カテゴリー「アジア情勢」の10件の記事

防空ヘルメット

病院と理髪店と高層ビルには近寄りたくもない、できれば忌避したまま生涯を終えたいものだと心より願っているのですが、そうも言っていられないのが人生というものでありまして、歯医者に通っています。いい具合に古び、くたびれ、うちのめされた風情の歯科医院に飛び込んだ訳ですが、治療の後に沈んだ気持ちになったり、悪い夢を見たりしないのが不思議です。あるいはこれまでとはなにか違う局面に入りつつあるのかもしれません。

それはともかく今日は受付の年配の女性とテポドンについて話した訳ですが、その意気込んだ話ぶりに、ああ、こんな風に人々の安全意識を静かにしかし着実に揺り動かしているのだろうなと実感させられました。ちなみに発射の日に近所のあほの子がヘルメットをかぶっているのには笑わせられました。防空壕について訴えていましたが、このあたりには地下駐車場のようなものはないですねえ。やはり子供は「テポドン」の響きに反応するようです。怪獣みたいですからね。以下、意味のあることは書けそうもないのでぬるーい感想を書いておきます。

"N Korea launch sparks arms race fear"[Financial Times]

北朝鮮のロケット発射が東アジアの軍拡競争を惹起するのではないかと懸念するFT記事です。韓国の首相が議会でMTCR遵守に関して見直しの可能性を発言した模様です。記事によれば、長距離ミサイル拡散を管理するMTCRは加盟国に開発そのものを禁じている訳ではないが、米国の要請で300km以上の飛距離のミサイル開発をしないことに韓国政府は非公式に合意しているとのことです。これは中国を刺激することになるだろうと。また日本では先制攻撃能力の保有論が浮上しているとして、前財務相の中川氏の発言が引用されています。こちらもまた中国を刺激するだろうとしています。しかし、後半では、韓国側の発言は国連の安保理決議をめぐる中国へのシグナルの意味合いが強い可能性があること、保守サイドでも長距離ミサイル開発への批判が強いことに触れて記事のトーンを抑えています。

"North Korea rocket revives Japan pre-emptive strike talk"[Reuters]

こちらは日本の先制攻撃能力保有談義をめぐるロイター記事です。FT記事同様に、

"We should hold a proper debate about attacking launch bases and about shelters in case something does happen," Kyodo news agency reported former finance minister Shoichi Nakagawa as saying on Sunday.

と攻撃、防衛両面の抑止能力の保有について議論せよとの中川氏の発言が引用されています。また前回の発射の際にも同様の声が聞かれた点、それが中韓の激しい反発を呼んだ点、世論にも歓迎されなかった点について紹介しています。CSISの研究員のグロッサーマン氏は、こうした議論をオプションと考えている人も多いが、個人的にはextremely destabilizingだと思うと述べています。憲法上の制約や専守防衛論の基本的な説明の後、記事は現在の財政状況や不況から考えてこれを変更する政治的タイミングではないだろうと述べ、英語圏における日本の安全保障論の基本書となっているSecuring Japanの著者であるMITのサミュエルズ教授の発言を引いています。

"It is very hard to focus for very long and very hard, even on things as important as national security, given the economy"[...] "Since the incident proceeded without direct impact on Japan, I think we are not going to get the hard focus we got in 1998."

と。記事は、98年の実験がミサイル防衛体制の構築のきっかけとなったが、直接攻撃は正当化困難であると多くの人々に考えられており、既に6兆ドル以上を費やした[註:これ金額合ってますかね]MDの増強が受け入れられるオプションだろうとしています。ここで岡本行夫氏が登場し、北朝鮮の領空でミサイルを破壊する訳にはいかない、より戦略的な防衛システムを保有すべきであり、研究開発がなされるべきだ、と述べておられます。また林前防衛大臣は先制攻撃にはラウンチ前とブースト時の二種類があり、法的には後者のほうが厳しくないが、技術的には難しいとも発言しています。以上、先制攻撃能力保有の声もあるけれども、ミサイル防衛の増強という穏当な反応になりそうだという記事でした。

といった具合に英語圏では前回同様「日本の先制攻撃論」として報じられています。ロイター記事では林氏が記事の末尾で簡単に解説していますが、現憲法体制下における策源地攻撃論を予備知識のない外国人に説明するのはなかなか難しい話のように思えます。前回もブッシュ・ドクトリンみたいに受け取って大騒ぎしている人々がけっこういました。専門の日本の防衛の研究者を別にすれば、理解しろといってもある意味無理からぬところもありますが、この言葉だけが一人歩きする可能性があるかもしれませんね。とはいえロイター記事が英国yahooのbreaking newsになっていたのを除けば大きくは報じられてはいないようです。

ところでこの中川氏の発言ですが、前回とは異なり、日本語圏ではそれほど報じられなかったようですね。閣外だからということなんでしょうけれども、あるいは以前ほどのヒステリカルな反応がないのは世論の微妙な変化を反映しているのかもしれません。件の共同通信の記事は見あたらなかったのですが、東京新聞の記事が上記の引用部分の発言を掲載しています。さらに時事通信の記事によると、氏は前回同様に核保有の議論の必要性にまで言及したようです。むう。また自民党の部会が敵地攻撃について検討しているとされます(コレ)。もちろん議論は活発になされるべきですが、政治的インプリケーションには十分に自覚的にやってもらいたいところです。このあたり各自が持論を展開している状況のように見えますが、レベルごとに役割分担ができているようだとなおいいです。それから基本的に支持はしてきましたが、これでいっそうMDに傾斜するというのも考え物ですね。

なんだか余計な事まで報じていたような気もする今回の日本のメディアの論調としては産経の紙面にときおり浮上した対米不信の色が気になりました(コレとかコレとか)。これも一概に悪いことではないとは思いますが、このイベントにとりあえずは日米が協力して軍事的にも政治的にも対応した事実を考え合わせるとやや過敏な反応のようにも感じられます。いわゆるG2に見られるような動きや同盟を犠牲にして多国間主義に傾斜するのではといったオバマ政権に対する不安とこのイベントを利用して専守防衛論の縛りに風穴をあけたいという希求とが綯い交ぜになっているのはよく分りますけれでも。ゲイツ氏の発言に関してはなにか言っておくべきでしょうね。

Foxソースですが、これを見る限りは米国世論はだいぶ強硬に反応しているようですね。民主党員も含めて多数が軍事的対応を支持している模様です。実際、思った以上に米国メディアも報道していましたし、就任後の初の危機対応ということで大統領の発言も厳しいものでした。とはいえ国連での決議以外になにか強い措置が取られるのかどうかはあやしい印象も受けます。目に付いたものではカプラン氏のこの論説がありますが、日本に配慮しつつ放置しておけとしています。という訳で1ミリでも状況を動かすために韓国と一緒になってでも声を出しておくべきなのでしょうし、国内の「冷戦残滓」を粛々と周縁化していく機会として有効に利用すべきなのでしょう。今後どういう動きになるのかは分りませんが、とりあえず日本の世論に影響を与えたようだという点で社会的に意味のあった事件として記憶にとどめておきたいと思います。

ではでは。

追記

自民・坂本組織本部長「日本も核保有、国連脱退」[読売]

こちらはストレートな核保有の主張ですか。国連脱退も辞さずと。いや、本部長殿、足をすくわれないようにお願いします。国内外の反響を計測しながら物事が進展するような形で「議論」をなさってください。

再追記

上の件、こちらの朝日の記事のほうが詳しいです。読売記事に釣られてしまったようです。ただ議論によるプレッシャーというのも露骨だと無意味かつ有害だと思うのですがね。

[本日の一曲]

http://www.youtube.com/watch?v=CIHCI5dVzHM&feature=related

岩崎宏美『銀河伝説』(1980年昭和55年)

Unhaつながり以外は関係ないですが・・・劇場用アニメ『ヤマトよ永遠に』の劇中歌です。若いのにしっかりした歌唱です。

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4月ですか

"Catholic bishops in US ban Japanese reiki"[Guardian]

米国のカトリックの司教がreikiを「迷信」として禁止したということです。米国カトリック司教評議会が出したガイドラインにこのセラピーは「科学的信憑性」を欠き、信徒を「邪悪な力」に晒す危険があるという警告が含まれたそうです。reikiのセラピーはカトリック信仰や科学とは相容れないものであり、ヘルスケア施設のようなカトリックの施設には不適切であり、教会を代表する人物たちはこれを支持したり、広めてはならないということです。これに対してキリスト教徒でマスターのジュディス・ホワイトさんはネットにはreikiが反キリスト教的だといった情報が溢れているが、これは誤解であり、リフレクソロジーと同じで有害なものではないと反論しています。どうやら「霊spiritsとの交感」というアイディアがお気に召さないようです。カトリックの聖霊spiritus概念とはそもそも違うと思うのですけれどもね。

で世界各地でそれなりに浸透しているというreikiについてはご存知の方もいらっしゃると思いますが、戦前戦中の日本で流行った「霊気」のことです。臼井甕男氏が創始したこの療法は戦後は我が国では廃れたとされますが、ハワイの日系人高田ハワヨ氏を通じて米国へ上陸、東洋の神秘としてニューウェーブの波に乗って徐々に浸透、80年代ぐらいからカタカナ化されて「レイキ」として日本に逆輸入されるようになる-日本霊気と区別して西洋レイキとも呼ばれるようです-というのが大まかな歴史的経緯になるようです。最近の日本のヨガ・ブームがインドではなくマドンナもやっているということでアメリカから来ていたりするのとなにか似たような話ですね。もともと日本発だという点になにかアイロニーを感じますが。どこかで読んだ記憶はありましたが、なぜか連れ合いが詳しいのでいろいろ話を聞きました。

このマイナーと言えばマイナーな話題について真剣に考察する時間も余裕もないのですが、考え出すと多くの論点が含まれているように思われます。戦前戦中の新興宗教ブームの中で霊気とはどのような位置に置かれるのか、霊気史においては単なる中継点のごとく語られているハワイという場所の持つ意味はなんなのか、霊気からreikiに至るアメリカ化のプロセスにおいてこの術はいかに変容したのか、カトリック神学のreligio(「宗教」)対superstitio(「迷信」)という-しばしばきわめて巨大な政治的意味を持った-二項対立の概念史においてこの事例はどのように位置付けられるべきなのか、あるいは米国のカトリック教徒の置かれた状況に肉薄すべきなのか、それともカトリックから離れて米国における科学と宗教と迷信をめぐる論争における「東洋的なもの」「アジア的なもの」の位相を考察すべきなのか、こうした問題の立て方そのものを曖昧な笑みとともに拒絶してきたようにも思える風土にこうした問題関心をそのまま持ち込もうとする人々との間にいかなる対話の可能性が開かれるべきか、あるいはいかにはぐらかすべきなのか、といった問題群です。本エントリはこうした困難な問いに答えることをそもそも目的としてはいませんので、問いを放ったまま通り過ぎることにします。失礼しました。

"Searching for a sense of 'home'" by Stephen Mansfield[Japan Times]

イアン・ブルマ氏の『チャイナ・ラヴァー』という新刊の書評ですが、李香蘭こと山口淑子のフィクショナルな伝記ということです。満州国、日中戦争、パレスチナ紛争を背景として、血生臭い20世紀の政治史に巻き込まれた「心の故郷」を求めて止まないある真摯で無垢な魂の彷徨の物語といった趣向のようです。戦前に関しては王道楽土と亜細亜解放の悠久の大義に燃える理想主義的青年佐藤、占領統治期については過去の過ちゆえに故郷に帰ることができず、異国の地で再生を求める日本文化を溺愛するアメリカ人シドニーといった具合に複数の語り手の視点から山口淑子の生涯が辿られているようです。書評によれば、金日成に祝辞を述べる姿やパレスチナで日本赤軍の物語と交錯するといった具合に同時代の歴史的事象をふんだんに織り込んで「極端な御世」であった昭和の歴史が語られている模様です。評者は「今となっては信じがたいが」といっていますが、勿論中国への敬愛と満州の夢に燃えて敗れた理想主義者というのはたくさんいた訳ですし(私の親族にもいます)、占領統治期の描写は話題になった英国人作家ディヴィッド・ピース氏の『東京零年』を髣髴とさせるといいます。なかなか面白そうですね。

本来であれば小津安二郎や溝口健二と並び称されておかしくない存在であるにもかかわらず、戦後忘れ去られた巨匠とされる清水宏監督による李香蘭主演映画『サヨンの鐘』を見たばかりなのでこの本を読みたくなっているのかもしれません。ゴージャス過ぎるお方ですが、この映画の李香蘭は個人的にひどく訴えかけるものがあります。台湾の高砂族の愛国乙女の悲劇を扱ったこの戦中の空前の大ヒット映画については台湾で論争があったといいますが、この論争に関してネットソースで読みふけってしまいました。ここでも様々なエージェントによって歌と鐘をめぐって記憶の政治が展開しているようです。まあ、こうした歴史的文脈を捨象して聴いてもごくいい曲だと思いますし、だから歌い継がれたという側面は無視できないでしょう。

"Piracy and the Constitution" by Craig Martin[Japan Times]

ソマリア沖の海賊対策の国会審議に関する論評ですが、憲法9条と関連する国際法の諸原則が基本的に理解されていないと批判しています。海賊討伐のための海自の派兵は国際法的には憲法9条とは無関係であるのに国会での議論は集団的自衛権の行使の禁止という憲法の政府解釈に枠づけられて展開している。国際紛争の武力による解決を放棄するというのは主権国家とその国民に対して武力行使をしないという意味である。国際法における「海賊」とは私人による不法行為のことであり、各国家はこれを取り締まる義務を負っている。つまり公海上の海賊討伐はそもそも国際紛争の武力解決ではない。憲法違反の疑いのある派兵に批判的な勢力が憲法を楯にしてこれに反対するのは理解可能であるが、この戦術はかえって危険である。政治権力が道具的に憲法を利用して、その権威を毀損してしまう結果になる恐れがあるからだ。

There may be room for debate over the wisdom of deploying naval forces to defend against pirates on the high seas. The Constitution should not be part of that debate. One of the key defenses against government infringement of the actual constitutional principles is to ensure that the scope and meaning of the principles remain clearly understood and widely shared. And the government ought to ensure the integrity of the Constitution by applying its provisions consistently, and in accordance with that understanding, in the shaping of national policy.

以上のように憲法を持ち出すのは論理的ではないし、政治的にも危ういとしています。マーティン氏は憲法解釈は行政ではなく司法が行うべきだという観点から安倍政権の解釈改憲の動きやいわゆる柳井報告を厳しく批判している方ですが、海賊に関しては以上のようなクリアな議論をしています。そうですね、ともかく自衛権については国際法からあまりにかけ離れた解釈をして国際的に話が通じにくい状況というのはそれ自体危ういのではないでしょうかね。

以上、ジャパン・タイムズから記事を紹介しましたが、悪質な嘘と邪推に塗れた記事を事実チェックせずに無責任に掲載し続ける限りは信頼性を得られないでしょう。外国人の裁判が公平になされているのかどうか注目しよう、バイアスがかかりやすい条件をできるだけ排除して裁判の質を向上させていこう、という点には同意しますが、そのためにデマを流すことは報道の倫理とルールに反しています。アクセス稼ぎのためのパンダのつもりかもしれませんが、洒落になっていません。記事についても事実に関わる部分はチェックすべきではないですかね。あるいはもう手を切る時期なのかもしれませんね。

"Spy agencies believe NKorea has nuke warheads"[AFP]

北朝鮮:核小型化に成功、「ノドン」搭載…国際調査機関[毎日]

国際シンクタンクの「国際危機グループ」がノドンに搭載可能な核の小型化に既に北朝鮮は成功している可能性があるという報告書を提出するようです。この情報の真偽そのものは不明ですが、こうした情報が流れることで抑止は高まることになるのかもしれません。さて、どうしたものでしょうかね。前に出た策源地攻撃能力の保有あたりでしょうか。ただあの時とは政権も交代して状況も変わっていますから、米国の猜疑心を呼ばないようにかなり注意しないといけないのかもしれませんね。

"Gov't to enable Japanese to marry foreign gay partners overseas"[AP]

法務省が外国人との同性結婚を認める方向で動いているようです。日本語ソースが少ないですね。APの英語記事はずいぶん参照されていますが。国内での同性結婚を認めるつもりはないようで同性結婚が認められた国の人との結婚ということのようです。記事ではこれは第一歩だとアクティヴィストの方が法務省を賞賛していますが、国外と国内とで同性愛者の権利状態に差があることになる訳でなんだか奇妙な話ではあります。どういうロジックなんでしょうか。これに対して熱烈な大規模反対運動が起こったり・・・はなさそうな気がします。ちょうど三橋順子氏の『女装と日本人』という新書を読んでいて積年の謎のいくつかが解けた感じがあってとても面白かったところでしたので個人的にはちょっとタイムリーなニュースでした。この新書ですが、歴史が好きだからうならされたということもありますが、こういうトーンで語れる方が前に出られるならばかなり広い層にまで声は届くだろうなと思えました。

ではでは。

追記

同性結婚の話はいろいろ読んでみましたが、なにをどうしたいのかよく分らないですね。法務省が勝手にやっているといった印象を受けます。

近づく「テポドン2」打ち上げ[日経BP]

松浦信也氏の技術的なインタヴュー記事ですが、分りやすいのでおすすめしておきます。推測だが、とことわっていますが、情報収集体制が整っていない点から見て、技術者たちは追い詰められているようだとしています。

[本日の一曲]

http://www.youtube.com/watch?v=w8ilpWgTYTk

渡辺はま子『サヨンの鐘』(1941年昭和16年)

http://www.youtube.com/watch?v=WK1lGpVxNgM&feature=related

紫薇『月光小夜曲』

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下からの発展主義者

すっかり春めいていますが、昨日今日読んだ記事を紹介しておきます。

"It's Not Just the Economy, Stupid: Asia's Strategic Dangers from the Financial Crisis" by Michael J. Green and Steven P. Schrage[CSIS]

CSISに掲載されていたグリーン氏とシュレージ氏の記事。タイトルはクリントン大統領の"It's just the economy, stupid"のもじりで、今回の金融危機が単なる経済の問題ではなく、戦略的危険を東アジアに及ぼし得る点について警告する内容です。といっても警世家のごとく喚いている訳ではなく、多くの人が危惧している事柄についてのごく慎重な考察です。今のところ東アジアの戦略的構図には変化が見られない。中国が米国に代わってヘゲモニーを握った訳でもなく、今回の金融危機の救済を主導する余裕もなく国内問題に忙殺されている。米国の財政赤字をファイナンスしているのだから米国は中国に膝を屈することになるだろうという予言もあたらない。中国の指導者は世界新秩序を構想している訳ではなく現状維持に汲々としている。中国に関する戦略的危険は米国の影響力の低下にあるのではなく、大恐慌の後の日本のような戦略的シフトが起こることだ。中国の社会的安定のためには8%の経済成長が必要だと言われるが、2009年の成長は5%程度だと予測されている。既に工場閉鎖にともなう抗議運動は生じているが、全国的なレベルでの騒擾は起こりそうにないという。しかし危機は始まったばかりであり、誰にも今後は予測できない。

北朝鮮、ミャンマー、イランが金融危機を受けて挑戦的になっている点に注意すべきだ。中国が国内不安へのインパクトを危惧し、日韓の指導者が議会で責められている間に、北朝鮮は核保有国としての地位の要求の声を強めている。ミャンマーの軍事政権はこの機会を捉えて数百人の反体制派を逮捕した。イランは中露とP3の齟齬を利用しつつ核開発を続けている。他方、経済情勢の悪化が燃料費の下落や経済援助の必要性ゆえにこうした危険な国々を軟化させる可能性はあるが、それは指導者が国民の福利厚生にどれほど関心があるのか、どれほど経済に関連して国内の圧力がかかるのかによる。現状ではどちらに転ぶのか十分なエヴィデンスがない。

経済危機は東アジアの民主主義国に打撃を与えている。日本では麻生首相の支持率は1割代であり、韓国の李大統領、台湾の馬総統の支持率も芳しくない(台湾経済の打撃は貿易の利を説いて中国との融和を主張する馬総統の説得力を奪っている)。タイの連立政権の未来は不確実だ。東アジアの新旧民主主義諸国は米中関係をアンカーし、「自由を推進する勢力均衡」と前ライス国務長官が呼んだものを維持するのに役立っている。ここ20年の民主主義の拡大に逆風が吹くようなことがあれば、グローバルな勢力均衡に影響を与えるばかりでなく破綻国家を増大させることにつながるだろうし、米国が中国に訴えているリベラルな規範のデモンストレーション効果を損なうことになるだろう。

1932年のSmoot Hawley関税のような保護主義的措置によって金融市場の崩壊は突如として自給的な貿易圏のゼロサムゲームに転じ、これが戦争の主因となった。今日では金融、サーヴィスのグローバル化、製造業ネットワーク、WTOなどのおかげでこうした急変はありそうもない。しかし、既に世界中で特定産業の保護がなされていて、これは競合する外国企業からは不公正な貿易措置に見えるし、これが"Smoot Hawley2.0"刺激効果といったものを生むかもしれない。政権によって「バイ・アメリカン条項」はどうにか抑えられたが、他の国々を誘惑する先例をつくってしまった。気候変動関連立法もまた保護主義の偽装の罠となり得る。平価切下げ競争もまた保護主義と摩擦を強化するだろう。既に世界貿易は縮小し、WTOの貿易自由化は停滞し、オバマ政権は韓国、コロンビアとの自由貿易協定に慎重な姿勢を見せている。保護主義の動きは1930年代式の自給ブロックの形成につながらないとしても、各国が脅威に対して協力するのを妨げたり、経済の回復を遅延させることになるだろう。

幸いなことに我々は過去の失敗から学べる。保護主義と戦うことの重要性を我々は知っているし、我々の同盟国はこうした努力を主導することができる。WTOやKORUS FTAを通じた攻撃的貿易自由化が保護主義の防衛に最もふさわしいことを我々は知っている。パキスタンのような脆弱な国家に経済支援することの重要性も我々は知っている。1920年代、30年代のように軍事費をカットしたり、抑止と強力な同盟関係を脆弱な外交的調整に代替することの愚を我々は知っている。経済成長を再び活性化するグローバルな戦略の必要性も安全保障との関連性についても我々は知っている。

といった具合に大恐慌後の歴史と重ね合わせて自由貿易体制と同盟関係の維持を訴えています。最後のパラグラフには「心配するな、でも、賢くなれ」という表題がついていますが、人はそれほど賢くなれますかね。日本の例が取り上げられている部分がやはり関心を惹きますかね。

Japan was arguably not a revisionist power before 1932 and sought instead to converge with the global economy through open trade and adoption of  the Gold standard. The worldwide depression and protectionism of the 1930's devastated the newly exposed Japanese economy and contributed directly to militaristic and autarkic policies in Asia as the Japanese people reacted against what counted for globalization at the time.

中国がこうならないように気をつけなくてはならないという文脈にある訳ですが、何年か前から同じ文脈で同じような記述を見るようにな気がします。「日本特有の道」論から横滑り論へといった感じでしょうか。正直、曲がりなりにも議会制民主主義のあった国と現在の中国を同一視できると思えないですが、逆に言えば、現体制の下では中国が冒険主義に走る可能性はあまり高くはなさそうだというアイロニカルな認識が得られるのかもしれません。それからヴェルサイユ・ワシントン体制の短い言及の部分は、米国で今後地域的なウィルソン主義的志向が高まるリスクへの牽制に見えます。勢力均衡と集団安全保障と同盟をめぐる問題群は日本にとって死活的に重要な話なはずなのですが、どうも日本側がどうしたいのかさっぱり意志が見えないのは米国から見てじれったい話でしょうね。一日本国民から見てもそうですから。ところでrevisionistやrevisionismにはこういう用法もあるのですね。現存する世界秩序に対する修正要求という意味合いなんでしょうか。

"Takahashi Korekiyo's Economic Policies in the Great Depression and Their Meiji Roots" by Richard J Smethurst[pdf]

英語圏の高橋是清のスタンダードな伝記を書かれたスメサースト氏の99年のシンポジウムでのペーパー。高橋是清の経済政策の由来を明治の思想潮流に探ることを目的にしています。確かに流暢な英語を話し、同時代の英語圏の政治経済の潮流に通じてはいたが、高橋は大学の経済学者ではなく多様な職歴を持つ人物であり、彼の思考はその経歴を通じて探求しないといけないとしています。

まず、高橋の5原則を確認しています。(1)政府は不況の際には経済を刺激するために財政金融政策を用いることができる。(2)政府は景気過熱の際には経済を冷まし、インフレ退治をするために財政金融政策を用いることができる。(3)市場の情報は経済成長の鍵である。(4)経済発展は単に国家を豊かにしたり、強くするためのものであるばかりでなく国民の生活水準の向上をもたらすものであるべきだ。(5)過剰な軍事支出は国民経済の健全性を損なう。

それで第二次世界大戦後にはごく普通になったこうした考え方を世界に先駆けてなぜ彼が持つことになったのかということになります。高橋はひとつのポストにとどまることなく、ポストの移動を重ねて政治、経済、金融の幅広い知識を身に付けたとされますが、論者は原則(3)(4)(5)については農商務省の先輩にあたる前田正名の影響を重視しています。薩摩藩士の前田は江戸末期に蘭学や儒学の教育を受け、明治維新とともにフランスに留学し、ティスランの下で政府による殖産興業の考えを学び、農業と在来産業の発展を政府の政策の中心と考え、『興業意見』を提出したこと、野に下った後にも地方の産業振興の運動を起こしたことで有名な人です。国家支援による経済発展を強調する前田の考えは高橋のマクロ経済政策的な発想に影響を与えたとされます。また高橋も前田も熱烈なナショナリストであるが、政府への軍の影響力の増大を恐れ、軍事支出の増大に反対した点でも、政策形成の前に現状の基礎的な調査をするという「根本」を強調した点でも、経済成長の利益は全国民が享受すべきであると考えた点でも、政府の役割を強調する一方で東京の官僚ではなく地方の役人や生産者のほうが多くの情報を知っていると信じた点で共通しているといいます。

1880年代に地域の実情、すなわち「根本」を調査し、『興業意見』を作成していた頃に両者は出会うのですが、この意見書は農業と在来産業の振興を通じた経済発展を目指している点で、重工業や軍事力偏重の政府方針と対立する要素を持っていたとされます。前田は平均的な国民の生活水準の向上なくして経済成長なしとの信念、強兵よりも富国の主義であり、農村経済に悪影響を与えるとして松方蔵相のデフレ政策を批判したといいます。論者は前田を財閥偏重の政府政策を批判した「下からの」発展主義者としています。これは前田の提唱した地方の意志決定を重視した産業銀行案に現れているとされます。松方および大蔵省の中央集権主義対前田、高橋および農商務省の地方分権主義という構図です。前田は政策論争に敗れるのですが、この地方の意志決定を重視するスタンスは高橋に影響を残したといいます。

以下、高橋の軍事予算をめぐる衝突や教育、公共事業等の分権化の訴えなどに前田の教えを見ていますが、特筆しているのは30年代の農村救済案への反対と自助の訴えです。論者はこの点に関しての従来の歴史家の解釈に異を唱えていますが、このペーパーの眼目はこの論点にあるのでしょう。金融資本階級の代表たる高橋には農民への共感などなかったとか老年の高橋はもはや大蔵省タカ派のロボットに過ぎなかったとかいった説明がなされてきたが、前者に関して高橋は常に地方の振興を訴えていたし、後者についても戦後になってからの戦争責任回避のための官僚の言い訳に過ぎないとしています。また財政赤字削減のための措置であり、軍事費縮小は政治的に困難だったたけに農村救済をカットしたのだという説明にはより説得力があるが、高橋は常に勇敢に軍と対立しているし、既に死ぬ覚悟は出来ていたとして退けています。それで著者の説明は地方の実情を知らない中央官僚主導の農村救済案は成功しないという彼の信念によるものだというものです。地方ごとに実情が違うのだが、その状況は十分に調査されていないので全国一律の救済案には効果がないという発言を取り上げていますが、この信念は前田の教えであるといいます。35年以降には分権的な意思決定と草の根の情報への注意による農村経済発展を訴えていると。また貧農ではなく自営農や小地主を支援したことでも批判されているが、これも的外れだとしています。村を支配する大地主階級ではなく農村中間階級が経済発展の鍵であると1880年代に前田は見抜いたが、1930年代には既にこの階級が村の政治経済リーダーに成長していたのだからこの層を支援したのは高橋が村の現実を知っていた証拠であるとしています。

以上のように農商務省時代に高橋は前田真名の経済思想から多くを学んだというのがこのペーパーの趣旨です。素人の私にはとても説得的な議論に感じられましたが、私の知らないいろいろな文脈があるのかもしれません。フランス留学組の見聞録のたぐいは以前まとめて読んだことがあって前田のことは知っていましたが(普仏戦争とパリ・コミューンを目撃した日本人です)、フランスの重商主義の伝統を引き継いだ殖産興業の人ぐらいの理解でしたのでなかなか勉強になりました。政府の役割の強調と下からの経済発展の理念が独特に結合している訳ですね。これが高橋是清につながるというのもなにか数奇なものを感じます。日本のワインの父みたいな人でもあるのですね。飲んべいの私としては前田ゆかりのワインというのも気になります。ちなみにスメサースト教授が朝日に寄稿しています。是清についてはアメリカのマクロ経済学者のみなさんにももっと知ってほしいところですね。ではでは。

追記

財務省→大蔵省に直しました。

[本日の一曲]

http://www.youtube.com/watch?v=4VnURW4tNIk

江利チエミ『木遣りくずし』

幕末の有名な俗曲のカバーですが、とても耳心地のいい粋な歌いっぷりです。

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ディア・リーダーをめぐるあれこれ

拓殖大学大学院教授・森本敏 北朝鮮ミサイルの迎撃決断を[産経]

第1に、わが国の政治決断を急ぐべきである。ミサイル防衛は自衛隊法第82条の2項に基づき、防衛大臣が内閣総理大臣の承認を得て、指揮官に対処権限を委任する仕組みになっている。総理の承認がなければミサイル防衛は機能しない。この対処要領は、航空総隊司令官がイージス艦艦長やパトリオット部隊指揮官に下令し、飛翔するミサイルをわずか数分のうちに撃墜するものである。

その手順は防衛省内で決められているが、これを有効にするためには空域をクリアにする必要もあるし、パトリオットミサイルの運用に必要な電波管制も必要となる。まだ総理の政治決断は下っていないが、時機を逸したのでは取り返しがつかない。

第2に、日米間の運用上の調整を急ぐことである。米国はイージス艦を日本周辺に5、6隻配備し、海自も2隻の配備が可能だ。緊迫すれば、このうち最低2隻を日本海に展開させる必要がある。しかし、日米では指揮権が異なるため、司令部・部隊間の調整が不可欠になる。ミサイル防衛は日米が共通の対応をしなければ効果はない。日本だけが対応しなければ、その必要性が問題になり、米国だけが対応しなかったら日米同盟の信頼性という問題になる。

森本氏の論説でだいたい技術的な問題の輪郭が掴めます。だいたいこの通りの対応がなされるのでしょう、きっと。中国の圧力とやらがどの程度効くものなのか観察したり、粛々と国内的な問題を処理したり、日米間の調整をしたりする機会として活用すればいいという話なんでしょう。これ、集団的自衛権の問題は浮上しないで済みそうなんですかね。

"What Hillary Should Tell Japan" by Doi Ayako[CSIS][pdf]

ジャーナリストのDoi Ayako氏の拉致関連の記事。ヒラリー国務大臣は東京訪問の際に変な期待を与えずに日本の世論の拉致問題への執着に警告を発するべきだったという趣旨です。米国側の同情的発言が日本側に依存感情を生んできたが、ブッシュ政権後期の方針転換によって日本側には裏切られたという感情が広まっている。メディアはこの問題を扇情的にとりあげるばかりで冷静な分析がない。加藤紘一氏や山崎拓氏や田中均氏のように日本にも北朝鮮との対話をすべきだと考える者もいるが、「裏切り者」扱いされている。世論を正気に立ち返らせ、なにが国益なのかを思考させるには根拠のない期待の源を断つことにある。それゆえヒラリー国務大臣は誤りを犯したと。

あまり口汚くないという点を除けば、だいたい英語圏のリベラル系のオブザーバーと同じような意見ですね。まあ、これもひとつの意見でしょう。いささか表層的な現象に拘泥し過ぎではないのかといった疑問やそもそも非核化のプロセスに関与する気がないのは誰なんですかという話もありますがね。私の意見と大きく違いそうなのは米国への不信に関してはさほど問題だと思っていないところですかね。裏切られた感情というのは確かに一方的なものだと思いますが、妙な依存心から脱却して健全な懐疑を含んだ信頼の水準に落ち着く上で重要なプロセスだとも思うのですね。最後に細かいですが、この記事で気に入らないのはテレビ局のプロデューサーの発言の使い方です。これはオバマ就任の際のワシントン・ポストの同記者の記事に感じましたが、この種の手法の濫用はジャーナリズムとして反則だと思います。少なくとも私は嫌いです。ついでにこの就任時の記事の「世界で日本だけ」で世論が歓迎的でないって端的に嘘でしょ。

"Japanese Perceptions of Nuclear "Twin Commitments" Under the Obama Administration" by Jimbo Ken[CSIS][pdf]

オバマ政権の核廃絶と核抑止の維持の「二重のコミットメント」を日本側がどう見ているかについてのJimbo Ken氏の記事。"four horsemen"の提案を受けてNPT体制を維持し、核廃絶を目指す一方で現状の核抑止体制を維持するというドクトリンに対して日本には二通りの反応が見られる。これは核廃絶を望みつつも信頼できる拡大抑止を求めるという日本の核に関するアイデンティティーを示している。軍縮派は核廃絶に関する国連総会決議に米国がサインしたことを歓迎し、米国の核軍縮のプランを支持し、さらにロシアと中国との連携的な核軍縮を求め、これが北朝鮮を含む地域的な非核化に貢献することを望む。一方、軍事戦略専門家は警戒的である。米国の大規模な核軍縮がアジアにおける抑止を弱体化させ、対北朝鮮への交渉力を弱めることを危惧している。また米中間の相互確証破壊に近づくような両国の核のパリティーが実現すること、中国の核が最小限の抑止から限定的な抑止へ発展すること、MRBMのような戦域抑止に傾斜することを望まない。

米国に対して以下のような応答がなされるべきだ。日本は拡大抑止を毀損しない範囲での核軍縮の試みを歓迎する。日本はドクトリンおよび戦力の両面において米国から明瞭な核のコミットメントを要求する。米国がより明瞭な原則、目的、通常戦力の配置を示すことで拡大抑止はより有効になる。東アジアへの通常戦力のプレザンスは維持されなくてはならない。核戦力についても具体的に考慮されるべきだ。米国の拡大抑止にとって日本の自衛力の強化が必要で共同の抑止構造が維持されるように現代化を進めなくてはならない。日本は米国が絶対優位にあることが望ましいが、中長期的に米国が中国との相互バランスにシフトした場合でも非対称的なレベルが望ましい。日本のミサイル防衛能力の基準となる年は2011年であり、集団的自衛権の解釈の変更が必要だ。日本は欧州のミサイル防衛に対して米国が強い態度を示すことを望んでいる。ここでロシアに配慮した場合、中国に悪いメッセージを与える云々。後半は抜書きですので具体論は本文で確認してください。軍事用語は苦手なので変なところがあるかもしれません。

以上、前提が変わらずに事態が推移した場合のシミュレーションとしてはごく理性的な論調だと思いますが、どこまで現実的かどうかは別にして日本が自前の抑止能力を強化していく別のシナリオも描けるでしょうね。ミサイル防衛が支柱というのはどうなのよということになる日がそう遠くないうちに来るかもしれませんから。欧州のミサイル防衛の帰趨の極東への影響というのは重要な点でウォッチしないといけませんね。

"Bad Advice for Secretary Clinton" by Victor Cha[CSIS][pdf]

対北朝鮮政策についてのVictor Cha氏の記事。ヒラリー国務大臣のアジア歴訪はうまくいった。北朝鮮に関して悪いアドヴァイスに従わなかったからだ。悪いアドヴァイスには二種類ある。一方の極にいるのがSelig Harrison氏で北朝鮮との核との共存を訴える輩たちである。ヒラリー氏がこうした声に耳を傾けず、北朝鮮の完全な非核化を明瞭に訴えたのは正しい。米国は北朝鮮を核保有国として絶対に承認してはならない。核を完全放棄するまでは国交の正常化や平和条約の調印に応じてはならないということだ。これを放棄した場合には日本および韓国への拡大抑止は毀損するだろう。

もう一方の極にいるのがPhilip Zelikow氏でミサイル発射施設への限定攻撃を訴えている。ヒラリー氏がこうした声に耳を傾けなかったのも正しい。確かにミサイルプログラムを遅らせるが、こうした行動が数年後にもたらす結果はより全般的なものとなるだろう。日本も韓国も戦争を望んでいない。よいアドヴァイスとは次のようなものだ。同盟国や中国と連携して北朝鮮にミサイル発射を止めるよう警告し、ミサイル防衛システムを稼動させ、国連決議1695、1718に基づく制裁の準備をし、北朝鮮への援助を絞るように中国に圧力をかけるべきだといったものだ。金正日後の体制について日中韓と協議するという発言も今後の現実を見据えていて問題ない。関係国と連携して北の体制変革に備えるというのが慎重かつ賢いやり方だ。北の核との共存や発射装置の限定攻撃はそうではないのだ、と、いかにも現実派の氏らしい論評です。ところで国連決議に基づく制裁というのは実際にあるんでしょうかね。

以上、CSISから最近の記事をピックアップしてみました。外交安全保障に関心のある方々はだいたい目を通していると思いますが、あまり日本語圏で言及されないのは不思議に思えますね。日本人論者の声が全般に小さく感じられるというのと時に日本について言及する英語圏人のクオリティー・コントロールをちゃんとしたほうがいいのではないかと思うこともあります。大御所の間に英会話ティーチャーレベルが紛れ込んでいたりしますから。誰とは申しませんが。

"Why shouldn't Kim Jong Il fire his missile?" by Richard Lloyd Parry[Times]

パリー記者もいわゆるひとつのマコーマック化が進んでいるようでなりよりです。ねえ、どうして北朝鮮がミサイルを打っちゃ駄目なの?とあどけない眼差しで読者に語りかけています。パパ、the Westもそうしてきたんじゃなかったの、と。いい事教えてあげましょうか、別に発射に反対しているのはthe Westだけじゃないんですよ。北朝鮮はジャーナリストやアカデミシャンにとって死屍累々のフィールドですから気をつけることですね、パリーさん。

ところでマコーマック氏で思い出したのは-ええ、もちろん意地悪になっていますとも-1952年にパリで起こった反リッジウェイ・デモです。朝鮮戦争で国連軍が細菌兵器を使用したという例の共産陣営のプロパガンダを受けてフランスの共産主義者がNATO軍司令としてリッジウェイがパリに到着した際に大規模デモを組織したという事件です。"Ridgway la peste! Ridgway la pest!"というシュプレヒコールは戦後の混乱期を象徴する挿話のひとつとして国民の集合的記憶の一部を構成しているようなんですね。このたびのNATO完全復帰の件でこの挿話がよく想起されているようです。赤化が著しかった時代の反米感情を示す挿話として。ところでリッジウェイはGHQ総司令官もしていたのに日本では今ひとつ記憶に残っていないのはマッカッサーの印象が強烈すぎたからでしょうかね。

ではでは。

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日本の反ユダヤ主義?

”The 'Jewish conspiracy' in Asia” by Ian Buruma[Guardian]

ガーディアンへのイアン・ブルマ氏の寄稿。この方については日本について論じる左派の中ではわりあい評価しているほうなのですが、率直に申し上げて、このタイミングでこのネタ投じるのかといささか困惑しました。この記事で言うアジアというのは東アジアのことです。またJewsはユダヤ人で通します。以下、翻訳ではなく内容紹介です。

中国のベストセラーはいかにユダヤ人が国際金融システムを操作することで世界支配を計画しているかを描いている。この本は政府高官の間で読まれていると伝えられる。もしそうならばこれは国際金融システムにとってよくないことだ。こうした陰謀論はアジアでは稀ではない。日本の読者もこの手の本に食指を動かしてきた。こうした本は1903年にロシアで刊行されたシオンの議定書のヴァリエーションであるが、日本が出会ったのは1905年にツァーの軍隊を打ち破った後のことである。中国は多くの近代的なアイディアを日本人から受け入れたが、おそらくユダヤ陰謀論もそうだろう。しかし東南アジア人がこの種のナンセンスを免れている訳ではない。マレーシアのマハティール前首相は「ユダヤ人は代理を立てて世界を支配している。彼らは他人を戦わせて自分達のために死なせるのだ」と発言した。フィリピンのビジネス雑誌の最近の記事はいかにユダヤ人がアメリカを含めて自らが居住する国をコントロールしてきたのかを説明する。マハティールの場合には歪んだ種類のムスリムの連帯の観念がおそらくは働いている。しかし欧州やロシアの反ユダヤ主義とは異なり、アジアのヴァラエティーは宗教的ルーツを持たない。中国人も日本人も聖なる人物を殺害したことを非難しないし、実際に中国人や日本人やマレーシア人やフィリピン人のほとんどはユダヤ人を見たことすらない。

それではアジアにおけるユダヤ陰謀論の顕著なアピールをいかに説明するのか。答えは部分的には政治的なものに違いない。陰謀論はニュースへの自由なアクセスが限定され、自由な研究が制限された相対的に閉じられた社会で生き延びるものだ。日本はもはやそうした閉じられた社会ではないが、民主主義の短い歴史を持つ人々ですら見えない力の犠牲者であると信じがちなものである。ユダヤ人は相対的に知られていないが故に神秘的なのだ。そして西洋となんらかの仕方で結びついて反西洋パラノイアの備品となるのだ。どの国も数百年間西洋列強の犠牲となったアジアではこうしたパラノイアが広まっている。日本は正式には植民地化されたことはないが、アメリカの砲丸外交で開国した1850年代以降、西洋の支配を感じていた。

アメリカとユダヤ人を一つにみなすのは19世紀末に遡るが、欧州の反動主義者達は金融の貪欲にのみ依拠する根無し草の社会であるとアメリカを難じた。これは「根無し草のコスモポリタン」の金融屋というステレオタイプと完全にマッチした。それゆえユダヤ人がアメリカを動かしているという考えが生まれたのだ。植民地の歴史の大いなる皮肉のひとつは植民地化された人々が植民地統治を正統化する当の偏見を採用したことにある。反ユダヤ主義は欧州の人種理論とともに到来し、西洋では流行らなくなった後にもアジアで生き延びた。ある意味、東南アジアの中国系の少数派は西洋でユダヤ人が苦しんだ敵対感情を共有してきた。多くの職業から排除されて一族主義と貿易で生き延び、「大地の子」ではないという理由で迫害されてきた。そして彼らもまた金を生むことに関して超人的な力を有すると考えられた。物事がうまくいかないと中国系は貪欲な資本主義者としてばかりでなくユダヤ人同様に共産主義者として非難された。というのも資本主義も共産主義も根無し草性とコスモポリタニズムに結び付けられているからだ。恐れられるのと同時に中国人は誰よりも賢いと賛嘆されている。恐れと畏怖はアメリカ、そしてユダヤ人に対する人々の見方にもしばしば明らかになる。

日本の反ユダヤ主義はとりわけ興味深い事例だ。ニューヨークのユダヤ人銀行家のジェイコブ・シフの支援を受けて日本は1905年にロシアを打ち負かすことができた。したがってシオンの議定書は日本人が疑った事柄を確認したのだ。しかし彼らを攻撃する代わりにプラクティカルな国民である日本人はこうした賢く、強力なユダヤ人を友人にするほうがいいと決めたのであった。その結果、第二次世界大戦の間にドイツ人が同盟国日本にユダヤ人を引き渡すよう求めたにも関わらず、満州国では日ユ友好を祝うべく夕食会がもたれたのだった。上海のユダヤ人難民は決して快適ではなかったが少なくとも日本の保護下で生き長らえた。これは上海のユダヤ人にとってはいいことだった。しかし彼らを生き延びさせたアイディアそのものは今では彼らのことをもっとよく知るべき人々の思考を混濁させ続けているのだ。

以上、アジアではユダヤ陰謀論が受け入れられている、それは宗教的なものではなく無知に基づくものだが、それを支える政治的理由というものがあるという内容です。中国については知りませんので、日本についてのみコメントしておきます。

第一に「反ユダヤ主義」anti-semitismと呼ぶべきなのかどうかがまず疑問です。全体として日本国民にユダヤ人への憎悪があるかと言えばない訳ですし、遠くの話で興味もない訳ですね。にもかかわらず、聞いたことのないような人々の言説を取り上げて書かれたかなりバイアスの強い「日本の反ユダヤ主義」についての本なんてのがある訳ですね。かつてこれで日本批判もありました。しかし、例えば、「フランスの反日主義」についての本だってその辺の素材をランダムにサンプリングして書こうと思えば私でも書けますが、それがミスリーディングなことは言うまでもありません。日本には歴史的にユダヤ人差別は存在しないし、反ユダヤ主義が広汎に存在しているかのように表象することは投影と不当な一般化であるという点はしつこく繰り返さないといけないポイントだと思います。陰謀論マーケットは熱烈な人々の間のごく限定されたものであり、日本でもUFOやオカルトと同じ扱いでまともな議論としては相手にされていないし、三文ライターやネットの陰謀論好きに「日本人」を代表させるのは誤表象でしょうと。勿論こう言ったからといってこの種の言説を是認している訳ではなく有害であり、現状以上に周縁化されるべきだと思います。ちなみにブルマ氏はフルフォード氏をどう理解するのですかね。私には意味不明なんですけれども。

それからユダヤ人に学ぶ金儲けとかユダヤ人に学ぶジョークみたいな本が偏見に基づいているのは事実でしょうが、読者にとっては華僑に学ぶ金儲けやイギリス人に学ぶ資産運用やフランス人に学ぶ恋愛術との間に質的な差異があるとも思えません。読んだことがないので判りませんがね。こういう偏見なり無知なりと憎悪はやはり違うと思うのですね。ついでに無知や偏見ということで言えば、ここで悪意はないけれども偏見のある日本本-残念ながら多くがそうですが-に対して反日主義だ!と糾弾してまわる奇妙さを想像してみればいいと思います。私はこのブログでいろいろケチをつけたりしますが、それはクオリティティーを保つべき責務のある人々だと思うからであってそれ以外に対してはかなり寛容というのか期待水準が低いです。勿論ユダヤ人について正しい知識が日本で広まることは私も願っていますし、まともな本や論文は日本語でもいくらもありますので多くに読まれることを望んでいます。

第二に戦前日本におけるユダヤ人観についていささか単調な記述に見えます。シオンの議定書的な陰謀論を真に受けた人々がいたのも事実ですが、日ユ同祖論に見られるような同一視の(脱)論理もまた存在していたことも興味深い現象として記述すべきではないでしょうかね。西洋列強への恐怖とユダヤ人への共感さらには同一視といういささか倒錯した理路もあった訳ですね。これもいわゆるあやかりの心理ですから、プラグマティックという評価は正しいと思います。ただユダヤ人をめぐる問題は帝国臣民全体の共通の問題関心になったこともない訳ですし、論じていたのは事情通を気取る人々や政策担当者ぐらいなんですからから「日本人」を主語にして語って欲しくないのですね。日本から中国への陰謀論の伝播については面白い論点ですが、どうなんでしょうね。欧州からの直輸入経路もあると思いますが。

第三に明治デモクラシーも大正デモクラシーも昭和デモクラシーも無視して戦後デモクラシーではじめて日本にデモクラシーが開花したかのごとき記述もまたありがちなナラティブでしょうし、また閉じられた社会云々にしても戦前欧州で反ユダヤ主義が吹き荒れたのは欧州が閉じられた社会だったからなのか、黄禍論が吹き荒れたのはアメリカが閉じられた社会だったからなのかという疑問が浮かびます。あるいはブルマ氏はベビーブーマー世代らしく第二次世界大戦以前と以後で歴史を区分し、欧米も閉じられた社会だったと考えているのかもしれません。

では反ユダヤ主義の言説形式でユダヤ人の部分を日本人に置き換えたような言説が1980年代から90年代にかけての欧米の主流メディアを浮上し(今でもネットに残存し)、中国人に置き換えたような言説が2000年代に主流メディアにまで浮上した事実をどう考えればいいのかとか、また現在のアメリカのネットで陰謀論が盛んになっているのはどういうことなのかという問いも浮かびます。私にはむしろ情報技術の発達が新たなる人種主義の可能性をも押し広げているようにも見えるのですが、杞憂でしょうかね。情報の量と多様性が固定観念の解除に貢献するという一般論には同意しますが、その点は過度に楽観的にならないほうがいいと思いますがね。情報量の拡大に対応できずに単純な物語に固着するということもあるでしょうから。

この記事の特にリード文で「西洋」と「アジア」の対比が想定されているのが、あるいはそういう言説を誘発させるリスクがあるのが問題だと思うのですね。つまり西洋は反ユダヤ主義を克服したが(事実ではないでしょう)アジアはまだ克服していない(差別問題そのものが存在しないのに)といった珍妙な責任転嫁の言説として受け止められないかという危惧があるのですね。実際、既にそういう反響をいくつか見たので。愚かな読者の責任を書き手は負うべきだとは思いませんけれども、オリエンタリズムとオクシデンタリズムのリスクに敏感なはずの論者にしては少し脇が甘いように見えました。

誤解を避けるためにいうまでもなく陰謀論のたぐいは有害だと考えていることを繰り返しておきます。ガザに関して騒いでいる極左や極右で暗黒面に落ちているのもいるようですね。軽蔑の眼差しを捧げておきます。我々はそんなものを輸入すべきではない。またあまり真面目に見ていないのですが、主流メディアに対してもやや不満があります。基本的に日本国民はこの問題については他者であり、当事者とは別の認識とアプローチが可能であるはずなのにあちらのメディアのフォーカスの吟味なしにその上で踊るのはどこか滑稽な話だと思います。勿論イスラエルの批判をするなと言っているのではなく、批判的でももっと引いた視線が必要だと思うのです。

ちなみにこの記事のコメント欄がひどいことになっていてかたっぱしから削除要請しておきました。大先生のブログのコメント欄に登場する人も湧いていました(笑 この人達が忠実に反ユダヤ主義の「論理」を踏襲しているのもまた滑稽きわまりない話です。ねえ、友達つくったらどうですか、と忠告しておきますかね。

追記

コメント欄で指摘がありましたが、ガザ侵攻以降の世界の世論動向に関心があってこういう記事を掲載したのでしょうね。特に今、欧州で不穏な空気が漂っているので。それで私にはこの論調に他者への不安の投影を感じるのですね。

エントリを読み直してちょっと過敏に反応しているところがあるのかなという気もしてきました。ただこの話は間歇的にぶり返す傾向があるので困ったもんだなと前々から思っていたのですね。細かい部分での不同意を別にすれば、記事そのものはそれほどおかしな内容という訳でもないです。ただ日本人も、たぶん中国人も大多数にとっては?だと思うんですよね。そしてそういう反応そのものは差別文脈を欠いた地域が世界に存在している証拠でもあるのですから必ずしも悪いことではないと思うのですけれどもね。

細かい表現、誤字等修正しました(2009.2.12)

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お疲れ様でした

ここしばらくかなりあたふたしているのですが、とりあえず生来の三日坊主な性格を矯正するためにも—このブログを運営する目的のひとつ—ゆるゆると更新しておきます。

"Six-party standstill"[Economist]
六カ国協議が暗礁に乗り上げたのを受けた記事。英語圏の議論が分裂的になりがちなのでこうした引いた感じの記事はいいですね。そう言えば、日本もなんだか随分と理不尽な叩きを受けてましたね。北朝鮮の相手は誰がやっても難しいのでしょうが、ともかくヒル氏の顔を見なくて済むのは個人的にはありがたいです。将軍様の状況に関して様々な情報が入り乱れていてどうなるのかよく判りませんが、体制がなんとか保たれる限りは膠着状態が続くことになるのでしょうね。まあもう米中間の問題ですから日本としては国内問題の処理や安全保障体制の整備を粛々と進めていく他なさそうです。政治社会言説の再編成も進めないといけないのでしょうが、こちらはもっと時間がかかりそうですねえ。

"Escapee Tells of Horrors in North Korean Prison Camp"[Washington Post]
"Three Kernels of Corn"[Washington Post]
率直に申し上げてBlaine Harden氏はさほど評価していないのですが、WaPoにこの記事が掲載されるのは意味があると思うのでリンクしておきます。脱北者のロング・インタビューです。またこれを受けて北朝鮮の人権問題にもっと関心を向けろという社説です。大量難民を怖れて人権問題に目を閉ざす韓国と核問題に集中して人権問題から目を逸らしている米国を批判しています。アメリカの高校生はルーズヴェルトはなぜヒトラーの収容所行きの鉄道を爆破しなかったのか討論しているが、何世代か後にはなぜ西洋は衛星で把握していながらキム・ジョンイルの収容所になにもしなかったのか子供達に尋ねられるだろうと。私はこの種の歴史的類比はあまり好みませんが、現在の膠着した状況でこうしたメッセージを発する意味はあるのでしょう。

"False god?"[Economist]
朝鮮日報も中央日報も長いこと目を通していないので隣国の状況をさっぱり掴んでいないのですけれども、このミネルヴァとかいう経済ノストラダムス氏による騒ぎについては聞き及んでいました。この記事では民主化との絡みで政権批判の要素を強調していますが、どうなんでしょう、やや不健全な現象に見えます。ネットでの流言がマクロなレベルでネガティブな効果を発揮するという現象ですね。やはり似たところの多い国ですから我が国と比べたくなりますが、社会の細分化が進んでいる分ここまで大きな話にはなりにくいのでしょうか。現在の日本で予言者氏のところに数百万人が殺到するということはなさそうな気がしますが・・・、そうでもないかな、どうなんでしょう。

"Japan, Australia sign cooperation pact"[AFP]
第2回の日豪2プラス2が開催され、「アジア・太平洋地域の安全と安定の促進」が謳われています。他のソースでは防衛情報共有の促進での合意の部分にアクセントが置かれていますが、軍事訓練や将官の交流等を今後さらに押し進めることが確認されたとのことです。防衛情報の共有ということで法制面での調整等もあるようですが、我らが自衛隊の情報管理能力の向上を願います。この記事は両国の外交関係がしばらく冷え込んでいた点について細々と書かれていますが、鯨についてはイデオロギー・イシューを非妥協な仕方で外交に持ち込んだ際にはどういう結果になるのかという問題のひとつの事例として、あるいは英語メディアの言説戦術の読解練習問題としては多少興味がありますが、本音では季節の風物詩ぐらいにしか捉えていないので特にコメントしないでおきます。ところで去年もそうでしたが、一般に日本のメディアの日豪防衛協力への関心の薄さはどうにかなりませんかねえ。アメリカと中国と朝鮮半島だけが世界ではないと思うのですけれども。

"Japan ends five-year Iraq mission"[BBC]
自衛隊がイラクでの任務を終了して撤収することが決定したという話ですが、隊員のみなさまお疲れ様でした。麻生首相が隊員および家族を称える言葉が引用されています。記事では今回の派兵がcontroversialなものであった点を強調していますが、まあそれはいいでしょう。実際、そうだった訳ですから。このたびの貴重な経験は今後の活動に活かされることでしょう。本当にお疲れ様でした。

追記
日豪2プラス2は読売が社説で扱っていましたね。有力紙が一紙も社説でとりあげないのはまずいでしょうから評価したいと思います。

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マグロ食うな

すっかりと冬めいてきましたねえ。私はこの時期がわりと好きなんですよね。というわけでここしばらくなにか生き生きとしているような気がします。

"Geithner a balm for Japan's Clinton trauma"[Asia Times]
Kosuke Takahashi氏のこの記事ですが、新政権における財務長官へのガイトナー氏の就任をめぐる日本側の反応についてよくまとまっています。民主党政権ということでクリントン時代の悪夢を想起する人も多かろうが、そんな心配はいらんだろうということですね。日本語話せるから嬉しいみたいな反応はどうかとは思いますが、確かにサマーズ氏よりはやりやすそうではありますね。前政権からの「変化」の強調には向かないでしょうけれども、GSのポールソン氏よりはこの実務屋さんのほうが受けがよさそうな印象を持ちますが、私はアメリカ国民ではないのでその辺はよく判りません。なお橋本政権時のパッシングについての物悲しいけれどもやはり正しさを含んでいるのかもしれない解釈に軽く頷かされました。どうせまた今後もジャパン・パッシングだの日本の存在感の低下だのといった扇情的な文句がメディアの一部で踊るのでありましょうが、共和党政権のゼーリック氏にだって「パッシング」されていたわけで、この凪を利用して我々は我々がなすべきことを淡々とやればそれでいいのであって、あのニコラ・クリストフ氏とつるんでいる誰かさんがなにを言おうとも涼しい顔をしてスルーすればそれでいいのですね。関係ないですが、記者クラブのよくある批判なんかよりもFCCJ改革の提唱をしたらこの方も評価するかもしれません。そうですねえ、まずはスシ・バーからマグロネタを出すのを止めることあたりから始めたらどうでしょうかね。いえ、勿論冗談です。

"China's cyber warriors a challenge for India"[Asia Times]
同じくアジアタイムズですが、インド側から中国のサイバー・ナショナリズムを警告する記事です。孫子の戦わずして勝つ戦法を紹介して国境問題での心理戦でインド国民が戦意を喪失しないようにする必要があると論じています。インド国民はそんなやわではないような気がするのですがね。というか最近はきなくさい話ばかり聞こえてきますねえ。この記事ではオリンピックの際の反西洋ナショナリズムをとりあげていますが、やはりこっちが本筋なわけですよね、日本は手軽なターゲットということで。逆に西洋メディアが日中対立を強調するのは願望が入っているような気がしますね。このもつれた関係を日本に有利に動かすにはどういう戦略が望ましいのかなかなか難しいところですが、結局、涼しい顔で見物しているのが当面は正しいような気がしてきます。この点で我が国が外国語音痴ばかりなのはあるいは幸運なのかもしれません。ところで前に紹介したサルコジ氏とダライ・ラマ猊下の会談話がサミットへの中国代表の欠席ということでさっそく展開しているようです。中仏の確執ならばまあいいですよね、自己中同士やってなさいと。だいたい砲弾が飛び交ったり死人が出るようなこともないわけでしょうし。まあ他国は最終的にはどうでもいいのであって淡々となすべきことをなすのがすべてに優先ということなんでしょう。

"Obama and Japan’s security policies"[East Asia Forum]
Peter Drysdale氏の岡本氏の提言への論評。前に岡本氏がアジアタイムズに寄稿している記事は紹介しましたが、このブログ記事が言及しているのはNautilus Instituteのサイトに掲載されたほうの記事です。内容はだいたい同じで日本がより自立性を高めることが対米関係を安定させるとして、具体的になすべきことが列挙されています。
(1)在外日本人の保護の能力を高めよ(バングラディッシュなど大使館等在外公館保護のために自衛隊を利用せよ)
(2)復興支援国で援助活動をする民間人保護のために兵員その他を送れ(アフガニスタン)
(3)大量避難や人道救助のための自衛隊の能力を向上させよ
(4)公海における船舶の安全航行を保護する作戦への参加のための恒久法を策定せよ
(5)テロとの戦いへの「言葉での」コミットメントを再び表明せよ
これは難易度はそれほど高くなさそうですが、現在の政治の混迷ぶりを見るとちょっと実現しそうにはないとしています。ただ日本の著名かつ尊敬されている安全保障グルの意見として重要だと。まあこんな風に受け止める人もいるわけですから、やはり英文で公表する意味はありますね。なおDrysdale氏の対北朝鮮政策への論評はやや田中均氏寄りに過ぎると思います。いえ、私は別にもともと強硬派支持者ではないです。が、タカとハトの間にもいろいろなスタンスがあり得ることを知っていただきたいなと思うのですね。

"軍を律する文民統制とは何か 民主国軍と非民主国軍の違い(1)"[NBonline]
吉田鈴香氏の文民統制に関するバランスのとれた啓蒙的記事。スウェーデンに詳しい方のようで具体論の部分は著者の見聞が活かされています。この件で統制主体であるはずの総理大臣と防衛大臣が他人顔をしているのはよくない、またこの問題を政争の具にしようとしている野党の姿勢も筋をはずしている。また日本の政治家は兵士の士気を高める言葉を常日頃から発しなければならない。文民統制が真に機能しているかどうかを判別するのには教育プログラムを見ればいい。軍の質をはかるには「理論教育」「倫理教育」「実戦訓練」「最新鋭装備」の4つの視点から観察すればいいが、この4点が○なのが民主国軍であり、非民主国軍は「理論教育」が△ないし×であり、「倫理教育」は×である。だから危ない。倫理教育とは人権思想の根幹が入っているかどうかだ云々。日本語圏で議論をするとどうしても先の大戦の記憶に左右されてニュートラルにならないこともあってこういう冷静な視点はいいですね。ただ一般論部分はいいとしても、文民統制の具体的なあり方というのは国によってけっこう違うのでなかなか面倒くさいんですけれどもね。

なお文民統制に関するネットソースとしては山田邦夫氏の「文民統制の論点」というpdfは一般論から具体論まで論点が網羅されているのでおすすめしておきます。スミスもハンチントンも読んでいない無学な人間なのでなにも言えませんが、日本の政軍関係史におけるパールマター氏やファイナー氏の見方は興味深いですね。三宅氏や纐纈氏は反論されていますが、実は私もこういう見方に近いところがあります。明治立憲体制は完全に維持されており、言うまでもなく途上国型の軍事独裁などではなかったのですから。いえ、別にだからいいというのではなくて、だから難しいのだと言いたいのです。単に低く見たり悪く言えばそれを克服できると思い込むのは思い違いというやつです。それから文民統制の話になると文官統制とは違う云々という決まり文句が飛び出ますが、ここは政治文化の問題になると思います。行政権の強い国はどこでも文官統制的になっていますし、それも文民統制の一部と理解されているようですから。ちなみにタモガミ・アフェアに関して国会やメディアで叫ばれている文民統制についてはうーむ、という感じがありますね。私みたいな無学者でもなにか変だと思うのですから、困ったものです。シビリアンの側がこれでは軍隊をコントロールできないではないですか。まあ私もぼちぼち勉強することにします。

ではでは。皆様もお元気で。

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紛争の余波

世間はオリンピック報道一色のようですが、グルジア紛争のことがどうしても頭から離れないのは、この地震の余波が大きくかつ深いものとなることが予感されるからです。ここまで主に欧州視点からこの紛争について書いてきましたが、単に他人事として眺めていた訳ではなくて、我が国が西側の一員である以上(確かに微妙な位置ではありますが)、NATOだとかミサイル防衛構想だとかの動向は我々の生存とも無関係ではないからです。とはいえこの余波は無論欧州には留まらない訳です。Asia Timesから気になった記事をクリップしておきます。

Syria reaps a Russian reward[Asia Times]
まずシリアがロシアに接近しているという記事ですが、ある意味面白いです。1956年のスエズ動乱の際にシリア大統領がクレムリンを訪問し、「ヒトラーを打ち破った偉大な赤軍」の派兵を要請した事例を枕にしていますが、このたびのグルジア紛争後に最初にクレムリン訪問をしたのはシリア大統領アル・アサドであった。ロシア紙とのインタビューの中で大統領はロシアを熱烈支援し、反米的、反イスラエル的言辞を弄していますが、シリアとしては軍事的な支援とイスラエルとの和平交渉でのロシアの主導を望んでいるようです。この動きはフランスの例の地中海連合にも関わってくるでしょうし、同様の動きを見せる国々も現れるのでしょうね。しかし、すごいですね、この記事。

極東の民たる私にとっては欧州がどうしたということ以上に東アジアにこの紛争が与える余波のほうがよほど重要な話です。あまり我が国にとって好都合なシナリオというのが想像できないのでありますが、どうなるんでしょうかね。

"North Korea wary of Russia's return" by Donald Kirk[Asia Times]
北朝鮮のロシア恐怖、両国のこれまでの一筋縄では行かない関係、また今後ロシアの関与が深まった場合の経済面、軍事面でのインパクトなどについて書かれています。Kirk氏は現大統領の対北朝鮮政策にはもともと辛い評価をしている人ですのでそこは割り引いて読む必要があろうかとも思いますが、もし韓国が親米反北路線をとるならば北朝鮮とロシアは接近するだろうという指摘をしています。これといった動きのない中での記事ですから特に目新しい内容はないのですが、現在は一歩引いた構えをとっているロシアが半島情勢に影響力を行使しようとするならば─その確率はそれなりに高そうに思えます─我が国にも相当なインパクトが及ぶことになります。という訳でロシア・北朝鮮関係からは当分は目が離せなくなりそうです。

"War in the Caucasus and the Global Repositioning of China, Germany, Russia and the US"[Japan Focus]
こちらは中国、ドイツ、ロシア、アメリカの今後の動向を扱ったビックピクチャーの記事ですが、我が国に最大のインパクトを及ぼすのは言うまでもなく米中関係です。論者によればこの紛争に対して中国は中立的な立場を維持しているが、中露関係はかつてなく安定している。チベット、ウイグル、台湾を抱える中国としては南オセチアやアブハジアの独立には賛成できない。アメリカはロシアと中国に対して異なるアプローチをとっているが、「新冷戦」になった場合には米中はさらに接近するだろうという予測です。911テロの勝利者は中国だなどと囁かれますが、この場合も中国が勝利者となるのでしょうか。日本としてはプラグマティズムに徹するのが吉であるという訳で(原則論的対応というのも時には必要だとは思いますがね)、アメリカの対中政策の微細な変化に合わせて柔軟かつ巧妙にステップが踏めるように今から準備運動をしておく必要があるのでしょうかね。

というわけで相変わらず微妙な記事の多いAsia Timesなのですが、最後にComing Anarchyで台湾モンゴルについて記事がありますのでリンクしておきます。モンゴルの話はこのブログにもコメントしてくださることがあるAcefaceさんですね。台湾の不安というのは判る話です。同じような思いの国も多数あるでしょう。ふう。

ではでは。皆様、御機嫌よう。

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ニュース斜め読み

欧州ネタが続いていますが、国内ニュースもクリップしておきます。以下ただの感想です。

ブラジルで移住100周年記念式典、皇太子さまがスピーチ[読売]
ブラジル移住の100周年の記念式典で皇太子殿下が御挨拶なされたそうで、なによりな話です。とりわけご苦労なされた1世、2世の方々にはなにかしら深く感じるところがあったのではないかと想像します。日系人モノは以前まとめていろいろ読んだ事がありますが、胸に迫るものがありましたですね。手軽に読める新書でしたら、コレなんかフォーカスが独特ですが、楽しくていいかもしれません。日系人社会の音楽を扱ったもので演芸会やのど自慢やカラオケがどんな風に享受されてきたのか、紅白歌合戦はあちらでどう見られているのかといったことが論じられています。

100周年記念に関してはなぜかBBCも記事にしていますね。
Lasting legacy of Brazil's Japanese[BBC]

最近では移民について政治家も公然と語るようになっていますが、私としてはまずは今国内にいる方々を社会統合することにもっと本気になって欲しいなと言いたいです。同胞でありますし、幸い歴史的怨恨もない訳ですからこの方々をうまく統合できないようでは話にならんだろうと。既に2世問題も発生しつつあるようですしね。

一方で日本の周囲も騒がしくなっているようです。
尖閣諸島 台湾は冷静に問題処理を[読売]
ずいぶん新政権も煽っていますが、どうやらこの事故じたいは沈静化に向かっているようですね。政治家の方々におかれましては国民党とのパイプづくりもちゃんとやって欲しいものです。つき合いやすい勢力とだけつき合うというのは悪い癖なんだと思います。会うたびに喧嘩だって立派なコミュニケーション履歴の積み重ねな訳ですから。それから気持ちはよく判りますが、台湾に対して政治的レベルで変な幻想を抱くのは双方にとってあまりよくないことのように思います。そういう意味では一つの学びになる事件なのではないでしょうか。

日中ガス田合意 「戦略的互恵」へ具体的一歩だ[読売]
よく知らないのでこの取引そのものについて適切な評価はできませんが、まあこんなもんかなという感想を持ちました。実際、回収の見込みがあるほどのガス田ではないようですから領有権に関わる問題はいったん棚上げしておきましょうという合意なのでしょう。ただこの結果を中国側がどう受け止めるのかは予断を許さないように思われますね。ところで上の事件と同時期であったことにはどういう意味があるのでしょう。いろいろと想像は膨らみますが。

北朝鮮、核放棄に応じない姿勢…6か国協議に向け強硬姿勢[読売]
なかなか厳しいですが、ここはいかに失点を減らすかという局面なんでしょう。国内でもいろいろな動きが出て来ていますが、イデオロギーの人達にはアメリカが裏切った!だの日本が孤立化する!だのみっともない悲鳴はあまりあげてほしくないものだと思います。また外国人のウォッチャーにはこの問題を単に右翼的アジェンダととらえたら間違いますよと言っておきます。「国民感情」と呼ばれるものも肉親を奪われた家族への同情ばかりではない。国民の生命を守ることに必ずしも熱心ではなかった(ように見える)戦後体制そのものが生んだ悲劇の象徴として拉致被害者とその家族は現れている、そういう了解は実はかなり広い層の間で─意識的であれ無意識的であれ─成立しているという点を強調しておきます。

最後にこの手の社会ネタはこのブログではスルーしようと思ったのですが、この記事などが典型的に見えます。
特集ワイド:秋葉原殺傷事件 問われる「社会の責任」--大塚英志さんに聞く[毎日]
サブカルの問題ではなく派遣の労働の問題として捉えよう、自己責任ではなく社会の責任も考えようということですが、大塚氏自身の印象と違ってこれは必ずしも反時代的な少数意見ではないと思います。私は何度も書いたように現在のいささか極端な二元構造を緩和すべく労働市場改革をなすべきであるという立場です。またいわゆる就職氷河期世代の経済的統合に失敗した場合、大きな政治的リスクを抱えることになるだろうという危惧もあります。が、この事件そのものに過大な意味を与えたくない、またこれまでの例からこういうセンセーショナルな事件に便乗して政策決定すると副作用が発生するとも考えますので、ここは猫猫先生に賛意に表したいと思います。やはり偉い方だ。

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アイルランドが漢を見せるか

ここのところ少し忙しくて更新が滞っていたのですが、あまり間を置くとまた続かなくなりそうですので、ニュースのクリップだけしておきます。

アイルランドがリスボン条約の批准をめぐって欧州政治の焦点になっています。既に投票は終わっていますが、結果は予断を許さない状況のようです。アイルランドでなにか起きるのではないかという予感がずっとあったのですが、さてどうなることやら。前回の欧州憲法の批准の失敗に続いて出てきたプランBのリスボン条約でありますが、実質的には欧州憲法の内容とほとんど変わりないと言われます。長大な条約ですので未読でありますが。フランス、オランダの国民投票の否決を反省して、議会での批准の手法が採用された訳ですが、アイルランドでのみ憲法上の理由から国民投票が実施されたということのようです。

前にアイルランドのバブル崩壊の紹介をした際に少し書きましたが、今回の国民投票をめぐる言説を追っていましてもEUへの懐疑心はかなり強いものがあるように感じられます。良くも悪くも愛国心の強さは欧州でも随一のお国柄でありますが、主権問題に加えて経済問題が焦点になっており、今回の景気後退が反対論の予想以上の広まりを後押ししている模様です。与党は賛成を呼びかけていますが、例のシン・フェイン党と市民団体が激しい反対運動を展開しているようです。

他国の論調ではやはりテレグラフのオピニオンには楽しませてもらいましたが、フランスのメディアはだいたいどこも2005年の苦い思い出を想起しつつ懸念するといった論調ですね。あの時は社会党が分裂の危機に陥るほど割れた訳ですが、今回は特にメッセージは出していないようです。反対派の雄であったローラン・ファビウスは微妙な言い回しでノーコメントを出していて笑わせました。ちなみにコメント欄は、ノン!ノン!の合唱が優勢のようです。まあ嫌われたものです。

東アジアのアイルランドたる─そっくりだと思います─かの国もまた凄い事になっているようです。私が愛着のある国はどこもデモやらストやらが激しい国ばかりだったりしますが、かの国の今回の騒ぎはタイミング的にはかなりまずそうです。日本や台湾よりも条件が緩かったことが問題になっているようですが、もはやBSEだけの話ではなくなっている模様です。ろくでもなかった前政権が残した唯一の置き土産のFTA交渉に直接響くようですし(米国の条件は牛肉と自動車の市場開放)、また安全保障関連にも波及しないとも限らないでしょう。奥山さんのブログで紹介されていたこの記事にはアメリカ側の苛立ちが感じられます。ライス長官の談話でも韓国は「パートナー」扱いになっているそうで。そう簡単にはアメリカは韓国を切らないとは思いますが、今回の反米デモ(ですよね?)の心証もまた良くはないでしょう。かの国のものの見える人々の心のうちを想像するに大変だなあとしみじみとした気分になります。

最後にオーストラリアの首相の来日に対する我が邦の無関心にはなにかしら冷え冷えとしたものがあります。全般に日本のメディアのオーストラリア軽視─鯨問題みたいなある意味どうでもいい問題は別として─は問題だと前々から思っていましたが、ちょっと無関心が過ぎませんかね。逆にオーストラリアの有力新聞が盛んにラッドの日本軽視を気にしているようなのがなんとも。Asia Timesにもこんな記事がありました。日本とオーストラリアのポジションには似たところもあって両国のパートナーシップはそうとう重要だと思うのですがね。この首相の提唱する「アジア太平洋共同体」のヴィジョンには福田首相の「内海としての太平洋」にも似た暢気さを感じざるを得ないのでありますが。

追記
コメント欄にも書きましたが、英国との関係におけるアイルランドのナショナリズムのあり方が日本に対する韓国のナショナリズムのあり方に似ているという意味合いでしたが、ちょっと不用意な記述でした。実際の二国関関係の歴史はかならずしも似ていませんし、両国関係の現状もだいぶ違います。この種のアナロジーには注意しないといけないですね。反省。

国民投票では漢を見せましたね。なおBBCのこのQ&Aの記事が判りやすいのでおすすめしておきます。

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