カテゴリー「メディア」の28件の記事

日本元年


このたびの民主党の圧倒的勝利をめぐる英語圏の報道も紹介されているようですので仏語圏の報道でも紹介しておきましょう。いささかシニカルな論調も散見される英語圏の報道に比べると民主党の勝利を日本の民主主義の勝利として素直に称えるトーンが優勢かなという印象を受けますね。それから左派メディアではサルコジスムを自民党に見て、社会的なものを民主党に見る傾向もあるようです。人は見たいものを見るということです。以下、ル・モンドの社説「日本元年」です。

"Le Japon, an 01"[Le Monde]

日本人は変化を選んだ。8月30日の総選挙での中道左派の民主党の圧倒的勝利は歴史的なものである。ここまで自民党の保守主義者による権力の独占的な行使、そして複数の派閥間の「木刀での闘い」が半世紀以上も続いたのだった。この成功は列島における深甚な諸々の変化に表れているにちがいなかろう。

民主党の与党としての未経験は完敗後の狼狽の中にある自民党内部の分裂の可能性と結び合わさってこの安定に慣れた国に一定の政治的混乱をもたらし得るだろう。もはや投資や輸出によってでなく内需主導の成長と社会的保護を優先するというのであるから民主党は1960年代以来優勢であった「日本工場」のモデルを覆そうとしている。

8月30日の選挙は自民党に関する国民投票となった。すなわち個別のプログラムを超えて拒否されたのは権力の実践であり、経済的、社会的ロジックである。民主党は生活条件の改善を政府の基本的目的とすることで優先順位を転倒させようと求めている。敵対者から見れば、こうした「ロビンフット的」な政策は列島の産業的競争力を危険にさらすものであり、財政を不安定化するものである。

1990年代初頭の「投機バブル」の崩壊以降、日本社会は不安定化した。機会の相対的平等、給与の幅の小ささ、ほぼ完全な雇用、成長の配当の再分配による生活水準の改善が不平等の拡大、雇用の不安定性、ほぼ破綻した年金システム、多くの人々の相対的貧困化に席を譲ったのだ。こうした社会的不安定に起因する諸々の現象が選挙の背景となっていた。

民主党のプログラムは野心的なものである。社会的保護を優先することでこのプログラムはスカンジナヴィア諸国の「民主的資本主義」の列に位置することになる。しかし民主党は国民的な社会文化的遺産を考慮しつつネオリベラリスム/福祉国家の二者択一を超克することを可能にするような日本的な成長の道を見定めなければならない。換言すれば、1960年から80年の拡大の起源となったモデルを改訂しなければならない。日本人が選択した過去との断絶は救済的なカタルシス効果を持っている。後は民主党が期待の水準に達することが残されているのだ。

という訳でいかにも同じ中道左派への共感のある社説です。新自由主義か福祉国家かの二者択一を超克する日本的な道というのがどういうものかは分かりませんが、私にはここしばらく民主党からは協同主義の木霊が聞こえてきますね。超克。

ではでは。


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負けじの心

"A New Look For Japan’s Musicians"[Newsweek]

日本の音楽シーンが多民族的、多人種的になっているという話なんですが、そのことを強調するために日本の純血主義とやらを誇大に唱えることで-伝統的に血統幻想がそんなに強い社会だったとも思えないのですが-神話の強化に貢献してしまうというよくあるパターンの記事です。大衆はそんな話にさほどの関心がないことの証拠として捉えることだってできるかもしれないと思うのですがね。この奇妙な言説効果については何度も言及しましたのでもういいです。

それ以前にビルボード関係者とされる書き手には日本芸能史や歌謡史の基礎教養がないみたいです。確かに最近はいわゆるハーフの歌手や外国籍の歌手が増えている印象を受けますけれども、昔から日本の芸能の世界はそんなもんだったように思います。なお日本の歌謡についてなにか論じるには「芸能」が「芸術」(欧)や「エンターテイメント」(米)と取り結んできた入り組んだ関係への視座や東アジア諸国の芸能者たちの愛憎半ばする交流の歴史に関する認識も必要な気がするのですが、indigenousな日本にしておきたいのでしょう。こういう粗雑な地理-文化的なヴィジョンでは東アジアのマーケットには食い込めないんじゃないですかね。

ルイズ・ルピカールさん 「お百度参り」の日本訪問[毎日]

"French woman raised in Japan during war makes annual nostalgic pilgrimage"[The Mainichi Daily]

フランス人の父と日本人の母をもつ「トゥールーズの大和撫子」ルピカールさんが日本の訪問をしたという記事です。軍国少女時代の自伝『ルイズが正子であった頃』にはつくづくいろんな戦争体験があるんだなと思わされましたが、記事では「なにくそ」の「負けじ魂」について語っておられます。日仏の架け橋として活躍されていらっしゃるそうですが、本当に凛とした方のようですね。

週刊誌記者の取材に心が汚れた[Cnet]

別にメディア人が総じてすれっからしだとも思いませんし、それほどネットに大きな幻想を持っている訳でもないのですが(小さな幻想はありますが)、この記事にはなんだかしみじみとさせられました。「心が汚れた」という表現はいささか可憐に響きますが、氏には負けじの心でやってもらいたいものです。

"How do you solve a problem like Korea?"[Guardian]

どうということもない記事ですが、典型的に思えましたので。北朝鮮問題を解くには中国の協力が必要だ。しかし体制崩壊にともなう難民の発生を怖れる中国はこれまで非協力的であった。ところで北朝鮮の暴走は中国にとってコストになりつつある。なぜならば北朝鮮の挑発行動は中国が難民以上に怖れる日本の軍事化を促すからだ。この点で中国には状況を管理できる状態にするインセンティヴがあり、米中には共同の利害がある、と。もっとストレートに日本を後押しして中国に圧力をかけろ式の意見もちらほら見ますが、日本の現状を見ていないその幻想性においては軍国主義の復活だ!組と五十歩百歩なのかもしれません。

"On North Korea's nuclear and missile tests"[FP]

ウォルト氏に米国のリアリストの意見を代表させるのがいいのかどうか分かりませんが、同盟国は戦争を望んでいない、米国にはほとんど打つ手はない、この問題は中国に主導させろ、と述べています。あまり関心はなさそうですが、誰かが聞けば、日本については拡大抑止の有効性を確認して安心させとけ云々が続くのでしょう。

自国を棚にあげて言えば、米国の対北朝鮮外交はやはり稚拙なところがあったように思いますけれども、同盟国の足並みが乱れ、戦争オプションがとれないとなると他にどうしたらいいのだという気持ちにもなるでしょう。とりあえず今回韓国がPSIに参加したことは言祝ぐべきなのでしょう。当面は国連外交を進めたり同盟の空洞化を防いだり安全保障に関する縛りを緩めたり外交的手数を増やしたりすることぐらいですかね。ふう。否、負けじ。

追記

"A nuclear Japan is not an option"[Observing Japan]

クラウトハマー氏の日本核武装論に対して上のウォルト氏の記事を引用してオバマ政権は過敏に反応せずに同盟国に拡大抑止の口約束をせよと述べています。反対の理由としては日本の国内世論を挙げる一方で、地域の安定にとってワイルド・カード過ぎるからと述べていますが、後者は曖昧な言い方ですね。氏の見方には総じてそれなりの(米国から見た)合理性と現実性があると思いますが、現在の同盟関係が日本側にもたらす心理的側面についていささか楽観的に思えます。別に「保守」の頭がとりたてておかしい訳ではないと思いますよ(おかしい人もいますけど)。

ついでに、たとえ米国がゴー・サインを出したとしても(この仮定の現実性は度外視します)、核の目的をめぐって日米で齟齬が広がるように想像します。対中国の最前線の位置付けは御免蒙りたいと考える人が多いでしょうし、日本の日本による日本のための核戦略に賛成するほどアンクル・サム氏も親切ではなさそうですしね。なにかコンセプトが欲しいところです。ただ核であれなんであれ思考の縛りは無用だと思いますが、国民の合意がまったく存在しない現在は通常戦力の強化の問題に議論は集中すべきだと思います。

再追記

細かい部分の修正をしました。MTGで白熱した議論になっています。一応注記しておくと私はゴーリストではないですね。

[本日の一曲]

http://www.youtube.com/watch?v=2Y8I8xD46wU&feature=related

バートン・クレーン『酒がのみたい』(1931年昭和6年)

日本初の欧米系外国人歌手と言えば、このジャーナリストさんですね。お世辞にも上手いとは言いがたい歌唱ですが、この曲は耳に残ってよく口ずさみます。

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村と帝国の戦いでは村を支援せよ

(タイトルに特に意味はありません)

コメント欄でリクエストがあったのでグーグル・アース事件に関するル・モンド記事の訳をアップしておきます。話題になったAP記事に比べるとだいぶ短いですが、この問題について非常に詳しい記者の記事なので意味があるかもしれません。また部落解放同盟の古地図に対するスタンスがあまり世の中に伝わっていないようなのでその点で価値があるかもしれませんね。地名削除は歴史の抹消を意味してしまう、というのが同盟の見解のようです。基本的スタンスはココにありますね。文脈を無視して複製をアップしたのも、問題化すると泡を食って地名削除に及んだのも不満である、と。そうですね、個人的には古地図から地名の削除というのは薄気味悪いです。

「日本でグーグルが禁じられた地区に侵入する」ル・モンド5月20日フィリップ・ポンス

その性質から言って古地図より無害なものはあるだろうか。徳川将軍時代(1606-1868)の東京と大阪の歴史地図を公開した時、グーグル・アースは自らがタブーに抵触することになるとは知らなかった。かつて差別の対象となった社会の周縁の者たちが居住していた-現在もその子孫の一部の者たちが暮らしている-地区を地図上で位置決定することが引き起こすかもしれない偏見を理由に、この検索エンジンは数週間前から法務省の調査対象となっている。

1871年に差別は廃止されたが、この社会カテゴリーの者たち-生まれた場所ないし居住地以外には他の日本人といかなる違いもない-への偏見は人々の心性に深く根を下ろしている。グーグルのおかげで今後は”burakumin”(「小集落の住民」の意)地区を位置づけることは容易くなる。公式には彼らは150万人とされるが、その倍いるかもしれない。その一部は列島各地の4000ヶ所で暮らしている。その土地の名はしばしば変更されたが、微妙な差異をとどめている。

”eta”(穢れた者の意)は彼らの職(皮革、屠殺、解体の従事者)ゆえに仏教から非難され、下層階級のいかがわしい周辺の者たち(娼婦、物乞い、落伍者、軽業師)である"hinin"(非-人間の意)は特別の地区に押し込められた。差別が廃止された後も彼らはそこにとどまり、やがて農村から都市へ移住した大勢の困窮者たちがそこに合流した。先祖に関わる偏見は区別を欠いたこの貧困層へと押し広められることになった。

家族の秘密

生まれた場所でこの「部落の民」を「同定」することはできない。かつての「ゲットー」の場所のリストが内密に企業の人材サーヴィスを流通している事実は根強い偏見を証言している。今後はこうした地区がかつてはゲットーであったことを知るのにワンクリックで十分になるし、ゲットーを特定するには古地図と新しい地図を重ね合わせるだけで十分になる。

古地図の複製は日本では禁止されていないが、一般に歴史的説明の補足がつく。カリフォルニアのコレクター所蔵の地図をオンライン化するにあたってグーグルは用心を欠いた。最も重要な反差別団体である部落解放同盟は反応した。二週間後、グーグルは”eta”のような差別的言及を地図から削除した。しかし解放同盟は満足していない。というのも「それはそこに暮らした人々を世界から抹消することに帰着する」からだ。かつてのカースト外の人々をめぐるやっかいな問題はここでは慎重に取り扱われているのだ。グーグルが頓着しない「家族の秘密」の問題は。

といった具合にグーグルの慎重さの欠如にやや批判的なトーンです。ついでに書いておくと、成長の壁にぶつかりつつあるかに見えるこの企業をめぐって近年日本で起きている諸事件は兆候的に思えます。ストリート・ヴュー事件の際にも英語圏論者には日本の文化ナショナリズムの主張のように受け止めるむきが多かった印象がありますが、日本的近代における公私区分編成の問題なのか公共的なものと世間的なものとの争いなのかシステムに対する生活世界の側の抵抗なのかあるいはこうした説明は嘘っぱちなのかよく知りませんが、日本だけでなく世界中でこうした問題は起こり得るのではないでしょうかね。グローバル化の概念と関わってくるのでしょうけれども、私がこの言葉から連想するのはマクドナルド化する世界のような平板化のイメージでも文明の対立のようなシンプルな闘争のイメージでもなく、どこが内でどこが外なのか不分明な入り組んだ文脈間の絶えざる折衝のイメージです。

追記

で、この件についてどういう要望の下に折衝がなされるべきかがそもそもよく見えてこないのが困ったところですね。

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美術とそうでないもの

"A Ukiyo-E Master in the Art of Subtle Protest"[NYT]

ロンドンの王立アカデミーの国芳展の記事。国芳の現代性については喧伝されるようになっていますが、なにも知らずに小学校高学年の頃に模写して遊んでました。ひどく訴えるものがあったような記憶がありますが、今は猫ものぐらいです。記事は浮世絵を「文化革命」と呼び、国芳の浮世絵の当時の政治社会の風刺的側面、それから開国前にいち早く西洋絵画に出会ってその手法を貪欲にとりこんだ点について強調しています。幕府のあいつぐ禁令とこれを逆手にとって庶民の喝采を浴びた反骨の人、鎖国下にあって海外の新奇なものへの好奇心に溢れていた人といったまとめ方のようです。前者の例として天保の改革を風刺したとされる『源頼光公館土蜘蛛妖怪図』(下)、後者の例として『縞揃女弁慶』が特筆されています。米国人コレクターの協力で開催された模様です。英国の展覧会評も読みましたが、戸惑いが表れていますね。絵画なのかカルトゥーンなのかどうカテゴライズしたらいいのか分らないと。内容の理解以前に、美術館に陳列された時点でこのメディアの性格が覆い隠されてしまうように思えますね。「鑑賞」するものではない。この記事が風刺画の説明をしています。これが時事錦絵、錦絵新聞、さらに小新聞へとつながっていくようです。英国の政治風刺版画から新聞への流れとどう同じでどう違うのでしょう。

10minamoto

「幕末・明治期の欧字新聞と外国人ジャーナリスト」鈴木雄雅

こちらはおまけに紹介しておきます。日本における英字新聞の歴史にちょっと興味があってぼちぼち調べているのですが、この記事は戦前の概略です。横浜におけるハンサードの『ヘラルド』、リッカービィの『タイムズ』、ブラックの『ガゼット』の競争が佐幕派対尊王派に対応した論調であったこと、ハウエルおよびブリンクリーの『メイル』とハウスの『トキオ・タイムス』が「親日新聞」として知られたこと、近代的経営を持ち込んだヤングの『クロニクル』とフライシャーの『アドヴァタイザー』がそれ以前の個人経営的な新聞にとって代わり、「軍国主義」への傾斜を強める日本への厳しい論調で知られたことなど基本的な事実がまとめられています。おわりにを引用すると、

 一般に日本における近代国家の成立とみなされる憲法発布(1889年=明治22)以降,社会的政治機能が,新聞界においても,一般化された欧字新聞の持つ機能--すなわち,外からの資本的侵入,内からは国家の代弁機関という要因のうち,後者を重要視したのは当然のことであろう。しかしながら,外人ジャーナリストの中には助成金を貰いつつも,そうしたことのみ目的に新聞を発行したとは考えられない者が少なくない。とりわけ,彼らがくり広げた紙上論争は,自国の利益追及にのみこだわったものではない時もあった。
 欧字新聞界ではその創生期から第二次大戦終了時まで,自由な論争が「反日」のレッテルを貼られる時代が続き,「親日」「反日」のどちらかを選ばなければならなかったのも時代の趨勢であった。欧字紙は戦後ようやく経営的に一本立ちするようになるが,今でもなお,一紙を除き親新聞の啓蒙宣伝紙といわれるぐらいだから,当時の経営面の脆弱性は推して知るべしだろう。
 顧みると,多くの批判があるにもかかわらず,幾人かの傑出した外国人ジャーナリストが評価されるのは,彼らと彼らが生みだした欧字紙が,日本の国際コミュニケーションの私的担い手としてそれなりの役割を果たしたからであり,さらにジャーナリズムのみならず日本社会の近代化に深く貢献したことに他ならないからである。

といった具合にまとめています。近代的新聞概念を日本にもたらしたこと、優れたジャーナリストを輩出した点について評価しています。国際コミュニケーションの担い手としての「それなりの役割」の「それなり」という書き手の留保になにを読み取るべきなのでしょうか。「親日」「反日」をめぐる話は今もたいして変わっていないような気がします。記事は日本側からの視点ですが、その鏡として「外人社会」における分裂抗争の歴史というものもあったりする訳ですね。「外人社会」の利害の主張や自国の主張の代弁の側面が強く出る面とあまり自己規制のない活発な議論が展開される面と二重の性格があるのは今も変わらないような気がします。別の言い方をすると、共同体主義的側面と普遍主義的側面の独特な結合といいますかね。まあ、私は正確で公正であれば「親日」でも「反日」でもなんでも構わないですし、どちらかというと、うならせるような鋭い分析や批判のほうを期待していますのでどうぞ宜しく。なお英字新聞史関連の話はそのうちもう少し書きたいと思います。現在はブログのほうが優れたものがありますね。

"Looking at history: the argument for facts over theory"[Japan Times]

厳格な実証主義史家として知られるジョージ秋田氏の著書の書評です。記事は伊藤隆氏の業績についても触れていますが、要するに日本の戦後の文脈ではマルクス主義史学と対立して厳密な史実に基づいて歴史を記述した流派のことです。理論的なものに距離を置く歴史学的実証主義というと古臭いもののように語られたりすることもある訳ですが、そんなことはなくてごく正統的な歴史学の方法です。素人目にはひどく禁欲的だなあ(小声で:退屈だなあ)ということになるのですが、面白ければいいじゃんというものではないのですから仕方ありません。それで秋田氏の著書ではジョン・ダウワー氏とハーバート・ビックス氏が槍玉にあげられているようです。ビックス氏については素人でもルール違反であることはすぐに見抜けるお粗末な本ですが、ピューリッツァー賞を受賞したこともあって英語圏の読書界では昭和天皇というと氏の本のイメージがわりと強かったりします。ですから英語でこうした仕事が現われると(もうすでに反論本は複数ありますが)コミュニケーションをする上でありがたかったりします。以下は評者の言ですが、

I think Bix is wrong if his premises include, as Akita says they do, that Hirohito possessed immense powers and, because of his kami ("someone above") status, assumed his commands or demands would be obeyed. The suggestion is that he should have been on top of the list of Japanese war criminals.

The accolades heaped upon Bix's book, including a Pulitzer Prize, remind me: Americans continue to grab at the slightest hint that Hirohito, who was equated with Hitler and Mussolini during the war, wielded powers comparable to the two dictators'. This is the impression I've had ever since David Bergamini's "Japan's Imperial Conspiracy" (William Morrow, 1971) appeared.

Yes, Bix once dismissed the Bergamini book as "imaginatively constructed." But we can do the same with Bix's own book, Akita shows.

Bix believes in the efficacy of the "voiceless order technique," among other things, as he liberally puts his imaginings and assumptions into others' heads where evidence does not exist.

都合のいい事実を集めて都合の悪い事実はないことにして史料がないところは想像で埋め合わせる、これは、結局、結論ありきの議論でしかない、そしてその結論は政治的な欲望にダイレクトに導かれているので反論に対しては論理や事実ではなくレッテル貼りでしか応答できなくなると。別に実証主義にあらずば歴史にあらずとは思いませんが、論争がもつれたときに立ち返る立場として尊重すべきだと思います。なお機関説論者から見ると「天皇の責任」論という問題設定そのものがなにかずれたものに思えるのですが、内外の親政説論者は我が邦の国体の神秘なるものを強化したくて仕方がないのでしょうかね。まあ、がんばってください、千代に八千代に。

"Japanese underworld boss quits crime to turn Buddhist"[Guardian]

悪名高かった後藤組の元組長さんが坊さんになろうとしているという心温まる話です。そう言えば、元ヤクザの神父さんの話もガーディアンで読んだような気がします。マッカリーさんは本当にヤクザが好きですね。2001年に手術のために渡米した際に入国と引き換えにFBIに提供したとされる情報ですが、ヤクザ・ファンジンにある程度の話だということです。日本のヤクザって本当に情報公開が進んでいますよね。ついでにこの病院に大きな寄付をして

The grateful don, who was suffering from liver disease, later donated $100,000 (£68,000) to the hospital, his generosity commemorated in a plaque that reads: "In grateful recognition of the Goto Research Fund established through the generosity of Mr Tadamasa Goto."

と記念されているそうです。前から疑問なんですが、日本の大物右翼とかヤクザの組長ってどうして海外に名前を残したがるのでしょうかね。ひとつの様式になっているような気がします。よく知らないのですが、このあたり魑魅魍魎の跋扈するディープな戦後史があるのでしょうね。

"Letter:The Disputed Islands"[NYT]

竹島について韓国系米人がクリーニング屋のバッグでアピールしているという記事を読んで、そのエネルギーを別の方向に使ったらどうでしょう、と溜息をついた訳ですが、それに対して韓国人も日本人も騒ぐのを止めて島の周囲の環境を保持しようとかいうあるフランス人のレターがついていました。お前さんは誰なんだ、環境とかいうとリベラルっぽいとでも思っているのか、底の浅いやつめ、と思った訳ですが、それに続いて日本情報センターの杉本氏が元記事に対してこの問題は「植民地主義の遺産」ではない、歴史的にも法的にも日本領である、国際司法裁判所に出てきたらどうだ、とマジレスしていました。『消耗』という文字が大書された掛け軸が脳裏に浮かびますが、こうやって地味に反論をしておくのはとても大切なことだと思います。政府間で今がちゃがちゃやる問題ではないと思いますけれども。

もはや国内では教科書検定の話はたいして騒がれなくなった感がありますが、英語圏でもずいぶん静かになりましたね。日中韓発のソースを除けばAFP記事とテレグラフ記事ぐらいでした。AFP記事は反対派の主張を掲載し、最後に採択率がわずかである事実を伝えています。テレグラフ記事は韓国政府側の言い分-読んでないでしょ-を伝えていますが、タイトルやリード文や本文の修辞に強い主張が入っています。なぜインディペンデントでもBBCでもなくテレグラフなんでしょう。

それはともかくこうして政治の主戦場が象徴的なものから実質的なものに移りつつあるように見える傾向そのものはいいことなのでしょう。この話に関しては、作成から検定を通じて出版にいたるプロセスで手続きが適切に守られるべきだという原則論以外にあまり語るべき言葉はありません。歴史の係争点はプロないしセミプロが公的に議論をすればいい。だいたい人は教科書の外で真に歴史的なものに触れるものです。

ではでは。

追記

佐藤氏のジョージ秋田氏の書評に不満の声が挙がっているようです。読んでもいないのに批判するなと。そりゃそうですね。佐藤さん、がんばって。でも、ビックス氏の本はレベルが低いので依拠していると頭が悪く見えますよ。これはイデオロギーの話ではなく史学的な話です。まあ、あなた方が関心あるのは政治であって歴史じゃないんでしょうけれどもね。

[本日の一曲]

http://www.youtube.com/watch?v=bSs5DVHkjqE&feature=related

江利チエミ『踊り明かそう』(1963年昭和38年)

告白しますと私はかなりのチエミ・ファンでしてこれを見ると涙が出そうになります。マイ・フェア・レディと言えばチエミ。他は知らない。

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日本的統合主義?

"Waiting in the Wings" by David McNeill[Newsweek]

民主党をめぐる状況を扱ったニューズウィークの記事。なんだか見知った名前が並んで脱力する感じもありますが、ウォルフレン氏も御健在のようです。特定社会を理解するのに"the System"なる単数形の仮説的実体を立てる氏の方法論の問題点-陰謀論に接近する-が発言部分でも見事に露呈しています。記事では自民党のばらまき批判がなされていますが、民主党もやる気まんまんな訳ですよね。また官僚対民主党という対立図式を強調していますが、前にも書いたように非妥協的に対決した場合、民主党は政策立案能力を失うことになるでしょうし、党の支持母体を考えても無謀な賭けではないでしょうかね。まあ修辞なら修辞でいいんですけれども。最後に小沢氏の検察批判ですが、これを日本政治において検察の果たしたネガティヴな役割の歴史を想起すれば、その意味は理解できますが、この事件でそれを弁明の論拠に持ち出すことには今のところあまり説得力を感じていません。正直、こんなタイミングで「政治と金」がテーマになりそうなことには激しく溜息が出てしまいます。ところでこの記事ですが、ところどころでなんだか臭みがあるなと思ったらマクニール氏でしたか。

裁判員制度で大わらわ 新聞各社が「自主規制」を開始[Cyzo]

(Hat tip to Adam)

裁判員制度については基本的なアイディアとしてはいいけれども細かい部分で修正は必要だろう、いろいろな波及効果はありそうだけれどもどういうネガティヴな効果がもたらされ得るのかについての想像力も保っておこうぐらいのスタンスで見ている訳ですが、これはポジティヴな効果でしょうね。新聞各社が事件報道の際にソースを明示するようガイドラインを変更した、あるいはしつつあるという話です。前に書きましたが、事件報道の際にセンセーショナリズムに頼って社会不安を必要以上に煽る傾向には困ったものだなと思っていましたのでこれはこれでひとつの進歩でしょう。日本国民の正義感の強さはそれ自体悪いことではないと思いますが、メディアが商売繁盛のためにこれを動かす構図には醜悪なものがあります。もっともこうした原則はテレビにこそ適用されるべきでしょう。こちらのほうが影響力が強い訳ですから。ドラスティックな変化とはいかないのかもしれませんが、この小さな改善については評価しておきたいと思います。といいますか、こんなの基本中の基本ですよね。

日本人同性愛者の外国での同性結婚が可能に[JanJan]

前エントリの続きで紹介しておきます。書き手は「僕の悪い癖」かもしれないと述べていますが、これといった方針もなく法務省が諸外国への配慮で動いているというのはどうやら正しいでしょう。ルース・ベネディクト流の罪と恥の文化論や阿部謹也流(?)の世間論はあまり信用しないのでちょっと一般化し過ぎに思えますが、日本の「遅れ」は「一神教圏」よりも差別やバッシングが露骨でないために問題化しにくいことによるという経験的な観察そのものはおそらくは正しいでしょう。条件はそれほど悪くないと思います。この件に関しては特に利害関係はないのですが、ポジティヴな政治闘争が展開されるのを見てみたいという気持ちがあります。ご健闘を祈ります。

"For enlightenment, step this way" by Mark Schilling[Japan Times]

"Masterpiece Maker"[Japan Times]

私とは趣味がずれているようですけれども、シリング氏の映画評にはある一貫性が感じられるので読んでいます。中村義洋監督の『フィッシュストーリー』が好評価ですね。監督のインタビューもあります。同監督の映画はなかなかいいけれども個人的にはそれほど訴えかけない-全作品を見ている訳でもないですが-ぐらいですが、面白そうなので天気のいい日にでも見に行きましょうかね。

映画ということでついでに書いておくと、今日、渥美清主演の『拝啓天皇陛下様』を見てうならされました。別に深刻ぶった戦争映画ではなく気のいいはぐれものを主人公にした喜劇映画なのですが、妙なリアリティーがありました。どうも戦争から遠ざかれば遠ざかるほどイデオロギーの声が大きくなり、悲劇が過剰に演出される傾向がある訳ですが、この字もろくに書けない朗らかな山田二等兵の泣けてくるほどの現実感の欠如に戦争のリアルの一面が描かれているように思えました。また周縁の者たちがいちばん熱心に天皇陛下万歳だったことはよく知られた話ですが、例えば、色川大吉が重視した水俣病患者の天皇陛下万歳とはまた違うのでしょうけれども、この天涯孤独者の忠君のあり方にもそれと通底するなにかを感知しました。つまらぬ機関説論者なのでこういう不透明なものに「底知れぬ日本」を感じて畏怖の念のようなものを覚えてしまいます。もっともらしい説明やら安易なレッテル貼りやらをして安心したような顔をできる人々が羨ましいです。

"Refugees, Abductees, “Returnees”: Human Rights in Japan-North Korea Relations" by Tessa Maurice Suzuki[Japan Focus]

北朝鮮の難民の扱いをどうすべきかについてのテッサ・モーリス・スズキ氏の記事。救う会や守る会や現代コリア研究所の活動を「人権ナショナリズム」とレッテル貼りをした上で「普遍主義的な人権」の観点に立って救済すべきであると説いています。確かによく調べていますし、記述に多少のニュアンスもありますが、私は右派だろうが左派だろうが実際に汗をかいて真面目に人助けをしている人には基本的には敬意を持つし、勿論意味はあるとは思いますが、論文を生産したりしているだけの人にはそれよりはだいぶ低い敬意しか持たないです。三浦小太郎氏の評価については(コレです)、政治思想的には多文化主義対統合主義の変奏なのでしょう。エマニュエル・トッド氏の「開かれた同化主義」の概念は確かにフランス的偏りがあるとは思いますが、それなりに練られた概念なので感情的に反応すべきではないと思います。コストの観点からの批判はあるでしょうけれどもね。また歴史は飛躍をなさず、日本の多文化共生派についても氏は大いなる見込み違いをしていると思います。ところでJapan's cultural uniquenessなんて言い方をしていないように思えるのですが、いつもの藁人形議論ですか。まさか英語はよくて日本語は駄目なんて言わないですよね。また「国家の保護」的発想を批判していますが、悪しきNGO主義といいますか、細部に批判はあっても現実には政府の保護なくして人権が保障されることはないと思いますけれども。この論点は氏の国家安全保障的発想批判にもつながるのかもしれませんが、極東の戦略的環境についての認識が根本的に甘過ぎると思います。夢を見ることは人間の自由に属しますが、それがあまりにも非現実的な時には、悪夢に転じるかもしれないことは肝に銘じるべきではないでしょうか。最後に氏の言説の動機に触れている部分

The problem for those who take this view, though, is that it is very difficult to promote engagement with North Korea while also publicly condemning that country’s human rights violations, and it therefore becomes all too tempting to ignore these violations or sweep them under the carpet. The task of identifying alternative responses to the North Korean human rights problem – responses not linked to a hawkish political agenda – is an urgent and difficult one. In the pages that follow, I shall use a critical analysis of some Japanese debates on North Korean human rights as a basis for considering some aspects of this problem.

抱擁政策を支持し、タカ派と自分を区別したいので、北朝鮮に対する人権侵害の批判は手控えよう、北朝鮮の人権問題を考えるオルタナティヴとして(なぜか)日本を批判しよう、というのは追い詰められた日本左翼の心情論理そのままじゃないでしょうかね。それに他人の疚しい良心を政治的に利用しようなんて下品で卑しい振る舞いだと思いますがね。ジャパン・フォーカスはそういう場所ですけれども。佐藤勝巳氏の言説を批判的に扱っていますが、私はだいぶ下ですけれどこの世代のアカの人々のことはある程度は知っているつもりなので痛いほど分かるところがあります。なぜ民社党系の人々なのかとかもですね。氏の「帰国事業」のナラティヴが見過ごしているポイントというのがあって氏は歴史に復讐されることになるのかもしれませんね。なお私は別に対北朝鮮強硬派ではありませんので。悪しからず。

ではでは。

追記

いささか攻撃的だったかなとも思いますが、鈴木氏のアプローチには批判的なところがあるのですね。人権保障のあり方について意見を言うことそのものを批判している訳では勿論ないです。氏の持ち味である名もなき実存たちに寄せる思いや微細なものへの視線は評価できても、それがわりと単純な二項対立に基づいた性急な価値判断なり友敵理論に基づいた党派的主張なりに接続するところでちょっと待ってくださいな、となる訳です。

[本日の一曲]

http://www.youtube.com/watch?v=pE-6vwW9et8

ディック・ミネ『ダイナ』(1934年昭和9年)

戦前巻き舌界の帝王と言えば、この方です。原曲は1925年のジャズのスタンダードで昭和9年のヒット曲。

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まあ、ぼちぼちいきましょうよ

"One France Is Enough" by Roger Cohen[NYT]

ロジャー・コーエン氏のNYTのコラムです。フランスを当て馬にしてオバマ政権に忠告を発しています。つっこみどころが多過ぎるのですが、要はレーガン以来の小さな政府路線には確かに行き過ぎがあったが、現在のオバマはまるでフランスのエタティスム(etatisme国家主義)のようだ、フランスはふたつもいらない、移民の国としての米国は可能性とチャンスの国であり続けるべきなのだ!と主張しています。このベタベタな記事を紹介するのはこの話法のままフランスを日本に置き換えても成立しそうな論調に見えたからです。例えば、記事のタイトルを"Turning Japanese"とでもして、ウォルフレン氏流の官僚陰謀論を持ち出して、主題に関係ない性的な話題をなぜか入れて・・・、あれ、もう読んだことがあるような。実際、アメリカのフランス叩きと日本叩きは似ている部分があるので比較言説分析の面白い素材になるかもしれません。トップ・ダウン的なものへの敵意、歴史や文化への妬み、センシュアルなものへの道徳的不安などなど。日本の場合には異文化への不安が入る分さらに不当なものになりがちな訳ですが。

一応フォローしておくと氏とは意見が一致することも時にありますし、最近では「イランのユダヤ人」のコラムなどは世界の複雑性を読者に示すという意味で悪くないとも思いますが、それでもある種のリベラルって・・・、止めておきますか。言い忘れましたが、コーエン氏はわりと知られたフランス・バッシャーです。かの国ではアメリカ嫌いに対して個人的にはなんの義理もないのにアメリカを擁護する役割を果たしていたのですけれどもね。

"Japan's Crisis of the Mind" by Mamoru Tamamoto[NYT]

こちらは同じくNYTの玉本氏の記事です。玉本氏のことはご存知の方もあるかもしれませんが、日本解説者として英語圏の一部で知られる政治学者です。かつて外務省系の財団法人と産経新聞の古森記者と玉本氏、さらに何人かのジャパン・ハンズや半可通ブロガ-達を巻き込んだ脱力系の事件がありました。クレモンス氏がワシントン・ポスト上で逆上、古森氏がこれに反論、NBRなどでの場の罵り合い、と心底くだらないと思いつつも見物人的には手に汗握る展開(笑)と相成りました。古森氏のWikipediaの項に経緯の記述があります。日本語のブログもけっこうヒットしますね。

この記事はスルーしようと思ったのですが、それなりに反響があるようなので一言だけ。内容は現在の日本の危機は精神的なものであり、戦後、西洋に追いつけ追い越せでやってきたが、もはや目標を失い、自由の原理に基づく西洋諸国とは異なり、日本では官僚が支配する自由も幸福もないシステムが立ちはだかっている(ウォルフレン症候群!)、今必要なのはリスクをとる意思とダイナミズムであるといった感じです。「日本人の心理的危機」ではなくて「私の心理的危機」ないし「我ら戦後リベラル左派(?)の心理的危機」ぐらいにしておくのが謙虚な姿勢というものではないですかと思いました、はい。また英語圏の日本言説に呑み込まれた善良な魂の痛ましさみたいなものをところどころで感じました。ただの偏見や叩きを真に受けなくてもいいのにと。リベラル層のオブザーバーに動揺を与えるわさびのきいた記事を一本でも書いたら-まあ全部読んでいる訳でもないので分かりませんが-氏のことを評価するかもしれません。そうですね、ダイナミズムが必要だという点は同意しますが、私は不幸でも不自由でもないですね、悪しからず。共感というのか同情する部分もゼロではないですが、こうした語りに巻き込まれたくないんですよね。だってちっとも生産的でないではないですか。もう聞き飽きました、泣き言を言ってる暇があったら地味なところからでもなにかやりましょうよと。

"A Japanese lesson for Afghanistan" by Matthew Patridge[Guardian]

こちらは歴史から誤った教訓を導き出す見本のような記事です。日本の占領統治の例はイラクの際にも散々想起され、「サクセス・ストーリー」の語り手のジョン・ダウワー氏本人が引用されて反論する事態にもなっていましたが、今度はアフガニスタンですか。ふう。マッカーサー式にやれと主張しています。アフガニスタンを貶める意図はないのですが、どちらかというと豊臣秀吉が必要な治安状況のように思えたりするのですが、違いますかね。早い時期に政治権力による武力の独占が実現し、長いこと秩序社会の伝統が存在していたからこそ占領統治もありえないほどスムーズに進行したように思うのですが。また戦前についても占領軍のプロパガンダそのものですね。封建主義対リベラリズムですか、いまどき英語圏のアカデミシャンでも言わないです。言うまでもなく識字率が高く、所有権も確立し、工業化も進んだ近代国家だった訳です。それにイギリスにはfeudalな土地所有とやらが残っているじゃないですか、農地改革はむしろ後の農政に悪影響を与えたと思うのですがね。ええと、日本は凄かったんだと威張りたいのではなく、誤った歴史の教訓をたしなめているのです。本を一二冊読んだぐらいでなにか理解した気になっているだけの人なんでしょうが、よく知らないことを新聞に寄稿すべきではないですし、またこんなレベルの記事をチェックなしに掲載するようではガーディアンのレベルも知れようというものです。

追記

クレモンス氏の発言で苛立った記憶があって文句を書いたのですが、確認できないのでその部分を削除しました。ともかく氏はエキスパート面してほしくない人トップ10に入りそうです。玉本氏にはさほどの悪感情はないですが、こういうナショナルなレベルでのmindについてそう簡単に語るのは止めて欲しいです。少なくとも私は氏の語りの中に含まれたくない。それから私は別に官僚の味方ではないですし、政官関係のバランスのとれたあり方が実現することを願っていますが、昨今のムード的な官僚叩きにはいささか不健康なものを感じます(2009.3.7)

[本日の一曲]

http://www.youtube.com/watch?v=N3re38PkW_U&feature=related

江利チエミ『テネシーワルツ』(1952年昭和27年)

進駐軍のアイドル・エリーのデビュー曲。14歳の子供にしてはおませな声ですよねえ。

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投影について

ニュース斜め読みということで以下ただの記事のクリップです。

"M. Mélenchon veut fédérer un "front de gauche" unitaire"[Le Monde]

社会党を脱党し、「左翼党」を旗揚げしたばかりのジャン・リュック・メランション氏が「統一左翼戦線」を訴えかけているようです。反自由主義、反リスボン条約の左翼の結集ということですが、メランション氏によれば、支持層は14%ぐらいもある、ここが統一できれば社会党にも対抗できるということです。欧州議会選挙に向けてフランス共産党と選挙協力しつつブザンスノ氏の反資本主義新党にラブコールを送っているようですが、さて左翼戦線は出来るのでしょうか。反欧州連合を旗印に議会選挙を戦うのですかね。

"French government fears rise of left"[BBC]

左の左の台頭についてはこのブログでも何度か書いてきましたが、フランス政府がこの動きを警戒しているというBBCの記事です。現状では資本主義の失敗を宣告し、不平等の拡大に反対する、郊外の移民と左翼の連帯を訴えるといった主張内容で活動も平和的なものにとどまっているとされますが、この一部が暴力的な極左活動に転じる可能性が憂慮されているようです。その可能性はあるに5コペイカ賭けておきます。ネットを眺めていてもだいぶ不穏な空気になっていますね。

"Les Irlandais seraient prêt à dire "oui" au traité de Lisbonne"[Le Monde]

今アイルランドでリスボン条約の国民投票をしたならば、3分の2が賛成票を投じるだろうという調査結果が出たそうです。サンデー・ビジネス・ポスト紙の調査によると2009年に第二回の国民投票をしたならばどうするかという質問に対して、58%が賛成、28%が反対、14%がわからないとの回答結果になったということです。経済危機を受けて欧州連合に頼りたいという心理が高まっているようです。欧州統合にとってはピンチであると同時にチャンスな訳ですけれども、この危機を活かせるかどうかですね。

"Crise : la présidence tchèque de l’Union et la Commission aux abonnés absents"[Coulisses de Bruxelles]

欧州連合新議長国に関するカトルメール氏の辛い論評。この危機にあたってチェコはまったく欧州的なアジェンダを追求する気がなく、政治空白が生まれている。またバローゾ委員長にも頼れない。このリーダーシップの不在が自分のことは自分でやれ主義への回帰をもたらしている。昨年秋にフランス国家元首の主意主義によって採用された第一の銀行プランは不十分であることが明らかになったのに、あの時、「金融共産主義」を非難していたプラハは欧州的な行動を推し進める気がない。ジャン・クロード・ユンカーも大規模な第二の銀行プランは不必要だと言って行動を拒否しているし、欧州委員会もこの意見に同調している。フランスは欧州の自動車産業の保護プランを提出したが、市場への介入を嫌う欧州委員会もチェコもこれに続かない。エアバス救済に関しても同じだ。ニコラ・サルコジが主導した欧州の再生がいかに脆弱なものであったのかが判る。欧州懐疑派に交代した途端にまたこれだ。欧州委員会も機能しないし、欧州議会も9月まで声を出せない。2009年は欧州の白紙の年となる危険がある。以上、欧州連合の動きの鈍さにだいぶ苛立っています。

"Holocaust row cleric apologises"[BBC]

この間、このネタでエントリを書きかけて止めたのですが、カトリック教会のルフェーブリストとの和解に絡んだごたごたの続報です。ルフェーブリストというのは第二次ヴァチカン公会議以降の教会の現代化路線に反発して破門された保守派のルフェーブル大司教と彼が叙任した司教達のグループのことですが、現教皇がこの派の破門を解除して教会合同を目指したところ英国生まれのウィリアムソン司教がガス室はなかった発言をしてユダヤ教会を憤激させて大騒動になっているという話です。それでこの司教が教皇に対して謝罪した模様です。ただ不用意な発言で大変ご迷惑をおかけしまして申し訳ないという謝罪で、ガス室についての言及はなかったということです。狙った訳ではないのでしょうけれども、ここぞというタイミングでこの発言ですから。ガザとガスをめぐる騒ぎは今後も間歇的に続くのでしょうかね。

中国の(隠れた)足腰[王侯将相いずくんぞ種あらんや]

これには同感しました。実は私も新華社フランス語版はよく読んでいるのですが、どうして日本のメディアにはこれが出来ないのかと溜め息がでることあります。まあ新華社だからなというのはあるのですが、政治体制がどうこういう話ではなくて、情報というものに対する認識と感度が違うのでしょう、海外に情報発信だと意気込んでは自爆しがちな国との差を感じてしまいます。別にアラビア語版やスペイン語版や中国語版をつくれとは言いませんが、日本の新聞や通信社も英語版ぐらいもっと力を入れて欲しいです。日本だけでちまちまやっていても縮小するだけじゃないですか。

"Jun on Onishi"[Mutantfrog Travelogue]

Global Talk21の奥村さんによるNYTの大西記事の批判を受けてバーマン氏がポストしています。記事への批判は正確なものだとしつつも一般に大西氏に対する批判は少し過剰ではないかという疑問を呈しています。多くの批判は正確だが、「反日」というラベルは侮辱的だし不正確だ。特派員にバイアスがあるのもそれほど珍しいことでもないし、悪いばかりでもない。よくあるWackyJapanニュースよりはシリアスなテーマを扱っている。間違いがあったので批判された。それはいいことだ。しかし批判がどこまで公平なのか疑問は残る。タイムズのアフリカ特派員はアフリカ・ハンズからこれだけ批判されるだろうか。BBCのアメリカの文化や政治のニュースは正確なものもあるが、大西的な奇妙なものもある。間違いは訂正されるべきだし、批判も必要だ。ただ特定のリポーターの問題なのか制度全体の問題なのか考えてみよう、と。ごくまっとうな疑問だと思います。批判的であることと「反日」的であることとは違うというのは当然の話ですね。私自身の好みを言えば、クリストフ氏よりは大西氏のほうがまだましかなと思います。前者の無知と偽善と不誠実に満ちた記事には率直に言って吐き気がすることがあります。日本が好きかどうかとかそんなことはどうでもいい。中国報道でもけっこうひどいものがあります。大西氏のunderdogシリーズは主流社会へのルサンチマンが出ない限りはいい出来になる傾向があります。政治ネタはどうにもならないレベルだと思いますけれども。

多分大西氏に感情的に反発する日本人が多いのは日本の極左とあまり変わらない論調であることや間違いや誇張が多いということに加えて、時にひやりとするような「悪意」を感じることがある、また日本を肴に英語圏の読者に諂う「卑屈さ」みたいなものが時に感じられるからではないでしょうかね。なんとなく右サイドのヒルシ・アリ現象と似ているところもないではないですが、もっと屈折が著しいですね。韓国系の記者と比較してみてもより屈折の度合いは大きいと思います。以前書いたような気がしますが、北米の日系の一部に見られるアイデンティティー危機には私はわりと共感的なんですが、コメント欄でAcefaceさんが指摘されているように大西氏にはかの地のアイデンティティー・ポリティックスを東アジアおよび日本に投影している面があるようです。アジア系とか日系とか言ってもいろんな方がいるのでごく一部の話でしょうし、この方の経歴はよく知りませんし、興味もないのですが、記事から透けて見えます。リベラル対保守みたいな政治イデオロギーの話ではない。まあ私はこういうぐずぐずの転移の関係に入りたくないので報道の正確性と公正性の観点でしか評価したくないです。で、評価しないと。

それからBBCのアメリカ報道云々は世界の権力構造の非対称性に帰せられる話のように思えます。ブラジルやメキシコやトルコの日本報道に対してそこに居住する日本人コミュニティーを除けば日本で騒いだり抗議をしたりする人がいないのは権力が行使され得る文脈がそもそも欠如しているからという理由で説明できると思います。一般に旧植民地諸国は旧宗主国での報道に目を光らせる傾向があるように思いますが、そうでなくとも中国の反CNNのような過剰な反応があるのは端的に英語圏が情報の点で影響力が強いからでしょう。なお「日本人は人の目を気にする」みたいなステレオタイプは関係なくて要は英語圏だからだと思います。英米への憧憬と不信の歴史も背景にあるのでしょう。もっとも騒いでいるのは一部で日常に追われる日本国民のほとんどはこうした話にはさほど興味がないと思いますけれどもね。他人事みたいに書きましたが、こうした歴史的文脈の中に私も置かれているらしい事実にややうんざりすることもあると付け加えておきます。

ではでは。

追記

少し加筆しました。私には大西氏よりもクリストフ氏をめぐる諸問題のほうがアメリカにおける真のリベラルとは何かをめぐっては兆候的に思えます。まあ私はアメリカ流のリベラルじゃないので-日本と欧州の自由主義の伝統のほうがしっくりきます-個人的にはリベラルとはなにかみたいな話はどうでもいいのですが、アメリカ以外の世界にとってもけっこう重要な問題でしょうね。

再追記

氏のことを知らない人が読んで誤解するといけないのでフォローしておきます。別にクリストフ氏の活動を否定している訳ではないのです。有意義な仕事もなさっていると思いますし、意見が一致することもわりとあります。ただシニカルになっている訳ではないのですが、それでもどうにも気に入らない部分があるのですね。日本報道だけの話ではないです。難しいのでこの問題は私ももう少し考えてみたいと思います。

「破門を撤回」を「破門を解除」に直しました。日本語ソースにつられましたが、両者は違いますね。ついでにカトリックにもこのグループにもなんの義理もないのですが、「超保守派」というのは教義や典礼に関わる問題での立場で政治的な意味での極右とは一応別物だと注記しておきます。実際には近い御仁もいたりしてやっかいなようですし、左派メディアでは極右みたいな扱われ方をされていますが。

再々追記

”Holocaust Denier Is Ordered To Recant”[WaPo]

カトリック教会としてウィリアムソン司教の発言を支持しない旨公表した訳ですが、それでもおさまらず、とりわけドイツ政府の強い抗議を受けて司教が発言を明確に撤回するよう命令されたようです。この司教は同様の発言を繰り返してきた過去があるようです。教皇聖下のヒットラー・ユーゲントの件も蒸し返されたりとなんだかこのところカトリック教会はさんざんな展開です。私は個人的にはカトリックや正教はわりと好きなんですけれどもね。「わりと好き」という受け止め方が正しいのかどうかは判りませんが。

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サンにはサンの「道」がある

きのこの美味しい季節ですね。あまり真面目なことを考えられる心境でもないので日本関連ニュースとしばし戯れたいと思います。

"Democratic pretension vs. airs of entitlement" by Hiroaki Sato[Japan Times]
「イルカ」と「強制連行」が目玉のジャパン・タイムズですが、この記事はある意味典型的に思えましたので紹介します。柔道の金メダリストの石井選手の「天皇陛下のために戦いました」発言から唐突に三島由紀夫と軍国主義をめぐるいかにも外国人向けの皮相なおしゃべりへと飛躍し、最後はアメリカ大統領の君主的性格を語りつつ民主政の困難に思いを馳せてみるという前後の脈絡の不分明な文章であります。枕だけにしておきますかね。石井選手がどういうキャラクターでこの発言がどれほど不敬な響きを持っているのか判らないようですね。三島由紀夫も草葉の陰で泣いているでしょう。つまりあなたの認識の正反対です。というわけでスタート直後での大転倒、立ち上がってよたよた走り出してみたもののあさっての方向に向かってしまってゴールは出来ずといった走りでした。次回はまっすぐ前方を見てゴールを意識しながら走ることをおすすめします。ところでデスクはチェックは入れないのですかね。

"Japan hangs two more on death row"[BBC]
もはや日本で死刑が執行された時にはBBCがすべて報じてくれるというありがたい仕組みが出来上がっているようでなによりです。私自身のこの問題に対する考えはここでは開陳しないことにします。この記事で特筆すべきは麻生首相がカトリック教徒である点の強調ですかね。写真の下にもわざわざキャプションがついています。教皇猊下は死刑に反対しておられますよと。都合のいいときだけ権威を利用するとははさすがですね。ちなみにBBCさんは就任以来この点を盛んに強調するのでありますが、勿論ここはイギリスではないのです。ブレアがカトリックに改宗した、ふーん、それで?、の国なのです。私個人は英国カトリック史には非常に興味がありますけれどもね。ふふふ。日本ですけれども、どうやら宗教的信念を政治に持ち込まず、善政をなしている限りは、首相がなに教徒でもさほど気にしない(あるいは儀礼的に無視する)人が多い国のような印象を受けますね。印象ですけれどもね。

"North Korean leader 'in hospital'"[BBC]
"Pulses race in Pyongyang"[Asia Times]
キム・ジョンイル氏の病状に関するニュースが世界を駆け巡っていますが、やはり日本には北朝鮮に関するインテリジェンスはあるのですね。どこ発の情報なのか知らないのですが、この記事だとフジテレビになっていますね。ふーむ。フランスでもこの話はけっこう大きく報じられています。普通に考えるとテロ支援国家指定解除との関連を想定したくなりますが、そういうことでいいんでしょうか。どうやら情報戦の最中みたいなので判断は保留しておきますが、いずれ舞台裏が明らかになる日も来るのでしょうかね。

"Plus ça change..."[Observing Japan]
ハリス氏の政局ネタ。民主党は総選挙を求め、自民党は国際的危機を理由にこれを遅延させる。自民党は民主党を国よりも政局を優先していると非難し、民主党は世論を意識しながら政府と時に協力し、時に反対すると。タイトルの「変われば変わるほど・・・(変わらない)」というのは今の政局が福田政権の序盤とまったく同じ構図であることを指しています。この金融危機は自民党にとっては天の助けとなりそうな予感がします。いろいろ書いてはいますが、経済の見通しについてはさほど悲観的ではありません。しかしいったいいつになったら政権交代のチャンスはやってくるのでしょう。民主党はどんどん魅力に乏しくなっていきますしねえ。困ったものです。

"Heroes""Instant Karma"[Shisaku]
ホテルのバーだのカップラーメンの値段だの「庶民感情」からの乖離ネタが日本のメディアでは流行っているようですが、幸福な国だなあとしみじみと思います。グローバルな阿鼻叫喚の中にあってやはりのほほん教徒の国ですね。いいえ、これは本当に日本の強さだと思うんですよ。ところでジャコバン派の記者が「庶民」であろうはずもないことぐらい当の「庶民」が知らないとでも思っているのでしょうかね。また隣家の庭の小さな変化は気になっても一国の宰相の小さな贅はさほど気にしないのがいわゆる「庶民」らしいあり方のような気もしないではありませんが、あるいはジャコバン派には気にいらない認識なのかもしれません。私はアカの家の出なものでこのあたりの自己欺瞞には幼少時からとても敏感なんですね。ちなみに私はカップラーメンの値段を知らない麻生氏は嫌いではないですが、秋葉原で媚びを売っている麻生氏はあまり好きではないです。コメントは別にShisakuさんに向けたものではないです。

"Exclusive: Killer of Lindsay Hawker, teacher buried in bathtub, 'commits suicide'"[Times]
"Sympathy turns to scepticism as courtiers whisper princess does not do her duty"[Times]
パリー氏が日本に戻ってさっそく飛ばしています。あのー、この人のソースは週刊誌と2chみたいですのでこれをネタにwaiwaiしてもあまり意味ないと思いますよ。縦を横にしているだけです(本人は日本語読めないようですが)。ちょっとシニカルな味付けをして一丁上がり。楽な商売ですよね。それにしても市橋容疑者自殺断定報道は飛ばしましたね。警察の否定を受けて本人はブログで言い訳をしているようですが。それとどうでもいい話ですが、タイムズが「高級紙」である点を妙に強調して報じているのにはやや違和感があります。いったいいつの時代の話ですかね。俗に「東スポのほうがなんぼかまし」という言い回しがありますけれども(ない)、こういう中途半端な新聞よりはサンのほうが潔いだけなんぼか好もしいですね。

それではみなさまも秋の深まりを楽しみましょうぞ。

追記
ジャパン・タイムズのエッセーですが、本当を言うと、私を苛立たせたのは石井君の話ではなくて三島由紀夫と久野収の粗雑な扱いです。どちらももっと複雑な人達であってこういう平板な図式に収めるべきではないと思うのです。左派は平板な市民派のイメージから離れて久野収をちゃんと読むべきだと思います。この人の右翼認識はなかなかのものです。だいたいこのエッセー、英語圏の三島幻想に媚びているのが不快なんですよ。三島氏の思う壷ではないですか。言っている意味わかりますかね。

また「庶民感情」の話は左派メディアばかりでなく右派メディアも騒いでいたのですね。ふう。こちらは松平定信症候群でしょうか。どちらにしても政治家に過度な清廉潔癖を要求する風潮は好まないですね。青年将校を焚き付けていた頃から進歩がないです。だいたい景気後退なんですからお金持ちのみなさんに消費していただかないと我々も困るではないですか。

なにを思っていたのか、タイムズを「雑誌」と書いていましたので直しました。ところでパリー氏はわりと人気者(?)なのですねえ。まあ言い過ぎだとは思いますが、ここしばらくのタイムズには苛立たされる傾向があるのですね。欧州ネタはまあいいんですけどね。

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欧州大統領への道

株価と円がすごいことになっていますが、この傾向は当面は続くのでしょうね。確かに政府は機敏に動いてはいますが、目的と手段が対応していないように見えるのは私が素人すぎるからなんでしょうか。また相変わらずの日銀の腰の重さはどうしたことなのでしょう。いや別に利下げじゃなくともいいんですよ。いろいろやれそうじゃないですか。この際、涼しい顔で世界経済にすべての責任を転嫁してひそかに方針転換したらいいんじゃないでしょうかね。そう、これは撤退ではなくて転進です。政界からもマスコミからもたいして非難されないでしょう。うるさいのは経済系ブログぐらいです。まあ素人の囀ですからこれは無視してくださいね。

"Why the market has been down on the Euro and European banks"[Marginal Revolution]
kitaryunosukeさんが訳されている(いつもご苦労様です)アンブローズ氏の記事に対するコーエン氏のコメント。

By the way, this is further evidence that the driving force behind the earlier boom was the global savings glut, and sheer giddiness, not the excessively loose monetary policy of Greenspan's Fed. The ECB has pursued a relatively tight monetary policy since its origin. It also will be interesting to see what trouble arises in Spain, since Spanish banking regulation has been considered a model of how to keep these problems under control.

ここで出てくるglobal savings glut(グローバルな過剰貯蓄)というのはバーナンキ氏が語っていた話ですよね。FEDとECBの金融政策を相対的に比べるとそうも言えるのかなという気もしてきますが・・・、これはグリーンスパンを戦犯視する世間を賑わす話とは対立する意見ですよね。どう考えたらいいのかよく判りませんが(ここではFed擁護の意図はないでしょう)、認知的不協和を与える意見は尊重するという格率に従ってここにメモしておきます。ところでアンブローズ氏の記事ですが、読んでいて寒気がしてきます。でも誇張じゃなくて本当にやばそうです。レバレッジ投資の本場はアメリカではなく欧州だったことがはっきりしてしまいましたね。私が観察しているイタリアのいくつかの銀行ですが、株価が順調に下がっているようですね。ふう。

"The other part of the bailout: Pricing and evaluating the US and UK loan guarantees" by Viral Acharya and Raghu Sundaram[VoxEU]
英米の銀行救済プランの比較をしている記事です。bail outプランの本格的な分析ってあまり見た事がなかったのですが、これは議論のたたき台になるのかもしれません。この論者によるならば、なかなか優劣はつけ難いが、もし危機が深刻化した場合にはイギリスのプランのほうがパニックをひき起すだろうとしています。ゴードン・ブラウン氏が今は英雄みたいになっていますが、さてどうなるのでしょうかね。

"Sarkozy’s ways put EU peers on edge"[FT]
サルコジ外交が周囲に怨恨の種を蒔いていることについては前に紹介したエコノミストの記事でも触れていましたが、これも同様に周囲を振り回し続ける大統領についての記事ですね。

So, in the space of a few days, Mr Sarkozy offended Prague and Luxembourg, worried London and once again angered the Germans. In most countries they would be regarded as embarrassing diplomatic blunders. But that is Mr Sarkozy’s way of doing business.

“[Some people say to me], ‘you move too fast’. That’s true for those who don’t want to move,” Mr Sarkozy said.

ということでサルコジ氏は無反省のようです。この人が反省などするわけもないですがね。

"Prague accuse Sarkozy de vouloir "siphonner sa présidence" de l'UE"[Le Point]
上の記事の引用部分でプラハを怒らしたとありますが、これはサルコジ氏が「欧州大統領」(そういう役職はないですが)としての役割を一年延長しようと動いていることに対してです。順番から言うと半期交代で欧州連合の議長国は次はチェコに回ることに決定しています。それで前にも書きましたが、このチェコのクラウス大統領は有名なユーロ懐疑派であります。こんな時期にリスボン条約にも気候変動案にも強硬に反対しているユーロ懐疑派を議長にしていいんですかねというのは私みたいな人間でも思うところです(この人の環境保護主義は新手の共産主義だ発言は表現を穏当化すれば半分ぐらい賛成なんですけども)。またその次はスウェーデンでしてここはユーロ圏外なんですよねえ。なんという使えない枠組みなんでしょう。サルコジ氏がさかんに揺さぶっているのも判るというものです。この記事によれば、欧州連合の議長とは無関係に危機への対応の会合が開かれていると嘆くクラウス氏ですが、フランス、ドイツ、イギリス、イタリアの四カ国は1938年にチェコスロヴァキアの一部への侵略を許したミュンヘン協定を結んだ国だと非難したとされます。さらにこのユーロ懐疑派は欧州議長職は重要なものだとは思わないと明言しています。ふう。この人ではなにも決まらないですよね。

"Sarkozy’s attempted EU coup fails – for now" by Wolfgang Munchau[FT]
ミュンヒャウ氏のサルコジ氏の「クーデター」についての論評。この人は好意的なんですよね。彼の「欧州大統領」(president of Europe)の一年延長案や「経済政府」の提案はチェコやドイツの反対で失敗に終わったように見えるが、最終的にはこれは実現するだろうと6つの根拠から予測しています。第一に欧州経済の景気後退は明らかで米国の新大統領は景気刺激策を用意して欧州に圧力をかけると予想される。第二にマネーマーケットの保証の提供の失敗の是正が必要である。第三に現在の銀行の資本増強プランはユーロ圏レベルの協定で改訂される必要がある。第四にユーログループの指導力のなさ。第五にドイツの反対は孤立しつつある。スペイン、イタリアは賛成であり、東欧の危機が深刻化すれば、オーストリア、スロヴェニア、スロヴァキアがユーロ圏の連帯を求めるだろう。第六にリスボン条約の不確定性。チェコのクラウス氏が議長になった場合には、欧州連合のリーダー達はこの条約の外で危機に対応するほかなくなる。ドイツは反対し続けるだろうが、サルコジ氏はメルケル氏を追いつめるだろう。現在のサルコジ氏はフランス大統領に過ぎないが、危機が深刻化するならば、彼のクーデターは成功するだろう。

私は何度か書いたようにユーロ懐疑派的なんですが、今回の危機にはどう見ても欧州レべルの対応が必要ですし、これを機にあるいは欧州も実効的な枠組みに成長できるのかもしれないという気もしています。リスボン条約のような大仰なばかりの法的枠組みとは別のもっと実効的な枠組みからですね。さてサルコジ氏はどこまでこの危機を最大限に利用できるのでしょうかね。ところでフランスのSWFについての経済学者のまともな論評がでていないようなのはどうしたことなんでしょうね。放置というやつですか。そうですか。チャベス氏が素敵なコメントをしていましたね。ようこそ社会主義クラブへと。

おまけ
"Shopping in Taiwan's hypermarkets"[BBC]
BBCのネット版のタブロイド化傾向については識者の間で指摘されているところでありますが、兆候的ですのでここでメモしておきます。この記事、見出しが"Go, go gadgets"、リード文が"The wacky world of Taipei technology"といかにもアクセス稼ぎをねらったような仕掛けになっています。そう、"wacky"と"weird"、この二つは英語圏のギーク層において我が国を指すのにほぼ独占的に使用されてきた形容詞ではありませんか。さて今後英語圏でwacky Taiwanキャンペーンが始まるのでしょうか。今時BBCに幻想を抱いているのはどこかの島国の公共放送の職員ぐらいしかいないという話も聞きますが(面白い番組はありますけどね)、こういうネタはGizmodoやPink Tentaclesに任せて少しは真面目に報道したらどうですかと言いたくなる自分もいたりします。まあいいですけどね、少なくとも政治社会ネタではいい加減な報道は止めていただきたいものです。

追記
"Yen is caught in carry-trade turmoil"[FT]
例のFTの記事はこれですね。政策提言は以下。

Given the current pressure on the yen, additional measures may be needed. Japan could print yen and use them to buy foreign currencies, putting a floor under the yen and preventing deflation. While this would slow a correction of global imbalances, highly disruptive jumps in currencies due to speculative flows are the greater of two evils.

円を刷って外貨を買えと。複数の通貨(ドル以外もということですよね)に対する円売り介入。いろいろ勘ぐりたくなるところですが、今の局面ではこれもなかなか悪くないアイディアに見えます。確かにFTは円キャリーについては早くから警告していましたが、正直に言ってなんだか蜃気楼みたいな話に感じていました。

コーエン氏のエントリに関して、当初は「FEDの緩和策」「ECBの引き締め策」としていたのですが、これは相対的な話で誤解を与える表現でしたので書き直しました(ご指摘ありがとうございます)。

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実に寒い一日でした

寝ぼけたまま半袖シャツで出勤したので寒い一日でした。真の阿呆ですね。以下気になった記事をクリップしておきます。テーマはまったくありません。

阿佐奈伎尓(朝なぎに)…万葉歌刻んだ最古の木簡が出土[読売]
紫香楽宮から万葉集と同時代の歌木簡が発見された報に続いて、明日香村の石神遺跡で出土した7世紀後半の歌木簡に万葉歌が刻まれていたことが判明したそうです。いやあ、発見が続きますね。

木簡は羽子板を逆さまにしたような形で、長さ9・1センチ、幅5・5センチ、厚さ6ミリ。万葉集巻七に収められた「朝なぎに 来寄る白波見まく欲(ほ)り 我はすれども 風こそ寄せね」のうち、万葉仮名で左側に「阿佐奈伎尓伎也(あさなきにきや)」、右側に「留之良奈●麻久(るしらなにまく)」の計14文字が2行にわたって、クギのようなもので刻まれていた。歌の大意は「朝なぎに寄せて来る白波を見たいと私は思うが、風が吹いてくれない」で、作者は不明。(●はニンベンに「尓」)

朝なぎに来寄る白波見まく欲(ほ)り我はすれども風こそ寄せね

年代測定の根拠は記事にある近くで発見された「己卯(つちのとう)年(679年)」と記された木簡なんでしょうか。遠方よりの客人のための饗宴施設や役所があったところだそうで、饗宴の席で詠まれたものと推定されています。実に微妙な時期でありますね。万葉学の深淵にはアクセスできずに、その周囲を経巡っているだけのただの素人でありますが、いっそうの解明が進むことを期待します。

保守政策の配当金は 危機の震源から遠い日本にも[FT]
近況報告みたいな記事なのでそうですねえという他ないですが、金融立国!のかけ声は当分聞こえなくなりそうな雰囲気ですね。最後は製造業があって羨ましいな、日本はということですね。英国の次の一手が楽しみです。国内消費はどうしたら高められるのでしょうねえ。ふう。

"Robot girl mix up"[Guardian]
少女ロボット・スーツのニュースは私もあちこちで見て、ああ、またテクノオリエンタリズムか、とため息をついたのですが、考えてみれば、老人が少女のロボット・スーツを着るってすごい光景ですよね。というわけで「カット・アンド・ペイスト・ジャーナリズム」がいかにこの奇怪なマシーンをつくりあげたのかについての検証記事。ネタ元はザ・サンでしたというオチです(笑)。ネット情報からでっちあげたサンの記事が伝言ゲーム的に主要紙の紙面を飾るというのはかなり兆候的な現象だと思います。実はいわゆる一流紙ですら取材をせずに在日外国人のブログやフォーラムをソースにして記事を書くパターンは珍しくないんですね。いくらでも例はあります。そのうち私もメイキング・オブのエントリを書きましょうかね。

Olivier Besancenot : "Avec la crise, un chapitre des possibles est en train de s'ouvrir"[Le Monde]
前に紹介したフランスの「左の左」のブザンスノ氏のインタビュー。2009年の1月に例の反資本主義新党の立ち上げが決定しているようです。このたびの危機について可能なるものたちの一章が開かれつつあると述べております。労働者、消費者が監督する唯一の公的銀行サービスの下に全銀行を統合せよとか、今や社会変革の必要にして可能なる時なのだとか語っています。このキャラクターがうけるのは判るのですが、反資本主義派はどのぐらい支持を集められるのでしょうかねえ。共産党から国民戦線へ流れた層を引っ張り込めるかどうか。はるかに生温いですが、なんだか1930年代みたいな話ですね。Rue89に新党結成の舞台裏の詳細を伝える記事がありましたので仏語読みはどうぞ。

"The Great Illusion" by Paul Krugman[NYT]
クルーグマン氏が第二のグローバル化が終焉するのではないかという不安を語っています。以下、多くの人々が懸念とともに想像している図柄でしょうけれども、氏が語るのはそれはそれで意味があるのでしょう。訳ではありません。グルジアは兆候だ。第一のグローバル化が唐突に終焉した後に来たのは、民族主義の時代だった。食料危機を考えよう。食料自給なんていうのは古くさい考えで世界市場からの輸入に頼ればいいとされていたのが、食料の高騰とともに、ケインズの言う “projects and politics” of “restrictions and exclusion” が復活した。民族主義と帝国主義に戻ろう。グルジアは経済的にはたいした意味はないが、パクス・アメリカーナの終焉を画している。欧州のロシアへのエネルギー依存は中東への石油依存に比べても危険に見える。ロシアはウクライナに供給停止をして既にガスを武器に使っている。ロシアがもしその影響圏への支配を武力でもって主張したならば、他の国はこれに続かないだろうか。中国が台湾に武力侵攻した時に起こるだろうグローバル経済の混乱を想像しよう。そんな心配はいらぬと言うアナリストもいる。グローバルな経済統合は戦争から我々を守ってくれる。なぜならば繁栄する交易経済は軍事的冒険主義を妨げるだろうから。第一次世界大戦の後に19世紀イギリスの作家Norman AngellはThe Great Illusionという有名な本を出版したが、そこでは現代の産業時代にあっては軍事的勝利で得るものよりも失うもののほうが多いと論じられている。第二次グローバル化の基礎は第一次のそれよりも堅固だろうか。ある意味はイエスだ。例えば西欧民主主義諸国の間での戦争は考えることすらできない。経済だけではなく価値によっても結合されているからだ。しかし世界の国々はこうした価値を共有しているわけではない。征服がペイするというのは大いなる幻想だという信念を述べている点でAngellは正しいが、経済的合理性が戦争を抑止すると考えるのもまた大いなる幻想だ。今日のグローバルな経済的相互依存は想像する以上に脆弱なのだと。まあ実際に経済的合理性で動かない国だらけですからねえ。困ったもんです。というのは暢気すぎるコメントですが。

"Baltic Dry index at lowest since 2002"[FT]
第一次グローバル化がなぜ終焉したのかについて保護主義よりも輸送コストの果たした役割が大きいという論文については前に紹介しましたが、輸送関係のニュースです。de-globalizationの傾向は海運に現れそうですので、注目したほうがいいでしょう。

The cost of shipping bulk commodities such as iron ore, coal or grains on Thursday tumbled to its lowest level in more than six years as recession fears intensified and the difficulty of obtaining trade finance left many ships without any cargo.

The Baltic Dry Index, a benchmark for shipping costs and seen as an indicator of global economic activity, fell 6.75 per cent to 1,506 points, its lowest level since November 2002. The index has plunged 53.2 per cent since the end of September.

The average daily cost for the largest dry bulk vessels – known as Capesize and used mostly to ship iron ore from Brazil and Australia to China – on Thursday sunk 11.4 per cent to just $11,580 a day.

この海運の輸送コストを示すバルティック・ドライ・インデックスが2002以来11月以来最低レベルに達しているそうです。9月末からでは53,2%も低下しているとのこと。またブラジルやオーストラリアから中国への鉄鋼石の輸送に用いられるケイプサイズとして知られる輸送船のコストも低下中。そのため輸送船を出せない状況だそうです。この海運市場のクラッシュですが、特に大型輸送船の蒙っている損害が大きいようです。また中国の需用低下の影響が現れているとのこと。さらに金融が引き上げてしまったためにトレード・クレジットのレートが急上昇している模様です。タンカー輸送の市場も打撃を受けているとのこと。むう。デグローバラズしていますね。

"The Okinawan Alternative to Japan’s Dependent Militarismby Gavan McCormack"[Japan Focus]
Client Stateが翻訳されたばかりで(邦題は『属国』でしたか)最近は沖縄にご執心のマコーマック氏です。韓国の建国記念の際には道徳性を装ったプロパガンダ記事を書かれていましたね。とっても分かりやすいお方です。この記事についてはコメントいたしません。私は沖縄についてこんな風に「べき論」を高らかにそして気安く語る非沖縄県民を軽蔑しているのですよ、日本人だろうが非日本人だろうがね。ところで、あなたはポルポト裁判を傍聴して自己の認識を公的に表明する道義的義務があると思うのですが、こんなところでなにをやっているんですか。道徳警察官を気取るのはまったく趣味ではないのですが、訳書が出たことですし、この御仁を持ち上げる人も出そうですから釘を刺しておきます。こんなことを言っても、愚か者達が呼び合うのは世の常ですけれどもね。これはイデオロギーに免疫がなく人を疑うことを知らない善良な人々に向けた忠告だと思ってください。私は善良な人々が惑わされ騙される光景はもう見たくないんですよ。賢くなってくださいね。

ではでは。

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ナイスな協力関係

"The Fall of America, Inc." by Francis Fukuyama[Newsweek]
フクヤマ氏のこのたびの金融危機についての長い論評。ウォールストリートのメルトダウンは単なる銀行救済の是非論の問題ではなくアメリカ・ブランドそのものの危機の問題であるとしています。1980年代以来世界を席巻したアメリカの二つの理念─規制緩和、小さな政府、減税を是とする資本主義のヴィジョンと自由民主主義の擁護者としての合衆国─が崩壊しているのだと。ロシアや中国のモデルが魅力的に映っている中でオバマにせよマケインにせよ立て直しをしなければならない。レーガニズムは登場の時点においては正しかったが、福祉国家へのプラグマティックな対応ではなくいつの間にか減税と金融の規制緩和のイデオロギー、ドグマと化してしまった、それがこのたびの惨状をもたらしたと述べています。まあ長いので後は原文でお読み下さい。ネオコンに愛想つかして民主党支持に転向したんですよねえ。この人は思想らしきものをまぶして「でかいこと」を語るのが上手なだけの人という気もするのですが、アメリカの今の気分のドキュメントとしてこの記事はよく書けているのではないでしょうかね。

"The Age of Bloomberg" by Fareed Zakaria[Newsweek]
ザカリア氏の短い論評。フクヤマ氏と似ていますが、やはりこちらの方が多少私の好みですかね。確かに現在生じていることは悲惨だが、歴史は信用危機、パニック、金融メルトダウン、不況に満ちている。今回の危機は資本主義の終焉を意味しない。しかしこれはアメリカにとってはある種の世界支配の終焉を意味するかもしれない。歴史的に見て現在の危機は巨大であり、政府は市場に介入しなければならない。現在では介入が少なかった19世紀西欧諸国で当たり前だったようなダウンスウィングには耐えられない。1854年から1919年の間の不況の平均は22ヶ月続いたが、ここ20年では8ヶ月ほどだ。1854年から1919年の間アメリカ経済は平均して49ヶ月ごとに収縮した。ここ20年では収縮と収縮の間は100ヶ月だ。これには多くの要因があるが、政府の金融政策と財政政策が主要なものだ。今回の介入は規制の時代への回帰だろうか。40年前に戻ることはないだろう。資本主義は現在はグローバルな現象だ。諸国は成長と生活水準の向上のために自由市場と自由貿易に依存し続けるだろう。この金融危機の副産物はアメリカのdelegitimizationだろう。かつて世界中の人々はアメリカをモデルとみなしたが、もはや信用は失われた。数十年にわたってアメりカは資本を集め、贅沢な暮らしをしたが、こうした時代も終わった。他国同様に投資を求めて努力しなくてはならない。競争的資本主義の世界では大きな政府も無政府も必要ではなく、必要なのは賢い政府だ。成長、技術革新、生産性を効率的に高めるような政策の競争だ。大切なのはイデオロギーのマントラではなくてなにが有効なのかをはっきりさせることだ。サッチャーの時代ではなくブルームバーグの時代なのだ。アメリカは悪い規制、補助金、アド・ホックな介入ばかりだ。政策は長期的な成長よりもパワフルな選挙民のためにデザインされる。フリーライドの時代は終わった。真面目になる時だ。

フクヤマ氏にせよザカリヤ氏にせよ今回の危機でアメリカの正統性が大きく損なわれた点を強調しています。後はイデオロギーのマントラはいらない、必要なのは賢さなんだという点ですね。ただ思想畑から出たフクヤマ氏には理念へのこだわりがザカリア氏よりはあるようです。アメリカの消費市場が全世界の成長を支えるというブレトン・ウッズ体制の現代版のようなあまり持続可能性のなさそうだった体制がどうやら終焉を迎えつつあるのは事実なんでしょうが、勿論資本主義も続くし、歴史は続くよ、だらだらと、ということなんでしょう。

なお前のエントリではなげやりなことを書きましたが、政府も日銀もいったいなにをやっているんですか、どうしてこうも受け身なんですかと言いたくなります。各国政府と協調して金融政策でも財政政策でも派手にアピールしてもっと積極的にやったらどうですか。素人が偉そうに言うのもなんなんですが、財政再建だのインフレ防衛だの言っている局面ではないように見えます。フォワードルッキングっていったいどんな麗しい光景が見えているのでしょうか。泉が湧き、小動物が戯れ、美女が踊り・・・みたいな光景なんでしょうかね。

"Japanese hoteliers turn backs on foreign tourists" by Justin McCurry[Guardian]
国交省の大臣の発言といい総務省のわざわざ誤解されることを意図したような質問表(「宿泊がなかった」と「拒否した」は全然違います。後者は法律違反ですよね)に基づいた調査報告公表といい、なんのために我々はこんな連中のために税金を払っているのだと言わざるを得ないのでありますが、オチがついたようでなによりな話です。ここでJTが大臣発言を恣意的に引用した点については既に指摘しましたが、ガーディアンのマッカリ氏は例の大臣発言を「日本人は一般的に外国人が好きではない」とさらにパラフレーズした上で、大先生とタッグを組んで日本叩きに勤しんでいます。ただの阿呆なら放っておけばいいわけですけどね、大先生はこうしてメディアに重宝されているわけですよ。だから問題なんです。また新任の大臣もJapanTimesのインタビューで微妙すぎる発言をしていますね。自分の発言がどのように利用されるのかについて想像力を持ち合わせていないようでありまして、戦略的思考を養成するカリキュラムが必要なようです。間抜けな大臣と愚かな役人とJapanTimesと大先生とマッカリさん、ああ、なんという爽やかな組み合わせでありましょうか。

ちなみに観光大国で知られるかの国ですが、欧州で最も外国語ができない国として知られ、英語メニューのような便利なものは観光客の集まるような限られたところにしか置いていなかったりするわけです。ここは日本なんですから、外国人にも日本語で話しかけるのが基本だと思うのですよ。日本語でも意志は通じますので特に外国語を話そうと緊張したりあたふたしたりする必要はないわけですね。外国語をある程度話せる人でも、まず日本語でまくしたてた後に、なんだ話せないのかよ、しょうがないな、じゃあお前の言語を使ってやるよ、みたいな態度を時にはとってみせたりするのもいいと思います。さらには話せるけれどもあえて話さないという高等テクもありましょうね。まあ相手を見て使うべきですけどね。けっこう長いこといるくせにろくに日本語を話す気のない人と観光客とでは違いますから。前者は語学の必要性を認識させるためにも日本語で通してあげるみたいな親切心が必要だと思うのですよ。いえ、なにもある種の日本的美風を批判するつもりはなくてですね、私としては日本国民がもう少したくましくなることを祈念しているだけなのですね。

ではでは。

追記
なお観光大国のわりには歓待の態度に欠けるなどと陰口をたたかれがちなかの国の人々ですが、言われるよりはだいぶ親切ですよ、とここで擁護しておきます。それから日本語を覚えたいのに英語で話しかけられて困るという意見もよく目にします。外人さんは日本語を出来ないんだろうという思い込みはもう捨てたほうがいいと思いますよ。まず日本語で話しましょうね。

総務省の調査の部分を訂正しました。「宿泊がなかった」「受け入れたくない」「受け入れる態勢がない」「拒否した」等の違いの意味をJustin McCurry氏は理解できないようです。あなたは記者なんだから日本語を学習する義務があるんですよ。言語能力や取材国についての知識がなくとも取材能力があればいいなんてのは甘えに過ぎない。大手メディアの特派員体制も見直されてしかるべき時期なんでしょう。またこのニュースに関する日本メディア各紙の英字面の報道も不正確でしたね。結局、問題はいつも日本のメディアなわけです。「べき」の前に「である」です。

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今日のJT

というわけでちまちまと紹介を続けましょうかね。日本ではなくJapanなのはJT的パースペクティブから見られた私が居住するこの国とはやや異なる国についてのリポートだからです。

"Ministry rebuts Aso editorial in N.Y. Times" by Jun Hongo
先日のNYTの社説には不謹慎ながらどこの国の話だと笑ってしまいましたが、さすがに普段保守派に不快感を隠さないリベラル系Japan論者もこの社説には批判をしていましたね(コレとかコレとか)。どうやら外務省が抗議のレターを出した模様です。まあさすがに大人しいJapanと言えども、ここまでアレな社説を書かれては抗議ぐらいはするでしょう。なぜだか同社説でNYTが称揚している(すごい自己矛盾ですね)元首相による私的な戦死者追悼行為によって一時的に関係が冷却していた隣国との関係改善において麻生元外務大臣の果たした役割をNYTはどう考えているんでしょう。「戦略的互恵関係」って麻生氏の発案ではなかったですか。吉田茂が占領軍を"happy ignorant"と称したことは有名ですが、どうやらなにも理解していないらしいNYTにはこの言葉を贈っておきたいと思います。NYTの社説に惜しみなき拍手をおくりたいらしいこの記者の記事の最期にはいかにもJTらしい説明が添えられていますが、それによると

Aso, generally known for his blunt speeches and conservative foreign policies, has described China as a "growing military threat" and accused Beijing of politicizing the Yasukuni Shrine issue.

He has at times made his revisionist views public, including justification for forcing Koreans to adopt Japanese names during Japan's 1910-45 colonial rule of the peninsula.

だそうです。いわゆる創氏改名等についての不用意な発言はともかく(歴史は歴史家に任せろ主義ですので政治家が歴史問題に不用意に言及すること一般に私は否定的です。内容に関わりなく叩きに利用されますからね)、靖国に関する麻生氏の特異なスタンスについて記事に書いたらどうですか。知らないわけではないでしょう。また中国を「軍事的脅威」とみなす国はけっこうあるような気がするのですがね。JTが大好きな象徴的問題はさほど死活的利害と関わっているわけではないのであってこうした問題以外にはこれといった問題はないことはJapanと中国の関係が現状ではけっこう安定している証拠なんですよ。戦略的要件が揃うことで国家間関係は安定するのであって友好儀礼によって安定するわけではないなんて今時おませな中学生ぐらいでも理解できる話だと思うのですがね。といいますかね、JTさんは両国関係を不安定化させたくて長いこと燃料投下しているんですよね。善意なら本当に救いようがない話ですよねえ。率直に言うと、邪魔です。

"'Gaijin' mind-set is killing rural Japan" by Debito Arudo
読者からの心ない悪罵と嘲笑にもかかわらず大先生のgaijin三部作がついに完結されたようで私も感無量であります。しかし、僭越ながら指摘させていただきますと、大先生、それはgaijinではなくてyosomonoのことではないですか。日本人のgaijinって意味全然判りません。gaijin=outsiderなのだという思い込みに固執したために日本語の彼方へ飛翔されてしまったようですね。私のような凡庸な日本語の使い手は下方よりただただ仰ぎ見るばかりであります。ちなみにmarebitoというのもございますよ。嗚呼、懐かしきムラ社会論ですね。古き良きJapan。私もそんなJapanに行ってみたい。それと大先生が言及しているのは私にはなにが言いたいのかよく判らなかった大西記者の記事ですよね。そしてそこに独自の解釈を施されているわけですね。それで全く意味不明になっていると。大先生はライアンやデーブだけでなく大西記者とも交友関係があるんですか。負のネットワークというんですか陰のアソシエーションというんですか。しかし三部作を通じてついぞ論理というものに出会うことができなかったのはさすがですね。俗にいうフルフォード化という現象ですか。ともかくgaijin共同体主義の真髄は論理にあらず、妄念にありなのですね。事実なんて知るか、考える前に訴えろの精神ですよね。走れ、大先生!Sayonara, daisensei!

追記
修正しました。なおフルフォード氏はその強烈な言論活動の内容はともかくキャラクターとしては好きです。一緒にしてしまったような書き方をして氏に失礼でしたね。しかしいつまでJTはもはやただのデマゴーグと呼ばれても仕方のないような御仁に語る場を与えるつもりなんでしょうかね。あまりにも下らなさ過ぎたので私は品なくからかうだけにしておきましたが、空さんのところで真面目な議論がありますのでそちらを参照してください。ともかくこういう滅茶苦茶な主張ばかりする御仁をアクティヴィストとして持ち上げていると人種間対立を高めてしまう結果にしかなりませんよ。JTとしてもそういう展開は望んでいないでしょう。掲載する記事に関して責任ある態度をとるように要求します。

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秋の戯れ

どうもJapan Timesが日本国民の与り知らないところでいつものごとく不思議な動きを見せているので紹介しておきましょうか。まあ、別にいいんですよ、この自由民主主義国においてはどんな論調だって決定的に報道のルールや倫理に悖らない限りは許される訳ですから。かつてシドニー・モーニング・ヘラルドというオーストラリアのタブロイド紙(嫌み)から怒りのブロガーというありがたい称号をいただいたことがありましたが、別に怒っているわけではなくてですね、英語圏ではこんな議論がなされているのだということを日本の公衆にも知っていただこうかなと考えているのですね。

ひとつは例の失言国交相の辞任の話です。この世界的危機にあってあなたいったいなにをやってるんですか、というのが私の偽ざる感想ですが、もう少しなにか言えと言われれば、日教組という組織に対してはなんら敬意を抱かない私のような人間にとっても国交相の発言は政治家として不適切というかお粗末に過ぎましたね、政治家たるもの敵とはにこやかに談笑しつつ悟られぬようにしかし決定的なやり方で打撃を与えるぐらいの狡知は持ち合わせるべきではないでしょうか、青年の主張じゃないんですから、ぐらいの気のない返事をするしかないですね。ずこーっというんですか、ドリフの大爆笑みたいな話ですね。そんなことやっている場合ですか。

それでこのつまらぬ話に日本のメディア同様にJTさんもはしゃいでいたわけですが、勿論この新聞の論調からある程度予想されるようにフォーカスがあたっているのはかつてのスターリン主義の残滓を引き摺る教職員組合や頑固一徹な成田空港建設反対住民よりも「単一民族」発言のほうですね。まず中山氏の発言を引用しておきます。

日本は単一民族といいますか、世界とのあれ(交流)がないものですから、内向きになりがち。(訪日観光客を増やすには)まず日本人が心を開かなければなりません。

という発言です。それでアイヌ民族を忘れているではないかという批判を前に氏はその発言の不適切性を認めて謝罪したのでした。「単一民族」言説については、これは多民族帝国たる日本帝国には存在しなかったのであって戦後のある時期に生まれたものであり、「戦後的」なナショナル・アイデンティティーの在処を示す言説であるとする小熊英二氏の有名な歴史社会学的な研究がありますが、その経緯はともかく1980年代に日米経済摩擦が文化戦争に転化した際に日米比較文化論の形をとった対抗的言説として表舞台に躍り出たというのがとりあえずの私の認識です。その心理的動機をなしていたのは内政干渉の度合いを深めるアメリカと喜々として「アメリカ化」を受け入れるかのごとき日本国民に対する保守派の不安と恐怖ですね。これが多文化主義的、反国民国家的、グローバリズム的な視点から批判されるようになったのが1990年代であったという流れを思い起こしておきましょう。ちなみに英語圏ではこの点についてはけっこう厚いヒストリオグラフィーがあります。騒々しい議論を別にすれば、これが「べき論」なのか「である論」なのか、規範的主張なのか事実の描写なのか、パフォーマティブな言明なのかコンスタティブな言明なのかといった点が議論の焦点になっているようです。やはり同質性が相対的に高い国には違いないですからね。別にそういう国は日本だけではないですけれどもね。

そうした議論はとりあえず脇に置いておいて、過去の保守派の政治家達の「単一民族」発言と中山発言を比べてみた場合、要は、島国根性を捨てて外の世界にも心を向けにゃいかんぜよ、我が同胞よ、という意ですから、ここでは批判的にこの概念が提示されている点が違っています。その点においてこの発言に対する批判はこの言葉を使用したことそのものへの批判、つまり言葉狩り的な印象を与えるものでした。単一民族「幻想」みたいなものがあるのかもしれないが、とでも言えば叩かれなかったのでしょうか。あるいはそれでも叩かれたのかもしれませんね。なぜなら正義の仮面をかぶりつつ閣僚の揚げ足を取る事そのものが政局報道において自己目的化して久しいのですから。ああ、なんとちまちまとした政治なのでしょう。

それはともかくこのネタをJTがいかに報じたのかを見てみましょう。第一報からしばらくは日本の報道とだいたい同じ内容ですが(アイヌに失礼とかですね)、残念ながら後段の「日本人が心を開かなければなりません」の部分が省略されている記事が多いのが問題と言えましょうか。つまり「単一民族」根性の批判の要素が消去されて単に日本は「単一民族」国家なのだという主張をしたことになってしまっているわけですね。そして9月29日付でスタッフライターのMasami ItoさんとTakahiro Fukadaさんの記事が駄目押ししています。

"Gaffe-prone Nakayama quits Cabinet" By MASAMI ITO and TAKAHIRO FUKADA[JT]

In an interview with The Japan Times and other media organizations Thursday, the conservative Nakayama said Japanese "do not like nor desire foreigners" and that Japan is inward-looking and "ethnically homogenous.

Nakayama retracted the statements the following day and offered an apology to the ethnic Ainu, who were officially recognized as an indigenous people for the first time by the Diet in June."

単一民族はethnically homogenousでありますが、ここで気になるのが前段です。木曜日のインタビューでJapanese "do not like nor desire foreigners"、つまり観光行政に関わる大臣が日本人は外国人が好きじゃないし、来て欲しくもないと思っていると語ったという新情報が追加されています。このインタビューの席には他のメディアもいたとされていますが、中山氏がこのように語ったと報じられているのはJTのみのようですね。さて問題は以下のようです。

1. the conservative Nakayama said Japanese "do not like nor desire foreigners"にあたるような発言を実際にしたのか。

2. 引用符はこの文の述語及び目的語の部分であり、主語は引用符の外に置かれている。中山氏は「日本人」を主語にしたのか

1に関してあるいは懐疑主義的に過ぎるように感じられるかもしれませんが、これまでの実績から言って政治面の事実報道に関しては私のJTに対する信頼はかなり低いです。ファクト・チェックの次元でエラーになるはずの記事を配信してきた過去があるのですね。とはいえこれを報じているのがJTのみであり、他のソースとのクロス・チェックもできないとなると私自身に検証する術はありません。話を進めるためにとりあえず引用部分は事実だと仮定してみましょう。

次に問題となるのは2の点です。主語はなんだったかという問題です。仮に記事にあるように「日本人」を主語にして氏がこのような発言したのだとすれば、それは単なる虚偽命題となるでしょう。総称命題の批判には反例を挙げればいいだけです。外国人が好きではなくてあまり来て欲しくないと思っている日本人もそれなりにいるという言明の場合にはこれは虚偽ではないしょう。もし仮にこの大臣が日本人は総じてゼノフォビックだと宣言したのであれば無論政治家失格となります。いったいどんな大臣ですか。しかしもし仮にこれがこの記事を書いた記者の創作であった場合には中山氏を政治的に批判することを意図したのみならずそれに便乗して「日本人」全体にあるイメージを付与するために虚偽を記事に紛れ込ませたことになりますからジャーナリスト失格となります。さてどちらなのでしょうかね。なんの確証もありませんが、これはジャーナリズムにおける声の引用の政治の分析対象になるようなケースではないでしょうかねというのが私の直感です。妙に細かいことを言っていると思われるかもしれませんが、こういうせこい情報操作の技術を好んで使うわけですよ。他のメディアによる検証が待たれるところですね。

[追記:コメント欄でPnetQさんから情報をいただきました。ありがとうございます。朝日報道によると、中山氏の発言は以下のようです。

外国人を好まないというか、望まないというか、日本はずいぶん内向きな、「単一民族」といいますか、世界とのあれがないものだから内向きになりがち。まず国を開くというか、日本人が心を開かなければならない。

この前段ですね。なるほど。まあ全くの虚偽とは言えないでしょうけれども、これを「日本人は外国人を好まないし、望まない」とパラフレーズして叩きの材料にするのは公平なんでしょうかね。むー。やはりダーティーですね。駄目報道だと思います。ただ島国根性批判にしてもこんなつっこまれそうな発言はやはり大臣としてはすべきでないでしょうね。ですからこの発言は支持しません。保守派の政治家の先生方にはワード・ポリティックスでいかに勝つのかについてもっと戦術的になっていただきたいです。連中(って誰だ、まあ)は誠実な自己批判ですら叩きの材料に利用しますからね。]

ちなみにこの失言についてはJTはご丁寧に読者投票をとっています。読者からの投票では中山氏は東国原氏の慰安婦発言を抑えて見事にトップの地位に輝きました。中山氏の発言ですが、「単一民族」ではなく上の「日本人は外国人を好きではない・・・」が候補に挙げられていますから、JTとしては日本国民には知られていないこちらの発言を重視しているわけですね。なお「単一民族」は伊吹氏の発言としてエントリーされているのですが、3%程度しか票を集めていませんね。ちなみにバッシャーの認識というのは日本は外国人嫌悪の強い同質的かつ排他的な国であるというものですから、彼らにとっては中山発言は真理であって虚偽ではないというのが皮肉な話ですね。ええ、あなた方の発言も失言扱いなんですよ、困りましたね、商売あがったりで。前にも書きましたが、通俗的な日本人論をこよなく愛するのは文化保守と左翼とバッシャーなんですね。前者は自己肯定のために後者は自己否定そして他者否定のために互いの言説を利用し合うわけです。そしてそこにおいては個々のあやしげな命題群について検証してみようという健全な実証精神が発揮されない。この伝言ゲームのごとき入り組んだ政治については研究もそれなりになされていますが、より洗練された分析による解明が待たれるところです。

Japanese "do not like nor desire foreigners." — recently resigned transport minister Nariaki Nakayama
733 (34%)
"Even people with Alzheimer's disease could understand." — Prime Minister Taro Aso, when he was Japan's foreign minister
140 (6%)
A reference to women as "baby-making machines" — former health minister Hakuo Yanagisawa
454 (21%)
The dropping of atomic bombs by the U.S. in World War II "could not be helped." — former Defense Minister Fumio Kyuma
162 (8%)
"It is very difficult to confirm as a historical fact that the 'comfort women' actually existed." — Miyazaki Gov. Hideo Higashikokubaru
594 (28%)
"Japan is an extremely homogenous country." — former education minister Bunmei Ibuki
73 (3%)
Total Votes : 2156

もうひとつは中川昭一大臣に関連した多分日本国民のほとんど誰も知らない話です。

Nakagawa shakes up press with move to plant Hinomaru in briefing room[JT]

Rightwing Finance Minister Shoichi Nakagawa created a stir Tuesday by backing a plan to display the Hinomaru flag in the ministry's press briefing room.

という書き出しで記事は始まります。右翼の財務大臣の中川昭一氏が財務省のブリーフィング・ルームに国旗を置こうとして騒動を起こしていると。なんという小ネタなのだというのが一読した感想でしたが、こういうどうでもいいネタを積み上げて印象づくりをするのはJTの得意とするところです。

Though officially Japan's national flag since 1999, the Sun Flag remains controversial due to its association with the nation's militarist past.

というように日章旗は軍国主義との結びつきゆえに論争的な象徴なのだと述べています。ソ連製メソッドを日本教育界に導入した某組織以外で現在国旗について騒いでいる存在を私は寡聞にして知らないのですが(彼らもかつては愛国だったんですけどね)、まあわけありの旗なんですよとこうやって教育しているんですね。不毛という言葉以外に語るべき言葉を見出せなかった学校式典妨害騒動の時にもずいぶんと"dissident teachers"をフィーチャーしていましたね。そういうわけで軍国主義だからといって日の丸を嫌う単細胞な在日外国人というのもそれなりにいたりするわけです。

記者クラブ内にはこの中川氏の動きに対して意見が分裂したそうで、中川はタカ派だから政治的意図があると反対する記者もいれば、なにも悪いことはないじゃないかという記者もおり、個人の受け取りだから記者クラブとしては共通の反応はすべきでないという記者もいたと。それで中川氏に意図について説明を求め、この問題について記者クラブのメンバーで議論するまでは国旗を置かんでくれと要求したということです。また1999年にも中川氏が農相の際に同様の騒ぎがあったそうです。ここで「リベラル」な宮澤喜一氏の無関心な発言を引用して中川氏との差異化をはかっています。そして現在半分の省庁がブリーフィング・ルームに日章旗を設置していると記事を締めくくっています。

記事の最期に見事なオチがついているので半分の省庁に置いてあるなら大臣が「右翼」であるかどうかとは関係ないんじゃないですかというつっこみを入れたくなりますが、要は中川氏だから問題にしているわけですね。ここでは日章旗の歴史についての説明はいらないでしょう。そもそも私はこの種の象徴政治の不毛性には心底飽き飽きしているので賛成だの反対だのどこかの無人の離島ででもやっていてくれという感想以外になんら興味を感じません。問題のないところに問題を捏造している暇があったならば、国民生活に直結するもっと実質的かつ喫緊な問題に我々の有限なリソースは費消さるべきではないですか。空騒ぎはもう止めましょう。

そしてこの話についてもJTさんはまたご丁寧にも読者投票をしています。ブリーフィング・ルームに国旗を設置するのをどう思うのかと。政府施設に国旗を設置してなにが悪いんだというのがトップですから、どうやら失敗だったようです。残念でしたね。新たなナショナリズムの危険な兆候だとかそんなにコントロバーシャルな旗ならなぜ新国旗をつくらないのかという選択肢がありますが、あるいはこれがJTの意見なのかもしれませんね。そんなどうでもよろしい論争には日本国民の多くはまったく関心がないのですよ。法制化されようがされまいが国旗は完全に定着していますから口汚くけなされるとかちんとくる、といっても家に国旗があるわけでもないぐらいがおそらくは大勢でしょう。大臣がブリーフィング・ルームに国旗を置くのがなぜナショナリズムの兆候なのかも理解不能ですね。いいですか、ナショナリズムというのはもっと大規模な大衆的な政治現象のことです。そもそもこんなニュース誰も知らないわけですから国民に影響を及ぼしようがないではないですか。そんなに国旗という存在が嫌いならば自国の政府機関から国旗を追放してから日本に言ってくださいね。ダブスタは許しませんからね。

What's wrong with displaying an official national flag in a government building?
235 (59%)
It's a troubling sign of renewed nationalism.
61 (15%)
I don't really care either way.
50 (12%)
Why doesn't Japan create a new flag design if this one is so controversial?
55 (14%)

ちなみにJTさんが「敵」としている人々を私は支持しているわけではないのでこのエントリで擁護しようという意図はありません。私は基本的に自由主義者ですから保守主義者とは今ひとつ反りが合わないんですね。かといってJTさんみたいに彼らを悪魔化したりはしないですけどね。悪魔化の言説戦術というのは嫌いなんですよ、ジャコバン的なものにせよ正統王朝派的なものにせよ。勿論批判すべきは批判しますし、困ったもんだという御仁が多いのも事実なんですがね、彼らの意見も意見として尊重するぐらいの寛容と公平のセンスぐらいは持ちたいものだと願っておりますし、ある種絶望の入り交じった共感とでもいった複雑な心情とともに日本史における彼らの存在意味は理解しているわけですよ。これは左翼に対してもそうです。こんなことを言っても判らないでしょうけれどもね。ともかくここで問題にしたいのはイデオロギーの話ではありません。まあこんなことを言っても友敵理論の信奉者に通じないことぐらいは知っているのですけれども。別の誰かに言っているとでも思ってください。

というわけでここ数年で微妙にトーンが変わっているとはいえ、在日外国人コミュニティーの世論誘導にいそしむJapan Timesはご健在なのでした。日本酒と焼き鳥の美味しい秋の宵ですよね。まあ、がんばってくださいね。

ganbatte! genki! yuki!

追記
小熊英二氏の著書のリンクが間違っていたので修正しました。また一部表現を変更しました。中川氏についてのJT記事はampontanさんもポストでとりあげていましたね。ともかくこういう瑣末主義的な象徴政治なんてのは暇人のやることです。もっと具体的にやるべきことはたくさんあるんですから。それからファンというわけではないのですが、中川氏はたぶんJTさんが考えるよりはスマートな政治家だと思いますよ。実務能力が高い政治家ですし、中道層にまでウィングを広げられる人ではないでしょうかね。まあなんであれ物事はイメージで語らないことですね。

ちなみに国旗を引きずりおろすことに執念を燃やすスターリン主義的な教職員組合ですが、個々に見れば、いい先生も立派な先生もいらっしゃることは承知しております。ただ組織体としては私は評価しないのです。韓国の教職員組合も同じ臭いがしますが、「アジア左翼的」というんでしょうかね。全体主義的なものへの免疫のなさをどうにかしてほしいです。またいろいろ話を聞く限りでは現在の学校教育の現場が真に求める組合のあり方からはやはりかけ離れているように思えますね。まあこれは話のついでに書いているので私は別に熱いアンチ日教組派でもないですし、それほど重要性のある問題だとも思ってはいません。ただ日本の左派が冷戦時代の枠組みから脱して成熟することを個人的に期待していることもあるのでなんというのか邪魔な存在に見えてしまいます。

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BHLの創作について

このブログではわりと新哲学派の面々の発言を拾っていますが、それは彼らにそれなりに影響力があってパリ左翼のミクロコスモス内部の論調を知るのにそれなりに便利だからでありまして、私自身がこの文化人達にどうやらさほどの敬意を抱いていないらしいことは注意深い方ならばお気づきのことでしょう。このエントリではベルナール・アンリ・レヴィ(BHLと略される)がどうやらやらかしてしまった件について紹介しておきます。それは単にこの見栄っ張りさんを嘲笑してやろうという意図からではなくて、なにかしら興味深い事柄が含まれているように思えたからです。

このBHLの問題の文章ですが、8月19日付でル・モンドに掲載された「戦火のグルジアで見たもの」という3ページの長い記事です。長いので訳すのは止めておきます。多分そのうち英訳も出るでしょう。内容ですが、

1. トリビシ周辺でBHLが見たもの。予想に反するグルジア軍の不在。真新しい制服を着用した兵士。ロシアの戦車部隊がトリビシに来るという噂と混乱。ロシア軍との遭遇。負傷したオセチアの農民の語るロシア兵による残虐の事実。
2. ゴリ周辺でBHLが見たもの。打って変わって緊張した状況。側溝に落ちたグルジアのジープ、燃えたタンク。チェック・ポイントで取材を拒否されるが、エストニア大使の車に同乗して通過し、ゴリに到着。火災を目撃。照明弾と爆発音。空っぽな略奪された都市。
3. サーカシビリ大統領との対面。閣僚達の印象批評。大統領の熱弁。
4. カスピでBHLが見たもの。橋、駅の破壊。5台の戦車。
5. 疲れた様子のサーカシビリと対面。和平案への不満をもらす。夜を徹して文書を読むがグルジアの領土一体性の言及がないことに仰天。ホテルで出会ったリチャード・ホルブルックのセリフ。

以上がだいたいこの文章の概略です。BHLが見たとされるものの記述の間に様々な独語やら内省やらがあちこちに散りばめられ、全体としてロシアの非道を糾弾し、西洋の救援を呼びかけるメッセージとして作文されています。メッセージの中心は3のサーカシビリの熱弁と5のホルブルックのセリフにあるといっていいでしょう。前者ではBTCパイプラインが奪われた場合に欧州は100%ロシアに資源を依存することになるぞという例の話とイランとロシアが接近した場合、この枢軸に対して西洋はいかに立ち向かうのかという脅しです。イスラム原理主義とスターリン主義が組んだら怖いでしょうということです。後者はミュンヘン協定の臭いがするというたびたび言及される例です。こちらはナチスで、要は「悪」の三点セットですね。

BHLがグリュックスマンとともに先日のNATO首脳会談の際にグルジア、ウクライナの加盟を訴えた手紙は前に紹介しました。68年5月に大学で暴れ回っていた一人であったのが、その後自らが影響下にあった「68年の思想」との格闘の末にサルトルの再発見を経ていつの間にか西洋文明の守護者に転進することになったという屈曲した遍歴を辿った彼の思想的立場について詳述する暇も知識もないのですが、ネオコンのフランス版みたいなものと言ってもそれほどはずれていないと思います。ネオコン批判もしていますし、同世代の他の文化人達とも微妙に異なる声色で歌っていはいるのですけれどもね。ともかくこの主張そのものは普段から言っていることです。この文章は「私」を主語としていて徹頭徹尾主観的な文体で綴られており、読者は書き手に感情移入することである種の「臨場感」を味わうことができるといった趣向になっています。

まず一読した瞬間にあーあと思ったことを白状しておきます。私は書き手自身が「戦地」に身をおいて視点人物にとどまって自分が見た物についてあれやこれや主観的に考察し、読者を感情移入に巻き込むといった手法で書かれた記事を信用しないだけではなくどうやら嫌悪しているようなのです。この記事はル・モンドでは「哲学者、エッセイスト」の「証言(le temoignage)」と分類されていて、通常の事実報道や分析報道とは別枠にされています。あいつをグルジアに連れて行ってなんか書かせてやれよ、面白い事書くかもしれないから、といった企画なのでしょうか。ですからこれは通常のジャーナリズムの倫理やルールの問題ではなく、哲学者なり批評家なりの政治的証言文学の倫理の問題ということになります。「私が見なかったもの」への想像力や「私は本当に見たのか」という省察を欠いたこうした「私は見たのだ」式の書き物を恥ずかしげもなく披露する書き手の認識論的居直りに対する苛立ちとでもいったらいいのでしょうか。コソボの時のスーザン・ソンタグもそんな感じでした。なおこれは政治的立場や主張内容の是非論とは違います。ロシアの非道を批判し、NATOの介入を訴えるのはそれはそれで一向に構わない。それはそれで立派な考えだと思います。問題はこのスタイルです。本人の主観的な誠実性とは別にこのスタイルそのものが本質的に不誠実に私には感じられるのですね。

とはいえ嫌いだからといって大上段に倫理を振りかざすのはどうなんだろう、まあ、こういうジャンルもジャンルとしてあってもいいんじゃないか、個々の作品ごとに出来不出来を評価すればいいのでジャンルとして否定するのはいささか性急ではないかと思い直したりしていたのであります。そして私のこの記事に対する評価は下の下というものでした。ヴォイスの選択といい、人物描写の平板さといい、とうてい世界の複雑性を開示するような文章ではなく程度の低いプロパガンダに過ぎないと。が、事態は思わぬ方向に展開したようです。「私が見なかったもの」への想像力の欠如どころか「私が見なかったもの」を「私が見た」と書いていた、すなわちこの記事に虚偽が含まれていたという疑惑が持ち上がっているようなのです。

またしてもインターネット新聞Rue89なのですが、本当にここは元気ですねえ。最近では大手メディアよりも強力になりつつあるような気がします。ここの「BHLはグルジアで『見たもの』のすべてを見ていなかった」という記事です。ジュリアン・マルタン、パスカル・リシェ、ダヴィド・セルブネの3人が「ジャーナリズム」の立場からBHLの記事の「ファクト・チェッキング」をしています。

まず「BHLの語っていない事柄」としてこの哲学者の2日半の旅行の背景を説明しています。8月13日水曜日にブルジェ空港発のジェット機を借りて4人の同行者とともにトビリシに向かう。正午にグルジア到着。パリの大使の知らせでグルジア大統領が通訳を送るが、この通訳が滞在中に同行した。土曜朝8時にトビリシを発つまで2日半しかグルジアに滞在しなかった。このチームはマリオ・トビリシというジャーナリスト、外交官御用達の5つ星ホテルに滞在した。この訪問は多数のフランス人ジャーナリストを驚かせたが、哲学者は自分のモチーフを隠さなかった。ロシアの鬼からグルジアの自由を守ることだと。

以下検証が進みます。ゴリ行きの白い空調付きのミニバスで路上で最初に「見た」とされるもの。

「我々が最初に遭遇した最初の重要な軍事的プレザンスはロシアの長い車列だったが、少なくとも100台の軍用車がトビリシに向かってガソリンを充填するために静かにやって来たのだった」

この文について同じ日に同じ道路を利用したヌーベル・オプセルヴァトワールの特派員のクリストフ・ボルタンスキ氏は実際に車列の数を数えたそうですが、彼によれば30台だったとのことです。

そして最大の問題となるのが彼のゴリの報告です。

「我々はゴリに到着した。都市中心部ではなかった。しかしロマイアがアウディーで負傷者回収のために出発する前に我々をおろした場所から、車輪付きのトーチカのような巨大戦車が支配する四つ辻から、我々は見渡す限りの火災を確認することができた。規則正しく間歇的に天空を照らす照明弾に短い爆発音が続いた。空虚。死の腐敗の軽やかな香り」

「ゴリはロシア人が『解放』しに来たと言い張るこのオセチアには属していない。この都市はグルジアの都市だ。ところがロシア人はこの都市を燃やし、略奪し、幻の都市の状態にしたのだ。空虚」

しかしながら記事によれば問題はBHLはゴリに到着していないこと、またゴリは燃えていなかったことにあります。BHLがグルジア国家安全保障評議会議長アレクサンドル・ロマイアらとともに最初の関門をなんとか通過したのは事実ですが、その一行の一人でBHLを同乗させるようにした欧州議会議員イスラ・ベギンの証言によると、「誰もゴリには行っていません」「都市の1.5kmの関門で足止めを食らいました」。彼女によれば燃えていたのは野原だけだそうです。潜伏するスナイパーを避けるための手段だそうです。また「腐敗の香りを感じたというけれども、私は感じなかった。ゴリは燃え、略奪され、幻の都市の状態にされていたと書いているけれども、この時、私達はそんな風には言えないはずです。というのも単に誰もそこに行っていないから。結局、私達はゴリから1.5kmのところで止められていたのだし」と真実を語っております。

また編集者のジル・ヘルツォークも「いや、我々は都市に入らなかったよ。外れにいたけれどもゴリから何キロなのかは知らない。もう夜で照明弾があがるとぼんやりと建物は見えたね。でもみんな道路の端にいたからねえ。周りに燃えている野原はあったよ」と同様の証言をしています。腐敗の香りについても「個人的にはなにも感じなかったね。でもたぶん我が友BHLは感じたんだろうさ」と。また同行中のワシントン・ポストの記者の記事は「8月13日グルジア、ゴリ郊外」と明記され、一行が都市に入らなかったことが明記されているそうです。

また金曜日に再びゴリに入ろうとした際の記述にも問題があるそうです。

「金曜朝。我々はラファエル・グリュックスマン、ジル・ヘルツォーク、欧州議会議員とともにゴリに再び行くことに決めた。サルコジとメドジェーエフの休戦協定に続いてゴリからはロシア人が撤退を開始しただろうし、グルジア人の屍体が豚と犬に委ねられたツヒンバリへ出発間際のトビリシ主教に合流できると思われたのだ」

「しかし主教を見つけることはできなかった。ロシア人は撤退などしていなかった。我々はまたゴリの20キロ手前で足止めされた。我々の前の一台の車が非正規兵の一隊にホールドアップされたが、ロシア人将校の穏やかな眼差しの下にこの一隊はジャーナリストを降ろさせ、カメラ、金銭、個人的な持ち物、それから車を奪ったのだ」

「結局、誤報だった。ロシアのプロパガンダ職人が確かにマスターとなるかに見えるいつもの誤報の駆け引きだ。それでという訳でゴリとトビリシの中間にあるカスピへ向かった。ここには欧州議会議員の通訳の家族がいて、状況は基本的にもっと安定していた」

この文ですが、同行したアンドレ・グリュックスマンがこのホールドアップについて3台の車が先に進むなとグルジア警察に止められたのだと証言しています。彼によればUNHCRの車がロシアの関門を突破したと警察官から聞いたが、このシーンは見ていない。ロシアの関門は500メートル先にあって見えなかったからと。またイスラ・ベギン議員によれば木曜日にグルジア当局から人道支援物資を運びにゴリに行けると聞いたが、金曜日には待てども待てどもロシア側からの許可が得られなかった。したがってBHLと一緒にゴリには行っていないし、主教も探していない。トビリシにずっといたが、グルジア人アシスタントとカスピの村に行く事に決めた。BHLは私のところに来て言った。「昨日もチームを組んだけど、今日もこれ続けるの」と。

またトリビシの最後の晩の大統領との対話の部分ですが、グリュックスマンによればBHLの著書「危険な純粋さ」とサルトルをめぐる哲学談義に花が咲いたそうです。憔悴し切った大統領の必死の訴えのシーンやら和平案の文書を血眼になって読みあさるシーンとはずいぶん印象が違うような気がするのは私の目の錯覚ではないようですね。

以上のようにどうやらBHLのこの作文、記憶違いと寛容な解釈をするのは困難なほどの虚偽や創作が含まれていることは明らかのようであります。そう、この哲学者はゴリには行かなかったし、炎上するゴリも見ていなかったのです。戦争のリポートに関して哲学者や文学者がジャーナリストに「勝つ」場合もあるとは思いますが(いくつか例が思い浮かびます)、どうやらこの勝負に関してはジャーナリズムの側に軍配を上げたいと思います。BHLの駄目駄目さを暴露したRue89らしい対抗ジャーナリズム魂溢れる記事でした。まあだいたいグルジアに関して今私が本当に知りたいのは「意見」などではなく「事実」なんです。本物のジャーナリストの皆様宜しくお願いします。

追記
タイトル変更。偽証→創作。この件では小説の筋や作り話を意味する語であるaffabulationが使われているようですので創作としておきました(8.24.2008)。

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追悼ねえ

ふう。8月15日ですか。なんの感慨もないですねえ。

MDシステム配備計画で米・ポーランド大筋合意[AFP]
すごい判りやすいタイミングで来ました。これから連鎖的にいろいろな動きが出てくるでしょう。短期的にはともかく中長期的にはこのままいくと欧州の東西の溝は広がっていきそうに見えます。それはアメリカの方が頼りになるんですから当たり前です。これは理念云々ではどうにもならない話です。しかしアイランドのノンといい、次から次に衝撃が来ますねえ。サルコジ、がんばっていると思うのですけどねえ。ここは踏ん張りどころですね。

終戦から63年、戦没者追悼式[読売]
先の大戦の戦没者に追悼を捧げる気持ちは勿論私にも十二分にあるのですが、この記念のあり方に不満を覚えている自分がいるのも確かだったりします。8月15日の形成のされ方については話題になった佐藤卓巳氏の新書もありますが、氏の語るように9月2日も教えればいいという話でもないような気もしています。そもそも私はあまりこの手の記念行事というのは好きではないのでして私なりの追悼の形を探していくことにしましょうか。

太田農水相、保岡法相が靖国参拝 小泉・安倍両氏も[朝日]
"Japan's PM stays away from shrine"[BBC]
こちらはこちらで相変わらずですね。このネタとりあげているのは私の見た限りでは通信社を除けばBBCだけですが、相変わらずエグいですね。コスプレ禁止にしたらどうですか、靖国さん。私にはこの奇矯な人達はただただ境内を汚しているだけにしか見えないんですけどね。昔は笑っていましたけど最近では腹が立ちます。なお私は靖国に対してはアンビバレントな立場でして、ニュアンスを全く欠いた非難には不満を抱く一方で、現状には満足していないのです。そういう人もけっこういると思うのですがね。極端な人々が大騒ぎをしてその他大勢が怖じ気づいて口を噤むというのはよくないと思うので言っておきますと、やはり誰を祀るのかという問題はありますよね。東京裁判云々は別の話として。いわゆる植民地兵や賊軍の問題も含めて。私にはもうこれは「霊璽簿」という顕名制度を止めることですべて終了させるしかないような気がするんですよね。「祖国のために尊い命を捧げた人々すべて」というように匿名化して(「無名兵士の墓」の無名は匿名のことですよね)、後は皆が皆自分の思いで祈るという形です。日本の宗教的伝統から言ってもこの顕名制度が異質な感じがするのは、厚生官僚的なロジックからこのシステムが来ているように見えるからだと思うのです。政治的譲歩みたいに見えないようにして実現できないでしょうかね。・・・難しそうですね。ただ外圧に対してつっぱっているうちに中長期的には国内の支持層が濃い人しか残らなくなるという可能性もない訳ではない。それはよくないことではないですか。これ読んでそうとう頭に来る人もいるかもしれませんが、私も私なりにこの問題はいろいろ考えてとりあえず言っておきたいのです。やはり他の場所という訳にはいかない「約束の地」なんだろう。あまり政治にまみれてほしくないなと。なお私自身は私なりの追悼の仕方を編み出したい気持ちもあります。大岡昇平的なあり方の一部を加藤典洋などを経由させずにアクロバティックに世代間継承できないかなというような問題意識です。でもこれはまったく私個人の話ですね。

「8月15日」 東洋学園大学准教授 櫻田淳[産経]
いろいろ見て回ったのですが、なにか腑に落ちる感じがあったのは櫻田淳氏の論説ぐらいでした。「正論左派」としてのお役目を立派に果たされているようです。保守と反動との境目はなにか、実績に対する余裕と自信があるかないか、具体論か観念論かだというとても氏らしい内容です。こういう明るい認識というのは優れた保守主義者に共通する資質のような気がします。残念ながらとうてい手の届かないところにある境地です。

毎日新聞問題は「セクハラ問題」であるとの認識[Tech Mom Silicon Valley]
「敵」を見誤った毎日新聞[ガ島通信]
噫、つまらぬ展開だと言いましたが、それは愚か者が大量に入ってきてすっかり荒れたからでして「主婦層」(主婦だけでなく会社勤めの女性が多い印象を受けますけど。まあ判りませんけれどもね)には声援を送ってきました。心の中で応援していただけなので使えないやつなんですがね。そこにはあまり空想的な要素がなく、その怒りには根拠があると思ったからです。実は今回初めて見たのですが、まあなんといいますか、その戦術論的的確性といい、荒らしや誤誘導のあしらいぶりといい、行動力といい、驚嘆させられるものがありましたね。いったいどこでゲリラ戦の極意を学んだのでしょう。繰り返しますと、私にとっては外国からどう見られるかという問題は二義的な問題に過ぎず、我が国のメディアの無責任体質やこういう記事を平気で通してしまう企業体質が問題な訳です。海外メディアも最終的には日本のメディアの情報網に依存しているのですから(自分で取材するまともなジャーナリストなど今や数えるほどしかいないですから)日本のメディアのあり方が見直されることがとりあえずは一番重要なことです。要はこの件を契機にして我が国のメディア環境が幾分かましになってくれないと私には心底つまらないのです。でないと同じ事の繰り返しです。ありもしない黒幕探しをしている暇があったら、奮起してよりよい紙面づくりに励んで下さい。ちなみに私にはこういう事件を許した背景には日本の左翼アナーキスト文化のミソジニックな暗黒面が関わっているように感じられますがね。まあ感じです。

ではでは。

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暑いといってはいけないと言われた

以下ニュース・クリップです。

"Les tardives réactions de l'Occident"[Liberation]
西洋サイドの反応についてまとめた記事。批判のトーンがやや強まっているが、アメリカも欧州も戸惑いの方が大きいと。情報戦の真っ最中ですから断定はしないでおきますが、確約もなしに西洋側の支持を得られると思い込んでオリンピック開会式をねらって南オセチアに侵攻したというのが事実ならば途方もない錯誤としか言いようがないですし、この紛争で亡くなられた方々のことを思うと浮かばれない話だとしか言いようがないです。ロシア側の策動にのってしまったという側面もあるんだろうと推測しますけどそれにしてもなあ。記事の最後で前に紹介した加盟推進派のグリュックスマンがNATO首脳会談でのロシアへの譲歩を批判しています。パリもベルリンも譲歩をすれば相手も譲歩をすると思い込んでいるが、プーチン体制には単なる弱さの印としか見られていないのだと。確かに首尾一貫した立場だとは思いますが、現在の欧州にはロシアと正面から対立する勇気もメリットもさほどないだけにやはり理想主義的に過ぎるようにも見えます。いえ、皆が皆リアリストになる必要はない訳ですからそういう声もあっていい、というのか、対重的言論としてあってしかるべきでしょう。一時的には非現実的に見えても現実的な意味を持つような状況変化がやってくる可能性というのもないわけではないですしね。歴史的にそういう事例はたくさんありますし。個人的にはグリュックスマンは好きじゃないんですけどね。なおずっと欧州視点で書いていますが、極東の島国の住民たる私自身の観点は勿論それとは違っています。

"Disturbing reasons to put a nation to death"[Japan Times]
JTのイアン・ブルマ氏の記事。ベルギーの問題を欧州の未来に重ね合わせる内容です。民族主義の原理に負けるなと。良識的な意見なのだろうと思いますが、連邦的なもの(帝国的なものでもいいですけど)と民族的なものって互いに支え合う関係にあるんじゃないですかね。これまでの歴史的経験から言って前者が後者を乗り越えるってあまり信用できないんですよね。むしろそうした志向が逆説的に民族主義を高めてしまう場合もあると思うのですが。だいたい多文化主義とか多民族主義ってなにも最近言われ出したことじゃない訳です。ソ連帝国でも満州国でもどこでもいいですけど先例がある訳ですね。そんなのと一緒にするなと言われそうですが、そして私もそれはそうだと思ってはいるのですが、ある力学的な構造として眺めた場合にそこにはやはりそれなりの類似性がない訳ではない。これはとても難しい問題ですから結論はないんですけれども。勿論このたびのグルジア・ロシア間の紛争も想起しています。まああまり一般化せずにこういう問題は個別に考えていかないといけないですね。ベルギーは・・・それなりに知っている国なのでやや複雑な心境になりますねえ。

なおJ-CASTに記事が出た時にはバックラッシュを警戒したこともあり、Japan Timesは必ずしも駄目じゃないと書きましたが、勿論良いなどとは一言も言ってはいません。今日見たら読める記事ほんのわずかじゃないですか。いえいえ論調のことではないですよ。イデオロギー・レベルの話でなくそれ以前の話です。それからなんでデマ・サイト管理人に記事書かせているんですか。既に完全包囲状態みたいですから、このままだと道連れにされてしまうかもしれませんよ。まあそれもいいかな、勝手に自滅したらぐらいの気分になってきていますが、そこまで突き放した言い方をしないとしたら、そうですねえ、South China Morning Postぐらいのポジションを目指したみたらどうでしょう。それなら読者増えますよ。はい、大きなお世話でした。

"China wary of a 'normal' Japan" By Hiro Katsumata and Mingjiang Li[Asia Times]
Asia Timesというのもなんとなく微妙なメディアなのですが、一応目は通しています。いえ、こちらはそんなに悪くはないです。ただなにか微妙です。この記事では日本の「普通の国」の議論というのが国連平和維持活動へのより積極的な参加を意味し、それを可能とするべく自衛隊の位置づけを憲法上明確にすることを目指すものであって軍国主義などとは無関係だと中国人に向けて説いています。いや、ごく当たり前の話なんですが、こういう記事が今更Asia Timesに掲載される意味について少し考えてみたのですが、よく判りませんね。まあいいんじゃないですか、こういう記事が普通に英語で流通するのは。NYTには掲載されそうもないですし。日本の安全保障について政策担当者や戦略家ではなく右翼だのなんだの無関係な連中ばかりをインタビューしていて(インタビュー受ける方もどう利用されるのか想像力ゼロというのが絶望的なんですが)心底唖然とさせられた大西記者の記事が堂々と掲載されたことですしね。

ところでWilliam Sparrow氏の記事を掲載しているとMainichiと同レベルにみなされると思うのですがね。内容も低俗週刊誌レベルですからそういうメディアなのねということになる訳ですよ。いいんですかね。この手の記号としての「アジア女性」を売る輩─欲情と啓蒙的意思との奇怪な結託はこの連中の共通の特徴です─を批判するのは本当はアジアのフェミニストの仕事だと思うのですがね。なお余計かもしれませんが、リベラル的な感性の人々に言っておくと、こういうケースでは、ナショナリズムに絡めとられるのは・・・とか変な禁忌に縛られる必要はないと思います。不快ならば不快だと言いましょう。また幻想には事実を対置しましょう。そういう地味な努力をしないから、ネオ・オリエンタンリズムの跋扈を防げないどころか巻き込まれてしまうんですよ。

という訳で少し攻撃的なのは雑誌の占いで今日はそう振る舞えと言われたからです。文句がある人は占い師に言って下さいね。なお私は今日は機嫌が悪い訳ではなくて愉快そのものです。

追記 1フレーズ追加、リンク追加しました(8.12.2008)。 一応断っておきますが、私が言いたいのは、アジア大好き!とか日本大好き!みたいなことを言っているけれども本質的にはアジアも日本も蔑んでいるこの手の偏見にまみれた不埒者どもを我々は一人一殺的に撃滅していくべきだというようなことではまったくなく、もしメディアが信頼性を獲得したいと願うならば、この手の輩のばらまく幻想に紙面を汚されないように気をつけたらどうですかというごく穏当な話です。Asia Timesがもしアジアのヴォイスを正確に伝え、アジア情勢について意義ある情報を提供する定評あるメディアになる気が本当にあるならばです。でなければ三流ゴシップ紙として扱うでしょう。

また、「普通の国」論の記事ですが、こんな当たり前のことをわざわざ言わなければならないほどネットの英語圏では日本の安全保障関連は妄想的な情報ばかりという現状がある訳です。本当は日本のメディアが、少なくとも英語版では、「主張」ではなく、客観的なデータに基づく啓蒙的な解説記事や素人ではなく専門家のインタビュー記事をなにかあった時だけではなく普段から掲載しているのが当たり前なのですが、日本のメディアにはそういう役割を果たそうという気がないようなので本当に使えないです。どうでもいいトリヴィアルなネタの速報記事やらくだらぬ事実無根のデマを流している暇があったら少しは東アジアの安全に資するような情報を出したらどうですか。別に日本政府の肩を持てとか言っている訳ではないですよ。日本国内でどのような議論がなされているのか(素人談義でなく専門家の間の議論)について前提的な了解がない現状ではいくら「主張」しても─それがどんな主張であれ─余計な警戒心を呼ぶだけなんですから。

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ラテン語メディアの世界

この広大なる世界にはラテン語をなお生きた言語として使用する、また死んだ言語にすまいと努力する人々が存在しています。残念ながら私はラテン語話者ではないのでありますが(読むと聴くだけ)、これらラテン語人口の地味ながら精力的な活動は興味深く観察しております。世の中いろんな人がいるもんだねと(なぜか地味ながら精力的な活動をしている人々にどうしようもなく惹かれる傾向性があるような気がします。欲望の希薄を補完したいのでしょうかね)。それはともかく彼らのおかげでこの世の中にはラテン語の新聞やラジオといったメディアが存在しております。

私も習慣的に聴取しているラジオ・ブレーメンとフィンランドのYLEのラジオ1はこの世界においては有名なインターネット・ラジオ・サイトです。テキストと音声と両方ありますのでディクテーションの教材にいいです。またエフェメリスという新聞サイトは世界中の短信ニュースをラテン語で伝えてくれます。我が国においてこの古めかしい言語をやろうなどという層はかなり限定的でありましょうし、ラテン語学習者の間では知らぬ者はないサイトでしょうから、いったい誰に向けて紹介しているんだかよく判らないのですが、まあそんな世界もありますよという話です。一人ぐらいこの世界に誘うきっかけになったらば私もなにごとかを成し遂げたことになるのでしょうしね。

一般的に古典作品を読むのがラテン語学習者の夢でしょうけれども、海外ニュース・マニアでもある私にはこうしたニュース・サイトは非常に嬉しい存在です。ラテン語で報じられる世界はなにかしら古代風の響きが添えられるのが楽しいところですね。ハイデゲリアンではないですが、やはり言語によって世界の現れ方はまるで違うようです。アメリカのニュースなんてまさにローマ帝国の現存といった印象を与えますね。よくたとえとして言われることではありますが、ラテン語で記述されるアメリカ合衆国は本当にローマ帝国を彷彿とさせます。

どんな雰囲気なのか伝えるべく、ラジオ・ブレーメンの7月のニュースを翻訳しておきます。音声ファイルがありますのでよろしければ聴いてみて下さい。ドイツ語訛りのあまりないきれいな発音です。Nuntii Latini mensis Iunii 2008, [4'47]の左側のスピーカー・アイコンです。

Manus pedifollica Hispaniae campionatum Europaeum anni bis millesimi octavi assecuta est;
in decertatione finali in urbe Vienna habita pedilusores Germaniae folle semel portae eorum illato vicit. Hispani non solum in hoc ludo, sed etiam in toto certamine longe superiores et invictos se praestiterunt. Homines totius Hispaniae hac victoria maximo gaudio affecti sunt. Etiam pedilusores Germaniae in patriam reversi magno iubilo Berolini accepti sunt.
ヒスパニアのフットボール団が2008年欧州選手権を制覇した。ウィーンで開催されたる最終戦でゲルマニアの選手団に1-0で勝利した。ヒスパニア人達はこの試合ばかりでなく全試合で卓越し無敵であることを誇示したのだ。全ヒスパニア人はこの勝利の歓喜に酔いしれた。祖国に帰るゲルマニアの選手団は喧噪の中ベルリンに迎えられたのであった。

Ab Hibernis pactum Olisiponense, quo Unio Europaea transformaretur, plebis scito abrogatum est. Quo facto iterum conatus Europae in meliorem statum redigendae irritus factus est. Hoc pacto id efficeretur, ut Unioni Europaeae institutiones democraticae inducerentur moderatioque habilior institueretur.
ヒベルヌス人によって国民投票で欧州連合を変貌させるリスボン条約が否決された。これにより改善されるべき欧州の試みは再び未決とされた。欧州連合に民主的制度が導入され、より相応しき節度[moderatio 訳が見つからない]が制度化されるといった事態がこの条約により実現されるはずであった。

Petitores praesidentiae Unitarum Civitatum Americae senatores Barak Obama democrata et John McCain republicanus supersunt, de quibus mense Novembri decernatur. Obama primus candidatus origine Africana est, qui ab altera factione magna Domui Albae destinatus est.
アメリカ合衆国大統領候補の民主党のバラク・オバマと共和党のジョン・マケインが残っているが、11月に両者のどちらかから(大統領が)選出される予定だ。第一の候補のオバマはアフリカに起源をもち、野党[民主党]によりホワイトハウスに指名される。

Tribunal Supremum Civitatum Unitarum Americae decrevit captivis in campo Guantanamo in Cuba insula sito inclusis ius esse in iudicio civili adversus captivitatem lege agere. Quo decreto moderatores Americani clade acerba affecti sunt; complures captivi enim per octo iam annos sine ullo iudicio in illo campo militari in custodia tenentur.
アメリカ合衆国最高裁判所はキューバ島にあるグアンタナモ基地に拘禁される捕虜達には民間の法廷で人身保護の請求を行う権利があると判決を下した。この判決によりアメリカの指導者達は苦い敗北を味わうことになった。多数の捕虜達は8年間裁判なしでこの軍事基地に拘禁されている。

Procuratores cursus publici Germaniae se cunctas tabernas suas clausuros esse decreverunt. In posterum hominibus solum in pantopoliis, stationibus autocinetorum, ephemeridum tabernulis facultas dabitur, ut opera cursus publici utantur. Quae res apud homines totius Germaniae magnam indignationem movit.
ゲルマニアの郵便の経営陣が多数の急便局を閉鎖することを宣言した。郵便業務を利用する便宜は今後食料品店やガソリン・スタンドや新聞スタンドでのみ提供される。こうした措置は全ゲルマニアの住人の間に憤怒をひき起した。

In Brasilia nonnullae gentes indigenae inventae sunt, quae adhuc cultu atque humanitate occidentali non contactae vitas agunt. Igne utuntur, habitant vicos senarum casarum. Venatores peritissimi esse, olera colere videntur. Brasiliae moderatores hos indigenas ab ullo homine adiri vetant.
ブラジリアで原住民が発見されたが、彼等はこれまで西洋の文化や文明に接触することなく生活を営んできた。彼等は火を使用し、6件の家屋の集落に居住している。熟達した狩人であり、野菜を栽培しているようだ。ブラジリアの指導者達はこの原住民達の下に接近することを禁じている。

In Graecia Argo navis fabulosa denuo est constructa eodem modo, quo antiquis temporibus fabricatam esse homines docti arbitrantur. Tali in nave triginta metrorum vecti Argonautae primum Bosporum periculosum inter Europam et Asiam situm transisse dicuntur. Quem cursum iterare moderatores Turciae vetuerunt suspicantes ita imperium quoddam Graecorum in regione Pontica renovari.
グラエキアで識者達が古代に建造されたと考えるのと同様の仕方で伝説のアルゴー船が再現された。30メートルの船で運ばれたアルゴーの船員達はエウローパとアシアの間にあるボスポルス海峡を越えたと言われる。トゥルキアの指導者達はグラエキア人の帝国がポンティカ地方で復活することを恐れてこのコースをとることを禁じていた。

Carla Bruni-Sarkozy, antequam praesidenti Francogalliae nupsit, cum monstratrix vestimentorum tum cantatrix processit. In ultima collectione canticorum, quam edidit, singulis triginta viris, a quibus amata est, unum canticum dedicavit laudans, quas quisque haberet virtutes. Etiam maritum, cui nunc nupta est, versibus "Tua sum" celebrat.
フランコガリア大統領と結婚する前にはカーラ・ブルーニ・サルコジはある時はスーパーモデルまたある時はスター歌手だった。彼女がプロデュースした最新の歌のコレクションの中で、かつて彼女が愛された、それぞれの美点をもった30人の男達を称賛する一曲を捧げた。さらに「あなたのもの」という歌で現在結婚している夫を祝福している。

15分ぐらいで大急ぎで訳したので変なところもありそうですが、地方名、国家名はラテン語の響きを尊重して古代風のままにしておきました。アメリカ合衆国はCivitates Foederatae AmericaeとかUnitas Civitatum Americaeとかいろいろな言い方があるようですね。どれが正式なんでしょう。このニュースではオバマもマケインも英語のままですが、ラテン語化するとさらにそれっぽくなります。ただラテン語といってもニュースのラテン語は近代語ベースなので古代のラテン語に比べるとおどろくほど読みやすいです。古いラテン文はもっとぐにゃぐにゃしているので一文の意味について一日中考え込んでしまったりすることもよくあります(仕事の合間合間にですね)。でも語学話というのは始めるときりがないのでこのへんで止めておきます。

最近ではインテリの間でもラテン語はできなくなりつつあると言われますが、それでもこんな風にしてこの由緒ある古代語を愛好する人々は絶えないようです。それでこのラテン語人口の活動を観察していて感じるのはこの人達の情熱には欧州統合の意思のなかにひそかに混じっている成分と同質のものがあるようだということですね。中世の普遍帝国への郷愁のようなものです。ラテン語以外禁止の掲示板などではそういう声がたまに露出していたりもします。欧州のキリスト教アイデンティティーが時に強調されたりするのと通底するものを感じるわけですが、これは政治的にはけっこうセンシティブな話だったりします。まああんまり政治にもっていくのも窮屈な話ですからこれぐらいにしておきますが、ともかくラテン語は死語ではなく現代に生きている言語なんだ、この言語にはなお現代政治や現代社会を記述する能力があるんだ、ということをご理解していただけましたらこの文に多少の意味があったことになります。

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暑いですね

最近は小学生が合唱しているポニョ、ポニョ・・・の残響が頭を離れません。子供がやたらと多い地域に住んでいるので今何が流行っているのかはだいたい彼らが勝手に教えてくれます。町のあちこちでピーチク囀っているのが自然に耳に入ってくるわけですね。昔から半身が異なる時空を泳いでいるようなところがあって流行というものに関しては全般に疎いので彼らの囀は便利です。芸人は知らないが、ギャグは知っている。知ってどうするということもないのですが。またなにが流行っているかばかりでなく時にこれはなにかの啓示なのだろうかとかつい考え込んでしまうような意味深なメッセージを耳にすることもあります。昨日はマクドナルドでしばし考え込んでいました。

先日のECBの利上げの評価は難しい、判断つかないなという状態が未だに続いています。期待のコントロールといっても外部要因で物価が押し上げられている現状でそんなこと出来ますかねという誰もが抱いているだろう疑念が消えないためです。フィガロにECB総裁のトリシェのインタビューがありましたが、中身は公式見解の枠から出るものはないですね。第二四半期と第三四半期には減速するが第四四半期に穏やかに回復するだろうという短期的な見通しはいささか楽観的ではありませんかねえ。先日の利上げは中期的な見通しでの物価安定のためで(目標は2%)、今後の利上げについてはバイアスは一切なしだと繰り返しています。また他の中央銀行の動向とは無関係に判断するとも。持続的成長との兼ね合いはどうするのだという問いには、二兎を追う者は一兎も得ず、中期的な物価安定のみを目標とすると断固として答えています。うーむ。ここまでの展開は私の予想のうちの最悪のシナリオの通りになっているのですがね。東の方面は大丈夫ですか。ちなみに「ドグマチック」という世評のトリシェでありますが、政治家の美辞麗句を見慣れているせいかそのフランス語の構文の単純さにはちょっとした驚きを抱きます。修辞に長けた中央銀行総裁というのはそれはそれで困りますが、融通があまりきかないのもどうかと思います。これは言っても仕方ないかもしれませんが、セオリー通りに動いているといってもそもそもユーロ・ゾーンじたいがセオリーから逸脱した存在だと思うんですよね。

なおエコノミストのマルク・トゥアティ氏が運営している「トリシェを止めろ!」というサイトがあります。英語版もありましたのでリンクしておきます。これは3日の利上げに合わせて出来たサイトですが、今後も運営されるのでしょうかね。我らが中央銀行についても不穏な動きがあった場合には誰かこのようなサイトつくりませんかね。逆効果のような気もしますが。なおインフレ話ではEconomistも記事を掲載していますね。FTの論調に比べるとこちらの方が日本での論調に近いですかね。

Not unambiguously good for Japan, in other words, but inflation may not be unambiguously bad either.

なんとも微妙な言い回しですね。なお外圧理論を信奉する方もいらっしゃるようです。

Historically, it has taken some form of external shock or pressure from overseas, known as gaiatsu, to induce rapid and profound change in Japan (as a result of the 1970s oil shock, for example, Japan started liberalising its finance industry). Inflation, argues Mr Wood, even of the bad, cost-push variety, will prove another form of gaiatsu. And when Japanese group behaviour changes, he warns, it will change fast.

ガイアツはもはや国際語のようであります。反対語はカミカゼになるのでしょうか。いや、ジョウイですか。英語でこう書かれるとなんだか本当に不思議の国な感じがしてきますが、完全に間違っている訳でもないのが困ったところです。外圧研究という学際的な研究分野があってもいいかもしれませんね。なお外圧神話というのもあると思うんですよね。誰か実証的に明らかにしてください。

シャルリー・エブドと言えば怖れ知らずの風刺雑誌で有名ですが、今度は白旗を上げてしまったようです。しかし風刺家受難の時代ですね。シネという名の「極左」の名物イラストレーターがスクーター事故で係争中の大統領の息子のジャン・サルコジを風刺した記事なのですが、「訴えているのはアラブ人に違いない!」「こいつはDartyの御令嬢でユダヤ系の婚約者を娶る前にユダヤ教に改宗宣言したばかりだ。この坊やは出世するだろうさ!」というところにヌーベル・オプセルヴァトワールのクロード・アスコロヴィッチ氏が反ユダヤ主義だ!と噛み付きます。シャルリー内部でゴタゴタがあったようですが、結局、編集長のフィリップ・ヴァル氏がユダヤ教への改宗は無根拠な噂に過ぎず、改宗と出世とを結びつけたことも擁護できないと敗北宣言します。サルコジ家が訴えると脅したとか脅さなかったとか噂されていますが、シネ氏はシャルリーを立ち去ってこの事件を風刺するイラストをRue89に送りつけています。ヘタれたヴァル氏を風刺しています。

で、問題はこのシャルリーがムハンマド風刺画の時には「言論の自由」の名の下に断固として戦った雑誌である訳です。そのためにこれってダブスタじゃねという感覚が残るわけですね。またシネ氏支援のために2000人の署名を集めた請願書も出たりしているようですね。反骨の風刺家を救え!と。日本でそれなりに知られている哲学者のミシェル・オンフレ氏やダニエル・ベンサイード氏も名を連ねています。一方で新哲学派のベルナール=アンリ・レヴィはこの擁護者達も含めて批判する記事を書いていますね。1930年代の例を持ち出して左翼だって反ユダヤ主義に加担したんだから風刺者が左翼であることは言い訳にならない、それからヴォルテールを引き合いに出して宗教の風刺と人種の風刺とは違うんだと説いています。ヴォルテール自身はこの区別ができていないがと断ってますが、ラビをからかうのと「ユダヤ人」をからかうこと、イマームをからかうのと「アラブ人」をからかうのは違うという話ですね。あとは「政治的正しさ」や「笑いの禁止」の風潮には与するつもりはないと断っていますが、シネよ、お前の笑いのセンスは駄目だと。

誰も聞きたくないかもしれませんが、まず、私の「趣味」から言えば、シネ氏流の風刺というのは実はそれほど面白いとは思えないです。なにか古くさいもののように感じられてしまうというのが率直なところです。勿論風刺一般の価値を否定する訳ではさらさらないのですが、こういうセンスはなんかずれてるよなあという感じは否めないですね。すべてを笑え!というのは勿論その威力を発揮するような場合があることはよく判りますが、この件で記号的に「ユダヤ」と「アラブ」をぶつけるセンスもやはりどうしようもないなあと思います。この人どっちでもない訳ですしね。この坊やを風刺するならいくらでもやり方はあると思うんですよね。サルコでもカーラでもセシリアでもコマは揃っているじゃないですか。最後に、この風刺そのもの出来やこれが反ユダヤ主義にあたるかどうかの問題(私は無関係なので判断は控えておきます)とは別に、「政治的」に言えば、この「事件」がマイノリティー間の対立が高まらないようなやり方で処理されるといいなと思います。けっこうやばい水準にまで来ていると思うのですよ。「事件」のたびに恣意的にPC基準をあげるだけではルサンチマンが一部の層でつのっていくだけのように思えます。まあこんなことはみなさん判っているでしょうから完全に余計なお世話ですね。

宗教風刺はいいが人種風刺は駄目というレヴィの議論について言えば(しかしコメント欄けっこう荒れてますね。まあ必ずしもニュートラルには受け取られない背景もあるんですがね。無関係な私は無骨にリテラルに読みますが)、それでも一般的な議論というよりもたぶんに文脈依存的な議論に感じられます。フランス社会の差別文脈における人種風刺のことを考えているのでしょうし、例えば「ブラジル人」風刺や「日本人」風刺までは射程に入っていないでしょう。それはそれで別にいいと思いますけどね。お互いからかい合うのを許し合うぐらいの関係が望ましいと思うので(悪質なもの除く)。関係ないですが、シャルリー・エブドの前身は「ハラキリ」と言います(笑)。仏語ですから「アラキリ」です。私の関心からすればむしろ自分達の文脈を文脈を共有していないところに当て嵌めたり、さらには自分達の文脈を直接別の文脈に持ち込もうとする現象でしょうかね。私は文化相対主義者では決してないのですが、それでもそれぞれの文脈を尊重しようという精神は必要だと思うんですよね、お互いのために。とはいえこれだけグローバルなレベルでメディア化や情報化が進み、人の移動が大規模になると混線現象は不可避なのかもしれません。なかなかやっかいな話ですね。

「フランスの失言屋」ことサルコジがアイランドを訪問したようですね。国民投票のやり直しを要求する旨発言したとかしないとかでその「傲慢さ」をめぐって当地では大騒ぎになっていたようですが、そんなことは言ってないからと、アイルランドの民主主義の勝利を讃えた模様です。説得力ゼロですが、この記事ではアイルランドのメディアのわりと好意的な反応がまとめられています。まあメディア受けする大統領であることは間違いないですねえ。なおかの地中海の夢のゲノー氏ですが、例外事項を設けて条約を改訂した上でアイルランドの民意にはかるプランを語っていました。このプランでいくつもりなんでしょうかね。

Global Talk21のOkumuraさんが例の騒動のエントリの中で私のスタンスを説明してくれています。ありがとうございます。この件に関しては言いたいことの8割ぐらいはもう言ったのでしばらく黙っていることに決めました。それから@もはずすことにしました。日本語圏ではたぶんあまり知られていない訳ですが、英語圏の日本政治をめぐる言説の貧困を救っているのはObserving JapanとGlobal Talk 21だと思っています。もしこの2つのブログがなかったらと想像するとなんだか寒気がしてくるほどです。なおそれぞれの分野の優秀な方々がそれぞれのスタンスで英語ブログを始めてくださると本当にありがたいのですのですがね。それがどれほどプラスになるのか計り知れないほどだと思うのです。皆様お忙しいことと存じますが、御一考なさってください。特に法学関係者の方。

今日は髪を切ってさっぱりしているはずなのですが(髪は自分で切る)、それでも暑いので(エアコンは入れない)思考が乱れていて意味不明なことを書いているような気もするのですが、また余計なことを書いているような気もしますが、まあそういう日もあっていいさと思い直してそのまま投稿します。

追記
誤字修正、追加フレーズを入れました。なお今後は誤字に関しては断りなく修正します。しかしなんでこんなに間違うのでしょう(汗)(7.23.2008)

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waiwaiの閉鎖について

どうやらwaiwaiは閉鎖ということになったようですね。この件でずいぶん引用されたりリンクされたりしているようですので、改めて一言だけ書いておきましょう。既に以前のエントリで示したように、大手の一流とされる新聞が実話系の根拠の薄い(というかほぼ虚構ですよね)週刊誌の記事を面白可笑しく掲載しているのはメディアのタブロイド化が進んでいる昨今にあってもやり過ぎだろうというのが私の考えです。それはこれまで毎日新聞が築いてきた信頼を失わせる行為であり、いくら客商売だとは言ってもそんな醜悪な姿は見たくはないと。したがって今回の閉鎖の決断を歓迎します。

というのも私は毎日の読者であった期間がけっこう長かったのでそれなりに愛着があるからです。ここは元から毎日を嫌っていた人とはやや違うところです。右だの左だのにほとほと嫌気がさしていた頃にどちらの論調も入っていて記者さんの自立性が高い新聞として重宝していました。私が毎日を離れたのはその経済論調に反発を覚えたからでありまして、いろいろな論調があって全体としては良識的で穏健な中道左派ぐらいのポジションを占める新聞を目指して活躍していってもらいたいなと個人的には願っています。まともな中道左派が政治勢力として弱いのは日本の不幸だと思っていますので。関係ないですが、どうして日本の左派メディアは経済学的にはリベラルではなく保守なんでしょうかね。

反waiwaiの動きについては、ある程度は予想されたことですが、途中からいろいろな別のアジェンダが絡み合ってきてどうもまずいなという印象を持っていましたので、空さんと同じく、まとめサイトの管理人さんが目標を達成した時点で終了宣言をしたことを評価したいと思います。抗議もやり過ぎたり、やり方を間違えた場合には逆に望まない結果を生むというのはよくある話です。感情論としては判りますが、人種の問題などはやっかいですから入れないほうがいいと思います。またこれが右翼的アジェンダになるのは望ましくない。日本の排外主義みたいな角度でとり上げようとする人もいますからね(残念ながらそういう反応が出ているのも事実なんですが)。歓迎してくれている在日外国人の反応もありますが、既にいくつかの英語のサイトでそういう意見も目にしました。なお英語圏での受容ということで言いますと、waiwaiおよびその関係者を嫌悪し、批判する人々、ネタとして楽しむ人々、無邪気に信じる人々、これを利用して日本叩きをする人々といましたが、それぞれがそれぞれの仕方で受容していた訳で悪質な人々ばかりでないことは知っておいたほうがいいでしょう。

なおこの問題は広く言えば偏見の問題にもつながる訳ですが、これは複雑で根の深い問題ですから抗議の仕方を間違えた場合には逆効果になる可能性が大だと思います。またこうした問題に日々直面しなくともけっこうのほほんと生きていけるという点で日本人はかなり恵まれた地位にいるんだという点も忘れてはならないでしょう。不快な時に不快だと言うのは正しいですが、変な被害者感情を持つのは正しくない。ともかくこの問題はあくまでも報道のルールや倫理の問題として扱うのが賢明だろうと考えます。虚構を報じてはならないなんて当たり前の話ですよね。それだけです。とはいえなんだかこれでは済まないような予感もしないことはない。はっきり言えば、街宣車が出てBBCが報じるみたいな黄金パターン(笑)は望ましくないわけですよ。というわけでそちら方面の方々におきましては何卒ご自制なさるようよろしくお願いします。思う壷です。

ところで別のmozuさんをたまに見かけるのですが、まぎらわしいですからしばらくはmozu@に名称変更して様子を見てみたいと思います。@がないのは別人です。どうぞよろしく。

追記
いささか微温的なエントリにしたのは激烈すぎる反応をあちこちで目にしたからでしたが、どうも毎日新聞の対応を見ているに事態の深刻さを理解していないのではないかという疑念も湧いてきます。いいですか、毎日さん、ここで編集体制のいい加減さを本格的に見直さなければ復活はないですよ。優秀な記者さん達もこの件を深刻に受け止めて動いて下さいよ。なお「イデオロギー抜き」のルールを守った草の根不買運動でしたら声援を送りたいと思います。少しは緊張感をもってもらうためにもいい刺激になるでしょう。

再追記
どうも一度ついた怒りの炎が、毎日側の対応のまずさもあってなかなか鎮火しないようですね。上にも書きましたが、無軌道な抗議は自分の首をしめることにつながります。感情的には判らなくもないですが、瞬間的な盛り上がりで無責任な行動をとるようでは正当性を掘り崩すだけですよ。といっても無理なのかなあ。それがネットというメディアの特性なのだとしたら不可避的なものなのかもしれませんが、どうもネット初の動きはなかなか成熟しないようで残念です。ともかく自制的に行動したほうがいいですよ。

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この流れは止まらないのかな

地方新聞の記者さん時代から愛読しているガ島通信の藤代裕之氏が日経のIT-PLUSで最近のインターネットの状況について「J-CAST炎上」事件に絡めて論じている記事を見かけました。大手新聞系サイトとネットとの関係についてだいたい適切な見取り図のような気がします。

この炎上事件そのものはまあどうでもいい話なのですが、J-CASTは俗に「炎上メディア」と呼ばれるようにネット上でバトルになっているネタを拾ってはこれを報じるという「ミドルメディア」と性格づけられています。この「事件」など見るとマッチポンプメディアと呼びたいような気もしますね。ともかくここから筆者はネットにおける「私刑化」の問題を指摘し、さらに

重要なことは、ある種「どうでもいいようなこと」をネット系、新聞社系に限らずニュースサイトが取り上げるようになっていること、そしてメディアの相互作用の中でJ-CASTのようなミドルメディアも「首が取れる」ことが明らかになってきたことだ。

と述べています。「首が取れる」というのはメディア界のジャーゴンでトップを辞任に追い込むことを意味する言葉だそうですが、ミドルメディアがこの「首を取る」権能を獲得しつつあるといいます。そして筆者によれば現在のメディアは三層構造化しつつあるとされます。

そのパワーの源泉は三層化したメディアの相互作用にある。ブログや掲示板といったパーソナルメディアとミドルメディア作用に加えて、ネット界では日本最大のポータルサイト、ヤフーがパワーをレバレッジしている。[...]アクセス数は「首を取る」パワーの源泉にもなるのだ。

一方にブログや掲示板があり、他方に大手メディア・サイトがあり、両者を媒介するミドルメディアがパワーを持ち始めているという話です。ちなみに各国のヤフーを見比べた時に日本ヤフーのニュースのヘッドラインがその記事のどうでもよさにおいて群を抜いていることにお気づきの方も多いでしょう。ちなみに海外の日本報道でしょうもないニュースばかり配信されるのも─偽の啓蒙主義的な記事よりはなんぼかましではありますが─最終的にはこうした日本のメディアのトリヴィアリズムのせいな訳ですが、ここではその問題は置いておきましょう。最後に大手メディアもまたアクセス数稼ぎが自己目的化しているという指摘をしています。

別の新聞社系ニュースサイトでは、芸能や事件・事故の刺激的な見出しを多用するようになり、写真は女性タレントか水着。確実にアクセスを稼ぐことができる「編集」が行われるようになっている。より刺激的に、より面白おかしく…数字を求めてさまざまな取り組みが行われている。

この点については以前毎日新聞英語版の「凄さ」について書きましたが、あそこまでいかなくとも─虚構記事を掲載するレベルということです─いくつかの新聞系サイトのアクセス数稼ぎのための「面白おかしさ」の追求ぶりについては皆さんお気づきの通りです。私はこうした傾向に眉をひそめるほど上品な人間ではありませんが、この先どうなるのか多少心配にならない訳でもないです。最後に、

なぜ、アクセス数のみに頼るのか。アクセス数が増えなければ広告収入が増えないというのがもっとも大きな理由だ。それに加えて、どのようなニュースサイトを作りたいかがはっきりしないという理由もある。 特に新聞社系のニュースサイトは依然として「マスメディア」を志向しているため、誰に、どのような価値を提供するか不明確なまま運営されている。「顧客視点」と言えば聞こえは良いが、要するに指標がアクセス数しかないのだ。 このアクセス数重視は、視聴率競争に明け暮れ、最終的に人々に見放されつつあるテレビの「いつか来た道」にも重なる。ただし、チャンネルが限られるテレビと異なり、ネット上ではメディアは誰もが簡単に作ることができる。「ワイドショー化」「衆愚化」が進むからこそ、別の価値を持つメディアが登場するチャンスがあると考えている。

と広告収入のみならず目的意識のなさをこの原因に帰していますが、上記の三層構造内部の相互作用的力学の中でニュースサイトのインフォテイメント化はとどまることなく進行し、最終的に人々に見放されることになるのではないかという見通しを─別のメディアの登場のチャンスを暗示しつつ─提示して記事は締めくくられています。テレビの報道番組が情報娯楽番組の侵食を受けてほぼ壊滅状態─価値評価が強い表現ですが─になってしまったことがいくつかの新聞においても反復されてしまうのでしょうか。

こうした趨勢は世界的なもののように思われますが、日本の新聞の文脈で言えば、戦後日本には寡占的メディア構造下にあって「中新聞」しかなかったという点が重要になるかと思います。朝日にせよ読売にせよ毎日にせよ現在の大手新聞はいわゆる「子新聞」から出発し、新中間層の成長とともに「大新聞」を蹴散らして現在の地位を築いたことをここで想起しますと、今後は中新聞にとどまる新聞社と再び子新聞化する新聞社とに分化し、大新聞はいくつかの海外紙で間に合わせる─日本にも大新聞があっていいような気がするのですがね─ことになるのでしょうか。分権化の進行とともに地方新聞が再編されつつ。あるいはこうした古典的な構造が消滅し、もっと不透明で入り組んだメディアの布置になるのでしょうか。つまり新聞というマスメディアそのものが消滅─勿論ニュース需要がなくなるわけはないでしょうから今存在している意味ので「新聞」がということです─していくプロセスです。私としては後者の可能性に思いを馳せてしまいますが、ネットの出現によるメディア再編の混乱期はまだまだ続くのでしょう。その間に起きるだろうごたごたのいちいちに敏感に反応するつもりもありませんが、混乱による弊害は最小化していただきたいものだと思います。もはや一国の内部だけに収まる問題ではないのですから。

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自殺報道

あいもかわらず自殺関連の話題に関してあまりにも無神経かつ不正確な報道がなされることにうんざりしています。もういいやという投げやりな気分になっていたのですが、気をとりなおしてエントリしておきます。まずこの不満は我が国のメディアに向けられるものです。全テレビ局が一斉に朝から晩まで扇情的に自殺関連情報を伝えることがルール違反であることは識者によってこれまで何度も警告されたポイントです。社会の闇だの心の闇だのに光をあてるのだとかいった大義名分の下に「民間社会学的、民間心理学的」なアプローチで連鎖のリスクの高い情報を流し続けるのは偽善を通り越して悪そのものだと考えます。おそらくは先だってのいじめ自殺事件の際の厳しい批判を受けて報道に携わる人々の中でもジレンマがあるだろうと推察申し上げますが、自殺報道に関するガイドラインを一刻も早く作成し、現場に周知徹底させることを要求します。

また自殺関連のネタに関しては海外報道にも私は非常に不満があります。空さんのブログで少し前にとりあげられていた記事なんですが、安易な文化的決めつけをしてはならないというのは外国の報道をする際の基本的なルールであると私は考えますが、英語圏の日本報道に関してはこのルールが全く守られていないようです。これがアンチCNN的な愛国的被害者意識にもとづいた印象論でないことは、私もそれなりに年季の入った海外ニュースマニアですから信用していただいてよろしいかと思います。日本報道の「異様さ」は他のアジア諸国に関する報道のバイアスとは一線を画すレベルにあるといっていいと思います。ここにいたるには長い歴史的経緯があるわけです。英語圏の日本報道に関して常にベストなのはEconomistであることは衆目の一致するところでしょうが、それでもいい加減な記事が掲載されることも結構あるわけです。こんな風に。

日本は豊かな国の中で最も高い自殺率の国のひとつである。部分的に文化的要因が働いている。日本社会は失敗や破産の恥から復帰することを人々に許すことは稀である。自殺は時に同意とともになされる─運命を回避するのではなくそれと向き合う行為として。侍の伝統は自殺を高貴なものとみなす(おそらくは利己的なものでないとして、というのも捕虜になった戦士はおぞましく扱われるので)。日本の主要な宗教である仏教、神道は自殺に対して、アブラハムの信仰が明示的にこれを禁止しているのと異なり、中立的である。 [...] 昨年政府は自殺率を9年で20%下げるという目的でカウンセリングのサービスとホットラインのような措置を制度化した。しかしこれは一時しのぎのものである。より重要なのは社会的態度の変化である。人々に生涯にわたる恥を耐えることを人に強いるよりも、人々にセカンド・チャンスを与える始めなるならば、自殺は一般的でなくなるだろう。

といった具合であります。現在の硬直的な労働市場を改革する必要性に関しては私も心から同意いたしますが、問題はこのわけのわからない「文化的解説」です。この記事を書いた記者の頭にあるイメージは分かりやすい。ルース・ベネディクトの「恥の文化」(戦争捕虜の尋問に基づいた「古典」)、ユダヤ・キリスト教圏以外では自殺はタブーでないらしいという思い込み(我々のみが倫理的基準をもつもんね)、侍の切腹イメージ(これが刑罰の一種でもある事実を無視、多分三島由紀夫のイメージが混じってる)、最後の捕虜うんぬんはオリエンタリズムへの迎合ぶりが痛々しい「戦場のメリークリスマス」の捕虜虐待の「文化的説明」の受け売りです。これがどうして10代、20代の現代女性の痛ましい自殺を「説明」するのでしょうか。ちなみにこのコメント欄はさすがにEconomistだけあって日本よりも高い自殺率の国を列挙して、敬虔なカトリックのポーランドの方が高い自殺率なのはどういうわけなのかとか、仏教は自殺を含めて殺生を禁じているぞとかといった正しいつっこみが入っております。だいたい侍と少女の関係はどこにあるんですか、Economistさん。さっきは文句をつけましたが、民放連の放送基準にもこんな条項があるのですよ。

49) 心中・自殺は、古典または芸術作品であっても取り扱いを慎重にする。 人命尊重は現代社会の基本理念である。いかなる場合でも、これを否定的に扱ってはならない。 古典、芸術作品でも、心中や自殺行為を美化・礼賛するものの取り扱いは慎重にしたい。

この点でやっかいなのはこうした文化的説明を往々にして日本人の側がしてしまうという事実であります。大島渚監督の最低の武士道映画が英語圏に与えたインパクトの跡がここにも見られますが、実際、文化保守だけでなく左翼論客も含めて好まれる通俗的な日本論(優れた日本論も勿論あります)は実はかなりの部分が想像された「西洋人」(そんな実体は存在しない)の視線を自己のアイデンティティー形成の軸として受け入れる(ステレオタイプや偏見も受け入れてしまう)というコロニアルな主体形成のモデルをなぞってしまっているわけです。もちろん父祖達の努力のおかげで現在の恵まれた地位にある日本国国民がアンチCNN的な熱情をもって西洋人の偏見と戦うべきだなどと呼びかけるつもりはありません。我々はもはやそんなポジションにはいないのです。ただ「文化的説明」は悪循環を生むだけですからわざわざこちらの側から提出する必要はないわけで実証的なデータがない事柄については判らないと率直に答える癖をつけましょう、また変な説明に対しては涼しい顔でおかしいね、どこの国の話、と答える癖をつけましょうとだけ言いたいのです。日本関連のニュースで彼らを実に満足させそうなことを喜々として語っている人がよく「日本人の声」としてとりあげられている(たぶん編集もかかっているわけですがね)のを見るたびに萎えた気持ちになるのは私だけではないでしょう。結局のところ偏見を互いに支え合っているわけです。たぶん英語の教本あたりから見直していくべきなんでしょうね。最後に日本のメディア自身がこうした安易な文化的説明を拡散したりするはずはないですよね(棒読み)。

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言論の自由の後退?

最近、東欧では政治家による干渉や名誉毀損関連の法律の強化によって言論の自由が後退しているという記事です。東欧の民主化の進展については中長期的には楽観的でいいと思いますが(一部除く)、こういう懸念も広がっているという話です。watchdogsの評価がどこまで正当なのかよく分かりませんが、なんだか身につまされるような話もありますね。ちなみに我が国の報道の自由に関する評価が芳しくないのは周知のことでありますが、政権つぶしに明け暮れる我が国のメディアのワイルドさというのはけっこう凄いものがあるような気もしますけれどもね(ええと、皮肉です)。悪制度や悪慣習の是正によって評価を上げようみたいな向上心があればいいのでありますが、メディア自身が1ミリの変化も拒んでいるのですからどうにもこうにも。

「言論の自由の後退」(Economist)
スロバキアの新聞を手に取ってみるといい。そうればあっという間に─憂鬱になるが─読めてしまうことに気付くだろう。主要新聞はここ何週間か記事で言及された人々に全面的な反論権を与える新メディア法に抗議するために一面で黒枠の空白スペースを掲載している。国際的なメディア監視団体は激しくこの法を攻撃している。彼らは東欧全体でのメディアの自由の衰退に憂慮しているのだ。

スロバキアの新法は6月1日に施行される。もし新聞で言及された人物が不満をもった場合には、法廷での説得ができなければ、彼らの反論を掲載する義務がエディターの側にあることになる。反論にはエディター側の追加コメントがともなわない可能性がある。反論の掲載拒否は多額の罰金につながり得る。返答の権利のルールはいくつかのヨーロッパ諸国で一般的ではあるが、スロバキアの法は最も懲罰的で、恣意的なものになり得る。

ポピュリストかつナショナリストの連立政権はこの法はメディアをより責任あるものにすると主張している。「これは報道の自由を侵害するものではない。これはただ新聞社の利益よりも公共的な利益を優先するものである」と文化相のMarek Madaric氏は述べる。スロバキアのメディアは非難に値しないわけではない。ジョージ・ソロス氏が財政支援するオープン・ソサイアティー・インスティテュートのリポートは「盗用、訂正拒否、隠された利害相反」について語っている。

しかしスロバキアの首相Robert Fico氏がこの法をいかに利用するかについての懸念には理由がある。無能と腐敗の疑惑ゆえに政権を繰り返し攻撃してきたメディアとは彼は険悪な関係にある。彼はインタビューを受けることや批判的なジャーリストからの質問に答えることを拒否し、いくつかの新聞を「娼婦」と呼び続けてきている。何人かのジャーナリストは─Vladimir Meciar氏(現在のFico氏の連立パートナー)の権威主義的な政権がEUとNATOへの参加を危険にさらした─1990年代の暗黒の日々を想起している。(公平のために言っておくと、改革者として知られる前任者のMilulas Dzurinda首相もプレスと衝突したし、かつては反対メディアを盗聴したと非難された。)

スロバキアの新法は地域で最も目を引くものであるが、報道の自由に対する恣意的な法的強制は他の国でも懸念をもたられている。ブルガリアでは公的人物(著名なビジネスマンを含む広いカテゴリー)の名誉毀損は罰金刑で処罰される犯罪である。ジャーナリストはまた誰かの「名誉と尊厳」を侵害したと訴えられる可能性がある。2006年には60件もの訴訟が、さらに2007年には100件の訴訟が法廷に持ち込まれた。

ルーマニアでは憲法裁判所が昨年「中傷」を犯罪化する厳格な名誉毀損の法律を復活させた。とはいえ報道の自由へのこの影響は三人の政治にアクティヴなボス達による大半の主流メディアの独占や公共放送への政治的干渉に比べれば色あせるのであるが。アメリカのブカレスト大使のNicholas Taubman氏は、「ジャーナリスティックな努力を犯罪化したり、独立メディアを脅したりして、自由なメディアがルーマニアで正当な役割を果たそうとするのを阻止するよりも・・・議員は自身の説明責任を強化すべきだ」と示唆した。

こうしたことのすべては再生した自由にかつて誇りをもっていた地域における悪いニュースである。そして悪法はピクチャー全体のわずかな部分である。4月29日に公表される予定のニューヨークを本拠地とする圧力団体のフリーダム・ハウスの年次報告によると、旧共産主義諸国は、主として公共放送の政治化ゆえに、世界のメディアの自由の中でもっとも相対的な後退を示している。この落ち込みはアジア、アフリカ、ラテン・アメリカよりも大きい。

かくして政府がロシアをもっと紳士的に報道するよう公共テレビに圧力をかけたとされた後にラトビアのスコアは19位から22位に下げた。スロバキアは22位から20位へ、スロベニアは23位から21位へ、ポーランドは24位から22位へと順位を落とした。ソロス氏のメディア・ウォッチャーはフリーダム・ハウスの評価と共鳴している。「政治家はこうした公共放送が自分達のものであるべきだと考えている」とこの地域の公共サービス放送の詳細なリポートを公表しているMarius Dragomir氏は言う。EU加盟交渉がうまくいっているので、政治家は現在は権力の果実をもっと自由に使えると感じている。政治化した公共放送は商業テレビが親しいボス達によって運営されてる際には特に有権者を操作するのに有用なツールである。

こうしたトレンドには困惑させるものがある。しかしすべては相対的なものである。最近ロシアの新聞のMoskovsky Korrespondentがウラジミール・プーチン大統領と魅力的な体操選手のAlina Kabaeva氏の関係について広まっている噂を伝えた。プーチン氏が反政府的な新聞であるNovaya Gazetaの姉妹にあたるタブロイドを非難すると出版社によってすぐさま廃刊になった。こうした出来事は中欧や東欧の新しいEUメンバーでは想像できないだろう。今は、少なくとも。
(了)

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学生売春をめぐるファンタズム

なにもこの世の中から一切の嘘や誇張や偏見がなくなる日がやって来ることを痛切に待望するだとかあるいはそういう輝かしき時の到来に向けて努力を惜しまないことが人として大切であるとかわたしは信じているというわけではないですし、人が自分の信じたいことを信じ、信じたくないことは無視するという傾向性は、わたしも含めてですが、有史以来変わりがないようですから、それはそういうものなのだと言えばそれまでの話ではあります。

とはいえできるだけ正確な像を提供しようという努力に対して声援を贈りたいものだなというぐらいの心がけは持ち合わせてはいます。前に後藤氏のサイトにリンクして少し言及しましたが、90年代以降の若者をめぐる諸言説が社会科学的方法論を十分に経由していない、また定量的なデータではなく例外的な事例の一般化に基づくファンタズムに等しいようなものばかりであったことはどうも確からしいようであります。こうした中和的言説が主流メディアを流れないという問題はどうやら日本ばかりの話ではないということで、ちょっとフランスの話が続き過ぎのような気がもしますが、日本でも報じられた仏国における「学生売春」幻想の事例を紹介したいと思います。

またたびたびお世話になっているRue89からです。ちなみにこれは左翼誌リベラシオンの元記者達が中心につくったインターネット新聞ですが、主流メディアの制約に飽き足らないジャーナリストがネットを舞台に対抗言説をつくるという動きは非常に活発でありまして、その論調は時にどうなのだと思わせられることもあるのですが、やはりジャーナリズムの精神は確かに強かに生きているのだなと感心させられることが多いのもまた事実です。

「学生売春。数はわずかだが、幻想は巨大」という記事によると、まず2006年にle syndicat SUD-Etudiantという学生団体が40000人の女子学生が売春を行っているという報告をしたのですが、この時にはメディアにほとんど採り上げられなかったといいます。それが2007年末にMax Miloという出版社から2冊の学生売春に関する本が出版されたことで大騒ぎになります。エヴァ・クルエさんのトゥールーズ大の社会学課程の修士論文と学業のために売春をしている学生のローラ・Dさんの証言本の2冊です。

この本によると彼女達の動機は同じで、学費、家賃を支払うためにお金が必要だということらしいですが、で予想通りにこの「学生売春」は既に強力な記号として機能し始めている模様です。これを新しい時代のセクシュアリテのあり方として容認するリベルタンとフランス社会の道徳的退廃を嘆く道徳主義者の間の言説ゲームのコマとして。なんだか見たような光景ではありませんか?

でイデオロギーズはとりあえず置いといて、実態はどうなのだという問題があります。先ほどの学生組合の40000人という数字、実に学生の57人に1人が売春をしているというこの数字がメディアを駆け巡っている模様であります。警察発表によると、フランス全体で売春をしている人は15000人から20000人といいます。そしてそのうち学生はミニマムな割合でしかないという発表です。また国立売春研究所(というのがあるのですね)によると、学生売春は「周縁的な」現象でしかないそうです。これはOCRETHという組織も認める事実だそうで、それによると、「学生売春はむしろ個人的で臨時の活動である[...]この現象は人目につかないので数量的に把握するのは困難である。また非難されるべきものとも言えない」と。

ではこの40000人という数字がどこから出たのかという問題になりますが、これは例の学生組合のアジビラに書かれていた数字だったのだそうです。で今はこのビラは取り下げ、ネットのホームページでも数字は掲げていないといいます。組合は学生の貧困についての2000年のドーリャック報告を掲げて自己防衛しているそうですが、この報告には売春に関する情報は含まれていないそうであります。

国立売春研究所によれば、学生売春の神話は真実というよりも「都市伝説」と呼ぶべきものだそうです。「フランスには特別に学生売春現象なるものはないけれども、ネットを通じた臨時の売春現象は存在している」そうですが、その中で占める学生の比率はそれほど高いものではないといいます。またL'OVEという組織によれば、学生売春に関するいかなる情報も確かな数字もなく、メディアを流通する数字は「注意して扱うべきだ」が、前に出た2000年の報告書に基づいて貧困学生の問題を訴えたそうです。記事は学生売春をめぐるこの珍騒動は少なくとも学生の貧困という問題に光をあてたという意味でのメリットはあったようだ、これを改善する措置をいつとるのですか、と締めくくっています。

以上のように世界中で報じられた─日本でも一部でWaiWaiやってました─この学生売春はどうやら社会問題を捏造したがる社会学と儲かれば事実などどうでもいいメディアがつくりだした幻想といっていいようであります。この記事のコメント欄で日本でも報じられたワールドカップの際にドイツで売春が爆発的に増加したというニュースについて触れて、これもまったくのデマであったことを訴えている人もいました。眼鏡女子大生と出会いたいという俺の幻想は叶えられないのか、がっかりな話だ、みたいなコメントもありますが、ともかくこの種のセックス・ニュースは本当に食いつきがいいわけでして情報の取り扱いには細心の注意をしないといけないのですよ、いいですか、毎日新聞さん。

PS. ルール無視の自殺報道がまた自殺の連鎖を生み出しているという話もありますね。こちらはまったく洒落にならない話ですから、報道規制をかけるよう諸機関による働きかけを求めます。公権力の介入は最小限であるべきだと思いますが、このような状態が放置されるようでしたら、生死にかかわる問題でありますから、どういう形かは議論があるでしょうが、介入の正当化も可能だろうと思います。

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毎日新聞英語版は誰にハックされているのか

毎日新聞のサイトの日本語版と英語版の間の差異について考え込んでしまうこと、それはネットにおける日本関連情報の発信構造について多少の関心をもったことがある人のほぼすべてが経験した事柄でありましょう。そしてなぜこんなことになるのか疑問に思って、どういう編集になっているのだとメールを送ってみたものの、無回答であるという経験をしたことがある人も相当数にのぼることもわざわざ付け加えるまでもありません。そしてこの有名な話が日本語の世界の方ではタブーかなにかのようにあまり語られないという事実は日本ネット界の七不思議の一つといってもいいかと存じます。

この毎日新聞英語版とはなんなのかという問題をめぐってはこれまでに英語圏では考察がなされてきましたが、特に焦点になっているのがいわゆるWaiWai問題と呼ばれるものです。先に述べましたようにグーグルと毎日とが結託しているのかなどと邪推したくなるほど(ええと冗談ですよ、もちろん)この問題について日本語で言及している事例がヒットしないわけですが、WaiWaiというのはRyann Connellなる人物が日本のタブロイドから刺激的なエロ記事ばかりを「クリエイティヴに」翻訳して紹介するという趣向のコーナーです。

裏とりなどない創作記事がほとんどですからこれは端的にデマゴギーといっていいでしょう。それで問題なのはこれを読む読者の側に週刊誌リテラシーが必ずしもないという点です。つまりこれを事実として受け止めてしまう人が多いわけです。さらに問題なのは毎日新聞は記事の責任を負わないと明言し、このConnellなる人物もこれはただの翻訳なんだと開き直っている点です。つまり日本を代表する新聞が責任を放棄した上でデマを流しているという状況です。

なにをそんなに真面目になっているのだと思われるかもしれませんが、そして実はあまり真面目になっているわけでもないのですが、この放置された状況がいかに日本に関する情報を歪めているのか、英語圏との人間とのコミュニケーション上の摩擦の原因になっているのかを考えると、毎日新聞英語版問題というのは、ここでは言及しませんがJapanTimesをめぐる問題と同様に、あまり過小評価しないほうがいいような気もします。

例えば、Neojaponismeが「いかにして世界は日本を学ぶのか」という古いエントリでこの問題を採り上げています。

ステップ1: 実話ナックルズの書き手が、六本木の特別なレストランについて想像的なストーリーを書いて日本人の富裕層の倦怠にまみれた性的放蕩を風刺する。このレストランではパトロンは食べる前にその材料となる動物と獣姦をするのだと言う。(ご承知のようにこの雑誌はいつも「実話」という語をタイトルに入れて真実を語るのだ)

ステップ2: 毎日新聞のRyann Connellが何十とあるうちからこのセンセーショナルなストーリーを採り上げ、アイルランドの俗語調で英語に翻訳する。Connellはその信憑性について中立的なスタンスをとるが、なぜこの記事が個人名を挙げないのか疑問視しないし、この幻想的なレストランの存在を確認もしない。

ステップ3: 多くのコンピューターとキーボードをもつ連中がこの毎日の記事にリンクして、日本人の正気性について疑問視するコメントをつける。

ステップ4: ConnellのWaiWaiの記事をめぐっておしゃべりしているうちにBuzzFeedで「獣姦レストラン」というタイトルのエントリが立つ。あたかも一件だけでなくそれが日本の新しいトレンドであるかのように。

ステップ5: おそらく近い将来には衰退するのだろうが、金持ちが食べる動物とセックスするのに金を費やす日本は全世界で最も狂った国であると思って我々は安心して眠ることができる。

ステップ6: この記事がBuzzFeedにエントリされるとメタ的に情報が爆発する。

こういう形で情報が流通するわけですね。このエントリについたコメントを拾うと、前に紹介したWestern Fear...のブログ主のCalligraphy Kidさんが「もし毎日のWaiWaiがなくなったら日本嫌いの日本在住者が自分達のためにつくったオンラインの帝国は崩壊するだろうね。そしたら低俗好みのギークはどこにソースを探すだろう。WaiWaiのアーカイブ?」とこのコーナーの記事が日本嫌いのくせに日本に張り付いている連中の餌になっている事実に言及しています。また7374e9さんは「ありがとうMarxy(ここのブログ主)、これは分析的社会学の宝庫だよ。Ryann Connellはおいといて(こいつの目的はなんなんだ?こんな漫画のストーリーを紡ぐほど馬鹿じゃないはずだけど)僕が驚いたのは「コンピューターとキーボードをもっている連中」だよ。連中はウィットもなにもなく永遠に排外主義的な日本人なる概念(全アジア人?)をまた不朽化し、示そうとしている。まるで宇宙人かなにかのようにね。マッカッサー将軍とかペリー提督みたいなのが啓蒙の必要な「幼稚な」人種と日本人をみなしたことを思い出させるよ。この手の連中は数えきれないほどいるわけだ。これってヨーロッパ、最近ではアメリカの不滅の文化的傲慢なわけかな。ユニークな民族/文化という日本人の自画像が白人の精神に浸透してこういう神話の形でバックファイアーを起こしたのかな」と文化-政治的分析を簡潔に提示してくれますが、これに対してMattさんは「いや僕はWaiWaiは日本人と同じタブロイド・ジャーナリズムを外国人にも楽しませようぐらいの話で「白人のパワー」みたいな意味合いは読み取ったことがなかったな」とためらいがちにコメントしています。

またMarxyさんは「日本の調査報道が虚構のストーリーも伝えるタブロイドにまぎれこんでいるという基本的問題」を指摘し、「情報が多い方がいいとは思うが、WaiWaiの「中立性」を装った伝え方がこの種の問題を生む」と言い、ソースの信頼性の軽重を日本経験のない人にはつけられないと述べています。こうしてわたしもいつも不思議に思う日本のメディア構造の奇妙さ(新聞と週刊誌の階層関係)に言及しつつ、こうした馬鹿話が本気で読まれている危険について指摘してくれています。またAcefaceさんはRyannには興味はないけれど「毎日が日本で三番目に大きく、尊敬されている(ほぼ毎日調査報道をしている)新聞であることを考えるとトラックバックほしさの動物愛にまみれたそのウェブページは自分達がつくりあげたジャーナリスティックな評判を汚すことになる」とごくまっとうな意見を開陳しています。実際、英語圏では毎日新聞というのは低俗タブロイド誌だと思われているわけです。

さらに前にも紹介したAnna Kitanakaさんのブログでも毎日新聞英語版問題は何度か採り上げられています。中でもJustin Pottsさんの書いた"I love the Mainichi Shimbun online. Sort of."というエントリが簡潔に問題の所在を指摘しているので紹介します。以下要約です。

私はある意味毎日新聞を愛している。同じ新聞社の同じ記事の英語版と日本語版を記録していることで、このサイトはいかにニュースがそのオーディエンスに向けて仕立てられるかの興味深い窓となっている。ニュースとエンターテイメントの間には明確なラインがあるが、とりわけ英語版の方では後者のエンタメ志向が疑いの余地なく読者を増やしている。Kitanakaさんが以前指摘したように内容は戦略的に選択され、記述スタイルも意識的に心をくすぐるようになっている。これは日本語版も英語版の両方に言えることだが、興味深いことにこの2つの間に不一致がある。

英語のホームページを開くと、最初に気づくのは仰天すべき性犯罪の記事の多さである。このどれも米軍のレイプのケースとは関係ない。これはすべて日本人により女性に対して犯された犯罪である。記事のどれをクリックしても問題の記事だけでなく「関連記事」の下に大量の類似のストーリーを読むことができる。しかし同様の記事の日本語版をチェックしても存在したとしても「関連記事」はいつも少ないか、全く存在していない。

これは日本人の読者がこうした事柄について聞きたいと思わないことを想定しているのか。それとも英語版の編集者が自国のメディアのセンセーショナルな傾向に頼っているということなのか。

どちらにしても私は毎日新聞には最初に述べたほど興味がない。そう、嘘をついた。実際、私は内容についてこんなに極端な不一致をもってぬけぬけと報告するような新聞社を尊敬するのは難しいと思う。これはまたジャーナリズムの世界への、それからバイリンガルなリポートとかいうもののヤヌスの双頭のような二元性への興味深い窓である。

というように毎日新聞英語版はセックス・ニュースばかりに力点が置かれているという状態になっています。さて、いったい誰が毎日新聞英語版をハックし、ヴァンダライズしているのでしょうか。クリック数を増やしてくれという指示以外になにかそこには社としての方針はあるのでしょうか。社として英語版がどうなっているのか本当に把握しているのでしょうか。また英語版を書いている日本人および外国人はいったい誰に向けてどういう意図で発信しているのでしょうか。またここで発生している日本をめぐるステレオタイプの問題に責任をとる気はないのでしょうか。インフォテイメント街道を走っているのは他の新聞社も同様ではありますし、これは日本に限った話でもないのですが、毎日のケースは群を抜いていると思います。この英語版と日本語版の二枚舌やデマの垂れ流しに端的に表れているように正確な情報を伝えるという意思ももう放棄してしまっているようなのですから。もはや大上段に振りかざす正義や道徳がなにかしら空疎な印象しか与えず(理念が必要ないという意味ではなく現実とずれ過ぎているのが問題だと思います)、正確であること以上にメディアに要求される徳目はないかのような状況であるだけに、この最後の橋頭堡とみなされるものを自ら掘り崩しているかに見える毎日新聞がどこに向かっていくのか心配であります。

追記
一ヶ月以上前に書いたこのエントリに最近アクセスが増えているようです。私の立場を改めて記しておきます。まず私はWaiWaiの翻訳を担当している人物を個人として非難する意図はさほどありません。悪ノリが過ぎるとは思いますが、結局のところ、日本のタブロイド界ってこんなすごい!みたいなノリの人なんでしょう。まあ日本にもいますよね、アメリカ・バカニュース・マニアとかイギリス・タブロイド・ファンとか。私が批判しているのはタブロイド記事をそのまま毎日新聞という日本を代表する新聞が掲載しているという一点にあります。これが「素晴らしき日本タイブロイドの世界」みたいなサイトでしたら何も申し上げません。毎日新聞だから言っているのです。掲載されている記事に関しても、週刊新潮とか文春の記事ならまあいいとしましょう─ご承知のようにちゃんと裏とれているかという記事も多々ありますけれどもね─でも誰もが嘘だと知っている「実話系」の記事を我が国を代表する新聞がプッシュしているという構造は端的に言って醜悪です。虚実の境界線上を楽しむみたいなリテラシーをもつ人は世界的にはかなり限られているのですよ。実際、真に受ける人続出になっているわけです。というわけでさもしいクリック稼ぎを断念して即刻コーナーを終了するか、すべての記事の冒頭に「嘘ニュースも紛れ込んでいるかもれませんのでご注意を」と大きく明記するか、どちらかの案を採用することを提言します。なお責任は負いませんというのは駄目ですよ、デマゴギーを世界に向けて発信しているのは毎日新聞さん、あなたなのですからね。最後に一応ことわっておきますが、私は毎日を反日新聞だ!とか商業主義に毒されやがって!とか罵っているのではありません。一情報消費者として貴社に商品の品質管理を要求しているだけです。

再追記
実話ナックル→実話ナックルズでした。関係者の皆様失礼いたしました。

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事件報道

メディア上を疑わしい言説がかけめぐり、それが政府の政策に歪みを与えるという現象はなにも今に始まったことではありません。かつてイデオロギーの横行した時代にはこの歪みはさらにひどいものだったはずです。とはいえ状況が改善しているとはとうてい言えない。現在において流言飛語にも等しい疑わしい言説が流通する理由は、主としてメディアが顧客たる視聴者の需要に応じて情報を供給するという剥き出しの市場の原理なのでしょう。

やや保守的とはいえ基本的に自由主義を奉じるわたしとしてはメディアの商業主義そのものをなじるつもりはありません。ただ一消費者として粗悪品が市場に出回るのはよくない、もっとちゃんと品質管理をしなさいとクレームをつける権利はあるわけです。なにが良質な言説であるのか判別する基準は難しいのですが、実証的であることというのは数あるなかのひとつの基準となり得るでしょう。実証性とはなにかという哲学的な議論はパスでよろしくお願いします。ここで要求しているのはさほど高尚な話ではなく、社会面をにぎわす事件などについて識者やジャーナリストや占い師やその他素性の知れない人たちの疑わしいコメントばかりがついて、彼らをシャットアウトしろとは言いませんが、これを中和するようなコメントが出ないのはまずいだろうといった程度の話だからです。

こんな誰もが思ってはいるもののもはや言うのも野暮に思われるような話題をあらためてとりあげたのも若者論批判をテーマにされているリベラル派社会学者(?でいいですか)の後藤和智さんのこのエントリーを読んだからです。ここでは社会学者の宮台真司さんの若者論がやり玉にあげられています。援助交際やオウム事件の頃にメディアに華々しく登場したその姿を見てドストエフスキーの「悪霊」に出てきそうなタイプだなあとある種の感慨を覚えたのを記憶していますが、その後は大アジア主義の復活とかわけの分からない方向に向かわれてしまったようですね。それで後藤さんが90年代の彼の若者論がいかに実証性を欠いた議論だったのか、またそれがいかに有害だったのか、すなわち学的批判と政治的批判の観点から宮台氏を難詰しています。

誰かが言っていましたが、90年代ぐらいから事件の際にコメントを求められる識者が進歩的文化人から心理学者や社会学者に変化したそうなんですが、この学者たちの言うことがなぜうさんくさいのかが問題になるわけです。占い師と言っていることが変わらないわけですが学的に粉飾されているだけ有害だと思います。天然の人と確信犯がいると思われますが、宮台氏は後者でしょうね。意図はともかく政治的効果ということでは同じことです。ごく一部の若者をとりあげては「危険で理解不能な若者」というステレオタイプをつくり、それが行政の青少年対策に大きな影響を与えたわけですから。

この若者論の問題は犯罪報道の問題と密接に結びついています。犯罪報道の問題点については識者によってずいぶん指摘されていますが、このブログが分かりやすいでしょうか。要するに凶悪犯罪は全体として増加するどころか減少している。残酷な青少年犯罪など昔からあった。治安はまったく悪化していないどころか良くなっている。にもかかわらず国民の「体感治安」が劇的に悪化しているのはメディアが稀少な凶悪犯罪を微に入り細に入りしゃぶりつくすまで連日報道していることにあるからだという見解がどうやらリベラルな犯罪学者の間の合意になっているようです。つまりメディアが抑制的な報道を行い、統計資料にもとづいた科学的な議論が正しく啓蒙されてきたならば、ここまで歪んだ社会像が蔓延することはなかったと。ここにも微妙な政治があるのかもしれませんが、おおよそ正しいのでしょう。もっともメディアばかりのせいなのかは考えなくてはいけないでしょうが。

いずれにせよメディア化し情報化した社会において疑わしい言説が疑心暗鬼と不安心理ばかりを増幅しているというわけです。これは世界的な現象でありましょうが、日本はこの点でやや特異なんじゃないかなと思います。日本特殊論はいやなんですが、外国人が驚くのはなぜ日本のメディアは事件報道ばかりしているのかという点だそうです。なぜ日本のメディアで事件報道が多いのか(これも実証的なデータが必要ですが)の理由として、ひとつにはどんなトリヴィアルなニュースも逃さないメディア網の稠密さ、もうひとつは治安秩序に対する伝統的な要求水準の高さがあげられるだろうかと思います。いろんな国に行きましたが、どう見ても日本は安全ですよ。これは請け合います。

あまり根拠のない怯えによって社会が動くというのは健全ではないだろうと思いますので、犯罪は減っている、治安はよくなっているということは、呪文のごとくメディア上で強調されてもいいと思います。今日もテレビを見ていて、事件そのものはご遺族の気持ちを考えればやり切れなくなるものですが、三輪さん、そんな心配しなくとも凶暴な若者は稀少ですからご安心くださいね、霊的なものとかたぶん関係ないんですよ、と言いたくなりました。右派の政治家や評論家がまた道徳教育とか宗教教育とか叫び出さなければいいんですがね。残念ながら凶暴な人間が確率的に出現するという現実はそう動かせそうにないですし、淡々とどう対処すればいいのか考えるほかなく、大騒ぎしても無駄だというある種の諦念と実際思考が必要なのでしょう。

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日本女性について

西洋(あるいはそこを経由した世界)における日本女性のイメージというのはわれわれにはなかなかはかりがたいものがあります。われわれが知っているのはなんとかさんとかだれだれちゃんとかいった具体的な人であり、日本女性一般なるものと出会うことはないからです。ところが世界には厳然として「日本女性」のイメージが実体であるかのごとく流通しています。ハリウッド映画などでなにこれといいたくなるような日本女性が登場するのを目撃したこと経験はみなさんにもおありでしょう。最近では「サユリ」でしたっけ。彼女は日本人でも日系人ですらありませんでしたが。ちなみにこの反応を素朴なナショナリズムと受け止めるむきがあちらにあるのですが、そういう受け止め方の問題じたいも文化-政治的な考究の課題となるのでしょう。アジアン・ビューティーと言えば、タイも日本もベトナムも一緒なわけです。

こうした一方で現代日本女性の紹介といった試みがささやかに行われていることはあまり知られていないと思われます。川上澄江さんというジャーナリストの方がしばらく前に「さようなら蝶々夫人」というタイトルの本を英語で出版されました。著者はかならずしもばりばりのフェミの方というわけでなく、現在女性の置かれている場所に肉薄したいといったモチベーションから仕事をされている方とお見受けしました。10人の女性(と1人の男性)のインタビュー集です。わたしはこのインタビュイーの方々を「普通の人」とは呼びたくないような気もしましたが、いずれにせよわれわれ同様の無名人たちの生と性を掘り起こした試みです。

Neojaponismeという現代日本カルチャーを扱った有名なブログで彼女のインタビューが掲載されていました(日本語版もあります)。彼女のインタビューの答えはちょっと一般化しすぎじゃないの、とか、時代ごとの変遷が十分に説明されていないじゃないの、といった感想もところどころで持ちましたが、まず、ステレオタイプな日本女性のイメージがあるとしてそこに対して現在の日本の女性を提示する試みとしてはなかなか誠実なものだろうと判断します。ありがちな男性=抑圧者、女性=非抑圧者といったマニ教的な枠組みに過剰に依拠していない点も好感がもてました。この本のタイトルはどうなのよと言いたいところもありますが、まあ一般の人に読んでもらうことを狙えばこうするしかないんでしょうね。

でこの本に対するリアクションをいろいろ探っていくと、だいたいがこの本に登場する女性たちに「個人的に」共感したとか変だとかいった素直かつ人間的な反応です。また日本の会社システムっておかしくねという「社会派的」な感想も多く見受けられます。わたしが興味をもったのはAsian Review of Booksの評で、日本女性のロマンティックな生活に興味をひかれるのは謎だ、ペルー女性やインドネシア女性についての本などあまりないという言葉、また蝶々夫人はもはや存在しない、いやはじめから存在しなかったのだという言葉です。ここでもやはり記号としての「日本女性」の強さが確認されます。

また日本人のみならず外国人による現代日本女性を紹介しようという試みもあります。ヴェロニカ・チェンバースさんの「キックボクシング・ゲイシャ」という本は、タイトルはともかく(なんとかならんか)、同じようにいろんなタイプの女性の生を扱ったリポートです。これも日本女性につきまとうステレオタイプを打破して、具体的に生きている女性たちの姿を共感的に伝えようとした試みと言えるでしょう。著者のインタビューもあります。日本女性というと着物を着た芸者さんのイメージとセーラー服の女子高生のイメージが強いけれども、「普通の女性」たちが社会を大きく動かしているといった主旨です。運動なき革命という表現も使っていますね。これまでの草の根の女性運動の果たした役割を十分理解しているのかどうかを別にすれば、だいたい正しい認識ではないでしょうか。

いろいろ眺めていて分かるのは、だいたいもの静かで(quiet)従順な(submissive)女性というイメージが強固にあり、現在の女性たちのイメージは過剰に性的(oversexualized)なイメージといったところでしょうか。前者は芸者さん、後者はAVなんかのイメージなんでしょうか。まあ、たしかにこれでは日本女性像は歪むわけですね。もっともこうしたイメージの普及にあたって日本のメディアの果たした役割も大きいわけですがね。ここにあるのは相互作用であってオリエンタリズム!とか言って単に彼らを責めればいいというものではない。こちらにも反省すべき点は多々あるわけです。

ところでこういうロマンティックなイメージとは別に抑圧された(oppressed)女性たちというイメージも相当に根強くあるのを実感します。別に抑圧がなかったとか今ないなどとは言いませんよ。でもどうでしょう。キリスト教のような強力な一神教の下での抑圧とはずいぶん様相が異なるような気がします。中世はもちろん19世紀ぐらいでも西洋史の本を紐解くならばそのミソジニーぶりにけっこう震撼させられます。アメリカだってなかなか凄いなと思います。社会的な抑圧というよりも宗教的、内面的な部分での抑圧ですね。ああいう強力なフェミニズムが生まれるにはそれなりの土壌もまたあるわけです。性的な意味での抑圧は日本では明治以降中途半端に西洋の模倣をしたわけですが、内面的な部分まで強力にはいってくるような感じではないような気がしますが、いかがでしょう。明治儒教的な要素(良妻賢母主義)の残存を甘くみるつもりもないですし、まあひどい抑圧があったのは事実ですし、どっちがいいというような話ではないつもりですが、前提が違っていないかなといつも感じます。またそれが直輸入的なフェミニズムが今ひとつ日本でパっとしない理由でもあろうかと思います。日本が遅れているからだとか大衆が無知蒙昧だからだとか思っている人がいるとしたらちょっとそこは考え直したほうがいい。もっともこういうことも賢明で真摯なフェミニストは折り込み済みだと思いますのでまったく大きなお世話ですね。

それはともかくこの抑圧された女性のイメージと先ほどのもの静かで従順な、あるいは過剰に性的な女性のイメージは独立したものではなく、相互に連携しつつ日本女性のイメージを形作っているようです。ええ、これはイメージの話であって具体的なあなたやあなたの知り合いのことではないのです。でもひとたび日本を離れた時には、あるいは日本でも外国人とコミュニケーションするときには、こうしたステレオタイプとの格闘が待っているのかもしれません。その場合、鏡像的な関係に入らないこと、あるいはイメージに亀裂を入れること、そうした実践が課せられることになるでしょう。ステレオタイプに飲み込まれたほうが楽なんですけれどもね。わたしとしてはここで優雅に抵抗する人が増えてほしい。

こうしたなか最近日本の女性で英語発信する人が徐々に増えてきていまして、それを個人的には非常にうれしく感じています。Shisakuという日本政治に関するブログ(皮肉っぽいですがなかなかいい)で知ったアンナ・キタナカさんのブログを見つけたことでこうした思いを新たにしました。そのエントリーのひとつ「性差別はグローバルだ。日本だけじゃない」というエントリーには心打たれるものを感じました。

内容はインデペンデントとガーディアンというイギリスを代表する左翼新聞による毎度毎度の日本批判に対する反論です。ちなみにこの両誌はどこの国に対しても批判的ですからなかなか骨があるじゃないと思うことももちろんあるのですが、日本に対する批判はちょっとあまりにもポイントをはずしていることが多いのが問題です。記者のレベルがどんどん落ちている。現実の日本というよりも想像上の日本への批判ですからこっちとしてもはあ?となることが多い。

インデペンデントによれば日本の職場における「見えない天井」は「コンクリートの天井」「鉄の天井」だそうです。それで女性の社会進出に対する意識の大幅な向上を示す統計を示した後に、いつものテンプレです。日本では伝統的に女性の場所は家庭であり、日本は女性が職場での平等を求めていまだに戦っている唯一の先進国であるのだそうです。こうした物言いに対して日本だけでなく全世界で女性の居場所は伝統的に家庭にあったのであり、職場での平等は現在においてもすべての先進国での課題でしょうとごくごくまっとうな批判をしています。同様にガーディアンの記事に対しても、問題を日本だけに押し付けるな、日本以外では性差別がなくなったなどと嘘をついてわれわれを混乱させるなと批判しています。また結婚と出産を選択した女性を憐れむべき存在と考える権利などお前にはない、それも人生の選択なんだとやっつけています。

要するにこうやって問題を日本に特殊化して自分たちをそこから切り離す作法を常套的に用いるわけですね。これは本当にいらやしい言説戦術ですが、英語の新聞ではテンプレ化しています。ですからもはや書いている記者にもさほど自覚がないのでしょう。そしてそういう記事を読む読者は自分とは無関係の話として極東の遅れた国の女性たちを安心して憐れむことができるわけです。ここには本気で世界における女性の地位向上を願う真率さなどみじんもない、つまり偽善しかないわけです。こういった正義を偽装した記事を掲載することでイギリスは帝国意識の残滓が左翼を含めて強固に残っている国であることを日々暴露し続けているわけですね。ちなみに彼女はイギリス生まれの方だそうですから、当地の事情をよーくご存知なんでしょう。

話を少し大きくしますと、こうした欧米左翼に巣食う傾向性を一般にリベラルパターリズムと言いますが、そこにはソフト・レイシズムがまとわりついています。善意と蔑視の混じった視線ですね。この問題性についてはアカデミックな世界では論じられているのですが、ややラディカルな人達が唱えていることもあって一般にはあまり広まっていない認識のようです。あまり声高に訴えるとそれはそれで変なイデオロギーになっていく罠があるのでしょうけどもね。それはともかくアジア・テンプレというのが既にありまして記事はこの枠組みの中でしか書かれない。とりわけ社会、文化記事はほぼどこの国でも同じような切り口になります。女性に関するシンポジウムが開かれた時、そこでの議論は複雑多様にして実に興味深いであったのにガーディアンにのった記事はアジアは遅れているというテンプレ記事だったと怒っている女性に出会ったこともあります。英語を学んでこういう記事を読んで同胞たちが土人扱いされているのに自分だけはそこに属していないと勘違いしているbananaさんたちを苦手としているわたしとしては、こういう真の国際交流をする気のある女性たちが続々と出現することを希望しています。

最後にこの裏返しとしてわれわれ自身が同様のまなざしを他の国々に向けていないかどうかも深く反省すべきだと思います。それは非常に醜悪な光景です。批判がいけないというわけではない。ただ偽の批判と真の批判があり、偽の批判とは本当はどうでもいいと思っているのに単に心理的な満足を得るためだけの批判であり、確かな情報もないのにイメージだけにもとづいた批判のことです。一般の人にまでこうした倫理を要求するつもりもありませんが、日本のメディアや知識人にこうしたまなざしが巣食っていることに苛立ちを感じます。日本の場合はオクシデンタリズムとオリエンタリズムの使い分けをその特徴としていると言われます。思い当たりますよね?

PS ここではイメージの話しかしていないのですが、もちろん日本社会における現実の女性の置かれた地位の問題というのがあります。なにが女性の行動の制約条件になっているのかというのは相当に複雑だと思います。最大の問題が企業慣行にあるのは間違いないでしょう。とても結婚や育児を支援するような体制にはなっていない。そしてわたしが疑問に思うのは日本のフェミニストがパート労働の問題について十分に問題化していないように見える点です。問題化とは気付いていないということではなく実際のアクションがあまり目につかないという意味です。経済的に見ればここが最大の問題でしょう。その点、非正規雇用の問題が騒がれ出しているのはいいことだと思います。もっとも男性の非正規雇用者が増大している事実が引き金になったのでしょうからそれはそれで問題なのですがね。いずれにせよ労働市場改革が急務である所以です。また文化的な要素も無視できないのでしょうね。トラックバックしていただいた空さんが役割期待の話をされていますが、日本における役割期待の起源はどこにあるのだろうとつねづね疑問に思っていました。これは儒教的な要素とも思われない。domestic matriarchyという表現も見かけますが、どちらかという言えば海洋アジア的(島嶼的)なものなのかなあなどと感じますが、よく分かりません。なかなか実証的に議論しにくい論点ですよね。ただ私は不毛な文化闘争とか象徴闘争のたぐいに入り込むよりもこういう問題ではプラグマティズムのほうが好ましいと考えますので文化的文脈に配慮しつつ文化論はあまり表に出さないほうが政治的に賢明だろうと思っています。

若干訂正、加筆しました(6.3.2008)

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外人ブログ

ちょっと重たい話を。ほとんどの日本人に気付かれていないですが、この広大なるウェブの世界には日本関連ブログや日本関連フォーラムの世界というものがあります。そしてこうしたJ-blogやJ-forumの一部として「外人ブログ」および「外人フォーラム」というものがあります。こうした舞台で活躍しているのは主として日本在住のアングロサクソン系の人々のようです。ここで「外人」という言葉は使うのは、彼ら自身がその名称に固有の意味を付与してしまっているからです。私はこの語は差別語だとは勿論思わないのですが、少なくない「外人ブロガー」はこれを差別語とまではいかなくともある種の負の記号と認識した上で自称に使っています。つまりここには微妙なアイロニーと共同体意識があります。

それで外国人なり非日本人を書き手とするブログにはいろんなタイプがありますが、乱暴に言えば、「美しい日本の伝統を愛する派」と「日本っておもしれー派」と「日本を告発する派」に分かれると思います。ことわっておくとこれは専門家や批評家のブログではなくアマチュアの話です。

最初の美学派は日本好きに多いひとつの古典的なパターンです。私はオリエタンリズムの名の下にこういう人々の興味や関心を政治的にぶった切るやり方は好まないのですが(誰にも幻想を愛する権利はあると思うんです)、彼らの愛する日本はこのせせこましい日常からはかけ離れた日本です。私も日本の歴史や古典文化には興味はありますし、勉強になることも多いのですが、私が呼吸して生きているこの日本ではかならずしもない。

次の娯楽派は現代日本のサブカルチャーにはまった人たちです。海外にもオタクがけっこういることは、政府が日本の宣伝に使うご時世ですからもう有名ですが、実際、日本関係のブログではこれがいちばん多いでしょう。アニメやマンガはもちろんですが、映画やTVやJ-POPやアイドルやAVや電子ガジェットなど思いつく限りのネタに関してブログもフォーラムもあります。オタクですから海外でも非常に濃いです。まあこれはよく知られていますよね。在日外国人のブログでもサブカル関係ネタが多いです。以上は日本文化に興味のある層で、一部非常にシニカルなものもあり、またステレオタイプの生産を担う効果は必ずしも無視できないのですが、趣味の世界にとどまっている限り実害はそれほどない。

で問題なのが最後の社会派です。gaijinを自称するブログやフォーラムの多くはこのカテゴリーに属していると言ってもいいのかもしれません。私はこれまで半ば見て見ぬ振りをしてきたのですが、ここのところどうにも無視できないような「事件」があちらこちらで起こっているし、また彼らの言説がメディアにも微妙に影響を与えつつあるようなので、これは日本人に広く知られてしかるべきだと思うようになりました。大多数の与り知らぬところで少数の英語話者の間で物事が進んでいくというのは非常に好ましくない。

こうした社会派の生態をThe Westerner's Fear of the Neonsignというブログがユーモラスに描いています。引用すると、

It's impossible to live in Japan for any decent length of time and not become cynical about politics. In the early stages, political views tend to be half-formed ones like knowing the LDP is “full of shit” but only being able to suggest that the Japanese electorate mates with “the other guys, you know, the good guys”. But the event that triggers the onset of becoming an ill-informed activist is either a horrific racist ordeal involving a Japanese pensioner gagging at the sight of your freakishly dishevelled chest pubes in a public bathhouse or, for people who aren’t Debito, buying a copy of Alex Kerr’s Dogs and Demons, taking it home and reading it fully clothed.

政治に対してシニカルにならずに長く日本に暮らすことはできない。最初の段階では、政治の見方は、自民党がクソだと知って、日本の選挙民が「他の連中、つまりいい連中」と組むように提案するといったような不十分なものになる傾向がある。しかし「無知なアクティヴィスト(ill-informed activist)」となる端緒を拓く出来事は、公共浴場で異国風に乱れた胸毛を見て我慢できない日本人年金受給者を巻き込んだおそるべき人種主義の試練だったり、あるいはDebitoでない人々にとっては、アレックス・カーのDogs and Demonsを買って家に持ち帰って読むことだったりもする。

From this it becomes obvious that Japan is a bad tooth in need of some severe canal work. But the Japanese people themselves don’t realise this; the ill-informed activist alone can save them from their political mire. That is, if he can escape from the clutches of arch-nemesis, Black Vans. Such a person always goes into a paranoid flap at the sight of said nationalist sound trucks, even when the announcement is actually saying: “Takeshima belongs to the Japanese! Advance this position strongly at the next Asian summit! And please buy a lottery ticket!”

これ以来、日本はやっかいな治療の必要な虫歯のような存在であることが明らかとなる。しかし日本人はこのことに気付いていない。無知なアクティヴィストのみが日本人を政治的窮地から救うのだ。復讐の神たる「ブラック・バン(註、街宣右翼のあれ)」の魔の手から逃れることができたならば。こうした人間はたいていナショナリストのサウンドトラックを見てはパラノイドの興奮状態におちこむ。実際には次のように叫んでいたとしても。「竹島は日本領だ!次のアジア・サミットでこの立場を強く訴えろ!どうか宝くじを買ってください(註、意味不明、ダフ屋のイメージ?)!」

Now don’t misunderstand me here. Real activism and self-empowerment are noble indeed. This particular activist, however, shuns actual engagement. He tends to rely on the latest op-ed in The Japan Times for information and his protests never go further than the audience of his English-language blog.

ここで誤解しないで欲しい。本当のアクティヴィズムとエンパワーメントは確かに尊いものだ。しかしこの特殊なアクティヴィストは実際の社会参加は避けるのだ。彼は最新のジャパン・タイムスの社説に情報を頼る傾向があり、彼の抗議は英語ブログの読者より前に進むことはないのだ。

というようにカルト的なネット・アクティヴィストの集団がいるんですね。ここで触れられているデビトという帰化した日本人、小樽の温泉で入浴拒否されるという「事件」(その背景は複雑なようですが)を契機に人権活動家に転身したとされる人物ですが、外国人識者からこれまでも多くの批判がなされてきたにもかかわらず、一部ではカリスマ扱いされています。彼とそのフォロワーの特徴はおそろしく独善的で奇妙な迫害妄想を抱いている点にあります。この独善性は遅れた存在である日本人を教導せんとする優越コンプレックスと日本にいて酸っぱい生活をしているという惨めな現実のギャップによって日々強化されているようです。

主に外国人差別の問題を針小棒大にとりあげてはデマをひろめて歩いているわけですが、それだけなく第二次大戦時の戦争犯罪を持ち出しては日本人がいかに残酷なのかを訴えたり、あるいは軍国主義の復活が近い!といった妄想をまきちらしたりと英語圏の日本関連の情報を汚染することを生き甲斐にしている奇特な人々です。本人達は人権の闘士で反差別運動の旗手のつもりなのですが、この崇高な目的ゆえに彼ら自身の日本人への偏見や差別は正当化されてしまいます。実際、ひどいものです。この手のアクティヴィズムには往々にしてともなうわけですが、本人達は栄誉ある行為をしていると真剣に思い込んでいるという点に問題があります。つまりブレーキがない。

なにに似ているかというと偏執狂的なところも含めて2ちゃんねるの嫌韓厨が思い起こされます。違いがあるとすれば、嫌韓がアジア系同士の同族嫌悪的な部分が強いのに比べて、この無知なアクティヴィスト達は欧米至上主義者、ひどい場合には無自覚なアジアフォビアであるという点でしょうか。別に嫌韓のほうがましだなどとは言うつもりはありません。まあどちらに似たようなものだと思います。ただ困ったことに嫌韓は公的場面からはほぼ排除されているのに対して(ネットが公的場面なのかどうかは問題ですが)、おめでたいことに無知なアクティヴィストをありがたがる日本人もいるわけですね。土人扱いされているのも知らずに。

日本語がほとんどできないこともあって、もっぱら英語ソースに頼っているわけですが、ジャパン・タイムズとかジャパン・フォーカスとか左傾の英語メディア、また毎日新聞の英語版などが情報元になっているようです。ここから彼らの嗜好に合うニュースだけを選択して都合の悪いニュースは無視するわけですね。こういう非常に偏った情報環境にあって日本人とろくにコミュニケーションがとれない状態で同志うちで固まっていくわけですからどんどんカルト化していくのも無理はない。それで企業や学校に脅迫メールを送ったり、押しかけたり、裁判の被告のプライバシーを暴いたり、海外のメディアに登場して日本の悪口を言ったりするのですから実害が出始めている。困ったことにそのオーディエンスも日本語情報に接することができないので彼らのデマに簡単に同調してしまう。このネットにひきこもっているアクティヴィスト達の最大の問題は「日本人vs非日本人」というマニ教的な対立図式を奉じて日本人との間のコミュニケーションを拒絶している点でしょう。つまり差別的な個人ではなくて記号としての「日本人」(そんな実体は存在しない)と戦っている訳です。

さすがにこいつらおかしいということで最近になって英語のできる日本人ブロガーや日本のことをよく知っている在日外国人ブロガーが批判を始めています。どこかでブレーキをかけないとバックラッシュがいずれ来るでしょうから批判すべきは批判したほうがいいのでしょう。そのことはいずれ書くとしてまず私たちの与り知らないところでこんなプロレスが行われていることをとりあえず紹介しておきます。日本人ブロガーも日本語にどっぷりつかっていないで日本関連の英語ブログの世界を覗いてみて、また英語のある程度できる人たちはコメント欄などに下手でもいいから自分の意見を表明してコミュニケーションすることをおすすめします。いろいろ学ぶことが多いですし、相互性の欠如がどれほど不幸な事態を招いているのか身に染みて自覚できると思います。もっとも2ちゃんねらーみたいなノリで参加しないでくださいね。それは彼らを利するだけですから。

追記

誤解のないように言っておきますと、私はここで我々日本人は名誉にかけて「反日外人」と戦わねばならないなどと主張している訳ではありません。問題はコミュニケーションの欠如にあり、英語話者のネットワークで流言飛語が広まっている状況に敏感たれと言いたいのです。かなり不健全な状態だと思います。正確な中和的情報をどんどん流す一方で、日本人だけではなく在日外国人と協力して悪質な部分については周縁化していく戦術をとるべきでしょう。日本社会の側が在日外国人の声のうち正当とみなし得るものに対して謙虚に耳を傾けるべきことは言うまでもありません。一方、コミュニケーションを拒絶しようとする輩についてはイデオロギーではなく事実に基づいて批判していくべきでしょう。特にリベラルな感性の人々に言いたいのですがね、この手の状況を放置することで結果として社会の不寛容を高めてしまうんですよ。なお通俗的な日本人論をこよなく愛するのは文化保守と左翼とこの手の人々だというのはなんとも皮肉な話ですねえ。

再追記

「美学派」と「サブカル派」と「社会派」について言及しましたが、「日常派」に言及しないのはまずかったですね。心和まされるのは最後の人々です。こういう人々が多数派なのでしょう。

再々追記

このエントリを書いて以降、情報の多様化も進んで状況はだいぶましになりつつあるように思います。いくつかの悪所がつぶれ、無知なアクティヴィストへの批判の声も強くなりました。日本語ができる若い人達も増えていますし、将来にはさほど悲観的ではないです。

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少しいらだってます。

このところまた無根拠な日本悲観論がうるさくなってきましたね。統計その他のハードな証拠もなく無意味に騒ぎ立てる軽薄なメディアが与える悪影響を考えるとこれも看過できないものがあります。90年代以降の自傷的ともいえる悲観主義的な言説がどれほどの損害を与えたのか計り知れないものがあるからです。この国内メディアの不正確な報道があまりレベルの高くない記者の手を通じて海外メディアでさらに脚色されて報じられ、それが日本投資を手控えさせるという悪循環が続いてきたわけです。自分から虚偽情報をばらまいているのだからまさに世話ないとしか言いようがないです。また誰も海外でのいいかげんな日本報道を訂正させようとしない、この怠惰さと一方通行性も克服しないといけないでしょう。

2003年頃には日本はアルゼンチンと同じ破綻経済だとまで言われ、株価も8000円まで落ちたわけですが、これも無根拠な憶測によるものでしたし、その数ヶ月後には、経済改革が進み、日本は復活した、などと手放しの高評価で株価がうなぎのぼりするといった具合に、日本をめぐる情報の質の低さに私たち自身が苦しめられていることにもっと自覚的であるべきでしょう。不幸を自分で招いているわけですから。

となんだか偉そうな物言いをしているのもWaPoのFor Japan, a Long, Slow Slide という記事を読んで少しいらだっているためです。Bruce Hardenというあまりレベルの高くない記者がいまして、この人は日本のblog界についていったいどこの国の話だよというような記事を書いた前歴があります。いわく日本のblogでは議論というものが存在しないと。アメリカの左派系新聞にありがちなステレオタイプ報道です。私はこの記者がはたして日本語を読めるのかどうかすら疑っています。少しでも日本語のblogを読んでいたらあんな記事は書けるわけがないわけですから。

この記事のおかしさについてはNBRのフォーラムでも話題になっていました。これは日本に関係する研究者などが議論する場なんですが、よく紛糾が起こるので見ていて面白いです。ここで言う面白さというのは、多くの場合、英語圏の論者が日本をどう捉えようとしているのかについてのヒントに満ちているといった種類の面白さに近いです。英語圏と言いましたが、アメリカ、オーストラリアの出身者が多いです。ヨーロッパ人になるとまた違った日本像になるのが面白いところです。西洋とか欧米といってももちろん一枚岩ではないわけです。

特に実感するのは英語圏の日本への誤解の多くが大陸的な法制度をもっているところに起因しているという点です。彼らはそれを日本的なものだと理解してしまうわけですね。それを補強するのが保守系論者の好む通俗的な日本人論とか日本社会論だったりするわけで(これも実は外国人の日本ウォッチャーの印象批評の受け売りだったりする)ここでも言説の悪循環が認められます。やっぱり日本自身が正確な情報を出さない限り、先には進めないように思えますね。

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