政治家でも隣国を政治的、経済的アナーキーに突き落とすわけにはいかないからだ。ソヴィエト連邦崩壊以降最大の危機であるが、これを大惨事にするには意図的な破滅的保護主義と欧州連合の主要組織の解体の時期が必要になるだろう。が、そんなことはしないはずだ、といった具合に惨憺たる現状を記述する一方で地域全体のカタストロフは避けられるはずだとしています。

"L'Europe dans la crise : de la dénégation à la dissolution ?"[La Tribune]

こちらはラ・トリビュヌのオピニオンに掲載されたエロワ・ローラン氏の記事です。「危機の中の欧州。否認から解体へ?」というタイトルの通り、欧州は迫りくる危機の存在を必死に否認しているが、協働して対応しなきゃ解体しちゃいますぜ、と警鐘を鳴らしています。

グローバルな危機の中で自滅的な無気力から欧州連合を脱するためにはなにが必要なのか。欧州全体での2桁の失業率?ユーロ圏の分裂?東欧諸国の集団的破産?この三つの同時襲来?なにものも欧州の責任者達を動かすことはないようだ。彼らは万が一の際の共同行動の可能性を検討するために、危機の暴力的加速から6ヶ月も経った3月1日にサミットをなおいやいや召集したばかりである。もう少し現実的な議題を提案しよう。いかに欧州プロジェクトが粉砕するのを避けるべきか?行き過ぎだろうか?警鐘家みたいだろうか?次の三つの事実を考えよう。欧州連合とユーロ圏は-ほとんど信じられないことに-今日では米国以上に深刻な景気後退に落ち込んでいる。単一通貨は崩壊を迫られている。欧州拡大は断絶に接している。

第一に大西洋の両岸の景況の信じがたい交代ぶりだ。2008年第4四半期は世界中の経済にとっての殺し屋みたいだった。米国が年率で3,8%の成長の低下を記録したことに欧州ではひどく心を動かされたのだったが、欧州連合とユーロ圏は30%も悪くすることに成功した。米国が-1%に対して-1,5%である。

2008年の傾向の反転は仰天すべきものだ。第1四半期には欧州連合とユーロ圏よりも低いところから出発した米国は年末には1%の累積の成長の超過を記録したのである。このの開きの半分は最後の3ヶ月に広がった。

いかにこの破滅的なパフォーマンスとここ10年の欧州の経済政策の2つの傷とを関連づけるべきなのか?ちっぽけな輸出国のように自らをみなし、内需を無視して対外貿易に全幅の信頼をおいたドイツが実践した社会的ディスインフレーションは高くつく失敗だ。2008年の第4四半期にドイツの国内総生産は米国の2倍以上も後退した。それから果敢、頑固、かつ絶望的に盲目的な欧州中央銀行は2008年7月に金利を上げるという許しがたい誤りを犯して欧州の成長を犠牲にしたのだった。

IMFと欧州評議会の2009年の見通しはこの傾向を延長している。燃料をフル稼働した米国は破裂し、痙攣する欧州よりもダイナミックになるだろう。

しかし景況を超えて現在動揺しているのは欧州の基礎そのものである。グローバルな危機は実際に高い犠牲を払って得た2つの夢を損ないつつあるのだ。単一通貨と東方拡大だ。

公債の金利の開きはユーロ圏の一体性を脅かし、1990年代末の南北の断絶を再活性化している。ところで、悪の重力を信じないようにするためにこの危険な分裂に対する救済策が存在している。イタリア政府の提案にしたがって「ユーロの責務」といったものが創り出されることになるだろう。欧州中央銀行は金融市場をブロックすべく直接にギリシア、スペイン、アイルランドの公債を買収できるだろう。こうした解決に反対するものは日和見主義とエゴイズム-現在の文脈ではどちらも受け入れ不可能だが-を除けばないのだ。

第二の断絶は-長い間縮まると信じられたが-より深刻だ。欧州の西と東が新たに脱線しつつある。新しい加盟国は類稀なる暴力に起因する為替レートと貿易収支の危機の餌食になっている。ところでハンガリーやリトアニアを救うためにぐらつく欧州の連帯の枕もとに呼び出されているのはIMFである。いかに欧州連合はその統合が問題になっている時に二義的な役割に満足できるというのか。

1930年の危機と我々が目にしている危機の間の大きな違いは統合された強力な経済的欧州の存在である。これが国際協力の実験場となるはずなのだ。ところが反対に混乱、さらには対決の震央となってしまっている。グローバルな危機はこの解体に帰着するのだろうか。ひとつのことは確かである。もし欧州が危機を否定し続けるならば、危機は欧州を否定する結果となるだろう。

以上、個人的にはやや見飽きた観のある悲観シナリオですが、ローラン氏もこうした論調に加わったのかというある種の感慨があります。欧州連合の無気力への苛立ちが感じられる記事でした。ともかくオーストリアからはしばらく目が離せないですね。

追記

"Eastern crisis that could wreck the eurozone"[FT]

同じ問題についてのミュンヒャウ氏のFT記事。危機を嘆くだけでなく、一応具体策も記しています。

In my view, the smartest answer to the prospect of meltdown is the adoption of the euro as quickly as possible. There is no need to switch over tomorrow. All we need tomorrow is a credible and firm accession strategy – one for each country – which would include a firm membership date and a conversion rate, backed up by credible policies.

といった具合にユーロ圏の拡大を訴えています。そのために加盟条件を緩和せよと。ユーロ採用については政治的理由もあったりしてそう簡単に進まないような気がしますが、どうにもならなくなったらばあるいは雪崩を打ったようにユーロ・シールドの保護下に逃げ込む事態になり得るのかもしれません。

再追記

"Collapse in Eastern Europe? The rationale for a European Financial Stability" by Daniel Gros[VoxEU]

こちらは同様の問題を扱っていますが、金融危機を救うために欧州レベルのファンドを立ち上げろという提言をしています。

In this environment of continuing systemic stress on the banking system, the case-by-case approach at the national level must be abandoned in favour of an ambitious EU-wide approach. The EU should set up a massive European Financial Stability Fund (EFSF). Given the scale of the problem facing European banks, the fund would probably have to be of substantial scale, involving about 5% of EU GDP or around €500–700 billion.

で誰がファイナンスするのかという問題ですが、かわいそうなドイツ、ということになるのでしょうか。上の記事でローラン氏は批判してますが、そんな風に追い込んだのは誰なんですかねえと言いたくもなります。積極的に経済統合とユーロ推進の旗振りしていたのはドイツ自身だったりするのですけれどもね。

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抑止が効かなくなる時

"Impairing the European Union, Gibe by Gibe"[NYT]

欧州の内輪もめについてのNYTの記事。記事はフランス対チェコの図式を中心に描いています。「高校生の喧嘩」と評しています(笑 理念的な対立に加えて名誉感情上のぶつかり合いもあるようです。チェコはプライドの高い国として有名だったりしますからねえ。大国と小国、自由主義的経済と国家主義的経済、ユーロ圏と非ユーロ圏、西欧と中欧といった具合に複数の分割線が走っているが、経済危機がこれを悪化させている、保護主義と国家主義の声が強くなり、グローバル・プレイヤーとしての欧州というのも冗談みたいだと。フランスとチェコの最近の確執としてガザ侵攻の和平案をめぐる交渉でのサルコジ氏の独走の話や自動車産業への救済案を提出した際のチェコみたいな国から雇用を取り戻すのだ発言が挙げられています。また財政規律をめぐってフランスやイタリアとドイツやチェコが対立している点も書かれています。チェコの外相の発言が関心を惹きます。

“In a time of economic crisis, we see atavistic instincts emerging,” said the Czech foreign minister, Karel Schwarzenberg, describing the way that individual nations are responding to popular distress by patriotic and protectionist measures and statements and by playing down the unity of Europe.”

“I’m most afraid of the slogans of the 1930s” about the primacy of the nation, he said. “With these problems, people forget about European thinking, and it’s understandable but it’s damaging, very damaging to ignore Europe in a crisis, especially as the crisis grows.”

1930年代みたいに危機に直面した各国が愛国主義と保護主義に訴えて欧州の一致を犠牲にしていると。「隔世遺伝的な本能atavistic instincts」というのは面白い表現です。またフランスみたいに欧州の中央集権化を求める国が愛国主義に走るのは奇妙だとも語っています。記事はチェコの欧州担当大臣の発言を引用して小国の感情にも触れています。

France, Germany and Britain still dominate the European Union and want to continue to do so, said Alexandr Vondra, the Czech deputy prime minister for European affairs. “Occasionally they consult others,” he said, “but of course the people of small countries know this, and that’s why there is hesitation about the Lisbon Treaty,” which would create a permanent European president and foreign minister, and which the Irish have rejected and the Czechs have not yet ratified. “People fear more of this power management.”

優越的な地位を維持しようとする英仏独への反感がリスボン条約への躊躇の理由であると。まあ感情的には判るような気がしますが、こうやってぐずぐずしている場合ではないと思うのですけれどもね。フランスの欧州主義と愛国主義の矛盾は確かにその通りですが、この種の論理矛盾を意志と実用主義で乗り越えるのが政治家というものではないかとも思うのですね。必ずしもサルコ・ファンという訳でもないですし、保護主義は困ると本気で思うのですが、とりあえず提案と挑発を続けるよう期待しているところもあります。

"Japan's Decision for War in 1941: Some Enduring Lessons" by Dr. Jeffrey Record

地政学の奥山さんが紹介していた記事ですが、こうした認識が出てくるのはイラク戦への反省が背景にあるようです。論者のことはなにも知りませんが、戦略論の世界の人なんでしょう、道徳的、イデオロギー問題関心があまり前面に出て来ないためある種の清々しさを覚えます。正義や道義に関心のある人には物足りないかもしれません。要は日米戦争はどちらもやる気がなかったのに双方の判断ミスによって生じたという考えですね。歴史的観点から言って特に目新しい知見があるという訳ではありませんが、アメリカからこういう議論も出てくる時代なんだというある種の感慨はあります。それは必ずしも弱さではなく経験からのフィードバックが効きやすいアメリカという国の強さの証だとも思います。各論部分の分析は紹介し切れないのでパスして、6つの教訓の部分だけメモします。

(1)fear and honor, "rational" or not, can motivate as much as interest.

リアリストは利益計算による権力闘争として国際政治を説明するが、恐怖、イデオロギー、プライドといった要素を無視している。ツキディデスの言う「恐怖、名誉、利害」の前二者だ。石油禁輸措置の断行と代替的選択肢の不在が太平洋戦争を「不可避」にした。恐怖に怯える国家指導者は無軌道に行動する。911テロの後のブッシュ政権のように。名誉は日本の例だけでなく、英国のダンケルク後の開戦決定、フランスのインドシナとアルジェリア、南北戦争時の南軍の例もある。持たざる者はリソースを超えた行動をする。ヴェトナムのように。

(2)there is no substitute for knowledge of a potential adversary's history and culture

互いの文化に無知であったことは開戦にとって重要な要素であった。グルー駐日大使のような例外を別すれば日本については知っている者は米国にいなかった。日本には山本五十六のような知米派が存在したが、多くの指導者、とりわけ陸軍指導者は米国について無知であった。人種的偏見も両国に存在した。日系人を含めて人種差別の歴史を持つ米国では黄色い小さな人々に過ぎなかったし、人種的卓越性を信じる日本人は米国人は長期戦を戦うには物質主義的かつ個人主義に過ぎると考えた。日本はパールハーバーが米国世論に与える影響を理解していなかった。文化への無知は米国の外交政策を蝕み続けている。ヴェトナムとイラクへの無知は日本同様だった。ここで米国の自己過信が他の文化の尊重を妨げているというコリン・グレー氏の言葉を引用しています。

(3)deterrence lies in the mind of deterree, not the deterror

日本の南進に対してローズヴェルトはハワイへの艦隊の派遣、度重なる経済制裁、フィリピンでの軍備増強によって抑止しようとした。米国への勝利はあり得なかったためにこれが抑止になると考えられたのだ。東京が恥ずべき平和よりも負け戦を望んだことを知った時には遅すぎた。石油禁輸は日本には耐えられなかったのであり、従属よりも戦争を選択した。彼らは抑止されたのではなく挑発されたのだ。米国の軍事的卓越が戦争を急がせた。ミリタリーバランスが後戻り不能なまでに不利にシフトする前にできるだけ早く開戦しなければならなかったのだ。

(4)strategy must always inform and guide operations

日本には中国および東南アジアにおいて目標を達成する一貫した戦略がなかった。この戦略の不在は部分的に東アジアにおける野心と軍事的リソースの間のギャップに帰せられるし、また部分的には日本軍の戦争の戦術レベルへのフォーカスに帰せられる。日本は対米戦の戦略を持っていなかったし、いかに戦争を終結するのかの絵柄も描けなかった。初期の戦術的勝利が究極的な戦略的成功をもたらすということを信じていた、あるいは希望していただけだった。2003年のイラク侵攻、とりわけその戦後の計画の不在や兵力とイラク再建のミスマッチを想起させる。いかに古い体制を解体するかの軍事作戦しか考えておらず、後はイラク人は解放を喜ぶだろうといった希望的観測があったばかりだ。

(5)economic sanctioning can be tantamount to an act of war

1941年の石油禁輸は破滅的なものであり開戦を決定づけた。経済制裁が及ぼすダメージは国際貿易に依存する日本のような国にとっては軍事攻撃に匹敵し得る。戦争の代替策としての経済制裁という一般の見方は再検討が必要だ。

(6)the presumption of moral or spiritual superiority can fatally discount the consequences of an enemy's material superiority

卓越した意思が火力や技術で優位の米国を打ち負かすという考えは日本に限った話ではない。毛沢東は人民解放軍の士気が米国を朝鮮から追放すると信じたし、フセインやビン・ラディンはヴェトナム敗戦やレバノンの屈辱を見ていた。より強い敵に直面すると人種や戦略や戦術の卓越性への信仰が強いられることになる。非正規戦のみが強い敵に勝てるチャンスを与えるが、通常は正規戦を戦える能力を得る前に失敗に終わる。毛沢東は非正規戦を正規戦への移行と捉え、正規軍の卓越性を評価した。ヴェトナム共産軍がフランスに勝利したのは正規戦だった。

(7)"inevitable" war easily becomes a self-fulfilling prophecy

戦争は少なくとも一方がそう信じれば不可避のものとなる。日本は東南アジアの欧州の植民地のみを攻撃することで米国との戦争を回避できたが、そのチャンスをつぶした。パールハーバーとフィリピンへの攻撃がなければ、ローズヴェルトがアメリカの選挙民を戦争に賛成させるのは極めて困難、おそらく不可能であったろう。しかし1941年の夏の終わりには日本の指導者のほとんどが米国との戦争は不可避だと考えた。そして最も有利な戦術的な環境下でこれを開始すべく動き出すにつれてそれは不可避となった。不可避であるという仮定が先制攻撃を促し、これを命じすらする。予防戦争というものは不可避性と不利な戦略トレンドという仮定に基づく。ブッシュ政権はフセインとの戦争が不可避であり、核兵器を取得する前に開戦しなければならないと論じた。日本は抑止可能だと誤って考えたローズヴェルトと異なり、ブッシュは核を保有したフセインは抑止不能だと主張した。本当にそう考えていたのかどうかの証拠はないが、明白なのはこの予防戦争のコストが利益に比べて巨大であったことだ。この経験は対イラン戦略に生かされねばならない。

南部仏印進駐が決定的だった点については誰もが認めるところでしょうけれども、ローズヴェルトが日本の南進を経済制裁で抑止できると考えたのは誤りだった、むしろ戦争の引き金を引いてしまったという考えですね。勿論日本を戦争に引き込んだ式の謀略論はとっていません。もっとも論者が述べるようにそのまま南進したとしてもパールハーバーがなければ米国の介入がなかった可能性が高い訳ですから対米戦は「不可避」ではなかったということになるでしょうし、また経済制裁をくらっても実際にはいくらでも抜け道はあったでしょうからやはり「不可避」ではなかったということになるのでしょうね。あの思いつめ方はやはり「恐怖」と「名誉」の要素を無視しては理解不能ということになるのでしょう。

ひとつの論文にすべての論点を網羅することを期待する訳ではないですが、なにか言うとすれば、日本の意思決定プロセスでトップの部分のみに注目していて、海軍内部の派閥抗争や陸軍と陸軍との敵対関係やメディアに煽られて強硬になった世論の要素の分析が薄いところでしょうか。特に世論の動きはアメリカの方はあまり信じたくないかもしれませんが、民主主義国だった訳ですから重要でしょう。それから海洋での戦争の理解はともかく大陸の戦争の理解は怪しい感じがしました。こちらは道義性の問題が前面に出てしまってなかなか正確な像が描けていないのですから現状では仕方がない面があるのかもしれませんが、多分こちらのほうが中東政策にとっては教訓に満ちているように思いますがね。最後に二番目の教訓での主張に反して日本の文化と歴史の理解の届いていない部分があろうかとも思いました。実際にそういう戦時プロパガンダがあったのは事実ですから誤解されるのも無理からぬところがあると思うのですが、違和感のある部分がありましたね。前後から見てdetourと考えているようなので本質主義的な理解をしている訳ではないのでしょうけれども。まあ日本の論者のうちの理性的な部分とは対話可能な人ではないでしょうかね、といった感想を持ちました。

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投影について

ニュース斜め読みということで以下ただの記事のクリップです。

"M. Mélenchon veut fédérer un "front de gauche" unitaire"[Le Monde]

社会党を脱党し、「左翼党」を旗揚げしたばかりのジャン・リュック・メランション氏が「統一左翼戦線」を訴えかけているようです。反自由主義、反リスボン条約の左翼の結集ということですが、メランション氏によれば、支持層は14%ぐらいもある、ここが統一できれば社会党にも対抗できるということです。欧州議会選挙に向けてフランス共産党と選挙協力しつつブザンスノ氏の反資本主義新党にラブコールを送っているようですが、さて左翼戦線は出来るのでしょうか。反欧州連合を旗印に議会選挙を戦うのですかね。

"French government fears rise of left"[BBC]

左の左の台頭についてはこのブログでも何度か書いてきましたが、フランス政府がこの動きを警戒しているというBBCの記事です。現状では資本主義の失敗を宣告し、不平等の拡大に反対する、郊外の移民と左翼の連帯を訴えるといった主張内容で活動も平和的なものにとどまっているとされますが、この一部が暴力的な極左活動に転じる可能性が憂慮されているようです。その可能性はあるに5コペイカ賭けておきます。ネットを眺めていてもだいぶ不穏な空気になっていますね。

"Les Irlandais seraient prêt à dire "oui" au traité de Lisbonne"[Le Monde]

今アイルランドでリスボン条約の国民投票をしたならば、3分の2が賛成票を投じるだろうという調査結果が出たそうです。サンデー・ビジネス・ポスト紙の調査によると2009年に第二回の国民投票をしたならばどうするかという質問に対して、58%が賛成、28%が反対、14%がわからないとの回答結果になったということです。経済危機を受けて欧州連合に頼りたいという心理が高まっているようです。欧州統合にとってはピンチであると同時にチャンスな訳ですけれども、この危機を活かせるかどうかですね。

"Crise : la présidence tchèque de l’Union et la Commission aux abonnés absents"[Coulisses de Bruxelles]

欧州連合新議長国に関するカトルメール氏の辛い論評。この危機にあたってチェコはまったく欧州的なアジェンダを追求する気がなく、政治空白が生まれている。またバローゾ委員長にも頼れない。このリーダーシップの不在が自分のことは自分でやれ主義への回帰をもたらしている。昨年秋にフランス国家元首の主意主義によって採用された第一の銀行プランは不十分であることが明らかになったのに、あの時、「金融共産主義」を非難していたプラハは欧州的な行動を推し進める気がない。ジャン・クロード・ユンカーも大規模な第二の銀行プランは不必要だと言って行動を拒否しているし、欧州委員会もこの意見に同調している。フランスは欧州の自動車産業の保護プランを提出したが、市場への介入を嫌う欧州委員会もチェコもこれに続かない。エアバス救済に関しても同じだ。ニコラ・サルコジが主導した欧州の再生がいかに脆弱なものであったのかが判る。欧州懐疑派に交代した途端にまたこれだ。欧州委員会も機能しないし、欧州議会も9月まで声を出せない。2009年は欧州の白紙の年となる危険がある。以上、欧州連合の動きの鈍さにだいぶ苛立っています。

"Holocaust row cleric apologises"[BBC]

この間、このネタでエントリを書きかけて止めたのですが、カトリック教会のルフェーブリストとの和解に絡んだごたごたの続報です。ルフェーブリストというのは第二次ヴァチカン公会議以降の教会の現代化路線に反発して破門された保守派のルフェーブル大司教と彼が叙任した司教達のグループのことですが、現教皇がこの派の破門を解除して教会合同を目指したところ英国生まれのウィリアムソン司教がガス室はなかった発言をしてユダヤ教会を憤激させて大騒動になっているという話です。それでこの司教が教皇に対して謝罪した模様です。ただ不用意な発言で大変ご迷惑をおかけしまして申し訳ないという謝罪で、ガス室についての言及はなかったということです。狙った訳ではないのでしょうけれども、ここぞというタイミングでこの発言ですから。ガザとガスをめぐる騒ぎは今後も間歇的に続くのでしょうかね。

中国の(隠れた)足腰[王侯将相いずくんぞ種あらんや]

これには同感しました。実は私も新華社フランス語版はよく読んでいるのですが、どうして日本のメディアにはこれが出来ないのかと溜め息がでることあります。まあ新華社だからなというのはあるのですが、政治体制がどうこういう話ではなくて、情報というものに対する認識と感度が違うのでしょう、海外に情報発信だと意気込んでは自爆しがちな国との差を感じてしまいます。別にアラビア語版やスペイン語版や中国語版をつくれとは言いませんが、日本の新聞や通信社も英語版ぐらいもっと力を入れて欲しいです。日本だけでちまちまやっていても縮小するだけじゃないですか。

"Jun on Onishi"[Mutantfrog Travelogue]

Global Talk21の奥村さんによるNYTの大西記事の批判を受けてバーマン氏がポストしています。記事への批判は正確なものだとしつつも一般に大西氏に対する批判は少し過剰ではないかという疑問を呈しています。多くの批判は正確だが、「反日」というラベルは侮辱的だし不正確だ。特派員にバイアスがあるのもそれほど珍しいことでもないし、悪いばかりでもない。よくあるWackyJapanニュースよりはシリアスなテーマを扱っている。間違いがあったので批判された。それはいいことだ。しかし批判がどこまで公平なのか疑問は残る。タイムズのアフリカ特派員はアフリカ・ハンズからこれだけ批判されるだろうか。BBCのアメリカの文化や政治のニュースは正確なものもあるが、大西的な奇妙なものもある。間違いは訂正されるべきだし、批判も必要だ。ただ特定のリポーターの問題なのか制度全体の問題なのか考えてみよう、と。ごくまっとうな疑問だと思います。批判的であることと「反日」的であることとは違うというのは当然の話ですね。私自身の好みを言えば、クリストフ氏よりは大西氏のほうがまだましかなと思います。前者の無知と偽善と不誠実に満ちた記事には率直に言って吐き気がすることがあります。日本が好きかどうかとかそんなことはどうでもいい。中国報道でもけっこうひどいものがあります。大西氏のunderdogシリーズは主流社会へのルサンチマンが出ない限りはいい出来になる傾向があります。政治ネタはどうにもならないレベルだと思いますけれども。

多分大西氏に感情的に反発する日本人が多いのは日本の極左とあまり変わらない論調であることや間違いや誇張が多いということに加えて、時にひやりとするような「悪意」を感じることがある、また日本を肴に英語圏の読者に諂う「卑屈さ」みたいなものが時に感じられるからではないでしょうかね。なんとなく右サイドのヒルシ・アリ現象と似ているところもないではないですが、もっと屈折が著しいですね。韓国系の記者と比較してみてもより屈折の度合いは大きいと思います。以前書いたような気がしますが、北米の日系の一部に見られるアイデンティティー危機には私はわりと共感的なんですが、コメント欄でAcefaceさんが指摘されているように大西氏にはかの地のアイデンティティー・ポリティックスを東アジアおよび日本に投影している面があるようです。アジア系とか日系とか言ってもいろんな方がいるのでごく一部の話でしょうし、この方の経歴はよく知りませんし、興味もないのですが、記事から透けて見えます。リベラル対保守みたいな政治イデオロギーの話ではない。まあ私はこういうぐずぐずの転移の関係に入りたくないので報道の正確性と公正性の観点でしか評価したくないです。で、評価しないと。

それからBBCのアメリカ報道云々は世界の権力構造の非対称性に帰せられる話のように思えます。ブラジルやメキシコやトルコの日本報道に対してそこに居住する日本人コミュニティーを除けば日本で騒いだり抗議をしたりする人がいないのは権力が行使され得る文脈がそもそも欠如しているからという理由で説明できると思います。一般に旧植民地諸国は旧宗主国での報道に目を光らせる傾向があるように思いますが、そうでなくとも中国の反CNNのような過剰な反応があるのは端的に英語圏が情報の点で影響力が強いからでしょう。なお「日本人は人の目を気にする」みたいなステレオタイプは関係なくて要は英語圏だからだと思います。英米への憧憬と不信の歴史も背景にあるのでしょう。もっとも騒いでいるのは一部で日常に追われる日本国民のほとんどはこうした話にはさほど興味がないと思いますけれどもね。他人事みたいに書きましたが、こうした歴史的文脈の中に私も置かれているらしい事実にややうんざりすることもあると付け加えておきます。

ではでは。

追記

少し加筆しました。私には大西氏よりもクリストフ氏をめぐる諸問題のほうがアメリカにおける真のリベラルとは何かをめぐっては兆候的に思えます。まあ私はアメリカ流のリベラルじゃないので-日本と欧州の自由主義の伝統のほうがしっくりきます-個人的にはリベラルとはなにかみたいな話はどうでもいいのですが、アメリカ以外の世界にとってもけっこう重要な問題でしょうね。

再追記

氏のことを知らない人が読んで誤解するといけないのでフォローしておきます。別にクリストフ氏の活動を否定している訳ではないのです。有意義な仕事もなさっていると思いますし、意見が一致することもわりとあります。ただシニカルになっている訳ではないのですが、それでもどうにも気に入らない部分があるのですね。日本報道だけの話ではないです。難しいのでこの問題は私ももう少し考えてみたいと思います。

「破門を撤回」を「破門を解除」に直しました。日本語ソースにつられましたが、両者は違いますね。ついでにカトリックにもこのグループにもなんの義理もないのですが、「超保守派」というのは教義や典礼に関わる問題での立場で政治的な意味での極右とは一応別物だと注記しておきます。実際には近い御仁もいたりしてやっかいなようですし、左派メディアでは極右みたいな扱われ方をされていますが。

再々追記

”Holocaust Denier Is Ordered To Recant”[WaPo]

カトリック教会としてウィリアムソン司教の発言を支持しない旨公表した訳ですが、それでもおさまらず、とりわけドイツ政府の強い抗議を受けて司教が発言を明確に撤回するよう命令されたようです。この司教は同様の発言を繰り返してきた過去があるようです。教皇聖下のヒットラー・ユーゲントの件も蒸し返されたりとなんだかこのところカトリック教会はさんざんな展開です。私は個人的にはカトリックや正教はわりと好きなんですけれどもね。「わりと好き」という受け止め方が正しいのかどうかは判りませんが。

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