カテゴリー「アジア情勢」の13件の記事

微妙な動き(2)

前にエントリを書いたラング氏訪朝について情報が出てきているようです。

邦語では産経の記事をクリップしておきます。

仏、北朝鮮に常設事務所の解説を提案[2009.12.17/産経]

仏外相、北朝鮮との対話は時期尚早 政府内に温度差
[2009.12.22/産経]

対北国交なぜ急ぐのか[2009.12.23/産経]

一番下の山口記者の記事が懸念を含めて状況が見えやすいので一読をおすすめしておきます。

以下はル・モンドの記事です。記事中のミッテランの言及はラング氏が同政権の文化相でミッテラン派であるところから来ています。大急ぎなので変なところもありそうです。気がつき次第直していきます。

"Lang, mitterrandiste jusqu'en Corée" par Natalie Nougayrède[17.12.2009/Le Monde]

1981年2月だった。大統領選挙候補者のフランソワ・ミッテランは独裁者金日成の招きで北朝鮮を訪問した。中でもリオネル・ジョスパンとガストン・デフェールを伴って。北京発で平壌に到着した一行は2日間の滞在で、クロード・エスティエが語るところでは、「『偉大なる首領』金日成の信じがたい個人崇拝」を見たのだった。

一行は金本人に迎えられたが、この人物は自身の全著作を収めたケースを各々に手渡した。金日成は「多くの良識とリアリズム」を備えた人物であるとミッテラン氏は後に語るだろう。5月10日の選挙の晩に彼に宛てられた祝辞の最初の電報のひとつは平壌から発された。

北朝鮮は餓死者を出している労働収容所(20万の囚人がそこに収容される)、蔓延する洗脳、三世代に適用される「人民の敵」概念を備えた全体主義国家である。1990年には100万から200万が餓死したが、これは人民の中で「忠実」とみなされた特定層(とりわけ軍事カースト)に食糧をまわした体制によって部分的には引き起こされたものである。今日でも深刻な栄養失調の問題は存在するが、体制は膨大なリソースを核とミサイル計画に捧げている。国際舞台では北朝鮮はその妨害能力を金に変える術の達人で通っている。今日ではミャンマーと並んで惑星で最後の頑な独裁国家のひとつである。

「別の時代だったのだ」と12月16日水曜フランソワ・ミッテランの旅について問われたジャック・ラングはコメントした。「社会党は当時様々な国の共産党と対話の関係を維持していたのだ」と。ジャック・ラングは10月にニコラ・サルコジに委任された北朝鮮での「情報ミッション」の結果を国民議会外交委員会に提出したところである。

11月に彼は北朝鮮で5日間を過ごした。5日間になったのは中国側が保証した北京-平壌間の2つの航空連絡路を隔てる期間[?意味不明]のためである。ジャック・ラングは多数のフランス外交官を引き連れたが、その中にはサルコジ氏のアジア顧問のベルトラン・ロルトラリもいた。ジャック・ラングは体制のナンバー・ワンの金日成の息子である「首領」金正日ではなく(公的な説明では「首都に不在」だった)ナンバー・ツーに迎えられた。

この滞在の間には「慣習を尊重する」ためにラング氏が応じたほぼ義務的な教練があった。「偉大なる首領」の巨大な像の前での瞑想と1994年に亡くなった金日成の防腐処理を施された遺体を擁する霊廟の訪問だ。そこで訪問者は4度もミイラに御辞儀をするのだ。

平壌では晩は長い。中産階級の開花の象徴である個人経営のレストランはやや物事を明るくしており、役人達との会話には酒がともなう。フランス代表団ははちきれそうなほど人で一杯のコンサートホールの一等席に着座するという思いがけない贈物を受けるが、そこでは明らかに特別に選ばれた公衆が完全に凍りつき、沈黙を守っている。他の場所と同じく「許可されない」者とは誰であれ会話を禁じられている。

北朝鮮の内情についてジャック・ラングは意見を表明し過ぎないようにしている。ショーケースたる首都の外では農村で「生活の困難を知っていると思われる人々」を彼は見た。しかし彼は北朝鮮で「ラインは動いている」という印象とともに帰国したのだ。今年のビル・クリントンの訪問と最近のバラク・オバマの使節派遣をその証拠だといって張り切っている。また北朝鮮が彼に示した「厳粛な態度」も。つまりフランスとの「人権に関する意見交換」の提唱と核、ミサイル技術輸出を止めたという約束のことだ。「真面目に受け止めるべきだ」とラング氏は言う。

彼によればフランスは開放的な精神をもたらす手段を見つけなければならない。たとえパリが「近々に」外交関係を樹立することが「想像できない」としても。「段階に応じて」物事を進めるのが重要であり、その間にフランスは平壌に「人道的、文化的、言語的協力の常設事務所」を開くことを提案するのだ。

フランスは朝鮮戦争(1950-53)以来北朝鮮と外交関係を持たない。この時にはフランスは国連の委任下で米軍の側で戦うべく一大隊を派遣した。平壌での滞在にもかかわらず、フランソワ・ミッテランは一旦大統領に選出されるとこの一歩を越えることを、ユベール・ヴェドリーヌが回想するところでは「北朝鮮が彼を攻め立てた」としても、拒絶した。

ジャック・シラクもまた、イギリスとドイツとは異なって、2000年に南北の緊張緩和の局面を利用することを拒絶した。「不拡散と人権」についての進展を条件として挙げて「こうした関係を回復するには最低限の態度が必要だ」とジャック・シラクは説明した。

フランス外交はこの政策に関して転回したのだろうか。ニコラ・サルコジは「ならず者」体制との対話を試みるバラク・オバマ外交を先取りしようとしているのだと言う者もいる。他の夢、特にユネスコ事務局長の夢を抱くジャック・ラングはそのために「リクルート」されたのかもしれない。春に彼はキューバでのミッションを既に実行した。水曜にジャック・ラングは平壌で米国のミッションに先鞭をつけて満足していると述べた。フランスのイニシアティブは―安心させなければならなかった―日本の高官達を苛立たせただろう。中国は中国でここに利益を見ただろう。こうしてエリゼは北京の歓心を得ようとしているのだろうか。

以上、最後の中国を利する云々は現状ではよく分かりませんが、やはりなんとも微妙な動きに見えます。まだ米国の動きを見ながらなにができるのか様子見しているといった感じに見えますが、一応イランとの整合性はどうするつもりなんだとかつっこみの練習はしておいてもいいのかもしれませんね。

ではでは。

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複雑な関係

波乱含みで日米関係と日中関係が焦点化されている日々ですが、ル・モンドに後者について記事が出ていましたので紹介しておきます。

「北京と東京、複雑な関係」
“Pékin-Tokyo, une relation complexe” par Philippe Pons[l19.12.2009, Le Monde]

中国の副主席でおそらくは未来の「ナンバーワン」である習近平は好意的な扱いを受けた。政府の要請で、天皇との会見には一ヶ月前の事前申請を求めるプロトコルにもかかわらず、君主によって迎えられたのだ。その一方で彼が成田空港で篭城している同胞の馮正虎を目にすることはなかった。中国はこの問題には無関心なようであり、日本にとってはこうしたケースが提起されるのは初めてのことである。

人権は日本外交の「十八番」であったことはない。民主的価値の擁護者たる日本はこの件について激昂を示していない。

過去の拡張主義-とそれに伴う残虐行為-は日本をなかなか「教えを垂れる」位置には置かない。政治的現実主義もまた妥協的に振舞うことを強いている。1945年の敗北以降、日本は経済的観点を除けばアジアに無関心であるかのようであった。日本は明治時代(19世紀後半)の改革主義者達の思考の延長にあったが、彼らにとって、列島の近代化は「アジアの根を絶つこと」そして西洋、この場合、欧州の方法を採用することを要請するのであった。たとえ自由と権利の擁護者たる日本の思想家達が西洋の諸価値とその帝国主義の間の落差を非難したとしてもだ。

中間の道

列島は20世紀初頭に汎亜細亜主義のスローガン―間もなく帝国的イデオロギーとなった―の下にアジアを再発見した。

西洋との接触以来、日本は近代性の参照モデルとみなすものとの関係性において自らを定義づけようと止むことなく努めてきた。こうした思考は列島では極めて意味深長なものであり、1990年代には日本とアジアの同一化の支持者達は「アジアへの回帰」を告げることで明治時代の表現を転倒した。鳩山政権は中間の道に位置している。つまり一方の足を西洋に、もう一方の足をアジアに置いている。

民主党は前任者たる、半世紀にもわたって政治生活を支配した自由民主党よりも、「開かれた地域主義」の立役者となるべく、右翼のなかった主義(negationisme)とは断絶して戦前の負債を引き受ける用意があるようだ。中国の台頭は日本をして地域に再焦点化することだけなく、不快なテーマを避けて北京との良好な関係を築くことを余儀なくさせている。

以上、この地域に特に知識のない人々に向けて歴史的パースペクティブを与えようといった趣きの短い記事です。汎亜細亜主義の問題性についてはもう少し書いてもらいたいところもありますが、同記者は確か戦前の亜細亜主義者や親中派についての記事も書いていた記憶があります。個人的には「脱亜」とか「入亜」とかというのはどうも苦手なところがあるのですけれども(そもそも西洋とはなにか、アジアとはなにかの段階でつまづく)、この言説系譜で言えば、民主党は「中間の道」を歩んでいるとみているようです。

ついでに。特例会見で戦後的な立憲象徴君主制の根幹に無造作に触れた点には困惑させられました。これは親中とか反中とかいう問題ではないし、政治的なものと官僚的なものとの対立の問題でもない。国際政治の荒波に天皇陛下を巻き込むことは望ましいことなのかどうか、大げさに言えば、戦後的な「国体」概念に関わる要素を含んでいるだけに政府にはそれなりの理論武装が必要であるように思えます。また冒頭で国際的には大きく報じられているにもかかわらず日本国民にはあまり知られていない成田の馮正虎氏の問題に触れていますが、「教えを垂れる」ような高圧的な態度でなくとも政府はしっかりとした対応をしたほうがいいと思います。日中友好も結構な話でありますが、原則論的な部分については確固とした態度をとっていただきたいわけです。

追記

背景や経緯が十分に報じられていないところで少し大げさだったかもしれません。でもこういう不透明なやり方は個人的にとても望ましくないです。

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微妙な動き 

ずいぶんと急に寒くなってまいりましたね。ここのところずっと狭いけれども快適な穴蔵でぶつぶつとつぶやいておりましたが、季節も変り目ということでちょっとばかり地上に出てまいりました。なんだかまぶしい思いがいたします。透明な秋の空が目に沁みる。

サルコジ大統領に北朝鮮特使としてジャック・ラング氏が任命された際にはやや微妙な反響を引き起こしたようなのですが、メディアの関心も少し集まっているようなのでメモしておきます。

ラング氏ですが、ミッテラン政権の文化戦略で辣腕を振るったことで知られるなかなかカラフルな政治家で大統領候補にも名前があがったこともあるような大物です。この人が北朝鮮特使になった背景はよく分からないのですが、サルコジ政権の左翼の取り込みの一環として語られることが多いようです。野党の社会党の所属議員ですが、経歴を見ると分かるように文教畑の方です。

邦語ソースをググる限りは、この件はあんまり注目されていないようですね。まぁ、実際、どこまで注目すべきか微妙なんですけど。

北朝鮮特使に野党有力者を任命 フランス大統領[2009年10月2日産経]

ラング元文化相、北朝鮮訪問のためパリ出発[2009年10月3日産経]

北の核で連携、岡田外相とフランス特使が会談[2009年10月5日読売]

仏特使、11月上旬に訪朝 外交樹立を模索[2009年10月28日日経]

記事にあるように、10月1日に特使に任命された後、日本を皮切りに各国を歴訪して北朝鮮との国交樹立のために必要な「情報収集」を行ったとされますが、先月の半ば頃に11月初頭には北朝鮮訪問をする旨公表しています。この経緯については山口記者がブログ記事で興味深いエピソードとともに書かれています。

北朝鮮サッカー選手、キムチ持参でフランスで練習[イザ]

サッカーを使ったのですね。で記事にもあるように今さらなんでフランスがのこのこと出てくるわけ、という空気が流れているようです。最初から安保理常任理事国として英仏が協議の面子に入っていれば数の論理で日本の発言権もなんぼか増していたのかなぁ、などと思ったりもしますが・・・。

で英語ソースだとAPがまた微妙な味わいの記事を出しています。

"France wades into Bog of North Korean Diplomacy"[3.11.2009.AP]

ラング氏のミッションは公的には二国間の国交樹立を目指しているが、勿論狙いは6カ国協議に絡むことにあり、援助をえさに核問題の行き詰まりを打開することにあるとしています。

記事では、自分は「平和の戦士」だとか、朝鮮戦争と無関係なのでフランスは中立的な立場に立てるとか、なにかが少し動いているという直観があるだとか、ちょっと分かっているんですかねぇ、という発言が引用されています。

またなぜ元文化相なのかという点についても言及があり、氏は左翼の社会主義者だからキューバや北朝鮮を相手にするのには適しているだとか、実際に実務を担当するのは専門家たちなのだから氏でも特使は務まるだろう、といった意見が拾われています。

最後にこのフランスのアプローチは関係国の警戒を呼んだが、6カ国協議の枠組みを損なわないように動くことを約束している点について触れています。

不透明さの理由のひとつとしてラング氏は一国を代表しているのか、それともEUを代表しているつもりなのかがよく分からないという点が挙げられるでしょうか。支援云々についてもEU内で本当に議論がなされているの、フランスの独走じゃないの、と。後者でしょうけれど。

"France's envoy to North Korea"by Judah Grunstein[3.10.2009/World Politic Review]

それでこの件についてなにか分析はないかなと探してみたんですが、まだ初動の段階であまり見あたらないです。書き手は私もよく記事を目にするフランス・ウォッチャー氏ですが、ラング氏の任命に疑念を表明しています。

サルコジはオバマ就任以来ようやく外交的なsweet spotを見つけた。ブッシュ政権末期以来、サルコジは欧州でも大西洋でもフランス外交の信頼性を向上させるように努めてきた。しかし不人気な大統領の数少ないよき友であることは人気のある大統領の多くの友たちの中で舵取りすることに比べて容易い。

ラングの任命は様々なレベルにおいてよくない。米国人に説明は難しいが、ラングについてそれからフランス政界の中のラングの位置について知っている者には明らかだ。彼は人気にもかかわらず、彼の任務が必要とする威厳を欠いている。ラングのことは個人的に好きだが、平壌でもどこでも笑顔を浮かべる以外のことができるとは思えない。

これはまた国内政治のために社会党の有名人をピックアップするサルコジの努力である。しかし真剣な外交的イニシアティヴが展開する限り、これは測り難い。

といった具合にラング氏個人の適性への疑義を記しています。いかにも事情通の文章ですが、私の印象でもそんな感じですね。フランス文化の宣伝に平壌に乗り込むにはいいかもしれませんが、核問題とはなかなか結びつかない。記事は米仏関係でこの動きを理解していますが、対イラン外交とも合わせて考えないといけないのかもしれませんね。とりあえず外交ゲームの焦点を探して極東まで手を伸ばしてみましたといった感じなのかと思いましたが。

ともあれ、いったいなにをたくらんでやがるという関係国の疑いの視線を浴びながら、素敵な笑顔とともにラング氏がやって来るという話でした。

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防空ヘルメット

病院と理髪店と高層ビルには近寄りたくもない、できれば忌避したまま生涯を終えたいものだと心より願っているのですが、そうも言っていられないのが人生というものでありまして、歯医者に通っています。いい具合に古び、くたびれ、うちのめされた風情の歯科医院に飛び込んだ訳ですが、治療の後に沈んだ気持ちになったり、悪い夢を見たりしないのが不思議です。あるいはこれまでとはなにか違う局面に入りつつあるのかもしれません。

それはともかく今日は受付の年配の女性とテポドンについて話した訳ですが、その意気込んだ話ぶりに、ああ、こんな風に人々の安全意識を静かにしかし着実に揺り動かしているのだろうなと実感させられました。ちなみに発射の日に近所のあほの子がヘルメットをかぶっているのには笑わせられました。防空壕について訴えていましたが、このあたりには地下駐車場のようなものはないですねえ。やはり子供は「テポドン」の響きに反応するようです。怪獣みたいですからね。以下、意味のあることは書けそうもないのでぬるーい感想を書いておきます。

"N Korea launch sparks arms race fear"[Financial Times]

北朝鮮のロケット発射が東アジアの軍拡競争を惹起するのではないかと懸念するFT記事です。韓国の首相が議会でMTCR遵守に関して見直しの可能性を発言した模様です。記事によれば、長距離ミサイル拡散を管理するMTCRは加盟国に開発そのものを禁じている訳ではないが、米国の要請で300km以上の飛距離のミサイル開発をしないことに韓国政府は非公式に合意しているとのことです。これは中国を刺激することになるだろうと。また日本では先制攻撃能力の保有論が浮上しているとして、前財務相の中川氏の発言が引用されています。こちらもまた中国を刺激するだろうとしています。しかし、後半では、韓国側の発言は国連の安保理決議をめぐる中国へのシグナルの意味合いが強い可能性があること、保守サイドでも長距離ミサイル開発への批判が強いことに触れて記事のトーンを抑えています。

"North Korea rocket revives Japan pre-emptive strike talk"[Reuters]

こちらは日本の先制攻撃能力保有談義をめぐるロイター記事です。FT記事同様に、

"We should hold a proper debate about attacking launch bases and about shelters in case something does happen," Kyodo news agency reported former finance minister Shoichi Nakagawa as saying on Sunday.

と攻撃、防衛両面の抑止能力の保有について議論せよとの中川氏の発言が引用されています。また前回の発射の際にも同様の声が聞かれた点、それが中韓の激しい反発を呼んだ点、世論にも歓迎されなかった点について紹介しています。CSISの研究員のグロッサーマン氏は、こうした議論をオプションと考えている人も多いが、個人的にはextremely destabilizingだと思うと述べています。憲法上の制約や専守防衛論の基本的な説明の後、記事は現在の財政状況や不況から考えてこれを変更する政治的タイミングではないだろうと述べ、英語圏における日本の安全保障論の基本書となっているSecuring Japanの著者であるMITのサミュエルズ教授の発言を引いています。

"It is very hard to focus for very long and very hard, even on things as important as national security, given the economy"[...] "Since the incident proceeded without direct impact on Japan, I think we are not going to get the hard focus we got in 1998."

と。記事は、98年の実験がミサイル防衛体制の構築のきっかけとなったが、直接攻撃は正当化困難であると多くの人々に考えられており、既に6兆ドル以上を費やした[註:これ金額合ってますかね]MDの増強が受け入れられるオプションだろうとしています。ここで岡本行夫氏が登場し、北朝鮮の領空でミサイルを破壊する訳にはいかない、より戦略的な防衛システムを保有すべきであり、研究開発がなされるべきだ、と述べておられます。また林前防衛大臣は先制攻撃にはラウンチ前とブースト時の二種類があり、法的には後者のほうが厳しくないが、技術的には難しいとも発言しています。以上、先制攻撃能力保有の声もあるけれども、ミサイル防衛の増強という穏当な反応になりそうだという記事でした。

といった具合に英語圏では前回同様「日本の先制攻撃論」として報じられています。ロイター記事では林氏が記事の末尾で簡単に解説していますが、現憲法体制下における策源地攻撃論を予備知識のない外国人に説明するのはなかなか難しい話のように思えます。前回もブッシュ・ドクトリンみたいに受け取って大騒ぎしている人々がけっこういました。専門の日本の防衛の研究者を別にすれば、理解しろといってもある意味無理からぬところもありますが、この言葉だけが一人歩きする可能性があるかもしれませんね。とはいえロイター記事が英国yahooのbreaking newsになっていたのを除けば大きくは報じられてはいないようです。

ところでこの中川氏の発言ですが、前回とは異なり、日本語圏ではそれほど報じられなかったようですね。閣外だからということなんでしょうけれども、あるいは以前ほどのヒステリカルな反応がないのは世論の微妙な変化を反映しているのかもしれません。件の共同通信の記事は見あたらなかったのですが、東京新聞の記事が上記の引用部分の発言を掲載しています。さらに時事通信の記事によると、氏は前回同様に核保有の議論の必要性にまで言及したようです。むう。また自民党の部会が敵地攻撃について検討しているとされます(コレ)。もちろん議論は活発になされるべきですが、政治的インプリケーションには十分に自覚的にやってもらいたいところです。このあたり各自が持論を展開している状況のように見えますが、レベルごとに役割分担ができているようだとなおいいです。それから基本的に支持はしてきましたが、これでいっそうMDに傾斜するというのも考え物ですね。

なんだか余計な事まで報じていたような気もする今回の日本のメディアの論調としては産経の紙面にときおり浮上した対米不信の色が気になりました(コレとかコレとか)。これも一概に悪いことではないとは思いますが、このイベントにとりあえずは日米が協力して軍事的にも政治的にも対応した事実を考え合わせるとやや過敏な反応のようにも感じられます。いわゆるG2に見られるような動きや同盟を犠牲にして多国間主義に傾斜するのではといったオバマ政権に対する不安とこのイベントを利用して専守防衛論の縛りに風穴をあけたいという希求とが綯い交ぜになっているのはよく分りますけれでも。ゲイツ氏の発言に関してはなにか言っておくべきでしょうね。

Foxソースですが、これを見る限りは米国世論はだいぶ強硬に反応しているようですね。民主党員も含めて多数が軍事的対応を支持している模様です。実際、思った以上に米国メディアも報道していましたし、就任後の初の危機対応ということで大統領の発言も厳しいものでした。とはいえ国連での決議以外になにか強い措置が取られるのかどうかはあやしい印象も受けます。目に付いたものではカプラン氏のこの論説がありますが、日本に配慮しつつ放置しておけとしています。という訳で1ミリでも状況を動かすために韓国と一緒になってでも声を出しておくべきなのでしょうし、国内の「冷戦残滓」を粛々と周縁化していく機会として有効に利用すべきなのでしょう。今後どういう動きになるのかは分りませんが、とりあえず日本の世論に影響を与えたようだという点で社会的に意味のあった事件として記憶にとどめておきたいと思います。

ではでは。

追記

自民・坂本組織本部長「日本も核保有、国連脱退」[読売]

こちらはストレートな核保有の主張ですか。国連脱退も辞さずと。いや、本部長殿、足をすくわれないようにお願いします。国内外の反響を計測しながら物事が進展するような形で「議論」をなさってください。

再追記

上の件、こちらの朝日の記事のほうが詳しいです。読売記事に釣られてしまったようです。ただ議論によるプレッシャーというのも露骨だと無意味かつ有害だと思うのですがね。

[本日の一曲]

http://www.youtube.com/watch?v=CIHCI5dVzHM&feature=related

岩崎宏美『銀河伝説』(1980年昭和55年)

Unhaつながり以外は関係ないですが・・・劇場用アニメ『ヤマトよ永遠に』の劇中歌です。若いのにしっかりした歌唱です。

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4月ですか

"Catholic bishops in US ban Japanese reiki"[Guardian]

米国のカトリックの司教がreikiを「迷信」として禁止したということです。米国カトリック司教評議会が出したガイドラインにこのセラピーは「科学的信憑性」を欠き、信徒を「邪悪な力」に晒す危険があるという警告が含まれたそうです。reikiのセラピーはカトリック信仰や科学とは相容れないものであり、ヘルスケア施設のようなカトリックの施設には不適切であり、教会を代表する人物たちはこれを支持したり、広めてはならないということです。これに対してキリスト教徒でマスターのジュディス・ホワイトさんはネットにはreikiが反キリスト教的だといった情報が溢れているが、これは誤解であり、リフレクソロジーと同じで有害なものではないと反論しています。どうやら「霊spiritsとの交感」というアイディアがお気に召さないようです。カトリックの聖霊spiritus概念とはそもそも違うと思うのですけれどもね。

で世界各地でそれなりに浸透しているというreikiについてはご存知の方もいらっしゃると思いますが、戦前戦中の日本で流行った「霊気」のことです。臼井甕男氏が創始したこの療法は戦後は我が国では廃れたとされますが、ハワイの日系人高田ハワヨ氏を通じて米国へ上陸、東洋の神秘としてニューウェーブの波に乗って徐々に浸透、80年代ぐらいからカタカナ化されて「レイキ」として日本に逆輸入されるようになる-日本霊気と区別して西洋レイキとも呼ばれるようです-というのが大まかな歴史的経緯になるようです。最近の日本のヨガ・ブームがインドではなくマドンナもやっているということでアメリカから来ていたりするのとなにか似たような話ですね。もともと日本発だという点になにかアイロニーを感じますが。どこかで読んだ記憶はありましたが、なぜか連れ合いが詳しいのでいろいろ話を聞きました。

このマイナーと言えばマイナーな話題について真剣に考察する時間も余裕もないのですが、考え出すと多くの論点が含まれているように思われます。戦前戦中の新興宗教ブームの中で霊気とはどのような位置に置かれるのか、霊気史においては単なる中継点のごとく語られているハワイという場所の持つ意味はなんなのか、霊気からreikiに至るアメリカ化のプロセスにおいてこの術はいかに変容したのか、カトリック神学のreligio(「宗教」)対superstitio(「迷信」)という-しばしばきわめて巨大な政治的意味を持った-二項対立の概念史においてこの事例はどのように位置付けられるべきなのか、あるいは米国のカトリック教徒の置かれた状況に肉薄すべきなのか、それともカトリックから離れて米国における科学と宗教と迷信をめぐる論争における「東洋的なもの」「アジア的なもの」の位相を考察すべきなのか、こうした問題の立て方そのものを曖昧な笑みとともに拒絶してきたようにも思える風土にこうした問題関心をそのまま持ち込もうとする人々との間にいかなる対話の可能性が開かれるべきか、あるいはいかにはぐらかすべきなのか、といった問題群です。本エントリはこうした困難な問いに答えることをそもそも目的としてはいませんので、問いを放ったまま通り過ぎることにします。失礼しました。

"Searching for a sense of 'home'" by Stephen Mansfield[Japan Times]

イアン・ブルマ氏の『チャイナ・ラヴァー』という新刊の書評ですが、李香蘭こと山口淑子のフィクショナルな伝記ということです。満州国、日中戦争、パレスチナ紛争を背景として、血生臭い20世紀の政治史に巻き込まれた「心の故郷」を求めて止まないある真摯で無垢な魂の彷徨の物語といった趣向のようです。戦前に関しては王道楽土と亜細亜解放の悠久の大義に燃える理想主義的青年佐藤、占領統治期については過去の過ちゆえに故郷に帰ることができず、異国の地で再生を求める日本文化を溺愛するアメリカ人シドニーといった具合に複数の語り手の視点から山口淑子の生涯が辿られているようです。書評によれば、金日成に祝辞を述べる姿やパレスチナで日本赤軍の物語と交錯するといった具合に同時代の歴史的事象をふんだんに織り込んで「極端な御世」であった昭和の歴史が語られている模様です。評者は「今となっては信じがたいが」といっていますが、勿論中国への敬愛と満州の夢に燃えて敗れた理想主義者というのはたくさんいた訳ですし(私の親族にもいます)、占領統治期の描写は話題になった英国人作家ディヴィッド・ピース氏の『東京零年』を髣髴とさせるといいます。なかなか面白そうですね。

本来であれば小津安二郎や溝口健二と並び称されておかしくない存在であるにもかかわらず、戦後忘れ去られた巨匠とされる清水宏監督による李香蘭主演映画『サヨンの鐘』を見たばかりなのでこの本を読みたくなっているのかもしれません。ゴージャス過ぎるお方ですが、この映画の李香蘭は個人的にひどく訴えかけるものがあります。台湾の高砂族の愛国乙女の悲劇を扱ったこの戦中の空前の大ヒット映画については台湾で論争があったといいますが、この論争に関してネットソースで読みふけってしまいました。ここでも様々なエージェントによって歌と鐘をめぐって記憶の政治が展開しているようです。まあ、こうした歴史的文脈を捨象して聴いてもごくいい曲だと思いますし、だから歌い継がれたという側面は無視できないでしょう。

"Piracy and the Constitution" by Craig Martin[Japan Times]

ソマリア沖の海賊対策の国会審議に関する論評ですが、憲法9条と関連する国際法の諸原則が基本的に理解されていないと批判しています。海賊討伐のための海自の派兵は国際法的には憲法9条とは無関係であるのに国会での議論は集団的自衛権の行使の禁止という憲法の政府解釈に枠づけられて展開している。国際紛争の武力による解決を放棄するというのは主権国家とその国民に対して武力行使をしないという意味である。国際法における「海賊」とは私人による不法行為のことであり、各国家はこれを取り締まる義務を負っている。つまり公海上の海賊討伐はそもそも国際紛争の武力解決ではない。憲法違反の疑いのある派兵に批判的な勢力が憲法を楯にしてこれに反対するのは理解可能であるが、この戦術はかえって危険である。政治権力が道具的に憲法を利用して、その権威を毀損してしまう結果になる恐れがあるからだ。

There may be room for debate over the wisdom of deploying naval forces to defend against pirates on the high seas. The Constitution should not be part of that debate. One of the key defenses against government infringement of the actual constitutional principles is to ensure that the scope and meaning of the principles remain clearly understood and widely shared. And the government ought to ensure the integrity of the Constitution by applying its provisions consistently, and in accordance with that understanding, in the shaping of national policy.

以上のように憲法を持ち出すのは論理的ではないし、政治的にも危ういとしています。マーティン氏は憲法解釈は行政ではなく司法が行うべきだという観点から安倍政権の解釈改憲の動きやいわゆる柳井報告を厳しく批判している方ですが、海賊に関しては以上のようなクリアな議論をしています。そうですね、ともかく自衛権については国際法からあまりにかけ離れた解釈をして国際的に話が通じにくい状況というのはそれ自体危ういのではないでしょうかね。

以上、ジャパン・タイムズから記事を紹介しましたが、悪質な嘘と邪推に塗れた記事を事実チェックせずに無責任に掲載し続ける限りは信頼性を得られないでしょう。外国人の裁判が公平になされているのかどうか注目しよう、バイアスがかかりやすい条件をできるだけ排除して裁判の質を向上させていこう、という点には同意しますが、そのためにデマを流すことは報道の倫理とルールに反しています。アクセス稼ぎのためのパンダのつもりかもしれませんが、洒落になっていません。記事についても事実に関わる部分はチェックすべきではないですかね。あるいはもう手を切る時期なのかもしれませんね。

"Spy agencies believe NKorea has nuke warheads"[AFP]

北朝鮮:核小型化に成功、「ノドン」搭載…国際調査機関[毎日]

国際シンクタンクの「国際危機グループ」がノドンに搭載可能な核の小型化に既に北朝鮮は成功している可能性があるという報告書を提出するようです。この情報の真偽そのものは不明ですが、こうした情報が流れることで抑止は高まることになるのかもしれません。さて、どうしたものでしょうかね。前に出た策源地攻撃能力の保有あたりでしょうか。ただあの時とは政権も交代して状況も変わっていますから、米国の猜疑心を呼ばないようにかなり注意しないといけないのかもしれませんね。

"Gov't to enable Japanese to marry foreign gay partners overseas"[AP]

法務省が外国人との同性結婚を認める方向で動いているようです。日本語ソースが少ないですね。APの英語記事はずいぶん参照されていますが。国内での同性結婚を認めるつもりはないようで同性結婚が認められた国の人との結婚ということのようです。記事ではこれは第一歩だとアクティヴィストの方が法務省を賞賛していますが、国外と国内とで同性愛者の権利状態に差があることになる訳でなんだか奇妙な話ではあります。どういうロジックなんでしょうか。これに対して熱烈な大規模反対運動が起こったり・・・はなさそうな気がします。ちょうど三橋順子氏の『女装と日本人』という新書を読んでいて積年の謎のいくつかが解けた感じがあってとても面白かったところでしたので個人的にはちょっとタイムリーなニュースでした。この新書ですが、歴史が好きだからうならされたということもありますが、こういうトーンで語れる方が前に出られるならばかなり広い層にまで声は届くだろうなと思えました。

ではでは。

追記

同性結婚の話はいろいろ読んでみましたが、なにをどうしたいのかよく分らないですね。法務省が勝手にやっているといった印象を受けます。

近づく「テポドン2」打ち上げ[日経BP]

松浦信也氏の技術的なインタヴュー記事ですが、分りやすいのでおすすめしておきます。推測だが、とことわっていますが、情報収集体制が整っていない点から見て、技術者たちは追い詰められているようだとしています。

[本日の一曲]

http://www.youtube.com/watch?v=w8ilpWgTYTk

渡辺はま子『サヨンの鐘』(1941年昭和16年)

http://www.youtube.com/watch?v=WK1lGpVxNgM&feature=related

紫薇『月光小夜曲』

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下からの発展主義者

すっかり春めいていますが、昨日今日読んだ記事を紹介しておきます。

"It's Not Just the Economy, Stupid: Asia's Strategic Dangers from the Financial Crisis" by Michael J. Green and Steven P. Schrage[CSIS]

CSISに掲載されていたグリーン氏とシュレージ氏の記事。タイトルはクリントン大統領の"It's just the economy, stupid"のもじりで、今回の金融危機が単なる経済の問題ではなく、戦略的危険を東アジアに及ぼし得る点について警告する内容です。といっても警世家のごとく喚いている訳ではなく、多くの人が危惧している事柄についてのごく慎重な考察です。今のところ東アジアの戦略的構図には変化が見られない。中国が米国に代わってヘゲモニーを握った訳でもなく、今回の金融危機の救済を主導する余裕もなく国内問題に忙殺されている。米国の財政赤字をファイナンスしているのだから米国は中国に膝を屈することになるだろうという予言もあたらない。中国の指導者は世界新秩序を構想している訳ではなく現状維持に汲々としている。中国に関する戦略的危険は米国の影響力の低下にあるのではなく、大恐慌の後の日本のような戦略的シフトが起こることだ。中国の社会的安定のためには8%の経済成長が必要だと言われるが、2009年の成長は5%程度だと予測されている。既に工場閉鎖にともなう抗議運動は生じているが、全国的なレベルでの騒擾は起こりそうにないという。しかし危機は始まったばかりであり、誰にも今後は予測できない。

北朝鮮、ミャンマー、イランが金融危機を受けて挑戦的になっている点に注意すべきだ。中国が国内不安へのインパクトを危惧し、日韓の指導者が議会で責められている間に、北朝鮮は核保有国としての地位の要求の声を強めている。ミャンマーの軍事政権はこの機会を捉えて数百人の反体制派を逮捕した。イランは中露とP3の齟齬を利用しつつ核開発を続けている。他方、経済情勢の悪化が燃料費の下落や経済援助の必要性ゆえにこうした危険な国々を軟化させる可能性はあるが、それは指導者が国民の福利厚生にどれほど関心があるのか、どれほど経済に関連して国内の圧力がかかるのかによる。現状ではどちらに転ぶのか十分なエヴィデンスがない。

経済危機は東アジアの民主主義国に打撃を与えている。日本では麻生首相の支持率は1割代であり、韓国の李大統領、台湾の馬総統の支持率も芳しくない(台湾経済の打撃は貿易の利を説いて中国との融和を主張する馬総統の説得力を奪っている)。タイの連立政権の未来は不確実だ。東アジアの新旧民主主義諸国は米中関係をアンカーし、「自由を推進する勢力均衡」と前ライス国務長官が呼んだものを維持するのに役立っている。ここ20年の民主主義の拡大に逆風が吹くようなことがあれば、グローバルな勢力均衡に影響を与えるばかりでなく破綻国家を増大させることにつながるだろうし、米国が中国に訴えているリベラルな規範のデモンストレーション効果を損なうことになるだろう。

1932年のSmoot Hawley関税のような保護主義的措置によって金融市場の崩壊は突如として自給的な貿易圏のゼロサムゲームに転じ、これが戦争の主因となった。今日では金融、サーヴィスのグローバル化、製造業ネットワーク、WTOなどのおかげでこうした急変はありそうもない。しかし、既に世界中で特定産業の保護がなされていて、これは競合する外国企業からは不公正な貿易措置に見えるし、これが"Smoot Hawley2.0"刺激効果といったものを生むかもしれない。政権によって「バイ・アメリカン条項」はどうにか抑えられたが、他の国々を誘惑する先例をつくってしまった。気候変動関連立法もまた保護主義の偽装の罠となり得る。平価切下げ競争もまた保護主義と摩擦を強化するだろう。既に世界貿易は縮小し、WTOの貿易自由化は停滞し、オバマ政権は韓国、コロンビアとの自由貿易協定に慎重な姿勢を見せている。保護主義の動きは1930年代式の自給ブロックの形成につながらないとしても、各国が脅威に対して協力するのを妨げたり、経済の回復を遅延させることになるだろう。

幸いなことに我々は過去の失敗から学べる。保護主義と戦うことの重要性を我々は知っているし、我々の同盟国はこうした努力を主導することができる。WTOやKORUS FTAを通じた攻撃的貿易自由化が保護主義の防衛に最もふさわしいことを我々は知っている。パキスタンのような脆弱な国家に経済支援することの重要性も我々は知っている。1920年代、30年代のように軍事費をカットしたり、抑止と強力な同盟関係を脆弱な外交的調整に代替することの愚を我々は知っている。経済成長を再び活性化するグローバルな戦略の必要性も安全保障との関連性についても我々は知っている。

といった具合に大恐慌後の歴史と重ね合わせて自由貿易体制と同盟関係の維持を訴えています。最後のパラグラフには「心配するな、でも、賢くなれ」という表題がついていますが、人はそれほど賢くなれますかね。日本の例が取り上げられている部分がやはり関心を惹きますかね。

Japan was arguably not a revisionist power before 1932 and sought instead to converge with the global economy through open trade and adoption of  the Gold standard. The worldwide depression and protectionism of the 1930's devastated the newly exposed Japanese economy and contributed directly to militaristic and autarkic policies in Asia as the Japanese people reacted against what counted for globalization at the time.

中国がこうならないように気をつけなくてはならないという文脈にある訳ですが、何年か前から同じ文脈で同じような記述を見るようにな気がします。「日本特有の道」論から横滑り論へといった感じでしょうか。正直、曲がりなりにも議会制民主主義のあった国と現在の中国を同一視できると思えないですが、逆に言えば、現体制の下では中国が冒険主義に走る可能性はあまり高くはなさそうだというアイロニカルな認識が得られるのかもしれません。それからヴェルサイユ・ワシントン体制の短い言及の部分は、米国で今後地域的なウィルソン主義的志向が高まるリスクへの牽制に見えます。勢力均衡と集団安全保障と同盟をめぐる問題群は日本にとって死活的に重要な話なはずなのですが、どうも日本側がどうしたいのかさっぱり意志が見えないのは米国から見てじれったい話でしょうね。一日本国民から見てもそうですから。ところでrevisionistやrevisionismにはこういう用法もあるのですね。現存する世界秩序に対する修正要求という意味合いなんでしょうか。

"Takahashi Korekiyo's Economic Policies in the Great Depression and Their Meiji Roots" by Richard J Smethurst[pdf]

英語圏の高橋是清のスタンダードな伝記を書かれたスメサースト氏の99年のシンポジウムでのペーパー。高橋是清の経済政策の由来を明治の思想潮流に探ることを目的にしています。確かに流暢な英語を話し、同時代の英語圏の政治経済の潮流に通じてはいたが、高橋は大学の経済学者ではなく多様な職歴を持つ人物であり、彼の思考はその経歴を通じて探求しないといけないとしています。

まず、高橋の5原則を確認しています。(1)政府は不況の際には経済を刺激するために財政金融政策を用いることができる。(2)政府は景気過熱の際には経済を冷まし、インフレ退治をするために財政金融政策を用いることができる。(3)市場の情報は経済成長の鍵である。(4)経済発展は単に国家を豊かにしたり、強くするためのものであるばかりでなく国民の生活水準の向上をもたらすものであるべきだ。(5)過剰な軍事支出は国民経済の健全性を損なう。

それで第二次世界大戦後にはごく普通になったこうした考え方を世界に先駆けてなぜ彼が持つことになったのかということになります。高橋はひとつのポストにとどまることなく、ポストの移動を重ねて政治、経済、金融の幅広い知識を身に付けたとされますが、論者は原則(3)(4)(5)については農商務省の先輩にあたる前田正名の影響を重視しています。薩摩藩士の前田は江戸末期に蘭学や儒学の教育を受け、明治維新とともにフランスに留学し、ティスランの下で政府による殖産興業の考えを学び、農業と在来産業の発展を政府の政策の中心と考え、『興業意見』を提出したこと、野に下った後にも地方の産業振興の運動を起こしたことで有名な人です。国家支援による経済発展を強調する前田の考えは高橋のマクロ経済政策的な発想に影響を与えたとされます。また高橋も前田も熱烈なナショナリストであるが、政府への軍の影響力の増大を恐れ、軍事支出の増大に反対した点でも、政策形成の前に現状の基礎的な調査をするという「根本」を強調した点でも、経済成長の利益は全国民が享受すべきであると考えた点でも、政府の役割を強調する一方で東京の官僚ではなく地方の役人や生産者のほうが多くの情報を知っていると信じた点で共通しているといいます。

1880年代に地域の実情、すなわち「根本」を調査し、『興業意見』を作成していた頃に両者は出会うのですが、この意見書は農業と在来産業の振興を通じた経済発展を目指している点で、重工業や軍事力偏重の政府方針と対立する要素を持っていたとされます。前田は平均的な国民の生活水準の向上なくして経済成長なしとの信念、強兵よりも富国の主義であり、農村経済に悪影響を与えるとして松方蔵相のデフレ政策を批判したといいます。論者は前田を財閥偏重の政府政策を批判した「下からの」発展主義者としています。これは前田の提唱した地方の意志決定を重視した産業銀行案に現れているとされます。松方および大蔵省の中央集権主義対前田、高橋および農商務省の地方分権主義という構図です。前田は政策論争に敗れるのですが、この地方の意志決定を重視するスタンスは高橋に影響を残したといいます。

以下、高橋の軍事予算をめぐる衝突や教育、公共事業等の分権化の訴えなどに前田の教えを見ていますが、特筆しているのは30年代の農村救済案への反対と自助の訴えです。論者はこの点に関しての従来の歴史家の解釈に異を唱えていますが、このペーパーの眼目はこの論点にあるのでしょう。金融資本階級の代表たる高橋には農民への共感などなかったとか老年の高橋はもはや大蔵省タカ派のロボットに過ぎなかったとかいった説明がなされてきたが、前者に関して高橋は常に地方の振興を訴えていたし、後者についても戦後になってからの戦争責任回避のための官僚の言い訳に過ぎないとしています。また財政赤字削減のための措置であり、軍事費縮小は政治的に困難だったたけに農村救済をカットしたのだという説明にはより説得力があるが、高橋は常に勇敢に軍と対立しているし、既に死ぬ覚悟は出来ていたとして退けています。それで著者の説明は地方の実情を知らない中央官僚主導の農村救済案は成功しないという彼の信念によるものだというものです。地方ごとに実情が違うのだが、その状況は十分に調査されていないので全国一律の救済案には効果がないという発言を取り上げていますが、この信念は前田の教えであるといいます。35年以降には分権的な意思決定と草の根の情報への注意による農村経済発展を訴えていると。また貧農ではなく自営農や小地主を支援したことでも批判されているが、これも的外れだとしています。村を支配する大地主階級ではなく農村中間階級が経済発展の鍵であると1880年代に前田は見抜いたが、1930年代には既にこの階級が村の政治経済リーダーに成長していたのだからこの層を支援したのは高橋が村の現実を知っていた証拠であるとしています。

以上のように農商務省時代に高橋は前田真名の経済思想から多くを学んだというのがこのペーパーの趣旨です。素人の私にはとても説得的な議論に感じられましたが、私の知らないいろいろな文脈があるのかもしれません。フランス留学組の見聞録のたぐいは以前まとめて読んだことがあって前田のことは知っていましたが(普仏戦争とパリ・コミューンを目撃した日本人です)、フランスの重商主義の伝統を引き継いだ殖産興業の人ぐらいの理解でしたのでなかなか勉強になりました。政府の役割の強調と下からの経済発展の理念が独特に結合している訳ですね。これが高橋是清につながるというのもなにか数奇なものを感じます。日本のワインの父みたいな人でもあるのですね。飲んべいの私としては前田ゆかりのワインというのも気になります。ちなみにスメサースト教授が朝日に寄稿しています。是清についてはアメリカのマクロ経済学者のみなさんにももっと知ってほしいところですね。ではでは。

追記

財務省→大蔵省に直しました。

[本日の一曲]

http://www.youtube.com/watch?v=4VnURW4tNIk

江利チエミ『木遣りくずし』

幕末の有名な俗曲のカバーですが、とても耳心地のいい粋な歌いっぷりです。

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ディア・リーダーをめぐるあれこれ

拓殖大学大学院教授・森本敏 北朝鮮ミサイルの迎撃決断を[産経]

第1に、わが国の政治決断を急ぐべきである。ミサイル防衛は自衛隊法第82条の2項に基づき、防衛大臣が内閣総理大臣の承認を得て、指揮官に対処権限を委任する仕組みになっている。総理の承認がなければミサイル防衛は機能しない。この対処要領は、航空総隊司令官がイージス艦艦長やパトリオット部隊指揮官に下令し、飛翔するミサイルをわずか数分のうちに撃墜するものである。

その手順は防衛省内で決められているが、これを有効にするためには空域をクリアにする必要もあるし、パトリオットミサイルの運用に必要な電波管制も必要となる。まだ総理の政治決断は下っていないが、時機を逸したのでは取り返しがつかない。

第2に、日米間の運用上の調整を急ぐことである。米国はイージス艦を日本周辺に5、6隻配備し、海自も2隻の配備が可能だ。緊迫すれば、このうち最低2隻を日本海に展開させる必要がある。しかし、日米では指揮権が異なるため、司令部・部隊間の調整が不可欠になる。ミサイル防衛は日米が共通の対応をしなければ効果はない。日本だけが対応しなければ、その必要性が問題になり、米国だけが対応しなかったら日米同盟の信頼性という問題になる。

森本氏の論説でだいたい技術的な問題の輪郭が掴めます。だいたいこの通りの対応がなされるのでしょう、きっと。中国の圧力とやらがどの程度効くものなのか観察したり、粛々と国内的な問題を処理したり、日米間の調整をしたりする機会として活用すればいいという話なんでしょう。これ、集団的自衛権の問題は浮上しないで済みそうなんですかね。

"What Hillary Should Tell Japan" by Doi Ayako[CSIS][pdf]

ジャーナリストのDoi Ayako氏の拉致関連の記事。ヒラリー国務大臣は東京訪問の際に変な期待を与えずに日本の世論の拉致問題への執着に警告を発するべきだったという趣旨です。米国側の同情的発言が日本側に依存感情を生んできたが、ブッシュ政権後期の方針転換によって日本側には裏切られたという感情が広まっている。メディアはこの問題を扇情的にとりあげるばかりで冷静な分析がない。加藤紘一氏や山崎拓氏や田中均氏のように日本にも北朝鮮との対話をすべきだと考える者もいるが、「裏切り者」扱いされている。世論を正気に立ち返らせ、なにが国益なのかを思考させるには根拠のない期待の源を断つことにある。それゆえヒラリー国務大臣は誤りを犯したと。

あまり口汚くないという点を除けば、だいたい英語圏のリベラル系のオブザーバーと同じような意見ですね。まあ、これもひとつの意見でしょう。いささか表層的な現象に拘泥し過ぎではないのかといった疑問やそもそも非核化のプロセスに関与する気がないのは誰なんですかという話もありますがね。私の意見と大きく違いそうなのは米国への不信に関してはさほど問題だと思っていないところですかね。裏切られた感情というのは確かに一方的なものだと思いますが、妙な依存心から脱却して健全な懐疑を含んだ信頼の水準に落ち着く上で重要なプロセスだとも思うのですね。最後に細かいですが、この記事で気に入らないのはテレビ局のプロデューサーの発言の使い方です。これはオバマ就任の際のワシントン・ポストの同記者の記事に感じましたが、この種の手法の濫用はジャーナリズムとして反則だと思います。少なくとも私は嫌いです。ついでにこの就任時の記事の「世界で日本だけ」で世論が歓迎的でないって端的に嘘でしょ。

"Japanese Perceptions of Nuclear "Twin Commitments" Under the Obama Administration" by Jimbo Ken[CSIS][pdf]

オバマ政権の核廃絶と核抑止の維持の「二重のコミットメント」を日本側がどう見ているかについてのJimbo Ken氏の記事。"four horsemen"の提案を受けてNPT体制を維持し、核廃絶を目指す一方で現状の核抑止体制を維持するというドクトリンに対して日本には二通りの反応が見られる。これは核廃絶を望みつつも信頼できる拡大抑止を求めるという日本の核に関するアイデンティティーを示している。軍縮派は核廃絶に関する国連総会決議に米国がサインしたことを歓迎し、米国の核軍縮のプランを支持し、さらにロシアと中国との連携的な核軍縮を求め、これが北朝鮮を含む地域的な非核化に貢献することを望む。一方、軍事戦略専門家は警戒的である。米国の大規模な核軍縮がアジアにおける抑止を弱体化させ、対北朝鮮への交渉力を弱めることを危惧している。また米中間の相互確証破壊に近づくような両国の核のパリティーが実現すること、中国の核が最小限の抑止から限定的な抑止へ発展すること、MRBMのような戦域抑止に傾斜することを望まない。

米国に対して以下のような応答がなされるべきだ。日本は拡大抑止を毀損しない範囲での核軍縮の試みを歓迎する。日本はドクトリンおよび戦力の両面において米国から明瞭な核のコミットメントを要求する。米国がより明瞭な原則、目的、通常戦力の配置を示すことで拡大抑止はより有効になる。東アジアへの通常戦力のプレザンスは維持されなくてはならない。核戦力についても具体的に考慮されるべきだ。米国の拡大抑止にとって日本の自衛力の強化が必要で共同の抑止構造が維持されるように現代化を進めなくてはならない。日本は米国が絶対優位にあることが望ましいが、中長期的に米国が中国との相互バランスにシフトした場合でも非対称的なレベルが望ましい。日本のミサイル防衛能力の基準となる年は2011年であり、集団的自衛権の解釈の変更が必要だ。日本は欧州のミサイル防衛に対して米国が強い態度を示すことを望んでいる。ここでロシアに配慮した場合、中国に悪いメッセージを与える云々。後半は抜書きですので具体論は本文で確認してください。軍事用語は苦手なので変なところがあるかもしれません。

以上、前提が変わらずに事態が推移した場合のシミュレーションとしてはごく理性的な論調だと思いますが、どこまで現実的かどうかは別にして日本が自前の抑止能力を強化していく別のシナリオも描けるでしょうね。ミサイル防衛が支柱というのはどうなのよということになる日がそう遠くないうちに来るかもしれませんから。欧州のミサイル防衛の帰趨の極東への影響というのは重要な点でウォッチしないといけませんね。

"Bad Advice for Secretary Clinton" by Victor Cha[CSIS][pdf]

対北朝鮮政策についてのVictor Cha氏の記事。ヒラリー国務大臣のアジア歴訪はうまくいった。北朝鮮に関して悪いアドヴァイスに従わなかったからだ。悪いアドヴァイスには二種類ある。一方の極にいるのがSelig Harrison氏で北朝鮮との核との共存を訴える輩たちである。ヒラリー氏がこうした声に耳を傾けず、北朝鮮の完全な非核化を明瞭に訴えたのは正しい。米国は北朝鮮を核保有国として絶対に承認してはならない。核を完全放棄するまでは国交の正常化や平和条約の調印に応じてはならないということだ。これを放棄した場合には日本および韓国への拡大抑止は毀損するだろう。

もう一方の極にいるのがPhilip Zelikow氏でミサイル発射施設への限定攻撃を訴えている。ヒラリー氏がこうした声に耳を傾けなかったのも正しい。確かにミサイルプログラムを遅らせるが、こうした行動が数年後にもたらす結果はより全般的なものとなるだろう。日本も韓国も戦争を望んでいない。よいアドヴァイスとは次のようなものだ。同盟国や中国と連携して北朝鮮にミサイル発射を止めるよう警告し、ミサイル防衛システムを稼動させ、国連決議1695、1718に基づく制裁の準備をし、北朝鮮への援助を絞るように中国に圧力をかけるべきだといったものだ。金正日後の体制について日中韓と協議するという発言も今後の現実を見据えていて問題ない。関係国と連携して北の体制変革に備えるというのが慎重かつ賢いやり方だ。北の核との共存や発射装置の限定攻撃はそうではないのだ、と、いかにも現実派の氏らしい論評です。ところで国連決議に基づく制裁というのは実際にあるんでしょうかね。

以上、CSISから最近の記事をピックアップしてみました。外交安全保障に関心のある方々はだいたい目を通していると思いますが、あまり日本語圏で言及されないのは不思議に思えますね。日本人論者の声が全般に小さく感じられるというのと時に日本について言及する英語圏人のクオリティー・コントロールをちゃんとしたほうがいいのではないかと思うこともあります。大御所の間に英会話ティーチャーレベルが紛れ込んでいたりしますから。誰とは申しませんが。

"Why shouldn't Kim Jong Il fire his missile?" by Richard Lloyd Parry[Times]

パリー記者もいわゆるひとつのマコーマック化が進んでいるようでなりよりです。ねえ、どうして北朝鮮がミサイルを打っちゃ駄目なの?とあどけない眼差しで読者に語りかけています。パパ、the Westもそうしてきたんじゃなかったの、と。いい事教えてあげましょうか、別に発射に反対しているのはthe Westだけじゃないんですよ。北朝鮮はジャーナリストやアカデミシャンにとって死屍累々のフィールドですから気をつけることですね、パリーさん。

ところでマコーマック氏で思い出したのは-ええ、もちろん意地悪になっていますとも-1952年にパリで起こった反リッジウェイ・デモです。朝鮮戦争で国連軍が細菌兵器を使用したという例の共産陣営のプロパガンダを受けてフランスの共産主義者がNATO軍司令としてリッジウェイがパリに到着した際に大規模デモを組織したという事件です。"Ridgway la peste! Ridgway la pest!"というシュプレヒコールは戦後の混乱期を象徴する挿話のひとつとして国民の集合的記憶の一部を構成しているようなんですね。このたびのNATO完全復帰の件でこの挿話がよく想起されているようです。赤化が著しかった時代の反米感情を示す挿話として。ところでリッジウェイはGHQ総司令官もしていたのに日本では今ひとつ記憶に残っていないのはマッカッサーの印象が強烈すぎたからでしょうかね。

ではでは。

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日本の反ユダヤ主義?

”The 'Jewish conspiracy' in Asia” by Ian Buruma[Guardian]

ガーディアンへのイアン・ブルマ氏の寄稿。この方については日本について論じる左派の中ではわりあい評価しているほうなのですが、率直に申し上げて、このタイミングでこのネタ投じるのかといささか困惑しました。この記事で言うアジアというのは東アジアのことです。またJewsはユダヤ人で通します。以下、翻訳ではなく内容紹介です。

中国のベストセラーはいかにユダヤ人が国際金融システムを操作することで世界支配を計画しているかを描いている。この本は政府高官の間で読まれていると伝えられる。もしそうならばこれは国際金融システムにとってよくないことだ。こうした陰謀論はアジアでは稀ではない。日本の読者もこの手の本に食指を動かしてきた。こうした本は1903年にロシアで刊行されたシオンの議定書のヴァリエーションであるが、日本が出会ったのは1905年にツァーの軍隊を打ち破った後のことである。中国は多くの近代的なアイディアを日本人から受け入れたが、おそらくユダヤ陰謀論もそうだろう。しかし東南アジア人がこの種のナンセンスを免れている訳ではない。マレーシアのマハティール前首相は「ユダヤ人は代理を立てて世界を支配している。彼らは他人を戦わせて自分達のために死なせるのだ」と発言した。フィリピンのビジネス雑誌の最近の記事はいかにユダヤ人がアメリカを含めて自らが居住する国をコントロールしてきたのかを説明する。マハティールの場合には歪んだ種類のムスリムの連帯の観念がおそらくは働いている。しかし欧州やロシアの反ユダヤ主義とは異なり、アジアのヴァラエティーは宗教的ルーツを持たない。中国人も日本人も聖なる人物を殺害したことを非難しないし、実際に中国人や日本人やマレーシア人やフィリピン人のほとんどはユダヤ人を見たことすらない。

それではアジアにおけるユダヤ陰謀論の顕著なアピールをいかに説明するのか。答えは部分的には政治的なものに違いない。陰謀論はニュースへの自由なアクセスが限定され、自由な研究が制限された相対的に閉じられた社会で生き延びるものだ。日本はもはやそうした閉じられた社会ではないが、民主主義の短い歴史を持つ人々ですら見えない力の犠牲者であると信じがちなものである。ユダヤ人は相対的に知られていないが故に神秘的なのだ。そして西洋となんらかの仕方で結びついて反西洋パラノイアの備品となるのだ。どの国も数百年間西洋列強の犠牲となったアジアではこうしたパラノイアが広まっている。日本は正式には植民地化されたことはないが、アメリカの砲丸外交で開国した1850年代以降、西洋の支配を感じていた。

アメリカとユダヤ人を一つにみなすのは19世紀末に遡るが、欧州の反動主義者達は金融の貪欲にのみ依拠する根無し草の社会であるとアメリカを難じた。これは「根無し草のコスモポリタン」の金融屋というステレオタイプと完全にマッチした。それゆえユダヤ人がアメリカを動かしているという考えが生まれたのだ。植民地の歴史の大いなる皮肉のひとつは植民地化された人々が植民地統治を正統化する当の偏見を採用したことにある。反ユダヤ主義は欧州の人種理論とともに到来し、西洋では流行らなくなった後にもアジアで生き延びた。ある意味、東南アジアの中国系の少数派は西洋でユダヤ人が苦しんだ敵対感情を共有してきた。多くの職業から排除されて一族主義と貿易で生き延び、「大地の子」ではないという理由で迫害されてきた。そして彼らもまた金を生むことに関して超人的な力を有すると考えられた。物事がうまくいかないと中国系は貪欲な資本主義者としてばかりでなくユダヤ人同様に共産主義者として非難された。というのも資本主義も共産主義も根無し草性とコスモポリタニズムに結び付けられているからだ。恐れられるのと同時に中国人は誰よりも賢いと賛嘆されている。恐れと畏怖はアメリカ、そしてユダヤ人に対する人々の見方にもしばしば明らかになる。

日本の反ユダヤ主義はとりわけ興味深い事例だ。ニューヨークのユダヤ人銀行家のジェイコブ・シフの支援を受けて日本は1905年にロシアを打ち負かすことができた。したがってシオンの議定書は日本人が疑った事柄を確認したのだ。しかし彼らを攻撃する代わりにプラクティカルな国民である日本人はこうした賢く、強力なユダヤ人を友人にするほうがいいと決めたのであった。その結果、第二次世界大戦の間にドイツ人が同盟国日本にユダヤ人を引き渡すよう求めたにも関わらず、満州国では日ユ友好を祝うべく夕食会がもたれたのだった。上海のユダヤ人難民は決して快適ではなかったが少なくとも日本の保護下で生き長らえた。これは上海のユダヤ人にとってはいいことだった。しかし彼らを生き延びさせたアイディアそのものは今では彼らのことをもっとよく知るべき人々の思考を混濁させ続けているのだ。

以上、アジアではユダヤ陰謀論が受け入れられている、それは宗教的なものではなく無知に基づくものだが、それを支える政治的理由というものがあるという内容です。中国については知りませんので、日本についてのみコメントしておきます。

第一に「反ユダヤ主義」anti-semitismと呼ぶべきなのかどうかがまず疑問です。全体として日本国民にユダヤ人への憎悪があるかと言えばない訳ですし、遠くの話で興味もない訳ですね。にもかかわらず、聞いたことのないような人々の言説を取り上げて書かれたかなりバイアスの強い「日本の反ユダヤ主義」についての本なんてのがある訳ですね。かつてこれで日本批判もありました。しかし、例えば、「フランスの反日主義」についての本だってその辺の素材をランダムにサンプリングして書こうと思えば私でも書けますが、それがミスリーディングなことは言うまでもありません。日本には歴史的にユダヤ人差別は存在しないし、反ユダヤ主義が広汎に存在しているかのように表象することは投影と不当な一般化であるという点はしつこく繰り返さないといけないポイントだと思います。陰謀論マーケットは熱烈な人々の間のごく限定されたものであり、日本でもUFOやオカルトと同じ扱いでまともな議論としては相手にされていないし、三文ライターやネットの陰謀論好きに「日本人」を代表させるのは誤表象でしょうと。勿論こう言ったからといってこの種の言説を是認している訳ではなく有害であり、現状以上に周縁化されるべきだと思います。ちなみにブルマ氏はフルフォード氏をどう理解するのですかね。私には意味不明なんですけれども。

それからユダヤ人に学ぶ金儲けとかユダヤ人に学ぶジョークみたいな本が偏見に基づいているのは事実でしょうが、読者にとっては華僑に学ぶ金儲けやイギリス人に学ぶ資産運用やフランス人に学ぶ恋愛術との間に質的な差異があるとも思えません。読んだことがないので判りませんがね。こういう偏見なり無知なりと憎悪はやはり違うと思うのですね。ついでに無知や偏見ということで言えば、ここで悪意はないけれども偏見のある日本本-残念ながら多くがそうですが-に対して反日主義だ!と糾弾してまわる奇妙さを想像してみればいいと思います。私はこのブログでいろいろケチをつけたりしますが、それはクオリティティーを保つべき責務のある人々だと思うからであってそれ以外に対してはかなり寛容というのか期待水準が低いです。勿論ユダヤ人について正しい知識が日本で広まることは私も願っていますし、まともな本や論文は日本語でもいくらもありますので多くに読まれることを望んでいます。

第二に戦前日本におけるユダヤ人観についていささか単調な記述に見えます。シオンの議定書的な陰謀論を真に受けた人々がいたのも事実ですが、日ユ同祖論に見られるような同一視の(脱)論理もまた存在していたことも興味深い現象として記述すべきではないでしょうかね。西洋列強への恐怖とユダヤ人への共感さらには同一視といういささか倒錯した理路もあった訳ですね。これもいわゆるあやかりの心理ですから、プラグマティックという評価は正しいと思います。ただユダヤ人をめぐる問題は帝国臣民全体の共通の問題関心になったこともない訳ですし、論じていたのは事情通を気取る人々や政策担当者ぐらいなんですからから「日本人」を主語にして語って欲しくないのですね。日本から中国への陰謀論の伝播については面白い論点ですが、どうなんでしょうね。欧州からの直輸入経路もあると思いますが。

第三に明治デモクラシーも大正デモクラシーも昭和デモクラシーも無視して戦後デモクラシーではじめて日本にデモクラシーが開花したかのごとき記述もまたありがちなナラティブでしょうし、また閉じられた社会云々にしても戦前欧州で反ユダヤ主義が吹き荒れたのは欧州が閉じられた社会だったからなのか、黄禍論が吹き荒れたのはアメリカが閉じられた社会だったからなのかという疑問が浮かびます。あるいはブルマ氏はベビーブーマー世代らしく第二次世界大戦以前と以後で歴史を区分し、欧米も閉じられた社会だったと考えているのかもしれません。

では反ユダヤ主義の言説形式でユダヤ人の部分を日本人に置き換えたような言説が1980年代から90年代にかけての欧米の主流メディアを浮上し(今でもネットに残存し)、中国人に置き換えたような言説が2000年代に主流メディアにまで浮上した事実をどう考えればいいのかとか、また現在のアメリカのネットで陰謀論が盛んになっているのはどういうことなのかという問いも浮かびます。私にはむしろ情報技術の発達が新たなる人種主義の可能性をも押し広げているようにも見えるのですが、杞憂でしょうかね。情報の量と多様性が固定観念の解除に貢献するという一般論には同意しますが、その点は過度に楽観的にならないほうがいいと思いますがね。情報量の拡大に対応できずに単純な物語に固着するということもあるでしょうから。

この記事の特にリード文で「西洋」と「アジア」の対比が想定されているのが、あるいはそういう言説を誘発させるリスクがあるのが問題だと思うのですね。つまり西洋は反ユダヤ主義を克服したが(事実ではないでしょう)アジアはまだ克服していない(差別問題そのものが存在しないのに)といった珍妙な責任転嫁の言説として受け止められないかという危惧があるのですね。実際、既にそういう反響をいくつか見たので。愚かな読者の責任を書き手は負うべきだとは思いませんけれども、オリエンタリズムとオクシデンタリズムのリスクに敏感なはずの論者にしては少し脇が甘いように見えました。

誤解を避けるためにいうまでもなく陰謀論のたぐいは有害だと考えていることを繰り返しておきます。ガザに関して騒いでいる極左や極右で暗黒面に落ちているのもいるようですね。軽蔑の眼差しを捧げておきます。我々はそんなものを輸入すべきではない。またあまり真面目に見ていないのですが、主流メディアに対してもやや不満があります。基本的に日本国民はこの問題については他者であり、当事者とは別の認識とアプローチが可能であるはずなのにあちらのメディアのフォーカスの吟味なしにその上で踊るのはどこか滑稽な話だと思います。勿論イスラエルの批判をするなと言っているのではなく、批判的でももっと引いた視線が必要だと思うのです。

ちなみにこの記事のコメント欄がひどいことになっていてかたっぱしから削除要請しておきました。大先生のブログのコメント欄に登場する人も湧いていました(笑 この人達が忠実に反ユダヤ主義の「論理」を踏襲しているのもまた滑稽きわまりない話です。ねえ、友達つくったらどうですか、と忠告しておきますかね。

追記

コメント欄で指摘がありましたが、ガザ侵攻以降の世界の世論動向に関心があってこういう記事を掲載したのでしょうね。特に今、欧州で不穏な空気が漂っているので。それで私にはこの論調に他者への不安の投影を感じるのですね。

エントリを読み直してちょっと過敏に反応しているところがあるのかなという気もしてきました。ただこの話は間歇的にぶり返す傾向があるので困ったもんだなと前々から思っていたのですね。細かい部分での不同意を別にすれば、記事そのものはそれほどおかしな内容という訳でもないです。ただ日本人も、たぶん中国人も大多数にとっては?だと思うんですよね。そしてそういう反応そのものは差別文脈を欠いた地域が世界に存在している証拠でもあるのですから必ずしも悪いことではないと思うのですけれどもね。

細かい表現、誤字等修正しました(2009.2.12)

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お疲れ様でした

ここしばらくかなりあたふたしているのですが、とりあえず生来の三日坊主な性格を矯正するためにも—このブログを運営する目的のひとつ—ゆるゆると更新しておきます。

"Six-party standstill"[Economist]
六カ国協議が暗礁に乗り上げたのを受けた記事。英語圏の議論が分裂的になりがちなのでこうした引いた感じの記事はいいですね。そう言えば、日本もなんだか随分と理不尽な叩きを受けてましたね。北朝鮮の相手は誰がやっても難しいのでしょうが、ともかくヒル氏の顔を見なくて済むのは個人的にはありがたいです。将軍様の状況に関して様々な情報が入り乱れていてどうなるのかよく判りませんが、体制がなんとか保たれる限りは膠着状態が続くことになるのでしょうね。まあもう米中間の問題ですから日本としては国内問題の処理や安全保障体制の整備を粛々と進めていく他なさそうです。政治社会言説の再編成も進めないといけないのでしょうが、こちらはもっと時間がかかりそうですねえ。

"Escapee Tells of Horrors in North Korean Prison Camp"[Washington Post]
"Three Kernels of Corn"[Washington Post]
率直に申し上げてBlaine Harden氏はさほど評価していないのですが、WaPoにこの記事が掲載されるのは意味があると思うのでリンクしておきます。脱北者のロング・インタビューです。またこれを受けて北朝鮮の人権問題にもっと関心を向けろという社説です。大量難民を怖れて人権問題に目を閉ざす韓国と核問題に集中して人権問題から目を逸らしている米国を批判しています。アメリカの高校生はルーズヴェルトはなぜヒトラーの収容所行きの鉄道を爆破しなかったのか討論しているが、何世代か後にはなぜ西洋は衛星で把握していながらキム・ジョンイルの収容所になにもしなかったのか子供達に尋ねられるだろうと。私はこの種の歴史的類比はあまり好みませんが、現在の膠着した状況でこうしたメッセージを発する意味はあるのでしょう。

"False god?"[Economist]
朝鮮日報も中央日報も長いこと目を通していないので隣国の状況をさっぱり掴んでいないのですけれども、このミネルヴァとかいう経済ノストラダムス氏による騒ぎについては聞き及んでいました。この記事では民主化との絡みで政権批判の要素を強調していますが、どうなんでしょう、やや不健全な現象に見えます。ネットでの流言がマクロなレベルでネガティブな効果を発揮するという現象ですね。やはり似たところの多い国ですから我が国と比べたくなりますが、社会の細分化が進んでいる分ここまで大きな話にはなりにくいのでしょうか。現在の日本で予言者氏のところに数百万人が殺到するということはなさそうな気がしますが・・・、そうでもないかな、どうなんでしょう。

"Japan, Australia sign cooperation pact"[AFP]
第2回の日豪2プラス2が開催され、「アジア・太平洋地域の安全と安定の促進」が謳われています。他のソースでは防衛情報共有の促進での合意の部分にアクセントが置かれていますが、軍事訓練や将官の交流等を今後さらに押し進めることが確認されたとのことです。防衛情報の共有ということで法制面での調整等もあるようですが、我らが自衛隊の情報管理能力の向上を願います。この記事は両国の外交関係がしばらく冷え込んでいた点について細々と書かれていますが、鯨についてはイデオロギー・イシューを非妥協な仕方で外交に持ち込んだ際にはどういう結果になるのかという問題のひとつの事例として、あるいは英語メディアの言説戦術の読解練習問題としては多少興味がありますが、本音では季節の風物詩ぐらいにしか捉えていないので特にコメントしないでおきます。ところで去年もそうでしたが、一般に日本のメディアの日豪防衛協力への関心の薄さはどうにかなりませんかねえ。アメリカと中国と朝鮮半島だけが世界ではないと思うのですけれども。

"Japan ends five-year Iraq mission"[BBC]
自衛隊がイラクでの任務を終了して撤収することが決定したという話ですが、隊員のみなさまお疲れ様でした。麻生首相が隊員および家族を称える言葉が引用されています。記事では今回の派兵がcontroversialなものであった点を強調していますが、まあそれはいいでしょう。実際、そうだった訳ですから。このたびの貴重な経験は今後の活動に活かされることでしょう。本当にお疲れ様でした。

追記
日豪2プラス2は読売が社説で扱っていましたね。有力紙が一紙も社説でとりあげないのはまずいでしょうから評価したいと思います。

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マグロ食うな

すっかりと冬めいてきましたねえ。私はこの時期がわりと好きなんですよね。というわけでここしばらくなにか生き生きとしているような気がします。

"Geithner a balm for Japan's Clinton trauma"[Asia Times]
Kosuke Takahashi氏のこの記事ですが、新政権における財務長官へのガイトナー氏の就任をめぐる日本側の反応についてよくまとまっています。民主党政権ということでクリントン時代の悪夢を想起する人も多かろうが、そんな心配はいらんだろうということですね。日本語話せるから嬉しいみたいな反応はどうかとは思いますが、確かにサマーズ氏よりはやりやすそうではありますね。前政権からの「変化」の強調には向かないでしょうけれども、GSのポールソン氏よりはこの実務屋さんのほうが受けがよさそうな印象を持ちますが、私はアメリカ国民ではないのでその辺はよく判りません。なお橋本政権時のパッシングについての物悲しいけれどもやはり正しさを含んでいるのかもしれない解釈に軽く頷かされました。どうせまた今後もジャパン・パッシングだの日本の存在感の低下だのといった扇情的な文句がメディアの一部で踊るのでありましょうが、共和党政権のゼーリック氏にだって「パッシング」されていたわけで、この凪を利用して我々は我々がなすべきことを淡々とやればそれでいいのであって、あのニコラ・クリストフ氏とつるんでいる誰かさんがなにを言おうとも涼しい顔をしてスルーすればそれでいいのですね。関係ないですが、記者クラブのよくある批判なんかよりもFCCJ改革の提唱をしたらこの方も評価するかもしれません。そうですねえ、まずはスシ・バーからマグロネタを出すのを止めることあたりから始めたらどうでしょうかね。いえ、勿論冗談です。

"China's cyber warriors a challenge for India"[Asia Times]
同じくアジアタイムズですが、インド側から中国のサイバー・ナショナリズムを警告する記事です。孫子の戦わずして勝つ戦法を紹介して国境問題での心理戦でインド国民が戦意を喪失しないようにする必要があると論じています。インド国民はそんなやわではないような気がするのですがね。というか最近はきなくさい話ばかり聞こえてきますねえ。この記事ではオリンピックの際の反西洋ナショナリズムをとりあげていますが、やはりこっちが本筋なわけですよね、日本は手軽なターゲットということで。逆に西洋メディアが日中対立を強調するのは願望が入っているような気がしますね。このもつれた関係を日本に有利に動かすにはどういう戦略が望ましいのかなかなか難しいところですが、結局、涼しい顔で見物しているのが当面は正しいような気がしてきます。この点で我が国が外国語音痴ばかりなのはあるいは幸運なのかもしれません。ところで前に紹介したサルコジ氏とダライ・ラマ猊下の会談話がサミットへの中国代表の欠席ということでさっそく展開しているようです。中仏の確執ならばまあいいですよね、自己中同士やってなさいと。だいたい砲弾が飛び交ったり死人が出るようなこともないわけでしょうし。まあ他国は最終的にはどうでもいいのであって淡々となすべきことをなすのがすべてに優先ということなんでしょう。

"Obama and Japan’s security policies"[East Asia Forum]
Peter Drysdale氏の岡本氏の提言への論評。前に岡本氏がアジアタイムズに寄稿している記事は紹介しましたが、このブログ記事が言及しているのはNautilus Instituteのサイトに掲載されたほうの記事です。内容はだいたい同じで日本がより自立性を高めることが対米関係を安定させるとして、具体的になすべきことが列挙されています。
(1)在外日本人の保護の能力を高めよ(バングラディッシュなど大使館等在外公館保護のために自衛隊を利用せよ)
(2)復興支援国で援助活動をする民間人保護のために兵員その他を送れ(アフガニスタン)
(3)大量避難や人道救助のための自衛隊の能力を向上させよ
(4)公海における船舶の安全航行を保護する作戦への参加のための恒久法を策定せよ
(5)テロとの戦いへの「言葉での」コミットメントを再び表明せよ
これは難易度はそれほど高くなさそうですが、現在の政治の混迷ぶりを見るとちょっと実現しそうにはないとしています。ただ日本の著名かつ尊敬されている安全保障グルの意見として重要だと。まあこんな風に受け止める人もいるわけですから、やはり英文で公表する意味はありますね。なおDrysdale氏の対北朝鮮政策への論評はやや田中均氏寄りに過ぎると思います。いえ、私は別にもともと強硬派支持者ではないです。が、タカとハトの間にもいろいろなスタンスがあり得ることを知っていただきたいなと思うのですね。

"軍を律する文民統制とは何か 民主国軍と非民主国軍の違い(1)"[NBonline]
吉田鈴香氏の文民統制に関するバランスのとれた啓蒙的記事。スウェーデンに詳しい方のようで具体論の部分は著者の見聞が活かされています。この件で統制主体であるはずの総理大臣と防衛大臣が他人顔をしているのはよくない、またこの問題を政争の具にしようとしている野党の姿勢も筋をはずしている。また日本の政治家は兵士の士気を高める言葉を常日頃から発しなければならない。文民統制が真に機能しているかどうかを判別するのには教育プログラムを見ればいい。軍の質をはかるには「理論教育」「倫理教育」「実戦訓練」「最新鋭装備」の4つの視点から観察すればいいが、この4点が○なのが民主国軍であり、非民主国軍は「理論教育」が△ないし×であり、「倫理教育」は×である。だから危ない。倫理教育とは人権思想の根幹が入っているかどうかだ云々。日本語圏で議論をするとどうしても先の大戦の記憶に左右されてニュートラルにならないこともあってこういう冷静な視点はいいですね。ただ一般論部分はいいとしても、文民統制の具体的なあり方というのは国によってけっこう違うのでなかなか面倒くさいんですけれどもね。

なお文民統制に関するネットソースとしては山田邦夫氏の「文民統制の論点」というpdfは一般論から具体論まで論点が網羅されているのでおすすめしておきます。スミスもハンチントンも読んでいない無学な人間なのでなにも言えませんが、日本の政軍関係史におけるパールマター氏やファイナー氏の見方は興味深いですね。三宅氏や纐纈氏は反論されていますが、実は私もこういう見方に近いところがあります。明治立憲体制は完全に維持されており、言うまでもなく途上国型の軍事独裁などではなかったのですから。いえ、別にだからいいというのではなくて、だから難しいのだと言いたいのです。単に低く見たり悪く言えばそれを克服できると思い込むのは思い違いというやつです。それから文民統制の話になると文官統制とは違う云々という決まり文句が飛び出ますが、ここは政治文化の問題になると思います。行政権の強い国はどこでも文官統制的になっていますし、それも文民統制の一部と理解されているようですから。ちなみにタモガミ・アフェアに関して国会やメディアで叫ばれている文民統制についてはうーむ、という感じがありますね。私みたいな無学者でもなにか変だと思うのですから、困ったものです。シビリアンの側がこれでは軍隊をコントロールできないではないですか。まあ私もぼちぼち勉強することにします。

ではでは。皆様もお元気で。

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