カテゴリー「その他」の26件の記事

MANGA LATINA

同人漫画の世界というのは私からは遠いのでこれがどの程度のレベルにあるのかとかそういうことはよく分からないのですが、これがラテン語国際ニュース新聞エフェメリスに掲載されているという事実にはなにかこんなところにまでという思いがするのですね。おそらくはここで35人ぐらいの日本国民が頷くのではなかろうかと想像します。同人もラテン語化されるご時世ということなんでしょうが、この新聞けっこうお堅いと思うので今後の展開が気になるところです。現在Pars1Pars2が掲載されていますが、既に微妙な雰囲気を醸しています。作者はポーランド人のサラさんだそうです。

ではでは。

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ぴりっとした夏が待ち遠しい

"Nemutan's revenge -some fact-cheking and reaction to the NYT story on anime fetishists"[MTG]
NYTの「二次元コンプレックス」記事に関するMTGのAdamuさんのポスト。Japan probeのJamesさんも作成に協力されています。この記事の問題点としてかなり特異な人物を採り上げて誤った統計情報を紹介することでそれが一般的な現象であるかのような印象を与えてしまう点を指摘しています。やや長文ですが、充実していますのでおすすめしておきます。こうして奇妙な報道には批判の声が英語圏であがるようになっているのはありがたいことですね。

WaiWai記事からの転用なのか政府統計の意図せざる誤読なのか分かりませんが、Tokyo Mangoのノリで記事書いたのはまずかったですね。個人ブログとNYTはやはり違うと思うんですよ。たぶんデスクの注文に忠実に応じたといった話なんでしょうし、実際、このレベルの記事はけっこう目にしてきたので個人的には、はあ、そうですか、あなたの日本って変人ばかりで楽しそうですね、私の日本はも少し真面目な人が多くてちょっとしんどいんですけど、ぐらいの感想なのですが、こういうどうでもいいニュースばかりでなく一般にNYTの日本報道のレベルの低さー「最低」といっていいでしょうーはどうにかしないといけないと思うのですね、米国の知性の面目にとっても。ともかく単に日本名であるという理由で素質のない人にジャーナリストごっこさせるのは止めて欲しいものですね。他にもいますよね。

ミスユニバース日本代表の宮坂さん、衝撃コスチュームを披露[レスポンス]

セルフ・オリエンタリズムっていうんですかね。これって「強くモダンな女性のための着物」といったフェミニズム的な話ではなくてその反対物、記号としての「日本女性」に対する期待を必ずしも裏切らない衣装だと思うのですね。つまりWaiWaiですね。デザイナー氏はどうもべたな新日本主義者(neojaponiste)のようで、ここにアイロニカルな文化-政治的な戦略は読み取れないですね。ミスユニバースというイベントそのものに興味がないのでどうでもいいと言えばどうでもいい話なのですが、このフィールドでがんばっている方々も頑固なフランス人コーチや海外でウケたいだけの文化的女衒に喧嘩のひとつも売ってみたらどうでしょうかね。こんなのやだよと。

【追悼】平岡正明さん 執筆を「芸」に高めた男[産経]

大月隆寛氏の追悼文。私は平岡氏の旺盛な活動のうちの浪曲関連ぐらいしか接しておらず、和風好みを気取っているけれど本質的にジャズのリズムの人程度の印象しかありません。ただ80年代の言説には多少の興味があってその中で氏はどういう存在だったのかなということはちょっと気になります。ですからそういう文脈で大月氏の追悼文を読みました。とりあえず大月氏の文体が連なる系譜がおぼろげに見えたような気がしました。ところでサブカル歌謡論って平岡氏あたりが起源になるんでしょうかね。そうだとすると罪深い人ですね。

がん闘病の川村カオリさん死去 事務所が発表[産経]

平和のうちにお休みください。

なんだか短いエントリの中であちこちに喧嘩を売ったような気もしますが、みなさん、お元気で。

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優雅な報復攻撃能力の保有について

"The Homecoming of Japanese Hostages from Iraq: Culturalism or Japan in America’s Embrace?" by Marie Thorsten[Japan Focus]

イラク人質事件について英語圏でも論じられているのを何度か見ましたが、どちらかと言えばフェアなほうの批判記事でしょうね。「日本人のお上意識」を熱っぽく語る大西氏のNYT記事には軽く苛立った記憶がありますが、記事では日本の批判派もまたこの件をいつもの日本人論の枠内で理解しようとしていたと論じ、確かに日本的文脈はあるとしつつも、やはりアメリカでも同様のバッシングが存在した点から「犠牲者非難」の反応の共通性を指摘しています。only in Japanな話ではない、と。

異論がない訳でもないですが、日本の批判派や海外ウォッチャーが頼りがちな平板な文化主義的な解釈-十分に文脈化された解釈とは違う-に距離を置こうとしている論者の姿勢そのものは評価したいと思いました。勿論批判的な視座というものは必要なものですが、伝統芸能化した内外の批判の様式が気に入らないという話です。それはどこにも人を連れていかないし、なんの変化ももたらさない。

でこの事件そのものに戻ると、個人的に重要だったかなと思うのは、これがきわめてメディア的な出来事であったように思える点です。小泉政権下において右派からは共感とともに真実の民の声として、左派からは警戒とともに危険なポピュリズムとして、ネットの声という未知の存在が注目され始めたタイミングで生じたためにハレーションを起こす結果となった、そうした事件として個人的には記憶しています。その後、両メディア間での増幅効果が限定的なものにとどまっているように見えるのは、マスメディア側が考えたところもあるのでしょうし、ネットが一般社会に接近してかつての先鋭性と危険さを喪失して平常化しつつあるのもあるのでしょう。単に危険そうな領域に近づかなくなったからそう見えるだけなのかもしれませんが。

防衛大綱・自民素案「北策源地攻撃に海上発射の巡航ミサイル」[産経]

敵基地攻撃能力の保有を盛り込んだ自民党国防部会の出した防衛大綱素案が話題になっているようです。メモしておきます。

政府は敵基地攻撃は、敵のミサイル攻撃が確実な場合は憲法上許されるとするが、北朝鮮まで往復可能な戦闘機や長射程巡航ミサイルがない。素案は弾道ミサイル対処で、ミサイル防衛(MD)システムに加え「策源地攻撃が必要」と明記。保有していない海上発射型巡航ミサイル導入を整備すべき防衛力とした。

ということなんですが、もう少し具体的な情報が欲しいところです。ところで前から思っているのですが、「策源地」と「敵基地」はどちらも英語だとbaseだと思うのですが、日本語では前者のほうが非限定的で、後者は限定的に感じられます。どうなんでしょう。用法を見ていると、策源地のほうが融通性がきく、遊びのある概念のように見えなくもないのですが(違っていたらすみません)。

敵基地攻撃能力だけでは弾道ミサイルを防ぐ事は出来ない[週間オブイェクト]

弾道ミサイルへの対策としてはMDが主軸であり、敵基地攻撃はあくまでも従である、イラクの「スカッド狩り」も穴だらけであった、実際、北朝鮮の弾道ミサイルに対抗するのに都合のいい兵器があるなら教えて欲しいと述べています。この件は政治的な意味合いが強いと思っているのですが、そこには軍事的リアリズムの裏打ちがなければいけない訳でふむふむとなりました。象徴的には大きな変化のように見えますが(この能力の保有のアイディアそのものは当然の自衛権の範囲だと思います)、コスト的、技術的な問題から現実化されたとしても半島有事の際に補助的に機能するかもしれない能力程度のものになるといったところでしょうか。

Separated by a common enemy[Observing Japan]

なんだか粘着しているような気もするのですが、基本的には優れたブログだと思っているので。敵基地攻撃能力が地域の状況に与えるかもしれない影響について考察しています。日本の北朝鮮へのアプローチと米国とのそれには違いがある。日本は自国の安全の観点であるが、米国の関心はより広い。世界的な核拡散の問題への懸念に加えて米国には日本との関係ばかりでなく韓国との関係もあるからだ。米韓同盟と日米同盟の相反する要請は日米同盟にやっかいな影響を与える。米国の言動は韓国のことを考えなくてはならず、抑制的なものとなるが、これは日本側に不安を与える。米国側が日本の自立的な先制攻撃能力の保有を懸念するとしたら、それは日本が自国の安全保障上の理由で動くことで他の国にダメージを与える可能性があるからだ。実際にはこれはありそうもないシナリオではあるが、もし日本がこの能力を保有するならば、他の諸国に与える影響について責任をもって考慮しないとけない。地域の安全と安定は日本の国益であり、この点を自覚することで日本の指導者は米国の努力をより評価できることになるだろう云々。

原則論的な反対という訳でもないようですが、どういうベネフィットがあるのか不透明である、また敵基地攻撃能力を保有するとして実際にそれを行使するにあたって自国の安全のみならず地域の安定に貢献するよう思考しなければならないという考えのようです。日米に限らずあらゆる同盟には同床異夢の側面があると思いますが、パースペクティヴの差そのものについては埋まらないところがありますね。現状では調整可能な範囲だと思いますが、今後日本側のいらいらが募ることになるでしょう。

"Japan Debates Preparing for Future Preemptive Strikes against North Korea"[pdf]

2006年に書かれたこの論文では法的、技術的、財政的問題から言ってこの構想はincredibleであり、これは国内向けの政治的な議論であるとしています。本気ではない、と。実際、国内向けの要素もなくはないとは思いますが、本気ではないとまでは思いません。技術的な問題についてはいざとなったら金一族を広義の策源概念に含めるとか誤爆だと言い張って政府機関にでも打ち込めばそれでいいんじゃないかという気もしますが(冗談です)、素案の段階で賛成だ反対だと騒ぐのもどうかと思いますのでしばらく眺めることにします。

こと安全保障関係については細心に物事を進めていくしかない訳であまり力瘤を入れた議論-賛成論も反対論も-は現実から遊離してしまうようにも思えます。対米不信や独立願望がここに強く投射されると米国側の猜疑や誤った解釈を呼んでおかしなことになるのかもしれませんからこのあたり主導する人々には修辞の研究が少し必要な気もします。実際のところ、あの決定的な敗戦の心理的後遺症が残っている中、また日本の置かれたなかなかに険しい戦略環境の中、さらに国内のリソースの制約の中にあっては、日米同盟を堅固なものにする一方で地道で粘り強い調整を通じて中長期的に相対的な自律性を高めていくしかないように思われるのですね。まあ、そんなに悠長なことを言っていられない可能性もありそうですが。

“After death cometh judgment” - Why are there so many Christian signs in provincial Japan?[MTG]

いたるところで不吉なメッセージを伝える「キリスト看板」についての良ポストです。目的と手段の関連の見えないところがいっそう不穏さを醸している訳ですが、この協会の堅忍不抜の恫喝的宣教活動にはなにかしら心を打たれるものもあります。これはこれでアートなのかもしれません。高校生の頃、学校帰りにフレンドリーなモルモンのお兄さん方に話しかけられてなにをやっているんだと思いつつもユタの事情に詳しくなっていたことを思い出しました。

【パリの屋根の下で】山口昌子 カンヌに登場した“蔑視”映画

「国辱」映画といいますかwaiwai映画のようですね。このイメージはけっこう強力にあると思います。リベラルなみなさんも「ナショナリズムに絡めとられるのはちょっと・・・症候群」を脱してこの手の破廉恥幻想については少しは批判すべきではないでしょうかね。また型通りのオリエンタリズム批判ではなく創作によるわさびのきいた文化的報復というのもあると思うんですよね。個人的には優雅なやり方のほうが望ましいです。とはいえこの種の幻想の悪循環に加担するコラボばかりが出現するのには困ったものです。ふう。

追記

細かい表現を直しました(2009.6.4)。一応書いておきますが、タイトルは遊びです。蔑視だ!とか偏見だ!といった糾弾調の言説よりも文化領域での余裕のあるやり合いが望ましいと思うのですね。

再追記

民間で多様な意見が戦わされることはいいことだと思うので頭ごなしに否定はしないですが、本当を言えば、政治のレベルでは難易度の高そうな話よりも集団的自衛権や通常戦力の問題に議論を集中して欲しかったりします。

[本日の一曲]

http://www.youtube.com/watch?v=8lcDJhq1sDQ&feature=related

エミー・ジャクソン『涙の太陽』(1965昭和40年)

極東のシルヴィー・ヴァルタンこと(今勝手にそう呼んでみた)エミー・ジャクソンの40年のヒット曲。和製ポップス一号とも言われる曲ですね。涙のシリーズはどれもいいです。

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外交と映画リスト

特にテーマもなく今日読んだ記事をクリップしておきます。

"Teaching foreign policy with film"[FP]

映画で外交を学ぶというフォーリン・ポリシーの記事。リストは以下です。imdbリンクです。

1. Fog of War, An Errol Morris Film

2.   The Quiet American (Michael Caine version, not the original)  //  Graham Greene, The Quiet American and William Lederer and Eugene Burdick, The Ugly American

3.   Path to War //  Robert McNamara, In Retrospect: The Tragedy and Lessons of Vietnam

4. The Kite Runner //  Khaled Hosseini, The Kite Runner

5. Charlie Wilson's War //  Steve Coll, Ghost Wars: The Secret History of the CIA, Afghanistan, and Bin Laden, from the Soviet Invasion to September 10, 2001

6.  Black Hawk Down //  Mark Bowden, Black Hawk Down: A Story of Modern War (esp. Epilogue and Afterward)

7.  Hotel Rwanda (also Sometimes in April) /  Samantha Power, ‘A Problem from Hell': America and the Age of Genocide.

8.   Dr. Stangelove //  John Hersey, Hiroshima.

9.   Thirteen Days // Michael Dobbs, One Minute to Midnight: Kennedy, Krushchev and Castro On the Brink of Nuclear War

10.  Last Best Chance and Dirty War //  Graham Allison, Nuclear Terrorism: The Ultimate Preventable Catastrophe

11.  Paradise Now (also a Sri Lankan film The Terrorist) // Christoph Reuter, My Life is a Weapon: A Modern History of Suicide Bombing (also Robert Pape, Dying to Win: The Strategic Logic of Suicide Terrorism)

12.   Battle of Algiers // Alistair Horne, A Savage War of Peace: Algeria 1954-1962

13.   No End in Sight ( besides Fog of War, the only other documentary film shown)/  Thomas E. Ricks, Fiasco: The American Military Adventure in Iraq (to be replaced by Ricks' latest, The Gamble: Gen. David Petraeus and the American Military Adventure in Iraq, 2006-2008)

ということです。半分ぐらいしか見ていないですねえ。その中ではドクター・ストレンジラブがやはり一番面白いですね。このリスト、参考にしましょうかね。

"Leader of Japan’s Opposition Resigns"[NYT]

小沢氏辞任に関するファクラー氏の記事。小沢氏のキャリアや政治スタイルについて手際よくまとめています。小沢氏についてはあまり好意的なコメントを書いてなかったような気もしますが、個人的にはそれほど嫌いではありません。理想主義的なマキャベリストというのは政治家としては評価するタイプですし、こういうアジア的な空気を漂わす政治家には懐かしさとたのもしさを感じたりもします。ただ個人的には最近は時代に追い越された感がありました。90年代に小沢氏主導の内閣ができていたらなと思うことがあります。とはいえ記事にあるように民主党の足腰を強化したことは評価されるべきでしょうし、最近では国民に思考を促すという意味で-文字通りには賛成しませんが-第7艦隊発言はヒットだったと思います。

政界への道が「閨閥」から「世襲」へと移った背景にある問題[ダイヤモンド]

閨閥と世襲の関係を扱った記事ですが、うーむ、となりました。前時代的ではあるものの例えば欧州の階級社会などに比べて閨閥システムはエリート選抜制度としてそれなりの合理性と開放性を持っていた。世襲化は新しい現象であり、逆説的だが、価値観の多様化や女性の人権、地位向上、小選挙区制度の導入といった民主主義の進展が背景にある。記事はこれは過渡的現象であろうが、もし階級社会の固定化を促すようならば、なんらかの世襲制限は必要かもしれないとしています。これは政治学の世界でよく言われる話なのでしょうか。他の時代や他の国のことを考えたりと、ちょっと思考を促す記事ですね。

欧州経済:新たな序列[Economist]

エコノミストもなんだか元気のない論調になっていますが、これもそんな感じですね。大陸欧州モデルと英米モデルとどちらがいいのかみたいな話はかなり話を単純化しているように思えるのですが(イデオロギーは別にして英と米でも実はわりと違いますよね)、不況の間は欧州モデルの利点がでるかもとしています。景気回復は英米のほうが早いもんね、とつけ加えていますが。不況に強いというのはそうなのかもしれませんが、不良債権の問題が気になって仕方ありません。ちなみにエコノミストはフランスの左派メディアからはウルトラ・リベラルと呼ばれて憎まれてきましたのでこの記事にはつかの間の勝利感を覚えたのではないでしょうかね。ふふ。

"Continuing controversy of 'comfort women'" [Japan Times]

ソー氏の慰安婦本のジェフ・キングストン氏による書評。一見、日本の右派が喜びそうな議論のように見えますが、それは韓国社会における女性の問題を専門とするソー氏の意図するところではないでしょう。未読ですけれども。なお評者は和解が遠のくと嘆いていますが、個々の問題はともかく、国と国の間の話ならば、過去を引き摺りつつ時に喧嘩しながらでも前に進んでいけばそれでいいのではないでしょうかね。歴史は飛躍をなさず、だらだら続くよ、どこまでも。

ではでは。

追記

細かい部分で修正しました(2009.5.13)。言わずもがなですが、いわゆる歴史問題などどうでもいいという意味ではないです。

[本日の一曲]

http://www.youtube.com/watch?v=GwO2MQAspAs&feature=related

坂本スミ子『夜が明けて』(1971年昭和46年)

ラテンの女王様のスキャンダル後の復帰作ですが、この曲調いいです。

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憧れの杜氏たち

まとまったことは書けそうもないので記事のクリップを続けます。

"Communist party surges as Japan's economy withers" by Eric Talmadge[WaPo]

APのタルマジ記者による日本共産党の近況報告。不況とともに、特に若年層の間で、人気がそれなりに集まりつつあること、志位氏がメディアで人気者であること、党勢は国政では弱体であるが地方では強いこと、全般に政界が保守化している中にあってチェック&バランスを果たす機能を果たしていることなどが書かれています。日本の政界をウォッチする上で特筆すべき存在なのかどうかは別にして、また資本論や蟹工船の漫画とかはネタとして微笑むだけにしておくとして、だいたいそんな感じなのでしょう。似たような趣旨のわりと好意的な記事としてはタイムのコレがあります。冷戦崩壊の影響をそれほど受けずに先進国では最大級の共産党が日本に残っているという現象はやはりなにか不思議に見えるのでしょうね。他の国ならば別のものが手当てしているような層がいて日本では「土着化した」共産党がその役割の一端を担っているということなんでしょう。党勢回復はあっても躍進とまではいかないのではないでしょうかね。

"The conservatives undaunted"[Observing Japan]

日本はミドル・パワー路線でいくべきであり、「保守」は危険であるというのがハリス氏の基本的なスタンスですが、安倍元首相のワシントンでのスピーチと中川氏の核の議論の必要性に関する発言をとりあげています。とりわけ中川氏の発言に関しては公論において感情的な反発ではなく理性的な批判が必要だとだいぶ懸念しているようです。心配せずとも、政治的ハードルが高すぎる独自核については「現状では」現実的でない選択であることはよく理解されている話だと思われます。ちなみにテレグラフがこの件で軽く煽っていました。えーと、憲法9条で禁止されている訳ではないんですよ。

引っかかるのはハリス氏の言う憲法改正と「保守」の関係です。氏の言説では憲法改正は「保守」のアジェンダとされているのですが、それは正確ではないでしょう。「保守」でない改憲論者というのもいる訳ですし、9条問題にオブセッションを抱いている人ばかりでもない。また憲法改正とミドル・パワーも別の話でしょう。憲法論と国家戦略論は別の問題であってミドル・パワーを標榜する改憲論の立場だってあり得る訳ですから。とはいえビッグとかミドルとかスモールと言っても結局、自己イメージをどう持つのかとか国外向けのブランド戦術の話でしかないようにも思えてきます。それが重要ではないとは思いませんが、漠たる話に感じられます。

"Integrity needed in journalism"[Japan Times]

"Shukan Shincho's responsibility"[Japan Times]

ジャパン・タイムズの社説二本ですが、それぞれ講談社と週刊新潮の問題を扱っています。精神科医がクライアントの個人情報を提供したとされる事件と朝日新聞襲撃に関する例の記事の話です。内容は日本語圏で報じられている通りですが、ここで述べていることを自ら実行することをジャパン・タイムズには求めます。なおこの件で擁護する気はさらさらないですが、週間新潮の話には微妙な感想を持ちます。必ずしも週刊誌の良い読者ではないですが、ろくでもない記事に塗れつつもそこにジャーナリズムの場所があるのもまた事実であってそこまで一緒に萎縮するようだと困るなという思いもするからです。ただ今の週刊誌の形式がなにかずれている感じはあります。遠くない将来に再編されるのでしょう。

"Manifesto of a Comic-Book Rebel"[NYT]

劇画の生みの親とされる辰巳ヨシヒロ氏の『劇画漂流』の英訳版の紹介記事ですが、漫画史に占める劇画の位置について基本的な説明がなされています。ふむふむと読んだのですが、最後で躓きました。村上春樹って・・・あるいはこの意外な連想になにかを読み取るべきなのかもしれません。話を戻すと、藤子不二夫の『まんが道』にも似た自伝ですが、戦後の風俗史としても面白いのでおすすめしておきます。ところでフランス語訳は知っていましたが、辰巳氏は各国語に訳されているのですね。社会派漫画みたいな受け止めなんでしょうか。漫画についてあまり偏ったイメージになるのも困りますから訳者に敬意を表しておきます。歴史的なパースペクティヴが得られるような地味な作業はひっそりと進行しているようです。

"Japanese whisky leaves traditionalists on the rocks"[Guardian]

中学生の頃には杜氏は憧れの職業でした。今も酒造りの人々には敬意を抱いています。ニッカの余市とサントリーの響が昨年のウィスキーのワールドコンテストで優勝し、英国進出を目指しているというマッカリーさんの記事です。竹鶴政孝とスコットランド人の妻リタによる日本におけるウィスキー史のはじまりにも記事の最後で簡単に触れています。竹鶴についてはこのサイトで概要がつかめます。かなりの情熱家のようですね。いい顔をしている。

"Although some Japanese people are the last to believe in the quality of their own products, their malt whiskies are as good as any in the world," said Chris Bunting, an expatriate Yorkshireman who blogs about the country's whisky at Nonjatta.

とバンティングさんも言っておられますが、ニッカのウヰスキーは美味いと思います。余市よいとこ一度は行くべし

2009年4月20日・4月21日[ムネオ日記]

先日の谷内氏の3.5島発言は不可解で理解し難いです。国内世論向けの観測気球のつもりなのかとも思ったのですが、先に手の内を明かすメリットがよく見えません。この問題で内閣と外務省は統一的に行動しているのでしょうかね。

バルチック艦隊司令長官の手紙 ロシアで発見[朝日]

もうひとつの日露戦争 新発見・バルチック艦隊提督の手紙から [著]コンスタンチン・サルキソフ[朝日]

コメント欄で教えていただいたのですが、サルキソフ氏が発見したロジェストウェンスキー中将の書簡と書籍についての一昨年前の記事です。この話見逃していました。司馬遼太郎の描いた提督像とは大きく違い、日本海海戦の敗北を冷徹に予測していた将であることが書簡からは分るといいます。「坂の上の雲」を読んだのはずいぶん前の話なのでそこで中将がどう描かれていたのか具体的な記憶に乏しいですが、愚将のイメージは確かに残っています。いつかこの本には目を通さないといけないですね。ネットソースでは子孫も加わった日露戦争百周年会議に参加された方の記した文章がありましたが、軍人さん同士の心の連帯が感じられます。日露戦争はいろいろな意味で本当にすごい戦争ですが、集合的な記憶からはだいぶ抜け落ちてしまってますね。90年代には1930年代にリアリティーを感じることが多かったのですが、今はこの時代のほうにリアリティーを感じることが多いのは不思議な話です。論壇もこっちのほうに目を向けるべきではないでしょうかね。激しくレベルは違いますが、この時代と同じことを言っているだけのような気もするんですよね。

[本日の一曲]

http://www.youtube.com/watch?v=M4O1di7fmW8&feature=related

沢田研二『時の過ぎ行くままに』(1975年昭和50年)

研二サイコ-。

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テマルですか

フランス領ポリネシアでまたしても政権交代があり、オスカー・テマル氏が大統領に返り咲いたようです。なんだか訳が判らない展開ですが、個人的に目が離せないのでメモしておきます。

"French Polynesia elects president"[BBC]

パリの肝いりの中華系のガストン・トン・サン大統領が不信任決議の動きを受けて辞任し、選挙の結果、オスカー・テマル氏が大統領に選出されたということです。テマル氏は独立派の英雄的な人物ですが、ここ5年ほどで4度目の大統領就任とされます。簡単に振り返ると自治派のガストン・フロス氏の政権が20年ほど続いた後に、2004年にこれが破られ、その後、7回も政権交代が起こり、非常に不安定な状況が続いています。なお慣例に従ってpresidentを「大統領」と訳してますが、独立国家ではありません。それでパリとの距離をめぐって自治派と独立派の角逐があった訳ですね。ちなみにこれは2004年のテマル氏が大統領に就任した際のビデオです。http://www.youtube.com/watch?v=xEe-KMbPQZM

"Oscar Temaru élu à une large majorité président de la Polynésie"[Le Point]

それで今回の選挙では自治派がテマル氏の支持に回ったことが勝因であったとされます。この30年来の宿敵であるテマル氏とフロス氏の同盟は両者によれば「ポリネシア人がもはやパリから操作されることを望まず、自分達の運命を自分達の手に掴むことを決めた印」であるといいます。ポリネシア経済も世界的な危機の影響を受けて観光業が低迷している模様で、テマル氏は演説で一致団結して経済危機を乗り越える必要性を訴えたとのことです。これから議会の議長の選出と組閣、副大統領の選出がなされる予定になっているようです。

独立派と自治派と言いますが、両者の距離は徐々に縮まってきているとされます。テマル氏も性急に独立宣言をしないことを誓い、漸進主義的な独立路線に転換し、フロス氏もより高度な自治を目指す方向に転じているとされます。両者は政治的には宿敵ですが、私的には親友でもあるといわれていて、今回の選挙で両者が同盟し、テマル氏が2004以来初めて絶対多数を握ったのは大きな流れから見るとそれほど不自然にも思えません。前回の大統領選挙でトン・サン氏に対して両者が手を握った際には「不自然な同盟」などと言われていましたけれども。

"Une élection sans enthousiasme : réactions"[Tahitipresse]

地元紙の報道を見ると、今回の選挙は盛り上がりに欠けていたとされますが、インタビューなどを見ると、とりあえず絶対多数の安定政権が誕生したことを進歩と見たいと考えている人が多いのかなという印象を受けました。熱狂の欠如がなにに起因するのかの解説はありませんが、普通に考えて政権交代の頻繁さへの飽きと経済の低迷が最大の原因と考えてよさそうに思えます。

さて、親仏派のトン・サン氏の政権が倒れたことでパリとの関係が今後の焦点になってきそうです。フロス氏にせよテマル氏にせよ中央政府からはあまり好かれてはいない人物ですので。差し迫った経済の問題もあるのであまり激しく対立もできないでしょうねえ。ともかくこの政権で安定した統治が実現されるといいです。政情の不安定が経済に打撃を与えてきたと言われますから、まずそこからでしょうね。

それでは。

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テレグラフもなあ

"Japan’s Historical Memory: Reconciliation with Asia" by Kazuhiko Togo[Japan Focus]
東郷和彦氏の歴史問題についての論考。先の大戦の認識に関する左派と右派の飽く事なき言論闘争がもたらした国論の分裂を克服すべく中道派は結集し、功罪含めたバランスのとれた認識を打ち出すべく自らの立場を強化せよとのこと。前にリンクしたジェニファー・リンド氏の提言に呼応しつつ「アジアとの和解」の道筋を描いています。後者の論点について言えば、国内でゆるいコンセンサスが生まれるまでは下手な動きはすべきでないでしょうね。リンド氏も言う通りこじらせるだけでしょう。国論の分裂状態を克服すべきだという点については誰のためでもなく我が国のためにそうした方向に向けた動きがあってしかるべきでしょうねとは思います。もっとも自由民主主義国においては意見の多様性がある以上は難しい話ですが、言論の世界のあまりに極端な分極化とそこに飽きたマジョリティーの無関心といった事態が進行することは望ましくはないでしょう。新刊は未読ですが、氏の言動の背後に東郷家のパーソナルな歴史をぼんやりと思い描いていたのであるいはそこに触れているのかもしれません。それとこれは如何ともし難い話ですが、私はやはり東郷氏の言うmy generationに属していないので温度差があるような気がします。いや、これは世代とは関係ないのかもしれませんが、できるだけ距離をとって「理解」したいという感じですね。なお英語圏においては左右の極論ばかり紹介される傾向がありますので中道派の声を英語にすることはそれだけで意義があると思います。ともかくこの実務に長けた分厚い層が大人し過ぎるのが日本の言論の世界の最大の問題だといつも思いますね。

"So Now the US is Trying to Emulate Japan's Lost Decade?" by Yves Smith[Japan Focus]
まあこの記事そのものはどうということはないのですが、いつも見ているnaked capitalismのスミス氏の記事がJFに掲載されていたので。アメリカは日本の90年代と同じ運命を辿るのだろうかという疑いを表明しています。いろいろ懸念もありますし、後遺症に苦しむことになるのかもしれませんが、多分アメリカはそうはならないだろうと今でも思っています。なぜこの記事がJFに掲載されたのか考えたのですが、今ひとつよく判りません。ともかくJFはもっと論調を多様化すべきです。読める記事もありますが、少な過ぎます。

"Japan concerned over US relations with China"[Telegraph]
中国海軍のソマリア沖派遣は国内外ともに大々的に報じられていますが、日本の懸念については英語圏ではこの記事が扱っていました。日本はオバマ政権の日本軽視と中国への接近を怖れている、海自の派遣には公明党と憲法の制約といった障害があるといった基本的な事柄が書かれています。ソマリア沖については前からけっこう騒がれていましたし、安全保障関係者は提言もしていたのにあいかわらず日本の動きは鈍いですね。この件に関してインド側のリアクションが知りたいところです。それはともかくテレグラフの日本ページがけっこう無惨なことになっていますね。コリン・ジョイス氏以降はどうにもならないようです。ジョイス氏の告白に書かれたように新米記者がデスクの注文仕事をさせられているだけなんでしょうけれども。そうですねえ、日本にはイエスの子孫もいますけれども、唯一神そのものが存在していますよ、こちらのほうが凄いと思うのですが、取材したらどうですかね、どうなっても知りませんけれどもね。

"Koons reste à Versailles, n'en déplaise à l'héritier de Louis XIV"[Rue89]
ヴェルサイユでジェフ・クーンズの展覧会を開催しているらしいのですが、そこに展示されている「ピンク・パンサー」という作品がフランス王家の子孫の気にえらく障ったらしく訴訟沙汰になっています。この子孫氏はルイ14世とマリ・アントワネットの直系の子孫にあたる人物だそうでその名もドつきのシャルル・エマニュエル・ド・ブルボン・パルム氏というなんとも高貴なお名前です。この獣と熱情的に対話をする女性の表象はご先祖様への敬意を欠いていると上品な口調で憤慨しています。獣姦は古代からそしてアンシャン・レジーム下でも禁止されていた、っていったいいつの時代の話ですか(笑)。ことごとく王家に物事を関連づけないと気が済まないようで、なるほど由緒の世界の住人の方のようですね。ヴェルサイユ城は国有財産だということで訴えは退けられたそうです。

追記
国連総会に同性愛の非犯罪化求める宣言案提出、66か国が賛同[AFP]
「性的指向や性同一性がいかなる状況でも極刑や逮捕、拘束を含む刑罰の根拠とならないよう法的および行政的を含めたあらゆる必要措置を取ることを求める」と謳われた宣言が国連で出されたようですが、日本はアジアで唯一の支持国だったようですね。この宣言に関連した教皇猊下の発言は西洋諸国ではずいぶんと波紋を呼んでいるようです。

"Gay scene: Tolerance, legal limbo"[JT]
同性愛をめぐる日本の状況についての解説と各氏のインタビューの記事。確かに同性愛に対して寛容なのか不寛容なのかよく判らない国ですね。世界に冠たる同性愛文化の歴史を誇り、宗教的原理勢力もほぼ存在せず、ホモフォーブによるヘイト・クライムのニュ−スなども聞こえない訳ですが(多分イメージと違ってフランスでもこういうニュースはあります)、寛容というよりはあまり関心がないといったほうがいいような気がしますね。アイデンティティー・ポリティックスに疲れて日本に来て「解放」されている欧米系の方はけっこういらっしゃるようですけれども。

"It took more than three decades for sexual minorities to begin obtaining rights in the U.S., but Japan does not have any religious restraint," he said. "We just need one small start, which will hopefully trigger a larger movement for the rights of LGBTs."

と記事は締めくくられていますが、法的権利運動となるとどうなるのでしょうか。不必要な敵対的修辞や上から目線の啓蒙的修辞を避けて「まごころ」的アプローチをとれば案外するっといきそうな感じは確かにありますね。これまでの運動が辿った悪いパターンを踏まなければ。

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今さらですが

戦後史のなかの日本社会党?その理想主義とは何であったのか (中公新書) Book 戦後史のなかの日本社会党?その理想主義とは何であったのか (中公新書)

著者:原 彬久

販売元:中央公論新社
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2008年の師走のこの忙しい時期に日本社会党の歴史を個人的に回顧することほど無益なことはまたとあるまいという気もしてきますが、やはり戦後政治史を回顧するにはこの政党を無視することはできません。社会党関係の書籍も折にふれてそれなりに目は通しているのでありますけれども、率直に言って少数を除くと現在の目から見て面白く思えるものはほとんどありません。本書は社会党の通史ですが、戦後政治とはなんであったのかという問題意識に貫かれているため社会党そのものに興味のない人にでも読める内容になっています。明晰かつバランスのとれた記述スタイルで非常に読みやすいですので政治に多少とも関心のある人ならば読んでおいて損はないでしょう。たぶん途中から気が滅入ってくると思いますが。一部だけ紹介します。

現在の目から見るならば、どうしてもあり得たかもしれない戦後史の視点、条件法過去の視点において回顧する他ないのですが、そうした視点から見るならば、やはり敗戦直後から片山政権時代に特に興味を惹かれます。社会党の思想的、運動的水脈は言うまでもなく戦前の無産運動に遡ります。農民労働党転じて労働農民党が分裂した結果生まれた代表的な三つの潮流たる日無系、日労系、社民系、この三派がそれぞれ後の社会党左派、中間派、右派を形作ることになった事実は著者も強調するようにこの党を理解する上で最も基本的な事実として想起されなければなりません。この三派が戦後になっても党内の路線対立や派閥対立の軸をなすことになるからです。日無系は共産党の支配を嫌った労農派マルクス主義者を中心としますが、最終的に社会主義革命を理想としている点では共産主義からさほどの距離はないイデオロギー集団です。次に日労系ですが、総力戦体制と深い結びつきを持っていた集団で岸新党いわゆる護国同志会のメンバーが多数含まれていたことでも知られています。以前紹介した雨宮氏の分類では「高度国防派」と「社会国民主義派」ですね。最後に後に民社党へと分裂することになる右派の社民系ですが、マルクス主義の影響の薄いこの集団のリーダーたる西尾末広が社会党結成の立役者であったこと、当初は社民系と日労系が中心で左派の日無系は少数派であったことが重要かと思われます。

また社会党党首として当初は徳川義親侯爵、さらには有馬頼寧伯爵を党首に担ごうとした点も興味深いです。前者は徳川19代当主にして戦前の軍部右翼の「国家改造計画」への関与で有名であり、後者は大政翼賛会事務局長で鳴らした人物といった具合に初期の社会党は総力戦体制の香りの濃厚な政党であった訳です。かくして結党大会において社会主義者達によって天皇陛下万歳や国体護持の称揚が堂々となされたこともなんら不思議ではありません。最後に党名論争においてマルクス主義階級闘争論に立つ日無系が「社会党」を望み、反共かつ議会制民主主義を重視する社民系が「社会民主党」を望んだこと、階級政党なのか国民政党なのかという問題が既に党名で争われた点が重要でしょう。日本名「日本社会党」英語名「ソーシャル・デモクラティック・パーティー・オブ・ジャパン」という意味不明な—考えてみれば意味深長な—妥協に終わった訳ですが。

戦後初の衆参総選挙で第一党に躍進した結果、社会党、民主党、国民協同党の連立による日本で最初の社会主義政権たる片山哲内閣が成立した訳ですが、著者によれば、戦後的な意味における「革新」を呼号するこの政権が社会党右派主導政権であった点が重要とされます。固定化してしまった社会党のイメージとは大分違っているのですね。第二に経済安定本部、いわゆる「安本」長官に企画院事件に連座した革新官僚たる和田博雄が就任したことは「安本内閣」と呼ばれるほどにこの政権にとって大きな比重をもつ事実であったとされます。個人的に企画院→経済安定本部→経済審議庁→経済企画庁の流れに関心を持っているのですが、安本に集った統制主義の革新官僚や社会主義者の面々にはある種の感慨を抱かされます。最後にここまでGHQの対日占領政策への応答が外交のすべてであったステージを脱して「日米共同防衛」構想を提出した点が戦後史における重要な転換点と評価されています。冷戦の高進にともない芦田外交が始動し始める訳ですが、本書ではガスコイン英代表との会談の内容について芦田メモから紹介されています。ここから伺えるのは後の日米安全保障体制の下絵が社会党右派と保守派の協同によって描かれたという事実です。少なくともこの時期の右派優位の社会党は欧州的社民主義を志向して資本主義陣営との連携を模索していたという点が重要でしょう。

私個人としては社会党の歴史で興味深いのはどうやらこの55年体制完成以前に限定されているようです。ある意味で社会党が最も輝いていた安保騒動については華麗にスルーすることにします。ま、その非現実的な目標は別にして社会運動史的文脈において全否定はしませんけれども。批判はしても全否定はしない主義ですので。また1960年代の構造改革派の江田三郎ブームをうまく利用すれば、欧州的社民主義ないし市民主義政党に脱皮してあるいは党勢を回復することもできたかもしれませんが、原則論において議会制民主主義を否定し、国民の代表たることを拒否している左派優位が決定的になって以降は勝利などあり得なかったという話です。自己改革能力を失って以降の路線対立も派閥争いもその哀れとしか言いようのない外交政策からも学ぶべきものはないでしょう。社会進歩的提言を時にはなしたこと、容共勢力を内部に抱えたことで日米関係強化に逆説的に貢献したことなどを取り分として認めることもできるかもしれませんが、後者は望んだものではないですからねえ。自由党と民主党の二大政党で戦後再出発していたら・・・とか岸信介が右派社会党に入党してあの恐るべき権謀術数で左派社会党を壊滅してくれていたら少なくとも欧州的な保守と社民主義の対立構図にもっていけただろうに・・・とか歴史にifを持ち込んではいろいろ考えてしまいます。

終章の「日本社会党の理想主義」で著者の社会党の評価が端的に示されています。通常の議会制民主主義において当たり前の権力移動システムが機能しなかった理由として社会党の「理想主義」を著者は重視しています。ここで著者は現実主義-シニシズムと理想主義-ドリーミズムの対概念で説明しようとしていますが、要は後者は前者の頽落形態であり、現実との接点を失って主観主義の牢獄に落ち込んだ社会党は心地よいドリーミズムに微睡み続けていた。また議会制民主主義が機能するためには「体制」へのコンセンサスが前提となるが、戦後日本の議会制民主主義はこの点で極めて脆弱であった。米ソ冷戦構造下にあって一方に自由主義、民主主義、資本主義を価値とする日米同盟にコミットする保守陣営がいて、他方に労働者中心の社会主義を標榜して中ソ北朝鮮に憧憬をよせる左派優位の社会主義陣営がいる。ここにおいては政権選択は「体制選択」そのものを意味してしまう。かくして政党Aに国民が不満を抱いているにもかかわらず、政党Bを選択することができない時政治不信は不可避のものとなる・・・

要するに戦後の政治エリートは国民に選択肢を提示することに失敗したということですね。私は別に戦後日本に対して自虐的ではなく胸を張って誇るべきだと思っていますが(「同時に」戦前を否定すべきだとも思いませんが)、やはり政党政治の成熟が遅延してしまったこと、安全保障体制の整備が中途半端に終わったこと、この二つの負の遺産が克服されるべき課題として残されていることは、カオス的な様相を呈している現在の政局を眺めるに日々実感されるところであります。もっともここ20年ぐらいずっと実感されるところな訳でありますが。とほほ。民主党内の元社会党のみなさんも「結党三人男」の精神を思い起こしていただきたいものです。彼らはそこまで愚かではなかったです。

おまけ
"Facing the Past: War and Historical Memory in Japan and Korea" by Gavan McCormack[Japan Focus]
エマニュエル・トッド氏言うところの「構造的反米主義者」—冷戦時代の亡霊—たるマコーマック氏がなにかまた呟いています。この記事そのものは特にコメントに値しないのでスルーします。日本に過去との直面を要求するのもいいですが、その前にあなた自身が自身の過去と向き合って自己批判することを私は待っています。Japan Focusの編集委員のみなさんはなぜこの道義的に疑わしい御仁を批判しないんですか。まあ似たり寄ったりの亡霊がメンバーに含まれていることは承知しておりますから最後のは修辞疑問です。人間ですから間違えることはあると思うのですよ、でもまずその事実を認めるところからすべては始まるのではないですか。それがないからいつまでも変われないんです。Yes, you can! 

"Back to the baths: Otaru revisited"[Japan Times]
ポール・ド.ヴリ氏による大先生の批判。読者欄でも呼応する声あり。ポール氏の「連帯責任」の説明には同意しませんが(アジアでなくとも起こりえる話です)、大先生のダーティーなやり口はもはや周知のところであり、今後も批判の声は高まるばかりでしょう。こんなやり方ではバックラッシュしか呼ばないなんてことは少しでも自国の移民をめぐる状況に真剣に思い悩んでいる人であればすぐに判る事柄です。最近はオバマ政権の誕生が自分の活動の正統性につながるなどといった甘い夢想を抱いているようですが、言うまでもなくそんなことはあり得ません。残念ながら公的に謝罪しない限りはあなたの汚名は消えません。あなたも変わらないといけない。Yes, you can!

追記
一部加筆しました(2008/12/12)。ちなみに社会党右派の指導者にして民社党初代委員長の西尾末広の自伝、それから革新官僚転じて社会党政審会長、国際局長の和田博雄の伝記はいろいろ考えさせられてなかなか面白かったです。特におすすめはしませんが。

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実に寒い一日でした

寝ぼけたまま半袖シャツで出勤したので寒い一日でした。真の阿呆ですね。以下気になった記事をクリップしておきます。テーマはまったくありません。

阿佐奈伎尓(朝なぎに)…万葉歌刻んだ最古の木簡が出土[読売]
紫香楽宮から万葉集と同時代の歌木簡が発見された報に続いて、明日香村の石神遺跡で出土した7世紀後半の歌木簡に万葉歌が刻まれていたことが判明したそうです。いやあ、発見が続きますね。

木簡は羽子板を逆さまにしたような形で、長さ9・1センチ、幅5・5センチ、厚さ6ミリ。万葉集巻七に収められた「朝なぎに 来寄る白波見まく欲(ほ)り 我はすれども 風こそ寄せね」のうち、万葉仮名で左側に「阿佐奈伎尓伎也(あさなきにきや)」、右側に「留之良奈●麻久(るしらなにまく)」の計14文字が2行にわたって、クギのようなもので刻まれていた。歌の大意は「朝なぎに寄せて来る白波を見たいと私は思うが、風が吹いてくれない」で、作者は不明。(●はニンベンに「尓」)

朝なぎに来寄る白波見まく欲(ほ)り我はすれども風こそ寄せね

年代測定の根拠は記事にある近くで発見された「己卯(つちのとう)年(679年)」と記された木簡なんでしょうか。遠方よりの客人のための饗宴施設や役所があったところだそうで、饗宴の席で詠まれたものと推定されています。実に微妙な時期でありますね。万葉学の深淵にはアクセスできずに、その周囲を経巡っているだけのただの素人でありますが、いっそうの解明が進むことを期待します。

保守政策の配当金は 危機の震源から遠い日本にも[FT]
近況報告みたいな記事なのでそうですねえという他ないですが、金融立国!のかけ声は当分聞こえなくなりそうな雰囲気ですね。最後は製造業があって羨ましいな、日本はということですね。英国の次の一手が楽しみです。国内消費はどうしたら高められるのでしょうねえ。ふう。

"Robot girl mix up"[Guardian]
少女ロボット・スーツのニュースは私もあちこちで見て、ああ、またテクノオリエンタリズムか、とため息をついたのですが、考えてみれば、老人が少女のロボット・スーツを着るってすごい光景ですよね。というわけで「カット・アンド・ペイスト・ジャーナリズム」がいかにこの奇怪なマシーンをつくりあげたのかについての検証記事。ネタ元はザ・サンでしたというオチです(笑)。ネット情報からでっちあげたサンの記事が伝言ゲーム的に主要紙の紙面を飾るというのはかなり兆候的な現象だと思います。実はいわゆる一流紙ですら取材をせずに在日外国人のブログやフォーラムをソースにして記事を書くパターンは珍しくないんですね。いくらでも例はあります。そのうち私もメイキング・オブのエントリを書きましょうかね。

Olivier Besancenot : "Avec la crise, un chapitre des possibles est en train de s'ouvrir"[Le Monde]
前に紹介したフランスの「左の左」のブザンスノ氏のインタビュー。2009年の1月に例の反資本主義新党の立ち上げが決定しているようです。このたびの危機について可能なるものたちの一章が開かれつつあると述べております。労働者、消費者が監督する唯一の公的銀行サービスの下に全銀行を統合せよとか、今や社会変革の必要にして可能なる時なのだとか語っています。このキャラクターがうけるのは判るのですが、反資本主義派はどのぐらい支持を集められるのでしょうかねえ。共産党から国民戦線へ流れた層を引っ張り込めるかどうか。はるかに生温いですが、なんだか1930年代みたいな話ですね。Rue89に新党結成の舞台裏の詳細を伝える記事がありましたので仏語読みはどうぞ。

"The Great Illusion" by Paul Krugman[NYT]
クルーグマン氏が第二のグローバル化が終焉するのではないかという不安を語っています。以下、多くの人々が懸念とともに想像している図柄でしょうけれども、氏が語るのはそれはそれで意味があるのでしょう。訳ではありません。グルジアは兆候だ。第一のグローバル化が唐突に終焉した後に来たのは、民族主義の時代だった。食料危機を考えよう。食料自給なんていうのは古くさい考えで世界市場からの輸入に頼ればいいとされていたのが、食料の高騰とともに、ケインズの言う “projects and politics” of “restrictions and exclusion” が復活した。民族主義と帝国主義に戻ろう。グルジアは経済的にはたいした意味はないが、パクス・アメリカーナの終焉を画している。欧州のロシアへのエネルギー依存は中東への石油依存に比べても危険に見える。ロシアはウクライナに供給停止をして既にガスを武器に使っている。ロシアがもしその影響圏への支配を武力でもって主張したならば、他の国はこれに続かないだろうか。中国が台湾に武力侵攻した時に起こるだろうグローバル経済の混乱を想像しよう。そんな心配はいらぬと言うアナリストもいる。グローバルな経済統合は戦争から我々を守ってくれる。なぜならば繁栄する交易経済は軍事的冒険主義を妨げるだろうから。第一次世界大戦の後に19世紀イギリスの作家Norman AngellはThe Great Illusionという有名な本を出版したが、そこでは現代の産業時代にあっては軍事的勝利で得るものよりも失うもののほうが多いと論じられている。第二次グローバル化の基礎は第一次のそれよりも堅固だろうか。ある意味はイエスだ。例えば西欧民主主義諸国の間での戦争は考えることすらできない。経済だけではなく価値によっても結合されているからだ。しかし世界の国々はこうした価値を共有しているわけではない。征服がペイするというのは大いなる幻想だという信念を述べている点でAngellは正しいが、経済的合理性が戦争を抑止すると考えるのもまた大いなる幻想だ。今日のグローバルな経済的相互依存は想像する以上に脆弱なのだと。まあ実際に経済的合理性で動かない国だらけですからねえ。困ったもんです。というのは暢気すぎるコメントですが。

"Baltic Dry index at lowest since 2002"[FT]
第一次グローバル化がなぜ終焉したのかについて保護主義よりも輸送コストの果たした役割が大きいという論文については前に紹介しましたが、輸送関係のニュースです。de-globalizationの傾向は海運に現れそうですので、注目したほうがいいでしょう。

The cost of shipping bulk commodities such as iron ore, coal or grains on Thursday tumbled to its lowest level in more than six years as recession fears intensified and the difficulty of obtaining trade finance left many ships without any cargo.

The Baltic Dry Index, a benchmark for shipping costs and seen as an indicator of global economic activity, fell 6.75 per cent to 1,506 points, its lowest level since November 2002. The index has plunged 53.2 per cent since the end of September.

The average daily cost for the largest dry bulk vessels – known as Capesize and used mostly to ship iron ore from Brazil and Australia to China – on Thursday sunk 11.4 per cent to just $11,580 a day.

この海運の輸送コストを示すバルティック・ドライ・インデックスが2002以来11月以来最低レベルに達しているそうです。9月末からでは53,2%も低下しているとのこと。またブラジルやオーストラリアから中国への鉄鋼石の輸送に用いられるケイプサイズとして知られる輸送船のコストも低下中。そのため輸送船を出せない状況だそうです。この海運市場のクラッシュですが、特に大型輸送船の蒙っている損害が大きいようです。また中国の需用低下の影響が現れているとのこと。さらに金融が引き上げてしまったためにトレード・クレジットのレートが急上昇している模様です。タンカー輸送の市場も打撃を受けているとのこと。むう。デグローバラズしていますね。

"The Okinawan Alternative to Japan’s Dependent Militarismby Gavan McCormack"[Japan Focus]
Client Stateが翻訳されたばかりで(邦題は『属国』でしたか)最近は沖縄にご執心のマコーマック氏です。韓国の建国記念の際には道徳性を装ったプロパガンダ記事を書かれていましたね。とっても分かりやすいお方です。この記事についてはコメントいたしません。私は沖縄についてこんな風に「べき論」を高らかにそして気安く語る非沖縄県民を軽蔑しているのですよ、日本人だろうが非日本人だろうがね。ところで、あなたはポルポト裁判を傍聴して自己の認識を公的に表明する道義的義務があると思うのですが、こんなところでなにをやっているんですか。道徳警察官を気取るのはまったく趣味ではないのですが、訳書が出たことですし、この御仁を持ち上げる人も出そうですから釘を刺しておきます。こんなことを言っても、愚か者達が呼び合うのは世の常ですけれどもね。これはイデオロギーに免疫がなく人を疑うことを知らない善良な人々に向けた忠告だと思ってください。私は善良な人々が惑わされ騙される光景はもう見たくないんですよ。賢くなってくださいね。

ではでは。

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shikata ga nai

「仕方がない」あるいは「しょうがない」というフレーズを日本人の心性を凝縮したようなものとみなし、市民性の観点からこの心性を批判するのが啓蒙派の紋切り型になっていることはご存知の方も多いでしょう。怒れ、日本の市民よ、といった具合に。それは日本の市民派ばかりでなく日本人に説教したい外国人がよく言っていますね。さすがに極東の地において樹立さるべき近代的社会規範とは相容れない「封建遺制」みたいなものとしてこれを激しく糾弾する一種の文化革命派みたいなのは稀少になってしまいましたがね。あるいは、しょうがないではない、それでは敗北主義だ、日本人も戦わなくてはならないのだ、といった勇ましい用法もあり得ますかね。外国からの理不尽な要求に諾々と従うことはない、時には毅然とノーと言わねばならないのだ、みたいに。それから仏教的起源をもつ「仕方がない」の精神は西洋的なセルフとは別のセルフの可能性をもつものであり、キリスト教起源のセルフ概念を至上のものとみなすのは文化的傲慢と偏見に過ぎないといった反批判だってあり得るでしょう。

それで私はと言えば、shikata ga naiだのmottai naiだのkatajike nai(それはない)だのといったワン・フレーズでもって日本社会や日本文化全体を理解した気になるような知的怠惰に対しては日本人だろうが非日本人だろうが批判的なわけですね。こういう問題設定では議論はしたくない。といっても通俗的な日本論に飽き飽きしているだけなので日本文化などはないとか日本は存在しないとか無茶な主張をするような観念論的な立場をとるつもりはないです。ただ日本をそう簡単に語るなよということです。実際、「仕方がない」というフレーズがこの島国において日々発され、また私自身もよく口にしている事実を認めるにやぶさかではありません。例えば、またくだらない日本人論かよ、しょうがないな、いや、しょうがないじゃない、真の国際交流のためには他者の誤れる認識を正すことも必要なことなんだろう、ああ、面倒くさい、あのね、あなた、それちょっと違うんじゃないですか・・・といった具合にね(私も嫌みですね)。

私が関心あるのは私が日頃用いるだらしのない「仕方がない」ではなくて、深刻な受苦の経験において口にされる用法です。自然災害戦災において発される「仕方がない」、あるいは日系人達が異国の地において口にしたshikata ga naiです。前者についてはそのポジティブな側面について心理学者に解説されたりもしていますが(そうつぶやきつつ戦後復興を遂げたわけですからね)、後者については英語圏では文学作品化されたり、研究がなされたりしているようです。一世達がいつもいっていたあの言葉はなんなんだろうと二世、三世達が回顧するわけですね。ある意味では英語化した日本語のひとつなのかもしれません。キング・クリムゾンにもそういう曲がありましたね。

先の大戦でかのインターンメント・キャンプにおいてshikata ga naiがつぶやかれていたことはそれなりに有名な話なのでご存知の方もあるかもしれません。 ジャンヌ・ワカツキ・ヒューストンの小説Farewell to Manzanarではこのフレーズが呪文のようにたびたび繰り返されて作品のトーンを決定しています。残念ながら私はテレビ版は見ていないのですが、カリフォルニア州では学校の教材にもされているようですね。このインターンメント・キャンプにおけるgamanとshikata ga naiがいかに収容者達の精神を支えたのかについては日系人社会のアイデンティティーを規定するほどの意味を持っているみたいです。またカナダのインターンメント・キャンプにおいても事情はまったく同様であってshikata ga naiの精神によって日系人はある種の尊厳を維持したとされています。Joy Kogawa氏のObasanというやはりインターンメントの経験を扱った有名な小説がありますが、舞台は異なるものの二つの作品は非常に似ていますね。どちらも一世の苦難の物語です。私は北米の(南米も)日系人のブログもよく巡回しているのですが、そこでshikata ga naiがなにか崇高な響きとともに用いられることがあるのですね。wikipediaの説明の一部はたぶん一世の経験から来ているのでしょう。曰く、

The phrase has been used by many western writers to describe the ability of the Japanese people to maintain dignity in the face of an unavoidable tragedy or injustice, particularly when the circumstances are beyond their control.

と、これは私が用いるだらしない用法とはだいぶ違うわけです。いろいろ読んだり聞いたりしてみるに、日系人社会においてはshikata ga naiとgamanの二つは一世そのもの、「古い価値」そのものを象徴する言葉とみなされるまで意味づけがなされているようなんですね。そこに二世や三世が畏敬の念をもったり反発したりすると。沈黙し耐える一世、怒れる三世、その間で揺れ動く二世といったステレオタイプがあるようですね。日系アメリカ人はshikata ga naiとgamanのステレオタイプを脱してアメリカ社会の不正義に立ち向かわなければならないといったようなアジも見ることがあります。勿論世代論というのも神話的なものですから実際にはずっと多様なわけでしょうし、それほど政治意識の強くない人のほうがたぶん多いんでしょう。またこうした世代間対立に対して一世をshikata ga naiとgamanのナラティブに閉じ込めるのに抵抗するような試みというのも目にします。例えば、コレなどもそうですね。母は母なりにagencyを持っていたのだと。おしんのしんは辛抱のしんみたいな話でありますけれども、北米におけるshikata ga naiは日本のそれとは少々違うコノテーションがあるようですね。いえ、一世の方々がつぶやいたそれは多分日本のそれと変わらないのでしょうが、状況の相違から意味付けの仕方が違うのでしょう。そこにはなにかと偏見をもたれがちなアジア系の少数派という立場から来る葛藤だったり、また強制収容のトラウマ的な記憶とも結びついていたりといった具合になかなか複雑な背景があるわけですね。そういうわけで日系人社会におけるshikata ga naiは日本とは異なる文脈にあるフレーズと認識しておいたほうがいいような気もします。そういう意味では多分もう日本語ではないのかもしれません。

で、なんでこんなことを書いているのかというと、何年か前に三世に随分からまれたことがあっていったいこの人はなにを私に投影しているのだろうと疑問に思っていろいろ調べた記憶が蘇ったからです。それでなにが判ったということもないのですがね、あちらはあちらの文脈があってなかなか大変なんだなぐらいで。その時のことを想起させるような出来事があったのですね。今日はそういう日でした。はい。

追記
変な文章を修正しました。私の愛着のある国はデモ好きな国が多いこともあって日本国民もそれぐらいやってもいいんじゃないのぐらいのことは思わなくもないのですよ。でも政治的な意思の表現としてどういうスタイルをとるかはいろいろあってもいいんじゃないでしょうかね。短くコメントしておくと、私は別に人々は政治的アパシーだとは思いません、また日本国民はだいぶおかんむりですよ、ロジャーさん。それから私はWesternerではないですし、westernizedされた日本人みたいに呼ばれることは微笑みとともに拒否するぐらいには政治的な人間なんですが(ええ、あなたのthe Westが釣りであることは知っていますよ、え、マジですか)、匿名的であることと政治的であることは必ずしも矛盾しないと思うんですよ、マークスさん。the Westだのthe Eastだのの政治文化(ってなんだか判りませんが)の話でなくて一般的に言ってですね。そもそも大衆とは匿名的権力の別名ではなかったですか。また政治の定義如何でしょうけれども、ある意味これほど政治的な国民もそうはいないんじゃないですかね。そう思いますよ。まあお気持ちは判らないでもありませんがね。

追記

マルクスさん→マークスさん。マルクスの文化理論に興味があるらしいというと連想からか間違えました。失礼しました。

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