カテゴリー「安全保障」の27件の記事

民主党の中道化

政権の交代が確定的になってきた中で同盟に与える影響についての予測の記事がちらほら出るようになっていますね。FEERに記事があったので紹介しておきます。

"Change the U.S. Can Belive In" by Abraham M. Denmark[Far Eastern Economic Review]

民主党が主張していることは大まかに言えば「より独立的な」外交政策であり、「より対等な」同盟関係である。これまでのリーダーたちの発言は民主党が日本の独立性を高めるために同盟にラディカルな変化を求めるのではという懸念を米国にもたらしてきた。おそらくは日米地位協定、インド洋での給油、米軍のグアムへの移転費用、米軍基地縮小といったイシューが最初の数ヶ月間を支配することになろう。しかし日米同盟の劇的な変化はありそうもなく、民主党は中道化に向かうだろうと予測しています。

これまでの発言は自民党批判の選挙戦術であり、民主党の関心は内政イシューにある。民主党支持は国民世論のイデオロギー的左傾化ではなく自民党の統治能力への不満にある。民主党はさまざまなイデオロギー的支持者の間で妥協し、中道層に訴えなければならない。こうした民主政治の鉄則に加えて、民主党自体がイデオロギー的に多様である点から党の結束をはかるために中道化は不可避であると予測しています。

書き手の意見としては民主党が日本の国際的地位にふさわしい形に同盟が更新されるよう求めるのは正しいとしています。日米同盟は冷戦時代に形成されたが、未だにこの時代に束縛されている。交渉の席で日本側は「ノーと言う」かもしれないが、米国は日本側の期待に適応しないとけない。また民主党の側も軍事費増額や集団的自衛権の支持など自国の防衛に責任を持たなければならない。最後は

Change can be painful, and this will no doubt be the case in the future of the Alliance. But change can also be transformative, and a more equal relationship with a more capable Japan will be a net positive for American interests and regional stability.

とまとめています。だいたい穏当で建設的な意見だと思われます。民主党の中道化は既に顕在化していますね。言うべきは言って欲しいと思いますが、問題は民主党のヴィジョンが今ひとつ見えてこないところにあります。なにをしたいのか見えない点では自民党も似たようなものだとも言えますが、いくらなんでも社民党まで抱き込むとはねえ。結局、自衛権の問題はどう整理するつもりなのでしょう。また軍事費の増額についてはーGDP比1.5-2%ぐらいでしょうかーこのご時世には無理でしょうねえ。ふう。当面は地味な交渉が続くことになるのでしょう。


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優雅な報復攻撃能力の保有について

"The Homecoming of Japanese Hostages from Iraq: Culturalism or Japan in America’s Embrace?" by Marie Thorsten[Japan Focus]

イラク人質事件について英語圏でも論じられているのを何度か見ましたが、どちらかと言えばフェアなほうの批判記事でしょうね。「日本人のお上意識」を熱っぽく語る大西氏のNYT記事には軽く苛立った記憶がありますが、記事では日本の批判派もまたこの件をいつもの日本人論の枠内で理解しようとしていたと論じ、確かに日本的文脈はあるとしつつも、やはりアメリカでも同様のバッシングが存在した点から「犠牲者非難」の反応の共通性を指摘しています。only in Japanな話ではない、と。

異論がない訳でもないですが、日本の批判派や海外ウォッチャーが頼りがちな平板な文化主義的な解釈-十分に文脈化された解釈とは違う-に距離を置こうとしている論者の姿勢そのものは評価したいと思いました。勿論批判的な視座というものは必要なものですが、伝統芸能化した内外の批判の様式が気に入らないという話です。それはどこにも人を連れていかないし、なんの変化ももたらさない。

でこの事件そのものに戻ると、個人的に重要だったかなと思うのは、これがきわめてメディア的な出来事であったように思える点です。小泉政権下において右派からは共感とともに真実の民の声として、左派からは警戒とともに危険なポピュリズムとして、ネットの声という未知の存在が注目され始めたタイミングで生じたためにハレーションを起こす結果となった、そうした事件として個人的には記憶しています。その後、両メディア間での増幅効果が限定的なものにとどまっているように見えるのは、マスメディア側が考えたところもあるのでしょうし、ネットが一般社会に接近してかつての先鋭性と危険さを喪失して平常化しつつあるのもあるのでしょう。単に危険そうな領域に近づかなくなったからそう見えるだけなのかもしれませんが。

防衛大綱・自民素案「北策源地攻撃に海上発射の巡航ミサイル」[産経]

敵基地攻撃能力の保有を盛り込んだ自民党国防部会の出した防衛大綱素案が話題になっているようです。メモしておきます。

政府は敵基地攻撃は、敵のミサイル攻撃が確実な場合は憲法上許されるとするが、北朝鮮まで往復可能な戦闘機や長射程巡航ミサイルがない。素案は弾道ミサイル対処で、ミサイル防衛(MD)システムに加え「策源地攻撃が必要」と明記。保有していない海上発射型巡航ミサイル導入を整備すべき防衛力とした。

ということなんですが、もう少し具体的な情報が欲しいところです。ところで前から思っているのですが、「策源地」と「敵基地」はどちらも英語だとbaseだと思うのですが、日本語では前者のほうが非限定的で、後者は限定的に感じられます。どうなんでしょう。用法を見ていると、策源地のほうが融通性がきく、遊びのある概念のように見えなくもないのですが(違っていたらすみません)。

敵基地攻撃能力だけでは弾道ミサイルを防ぐ事は出来ない[週間オブイェクト]

弾道ミサイルへの対策としてはMDが主軸であり、敵基地攻撃はあくまでも従である、イラクの「スカッド狩り」も穴だらけであった、実際、北朝鮮の弾道ミサイルに対抗するのに都合のいい兵器があるなら教えて欲しいと述べています。この件は政治的な意味合いが強いと思っているのですが、そこには軍事的リアリズムの裏打ちがなければいけない訳でふむふむとなりました。象徴的には大きな変化のように見えますが(この能力の保有のアイディアそのものは当然の自衛権の範囲だと思います)、コスト的、技術的な問題から現実化されたとしても半島有事の際に補助的に機能するかもしれない能力程度のものになるといったところでしょうか。

Separated by a common enemy[Observing Japan]

なんだか粘着しているような気もするのですが、基本的には優れたブログだと思っているので。敵基地攻撃能力が地域の状況に与えるかもしれない影響について考察しています。日本の北朝鮮へのアプローチと米国とのそれには違いがある。日本は自国の安全の観点であるが、米国の関心はより広い。世界的な核拡散の問題への懸念に加えて米国には日本との関係ばかりでなく韓国との関係もあるからだ。米韓同盟と日米同盟の相反する要請は日米同盟にやっかいな影響を与える。米国の言動は韓国のことを考えなくてはならず、抑制的なものとなるが、これは日本側に不安を与える。米国側が日本の自立的な先制攻撃能力の保有を懸念するとしたら、それは日本が自国の安全保障上の理由で動くことで他の国にダメージを与える可能性があるからだ。実際にはこれはありそうもないシナリオではあるが、もし日本がこの能力を保有するならば、他の諸国に与える影響について責任をもって考慮しないとけない。地域の安全と安定は日本の国益であり、この点を自覚することで日本の指導者は米国の努力をより評価できることになるだろう云々。

原則論的な反対という訳でもないようですが、どういうベネフィットがあるのか不透明である、また敵基地攻撃能力を保有するとして実際にそれを行使するにあたって自国の安全のみならず地域の安定に貢献するよう思考しなければならないという考えのようです。日米に限らずあらゆる同盟には同床異夢の側面があると思いますが、パースペクティヴの差そのものについては埋まらないところがありますね。現状では調整可能な範囲だと思いますが、今後日本側のいらいらが募ることになるでしょう。

"Japan Debates Preparing for Future Preemptive Strikes against North Korea"[pdf]

2006年に書かれたこの論文では法的、技術的、財政的問題から言ってこの構想はincredibleであり、これは国内向けの政治的な議論であるとしています。本気ではない、と。実際、国内向けの要素もなくはないとは思いますが、本気ではないとまでは思いません。技術的な問題についてはいざとなったら金一族を広義の策源概念に含めるとか誤爆だと言い張って政府機関にでも打ち込めばそれでいいんじゃないかという気もしますが(冗談です)、素案の段階で賛成だ反対だと騒ぐのもどうかと思いますのでしばらく眺めることにします。

こと安全保障関係については細心に物事を進めていくしかない訳であまり力瘤を入れた議論-賛成論も反対論も-は現実から遊離してしまうようにも思えます。対米不信や独立願望がここに強く投射されると米国側の猜疑や誤った解釈を呼んでおかしなことになるのかもしれませんからこのあたり主導する人々には修辞の研究が少し必要な気もします。実際のところ、あの決定的な敗戦の心理的後遺症が残っている中、また日本の置かれたなかなかに険しい戦略環境の中、さらに国内のリソースの制約の中にあっては、日米同盟を堅固なものにする一方で地道で粘り強い調整を通じて中長期的に相対的な自律性を高めていくしかないように思われるのですね。まあ、そんなに悠長なことを言っていられない可能性もありそうですが。

“After death cometh judgment” - Why are there so many Christian signs in provincial Japan?[MTG]

いたるところで不吉なメッセージを伝える「キリスト看板」についての良ポストです。目的と手段の関連の見えないところがいっそう不穏さを醸している訳ですが、この協会の堅忍不抜の恫喝的宣教活動にはなにかしら心を打たれるものもあります。これはこれでアートなのかもしれません。高校生の頃、学校帰りにフレンドリーなモルモンのお兄さん方に話しかけられてなにをやっているんだと思いつつもユタの事情に詳しくなっていたことを思い出しました。

【パリの屋根の下で】山口昌子 カンヌに登場した“蔑視”映画

「国辱」映画といいますかwaiwai映画のようですね。このイメージはけっこう強力にあると思います。リベラルなみなさんも「ナショナリズムに絡めとられるのはちょっと・・・症候群」を脱してこの手の破廉恥幻想については少しは批判すべきではないでしょうかね。また型通りのオリエンタリズム批判ではなく創作によるわさびのきいた文化的報復というのもあると思うんですよね。個人的には優雅なやり方のほうが望ましいです。とはいえこの種の幻想の悪循環に加担するコラボばかりが出現するのには困ったものです。ふう。

追記

細かい表現を直しました(2009.6.4)。一応書いておきますが、タイトルは遊びです。蔑視だ!とか偏見だ!といった糾弾調の言説よりも文化領域での余裕のあるやり合いが望ましいと思うのですね。

再追記

民間で多様な意見が戦わされることはいいことだと思うので頭ごなしに否定はしないですが、本当を言えば、政治のレベルでは難易度の高そうな話よりも集団的自衛権や通常戦力の問題に議論を集中して欲しかったりします。

[本日の一曲]

http://www.youtube.com/watch?v=8lcDJhq1sDQ&feature=related

エミー・ジャクソン『涙の太陽』(1965昭和40年)

極東のシルヴィー・ヴァルタンこと(今勝手にそう呼んでみた)エミー・ジャクソンの40年のヒット曲。和製ポップス一号とも言われる曲ですね。涙のシリーズはどれもいいです。

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負けじの心

"A New Look For Japan’s Musicians"[Newsweek]

日本の音楽シーンが多民族的、多人種的になっているという話なんですが、そのことを強調するために日本の純血主義とやらを誇大に唱えることで-伝統的に血統幻想がそんなに強い社会だったとも思えないのですが-神話の強化に貢献してしまうというよくあるパターンの記事です。大衆はそんな話にさほどの関心がないことの証拠として捉えることだってできるかもしれないと思うのですがね。この奇妙な言説効果については何度も言及しましたのでもういいです。

それ以前にビルボード関係者とされる書き手には日本芸能史や歌謡史の基礎教養がないみたいです。確かに最近はいわゆるハーフの歌手や外国籍の歌手が増えている印象を受けますけれども、昔から日本の芸能の世界はそんなもんだったように思います。なお日本の歌謡についてなにか論じるには「芸能」が「芸術」(欧)や「エンターテイメント」(米)と取り結んできた入り組んだ関係への視座や東アジア諸国の芸能者たちの愛憎半ばする交流の歴史に関する認識も必要な気がするのですが、indigenousな日本にしておきたいのでしょう。こういう粗雑な地理-文化的なヴィジョンでは東アジアのマーケットには食い込めないんじゃないですかね。

ルイズ・ルピカールさん 「お百度参り」の日本訪問[毎日]

"French woman raised in Japan during war makes annual nostalgic pilgrimage"[The Mainichi Daily]

フランス人の父と日本人の母をもつ「トゥールーズの大和撫子」ルピカールさんが日本の訪問をしたという記事です。軍国少女時代の自伝『ルイズが正子であった頃』にはつくづくいろんな戦争体験があるんだなと思わされましたが、記事では「なにくそ」の「負けじ魂」について語っておられます。日仏の架け橋として活躍されていらっしゃるそうですが、本当に凛とした方のようですね。

週刊誌記者の取材に心が汚れた[Cnet]

別にメディア人が総じてすれっからしだとも思いませんし、それほどネットに大きな幻想を持っている訳でもないのですが(小さな幻想はありますが)、この記事にはなんだかしみじみとさせられました。「心が汚れた」という表現はいささか可憐に響きますが、氏には負けじの心でやってもらいたいものです。

"How do you solve a problem like Korea?"[Guardian]

どうということもない記事ですが、典型的に思えましたので。北朝鮮問題を解くには中国の協力が必要だ。しかし体制崩壊にともなう難民の発生を怖れる中国はこれまで非協力的であった。ところで北朝鮮の暴走は中国にとってコストになりつつある。なぜならば北朝鮮の挑発行動は中国が難民以上に怖れる日本の軍事化を促すからだ。この点で中国には状況を管理できる状態にするインセンティヴがあり、米中には共同の利害がある、と。もっとストレートに日本を後押しして中国に圧力をかけろ式の意見もちらほら見ますが、日本の現状を見ていないその幻想性においては軍国主義の復活だ!組と五十歩百歩なのかもしれません。

"On North Korea's nuclear and missile tests"[FP]

ウォルト氏に米国のリアリストの意見を代表させるのがいいのかどうか分かりませんが、同盟国は戦争を望んでいない、米国にはほとんど打つ手はない、この問題は中国に主導させろ、と述べています。あまり関心はなさそうですが、誰かが聞けば、日本については拡大抑止の有効性を確認して安心させとけ云々が続くのでしょう。

自国を棚にあげて言えば、米国の対北朝鮮外交はやはり稚拙なところがあったように思いますけれども、同盟国の足並みが乱れ、戦争オプションがとれないとなると他にどうしたらいいのだという気持ちにもなるでしょう。とりあえず今回韓国がPSIに参加したことは言祝ぐべきなのでしょう。当面は国連外交を進めたり同盟の空洞化を防いだり安全保障に関する縛りを緩めたり外交的手数を増やしたりすることぐらいですかね。ふう。否、負けじ。

追記

"A nuclear Japan is not an option"[Observing Japan]

クラウトハマー氏の日本核武装論に対して上のウォルト氏の記事を引用してオバマ政権は過敏に反応せずに同盟国に拡大抑止の口約束をせよと述べています。反対の理由としては日本の国内世論を挙げる一方で、地域の安定にとってワイルド・カード過ぎるからと述べていますが、後者は曖昧な言い方ですね。氏の見方には総じてそれなりの(米国から見た)合理性と現実性があると思いますが、現在の同盟関係が日本側にもたらす心理的側面についていささか楽観的に思えます。別に「保守」の頭がとりたてておかしい訳ではないと思いますよ(おかしい人もいますけど)。

ついでに、たとえ米国がゴー・サインを出したとしても(この仮定の現実性は度外視します)、核の目的をめぐって日米で齟齬が広がるように想像します。対中国の最前線の位置付けは御免蒙りたいと考える人が多いでしょうし、日本の日本による日本のための核戦略に賛成するほどアンクル・サム氏も親切ではなさそうですしね。なにかコンセプトが欲しいところです。ただ核であれなんであれ思考の縛りは無用だと思いますが、国民の合意がまったく存在しない現在は通常戦力の強化の問題に議論は集中すべきだと思います。

再追記

細かい部分の修正をしました。MTGで白熱した議論になっています。一応注記しておくと私はゴーリストではないですね。

[本日の一曲]

http://www.youtube.com/watch?v=2Y8I8xD46wU&feature=related

バートン・クレーン『酒がのみたい』(1931年昭和6年)

日本初の欧米系外国人歌手と言えば、このジャーナリストさんですね。お世辞にも上手いとは言いがたい歌唱ですが、この曲は耳に残ってよく口ずさみます。

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マスクな一日

"Despite Political Uncertainty, Japan Can Still Show the Flag"[CSIS]

グリーン氏とセーチェニ氏の論評です。日米同盟に関して悲観的な声が広まっている。政局の混迷がこれに拍車をかけている。しかし日本の戦略的信頼性や重要性は過小評価されるべきではない、現在の混迷は55年体制の最終局面なのである、といい、先日の飛翔体発射への対応やインド洋への海自派遣、シンクタンクの戦略提案、憲法改正の支持率等の例を挙げ、両国とも同盟の未来について野心的になるべきだとしています。民主党に関する言及部分が気になるところですが、基地問題について鳩山はプラグマティストだが、党内左派や社民党のマネージをしないといけないのだ、とか、「よりバランスのとれた」同盟というのがアジアでの積極外交を意味するならば米国にとってもいいことだとかいった具合にフォローが入っています。悲観論への牽制ということなんでしょうが、それはもともと性急な期待をするから悲観的になるのであって・・・、まあ、当面はぐずぐずしつつ身動きができる範囲を少しずつ広げるしかないのでしょう。アフガンもどうなるのかよく分りませんしね。

たぶんイメージだけなんでしょうけれども、米国側の日本への信頼度はずいぶん高いですね(HT to Curzon)。価値観の離れた大国の台頭を前にした漠たる不安が米国市民にあって伝統的な同盟国の存在に安堵するという部分があるのかもしれません。ついでにこれも不安の投影なんでしょうけれども、ごく一部には日本国民の漠たる対米不信をイデオロギー的な反米と取り違える過敏な反応も見られますね。

"Call: Economic recovery but political gridlock in Japan"[FP]

経済的にはどうやら日本は底を打っているようだが、政治的な混迷が気がかりだというブレマー氏の記事です。自民党と民主党の不満層が中道的な第三党を結成するだろうという情報を個人的に得たと書いています。中国が台頭し、オバマ政権が新たな関係を結ぼうとし、回復が構造改革のチャンスを提供しようとしているときに政治的麻痺状態が続くようだとこれは日米にとって悪いニュースだと述べています。ところで民主党のrising starって誰でしょう。なんとなく想像はつきますけれども、この情報は意味があるのですかね。

Face à la grippe, "les Japonais restent calmes"[Le Monde]

こちらのル・モンド記事は在日フランス人たちによる列島リポートです。学校が閉鎖されたとか会社で注意喚起があったとかマスクが売れているとかあるが、一部のジャーナリストが主張するようなパニックはないと口を揃えて述べています。不安感は漂っているが、市民はごく落ち着いていて普段と変わらない、と。そうですね、私の見る限りでも、のほほんとした空気に見えますね。マスクの着用についてはどうすんべと思っていたのですが、職場で支給されて着用を要求されました。暑苦しかったです。

"Au Japon, Google s'aventure en zone interdite"[Le Monde]

フランス語圏の日本記事にはほとんど言及していませんが、一応読んでいます。言及しないのは日仏関係に関心のある人以外にはそれほど意味がないように思われるからです。これはグーグル・マップの古地図に被差別部落名が記載されていた例の話です。この問題の歴史や現状についての要領のいい説明があり、グーグルは「家族の秘密」には顧慮しないといったまとめ方をしています。グーグル的なものの受け止め方にはいろいろある訳でしょうが、書き手のポンス氏には微妙な留保があるのかもしれません。私は検索以外は使わないのでどういうサービスがあるのかもよく理解していませんが。

ちなみに同記者が一時期「反日」と呼ばれているのを見たことがありますが、基本的に日本の歴史と文化に対する敬意と日本国民への共感がある方ですのでそう思ったことはありません。もっとも政治レベルでの氏の進歩派への共感と保守派への反感はあまり買いませんが。しつこいようですが、それは私が概して保守派に共感し、進歩派に反感を抱いているからではなく(保守にも進歩にも共感できる人も反感を抱く人もいます)、社会的現実から遊離した現在の言論の対立構造に不満だからです。また対立の存在そのものに批判的なのではなく現在の日本が直面している問題に合わせて対立軸をずらして欲しい訳です。実際には言論と関係なく事態は進行している訳ですが、それはいいことではないでしょう。

最後に地図の話については確かに現実的な不都合があるところにはあるのかもしれませんが、これだとタブーを強化するような気もするのでこれでいいのかなという感じがどこかに残ります。コメント欄ではフランスの郊外のいわゆる敏感な地区の問題が言及されていますが、この話ではやはりカゴの話が想起されるべきでしょうね。

"Wakamatsu voit rouge"[Liberation]

"Ce film est adressé aux jeunes Japonais"[Liberation]

連合赤軍映画のフランス公開に合わせた若松監督の紹介記事とインタビューです。日本の伝説の怪物といった具合に60年代70年代の文化的カミカゼぶりを紹介しています。「教訓。怖れるな!」という結論です。インタビューでは監督が戦後史における学生運動について説明し(あれは父達の失敗を繰り返さないための闘争だったのだ・・・)、これは日本の若者たちへの映画なのだと語っています。いかに彼らが失敗したのかを記録として伝えたいのだ、と。連合赤軍には肯定的にも否定的にも思い入れはないのですが、この武勲詩・聖女伝にはなんだかなと思わされました。歴史的落とし前をつけたいという孤独なモチーフそのものはいいとして監督が語る世代論の枠組みを借りるならば、氏の敗戦映画は甘過ぎて例えば父世代の岡本喜八の敗戦映画の足元にも及ばないように思えます。それとやはり女性闘士の問題は氏には扱えないようです。それから実際、世相に大きな影響を与えた以上仕方ないのかもしれませんが、あり得べき日本の社会運動というものを想像する時、これがピリオドだと言わんばかりの事件の神話化は好ましくないでしょう。前にも書きましたが、実際には歴史は続いている訳ですから。

なんのまとまりもないエントリですが、ただの日記ということで。

追記

"Spread of Swine Flu Puts Japan in Crisis Mode"[NYT]

「一部のジャーナリスト」って田淵さんですかね。ほぼ予想通りの展開でオチがついたようでなによりです。もはや伝統芸ですね。

"Random gaijin mail magazine dude nails it on Japan's media-fueled swine flu panic"[MTG]

あるいは私や私の周囲が暢気すぎるだけで世の中的にはパニックになっているのでしょうかね。うーむ。

「リスク」というのは大げさだったかもしれませんが、言語共同体に安住して日本国民とコミュニケーションをとろうとしない在日外国人が多いようですので日本語で書く方が増えるといいなと願っているのですね。批判的な内容でも同じ目線の高さから発せられた誠実な声ならば大概の人は真面目に聞くと思いますよ。

[本日の一曲]

http://www.youtube.com/watch?v=NeVdlNZ4yMQ

テレサ・テン『つぐない』(1984年昭和59年)

三木たかし先生の訃報は残念でした。平和のうちにお休みください。

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4月ですか

"Catholic bishops in US ban Japanese reiki"[Guardian]

米国のカトリックの司教がreikiを「迷信」として禁止したということです。米国カトリック司教評議会が出したガイドラインにこのセラピーは「科学的信憑性」を欠き、信徒を「邪悪な力」に晒す危険があるという警告が含まれたそうです。reikiのセラピーはカトリック信仰や科学とは相容れないものであり、ヘルスケア施設のようなカトリックの施設には不適切であり、教会を代表する人物たちはこれを支持したり、広めてはならないということです。これに対してキリスト教徒でマスターのジュディス・ホワイトさんはネットにはreikiが反キリスト教的だといった情報が溢れているが、これは誤解であり、リフレクソロジーと同じで有害なものではないと反論しています。どうやら「霊spiritsとの交感」というアイディアがお気に召さないようです。カトリックの聖霊spiritus概念とはそもそも違うと思うのですけれどもね。

で世界各地でそれなりに浸透しているというreikiについてはご存知の方もいらっしゃると思いますが、戦前戦中の日本で流行った「霊気」のことです。臼井甕男氏が創始したこの療法は戦後は我が国では廃れたとされますが、ハワイの日系人高田ハワヨ氏を通じて米国へ上陸、東洋の神秘としてニューウェーブの波に乗って徐々に浸透、80年代ぐらいからカタカナ化されて「レイキ」として日本に逆輸入されるようになる-日本霊気と区別して西洋レイキとも呼ばれるようです-というのが大まかな歴史的経緯になるようです。最近の日本のヨガ・ブームがインドではなくマドンナもやっているということでアメリカから来ていたりするのとなにか似たような話ですね。もともと日本発だという点になにかアイロニーを感じますが。どこかで読んだ記憶はありましたが、なぜか連れ合いが詳しいのでいろいろ話を聞きました。

このマイナーと言えばマイナーな話題について真剣に考察する時間も余裕もないのですが、考え出すと多くの論点が含まれているように思われます。戦前戦中の新興宗教ブームの中で霊気とはどのような位置に置かれるのか、霊気史においては単なる中継点のごとく語られているハワイという場所の持つ意味はなんなのか、霊気からreikiに至るアメリカ化のプロセスにおいてこの術はいかに変容したのか、カトリック神学のreligio(「宗教」)対superstitio(「迷信」)という-しばしばきわめて巨大な政治的意味を持った-二項対立の概念史においてこの事例はどのように位置付けられるべきなのか、あるいは米国のカトリック教徒の置かれた状況に肉薄すべきなのか、それともカトリックから離れて米国における科学と宗教と迷信をめぐる論争における「東洋的なもの」「アジア的なもの」の位相を考察すべきなのか、こうした問題の立て方そのものを曖昧な笑みとともに拒絶してきたようにも思える風土にこうした問題関心をそのまま持ち込もうとする人々との間にいかなる対話の可能性が開かれるべきか、あるいはいかにはぐらかすべきなのか、といった問題群です。本エントリはこうした困難な問いに答えることをそもそも目的としてはいませんので、問いを放ったまま通り過ぎることにします。失礼しました。

"Searching for a sense of 'home'" by Stephen Mansfield[Japan Times]

イアン・ブルマ氏の『チャイナ・ラヴァー』という新刊の書評ですが、李香蘭こと山口淑子のフィクショナルな伝記ということです。満州国、日中戦争、パレスチナ紛争を背景として、血生臭い20世紀の政治史に巻き込まれた「心の故郷」を求めて止まないある真摯で無垢な魂の彷徨の物語といった趣向のようです。戦前に関しては王道楽土と亜細亜解放の悠久の大義に燃える理想主義的青年佐藤、占領統治期については過去の過ちゆえに故郷に帰ることができず、異国の地で再生を求める日本文化を溺愛するアメリカ人シドニーといった具合に複数の語り手の視点から山口淑子の生涯が辿られているようです。書評によれば、金日成に祝辞を述べる姿やパレスチナで日本赤軍の物語と交錯するといった具合に同時代の歴史的事象をふんだんに織り込んで「極端な御世」であった昭和の歴史が語られている模様です。評者は「今となっては信じがたいが」といっていますが、勿論中国への敬愛と満州の夢に燃えて敗れた理想主義者というのはたくさんいた訳ですし(私の親族にもいます)、占領統治期の描写は話題になった英国人作家ディヴィッド・ピース氏の『東京零年』を髣髴とさせるといいます。なかなか面白そうですね。

本来であれば小津安二郎や溝口健二と並び称されておかしくない存在であるにもかかわらず、戦後忘れ去られた巨匠とされる清水宏監督による李香蘭主演映画『サヨンの鐘』を見たばかりなのでこの本を読みたくなっているのかもしれません。ゴージャス過ぎるお方ですが、この映画の李香蘭は個人的にひどく訴えかけるものがあります。台湾の高砂族の愛国乙女の悲劇を扱ったこの戦中の空前の大ヒット映画については台湾で論争があったといいますが、この論争に関してネットソースで読みふけってしまいました。ここでも様々なエージェントによって歌と鐘をめぐって記憶の政治が展開しているようです。まあ、こうした歴史的文脈を捨象して聴いてもごくいい曲だと思いますし、だから歌い継がれたという側面は無視できないでしょう。

"Piracy and the Constitution" by Craig Martin[Japan Times]

ソマリア沖の海賊対策の国会審議に関する論評ですが、憲法9条と関連する国際法の諸原則が基本的に理解されていないと批判しています。海賊討伐のための海自の派兵は国際法的には憲法9条とは無関係であるのに国会での議論は集団的自衛権の行使の禁止という憲法の政府解釈に枠づけられて展開している。国際紛争の武力による解決を放棄するというのは主権国家とその国民に対して武力行使をしないという意味である。国際法における「海賊」とは私人による不法行為のことであり、各国家はこれを取り締まる義務を負っている。つまり公海上の海賊討伐はそもそも国際紛争の武力解決ではない。憲法違反の疑いのある派兵に批判的な勢力が憲法を楯にしてこれに反対するのは理解可能であるが、この戦術はかえって危険である。政治権力が道具的に憲法を利用して、その権威を毀損してしまう結果になる恐れがあるからだ。

There may be room for debate over the wisdom of deploying naval forces to defend against pirates on the high seas. The Constitution should not be part of that debate. One of the key defenses against government infringement of the actual constitutional principles is to ensure that the scope and meaning of the principles remain clearly understood and widely shared. And the government ought to ensure the integrity of the Constitution by applying its provisions consistently, and in accordance with that understanding, in the shaping of national policy.

以上のように憲法を持ち出すのは論理的ではないし、政治的にも危ういとしています。マーティン氏は憲法解釈は行政ではなく司法が行うべきだという観点から安倍政権の解釈改憲の動きやいわゆる柳井報告を厳しく批判している方ですが、海賊に関しては以上のようなクリアな議論をしています。そうですね、ともかく自衛権については国際法からあまりにかけ離れた解釈をして国際的に話が通じにくい状況というのはそれ自体危ういのではないでしょうかね。

以上、ジャパン・タイムズから記事を紹介しましたが、悪質な嘘と邪推に塗れた記事を事実チェックせずに無責任に掲載し続ける限りは信頼性を得られないでしょう。外国人の裁判が公平になされているのかどうか注目しよう、バイアスがかかりやすい条件をできるだけ排除して裁判の質を向上させていこう、という点には同意しますが、そのためにデマを流すことは報道の倫理とルールに反しています。アクセス稼ぎのためのパンダのつもりかもしれませんが、洒落になっていません。記事についても事実に関わる部分はチェックすべきではないですかね。あるいはもう手を切る時期なのかもしれませんね。

"Spy agencies believe NKorea has nuke warheads"[AFP]

北朝鮮:核小型化に成功、「ノドン」搭載…国際調査機関[毎日]

国際シンクタンクの「国際危機グループ」がノドンに搭載可能な核の小型化に既に北朝鮮は成功している可能性があるという報告書を提出するようです。この情報の真偽そのものは不明ですが、こうした情報が流れることで抑止は高まることになるのかもしれません。さて、どうしたものでしょうかね。前に出た策源地攻撃能力の保有あたりでしょうか。ただあの時とは政権も交代して状況も変わっていますから、米国の猜疑心を呼ばないようにかなり注意しないといけないのかもしれませんね。

"Gov't to enable Japanese to marry foreign gay partners overseas"[AP]

法務省が外国人との同性結婚を認める方向で動いているようです。日本語ソースが少ないですね。APの英語記事はずいぶん参照されていますが。国内での同性結婚を認めるつもりはないようで同性結婚が認められた国の人との結婚ということのようです。記事ではこれは第一歩だとアクティヴィストの方が法務省を賞賛していますが、国外と国内とで同性愛者の権利状態に差があることになる訳でなんだか奇妙な話ではあります。どういうロジックなんでしょうか。これに対して熱烈な大規模反対運動が起こったり・・・はなさそうな気がします。ちょうど三橋順子氏の『女装と日本人』という新書を読んでいて積年の謎のいくつかが解けた感じがあってとても面白かったところでしたので個人的にはちょっとタイムリーなニュースでした。この新書ですが、歴史が好きだからうならされたということもありますが、こういうトーンで語れる方が前に出られるならばかなり広い層にまで声は届くだろうなと思えました。

ではでは。

追記

同性結婚の話はいろいろ読んでみましたが、なにをどうしたいのかよく分らないですね。法務省が勝手にやっているといった印象を受けます。

近づく「テポドン2」打ち上げ[日経BP]

松浦信也氏の技術的なインタヴュー記事ですが、分りやすいのでおすすめしておきます。推測だが、とことわっていますが、情報収集体制が整っていない点から見て、技術者たちは追い詰められているようだとしています。

[本日の一曲]

http://www.youtube.com/watch?v=w8ilpWgTYTk

渡辺はま子『サヨンの鐘』(1941年昭和16年)

http://www.youtube.com/watch?v=WK1lGpVxNgM&feature=related

紫薇『月光小夜曲』

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下からの発展主義者

すっかり春めいていますが、昨日今日読んだ記事を紹介しておきます。

"It's Not Just the Economy, Stupid: Asia's Strategic Dangers from the Financial Crisis" by Michael J. Green and Steven P. Schrage[CSIS]

CSISに掲載されていたグリーン氏とシュレージ氏の記事。タイトルはクリントン大統領の"It's just the economy, stupid"のもじりで、今回の金融危機が単なる経済の問題ではなく、戦略的危険を東アジアに及ぼし得る点について警告する内容です。といっても警世家のごとく喚いている訳ではなく、多くの人が危惧している事柄についてのごく慎重な考察です。今のところ東アジアの戦略的構図には変化が見られない。中国が米国に代わってヘゲモニーを握った訳でもなく、今回の金融危機の救済を主導する余裕もなく国内問題に忙殺されている。米国の財政赤字をファイナンスしているのだから米国は中国に膝を屈することになるだろうという予言もあたらない。中国の指導者は世界新秩序を構想している訳ではなく現状維持に汲々としている。中国に関する戦略的危険は米国の影響力の低下にあるのではなく、大恐慌の後の日本のような戦略的シフトが起こることだ。中国の社会的安定のためには8%の経済成長が必要だと言われるが、2009年の成長は5%程度だと予測されている。既に工場閉鎖にともなう抗議運動は生じているが、全国的なレベルでの騒擾は起こりそうにないという。しかし危機は始まったばかりであり、誰にも今後は予測できない。

北朝鮮、ミャンマー、イランが金融危機を受けて挑戦的になっている点に注意すべきだ。中国が国内不安へのインパクトを危惧し、日韓の指導者が議会で責められている間に、北朝鮮は核保有国としての地位の要求の声を強めている。ミャンマーの軍事政権はこの機会を捉えて数百人の反体制派を逮捕した。イランは中露とP3の齟齬を利用しつつ核開発を続けている。他方、経済情勢の悪化が燃料費の下落や経済援助の必要性ゆえにこうした危険な国々を軟化させる可能性はあるが、それは指導者が国民の福利厚生にどれほど関心があるのか、どれほど経済に関連して国内の圧力がかかるのかによる。現状ではどちらに転ぶのか十分なエヴィデンスがない。

経済危機は東アジアの民主主義国に打撃を与えている。日本では麻生首相の支持率は1割代であり、韓国の李大統領、台湾の馬総統の支持率も芳しくない(台湾経済の打撃は貿易の利を説いて中国との融和を主張する馬総統の説得力を奪っている)。タイの連立政権の未来は不確実だ。東アジアの新旧民主主義諸国は米中関係をアンカーし、「自由を推進する勢力均衡」と前ライス国務長官が呼んだものを維持するのに役立っている。ここ20年の民主主義の拡大に逆風が吹くようなことがあれば、グローバルな勢力均衡に影響を与えるばかりでなく破綻国家を増大させることにつながるだろうし、米国が中国に訴えているリベラルな規範のデモンストレーション効果を損なうことになるだろう。

1932年のSmoot Hawley関税のような保護主義的措置によって金融市場の崩壊は突如として自給的な貿易圏のゼロサムゲームに転じ、これが戦争の主因となった。今日では金融、サーヴィスのグローバル化、製造業ネットワーク、WTOなどのおかげでこうした急変はありそうもない。しかし、既に世界中で特定産業の保護がなされていて、これは競合する外国企業からは不公正な貿易措置に見えるし、これが"Smoot Hawley2.0"刺激効果といったものを生むかもしれない。政権によって「バイ・アメリカン条項」はどうにか抑えられたが、他の国々を誘惑する先例をつくってしまった。気候変動関連立法もまた保護主義の偽装の罠となり得る。平価切下げ競争もまた保護主義と摩擦を強化するだろう。既に世界貿易は縮小し、WTOの貿易自由化は停滞し、オバマ政権は韓国、コロンビアとの自由貿易協定に慎重な姿勢を見せている。保護主義の動きは1930年代式の自給ブロックの形成につながらないとしても、各国が脅威に対して協力するのを妨げたり、経済の回復を遅延させることになるだろう。

幸いなことに我々は過去の失敗から学べる。保護主義と戦うことの重要性を我々は知っているし、我々の同盟国はこうした努力を主導することができる。WTOやKORUS FTAを通じた攻撃的貿易自由化が保護主義の防衛に最もふさわしいことを我々は知っている。パキスタンのような脆弱な国家に経済支援することの重要性も我々は知っている。1920年代、30年代のように軍事費をカットしたり、抑止と強力な同盟関係を脆弱な外交的調整に代替することの愚を我々は知っている。経済成長を再び活性化するグローバルな戦略の必要性も安全保障との関連性についても我々は知っている。

といった具合に大恐慌後の歴史と重ね合わせて自由貿易体制と同盟関係の維持を訴えています。最後のパラグラフには「心配するな、でも、賢くなれ」という表題がついていますが、人はそれほど賢くなれますかね。日本の例が取り上げられている部分がやはり関心を惹きますかね。

Japan was arguably not a revisionist power before 1932 and sought instead to converge with the global economy through open trade and adoption of  the Gold standard. The worldwide depression and protectionism of the 1930's devastated the newly exposed Japanese economy and contributed directly to militaristic and autarkic policies in Asia as the Japanese people reacted against what counted for globalization at the time.

中国がこうならないように気をつけなくてはならないという文脈にある訳ですが、何年か前から同じ文脈で同じような記述を見るようにな気がします。「日本特有の道」論から横滑り論へといった感じでしょうか。正直、曲がりなりにも議会制民主主義のあった国と現在の中国を同一視できると思えないですが、逆に言えば、現体制の下では中国が冒険主義に走る可能性はあまり高くはなさそうだというアイロニカルな認識が得られるのかもしれません。それからヴェルサイユ・ワシントン体制の短い言及の部分は、米国で今後地域的なウィルソン主義的志向が高まるリスクへの牽制に見えます。勢力均衡と集団安全保障と同盟をめぐる問題群は日本にとって死活的に重要な話なはずなのですが、どうも日本側がどうしたいのかさっぱり意志が見えないのは米国から見てじれったい話でしょうね。一日本国民から見てもそうですから。ところでrevisionistやrevisionismにはこういう用法もあるのですね。現存する世界秩序に対する修正要求という意味合いなんでしょうか。

"Takahashi Korekiyo's Economic Policies in the Great Depression and Their Meiji Roots" by Richard J Smethurst[pdf]

英語圏の高橋是清のスタンダードな伝記を書かれたスメサースト氏の99年のシンポジウムでのペーパー。高橋是清の経済政策の由来を明治の思想潮流に探ることを目的にしています。確かに流暢な英語を話し、同時代の英語圏の政治経済の潮流に通じてはいたが、高橋は大学の経済学者ではなく多様な職歴を持つ人物であり、彼の思考はその経歴を通じて探求しないといけないとしています。

まず、高橋の5原則を確認しています。(1)政府は不況の際には経済を刺激するために財政金融政策を用いることができる。(2)政府は景気過熱の際には経済を冷まし、インフレ退治をするために財政金融政策を用いることができる。(3)市場の情報は経済成長の鍵である。(4)経済発展は単に国家を豊かにしたり、強くするためのものであるばかりでなく国民の生活水準の向上をもたらすものであるべきだ。(5)過剰な軍事支出は国民経済の健全性を損なう。

それで第二次世界大戦後にはごく普通になったこうした考え方を世界に先駆けてなぜ彼が持つことになったのかということになります。高橋はひとつのポストにとどまることなく、ポストの移動を重ねて政治、経済、金融の幅広い知識を身に付けたとされますが、論者は原則(3)(4)(5)については農商務省の先輩にあたる前田正名の影響を重視しています。薩摩藩士の前田は江戸末期に蘭学や儒学の教育を受け、明治維新とともにフランスに留学し、ティスランの下で政府による殖産興業の考えを学び、農業と在来産業の発展を政府の政策の中心と考え、『興業意見』を提出したこと、野に下った後にも地方の産業振興の運動を起こしたことで有名な人です。国家支援による経済発展を強調する前田の考えは高橋のマクロ経済政策的な発想に影響を与えたとされます。また高橋も前田も熱烈なナショナリストであるが、政府への軍の影響力の増大を恐れ、軍事支出の増大に反対した点でも、政策形成の前に現状の基礎的な調査をするという「根本」を強調した点でも、経済成長の利益は全国民が享受すべきであると考えた点でも、政府の役割を強調する一方で東京の官僚ではなく地方の役人や生産者のほうが多くの情報を知っていると信じた点で共通しているといいます。

1880年代に地域の実情、すなわち「根本」を調査し、『興業意見』を作成していた頃に両者は出会うのですが、この意見書は農業と在来産業の振興を通じた経済発展を目指している点で、重工業や軍事力偏重の政府方針と対立する要素を持っていたとされます。前田は平均的な国民の生活水準の向上なくして経済成長なしとの信念、強兵よりも富国の主義であり、農村経済に悪影響を与えるとして松方蔵相のデフレ政策を批判したといいます。論者は前田を財閥偏重の政府政策を批判した「下からの」発展主義者としています。これは前田の提唱した地方の意志決定を重視した産業銀行案に現れているとされます。松方および大蔵省の中央集権主義対前田、高橋および農商務省の地方分権主義という構図です。前田は政策論争に敗れるのですが、この地方の意志決定を重視するスタンスは高橋に影響を残したといいます。

以下、高橋の軍事予算をめぐる衝突や教育、公共事業等の分権化の訴えなどに前田の教えを見ていますが、特筆しているのは30年代の農村救済案への反対と自助の訴えです。論者はこの点に関しての従来の歴史家の解釈に異を唱えていますが、このペーパーの眼目はこの論点にあるのでしょう。金融資本階級の代表たる高橋には農民への共感などなかったとか老年の高橋はもはや大蔵省タカ派のロボットに過ぎなかったとかいった説明がなされてきたが、前者に関して高橋は常に地方の振興を訴えていたし、後者についても戦後になってからの戦争責任回避のための官僚の言い訳に過ぎないとしています。また財政赤字削減のための措置であり、軍事費縮小は政治的に困難だったたけに農村救済をカットしたのだという説明にはより説得力があるが、高橋は常に勇敢に軍と対立しているし、既に死ぬ覚悟は出来ていたとして退けています。それで著者の説明は地方の実情を知らない中央官僚主導の農村救済案は成功しないという彼の信念によるものだというものです。地方ごとに実情が違うのだが、その状況は十分に調査されていないので全国一律の救済案には効果がないという発言を取り上げていますが、この信念は前田の教えであるといいます。35年以降には分権的な意思決定と草の根の情報への注意による農村経済発展を訴えていると。また貧農ではなく自営農や小地主を支援したことでも批判されているが、これも的外れだとしています。村を支配する大地主階級ではなく農村中間階級が経済発展の鍵であると1880年代に前田は見抜いたが、1930年代には既にこの階級が村の政治経済リーダーに成長していたのだからこの層を支援したのは高橋が村の現実を知っていた証拠であるとしています。

以上のように農商務省時代に高橋は前田真名の経済思想から多くを学んだというのがこのペーパーの趣旨です。素人の私にはとても説得的な議論に感じられましたが、私の知らないいろいろな文脈があるのかもしれません。フランス留学組の見聞録のたぐいは以前まとめて読んだことがあって前田のことは知っていましたが(普仏戦争とパリ・コミューンを目撃した日本人です)、フランスの重商主義の伝統を引き継いだ殖産興業の人ぐらいの理解でしたのでなかなか勉強になりました。政府の役割の強調と下からの経済発展の理念が独特に結合している訳ですね。これが高橋是清につながるというのもなにか数奇なものを感じます。日本のワインの父みたいな人でもあるのですね。飲んべいの私としては前田ゆかりのワインというのも気になります。ちなみにスメサースト教授が朝日に寄稿しています。是清についてはアメリカのマクロ経済学者のみなさんにももっと知ってほしいところですね。ではでは。

追記

財務省→大蔵省に直しました。

[本日の一曲]

http://www.youtube.com/watch?v=4VnURW4tNIk

江利チエミ『木遣りくずし』

幕末の有名な俗曲のカバーですが、とても耳心地のいい粋な歌いっぷりです。

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台湾の神様

"The Costs and Benefits of Japan's Nuclearization: An insight into the 1968/70 Internal Report" by Yuri Kase[pdf]

佐藤政権で日本の核武装の可能性が政府からの依頼で有識者によって検討された話は有名ですが、その際に提出された「68/70年リポート」について分析した論文。2001年に刊行された論文なので射程に入っているのは90年代までの議論です。先日亡くなられた永野陽之助氏もメンバーだった民間人からなる委員会では検討の結果、技術的には可能だが、政治的にはコストのほうが大きいという結論が出された訳ですが、このリポートを戦後の安全保障思潮や中国の核武装にともなう安全保障環境の変化といった同時代の文脈の中に位置づけています。個人的にはそれほど目新しい記述はないかなという感想でしたが、議論は明晰で英文で書かれた意味は十分にあると思います。関心を引いたのは佐藤政権の非核三原則とこのリポートの関係の部分ですかね。国会での首相発言を引用すると、

If the other fellow has nuclear weapons, it is only common sense to have them oneself. The Japanese public is not ready for this, but would have to be educated... Nuclear weapons are less costly than is generally assumed, and the Japanese scientific and industrial level is fully up to producing them.

というように親核武装的スタンスだった点が指摘されています。また有名な核政策の4つの柱にしても、自民党のリポートでは、優先順位として(1)核の平和的利用(2)核軍縮(3)米国の核の傘への依存の順番で、最後に「日本の国防が前記の三政策によって保証されている環境の下では」という条件つきで非核三原則が記述されている、従って核武装の可能性についての委員会が準備されたのもなんら不思議はないとしています。考えてみると核政策については歴代政権はかなり慎重かつ着実に事を進めたもんだなと感心させられます。政治的にはけっこう高いハードルだった訳でしょうしね。また個々の政策担当者の努力といった話だけでなくそこになにか集合的な意志のようなもの-分かりやすいところでは『鉄腕アトム』とか『ゴジラ』といった大衆的想像力の系譜が思い浮かびますが-を感じずにはいられません。ちなみに一部で話題になっている朝日社説には心底萎えてしまったことをここに記しておきます。私には同新聞の論調を揶揄する趣味はないのですが、想像力と認識が冷戦時代のままで根本的にずれていると思いますね。

"Formosa's First Nations and the Japanese: from colonial rule to postcolonial resistance" by Scott Simon[Japan Focus]

台湾の太魯閣(Taroko)族の集団的、個人的アイデンティティーにとって日本統治時代の記憶が意味するところを扱った論考。ジャパン・フォーカスにもたまには読める記事がある訳ですが、この論考はよく調査され、よく書かれています。当地の政治的アイデンティティーに関して「本省人」「外省人」の分割線が決定的に重要であること、またその政治志向に相即的に日本統治時代の評価が分裂していることは誰もが知るところですが、ここでは「原住民」の例として太魯閣族の場合が検討されています。太魯閣の人々は現在でも日本語混じりの言語を使用しているが、それは日本語が近代的概念の運び手であったからである。日本統治時代の記憶は「本省人」のそれとも「外省人」とのそれとも違う。近代的なものをもたらした日本という肯定的イメージがある一方で、部族の風習(入れ墨にかかわる苦い記憶)を喪失した痛み、抑圧に対して果敢に蜂起した相手としての否定的イメージもある。しかし、全体としては「古きよき時代」として統治時代は喚起されることが多く、日本の悪口は言わない。靖国神社への抗議に出かけた「原住民」を代表するとする議員には冷淡である。日本への勇敢な蜂起の記憶は現在の台湾社会内部の地位向上をめざした社会運動の基盤となっている云々。といった具合に日本統治時代は太魯閣族の生活様式を後戻り不能な形で根底的に変えた、イデオロギー的な歴史からは零れ落ちる記憶の層があり、その記憶は現在でも太魯閣の人々の集団的あるいは個人的な生にとって決定的な意味を持っているといった話です。善悪二元論的な認識から離れて歴史の複雑性をその幅と厚みのままに記述しようとする姿勢-原理的にそんなことが可能かといった問題は別にして、意志と企ての問題として-を評価したいと思いました。以前テレビで女性タレントさんが村を訪れるといった趣向の番組を見た記憶があるのですが、その時は日本式の教育を受けた高齢の方々が日本語を話すのだと思った訳ですが、どうもそうではないようですね。若い人の間でも「ありがとう」とか「何歳だ」とか「何時だ」とかいった表現が使われ、教会用語や計算や時間表現で日本語が日常的に使用されるそうです。対応する語彙がなかったということのようです。しかし、クリスチャンがkamisamaって言うんですねえ。

"The Inadvertence of Benedict Anderson: Engaging Imagined Communities" by Radhika Desai[Japan Focus]

こちらはベネディクト・アンダーソンの『想像の共同体』の新版発行に寄せた批判記事。個々の論点については既に多くの批判があるが、目的と議論とロジックの間の齟齬が問題だと言います。まずあれほどナショナリズムの重要性を語っていたアンダーソンが1990年代以降はグローバリゼーションが国民国家やナショナリズムを弱体化するといったたぐいの平板な現状認識にいつのまにか変化したのにこの点について新版での説明がないのはおかしいとしています。その通りです。

以下、批判になりますが、おおまかに言うと(1)本書の執筆動機、(2)先行理論との関係、(3)政治効果をそれぞれ対象にしています。(1)については中印紛争の際に左翼シンパだった著者がこれを従来のマルクス主義系の理論では説明できないと感じたことがこの本が書かれた目的であるとされるが、なぜ欧州の紛争は説明できてアジアの紛争は説明できないと思ったのかが問われるし、従来の緻密な議論を無視している。(2)偶像破壊者を気取ってマルクス主義とリベラリズムの破綻を宣告しているが、これは無根拠だったし、「文化」の位相に注目することで理論的隘路を乗り越えたというのも怪しい。ナショナリズムは「文化的」であるよりも「政治経済的」なものだからだ。批判的に継承したとするTom Nairnの理解も浅薄だ。下層階級の政治参加とナショナリズムの結びつきについての興味深い議論への著者の批判も弱い。Nairnの唯物論議論においてナショナリズムの根拠は18世紀以来の政治経済的発展の不均等性そのものにある-社会内部の不均等発展が階級の、地域的不均等発展がネーションの根拠-のであってナショナリズムが「文化的構築物」であるなどといった話は木を見て森を見ずの議論に過ぎない。またナショナリズム研究の「脱欧州化」のアジェンダについても著者が行ったのは最悪の形でのアメリカ化である。西洋のモデルに他の世界が従うといった話は第三世界のナショナリストの経験を軽視するものであり、モジュール、剽窃、模倣といった概念がこのために動員されているのだ。以下、アンダーソンの有名な概念が個々に批判されていますが、ここは省略します。

(3)政治効果については新自由主義が第三世界の独立の成果を根扱ぎにしようとしている最中にナショナリズムを脱政治化する結果となった。『想像の共同体』は偽りの破産宣告によって豊かな理論伝統を無にした。一番皮肉なのは、国民的階級的ラインによる進歩的政治が新自由主義に対抗すべきまさにその歴史的瞬間に第三世界のナショナリズムを西洋の構築物とすることで脱正統化し、これまでにないほどユーロセントリックなものにしたことだ。『想像の共同体』の人気の一部は新自由主義、グローバル化、帝国の産物であり、こうしたものは市場と資本主義の悪に対抗する国民的社会的試みと対立するのだ。最後に時事的なメッセージで締めくくっています。

As these come crashing down in the world-wide economic crisis which marks the end of the century’s first decade, as it becomes clear just how national the responses to the crisis have been despite decades of neoliberal and postmodern and postcolonial anti-state discourses, one hopes that those interested in nationalisms and nation-states will turn to the traditions of scholarship which have better illuminated the dynamics of nationalist and revolutionary change than has IC.

といった具合に用語からも分かるように筋金系左翼による軟弱系文化左翼批判といったおもむきの論考です。(1)(2)の理論的、実証的な論点の部分に関して言えば、私も、正直、『想像の共同体』のどこが凄いのかよく分からない-京都学派の「世界史の哲学」や戦後史学の「民族の世界史」のほうがある意味凄いような気がします-ですし、参考文献に挙げているのを見ると、ああ、またか、とげんなりすることがあります。しかしこの論文の書かれた動機はむろん(3)の政治的批判にある訳でしょう。リベラル左翼による国民国家批判、ナショナリズム批判はグローバル化なる美名の下での帝国の支配のお飾りに過ぎない、世界資本主義の暴政に対しては進歩的、革命的ナショナリズムで対抗せよ!ということのようです。しかし、まあ、文化左翼のみなさんは無害だからいいとして今後は筋金系左翼のみなさんを本気で相手にしなくてはいけない時代になるのですかねえ。だいぶ声が大きくなっている印象を受けます。ふう。歴史が反復しないことを祈ります。

"Japan’s Leadership Deficit" by Tobias Harris[Far Eastern Economic Review]

日本の政治家は駄目だという定評があるが、その原因を考えてみるというエッセー。原因論はいろいろあるがひとつは世襲に帰責する議論だ。しかし世襲議員がそうでない議員よりも悪いのかどうかはそれほど明らかではない。指導力を発揮した小泉は世襲議員であるし、戦後もっとも不人気だった森は非世襲議員である。指導力不足に関するAurelia George Mulganの議論によれば日本が強いリーダーを欠いているのは文化でもパーソナリティーでもなく制度デザインによるものだという。日本の首相と内閣の力は他の議会制の国と違って官僚や政府外の与党議員などのライヴァルとたたかう必要があるために制限されているのだと。

こうした制約に加えて一般的な制約もある。政治的コミュニケーションの技術を身に付けた首相候補の少なさだ。この点で小泉は例外で多くの年長の政治家には現代のメディア環境でコミュニケートする技術がない。再選されるかどうかはコミュニケーション技術を通じて選挙民を動員したり、公衆にメッセージを送ったりするよりも選挙運動をファイナンスする資金を集める能力にかかっているからだ。若い政治家は違うが、首相候補にはまだ遠い。近代史を通じて日本の政治家はその密室政治や与党内部、官僚、野党との調整能力で名高い。欧米の政治家とは似ていないように見えるが、少なくとも戦後の数人の首相は有能な指導者であった。

現在、あまりに多くの危機に直面して麻痺している状態であり、仮に民主党政権ができたとしても同じようになるのではないかと懐疑的になるのは当然だ。しかし民主党政権が変えることができるのは制度的制約だ。民主党は自民党の失敗を観察し、内閣とサブ内閣ポストを増員する案を練ってきた。この案は省庁に対する内閣のコントロールを強化し、民主党内部の潜在的ライヴァル関係を政府に持ち込むだろう。民主党はこうしたプログラムの実施に失敗するかもしれない。日本の問題は退廃した政治家にあるのではなく機能不全の制度にある。民主主義においては政治家の不足というものはないが、いい制度というものを手に入れるのはもっと困難なのだ。

以上、日本の政治家に指導力がないのは個々の政治家の問題ではなく制度の問題であるという考えです。ここでいう制度は慣習も含んだ広い意味合いでしょう。基本的にはその通りだろうと思います。コンセンサス政治の伝統に加えて自民党の尋常でない長期政権が現在の疲弊をもたらしている点についてはわざわざ想起するまでもないでしょう。党組織の現代化を怠ったことも政党政治の停滞の原因として批判されるべきでしょう。ただ最後の民主党の部分ですが、反官僚を掲げて真正面から敵対しようとしている(ように見える)点についてはどうなんだろうなと前から思っています。それが上手いやり方なのか、もっと賢いやり方があるのではないかと。政権交代が定期的に起こるようになればそれだけで政官関係はずいぶん変わると思うのですけれどもね。あるいは小沢氏は熾烈な闘争をするつもりになっているのかもしれませんが、内外の情勢がそれを許すのかどうか不安になりますね。まあどうなるんだかもはやよく分かりませんけれども。

[本日の一曲]

http://www.youtube.com/watch?v=Pbu9tpq699g

水原弘『黒い花びら』(1959年昭和34年)

昨今の昭和30年代懐古にはいささかうんざりさせられますが、おミズの歌は少しずれていて当時の世相に収まらないものあるように思います。

追記

微修正しました(2009/3/24)

ところで大先生がまたジャパン・タイムズ上で警察・司法陰謀論を展開しています。空さんが反論されていますが(ありがとうございます)、ジョンソン教授のリファーの部分には思わず笑いました。こういう自爆の仕方が先生の先生たる所以です。しかし、こんないい加減な記事を掲載する新聞ってなんなんでしょう。この新聞にはファクチュアル・チェックという概念は存在しないのでしょうかね。これだから学級新聞レベルだと嘲笑されるんです。論調についてはお好きにどうぞですが、最低限、事実だけは正確にしてください。

再追記

空さんのリンクを間違えていましたので修正しました(2009/3/26)

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NATO軍事機構への完全復帰をめぐる論争(4)

ずっとこの話題に関連するニュースを追っていた訳ですが、各人各様の反応でいろいろなものが炙り出されてなかなか面白いものがありました。サルコジ大統領が議会多数により不信任動議を否決して完全復帰を決めたようですが、メモしておきます。以前のエントリで世論は賛成反対で多分拮抗しているだろうと書いたのですが、最新の調査では賛成派の方が多数でした。58%が賛成で反対は37%、意見なしが5%ということでけっこうな差がつきましたね。ところが政界や言論界での討議は相変わらず止まないようでした。

賛成派のカトルメール氏のポストから引くと、

当時は[註:1966年]社会主義者とキリスト教民主主義者(Modemの先祖)が君主ド・ゴールの振る舞いに対して不信任動議を提出したものだが、彼らは今日では滑稽を怖れずに「フランス的例外」を護持するために「ゴーリストの遺産」を引き合いに出している。反帝国主義(オバマ効果は過ぎたようだ)で沸騰したありそうもない同盟の中には歴史的なゴーリスト、シラキアン[シラク派]、右派主権主義者、極右、社会主義者、共産主義者、ラディカル左翼、おまけにModemすら肩を並べているではないか!

ということでありそうもない同盟が成立していました。Modemのバイル氏の意見は既に紹介しましたが、社会党側からは、例えば、オブリ氏は「私たちは欧州にプライオリティーを与えたいのです。私たちは欧州防衛を重視します。米国に与するどんな理由もないのです。そのことはバラク・オバマと仲良くやっていくこと-それを望みますが-を妨げるものではありません」と述べていました。ジョスパン氏によれば、この動きは「米国の大人しい長女」-お隣さんのこと-となることを免れされた半世紀にわたる左右の「コンセンサスを破壊」するものであり、「私には自らを凡庸化する利益が分からない。私たちはもう少しオリジナルでありたい」と批判していました。ファビウス氏もコンセンサスの不在とフランスの凡庸化と欧州防衛の無意味化を嘆き、この動きを「誤り」と断じていました。最後にロワイヤル氏は、この決定は「西洋圏への退却」を意味し、フランスの独立を毀損し、冷戦思考への後退を促すものであり(ロシアとの対決をイメージしているのでしょう)、オバマのマルチラテラリズムに対しては追従ではなく独立で応じるのがよいと論じています。バイル氏もそうですが、自分たちは「西洋圏」のみに属しているのではないといった種類の普遍意識がある訳ですね。

与党UMPの中からもシラク派から反対の声が挙がっていました。イラク戦争の際の国連演説で有名になった、しかし国内政治ではけっこう優柔不断だったド・ヴィルパン氏が盛んに批判していましたが、このインタビューでは凡庸化に抗してフランスの特異性を守れと主張しています。特異性とは西と東、北と南の掛け橋の位置を占めることであり、対テロ戦争のロジックがもたらすブロック化の趨勢に反対することだ、シラク時代の試みは冷戦崩壊後の文脈の中でなされたものだが、その文脈は失効していると。また元首相のジュペ氏も批判に連なっていました。本人のブログによれば、ドグマではなく国益に従って考えなくてはならない。失敗に終わったが、シラク時代にNATOとの接近が試みられた際には米国と欧州の対等な関係を前提にしていた。その後大きな歴史的転換があった。出発点にあった条件、米国と欧州の対等性は満たされているのか。否。欧州防衛はまだ途上にある。推進派の議論は強いが、立ち止まって考えるべきだ。NATO内部の特殊性を放棄することにいかなる利点があるのか、同盟内で影響力が増大するというのは本当なのか、欧州諸国はどう反応するのか云々。ド・ヴィルパン氏やジュペ氏の活発な批判の背景に年来の主義主張ばかりでなく政局的な配慮を読むのは必ずしもシニカルという訳ではないでしょう。

一般にシラク派はゴーリストとされる訳ですが、あいつらは真のゴーリストではないというもっと理念的な人々もいます。主権主義陣営からは「立ち上がれ!共和国」のデュポン=エニャン氏の痛憤の叫びが聞こえてきました。「最も高くつく、最も破滅的な政策、それは小国であることだ」というド・ゴールの言葉を引用し、米国への従属の道の危険を訴えています。ブログで反対署名を集めたり活発です。またフランス運動のド・ヴィリエ子爵もまた熱烈に反対しています。自動的にフランス軍が参戦する可能性を防ぐこと、この原則は多極化する世界にあって死活的に重要だと。米国はよき友であるが、自分たちのイデオロギー的ヴィジョンを押し付ける傾向があり、この決定は対米追従につながる。フランスの国際的なイメージも変わってしまうだろうと。

修辞やアクセントには違いはあるのですが、反対派の論調に共通する要素として、フランスの独立と特異性(singularite)を守るべしというナショナルな理念、大西洋主義ではなく欧州の地域秩序の形成者たれという地域主義的な理念、さらには西洋主義ではなく諸文明の掛け橋となれといった普遍主義的な理念、これらの複合を見て取れることができるようです。またロシアとの「新冷戦」はなんとしても避けるべきだという地政学的な判断に共通性が見られるようですね。後者への懸念はよく分かりますが、ここまでのサルコジ政権の動きを見る限りは対ロシアでは反対者とはそれほど戦略的に違わないように思えますがね。極左や極右の意見は割愛しましたが、だいたいこんな論調のようです。

英語圏での受け止め方はおおむね好意的のようで、そこにはなにか放蕩息子の帰還を暖かい目で迎え入れる一家のようなおもむきが感じられます。またこの機会とばかり人類の教師のごとくBBCがフランスは暗黒の歴史との和解が必要だと説教しています。戦後のレジスタンス神話のことですが、マクミラン氏の言葉を引用すると

France, he said, had made peace with Germany, had forgiven Germany for the brutality of invasion and the humiliation of four years of occupation, but it could never - never - forgive the British and Americans for the liberation.

と英米への屈折した心理を指摘しています。ただ助けられたことばかりではなくてTimesの記事にあるこうした戦後の「屈辱的」な光景も背景にはある訳でしょうけれどもね。引用すると、

Younger French people may find it unimaginable but American forces were part of the landscape from 1944 to 1967, admired and envied, especially in the 29 base towns, where they cruised in exotic cars, lived luxuriously and taught local women to dance rock'n'roll. At Chateauroux 10 per cent of all marriages between 1951 and 1967 were between US servicemen and French women. The film star Gérard Depardieu has fond memories of a black American girlfriend of his teenage years.

もちろん戦略的な決定な訳ですが、NATO軍事機構離脱と米軍基地撤去にはパリをパリスと発音するような連中が我が国土を・・・という強い感情があったのでしょう。若い人たちには分からないだろうがと記事が言うようにもう歴史の中の出来事なんでしょうけれどもね、まあ和解ということでよかったんじゃないですか(棒読み)

追記

"Sarkozy's Power Play" by Judah Grunstein[Foreign Policy]

グルンスタイン氏のよくまとまった論評。批判者たちの言うのとは違ってサルコジ氏は米国に接近することそのものを目的にしている訳ではなくて親密な関係をツールのひとつとしてフランスの影響力の拡大のために利用しようとしているのだという見方ですね。パリをワシントンの衛星にしようとしているのではなくて強い欧州に増強されたフランスを追い求めているのだと。また一見行き当たりばったりの連続に見える外交に「ディールのロジック」を見出しています。

Yet if Sarkozy has been right on almost nothing, he has been prescient on almost everything, guided by the attention-seeker's instinctive flare for tomorrow's crisis today. (For instance, his decision to engage Syrian President Bashar al-Assad at the time of Lebanon's presidential impasse in January 2008 later paid off in access to crucial back channels during the Gaza war.) His logic is the logic of the deal, where both fault lines in opinion and emerging consensus create leverage points that maximize France's influence.

これは同時並行的にゲームを進行させているというゴールドハマー氏の見方に近いですね。最後は意味深に記事を締めくくっています。

France's return to the heart of NATO will certainly not spell the end of France's independence and autonomy, nor will it prove the alliance's undoing. But both will be changed, in ways that no one -- least of all Sarkozy -- can foresee. Rich in symbolism, profound in consequences, unpredictable in effect: The move is typical Sarkozy, for whom it is the deed, and not the outcome, that matters.

フランスの独立や自立を終焉させることも同盟の失敗を証明することにもならないだろう。しかしこの両者が誰も予測できない形で変化していくことになるだろうと。対米自立ということで単純に対立することが手数を増やす訳ではないということはひとつの教訓として覚えておいていいのでしょう。ド・ゴール外交も後半は行き詰まりましたし。もっとも一度対立した後だから言える話なのかもしれませんけれども。また具体論ではなくなんとか主義だ!と批判している人はなにも見ていないということでいいのでしょう。賭けの連続に付き合わされるのは不安な話でしょうがね。

ではでは。

[本日の一曲]

http://www.youtube.com/watch?v=bMoY5rNBjwk&feature=player_embedded

クロード・フランソワ『コム・ダビチュード』(1968)

(HT to Charles Bremner)

誰もが知っているシナトラの曲のオリジナル。タイトルは「いつものように」の意。歌詞はまったく違っていて女心の歌です。

追記
微修正しました。それと女心の歌というよりも倦怠したカップルの歌ですね(2009・3・19)

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ディア・リーダーをめぐるあれこれ

拓殖大学大学院教授・森本敏 北朝鮮ミサイルの迎撃決断を[産経]

第1に、わが国の政治決断を急ぐべきである。ミサイル防衛は自衛隊法第82条の2項に基づき、防衛大臣が内閣総理大臣の承認を得て、指揮官に対処権限を委任する仕組みになっている。総理の承認がなければミサイル防衛は機能しない。この対処要領は、航空総隊司令官がイージス艦艦長やパトリオット部隊指揮官に下令し、飛翔するミサイルをわずか数分のうちに撃墜するものである。

その手順は防衛省内で決められているが、これを有効にするためには空域をクリアにする必要もあるし、パトリオットミサイルの運用に必要な電波管制も必要となる。まだ総理の政治決断は下っていないが、時機を逸したのでは取り返しがつかない。

第2に、日米間の運用上の調整を急ぐことである。米国はイージス艦を日本周辺に5、6隻配備し、海自も2隻の配備が可能だ。緊迫すれば、このうち最低2隻を日本海に展開させる必要がある。しかし、日米では指揮権が異なるため、司令部・部隊間の調整が不可欠になる。ミサイル防衛は日米が共通の対応をしなければ効果はない。日本だけが対応しなければ、その必要性が問題になり、米国だけが対応しなかったら日米同盟の信頼性という問題になる。

森本氏の論説でだいたい技術的な問題の輪郭が掴めます。だいたいこの通りの対応がなされるのでしょう、きっと。中国の圧力とやらがどの程度効くものなのか観察したり、粛々と国内的な問題を処理したり、日米間の調整をしたりする機会として活用すればいいという話なんでしょう。これ、集団的自衛権の問題は浮上しないで済みそうなんですかね。

"What Hillary Should Tell Japan" by Doi Ayako[CSIS][pdf]

ジャーナリストのDoi Ayako氏の拉致関連の記事。ヒラリー国務大臣は東京訪問の際に変な期待を与えずに日本の世論の拉致問題への執着に警告を発するべきだったという趣旨です。米国側の同情的発言が日本側に依存感情を生んできたが、ブッシュ政権後期の方針転換によって日本側には裏切られたという感情が広まっている。メディアはこの問題を扇情的にとりあげるばかりで冷静な分析がない。加藤紘一氏や山崎拓氏や田中均氏のように日本にも北朝鮮との対話をすべきだと考える者もいるが、「裏切り者」扱いされている。世論を正気に立ち返らせ、なにが国益なのかを思考させるには根拠のない期待の源を断つことにある。それゆえヒラリー国務大臣は誤りを犯したと。

あまり口汚くないという点を除けば、だいたい英語圏のリベラル系のオブザーバーと同じような意見ですね。まあ、これもひとつの意見でしょう。いささか表層的な現象に拘泥し過ぎではないのかといった疑問やそもそも非核化のプロセスに関与する気がないのは誰なんですかという話もありますがね。私の意見と大きく違いそうなのは米国への不信に関してはさほど問題だと思っていないところですかね。裏切られた感情というのは確かに一方的なものだと思いますが、妙な依存心から脱却して健全な懐疑を含んだ信頼の水準に落ち着く上で重要なプロセスだとも思うのですね。最後に細かいですが、この記事で気に入らないのはテレビ局のプロデューサーの発言の使い方です。これはオバマ就任の際のワシントン・ポストの同記者の記事に感じましたが、この種の手法の濫用はジャーナリズムとして反則だと思います。少なくとも私は嫌いです。ついでにこの就任時の記事の「世界で日本だけ」で世論が歓迎的でないって端的に嘘でしょ。

"Japanese Perceptions of Nuclear "Twin Commitments" Under the Obama Administration" by Jimbo Ken[CSIS][pdf]

オバマ政権の核廃絶と核抑止の維持の「二重のコミットメント」を日本側がどう見ているかについてのJimbo Ken氏の記事。"four horsemen"の提案を受けてNPT体制を維持し、核廃絶を目指す一方で現状の核抑止体制を維持するというドクトリンに対して日本には二通りの反応が見られる。これは核廃絶を望みつつも信頼できる拡大抑止を求めるという日本の核に関するアイデンティティーを示している。軍縮派は核廃絶に関する国連総会決議に米国がサインしたことを歓迎し、米国の核軍縮のプランを支持し、さらにロシアと中国との連携的な核軍縮を求め、これが北朝鮮を含む地域的な非核化に貢献することを望む。一方、軍事戦略専門家は警戒的である。米国の大規模な核軍縮がアジアにおける抑止を弱体化させ、対北朝鮮への交渉力を弱めることを危惧している。また米中間の相互確証破壊に近づくような両国の核のパリティーが実現すること、中国の核が最小限の抑止から限定的な抑止へ発展すること、MRBMのような戦域抑止に傾斜することを望まない。

米国に対して以下のような応答がなされるべきだ。日本は拡大抑止を毀損しない範囲での核軍縮の試みを歓迎する。日本はドクトリンおよび戦力の両面において米国から明瞭な核のコミットメントを要求する。米国がより明瞭な原則、目的、通常戦力の配置を示すことで拡大抑止はより有効になる。東アジアへの通常戦力のプレザンスは維持されなくてはならない。核戦力についても具体的に考慮されるべきだ。米国の拡大抑止にとって日本の自衛力の強化が必要で共同の抑止構造が維持されるように現代化を進めなくてはならない。日本は米国が絶対優位にあることが望ましいが、中長期的に米国が中国との相互バランスにシフトした場合でも非対称的なレベルが望ましい。日本のミサイル防衛能力の基準となる年は2011年であり、集団的自衛権の解釈の変更が必要だ。日本は欧州のミサイル防衛に対して米国が強い態度を示すことを望んでいる。ここでロシアに配慮した場合、中国に悪いメッセージを与える云々。後半は抜書きですので具体論は本文で確認してください。軍事用語は苦手なので変なところがあるかもしれません。

以上、前提が変わらずに事態が推移した場合のシミュレーションとしてはごく理性的な論調だと思いますが、どこまで現実的かどうかは別にして日本が自前の抑止能力を強化していく別のシナリオも描けるでしょうね。ミサイル防衛が支柱というのはどうなのよということになる日がそう遠くないうちに来るかもしれませんから。欧州のミサイル防衛の帰趨の極東への影響というのは重要な点でウォッチしないといけませんね。

"Bad Advice for Secretary Clinton" by Victor Cha[CSIS][pdf]

対北朝鮮政策についてのVictor Cha氏の記事。ヒラリー国務大臣のアジア歴訪はうまくいった。北朝鮮に関して悪いアドヴァイスに従わなかったからだ。悪いアドヴァイスには二種類ある。一方の極にいるのがSelig Harrison氏で北朝鮮との核との共存を訴える輩たちである。ヒラリー氏がこうした声に耳を傾けず、北朝鮮の完全な非核化を明瞭に訴えたのは正しい。米国は北朝鮮を核保有国として絶対に承認してはならない。核を完全放棄するまでは国交の正常化や平和条約の調印に応じてはならないということだ。これを放棄した場合には日本および韓国への拡大抑止は毀損するだろう。

もう一方の極にいるのがPhilip Zelikow氏でミサイル発射施設への限定攻撃を訴えている。ヒラリー氏がこうした声に耳を傾けなかったのも正しい。確かにミサイルプログラムを遅らせるが、こうした行動が数年後にもたらす結果はより全般的なものとなるだろう。日本も韓国も戦争を望んでいない。よいアドヴァイスとは次のようなものだ。同盟国や中国と連携して北朝鮮にミサイル発射を止めるよう警告し、ミサイル防衛システムを稼動させ、国連決議1695、1718に基づく制裁の準備をし、北朝鮮への援助を絞るように中国に圧力をかけるべきだといったものだ。金正日後の体制について日中韓と協議するという発言も今後の現実を見据えていて問題ない。関係国と連携して北の体制変革に備えるというのが慎重かつ賢いやり方だ。北の核との共存や発射装置の限定攻撃はそうではないのだ、と、いかにも現実派の氏らしい論評です。ところで国連決議に基づく制裁というのは実際にあるんでしょうかね。

以上、CSISから最近の記事をピックアップしてみました。外交安全保障に関心のある方々はだいたい目を通していると思いますが、あまり日本語圏で言及されないのは不思議に思えますね。日本人論者の声が全般に小さく感じられるというのと時に日本について言及する英語圏人のクオリティー・コントロールをちゃんとしたほうがいいのではないかと思うこともあります。大御所の間に英会話ティーチャーレベルが紛れ込んでいたりしますから。誰とは申しませんが。

"Why shouldn't Kim Jong Il fire his missile?" by Richard Lloyd Parry[Times]

パリー記者もいわゆるひとつのマコーマック化が進んでいるようでなりよりです。ねえ、どうして北朝鮮がミサイルを打っちゃ駄目なの?とあどけない眼差しで読者に語りかけています。パパ、the Westもそうしてきたんじゃなかったの、と。いい事教えてあげましょうか、別に発射に反対しているのはthe Westだけじゃないんですよ。北朝鮮はジャーナリストやアカデミシャンにとって死屍累々のフィールドですから気をつけることですね、パリーさん。

ところでマコーマック氏で思い出したのは-ええ、もちろん意地悪になっていますとも-1952年にパリで起こった反リッジウェイ・デモです。朝鮮戦争で国連軍が細菌兵器を使用したという例の共産陣営のプロパガンダを受けてフランスの共産主義者がNATO軍司令としてリッジウェイがパリに到着した際に大規模デモを組織したという事件です。"Ridgway la peste! Ridgway la pest!"というシュプレヒコールは戦後の混乱期を象徴する挿話のひとつとして国民の集合的記憶の一部を構成しているようなんですね。このたびのNATO完全復帰の件でこの挿話がよく想起されているようです。赤化が著しかった時代の反米感情を示す挿話として。ところでリッジウェイはGHQ総司令官もしていたのに日本では今ひとつ記憶に残っていないのはマッカッサーの印象が強烈すぎたからでしょうかね。

ではでは。

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NATO軍事機構への完全復帰をめぐる論争(3)

予定通りサルコジ大統領がNATO軍事機構への完全復帰の宣言をしましたが、この決定をめぐってどんな国内の論調になっているのかを同時代的に記録することを目的にこのシリーズを続けておきます。

今回は社会党側ということでユベール・ヴェドリヌ氏の意見を紹介しておきます。ル・モンドに寄稿されたオピニオンです。氏はシラク大統領の下で外務大臣にもなった人物ですので外交安全保障関係にはもともと強い人です。実は社会党の声ということでセゴレヌ・ロワイヤル氏のル・モンド寄稿オピニオンも訳したのですが、こちらはとほほな感じでしたので見送ることにしました。理念は控え目に具体論で今回の決定に疑義を呈しています。

"Pourquoi il faut s'opposer à une France atlantiste" par Hubert Védrine[Le Monde]

サルコジ大統領はド・ゴール将軍が離脱を決定した33年[註43年の間違い]年後にフランスがNATO統合軍事機構に復帰することを望んでいる。彼はこのことを2007年夏に宣言したが、4月はじめには確認しようとしている。1966年には冷戦だったが、すべてが変わったのだとの説明がなされている。しかしこれは関係がない。疑問符がつけられるべきなのはNATOの存在そのものなのだ。

欧州の同盟諸国の声が同盟の中で聞き届けられるように、「段階的復讐」という新しい危険な核戦略を保証しないように、8年にわたってアメリカ側に実りなき要求をした後にド・ゴールはこの決定をなした。その後、右派も左派もすべての後継者たちはこの戦略的決定を尊重し、これはフランスの外交政策と国防の支柱となった。

この同盟内における特殊な立場はフランス世論の幅広いコンセンサスの対象となってきた。この立場は長い間アメリカにも認められたがゆえにフランスとNATOが協力のために実際的な調整手段を採用したり、多くの舞台において見られたように、フランスがその決定をなした際には関与することの妨げにならなかったのだ。

それではなぜこの断絶が必要なのか。この断絶が行き詰まった欧州防衛を打開し、「同盟を欧州化」することを同時に可能にし、我々はより大きな影響力を持つことになるのだ言われている。欧州防衛の具体化はフランスの下心への欧州のパートナーたちの不信と衝突しただけであり、彼らを安心させれば十分だといった話を果たして信じられるだろうか。欧州人は真の欧州防衛への希望の表明したことはなかったし、防衛により多くの信頼を与えることを望んでおらず、NATOとの重複を望んでいないのだ。

欧州人は非常にリスクのある責任を負うことを望んでいないし、「欧州防衛」のラベルの下で下請け的になされる周縁的ないし二義的な活動に自己限定している。古典的な責任の分担でいいのだと。彼らはペンタゴンを苛立たせることを望んでいない(ペンタゴンはコソヴォの際に同盟諸国間で相談する義務を嫌った)。

反フランスの不信なるものが口実でなかったとすれば、10年前にサン・マロのサミット後に[註:英仏のサン・マロ宣言]この不信は霧散し、PESD(欧州安全保障政策)を構想し、実現すべく自立的な参謀部が日の目を見ていたことだろうに・・・。我々の変化はなにも変えないと断言しよう。欧州防衛の進展は既に10ヶ月前に準備条件として提出されたが、次に並行的作業として、今や復帰の希望的結果として提出されている。明日には後悔として?それとも欺瞞として?欧州防衛は二足で-NATOとEU-進むというのは神秘のダユ[註:フランス、スイスにいるとされる伝説の生き物]を思わせる!

同様にNATOのヒエラルキーの内部でフランス人が重要なポストを獲得することで実現される同盟の欧州化が口実とされている。これはジャック・シラクが1995年から97年に試みて失敗を確認し、ジョスパン政府がこの試みを停止した。ノーフォークやリスボンでのそこそこ重要な司令権がフランスに与えらると言われる。しかし同盟内部の意思決定様式の抜本的な変化なしに-現在では望むべくもない-ペンタゴンの指示を受けたり、伝えたりする士官たちの国籍がなんだろうと重要な意味を持つだろうか。

ジョージ・ブッシュの下で構想されたこの復帰がカリスマ的なオバマの下で効力を発揮し、環大西洋的な現実が消滅するからというのではない。現在のアメリカの政権はより好ましいが、同盟についての別の概念を持っているのだろうか。それを示すものはなにもない。影響力が増大するという点については完全復帰により同盟内の一同盟国が内部から行使できたとかいう影響の事例を難なく挙げられるだろうに。この変化の最も熱烈な擁護者ですら明白な力関係を考慮して我が国の工業的利点を口実にはしていないことに注意しよう。軍人自身は作戦の利点と不都合に関して分かれるところだろう。

欧州化、同盟において欧州側の柱を創造すること、これはまた別の話となるだろう。同盟内で真の「欧州の集い」を創り出すということだ。アメリカ人と討議する前に、介入にいかなる地理的限定も定めないような同盟の拡大を継続することが理性的なのかどうか欧州内部で我々が検討すべきだろう(これは非常に深刻なテーマだ。第5条の関与は強制的なものである)。一貫性を欠いたミサイル防衛戦略の展開に弱い国々を参加させることは受け入れるべきなのだろうか。

こうしたことすべてに危険がある。これまで我々は決定においていかなる重みも持たなかった。もし欧州人がフランスの復帰によって同盟において発言権を獲得し、アフガニスタン、グルジア、ウクライナ、ミサイル防衛、戦略的軍縮、ロシア等についてワシントンとパートナーシップをもって決定できるならば、その通りだ、これは2つの柱を持つ新しい同盟となるだろう。フランスの為政者たちはこれほどの野心を持っているのだろうか。復帰した後にこうした革命のためにより多くの重みを持つのだと本気で彼らは信じているのだろうか。利点についてはそれゆえ不確実であり論争的なのだ。政治的不都合は明確だ。世界に向けてフランスの見直しのシグナルを送ることになる、これは脱落とそれに起因するリスクとともにそのように政治的に解釈されるだろう。これは象徴的なものに過ぎない、というのも実際には我々はもうほぼ完全に復帰しているのだから!と人は言う。

そう、その通り、これは象徴的なものだ、正常化の意志の象徴なのだ。一旦決定が実現されたならば、歯車効果であらゆる効果を発揮するだろう。この決定は、大西洋主義的であれ西洋主義的であれ、イデオロギー的な配慮に基づくものに思われる。西洋一家の中の「不正常」な状態に終止符を打てと。しかしフランスに別の事を望むことだってできる。まだそのことについて議論をすべき時なのだ。

以上、.NATO完全復帰による欧州防衛の進展は望むべくもない、NATOの改革なしではメリットは疑わしい、これは現実的な利害得失計算ではなく大西洋主義なり西洋主義なりのイデオロギー的な配慮に基づく決定ではないのか、よく考えてみよう、という主張です。別の可能性については具体的に提案していません。NATOと欧州防衛の兼ね合いの問題はもちろん最も重要な点ですが、フランスがNATOに完全復帰したところで進展しないだろうというのはおそらくその通りでしょうけれども、完全復帰しなくともあまり進展しそうにないとも言えますね。端的に言えば、どこまでコストを支払う気があるのかという話ですけれども、誰も喜んでは支払いたくない訳でしょうから。となると米仏で話を進めるというのも分かるような気がするのですけれどもね。まあ、正直、この問題、複雑過ぎて私には判断がつきませんです。

[本日の一曲]

http://www.youtube.com/watch?v=mXuOo-He_-E

和田弘とマヒナスターズ&松尾和子『お座敷小唄』(1964年昭和39年)

スチール・ギターファンとしてははずせない一曲。なんとも能天気な曲調がいいです。東京オリンピックの年の大ヒット曲。

http://www.youtube.com/watch?v=NYCD-MQ-kIU&feature=related

奥村チヨ『お座敷小唄』

こちらは奥村チヨ版。こ、この艶っぽさは・・・。

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NATO軍事機構への完全復帰をめぐる論争(2)

前回はフランソワ・バイル氏の反対論のインタビューでしたが、今回は推進派のテルトレ氏のル・モンド寄稿記事です。氏は戦略研究財団のチーフ研究者ということです。反対論に対して逐一反論しつつ完全復帰のメリットを説いています。戦略系の人ということもあって論調に理念性は薄いですね。

"La France dans l'OTAN : le mauvais procès" par Bruno Tertrais[Le Monde]

NATO軍事機構への再統合によってまさにフランスがなそうとしている賭けについて自問することは不当なことではない。パリは欧州防衛の構築を通じて大西洋同盟を弱体化させようとしているのではと疑っている我々の同盟国との信頼を再建することを望んでいる。かくして我々は自らの善意を示し、NATOと補完的な欧州軍事計画を再始動するのによりよい立場に置かれるのだ。

NATOと欧州連合の一致が強くなっただけに議論は有意義である。今日では両者のメンバーは21ヶ国は下らない。しかしこれは弾が一発だけ込められた銃だ。カードは上手く使われないといけない。他方、我々の最良の士官が欧州の慎ましいポストよりもNATOの高官のほうに魅力を感じるのではないかと恐れられる可能性もある。そこでいくつかの問いを理解する必要がある。

しかし、我々は事実上アメリカの旗の下に身を置く事になるのではとか外交的駆引きの自由や独立権力としての我々のイメージを失うことになるではといった議論は根拠のあるものではない。我々はもはやアメリカの政策に反対できなくなるとかワシントンの対外的冒険への参加要請に反対できなくなるとか述べることにも意味がない。同盟内部の決定はコンセンサスによってなされるのであり、欧州の我々の同盟国は我々と同様にこの規則に従うのだ。各国は共通の作戦への軍事的貢献について主のままである。

復帰に反対する人々はしばしば本質的な点を忘れてしまう。すなわち、独自の核抑止能力をフランスが保持しているという点であり、この地位は復帰によっていかなる影響も受けないのだ。この能力によって我々は我々の生存が他者に依存しないと主張すること、それが正しい場合にはアメリカの政策を批判することができるのだ。こうしたラインの作り手は2003年のイラクへの米国の介入へのフランスの熱烈な反対には好意的ではなかった。しかし我々が抑止に与える戦略的独立性はこうした選択をすることを可能にするのだ(ドイツは作戦への参加を拒否したが、ワシントンへの活発な反対派のリーダーではなかっただろう)。

無視できないチャンス

時代を間違えるべきではない。ド・ゴール将軍は統合軍事機構からの脱退のみが我々の完全な主権の回復を可能にすると考えたが、それは1960年代にはフランスに米軍の強力なプレザンスがあったからなのだ。ところでワシントンにはフランス領土への軍隊の再配置を要求する意図も理由もないのだ。

大西洋同盟に復帰することで「西洋側」に閉じ込められるという感情を与えるリスクを冒すことになるのだといった話を聞くと当惑してしまう。この議論を進める人々は彼らのロジックの極限まで進み、NATO脱退を提案するべきだろう!しかし、とりわけ、この議論は政治的現実を勘定に入れていない。中東、アフリカ、アジア、南米で重要になるのは大西洋機構におけるフランスの地位ではなく対米政策と共通作戦への有効な参加なのだ。アフガンやパキスタンのイスラミスト運動のリーダーたちと関連してこの主題を取り上げた者は誰でもNATOの煩瑣な制度の話は彼らの理解を超えていることを知っている。彼らにとって重要なのはフランスがアフガニスタンでなにをするのか、フランスが米国の同盟国かどうか知ることだけなのだ。

それに大西洋同盟は西洋一家の排他的な代表たる野心を持たない。ワシントン条約(1949)には「西洋」にいかなる参照も含んでいない。そして同盟は西洋起源の共通価値によって互いに結ばれた諸国の一家を代表するが、例えばイスラーム世界とと対立するものではまったくない。トルコが57年間メンバーであることを想起すべきだろうか。それからNATOの3つの大規模な作戦―ボスニア、コソヴォ、アフガニスタン―が大部分ムスリムの人民に擁護され、支持されたことを想起すべきだろうか。

最後に復帰するがゆえに我々の声が小さくなると述べることは誤りに帰着する。大西洋同盟の内部で我々の声はむしろ大きくなるだろう。我々は国益を擁護するのによりよい位置に置かれることになるのだ。NATO軍事機構の中に多くのフランス人士官が入ることで防衛と安全保障に関して我々の概念がいっそう考慮されることが保証されるだろう。同盟が新たな戦略概念にまさに着手しようとしているその時にこうした作業においてフランスの重みが増大することは無視できないチャンスとなるだろう。

以上、フランスの独自性は失われないし、戦略的自立性は維持できる、西洋陣営に閉じ込められるというのは根拠のない危惧である、NATOの戦略構築への参加はフランスの声を反映させるチャンスである、という主張です。全般に合理的な意見であると思われますが、いくら言葉で否定してもNATOが西洋同盟として映るというパーセプション上の問題はあるでしょうね。それがいいことなのか悪いことなのかは別にして。

追記

「全般的に合理的」と書きましたが、「NATOと補完的な欧州防衛」のあり方がよく見えてこないので必ずしもすっきりした印象を与える訳ではないですね。

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NATO軍事機構への完全復帰をめぐる論争(1)

NATO統合軍事機構への完全復帰については以前エントリしましたが、この件についてしばらく前からフランス国内で議論が活発になされ始めているようなので紹介しておきたいと思います。

サルコジ大統領が昨年4月のブカレストのNATO首脳会談の席でNATOへの完全復帰を示唆し、6月の国防白書に明記され、今年の2月7日にミュンヘンで同様の宣言をしたことは日本語圏でも報じられていたのでご存知の方も多いでしょう。経緯を確認しておきますと、冷戦下において米国の世界戦略の下に置かれること嫌い、独自核に基づく自立的安全保障政策を展開すべくド・ゴール大統領が1966年にNATOの軍事機構から脱退した訳ですが、この脱退はフランスの独自性を示す経験として内外で記憶されてきました。したがって今回の完全復帰はきわめて象徴的な意味合いがもたされることになる訳です。ただ今回の動きは「親米家」サルコジ大統領による安全保障政策の急旋回ではなく、「ゴーリスト」シラク大統領の下で用意された路線の延長上にあります(「」に入れたのは、しつこいようですが、私はこの手のラベルは信用しない主義ですので)。

NATOには文民機構と軍事機構の二つの枠組みが存在していますが、ド・ゴール大統領が脱退したのは軍事機構であり、文民機構にはとどまっていました。軍事機構には軍事委員会、防衛計画委員会、核計画グループが存在していますが、ユーゴ紛争を契機に95年、シラク大統領によって軍事委員会には既に復帰しています。さらに実際にはNATOとはつかず離れずの関係でしたし、今回の復帰の条件として欧州防衛の強化と独自核戦略の維持が約束されていますので、今回の完全復帰は実質的な意味合いよりも象徴的意味合いが強いと言うこともできるかと思います。

それでも米国追従やフランスの独自性の喪失につながるのではないかという懸念があり、国内議論を惹起することになっています。最新の世論調査は確認できていませんが、これまでの結果からすると賛否は拮抗している状況だと思われます。外交安全保障問題が経済問題や教育問題のようなテーマに比べると一般国民から遠く見えてオピニオンを持つのはなかなか難しいというのはどこの国でも同様ですのでメディア上の討議を受けて賛否が拮抗する状態は理解可能な話に思えます。長期的な国家戦略論というよりもアフガニスタンへのいっそうの関与の是非という差し迫った話が焦点になっているようです。

おおまかに言うと、政府与党のUMPの大部分は完全復帰を進める側にまわっていて、左派と中道派さらに右派のゴーリスト・グループの一部が反対の論陣を張っているという構図になっているようです。内容的には推進派はフランスの独自性の維持とNATO完全復帰は矛盾しない、両立可能である点を強調し、反対派は我が国は米国とは一線を画した独自外交を追及すべきであり、完全復帰は理念と国益に反すると主張している格好になります。野党のほうがゴーリスト的なのが興味深いですね。国民投票にはかけられずに、議会でのフィヨン首相の信任投票によって決議される段取りになっているようですのでどうやら多数派の勝利は間違いなさそうですが、どういう議論になっているのか紹介するためにこのエントリではまず反対派の中道政党Modemの党首フランソワ・バイル氏のインタビューを訳しておきます。辞書を引かずに超特急で訳したので変なところがあるかもしれません。気づき次第直していきますが、ご注意ください。

"Sarkozy a une obsession..."[NouvelObs.com]
ル・ヌーヴェル・オプセルヴァトワール(誌名、以下N.O.):あなたはNATO統合軍事機構への復帰計画をフランスの敗北と呼びましたが、少し誇張し過ぎではありませんか。

フランソワ・バイル(以下F.B.):私たちは世界の目にはフランス・ブランドとなっていた遺産を犠牲にしようとしているのです。大西洋同盟において私たちは責務を疎かにすることは決してありませんでした。フランソワ・ミッテラン時代の湾岸戦争の際のクウェートでも、コソヴォでも、911以降のアフガニスタンでもです。しかし統合軍事機構と距離を置くことで、フランスは自らをアメリカの影響圏に還元させないこと、世界に開かれていること、ノーと言えることを-これはイラク戦争の際に明らかになりましたが-私たちは示したのです。犠牲にしようと望まれているのは50年の歴史なのです。代償としてなにを得るためなんでしょうか。幕僚部でのいくつかのフランス人の将軍のポストですか。この独立の遺産は一人の人間の好きにできるものではなく、ニコラ・サルコジだけではなく全フランス人に属するものだと私は言いたいのですね。というのも私たち国民的な財産の話だからです。したがってフランス人が国民投票で態度決定できるのでないといけないでしょう。

N.O.:しかし具体的に言うと、どういう点でフランスの独立が今後脅かされるというのでしょうか。

F.B.:私たちがこの決定をするまさにその時、世界の目には、私たちは西洋ブロックという理念を受け入れ、このブロックに与するということになるのです。一方に欧米ブロックがあって他方に全世界があると。これはフランスにとって、そしてその歴史と普遍性にとってひとつの断念なのです。確かにフランスは西洋の歴史に属し、これを形作ってきましたが、フランスは西洋に還元されず、開かれており、西洋と一線を画して、アラブ世界やアフリカを理解できるのです。また欧州連合の独立的防衛政策の理念の終焉が浮上するのが私には見えるのです。というのもフランスの独立、その特異性、思想と言論の自由とともにいささか他に還元不能なその性格というものは欧州のパートナーたちにとって常にひとつの基準だったからです。フランスは独立欧州の保証人であり、独立欧州は時とともに米国との関係において、またいずれ南米、アフリカ、インドとの関係において新しい道を開くことになるでしょう。これは等しい価値をもった複数の柱の上に打ち立てられたより均衡した世界のヴィジョンです。かくして私たちが売り払おうとしているもの、それは私たちの過去ばかりでなく私たちの未来、フランスと欧州の未来の一部なのだと私は主張したいのです。

N.O.:あなたはサルコジ大統領の意図の勘ぐりをしてませんか。というのも大統領自身がNATO軍事機構への復帰の条件として欧州防衛の進展を掲げたのですから。

F.B.:サルコジの選択は欧州防衛は今後NATOの枠組み、すなわちアメリカの権威の下でなされることを意味するのです。それはアメリカの政権がどうなろうとそうです。例えばNATO司令官とは欧州のアメリカ軍の司令官である点を思い起こしてください。それ以外は文学の問題なのです・・・。

N.O.:あなたはフランスはNATOを疎かにしたことはなかったし、そのミッションに参加してきた点を指摘しました。専ら象徴的な決定の話を大げさに受け止めていませんか。

F.B.:ほろりとさせるような無垢さで国防省はこの決定は純粋に象徴的なものだと述べました。ええそうですとも!人間と諸国民の生において象徴とは本質的なものなのです。私たちの独立の象徴を要求しなければなりません。諸国民の中で異なる私たちの特徴を示すのがまさにその象徴なのです。統合とは、全世界の目からすれば、同化を意味するでしょう。

N.O.:しかしあなたはこの復帰を真剣に構想したジャック・シラク政権の閣僚だったのでは・・・。

F.B.:これはジャック・シラクが暖めていた理念です。彼はそのリスクをとらないだろうと私は常に考えていました。そしてこの時代以来この主題に関する私の確信は明瞭になり、強固なものとなったのです。イラク戦争の際のフランスの選択は射程と反響の及ぶ限りのあらゆる人々の目にフランスの独立の本質的な特徴を示しました。

N.O.:ニコラ・サルコジによるアメリカの領域であるイラクへの電撃訪問は彼の独立意志に関してあなたを安心させませんでしたか。

F.B.:いいえ、バグダッドでフランスはある意味、状況を確認するのに飽き足らずにイラク介入に事後的に同意を与えたのです。この独立の印の放棄には断腸の思いがします。特定のセクター、軍需産業セクターを除いてはね。このセクターはNATO市場からこれまで排除されていました。彼らが圧力をかけていることを私は理解しています。しかしある国民の歴史的使命とはどれほど重要かつ強力でも特定の利害に還元できるものではないと私は考えるのです。

以上、「独立的欧州」「フランスの独立と特異性」を護持せよ、これほど重大な決定には国民投票が必要だ、また「世界の目」と「独立の印」を繰り返して具体的利害を超える象徴的価値の重要性を強調しています。理念的には西洋主義(occidentalisme)とは一線を画すのがフランスの流儀であるという主張ですね。理念としては分かります。さりげなく歴史的使命という言葉が出るのには皮肉でなく痺れるものもあります。氏にはNATO完全復帰はフランスの影響力を行使するための選択肢の拡大の一手段に過ぎないのだといった割り切った見方はとらないようです。実際、「世界の目」には米仏関係の強化、さらには西洋枢軸の形成と受け止められるのかもしれません、いや、フランスのことだから・・・となるのかもしれませんけれど。最後の軍需産業云々のところは事情を知りませんが、やや勇み足かなという気がしないでもないですね。

[本日の一曲]

http://www.youtube.com/watch?gl=FR&hl=fr&v=5Jcm41GFLMs

ミレイユ・マチュー『ド・ゴール』(1989)

いかにも80年代的な曲調で個人的にはあんまり好みではないですが、ミッテラン大統領の依頼でつくられた将軍賛歌です。リールのド・ゴール、ロンドンのド・ゴールといった具合に生涯を回顧し、最後はフランスのド・ゴールの連呼で締めくくられています。

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滞っているようで

うーむ、国会はなにをやっているのでしょうねえ。前からそうですが、テレビのニュースを見るのがひどく苦痛なのですが・・・

パキスタン支援国会合、日米外相会談で提案へ[朝日]

数日前から報じられていたパキスタン支援国会合の件ですが、日米外相会談で提案される見通しのようです。パキスタンの支援策を主導するというのはよさそうな話ですが、ただ最近のパキスタン関連のニュースを見ているとかなり暗澹たる気持ちになりますね。震源地にならないことを願うばかりです。

それからクリントン国務長官が最初の外遊先に日本を選んだ件ですが、ジャパン・ハンズがいろいろ憶測していましたね。しばらく前から吹っ切れてある意味清々しくなりつつあるObserving Japanはこれを端的に誤りだとしていますが、残念でしたねえ。一言だけコメントすると確かに池田信夫氏は面白いですが、独自路線の方なので毒に当たらないように読まないといけないと思います。ともかくオバマ政権では当面東アジア政策に大きな変更はなさそうです。米中が経済対話で喧喧諤諤やっているこの凪を利用していろいろ手を打つべきだと思うのですが、相変わらず腰が重いです。ふう。

集団的自衛権行使 日米同盟堅持の証し[岡崎研究所]

岡崎氏が集団的自衛権行使に関する憲法解釈の変更を求めています。氏の従来からの主張ですが、手続き論の部分が気になりました。特命委員会の答申を受けて政府が新たな解釈を闡明して、政府答弁を修正、それから関係法令を改正していくという手続きを想定していた。しかし、

最近村田良平元外務次官の論を読んでハタと感じるところがあった。「委員会を設けたこと自体不要であり、不見識とすら感じた。(中略)総理大臣として責任において、日本は集団的自衛権は保有している、しかしその行使は慎重であるべきであり、最終的には総理大臣たる自分が判断すると述べ、もし法制局長官が異議を唱えれば、辞任を求めるべきだ。憲法上日本の総理はその権限を持っている」と。

ということです。そもそも内閣法制局に憲法を解釈する最終的な権限はない訳です。それがこれほどまで権威が与えられたのは55年体制下で安保に関して社会党対策を法制局に任せてきた政府与党の無責任-勿論野党やメディアのほうがはるかに無責任だった訳ですが-によると理解しているのですが、それでいいのでしょうかね。違憲審査に持ち込まれた場合にも最高裁は合憲と判断するだろうと氏は予測しています。要するに首相の決断次第な訳ですね。その際、個別的と集団的の区別をしない自衛権を主張する民主党はどのように反応するのでしょう。「自立性を高めるために」も必要なことだと思うので早いところ決着をつけてバトンタッチしてもらいたいのですが、そんな様子もないですね。

"North Korea may test-fire missile toward Japan: reports"[Reuters]

結局、テポドン祭りにでも便乗するしかないのでしょうかね。交渉に前向きとの報もありましたが、将軍様におかれましては日本の世論対策のために国威発揚の方面しっかりお願い申し上げます。いえ、つまらぬ冗談です。この問題に入り込まない形で同盟国としてできることをやっていくということなんでしょう。ふう。

首相、領土問題最終解決へ交渉 改めて表明[産経]

18日に予定されているサハリンでの首脳会談に向けて北方領土返還要求全国大会で麻生首相が挨拶をした模様です。そう言えば、テレビでも公共広告を流してましたね。記事によれば、エネルギー価格の下落を受けてロシアが擦り寄ってきているように見えるこの間に最終解決に向けて交渉を進めたいと考えているとのことです。関連してガズプロムのLNG供給に関するもありました。ただそういう雰囲気でもないような気もするのですがね。キルギスの基地閉鎖のもあったばかりですし。長いことロシアとの関係は強化したほうがいいと思っているのですが、進展はあるのでしょうか。

政府紙幣 悪循環からの脱出に期待[産経]

しばらく前から日銀批判を始めていた産経新聞の経済論調の変化に注目していましたが、これはおおっとなりました。この辺の発想の柔軟性が産経のいいところです。右翼新聞などと英語圏ではいつも揶揄されてますが、こういう顔もあるんですよー、どういう背景になっているのかは知りませんけれどもね。日銀が十分な緩和をする気がないならば、政府紙幣も考慮せねばなるまいと主張しています。日銀が素直にうんと言う場面を想像しがたい以上、こういう案が出てくるのは特に不思議ではないと思うのですが、「対案なしで」無下に否定する声が大きいようなのにむしろ違和感を覚えます。個人的には積極的に政府紙幣を支持しませんが、牽制球になるのでしょうからその方面におきましては大声で議論を続けるべきだと思います。ただ、そうですね、万が一発行されるとしたら、私自身は「ウラシロ」是清紙幣を是非見たいです。いえ、つまらぬ冗談です。現行と同じデザインでしょうね。

B50yen_2

[B号五十円http://chigasakioows.cool.ne.jp/syouwa04.shtml より転載]

追記

JFが農水省を揶揄していますね。私もあまり農水省ファンではないんですけれどもね、ここってブログでしたっけ?クリティカルでありたいなら本気でやったらどうですか。ごく稀に読ませる記事がありますけれど、常連さんに本当の意味でクリティカルな知性はいないようですね。自らの根拠を揺さぶらないクリティックなんてその名に値しないです。気楽なもんですね。個人的には日本のいわゆる「良心的」な人々が利用されている光景ほどうんざりさせられるものはないんですよね。

再追記

言わずもがなのことですが、これはいわゆる「裏切り者」をめぐる問題系の話ではありません。私は不安な民族主義者ではないですし、政治的すれかっらしを別にすればいわゆる「良心的」な人々に対してさほど悪感情はないんですね。私には彼らは懐かしい人々です。英語圏に彼らの発言の場があることそのものは悪いことではないでしょう。私の嫌悪はそれが公平な第三者のような顔をした、その実、自らのアジェンダを抱えた人々に利用されるような構造にあります。つまりくだらない叩きと真率な自己批判のブレンドぶりが不快なんです。また特定イシューについて意見の多様性を誤表象しないように編集するのが公平な態度というものではないですか。公平なんて知るかというならばそう宣言すべきです。Alternative JapanとかLeftist Journal of Japanとでも名乗ったらどうです。ともかく今の状態は中途半端でミスリーディングです(←文意不明でしたので修正しました)。

ロシア関連の報道がどうも変だ[極東ブログ]

うーむ。なにかぎくしゃくした感じがあるのは確かですが、特定の勢力による横槍というのもありそうな話ですねえ。まあ、私にはとうてい判りませんけれども。

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お疲れ様でした

ここしばらくかなりあたふたしているのですが、とりあえず生来の三日坊主な性格を矯正するためにも—このブログを運営する目的のひとつ—ゆるゆると更新しておきます。

"Six-party standstill"[Economist]
六カ国協議が暗礁に乗り上げたのを受けた記事。英語圏の議論が分裂的になりがちなのでこうした引いた感じの記事はいいですね。そう言えば、日本もなんだか随分と理不尽な叩きを受けてましたね。北朝鮮の相手は誰がやっても難しいのでしょうが、ともかくヒル氏の顔を見なくて済むのは個人的にはありがたいです。将軍様の状況に関して様々な情報が入り乱れていてどうなるのかよく判りませんが、体制がなんとか保たれる限りは膠着状態が続くことになるのでしょうね。まあもう米中間の問題ですから日本としては国内問題の処理や安全保障体制の整備を粛々と進めていく他なさそうです。政治社会言説の再編成も進めないといけないのでしょうが、こちらはもっと時間がかかりそうですねえ。

"Escapee Tells of Horrors in North Korean Prison Camp"[Washington Post]
"Three Kernels of Corn"[Washington Post]
率直に申し上げてBlaine Harden氏はさほど評価していないのですが、WaPoにこの記事が掲載されるのは意味があると思うのでリンクしておきます。脱北者のロング・インタビューです。またこれを受けて北朝鮮の人権問題にもっと関心を向けろという社説です。大量難民を怖れて人権問題に目を閉ざす韓国と核問題に集中して人権問題から目を逸らしている米国を批判しています。アメリカの高校生はルーズヴェルトはなぜヒトラーの収容所行きの鉄道を爆破しなかったのか討論しているが、何世代か後にはなぜ西洋は衛星で把握していながらキム・ジョンイルの収容所になにもしなかったのか子供達に尋ねられるだろうと。私はこの種の歴史的類比はあまり好みませんが、現在の膠着した状況でこうしたメッセージを発する意味はあるのでしょう。

"False god?"[Economist]
朝鮮日報も中央日報も長いこと目を通していないので隣国の状況をさっぱり掴んでいないのですけれども、このミネルヴァとかいう経済ノストラダムス氏による騒ぎについては聞き及んでいました。この記事では民主化との絡みで政権批判の要素を強調していますが、どうなんでしょう、やや不健全な現象に見えます。ネットでの流言がマクロなレベルでネガティブな効果を発揮するという現象ですね。やはり似たところの多い国ですから我が国と比べたくなりますが、社会の細分化が進んでいる分ここまで大きな話にはなりにくいのでしょうか。現在の日本で予言者氏のところに数百万人が殺到するということはなさそうな気がしますが・・・、そうでもないかな、どうなんでしょう。

"Japan, Australia sign cooperation pact"[AFP]
第2回の日豪2プラス2が開催され、「アジア・太平洋地域の安全と安定の促進」が謳われています。他のソースでは防衛情報共有の促進での合意の部分にアクセントが置かれていますが、軍事訓練や将官の交流等を今後さらに押し進めることが確認されたとのことです。防衛情報の共有ということで法制面での調整等もあるようですが、我らが自衛隊の情報管理能力の向上を願います。この記事は両国の外交関係がしばらく冷え込んでいた点について細々と書かれていますが、鯨についてはイデオロギー・イシューを非妥協な仕方で外交に持ち込んだ際にはどういう結果になるのかという問題のひとつの事例として、あるいは英語メディアの言説戦術の読解練習問題としては多少興味がありますが、本音では季節の風物詩ぐらいにしか捉えていないので特にコメントしないでおきます。ところで去年もそうでしたが、一般に日本のメディアの日豪防衛協力への関心の薄さはどうにかなりませんかねえ。アメリカと中国と朝鮮半島だけが世界ではないと思うのですけれども。

"Japan ends five-year Iraq mission"[BBC]
自衛隊がイラクでの任務を終了して撤収することが決定したという話ですが、隊員のみなさまお疲れ様でした。麻生首相が隊員および家族を称える言葉が引用されています。記事では今回の派兵がcontroversialなものであった点を強調していますが、まあそれはいいでしょう。実際、そうだった訳ですから。このたびの貴重な経験は今後の活動に活かされることでしょう。本当にお疲れ様でした。

追記
日豪2プラス2は読売が社説で扱っていましたね。有力紙が一紙も社説でとりあげないのはまずいでしょうから評価したいと思います。

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マグロ食うな

すっかりと冬めいてきましたねえ。私はこの時期がわりと好きなんですよね。というわけでここしばらくなにか生き生きとしているような気がします。

"Geithner a balm for Japan's Clinton trauma"[Asia Times]
Kosuke Takahashi氏のこの記事ですが、新政権における財務長官へのガイトナー氏の就任をめぐる日本側の反応についてよくまとまっています。民主党政権ということでクリントン時代の悪夢を想起する人も多かろうが、そんな心配はいらんだろうということですね。日本語話せるから嬉しいみたいな反応はどうかとは思いますが、確かにサマーズ氏よりはやりやすそうではありますね。前政権からの「変化」の強調には向かないでしょうけれども、GSのポールソン氏よりはこの実務屋さんのほうが受けがよさそうな印象を持ちますが、私はアメリカ国民ではないのでその辺はよく判りません。なお橋本政権時のパッシングについての物悲しいけれどもやはり正しさを含んでいるのかもしれない解釈に軽く頷かされました。どうせまた今後もジャパン・パッシングだの日本の存在感の低下だのといった扇情的な文句がメディアの一部で踊るのでありましょうが、共和党政権のゼーリック氏にだって「パッシング」されていたわけで、この凪を利用して我々は我々がなすべきことを淡々とやればそれでいいのであって、あのニコラ・クリストフ氏とつるんでいる誰かさんがなにを言おうとも涼しい顔をしてスルーすればそれでいいのですね。関係ないですが、記者クラブのよくある批判なんかよりもFCCJ改革の提唱をしたらこの方も評価するかもしれません。そうですねえ、まずはスシ・バーからマグロネタを出すのを止めることあたりから始めたらどうでしょうかね。いえ、勿論冗談です。

"China's cyber warriors a challenge for India"[Asia Times]
同じくアジアタイムズですが、インド側から中国のサイバー・ナショナリズムを警告する記事です。孫子の戦わずして勝つ戦法を紹介して国境問題での心理戦でインド国民が戦意を喪失しないようにする必要があると論じています。インド国民はそんなやわではないような気がするのですがね。というか最近はきなくさい話ばかり聞こえてきますねえ。この記事ではオリンピックの際の反西洋ナショナリズムをとりあげていますが、やはりこっちが本筋なわけですよね、日本は手軽なターゲットということで。逆に西洋メディアが日中対立を強調するのは願望が入っているような気がしますね。このもつれた関係を日本に有利に動かすにはどういう戦略が望ましいのかなかなか難しいところですが、結局、涼しい顔で見物しているのが当面は正しいような気がしてきます。この点で我が国が外国語音痴ばかりなのはあるいは幸運なのかもしれません。ところで前に紹介したサルコジ氏とダライ・ラマ猊下の会談話がサミットへの中国代表の欠席ということでさっそく展開しているようです。中仏の確執ならばまあいいですよね、自己中同士やってなさいと。だいたい砲弾が飛び交ったり死人が出るようなこともないわけでしょうし。まあ他国は最終的にはどうでもいいのであって淡々となすべきことをなすのがすべてに優先ということなんでしょう。

"Obama and Japan’s security policies"[East Asia Forum]
Peter Drysdale氏の岡本氏の提言への論評。前に岡本氏がアジアタイムズに寄稿している記事は紹介しましたが、このブログ記事が言及しているのはNautilus Instituteのサイトに掲載されたほうの記事です。内容はだいたい同じで日本がより自立性を高めることが対米関係を安定させるとして、具体的になすべきことが列挙されています。
(1)在外日本人の保護の能力を高めよ(バングラディッシュなど大使館等在外公館保護のために自衛隊を利用せよ)
(2)復興支援国で援助活動をする民間人保護のために兵員その他を送れ(アフガニスタン)
(3)大量避難や人道救助のための自衛隊の能力を向上させよ
(4)公海における船舶の安全航行を保護する作戦への参加のための恒久法を策定せよ
(5)テロとの戦いへの「言葉での」コミットメントを再び表明せよ
これは難易度はそれほど高くなさそうですが、現在の政治の混迷ぶりを見るとちょっと実現しそうにはないとしています。ただ日本の著名かつ尊敬されている安全保障グルの意見として重要だと。まあこんな風に受け止める人もいるわけですから、やはり英文で公表する意味はありますね。なおDrysdale氏の対北朝鮮政策への論評はやや田中均氏寄りに過ぎると思います。いえ、私は別にもともと強硬派支持者ではないです。が、タカとハトの間にもいろいろなスタンスがあり得ることを知っていただきたいなと思うのですね。

"軍を律する文民統制とは何か 民主国軍と非民主国軍の違い(1)"[NBonline]
吉田鈴香氏の文民統制に関するバランスのとれた啓蒙的記事。スウェーデンに詳しい方のようで具体論の部分は著者の見聞が活かされています。この件で統制主体であるはずの総理大臣と防衛大臣が他人顔をしているのはよくない、またこの問題を政争の具にしようとしている野党の姿勢も筋をはずしている。また日本の政治家は兵士の士気を高める言葉を常日頃から発しなければならない。文民統制が真に機能しているかどうかを判別するのには教育プログラムを見ればいい。軍の質をはかるには「理論教育」「倫理教育」「実戦訓練」「最新鋭装備」の4つの視点から観察すればいいが、この4点が○なのが民主国軍であり、非民主国軍は「理論教育」が△ないし×であり、「倫理教育」は×である。だから危ない。倫理教育とは人権思想の根幹が入っているかどうかだ云々。日本語圏で議論をするとどうしても先の大戦の記憶に左右されてニュートラルにならないこともあってこういう冷静な視点はいいですね。ただ一般論部分はいいとしても、文民統制の具体的なあり方というのは国によってけっこう違うのでなかなか面倒くさいんですけれどもね。

なお文民統制に関するネットソースとしては山田邦夫氏の「文民統制の論点」というpdfは一般論から具体論まで論点が網羅されているのでおすすめしておきます。スミスもハンチントンも読んでいない無学な人間なのでなにも言えませんが、日本の政軍関係史におけるパールマター氏やファイナー氏の見方は興味深いですね。三宅氏や纐纈氏は反論されていますが、実は私もこういう見方に近いところがあります。明治立憲体制は完全に維持されており、言うまでもなく途上国型の軍事独裁などではなかったのですから。いえ、別にだからいいというのではなくて、だから難しいのだと言いたいのです。単に低く見たり悪く言えばそれを克服できると思い込むのは思い違いというやつです。それから文民統制の話になると文官統制とは違う云々という決まり文句が飛び出ますが、ここは政治文化の問題になると思います。行政権の強い国はどこでも文官統制的になっていますし、それも文民統制の一部と理解されているようですから。ちなみにタモガミ・アフェアに関して国会やメディアで叫ばれている文民統制についてはうーむ、という感じがありますね。私みたいな無学者でもなにか変だと思うのですから、困ったものです。シビリアンの側がこれでは軍隊をコントロールできないではないですか。まあ私もぼちぼち勉強することにします。

ではでは。皆様もお元気で。

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反論では弱過ぎる

"Rudd angered by Gallipoli remarks"[BBC]
日本にとって第一次世界大戦はやはりどこか対岸の火事のように—それが誤りの始めだったわけですが—記憶されている歴史事象でありますが、ガリポリ上陸作戦は後のトルコ共和国初代大統領ケマル・アタチュルクが当時零落の一途をたどっていたオスマン・トルコ側の「反乱将軍」として獅子奮迅の激闘をしたことで有名な戦いです。オーストラリア史には最近まで興味がなかったので恥ずかしながらこの戦いで敗北した側へのインパクトについて知ったのはごく最近のことでした。そういうわけで個人的にとてもタイムリーな記事でした。オーストラリアとニュージーランドのネーション意識形成にとって重要な意味を持つとされるこの戦いの評価をめぐって元首相と現首相の間でちょっとした諍いが生じているようです。記事によると、労働党の元首相のポール・キーティング氏の発言は以下。

Without seeking to simplify the then bonds of empire and the implicit sense of obligation, or to diminish the bravery of our own men, we still go on as though the nation was born again or even was redeemed there - an utter and complete nonsense.

これに対してラッド首相がガリポリはオースラリアのナショナル・アイデンティティーの一部であり、この戦いの犠牲となった兵達はプライドの源泉であり続けると批判しているとのことです。「ナショナリスト」ラッドの一面が出ていますね。記事にもあるように、この戦いで勇敢なアンザス軍兵士が無能な英軍に裏切られたという「伝説」(ママ)が旧宗主国からの独立意識の高揚に大きな役割を果たしたとされているようですね。オーストラリアのナショナル・アンデンティティー・ポリティックスもなかなかに複雑なようでそれが時に不透明に見える動きとなって現れることもあるようです。最近少し勉強し始めたばかりの素人ですのでここではあまり踏み込まないことにします。なお今日はオージー・ビーフをいただきました。牧畜業のポールさん(かどうか知りませんが)には感謝を捧げます。

"U.S. candidates vow to 're-engage' Japan"[Japan Times]
アメリカの両大統領候補の対日政策についてのJTの記事。小泉ブッシュの蜜月時代—首脳同士の個人的関係に依存する—から徐々に齟齬が大きくなっている中で日米関係をどう再定義していくのかは勿論我が国にとって死活的な問題なわけですが、関係者を除くとどうもそういう問題意識が広く共有されているようにあまり感じられないのが困ったものです。それほど濃い内容ではありませんが、ジャパン・ハンズや研究者の声が拾われているので便利な記事かもしれません。個人的にはマケイン氏よりもオバマ氏のほうが日本の国益にとってはいいのではないかと思い始めていますが、これには賛成しない方も多そうな気がします。ただ嬉しいことを言ってくれる相手が必ずしもいいパートナーとは限らないわけで、一部にある民主党アレルギーにはあまり根拠がないように思います。それもある種の対米依存心の現れだといったら叱られるのでしょうか。記事の最後にあるように問題は日本側で政権交代があった場合にどうなるかですね。やはりやらかしてしまうのかもしれません。それが致命的なものにならないことを願うばかりですが、いくらなんでもそこまで愚かではないだろうと信じたいものです。

白川日銀総裁記者会見の一問一答[朝日]

 ──与謝野馨経済財政担当相が利下げに肯定的な発言をして以降、日銀の考えが変わった印象があるが。総裁は政治的な圧力を感じたか。

 「結論から言うと、政治的なプレッシャーを感じたことは全くない。どの委員もそうだが、国会の同意を得て内閣が任命して政策委員メンバーが選ばれるが、いったんこの仕事に就くと、何を一番大事にするかと言うと、自分に託されている仕事をしっかり果たしていくという責任だ。責任は、その瞬間で評価されるのではなく、ある程度の時間を経て経済や金融の姿によって評価される。それだけに、何年何月にこういうことがあったというのは、ほとんどの人は覚えていない。自分が、ここでどういう決断をするかが、将来の金融・経済にどのような影響を与えるか、その一点で判断をしている。例えば、これだけ経済情勢が厳しい中で、政策金利を引き下げてもどれほどの効果があるのか、ということもあると思う。確かに、今、経済の大きな調整を考えると、金利だけで変化するわけではない。一方で、日本銀行は金利政策を委ねられている。自分達自身がアクションに責任を持っている立場であり、そうした立場で何をやるべきかということをギリギリ考えているということだと思う。ほかの委員の頭のなか、感情の動きをわたしが云々する話ではないが、自分の経験からして政治的なプレッシャーがあって、この際、金利を下げようと判断した人は1人もいないと断言できる」

へえ、そうなんですか(棒読み)。しかし金利の上げ下げのたびにこうも方々からノイズが発生するのは本当に困ったものです。日経も・・・。日銀がまるで高い見識をもって政策決定しているがごとく見せることが大切だと思うのですけれどもね。

"So much for the Japanese system of lifetime employment"[Coming Anarchy]
またですね。これほどの責任ある公的地位にある人間がなぜこうも不用意な個人的見解を公表したがるのか理解を絶しています。繰り返しますが、歴史は歴史家に任せろです。この「論文」は読んでいませんが、報じられている限りでは「正論」あたりのサークルの論議とさほど変わらないように見えます。仲間内の談義の臭いがします。この方はまったく存じ上げておりませんが、幕僚長がこの程度の見識では困ります。個々の論点についてコメントしませんが、この手の論調の問題を指摘するならば、それが「反論」でしかない点です。「東京裁判史観」とやらへの反論形式をとっている限りは永遠に脆弱な立場にとどまり続けるでしょう。たとえそこに実証的になにほどかの貢献があったとしてもです。戦後の支配的言説に不満があったとして事実を淡々と積み上げて単純なナラティブに複雑な現実を対置するか、より洗練された複数のパースペクティブを提示していくかのどちらか以外にはなんら生産性はないのであって粗雑な「反論」の形をとった時点で敗北してしまいます。不条理に思えてもそれが現実であることを認識してください。ともかくこういう自爆は百害あって一利無しです。拍手をおくっているむきには暗澹たるものしか感じません。あなた方はすっきりすればそれでいいのですか。政権の動きは迅速で評価に値すると思います。やはり麻生氏は外交に関してはなかなか手堅いようですね。

ではでは〜。

追記
後で読んで舌足らずに感じられましたので追記します。「歴史は歴史家に・・・」というのは単に放っておけという意味ではなくて歴史問題については国際的に通用する学者を養成することが大切だという積極的な意味合いもあります。また不用意な発言に対して批判的なのであって、一切語るべきではないという意見でもありません。ただ余程戦略的に振る舞わないとやられます。メディアも日本語圏以上に英語圏のメディアを意識したほうがいいと思います。もはや主戦場はそちらになってしまっているようですから。次に幕僚長の主張ですが、論点のすべてを全面否定するつもりはないですが、単純な誤謬に溢れていますし、自衛隊のトップクラスの主張としては幼稚過ぎると思います。こんなチープな陰謀論つかまされるなんて。最後に「正論的」論調(ひとくくりにはしませんが)については「東京裁判史観」へのアンチをやっている限り、そこから抜け出せなくなると思うのですね。東京裁判そのものはいくつかの優れた仕事によって既に「歴史化」されているわけですからもはや議論の参照点にしないほうが賢明だろうと思います。またここにこだわりだすと反米主義しか出てこないような気がするのですが。また一部の論者はその悪魔化の修辞の乱用により視点が極度に狭隘化してしまっていて対立する当の相手のイメージもそうとうに奇妙なものになっていると思います。もはやマルクス主義者全盛の時代ではないのです。アンチが強くなり過ぎると対立する当の相手をちょうど裏返したようにしてドグマ化、イデオロギー化してしまうなどとよく言われますが、その見本のような話に思えます。こういう人々に関しては、率直に申し上げまして、左翼イデオローグもろともに没落することを祈っています。

再追記
雪斎氏の軍人勅諭による批判にシビれてしまいました。まあここで226を想起するのはいささか行き過ぎかもしれないとは思いますが。今回の事件には人をして脱力させるなにかが漂っています。なおこの件についてはいろいろ読んでみていくつかの軍事ブログが一番説得的でした。

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声が小さい

東欧の経済状況の悪化ぶりについて書こうかと思ったのですが、もう少し調べてからにしようと思い直して以下最近の英語圏のJapanネタをクリップしておきます。

"Will Japan Go Nuclear?" by Robyn Lim[Far Eastern Economic Review]
ねえ、最低限ググって調べてから投稿したほうがいいんじゃないという他のまともなメンバーの無言の抗議と冷ややかな視線を全く気にしないその傍若無人ぶりで名高いNBR常連のロビン・リム氏の記事。関係ないですが、NBRって無知で傲慢な人間達を少数のエキスパートが教え諭す場なんでしょうか。この記事は地政学の奥村さんのところのその著書についてのコメント(ふーん)つきのエントリから。このたびのテロ支援国家指定解除が日本の核武装への道を開くだろうと警鐘を鳴らす内容です。どうもまったく思わぬところから援護射撃(?)が来たようで、まあ、危機を煽っておいてくださいな。誰かに対する牽制になればいいんじゃないですかぐらいですね。

"Japan as Spoiler in the Six-Party Talks: Single-Issue Politics and Economic Diplomacy Towards North Korea" by Maaike Okano-Heijmans[Japan Focus]
Japan Focusということでどうせまたアレな記事だろうなと思っていたらなかなか精密な分析で感心しました。そう言えばこの論者は前にどこかで読んだことがありましたねえ。日本の対北朝鮮外交についてこの記事はよくまとまっていますのでこの問題についてなにか言いたいJapan論者は最低限この程度の知識と認識をもってからなにか言うようにして下さいね。勿論すべての文脈をひとつの記事に網羅することなどできませんから、他の文脈もあるだろうぐらいの想像力ももっていただきたいですが。別に日本が積極的にエンゲージメントすべき理由がなかっただけの話で特定条件下においてはごく合理的な行動でしょう、そして条件がどのように変化したのかの算術が今必死になされているのでしょう。それだけのことです。アメリカへの信頼性については別に平気なのではないでしょうかね。単純な反米屋さんには本当に困ったものですけれども、我が国には戦略的親米派がいればいいのであって奇妙な種類の親米屋さんが減少していることそのものはよい傾向だと思いますね。なお私は戦前の「親米派」自由主義者達に深い敬意と愛着を抱いている人間です。

"Managing the Japan-US alliance" by Koji Murata[East Asia Forum]
East Asia Forumは全般に「東アジア共同体」的な発想をする英語圏のリベラル系論者が集うところという印象のあるブログですが(いろいろいますが)、日本や中国においてその名が口にされる時の響きやイメージと英語圏のリベラル系論者のそれとの落差を味わうにはなかなかいいところかもしれません。Siro Armstrong氏の政局ネタにも飽きていたので村田教授が寄稿しているのを見ておやと思ったので紹介しておきます。ここしばらくの日米関係の不協和音に対する警鐘といった内容で日本国民からするとなんということもないことが書かれているわけですが、英語でこういう場所に寄稿すればそれだけで十分に意味があります。なぜならば英語圏においては日本国民のヴォイスが圧倒的に不足しているのですから。

"New US leaders need a Japanese 'jolt'" by Yukio Okamoto[Asia Times]
ウィリアム・スパロー氏の植民地主義的欲望に塗れた記事によって信頼性を著しく損なっているアジア・タイムズですが、この微妙過ぎる新聞にも日本国民の寄稿者が増えているようでなりよりです。岡本行夫氏による日米の安全保障関係についてのこの記事ですが、民主党によるインド洋での給油活動への妨害を批判し、在留邦人の保護や海洋の安全における自衛隊の役割の強化を訴えています。これも日本国民からすれば特になんということもない話でありますが、英語で発信することに意味があるわけです。なぜならば英語圏において日本国民のヴォイスは徹底的に不足しているのですから(何度でも反復します)。

"The LDP's Long Goodbye" by Tobias Harris[Far Eastern Economic Review]
ハリス氏の自民党における派閥の機能についての記事。近年の総裁選挙や閣僚人事から派閥の無意味化の傾向を指摘しています。派閥はどうやら多数の勉強会や議員リーグやイデオロギー的なクラブや伝統的な族議員に席を譲ったように見えるといい、近年の自民党は派閥や政策集団というよりも漠然としたイデオロギー的な「傾向性」で分裂しているようだと述べています。中川昭一氏の「真の保守」、中川秀直氏の「上げ潮派」、与謝野馨氏の「財政再建派」、伝統的な族議員、加藤紘一氏の「リベラル」、それから多数派たるリスク回避派(the risk averse)と。それで麻生内閣で表舞台から去った小泉構造改革派の後継者達の去就、彼らが自民党にとどまるのかあるいは党を離脱するのかが問題になるとしています。そしてこのイデオロギー的傾向性へのシフトによって自民党はかつてのような一貫性—権力の座につき続けるという目的の下で—を喪失した。かつてもイデオロギーは存在したが、派閥が無意味化するにつれて、政権の維持と並んで政策的目標がイデオローグ達にとって重要になっている。最後は問いかけで終わっています。

Can the LDP last as a party pursuing several distinct and contradictory policy agendas? Will Mr. Aso or a future party leader be able to impose a uniform policy agenda on the party? Or will the next general election prove a catalyst for a party realignment that breaks up the LDP as it exists today?

なるほど。これならばさほどの異論はないですね。私はハリス氏の「イデオロギー」や「イデオローグ」の用法を取り違えていたのかもしれません。別の言葉に置き換えて読めばいいわけですね。ただ日本政治思想史と日本政治史の常識が英語圏で十分に共有されていない以上、ハリス氏の記事を読んでも読者には自民党の「保守」とか「リベラル」とかの意味は判らないでしょうね。また実際には仔細に各グループの面子を観察してみるとその乱雑さに軽く目眩がしたりするわけですね。一枚岩の思想集団などではないわけです。このあたりはどうも海外ウォッチャーには見えないようです。それと私自身は一国民として我が国の政党政治の成熟を待望しておりますし、特定の政治家さん達を応援したりはしているのですけれどもね、消音ボタンを押して眺めると、私の目には日本政治はある運命の作用の下に置かれた剥き出しの権力政治として現れますね。そういうわけで私に興味があるのは本当はどちらかといえば政治家達の言葉と行為のずれのほうです。

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快楽亭ブラック

Electronic Journal of Contemporary Japanese Studies[ejcis]という日本研究の電子ジャーナルの存在はどれぐらいの人に知られているのか判りませんが、ここは一定の水準の記事が多くてそれほどはずれが少ないなという印象があります。寄稿者の大部分は英語圏の日本研究者ですが、日本人研究者もいますね。ただ日本語圏でここが参照されたり、ここから議論が展開したという光景も見たことがありません。なんとなくもったいないので新しいのを2本紹介しておきたいと思います。

"Transforming Security: Politics Koizumi Jun'ichiro and the Gaullist Tradition in Japan" by H.D.P. Envall[ejcis]
「日本のゴーリスム」をテーマにした論文ですが、岸信介、中曽根康弘、小泉純一郎の安全保障政策が検討されています。そもそも戦後日本にゴーリスムの伝統はあるのかという点から議論は開始されています。以下内容を要約すると、確かにゴーリスムの伝統はあるのだが、理想主義的な少数派だ。また日米同盟を受け入れている点で軍事リアリストと論じることも可能だろう。とはいえ自立(autonomy)を目指す伝統というのはあり、岸、中曽根はこうした目標を共有していた。実際には首相として日米同盟の枠組みの中で現実的にアジェンダを追求したのだが。小泉もまたこの伝統に適合する。前二者よりも自立への関心は低いようだが、憲法改正や自立外交(イラン、北朝鮮)といったゴーリスト的な政策を追求した。また小泉は安全保障に関する国内変化をもたらしたという点で前二者よりもはるかに前進した。今後ゴーリスムが日本の政策となるかどうかは未知数だが、この可能性を開いた点で小泉は重要であると。

日本の外交安全保障潮流を記述する際の用語系ですが、戦後日本には非武装中立主義、政治リアリズム、軍事リアリズム、ゴーリスムの4種類が存在したという望月氏の分類に基づいているようです。軍事リアリズムとゴーリスムの違いは前者が日米同盟を自明視しているのに対して、後者が「自主防衛」への志向を少なくとも理念において保持している点にあるようです。そして論者が強調しているのは日本のゴーリスムが国内アジェンダとの関連性が強いという点です。国内体制を変化させるためにこうしたアジェンダが追求されると。それから日米同盟との兼ね合いから自立をめぐるパラドックスがあるとしています。日米同盟の強化によるアジェンダの追求という形をとると。憲法9条と日米同盟という枠組みの中で自立を追求するのだからそうなるのは自明なのですが、英語で説明するにはここから確認しないといけない訳ですね。ただアメリカと接近することがむしろ自立性を強化するのだという考えは別にパラドックスではないと思いますけどね。この点でCIAのスパイだから岸はどうのこうの言っている人は底が浅いですね。この人はなかなか凄いです。現在のフランス的な補完的自立の道というのもないわけではないのですから。結局のところコストを考えて判断するしかない訳ですが、後者の志向も現実的にはともかく原理的に排除すべきではないと思いますね。素朴な反米主義の情念に染まった自立論には私は与しませんが、安全保障関連についてはもうタブーなく様々なオプションが検討されるべきなのは言うまでもないことだと思います。

"Narrating the Law in Japan: Rakugo in the Meiji Law Reform Debate" by McArthur, Ian[ejcis]
こちらは面白かったですね。名前しか知らなかった明治の外人落語家快楽亭ブラックと自由民権運動、明治の司法改革の関わりを探った論文です。イギリス植民地オーストラリア出身の英国籍のヘンリー・ブラックが渡日したのは1865年のことですが、新聞社のスタッフ、政治活動家、演説家、落語家として精力的な活動を展開します。自由民権運動の最高潮の時期には民権論、条約改正、監獄制度の是非、ナポレオン、吉原の廃止、開国のデメリット、治外法権、刑事訴訟手続き、コレラ予防、陪審制、政体論、課税、証拠裁判の説、米価高騰、人民と政府の関係などについて登壇して演説をしたといいます。1880年の政府の集会条例による弾圧以降はいわゆる軍談グループに参加して政治活動を続け、1890年には落語家グループに参加、真打ち快楽亭ブラックとなります。論者によれば、ブラックのキャリアは、この時期多くのかつての闘志が政治小説家になったり社会運動に参加したり新聞を創刊したりしたように、民権運動の拡散のプロセスをなぞるものであったといいます。

落語は映画登場以前の最大の大衆的娯楽であった訳ですが、論者によれば、検閲にひっかからずに自由な表現ができる柔軟なメディアであったとされます。この時代の落語家はマスにアピールする教育者、啓蒙家、エンターテイナーであり、また出現したばかりの大衆向けのいわゆる「小新聞」、さらに落語の「速記本」を含めたメディア環境はブラックのアジェンダの追求の場として相応しかった。主として落語化された英語の探偵小説やミステリー小説をレパートリーとしたといいますが、このジャンルは社会規範や司法批判の要素を含んでいます。以下論文は司法に関わる師匠の三遊亭円朝とブラックの噺の比較分析をしていますが、前者が儒教的なモラルへのノスタルジーに染められているのに対して後者が西洋化と近代性のネガティブな影響への警告を含むものの基本的に変化に楽観的であるという対照性を示しているとされます。

結論として1890年代においても寄席や速記本のオーディエンスの間では近代性が好奇心と議論の対象であったこと、西洋並みを目指した司法改革によって失われたモラルを哀惜していたことが指摘されています。最期にこのアプローチの差は近年の司法改革の議論においても同じように見られるが、一方通行の議論にならないようにするためにもこの時代の国内法と西洋諸国の法律との擦り合わせの歴史に注目すべきであるとしています。また歴史的経験から日本側からもいろいろメッセージを発することができるだろうと。

大衆メディアと民権運動、翻訳文学、テキストと口頭、在日外国人(帰化日本人)、司法改革の問題など論点は非常に多岐にわたるのですが、いわゆる外人タレントのはしりみたいな存在でもある「江戸の英国人」快楽亭ブラックという人物が単純に興味深かったですね。この人物を突き動かしていたのはフリーメーソンとしての情熱だったようですが、ここまでやる人はそれはそれで尊敬に値するように思えます。英語の世界に閉じこもっている人々に比べたらね。民権と落語というテーマは他にも論じている方がいたと記憶してますが、政治史中心の民権運動史では見逃される運動の裾野を垣間見させる面白いテーマだと思いました。演歌もそうですが、この時代はとても政治的なんですよね。しかしディケンズやモーパッサンが落語化された時代なんですよねえ。凄い時代です。

こんな感じで興味をひいた記事はまた紹介したいと思います。ジャパノロジストの成果が英語圏や研究者の狭いサークルだけで閉じているのはもったいないと思うのですね。何度かケチをつけたので誤解されているかもしれませんが敵愾心を持っている訳では全然ありません。ただアカデミシャンの間でも健全な相互批判がなされているのかどうか怪しいというのと、一般的に日本の公論との間で相互性が欠如しているのはとても問題だと思うので、その資格があるのかどうか不透明な素人にも関わらずあえてブログで紹介したりコメントしたりしている訳ですね。というわけでお気を悪くされないように願います。

ではでは。

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紛争の余波

世間はオリンピック報道一色のようですが、グルジア紛争のことがどうしても頭から離れないのは、この地震の余波が大きくかつ深いものとなることが予感されるからです。ここまで主に欧州視点からこの紛争について書いてきましたが、単に他人事として眺めていた訳ではなくて、我が国が西側の一員である以上(確かに微妙な位置ではありますが)、NATOだとかミサイル防衛構想だとかの動向は我々の生存とも無関係ではないからです。とはいえこの余波は無論欧州には留まらない訳です。Asia Timesから気になった記事をクリップしておきます。

Syria reaps a Russian reward[Asia Times]
まずシリアがロシアに接近しているという記事ですが、ある意味面白いです。1956年のスエズ動乱の際にシリア大統領がクレムリンを訪問し、「ヒトラーを打ち破った偉大な赤軍」の派兵を要請した事例を枕にしていますが、このたびのグルジア紛争後に最初にクレムリン訪問をしたのはシリア大統領アル・アサドであった。ロシア紙とのインタビューの中で大統領はロシアを熱烈支援し、反米的、反イスラエル的言辞を弄していますが、シリアとしては軍事的な支援とイスラエルとの和平交渉でのロシアの主導を望んでいるようです。この動きはフランスの例の地中海連合にも関わってくるでしょうし、同様の動きを見せる国々も現れるのでしょうね。しかし、すごいですね、この記事。

極東の民たる私にとっては欧州がどうしたということ以上に東アジアにこの紛争が与える余波のほうがよほど重要な話です。あまり我が国にとって好都合なシナリオというのが想像できないのでありますが、どうなるんでしょうかね。

"North Korea wary of Russia's return" by Donald Kirk[Asia Times]
北朝鮮のロシア恐怖、両国のこれまでの一筋縄では行かない関係、また今後ロシアの関与が深まった場合の経済面、軍事面でのインパクトなどについて書かれています。Kirk氏は現大統領の対北朝鮮政策にはもともと辛い評価をしている人ですのでそこは割り引いて読む必要があろうかとも思いますが、もし韓国が親米反北路線をとるならば北朝鮮とロシアは接近するだろうという指摘をしています。これといった動きのない中での記事ですから特に目新しい内容はないのですが、現在は一歩引いた構えをとっているロシアが半島情勢に影響力を行使しようとするならば─その確率はそれなりに高そうに思えます─我が国にも相当なインパクトが及ぶことになります。という訳でロシア・北朝鮮関係からは当分は目が離せなくなりそうです。

"War in the Caucasus and the Global Repositioning of China, Germany, Russia and the US"[Japan Focus]
こちらは中国、ドイツ、ロシア、アメリカの今後の動向を扱ったビックピクチャーの記事ですが、我が国に最大のインパクトを及ぼすのは言うまでもなく米中関係です。論者によればこの紛争に対して中国は中立的な立場を維持しているが、中露関係はかつてなく安定している。チベット、ウイグル、台湾を抱える中国としては南オセチアやアブハジアの独立には賛成できない。アメリカはロシアと中国に対して異なるアプローチをとっているが、「新冷戦」になった場合には米中はさらに接近するだろうという予測です。911テロの勝利者は中国だなどと囁かれますが、この場合も中国が勝利者となるのでしょうか。日本としてはプラグマティズムに徹するのが吉であるという訳で(原則論的対応というのも時には必要だとは思いますがね)、アメリカの対中政策の微細な変化に合わせて柔軟かつ巧妙にステップが踏めるように今から準備運動をしておく必要があるのでしょうかね。

というわけで相変わらず微妙な記事の多いAsia Timesなのですが、最後にComing Anarchyで台湾モンゴルについて記事がありますのでリンクしておきます。モンゴルの話はこのブログにもコメントしてくださることがあるAcefaceさんですね。台湾の不安というのは判る話です。同じような思いの国も多数あるでしょう。ふう。

ではでは。皆様、御機嫌よう。

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暑いといってはいけないと言われた

以下ニュース・クリップです。

"Les tardives réactions de l'Occident"[Liberation]
西洋サイドの反応についてまとめた記事。批判のトーンがやや強まっているが、アメリカも欧州も戸惑いの方が大きいと。情報戦の真っ最中ですから断定はしないでおきますが、確約もなしに西洋側の支持を得られると思い込んでオリンピック開会式をねらって南オセチアに侵攻したというのが事実ならば途方もない錯誤としか言いようがないですし、この紛争で亡くなられた方々のことを思うと浮かばれない話だとしか言いようがないです。ロシア側の策動にのってしまったという側面もあるんだろうと推測しますけどそれにしてもなあ。記事の最後で前に紹介した加盟推進派のグリュックスマンがNATO首脳会談でのロシアへの譲歩を批判しています。パリもベルリンも譲歩をすれば相手も譲歩をすると思い込んでいるが、プーチン体制には単なる弱さの印としか見られていないのだと。確かに首尾一貫した立場だとは思いますが、現在の欧州にはロシアと正面から対立する勇気もメリットもさほどないだけにやはり理想主義的に過ぎるようにも見えます。いえ、皆が皆リアリストになる必要はない訳ですからそういう声もあっていい、というのか、対重的言論としてあってしかるべきでしょう。一時的には非現実的に見えても現実的な意味を持つような状況変化がやってくる可能性というのもないわけではないですしね。歴史的にそういう事例はたくさんありますし。個人的にはグリュックスマンは好きじゃないんですけどね。なおずっと欧州視点で書いていますが、極東の島国の住民たる私自身の観点は勿論それとは違っています。

"Disturbing reasons to put a nation to death"[Japan Times]
JTのイアン・ブルマ氏の記事。ベルギーの問題を欧州の未来に重ね合わせる内容です。民族主義の原理に負けるなと。良識的な意見なのだろうと思いますが、連邦的なもの(帝国的なものでもいいですけど)と民族的なものって互いに支え合う関係にあるんじゃないですかね。これまでの歴史的経験から言って前者が後者を乗り越えるってあまり信用できないんですよね。むしろそうした志向が逆説的に民族主義を高めてしまう場合もあると思うのですが。だいたい多文化主義とか多民族主義ってなにも最近言われ出したことじゃない訳です。ソ連帝国でも満州国でもどこでもいいですけど先例がある訳ですね。そんなのと一緒にするなと言われそうですが、そして私もそれはそうだと思ってはいるのですが、ある力学的な構造として眺めた場合にそこにはやはりそれなりの類似性がない訳ではない。これはとても難しい問題ですから結論はないんですけれども。勿論このたびのグルジア・ロシア間の紛争も想起しています。まああまり一般化せずにこういう問題は個別に考えていかないといけないですね。ベルギーは・・・それなりに知っている国なのでやや複雑な心境になりますねえ。

なおJ-CASTに記事が出た時にはバックラッシュを警戒したこともあり、Japan Timesは必ずしも駄目じゃないと書きましたが、勿論良いなどとは一言も言ってはいません。今日見たら読める記事ほんのわずかじゃないですか。いえいえ論調のことではないですよ。イデオロギー・レベルの話でなくそれ以前の話です。それからなんでデマ・サイト管理人に記事書かせているんですか。既に完全包囲状態みたいですから、このままだと道連れにされてしまうかもしれませんよ。まあそれもいいかな、勝手に自滅したらぐらいの気分になってきていますが、そこまで突き放した言い方をしないとしたら、そうですねえ、South China Morning Postぐらいのポジションを目指したみたらどうでしょう。それなら読者増えますよ。はい、大きなお世話でした。

"China wary of a 'normal' Japan" By Hiro Katsumata and Mingjiang Li[Asia Times]
Asia Timesというのもなんとなく微妙なメディアなのですが、一応目は通しています。いえ、こちらはそんなに悪くはないです。ただなにか微妙です。この記事では日本の「普通の国」の議論というのが国連平和維持活動へのより積極的な参加を意味し、それを可能とするべく自衛隊の位置づけを憲法上明確にすることを目指すものであって軍国主義などとは無関係だと中国人に向けて説いています。いや、ごく当たり前の話なんですが、こういう記事が今更Asia Timesに掲載される意味について少し考えてみたのですが、よく判りませんね。まあいいんじゃないですか、こういう記事が普通に英語で流通するのは。NYTには掲載されそうもないですし。日本の安全保障について政策担当者や戦略家ではなく右翼だのなんだの無関係な連中ばかりをインタビューしていて(インタビュー受ける方もどう利用されるのか想像力ゼロというのが絶望的なんですが)心底唖然とさせられた大西記者の記事が堂々と掲載されたことですしね。

ところでWilliam Sparrow氏の記事を掲載しているとMainichiと同レベルにみなされると思うのですがね。内容も低俗週刊誌レベルですからそういうメディアなのねということになる訳ですよ。いいんですかね。この手の記号としての「アジア女性」を売る輩─欲情と啓蒙的意思との奇怪な結託はこの連中の共通の特徴です─を批判するのは本当はアジアのフェミニストの仕事だと思うのですがね。なお余計かもしれませんが、リベラル的な感性の人々に言っておくと、こういうケースでは、ナショナリズムに絡めとられるのは・・・とか変な禁忌に縛られる必要はないと思います。不快ならば不快だと言いましょう。また幻想には事実を対置しましょう。そういう地味な努力をしないから、ネオ・オリエンタンリズムの跋扈を防げないどころか巻き込まれてしまうんですよ。

という訳で少し攻撃的なのは雑誌の占いで今日はそう振る舞えと言われたからです。文句がある人は占い師に言って下さいね。なお私は今日は機嫌が悪い訳ではなくて愉快そのものです。

追記 1フレーズ追加、リンク追加しました(8.12.2008)。 一応断っておきますが、私が言いたいのは、アジア大好き!とか日本大好き!みたいなことを言っているけれども本質的にはアジアも日本も蔑んでいるこの手の偏見にまみれた不埒者どもを我々は一人一殺的に撃滅していくべきだというようなことではまったくなく、もしメディアが信頼性を獲得したいと願うならば、この手の輩のばらまく幻想に紙面を汚されないように気をつけたらどうですかというごく穏当な話です。Asia Timesがもしアジアのヴォイスを正確に伝え、アジア情勢について意義ある情報を提供する定評あるメディアになる気が本当にあるならばです。でなければ三流ゴシップ紙として扱うでしょう。

また、「普通の国」論の記事ですが、こんな当たり前のことをわざわざ言わなければならないほどネットの英語圏では日本の安全保障関連は妄想的な情報ばかりという現状がある訳です。本当は日本のメディアが、少なくとも英語版では、「主張」ではなく、客観的なデータに基づく啓蒙的な解説記事や素人ではなく専門家のインタビュー記事をなにかあった時だけではなく普段から掲載しているのが当たり前なのですが、日本のメディアにはそういう役割を果たそうという気がないようなので本当に使えないです。どうでもいいトリヴィアルなネタの速報記事やらくだらぬ事実無根のデマを流している暇があったら少しは東アジアの安全に資するような情報を出したらどうですか。別に日本政府の肩を持てとか言っている訳ではないですよ。日本国内でどのような議論がなされているのか(素人談義でなく専門家の間の議論)について前提的な了解がない現状ではいくら「主張」しても─それがどんな主張であれ─余計な警戒心を呼ぶだけなんですから。

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サルコジ外交

近年のフランスの政治家の中でサルコジほど毀誉褒貶激しい人もないでしょうけれども、その理由のひとつに彼がいったい何をやりたいのか、何をしているのか読み難いという点が挙げられるでしょう。あれやこれやに手をつけては中途半端に終わるただのショーマンさという揶揄を受ける一方で(口の悪さと軽卒さから小さな失点を重ねて軽侮され易いところがある)、原則論的な批判をどんどんすり抜けていく政治的狡知のある行動派の政治家だという声もあります。煙に巻かれているようで私には判断がつき兼ねていますが。

SoredaさんのところのEU絡みでサルコジがどう動くのかという話でどう応答したものかとしばし考えたのですが、正直難しいですね。リスボン条約批准交渉は続けるでしょうけれども、欧州連合の野放図な拡大にはもともと慎重な立場ということもあり、原則論的部分はごまかしてでも、安全保障、移民、エネルギー、食糧あたりの問題を賭け金として実質的な部分でコアの部分の統合の強化を進めていくつもりなんでしょうか。それが具体的にどういう姿をとるのかは例によってさっぱり見えないのですけれども。

英語圏のフランス政治経済ウォッチャーの中でたぶんベストなんじゃないかと思っているアーサー・ゴールドハマー氏がサルコジ外交について書いた記事を発見しましたので、これを紹介しておきます。サルコジの外交スタイル全般についての論評です。なかなかバランスよくまとまっていると思います。

まず最初にサルコジは確かにフランスの外交のスタイルに変化をもたらしたが、実質をも変えただろうかと問い、これに力強い肯定形で答えています。サルコジはゴーリストの遺産を継承しているかもしれないが、彼らの「偉大さla grandeur」のエートスはほとんど共有していないといいます。1958年に「将軍」がフランス国民の偉大を称揚し、ゴーリスト神話を打ち立てたのは米ソ対立の2局構造の時代であったが、50年後にこうした発言をしたら狂気すれすれの常軌を逸したものになるだろう。サルコジのフランスは再編されつつある多極的なグローバルな舞台で影響力拡大を目指す数ある中規模国家のひとつに過ぎないのだからといいます。

そしてこのフランスの姿はライバル達との権力闘争に勝ち抜いたサルコジ自身の政治的キャリアに重なり合うといいます。ここは論者が強調しているポイントです。それによると、彼はこれまでひとつの舞台で物事がうまくいかない時には別の舞台に進めるように、常に同時に複数のゲームを慎重に戦い、他人には気付かれないような制度を道具的に使いこなし、メディアの注意を集めるよう影響力を最大化することを学び、権力をもつ者とももたない者とも、意見の合う者とも合わない者とも関係を結び、必要とあれば、躊躇なく関係を断ち、友を悩ませてでも敵を懐柔してきたと。

それでサルコジはこうした戦術のすべてを最初の1年で外交政策にも採用し、多くのフロントで主導権を発揮したと評価されています。例えば、欧州連合とはリスボン条約の同意を得ること、リビアとはブルガリア人の看護婦を解放して、政権と取引し、カダフィを地中海連合の中に組み込むこと、ロシアとは西欧へのガス供給を議論すること、アフリカとは旧植民地との新しい関係を構築し直すこと、中国とは経済問題で交渉し、核のリアクターを売ること、レバノンとは新政権を支援すること、英国とはフランスが「アングロサクソン的」になった思わせて英国を称揚すること、ドイツとは欧州中央銀行や地中海連合についてアンゲラ・メルケルとの意見の違いを調整すること、NATOとは軍事機構への完全統合を考慮すること、米国とはより柔軟な立場を示すことといった具合にです。

そしてこのうちのどれに本当にコミットしているのか、どういう優先順位なのかについてはいつものサルコジ流で答え難いといいます。首尾一貫性のなさが彼のアプローチの特質なのだとまで言っています。例えば彼が本当に批判者が言うように親米主義者ないし大西洋主義者だとしたら、シリア大統領を地中海連合を議論するためにパリに呼ぶ危険を犯すだろうかと問いを発していますが、この背景には、アメリカはシリアとの対話を拒絶している一方で、イスラエルはシリアと対話をしており、アメリカがフランスを通じたもうひとつのコミュニケーション回路を開くことに関心をもつかもしれないという読みがあるといいます。この戦略において地中海連合とはこうしたコミュニケーションの便利なカバーであると同時に地域のブローカーの役割を高める枠組みであるといい、また独裁者との対話への国内批判をかわすためにレバノンの新政権との連帯を演じてみせたりしているとされます。

こんな風に一見バラバラに見えても複雑な策略があって単にサルコジをショーマンに過ぎないとは見なせない。外交政策の入り組んだゲームでの彼の動きは非常に計算され、互いに補完的なものであると評価しています。目的は限られたリソースで最大限可能なものを達成することであり、失敗は別の得点で救済されていると。また米国から独立して行動する自由がアメリカの政策と補完的な役割をフランスが担うことを可能にしているともいいます。

サルコジは多数のアドバイザーに囲まれていますが、その中でも重要なのが元駐米大使のジャン・ダヴィッド・レヴィット、欧州連合関係ではジャン・ピエール・ジュイエ、リビアやチャドを含めた多くの問題ではクロード・ゲアン、地中海連合や新アフリカ政策に影響を与えているのはスピーチライターのアンリ・ゲノであろうと論者は主要人物の名前を挙げています。特にベルナール・クシュネルを外相に任命したことは人権や人道支援へのコミットメントを象徴していて、チベット問題での中国批判やタリバンの女性問題の批判などに見られるように、時折思い出したようにこうした理念に連なることを可能にしているとされます。もっともコストが低いと見なされた時にそうする訳で、中国訪問やロシア訪問のような場合には人権は姿を消してしまうとも付け加えています。クシュネルは国内での野党社会党からの批判封じの意味もあり、さらに先ほどの欧州統合関連のアドバイザーのジュイエも左翼出身者でこの起用はフランス左翼を分裂させる意味合いを持っているといいます。

フランスとて人権の重要性が経済問題となると後退するのは他の国と同様ですが、とりわけサルコジは企業家精神を尊重する人物ですのでいつでもCEO達を引き連れて外遊し、かならず契約を結んでから帰国するというスタイルです。特にエネルギー関連が政策の主要な軸をなしているといいます。ロシアと北アフリカからのガスの供給の確保に全力を注ぎ、原子力のプロモーションにもコミットしていますが、特にリビアとの取引は世界的に驚きをもって迎えられたのでご存知の方も多いでしょう。

最後に再び現在の多極的な世界でのフランスの位置を示し、このゲームをどうすればいいのかサルコジは本能的に知っていると評価しています。最後の締めの部分は英語のままにしておきます。ちなみにサルコジは禁酒家で有名です。

The world may have to find a way to avoid cataclysm without relying on France, but the Gaullist knack for combining bluff with bravado may prove to be a winning strategy for la Grande Nation as it shakes off its last lingering delusions of grandeur. Sobriety has its compensations, and Sarkozy seems to have made up his mind to enjoy as well as exploit them.

というようにゴールドハイマー氏は首尾一貫性を欠いた(ように見える)サルコジ外交にそれなりのロジックを見出しています。こんなスタイルですから次になにをするのか、前にやっていてことが後でどう繋がるのかとても予見しにくい訳です。任期の一年目にあちこちに種を蒔いておいてこれからそれをうまく育てて料理していくところなんでしょうから、あまり短期的な成果がどうこうと言っても仕方がないかもしれません。リスボン条約の否決には動揺したでしょうが、当面は─喜々として─失点をリカバーしようと動いていくのでしょう。フランスの国益上のリカバーのことです。この記事は変化について語っている訳ですが、善かれ悪しかれ、ゴーリスト的な部分は確実に今後も残るだろうと思います。それが欧州連合にとってプラスになるのかマイナスになるのかはよく判りませんけれども。

一部修正しました(6.24.2008)

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平和維持軍の醜聞

国連の平和維持軍による現地での悪行についてはここ数年来国際的に問題となっていますが、日本のメディアはあまり力を入れて報じていないような印象を受けます。国連が好きなくせに国連のことをよく知らないという状態は非常によくないと考えますので紹介しておきます。なお前にも書きましたように私は醒めた国連重視派ですのでここで単なる国連バッシングをしたい訳ではありません。日本も平和維持活動へのコミットを深めているのですから他人事ではない問題です。NGOや援助団体の行動をどこまで政府はつかんでいるのか判りませんが、協力体制はうまくできているのでしょうか。以前よりは多少は良好な関係になりつつあるとは思いますが、うまく恊働できなければ有効な活動などできないでしょう。また我らが自衛隊はその士気と規律の高さにおいて国際的に評価が高く、私も深い信用を置いていますが、万一の場合も想定しないといけない。これは確率論的な話です。またこうした想定は軍法会議がそもそも不在であるという戦後の我が国の異例状態をあぶりだすことになるでしょう。公正かつ有効に機能する軍法会議を運営すること、それは我が国が歴史から学ぶべき重要な教訓なはずなのですがね。当分先の話になりそうですけれども。

「誰が監視人を監視するのか」[Economist]
危険な場所に平和の番人や援助活動従事者を派遣する組織はたいていは派遣された者達の身体的安全に懸念している。しかし醜悪な懸念が近年持ち上がっている。他人を助けているとされる人々の道徳的誠実性をいかに保証するのかという懸念だ。

援助機関のSave the Childrenのイギリス支部による今週のリポートはこの問題を強調している。国際機関が介入している三カ所─南スーダン、ハイチ、コート・ジボワール─で昨年実施された調査で援助活動従事者やとりわけ国連平和維持軍の兵士による子供の性的虐待─6才の児童まで─が広まっていることが確認されたと言う。インタビューを受けた10才から17才の250人の少年少女の半数以上がこうした事例を知っていると答えた。しかし子供が訴え出るのを恐れるためにこうした虐待は「広く報告されない」状態のままだというのだ。

悲しいことにこのリポートが語るのはおなじみの話だ。とりわけ国連は最近その平和維持軍兵士のセックス・スキャンダルに見舞われている。2003年のコンゴでのネパール人のブルーヘルメットによるショッキングな一連のレイプ事件の後、国連事務総長のコフィ・アナン氏は調査委員会を立ち上げた。国連平和維持軍兵士によるレイプやその他の性的虐待の「繰り返されるパターン」の発見によって、アナン氏は国連とその機関に世界中で雇用されている民間人、軍人含めて20万人の要員に対してこうした犯罪に対する「寛容ゼロ」政策を宣言した。

この世界機関は現地スタッフが売春婦や18才以下とセックスすることを常に禁止してきた。またホスト人口の同意可能な成人との性的関係すら「強く反対」している。現在、こうした災いを根絶すべくニューヨークの司令部の特別ユニットと並んで「行動と規律」チームが国連の17の平和維持活動のそれぞれで設立されている。さらに2005年以来すべての新しい平和維持軍兵士は現地に派遣される前に性的搾取を防ぐべくトレーニングを受けることを求められている。

しかし虐待は一見したところ衰えることなく続いている。コンゴでのスキャンダルに続いて毎年ブルー・ヘルメットによる民間人の深刻なレイプ事件が起こっている─ブルンジ(2004)、スーダン(2005)、ハイチ(2006)、リベリア(2006)、コート・ジボワール(2007)。昨年は国連は兵士による748件の不品行の申し立てを受理したが、そのうち127件が性的搾取や虐待に関連したものだ。すべてではないが大半が調査されることになる。しかし有罪判決や処罰を受けることはほとんどなさそうだ。

ブルーヘルメットに関しては、国連には拘束があるためだ。国連はブルーヘルメットに対する深刻な苦情を調査できるし、実際しているのだが、容疑者に対する裁判権をもたず、彼らの母国のみが審理し、処罰する権威をもつのだ。大半の平和維持軍の部隊は発展途上国出身─バングラディシュ、パキスタン、インド、ヨルダン、ナイジェリア、ネパール、ガーナが最大の貢献者だ─であり、多くの国がこうした事件をカーペットの下に払いのけることを好むのだ。国連ができることはこうした者達を解雇し、補償を求めることだけだ。全国連平和維持部隊が絶対的な法的免除(immunity)を享受しているので、ホスト国もなにもできない。

こうした活動に付属する警察は別の問題だ。現地人でない国連民間人スタッフ同様に警察は条件つきの免除─公的な職務の間に犯された行動に対して─のみを享受する。レイプや未成年者の虐待はもちろんこうしたカテゴリーには含まれない。したがってこうした犯罪は理論的には現地で訴追され得る。しかし実際にはこうしたことはなさそうだ。ブルーヘルメットが派遣される諸国はぞっとするような裁判制度だったり、裁判制度がなかったりするからだ。その上、語ろうとする証人を探したり、十分な証拠を集めたりすることはこうしたカオスにおいては実質的に不可能なことが多い。

また援助機関やNGOは異なる法に服している。外国に拠点をもつ従事者はホスト国で免除を受けない。もしフランスのような大陸法の国の出身ならば、自国で─大変困難であるが─訴追される得る。イギリスやかつてのコモンウェルス諸国のような慣習法の国の市民は海外で犯した犯罪に関して自国で訴追されることはないが、性犯罪については訴追され得る。

ほとんどのNGOは行動準則を持ち、実際の虐待はもちろん売春も厳しく禁止されている。しかし彼らが課すことのできる最大の処罰は解雇だ。不法ではないが、この準則を破る17才の少女とセックスをした3人の従事者を最近Save the Children UKは解雇した。

この慈善団体は現在、虐待と戦う国際的な監視団体を望んでいる。国連が失敗した分野でどうやって成功できるのかは不透明だ。最大の問題のひとつは被害者が訴えたがらないことではなく、被害者が基本権に無知であることだ。必要なのは簡単にアクセスできる不服手続きと並んで地元の人々に自分達の権利を知らせるキャンペーンだと国際法の教授のFrançoise Hampsonは示唆する。しかしコンゴのような巨大でカオス的な場所ではそれは無理な注文だ。

現在のシステムを改善する別の方法は正式な申し立てを待つよりも最初の気配の段階で犯罪を調査することを作戦司令達に求めることだと彼女は言う。また国連と貢献国との間で結ばれた協定が犯人の処罰としてなにがなされたのかを報告することを義務付けるように改定されるべきだと彼女は提案する。

国連はこうした手続きを強化するよう努めている。昨年採用されたmodel memorandum of understandingの改定版の下、各国政府は明示的に国連の行動基準を強化するために「法的処罰を完全に効力あらしめる」よう求められる。これが実際なにを意味するのかはまだ判らない。しかし少なくとも調査手続きは改善した。深刻な不品行のケースの通知について国連は関係国に知らせるだけでなく、国連の内部監督局と協力して事件を調査するように招待する。この新しい調整は昨年ハイチでのスリランカ人の兵士による虐待容疑に初めて適用された。100人以上の兵士が現在軍法会議にかけられている。

平和維持軍の国連スポークスマンのNick Birnbackは、この新しいリポートを「深く憂慮すべき」とみなすが、こうした巨大な組織で「事件ゼロ」を保証することは不可能だと語る。「我々ができることは寛容ゼロのメッセージを理解させることです。これは信用すべき申し立てがあった際にみくびることがゼロで、違法行為が判明した際に処罰を免れることがゼロを意味します」と彼は言う。どうやらこれは有益なスタートになるだろう。
(了)

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自衛隊がねぇ

なんだか隔世の感のあるニュースですね。大陸、半島に我らが自衛隊が上陸する状況というのは現実感をもって想像できなかったのですが。かすかな胸騒ぎのようなものを感じます。とりわけご年配の世代の方々の複雑な心中は察して余りあります。

自衛隊機派遣で日中両国が協議、民間機との組み合わせ案も[読売]

中国が四川大地震の被災者対策として、テントなど緊急支援物資の輸送を求めていることを受け、日本政府は航空自衛隊派遣などの準備を進めている。

防衛省は29日、C130輸送機3機による輸送計画をまとめた。ただ、中国には自衛隊派遣に反発する声も根強く、日中両政府は慎重に検討を進めている。

輸送計画は、3機のC130が3日間で計8往復し、四川省成都に陸上自衛隊や兵庫県などのテント計約200張り、毛布約3600枚、食料などを運ぶ内容だ。31日に派遣できるよう準備している。

一方、中国政府が自衛隊機を敬遠した場合に備え、C130と民間のチャーター機を組み合わせる案なども検討している。
(5月29日)

まだ協議中ですが、どうもこのプランは実現しそうな様子です。あちらさんでも人民解放軍の強硬派あたりはかなり不満でしょう。どう反響するのでしょうかね。またJapan observingにあるように、この救援要請は日本の左右のイデオロギー的な勢力を困惑させているようです。国家威信にかけて自衛隊の海外での活動の拡大を求めてきた反中的な勢力にとっては「まさか中国の救援をするとは」でしょうし、大陸への贖罪意識から逃れられず、非現実的な平和主義を唱えたきた親中的な勢力は「まさか中国から要請がくるとは」という気持ちでしょう。さっそく社民党が支離滅裂な反対をしていましたね。災害救助活動や人道復興支援はソフトパワーの面から言って軍にとって重要な活動だと思いますよ。どん底からスタートした自衛隊が日本国民の間で信頼を勝ち得てきたのはこの分野での貢献(怪獣や異星人との仮想的な戦いも含めて)が大きかったわけですし。

どうなるのか判りませんが、私としてはこのプランは支持したいです。自衛隊が大陸の土を踏む─輸送機が降下するだけかもしれませんが─というのは、あちらの反応は別にしても、我が国の国民心理にとってもひとつの転換点になり得るかもしれないですから。どういう意味での転換なのかはなかなか説明し難いのですが、大陸は戦後日本にとっても多かれ少なかれトラウマ的な土地であった訳でそこに自衛隊が降り立つことでより現実的な地平が開けてくるといいますか・・・、いや単純化し過ぎでしょうかね。なお「日中友好」みたいな陽気なお題目を素朴に信じている訳ではありませんが、疑心暗鬼が高進し過ぎないようにこうしたコミュニケーション履歴を重ねて行く必要はあるでしょう。

地方分権ネタはしばらくとり上げていませんでしたが、継続して追いかけています。道州制の議論の続報です。

行革推進の700人委員会、道州制導入を提言[読売]

有識者でつくる「日本再建のため行革を推進する700人委員会」の代表世話人を務める塩川正十郎・元財務相、水野清・元総務庁長官と、同委の道州制導入研究会の石原信雄座長(元官房副長官)らが26日、増田総務相に道州制の提言書を手渡した。

水野、石原両氏は記者会見し、「日本の統治構造を全面的に変えるために道州制導入が必要。2018年をメドに道州制を導入すべきだ」と強調した。総務相は提言に賛意を示したという。
[...]
 石原氏は、「行政改革の総仕上げとして、道州制導入を提言した。我々の言う道州は国内行政の大半を担当し完全な地方自治体とする。国の出先機関との位置づけは一切ない」と主張した。
(2008年5月26日)

こちらは有識者による行革推進のための700人委員会が道州制案を提出したというニュースです。最近行った会議の報告のPDFがありました。骨子ですのであまり踏み込んだ記述がないですね。行財政改革としての道州制というトーンが強いですが、区割りの問題と地方財政の基盤をどう考えているのかはこれだけだとよく判りませんね。

自民、道州制区割りで4案まとめる…分割数は9と11[読売]

自民党の道州制推進本部(本部長・谷垣政調会長)は29日、道州制の区割りに関し、9ブロックに分ける案と11ブロックに分ける3案の計4案をまとめた。

これらを基に道州制議論を進める考えで、6月には全国の知事や都道府県議会議長と意見交換する予定だ。

9道州案は、北海道、東北、北関東、南関東、中部、関西、中国・四国、九州、沖縄にブロックを分けている。このうち、中部を北陸と東海に、中国・四国を中国と四国に分割したのが11道州案だ。

11道州案は、新潟県を北関東と東北のどちらに入れるか、埼玉県を南関東と北関東のどちらに入れるかにより、3案に分けている。

いずれも、北海道と沖縄県は単独の道州としているのが特徴だ。東京都は南関東に入れているが、「道州から独立させるべきだ」という意見もあり、さらに議論を詰める予定だ。
[...]
政府は道州制について、増田総務相(道州制担当)の私的懇談会「道州制ビジョン懇談会」(座長・江口克彦PHP総合研究所社長)で検討を進めている。しかし、3月にまとめた中間報告では、区割りや税財政制度を先送りにするなど、議論は深まっていない。
(2008年5月29日)

政府の中間報告は区割り議論を回避しましたが、自民党案はいくつかの案を併記しているようです。第3次中間報告はまだアップされていませんね。去年の第2次中間報告のPDFはこれです。理念的な記述が多いのはいいですが、細部の議論はつめられていないように見えますね。特に財政の部分。地方交付税交付金と国庫支出金の体系をどうするのか、プロの財政学者の意見を伺いたいところです。今度の報告では区割り案も含まれているようですが、前にも書いた通り、区割りの話は人々の関心を集めやすいだけに紛糾しがちであまり実があがらないうらみがありますので、北海道や九州などパイロット地区を定めて推進してしまうのが早いような気がします。ネットで調べた限りでは、九州が一番進んだ議論を展開していますね。地方からの議論がもっと盛んになることを期待しております。

追記
投稿した先から当面見送りとの報せ。「当面」ですから可能性はまだあるのかもしれませんが、中国世論の反応を探る意味合いもあってのアナウンスだったのかもしれませんね。6月中に例の防衛交流の一環で海自が訪中する予定ですし。

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宇宙基本法に関するメモ

私もかつては宇宙の神秘に心を奪われる天文少年、SF少年だった時期があったのですが、今やすっかり俗塵にまみまれた生活をおくるくたびれた大勢の一人として宇宙に対する関心はもっぱら安全保障やビジネス分野に限定されるというつまらないことになっています。よくないですね。もっともこの分野に確かな知識があるわけでもなくなにか意味のあることを論じることもできませんので識者の方々の英知を分有させていただきたいというスタンスであります。したがって以下はただのメモです。

まず今回の宇宙基本法策定がさほどの紛糾もないままにするすると進展していることに軽い驚きを感じています。時代は変わったものです。我が国の安全保障の議論が神学論争や感情論のぶつけ合いでぐずぐずになるパターンには心底飽き飽きしていましたので、民主党がこの法案策定に協力していることをとりあえず高く評価します。党内のアレな勢力をうまく抑えられているようでなによりです。民主党内では「宇宙基本法PT」というグループが推進勢力になっているようです。このプロジェクトチームのメンバーについての情報は見当たりませんでしたが、メンバーの一人の藤末健三議員のブログで進捗状況について記述がありますね。

さほどの紛糾もないままにと書きましたが、もちろん権限をめぐっての鍔迫り合いは毎度のことながら展開しているようです。宇宙基本法に関して文部科学省の策動の疑惑については有名な軍事ブログ「週刊オブイェクト」さんのこのエントリがとりあげていました。上の藤末健三議員の書かれた記事をもとにした分析です。文部科学省としては宇宙利権を手放したくないがために社共を利用しようと策動をしているらしいという話です。真偽不明でありますが、たとえ事実だとしても無駄な試みに終わったようです。ちなみに結論部分には同感いたします。

既に宇宙防衛政策とミサイル防衛ではお互いの安全保障戦略を共通のものとした自民党と民主党。後は民主党が防衛費5000億円削減という馬鹿な案を捨てて、現実的な防衛予算案を対案として提出して貰えれば、私としては政権交代しようがしまいが、政府与党が自民党だろうが民主党だろうがどちらでも構わないです。ただ、民主党の国防に詳しい議員は数名に限られる為、ネクスト防衛大臣に不適格な人物を据える事が多々あるので、少々不安な面があります。歴代の民主党ネクスト防衛大臣を見ていると、あの長島昭久議員でかなりマシな部類で、他は殆ど問題外(どう見ても軍事は専門外の人達)です。

成熟した政党政治の実現のためにエールはおくっておりますが、民主党の外交安全保障政策と経済政策への懸念はなお消えていません。こういう層もけっこういることを民主党におかれましては十分に御考慮なさってほしいものです。なお米国からの自立性を高めることを本気で考えているならば、情報分野での米軍への過度の依存を見直すという意味においてもこの法案は歓迎すべきだということになるでしょう。この点反米的な人々の意見を伺いたいものです。

この法案をめぐっては国民の関心がそれほど高いとは思えませんが─いいことなのかよくないことなのかよく判りませんが─それでも主要紙では3社が社説でとりあげていました。まず、読売の「宇宙基本法 政治主導で戦略を練り直せ」[読売]から引用すると、

防衛目的の宇宙利用を解禁するとともに、内閣に「宇宙開発戦略本部」を新設して、安全保障や産業振興のための宇宙政策を総合的に進める、という内容だ。日本の宇宙開発は、年間約2500億円の予算を投じながら、研究・開発分野が限定され、産業化に十分つながってこなかった。原因の一つに、宇宙利用を「平和の目的に限る」とした1969年の国会決議がある。当時の審議で「平和」とは「非軍事」の意味と解釈され、防衛目的の衛星の打ち上げなどができなくなった。3党の宇宙基本法案は、宇宙の平和利用について、「非侵略」という国連宇宙条約の考え方と、専守防衛など「憲法の平和主義の理念」を踏まえて行う、と定義し直すものだ。民主党が、国際的に異質な足かせをはずすため、与党と法案を共同提出した意味は大きい。

北朝鮮によるテポドン発射を機に03年から導入された情報収集衛星の能力は、民間衛星と同等にとどめられている。ミサイル発射を探知する早期警戒衛星の開発も封じられてきた。日本が高い技術水準のロケットエンジンを開発しても、軍事衛星を打ち上げる可能性のある米国企業には売却できない、という問題もあった。
[...]
宇宙開発・利用の“司令塔”が、これまで政府にはなかった。首相を本部長として設置される宇宙開発戦略本部で、政府が一体となって戦略を再構築すべきだ。法案には、民主党の要求で、法施行から1年後をめどに内閣府に「宇宙局」(仮称)を設ける規定も盛りこまれた。宇宙政策を仕切り直す体制を、しっかりと作ってもらいたい。

というようにこれまでの我が国の宇宙開発が産業化という点で不十分であったこと、1969年の国会決議での「非軍事」の解釈を「非侵略」に改めることで軍事衛星の保有が可能になること、縦割り行政の弊害を除去すべく内閣直属の機関を構築することが論じられています。以上、事実の説明で歓迎の意思表示以上の主張は含まれていません。

次に産経新聞は「宇宙基本法 国の守りと科学の両立を」[産経]で読売同様に法案を歓迎していますが、注文もつけています。曰く、

法案通りに成立すると、内閣に首相を長とする「宇宙開発戦略本部」が置かれ、担当大臣も任命される。この新体制は、強力な牽引(けんいん)力を持つはずだ。そこで、いくつかの注文をつけておきたい。 第1には、日本の宇宙開発をバランスよく発展させていくことである。予算配分が防衛分野に偏り過ぎて、宇宙科学や宇宙ビジネスの分野が先細りになるようなことがあってはならない。日本の宇宙科学は、世界をリードする位置にある。これを損なうような事態を招けば、あぶはち取らずになってしまう。研究者の配置も10年、20年先を展望してビジョンを描くことが必要だ。 第2には防衛分野での透明性を可能な限り確保することだ。残念ながら、現在運用中の情報収集衛星については、その成果がまったく国民に伝わっていない。宇宙開発は巨費を伴う。実効的なチェック機関や機能がなければ、税金が有効に使われているのかどうかもわからない。加えて、極端な秘密主義は、技術研究の発展を停滞させがちだ。機密なしの防衛はあり得ない。その一方、透明性なしには科学技術の発展も望めない。この二大命題の両立に、関係者は議論を重ね、知恵を絞ってもらいたい。

というように安全保障に偏重することなく宇宙科学、宇宙ビジネスとのバランスをとるべきこと、また防衛分野での透明性を確保すべきことの2点を求めています。これはどちらも正しい提言であろうと思います。とりわけ後者は自由民主主義国の原則論として─限度もありますが─強調されるべき点でしょう。

一方、朝日新聞は「宇宙基本法―あまりに安易な大転換」[朝日]で懸念を表明しています。曰く

今回の基本法は、現状を追認するばかりでなく、そうした制約も取り除いてしまおうというものだ。ところが、そうすることによる国家としての得失はどうか、自衛隊の活動にどんな歯止めをかけるのか、といった論議は抜け落ちたままだ。しかも、たった2時間の審議で可決するとは、どういうことか。あまりに安易で拙速な動きである。 基本法が成立すれば、自衛隊が直接衛星を持ち、衛星の能力を一気に高める道が開ける。それにとどまらず、将来のミサイル防衛に必要な早期警戒衛星を独自に持つことができたり、様々な軍事目的での宇宙空間の利用が可能になったりする。だが、内閣委員会で、提案者の議員は具体的な歯止めについて「憲法の平和主義の理念にのっとり」という法案の文言を引いて、専守防衛の枠内であるという説明を繰り返しただけだ。基本法の背景には、日本の宇宙産業を活性化したいという経済界の意向もある。衰退気味の民生部門に代わり、安定的な「官需」が欲しいのだ。 だが、宇宙の軍事利用は、日本という国のありようが問われる重大な問題である。衛星による偵察能力の強化は抑止力の向上につながるという議論もあるだろうが、日本が新たな軍事利用に乗り出すことは周辺の国々との緊張を高めないか。巨額の開発、配備コストをどうまかなうのか。宇宙開発が機密のベールに覆われないか。そうしたことを複合的に考える必要がある。国民の関心が乏しい中で、最大野党の民主党が法案の共同提案者になり、真剣な論議の機会が失われているのも危うい。

というように事態がスムーズに進展している事態に対して懸念を表明しています。私ですら軽く驚いているところですからなおさらでしょう。私は朝日新聞の論調を揶揄する趣味は持ちませんのでこの言論スタイルに関してのみ手短かに述べます。この法案については昨年から議論になっていたわけでもっと真剣な論議をしてほしいならば、まずこの法案が通過することでいかなるメリットとデメリットが生じ得るのかシミュレーションを行う作業を行うのは新聞社の側の仕事でもあります。これは対論を出せというのとは少し違います。議論の素材を提供するのが言論機関の役割であって単に議論をしろというのは怠慢であると言いたい訳です。

なお宇宙開発については日経の「宇宙基本法で日本の宇宙開発は強化されるか」が慎重な議論をしています。2007年1月付の古い記事ですが、基本的な論点は変わらないでしょう。まずこれまでの体制の問題点として文科省の一組織となった宇宙開発委員会が十分に機能しなかった点を指摘しています。

戦略や計画をつくる体制でも議論すべき点はある。宇宙開発戦略づくりを担う組織は現在、内閣府の総合科学技術会議ということになっている。かつては宇宙開発委員会が担っていたが、2001年の省庁再編時に同委は文科省の一組織に格下げされ、宇宙開発事業団と宇宙科学研究所など同省傘下の研究機関(現在は宇宙航空研究開発機構に統合)のお目付役に任務を縮小してしまった。 宇宙開発委を総合科学技術会議や原子力委員会と同じように内閣府に置いて国の宇宙開発戦略をつくる役割を担わせることもできたはずだが、事務局を務めていた旧科学技術庁は文部科学省と統合する際に保身、縄張り確保の狙いから同委を文科省の下に置いてしまった。格下げしても、安全保障や産業振興まで含め広い視野で日本全体の宇宙開発を見渡して国の戦略をつくれないことはなかった。しかし、その議論は乏しく、宇宙開発戦略の議論の場は総合科学技術会議に移ってしまった。 航空や宇宙開発の分野は軍事とも密接に絡んでおり、技術的には民生、軍事の両方をにらんだ研究開発戦略が必要になる。仮に民生分野だけの研究開発をするとしても、国力、軍事技術を意識して技術高度化、産業強化を狙うのが当たり前のことである。宇宙開発委にはその認識が薄かったと言えるだろう。

この後、縦割りを改め内閣主導で話を進めろとなっていますので、この点はどうやら今回の法案で実現しそうです。さらに産業育成の観点から米国の干渉に注意を促し、国頼りにならないよう民間活力を活かせるような体制づくりをすべきであるとしています。

産業育成・強化という点でも考えておくべき点はある。航空宇宙分野では日本の技術力が上がると、米国から干渉されたりしてきた。航空自衛隊の支援戦闘機「F1」の後継機「FSX」の開発では独自開発が米国の圧力もあって日米共同開発になった。宇宙開発分野でも日本が技術導入を手始めに通信、放送、気象の衛星の技術力をつけることを目指したが、米国からの商業衛星の市場開放圧力が強まり、思惑通りに衛星メーカーの育成ができなかった。 防衛省が偵察衛星を持てるようになれば、同盟という考え方から米国製の導入の働きかけは強まるだろう。ロケットは独自技術を確立し、打ち上げも民営化できるにしても、衛星では技術力を上げ、国際的な競争力のある産業に育てられるのかは必ずしも見えない。独自開発を円滑に進めやすくできるかどうか、そのためには何が必要かも法案審議では議論すべきだろう。 宇宙開発というと、国費を注ぎ込むことばかり考えがちだ。国威発揚や人気取りも狙って、とてつもなく資金のかかる有人計画に走りたがる傾向も強い。しかし、宇宙関連産業が国にたかるという構図になってしまえば、活力につながらない。安全保障はともかく、民生分野では関連産業が国に頼らずに稼げるようにならなければ強化策の意味はない。

ここは陰謀論的にならないよう気をつけるべきでしょうが、この分野に関しての米国の干渉というのは確かに現実に問題になりそうです。もっともかつてとは安全保障環境も大分変化してしまったので日本封じ込め論みたいなものがまた出てくるとは考えにくい状況ではありますが、緻密な外交が求められるところなんでしょう。またこれは宇宙開発に限りませんが、武器輸出の原則の緩和もそろそろ必要になってくるのでしょうね。ここは政治的に慎重に事を進めないといけないところです。

なお慶応の大学関係者などが主宰し、JAXAのメンバーなどが参加している「宇宙開発と国益を考える研究会」が提出したレポートがありましたので紹介しておきます。この問題に関して多面的な検討をしているので興味深かったです。もっとハードな戦略論的な論考も読んでみたいところですね。

追記
Japan Timesが社説で反対していますが、公明党も推進しているのに不思議ですね(棒読み)。

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抑止戦略におけるMDの位置

軍事的知識が乏しいにも関わらず、MDについては何度か言及してきました。現時点におけるミサイル迎撃能力の低さと開発コストを理由とした反対論に対してその政治的な意味合いから擁護したいという立場からです。もちろん過大な期待は禁物ですし、これに過度に入れ込むのはいろいろな意味でリスクがあるでしょう。通常戦力の強化を粛々と行うのが基本的には正道だろうと思います。

Coming Anarchyという人気ブログがミサイル防衛のネタをとりあげていました。軍事に詳しい人にはどう思われるのか分かりませんが、わたしみたいな素人にはなるほどなあと頷かせる話でしたのでメモしておきます。テーマは抑止戦略におけるMDの位置づけです。以下要約です。訳ではありません。

抑止(deterrence)とは軍事戦略である。本質的に抑止という戦略は敵の攻撃の決定にネガティヴに影響を与えることを目的としている。これは2種類の抑止によって達成され得る。ひとつは抑止、もうひとつが拒否的抑止(deterrence by denial)だ。前者は攻撃の際に敵に対する大規模な反撃で威嚇するもので、後者は敵の目標の達成をそれをする価値がないほどに困難にすることを目指す。前者の方法は相互確証破壊(MAD)の基礎として有名だ。

抑止にはいくつかの問題含みの仮定が存在する。まずその有用性は敵が理性的であり、理性的な決定を行うという仮定に基づく。またそれは意思決定過程における、技術的なものであれ人間的なものであれ、欠陥というものを許容しないし、敵対国家の意思決定過程におけるならず者(rogue)の影響もまた許容しない。最後に外交過程における失敗や誤解も許容しない。

こうした問題があるにもかかわらず、冷戦時代に抑止は機能した。歴史に名を残す大量殺戮者の一人たるスターリンはパラノイドであり、理性的な行為者と特徴づけるのは困難であるにもかかわらず、我々はなおここにこうして生きていらている。冷戦以後の抑止について最近公表された文書によれば、敵の心理に恐怖と不安を注入することに依存する概念枠組みは厳密に言って理性的なものではなかったし、またこの枠組みは機能させるのに理性的な敵を必要ともしなかったと言う。

ここまでが抑止についての一般論です。理論的にはともかく現実には敵が理性的でなくとも機能したという話ですね。恐怖と不安という人間心理によって。この後、MDの話に移ります。

ミサイル防衛はアメリカによって構築されつつあり、現在NATOによって支持されているが、イランや北朝鮮のようなならず者国家(rogue nations)による核攻撃を防衛するためのものである。イランは抑止可能なのかとかテヘランが核能力を獲得することを許容できるかとか議論されているが、抑止の歴史が教えるところでは、必ずしも敵対国家が理性的な行為者である必要はない。大規模な反撃を通じた抑止は、費用対効果の分析の結果をネガティヴなものにさせるだけではなく、恐怖と不安をひき起こすことも目的だからだ。しかし、ならず者の影響(ならず者司令官やその他個人)、欠陥のある意思決定過程(スタニスラフ・ペトロフの事例)、外交的失敗ないし誤解の可能性が残る。ミサイル防衛はこうした可能性に対するヘッジである。

以上のように抑止戦略にはもともと問題含みの仮定があったわけですが、MDにはこうした可能性を狭めるというヘッジの役割があるという結論です。より洗練された抑止体制を構築するのにプラスであるという評価ですね。相互確証破壊を崩してしまうから危険だという批判を目にすることがけっこう多いわけですが、これはむしろ補強するという説になるのでしょうか。もうひとつは抑止可能な相手とは誰かという話です。いわゆるならず者国家でも抑止可能であるという論点は、北朝鮮についてともかくも朝鮮戦争以降この地域で抑止は効いてきたというライス長官の発言を想起させます。最後に抑止不可能なものとして過激なテロリストの存在に言及して締めくくっています。世界が今直面しているのはこの抑止不可能な相手をどうするのか、どうしたらここに核が拡散しないようにできるのかという話なわけですが、我が国の世論はこちらにはどうも関心が向いていないような気がしますね。日本がイスラム過激派のテロの標的になるという実感が乏しいこともあって。中国や北朝鮮の軍事的な脅威についてこの世の終わりのような悲壮感でもって議論しているのを見ていると、まあでも基本的には抑止可能な相手だからそこまで興奮することもないでしょう、淡々といきましょうよ、と密かに思っているわたしは楽観的に過ぎるのでしょうか。

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やっぱりペイしないのか

戦争を入門経済学で分析したポーストという人の「戦争の経済学」という本はしばらく前に読んで目からうろこの連続でしたが、この本ではおおざっぱに言って現代戦はペイしないよという結論になっていました。それで今日「週刊オブイェクト」さん経由で井上孝司さんの「防衛産業って戦争でボロ儲けできるの?」という論考を知ったのですが、戦争をしても軍事産業は儲からないよという事実を分かりやすく説いています。またアメリカの軍事関連業界団体も同様の報告書を出したそうです。軍事そのものについての知識は貧弱なのですが、こういう話ならば興味がありますのでメモしておきます。以下ただの紹介です。アメリカが戦争をするといつも軍産複合体の陰謀みたいな話が出てくるのですがそれってどうなのよと。

これらの話を簡単にまとめてしまえば、目先の戦争で必要な消耗品や作戦経費のために予算を食われてしまい、その分だけ大手防衛関連メーカーが得意とする大型正面装備に予算が回ってこなくなるということ。その正面装備も、システムの大規模化・複雑化でスケジュール遅延やコスト上昇、それに伴うキャンセルや規模縮小のリスクが大きくなっていて、必ずしも儲かるとは限らない。 現に、アメリカでは DD(X) も Virginia 級攻撃型原潜も F-22A も F-35 JSF も FCS (Future Combat System) も衛星関連のビッグ・プロジェクトも、そして MD 関連ですら予算削減のターゲットにしようと狙われまくっているし、何かというとコストやスケジュールが問題視されている。

つまりどこにでも売れるわけではないという点で販路の限定された製造業のようなもので、戦争をすることによって軍事産業が儲かるわけではない。戦争をしてもしなくとも同じというだけではなく、総力戦の時代ならいざしらず、イラクやアフガニスタンのような戦争では大型正面装備は最初に投入されるだけで占領統治にあたっては人件費や消耗品など諸経費に食われてむしろ武器メーカーにとってはマイナスであると。以下AIAの報告書PDFのイントロ部分です。

Introduction: Defense Budget Challenges Ahead

The Aerospace Industries Association is deeply concerned that three ongoing developments
within the defense budget will give U.S. decisionmakers far less latitude and flexibility to
respond to long-deferred defense modernization and recapitalization needs and requirements.

They are:
Inexorable growth in operations and maintenance costs.
Rising personnel expenditures, including future costs of recent increases in active
duty end strength.
Simultaneous needs for reset and recapitalization.
These three developments, working in combination, will require the next U.S.
administration to carefully formulate a national strategy for sustained, adequate
and balanced resourcing for national defense capabilities.

We present here an AIA Report on U.S. Defense Modernization, a study and recommendations based on our analysis of this important national security matter.

進行中の戦争において3つの要素、operations&management経費、人件費、(装備の)修復、補充経費が国防予算に占める割合が高くなっていることを懸念し、国防力の維持発展のために持続的でバランスのとれた財源を確保するよう国家戦略を練り直す必要がある、といった内容です。この報告書、ちょっと専門的なので十分に理解できない部分もあるのですが、要するに以上のような経費の上昇で装備や研究開発の予算がとれなくて大変だという話です。というわけで軍事産業はこのたびの戦争では儲けるどころか困っているという結論になるようです。もちろん国としてもぜんぜんペイしていないことは言うまでもありません。ちなみにただの好奇心によるメモでアメリカを弁護する意図はありませんので悪しからず。

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テリーブル

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フランスの新型ミサイル原潜「テリーブル(terrible)」の進水式がシェルブールで行われました。テリーブルの性能ですが、哀しいかな、その方面の知識がまったくなく、たしかに恐ろしげですねぇ、みたいなリアクションしかできませんので軍事に詳しい方にお任せします。そのうち出てくるでしょうね。

この進水式の席でサルコジ大統領がフランスの核ドクトリンについて新たな方針を述べた模様です。核戦略に関する最近の演説ではフランスの「死活的利害」を脅かす諸勢力に対する核報復の可能性を訴えた2006年のシラク前大統領のものが話題になりましたが、このたびの演説はそれに次ぐものです。ル・モンドの記事によれば、シラク演説が「死活的利害」を具体的に列挙したのがかえって論争を招いてしまったのを反省したのか、詳細な使用可能状況については言及しなかったそうです。サルコジによれば、核戦力は侵略国の経済的、政治的、軍事的な権力中枢に対する「正当防衛兵器」であり、それが向けられる対象は国家のみであると限定しています。以下、演説の骨子は産経の山口昌子さんの記事をそのまま引用します。

フランスのサルコジ大統領は21日、同国の航空核戦力を3分の2に縮小することで、核弾頭の総数を300以下に減らすことを明らかにした。核戦力をスリム化しながら、軍縮問題でフランスが主導権を握る姿勢も鮮明にした。

大統領は、仏北西部シェルブールの軍港での新型原子力潜水艦の進水式で防衛政策について演説。この中で、短・中距離の地対地ミサイル禁止条約や兵器用核分裂性物質生産禁止条約の交渉開始のほか、核分裂性物質の生産を即時停止することを提案した。

フランスの核抑止力戦略に関しては「軍縮の新措置を決めた」と述べ、核兵器やミサイル、核搭載航空機の数を3分の1削減することを言明。大統領は「この削減後、われわれの軍装備は核弾頭数が300以下となる。これは冷戦中にわれわれが保有していた最高期の核弾頭数の半数に当たる」と述べ、核弾頭を多数所持している米露の削減を暗にうながした。米国は2006年のジュネーブ軍縮会議で、兵器用核分裂性物質生産禁止条約案を提示。フランスはこれを支持したが、具体化していない。

また大統領は、イランの核開発問題に言及して「欧州の安全が危険にさらされている」とも指摘。欧州全体の安全保障においてフランスの核抑止力が果たす役割について、欧州各国と対話することを提案した。

核戦力のスリム化、核軍縮問題でのフランスのイニシアティブ、イランの核開発への牽制、欧州安全保障におけるフランスの核抑止力の位置づけの4点を主張したようです。このうち核戦力のスリム化ですが、航空核戦力を3分の2に縮小する一方で戦略原潜に再配置するということのようです。これを核軍縮の議論につなげるわけですね。他の日本語ソースだと大胆な核軍縮に乗り出したみたいな印象を受けますが、それはちょっと違います。

またイランへの牽制とフランスの核抑止力の役割の強調は、4月のEUのサミットの席で予定されていると伝えられるNATOへの復帰の宣言につながる話であります。しばらく前にドイツのメルケル首相にフランスと核戦力を共有しないかとラブ・コールしたのも同じ流れです。まだ十分に見えてきませんが、どうやらフランスの安全保障政策も大幅に変更されることになりそうですね。ぐずぐずのNATOではありますが、さてサルコジのイニシアティブはどのような結果をもたらすのでしょうか。大西洋の距離は縮まるのか、はたまたフランスのエゴですったもんだの紛糾になるのか。4月のEUのサミットが興味深いです。

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