カテゴリー「欧州情勢」の77件の記事

主権が立ち現れるとき

宗教関連は弱いのですが、素人が素人なりに気になったことについて書いてみるという趣旨のブログですので躊躇せずに続けます。

"Trying to understand French Secularism" by Talal Asad[pdf]

コメント欄で教えていただいたタラル・アサド氏のフランスのライシテ(世俗性、非宗教性)についての論文です。50ページ以上あるので内容を要約するのはたいへんですからポイントだけかいつまんで感想を記しておきますが、主権論と規律訓練論でフランスのライシテを理解するという趣旨の論文です。スカーフをめぐる騒動は私もニュースやオピニオンを眺めていたのですが、フランス的語彙で言うと、統合主義と多文化主義、普遍主義と差異主義、共和国の世俗性と宗教的共同体主義等々の概念で盛んに論じられていました。もちろんスカーフはひとつの焦点であって他ではなくこの時にこのような形で問題化されたその背景まで考慮すれば、これはなんとも深刻な事態になっているなあと溜息が出る他なかったです。

メディア上の論調ではライシテの歴史を想起して共和国の原理としてこれを護持すべしという意見と移民の歴史を想起して文化的多様性を認めるべしという反対意見が戦わされていた記憶があります。個人的には知識人たちの神学論争よりも移民の子弟の置かれている状況やいわゆる普通のフランス人の不満の原因がどのあたりにあるのかといった具体的な話に興味があったのですが、私の記憶では論争の中で想起されていたのは戦後史、古くとも19世紀後半以降の歴史であり、この論文のように初期近代にまで遡って論じる人はあまりいなかったような気がしますね。

それでこの論文ですが、16世紀末の宗教戦争後のcuius religio eius religio(領主の宗教が領民の宗教となる)から始めています。これは宗教の核心が内面的なものであるとみなされるようなった時代に「特定の宗教問題」に「一般的な政治原理」を適応した例として重要である。政治的なものと宗教的なものとの分離そのものは中世にも認識されていたが、今日とはずいぶん違う。国家が脱キリスト教化され、非人格化され、政治的なものが宗教的なものをその領分から排除し、吸収し、といった具合にその下にさまざまな宗教を信仰する臣民が共存する抽象的かつ超越的な権力が立ち上がっていく。誰が宗教的寛容に値し、なにが宗教的寛容であるのかを決定するのはこの権力である、と。

フランスの文脈ではナントの勅令が言及されていますが、その後、革命政権により「宗教的不寛容」が弾劾され、自由、平等、友愛の名の下に教会が攻撃され、宗教の本質が個人の信仰として定義されるようになる、1世紀にわたる闘争を通じて第三共和国の下で最終的に解決されるという風に歴史を辿っていきます。人道と進歩の理念を掲げる共和国は実証主義的ヒューマニズムを涵養する公教育制度を樹立する一方で、文明化の使命の名の下に植民地を拡大する。反教権教育、教会との不平等な協定、帝国の拡大、この三つがフランス・ナショナリズムの柱であり、この上にライシテも誕生した。しかしアルジェリアのみがこの学校システムの例外で国家と教会が協働して改宗やムスリムの教育にあたった。マシニョンのようなオリエンタリストはムスリムの解放に熱狂したが、誰を解放するのか、いかに解放するのかを決定するのは共和国であった、と。

それで論者によればスカーフ事件から見えるのは今日のフランスはある意味でcuius religio eius religioのままであり、この原理の重要な点は特定の宗教へのコミットメントや禁止にあるのではなく、単一の絶対的な権力-主権国家-を立ち上げることにあるとされます。この権力は単一の源泉からその力を汲み、さまざまな信仰にかかわらず人民に対して世俗的配慮をするという単一の目的に取り組むような権力である。宗教はあの世のことに関わるのであって国家権力はこの世の福利厚生のための自らの適切な場を定義しなくてはならない。それゆえこの世の福利厚生のイメージが必要とされ、宗教のプレゼンスの記号はなにかという問題への答えも必要とされる、と。ここから特定の象徴が宗教的なものか否かを最終的に決定する権能が世俗国家に残されることになる。以下、国家の記号読解の様態をスタジ報告書から読み解いています。

論者によれば、スカーフをまとう動機は多様であり得るし、宗教的動機からだとしてもそれは「行為」であって「象徴」とはいえないかもしれない。それを宗教的シンボルと決定し-十字架とキッパとともに-禁止することを通じて世俗国家はその権力を行使する。さらに報告書はここに宗教的なシンボルを顕示する「意志」と「欲望」を読み込み、それを決定する、と。またカール・シュミットのいうように主権とは「例外」を決定する権力のことであるとして国家から補助を受けているキリスト教系とユダヤ教系の私学、国が教会財産を所有し、聖職者が給料を支払われているアルザス・モーゼル、司教区組織や様々な宗教的アソシエーション、軍隊、学校、病院付きの司祭の例などを挙げています。事実としてフランスは普遍主義的な市民のみから成り立っているわけではない、と。以下、友愛の問題やユダヤ人の問題やイスラム嫌悪の問題などについて具体的に論じていきますが、ここはよく語られる部分なので割愛します。具体的なことに興味のある方はリンク先をお読みください。

以上、ライシテの問題とは、なにが「宗教的」なのか、またなにを「例外」とするのかを決定する主権の行使の問題である、としています。そしてそこには本質的に恣意性がつきまとう点が示されていますが、特になにか政治的提言がある訳ではなくここでは「理解」が目指されています。まず、ここまで一般化するならば、フランスに限らず、政教分離が存在する近代国家であればどこでも権力の作動を記述できるのではないでしょうかね(こうした「批判的」な記述の仕方を好まない人もいるでしょうけれども)。確かに普遍的かつ世俗的な市民を育む公教育の場から宗教的記号を放逐せんとする情熱はいかにもフランス的ですが、スカーフが宗教的シンボルと認定され、これをまとうことが禁止されるにいたる経緯を見るならば、共和国の原理そのものから直接導き出される必然的な結論と言えるのかどうかは微妙なところもあるように思えます。なぜこの時期このような形でこのような措置がとられたのかはやはり具体的な政治社会状況を見ないと分からないでしょう。理念的にはライシテを「人類」の目標と普遍主義的に語る者もある一方で、ユダヤ・キリスト教文明やフランスの特異性に言及する者もあるといった混乱も問題でしょう。ただこの問題は長期的に見ないといけない問題だと思います。最後に、これは言って詮無いことかもしれませんが、私自身は象徴政治というのはやはり好きではないです。

信仰の土着化とナショナリズムの相関関係──「宗教の神学」の課題として[pdf]

こちらは小原克博氏の信仰の土着化とナショナリズムに関する論文です。日本のキリスト教の場から発せられた論文として読ませていただきました。当方、単なる歴史好きなので十分に咀嚼できているのかどうか心許ないところもありますが、問題意識は伝わってきました。世俗ナショナリズムと宗教ナショナリズムに対して寛容と多元主義を掲げるリベラリズムを掲げても問題の解決にはならない、そもそもこれらは西洋発の近代主義的ディスコースが排除した当のものなのだから、という認識が大きな枠組みになっています。

これに関連して近代国民国家における「宗教」と「迷信」の構築という論点が言及されていますが、この点は前エントリで紹介した記事などと認識を共有しているようです。近代国家は「宗教」がなんであるかを定義しつつこれを私的領域に割り当て、民俗的なものを「迷信」として排除することで世俗的な公共空間を形成していくが(近代的な「宗教」と「世俗」の関係の創出)、ナショナリズムと「宗教原理主義」は公共的な空間から排除されたものたちの復讐である。また植民地化と脱植民地化を経験した非西洋社会においては旧宗主国が押し付けた、あるいは輸入された制度たる政教分離に対して世俗的、宗教的ナショナリズムで応答する場合もある、と。

日本の文脈では天皇制イデオロギーおよび国民道徳が公的秩序原理として樹立される一方、伝統仏教の「再土着化」とキリスト教の「土着化」を通じて宗教が私的なものとして承認され、民俗的なものは迷信として排斥される日本的政教分離のプロセスを辿ったとされます。日本のキリスト教については土着化論と文脈化神学(というのがあるのですね)の観点から論じていますが、内村鑑三のようにキリストへの忠誠と日本への忠誠に引き裂かれ葛藤した人物もいたが、キリスト教のほぼ全体がナショナリズムの渦に飲み込まれてしまった。戦前にはナショナリズムは土着化の前提とされ、これが批判的に検討されることはなかった。逆に戦後は国家のみならず「日本的なもの」に接近することにまで強い警戒心を持つことになる。しかしただの反動であってナショナリズムを十分に対象化できていないといいます。

世俗的、宗教的ナショナリズムと批判的、建設的な対話をしつつ、自らを近代的価値の体現者と考えがちな西洋キリスト教の「宗教の神学」が前提とする「宗教」概念そのものを相対化する作業をすすめるために、論者は「一神教の神学」に加えてintra-contextual theology of religionsとinter-contextual theology of religionsという2つのプログラムを提唱しています。前者は郷土愛、民俗信仰や愛国心を対象とする神学、後者は国境を越えた文脈間の歴史的つながりや流動性を確認していく神学であるとされます。

シヴィック・ナショナリズム論やリベラルな多元主義論が単なる西洋の自己正当化に終わることへの警戒や宗教的ナショナリズムが近代からの逸脱ではなく近代化の産物そのものであることの認識などは私みたいな単なる国際ニュース好きにも理解可能な話ですし、ナショナリズムを単に否定するだけでは逆効果なことも実感させられてきたところですのでその問題意識は分るように思えます。「批判的・建設的」の「建設的」の部分が具体的にどういうものになるのかに興味があります。論者による近代日本の宗教概念についての論文も入手できたら読んでみたいなと思いました。ついでに「宗教」と「迷信」に加えて「科学」というのもありますね。特に我らが同盟国において宗教と科学が時に対立するだけでなく一緒になって迷信と戦ったりする光景をよく見ます。日本でも局所的にありますけれど。

"An interview with Peter Berger"[pdf]

かつて世俗化論の社会学者として知られたピーター・バーガー氏のインタビューですが、とても平易で明快です。氏の学説の放棄については仔細を知らなかったのですが、ネットで検索しただけでもずいぶん記事がありますね。このインタビューでは自ら説明しています。近代化とは世俗化ではなく多元化である、多元性と選択肢の拡大は世俗的選択につながるとは限らず、宗教的選択にもつながるのだとしています。ただ信仰がなんであるかではなく信仰がどのようになされているのかに注目するとそこには違いがあって、絶えず相対化にさらされるために確実性への信頼が毀損され易く、これが原理主義の土壌を形成しているとされます。

それから複数の世俗のあり方の可能性という話で日本が出てきます。最初に非西洋社会で近代化に成功した国として興味深いとしています。日本を世俗的な社会とみなした者もいたが、自分はそうは思わない、ただ異なる宗教性の形式を持っているのだ、西洋のようにドグマや教会を持たず、一人の人間が複数宗教のプラクティスを行っているというようにその宗教性は本質的にシンクレティズムである、ただ中国もそうであり、東アジア全体に言えることだろうとしています。西洋の一神教的な概念とは違うんだ、と。中村さん(誰?)の著書で一箇所だけ記憶に残っているところがあって、西洋のように一人の神がいてアリストテレスの排中律が支配する社会とは違うんだと言っていたと述べています。皮相といえば皮相かもしれませんが、まったくの間違いというわけでもないぐらいでしょうか。

次に米欧比較の話になりますが、宗教的アメリカと世俗的欧州という大衆的イメージは、実際には思われている以上にアメリカは世俗的で、思われてる以上に欧州は宗教的だったりもするが、有効ではあるとしています。「欧州化」した一握りの世俗的文化エリートがアメリカを牛耳り、他はまるで違う一方で、欧州では「信仰なき所属」が支配的である、と。世俗化論に従うならばアメリカは近代的でないことになるが、ベルギーのほうが近代的なのだろうか、アメリカが例外的なのか、否、欧州が例外的なのではないか、と問い、デイヴィーの世俗的欧州の考えを紹介しています。欧州といっても中東欧や正教圏では違うピクチャーになるが、と留保しつつ。一方、アメリカは振り返るならば最初から多元主義的であったし、多元主義というのは単なる事実ではなくアメリカのイズムそのものだと述べています。こうなると、結局、欧州の理論を学んだが、自国をうまく説明できないことに気付いたという話にもなりそうです。バーガー氏はこの構図はそれほど変わらないだろうとしていますが、欧州のムスリム人口の増大が与えるかもしれまない変化についても語っています。未来予測は難しいでしょうね。

その他、さまざまな質問に答えていますが、質問者の引用するエルヴュー=レジェ氏の言葉が印象に残りました。フランスは人々が教会に行かなくなった後にもカトリック文化のままであり、たとえフランス文化の中で無神論者だったとしても、その人は「カトリックの無神論者」である、と。とするならば「プロテスタント系の無神論者」というカテゴリーもあるのでしょうが実際、、彼らにはしばしば独特の宗教性を感じることがあるのですね。これだと宗教と文化の区別がなくなりそうですが、誰か無神論者の国際的比較分析でもしてくれないですかね。いや、もうあるのかもしれませんね。

[本日の一曲]

http://www.youtube.com/watch?v=lrCBNkINfr0

大島ミチル『御誦』(1984年昭和59年)

映画音楽やゲーム音楽で知られる作曲家の代表曲で読みは「おらしょ」です。長崎出身の方です。

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NATO軍事機構への完全復帰をめぐる論争(4)

ずっとこの話題に関連するニュースを追っていた訳ですが、各人各様の反応でいろいろなものが炙り出されてなかなか面白いものがありました。サルコジ大統領が議会多数により不信任動議を否決して完全復帰を決めたようですが、メモしておきます。以前のエントリで世論は賛成反対で多分拮抗しているだろうと書いたのですが、最新の調査では賛成派の方が多数でした。58%が賛成で反対は37%、意見なしが5%ということでけっこうな差がつきましたね。ところが政界や言論界での討議は相変わらず止まないようでした。

賛成派のカトルメール氏のポストから引くと、

当時は[註:1966年]社会主義者とキリスト教民主主義者(Modemの先祖)が君主ド・ゴールの振る舞いに対して不信任動議を提出したものだが、彼らは今日では滑稽を怖れずに「フランス的例外」を護持するために「ゴーリストの遺産」を引き合いに出している。反帝国主義(オバマ効果は過ぎたようだ)で沸騰したありそうもない同盟の中には歴史的なゴーリスト、シラキアン[シラク派]、右派主権主義者、極右、社会主義者、共産主義者、ラディカル左翼、おまけにModemすら肩を並べているではないか!

ということでありそうもない同盟が成立していました。Modemのバイル氏の意見は既に紹介しましたが、社会党側からは、例えば、オブリ氏は「私たちは欧州にプライオリティーを与えたいのです。私たちは欧州防衛を重視します。米国に与するどんな理由もないのです。そのことはバラク・オバマと仲良くやっていくこと-それを望みますが-を妨げるものではありません」と述べていました。ジョスパン氏によれば、この動きは「米国の大人しい長女」-お隣さんのこと-となることを免れされた半世紀にわたる左右の「コンセンサスを破壊」するものであり、「私には自らを凡庸化する利益が分からない。私たちはもう少しオリジナルでありたい」と批判していました。ファビウス氏もコンセンサスの不在とフランスの凡庸化と欧州防衛の無意味化を嘆き、この動きを「誤り」と断じていました。最後にロワイヤル氏は、この決定は「西洋圏への退却」を意味し、フランスの独立を毀損し、冷戦思考への後退を促すものであり(ロシアとの対決をイメージしているのでしょう)、オバマのマルチラテラリズムに対しては追従ではなく独立で応じるのがよいと論じています。バイル氏もそうですが、自分たちは「西洋圏」のみに属しているのではないといった種類の普遍意識がある訳ですね。

与党UMPの中からもシラク派から反対の声が挙がっていました。イラク戦争の際の国連演説で有名になった、しかし国内政治ではけっこう優柔不断だったド・ヴィルパン氏が盛んに批判していましたが、このインタビューでは凡庸化に抗してフランスの特異性を守れと主張しています。特異性とは西と東、北と南の掛け橋の位置を占めることであり、対テロ戦争のロジックがもたらすブロック化の趨勢に反対することだ、シラク時代の試みは冷戦崩壊後の文脈の中でなされたものだが、その文脈は失効していると。また元首相のジュペ氏も批判に連なっていました。本人のブログによれば、ドグマではなく国益に従って考えなくてはならない。失敗に終わったが、シラク時代にNATOとの接近が試みられた際には米国と欧州の対等な関係を前提にしていた。その後大きな歴史的転換があった。出発点にあった条件、米国と欧州の対等性は満たされているのか。否。欧州防衛はまだ途上にある。推進派の議論は強いが、立ち止まって考えるべきだ。NATO内部の特殊性を放棄することにいかなる利点があるのか、同盟内で影響力が増大するというのは本当なのか、欧州諸国はどう反応するのか云々。ド・ヴィルパン氏やジュペ氏の活発な批判の背景に年来の主義主張ばかりでなく政局的な配慮を読むのは必ずしもシニカルという訳ではないでしょう。

一般にシラク派はゴーリストとされる訳ですが、あいつらは真のゴーリストではないというもっと理念的な人々もいます。主権主義陣営からは「立ち上がれ!共和国」のデュポン=エニャン氏の痛憤の叫びが聞こえてきました。「最も高くつく、最も破滅的な政策、それは小国であることだ」というド・ゴールの言葉を引用し、米国への従属の道の危険を訴えています。ブログで反対署名を集めたり活発です。またフランス運動のド・ヴィリエ子爵もまた熱烈に反対しています。自動的にフランス軍が参戦する可能性を防ぐこと、この原則は多極化する世界にあって死活的に重要だと。米国はよき友であるが、自分たちのイデオロギー的ヴィジョンを押し付ける傾向があり、この決定は対米追従につながる。フランスの国際的なイメージも変わってしまうだろうと。

修辞やアクセントには違いはあるのですが、反対派の論調に共通する要素として、フランスの独立と特異性(singularite)を守るべしというナショナルな理念、大西洋主義ではなく欧州の地域秩序の形成者たれという地域主義的な理念、さらには西洋主義ではなく諸文明の掛け橋となれといった普遍主義的な理念、これらの複合を見て取れることができるようです。またロシアとの「新冷戦」はなんとしても避けるべきだという地政学的な判断に共通性が見られるようですね。後者への懸念はよく分かりますが、ここまでのサルコジ政権の動きを見る限りは対ロシアでは反対者とはそれほど戦略的に違わないように思えますがね。極左や極右の意見は割愛しましたが、だいたいこんな論調のようです。

英語圏での受け止め方はおおむね好意的のようで、そこにはなにか放蕩息子の帰還を暖かい目で迎え入れる一家のようなおもむきが感じられます。またこの機会とばかり人類の教師のごとくBBCがフランスは暗黒の歴史との和解が必要だと説教しています。戦後のレジスタンス神話のことですが、マクミラン氏の言葉を引用すると

France, he said, had made peace with Germany, had forgiven Germany for the brutality of invasion and the humiliation of four years of occupation, but it could never - never - forgive the British and Americans for the liberation.

と英米への屈折した心理を指摘しています。ただ助けられたことばかりではなくてTimesの記事にあるこうした戦後の「屈辱的」な光景も背景にはある訳でしょうけれどもね。引用すると、

Younger French people may find it unimaginable but American forces were part of the landscape from 1944 to 1967, admired and envied, especially in the 29 base towns, where they cruised in exotic cars, lived luxuriously and taught local women to dance rock'n'roll. At Chateauroux 10 per cent of all marriages between 1951 and 1967 were between US servicemen and French women. The film star Gérard Depardieu has fond memories of a black American girlfriend of his teenage years.

もちろん戦略的な決定な訳ですが、NATO軍事機構離脱と米軍基地撤去にはパリをパリスと発音するような連中が我が国土を・・・という強い感情があったのでしょう。若い人たちには分からないだろうがと記事が言うようにもう歴史の中の出来事なんでしょうけれどもね、まあ和解ということでよかったんじゃないですか(棒読み)

追記

"Sarkozy's Power Play" by Judah Grunstein[Foreign Policy]

グルンスタイン氏のよくまとまった論評。批判者たちの言うのとは違ってサルコジ氏は米国に接近することそのものを目的にしている訳ではなくて親密な関係をツールのひとつとしてフランスの影響力の拡大のために利用しようとしているのだという見方ですね。パリをワシントンの衛星にしようとしているのではなくて強い欧州に増強されたフランスを追い求めているのだと。また一見行き当たりばったりの連続に見える外交に「ディールのロジック」を見出しています。

Yet if Sarkozy has been right on almost nothing, he has been prescient on almost everything, guided by the attention-seeker's instinctive flare for tomorrow's crisis today. (For instance, his decision to engage Syrian President Bashar al-Assad at the time of Lebanon's presidential impasse in January 2008 later paid off in access to crucial back channels during the Gaza war.) His logic is the logic of the deal, where both fault lines in opinion and emerging consensus create leverage points that maximize France's influence.

これは同時並行的にゲームを進行させているというゴールドハマー氏の見方に近いですね。最後は意味深に記事を締めくくっています。

France's return to the heart of NATO will certainly not spell the end of France's independence and autonomy, nor will it prove the alliance's undoing. But both will be changed, in ways that no one -- least of all Sarkozy -- can foresee. Rich in symbolism, profound in consequences, unpredictable in effect: The move is typical Sarkozy, for whom it is the deed, and not the outcome, that matters.

フランスの独立や自立を終焉させることも同盟の失敗を証明することにもならないだろう。しかしこの両者が誰も予測できない形で変化していくことになるだろうと。対米自立ということで単純に対立することが手数を増やす訳ではないということはひとつの教訓として覚えておいていいのでしょう。ド・ゴール外交も後半は行き詰まりましたし。もっとも一度対立した後だから言える話なのかもしれませんけれども。また具体論ではなくなんとか主義だ!と批判している人はなにも見ていないということでいいのでしょう。賭けの連続に付き合わされるのは不安な話でしょうがね。

ではでは。

[本日の一曲]

http://www.youtube.com/watch?v=bMoY5rNBjwk&feature=player_embedded

クロード・フランソワ『コム・ダビチュード』(1968)

(HT to Charles Bremner)

誰もが知っているシナトラの曲のオリジナル。タイトルは「いつものように」の意。歌詞はまったく違っていて女心の歌です。

追記
微修正しました。それと女心の歌というよりも倦怠したカップルの歌ですね(2009・3・19)

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NATO軍事機構への完全復帰をめぐる論争(3)

予定通りサルコジ大統領がNATO軍事機構への完全復帰の宣言をしましたが、この決定をめぐってどんな国内の論調になっているのかを同時代的に記録することを目的にこのシリーズを続けておきます。

今回は社会党側ということでユベール・ヴェドリヌ氏の意見を紹介しておきます。ル・モンドに寄稿されたオピニオンです。氏はシラク大統領の下で外務大臣にもなった人物ですので外交安全保障関係にはもともと強い人です。実は社会党の声ということでセゴレヌ・ロワイヤル氏のル・モンド寄稿オピニオンも訳したのですが、こちらはとほほな感じでしたので見送ることにしました。理念は控え目に具体論で今回の決定に疑義を呈しています。

"Pourquoi il faut s'opposer à une France atlantiste" par Hubert Védrine[Le Monde]

サルコジ大統領はド・ゴール将軍が離脱を決定した33年[註43年の間違い]年後にフランスがNATO統合軍事機構に復帰することを望んでいる。彼はこのことを2007年夏に宣言したが、4月はじめには確認しようとしている。1966年には冷戦だったが、すべてが変わったのだとの説明がなされている。しかしこれは関係がない。疑問符がつけられるべきなのはNATOの存在そのものなのだ。

欧州の同盟諸国の声が同盟の中で聞き届けられるように、「段階的復讐」という新しい危険な核戦略を保証しないように、8年にわたってアメリカ側に実りなき要求をした後にド・ゴールはこの決定をなした。その後、右派も左派もすべての後継者たちはこの戦略的決定を尊重し、これはフランスの外交政策と国防の支柱となった。

この同盟内における特殊な立場はフランス世論の幅広いコンセンサスの対象となってきた。この立場は長い間アメリカにも認められたがゆえにフランスとNATOが協力のために実際的な調整手段を採用したり、多くの舞台において見られたように、フランスがその決定をなした際には関与することの妨げにならなかったのだ。

それではなぜこの断絶が必要なのか。この断絶が行き詰まった欧州防衛を打開し、「同盟を欧州化」することを同時に可能にし、我々はより大きな影響力を持つことになるのだ言われている。欧州防衛の具体化はフランスの下心への欧州のパートナーたちの不信と衝突しただけであり、彼らを安心させれば十分だといった話を果たして信じられるだろうか。欧州人は真の欧州防衛への希望の表明したことはなかったし、防衛により多くの信頼を与えることを望んでおらず、NATOとの重複を望んでいないのだ。

欧州人は非常にリスクのある責任を負うことを望んでいないし、「欧州防衛」のラベルの下で下請け的になされる周縁的ないし二義的な活動に自己限定している。古典的な責任の分担でいいのだと。彼らはペンタゴンを苛立たせることを望んでいない(ペンタゴンはコソヴォの際に同盟諸国間で相談する義務を嫌った)。

反フランスの不信なるものが口実でなかったとすれば、10年前にサン・マロのサミット後に[註:英仏のサン・マロ宣言]この不信は霧散し、PESD(欧州安全保障政策)を構想し、実現すべく自立的な参謀部が日の目を見ていたことだろうに・・・。我々の変化はなにも変えないと断言しよう。欧州防衛の進展は既に10ヶ月前に準備条件として提出されたが、次に並行的作業として、今や復帰の希望的結果として提出されている。明日には後悔として?それとも欺瞞として?欧州防衛は二足で-NATOとEU-進むというのは神秘のダユ[註:フランス、スイスにいるとされる伝説の生き物]を思わせる!

同様にNATOのヒエラルキーの内部でフランス人が重要なポストを獲得することで実現される同盟の欧州化が口実とされている。これはジャック・シラクが1995年から97年に試みて失敗を確認し、ジョスパン政府がこの試みを停止した。ノーフォークやリスボンでのそこそこ重要な司令権がフランスに与えらると言われる。しかし同盟内部の意思決定様式の抜本的な変化なしに-現在では望むべくもない-ペンタゴンの指示を受けたり、伝えたりする士官たちの国籍がなんだろうと重要な意味を持つだろうか。

ジョージ・ブッシュの下で構想されたこの復帰がカリスマ的なオバマの下で効力を発揮し、環大西洋的な現実が消滅するからというのではない。現在のアメリカの政権はより好ましいが、同盟についての別の概念を持っているのだろうか。それを示すものはなにもない。影響力が増大するという点については完全復帰により同盟内の一同盟国が内部から行使できたとかいう影響の事例を難なく挙げられるだろうに。この変化の最も熱烈な擁護者ですら明白な力関係を考慮して我が国の工業的利点を口実にはしていないことに注意しよう。軍人自身は作戦の利点と不都合に関して分かれるところだろう。

欧州化、同盟において欧州側の柱を創造すること、これはまた別の話となるだろう。同盟内で真の「欧州の集い」を創り出すということだ。アメリカ人と討議する前に、介入にいかなる地理的限定も定めないような同盟の拡大を継続することが理性的なのかどうか欧州内部で我々が検討すべきだろう(これは非常に深刻なテーマだ。第5条の関与は強制的なものである)。一貫性を欠いたミサイル防衛戦略の展開に弱い国々を参加させることは受け入れるべきなのだろうか。

こうしたことすべてに危険がある。これまで我々は決定においていかなる重みも持たなかった。もし欧州人がフランスの復帰によって同盟において発言権を獲得し、アフガニスタン、グルジア、ウクライナ、ミサイル防衛、戦略的軍縮、ロシア等についてワシントンとパートナーシップをもって決定できるならば、その通りだ、これは2つの柱を持つ新しい同盟となるだろう。フランスの為政者たちはこれほどの野心を持っているのだろうか。復帰した後にこうした革命のためにより多くの重みを持つのだと本気で彼らは信じているのだろうか。利点についてはそれゆえ不確実であり論争的なのだ。政治的不都合は明確だ。世界に向けてフランスの見直しのシグナルを送ることになる、これは脱落とそれに起因するリスクとともにそのように政治的に解釈されるだろう。これは象徴的なものに過ぎない、というのも実際には我々はもうほぼ完全に復帰しているのだから!と人は言う。

そう、その通り、これは象徴的なものだ、正常化の意志の象徴なのだ。一旦決定が実現されたならば、歯車効果であらゆる効果を発揮するだろう。この決定は、大西洋主義的であれ西洋主義的であれ、イデオロギー的な配慮に基づくものに思われる。西洋一家の中の「不正常」な状態に終止符を打てと。しかしフランスに別の事を望むことだってできる。まだそのことについて議論をすべき時なのだ。

以上、.NATO完全復帰による欧州防衛の進展は望むべくもない、NATOの改革なしではメリットは疑わしい、これは現実的な利害得失計算ではなく大西洋主義なり西洋主義なりのイデオロギー的な配慮に基づく決定ではないのか、よく考えてみよう、という主張です。別の可能性については具体的に提案していません。NATOと欧州防衛の兼ね合いの問題はもちろん最も重要な点ですが、フランスがNATOに完全復帰したところで進展しないだろうというのはおそらくその通りでしょうけれども、完全復帰しなくともあまり進展しそうにないとも言えますね。端的に言えば、どこまでコストを支払う気があるのかという話ですけれども、誰も喜んでは支払いたくない訳でしょうから。となると米仏で話を進めるというのも分かるような気がするのですけれどもね。まあ、正直、この問題、複雑過ぎて私には判断がつきませんです。

[本日の一曲]

http://www.youtube.com/watch?v=mXuOo-He_-E

和田弘とマヒナスターズ&松尾和子『お座敷小唄』(1964年昭和39年)

スチール・ギターファンとしてははずせない一曲。なんとも能天気な曲調がいいです。東京オリンピックの年の大ヒット曲。

http://www.youtube.com/watch?v=NYCD-MQ-kIU&feature=related

奥村チヨ『お座敷小唄』

こちらは奥村チヨ版。こ、この艶っぽさは・・・。

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NATO軍事機構への完全復帰をめぐる論争(2)

前回はフランソワ・バイル氏の反対論のインタビューでしたが、今回は推進派のテルトレ氏のル・モンド寄稿記事です。氏は戦略研究財団のチーフ研究者ということです。反対論に対して逐一反論しつつ完全復帰のメリットを説いています。戦略系の人ということもあって論調に理念性は薄いですね。

"La France dans l'OTAN : le mauvais procès" par Bruno Tertrais[Le Monde]

NATO軍事機構への再統合によってまさにフランスがなそうとしている賭けについて自問することは不当なことではない。パリは欧州防衛の構築を通じて大西洋同盟を弱体化させようとしているのではと疑っている我々の同盟国との信頼を再建することを望んでいる。かくして我々は自らの善意を示し、NATOと補完的な欧州軍事計画を再始動するのによりよい立場に置かれるのだ。

NATOと欧州連合の一致が強くなっただけに議論は有意義である。今日では両者のメンバーは21ヶ国は下らない。しかしこれは弾が一発だけ込められた銃だ。カードは上手く使われないといけない。他方、我々の最良の士官が欧州の慎ましいポストよりもNATOの高官のほうに魅力を感じるのではないかと恐れられる可能性もある。そこでいくつかの問いを理解する必要がある。

しかし、我々は事実上アメリカの旗の下に身を置く事になるのではとか外交的駆引きの自由や独立権力としての我々のイメージを失うことになるではといった議論は根拠のあるものではない。我々はもはやアメリカの政策に反対できなくなるとかワシントンの対外的冒険への参加要請に反対できなくなるとか述べることにも意味がない。同盟内部の決定はコンセンサスによってなされるのであり、欧州の我々の同盟国は我々と同様にこの規則に従うのだ。各国は共通の作戦への軍事的貢献について主のままである。

復帰に反対する人々はしばしば本質的な点を忘れてしまう。すなわち、独自の核抑止能力をフランスが保持しているという点であり、この地位は復帰によっていかなる影響も受けないのだ。この能力によって我々は我々の生存が他者に依存しないと主張すること、それが正しい場合にはアメリカの政策を批判することができるのだ。こうしたラインの作り手は2003年のイラクへの米国の介入へのフランスの熱烈な反対には好意的ではなかった。しかし我々が抑止に与える戦略的独立性はこうした選択をすることを可能にするのだ(ドイツは作戦への参加を拒否したが、ワシントンへの活発な反対派のリーダーではなかっただろう)。

無視できないチャンス

時代を間違えるべきではない。ド・ゴール将軍は統合軍事機構からの脱退のみが我々の完全な主権の回復を可能にすると考えたが、それは1960年代にはフランスに米軍の強力なプレザンスがあったからなのだ。ところでワシントンにはフランス領土への軍隊の再配置を要求する意図も理由もないのだ。

大西洋同盟に復帰することで「西洋側」に閉じ込められるという感情を与えるリスクを冒すことになるのだといった話を聞くと当惑してしまう。この議論を進める人々は彼らのロジックの極限まで進み、NATO脱退を提案するべきだろう!しかし、とりわけ、この議論は政治的現実を勘定に入れていない。中東、アフリカ、アジア、南米で重要になるのは大西洋機構におけるフランスの地位ではなく対米政策と共通作戦への有効な参加なのだ。アフガンやパキスタンのイスラミスト運動のリーダーたちと関連してこの主題を取り上げた者は誰でもNATOの煩瑣な制度の話は彼らの理解を超えていることを知っている。彼らにとって重要なのはフランスがアフガニスタンでなにをするのか、フランスが米国の同盟国かどうか知ることだけなのだ。

それに大西洋同盟は西洋一家の排他的な代表たる野心を持たない。ワシントン条約(1949)には「西洋」にいかなる参照も含んでいない。そして同盟は西洋起源の共通価値によって互いに結ばれた諸国の一家を代表するが、例えばイスラーム世界とと対立するものではまったくない。トルコが57年間メンバーであることを想起すべきだろうか。それからNATOの3つの大規模な作戦―ボスニア、コソヴォ、アフガニスタン―が大部分ムスリムの人民に擁護され、支持されたことを想起すべきだろうか。

最後に復帰するがゆえに我々の声が小さくなると述べることは誤りに帰着する。大西洋同盟の内部で我々の声はむしろ大きくなるだろう。我々は国益を擁護するのによりよい位置に置かれることになるのだ。NATO軍事機構の中に多くのフランス人士官が入ることで防衛と安全保障に関して我々の概念がいっそう考慮されることが保証されるだろう。同盟が新たな戦略概念にまさに着手しようとしているその時にこうした作業においてフランスの重みが増大することは無視できないチャンスとなるだろう。

以上、フランスの独自性は失われないし、戦略的自立性は維持できる、西洋陣営に閉じ込められるというのは根拠のない危惧である、NATOの戦略構築への参加はフランスの声を反映させるチャンスである、という主張です。全般に合理的な意見であると思われますが、いくら言葉で否定してもNATOが西洋同盟として映るというパーセプション上の問題はあるでしょうね。それがいいことなのか悪いことなのかは別にして。

追記

「全般的に合理的」と書きましたが、「NATOと補完的な欧州防衛」のあり方がよく見えてこないので必ずしもすっきりした印象を与える訳ではないですね。

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政治的なもの、革命的なもの

"Le G20 devra être politique selon Henri Guaino"[Les Echoes]

via French Politics

サルコジ大統領のスピーチライターのアンリ・ゲノー氏については以前エントリしましたが、氏によればG20は「技術的なもの」ではなく「政治的なもの」になるだろうとのこと。氏によれば「問題は我々のいる、今日危機にある世界から別の世界、他の規則をもつ組織された別のモードへと抜け出すべく心性、精神を発展させることである。心性、思考様式に断絶がなければならない」とのことです。むう、精神革命ですか。また「問題はG20が本質的に政治的なものなのか技術的なものなのかを知ることである。政治を行うこと、それは全世界に理解可能で、すべてを変革し、責任をとれるような強力な決定を下すことである」と言います。技術的な決定は現状のシステムの微調整に過ぎず、現状の規則や理念を侵犯する能力は本質的に危機にある世界に属している技術屋どもにはないのだ、政治家にのみこの神聖なる侵犯能力があるのだ!と、いかにも「政治的なもの」の復興を掲げるゲノー氏らしい発言ですが、なにを決定するかが問題な訳ですよね、決定することそれ自体よりも、違いますかね。すでに波乱の気配の漂うG20ですが、席上でサルコジ氏は、はあ?みたいな演説をまたしそうで少し楽しみです。

"Pierre Lellouche nommé «Monsieur Afghanistan et Pakistan»"[Liberation]

少し前のニュースですが、UMPの議員で議会のNATO委員会委員長のピエール・ルルーシュ氏がアフガニスタン、パキスタンの特命大使に指名されたとのことです。2008年末にアフガニスタンへのフランス軍の関与とNATO戦略について評価する仕事をしたことがある安全保障の専門家で「アフガニスタンにおけるNATOの戦略は失敗しつつある。NATOはアフガニスタンで勝利できない」と述べたとのことです。記事は「我々はNATOの納税者の血税にファイナンスされた地上で初めてのアヘン国家をつくりあげることに成功した」という発言も引用しています。大西洋主義者で親米派とされるけっこう有名な人ですね。ホルブルック氏の相手としてはこの人以外いないような気がしますが、さて、どうなるんだか。

"La "gauche de la gauche" part en ordre dispersé aux élections européennes"[Le Monde]

先日「左翼党」を立ち上げたジャン・リュック・メランション氏とフランス共産党のマリ・ジョルジュ・ビュッフェ氏による3月8日の「左翼戦線」結成に関する記事。「市民的蜂起」を呼びかけたメランション氏ですが、「我々は6月7日の選挙をリスボン条約とサルコジの自由主義政策への二重の国民投票とする。人民は声を上げるだろう」とのこと。CGTシュミノのディディエ氏、映画監督のロベール・ゲディギアン氏、作家のジェラール・モルディヤ氏の演説に続いて最も成功を博したのが反資本主義新党青年部のリーダーのクリスティアン・ピケ氏であったということです。同党の同盟の拒絶の決定にもかかわらず一部が左翼戦線に合流したようです。数ヶ月前にオリヴィエ・ブザンスノ氏が同盟を拒んだ訳ですが、この会合の数時間前に同党の政治評議会が左翼戦線との「不一致」を表明し、「欧州の条約を拒絶するという根拠のみで結集することはラディカルな要請に満たない」と宣言したとのことです。ブザンスノ氏は候補に立つことを望んでいないが、党の選挙人リストを提出する予定であるとのこと。IFOP調査によれば極左の支持率は16%に達すると言われ、今後、極左政党間の競争は激しくなると予想されます。現在、反資本主義新党が9%、左翼戦線が4%、労働者の闘争党が3%の支持を受けているとされます。というわけで極左の通弊に違わず、いわゆる大同的見地に立った同盟はなく、互いに敵視し合っているようです。それはいいことなのでしょう。

"Le « Nouveau parti anticapitaliste » ou le retour vers un passé qui ne passe pas"[Coulisses de Bruxelles ]

極右が落ち着いたと思ったら今度は極左かよというのが正直なところですが、反資本主新党が10%近い支持率を獲得した事態を前にしてカトルメール氏が真面目に警告を発しています。大衆的人気ではサルコジ氏のライヴァルにまで祭り上げられているとっても感じのいい革命的郵便配達夫オリヴィエ・ブザンスノ氏ですが、彼がどれほど感じがよくとも反資本主義新党はレーニン主義的な革命政党であり、エコロジーやフェミニズムといった今風なアジェンダはこの点を覆い隠すものだ。ソ連や中国とは無関係だと言い張ったとしてもこれは1917年への回帰である。以下、同党の綱領を検討しています。

(1)欧州憲法、欧州中央銀行、OECD、IMF、世界銀行、WTO、NATOの否定。フランスの革命の後、全世界に反資本主義の波が及ぶとされる。

(2)民主主義の否定。左翼戦線を否定したようにいかなる妥協的連合もしない。「階級支配は改革の道によっては根絶できない」。暴力による革命も否定していないことになる。

(3)全体主義。生産手段の私的所有の否定、金融システム、サービス業に対する人民の支配。人民とは実際には国家でしかない。人民の善のための文化の革命。明瞭に語っていないが現在の政治的、法的秩序の打倒は論理必然的であり、反対意見に対して不寛容な体制になるだろう。

反資本主義新党に投票するとは社会党への抗議や社会党を左傾化させることを意味しない。反民主主義的、反欧州的な革命政党に投票すること、前世紀の亡霊たる共産主義に投票することを意味するのだ。といった具合に同党の危険性を警告しています。今時まさかと思われるかもしれませんが、綱領その他を読む限り、これまでの動きを見ている限りは、この人々は本気ですね。左翼戦線が成立しなかったことやブザンスノ氏個人の人気が必ずしも同党への人気につながらないという話を考えても、社会党不満層やエコな人々や極右支持層の一部も取り込んで今度の欧州議会選で躍進し、国際メディア的にも注目されることになるのかもしれません。もっともフランスおよび欧州政治の不安定の象徴となったとしても彼らの革命とやらが成就することはないでしょうが、日本でも勘違いした人々が騒いだりするのでしょうかねえ。

[本日の一曲]

佐藤千夜子『ゴンドラの唄』(1915年大正4年)

http://www.youtube.com/watch?v=hQp1RTjfiVU&feature=related

革命前のまだ浪漫的なロシア幻想ということで、ツルゲーネフ『その前夜』の劇中歌。この人の時に投げやりにも聞こえる歌い方はわりと壷です。

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NATO軍事機構への完全復帰をめぐる論争(1)

NATO統合軍事機構への完全復帰については以前エントリしましたが、この件についてしばらく前からフランス国内で議論が活発になされ始めているようなので紹介しておきたいと思います。

サルコジ大統領が昨年4月のブカレストのNATO首脳会談の席でNATOへの完全復帰を示唆し、6月の国防白書に明記され、今年の2月7日にミュンヘンで同様の宣言をしたことは日本語圏でも報じられていたのでご存知の方も多いでしょう。経緯を確認しておきますと、冷戦下において米国の世界戦略の下に置かれること嫌い、独自核に基づく自立的安全保障政策を展開すべくド・ゴール大統領が1966年にNATOの軍事機構から脱退した訳ですが、この脱退はフランスの独自性を示す経験として内外で記憶されてきました。したがって今回の完全復帰はきわめて象徴的な意味合いがもたされることになる訳です。ただ今回の動きは「親米家」サルコジ大統領による安全保障政策の急旋回ではなく、「ゴーリスト」シラク大統領の下で用意された路線の延長上にあります(「」に入れたのは、しつこいようですが、私はこの手のラベルは信用しない主義ですので)。

NATOには文民機構と軍事機構の二つの枠組みが存在していますが、ド・ゴール大統領が脱退したのは軍事機構であり、文民機構にはとどまっていました。軍事機構には軍事委員会、防衛計画委員会、核計画グループが存在していますが、ユーゴ紛争を契機に95年、シラク大統領によって軍事委員会には既に復帰しています。さらに実際にはNATOとはつかず離れずの関係でしたし、今回の復帰の条件として欧州防衛の強化と独自核戦略の維持が約束されていますので、今回の完全復帰は実質的な意味合いよりも象徴的意味合いが強いと言うこともできるかと思います。

それでも米国追従やフランスの独自性の喪失につながるのではないかという懸念があり、国内議論を惹起することになっています。最新の世論調査は確認できていませんが、これまでの結果からすると賛否は拮抗している状況だと思われます。外交安全保障問題が経済問題や教育問題のようなテーマに比べると一般国民から遠く見えてオピニオンを持つのはなかなか難しいというのはどこの国でも同様ですのでメディア上の討議を受けて賛否が拮抗する状態は理解可能な話に思えます。長期的な国家戦略論というよりもアフガニスタンへのいっそうの関与の是非という差し迫った話が焦点になっているようです。

おおまかに言うと、政府与党のUMPの大部分は完全復帰を進める側にまわっていて、左派と中道派さらに右派のゴーリスト・グループの一部が反対の論陣を張っているという構図になっているようです。内容的には推進派はフランスの独自性の維持とNATO完全復帰は矛盾しない、両立可能である点を強調し、反対派は我が国は米国とは一線を画した独自外交を追及すべきであり、完全復帰は理念と国益に反すると主張している格好になります。野党のほうがゴーリスト的なのが興味深いですね。国民投票にはかけられずに、議会でのフィヨン首相の信任投票によって決議される段取りになっているようですのでどうやら多数派の勝利は間違いなさそうですが、どういう議論になっているのか紹介するためにこのエントリではまず反対派の中道政党Modemの党首フランソワ・バイル氏のインタビューを訳しておきます。辞書を引かずに超特急で訳したので変なところがあるかもしれません。気づき次第直していきますが、ご注意ください。

"Sarkozy a une obsession..."[NouvelObs.com]
ル・ヌーヴェル・オプセルヴァトワール(誌名、以下N.O.):あなたはNATO統合軍事機構への復帰計画をフランスの敗北と呼びましたが、少し誇張し過ぎではありませんか。

フランソワ・バイル(以下F.B.):私たちは世界の目にはフランス・ブランドとなっていた遺産を犠牲にしようとしているのです。大西洋同盟において私たちは責務を疎かにすることは決してありませんでした。フランソワ・ミッテラン時代の湾岸戦争の際のクウェートでも、コソヴォでも、911以降のアフガニスタンでもです。しかし統合軍事機構と距離を置くことで、フランスは自らをアメリカの影響圏に還元させないこと、世界に開かれていること、ノーと言えることを-これはイラク戦争の際に明らかになりましたが-私たちは示したのです。犠牲にしようと望まれているのは50年の歴史なのです。代償としてなにを得るためなんでしょうか。幕僚部でのいくつかのフランス人の将軍のポストですか。この独立の遺産は一人の人間の好きにできるものではなく、ニコラ・サルコジだけではなく全フランス人に属するものだと私は言いたいのですね。というのも私たち国民的な財産の話だからです。したがってフランス人が国民投票で態度決定できるのでないといけないでしょう。

N.O.:しかし具体的に言うと、どういう点でフランスの独立が今後脅かされるというのでしょうか。

F.B.:私たちがこの決定をするまさにその時、世界の目には、私たちは西洋ブロックという理念を受け入れ、このブロックに与するということになるのです。一方に欧米ブロックがあって他方に全世界があると。これはフランスにとって、そしてその歴史と普遍性にとってひとつの断念なのです。確かにフランスは西洋の歴史に属し、これを形作ってきましたが、フランスは西洋に還元されず、開かれており、西洋と一線を画して、アラブ世界やアフリカを理解できるのです。また欧州連合の独立的防衛政策の理念の終焉が浮上するのが私には見えるのです。というのもフランスの独立、その特異性、思想と言論の自由とともにいささか他に還元不能なその性格というものは欧州のパートナーたちにとって常にひとつの基準だったからです。フランスは独立欧州の保証人であり、独立欧州は時とともに米国との関係において、またいずれ南米、アフリカ、インドとの関係において新しい道を開くことになるでしょう。これは等しい価値をもった複数の柱の上に打ち立てられたより均衡した世界のヴィジョンです。かくして私たちが売り払おうとしているもの、それは私たちの過去ばかりでなく私たちの未来、フランスと欧州の未来の一部なのだと私は主張したいのです。

N.O.:あなたはサルコジ大統領の意図の勘ぐりをしてませんか。というのも大統領自身がNATO軍事機構への復帰の条件として欧州防衛の進展を掲げたのですから。

F.B.:サルコジの選択は欧州防衛は今後NATOの枠組み、すなわちアメリカの権威の下でなされることを意味するのです。それはアメリカの政権がどうなろうとそうです。例えばNATO司令官とは欧州のアメリカ軍の司令官である点を思い起こしてください。それ以外は文学の問題なのです・・・。

N.O.:あなたはフランスはNATOを疎かにしたことはなかったし、そのミッションに参加してきた点を指摘しました。専ら象徴的な決定の話を大げさに受け止めていませんか。

F.B.:ほろりとさせるような無垢さで国防省はこの決定は純粋に象徴的なものだと述べました。ええそうですとも!人間と諸国民の生において象徴とは本質的なものなのです。私たちの独立の象徴を要求しなければなりません。諸国民の中で異なる私たちの特徴を示すのがまさにその象徴なのです。統合とは、全世界の目からすれば、同化を意味するでしょう。

N.O.:しかしあなたはこの復帰を真剣に構想したジャック・シラク政権の閣僚だったのでは・・・。

F.B.:これはジャック・シラクが暖めていた理念です。彼はそのリスクをとらないだろうと私は常に考えていました。そしてこの時代以来この主題に関する私の確信は明瞭になり、強固なものとなったのです。イラク戦争の際のフランスの選択は射程と反響の及ぶ限りのあらゆる人々の目にフランスの独立の本質的な特徴を示しました。

N.O.:ニコラ・サルコジによるアメリカの領域であるイラクへの電撃訪問は彼の独立意志に関してあなたを安心させませんでしたか。

F.B.:いいえ、バグダッドでフランスはある意味、状況を確認するのに飽き足らずにイラク介入に事後的に同意を与えたのです。この独立の印の放棄には断腸の思いがします。特定のセクター、軍需産業セクターを除いてはね。このセクターはNATO市場からこれまで排除されていました。彼らが圧力をかけていることを私は理解しています。しかしある国民の歴史的使命とはどれほど重要かつ強力でも特定の利害に還元できるものではないと私は考えるのです。

以上、「独立的欧州」「フランスの独立と特異性」を護持せよ、これほど重大な決定には国民投票が必要だ、また「世界の目」と「独立の印」を繰り返して具体的利害を超える象徴的価値の重要性を強調しています。理念的には西洋主義(occidentalisme)とは一線を画すのがフランスの流儀であるという主張ですね。理念としては分かります。さりげなく歴史的使命という言葉が出るのには皮肉でなく痺れるものもあります。氏にはNATO完全復帰はフランスの影響力を行使するための選択肢の拡大の一手段に過ぎないのだといった割り切った見方はとらないようです。実際、「世界の目」には米仏関係の強化、さらには西洋枢軸の形成と受け止められるのかもしれません、いや、フランスのことだから・・・となるのかもしれませんけれど。最後の軍需産業云々のところは事情を知りませんが、やや勇み足かなという気がしないでもないですね。

[本日の一曲]

http://www.youtube.com/watch?gl=FR&hl=fr&v=5Jcm41GFLMs

ミレイユ・マチュー『ド・ゴール』(1989)

いかにも80年代的な曲調で個人的にはあんまり好みではないですが、ミッテラン大統領の依頼でつくられた将軍賛歌です。リールのド・ゴール、ロンドンのド・ゴールといった具合に生涯を回顧し、最後はフランスのド・ゴールの連呼で締めくくられています。

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連合って不便ですよね

あちらもこちらも騒々しいですが、おかげさまでごく平穏な日々です。そう言えば、この間、金銭を代償にして他人に髪を切らせました。少し寒いです。以下、欧州関連記事のクリップです。

"L'Union pour la Méditerranée subit un coup d'arrêt depuis la guerre de Gaza"[Le Monde]

地中海連合が「制度的に機能停止」している件についてのル・モンド記事。サルコジ大統領の肝いりでアラブと地中海の43カ国を集めるこの広域連合組織が華々しくスタートした件については以前エントリしましたが、半ば予想通りイスラエルのガザ侵攻を受けて頓挫している模様です。イスラエルと同席することをアラブ諸国が拒否しているために4月以降開催される予定だった会合の見通しが立っていないとのことです。例えば、エジプト政府が地中海連合の停止を公的に求めているとされます。エジプト人はアラブ諸国の中で複雑な位置に置かれている、地中海連合で重要な役割を果たすエジプトを守らないといけない、というフランス側のコメントが引用されています。またアルジェリアは「我々は連合のメンバーだが、連合は進捗しないだろう」という冷ややかな見解を示している模様、リビアは「地中海連合はイスラエルの爆弾によって殺された」と発言、シリアも停止の方向に動いているとされます。他方、欧州との関係を強化したいモロッコは連合の進展を望んでいるといいます。理事会のポストをめぐる角逐もあるようで、43カ国も集めれば、そりゃなかなかうまくいかないですよ。さっそく企画倒れの匂いが濃厚に漂ってきていますが、まあ長い目で観察することにします。

"France to send envoy to Iran for nuclear talks"[Haaretz]

フランス政府がジェラール・アルノー氏をイランに派遣したとハアレツが報じています。それでこのアルノー氏ですが、

The French official to be tapped by President Nicolas Sarkozy to meet with the Iranians is Gerard Araud, who holds the title of political and security director-general of the French foreign ministry. Araud has been France's point man in the six-power talks - which include the five permanent members of the Security Council plus Germany - with Iran. Two years ago, he concluded a stint as Paris' ambassador to Israel. Two weeks ago, Araud called on the U.S. to expedite the formulation of its policy of dialogue with Iran. Washington ought to take a "one-time shot" at talks with Iran, Araud said.[....]"The French do not anticipate any extraordinary results from this visit," the diplomatic source said. "But they want to take part in preparing the groundwork for dialogue between the West and Iran."

といった人物です。フランスの対イラン戦略についてオバマ政権との間で齟齬が見られることは前からハアレツが報じていました。さすがに敏感ですね。修辞のレベルでは時に挑発的に振舞ったりしていますが、基本路線にそれほど大きな変更はないように見えます。こうした動きそのものはごく合理的だと思いますが、勿論イスラエルからすれば不満でしょう。

"Sarozy's talent for reinvention"[BBC]

BBCの記者によるサルコジ大統領の印象論。私は内務大臣になる前から眺めてきましたが、あのキャラクター-今日の俺は昨日の俺と違うんだぜとでも言いたげな-は変わってないですね。ともかく由来の知れない異様なエネルギーはありますし、政治玄人の爺さん大統領に飽きた国民の多くがそうした徳を欲していたし、こうした劇的な展開を前にして今も欲しているということなんでしょう。記者さんの言う予測不能性に関しては、大統領本人よりも取り巻き達の方を見たほうがいいんじゃないでしょうかね。

"EU consensus to tackle crisis"[BBC]

日曜のブリュッセルの緊急EUサミットに関してフランスの保護主義的な動きに対する牽制と東欧救援要請の拒絶の二点についてまとめたBBCの記事。前者については、連合内に動揺をもたらしたサルコジ氏の自国の自動車産業保護の訴えが却下され、自由で公正な共通市場の維持が確認されたとのことです。発言を否定するサルコジ氏ですが、アメリカが保護主義に走ったら欧州もそうするだろうと嘯いているようです、それで後者が問題です。ハンガリーによる東欧経済救済要請が拒絶された訳ですが、メルケル首相の各国で事情が違うからという発言が引用されています。他方、バローゾ委員長は不良債権処理の枠組みに関する協定が結ばれた点や中東欧への資金援助がなされている点を強調したとのことです。具体的には以下、

He said 7bn euros of structural funds would go to the new member states his year, including 2.5bn for Poland. Another 8.5bn euros from the European Investment Bank would help small and medium-sized firms in the region this year, he said.

"EU Rejects a Rescue of Flatering East Europe"[WSJ]

こちらは東欧の救援要請拒否に関するWSJの記事です。概括的ですが、こちらのほうが少し情報量が多いです。今回のサミットを象徴するかのように引用されているハンガリー首相の「新しい鉄のカーテン」発言やユーロ圏の拡大の要請についても触れています。ポイントは中東欧と言っても一枚岩ではなく状況がましな国は救援を受けることでイメージが悪くなることを恐れているという点でしょうか。ポーランド首相の発言は以下、

"Our position is that we must differentiate between countries that are in difficulties and those that are not," Polish Finance Minister Jacek Rostowski said. Poland, which benefited from years of healthy economic growth, is in better shape that some of its more-indebted neighbors. But it has seen a substantial fall in the value of its currency as investors scramble out of the region.

これに対して西欧諸国は他のどこかから借りたらといった冷ややかな態度であったとしています。こちらも深刻な景況悪化に直面して新たに東欧救済の件で国民を説得するのは困難だと。動こうとしない欧州連合に代わってIMFや他の国際機関の役割が重要になるだろうとしています。おーい。以下、各国の状況について概観しています。ポイントはやはりドイツですが、記事では、

Most critical was the cold shoulder from Germany, which, as Europe's largest economy and the one with most access to borrowing, would play the largest role in financing any aid. Germany, the EU's strongest economy, is unwilling to unwind its own fiscal discipline to pay for the spending excesses of others. Admitting countries with weaker finances could hurt the strength of the euro or push up inflation across the euro zone.

と書かれています。あの頑固な財務大臣がちゃんと役割を果たすと述べたという報を読んだ記憶があるのですが、ぎりぎりまで踏みとどまるようです。まあ気持ちは判りますけれどもねえ。ともかく欧州の東と西の間の心理的距離はモーゼの海割りの跡のごとく広がっているようです。

南無南無。ではでは。

追記

半ばボケて書きましたが、景況も財政状況もばらつきがありますし、中東欧と言っても一枚岩ではない訳で必ずしもハンガリー案が正しいアプローチとは限らないように思えます。東と西の二元図式よりも状況はもう少し複雑なようです。メルケル氏を支持する訳ではないですが。

再追記

"Emergency eurozone aid signalled"[FT]

こちらはメディアの反響の大きさを見て火消しのために書かれたような記事ですね。アルムニア氏がユーロ圏で困難に陥った国には支援がある点を強調しています。またこのたびのハンガリー案却下については

At an EU summit on Sunday called to discuss the crisis, it was not the bloc’s western European countries but several central and eastern states that had spoken most loudly against a Hungarian proposal for a €180bn ($226bn, £161bn) financial aid plan for the region, Mr Almunia said. “When someone says, ‘Give me a plan for the region’, I say, ‘It’s not a question of a plan, but of analysis, of monitoring, case by case, problem by problem’.”

といった具合に西欧諸国でなく中東欧諸国のほうがハンガリー案に反対だったのだと主張しています。また先日のシュタインブリュック財務大臣のユーロ圏支援の発言も想起し、ドイツのエゴイズム批判に反論しています。欧州連合の外交官によれば救済の法的根拠は第100条の

This states that “where a member state is in difficulties or is seriously threatened with severe difficulties caused by natural disasters or exceptional occurrences beyond its control”, EU governments “may grant, under certain conditions, community financial assistance to the member state concerned”.

に基づくとされます。金融危機、経済危機はexceptional occurrences beyond its controlの文言に関わる訳ですね。最後に氏はユーロ圏の崩壊はあり得ないと断言されています。まあ、その確率そのものは低いだろうと思いますけれども・・・、当面は戦力の逐次投入を続ける他ないのでしょうかね。

[本日の一曲]

http://www.youtube.com/watch?v=7SwC-S2aR3M&NR=1

灰田勝彦『アルプスの牧場』(1951年/昭和26年)

この年齢でこの声はすごいと思います。

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東から西へ

深刻さ増す欧州の金融・経済[日経]

欧州経済が一段と悪化してきた。中・東欧諸国の景気減速で欧州全体の銀行の貸し付けが焦げ付き、巨大な不良債権を抱え込む可能性が高まっている。

[,,,]ハンガリーやポーランド、チェコの金融市場の混乱は著しい。3カ国の株価は2月半ばから下落が加速し金融危機前に比べて約半分の水準となった。債券も売られ、通貨も下がっており、最悪の状態といえるトリプル安の様相を見せ始めている。

3カ国は欧州連合(EU)の新規加盟国の中でも経済規模が大きく、これまでは投資先として安定性が高いとみられてきた。トリプル安が起きるのは、国外の投資家の信頼が揺らぎ、投資マネーが一斉に流出しているためである。

問題は中・東欧にとどまらない。この地域で事業展開する企業などに資金を融資しているのは主に西欧各国の金融機関だからだ。特にオーストリア、ドイツ、イタリアの銀行の債権額が大きく、主要行の財務への影響は深刻だとみられている。

[...]ここで中・東欧発の信用収縮に歯止めをかけなければならない。EU内にとどまらず日米を含め国際的で大規模な政策協調を考えるときだ。国際通貨基金(IMF)や世界銀行の支援も視野に置くべきである[,,,]

日経の社説が簡明な見取り図を描いています。中東欧発の信用収縮と景気減速が顕在化し始め、西欧への波及が危ぶまれていると。多くが早くから予想し、危惧していた展開ですが、いよいよ黄色信号が点灯し始めているようです。で西欧諸国の対応は相変わらず足並みが揃っていない、と。ふう。

"Argentina on the Danube? "[Eonomist]

こちらはエコノミストの東欧経済の記事。2009年の東欧は1997年の東アジアと2001年の南米のミックスかと問うています。西側からの資金に頼る当地の金融システムの脆弱性が露呈している。地元の銀行の多くが失敗し、外資系銀行も親会社の好意に依存している状態で、親会社のほうも尻に火がついていると。ギリシア政府は銀行にバルカンへの投資から撤退するように勧告し、オーストリアはGDPの80%を東欧諸国に貸している。また金融だけではなくグローバルな沈滞がさまざまな問題を引き起こしている。西欧諸国への工業製品の輸出は激減し、移民の送金は落ち込み、ウクライナもラトヴィアも先行きが暗い。1997年の東アジア諸国並の落ち込みだが、輸出主導の回復も見込めない。政府ができることと言っても、多くの国で政策手段はわずかだ。利下げをしたポーランドやチェコでは通貨が暴落し、スイス・フランやユーロで抵当付きのローンをしている家計に苦痛を与えている。ハンガリーのようないくつかの国では巨大な赤字の問題が加わる。政策的に余裕のある国ですら緊縮財政をとっている。バルト三国とブルガリアではペッグしている関係で強いユーロが問題となっている。2001年のアルゼンチンの再来を恐れる者もいる。IMFは個々の国の援助は出来るが、地域全体はできないし、ECBは外部の国に貸し付けることを鼻であしらっている。ひどい景気後退は不可避だが、地域のカタストロフは不可避ではない。まず「東欧」というくくりは不正確だ。カザフやウクライナとより小さく豊かでよく統治された国とは無関係だ。10年前のアジアに比べて外貨準備があり、「ホットマネー」も少ない。新加盟国は西欧からの援助を期待できる。銀行システムはかつてのアジアよりも錯綜し、外資系銀行の撤退もなさそうだ。欧州連合やECBは大型の救済に関与したくないだろうが、しなくてはならなくなるだろう。近視眼的な政治家でも隣国を政治的、経済的アナーキーに突き落とすわけにはいかないからだ。ソヴィエト連邦崩壊以降最大の危機であるが、これを大惨事にするには意図的な破滅的保護主義と欧州連合の主要組織の解体の時期が必要になるだろう。が、そんなことはしないはずだ、といった具合に惨憺たる現状を記述する一方で地域全体のカタストロフは避けられるはずだとしています。

"L'Europe dans la crise : de la dénégation à la dissolution ?"[La Tribune]

こちらはラ・トリビュヌのオピニオンに掲載されたエロワ・ローラン氏の記事です。「危機の中の欧州。否認から解体へ?」というタイトルの通り、欧州は迫りくる危機の存在を必死に否認しているが、協働して対応しなきゃ解体しちゃいますぜ、と警鐘を鳴らしています。

グローバルな危機の中で自滅的な無気力から欧州連合を脱するためにはなにが必要なのか。欧州全体での2桁の失業率?ユーロ圏の分裂?東欧諸国の集団的破産?この三つの同時襲来?なにものも欧州の責任者達を動かすことはないようだ。彼らは万が一の際の共同行動の可能性を検討するために、危機の暴力的加速から6ヶ月も経った3月1日にサミットをなおいやいや召集したばかりである。もう少し現実的な議題を提案しよう。いかに欧州プロジェクトが粉砕するのを避けるべきか?行き過ぎだろうか?警鐘家みたいだろうか?次の三つの事実を考えよう。欧州連合とユーロ圏は-ほとんど信じられないことに-今日では米国以上に深刻な景気後退に落ち込んでいる。単一通貨は崩壊を迫られている。欧州拡大は断絶に接している。

第一に大西洋の両岸の景況の信じがたい交代ぶりだ。2008年第4四半期は世界中の経済にとっての殺し屋みたいだった。米国が年率で3,8%の成長の低下を記録したことに欧州ではひどく心を動かされたのだったが、欧州連合とユーロ圏は30%も悪くすることに成功した。米国が-1%に対して-1,5%である。

2008年の傾向の反転は仰天すべきものだ。第1四半期には欧州連合とユーロ圏よりも低いところから出発した米国は年末には1%の累積の成長の超過を記録したのである。このの開きの半分は最後の3ヶ月に広がった。

いかにこの破滅的なパフォーマンスとここ10年の欧州の経済政策の2つの傷とを関連づけるべきなのか?ちっぽけな輸出国のように自らをみなし、内需を無視して対外貿易に全幅の信頼をおいたドイツが実践した社会的ディスインフレーションは高くつく失敗だ。2008年の第4四半期にドイツの国内総生産は米国の2倍以上も後退した。それから果敢、頑固、かつ絶望的に盲目的な欧州中央銀行は2008年7月に金利を上げるという許しがたい誤りを犯して欧州の成長を犠牲にしたのだった。

IMFと欧州評議会の2009年の見通しはこの傾向を延長している。燃料をフル稼働した米国は破裂し、痙攣する欧州よりもダイナミックになるだろう。

しかし景況を超えて現在動揺しているのは欧州の基礎そのものである。グローバルな危機は実際に高い犠牲を払って得た2つの夢を損ないつつあるのだ。単一通貨と東方拡大だ。

公債の金利の開きはユーロ圏の一体性を脅かし、1990年代末の南北の断絶を再活性化している。ところで、悪の重力を信じないようにするためにこの危険な分裂に対する救済策が存在している。イタリア政府の提案にしたがって「ユーロの責務」といったものが創り出されることになるだろう。欧州中央銀行は金融市場をブロックすべく直接にギリシア、スペイン、アイルランドの公債を買収できるだろう。こうした解決に反対するものは日和見主義とエゴイズム-現在の文脈ではどちらも受け入れ不可能だが-を除けばないのだ。

第二の断絶は-長い間縮まると信じられたが-より深刻だ。欧州の西と東が新たに脱線しつつある。新しい加盟国は類稀なる暴力に起因する為替レートと貿易収支の危機の餌食になっている。ところでハンガリーやリトアニアを救うためにぐらつく欧州の連帯の枕もとに呼び出されているのはIMFである。いかに欧州連合はその統合が問題になっている時に二義的な役割に満足できるというのか。

1930年の危機と我々が目にしている危機の間の大きな違いは統合された強力な経済的欧州の存在である。これが国際協力の実験場となるはずなのだ。ところが反対に混乱、さらには対決の震央となってしまっている。グローバルな危機はこの解体に帰着するのだろうか。ひとつのことは確かである。もし欧州が危機を否定し続けるならば、危機は欧州を否定する結果となるだろう。

以上、個人的にはやや見飽きた観のある悲観シナリオですが、ローラン氏もこうした論調に加わったのかというある種の感慨があります。欧州連合の無気力への苛立ちが感じられる記事でした。ともかくオーストリアからはしばらく目が離せないですね。

追記

"Eastern crisis that could wreck the eurozone"[FT]

同じ問題についてのミュンヒャウ氏のFT記事。危機を嘆くだけでなく、一応具体策も記しています。

In my view, the smartest answer to the prospect of meltdown is the adoption of the euro as quickly as possible. There is no need to switch over tomorrow. All we need tomorrow is a credible and firm accession strategy – one for each country – which would include a firm membership date and a conversion rate, backed up by credible policies.

といった具合にユーロ圏の拡大を訴えています。そのために加盟条件を緩和せよと。ユーロ採用については政治的理由もあったりしてそう簡単に進まないような気がしますが、どうにもならなくなったらばあるいは雪崩を打ったようにユーロ・シールドの保護下に逃げ込む事態になり得るのかもしれません。

再追記

"Collapse in Eastern Europe? The rationale for a European Financial Stability" by Daniel Gros[VoxEU]

こちらは同様の問題を扱っていますが、金融危機を救うために欧州レベルのファンドを立ち上げろという提言をしています。

In this environment of continuing systemic stress on the banking system, the case-by-case approach at the national level must be abandoned in favour of an ambitious EU-wide approach. The EU should set up a massive European Financial Stability Fund (EFSF). Given the scale of the problem facing European banks, the fund would probably have to be of substantial scale, involving about 5% of EU GDP or around €500–700 billion.

で誰がファイナンスするのかという問題ですが、かわいそうなドイツ、ということになるのでしょうか。上の記事でローラン氏は批判してますが、そんな風に追い込んだのは誰なんですかねえと言いたくもなります。積極的に経済統合とユーロ推進の旗振りしていたのはドイツ自身だったりするのですけれどもね。

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抑止が効かなくなる時

"Impairing the European Union, Gibe by Gibe"[NYT]

欧州の内輪もめについてのNYTの記事。記事はフランス対チェコの図式を中心に描いています。「高校生の喧嘩」と評しています(笑 理念的な対立に加えて名誉感情上のぶつかり合いもあるようです。チェコはプライドの高い国として有名だったりしますからねえ。大国と小国、自由主義的経済と国家主義的経済、ユーロ圏と非ユーロ圏、西欧と中欧といった具合に複数の分割線が走っているが、経済危機がこれを悪化させている、保護主義と国家主義の声が強くなり、グローバル・プレイヤーとしての欧州というのも冗談みたいだと。フランスとチェコの最近の確執としてガザ侵攻の和平案をめぐる交渉でのサルコジ氏の独走の話や自動車産業への救済案を提出した際のチェコみたいな国から雇用を取り戻すのだ発言が挙げられています。また財政規律をめぐってフランスやイタリアとドイツやチェコが対立している点も書かれています。チェコの外相の発言が関心を惹きます。

“In a time of economic crisis, we see atavistic instincts emerging,” said the Czech foreign minister, Karel Schwarzenberg, describing the way that individual nations are responding to popular distress by patriotic and protectionist measures and statements and by playing down the unity of Europe.”

“I’m most afraid of the slogans of the 1930s” about the primacy of the nation, he said. “With these problems, people forget about European thinking, and it’s understandable but it’s damaging, very damaging to ignore Europe in a crisis, especially as the crisis grows.”

1930年代みたいに危機に直面した各国が愛国主義と保護主義に訴えて欧州の一致を犠牲にしていると。「隔世遺伝的な本能atavistic instincts」というのは面白い表現です。またフランスみたいに欧州の中央集権化を求める国が愛国主義に走るのは奇妙だとも語っています。記事はチェコの欧州担当大臣の発言を引用して小国の感情にも触れています。

France, Germany and Britain still dominate the European Union and want to continue to do so, said Alexandr Vondra, the Czech deputy prime minister for European affairs. “Occasionally they consult others,” he said, “but of course the people of small countries know this, and that’s why there is hesitation about the Lisbon Treaty,” which would create a permanent European president and foreign minister, and which the Irish have rejected and the Czechs have not yet ratified. “People fear more of this power management.”

優越的な地位を維持しようとする英仏独への反感がリスボン条約への躊躇の理由であると。まあ感情的には判るような気がしますが、こうやってぐずぐずしている場合ではないと思うのですけれどもね。フランスの欧州主義と愛国主義の矛盾は確かにその通りですが、この種の論理矛盾を意志と実用主義で乗り越えるのが政治家というものではないかとも思うのですね。必ずしもサルコ・ファンという訳でもないですし、保護主義は困ると本気で思うのですが、とりあえず提案と挑発を続けるよう期待しているところもあります。

"Japan's Decision for War in 1941: Some Enduring Lessons" by Dr. Jeffrey Record

地政学の奥山さんが紹介していた記事ですが、こうした認識が出てくるのはイラク戦への反省が背景にあるようです。論者のことはなにも知りませんが、戦略論の世界の人なんでしょう、道徳的、イデオロギー問題関心があまり前面に出て来ないためある種の清々しさを覚えます。正義や道義に関心のある人には物足りないかもしれません。要は日米戦争はどちらもやる気がなかったのに双方の判断ミスによって生じたという考えですね。歴史的観点から言って特に目新しい知見があるという訳ではありませんが、アメリカからこういう議論も出てくる時代なんだというある種の感慨はあります。それは必ずしも弱さではなく経験からのフィードバックが効きやすいアメリカという国の強さの証だとも思います。各論部分の分析は紹介し切れないのでパスして、6つの教訓の部分だけメモします。

(1)fear and honor, "rational" or not, can motivate as much as interest.

リアリストは利益計算による権力闘争として国際政治を説明するが、恐怖、イデオロギー、プライドといった要素を無視している。ツキディデスの言う「恐怖、名誉、利害」の前二者だ。石油禁輸措置の断行と代替的選択肢の不在が太平洋戦争を「不可避」にした。恐怖に怯える国家指導者は無軌道に行動する。911テロの後のブッシュ政権のように。名誉は日本の例だけでなく、英国のダンケルク後の開戦決定、フランスのインドシナとアルジェリア、南北戦争時の南軍の例もある。持たざる者はリソースを超えた行動をする。ヴェトナムのように。

(2)there is no substitute for knowledge of a potential adversary's history and culture

互いの文化に無知であったことは開戦にとって重要な要素であった。グルー駐日大使のような例外を別すれば日本については知っている者は米国にいなかった。日本には山本五十六のような知米派が存在したが、多くの指導者、とりわけ陸軍指導者は米国について無知であった。人種的偏見も両国に存在した。日系人を含めて人種差別の歴史を持つ米国では黄色い小さな人々に過ぎなかったし、人種的卓越性を信じる日本人は米国人は長期戦を戦うには物質主義的かつ個人主義に過ぎると考えた。日本はパールハーバーが米国世論に与える影響を理解していなかった。文化への無知は米国の外交政策を蝕み続けている。ヴェトナムとイラクへの無知は日本同様だった。ここで米国の自己過信が他の文化の尊重を妨げているというコリン・グレー氏の言葉を引用しています。

(3)deterrence lies in the mind of deterree, not the deterror

日本の南進に対してローズヴェルトはハワイへの艦隊の派遣、度重なる経済制裁、フィリピンでの軍備増強によって抑止しようとした。米国への勝利はあり得なかったためにこれが抑止になると考えられたのだ。東京が恥ずべき平和よりも負け戦を望んだことを知った時には遅すぎた。石油禁輸は日本には耐えられなかったのであり、従属よりも戦争を選択した。彼らは抑止されたのではなく挑発されたのだ。米国の軍事的卓越が戦争を急がせた。ミリタリーバランスが後戻り不能なまでに不利にシフトする前にできるだけ早く開戦しなければならなかったのだ。

(4)strategy must always inform and guide operations

日本には中国および東南アジアにおいて目標を達成する一貫した戦略がなかった。この戦略の不在は部分的に東アジアにおける野心と軍事的リソースの間のギャップに帰せられるし、また部分的には日本軍の戦争の戦術レベルへのフォーカスに帰せられる。日本は対米戦の戦略を持っていなかったし、いかに戦争を終結するのかの絵柄も描けなかった。初期の戦術的勝利が究極的な戦略的成功をもたらすということを信じていた、あるいは希望していただけだった。2003年のイラク侵攻、とりわけその戦後の計画の不在や兵力とイラク再建のミスマッチを想起させる。いかに古い体制を解体するかの軍事作戦しか考えておらず、後はイラク人は解放を喜ぶだろうといった希望的観測があったばかりだ。

(5)economic sanctioning can be tantamount to an act of war

1941年の石油禁輸は破滅的なものであり開戦を決定づけた。経済制裁が及ぼすダメージは国際貿易に依存する日本のような国にとっては軍事攻撃に匹敵し得る。戦争の代替策としての経済制裁という一般の見方は再検討が必要だ。

(6)the presumption of moral or spiritual superiority can fatally discount the consequences of an enemy's material superiority

卓越した意思が火力や技術で優位の米国を打ち負かすという考えは日本に限った話ではない。毛沢東は人民解放軍の士気が米国を朝鮮から追放すると信じたし、フセインやビン・ラディンはヴェトナム敗戦やレバノンの屈辱を見ていた。より強い敵に直面すると人種や戦略や戦術の卓越性への信仰が強いられることになる。非正規戦のみが強い敵に勝てるチャンスを与えるが、通常は正規戦を戦える能力を得る前に失敗に終わる。毛沢東は非正規戦を正規戦への移行と捉え、正規軍の卓越性を評価した。ヴェトナム共産軍がフランスに勝利したのは正規戦だった。

(7)"inevitable" war easily becomes a self-fulfilling prophecy

戦争は少なくとも一方がそう信じれば不可避のものとなる。日本は東南アジアの欧州の植民地のみを攻撃することで米国との戦争を回避できたが、そのチャンスをつぶした。パールハーバーとフィリピンへの攻撃がなければ、ローズヴェルトがアメリカの選挙民を戦争に賛成させるのは極めて困難、おそらく不可能であったろう。しかし1941年の夏の終わりには日本の指導者のほとんどが米国との戦争は不可避だと考えた。そして最も有利な戦術的な環境下でこれを開始すべく動き出すにつれてそれは不可避となった。不可避であるという仮定が先制攻撃を促し、これを命じすらする。予防戦争というものは不可避性と不利な戦略トレンドという仮定に基づく。ブッシュ政権はフセインとの戦争が不可避であり、核兵器を取得する前に開戦しなければならないと論じた。日本は抑止可能だと誤って考えたローズヴェルトと異なり、ブッシュは核を保有したフセインは抑止不能だと主張した。本当にそう考えていたのかどうかの証拠はないが、明白なのはこの予防戦争のコストが利益に比べて巨大であったことだ。この経験は対イラン戦略に生かされねばならない。

南部仏印進駐が決定的だった点については誰もが認めるところでしょうけれども、ローズヴェルトが日本の南進を経済制裁で抑止できると考えたのは誤りだった、むしろ戦争の引き金を引いてしまったという考えですね。勿論日本を戦争に引き込んだ式の謀略論はとっていません。もっとも論者が述べるようにそのまま南進したとしてもパールハーバーがなければ米国の介入がなかった可能性が高い訳ですから対米戦は「不可避」ではなかったということになるでしょうし、また経済制裁をくらっても実際にはいくらでも抜け道はあったでしょうからやはり「不可避」ではなかったということになるのでしょうね。あの思いつめ方はやはり「恐怖」と「名誉」の要素を無視しては理解不能ということになるのでしょう。

ひとつの論文にすべての論点を網羅することを期待する訳ではないですが、なにか言うとすれば、日本の意思決定プロセスでトップの部分のみに注目していて、海軍内部の派閥抗争や陸軍と陸軍との敵対関係やメディアに煽られて強硬になった世論の要素の分析が薄いところでしょうか。特に世論の動きはアメリカの方はあまり信じたくないかもしれませんが、民主主義国だった訳ですから重要でしょう。それから海洋での戦争の理解はともかく大陸の戦争の理解は怪しい感じがしました。こちらは道義性の問題が前面に出てしまってなかなか正確な像が描けていないのですから現状では仕方がない面があるのかもしれませんが、多分こちらのほうが中東政策にとっては教訓に満ちているように思いますがね。最後に二番目の教訓での主張に反して日本の文化と歴史の理解の届いていない部分があろうかとも思いました。実際にそういう戦時プロパガンダがあったのは事実ですから誤解されるのも無理からぬところがあると思うのですが、違和感のある部分がありましたね。前後から見てdetourと考えているようなので本質主義的な理解をしている訳ではないのでしょうけれども。まあ日本の論者のうちの理性的な部分とは対話可能な人ではないでしょうかね、といった感想を持ちました。

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投影について

ニュース斜め読みということで以下ただの記事のクリップです。

"M. Mélenchon veut fédérer un "front de gauche" unitaire"[Le Monde]

社会党を脱党し、「左翼党」を旗揚げしたばかりのジャン・リュック・メランション氏が「統一左翼戦線」を訴えかけているようです。反自由主義、反リスボン条約の左翼の結集ということですが、メランション氏によれば、支持層は14%ぐらいもある、ここが統一できれば社会党にも対抗できるということです。欧州議会選挙に向けてフランス共産党と選挙協力しつつブザンスノ氏の反資本主義新党にラブコールを送っているようですが、さて左翼戦線は出来るのでしょうか。反欧州連合を旗印に議会選挙を戦うのですかね。

"French government fears rise of left"[BBC]

左の左の台頭についてはこのブログでも何度か書いてきましたが、フランス政府がこの動きを警戒しているというBBCの記事です。現状では資本主義の失敗を宣告し、不平等の拡大に反対する、郊外の移民と左翼の連帯を訴えるといった主張内容で活動も平和的なものにとどまっているとされますが、この一部が暴力的な極左活動に転じる可能性が憂慮されているようです。その可能性はあるに5コペイカ賭けておきます。ネットを眺めていてもだいぶ不穏な空気になっていますね。

"Les Irlandais seraient prêt à dire "oui" au traité de Lisbonne"[Le Monde]

今アイルランドでリスボン条約の国民投票をしたならば、3分の2が賛成票を投じるだろうという調査結果が出たそうです。サンデー・ビジネス・ポスト紙の調査によると2009年に第二回の国民投票をしたならばどうするかという質問に対して、58%が賛成、28%が反対、14%がわからないとの回答結果になったということです。経済危機を受けて欧州連合に頼りたいという心理が高まっているようです。欧州統合にとってはピンチであると同時にチャンスな訳ですけれども、この危機を活かせるかどうかですね。

"Crise : la présidence tchèque de l’Union et la Commission aux abonnés absents"[Coulisses de Bruxelles]

欧州連合新議長国に関するカトルメール氏の辛い論評。この危機にあたってチェコはまったく欧州的なアジェンダを追求する気がなく、政治空白が生まれている。またバローゾ委員長にも頼れない。このリーダーシップの不在が自分のことは自分でやれ主義への回帰をもたらしている。昨年秋にフランス国家元首の主意主義によって採用された第一の銀行プランは不十分であることが明らかになったのに、あの時、「金融共産主義」を非難していたプラハは欧州的な行動を推し進める気がない。ジャン・クロード・ユンカーも大規模な第二の銀行プランは不必要だと言って行動を拒否しているし、欧州委員会もこの意見に同調している。フランスは欧州の自動車産業の保護プランを提出したが、市場への介入を嫌う欧州委員会もチェコもこれに続かない。エアバス救済に関しても同じだ。ニコラ・サルコジが主導した欧州の再生がいかに脆弱なものであったのかが判る。欧州懐疑派に交代した途端にまたこれだ。欧州委員会も機能しないし、欧州議会も9月まで声を出せない。2009年は欧州の白紙の年となる危険がある。以上、欧州連合の動きの鈍さにだいぶ苛立っています。

"Holocaust row cleric apologises"[BBC]

この間、このネタでエントリを書きかけて止めたのですが、カトリック教会のルフェーブリストとの和解に絡んだごたごたの続報です。ルフェーブリストというのは第二次ヴァチカン公会議以降の教会の現代化路線に反発して破門された保守派のルフェーブル大司教と彼が叙任した司教達のグループのことですが、現教皇がこの派の破門を解除して教会合同を目指したところ英国生まれのウィリアムソン司教がガス室はなかった発言をしてユダヤ教会を憤激させて大騒動になっているという話です。それでこの司教が教皇に対して謝罪した模様です。ただ不用意な発言で大変ご迷惑をおかけしまして申し訳ないという謝罪で、ガス室についての言及はなかったということです。狙った訳ではないのでしょうけれども、ここぞというタイミングでこの発言ですから。ガザとガスをめぐる騒ぎは今後も間歇的に続くのでしょうかね。

中国の(隠れた)足腰[王侯将相いずくんぞ種あらんや]

これには同感しました。実は私も新華社フランス語版はよく読んでいるのですが、どうして日本のメディアにはこれが出来ないのかと溜め息がでることあります。まあ新華社だからなというのはあるのですが、政治体制がどうこういう話ではなくて、情報というものに対する認識と感度が違うのでしょう、海外に情報発信だと意気込んでは自爆しがちな国との差を感じてしまいます。別にアラビア語版やスペイン語版や中国語版をつくれとは言いませんが、日本の新聞や通信社も英語版ぐらいもっと力を入れて欲しいです。日本だけでちまちまやっていても縮小するだけじゃないですか。

"Jun on Onishi"[Mutantfrog Travelogue]

Global Talk21の奥村さんによるNYTの大西記事の批判を受けてバーマン氏がポストしています。記事への批判は正確なものだとしつつも一般に大西氏に対する批判は少し過剰ではないかという疑問を呈しています。多くの批判は正確だが、「反日」というラベルは侮辱的だし不正確だ。特派員にバイアスがあるのもそれほど珍しいことでもないし、悪いばかりでもない。よくあるWackyJapanニュースよりはシリアスなテーマを扱っている。間違いがあったので批判された。それはいいことだ。しかし批判がどこまで公平なのか疑問は残る。タイムズのアフリカ特派員はアフリカ・ハンズからこれだけ批判されるだろうか。BBCのアメリカの文化や政治のニュースは正確なものもあるが、大西的な奇妙なものもある。間違いは訂正されるべきだし、批判も必要だ。ただ特定のリポーターの問題なのか制度全体の問題なのか考えてみよう、と。ごくまっとうな疑問だと思います。批判的であることと「反日」的であることとは違うというのは当然の話ですね。私自身の好みを言えば、クリストフ氏よりは大西氏のほうがまだましかなと思います。前者の無知と偽善と不誠実に満ちた記事には率直に言って吐き気がすることがあります。日本が好きかどうかとかそんなことはどうでもいい。中国報道でもけっこうひどいものがあります。大西氏のunderdogシリーズは主流社会へのルサンチマンが出ない限りはいい出来になる傾向があります。政治ネタはどうにもならないレベルだと思いますけれども。

多分大西氏に感情的に反発する日本人が多いのは日本の極左とあまり変わらない論調であることや間違いや誇張が多いということに加えて、時にひやりとするような「悪意」を感じることがある、また日本を肴に英語圏の読者に諂う「卑屈さ」みたいなものが時に感じられるからではないでしょうかね。なんとなく右サイドのヒルシ・アリ現象と似ているところもないではないですが、もっと屈折が著しいですね。韓国系の記者と比較してみてもより屈折の度合いは大きいと思います。以前書いたような気がしますが、北米の日系の一部に見られるアイデンティティー危機には私はわりと共感的なんですが、コメント欄でAcefaceさんが指摘されているように大西氏にはかの地のアイデンティティー・ポリティックスを東アジアおよび日本に投影している面があるようです。アジア系とか日系とか言ってもいろんな方がいるのでごく一部の話でしょうし、この方の経歴はよく知りませんし、興味もないのですが、記事から透けて見えます。リベラル対保守みたいな政治イデオロギーの話ではない。まあ私はこういうぐずぐずの転移の関係に入りたくないので報道の正確性と公正性の観点でしか評価したくないです。で、評価しないと。

それからBBCのアメリカ報道云々は世界の権力構造の非対称性に帰せられる話のように思えます。ブラジルやメキシコやトルコの日本報道に対してそこに居住する日本人コミュニティーを除けば日本で騒いだり抗議をしたりする人がいないのは権力が行使され得る文脈がそもそも欠如しているからという理由で説明できると思います。一般に旧植民地諸国は旧宗主国での報道に目を光らせる傾向があるように思いますが、そうでなくとも中国の反CNNのような過剰な反応があるのは端的に英語圏が情報の点で影響力が強いからでしょう。なお「日本人は人の目を気にする」みたいなステレオタイプは関係なくて要は英語圏だからだと思います。英米への憧憬と不信の歴史も背景にあるのでしょう。もっとも騒いでいるのは一部で日常に追われる日本国民のほとんどはこうした話にはさほど興味がないと思いますけれどもね。他人事みたいに書きましたが、こうした歴史的文脈の中に私も置かれているらしい事実にややうんざりすることもあると付け加えておきます。

ではでは。

追記

少し加筆しました。私には大西氏よりもクリストフ氏をめぐる諸問題のほうがアメリカにおける真のリベラルとは何かをめぐっては兆候的に思えます。まあ私はアメリカ流のリベラルじゃないので-日本と欧州の自由主義の伝統のほうがしっくりきます-個人的にはリベラルとはなにかみたいな話はどうでもいいのですが、アメリカ以外の世界にとってもけっこう重要な問題でしょうね。

再追記

氏のことを知らない人が読んで誤解するといけないのでフォローしておきます。別にクリストフ氏の活動を否定している訳ではないのです。有意義な仕事もなさっていると思いますし、意見が一致することもわりとあります。ただシニカルになっている訳ではないのですが、それでもどうにも気に入らない部分があるのですね。日本報道だけの話ではないです。難しいのでこの問題は私ももう少し考えてみたいと思います。

「破門を撤回」を「破門を解除」に直しました。日本語ソースにつられましたが、両者は違いますね。ついでにカトリックにもこのグループにもなんの義理もないのですが、「超保守派」というのは教義や典礼に関わる問題での立場で政治的な意味での極右とは一応別物だと注記しておきます。実際には近い御仁もいたりしてやっかいなようですし、左派メディアでは極右みたいな扱われ方をされていますが。

再々追記

”Holocaust Denier Is Ordered To Recant”[WaPo]

カトリック教会としてウィリアムソン司教の発言を支持しない旨公表した訳ですが、それでもおさまらず、とりわけドイツ政府の強い抗議を受けて司教が発言を明確に撤回するよう命令されたようです。この司教は同様の発言を繰り返してきた過去があるようです。教皇聖下のヒットラー・ユーゲントの件も蒸し返されたりとなんだかこのところカトリック教会はさんざんな展開です。私は個人的にはカトリックや正教はわりと好きなんですけれどもね。「わりと好き」という受け止め方が正しいのかどうかは判りませんが。

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西から東へ

愛用のマックは手術を受けている最中で、ありえないほど古臭いパソコンを使っているのですが、この驚異的な遅さにも徐々に慣れているのが恐ろしい話です。いいじゃん、スローなネットライフでもという気分になっています。読み込むのに十秒ぐらいかかり、テキスト以外ほとんど見られないのですが(笑。以下、記事のクリップをしておきます。

"And worse to come"[Economist]

エコノミストの欧州シリーズが非常に簡潔ですが、当地の雰囲気を伝えています。これはスペインの光景。サラゴサのストの掛け声から始まるこの記事ですが、壮大なバブル崩壊を経験した同国の失業率は政府予測では13%から16%、あるビジネススクールの予測では20%に達する模様です。記事ではエキスポの建設ブームに沸いたアラゴンの苦境が言及されていますが、特に移民と若年層の雇用の問題が深刻化しているとのこと。母国への帰国を促す政策については以前から報じられていましたが、これは機能していないとのことです。ブームの時期に大量に入った移民の子弟が学校からもドロップアウトして失業者化しているようです。社会問題化するでしょう。

"A time of troubles and protest"[Economist]

こちらはフランスの光景。パリ西部のプジョー工場のあるポワシーを覆う不安と沈鬱に同国の空気を代表させています。日本同様に短期雇用労働者の解雇が進んでいるのですが、同国の失業率は2010年には10%の大台に達することが予測されているようです。これが今後社会不安を高めることになるとして学生組合と労働組合の動きに注意を向けています。外国人向けにアナルコ・サンディカリスムの伝統を解説し、特にSUDの動向を報じています。ええ、確実にこの機を逃さないでしょう。また国際ニュースで騒がれるのではないでしょうか。で一般市民はわりと平気な顔をしていると。

"To the barricades"[Economist]

こちらは東欧全体を扱っていますが、中心になっているのはラトヴィアです。IMFの緊急融資を受けた同国ですが、リガでは暴動が発生した模様です。借金漬けの状態で金融がメルトダウンということで緊縮財政と増税しか手がないようです。IMFは通貨ラットの切り下げとユーロの採用を勧めているようですが、政治的に不可能な状況のようです。リトアニアも同様の苦境に置かれているようですが、エストニアはまだましとのこと。緊縮財政をとるか財政拡大をとるかの選択肢が残っているだけポーランドはましだが、借金漬けのハンガリーには選択肢はなし、と各国で状況に差異はありますが、東欧の多くの債務国で財政政策をとることはできず、通貨ペッグ制も不安定性と厳しい条件への適応負担をもたらしていると記事はまとめています。アジア通貨危機以前の東アジア諸国にも似たこの地域の発展モデルはこの危機の試練を乗り越えられるのでしょうかね。

欧州経済についてVoxeuの記事が関心を引いたので紹介しておきます。

"The looming divide within Europe" by Zsolt Darvas and Jean Pisani-Ferry[Voxeu]

こちらは欧州内部の非対称性を扱った記事です。スムーズな経済統合をすると思われた欧州連合新加盟国の脆弱性が露呈している。ユーロのシェルター効果の利益を享受する国とそうでない国とに欧州は分裂している。ユーロ圏の危機管理は中東欧地域では金融機関とユーロ圏諸国の利害に偏向し、地域の状況を悪化させていると非難されている。逆にユーロ圏のオブザーバーは非ユーロ圏諸国の政策対応を不適切であるとみなしている。それは確かだが、ユーロ圏で採用された政策がこの非対称性に貢献しているのもまた事実だ。西側が採用した非協調的な預金保護と非対称的な流動性、クレジット管理がチャンネルとなっている。実際、新加盟国の地元の銀行のユーロへのアクセスは制限されている。最後にこのたびの危機は欧州連合レベルの監視システムの不在を明らかにしてしまった。一方のみを非難すべきではないのだが、政治的対立には理由がある。ユーロ圏への加盟がこうした問題の解決策であると考える者もいるし、欧州連合はキャッチアップ経済の国々に不適切な基準を設けていると非難されている。ユーロ圏加盟交渉の迅速化には理由がある。しかしチェコとスロヴァキア経済が示すように、ユーロ圏メンバーであることは安定の鍵とは必ずしも言えないし、新興経済に低すぎる実質金利を課すことは避けるべきだという意見は有効だ。以下、具体的な政策提言をしていきますが、ここは省略します。双方の非難には理由があるが、ユーロ圏は自分達の政策が非ユーロ圏に影響を与えていることを認めて、オープンに議論し、共通の結論が導かれるようにしないといけない。さもないと欧州内部の新しい分断が生み出されることになるという結論ですね。

"Was the euro a mistake?" by Barry Eichengreen[Voxeu]

軍靴の響きではないですが、リラ復活!リラ復活!の響きが私の耳には聞こえているのですけれども、アイケングリーン教授のこの記事はこの問題について扱っています。現実問題としてユーロ圏の加盟は後戻り不可能であり、そこからの離脱は深刻な金融危機をもたらすために不可能な選択だ。しかしそもそもユーロは間違いだったのか。批判派は非対称ショックを根拠にしている。非対称的ショックが債務国を襲った時には政府は財政政策を展開する能力がない。国家間での再分配メカニズムがない以上は唯一の選択はデフレと失業のみだと。我々が目撃しているものの一部は明らかに非対称的な金融ショックだ。債務を抱えるギリシアや、住宅バブルの崩壊したアイルランドやスペインの苦境がそうだ。しかし時間が経つにつれてネガティブな経済ショックが全ユーロ圏に及んでいることも明らかになりつつある。程度は違うにしても全メンバーが同様の経済的苦境に立たされている。このショックは対称的なのだ。つまり共通の金融政策が適当であることを意味しているのだ。ECBに対してゼロ金利、量的緩和を求める圧力がかかっていくだろう。今や不況とデフレはユーロ圏全体に及んでいるので財政刺激についても合意できるはずだ。ドイツのような予算に余裕のある国がこれを行えば、債務国の手助けにもなるだろう。無論これは政策担当者が正しく行動することが前提になっている。ECBはインフレへの固執を捨てて、ゼロ金利、量的緩和策を採用しなければならなくなり、ドイツは赤字フォビアを捨て、財政刺激策を採用しなければならないだろう。ロスする時間はない。2008年は非対称的な金融ショックの年だったが、2009年は対称的経済ショックの年だ。政策担当者は行動しなければならない、とのことです。政策担当者が合理的に行動できるかどうかですが、うーむ、という感じがしますね。離脱組の出現は確かに現実問題としては可能性は低いのでしょうが、内輪もめしている間にずるずるという図が浮かんでしまいます。うるさい政治家が揃っていますからねえ。また政策的には教授の提言の通りなのですしょうが、いくつかの国を除くとそれで救済できるほど甘い状況ではないように見えてしまいますね。いえ、勿論分かった上でよりましな未来のための提言をなされているのでしょうけれども。教授の大恐慌の説明に従えば金本位制からの離脱とユーロとの固定相場制からの離脱が重なってしまうのですが・・・どうも昔からユーロに懐疑的なこともあって私の見方にはバイアスがあるかもしれませんね。

ではでは。

おまけ

"Japan's outcasts still wait for acceptance"[NYT]

"Discrimination claims die hard in Japan"[Japan Times]

"Breaking the silence on Burakumin"[Japan Times]

なぜだかよく判りませんが、先週ぐらいから英語圏が部落問題で騒ぎ始めていますね。なぜ今なんでしょう。アイヌの次ということなんですかね。オバマ大統領就任記念の大西記者のNYTの記事は涙を誘うほど貧弱な出来でしたが、今度はジャパン・タイムズの番みたいです。ちなみに大西氏の記事についてはGlobalTalk21の奥村さんが批評されています(コレコレコレ)。これに便乗したジャパン・タイムズの記事は記事の前半と後半が言っているところが矛盾しているところが奇妙です。前半のコピペ部分と後半のインタビュー部分ですね。裏事情は知りませんが、野中氏の凋落とこの問題を結びつけるのはそもそも無理があるように思います。政治改革の進展とともに野中氏的な政治手法がダーティーとみなされていくプロセスを眺めていて当時その政治的な「進歩」を寿ぎつつも滅びゆく者達へのいくばくかの愛惜の念を抱いたものでした。ムネオ先生もそうですね。個人的には任侠的なものとか浪花節的なものとか-なんと呼んだらいいのかよく判りませんが-はそれほど嫌いではないので。

で、もう一本のジャパン・タイムズの記事はこれらの惨めな記事に比べればだいぶ文脈に敏感に思えますが、英語圏を含めて各方面から批判された国連のあの報告を錦の旗のごとく用いている部分にはやや溜め息がでます。いえ、差別が存在しないなどと言いたい訳ではありません。そうではなくてそもそも多文化主義的なアジェンダとなじむ問題なのかどうか少し疑問に思うのです。人種やエスニシティ-に基づく差別とはやや違うという点でやや違う戦術がとられるべきなんじゃないでしょうかね。私には中長期的にはいい方向に向かっているように思えるのですけれども、楽観的に過ぎるのでしょうか。なお確かにネットのヘイトスピーチは問題だと思いますが、記事の主張とは違って一昔前では考えられないほどタブーは解けてきていると思います。ちなみに私はこの問題が存在しない場所に生まれ育ったせいか、その後いろいろ学んだ訳ですけれども、いまだにforeignな話に感じられてしまいます。知識としては理解しているつもりでも実感としてはよく判らないなということです。

追記

"Economic Crisis Fuels Unrest in E. Europe"[WaPo]

ラトヴィア情勢のより詳しいリポートです。これを読む限りでは政権の動揺はあっても根本的なイデオロギー的混乱にはなりそうにないですね。同国にとってはロシア系の問題や無国籍者の問題が大きいと言われますが、ここに引火しなければいいです。

再追記

EUの南端が崩れる時 南北格差が生む亀裂、ユーロ離脱の動きも?[JBPRESS/FT]

ユーロに関するFTの記事の邦訳。ギリシアは文化的に欧州ではないという感覚があるんですよね。トルコとあんまり変わらないと。この辺の感じが判るようで判らないところです。それでやはりイタリアが鍵になりそうですね。

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チェコのロマ

私は別にチェコ語が出来る訳でもなくカフカとチャペックがかなり好きでプラハの町に強く惹かれ・・・といった程度の関心がある日本国民の一人に過ぎないのでこの国についてなにか意味のある事を書く訳にはいかないのですが、このたびの経済危機の東欧社会に与える影響という点で気になる記事があったので紹介しておきます。ここまでチェコ発のそれほどひどい話は聞こえてこなかったのですが、やはり外国人とりわけロマの排斥の動きが出始めているようです。リトビノフで起こった襲撃事件に関する短信はAFPで一ヶ月ほど前に報じられていましたが、以下はクリエ・アンテルナショナルの仏訳記事の日本語訳です。元ソースは憲章77のジャーナリスト達が創刊したとされるレスペクトというチェコの有名なインディペンデントな週刊誌(チェコ語)です。チェコにおけるロマに対する差別や襲撃そのものは昨日今日の話ではなく根深い問題とされますが、このたびの経済の悪化がこれに深刻な影響を与える危惧があるのでしょう、歴史を想起して強い警鐘を鳴らしています。左右の全体主義の両者を経験した国ならではの論調かと思います。もっとも既に安定した政治体制の基盤が整備されていてこの危機でそれが覆るような事態はちょっと想像し難いのですが、ともかく社会の不安定化が賢明に回避されることを願います。

極端主義に無力な政府

共産主義崩壊から20年、極端主義がこれほど強力だったことはない、とチェコの週刊誌が報じる。

チェコ社会はまずまず上手く発展しているが、それでも1918年のチェコスロバキアの誕生以来これまでこの社会は極端主義というものを真に理解できたことはない。こうしてチェコ人は11月17日に北部の町リトビノフでロマに対する極右の大規模なデモをある種の無関心とともに眺めたのであった(このデモは500人を集め、警察との乱闘を引き起こした)。チェコ人はこのデモを首都から離れた孤立的、地域的な現象であるかのように眺めた。これは明日と同様に今日も在る誤りといったものではない。国家が介入しない限り、なにも動かないだろう。我々の歴史のいくつかの決定的な瞬間が明らかにするのは、恐怖の中にあって想像できない故に差し迫った危機を認めることのある種の否認である。こうしてもはや戦争はないだろうと言って多くのチェコの知識人が1920年代には軍創設の無益を訴えたのだ。そしてドイツのエリートはヒットラーの登場を信じなかった。1989年11月の「ビロード革命」の後に共産党を禁止しなかったと言ってヴァーツラフ・ハヴェルは非難された。彼は他の者達と同様に共産党と選挙で戦う必要性を信じていたのだ。チェコの政治的偶像であるトマーシュ・G・マサリクは最初の共和国の際に民主主義を尊重してチェコスロヴァキア内のドイツのナショナリスト・グループの解散を拒否することで同様の誤りを犯した。国家が反応した時には既に遅かったのだ。チェコスロヴァキアのナチと同様に共産主義者は自分達の機会をうかがい、それを見つけたのだ。今日でもこの両極端はなお存在しており、生命力を失っていない。リトビノフのロマ人街の襲撃の後に、チェコのネオナチは以下のことを確証できたのだ。第一に自らの問題に追われて満足していたこうしたいくつかの街区の住民の一部が初めて公然と自分達の側に味方した。第二にメディアは常に自分達に関心を持っている。第三に標的である「問題のジプシー達」の存在が住民にショックを与えることなくうっぷんを晴らさせることを自分達に許した。最後に彼らはシステムが自分達をどう扱うべきか知らないことを発見したのだ。誰も彼らを守っている政党(労働者党)を解散せず、コミューンはデモを禁止できず、警察は証拠不十分で彼らを逮捕できなかった。

チェコ共和国では危機を原因とする工場閉鎖の後に路上に投げ出されたロマないし外国人のゲットーが拡大し続けている。フラストレーションは大きく、これがネオナチの言動に有利な腐植土を形成している。今日、国が危機に瀕していることは誰もが認めるのに、誰も出口戦略を提案できない。ここに困難があり、10年以上も政治階級は極端主義者の問題に対して将来性のある有効な解決策を引き出せなかった。

我々はなお原則的な糾弾とジプシー達のための短期的な援助の段階にいる。リトビノフで児童公園を新しくしたり、マイノリティーを担当する何人目かの責任者を雇ったりすることで問題を解決できると信じることは実際のところ絶望的である。政府は国全体の同様の状況に対して共通の解決策を引き出すために内務大臣、法務大臣、人権大臣からなる危機内閣を創設すべきだったのだ。とりわけ政府はネオナチが恐怖と暴力を広めるのを止め、ロマに対する真の政策に着手すべきだったのだ。

おまけ
"European left is sidelined by contradictions" by GUY SORMAN[Japan Times]
「嘘の帝国」という現代中国本でけっこう話題になっていたギ・ソルマン氏がJTに寄稿しています。欧州の左派がいかに時代に取り残されているのか、社会主義者のアイデンティティー喪失、それから最近の極左主義の台頭について論じています。ギリシアの騒乱を枕に、欧州を亡霊が徘徊している、カオスと言う名の亡霊が、と締めくくっています。そんな感じですね、ギリシアのことはよく判らないのですけれども。

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宿命ですか

"The 'Honne-Tatemae' Dimension in Japan's Foreign Aid Policy Overseas Development Aid Allocations in Southeast Asia"
読んでいて頭が痛くなりました。たぶん善意の人達なんでしょう。批判はいいんですよ、でもこの論文のなにが憂鬱にさせるかというとタイトルからも判るように外国人受けしそうな「文化的説明」を恥ずかしげもなく披露している点です。「本音と建前」論の誕生が実は最近のことらしい(それ以前は言葉の意味も違ったらしい)という「歴史的事実」を知らないようですね。といいますか参考文献にアンチ日本人論やメタ日本人論を挙げているのになんでベタな日本人論を展開しているのか意味不明です。それからずいぶんと理想化しているようですが、諸外国の援助の実態を知らないのでしょうかねえ。日本に必要なのは自己満足を止めて厳密な成果の評価と戦略的視点を導入することだと思います。なお私は「文化的説明」は好みませんが、援助をめぐる戦略性の乏しさという点ではいわゆる「お大尽」志向のほうがイメージ的には説得的なような気がしますね。まあ見直されるべき時期だという点には同意しますけれどもね。

"The Anxiety of Influence: Ambivalent Relations Between Japan's 'Mingei' and Britain's 'Arts and Crafts' Movements"
民芸運動とイギリスのアーツ・アンド・クラフツ運動の影響関係に関する考察。産業主義への反発から英国で生まれたモリスやラスキンらの伝統工芸の復興運動が柳宗悦の民芸運動に与えた影響についての入り組んだ関係を解き明かそうとしています。モリスやラスキンの著書はすぐに翻訳され知識人の世界ではブームとなった訳ですが、柳は民芸運動を日本オリジナルな運動と称して影響関係を認めなかったとされます。論者はこのアンビヴァレンツに西洋コンプレックスとナショナリズムの結合を読み取っています。また柳による朝鮮の民芸の美の発見の眼差しには帝国日本の他者に対するオリエンタリズムがあったとしています(「オリエンタル・オリエンタリズム」)。一方で英国では自己の文化的優越性を維持すべく日本の工芸を「野蛮」視するという冷ややかな態度が一般的であった点を指摘することを忘れていません。最後に西欧への劣等コンプレックスを抱くアメリカにおいては日本の工芸は欧州の工芸に匹敵するものと絶賛されたのことです。西欧コンプレックスを媒介に日米が結ばれるわけですね。いささか図式的な感じもしますが、イメージとしては判らなくもありません。

ただこの論文では近代日本の美的階層秩序の中における民芸が占める位置への言及が乏しいような気がしました。近代日本では「美術」制度は非常に不安定な状態だったわけで近代英国におけるモリスの占める位置とはやはり違うわけですから。またロシアの影響に言及しないのもどうかと思うのですがね。民芸運動というのはトルストイ主義や白樺派運動とリンクしているわけですよね。大正時代の日本帝国をめぐるジオカルチャラルな構図を描くのだとしたら、最大の仮想敵国である一方で知識層が非常に親近感を抱いていたやはり西欧への劣等コンプレックスに苦しむ大国ロシアへの言及は省くべきではないように思いました。あれがないこれがないというのはあまり上等な意見ではないのでしょうけれどもいわゆる大正生命主義に多少興味があるので柳宗悦のもう少しややこしい位置づけをおさえて欲しかったのです。

"Yosano rejects increased public spending"[FT]
"Japanese stimulus will fail, warns minister"[FT]
"Japan shuns role as leader of recovery"[FT]
与謝野氏がFTのインタビューでなにか評論家風の発言をしています。政治家としてこういう場面で正直に持論を展開するのは止めていただきたいのですが、与謝野氏になにを言っても無駄なのかもしれません。政策余地は少ないができることはしていきたいぐらいのことを言えばいいのに、ここで日本はなにもしないぞ宣言を高らかにされてもね。いや、そんなに大規模な財政政策を期待しているわけではないのですが、ここまで頑固だとは思わなかったです。私も見る目が甘かったようですね。ふう。ところで関連記事が3本もあるのはなぜでしょう。財務省からのクレームでもついたのでしょうか。どれも似たような記事に見えますけれども。「宿命論」というのは言い得て妙ですね。意図はともあれこれだと単にもう駄目だとしか聞こえないのですよね。

"German complacency poses a serious threat"[FT]
ミュンヒャウ氏のドイツについての論評。ドイツの欧州協調の拒絶が深刻な脅威となるという内容ですが、ドイツが意固地になっている理由として、ドイツの経済「構造主義者」の癖のある思考(改革はすべてうまくいっている)、歴史的にこうしたスランプに対応する能力のなさ(メルケルは大恐慌時のハインリヒ・ブリューニングと同じ)、最後にメルケルとサルコジの強烈な敵対感情の3つを挙げています。ドイツ経済の沈没もあきらかであり、またドイツがこの路線に固執する限り、欧州レベルでの適切な対応は不可能だ。アメリカの景気刺激策は大規模に過ぎ、欧州の財政刺激策は小規模に過ぎる。ECBの金融政策は限定的な効果しか持たない。最後は例のごとく

The dual problem in the eurozone, and in Germany in particular, is the conviction that all economic policy is structural and that the creation of a single currency is irrelevant to economic policy. The fallacy of those convictions will be demonstrated shortly – at crippling cost.

と暗い見通しを示しています。ところで“We can only hope that the measures taken by other countries ... will help our export economy.”に日本の本音と似たものを感じてしまったのは私だけではないでしょう。

おまけ
"De latrinis Japonorum"[Ephemeris]
エフェメリスで日本の便所のニュースが報じられています。世界に冠たる我が邦のハイテク便所でありますが、ラテン語で関連記事を読むことになるとは思いませんでした。俳句が引用されていますね。

"Fert mihi sola mea in vita latrina calorem."

人生で暖かみを与えてくれるのは我が便所だけだといった意味です。ラテン語になるとなにか違った響きがありますね。ポンペイの壁に遺された古代人の落書きみたいです。

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ともかく景気刺激が始動するようですね

Plan de relance européen : "La France travaille, l'Allemagne réfléchit"[Le Point]
ル・ポワンの記事。景気刺激策をめぐる独仏の確執が続いています。月曜にサルコジ氏がメルケル氏をエリゼに迎えたのですが、欧州レベルの景気刺激計画への参加を渋るドイツの説得は(予想通り)うまくいかなかったようです。欧州レベルの景気刺激策の件ですが、「フランスが動き、ドイツは内省する」というサルコジ氏の弁が事態を要約しています。ドイツは健全な財政なので11月4日に発表されたターゲットを絞った措置に加えて財政政策を行う余地があるのに、メルケル氏はこれまで渋り続けているといった具合に記事は不満そうな書きぶりですが、いったい誰が財政規律ゆるゆるの国の肩代わりを喜んでするというのでしょうかね。しかし両国は「協調」と「他の措置をとる必要性」で一致した模様です。次に自動車産業については両国は一致して救済にあたるとのことです。サルコジ氏によれば、アメリカのビッグ3救済のようなものではなく、ターゲットを絞った財政支援であり、競争ルールに反したり、保護主義に訴えるのではなくイノヴェーション、研究開発の支援だということです。最後に付加価値税(消費税)減税については独仏ともに英国には追随しないと。メルケル氏はこれは両国にふさわしくないといい、サルコジ氏は物価下落の中で付加価値税減税の必要性はあるのかと述べています。氏が自分が語っている言葉の意味を判っているかどうか不明ですが、ともかく独仏の確執は今後も続く模様ですね。なお共同声明はフィガロのこの記事で読めます。

"La France prépare un plan de relance de 19 milliards d'euros, selon Lagarde"[Le Monde]
フランスの景気刺激策ですが、火曜にラガルド財務相がGDPの1%にあたる190億ユーロ規模のものになることを公表しています。その詳細はまだ明らかではありません。このGDPの1%という額ですが、欧州委員会が欧州レベルの景気刺激として提案した数字—27カ国で1兆3000億ユーロ—に相当しているようです。委員会は最大2年間「協調して」財政政策をとるよう勧告しているとのことです。2年後には一斉に財政の不均衡の是正に取り組みましょうと。なおカトルメール氏は既に各国で公表されていた計画に共同体の名前を与えているという意味でwindow-dressingと呼んでいますが、ニコラ・ヴェルノン氏も語るように開放経済で有効な財政政策をするにはこうやって協調する以外にないでしょうね。なおラ・トリビュヌによく寄稿しているヴェルノン氏が欧州レベルの協調景気刺激策を提案しているPDFはここでDLできますね。グラフも多く、また英語ですので関心のある方におすすめしておきます。

おまけ
"Levelling the lingerie playing field"[Guardian]
サンにはサンの道がある、ガーディアンさん、あなたなにをやっているのですか。水産関係ネタへの粘着には飽きたのですかね。こんなのはJ-blogに任せておきなさいな。私は少なくとも英国ネタでは貴紙のことはそれなりに尊重しているんですから、是非ともこちらを唸らすような批判記事を書いてもらいたいんですよ。どうも批判も冗談も薄っぺらでつまらんです。つ・ま・ら・ん・で・す。

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独仏の不和

"A quand l'Union économique?"[Vues d'Europe]
アフリカ政策を担当するアンリ・ゲノーについては前に書きましたが、欧州問題担当閣外大臣であるジャン・ピエール・ジュイエはサルコジ政権の欧州政策全般を担うキーマンです。外相のベルナール・クシュネル同様に社会党出身の左翼ですね。日本で今、左翼と言うと、反国家的なイメージになりますが、この典型的なエリートは「左のゴーリスト」、つまり国家主義者とされています(左翼というものの正統的なあり方なんですけれども)。この政権の欧州政策の中心人物のブログは正直退屈なのですが、この「経済連合はいつ?」というエントリでは2009年の欧州連合の暗い経済見通しについて語っています。曰く、委員会報告によれば、欧州連合は金融危機に対して米国に比べても抵抗できず、景気の回復も2010年まで不確実なままにとどまる。フランス大統領の後押しで委員会は金融危機への対応に比肩し得る経済危機に対応した共通戦略の策定を試みたが、この提案はきわめて大胆さを欠いたもので景気後退の時期に有効な手段となっていない。欧州連合が低成長(ケインズ的不況)の文脈で経済戦略を見直せないリスクは大きい。2009年には米国との比較は再び衝撃的なものになるだろう。景気後退はまたしてもユーログループ内部での経済政策の協調メカニズムの不在と各国の行動の余地の乏しさを明らかにしている。ECBのみが現在真に有効な共同の機関である。委員会の報告は家計の借金に基づいた経済の「奇跡」(アイルランド、スペイン、イギリス)と欧州中核国経済の相対的な抵抗の時代の終焉を画している云々。ということで経済危機に対する欧州協調の弱さへの苛立ちとをまたアメリカに負けるのかという屈辱感を静かな筆致で漂わせるエントリでした。

ここで氏が不十分としている経済危機への共通戦略ですが、サルコジ氏が提案した欧州レベルでの景気刺激政策案がまたしても却下されて国別対応になったという経緯があります。英語の記事だと
"EU Rules Out Joint Stimulus, Backs Coordinated Action"[Bloomberg]
がいいでしょうか。ラガルド財務相も諦めないと述べている通り、共和国大統領は今後も提案魔として動き続けるでしょう。

"Crise financière: mésentente franco-allemande?"[Coulisses du Bruxelles]
リベラシオンのジャン・カトルメール氏のブログの独仏の不和についてのエントリです。今回の危機への対応をめぐる独仏の不和にはたびたび言及していきましたが、まとめ的な内容ですね。後半でユンカーがたいした違いはないのだと強弁していますが、明らかに両国には利害の対立があります。以前紹介したミュンヒャウ氏が述べていた通り、危機が深刻化すればフランスに有利な展開になるでしょうね。私はドイツが貧乏クジを引く光景はあまり見たくはないのですが。以下概要で正確な訳ではありません。

銀行、経済危機に直面して独仏は明らかに波長が合っていない。衝撃の波が欧州連合を襲って以来、ベルリンはパリが展開する行動主義を拒絶している。パリの10月5日のG8の欧州4カ国サミットの際の共同行動計画の拒否の後、ベルリンは金融ツナミの規模に驚いて、一週間後の10月12日のフランスの首都でのユーロ圏の首脳サミットの際に圧倒され、強いられてこれに賛成したに過ぎなかった。その後もベルリンは景気後退に対応するのに国別対応を好んで欧州レベルの景気刺激案を拒否する側にまわっている。10月15日、16日の欧州評議会の際にもベルリンはフランスあるいはオーストリアが提案したような「失業率上昇を防ぐための実体経済のためのパッケージ」の採用をブロックした。この時、「欧州の金融危機に協調対応ができたのだから、欧州の経済危機にも協調対応をすべきではないのか」とニコラ・サルコジは問うている。

フランスが設立を求めているユーロ圏の「経済政府」もドイツは同様に拒否している。10月22日にストラスブールでフランスの国家元首は「ユーログループの真の経済政府、それは首脳レベルが集まるユーログループのことだ」と説明した。「いつから欧州は前例なきこの金融危機に協調した対応をできたのだろうか。いつ我々はユーログループの首脳全体を集結したのだろうか。これは危機における画期だった」と。ベルリンは即座にこうした機関を制度化するのは問題にならないと告げた。(ベルリンにとって)ユーログループというのはルクセンブルクの首相にして財務相のジャン・クロード・ユンカーの権威の下に集まるユーロ圏の財務相達のことなのだ。

パリでは苛立ちが感じられる。その後はあからさまに英国カードを切っている。首相のゴードン・ブラウンは必要な共同的な協調をより受け入れるように見える。要するに現在の危機はその規模によって欧州をリシャッフルしたのだ。

ベルリンが当初より過小評価していたように思える経済情勢の深刻さを前にしてのドイツの不信は理解し難い。ドイツ首相のアンゲラ・メルケルが完全に麻痺し、古い図式にとらわれていたかのように物事は展開している。ベルリンにとってはECBの独立を脅かすものとみなされる「経済政府」を押し付けるためにパリは明らかに状況を利用しようとしている。しかしベルリンは独立とは対話の不在を意味しないことを示して政治権威との完全な協調を受け入れた。同様にベルリンは他国、とりわけフランスのために支出しなければならなくなることを怖れている。ベルリンが苦労して財政の均衡を回復したのに、蝉という評判に忠実にヘキサゴンは赤字と負債を拡大(2010年にはGDPの70%)させた。

しばしばパリとベルリンの間の仲介者を演じるジャン・クロード・ユンカーはユーログループに関してドイツを支持した。「首脳レベルでのユーログループを制度化してもあまり有用でない」。同じく「私はフランス人が全面的な景気刺激案と呼ぶものにもドイツ人が言うような景気プログラムにも賛成ではない」。

ルクセンブルク首相はいわゆる独仏の不一致を「際立たせる」必要がないと評価した。「ドイツ人が好まない言葉である「経済政府」の例のようにライン川の両岸で同じ意味を持たない言葉は使用すべきではない」。彼にとってはドイツとフランスは実際には波長が合っている。「必要な情勢の時に開催されるユーログループのサミットに反対する者はいない」。景気刺激の考えについては「1970年代スタイルのケインズ型の景気刺激策」を避けることが彼によれば重要だ。「これはかつて実行したのだが、赤字と負債を減らすのでなければ無意味だ」。彼によれば「人口の最も影響を受ける層と自動車業界のような特定の経済セクターのために目標の絞った措置が必要だ。そういうわけで本日ドイツ人は今後2年間の新車への税の免除を公表する予定だ。各国が他国と協調して予算の余地を用いる必要がある」。「私はニコラ・サルコジと会談したが、二つの点で完全に合意した」とユンカーは主張する。パリとベルリンの軋轢というのは言葉の問題に過ぎないのだろうか。

おまけ
同じブログですが、欧州議会でユンカーが自己批判した模様です。この危機が欧州を脅かすと当初は考えていなかったと。どう考えても欧州の方が悲惨になるに決まっていたのになぜか自画自賛していたのだから仕方がないです。また銀行の無謀な投資に関しても「アングロサクソン型資本主義」批判は全部自分にはねかえってしまいます。ともかく目前の景気後退への対応に集中すべきではないでしょうかね。

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欧州大統領への道

株価と円がすごいことになっていますが、この傾向は当面は続くのでしょうね。確かに政府は機敏に動いてはいますが、目的と手段が対応していないように見えるのは私が素人すぎるからなんでしょうか。また相変わらずの日銀の腰の重さはどうしたことなのでしょう。いや別に利下げじゃなくともいいんですよ。いろいろやれそうじゃないですか。この際、涼しい顔で世界経済にすべての責任を転嫁してひそかに方針転換したらいいんじゃないでしょうかね。そう、これは撤退ではなくて転進です。政界からもマスコミからもたいして非難されないでしょう。うるさいのは経済系ブログぐらいです。まあ素人の囀ですからこれは無視してくださいね。

"Why the market has been down on the Euro and European banks"[Marginal Revolution]
kitaryunosukeさんが訳されている(いつもご苦労様です)アンブローズ氏の記事に対するコーエン氏のコメント。

By the way, this is further evidence that the driving force behind the earlier boom was the global savings glut, and sheer giddiness, not the excessively loose monetary policy of Greenspan's Fed. The ECB has pursued a relatively tight monetary policy since its origin. It also will be interesting to see what trouble arises in Spain, since Spanish banking regulation has been considered a model of how to keep these problems under control.

ここで出てくるglobal savings glut(グローバルな過剰貯蓄)というのはバーナンキ氏が語っていた話ですよね。FEDとECBの金融政策を相対的に比べるとそうも言えるのかなという気もしてきますが・・・、これはグリーンスパンを戦犯視する世間を賑わす話とは対立する意見ですよね。どう考えたらいいのかよく判りませんが(ここではFed擁護の意図はないでしょう)、認知的不協和を与える意見は尊重するという格率に従ってここにメモしておきます。ところでアンブローズ氏の記事ですが、読んでいて寒気がしてきます。でも誇張じゃなくて本当にやばそうです。レバレッジ投資の本場はアメリカではなく欧州だったことがはっきりしてしまいましたね。私が観察しているイタリアのいくつかの銀行ですが、株価が順調に下がっているようですね。ふう。

"The other part of the bailout: Pricing and evaluating the US and UK loan guarantees" by Viral Acharya and Raghu Sundaram[VoxEU]
英米の銀行救済プランの比較をしている記事です。bail outプランの本格的な分析ってあまり見た事がなかったのですが、これは議論のたたき台になるのかもしれません。この論者によるならば、なかなか優劣はつけ難いが、もし危機が深刻化した場合にはイギリスのプランのほうがパニックをひき起すだろうとしています。ゴードン・ブラウン氏が今は英雄みたいになっていますが、さてどうなるのでしょうかね。

"Sarkozy’s ways put EU peers on edge"[FT]
サルコジ外交が周囲に怨恨の種を蒔いていることについては前に紹介したエコノミストの記事でも触れていましたが、これも同様に周囲を振り回し続ける大統領についての記事ですね。

So, in the space of a few days, Mr Sarkozy offended Prague and Luxembourg, worried London and once again angered the Germans. In most countries they would be regarded as embarrassing diplomatic blunders. But that is Mr Sarkozy’s way of doing business.

“[Some people say to me], ‘you move too fast’. That’s true for those who don’t want to move,” Mr Sarkozy said.

ということでサルコジ氏は無反省のようです。この人が反省などするわけもないですがね。

"Prague accuse Sarkozy de vouloir "siphonner sa présidence" de l'UE"[Le Point]
上の記事の引用部分でプラハを怒らしたとありますが、これはサルコジ氏が「欧州大統領」(そういう役職はないですが)としての役割を一年延長しようと動いていることに対してです。順番から言うと半期交代で欧州連合の議長国は次はチェコに回ることに決定しています。それで前にも書きましたが、このチェコのクラウス大統領は有名なユーロ懐疑派であります。こんな時期にリスボン条約にも気候変動案にも強硬に反対しているユーロ懐疑派を議長にしていいんですかねというのは私みたいな人間でも思うところです(この人の環境保護主義は新手の共産主義だ発言は表現を穏当化すれば半分ぐらい賛成なんですけども)。またその次はスウェーデンでしてここはユーロ圏外なんですよねえ。なんという使えない枠組みなんでしょう。サルコジ氏がさかんに揺さぶっているのも判るというものです。この記事によれば、欧州連合の議長とは無関係に危機への対応の会合が開かれていると嘆くクラウス氏ですが、フランス、ドイツ、イギリス、イタリアの四カ国は1938年にチェコスロヴァキアの一部への侵略を許したミュンヘン協定を結んだ国だと非難したとされます。さらにこのユーロ懐疑派は欧州議長職は重要なものだとは思わないと明言しています。ふう。この人ではなにも決まらないですよね。

"Sarkozy’s attempted EU coup fails – for now" by Wolfgang Munchau[FT]
ミュンヒャウ氏のサルコジ氏の「クーデター」についての論評。この人は好意的なんですよね。彼の「欧州大統領」(president of Europe)の一年延長案や「経済政府」の提案はチェコやドイツの反対で失敗に終わったように見えるが、最終的にはこれは実現するだろうと6つの根拠から予測しています。第一に欧州経済の景気後退は明らかで米国の新大統領は景気刺激策を用意して欧州に圧力をかけると予想される。第二にマネーマーケットの保証の提供の失敗の是正が必要である。第三に現在の銀行の資本増強プランはユーロ圏レベルの協定で改訂される必要がある。第四にユーログループの指導力のなさ。第五にドイツの反対は孤立しつつある。スペイン、イタリアは賛成であり、東欧の危機が深刻化すれば、オーストリア、スロヴェニア、スロヴァキアがユーロ圏の連帯を求めるだろう。第六にリスボン条約の不確定性。チェコのクラウス氏が議長になった場合には、欧州連合のリーダー達はこの条約の外で危機に対応するほかなくなる。ドイツは反対し続けるだろうが、サルコジ氏はメルケル氏を追いつめるだろう。現在のサルコジ氏はフランス大統領に過ぎないが、危機が深刻化するならば、彼のクーデターは成功するだろう。

私は何度か書いたようにユーロ懐疑派的なんですが、今回の危機にはどう見ても欧州レべルの対応が必要ですし、これを機にあるいは欧州も実効的な枠組みに成長できるのかもしれないという気もしています。リスボン条約のような大仰なばかりの法的枠組みとは別のもっと実効的な枠組みからですね。さてサルコジ氏はどこまでこの危機を最大限に利用できるのでしょうかね。ところでフランスのSWFについての経済学者のまともな論評がでていないようなのはどうしたことなんでしょうね。放置というやつですか。そうですか。チャベス氏が素敵なコメントをしていましたね。ようこそ社会主義クラブへと。

おまけ
"Shopping in Taiwan's hypermarkets"[BBC]
BBCのネット版のタブロイド化傾向については識者の間で指摘されているところでありますが、兆候的ですのでここでメモしておきます。この記事、見出しが"Go, go gadgets"、リード文が"The wacky world of Taipei technology"といかにもアクセス稼ぎをねらったような仕掛けになっています。そう、"wacky"と"weird"、この二つは英語圏のギーク層において我が国を指すのにほぼ独占的に使用されてきた形容詞ではありませんか。さて今後英語圏でwacky Taiwanキャンペーンが始まるのでしょうか。今時BBCに幻想を抱いているのはどこかの島国の公共放送の職員ぐらいしかいないという話も聞きますが(面白い番組はありますけどね)、こういうネタはGizmodoやPink Tentaclesに任せて少しは真面目に報道したらどうですかと言いたくなる自分もいたりします。まあいいですけどね、少なくとも政治社会ネタではいい加減な報道は止めていただきたいものです。

追記
"Yen is caught in carry-trade turmoil"[FT]
例のFTの記事はこれですね。政策提言は以下。

Given the current pressure on the yen, additional measures may be needed. Japan could print yen and use them to buy foreign currencies, putting a floor under the yen and preventing deflation. While this would slow a correction of global imbalances, highly disruptive jumps in currencies due to speculative flows are the greater of two evils.

円を刷って外貨を買えと。複数の通貨(ドル以外もということですよね)に対する円売り介入。いろいろ勘ぐりたくなるところですが、今の局面ではこれもなかなか悪くないアイディアに見えます。確かにFTは円キャリーについては早くから警告していましたが、正直に言ってなんだか蜃気楼みたいな話に感じていました。

コーエン氏のエントリに関して、当初は「FEDの緩和策」「ECBの引き締め策」としていたのですが、これは相対的な話で誤解を与える表現でしたので書き直しました(ご指摘ありがとうございます)。

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提唱王

"IMF Probes Chief Over Tie to Worker"[WSJ]
IMF総裁のドミニク・ストロス・カーン(DSKと略す)氏が部下との不適切な関係で調査されている模様です。おそらくはフランス人の誰一人として驚かなかったこのニュースですが(そういうやつであることはみなが知っている)、なにもこんな時期といいますか、あるいはこんな時期だからなのでしょうか。盛んに陰謀論が囁かれていますね。規制論者で知られるDSK対WSJが代表するところの勢力との闘争という図式で。またこんな話はパリでは日の目を見ることはないだろうといった政治家の私生活に関する比較文化論的解説も出回っています。ピューリタン!といういつものやつです。まあ私はコメントしないでおきます。ブランシャール先生はなにをやっているのかなとかIMFの役割は今後はどうなるんでしょうかというのは気になりますけれどもね。

"La victoire de l'Europe"[Le Figaro]
先日の緊急首脳会合での欧州協調路線を主導し、それが米国の政策にも影響を与えたということですっかり気をよくしているサルコジ氏が、カナダ、アメリカで吹かしているようです。ル・フィガロが連日サルコジ万歳、欧州万歳記事を掲載しているのが微笑ましいのですが、米国に影響を与えたことが(米国にimposerしたのだと強調されています)そんなに嬉しいですか。逆にどれほど心理的に依存しているのかを示しているようでもあり、どこか切ないものもあります。あるいはこれから本格的な不況の波が欧州を襲うことについてしばし忘れたいということなのかもしれません。

"Des sommets internationaux contre la crise financière"[Le Point]
「未来の資本主義」とか「ブレトン・ウッズ」とか威勢のいいことを語っていますが、もはや任期切れを待っているブッシュ氏相手になにか実質的なことが決められるわけもなく、今回の訪問は今後の展開をにらんだ政治的パフォーマンス以上の意味はなさそうです。複数のサミットが開催される予定とのことですので今後は熾烈な外交戦になるのでしょう。ところでル・ポワンの記事の一節を引くと

フランス大統領が「未来の資本主義」の建設を望むのに対してジョージ・ブッシュは「民主的な資本主義(つまり現状の資本主義)の基盤を維持することが肝要だ」と繰り返した。土曜にはハーパー首相の報道官によれば「国際金融システムに永続的な損傷」を与えない慎重さをカナダも同様に訴えた。

といった具合のようですからそもそも噛み合っていないようです。今後しばらくは欧州が規制と監督を叫び、その他の国々はこれを横目でにらんで慎重に対応するという構図になるのでしょうか。FTはこの動きを牽制していますね。ともあれ今はいかに目前の危機に対処するのかという段階で経済新秩序について派手なパフォーマンスをする段階ではなさそうな気がします。これはこの「ハイパー大統領」の持ち味なのですけれども。確かにあの当初の混乱ぶりから政治の力で欧州協調の流れを実現できたのはたいしたものだとは思いますが、最近の欧州というかフランスは少し浮かれてはいませんかね。大変なのはこれからだと思うんですよ。辛過ぎますか。

"Nicolas Sarkozy veut un gouvernement économique pour la zone euro"[Le Monde]
キャンプ・デイビッドで「未来の資本主義」について語った大統領は、ストラスブールの欧州議会ではユーロ圏の「経済政府」の樹立を訴えております。一部引用すると、

「明確に定義された経済政府なくしてユーロ圏の存続はあり得ない」とストラスブールの欧州議会で彼は主張した。現在ユーロ圏の唯一の連邦組織たる欧州中央銀行が「独立すべきである」としても、欧州中央銀行は「経済政府と討議できるというのでなければならない」と論じた。

記事によるとバローゾはECBの独立の観点から距離をとったとされます。さらにサルコジは中国に出向いて資本主義の立て直しの枠組みにアジア諸国を参加させるべく説得すると宣言している模様です。欧州中央銀行とサルコジの因縁の対立を想起するならばこの「経済政府」の主張に警戒する人は多いでしょうし、果たしてドイツはこの提案に乗るのでしょうか。ベルルスコーニは賛成しそうです。アイディアそのものはそれなりに理に適っているとは思いますがね。また北京に来てこちらも引っ掻き回す予定らしいですので、日本も警戒したほうがいいのかもしれません。ともかく矢継ぎ早に提案を繰り出して手数を増やし続けるサルコジです。壮大かつ曖昧な構想を提唱することにかけてはこの人の右に出る人はそうはいないでしょう。構想倒れのパターンもあるのですが、やはり侮れないんですよね、この行動主義者は。

"This toxic crisis needs more than one shot" by Wolfgang Munchau[FT]
ミュンヒャウ氏の論説。以下訳ではありません。この金融危機がトキシックなのは実体経済への多くのフィードバック・ループがあるからであり、先週の救済プランのような一撃的な解決策は思われているほど有効ではない。第一に住宅市場。米国の住宅市場は既に20%下落したが、今後さらに10%から15%下落するだろう。これはまた価格と賃料、価格と所得の比率を長期的な均衡へともたらすかもしれない。しかしこうしたトレンドが続くと想定する理由はない。不動産市場はさらに乱高下しそうだ。これは住宅価格の下落したイギリス、スペイン、アイルランドにも当てはまる。第二にクレジットカードだ。クレジット・クランチの際にこれは多くの家計にとって自由に融通のきく最後のクレジットである。ここ数週間カードとカード・ローンのCDSスプレッドが拡大している。クレジットカードの証券化された市場はサブプライムモーゲージ市場と同じぐらい大きい。景気後退が進めば、クレジットカード・デフォルトも上昇し、証券化されたクレジットカード商品が大打撃を受けるだろう。第三に企業倒産と支払いデフォルトだ。アメりカは長期にわたる残酷な景気後退に突入したが、企業倒産の上昇は確実だ。不明瞭なのはデフォルト・レートが10パーセント以上に上昇するかどうかだ。こうならない理由が私には判らない。CDS市場がリーマン・ブラザーズの没落に、さらに二桁のデフォルト・レートの本格的な景気後退に耐えられるかどうかは不明瞭だ。第四に株式とクレジット商品の評価だ。現在の評価がそのままであるならば、時価会計ルールの一時的免除はほとんど意味がない。どんな会計的トリックを弄しても多くの金融機関が実際には支払い能力がない事実から目を逸らすことはできないだろう。ヘッジファンド危機や新興市場のメルトダウンのような他にも悪化するかもしれない要素がある。アイスランドに続いて危機は今や他の国々を襲っているところだ。また国際的な海運の混乱が始まり、もはや信用状の受け取りもあまねくなされていないと言う。

こうした一連の危機を前にして最善の政策的対応とは何だろうか。第一に実体経済とクレジット市場の間の多数の相互作用に鑑みるに、賢明な対応は金融の安定と経済成長の両者に向けられなければならないだろう。先週のEUの指導者達がなしたようにきわめて寛容な金融救済パッケージを通す一方で財政刺激のロジックを拒むようでは有効でないし公正でもない。有効でないというのは不必要なまでに深刻な景気後退は金融制度の健全さに否定的な影響を与えるからであり、公正でないというのは現在のアプローチは低所得者から高所得者へのリソースの大規模な移転に相当するからだ。またこのパッケージにはインバランスがある。全銀行システムの資本増強の可能性を提示しているものもあるが、そんな仕事は一国の能力を超えているのだ。イギリスが8行に限定しているのは正しかった。完全に欠けているのは銀行間貸付市場の明瞭な保証だ。ユーロ圏では多くのローンやモーゲージがEuribor(ユーロ銀行間取引金利)のようなマネーマーケットの金利と結びつけられている。中央銀行の利下げは歓迎されようがマネーマーケットが機能しない限りは不十分な効果しかない。欧州諸政府が銀行間貸付保証の提供に失敗した最もありそうな理由は銀行間貸付はユーロ圏の市場なのだから国家レベルではこれは有効になされなかったというものだ。これは悪い理由づけだ。こうした大規模な流動性の注入は奇跡的に市場を再活性化するだろうとECBは論じている。私にはそうは思えない。マネーマーケットの金利が先週やや低下したのは事実だが、トレーディングはほとんどなかった。現在、銀行は必要な流動性をECBから得ているが、中央銀行にファンドを一時的に預け入れている状態でマネーマーケットにまだ貸し付けてはいないのだ。こうしたインバランスは是正されなくてはならない。的の絞られた資本増強、マネーマーケットの保証、消費を維持するための刺激策、所得の再分配といったものが包括的な戦略の一部として必要とされている。先週のパッケージは差し迫ったメルトダウンを防いだかもしれない。しかしこれは通常のセカンド・ベストな政策対応で静められるような危機ではないのだ。

以上、4つのポイントから実体経済への影響に警鐘をならしています。また先日の銀行救済プランでは不十分であるとして、資本増強のターゲットをもっと絞れ、銀行間取引の保証をしっかりしろ、財政刺激も必要だとかいった提言をしています。首脳会合では否定されましたが、金融政策のみならず財政政策も実行すべきだという声はあちらこちらから聞こえてきますね。多分もっと追い込まれないと政治的にそれはなさそうな気がします。

ではでは。

おまけ
いわゆるchild abductionの問題をとりあげる際の英語圏の報道の不公平性については以前から批判的でした。ここでは法的議論には踏み込みませんが(私自身は柔軟な立場です)、私が気になったのはコーカソイドの元夫の意見のみを一方的に報じるその姿勢です。日本人の元妻の完全なる沈黙と対照的な元夫たちの雄弁ぶり—ああなんというわかりやすい構図でしょう—に見られるあからさまな権力関係には辟易とさせられるわけですね。この問題で一方の声だけを提示するというのはやはり不公平でしょう。この点に関してJapan Timesが"I 'abducted' my daughters"という記事でアメリカ人女性の意見を掲載しています。せっかく日本にいるんだから本当は足を使って日本人の元妻の声も取材して拾って欲しいんですが(難しい部分もあるでしょうけれども)、この意見を掲載した姿勢は評価しておきます。さらに各国の事例について調査した上で記事は書かれるべきでしょう。要はプロパガンダではなく問題を分析し、検証する記事を書くべきだということです。

なお北朝鮮の拉致問題での日本政府の対応を攻撃するために、あるいは単に日本をクサしたいがために、このabductionという語以外になんら関連性のない話—工作員に拉致されて国家機関によってスパイ養成されたとでもいうんでしょうか—を利用する恥知らずさん達には徹底的な軽蔑を捧げます(そういう論調があるのですね。勿論外交政策の批判そのものは構いませんよ)。

追記
サルコジ氏今度は欧州ソヴリン・ファンドの提案もしていますね。まあ次から次へと提案します。それから別に転向などしておらず、最初からこういう方だったと記憶しています。「アングロサクソン的」というレッテルの空疎さがだんだんはっきりしてきているだけだと思います。

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カダフィの高笑い?

欧州各国が金融機関の救済に動く中にあってさっぱり音沙汰のない中核国があります。そう、イタリアです。欧州第三の経済を誇るこの国の動きの鈍さはなにを意味しているのでしょうか。便りのないのはよい便りということでみなさん元気にやっておられるということなんでしょうか。それだといいのですが。

残念ながらイタリア語ができないために他国のソースに頼るしかないのですが(英字面のある新聞は読んでいますが、日本の新聞の英字面にも似てあまり面白くないですね)、最近のかの国のニュースと言えば、ファシスト絡みばかりでして、おいおい、どうなっているんだと心配したくもなるのですが、確かに移民関係でそれはまずいだろうというニュースもけっこうあるのですが、無論「ファシズムの復活」とやらを真に受けるほど当方ナイーブではないですので他国のメディアのフォーカスの偏りの向こう側でなにが起こっているのかもどかしい思いで眺めているわけですね。いや、歌ったり踊ったりしているんでしょうけれどもね。

"Italy's Economy On The Ropes (Again)"
まずビギナー向けにRGEmonitorでマクロ経済動向の判りやすい記事がありましたのでリンクしておきます。ちょっと辛目の記述ですが、近年のかの国の経済の綱渡りぶりが判ると思います。経済構造が基本的に違うので日本に関連づけてなにか言うのは難しいのですが、労働人口の減少問題などはあまり他人事とは思えません。がんばれ、イタリアですね。日本もですけれどもね。

Italian Economy Watch経由ですが、今回の金融危機にあたっての欧州各国の動きをまとめているGlobal Insightの記述によれば、

Italy
In a deviation from the measures seen in France and Germany, Italy has not created a fund for its rescue plan, with Finance Minister Giulio Tremonti stating that, "As of today, we estimate that it's not necessary to have a predetermined figure." The package of measures announced includes a Treasury guarantee for new bonds issued by banks until 31 December 2009 and valid for five years. The guarantee will be supplied at market prices and requires the approval of the Bank of Italy. Italy, Europe's third-largest economy, has also lowered the minimum collateral guarantee required of banks seeking a loan from the central bank to 500,000 euro, which should provide banks with capital until the bottlenecks in inter-bank lending are loosened. The Bank of Italy will also engage in a 40-billion-euro debt swap, taking on inferior bank debt for government bonds that can then be used to obtain financing from the ECB. The debt swap is due to begin on 16 October and to last for one month. Italy is in stark contrast to other European nations by providing no firm capital commitments; however, the government's reluctance to create a rescue fund could partly be a reflection of the restraints imposed by its substantial public debt, which stood at 104% of GDP in 2007.

といった具合でして他の国々とは対照的に金融機関救済の具体的な動きが見えないのですね。ベルルスコーニやトレモンティーのそれらしき発言はあるのですが。この記事ではその理由を104%に達した公的債務の制約の反映なのだろうとしています。そうなんでしょうかね。

それでイタリア第二の銀行たるウニクレディットに関する悪い噂は随分前から聞き及んでおり、ひそかにおそれおののいていたのですが、意外なニュースが入ってきました。政府がぐずぐずとやっているうちに、救済の手がかつての植民地たるリビアから伸びているそうです。これはオラなんだかわくわくしてきたぞという展開ですね。

"Libyan stake in UniCredit worries Rome"[FT]
短信なので全文引用します。

Investors from Libya have begun building a stake in UniCredit after announcing Thursday they had a 4.23% stake in the embattled Italian bank. The move was welcomed by UniCredit, but could raise hackles in the Italian government. The Libyan Investment Authority, one of three Libyan investors who announced the investment, is also considering taking a stake in Telecom Italia, the telecoms provider. Alongside the LIA, the central bank of Libya and Libyan Foreign Bank said they had built the UniCredit stake by buying shares in the stock market but did not give further detail. UniCredit’s share price has plummeted in recent weeks amid the global financial crisis, sparking worries about its cross-border European businesses. The shares fell 13% to €2.16. Two weeks ago UniCredit announced it was raising €6.6bn in additional tier one capital to reassure investors. Earlier this week, Rome said it would not allow any Italian bank to fail in the global banking crisis and unveiled a package of measures to help the sector. But it stopped short of offering to put public money into the banks.

ということですね。これでリビア資本がウニクレディットの第二の株主になったそうです。この記事によれば、銀行は歓迎しているが、イタリア政府は懸念しているようです。リビア人は誇らしい気持ちでありましょうし、カダフィもテントで高笑いしているのではないでしょうかね。フォーブスのロイター記事にもう少し踏み込んだ記述がありました。

"Libya to raise UniCredit stake to 5 pct-Libya cbank chief"[Forbes.com]
Libya will continue buying UniCredit shares until its stake in the Italian bank reaches 5 percent, Libyan Central Bank Governor Farhat Omar Bin Guidara said in a newspaper interview published on Saturday.

'At this time, we are the second (biggest) shareholder. And we want to stay as such. Today we have 4.23 percent of the shares. We will continue to buy until we reach a total of 5 percent,' he told Italian daily Il Messaggero.

'And let it be clear, our actions are specifically economic and financial, there are no political considerations.'

Former colony Libya has taken a 4.23 percent in Italy's second-biggest bank and promised to give as much as 500 million euros ($673.5 million) to its planned capital increase, which was announced in a policy U-turn on Oct. 5.

Any investment of more than 5 percent in an Italian bank needs the approval of the Bank of Italy.

これは投資であって政治目的ではないのだと主張しています。イタリア銀行の同意の必要な5%ラインまで買い進めるつもりのようです。少し前にイタリアが植民地主義の謝罪をしたニュースがありましたが、これと関連づけているような記事も見受けられますが、そんなに麗しい話なんでしょうかね。不謹慎ながらここでイタリア政府が規制したりしたらさらに楽しい展開になりそうですが、どうなるのでしょうね。ベルルスコーニ政権による外国資本による買収に対する規制強化の動きが伝えられているところですが。いえ、悪い冗談ですけどね。

これもItalian Economy Watch経由ですが、ウニクレディットについての基本情報がロイターにありましたので貼付けておきます。

-- UniCredit is one of Europe's top 10 banks by market value, with a capitalisation of about $39 billion. It is second to Intesa Sanpaolo SpA (ISP.MI: Quote, Profile, Research, Stock Buzz) among Italian banks.

-- In a U-turn on Oct. 5 it announced plans to boost capital by 6.6 billion euros. It will ask investors for 3 billion euros in a capital increase and offer shares rather than a cash payout on 2008 results, putting 3.6 billion euros instead in its own coffers.

-- UniCredit on the same day boosted its target for Core Tier I to 6.7 percent at the end of 2008 based on Basel II requirements from its previous aim of 6.2 percent. The figure was 5.7 percent at the end of June.

-- It also slashed earnings per share forecasts for this year to 39 euro cents from around 52 euro cents previously.

-- It is the Italian bank with the most foreign exposure. UniCredit gets about half its revenue from outside Italy and its conservative lending market.

-- UniCredit, whose units include Germany's HVB, is among market leaders in Germany and Austria.

-- UniCredit's share price has dropped about 62 percent since the start of the year, pushing it second to Intesa Sanpaolo among Italian banks. The DJ Stoxx European banks index has lost about 52 percent.

-- First-half net profit was 2.9 billion euros on operating income of 14 billion euros. Deposits from customers and debt securities totalled 639.8 billion euros.

-- The bank traces its origins back to 15th century Bologna. The current UniCredit resulted from the merger of nine of Italy's biggest banks in 1998, as well as the purchase of HVB in 2005 and Italy's Capitalia last year.

-- The biggest shareholder is the Fondazione Cassa di Risparmio di Verona Vicenza Belluno e Ancona, at 5 percent.

-- Libya now comes second with its combined 4.23 percent, followed by:

Fondazione Cassa di Risparmio di Torino with 3.83 percent

Carimonte Holding with 3.35 percent

Gruppo Allianz with 2.37 percent

Fondi Barclays Global Investors UK Holdings Ltd with 2.01 percent.

そんなわけでウニ関連でまた展開がありましたら紹介するかもしれません。どうでもいい話ですが、今日の昼飯は駄目なイタリアンでした。私は別にグルメな人ではないですし、出されたものは米粒ひとつ残さない、自然と農民への感謝の心は忘れない、食べ物を粗末にするようなバラエティーには抗議する、という古風な道徳を年齢に似合わずに頑迷に保守しているのですが(主義主張というよりも身に付いた因習なのですが)、ちょっとこれはないだろうと言いたくなりました。文句を言わずに全部食べましたけれどもね。ワインで全部ごまかして。店名は出しませんが、ここで非難しておきます。

追記
なお例のリストランテは日本人経営の店で認証された店ではなかったと思います。イタリア人読者がいらしたら気を悪くされないように。そう言えば、スシ・ポリス騒動というのもありましたね。あの空騒ぎはワシントン・ポストのデマまがいの記事からでしたよねえ。農水省の役人だったかも愚かな発言をして火に油を注いでいましたけれどもね。ちなみにパリの偽ジャポに関するフランス・メディアの論調は大分違っていました。食い物に関するシリアスさというのは国によって違うわけです。戦後の農政に関しては辛い評価をしていますし、食育の話なんかも知るかと思っているのですが(これってたぶんフランスからの輸入概念ですよね)、アングロサクソンども(笑)につべこべ言われたくはないという国粋的感情もないこともなかったりします。まあ、冗談ですけれどもね。マクドナルドでも感謝して残さずに食べます。

おまけ
いつの間にかTokyo confidential閉鎖中(笑)のJapan Timesですが、「右翼大臣中川昭一の日章旗問題」の続報が出ていますね。私はここになんの問題も見出せないのですけれども、記者さんもなかなかがんばっているようです。半分ぐらいの省庁のブリーフィング・ルームで既に日章旗を掲げているんですよね。いったいなんの旗を掲げればあなたは満足するというのでしょうか。揶揄ではなく真面目に言いますね。批判的論調は結構です、ただ建設的な批判を目指してください、こういうつまらない硬直的な批判主義は身を滅ぼすだけです、また単純な反動を生み、望まない結果を生むだけなんですよ。知っていますよね、フランスの国歌侮辱の際のサッカー・ゲーム中止の話は。あれはですね、象徴に対する瑣末主義的な批判政治がめぐりめぐってあんなことになっているという話だったりするんですよ。ナショナリズムを煽っているのは誰だという話なんですけれどもね。まあこんなこと言っても判らないのでしょうけれども。

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ここまではよい、しかし

ごたごたと内輪もめに興じていたユーロ圏ですが、進捗がありましたね。

ユーロ圏15カ国、金融危機に「共同行動計画」 銀行間取引を保証[日経]

金融危機への対応を協議するユーロ圏15カ国による緊急首脳会合は12日夜(日本時間13日未明)、「共同行動計画」を採択して閉幕した。銀行間取引への政府保証、金融機関への資本注入、欧州中央銀行(ECB)による一段の流動性供給などが柱。欧州各国は今回盛り込んだ政策手段を組み合わせ、金融システムの安定確保に全力を挙げる。

独仏伊などのユーロ圏主要国は今回の計画に沿った個別の危機対応策の詳細を13日に公表し、実施を急ぐ。先に包括策を決めた英国に続き、欧州では「共通の政策パッケージから各国が最適な手段を選び実施する」(メルケル独首相)態勢が整う。欧州は年内の緊急サミット(主要国首脳会議)開催などを含め、日米に危機対応を急ぐよう働きかけを強める。

12日にパリで開催された緊急首脳会合でユーロ圏15カ国の「共同基本計画」が採択されました。内容は記事にあるように銀行間取引への政府保証、金融機関への資本注入、欧州中央銀行による流動性供給などが柱となっているようです。詳細はまだよく判らないです。実際に行動するのは各国政府なわけですけれども、まあなんとか協調の枠組みを設定できてこれで格好がついたわけですね。

以下日本語ソースで各国の動きを扱ったものをリンクしておきます
スペインも銀行に資本注入へ 首相「必要あればいつでも実施[日経]
ドイツ政府、4700億ユーロの公的資金投入へ[AFP]
英大手銀3行、最大6兆円の公的資金投入を申請[産経]

"Europe acts to rescue banks" by Bertrand Benoit[FT]
この記事が欧州各国の動きをまとめています。上の記事と重なる部分が多いですが、緊急首脳会合を受けてドイツが4700億ユーロ、フランスが3400億ユーロ、イギリスが3700億ポンド、スペインは1000億ユーロの公的資金を注入するプランを公表しています。またノルウェーが554億ユーロ、ポルトガルが200億ユーロといった具合に各国の金融機関救済策が続々と公表されていますね。なかなか壮観です。

"Sarkozy calms the crisis" by Charles Bremner[Times]
このたびのサミットの件でサルコジの主導性を称える記事です。

it would be uncharitable not to give Sarkozy credit for the way that he has banged heads together -- albeit a week after his first attempt -- as the current chairman of the European Union. Sarkozy is often criticised for making splashy announcements and failing to follow through, but this time, he seems to have managed. This was an example of le volontarisme -- getting hard things done by sheer force of will, a skill in which Sarko prides himself.

という風にサルコジの主意主義(volontarisme)の成果であるとされています。関係ないですが、主意主義は主知主義(intellectualisme)と対に用いられる概念で哲学的にはいろいろと議論があるわけですが、現実の政治的文脈では「現実を意志の力に従わせんとする態度」ぐらいの意味でよく用いられます。政治家の徳です。

At the cost of bad feeling between them, Sarkozy brought Merkel into a joint operation which she had refused only a week earlier on the grounds that each EU state should clean up its own mess. The Chancellor had been extremely reluctant to offer a blanket guarantee to all banks. For their part, the Germans did their own bit of arm-twisting, persuading the reluctant French to go along with the British idea of guaranteeing loans between banks.

この首脳会合の舞台裏ですが、サルコジが提案した全欧州の預金保護案をドイツは一度蹴ったわけですが、イギリスの銀行間取引の保証案をフランスに飲ませる形で取引をしたとされます。ユーロ圏の共同行動計画ですが、実際には圏外にいるイギリスの果たした役割が大きかったとされます。

We are in strange times when a British Prime Minister comes to Paris to counsel the single currency bloc on the merits of nationalising banks and intervening in the markets. Brown's UK rescue plan served as the model for the euro-zone action. The former British finance minister, politically discredited at home, has emerged in European eyes as something of an inspiration in troubled times.

というようにこの首脳会合に出席していたブラウン首相の救済プランがモデルになったとされています。イギリスではえらく不人気なこの首相がこの困難な時期にインスピレーションを与える存在として欧州人の目に映ったとTimesは書いています。

"Gordon Does Good" by Paul Krugman[NYT]
いやあ、ゴードンはなかなかやりやがると述べているのは本年度のノーベル賞経済学賞を受賞されたクルーグマン氏です。ロンドンは確かに金融の重要な中心ではあるが、イギリス経済はアメリカに比べたらはるかに小さく、イングランド銀行はFedやECBに比べたらわずかな影響力しかもたない。したがってイギリスが主導権を握るのを見ようとは期待していなかったはずだ。しかしイギリス政府は金融危機について明晰に思考し、その結論に従って急速に行動している。この明晰と果断においては他の西洋諸国で比肩する政府はないと。引用しておきますか。アメリカがごちゃごちゃやっている間に、

Meanwhile, the British government went straight to the heart of the problem — and moved to address it with stunning speed. On Wednesday, Mr. Brown’s officials announced a plan for major equity injections into British banks, backed up by guarantees on bank debt that should get lending among banks, a crucial part of the financial mechanism, running again. And the first major commitment of funds will come on Monday — five days after the plan’s announcement.

At a special European summit meeting on Sunday, the major economies of continental Europe in effect declared themselves ready to follow Britain’s lead, injecting hundreds of billions of dollars into banks while guaranteeing their debts. And whaddya know, Mr. Paulson — after arguably wasting several precious weeks — has also reversed course, and now plans to buy equity stakes rather than bad mortgage securities (although he still seems to be moving with painful slowness).

といった具合でして、あちらの島国はさすがでございますね。小さくとも知恵と行動力がある。銀行間取引の保証で大西洋の彼方にも影響力を及ぼしたわけですから。サルコジもゴードンに全部持っていかれてしまった感じですね。

"Brown offers Europe a lesson in leadership" by Wolfgang Münchau[FT]
ここで紹介したミュンヒャウ氏の記事は二本目ですかね。アイルランド絡みでよく目にしていたのですが、かなり早い時期から危機の到来を警告されていました。最近はFTに寄稿されていますね。G7には失望したが、欧州の緊急首脳会合にはbetter feelingを抱いたそうです。ただこれは全欧州プランではなく国別プランであり、国境を越えた問題に対処できるのかどうかは不透明だとしています。また本当にこれで十分なのかと前に紹介した記事と同様の疑問を呈しています。巨大金融機関を救えるのかと。

But even assuming that national responses are perfectly co-ordinated – which they are not – the question remains whether that is sufficient or whether higher-level type co-ordination at the IMF and the EU/eurozone level would be preferable or necessary. Would the German scheme pass the Deutsche Bank test? In other words, would it be able to deal with the hypothetical failure of the country’s largest bank? I am not sure it would. The existence of too-large-to-save banks is one of the reasons why a purely national approach cannot be effective, and why it would be preferable to establish a fund at the level of the eurozone. Burden sharing is not merely a desirable act of solidarity. More importantly, it is needed for any such scheme to be credible.

ここで私の念頭にまず浮かぶのはイタリアのウニクレディットですが、他にもいくらでも危険なところはあるでしょう。この方は却下されたサルコジ・プランを支持していたわけですが、ここでも国別ではなく全ユーロ的なファンドが必要だとしています。また銀行間取引を再活性化させたいならば欧州連合やユーロ圏レベルで動かないといけないといい、ドイツの銀行がオランダの銀行から金を借り、ドイツの銀行が破綻したらどうするのだ、誰が国家保証のシステム下で支払うのか、と判りやすい疑問を呈しています。ようやく政府が動きだし、アドホックではなくシステマティックな反応をするようになっているのはいいニュースだが、「システミックなメルトダウンの瀬戸際」にはこれで十分なのかといい、大西洋の両岸の指導者の協調を説いています。欧州にとっては協調の失敗による金融メルトダウンはユーロの未来に影響を及ぼすことになるぞと警告しています。また上の記事と同じくゴードン・ブラウンが政治的リーダーシップなるものについて欧州人にレッスンを与えたとしています。最期は引用しておきます。

But there are still many dangers ahead. The market for credit default swaps may explode at any time. A severe recession could trigger a sharp rise in defaults with reverberations in credit markets and banks. And if we squander money rescuing the wrong banks, which we have done in parts of Europe, we may not have enough leeway to launch an effective stimulus programme. At best we may have succeeded in calming the markets for a week. But we have not solved this crisis yet.

最初の動きとしてはあの混乱からよく立ち直ったと思いますけれども、そう、まだまだ始まったばかりなわけですね。そしてこれは西欧の協調であり、例えばIMFの救援決定のハンガリーは対象にならないわけです。あちらこちらから火が吹きそうですね。

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まだ民主主義は損なわれていない

えーと、私は別にJT叩き屋になるつもりはないんですね。バイアスのかかった不正確な記事やしょうもない誤誘導記事ばかりだけでなく興味を引く記事だって掲載されることがあるわけです。日本と関係のないイアン・ブルマ氏の記事なんですけどね(笑)。

"Austria's fear and loathing still democratic" by Ian Buruma[Japan Times]
これもまた踏み込んでいますね。イデオロギーのマントラを唱えてなにかを言ったような気になっているお気楽かつ退屈なリベラル達に比べればはるかに誠実だと思いますがね。いわゆる欧州の「右傾化」はなおも進行中であり、どうやらこのたびの危機はこの傾向を促進させることはあっても後退させることはなさそうです。リベラルなみなさんも覚醒して奮起されることを期待したいのですがねえ。奮起というのは反動しか生まないような批判主義や理想主義のことではなくて本気で敵対者とも対話し、なにが問題なのかを考えて、理念なり実効的な対策の構想なり練り直しましょうよということです。私はユーロ懐疑派的ですが、民族主義の勝利を望んでいるわけではないんですよ。なおこれはハイダー事故死の衝撃的なニュースの前に書かれたものですね。以下辞書もろくに引いていないいい加減な訳ですのでチェックしてからご使用ください。

二つの極右政党、オーストリア自由党と未来同盟が先日のオーストリア総選挙で29%の投票を獲得し、2006年選挙から議席を倍増させた。

両党ともに移民、とりわけムスリムと欧州連合に対して同様の態度を共有している。すなわち恐怖と嫌悪だ。両党の指導者のハインツ=クリスチャン・シュトラッヘとヨルグ・ハイダーが互いに軽蔑し合っているおかげで極右同盟が権力を握る可能性はほとんどない。にもかかわらず困惑させる結果だ。

この29パーセントだが、他の欧州諸国でポピュリストの極右政党が最盛期に獲得した票よりも約15%多い。自由党の指導者のシュトラッヘは政府に移民送還を管理する新省庁を創設することを希望している。ムスリムが公然と罵倒されている。ハイダーはかつてヒトラーの第三帝国の雇用慣行を称えたことがある。新しい右翼達が突撃隊員や人種立法の記憶を喚起するのは不可避だ。

しかしオーストリア右翼の台頭をナチズムの復活とみなすのは誤りだ。彼らのレトリックの一部がそれを教唆していたとしても両党ともに暴力を訴えているわけではない。極右への投票者はイデオロギーよりも不安と怨嗟に動機づけられていると考えられる。この感情は多くの欧州諸国で感じられるもので、オランダやデンマークのようなナチの伝統と無関係なものも含まれる。

デンマークでは25議席をもつ強硬右派のデンマーク人民党が第三の政党だ。「イスラム化」へのパラノイア的な恐怖に駆動されるリタ・ヴェルドンクやヘールト・ウィルダースのようなオランダのポピュリストは伝統的な政治エリート─リベラル、社民主義者、キリスト教民主主義者─に強い圧力をかけつつある。

これがポイントなのだ。欧州諸国の右翼投票者の間の最大の怨恨は多くの人々の意見によると微温的な連合の形で長く政権につき過ぎた政治エリートに向けられているが、彼らは既得権益保護のためにだけに存在しているように見えるのだ。

オーストリアでは社民主義政権とキリスト教民主主義政権の終わりなき交代が政治システムの動脈硬化をもたらし、少数政党が政治的特権の砦とみなされているものを突破することを困難にしていることはリベラルですら認めている。これは同じ中道諸政党によって何十年も統治されているオランダについても言える。慈悲深いがパターナリスティックな指導者達の「多文化主義」「寛容」「欧州」についての見解は近年まで挑戦を受けることはほとんどなかった。

欧州統合への懐疑は常に頑迷固陋、あるいは一種の人種主義として非難されてきた。国民の帰属感情は不人気な政策で説明責任を果たさないEU官僚を非難してばかりいる政府によっていっそう蝕まれた。これは移民の怨恨と結びついている。

1960年代にトルコやモロッコのような諸国から移住した単純労働者の子弟達が欧州の諸都市で巨大なムスリム少数派を形成し始めた時、労働者階級の近隣で緊張が生じた。犯罪と見慣れぬ慣習への苦情はリベラルなエリートによって「人種主義」としてしばしば無視された。人々はただ寛容であることを学ばねばならなかったのだ。

こうしたことは必ずしも悪いことではなかった。寛容、欧州統合、ナショナリズムへの不信、人種主義への警戒は称賛されるべき目標だ。しかしこうした目的を批判はおろかなんの討議もなしに推進することはバックラッシュに帰着した。オランダ人、フランス人、アイルランド人が欧州憲法を否決した際に、彼らは政治エリ−トへの不信を表明したのだ。そして「欧州」を拒否し、「イスラム化」と戦い、移民を追放することで国家主権の回復を誓うポピュリスト達はこの不信を利用しているのだ。

ゼノフォビアとショーヴィニズムの修辞は不愉快であり、オーストリアのような過去のある国では警戒すべきですらある。しかし新しいポピュリズムは今のところ非民主主義的でも反民主主義的でもない。右翼諸党派の投票民の間で最もよく聞かれるフレーズは「新鮮な空気」である。政権政党の硬直を打ち破るためにハイダーやシュトラッヘに彼らは票を投じたのだと言われている。

人々が自身のナショナル・アイデンティティー、自身の政府の主権、自身の社会の人口的、社会的趨勢に不安だとして、そうした恐怖が政治アリーナに最もよく反映されたまでなのだ。人々が自身の憂慮を暴力ではなく投票によって表明している限りは、たとえリベラルの耳には不快なものだったとしても、民主主義は深刻なまでにダメージを受けていない。

政治エリートに挑戦する事が勿論どこであれポピュリズムの本質だ。アメリカ大統領候補者は前大統領の息子であったとしても「ワシントン」に挑戦するふりをするものだ。

真のダメージは人々がエリートのみならずシステムそのものに信頼を失った時にもたらされる。これはまだ欧州では、オーストリアですら生じてはいない。

追記
via Global Talk 21
大西記者のいい記事。この人の仕事で評価するのはこれで3本目ですね。この記者はこういうネタではけっこうグッジョブをするんですよね。ただ最近の大西記者のこの路線ですが、いわゆる弱者への共感が単なる聖化の回路に陥ったり、そうでないと見なされる人々への反感に転化するというよくある罠にはまらずに社会の複雑性を複雑性として開示するような仕事になることを期待します。この記事では日本人についてのステレオタイプな退屈なおしゃべりもなく、うざったいだけの文化論的な解釈もなく、深刻ぶった定型的な社会批判の要素もそれほど前面には出ておらず、ただある人々の生を描くことを通じて戦後の歴史とともにひとつの光景が描かれています。「日本人」ではなくただ人間が描かれているような英語記事に飢えているようなので評価がやや甘くなっているかもしれないです。なお記事に登場する池田さんのような種類のノビリティーにどうにも私は弱いようです。なにかの投影なのかもしれませんが、勝利を祈って敬礼したくなります。

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操縦士のいない飛行機

日経平均終値、952円安の9203円 下落率は過去3番目[日経]

8日の東京株式市場で日経平均株価が急落し、終値は前日比952円58銭(9.38%)安の9203円32銭と、2003年6月以来5年4カ月ぶりの安値になった。下落率としては1987年10月のブラックマンデー(14.9%安)、1953年3月のスターリン暴落(10%安)に次ぐ過去3番目で、下落幅は過去18番目。

スターリン暴落ですか。と言われてもイメージが湧かないのですが、バカヤロー解散の年ですよね。えーと、どの程度の信頼性があるのかは判りませんが、この電通の広告景気年表によると、バカヤロー発言が2月28日、スターリン死去の報に続く株式大暴落が3月5日、衆議院解散が3月14日、左派社会党が躍進した総選挙が4月19日となっています。政局の混乱ぶりという点ではパラレルな感じもなくはないですね。それはともかく今株価や円高でwaiwaiする気にはなれないですね。スペクタクルとしてはすごいですけどね。

米欧6中銀が協調利下げ、政策金利0.5% 中国も同調[日経]
日銀は我が道を歩むようで漢ですね。流動性供給などで対応すると。もう少し積極的に動いてほしいのですが、もうこの際、利上げさえしなければいいや、とかなげやりな気分になってしまうのは期待値が低過ぎるからなんですかね。いや、こんな状況で上げろとか言っている政治家がいたりしますからまさかと思いつつもですね、不安になるじゃないですか。この記事ではミスター・ヤマザキが円高が急激に進んだ場合利下げするかもと言っていますが、どうなんでしょうねえ。

"The Japanese are coming (again)"[Economist]
日本企業によるM&Aの話です。金融危機の中で世界的にM&Aが減少する中にあって日本が例外的に活発に動いていることはよく話題になっていますね。この記事によると、取引件数は昨年より少し多い程度ですが、取引のバリューでは2倍以上だそうです。1980年代の不動産、1990年代のテクノロジー関連の投資はひどい結果に終わったわけですが、第三波にあたる今回は違う結果になるかもしれないといいます。このたびは新テクノロジーや市場へのアクセスなど戦略的なターゲットを選んでいることを理由にあげています。日本企業は60兆円もの資金を持つキャッシュ・リッチであって自国では経済減速や買収嫌いの文化風土や人口減少に直面して海外で活動を展開していますが、現在はライバルが少ない状況で成功しているとしています。多くの企業の株価が下落し、対ドル対ユーロで円高であることもありますが、なによりも海外展開の必要性について長年議論してきて日本企業がこの悲惨な現状を理想的なチャンスと感じているという事実にこの動きの主要因を求めています。かつてとは異なり日本人は海外企業によいオーナーとみなされているそうですが、それは日本人が長期投資をする傾向があり(プライベート・エクイティー・ファームと違って)、営業成績もよいからだとしています(中国や湾岸諸国と違って)。既存の経営陣が離れないようになんでもやるという評判もあるようですね。こうした取引はラッシュというほどではなくとも今後も続きそうだとしていますが、日本のボス達はこのチャンスがほとんどビジネス上の達成によるものではないと考えたがるかもしれないといいます。というのも日本企業がうんざりするほどの使えない資本を抱えているのは企業統治や財務管理がpoorだからだと。はい。幸運が海外雄飛の機会をもたらしたわけですが、購入したものを経営する知恵とスキルが必要になるでしょうね、というように、今度はなかなかよくやっているが、知恵とスキルが必要になるよというご忠告です。足場づくりの時期なのでしょう。この幸運を次の展開につなげられるといいですね。ただ国内投資の仕組みもうまくつくってほしいものですね。

以下、欧州関連です。
EU、預金保証を2.5倍に増額 危機対応の「共通原則」で合意[日経]

欧州連合(EU)の加盟27カ国は7日の財務相理事会で預金保険制度の拡充を決め、EU規定の保証限度を現行の2.5倍の5万ユーロ(約700万円)に増額した。これを受けてスペインやオランダが独自に保証限度を10万ユーロに引き上げるなど、EU各国が預金保険制度の拡充で預金者の動揺を抑える動きを強めている。EU加盟国は初めての具体的な危機対応となる「共通原則」で合意。EUの足並みの乱れで金融市場が混乱したのを踏まえ、政策調整を強める。

預金保証限度額の引き上げ措置でようやく欧州の政策協調の流れが出来つつあるようです。とはいえかなり各国のフリーハンドを残した内容になっているようですね。この記事にある共通原則ですが、コレですね。7原則というのは以下です。

We agree on EU common principles so as to guide our action:
- Interventions should be timely and the support should in principle be temporary;
- we will be watchful regarding the interests of taxpayers;
- existing shareholders should bear the due consequences of the intervention;
- the government should be in a position to bring about a change of management;
- the management should not retain undue benefits -- governments may have inter alia the power to intervene in remuneration;
- legitimate interest of competitors must be protected, in particular through the state aids rules;
- negative spill over effects should be avoided.

"La baisse des taux : trop peu, trop tard ?"[Le Monde]
米欧協調0.5%利下げですが、ル・モンドのこの記事はtrop peu, trop tardつまりtoo small, too lateなのではないかという意見ですね。確かに協調姿勢を示すという点においてはメリットがある。飛行機に操縦士がいるのだと示すために。しかしこの程度の利下げで喜んでマネーが動き出すわけはない。とりわけECBがインフレを理由にここまで利下げを渋ったのは正しかったのかと。まあ現状を見渡す限りはそういう意見になりましょうね。利上げした時はこれが噂のENA経済学の真髄かとシビれましたけれども(いえ、冗談です、やばいと思いました)、セオリー通りだとか支持する声がけっこう大きかったですよねえ。ル・モンドは批判する側にいましたかね、あの時。ともかく飛行機に操縦士がいる感覚を与えるというのは大切なことなんですよね。で、日本国民はそういう感覚を失っているように感じられるのですね。

以下スペイン関連です。
"Confusion hampers Italy and Spain efforts"[FT]
時系列的に順序がおかしくなりますが、火曜に戻ります。金融危機に対する対応が欧州協調なのか国別なのかで混乱している中でイタリアとスペインがもがいている件です。スペインの高官達は欧州連合の協調的な対応をこれまで主張し、アイルランドとドイツの預金保護措置を批判してきたわけですが、「ドミノのようだ」「今や皆が同じようにしなくてはならなくなる」とのこと。サパテロ首相は月曜にスペインの銀行頭取達と会議をし、金曜にはサルコジと会談する予定で、一方ベルルスコーニ首相も月曜夜にメルケル首相と会談したといいます。土曜のG4サミットでベルルスコーニ氏はイタリア市民の預金保護をすると述べたそうですが、今のところこの談話は実際の政策には移っていません。氏も危機への欧州的な対応を支持してきましたが、月曜には国別対応に切り替えたようです。スペインはこれまでサブプライム危機の直接の影響を回避してきましたが、銀行は不動産市場の崩壊に続く不良債権の増加に喘いでいるところです。またイタリアの銀行、特にウニクレディットは危機の打撃を受けていますが、週末にはウニクレディットは緊急取締役会議を開いて資本増強措置をとることを公表したといいます。

"Spain announces emergency fund"[FT]
それで火曜日にはスペインが銀行資産の買い取りによって金融システムに流動性を供給するために300億から500億ユーロからなる緊急のファンドを立ち上げるという措置を宣言しています。サパテロ首相によれば、このファンドはインターバンク取引の停止により資金を渇望する借り手に対して貸し付けるためのものであるといい、銀行預金の保証額についても2万ユーロから10万ユーロへと5倍に上限を上げることに決定した模様です。このファンドの詳細は金曜の閣僚会議で具体化されるといいますが、スパイン財務省が金融機関の資産を買い取る仕組みのようです。このアイディアは自国の金融システムを救済ないし健全化するためのものではなく(危機にもかかわらず銀行には支払い能力があるといいます)、経済活動や雇用創出が続くように企業や個人に資金を投入するためのものであると首相は強調している模様です。またこのファンドは欧州中央銀行の毎週のファンディング・オークションを補完するもので、「悪性の資産ではなく健全な資産」を買い取るものとしています。上の記事にあるようにスペインは欧州協調のアプローチを求め、ドイツやアイルランドのような抜け駆け的動きを批判してきたのですが、火曜に政府は他の国の列に加わってスペイン独自のプランの策定を決定したことになります。欧州のガイドラインに沿うものであると述べてはおりますが。次はイタリアがどのような動きをするのか目を離せませんね。変な予言家みたいにはなりたくないのですが、震源地になり得るのはアイルランドかイタリアかというのは随分前からの予感なんですよね。

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預金保護競争

以下本当の記事のクリップです。

独不動産金融、救済策を見直し 5兆円支援の白紙撤回で[日経]
独政府、預金を全額保護[日経]
下の記事は短信ですので全文引用します。

ドイツ政府は5日、国内の個人預金を全額保護する方針を表明した。メルケル首相は「預金は安全だ」と語った。ドイツには複数の預金保険制度があり、実質的に預金が全額保護される仕組みだったが、政府関与の一段の強化を打ち出すことで、金融危機に伴う預金者の動揺を抑える狙いがある。具体策は明らかになっていない。

ドイツ事情に弱い事もあってヒポ・レアルエステートについてはこのたびの金融危機で初めてその名前を知ったクチなのですが、政府支援によるヒポ救済案が他の商業銀行の撤退によって失敗したという報で日曜の欧州メディアは大騒ぎでした。これが破綻した場合にはその規模から言って第二のリーマンとなるのではないかと。メルケル首相が預金全額保護宣言を出したようですが、不安定な状況には変わりないようです。先日のG4サミットにおいて預金保証宣言を出したアイルランドの抜け駆けを批判したばかりでしたが、一転してこの措置です。記事で触れられているアイルランドの子会社というのはDepfaという不動産、公共事業関連の金融機関のようですから、これもアイルランドの不動産バブル崩壊の余波ということなのでしょうか。

"Berlin shrugs off attacks on savings pledge"[FT]
この記事では抜け駆けへの批判に対するドイツ側の反応が伝えられています。G4サミットの際にはこの措置は決定されていたものの他の首脳には相談しなかった模様です。確かにフランス提案の欧州全体での救済プランを蹴って、アイルランドを批判をした手前、セルフィッシュな行動ととられても仕方がないでしょうね。

"The European collective response"[Marginal Revolution]
欧州としての強調のとれた行動がとれていない状況についてマージナル・レボリューションのTyler Cowen氏の短い論評。このたびのドイツの預金保護はnot a good sign。

British depositors were already crowding to get into the nationalized Northern Rock but they were turned away at the proverbial door. Other news is that the German government-led bank consortium to rescue Hypo Bank has fallen apart, not a good sign. The German government has today moved to guarantee all "private savings deposits" [private Sparanlagen], also not a good sign. Which other countries will now follow suit? All of them? Europe as a whole lacks a safe asset as focal, liquid, and available as T-Bills and now that is becoming a problem.

"The case for a European rescue plan"[FT]
Wolfgang Münchau氏の論評。ECBが利下げに向かうとか素早く国有化や救済に動いているとか自讃しているむきに対して辛い忠告をしています。デクシアだのフォルティスだのヒポだの中堅どころの救済はできても巨大金融機関が危機に陥った場合には救済できんのと。関心を引いたのはサルコジ・プランを支持しているところですね。サルコジは正しく、メルケルは間違っていたと。

Nicolas Sarkozy, the French president, was therefore right when he appeared to back a €300bn rescue fund. Regular readers of this column will probably recall my somewhat constrained enthusiasm for his economic policies. But this had the makings of a good plan. He ended up distancing himself from it, when it became clear that Angela Merkel, the German chancellor, would not support it. But he was right and she was wrong. Of course, a European plan should not have been a copy of the bail-out that was finally adopted by Congress on Friday. The US plan failed to address the problem of an undercapitalised banking sector. That issue is even more important in Europe where many banks have an extremely weak capital base, with leverage ratios of 50 or more.

またアメリカでは銀行危機かもしれないが、欧州の場合、通貨制度そのものの危機につながり得るんだと警告しています。どうやらユーロ崩壊論が本気で囁かれるようになってきましたね。軍靴の音ではないですが、リラ復活の声が・・・。

For Europe, this is more than just a banking crisis. Unlike in the US, it could develop into a monetary regime crisis. A systemic banking crisis is one of those few conceivable shocks with the potential to destroy Europe’s monetary union. The enthusiasm for creating a single currency was unfortunately never matched by an equal enthusiasm to provide the correspondingly effective institutions to handle financial crises. Most of the time, it does not matter. But it matters now. For that reason alone, the case for a European rescue plan is overwhelming.

欧州協調の枠組みが不十分なところで通貨統合してしまったツケを払わされることになってしまうのでしょうか。あちらでは鼻であしらわれつつもユーロは駄目だろうと言い張っていたのですが、まさかこんな風になるとはね。いや、まだそこまでいくとは決まったわけではないですし、内輪もめを続けながらもぎりぎりの協調を実現できるのかもしれません。ですが、どうも不穏な予感が脳裏から離れません。

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ジャック・アタリの大陸大連合

これまでNATOと欧州連合の動向についてたびたび言及してきたのですが、ジャック・アタリがレスクプレスのブログで短い記事ながらもひとつの見解を開陳しているのを見つけて、しばらく唸ってしまったので紹介しておきます。氏は有名なエコノミストで思想家ですが(邦訳も多数あります)、欧州復興開発銀行総裁や大統領補佐官としてミッテランの側近を務めたり、話題になったアタリ・リポートを提出して現サルコジ政権に対しても経済アドバイザーのような役割を果たしている人です。現実的かどうかは別にすれば、それなりの合理性のあるひとつのヴィジョンにも思えてくるから不思議なものです。実際、似たような事を言っている人は何人かいますね。NATOは解体して欧州連合にロシアを包含するという松岡洋右ばりの大連合構想ですね。「でかいこと」を言うのがこの人の常ですが、まあアメリカは許すまいし、東欧は同意すまいでしょうね。ただとっても大陸的な発想ですね。

"Inutile OTAN" par Jacques Attali[L'Express]
周知の危機をもたらしたNATOへのグルジア加盟問題はまもなく大規模に炸裂することになろう。ブリュッセルの12月の西洋軍事同盟の外相会談でその加盟が首相議題となるだろうウクライナとともに。この会談はまた米国大統領選挙の結果に非常におおきく影響されることだろう。大統領選ではウクライナとポーランドの利害を代表する圧力団体が加盟を支持する候補を獲得したが、この地域におけるロシア帝国の2世紀にわたる支配に対してポーランド、ウクライナが復讐する夢を育んでいるのだ。

ロシアから見れば、ウクライナのNATO加盟は戦争事由となり得る。というのもそれはロシアが1000年来受け入れなかった事柄、すなわちバルト諸国から中国までのロシア包囲網を完成するものだからであり、ウクライナにはロシアの主要な海軍基地とロシアの軍事産業の本体が集中しているからである。このような加盟が実現したならば、ロシアは部隊を国境に集中し、ますます権力を軍に委ねることになるだろう。他方でウクライナの統合もまた問題となるだろう。

こうしたことは我々をより古い問題へと導く。なぜNATOを維持したのかだ。この組織はソビエト連邦やワルシャワ条約機構に直面してこそ意味を持った。今日では両者は消滅し、世界はテロリズムに対する惑星的な(軍事ではなく)警察連合を必要としているのだ。欧州は経済的、政治的、軍事的組織を必要としている。しかし消滅した敵を対象とした組織など誰も必要としておらず、敵がソビエト連邦でければ意味のない軍需品を生産する西洋の軍事産業の圧力以外による以外にこの組織の存続は説明できないのだ。

したがってNATOを解体し、3つの存在でこれを代替することを要求する勇気を欧州は持たねばなるまい。ひとつは防衛的欧州連合だ。2004年に紙上で誕生した欧州防衛局がその萌芽となるのだ。第二に欧州連合をウクライナへ、さらにロシア、トルコへ拡大することだ。第三にNATOを対テロリズムの世界的警察連合に変化させることだ。ロシアはそこで自らの場所を占めるだろう。

いずれにせよ米国の次期大統領と対話せねばなるまい。

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ブルマの叱咤

最近のJapan Timesはどうも日本と無関係な記事のほうが面白いような印象を受けますが、そりゃ私も長いこと日本国民をやっているわけですから、日本関連記事については同じ事件がいかに違うアングルで報じられるのかとか、なにが報じられてなにが報じられないのかその差について考えてみるとか、日本の新聞では凡庸すぎてネタになりそうもない話題が記事になっているのを見てなんとなく微笑ましく思うとか、いや、その説明はどうなのよと突っ込むとか、まあ歴史は歴史でいいですけどね、少しは愚かな政治家や珍奇な風俗以外でも現代の日本について報じてくださいよとか、まあ、異文化圏に身を置くとけっこうしんどいこともあるでしょうけど、元気だしてくださいねとか、なんだ、しょうもないやつがまた顔を出してるな、お前さんはもう反則退場だろうとか思うぐらいで、それほどの面白みを感じないのはある意味で当たり前のことなのかもしれませんが、私の最近のこの新聞への関心は書評欄を別にすればイアン・ブルマ氏の寄稿ぐらいに限られているようです。

前にも書いたような気がしますが、氏のアングラ文化へのいささか由来の不明な愛着を別にすれば(寺山修司の短歌を除くとどうも駄目みたいです)、欧州の左派のジャーナリストの中ではそれなりに買っている人です。ひとつには戦後日本の思想状況や社会状況についてよく知っていることもあって批判的な論調でも西洋左派にありがちな偏見にもとづいた形式的非難にはならないということがありますし、また日本にせよ欧州にせよ戦後の左派のあり方の問題点について自覚的であるということがあります。必ずしも意見が一致するという訳ではないのですが、欧州にせよ、日本にせよ、見ている光景はそれほど違わないような気がします。見ている光景がそれほど違わない人というのは、赤であれ白であれ黒であれなんであれ、コミュニケーション可能なものです。

でこの記事なんですが、けっこう踏み込んでいますね。以下逐語訳ではありません。

"Europeans draw wrong lesson from Munich"[Japan Times]

英国首相ネヴィル・チェンバレンのミュンヘン協定は悪名高いが、戦争に疲弊していた当時の人々はそうは考えなかった。ナチとの戦争の用意はなく、外交と妥協がより安全な選択だという考えは実際には多くの欧州人に共有されていた。しかしチェンバレンは「臆病者」の代名詞となり、ナチとの妥協はヒトラーの欧州制覇を許したと非難されている。チェンバレンはおそらく誤ったし、イギリスとフランスはドイツを止められただろう。「1938年のミュンヘン」は民主主義国の歴史で慎重な外交が誤りであった稀のケースのひとつだ。必要だったのはチャーチルのような「どんな犠牲を払ってでも」戦うことで国民の運命を賭けられるロマチックな英雄だったのだ。「歴史から学ばない者はそれを繰り返す運命にある」という有名な言葉があるが、実際には歴史は矛盾した多くの教訓を教えるし、同じような仕方で繰り返したこともない。過去に過剰に関心を向けることが道を誤らすこともある。では世界はミュンヘンからどんな教訓を得たのか。

第二次世界大戦後の西欧人はチャーチルよりもチェンバレンに近い結論を導き出した。二度の破滅的な戦争の後に西欧人は軍事的紛争を余計なものとするような諸制度を建設した。外交、妥協、共有された主権が規範となり、ロマンチックなナショナリズムは過去のものとなるだろう。廃墟の中から新しい種類の欧州は立ち上がった、平和憲法すら持った新しい種類の日本が立ち上がったように。ナショナリズムは文明的、外交的、平和的外交を発見したという気取った自己満足に席を譲った。実際に平和は維持された。しかし第二次大戦以前の国家安全保障、国際安全保障観念にしがみつく米国がこの平和を保証したからなのだ。米国ではミュンヘンは違った響きをもつ。そこではミュンヘンは自由の擁護者として歴史に名を残すことを夢見る「戦時大統領」というチャーチル的な幻想を育んだ。ミュンヘンは何度も召喚された。共産主義と戦うため、サダム・フセインを打倒するため、イランを阻止するため、「テロとの戦い」を遂行するため。

このような異なったパースペクティブが米国とその民主主義の同盟国との間で特有の緊張をもたらした。欧州人と日本人は安全を米国の軍事力に頼っているが、米国がそれを使用するやり方が気に入らない。永遠の若者のように、欧州人と日本人は偉大な父たる米国の安全保障を切望し、同時に深く父に憤っている。米国が愚かな戦争を始めたり、ガキ大将のように振る舞ってきたことは疑えない。しかしなにもミュンヘンの亡霊を召喚せずとも圧政者の相手をするのに軍事力が唯一の方法であるような場合は存在している。欧州人はセルビアの大量殺人者達に立ち上がるのに乗り気でなかった。米国人は最初はいやがったが、汚れ仕事をしなければならなかった。米国がサダム・フセインの殺し屋達をクウェートから追い出すことを決定した時には、ドイツの抗議者達は自分達は「石油のために血を流す」ことはないと叫んだものだった。

他方で欧州外交はいくつかの顕著な成功もした。欧州連合に参加させるという見込みは中欧、東欧、そしてトルコで民主主義を強化する助けとなった。こうした民主主義国のいくつかはNATOに参加し、他は絶望的なまでにそれを望んでいる。しかしNATOは欧州連合とは異なり、軍事組織だ。ここにチェンバレンの古い問題がある。欧州人は仲間のために戦争を行う用意があるのかだ。

冷戦時代にはこれは深刻なジレンマではなかった。欧州人はソビエトの侵略の際に守ってもらうべくNATOや米国に依存した。今やグルジアやウクライナがロシアを相手に血を流して守ってくれることを欧州人と米国人に期待したいのだ。この選択はあからさまなものだ。グルジア、ウクライナのために戦う用意が欧州人にあるならば、こうした国々はNATOに加盟させるべく招待されるべきだし、そうでないならば、招待されるべきではないのだ。しかし選択することなくドイツのような主要国はためらったのだ。まず美味いニンジンとしてNATO加盟をちらつかせ、次にこの提案を撤回し、米国人が後を考えずに英雄的な修辞をほしいままにするようにさせたのだ。

こうしたことが西側の同盟を一貫性を欠いたものにみせ、その莫大な富と米国の軍事力にもかかわらず、奇妙に無力なものにみせている。欧州の民主主義国にとって決心する時だ。米国の保護に依存したままで、しかし不平を言うのを止めるか、欧州を自分達で防衛する能力を高めていくのかだ。最初の選択はパクス・アメリカの黄昏にあってそれほど長い間うまくいかないだろう。二番目の選択は高くつくしリスクもある。欧州連合内部の多くの対立からいって、深刻な危機に行動することを強いられるまでは欧州人は多分混乱したままだろう。しかしその時にはもはや遅過ぎたということにもなり得るのだ。


という風に戦後欧州と戦後日本を父アメリカに依存して文句ばかりたれている永遠の若者に例えています。日本ばかりではないわけです、甘ったれているのは。家族のメタファーで国家間関係を語るのはあまり好きではないのですが、この文脈ではいいでしょうかね。依存するなら文句を言うな、じゃなきゃ自立しろと。この部分ですね。

It is time for European democracies to make up their minds. They can remain dependent on U.S. protection and stop complaining, or they can develop the capacity to defend Europe, however they wish to define it, by themselves.

非常にシンプルで力強いメッセージです。我が国には米国への敵愾心から欧州に政治的な幻想を抱く人というのはいつもいるわけですが、実は日本とそんなに変わらなかったりもするわけですね。いや、ドイツはともかく戦後も独立戦争つぶしをやったりあちこちで戦争に参加していた国とは確かに違うのですが、日本にせよ欧州にせよ、第二次世界大戦後の平和は米ソ超大国の対立構造がもたらした束の間の幸運に過ぎないのに自分達の理想が平和を実現したかのように思いたがり、さらには恥知らずにも反米主義に身を染めてしまうといっただらし無い傾向で共通する部分はあるわけです。まあどちらかというと左派の話ですけどね。右派には恥の自覚ぐらいはあるわけですから。いえ、恥を知る左派も恥知らずな右派もいますけれどもね、傾向としては言えるでしょう。ちなみにブルマ氏は早い時期から日本の「普通の国」化に賛成していましたね。

日本にまとわりついている左派というと、ここだけの話、昔は金日成の擁護をしてましたとか、いやあ、若い頃はマオイストやってましたとかいった昔の日本を叩く以外にやることがなくなった極左崩れだの、憲法9条をまるで自分が書いた宝物みたいに錯覚しているニューディーラー気取りのパターナリストだの、沖縄基地反対運動に精を出しているあなたの国籍はどこですかと聞きたくなるような平和主義者だの、国家意識など欠落した大学生に向かって日本のナショナリズムのなんたるかを教えてくれる歴史学の素養のない文化左翼だの、いかに日本社会が閉鎖的で差別的なのかをデマばかりでなくあろうことか人種主義的な修辞で訴えることによって反移民世論の高まりにのみ貢献している自称多文化主義者だの(いや、別に左派じゃないか)、日本におけるフェミニズムの弱さを嘆き、メディアにおける女性のモノ化を批判していたと思ったらwaiwai問題ではネット右翼の強迫から毎日を守れと叫ぶリベラルだのばかりをイメージするかもしれませんが、勿論そういう冗談みたいな人々ばかりではないのであって、ちゃんと物の見える左派の方もそれなりにいますのでそういう声はしっかり聞いといたほうがいいと思いますね。はい。

追記
なおこの論説の内容に必ずしも同意というわけではないです。アメリカの黄昏というのは少し気が早いように思えますし、欧州のあり方のヴィジョンもどうなんだろうなという気がします。ただありがちな論調や態度に対する批判としては判りやすく面白かったので紹介しておきました。日本にもあてはまる部分があるし、欧州のある側面がうまく描かれているように思えましたので。

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憂鬱な月曜

ぐぅ。以下気になった記事のクリップです。

"A Partner and an Adversary"by BHL[The New Republic]
すっかりプロパガンダ・ライターと化しているBHLの記事です。いつものように民主主義の擁護者として西洋の奮起を促していますが、こういう扇情的な文章はどうにも私の性に合わないようですね。こういうというのは

People say, "We knew this war was going to happen. We should have foreseen it and prevented it." That's true. But what exactly did we know was going to happen? And once again, how dare reverse the roles in this way? On one side there is the Georgian whose only mistake may have been to overestimate our willingness to support him. On the other is the Russian who is pursuing the program he laid out in April 2005, when, in an address to the Federal Assembly, he said the collapse of the Soviet Union had been "the greatest geopolitical catastrophe of the 20th century." Yes, you read that correctly: the greatest catastrophe. Greater than the world wars. Greater than Hiroshima, Auschwitz, Cambodia or Rwanda.

というような調子のことですね(ちなみに仏語圏ではこうした文脈で躊躇なく広島が出てきます)。68年の怒れる反スタ青年の姿を彷彿とさせる文です。グリュックスマンとともにロシアに関してはずっとコミットメントしてきたのでその思いに嘘はないことはよく判るのですが、どうもこの世代の思想家の書くものは私の好みではないようです。意見の是非以前に深みに決定的に欠けているような気がしてきます。いえ、戦略家が戦略論を展開するのは無論それでいいのです、思想家には違ったアプローチがあるだろうことですね。現代のサルトルにはなれそうもないですね。Tant pis pour BHL!

"Nicolas Sarkozy appelle Moscou à un comportement 'responsable'"[Le Monde]
8日にモスクワ訪問したサルコジがメドヴェージェフに「責任ある」振る舞いをしろと訴えた模様です。ロシア大統領はEUの監視団の派遣の受け入れを拒否したとされます。国連とOSCEが既にその役割を果たしていると。サルコジはフランスの提出した和平案が「よき出発点」となって解決が見出されることを望む旨語ったようです。ちなみに例の和平案の文面の「翻訳問題」というのがあります。オリジナルのフランス語では「アブハジアとオセチアにおける安全」となっているところがロシア語版では「アブハジアとオセチアの安全」となっている問題です。enとde、英語だとinとofの違いです。これをロシア側が部隊駐留の根拠としているのですが、フランス側はフランス語版の「における」が正しいのだと主張しています。領土一体性の文言の欠如もそうですが、これはフランス側がわざと逃げ道をつくってやっているようにしか思えないのはさすがに穿ち過ぎでしょうかね。ロシアが国際法や国際条約を徹底的に利用する(都合の悪い時は破る)国だということは知り抜いているはずですからねえ。

"Down but not out"[Economist]
少し明るい気分になる記事ですのでおすすめしておきます。いや、米欧に比べたらそんなに悪くなるはずないんですよね。しばらく落ち込みがあっても復活は早いだろう、来年は他の先進国よりもいいパフォーマンスを示すだろうという予想です。根拠は日本は西洋諸国を襲う経済的、金融的インバランスを避けたからというのが一つ。惨憺たる有様になっている米欧とは異なり、クレジットクランチを経験していないし、住宅価格も急落していない。また家計の借金が2000年の71%から60%に減っている点、また企業についても1991年の131%から78%にまで減っている点が挙げられています。最期に日本の輸出の半分はアジア地域向けである点。長期的に成長するには改革が必要だが、来年は米欧よりもGDPはより速く成長するだろうし、一人当たりGDPも─人口減少によってではなく─米欧よりも増大するだろうと。問題は他のアジア諸国が大丈夫かどうかですが、もう上を向いていきましょうよ。Don't panic, it's just a test!

"Aso braced; Fukuda into the sunset"[Economist]
"Another grey man bites the dust"[Economist]
同じくエコノミストの政局記事。やはり他よりはだいぶまともに見えます。麻生氏についてはさっそく過去の発言の恣意的な引用によってナショナリストとか右翼とか色をつけるような記事が続々と出ているのですが、エコノミストはさすがに少しはニュアンスがあります。

Mr Aso, a 67-year-old Catholic, is from a prosperous right-wing family. He was foreign minister under both Mr Koizumi and Mr Abe. A hawk who wants Japan to play a much more robust role abroad, Mr Aso is also an original compared with more ideological conservatives. For instance, he advocates taking the sting out of the militarist Yasukuni shrine, which bedevils Japan’s relations with its neighbours, by moving worship of Japan’s war dead to somewhere less contentious.

いや、大久保利通も牧野伸顕も吉田茂も別にright-wingじゃないと思うのですがね。どちらかと言えば右も左もない政治リアリストの家系ではないでしょうか。この記事では他のイデオロジカルな保守に比べるとオリジナルであるという留保をつけていますが、こういう一文があるかどうかでちゃんと見ているのかどうかが判ります。なおGlobal Talk21の奥村さんがこの点について英語圏で説明されているのには頭が下がります。本当に「日本の保守」というと色眼鏡で見られるんですよね。無知なくせにイメージと逸話だけでなにか判ったような口を利くから困ったものです。麻生さんを支持している濃い人々もこの点よく判っていないようですし、足あげとりばかりの日本のメディアがどうしようもないんですけどね。ただあの口の軽さはどうにかして欲しい。私的にはあのお祖父様譲りのユーモアのセンスは嫌いではないですが、こうもグローバルに情報化されてしまうと冷や冷やしてしまいます。いや、サルコジやらベルルスコーニやらなんかのほうが口は悪いんですけどね。狙っているジャーナリストが多くて本当にうざい話であります。ちなみに私は財政出動派じゃないので積極的には支持しません。地方分権はオーケーなんですけどもね。

もうひとつはこの混乱を通じて政界の再編を待望すという内容の記事です。自民党の改革派と民主党の改革派がくっついて政策に基づく真の政党政治が開始されることを希望すると。そうなりますかねえ。FTといい本当に小泉氏が好きみたいですね。ちなみにエコノミストの記者さん、Observing Japanを参考にしてますでしょ、英語圏ではいいブログだと思いますけどね、死角もけっこうあると思うのですよ。ひとつはハリス氏は政局分析にイデオロギーを持ち込んでいますよね。でもですね、ここはアメリカじゃないんですよね。妙に大義名分にこだわる生真面目さの一方でですね、いざとなると尊王攘夷を叫んで暴れていた連中がいつの間にか文明開化を唱導していたような国なんですからね、hahaha。

ふう。なんだか妙なノリなのは憂鬱な一日だったことの反動です。それではみなさん御機嫌よう。愉快な火曜日になりますように。

追記
サルコジのモスクワ訪問ですが、記事が差し替えられていました。EUの監視団を受け入れ、南オセチアとアブハジアを除いたグルジア領内から撤退する合意がなされた模様です。監視団が入れるのはグルジア領内にロシアが設定したzones tamponsのみであり、撤退するのもここのみだという点で限定された合意内容ですが、トビリシはこの「非常に重要な結果」を歓迎しているようです。

"The Power of De"by Paul Krugman[NYT]
エントリでリンクするのを忘れたのですが、クルーグマンの気になる記事。ますます状況が日本に似てきているという観察です。ファニー・メイとフレディ・マックの救済は正しいが(住専の時に喚いていた人は今なにしてますか?)、fedはこの戦いに敗れつつあるように見える。住宅価格の下落は「債務デフレ」の状況を生んだ。インフレではなくデフレだ。フィッシャーが1930年代に"stampede to liquidate"と呼んだアセット売りの悪循環の現象が見られる。さらに借金で買ったアセットなだけにこの債務デフレは醜悪だ。現状は1980年代末の日本の金融危機にそっくりだ。日本型金融危機に対する処方箋は利下げと財政出動のアグレッシブな組み合わせになるはずだった。バーナンキは思い切った利下げをしたが、財政出動はtoo smallで poorly targetedだ。我々はどうやら戦いに負けつつあるようだ云々と悲観的な見通しを示しています。うーむ。アメリカは回復は早いだろうと思っていたのですがね。思い切った財政政策ですかあ、共和党政権には無理そうに見えますね。というところでこのオピニオンをアメリカ国内政治の文脈で解釈するべきなのか、いや不偏不党のエコノミストの正論と考えるべきなのかどうか迷ってしまう自分がいたりもします。いや後者なんでしょうけれどもね。ところでタイトルのDeはdebt deflationとdeleverage、あるいはdefeatのDeなんでしょうかね。

それからOberving Japanですが、麻生氏についてニュアンスのあるポストを書いていますね。こういう部分は評価しているところです。一応書いておきますが、もちろんイデオローグがいないとかイデオロギーは重要ではないなどとは言っている訳ではありません。ただ国際情勢次第、政局次第でいくらでもトーンが変わってしまうことを知っているのであんまり真に受けないんですね。無定見とか無節操とも言えますが、こういう日本流プラグマティズムの伝統というのはまあ基本的によい政治レガシーだと思っていますのでね。

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民族主義とか

"This Isn’t the Return of History"[Newsweek]
このザカリア氏の論説のタイトルは、この間のケーガン氏の論説への応答でしょう。グローバル化と統合の時代が過ぎ、列強の衝突する19世紀的な世界に戻った云々という話に対して、諸大国の台頭はグローバル化の結果そのものであり、ナショナリズムとこれに対抗する諸力、つまりグローバル化、統合とがせめぎ合う時代なのだという世界観を開陳しています。それからこの紛争がもたらしたのは米欧の接近であり、ロシアが得たものは少ない、56年のハンガリーや68年のチェコではなく79年のアフガニスタン侵攻にむしろ似ているのだとしています。また英仏が旧植民地に今のモスクワよりもはるかに粗暴な仕方で干渉したのはつい50年前の話だと述べ、この紛争への世界的な反応そのものがルールが変わったこと、我々が21世紀的にいることを証しているのだといいます。

さらに今各国の外交官は対ロシアの制裁手段を探しているが、問題はロシアとの間の絆の弱さ、レバレッジのなさにあり、ロシア側が世界秩序に統合されないまま、ルールを破っても失うものがないと感じているところに問題があるとしています。ロシアの孤立主義は西洋の外交政策がもたらしている側面もあるが、石油が関係している、従ってとるべき戦略は

The single best strategy for bringing Russia in line with the civilized world would be to dramatically lower oil prices, which would force the country to integrate or stagnate. Pending that, we should shore up Georgia and assist countries like Poland and Ukraine. At the same time we should stay engaged with the Russians so that we continue to work on issues of common concern—like nuclear proliferation—but also to develop leverage with them. A strategy that further isolates Moscow would only reduce the levers that we have to affect its behavior.

という風に石油価格を劇的に下落させ、グルジアやポーランドやウクライナを支援しつつ、ロシアを孤立化させないように包摂していく必要があるとしています。相変わらず冷静で楽観的なザカリア氏ですが、どちらも引くに引けなくなってしまっている現状では当面はどうもそんな風に事態が進むようにはあまり思われないのは私だけでしょうかね。関係ありませんが、ここしばらくの英国メディアの煽りっぷりにはなんだか余裕のなさを感じてしまいます。経済の見通しの暗さもあるのかもしれませんが、らしくないですね。論調そのものというよりもトーンに妙に悲愴なものを感じます。

"Un effet de la politique soviétique des nationalités"[Le Monde]
Thorniké Gordadzé氏のグルジア、アブハジア、南オセチアの民族主義についてのインタビュー記事。グルジアには確かに民族問題があるが、少数民族はアブハジア人、オセチア人だけでなく、アルメニア人、アゼリ人、ロシア人もいて数的にはこちらの方が多い。つまりアイデンティティーだけの問題ではない。両民族が統合されなかったのは政治と歴史の問題だ。またグルジアと南オセチアの民族主義を語るのは本質的なものを見失わせる。つまりロシアのナショナリズムだ。グルジアは周辺地域で集権的な王国を形成した時期は短く、周辺の帝国に支配されたが、民族的アイデンティティーは強かった。アブハジアについてはグルジア王の支配を多かれ少なかれ受ける領邦が15世紀から19世紀に存在したが、南オセチアについてはボルシェヴィキの発明品だ。オセチア人は中世以来グルジアの複数の領邦や王国の下に暮らしてきたが、この民族的-政治的単位が出来たのがソ連時代だという意味だ。1921年にボルシェヴィキがグルジアを征服した際にグルジアは反ボルシェヴィキ的、ブルジョワ的、貴族的ナショナリズムの地とみなされたが、オセチア人とアブハジア人は抑圧された農民的民族とみなされた。南オセチアとアブハジアはソビエトから自治的な地位を得たが、このことが両地域のネーション意識の形成に貢献した。

従ってソ連の民族政策の結果なのだ。民族文化の創造を促進する地元の共産党エリートというものが生み出されたのであり、ソ連時代に自治的な地位を得ていた周辺地域で1990年代に紛争が勃発したのも偶然ではない。グローバル化と人の移動の加速が「前にそこに誰がいたのか」の問題を深刻化させている。私はグルジアのナショナリズムを最初に非難した者の一人だ。しかしこれはカフカスの諸民族に共通した態度だ。特定の民族が特定の地域で特権を得るためには時には石器時代に遡る民族起源の「科学的」物語が必要だったのだ。グルジア初代大統領はこうした考え方に凝り固まっており、この国に民族的緊張をもたらし、オセチア人とアブハジア人をモスクワ寄りにした。サーカシビリについても非難は出来るが、彼のナショナリズムはソビエト時代のものではない。彼は統一グルジアを望んでいるが、排他的な民族イデオロギーに基づくものではないと。日本語でも解説がでていますが、アブハジアと南オセチアではまた違うようなのが複雑ですね。

なおここで民族主義と訳したのはエスニック・ナショナリズムnationalisme ethniqueのことです。日本の政治家の皆さんも誤解されないように注意してくださいね。必ずしもそうでもない人でもそうとられる発言をしているのを見ることがあります。シビック・ナショナリズムnationalisme civiqueはセーフだけれど前者はPC的にもうアウトになりつつあるように見えます。なお私は両者の区別は難しいと思っていますので、こうした傾向はどうなのかなと思っていたりもするのですけれどもね。いえ、勿論ごりごりの民族主義は好きではないですよ。ただエスニック/シビックのこの二分法は少し単純過ぎるし、後者だからいいのだという話ではないようにも思えるのです。

あえぐ経済、支持率低迷 台湾・馬総統就任100日[朝日]
総統の支持率が景気の悪化で低迷しているという記事ですが、ここしばらくのニュースを眺めているに台湾の民主主義の土台はなかなか堅固だなという印象を深めています。こうなると国民党政権も世論の圧力を無視したりは出来ないでしょうね。変な世論主導の動きもあるようですが。ところで最近台湾が韓国に盛んに喧嘩を仕掛けているようなのはなぜなんでしょう。誰か火に油を注いだりしていてはいないでしょうね。

イタリア、リビアに25年間で50億ドル投資 植民地支配の補償[AFP]
フランスの動きに連動するかのようにイタリアもリビアに接近しているようです。カダフィもうまいことやってますね。パリ訪問の時は格好良過ぎて笑いました。東の方面が膠着する一方で南の方面にリーチを伸ばしていく動きは加速しそうな印象を受けます。クシュネルも飛び回っているようです。なおこの記事にはありませんが、この交渉では移民の管理の問題がかなり大きいようですね。

大本営発表という権力[池田信夫]
もう今更の話なんですけれど、どう見てもあれは独裁国のやる戦争ではなく、民主主義国の怒りの戦争ですよね。いくら未熟な段階で、許されざる人権侵害があったとしても。あの大正デモクラシーの後になぜという問いはそもそもおかしい。ただ選挙結果などを見てもかなり微妙な動きをしていますから世論の動きについては慎重に論じないといけないと思いますけれども。また軍国主義と無辜の国民云々という話は別にしても、国民世論がどれほど非合理に傾こうともそれをうまく説得して制御するのが為政者の務めなんですから、それに失敗した政治の責任の重さは変わらないでしょう。新聞については日露戦争の頃から売らんかなだった訳でなにも大本営を持ち出して批判することもないように思えます。黄門様の御印籠みたいなこの時代の使い方は好まない。とはいえ今の新聞にけっこうシビアな評価であるのは変わらないです。よくある新聞批判に与するつもりはないのですが、やはり物足りないですし、もっとできるはずです。

追記
タイトル変更。フレーズ追加(8.31.2008)

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BHLの創作について

このブログではわりと新哲学派の面々の発言を拾っていますが、それは彼らにそれなりに影響力があってパリ左翼のミクロコスモス内部の論調を知るのにそれなりに便利だからでありまして、私自身がこの文化人達にどうやらさほどの敬意を抱いていないらしいことは注意深い方ならばお気づきのことでしょう。このエントリではベルナール・アンリ・レヴィ(BHLと略される)がどうやらやらかしてしまった件について紹介しておきます。それは単にこの見栄っ張りさんを嘲笑してやろうという意図からではなくて、なにかしら興味深い事柄が含まれているように思えたからです。

このBHLの問題の文章ですが、8月19日付でル・モンドに掲載された「戦火のグルジアで見たもの」という3ページの長い記事です。長いので訳すのは止めておきます。多分そのうち英訳も出るでしょう。内容ですが、

1. トリビシ周辺でBHLが見たもの。予想に反するグルジア軍の不在。真新しい制服を着用した兵士。ロシアの戦車部隊がトリビシに来るという噂と混乱。ロシア軍との遭遇。負傷したオセチアの農民の語るロシア兵による残虐の事実。
2. ゴリ周辺でBHLが見たもの。打って変わって緊張した状況。側溝に落ちたグルジアのジープ、燃えたタンク。チェック・ポイントで取材を拒否されるが、エストニア大使の車に同乗して通過し、ゴリに到着。火災を目撃。照明弾と爆発音。空っぽな略奪された都市。
3. サーカシビリ大統領との対面。閣僚達の印象批評。大統領の熱弁。
4. カスピでBHLが見たもの。橋、駅の破壊。5台の戦車。
5. 疲れた様子のサーカシビリと対面。和平案への不満をもらす。夜を徹して文書を読むがグルジアの領土一体性の言及がないことに仰天。ホテルで出会ったリチャード・ホルブルックのセリフ。

以上がだいたいこの文章の概略です。BHLが見たとされるものの記述の間に様々な独語やら内省やらがあちこちに散りばめられ、全体としてロシアの非道を糾弾し、西洋の救援を呼びかけるメッセージとして作文されています。メッセージの中心は3のサーカシビリの熱弁と5のホルブルックのセリフにあるといっていいでしょう。前者ではBTCパイプラインが奪われた場合に欧州は100%ロシアに資源を依存することになるぞという例の話とイランとロシアが接近した場合、この枢軸に対して西洋はいかに立ち向かうのかという脅しです。イスラム原理主義とスターリン主義が組んだら怖いでしょうということです。後者はミュンヘン協定の臭いがするというたびたび言及される例です。こちらはナチスで、要は「悪」の三点セットですね。

BHLがグリュックスマンとともに先日のNATO首脳会談の際にグルジア、ウクライナの加盟を訴えた手紙は前に紹介しました。68年5月に大学で暴れ回っていた一人であったのが、その後自らが影響下にあった「68年の思想」との格闘の末にサルトルの再発見を経ていつの間にか西洋文明の守護者に転進することになったという屈曲した遍歴を辿った彼の思想的立場について詳述する暇も知識もないのですが、ネオコンのフランス版みたいなものと言ってもそれほどはずれていないと思います。ネオコン批判もしていますし、同世代の他の文化人達とも微妙に異なる声色で歌っていはいるのですけれどもね。ともかくこの主張そのものは普段から言っていることです。この文章は「私」を主語としていて徹頭徹尾主観的な文体で綴られており、読者は書き手に感情移入することである種の「臨場感」を味わうことができるといった趣向になっています。

まず一読した瞬間にあーあと思ったことを白状しておきます。私は書き手自身が「戦地」に身をおいて視点人物にとどまって自分が見た物についてあれやこれや主観的に考察し、読者を感情移入に巻き込むといった手法で書かれた記事を信用しないだけではなくどうやら嫌悪しているようなのです。この記事はル・モンドでは「哲学者、エッセイスト」の「証言(le temoignage)」と分類されていて、通常の事実報道や分析報道とは別枠にされています。あいつをグルジアに連れて行ってなんか書かせてやれよ、面白い事書くかもしれないから、といった企画なのでしょうか。ですからこれは通常のジャーナリズムの倫理やルールの問題ではなく、哲学者なり批評家なりの政治的証言文学の倫理の問題ということになります。「私が見なかったもの」への想像力や「私は本当に見たのか」という省察を欠いたこうした「私は見たのだ」式の書き物を恥ずかしげもなく披露する書き手の認識論的居直りに対する苛立ちとでもいったらいいのでしょうか。コソボの時のスーザン・ソンタグもそんな感じでした。なおこれは政治的立場や主張内容の是非論とは違います。ロシアの非道を批判し、NATOの介入を訴えるのはそれはそれで一向に構わない。それはそれで立派な考えだと思います。問題はこのスタイルです。本人の主観的な誠実性とは別にこのスタイルそのものが本質的に不誠実に私には感じられるのですね。

とはいえ嫌いだからといって大上段に倫理を振りかざすのはどうなんだろう、まあ、こういうジャンルもジャンルとしてあってもいいんじゃないか、個々の作品ごとに出来不出来を評価すればいいのでジャンルとして否定するのはいささか性急ではないかと思い直したりしていたのであります。そして私のこの記事に対する評価は下の下というものでした。ヴォイスの選択といい、人物描写の平板さといい、とうてい世界の複雑性を開示するような文章ではなく程度の低いプロパガンダに過ぎないと。が、事態は思わぬ方向に展開したようです。「私が見なかったもの」への想像力の欠如どころか「私が見なかったもの」を「私が見た」と書いていた、すなわちこの記事に虚偽が含まれていたという疑惑が持ち上がっているようなのです。

またしてもインターネット新聞Rue89なのですが、本当にここは元気ですねえ。最近では大手メディアよりも強力になりつつあるような気がします。ここの「BHLはグルジアで『見たもの』のすべてを見ていなかった」という記事です。ジュリアン・マルタン、パスカル・リシェ、ダヴィド・セルブネの3人が「ジャーナリズム」の立場からBHLの記事の「ファクト・チェッキング」をしています。

まず「BHLの語っていない事柄」としてこの哲学者の2日半の旅行の背景を説明しています。8月13日水曜日にブルジェ空港発のジェット機を借りて4人の同行者とともにトビリシに向かう。正午にグルジア到着。パリの大使の知らせでグルジア大統領が通訳を送るが、この通訳が滞在中に同行した。土曜朝8時にトビリシを発つまで2日半しかグルジアに滞在しなかった。このチームはマリオ・トビリシというジャーナリスト、外交官御用達の5つ星ホテルに滞在した。この訪問は多数のフランス人ジャーナリストを驚かせたが、哲学者は自分のモチーフを隠さなかった。ロシアの鬼からグルジアの自由を守ることだと。

以下検証が進みます。ゴリ行きの白い空調付きのミニバスで路上で最初に「見た」とされるもの。

「我々が最初に遭遇した最初の重要な軍事的プレザンスはロシアの長い車列だったが、少なくとも100台の軍用車がトビリシに向かってガソリンを充填するために静かにやって来たのだった」

この文について同じ日に同じ道路を利用したヌーベル・オプセルヴァトワールの特派員のクリストフ・ボルタンスキ氏は実際に車列の数を数えたそうですが、彼によれば30台だったとのことです。

そして最大の問題となるのが彼のゴリの報告です。

「我々はゴリに到着した。都市中心部ではなかった。しかしロマイアがアウディーで負傷者回収のために出発する前に我々をおろした場所から、車輪付きのトーチカのような巨大戦車が支配する四つ辻から、我々は見渡す限りの火災を確認することができた。規則正しく間歇的に天空を照らす照明弾に短い爆発音が続いた。空虚。死の腐敗の軽やかな香り」

「ゴリはロシア人が『解放』しに来たと言い張るこのオセチアには属していない。この都市はグルジアの都市だ。ところがロシア人はこの都市を燃やし、略奪し、幻の都市の状態にしたのだ。空虚」

しかしながら記事によれば問題はBHLはゴリに到着していないこと、またゴリは燃えていなかったことにあります。BHLがグルジア国家安全保障評議会議長アレクサンドル・ロマイアらとともに最初の関門をなんとか通過したのは事実ですが、その一行の一人でBHLを同乗させるようにした欧州議会議員イスラ・ベギンの証言によると、「誰もゴリには行っていません」「都市の1.5kmの関門で足止めを食らいました」。彼女によれば燃えていたのは野原だけだそうです。潜伏するスナイパーを避けるための手段だそうです。また「腐敗の香りを感じたというけれども、私は感じなかった。ゴリは燃え、略奪され、幻の都市の状態にされていたと書いているけれども、この時、私達はそんな風には言えないはずです。というのも単に誰もそこに行っていないから。結局、私達はゴリから1.5kmのところで止められていたのだし」と真実を語っております。

また編集者のジル・ヘルツォークも「いや、我々は都市に入らなかったよ。外れにいたけれどもゴリから何キロなのかは知らない。もう夜で照明弾があがるとぼんやりと建物は見えたね。でもみんな道路の端にいたからねえ。周りに燃えている野原はあったよ」と同様の証言をしています。腐敗の香りについても「個人的にはなにも感じなかったね。でもたぶん我が友BHLは感じたんだろうさ」と。また同行中のワシントン・ポストの記者の記事は「8月13日グルジア、ゴリ郊外」と明記され、一行が都市に入らなかったことが明記されているそうです。

また金曜日に再びゴリに入ろうとした際の記述にも問題があるそうです。

「金曜朝。我々はラファエル・グリュックスマン、ジル・ヘルツォーク、欧州議会議員とともにゴリに再び行くことに決めた。サルコジとメドジェーエフの休戦協定に続いてゴリからはロシア人が撤退を開始しただろうし、グルジア人の屍体が豚と犬に委ねられたツヒンバリへ出発間際のトビリシ主教に合流できると思われたのだ」

「しかし主教を見つけることはできなかった。ロシア人は撤退などしていなかった。我々はまたゴリの20キロ手前で足止めされた。我々の前の一台の車が非正規兵の一隊にホールドアップされたが、ロシア人将校の穏やかな眼差しの下にこの一隊はジャーナリストを降ろさせ、カメラ、金銭、個人的な持ち物、それから車を奪ったのだ」

「結局、誤報だった。ロシアのプロパガンダ職人が確かにマスターとなるかに見えるいつもの誤報の駆け引きだ。それでという訳でゴリとトビリシの中間にあるカスピへ向かった。ここには欧州議会議員の通訳の家族がいて、状況は基本的にもっと安定していた」

この文ですが、同行したアンドレ・グリュックスマンがこのホールドアップについて3台の車が先に進むなとグルジア警察に止められたのだと証言しています。彼によればUNHCRの車がロシアの関門を突破したと警察官から聞いたが、このシーンは見ていない。ロシアの関門は500メートル先にあって見えなかったからと。またイスラ・ベギン議員によれば木曜日にグルジア当局から人道支援物資を運びにゴリに行けると聞いたが、金曜日には待てども待てどもロシア側からの許可が得られなかった。したがってBHLと一緒にゴリには行っていないし、主教も探していない。トビリシにずっといたが、グルジア人アシスタントとカスピの村に行く事に決めた。BHLは私のところに来て言った。「昨日もチームを組んだけど、今日もこれ続けるの」と。

またトリビシの最後の晩の大統領との対話の部分ですが、グリュックスマンによればBHLの著書「危険な純粋さ」とサルトルをめぐる哲学談義に花が咲いたそうです。憔悴し切った大統領の必死の訴えのシーンやら和平案の文書を血眼になって読みあさるシーンとはずいぶん印象が違うような気がするのは私の目の錯覚ではないようですね。

以上のようにどうやらBHLのこの作文、記憶違いと寛容な解釈をするのは困難なほどの虚偽や創作が含まれていることは明らかのようであります。そう、この哲学者はゴリには行かなかったし、炎上するゴリも見ていなかったのです。戦争のリポートに関して哲学者や文学者がジャーナリストに「勝つ」場合もあるとは思いますが(いくつか例が思い浮かびます)、どうやらこの勝負に関してはジャーナリズムの側に軍配を上げたいと思います。BHLの駄目駄目さを暴露したRue89らしい対抗ジャーナリズム魂溢れる記事でした。まあだいたいグルジアに関して今私が本当に知りたいのは「意見」などではなく「事実」なんです。本物のジャーナリストの皆様宜しくお願いします。

追記
タイトル変更。偽証→創作。この件では小説の筋や作り話を意味する語であるaffabulationが使われているようですので創作としておきました(8.24.2008)。

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欧州左派の後退

なんだか大仰なタイトルではありますが、欧州政治が右派の手に移っていることは皆様もご承知の通りです。欧州全体について語る能力はないのですが、いくつかの国については(特にフランス)ここに至る経緯をずっと観察していましたので生々しい現実への敏感さを欠いた政治勢力が後退してしまうのは宜なるかなという感想しか抱けませんが、内部での真摯な内省の試みや新しい方向付けの試みなどがなされているのはそれとなく観察し続けています。物事にはバランスというものがあって一方に流れ過ぎるのは好ましくないという私の中の「保守的な本能」がそうしろと告げているからですが、あんまり状況が見えていない人が多いなという印象を持ちますね。我が国については・・・なにか語るのも鬱になる感じですが、優秀で良質な部分については心の中で応援しています。余計なお世話かもしれませんけれども。

フランス左翼の後退については前にも述べましたが、出口の見えない状況は続いているようです。国民国家主義的な左翼と欧州連合主義的な左翼の対立だとか、親市場派と「左の左」の対立だとかえんえんと内輪もめをしています。そんなことをやっている場合かという気もしますが、この潜伏期間の議論で鍛え直された理念と政策をもったまともな勢力が出てくることをなんとなく希望してはいます。

French Politicsでリンクされていたリベラシオンのこの記事ではフランス知識人の類型論に基づいて社会党に提案をしています。エミール・ゾラの"J'accuse"以来の「怒れる知識人」。人権理念に基づいて不正義に立ち上がる人々ですが、皮相かつ世俗的な観察に依拠するために本質的な批判足り得ない。もう一つが古典主義時代に由来する「ハイパークリティック」。非難し、疑うことそれ自体を信条とし、体制派とも反体制派とも妥協することを潔しとせず、全体か無かの絶対の賭けにしか興味がない人々です。それから1960年代70年代に出現した「専門家」。法や経済や文化や社会の専門領域に通じ、体制派だろうが反体制派だろうが助言者として振る舞える人々で、前の類型の人々のように感情には動かされない。それで論者は第四の類型として「社会科学者」の必要を訴えています。彼らの知識は政治家が欲するものとは一見遠いが、「理念」を供給するならここからしかないと。論者自身が社会科学者なのでセルフ・プロモーションと言ってしまえばそれまでの話ですが、フランス知識人のプロフィールを戯画的によく描いているとは思います。

以下、欧州議会議員で社会党の全国書記のアンリ・ヴェーバー氏の寄稿記事「なぜ欧州では社会主義が後退しているのか」です。ローラン・ファビウスに近い人のようですが、わりと物事が見えているような印象を受けます。記事中では党内の特定の潮流とか派閥への直接的な攻撃はありませんが、フランス政界にある程度詳しい人には細かい言及が実際に誰を念頭を置いて書いているのか見抜けるでしょう。標的になっているのは頭の固い社会主義者やムードだけのPC左翼などですね。問題点の指摘はおおよそ正しいとは思いますが、欧州連合レベルでの社民主義勢力の協力というぼんやりとした提案で締めくくっているので、具体的になにをすればいいんだというつっこみの声が入るところなんでしょう。また最初に断ってはいますが、やはり各国の事情の差異は無視できないと思います。イギリス労働党とフランス社会党とでは全然違うじゃんかとか。ただなにかしら未来を見据えたまともな部類の提言に見えましたので紹介しておきます。

"Pourquoi le socialisme recule en Europe" par Henri Weber[Le Monde]
選挙の敗北が続き、戦闘的な活動家が失墜し、労組や各種団体との連携も弛緩している。たった7年前には欧州連合の15のうち13の政府が社会主義者に指導されていた。現在ではもうスペイン、ポルトガル、イギリス─あとどのぐらいの期間?─だけだ。勿論、こうした結果は慎重に分析されなくてはならない。各国の国政選挙はそれぞれの固有性を持つからだ。それにもかかわらず一般的傾向は明瞭であり、これを否定するのは馬鹿げているだろう。

1996年から2006年のこのバラの波の退潮には多数の理由がある。連続した複数の任期を務めた後の権力の当然の摩滅が引き合いに出された(イギリスのトニー・ブレア、スウェーデンのヨーラン・ペーション)。犯罪、無作法、崩壊する個人主義の高まりに直面して、社会、とりわけ庶民階級(classes populaires)に発する秩序の要求に説得的に応答する能力の欠如、また移民の波とその統合を制御する哀れなまでの無能さだ。左翼が敗北したのは右翼が勝利したからだということも確認された。右翼はその言説、姿勢、指導者、コミュニケーションと同盟の戦略を更新することに成功したのだ。スウェーデンのフレドリック・ラインフェルト、フランスのニコラ・サルコジ、イギリスのディヴィッド・キャメロン、ドイツのアンゲラ・メルケルはこうした時代に適応した人物達だ。

こうした要因のすべてが重要ではあるが、根本的な理由はより深いところにある。それは1990年代に結ばれた「危機への社民主義的な妥協」の衰滅にあるのだ。そしてまた世紀の変わり目に欧州の社会党や社民党が非協力的な仕方で実現せざるを得なかった各国の戦略の行き詰まりにあるのだ。新しい歴史の挑戦─グローバル化、経済の金融化、知識経済への移行、新興国のパワーの上昇、人口の高齢化、賃金制度の断片化、福祉国家の官僚化と貧困化─に対面した欧州の社会主義者はそれぞれに新しい社会契約を受け入れた。この防衛的な妥協は3つの要素を結合したものだった。

経済の控えめな自由化。我々の「混合経済」にあって公的セクターの比重が縮減され、商業的な私的セクターの比重が強化された。企業家国家がレガリア国家(état regalien)のために後退した。社会主義者は、失業、健康、年金に関して「賃金の調整」と既得権の「再構成」を認め、労働コストの、とりわけ非熟練労働のコストの低下に協力することを受け入れた。それと引き換えに社会主義者は投資と技術革新によって新たな国際的分業において我々の社会がよりよく専門化することを企業トップに期待した。完全雇用と「よき雇用」を保証するためのあらゆる活動領域での「全体での上昇」である。

1990年代の妥協の二つ目の柱は現代化のコストの分散化であった。これは個人に負担がかかるべきではなく、国民的共同体が引き受けるべきものだった。それゆえ高い水準の源泉徴収と社会的再配分、質の高い公的サービスと緩和されても維持された福祉国家、社会的パートナーの動員が要請された。

社会的進歩主義の表明が三番目の柱をなした。社会主義者は道徳風習の自由化、男女平等、同性愛カップルの結婚、尊厳死の権利、生活環境の防衛のチャンピオンだった。彼らは政治的エコロジーの寄与をプログラムに組み込んだ。こうした提案が1990年代後半の各国の社会党の成功を可能にしたが、その結果に直面することになった。社会防衛的妥協は不平等の拡大、プレカリア労働の増大、社会保護の水準の低下、「ワーキングプア」の増加を防ぐことが出来なかったのだ。

我々が参入したグローバル化の新しい時代は、エネルギー、食料、原料価格の上昇、反復する金融、経済危機をともなうが、この戦績を改善しないだろう。もし政権につくことを望むならば、欧州の社民主義は新たな政治的提案をしなければならない。それは欧州連合のレベルで構想され、経済的目的を超えた文明の構想を体現するものでなくてはならない。グローバル資本主義の挑戦には大陸レベルでなければ有効に応じられないことを社会主義者は知っている。しかしこの仕事の困難に対面して彼らは実際には国家的な─たいてい非協力的な─戦略に後退した。

ドイツの社会主義者は「サイト・ドイツ」(?site Allemagne)の工業と輸出の力を救うために重い犠牲を受け入れた。このサイトはとりわけ欧州の他の国々における市場の取り分を得た。イギリスの労働党はイギリスを金融業の選ばれた土地にするために不公正な税制と極端な労働の柔軟性を維持した。このリストは長々と続けられるし、フランスの社会主義者も例外ではない。こうした「各自が各自のために」の政策は一時的にはそれぞれによい効果をもたらし得たが、全体に対しては有害であることが明らかとなった。欧州連合はここ15年弱い成長と高い失業率のゾーンだった。

最後の分析として社民主義の危機はグローバル化の挑戦に欧州としての応答を実現する能力の欠如に起因している。その復活は欧州の再活性化と新たな方向付けを経た上のものだ。かくして高く持続的な成長、社会的リスクに対する雇用者の保護、温暖化との戦い、移民の管理、グローバル資本主義の規制(といったアジェンダ)がより意志的でより野心的でより社会的なひとつの連合というものを要請するのだ。

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ミュンヘン協定ねえ

このたびのグルジア情勢を受けて様々な分析記事が出回っていますが、目にとまったものを紹介しておきます。ル・モンドの「サルコジ、欧州連合、グルジアの窮地」という無署名記事です。以下訳ではなく概要です。

"M. Sarkozy, l'UE et le guêpier georgien"[Le Monde, mis à jour le 16.08.08]
8月12日に停戦合意を結ぶことでサルコジは欧州がこの紛争で駆け引きができる存在であることを示そうと望んだ。アメリカはゲームの外にいた。 言葉上の強がり以上に出ることは出来なかったのだ。初めてワシントンが麻痺し、欧州が行動に出たように見えた。

欧州連合の議長を務めるサルコジは前代未聞の行動主義を見せた。外相ベルナール・クシュネルとともに欧州のパートナー達に交渉の代表委任を求めることなく先んじてチビリシとモスクワに駆けつけた。既成事実をつくった上で合意を有効と認めるように要求した。

この事件が示しているのはリーダーシップが欠けている時には欧州のシステムが不適応をおこすということだ。リーダーシップが機能するのは議長職にある指導者が案件を一手に引き受け、共通の規則を覆す時だけなのだ。この仲介もフランスが規則通りに外相会談を開いたりしていたならば失敗に終わっただろうし、国際法を基盤に代表委任を正式決定などしていたらモスクワとの合意は妨げられただろう。

本質的な問題はサルコジ主導で結ばれたこの合意がモスクワ側の条件で締結された点だ。リトアニア大統領はこの合意をミュンヘン協定に比較すらしている。1938年にドイツ語圏の住民の保護の必要を口実にしたヒトラーのズデーテン、チェコスロヴァキアの併合を英仏は許した。グルジアの領土一体性を承認していないこの合意はアブハジアと南オセチアをロシア側に放棄するようなものだ。この合意は欧州の原則を踏みにじるもので、グルジアへのロシアの軍事的侵略を非難していない。この重大な誤りに加えて当事者達にこの合意に署名をさせるのを忘却し、明白な影の領域を残してしまった事実がある。

確かに一対一の交渉でこれ以上のことをするのは困難、不可能だったが、グルジア問題は悪い出だしとなった。コソボ独立を認めた欧州人はアブハジア人、オセチア人に自決権を拒む立場にない。とりわけサーカシビリ大統領は南オセチアの民間人を爆撃したことで自らを窮地に追い込んだ。

こうしてロシアに有利なこの合議がブリュッセルで承認されたが、ロシアの擁護者のドイツ外相は他のメンバーを反露的にしないように注意深く発言を行った。欧州議会の外交委員会はヴァカンスを理由に開催されなかった。

しかし初めて欧州人は討議をした。旧共産主義国は混乱したが、拒否権は発動しなかった。サルコジはおそらく最もモスクワに敵意をもつ諸国との和解作業の果実を得たのだろう。ここ一年サルコジはイラク戦争の際にジャック・シラクに侮辱されたと感じたこうした諸国の面倒を見てきた。NATO軍事機構への再統合によってパリはもはや反米主義─サルコジによれば「フランス外交の展開を妨げるこの文化的ガン」─を疑われている訳ではない。

ダニエル・コーン・ベンディットによれば、「フランス人はいつものようにあまりにも狡猾に振る舞おうとした。短期的には決裂を止めたのだが、長期的には欧州を強化しなかった」。彼によれば欧州人は立場の相違を長くは隠せないだろう。

フランス大統領はロシア語圏の利害を守る権利をロシアに承認したことで既に政治的信頼の一部を無駄にした。8月14日ワルシャワがポーランドにミサイル防衛システムを設置する合意に署名した際に最初の亀裂が開いた。

ここで決定的な疑問が提出される。ブッシュ政権が追求する対決と抑圧(refoulement)の戦略と断絶すべきなのかどうかだ。この戦略は危険なものである。とりわけ圧力の手段をほとんど持たない時には。ベルナール・クシュネルは調停の際に誰も軍事的にロシアを攻撃しないし、逆にガスをカットすべきでないと述べた。サルコジは第一の解決は1990年代に侮辱されたと感じているモスクワを大国に相応しい敬意をもって扱うことにあり、プーチンとの間の時にざらつくとはいえ率直な関係が進展に貢献できると考えている。

サルコジの主導の妥当性はロシアの善意に依存している。グルジアの領土一体性を承認する国連決議を通じてモスクワが和平案を受け入れること、ロシアがOSCEの委任を受けた監視人の現地派遣に同意すること、グルジアからロシアの部隊の撤退を開始することを確かにする必要がパリにはある。トビリシへのライス国務長官の訪問によってアメリカもこの方向に進んでいる。しかしモスクワが従わないならば、ワシントンは8月19日のNATO外相会談以後再び主導権を握ろうとするだろう。拡大欧州諸国を結集してアメリカはこの紛争に冷戦の古典的風味を再び与え、欧州の解放(emancipation)の試みの失敗を確固たるものにするだろう。


以上、サルコジの和平案はロシアに甘過ぎる、今後の動きでグルジアの領土一体性を確かなものにしろ、EU外交は制度的にうまく機能しない、欧州諸国の利害不一致は大きい、米国の新冷戦的な戦略は拡大欧州の戦略の失敗を明らかにするだろう、といった内容でこのたびのサルコジの仲介外交に辛目の評価をしています。アメリカは合同軍事演習をキャンセルしましたが、フランスはまだしていなかったと思います。今後どうなるのかは判りませんが、仏露の関係というのは伝統的になかなかに複雑かつ微妙なものがありますのでサルコジのようなアングロ・サクソン寄りと見られる大統領でもそこはそれほど単純にはいかないでしょう。なおここで出てくるズデーテン侵略ですが、このたびの紛争でたびたび想起されています。私はこの類比はまったく不適切だと思いますが、敵をナチスに例えるのはプロパガンダの常套句ですからねえ。プーチンの叫んでいた「ジェノサイド」はユーゴを意識したものなんでしょうか。いやはや。それから「侵略(agression)」という国際法上の不法行為を表す語彙を躊躇なく使用しているのも欧米メディアの特徴でしょうね。ところでロシアは国際法的にはどう位置づけているのでしょうかね。個別的自衛権の行使なんでしょうか。

関係ないですが、日本の新聞サイトの英語版では分析記事や解説記事にもっと力をいれたほうがいいと思います。日本国内は勿論少なくとも東アジア情勢に関しては他よりもインテリジェンスもある訳ですし、もう少し吐き出してほしいです。なにかこの地域であったらどうなっているんだと世界中から一斉に読売なり朝日なりのサイトにアクセス殺到するような地位を目指して下さい。仮想的な外国人目線で眺めてみると日本はなにを考えているのだというのが今ひとつよく見えてきません。正直あんまり面白くないです。念のために言っておくと、面白いというのは勿論面白可笑しいという意味ではないですからねえ。

ではでは。

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離婚の危機

フランスの仲介で一応の区切りを見せたかに見えるグルジア情勢でありますが、真打ちのお出ましのようですね。仏語圏の一部では冷戦的修辞が復活しています。曰く、スターリン主義の復活だの、東西対立だの、大西洋同盟の一致だの。しかしながらこうした論調の訴求力は限定されたものに留まるでしょう。「リアリズム」の名の下にそれなりに格好をつけながら振る舞うのでしょうか。それはそれで賢明なことですが、それでいいのか、フランス、といいたい気持ちもない訳ではない。例えばドイツなどとは違って動こうとすればもう少し動けなくもないのですから。東欧の離反を制御するためにももう少し欧州をリードしたらいいじゃないのと思わなくもないのです。和平案の提出以上になにが出来たかと考えると、とりあえずすべきことはしているとは言えるでしょうけれどもね。一方、我が邦は・・・ここは目立って動かないのが吉なのでしょう。功利主義的にいくしかなさそうですね。ロシアの視線が西ばかりでなくもう少し東に向いてくれるとありがたいのですがねえ。西洋への対抗心を抑えたならば誰が真の脅威なのか判りそうなものなんですが。

などといったヨタ話はそのぐらいにして先日のブルマ氏の記事が扱っていたベルギーの問題を少し紹介しておきます。高校レベルで教わる話ですからご存知の方も多いと思いますが、ベルギーには南北問題があります。確認しておきますと、北部のオランダ語系のフラマン語を話すフラマン系住民と南部のフランス語系のワロン語を話すワロン系住民の間の対立です。他にもドイツ語を話す住民もいますし、フランス語系といってもワロン語の他にもシャンパーニュ語だのなんだのといった「地域語」を話す人々もいたりします。両者の対立ですが、政治経済的には、ざっくり言えば、豊かな北部と貧しい南部の対立です。北から見るとなんで俺たちの税金が・・・となるのですが、そこに文化的アンデンティティーが絡むとさらに対立が亢進しがちであることはある程度は想像できると思います。

こうした文化対立はずっとあったわけですが、特に1970年代ぐらいから文化ナショナリズム的な運動が強くなるにつれ、「言語戦争」とまで呼ばれるような文化の対立状況が生まれたとされます。1993年に連邦制に以降し、現在に至るのですが、両者の溝は深まるばかりのようです。かなり荒っぽい話やそこまでやるかみたいなニュースが報じられたりしています。なおワロン運動フラマン運動については英語版のWikipediaでも概要がつかめますので紹介しておきます。下の記事で登場するRWFは合併派ないし連合派(Rattachisme)の流れの団体ですね。

なお私自身はこの件に関してワロン側の不満の声を聞き過ぎたせいかあまりバランスのとれた見方ができていない自信のようなものがあります。分離独立やフランスとの合併というのは正直に言って現実的な選択とは思えないのですが、Economistのもう別れたらというラディカルな提案記事の記憶が鮮明だったのでリンクしておきます。これは半分冗談の記事ですが、本当に分離したらその波及効果はかなりのものになると思いますね。こういう問題を抱えた地域は他にもありますから。EUのエリート層もベルギー情勢の推移には戦々恐々でしょう。まあ「西洋人」同士でも文化的に違いがあると一緒にやるというのは難しい訳です。多文化共生って本当に大変なことなんです。以下、フィガロからワロン系住民の最近の声を伝える記事を紹介しておきます。現実的な選択肢というよりも気分としてフランスとの合併もいいかもなあという声が大分広がっているという話です。

「ワロン系住民はフランスと一緒になりたいと考える」[Le Figaro]
離婚の脅威はタブーを打ち破っている。フラマン系住民に拒絶されていると考えているワロン系住民がフランスへの傾斜を示している。178年の結婚の後にベルギーの結婚解消が完遂されたならば彼らの49%がフランスとの「合併」に魅了されているというのだ。

ベルギーの新聞Le Soirとフランスの日刊紙La voix du Nordに報じられたIfop調査のこの仰天すべき数字は言語境界の両側の緊張を確認している。これまで4百万人のワロン系住民は王国の最後の壁のようなものであった。ずっと彼らは同胞たる6百万人のフラマン系住民の要求になにも言わずに耐えてきたし、逃げ出したいという密かな意思も隠してきた。今日では彼らは拒否し始め、競り値を上げている。

フランス語圏では南の偉大な隣国との連合のようなものを誓う政治家はほんのわずかだ。Rassemblement Wallonie-France(RWF, ワロン・フランス連合)みたいなそうした党派や少数グループはせいぜい1%でしかない。フラマン系側でも分離派は─チェコとスロヴァキアのような選択的で友好的な分離─有権者の10人に1人程度の票しか獲得できない。

この調査は単なる悔しさの身振りなのだろうか。「これはむしろ叫びなんですよ。フランス語圏の住民はひどく怒っているのです。フラマン系の政治階級が王国運営に押し付ける数の論理に対して。それから火消しにして火付けでなにも決断できない首相イヴ・ルテルムに対して。離婚は今日明日のことではないです。でも不幸な時にはワロン系住民はフランスが避難場所になるんだと信じたいんですよ」とLe Soirの編集者のリュック・デルフォス氏は説明する。

しかしながら同アンケートによるとワロン系住民の大多数はベルギーという夫婦の存続に関しては楽観的なままだ。確かに危機の深まり、深刻さ、リスクについてはほぼ一致して認められている(93%)。しかし夫婦の解消と消滅を今日是認できると評価するのはフランス語圏のベルギー人の23%のみだ(59%が反対)。こうした場合には彼らはフランスの胸に身を預けることだろう。しかしこれは最悪の場合のシナリオだ。避けられるならそれに越した事はない。

しかし親フランス的なRWFの創設者にして代表のポール・アンリ・ジャンドビアンはその時が来たと信じている。「これはベルギー国家の加速する退廃の結果です。この危機に瀕してワロン系住民は安全と安定の必要を感じているのです。フランスという解決はしがみつくべきなにかなんですよ。熱狂からにせよ。諦めからにせよ。フラマン系住民との分離というのは通過すべき悪い瞬間にすぎないでしょう」と彼は言う。

イヴ・ルテルムの三度目の辞任(国王に拒否された)以来、合併派は頭をもたげている。長い間なきな臭い[?sulfureux 硫黄臭のする]テーマであったヘクサゴン[註 フランスのこと]との連合はもはや完全には冗談ではないと政治学者のパスカル・デルヴィトは語る。RWFは王国のスローガンを脇にのけて至る所にビラを貼っている。「フランスと一緒になれば連合は力を増すだろう」と。ポール・アンリ・ジャンドビアンのようにフランス好きはフランス革命、ナポレオン、そして王国の基本理念の遺産たる文化的、司法的、行政的な近さを強調する。「1830年にベルギーは第二の小フランスになろうとしたんだ」と彼は言う。しかしこうしたロマン主義は堅固な現実と衝突するリスクがある。ケベック同様に、しかし今度は直接の近隣で、フランスは現状アクロバティックになり得る方針をとっている。つまり干渉しないが無関心でもないという方針だ。

欧州連合は他の25カ国のメンバーとともにローマ条約の6カ国の署名国の1カ国が消滅してしまうかもしれないことを心配している。ましてや旧大陸の統合モデルは、その制度の本質を宿す王国が消滅するようなことがあれば、困難な時を迎えるだろう。状況が悪化し、国境線の訂正があるようなことになったら・・・

追記
一文変更しました(8.14.2008)。

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西洋人よ、団結せよ。

どうやらロシアが軍事作戦停止を指示したようですが、無論軍の撤退は当面はないでしょうから緊張した状態は続くのでしょう。今回の軍事行動に関してロシアが明確な青写真を持っていたとは必ずしも思えないのですが、今後は軍事力を背景にしてオセチアでの政治工作を進めていくつもりなのでしょうか。欧州代表として現地入りしたクシュネル外相が提出した和平案をグルジア側は受け入れたとのことですが、ロシア側はこれを拒否する方針のようです。EUの仲介交渉がしばらく続くのでしょう。サルコジもロシア入りしたようです。

今回の紛争が今後のNATO加盟交渉にどのような影響を与えるのかですが、甚大なものがあるでしょうね。12月に再びグルジア、ウクライナの加盟交渉がなされる予定であったのですが、これで頓挫する可能性もなくはないと思います。その場合でも勿論なにかしら格好はつけるでしょうけれどもね。まあ素人があまり先回り的に今後の予想を書き連ねてもつまらぬ話ですから、ル・モンドの関連記事を紹介しておきます。ここで出てくるトランスドニエストルの問題もたいそう複雑なんですよねえ。欧州の境界はどこに設定されるべきかということなんですが、残念ながらこの境界地域での紛争は当面は止む事はないでしょう。

なおどうでもいいような話ではありますが、les Occidentauxは西洋人ではなく、西洋諸国民にしておきました。日本語の語感として前者に違和感を抱くからというだけでそこに深い意味はありません。欧米人とか欧米諸国とか西側とでもすればいいのかもしれませんが、対ロシアにおいて彼らの中での地理的概念とアイデンティティーの結合ぶりを明示化したかっただけです。英語のthe Westernersです。英語と仏語の両者の指し示す人間集団の範囲が完全に同じなのかどうかはよく判りません。誰かこの言葉の語用論的分析でもしてくれませんかねえ。


「グルジア、NATO、コソボ: ロシアの報復」par Nathalie Nougayrede[Le Monde]

コーカサスの軍事的エスカレートにおける双方の過失がなんであれ、確かな事実が重みをもつ。アフガニスタンでのソ連の戦争以来初めてモスクワが公式に主権国家に空爆作戦を展開したということだ。グルジアでのロシアの軍事作戦は事実上、ポスト・ソ連時代の新たな局面を切り開いている。

ロシアの報復の時だ。この時が予防戦争というラディカルな方法に訴えるためにモスクワによって選ばれた。おそらくは東方へのNATO拡大に決定的な中止をもたらし、1990年代の軍事的屈辱を劇的に雪ぐという目的─プーチンによって確立されたシステムの何度も回帰するテーマのひとつ─から。

この戦争は、南オセチアとアブハジアの分離主義的な諸地域の震源地から、ロシアが非難して止まない─反対することはできない─コソボ独立宣言から6ヶ月後に起きた。ロシアはとりわけコーカサスにおいてこの独立宣言が重大な影響をもたらさずにはおかないだろうと予告していた。

この戦争は、他方、親西洋的なグルジア大統領ミハイル・サーカシビリ─この男の政治的上昇は伝統的な影響圏内部でのアメリカの策謀の結果としてモスクワからはこき下ろされ続けた─が再選された8ヶ月後に生じた。この再選に対してロシアはグルジアに輸出禁止を発令していた。

この戦争はまた、ウクライナとグルジアの大西洋同盟との接近に関する西洋内部の対立が際立ったブカレストでのNATO首脳会談の4ヶ月後にこの戦争は勃発した。ブカレストではドイツとフランスの要請により─両国はアメリカに反対した─ウクライナとグルジアは「加盟行動計画」、候補国にとっての入り口に入ることができなかった。しかしモスクワに損害を与えることになる加盟の可能性は開かれたままだ。12月にはNATOは加盟を提起するために新たに会合をもつ予定だ。グルジアにおける軍事危機の上昇はおそらく「加盟行動計画」に致命的な一撃を与えた。

ロシアは戦略ゾーンにしてまた非常に象徴的価値をもつ黒海地域に自国の利害を「釘付けにする」よう試みた。つまり2014年にロシア初のオリンピックが開催される予定のソチにだ。ウクライナのセバストポリに停泊するロシア黒海艦隊の多数の軍艦の動員がついでに想い起こさせるのは、契約期限が切れる2017年にキエフが主張するようにこの海軍力が離脱するようにするのは簡単ではないだろうということだ。

欧州はこの危機に直接に関係している。2007年のルーマニアとブルガリアの加盟以来、欧州連合は黒海に面している。欧州の東面では長い間「凍結した」と呼ばれていた紛争が燃え上がった。南オセチアとアブハジアの後にはモルダヴィアのロシア語圏で分離主義的な地域であるトランスドニエストルで新たな緊張が表面化する危険が存在している。1992年に紛争が勃発したこの飛び地から部隊を撤退させることをロシアは十数年間拒んでいる。

これらすべての「前線」で西洋のたいした反応のないところでロシアは数ヶ月間活発な活動を展開した。OSCE内部の資料によればこうしたシークエンスは計画されたものだったようだ。コソボ独立のパースペクティヴはこれを加速させるものとして働いたようだ。ロシアによって西洋諸国民の間の対立が間近に観察されたブカレストのNATO首脳会談も同様だ。モスクワが突然グルジアの分離主義的な地域─ここで1990年代初頭以来、平和維持の任務を正式に負ったロシアの部隊が紛争当事者として活動している─との政治的紐帯を締め直したのはこの首脳会談の後のことだ。

春以降、アブハジアはロシア軍の勢力拡大の舞台であった。ロシア軍はまずグルジアの無人偵察機を破壊し、次に落下傘特別攻撃隊を送り、地上部隊を展開した。一方で南オセチアでは軍事的小競り合いが増大していた。

トランスドニエストルに関してはいえば、ロシアはこの共和国において軍事的影響力を永続化させることになる解決プランを分離主義者達とモルドバ政権との間に押し付けようと活発に試みている。OSCEによれば、ロシアの優先事項はNATOからこの国を遠ざけるためにいつの日かモルダヴィアの中立的地位を獲得することにある。欧州空間内部においてカリングラード、ベラルーシ、モルダヴィアを経由してコーカサスに至る一種の「中立」ゾーンの輪郭が描かれるだろう。西洋諸国民がコソボ独立を準備していた2007年に、ロシアは何本かの「赤のライン」が越えられることを許さないだろうと予告した。ロシアはNATO拡大、アメリカのミサイル防衛構想、欧州通常戦力条約に言及した。

6月以来、ロシア新大統領ドミトリ・メドベージェフは大陸の将来に関する戦略的問題について欧州連合およびNATOと平等な一歩へとロシアを事実上置くことになる「汎欧州的安全保障条約」を提案している。西洋諸国にとってこの計画の提案は、影の領域にもかかわらず、ウラジミール・プーチンの「冷戦」のアクセントのある演説よりは妥協的かつ建設的な調子を予測させるものだった。しかしグルジアの諸都市を爆撃することでモスクワは一挙にこのアプローチと完全に矛盾することになった。

8月10日日曜にワシントンは主権国家に対するロシアの「侵略」を非難し、グルジアで政権転覆をしようとしているとモスクワを告発した。欧州連合は同様の言語を用いなかった。フランス大統領の声を通じて欧州連合は公的に犯人を名指しすることを避けたのだ。おそらくは調停能力を保持しようという配慮から、そして面子をつぶすことなくロシアに撤兵することを許すために。

しかしブカレストのNATO首脳会談の場合と同様に、西洋諸国民の間の間隙はモスクワに弱さの徴、少なくとも躊躇の徴と受け止められる危険がある。ロシアは国連での糾弾を免れることを知っている。モスクワはまた今後数週間でコーカサスや黒海の安全のみではなく国際的な安全を危険に晒す件で協力が要求されることになることを知っている。イランの核のことだ。西洋諸国民はある選択をするよう促されてはいないか。

追記

無論軍の撤退は早急にはないだろうと書いた途端に和平案の受け入れとのこと。うーむ。これから厳しい交渉ですね。ともかくNATOの無力が印象づけられましたね。

なんだか誤解を与えそうなタイトルでしたが、私の意見ではないですし、ここで紹介した記事は必ずしもそういう論調でもないですね。このエントリを書く直前にそうした声に溢れているところを見たのでつられてしまいました。ところでロシアと欧州の関係はやはり「東西関係」なんですよねえ

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暑いといってはいけないと言われた

以下ニュース・クリップです。

"Les tardives réactions de l'Occident"[Liberation]
西洋サイドの反応についてまとめた記事。批判のトーンがやや強まっているが、アメリカも欧州も戸惑いの方が大きいと。情報戦の真っ最中ですから断定はしないでおきますが、確約もなしに西洋側の支持を得られると思い込んでオリンピック開会式をねらって南オセチアに侵攻したというのが事実ならば途方もない錯誤としか言いようがないですし、この紛争で亡くなられた方々のことを思うと浮かばれない話だとしか言いようがないです。ロシア側の策動にのってしまったという側面もあるんだろうと推測しますけどそれにしてもなあ。記事の最後で前に紹介した加盟推進派のグリュックスマンがNATO首脳会談でのロシアへの譲歩を批判しています。パリもベルリンも譲歩をすれば相手も譲歩をすると思い込んでいるが、プーチン体制には単なる弱さの印としか見られていないのだと。確かに首尾一貫した立場だとは思いますが、現在の欧州にはロシアと正面から対立する勇気もメリットもさほどないだけにやはり理想主義的に過ぎるようにも見えます。いえ、皆が皆リアリストになる必要はない訳ですからそういう声もあっていい、というのか、対重的言論としてあってしかるべきでしょう。一時的には非現実的に見えても現実的な意味を持つような状況変化がやってくる可能性というのもないわけではないですしね。歴史的にそういう事例はたくさんありますし。個人的にはグリュックスマンは好きじゃないんですけどね。なおずっと欧州視点で書いていますが、極東の島国の住民たる私自身の観点は勿論それとは違っています。

"Disturbing reasons to put a nation to death"[Japan Times]
JTのイアン・ブルマ氏の記事。ベルギーの問題を欧州の未来に重ね合わせる内容です。民族主義の原理に負けるなと。良識的な意見なのだろうと思いますが、連邦的なもの(帝国的なものでもいいですけど)と民族的なものって互いに支え合う関係にあるんじゃないですかね。これまでの歴史的経験から言って前者が後者を乗り越えるってあまり信用できないんですよね。むしろそうした志向が逆説的に民族主義を高めてしまう場合もあると思うのですが。だいたい多文化主義とか多民族主義ってなにも最近言われ出したことじゃない訳です。ソ連帝国でも満州国でもどこでもいいですけど先例がある訳ですね。そんなのと一緒にするなと言われそうですが、そして私もそれはそうだと思ってはいるのですが、ある力学的な構造として眺めた場合にそこにはやはりそれなりの類似性がない訳ではない。これはとても難しい問題ですから結論はないんですけれども。勿論このたびのグルジア・ロシア間の紛争も想起しています。まああまり一般化せずにこういう問題は個別に考えていかないといけないですね。ベルギーは・・・それなりに知っている国なのでやや複雑な心境になりますねえ。

なおJ-CASTに記事が出た時にはバックラッシュを警戒したこともあり、Japan Timesは必ずしも駄目じゃないと書きましたが、勿論良いなどとは一言も言ってはいません。今日見たら読める記事ほんのわずかじゃないですか。いえいえ論調のことではないですよ。イデオロギー・レベルの話でなくそれ以前の話です。それからなんでデマ・サイト管理人に記事書かせているんですか。既に完全包囲状態みたいですから、このままだと道連れにされてしまうかもしれませんよ。まあそれもいいかな、勝手に自滅したらぐらいの気分になってきていますが、そこまで突き放した言い方をしないとしたら、そうですねえ、South China Morning Postぐらいのポジションを目指したみたらどうでしょう。それなら読者増えますよ。はい、大きなお世話でした。

"China wary of a 'normal' Japan" By Hiro Katsumata and Mingjiang Li[Asia Times]
Asia Timesというのもなんとなく微妙なメディアなのですが、一応目は通しています。いえ、こちらはそんなに悪くはないです。ただなにか微妙です。この記事では日本の「普通の国」の議論というのが国連平和維持活動へのより積極的な参加を意味し、それを可能とするべく自衛隊の位置づけを憲法上明確にすることを目指すものであって軍国主義などとは無関係だと中国人に向けて説いています。いや、ごく当たり前の話なんですが、こういう記事が今更Asia Timesに掲載される意味について少し考えてみたのですが、よく判りませんね。まあいいんじゃないですか、こういう記事が普通に英語で流通するのは。NYTには掲載されそうもないですし。日本の安全保障について政策担当者や戦略家ではなく右翼だのなんだの無関係な連中ばかりをインタビューしていて(インタビュー受ける方もどう利用されるのか想像力ゼロというのが絶望的なんですが)心底唖然とさせられた大西記者の記事が堂々と掲載されたことですしね。

ところでWilliam Sparrow氏の記事を掲載しているとMainichiと同レベルにみなされると思うのですがね。内容も低俗週刊誌レベルですからそういうメディアなのねということになる訳ですよ。いいんですかね。この手の記号としての「アジア女性」を売る輩─欲情と啓蒙的意思との奇怪な結託はこの連中の共通の特徴です─を批判するのは本当はアジアのフェミニストの仕事だと思うのですがね。なお余計かもしれませんが、リベラル的な感性の人々に言っておくと、こういうケースでは、ナショナリズムに絡めとられるのは・・・とか変な禁忌に縛られる必要はないと思います。不快ならば不快だと言いましょう。また幻想には事実を対置しましょう。そういう地味な努力をしないから、ネオ・オリエンタンリズムの跋扈を防げないどころか巻き込まれてしまうんですよ。

という訳で少し攻撃的なのは雑誌の占いで今日はそう振る舞えと言われたからです。文句がある人は占い師に言って下さいね。なお私は今日は機嫌が悪い訳ではなくて愉快そのものです。

追記 1フレーズ追加、リンク追加しました(8.12.2008)。 一応断っておきますが、私が言いたいのは、アジア大好き!とか日本大好き!みたいなことを言っているけれども本質的にはアジアも日本も蔑んでいるこの手の偏見にまみれた不埒者どもを我々は一人一殺的に撃滅していくべきだというようなことではまったくなく、もしメディアが信頼性を獲得したいと願うならば、この手の輩のばらまく幻想に紙面を汚されないように気をつけたらどうですかというごく穏当な話です。Asia Timesがもしアジアのヴォイスを正確に伝え、アジア情勢について意義ある情報を提供する定評あるメディアになる気が本当にあるならばです。でなければ三流ゴシップ紙として扱うでしょう。

また、「普通の国」論の記事ですが、こんな当たり前のことをわざわざ言わなければならないほどネットの英語圏では日本の安全保障関連は妄想的な情報ばかりという現状がある訳です。本当は日本のメディアが、少なくとも英語版では、「主張」ではなく、客観的なデータに基づく啓蒙的な解説記事や素人ではなく専門家のインタビュー記事をなにかあった時だけではなく普段から掲載しているのが当たり前なのですが、日本のメディアにはそういう役割を果たそうという気がないようなので本当に使えないです。どうでもいいトリヴィアルなネタの速報記事やらくだらぬ事実無根のデマを流している暇があったら少しは東アジアの安全に資するような情報を出したらどうですか。別に日本政府の肩を持てとか言っている訳ではないですよ。日本国内でどのような議論がなされているのか(素人談義でなく専門家の間の議論)について前提的な了解がない現状ではいくら「主張」しても─それがどんな主張であれ─余計な警戒心を呼ぶだけなんですから。

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動けぬ欧州

このたびのロシア・グルジア間の「戦争」がポスト冷戦時代において「グローバルなバルカン」とも呼ばれる中央アジア・コーカサス地域をめぐる地政学的対立の一局面であるというごくおおまかな認識は、我が国もこの地域に及び腰ながらも関与し始めているだけに日本国民にもそれなりに知られてもいいのかななどと思ったりもしますが、歴史的に関係が希薄な地域ということもあってアブハジアとかオセチアとか言ってもなにそれという反応が一般的なのも宜なるかなとも感じます。高校世界史の中ではオリエント史と中央アジア史をこよなく愛した口ですから(この地域の地理も好きだった)地名レベルでの愛着もあったりしますが、そういう人はごく限定されているのでしょう。それはごく健全なことだと思いますが。

そうした大きな枠組みの中にあってこの紛争に直接影響を与えた最近の出来事と言えばすぐにコソボの独立とウクライナ、グルジアのNATO加盟見送りが思いつきます。また欧州素人ウォッチャーとしてはNATOの存在意義ってなんなんだろうという観点からこの紛争を見てしまいます。もし先日の首脳会談で加盟に成功したならばNATOには防衛義務が発生したでしょうから、あるいはこうした事態を見越してドイツやその他の国々は必死になってブロックしたのだろうかと邪推したくもなります。いずれにせよ今回の事態になにか有効な対応を示す事ができないようであれば、既にグリップが弱まっているとたびたび伝えられる東欧諸国の猜疑と不満はますます亢進していくことになるような予感がします。

フランス議長国の下における欧州連合においては安全保障の枠組みとしてこのNATOと欧州連合との2つの枠組みをどう摺り合わせていくのかというのが大きなテーマになっていますが、この議論に対してこの紛争がどのような影響を与えていくことになるのかにも注目せざるを得ません。さあ、どうするつもりですか、サルコジさん、無力な欧州のままでいいのですか。今後の具体的な動きとしてはフィガロの記事によれば、週明けに欧州連合の外相会談が開催され、そこで即時停戦、グルジアの主権と領土的一体性の尊重、紛争開始以前の現状回復の3点からなる声明が発される予定であるといいます。なお注記しておきますと私自身は現在のグルジア大統領にそれほどのシンパシーを抱いている訳でもありません。私が無限の連帯を表明する宛先はこの地域の無辜の住民達だけです。

「コーカサスの戦争」par Pierre Rousselin [Le Figaro]

8月9日付の社説です。以下訳ではなく概要です。ロシアと親西洋的なグルジアのこの戦争はモスクワが分離主義を支持しているグルジア内の領域をめぐって始まったものだが、この賭け金はそれ以上のものだ。これはロシアとその「近隣の外国」、さらには大西洋同盟との関係にも関わるのだ。敵対状態の即時停止、国際的に承認された国境におけるグルジアの主権と領土的一体性の尊重、こうした原則を課すことが必要であり、ロシアが利用しているコソボの一方的独立宣言を忘却させる必要があるだろう。誰が火薬に火をつけたのかは知らない。ただオリンピック開会式に合わせて戦闘が開始されたのは偶然ではない。注意は他所にあり、グルジア人もオセチアの分離主義者もこの機会を利用しようとしたのだ。ロシアの軍事介入がなければグルジアはこの反乱地域のコントロールを回復できただろうが、モスクワが戦車と戦闘機を戦闘に投じた今となってはグルジアにはなすすべもない。紛争の拡大、アブハジアへの戦線の拡大を防ぐには停戦と交渉開始が緊急に必要なのだが、これは容易くない。民族主義が完全復活したロシアはコーカサス南部に足場を失うような決定をできない。アブハジアと南オセチアはロシアにとっては公然と敵対的なグルジア内の2つの橋頭堡であり、ここで2003年の「バラ革命」で失った立場を回復することを望んでいるのだ。ロシアの恫喝に立ち向かうことを決心し、アメリカの支援でNATO加盟の道を進めているグルジア大統領は西洋諸国の援助を当てにしている。この国がカスピ海からの炭化水素の通過する貴重な回廊となったことを彼は知っているが、彼はたぶん幻影を見ている。NATOがグルジアを助けるためにロシアに戦争をする危険を犯すだろうか。チビリシ近郊の軍事基地を爆撃したロシアの戦闘機は西洋の無力を指摘した。この紛争は両国間でずいぶん前から準備されたものだ。アブハジアをめぐるドイツの仲裁が失敗し、戦争が始まってしまった今、フランスが議長国を務める欧州連合はロシアとの回復不能なまでの関係悪化を避けるために再び主導権を握らなければならない。以上、即時停戦して交渉を開始せよ、グルジアの主権と領土を尊重せよ、しかしロシアは言う事は聞くまい、なんと西洋は無力なのだ、ともかく欧州連合はロシアとの交渉で主導権を握れという内容でした。

「グルジアの戦火」[Le Monde]
8月8付の社説。以下同様に概要です。ソ連の旧共和国諸国はソビエティスム、もっと正確に言うとスターリニスムの清算をし続けている。オセチアでの現在の紛争はスターリンが仕掛けた時限爆弾であり、少数民族の「ナショナリスム」との戦いを口実に、この紛争はこの地域を二分した。ロシア連邦に属する北とグルジアに「与えられた」南とに。1991年の独立宣言以来、グルジアは3つの分離主義運動に直面した。アジャリ自治共和国はグルジア側についたが、アブハジアハは20万人ものグルジア人の追放後、ほぼ独立状態となり、国際承認はないがロシアの全面支援を受けている。南オセチアも同様だ。ロシアへの帰属を求める意思は1991年に最初の戦争をひき起した。グルジア大統領は広範な自治権を提案して「領土的一体性」を守る意図を常に示してきたが、この目的は達成されなかった。現在の紛争の責任が誰にあるのであれ、「平和維持」を口実に部隊を維持するロシアにはこの紛争解決を妨げるほうに利益がある。この固定腫瘍はグルジアに対する政治的、軍事的圧力の手段をロシアに与えることになる。グルジアがNATOに加盟する時にはなおさらだ。これに対して西洋は無力に見える。ロシアの圧力に対して譲歩するようグルジア人に求める訳にもいかないし、コソボの先例を利用するロシアに対して動きかける手段もほとんどない。いつかロシアとグルジアの間で選択を迫られた時にどちらに傾くのかを想像するのも難しくはない。モラルではなくリアリスムがグルジア人に対してロシアを挑発すべきでなく、ロシア人の挑発に答えてはならないと促すのでなくてはならないだろう。以上、これはスターリン主義の亡霊だ、西洋にはこれに対抗する手段がない、グルジアよ、無茶をしないでくれという内容でした。

というようにあいかわらず優柔不断な欧州でした。確かにどうにも動けないよなあとは思いますが、なんだか最近の欧州は日本みたいですね。リベラシオンがいい分析記事を掲載していましたので後で紹介するかもしれません。それでは皆様御機嫌よう。

追記 変な記述になっていたところを直しました(8.10.2008)。 20080808caucasusethnicfr http://www.rue89.com/explicateur/ossetie-comprendre-la-nouvelle-guerre-du-caucaseより転載。

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始まってしまった

以前アブハジア情勢についてメモ的なエントリを書きましたが、ついにグルジアとロシアの緊張が武力行使事態にまで展開してしまった模様です。この間、両国の間で小競り合いが続いていたのは一応フォローしていたのですが、このタイミングでの急激な展開はやや意外でした。この対立ですが、ロシアがアブハジアと南オセチアの独立運動を煽動して内政干渉し、西側(つまりアメリカ、欧州は優柔不断)の支援を受けるグルジアを撹乱しているというのが基本的な構図になります。ロシアの支援を受けるアブハジアも南オセチアも国際的な承認がないまま事実上の独立状態になっています。このたび問題になっているのは南オセチアのほうですが、北の方のオセチアでかつて惨たらしい事件が起こったことは多くの日本国民の記憶に刻印されていることでしょう。

グルジアが南オセチアを攻撃か、露テレビ局が伝える[AFP]
ロシア戦闘機がグルジアを空爆、安保理会合は決裂[AFP]
南オセチヤ情勢緊迫、グルジア軍進攻に露軍が空爆か[読売]
グルジア、南オセチアに開戦 露と本格戦争の懸念拡[産経]
事態はAFPや各社の日本語ソースでおおよそ掴めます。8日未明にグルジア軍が南オセチア自治州に侵攻を開始し、州都ツヒンバリを包囲し、空爆と戦車による攻撃を加え、これに対してロシア軍機がトリビシ近郊のグルジア空軍基地を爆撃、さらに同自治州に戦車、装甲車部隊が侵攻を開始した模様です。オリンピックの開会式に各国首脳が集まるタイミングでのグルジア側の侵攻作戦に対して、プーチン大統領が報復の可能性を示唆し、ロシアの要請で国連安保理の緊急会合が開催されたものの決議は採択されないまま、「自国民保護」の口実の下にロシアの侵攻がなされたというのがここまでの経緯のようです。南オセチアに駐屯しているロシアの平和維持部隊、グルジア軍、さらに南オセチアとグルジアの民間人の死傷者が多数出ている模様です。NATO、アメリカ、欧州連合が停戦の呼びかけを発したようですが、このまま本格的な戦争にまで発展するのか、停戦に向かうのかは現在のところ予断を許さない状況のようです。ふう。まさかオリンピックで仕掛けるとは想像していませんでした。本当になにが起こるのか判らない五輪ですねえ。

ルワンダ大虐殺にフランス政府が加担、ルワンダ政府が報告書[AFP]
フランス政府、ルワンダ大虐殺への加担を否定[AFP]
またフランスとルワンダの間では非難の応酬がなされているようです。キガリ政権が1994年のジェノサイドにフランス政府が積極的に加担したという報告書を提出し、これに対してフランス側がその信憑性に疑義を呈し、「受け入れ難い」主張であると非難したということ。両国間の諍いですが、突然始まったものではなくしばらく前から続いてきたものです。2006年にフランスの司法当局がハビャリマナ大統領搭乗機撃墜事件(ジェノサイドの発端とされる)について当時反政府勢力の指導者だったカガメ氏(現ルワンダ大統領)が指揮したと認定し、国際手配したのに対して、ルワンダが反発し国交を断絶したという経緯があります。ルワンダは長らくフランスの同盟国だったのですが、この国交断絶以降は反仏的な運動が高まっていました。だいたいこういう政治的文脈の下にこの報告書の発表が置かれています。

この長大な報告書ですが、ここのサイトでDLできます。報告書の内容の信憑性についてはコメントしませんが、ルワンダのジェノサイドに関してはフランス側にも一定の責任はあるだろうと個人的には思っています。この報告書が主張するような直接的加担があったのかどうかは別にしても、少なくともネグリジャンスの罪とジェノサイド認定をめぐる不毛な議論のせいで介入を遅延させた罪はあるでしょう。それが法的責任になるのか政治的責任になるのか道義的責任になるのかはよく判りませんが。ただ他人事にしないために例えば日本が国連平和維持活動でスリランカ情勢に今以上に深くコミットしてこういう惨劇が生じた時にどうするのかみたいな想像力の働かせ方はすべきかもしれません。日本とスリランカの関係は歴史的にさほど深くないのでいい例ではないのですが・・・。まあフランス政府は絶対に謝罪しないに5コペイカ賭けておきます。フランスのアフリカ関与については言いたいことがたくさんあるような気もしますが、ここでは止めておきたいと思います。

追記
ここでスリランカを出したのはやはりまずかったと思います。ただ日本国国民の一人という場所を踏まえると私には批判するにしても幾分かの恥の感覚がともなうんですよね。そういう感覚のない人には意味不明だと思いますが、ともかくそれでいささか不適切な例を出してしまったんだろうと思います。はい。また恥ずかしい記憶違いをしていましたので修正しておきました。勘違いのまま走ってしまう癖はどうにも直りませんねえ。

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地中海のための連合

革命記念日の前日にパリに欧州諸国、地中海諸国の43カ国の首脳が集まり、地中海連合の正式発足が宣言されたことは日本でも報じられていましたので、みなさまもご存知のことでしょう。この耳慣れない地域的な協力機構でありますが、サルコジ肝いりの外交的プランであります。この設立に至るまでのゴタゴタについては日本語版wilkipedia(英語版の訳のようですね)でもだいたいのところは掴めますのでおすすめしておきます。要は自由貿易圏の創設を謳い上げた1995年のバルセロナ宣言の後継プランとしてサルコジ政権が提唱したこと、トルコの欧州連合加盟交渉問題とリンクさせたために紛糾を呼んだこと、加盟国を沿岸諸国に限定しようとしたため欧州諸国(特にドイツ)の反発を呼んだこと、最終的にはバルセロナ・プロセスのラインに引き戻され、名称も地中海連合(UM)から地中海のための連合(UPM、以下面倒なので地中海連合と呼びます)に変更されたというのがここまでの経緯です。

日本語ソースもけっこうありますが、AFPの記事と産経の山口昌子氏の記事をリンクしておきます。
EU、トルコとの加盟交渉を再開[AFP]
地中海周辺およびEU諸国による「地中海連合」が発足、中東和平への期待高まる[AFP]
「相互に愛し合う方法を」、パリで初の地中海連合会議開催[AFP]
EU首脳会議で地中海連合構想発表へ[産経]
第1回地中海サミット 海洋汚染防止など採択 サルコジ大統領「大満足だ[産経]
中でもシリアのアサド大統領の首脳会議出席が注目すべき点で、中東和平への米国とは異なるフランス主導のアプローチの始動としておおむねメディアからは好意的に迎えられているようですね。ご承知のようにイスラエルとシリアの間で交渉が行われている最中でもあります。フランスが深く関与しているレバノン情勢もあって(ハリリ首相暗殺の件で反シリア・デモも起こっているようです)この複雑な連立方程式をどのように解いていくのか見物であります。そう簡単にはいくまいとは思いますが、いろいろアプローチがあっていいんじゃないでしょうか。

フランス国内の論調を少し紹介します。
「勝利するパリ」[Le Figaro]
フィガロ社説はこの第一回会合をパリの外交的勝利として讃えています。以下概要で訳ではありません。グラン・パレでの会議はフランス外交の成功であり、ニコラ・サルコジの個人的勝利だ。大統領選挙キャンペーン中に表明された地中海の北と南を共同運命体となすべく欧州とアラブとイスラエルを同じテーブルにつかせるなどといった話をいったい誰が信じられたろう。当初のプランは取り下げられた。北欧や東欧─ドイツを先頭にする─の我らのパートナー達はこのラテン諸文明の起源たる「我らの海」からは遠いからだ。エリゼの決意(ゲアンとゲノのデュオ)と大統領の信念が不可欠な妥協を可能にした。これにより地中海連合からバルセロナ・プロセスの後継者として皆が受け入れる地中海のための連合となった。他の点、中東の平和や軍事的、外交的錯綜の点でもグラン・パレの首脳会議は良い方向へと向かっている。イスラエル首相オルメルトとパレスチナのアッバス議長の間の直接交渉の追求は緊張緩和を生んでいる。シリアによるレバノンの独立承認と両国の大使の劇的な交流はもうひとつの良い報せだ。シリア大統領を歓迎するという賭けは勝利に終わりそうだ。アサド大統領はレバノンのテロリスト支援と断絶することで文明諸国の協力体制へと再統合する意思を示しているからだ。アメリカ新大統領とフランスの支援の下でイスラエルとの直接の平和交渉を開始することを決断したならばそれはより容易くなるだろう。全体として1年間でサルコジのスタイルと方法は中東で際立っている。将来の新展開や不可避的な危機がどのようなものであれ、ニコラ・サルコジの主導によるグラン・パレの会議は中東のカオスの歴史に白い石で刻まれることだろう。以上、中東和平交渉進展への貢献の期待を込めてサルコジの外交的勝利であったとしています。

懐疑の中の我らの海[Le Monde]
ル・モンドに掲載されたエリック・ル・ブシェルの論評です。同じく以下概要。政治と経済のどちらが社会発展を支配するのかについてよく議論される。しかし人口動態と呼ばれる三番目の変数がある。これが地中海連合の中心的なモチーフだ。欧州では少子高齢化が進み、衰退を迎えているのに対して、アジアは2世紀にわたる従属の復讐を行っており、南から北へとラテン化するアメリカの人口動態はダイナミックだ。地中海周辺には2億6千5百万の住民が生活し、その3分の1が15才以下だ。さらにブラック・アフリカには2025年には10億に達する大陸が存する。確かに別の言い方もできるだろう。経済的に惑星は「オレンジの薄切り」のように組織されている。アジアは韓国-日本-中国-インドネシア枢軸で統合され、資源庫であるオセアニアへと伸びている。北米と南米も相互に結合している。政治についても同様だ。イスラミズムの高まりへの応答は戦争ではなく、共同運命体、共生体の構築であることを欧州は示さなければならない。このような平和的な企図、共通文明の野心によって欧州は21世紀に他の諸文明に対して自らの位置を見出すだろう。地域安定のための地中海連合。イスラミズムの脅威を低減するための地中海連合。隣人と共同で発展し、移民を管理するための地中海連合。3度ウイと言おう。ニコラ・サルコジは正しい。しかし、誰もこれを信じてはいないのだ。それぞれが賭け金を理解し、これに加わろうとするだろうが、我々の未来を痙攣させてしまうほどに躊躇いや反対も数多いのだ。障害のリストは長い。まず1995年のバルセロナの試みの失敗の原因であるイスラエル・パレスチナ紛争。東では東欧、ロシア、中国の市場が興隆している。南では植民地化への非難、贖罪の要求が渦巻いている。北では民主主義の前提条件が立ちはだかる。そして移民が両岸の間に鉄の壁を立てている。かくも遠隔の経済格差のある人々を日常レベルで統合させる困難は言うまでもない。最後にアングロ・サクロン世界はサルコジの保護主義を非難し、欧州市場の開放が南の発展の最良のてこであると(正当にも)述べている。ラッパが鳴り終えた時、なにが残るのか。翌朝からなにをするのか。プランだ!具体的なプランが必要だ。地中海連合はこれを欠いている。汚染の防止、海洋の連携の強化、エネルギー、石油以後の思考の開始。これ以外にはほとんどない。東欧再建の時の銀行のようなものすらない。北の財務大臣達や官僚達の拒否!というわけで市民社会に頼らなければならない。善意には欠けていない。しかしまたビジネスにも頼らなければならない。アラブ諸国は石油や太陽光の降り注ぐ海岸を有するし、国内総生産も年5%の成長をしているし、中産階級は消費をしているし、昨年の投資は600億ドルにも達した。しかしこうした麗しい宣言の背後には懐疑主義がつきまとう。プランの準備が悪いのか。たぶんそうだ。南の劣悪なガバナンスとライバル心のせいか。勿論だ。しかし北の無関心しか見えないのだ。「ノン」の欧州はもはや戦略をもたない。飽食した欧州は進歩を疑う。引っ込み思案な欧州は偉大なる未来への投企を放棄している。欧州は老人達の大陸だ。以上、ヴィジョンそのものは素晴らしいが、誰も本気で取り組もうとしてないのが問題だという内容でした。

というようにローマ帝国は言うまでもなく、ブローデルのヴィジョンを想起して、そうだ、地中海とはかつては一つの文明、あるいは諸文明の交錯する空間だったし、常に既にそうなのだ、とこの希有壮大な構想にロマンを感じる人もいるかもしれませんが、勿論21世紀初頭の生々しいパワーのせめぎ合いの中にこの構想は置かれているわけです。こういう麗しいカバーをかけて影響力の強化をはかるというやり方はいかにも大陸的で我ら島国的な外交伝統にはあまりなじまないかもしれませんが(大東亜共栄圏というのがありましたし、今でもいろいろやっていますが)、参考になる部分もあるのかもしれません。また欧州連合のように大きなプロジェクトもささやかな分野での協力関係から始まったことを思えば、現時点でむきになってこの試みを擁護したり、非難したりする必要もなく、さあどうなるんでしょうねえと折に触れて観察していくのがおそらくは極東の見物人がとるべき正しい態度なのでありましょう。

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諍いはなおも続く

チベット騒乱とその暴力的鎮圧に対する抗議の意思表示としてフランス大統領サルコジが北京オリンピック開会式ボイコットという外交カードを示唆した頃には中仏関係に関してこのブログでも何度かとり上げました。この事件に対するフランス政府の対応は当初はむしろイギリスやドイツに比べてはるかに生温いものであったことは既にみなさんお忘れかもしれません。激高した国民世論の圧力を受けてサルコジが開会式ボイコットを口にし、さらに聖火リレーに対する派手な妨害行為によって一躍フランスは欧州において中国の人権問題に対して最強硬派というイメージができあがってしまったわけでありますが、これは成り行き上そうなってしまったという側面が大きいように思えます。「人権の国」フランス共和国とてコストが低いと判断した際に戦略的に人権カードを使用するものの国益上プラスとなれば涼しい顔で人権蹂躙国家とつき合うだけの老獪さを備えていることはよく知られた事実であります。この点ではむしろ「永遠の青年」アメリカ合衆国のほうがはるかに潔癖かつナイーブなのであります。

その後中国で吹き荒れた反仏デモの嵐、さらに中国政府によるフランス旅行の妨害といった力強いリアクションを前にして国民各層の間でじわじわと反中感情が高まる一方で重要な商機を逸することを恐れるビジネス界を中心に両国関係の改善の要望の突き上げが高まるという状態がここまで続いておりました。つつがなく終わってよかったですねという以外になんの成果があったのか今ひとつ不透明な我らが洞爺湖サミットの席上、サルコジによってオリンピック開会式参加が表明されたことは、これで国際政治上の重要争点としてのチベット問題はしばらくは棚上げになるのか、国際政治とはなかなか残酷なものだなという印象を少なからぬ日本国民にも与えたことでありましょう。

一方、この発表に対して欧州、またフランスではさっそくリアクションが出始めております。共和国の外交的行動に最終的に制約をかけるのは世論でありますから、こうしたリアクションには注意を払っておいた方が良いでしょう。

オリンピックにサルコジが行くのは「スキャンダルだ」[Le Point]
まずは68年の生ける象徴たる「赤毛のダニー」ことコーン・ベンディットの反応です。ストラスブールの欧州議会の席で「オリンピック開会式をボイコットしないというのはスキャンダルだ」との発言。「ブッシュやサルコジみたいに開会式に出るというのは中国共産党に忠誠を誓うことだ」なぜなら「開会式は中国共産党と党の全歴史の演出になるわけだから」とのこと。「フランスは原発を売りたい、これを欲しい国がひとつある、中国ってわけだ。原発を売りたければ開会式セレモニーをボイコットできないってね」。ちなみにこのビデオで激怒してるおっさんです。また国境なき記者団のロベール・メナール氏(日本にも来ましたね)も激高しているとのことです。

さらにこの参加表明の後に中国政府がもしサルコジがパリでダライ・ラマと会談をしたならば両国関係に「深刻な結果」をもたらすことになるだろうという恫喝カードを切ったことは中仏関係に新たな火種を提供した模様であります。1000年以上の腐れ縁のある我々からするならば、ああ、またかという感想しかでてこないいつもの行動なのでありますが、この度重なる恫喝にあまり免疫のないフランスでは中国の要求は驚きと反感をもって受け止められているようであります。

「中国大使の発言でパリと北京の間の緊張が再び高まる」[Le Monde]
この記事がこの発言の経緯を述べています。これによると、首脳会談で開会式参加が公表されたにもかかわらずパリと北京の対立は止まないが、その原因は8月12日から22日のダライ・ラマのパリ訪問の際の会談が「深刻な結果」をもたらすだろうという在仏中国大使Kong Quan氏の発言にある。ベルナール・クシュネル外相との話し合いの場で大使はダライ・ラマと会談することは一つの中国の原則の侵害にあたり、中国への内政干渉にあたると強硬に反対意見を述べたとのことです。まあいつもの話です。

「私のアジェンダを決定するのは中国ではない」[Le Monde]
10日の欧州議会でのサルコジの自己弁護についてこの記事は扱っていますが、先ほどのコーン・バンディットの批判に対して開会式参加に関しては欧州連合全メンバーの同意を得た、人権問題を守るために北京に行くのであり、また台湾関係の改善に見られるように中国は進歩しており、国際舞台で孤立化させるべきではない、ダルフールでもイランでも中国の協力は必要だとサルコジは応答しております。一方でダライ・ラマに会うなという要求は批判し、私のアジェンダを決定するのは中国ではない、ダライ・ラマのような人物と会うことを禁止することは誰にもできない、いつ会談するかはいずれ知らせると述べたようであります。

この中国の要求への反発はあちらこちらで吹き上がっていますが、チベットに限らず中国の人権問題を懸念し憤っているのは「当然のことながら」左翼であります(ねえ、ほんとに目を覚ましてくださいな)。サルコジ批判としてはFrench Politic経由で知った社会党のピエール・ミスコヴィチ議員のブログの記事「弱い環」などが典型的でしょうか。少し紹介します。訳ではありません。

まず今回中国がダライ・ラマとの会談があったら報復すると威嚇しているのは「信じ難いが事実だ」。「深刻な結果」とは要するにTGVやエアバスや二国間関係のことだろう。中国はまさに偉大な国であり、我々は米国に先駆けて共産中国を承認したし、社会党は定期的に中国共産党と接触してきた。中仏友好は将来にとって死活的に重要だ。しかしこんな外交的な命令は受け入れ難い。ブッシュはダライ・ラマを受け入れたし、メルケルもそうした。なぜニコラ・サルコジにこんな圧力が来るのか。それは共和国大統領が欧州の「弱い環」とみなされているからだ。お愛想のせいで中国側はサルコジを拒否しない人物と思っている。候補者だった頃には人権外交の枠組みの中でロシアや中国に対して毅然たる対応の必要性を語っていたが、大統領になるや否や、中国に契約を結びに出かけて、人権問題には口を噤んでしまった。チベット危機の際の彼の無言は無関心、中国への共感を示すとみなされ世論の圧力をもたらした。彼は開会式セレモニーへの出席について何度も示唆し、10日前には中国とダライ・ラマの間の交渉参加に条件づけをしようともした。こうした譲歩の結果、新たな脅しの対象になってしまったのだ。哀れな話だ。サルコジはジレンマに陥っている。中国に屈服するか、手ひどい経済的復讐にもかかわらず抵抗するのか。フランス外交は呆れるような状況に陥っている。嘆かわしい話だ。

中途半端な姿勢が中国を増長させている、フランスは「弱い環」とみなされているぞと。というわけで今後の展開に関してはなお予断を許しませんが、これから国内の突き上げもあるでしょう。まあなんだかんだ言ってもかの国においてシニカルな政治経済エリート達に対して「人権の国」の看板を死守せんと立ち上がるのはいつも国民世論なのでありますから。

追記
コメントで指摘されたのですが、よくあるステレオタイプを弄んでしまったような気がしてきます。反証はいくらでもあげられるでしょう。ただそれなりにあてはまる部分もなくはないと思いますがね。相対的な問題としては。

「永遠の青年」アメリカ合衆国のほうがはるかに潔癖かつナイーブなのであります。

の部分ですが、フランスからはそう見える、と付け加えてください。私自身の意見として米国の外交的伝統を揶揄するつもりはありません。アメリカ合衆国という理念の強さは知っているつもりですし、その誠実性には基本的には敬意を抱いています。ペリー以来の日米関係を振り返るに日本国民としては言いたいところもないわけではないですがね。なおこれは余計かもしれませんが、フランスの権威を借りてアメリカを叩くという─最近は減っているようですが─ある種のインテリの隊列に連なる意図もありません。

また入江さんの言われる政府の現実主義と民間の理想主義というのはどこでも多かれ少なかれそうなんだろうとは思います。行動や発言の表明の仕方や権力の作動の仕方に歴史的伝統の差異に起因する多少の違いはあったとしても。

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利上げしましたね

欧州各地でバブルがつぶれ阿鼻叫喚の声があがっている最中にインフレ闘士としての本領を発揮して利上げを断行するECBの益荒男ぶりを目にして、ハイパーインフレの悪夢の再現の阻止を至上命題とするブンデスバンクの遺伝子と「大陸ならでは」を追い求めては止まないENA経済学の真髄とを見せつけられたような気がして身の引き締まる思いを新たにしました。結局のところ金融政策というのは延長された政治なのですねと。というのはもちろん真っ赤な嘘です。ともかくサルコジやべルルスコーニやサパテロの罵声を浴びながらECBが予想通り利上げをしました。

この景気減速の中での成長かインフレ抑止かという政策判断は大変だったでしょう。ECB内部でも意見対立があったようです。各国の政治家の介入を排除して物価の安定という目的のためにセオリー通り動いたECBを賞賛する声と石油や食料の価格高騰に対してはECBの利上げは効果がなく、結局、景気の悪化を招くだけだと非難する声とどちらが正しいのかを現時点で判断するのは難しい訳ですが、「バイアスなし」とのトリシェの言葉を信じるならば、これは多分に象徴的な身振りでしょうから特に大騒ぎすべきではないのかもしれません。以下はフランス語圏の論調の一部の紹介です。

"Trichet seul contre tous"[Le Figalo]
まず利上げ直前の7月3日付のフィガロ社説ですが、「トリシェ対世界の戦い」という風に揶揄しています。4%の記録的インフレを前にしてECBの使命を果たそうとしているのだろうが、この使命は果たせるだろうか。それは不確実だ。なぜなら1970年代を想い起こさせるこのインフレの劇的な復活はエネルギーや食料の高騰という外部的要因によるものであり、全世界の金融担当者の協調行動を必要とするものだからだ。当面、欧州のユニラテラルな利上げは物価の上昇を止められないだろうし、未来についてもなんの保証もない。賃金上昇の効果も止められないだろう。フランスの経済的損失を最小化すべくECBとトリシェに釘を刺し続けてきたニコラ・サルコジももはや孤立してない。マーストリヒト条約の作成者はインフレとの戦いの権能をECBに与えたが、成長の維持は条約に書かれていない。これはおそらくは条約のもともとの欠陥のひとつである。欧州人が今まっさきに着手しなければならないのがこの問題だ。以上、サルコジは正しい、ECB単独の利上げはインフレを止められない、成長の維持も目標に入れよという内容でした。なお「バイアスなし」発言を受けてフィガロの論調もその後ややトーンダウンしている印象を受けます。

"Le temps de la réflexion"[La Tribune]
経済誌ラ・トリュビュヌの社説は決定の後に書かれたものです。まずトリシュエは「明瞭に語り」、約束したことをなした。これを撤回するなどあり得なかった。金融政策に関して冗談というものはなく、インフレ率の上昇は疑い得ない正当性を与えたのだから。経済が減速する中でこの決定によって今後のシナリオ作成の自由を得たのだ。信じられているところとは異なり、トリシェも他の中央銀行もインフレのみに執着している訳ではない。短期的な景況の不確実性があるからフランクフルトも次の動きを決める前にこうして反省の時をおいたのだ。インフレ抑止のために連続して利上げしたら最悪の影響を与えるだろう。景気のいっそうの悪化を招くことになる。インフレ抑止のための利上げの連発の後に経済拡大のための利下げの連発というのは破滅的なシナリオだ。そんなことになったらECBは評判を市場で失うだろうと。以上、今回の決定は妥当だ、今は今後のシナリオづくりの反省の時だ、金利の爆上げはなしねという内容です。

なお他の主要紙は事実報道記事や分析記事は掲載していますが、社説ではこの問題はとり上げていないようですね。気になった記事をあげると、

"On va sans doute connaître des désordres monétaires"[Liberation]
経済学者ジャン・ピザニ・フェリーとのインタビュー記事です。
ECBの決定は正当かという質問に対して。ターゲットの2倍の水準にインフレ率が達し、インフレ期待も上昇していたのだから利上げそのものは不可避だ。しかし0.25ポイントの利上げはインフレを抑止できない。これは合図だ。インフレ・スパイラルを抑止するために期待のコントロールをしているのだという答え。
なぜECBは賃金の上昇を恐れるのかという問いに対して。石油ショックというのは国民所得への外部からの課税のようなものだ。2007年から2008年の成長による所得の上昇は石油の請求書が増えることで吸収されるだろう。賃金に石油上昇分を上乗せするというのはこの課税に支払い拒否をするようなものだ。インフレスパイラルに入り込むことなり、取得に関してなにも得るものはないという答え。
石油や食料を除くインフレ率は2%ほどのままだが、利上げは石油ではなくこのインフレ(註 コアCPI)に影響しないかという問いに対して。エネルギーと農業生産物のようなリソースが世界経済の成長のブレーキになることにみな気付きつつある。需要に供給が追いついていないので価格が高騰をしているが、これは2000年代初頭とは異なる。限界速度を超えたのだ。短期的には世界経済の需要を抑えないといけない、つまり金融政策を引き締めないといけない。ユーロ・ゾーン単独ではなく政策協調しないといけないという答え。
ユーロが対ドルで上昇する危険はないかという問いに対して。全くだ。インフレに対する態度が同じでないと市場が判断したら為替レートに結果が及ぶだろう。Fedはインフレリスクに今後関心を向けるだろうが、中国や日本は同様の態度を示していない。かつては物価の安定に世界が集中したが、今後はおそらくショックに対する応答が異なるような段階に進むだろう。金融の無秩序を経験するのではないかという答え。

うーむ。イメージは湧かなくもないですが、ここで言う限界速度を超えたという表現の意味がよく判らないのですが。また今回、世界的な政策協調を訴える声をよく見るのですが、我々を巻き込まないでくださいねと言いたい。日本にそんな能力ないですから。我々は我々の道を進みますのでそこのところはよろしく。FTもインフレ万歳言ってますしね。なるほど。これは政治的に使えそうですね。

それから共産党のユマニテはさかんにECB批判していますね。経済減速に拍車をかけ、低所得者層にも打撃を与えると。事態を本当に理解しているのかは別にして、これはこれで正しいと思うんですよね。貧者の友としては。これに比べて共産主義者や社民主義者がデフレ不況下にも関わらず金融の引き締めを要求し続けた(んですよね、違っていたらすみません)日本というのはどういう国なんでしょうか。

話が逸れました。あとはまあサルコジの発言ですかね。相変わらず方々に喧嘩売っています。人として好きなタイプという訳では決してないですし、まわりにいてほしくはないタイプなのですが、やっぱり見ていてなんとなく楽しいですね。この人のどことなく憎めない部分の正体をうまく表現できないのがもどかしいのですが、ユーロ・エリートともそのへんのおっさんとも同レベルで罵り合えるところですかね。品位のなさと言ってしまえばそれまでですが。まあこのへんは演出された部分もあるんでしょうがね。

追記
消費者物価ですが、Eurostatにデータがあります。HICPというのがどう定義され、どう計算されているのか、日本のそれと同一視できるのかどうかよく判らないんですよね。専門の方に解説してもらえるとありがたいのですがね。

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ポーランドのノー

ポーランドのカチンスキ大統領が議会で既に批准されたにもかかわらず、リスボン条約に署名をする気がないと言明したことがニュースになっています。大統領の署名がなければ条約の発行はないということですから混乱が続きそうであります。さあ、サルコジどうする。

Courrier internationalは世界中のニュース翻訳を集めた便利な雑誌ですが、そのネット版でポーランドの各紙の論調が簡潔に紹介されていました。ここには読売や朝日の記事が紹介されることもあります。マイナー言語の記事の翻訳が多く、深く突っ込んだ分析はありませんが、各国の論調を大雑把につかむのに重宝しているメディアです。

「リスボン条約 カチンスキはノーと言った」[Courrier international]
Gzeta Wyborczaの社説のタイトルは「カチンスキ大統領がサルコジを苛立たせた」だ。欧州連合の議長国にフランスが就任した最初の日の素敵な歓迎の贈り物・・・。「欧州がリスボン条約を救い、欧州統合を前進させるための方策を探っている時に、ポーランド大統領は、兄の反欧州政策を強化するために、条約に署名できないだろうと発言した。こうした拘束はポーランドを屈辱と不能に晒すことになる」とこのワルシャワの日刊紙でMarek Beylinは評価する。「急いで批准すれば、我々は欧州の先端に立ち、欧州の未来の意思決定に参加できるだろう」と彼は嘆く。「今や我々抜きで決定がなされるリスクがあるのだ。我々は立腹した欧州のパートナー達の圧力によって決定を受け入れざるを得なくなるだろう」。

カチンスキ大統領のノーは一般のポーランド人の欧州熱と矛盾している。「法と正義[社会保守政党]が与党だった際にはポーランドは欧州の笑いぐさで恥だった。しかし最近の総選挙の結果[2007年10月に市民プラットフォームのリベラル派が勝利]我々は統治権力の反欧州的な気まぐれを受け入れないことを証明したのだった・・・」とBeylinは続ける。「レヒ・カチンスキはリスボン条約の批准をできた」とジャーナリストのAdam Szostkiewiczは左翼の週刊誌Politykaのインターネット・サイトに掲載されたブログで主張する。「しかし彼は法と正義の人間ではないだろう[意味不明]。この党のポピュリズムにはなにも新しいところはない。欧州の問題に関して法と正義はナショナリストの右派と反欧州的な左派に連なった。この勢力は欧州連合の凋落に賭けている。だからこの勢力はエリートとその価値、その生活スタイルへの反感のような低劣な衝動を利用しているのだ」とAdam Szostkiewiczはみなしている。

右派の日刊紙Polskaもカチンスキがリスボン条約にノーと述べたことを残念がっている。「とりわけ彼自身が交渉し、自分の成果だと示した文書である」という点を同紙は指摘する。ポーランド大統領のノーは彼とは別の政治選択を代表している首相のドナルド・トゥスクとの対立の結果であろう。条約の批准の熱烈な支持者である首相はポーランドにアメリカのミサイル防衛システムを是が非でも設置しようとする件についても、ジョージ・ブッシュとの合意に調印しようとしている国家元首とは異なって懐疑派だ。「バローゾ氏には全幅の敬意を表明するが、欧州委員会は国家指導層の決定を判断する権能を有する組織ではない」とレヒ・カチンスキは右派の日刊紙Dziennikで説明する。この新聞のインタビューで大統領は条約に署名する意思がないことを表明したのであった。カチンスキ兄弟に近いRzeczpospolitaにとっては当面は待つことが最善である。「どの国が条約問題で優位に立つか吟味するために・・・」。
<了>

というようにRzeczpospolitaの社説を除いては主要紙はこの発言を歓迎していないようです。ポーランド政治ビギナー─私もビギナーですが─のために、カチンスキ兄弟は見分けのつかないほどにそっくりな双子の政治家で、兄がヤロスワフ(元首相)、弟がレフ(現大統領)で、どちらも欧州連合に対しては懐疑派で有名です。というわけでこの発言そのものにはポーランドではそれほどの驚きはなかったようです。Rzeczpospolitaは穏健保守的な論調の影響力のある新聞とされますが(ポーランド語版しかないので読めない)、カチンスキ兄弟寄りというのは知らなかったです。そうなんですかね。Polskaが首相との確執に触れていますが、この発言は国内向けという側面もありそうですね。

関係ないですが、Rzeczpospolitaはジェチュポスポリタと発音する「共和国」(レスプブリカ=リパブリック)を意味するポーランド語ですが、中近世のこの国の「国体」を表すようなキーワードです。「貴族共和政」として知られていますが、コンセンサス重視の政治システムです。専門家の話を聞いていて少しほのぼのした気持ちになったことを記憶しています。なんだか昔懐かしの「和の政治」みたいで。勿論別物なんですが。

追記
どうも最近誤字や書き間違いが多いですね。そんな年でもないのに。というわけで一部修正しました(7.3.2008)

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左の左

フランス左翼の分極化傾向はずいぶん前から明らかであったのですが、現在の社会党に不満を抱く層の独自路線の動きが活発化している印象を受けます。両者の対立軸というのは非常に複雑なんですが、簡単に言ってしまうと、市場経済(資本主義ですか)に対する考えの差異が根本的な分岐ポイントになっていることは言うまでもありません。「左の左」から見れば、社会党は「自由主義liberalisme」に妥協しすぎな体制派に過ぎないということになります。

ご存知の方も多いでしょうが、一応注意しておきますと、フランスでは「リベラル」というのはアメリカとは正反対で右翼です(保守主義と自由主義が右)。なお日本でも昔はそうだった訳ですが、戦後は欧州的意味のリベラルとアメリカ的意味のリベラルの両方がいて─あるいは社民主義者やアジア主義者や社会保守がリベラルと呼ばれるというよく判らない傾向のせいで─混乱を招いています。イデオロギー的多神教ともいうべきこの種の混沌を我が邦の国体であるとみなし、それはそういうものなのだと観じることもできるのかもしれませんが、少なくとも私には著しく難解な状況です。

話が逸れました。フランス左翼の分裂傾向でありますが、「左の左」を象徴する人物としてオリヴィエ・ブザンスノという人物がいます。社会党の人気低落傾向の一方で、最近のブザンスノ人気というのはたいしたものです。社会党のセゴレヌ・ロワイヤルよりも人気があります。実際、なかなか魅力的な人物ではあります。革命的郵便局員さんです。

Olivier Besancenot : une popularité qui commence à inquiéter le reste de la gauche[Le Monde]
がブザンスノ人気の分析をしていますが、それによると(以下訳ではなく要約)、Opinion WayとLe Figaroの調査で革命的共産主義同盟(LCR)のリーダーたるオリヴィエ・ブザンスノがニコラ・サルコジの最大のライバルに選ばれた。またExpressの調査でもフランスの政治生活により多くの影響を与えて欲しい3番目の政治家となった。45%から60%ぐらいの好意的評価を獲得しているこの男は社会党やかつて反リベラル同盟の仲間だった共産党のリーダー達を不安にさせている。サルコジはこの男を「すごくいい」と強調することを忘れず、右翼でル・ペンが占めるのと同じ位置を左翼で占めることを望んでいるようだ。

IFOPの研究によると、三つの段階を通じて公衆の前に存在感を増してきた。2005年の欧州憲法の国民投票、2006年のCPEをめぐる争論、そして2007年の大統領選挙だ。政治学者によればなおイメージ先行で確たる基盤を得ているとは言えないが、大衆の怒りの代弁者となった。市議会議員選挙でもLCRは顕著な結果を出している。この人気を受けて「反資本主義新党」の結成に向けた動きが見られる。6月28日と29日にサン・ドニで7000から8000人が集結する予定だ。しかしこの極左のリーダーの人気が新党の人気につながるとは限らない。

Tiberj氏によれば、LCRに近いとする選挙民は2%に過ぎない。「人々はブザンスノに投票するが、LCRのことは知らない。活動的、ラディカル左翼はブザンスノに投票するが、彼には社会党が失った一貫性と純粋性があるからだ」「もし社会党がコンプレックスなきリベラル路線を維持し、中道左派の道を目指すならば、ブザンスノは本当の居場所を得るだろう」とTiberj氏は語る。

というように今後右翼側で国民戦線が果たしたような役割をこの反資本主義新党が左翼側で果たすかもしれないといいます。反リベラルで極右と極左の勢力が拡大するといいますと、なにかあの時代を想起させるものがあって症候的な政治現象に思われますが、おそらくはエコロジー派やボヴェ(マクドナルド襲撃の人)ファンみたいな層も含めて現状不満勢力を糾合して一定の勢力をなしていくのではないかという予感がします。景気後退が長引くようなことがあればなおさらですね。なおサルコジのセリフはもちろん左翼の分裂を歓迎したものです。保守は国民戦線の攻勢にずいぶん手こずりましたからね。この左の左の動きはプロテスト勢力にとどまって政権の獲得をすることは勿論ないでしょうが、左翼の勢力地図を塗り替え、また欧州連合に対する国内世論にも結構な影響を与えていくことになるでしょう。ええと、欧州連合=リベラルです。

誰が読むのか判りませんが、この反資本主義新党結成の動きを告知しているル・モンド記事にも登場していたTiberj氏の呼びかけがありましたのでリンクしておきます。

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サルコジ外交

近年のフランスの政治家の中でサルコジほど毀誉褒貶激しい人もないでしょうけれども、その理由のひとつに彼がいったい何をやりたいのか、何をしているのか読み難いという点が挙げられるでしょう。あれやこれやに手をつけては中途半端に終わるただのショーマンさという揶揄を受ける一方で(口の悪さと軽卒さから小さな失点を重ねて軽侮され易いところがある)、原則論的な批判をどんどんすり抜けていく政治的狡知のある行動派の政治家だという声もあります。煙に巻かれているようで私には判断がつき兼ねていますが。

SoredaさんのところのEU絡みでサルコジがどう動くのかという話でどう応答したものかとしばし考えたのですが、正直難しいですね。リスボン条約批准交渉は続けるでしょうけれども、欧州連合の野放図な拡大にはもともと慎重な立場ということもあり、原則論的部分はごまかしてでも、安全保障、移民、エネルギー、食糧あたりの問題を賭け金として実質的な部分でコアの部分の統合の強化を進めていくつもりなんでしょうか。それが具体的にどういう姿をとるのかは例によってさっぱり見えないのですけれども。

英語圏のフランス政治経済ウォッチャーの中でたぶんベストなんじゃないかと思っているアーサー・ゴールドハマー氏がサルコジ外交について書いた記事を発見しましたので、これを紹介しておきます。サルコジの外交スタイル全般についての論評です。なかなかバランスよくまとまっていると思います。

まず最初にサルコジは確かにフランスの外交のスタイルに変化をもたらしたが、実質をも変えただろうかと問い、これに力強い肯定形で答えています。サルコジはゴーリストの遺産を継承しているかもしれないが、彼らの「偉大さla grandeur」のエートスはほとんど共有していないといいます。1958年に「将軍」がフランス国民の偉大を称揚し、ゴーリスト神話を打ち立てたのは米ソ対立の2局構造の時代であったが、50年後にこうした発言をしたら狂気すれすれの常軌を逸したものになるだろう。サルコジのフランスは再編されつつある多極的なグローバルな舞台で影響力拡大を目指す数ある中規模国家のひとつに過ぎないのだからといいます。

そしてこのフランスの姿はライバル達との権力闘争に勝ち抜いたサルコジ自身の政治的キャリアに重なり合うといいます。ここは論者が強調しているポイントです。それによると、彼はこれまでひとつの舞台で物事がうまくいかない時には別の舞台に進めるように、常に同時に複数のゲームを慎重に戦い、他人には気付かれないような制度を道具的に使いこなし、メディアの注意を集めるよう影響力を最大化することを学び、権力をもつ者とももたない者とも、意見の合う者とも合わない者とも関係を結び、必要とあれば、躊躇なく関係を断ち、友を悩ませてでも敵を懐柔してきたと。

それでサルコジはこうした戦術のすべてを最初の1年で外交政策にも採用し、多くのフロントで主導権を発揮したと評価されています。例えば、欧州連合とはリスボン条約の同意を得ること、リビアとはブルガリア人の看護婦を解放して、政権と取引し、カダフィを地中海連合の中に組み込むこと、ロシアとは西欧へのガス供給を議論すること、アフリカとは旧植民地との新しい関係を構築し直すこと、中国とは経済問題で交渉し、核のリアクターを売ること、レバノンとは新政権を支援すること、英国とはフランスが「アングロサクソン的」になった思わせて英国を称揚すること、ドイツとは欧州中央銀行や地中海連合についてアンゲラ・メルケルとの意見の違いを調整すること、NATOとは軍事機構への完全統合を考慮すること、米国とはより柔軟な立場を示すことといった具合にです。

そしてこのうちのどれに本当にコミットしているのか、どういう優先順位なのかについてはいつものサルコジ流で答え難いといいます。首尾一貫性のなさが彼のアプローチの特質なのだとまで言っています。例えば彼が本当に批判者が言うように親米主義者ないし大西洋主義者だとしたら、シリア大統領を地中海連合を議論するためにパリに呼ぶ危険を犯すだろうかと問いを発していますが、この背景には、アメリカはシリアとの対話を拒絶している一方で、イスラエルはシリアと対話をしており、アメリカがフランスを通じたもうひとつのコミュニケーション回路を開くことに関心をもつかもしれないという読みがあるといいます。この戦略において地中海連合とはこうしたコミュニケーションの便利なカバーであると同時に地域のブローカーの役割を高める枠組みであるといい、また独裁者との対話への国内批判をかわすためにレバノンの新政権との連帯を演じてみせたりしているとされます。

こんな風に一見バラバラに見えても複雑な策略があって単にサルコジをショーマンに過ぎないとは見なせない。外交政策の入り組んだゲームでの彼の動きは非常に計算され、互いに補完的なものであると評価しています。目的は限られたリソースで最大限可能なものを達成することであり、失敗は別の得点で救済されていると。また米国から独立して行動する自由がアメリカの政策と補完的な役割をフランスが担うことを可能にしているともいいます。

サルコジは多数のアドバイザーに囲まれていますが、その中でも重要なのが元駐米大使のジャン・ダヴィッド・レヴィット、欧州連合関係ではジャン・ピエール・ジュイエ、リビアやチャドを含めた多くの問題ではクロード・ゲアン、地中海連合や新アフリカ政策に影響を与えているのはスピーチライターのアンリ・ゲノであろうと論者は主要人物の名前を挙げています。特にベルナール・クシュネルを外相に任命したことは人権や人道支援へのコミットメントを象徴していて、チベット問題での中国批判やタリバンの女性問題の批判などに見られるように、時折思い出したようにこうした理念に連なることを可能にしているとされます。もっともコストが低いと見なされた時にそうする訳で、中国訪問やロシア訪問のような場合には人権は姿を消してしまうとも付け加えています。クシュネルは国内での野党社会党からの批判封じの意味もあり、さらに先ほどの欧州統合関連のアドバイザーのジュイエも左翼出身者でこの起用はフランス左翼を分裂させる意味合いを持っているといいます。

フランスとて人権の重要性が経済問題となると後退するのは他の国と同様ですが、とりわけサルコジは企業家精神を尊重する人物ですのでいつでもCEO達を引き連れて外遊し、かならず契約を結んでから帰国するというスタイルです。特にエネルギー関連が政策の主要な軸をなしているといいます。ロシアと北アフリカからのガスの供給の確保に全力を注ぎ、原子力のプロモーションにもコミットしていますが、特にリビアとの取引は世界的に驚きをもって迎えられたのでご存知の方も多いでしょう。

最後に再び現在の多極的な世界でのフランスの位置を示し、このゲームをどうすればいいのかサルコジは本能的に知っていると評価しています。最後の締めの部分は英語のままにしておきます。ちなみにサルコジは禁酒家で有名です。

The world may have to find a way to avoid cataclysm without relying on France, but the Gaullist knack for combining bluff with bravado may prove to be a winning strategy for la Grande Nation as it shakes off its last lingering delusions of grandeur. Sobriety has its compensations, and Sarkozy seems to have made up his mind to enjoy as well as exploit them.

というようにゴールドハイマー氏は首尾一貫性を欠いた(ように見える)サルコジ外交にそれなりのロジックを見出しています。こんなスタイルですから次になにをするのか、前にやっていてことが後でどう繋がるのかとても予見しにくい訳です。任期の一年目にあちこちに種を蒔いておいてこれからそれをうまく育てて料理していくところなんでしょうから、あまり短期的な成果がどうこうと言っても仕方がないかもしれません。リスボン条約の否決には動揺したでしょうが、当面は─喜々として─失点をリカバーしようと動いていくのでしょう。フランスの国益上のリカバーのことです。この記事は変化について語っている訳ですが、善かれ悪しかれ、ゴーリスト的な部分は確実に今後も残るだろうと思います。それが欧州連合にとってプラスになるのかマイナスになるのかはよく判りませんけれども。

一部修正しました(6.24.2008)

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チェコが駄々こねてます

リスボン条約否決を受けた首脳会議でありますが、大方の予想通りにチェコが駄々をこねているようです。サルコがなんとしても死守せんと頑張っているようですが、さて、いったいどうなるんでしょうね。

まず先日の物議を醸した大統領発言についてはテレグラフのこの記事でしょうか。アイルランドのノーを「自由と理性の勝利」とし、批准作業は継続できないと述べた発言です。
Czech president says Lisbon Treaty project is over[Telegraph]

首脳会議の様子についてはBBCのこの記事が手際よくまとめています。
Czech threat looms for EU treaty[BBC]
首脳会議で出される宣言にはチェコは当面批准できない旨が明記される模様です。またイギリスでは既にこの条約は議会で批准されたのですが(「正式の批准」はまだ)、国民投票なしでの条約批准に法廷で挑むビジネスマンも出現している模様です。食料や燃料価格の高騰の問題を焦点にしようという試みも空しく、今回の首脳会談では内部対立が表面化する結果となったといいます。

チェコの状況ですが、上院が憲法判断を要求したために憲法裁判所の意見が出されるまでは批准手続きは一旦停止のようです。首相のトポラーネク氏は自国での批准手続きを停止するつもりはないと述べたといいますが、議員に条約を擁護するよう強制するつもりもないし、自分ならチェコのイエスに100コルナを賭けないだろうとの発言。というわけで状況は非常に不確かな模様です。

一方、サルコジとEU首脳ですが、条約批准の手続きは全加盟国で継続されなくてはならないという立場をあらためて表明しています。またサルコジはリスボン条約の批准なしでは欧州連合の拡大はないとチェコに色目をつかった発言をしているようです。

チェコがらみのサルコジの動きについてはやはり山口昌子記者が報じていますね。まあ短い記事ですが、いつもながらの痒い所に手の届く報道に敬意を込めてリンクしておきます。

実は今、東欧ではいくつかの国の経済が危険水域に達しているという観測がありまして、もしかすると危機の発端になるかもしれないという危惧が徐々に高まっているようなのですが、チェコ経済はかなり好調でそのせいもあってユーロ加盟(通貨の方のユーロです)には慎重というスタンスをとっているといいます。このへんの背景についてはエントリをあらためて紹介したいと思います。

追記
一部加筆、訂正しました(6.21.2008)

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社会の分断

アイルランドの否決をめぐる議論は百花繚乱といった感じでありますが、経済的背景に触れた記事を紹介します。前のエントリの記事でも最後に触れていましたが、急激な経済成長の一方で不平等が拡大していたという事実が今回の投票行動に与えた影響というのはたぶんあるのでしょう。論者自身十分なデータがないと言ってるようにこれはまだ印象論に過ぎないのでありますが、さもありなんといった構図を描いています。なお私は接近遭遇したのですが、2005年のフランスの投票行動に関してはこの構図でかなりの部分を説明できるだろうと思います。勿論それだけではないのですが。ともかく指導者はきちんと説得せよというのは多くの論者が述べる通りであります。賛成にせよ反対にせよ、煽りの言説ばかりでは社会不安が高まるだけであります。苦みがあっても宥める言説が求められているのでしょう。これは日本の政治経済の言説にも言えることではありますが。

「アイルランドのノーと富裕層/貧困層、都市/農村の分断」
Kevin H. O’Rourke 14 June 2008

多くの同胞達と同じように私は金曜の晩をパブで過ごしていた。私の場合は、フランスの美しいシャルトルーズ地方の心臓部にあるパブだったが。ここはフランス人とオランダ人のサッカー・サポーター達の占拠するところまで満杯だったが、オランダ人サポーターは夜が更けるにつれてますます荒っぽくなっていった。これは感じのいいとても欧州的な機会だった。地元の子供達─私の子供も含めて─と一緒にオランダ人が酔っぱらってラ・マルセイエーズを歌って答えるといった具合にだ。これはまた少なくともアイルランド人にとって非常に象徴的な機会でもあった。この3カ国の市民は共に欧州の制度的変更の最終ラウンドにノーを投じたのだから。

一見したところフランス人のノーとアイルランド人のリスボン条約の拒否には共通するようなものはない。フランスではさらなる統合は減税ゲームにつながり、フランスのリベラルな避妊の法律が危険にさらされるぞとデマが飛んだ。アイルランドではさらなる統合は増税ゲームにつながり、リべラルな避妊の法律がこの深くカトリック的なままの国に押し付けられるぞとデマを広める者がいた。しかしこの2つの投票の間には欧州の政治家が怯えて無視する驚くべき社会経済的類似性がある。

選挙区地図を眺めるだけで最初の世論調査が示したものを確認するのに十分だ。つまりアイルランドの投票ははっきりと戸惑わせるほどに階級のラインに沿って分断したのだ。Dun Laoghaireのようなダブリンでもっとも豊かな選挙区では─慎ましい家庭ですら100万ユーロ以上のコストがかかる(変わりつつあるが)─60%以上が条約に賛成を投じた。シティーの労働者階級の地区では60%以上のスコアをつけたのはノーの投票だったのだ。2006年のBrouardとTiberjの研究は、2005年のフランスの投票では富裕層と貧困層ないし熟練労働者と非熟練労働者の間の分断が正確に認められることを示している。

こうしたパターンを解釈するのには少なくとも2つの方法がある。一つは教育がある投票者はより政治的に洗練されていて欧州連合の制度的土台への複雑な改定に含まれる諸問題をよりよく理解できるというものだ。二つ目の解釈は反対に富裕層も貧困層も正確に自分達の経済的利害がどこにあるのか認識していてそれに応じて投じるというものだ。一般にグローバル化、狭くは欧州連合が少なくともフランス、アイルランド、オランダのような豊かな国では圧倒的に熟練労働者に有利に働いたという議論だ。反対に非熟練労働者はルーマニア人(やアジア人)の競争や東欧やさらなる遠方からの移民の脅威を感じている。我々みたいな幸運な人間はこのことを遺憾に思っているが、ヘクシャー・オーリンの論理に従って、彼らが票を投じていることにはなんら驚くべきものはない。

投票の重要性に鑑みて信じられないことに我々になぜノーを投じた人々がそうしたのかを示してくれる出口調査のようなものはなかった。しかし中産階級と労働者階級の投票ギャップのパターンはいわゆる政治的洗練の差異以上に、現実的なものであれ想像的なものであれ、異なる利害とより多く関連していることに私はベットすると言わざるを得ない。これを優先するのは諸国を通じてのグローバル化の決定要素に関するAnna Maria MaydaとDani Rodrikの仕事、それからRichard Sinnottと私自身の仕事に大部分基づいている。この仕事が示したのは、豊かな国の非熟練労働者は熟練労働者よりも貿易と移民に敵対的で、貧しい国では最もグローバル化に好意的なのは非熟練労働者だということだ。 これはあまり教育のない者達には国際的な経済統合の利益の理解を期待できないなどといった議論と両立するのは難しいように思える。もしこの解釈が正しいならば、欧州連合で最も好意的な加盟国であるアイルランドの国民投票の結果は政治家達の目覚ましコールとして役立てられるべきだ。もしオープンな国際市場の利益を維持したいならば─私もそうだが─、彼らは取り残された者達の懸念に注意しなければならないだろう。

勿論私はこの国民投票の結果が様々な投票グループの経済的利害のみに関わるのだと主張したい訳ではない。親条約派が直面する困難は2005年と2007年の拡大の波が明瞭に破綻しなかった時にイエスを投じる説得的な理由をはっきりさせることにあったのだ。アイルランドとフランスでの政治家への公衆の不信が意味するのは条約が本当に必要である─その反対に見えてしまうのだが─ことの保証が多くの人々の耳に届いていないということだ。オランダと同様に、小国としてのアイルランドはノーを投じるのを諦めなさそうな形勢にある恐れがあった訳だが、ありそうなこととして欧州の指導者達がアイルランドは小国だといった理由から彼らの制度的野心へのアイルランドの障害を無視しようとするならば、この印象はこの先の何週かにわたって大きくなっていく運命にあるのだ。フランスとオランダの国民投票結果が本質的に欧州の指導者に無視されたそのやり口に嫌悪している者もいるのだ。などなどと。

私が言いたいのは経済的利害は多くの中の一つの要素で無視されるべきではないということだ。労働者階級と農村の投票者が組織的にさらなる欧州統合に反対票を投じるならば、これは欧州の政治的指導者が耳を傾ける必要のある事柄だ。彼らがこんな風に感じるという事実はまたなぜかくも多くのフランス人の隣人や友人が今週私の同胞達の投票に関して私を祝ってくれているのかを説明している。私は勿論感謝して彼らの連帯の表現を受け入れているが、もし今年アイルランドに住んでいたならば、イエスを投じただろうということは教えていない。今週物事が進む中で、アイルランドはできるだけ多くの友人を必要とするだろう。
<了>

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愛故にノンを投じたのだ

アイルランドのリスボン条約否決と今後の見通しに関しては様々な分析がなされていますが、経済的観点からこの否決を解読する記事がいくつかありました。原因としてはやはり政治的な要因が大きいだろうと思いますが、個人的に興味を惹かれた記事を紹介したいと思います。まずエロワ・ロランという人の記事です。かなりビッグ・ピクチャーですが、この論点は今後の欧州の小国の動向を占う上でもそれなりに有効な洞察を含んでいるように思われます。欧州の東方拡大でこれまで享受してきた有利な立場を奪われるのではないかという不安です。しかしあらためて実感したのですが、「ケルトの虎」とか言われた成長は凄かったのですね。

「いや、アイルランドは恩知らずなのでなく、不安なのだ」
15 juin 2008, Par Eloi Laurent (OFCE)

1963年6月28日にアイルランド議会を前にした演説の際に、アイルランドは「これまで豊かな国であったことも強い国であったことも一度もなかった」とジョン・F・ケネディーは喚起した。40年ほど後に時代はすっかり変わった。アイルランドは一人でリスボン条約を無効にしてのけたのだ。欧州統合のおかげで豊かになった訳だから、アイルランドは恩知らずと非難されている。欧州連合の四方八方から非難の声があがる。アイルランド人は誰よりも「ウイ」を投票すべきだったのだと。

まずアイルランド人が「ノン」の常習犯であることを忘れよう。そう、彼らは既に多数をもってニース条約を拒否したのだった。しかし、単に非難するのは、人々の知恵というものを誤解ないし軽蔑することだ。アイルランド人が「ウイ」を投じる合理的理由─経済的利害─があるならば、彼らはおそらくそうしただろう。それゆえこの「ノン」には理解すべきなにものかが存在しているのだ。2005年の国民投票の後のフランスの社会危機やオランダのアイデンティティー危機について理解すべきなにものかが存在していたのと同様にだ。

ここで大急ぎの仮説を試みてみよう。つまりアイルランドは拡大欧州の中では居心地が悪いのだ。欧州統合の小さな奇跡であるアイルランドは、商業的、金融的、財政的な波が東に向かっている時期にあたって、自身の成長と繁栄の戦略の永続性に不安を抱いている。そしてアイルランドが経験している経済的、政治的困難の時期はこれにどうにも対応できないのだ。

ユーロバロメーター(2008年5月)の最後の波の結果は雄弁だ。欧州連合に属していることはよいことだと74%(27カ国中4位)が、自国が欧州統合から利益を得ていると87%が(1位)、欧州連合に肯定的なイメージをもつと69%(1位)が、さらにユーロを支持すると87%(1位)が考えているのだ。それが将来の拡大への支持を尋ねられると、これに好意的なのは45%に過ぎなくなるのだ(20位)。

結論。アイルランド人は欧州連合はかくも愛しているのでこれを他者と共有したくないのだ。

まず疑いようもなく欧州統合に多くを負うアイルランドの信じられないほどの成功を考えてみよう。グラフの1は1970年と2006年の間の一人当たりの国民所得の発展を再現したものだ。アイルランドは、周知のように、1973年に欧州経済共同体に加盟した際には最も貧しい国だった(欧州平均所得の60%)。それが2006年には欧州の最も豊かな大国(英国や独逸)より上位であるだけな